季節労働の終わりと砲台山再訪
●毎年秋は、とある年刊のムックの制作に携わるためしっちゃかめっちゃかになるのだが、特に今年は(スタートが遅かったこともあって)泥沼化。11月に入って当「かばぶ」の更新がまったくストップしていたのもそれが理由なのだが、とりあえず、それも1週間ほど前にすっかり終わった。もう何があっても知らん。
そんなこんなで、先月にはほぼ組立が終わっていたホルト75トラクