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2019年2月

「PW」と「WP」

●vol de nuitさんの、「ワルシャワ蜂起時の車輛」の関連話題。

ワルシャワ蜂起の記録写真を見ていると、よく「PW」という文字、あるいはぞれを繋げた錨型のシンボルマークをよく目にする。壁などに大書されていることもあるし、鹵獲パンター「Pudel」の前面装甲板に書かれていたとも言われる(ただし、私自身はそれをはっきり確認できる写真は見たことがない気がする)。

ポーランド軍関連の資料(主にポーランド語)を集めていると、「Wojska Polskiego(ヴォイスカ・ポルスキェゴ)」という単語をよく目にする。単純に「ポーランド軍」という意味で、私は「PW」の錨型マークも、その略(あるいは単語の前後をひっくり返して「Polski Wojska」とか……文法的に正しいかどうかはよく判らない)なのかと思っていた。

しかし最近、何かの弾みで調べてみて、別の言葉の略なのだというのを(今更)知った。

PWの頭文字自体は、当初は、1939年12月に発生したナチス・ドイツの占領軍による民間人虐殺事件に対する「(それが発生したワルシャワの地区名である)ヴァヴェルの報いを」(Pomścimy Wawer)というスローガンを示したもの。

150pxkotwica_jako_symbol_polski_wal それが、その後、より曖昧に「戦うポーランド(Polska Walcząca)」の頭文字として定着。1942年初頭、国内軍によるレジスタンス活動のシンボルとしてデザインコンテストが行われ、アンナ・スモレンスカという女性活動家による錨型のロゴが採用された。以後、このマークは見た目通り「Kotwica(コトヴィツァ:錨)」と呼ばれ、(ワルシャワ蜂起に限らす)ポーランドの地下政府および国内軍のシンボルマークとして使用された(右画像はwikimedia commonsより)。ちなみに、アンナ・スモレンスカは1942年末にゲシュタポに逮捕され、翌年、アウシュヴィッツで死去している由。……というような内容は、英語版のwikipedia由来。

ただし、この「PとWを組み合わせた錨」のマークは、実際には戦前から、出版社「ポーランド出版(Wydawnictwa Polskiego)」の印章として用いられていたという話も、ポーランド語版のwikipediaに出ている(何しろ機械翻訳なので細部がよくわからないが)。

なお、「ワルシャワ蜂起」自体もポーランド語で言うと「Powstanie Warszawskie(ポフスタニエ・ヴァルシャフスキエ)」で、頭文字はPWになる。ややこし。

Band_of_polish_home_army_armia_kraj ●ということで、「PW」と錨マークについてはスッキリしたのだが、一方で、蜂起軍が鹵獲使用したパンター(Pudelなのか、もう一両のほうなのか、ちょっとはっきりしない)の砲塔後面ハッチには、「WP」と書いてあったりする。蜂起軍兵士の国旗の色の識別腕章にも、WPと書かれている例が多いようだ。右の腕章写真もwikimedia commonsより。

こちらは私の以前の想像のように、「Wojska Polskiego(ポーランド軍)」の意味と考えていいのだろうか?……どうもよくわからん。

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小坪高角砲台補遺(その2)

●唐突な続編。今までの関連記事は、

改めて披露山(前編)
改めて披露山(中編)
改めて披露山(後編)
砲台山
小坪高角砲台(改めて披露山)補遺
季節労働の終わりと砲台山再訪

●逗子市役所のサイトには、「逗子フォト」という素敵なミニ・アーカイブがあり、古今の逗子の写真がストックされている。確か、去年か一昨年あたりに開設されたばかりで、写真も随時追加中。

実のところ、写真のタグの設定の仕方があまりよくないのか、「こういう写真が見たい」と思った時に上手く検索で出て来なかったりして、その辺、改善の余地はあるのだが、ぜひこのまま着々と充実を目指してほしい。

さて、そんな「逗子フォト」に、どうやら最近のことらしいが、披露山の「小坪高角砲台」の、公園に改装される前の写真が掲載された。

201807241311291

すでに雑草に覆われているものの、砲が撤去されたのみのプレーンな状態の砲台の状態が見られる写真として非常に貴重。ちなみに、披露山山頂に構築された3つの砲座のうちのどれなのかは、逗子フォトの説明文では明記されていないが、現・猿舎である可能性は高いように思う。

たった一枚なのが残念だが、これだけでも、いろいろと興味深い点が見て取れる。

(1).中央の砲架据付部は、現在の猿舎では小さな池+金網屋根の柱基部に改装されており、また、ほぼ同型の横須賀・砲台山では埋まって土の地面になっているが、単純にコンクリート床面に穴が開いているのではなく、がっちりと砲を固定するために、何やら凝った段差形状になっているのが判る。砲台山と同様、穴の最外周部分は、うっすら細く1、2センチの幅の段差があるようだ。

また、穴の向こうには現在も残る「何かの器具の取付基部の円環鉄パーツ」がいくつか並んでいるのがボンヤリ確認できる。

201808091250203 (2).正面の穴(階段の向かってすぐ左)は、他の壁龕と異なり、上部がアーチ状の背の高いものになっている。ここは、現在の披露山猿舎ではコンクリートで埋められ、ディテールが判らなかった部分。砲台山では他と同一形状の四角い壁龕で、披露山も当然そうだとばかり思っていた。

以前の記事で、ここがコンクリートで埋められている理由について、「どうも、壁龕の上部分が少し壊れていて、それをわざわざ手間をかけて補修するよりも、いっそ壁龕ごと埋めてしまった方が楽だったための措置という気がする」と書いたのだが、実際には、「上部が崩れた」のではなく、もともと上に長い独特の形状の穴だったことになる。

なお、「逗子フォト」には猿舎の檻の内側からこの部分を写した写真も上がっており(右写真)、それを見ると、私が以前の記事に載せた写真よりも、埋めた痕跡がより明瞭に判る。披露山の砲台では、なぜ一つだけこのような形状だったのか、大いに謎。

もしかしたら、他の(弾薬仮置き場と思われる)壁龕と違い、地下通路入り口という可能性もあるのかもしれない(また、それなら埋められた理由も想像しやすい)。方向的には他の2基の砲台跡とは(現売店の観測所跡とも)若干ずれていて、まっすぐ行くと山の斜面に出てしまいそうだが、例えば連絡用通路だったとしても、爆風がストレートに来ないように曲げて作ってあるとか。あるいは山の斜面への脱出用通路とか?

20170708_151443 (3).その隣の兵員詰所?部分に関しては、現在の猿舎では他の部分と同一円周上までコンクリートで屋根が付けられているが、もともとは、砲台山と同様、一段窪んでいたことが確認できる。こちらは上と逆に、もともと披露山の砲台がちょっと変わった形状だったのか?などとも思っていたのだが、実際には後からの改修だったわけだ。猿舎の檻を被せるにあたって、ここだけ形がいびつなのは不都合だったので新たに天井を設けたものか?

現在のこの部分を外側から見ると、右写真のようになっている。砲台の円周から一部外側にうっすらとコンクリート地がはみ出しているのが詰所部分で、このコンクリート部分が本来は窪みだったことになる。

(4).詰所入り口は、一段下に窪んでいるらしい。砲台山では崩れた土砂で埋まって確認できない部分だが、やはり窪んでいるのだろうか?

大雨の時、すり鉢状の砲台に流れ込んだ水が、さらに詰所に流れ込んできたりしないのかなあ。いや、まあ、排水口くらい作ってあるか……。

(5).特に写真右手の壁龕は、周囲が枠状に出っ張っているように見える。現状の猿舎では、ここは面取りが施されている部分で、単に写真写りの問題で(エッジがこすれて白くなって)出っ張っているように見えているだけか? わざわざ後から縁を削って面取り加工した、などという可能性は低そうな気がするが……。

●週末、いきなり左足の親指が痛んで腫れあがってしまった。まさかこれが話に聞く痛風というやつか!?と焦ったのだが、痛風の場合は親指の付け根関節が腫れるはずが、私の場合は指それ自体。また、痛風なら痛み始めて1日目くらいが痛みのピークで居ても立っても居られないほどになるらしいのだが、そこまで痛いという感じにはならなかった。

どうやら、うっかりトゲか何かを刺してしまって化膿した可能性が高そう。数日して、だんだん痛みも治まってきた。

20190204_223717 ●本来ならまだまだ収穫には早いのだが、ぽつぽつとフキノトウが出始めているのを見て、フキ味噌の味を思い浮かべたとたんにどうしても食べたくなり、月曜日、今年の初収穫。早速フキ味噌を作る。

毎度、各材料の分量は行き当たりばったりだが、今回はかなり美味く出来た気がする。これをつまみに日本酒でも飲みたい感じ。

●hn-nhさんのブログ「ミカンセーキ」のコメント欄でお知り合いになった、vol de nuitさんのブログで、ワルシャワ蜂起時の国内軍の車輛のリストアップと同定で盛り上がっている(基本、3人であーでもないこーでもないと言い合っているだけだが)。記事直通のリンクはこちら

私自身、特にソフトスキンについては生半可な知識しかなく、先日の記事で紹介した資料“Pojazdy ARMII KRAJOWEJ w Powstaniu Warszawskim”まかせの部分が多かったので、いろいろと勉強になる。

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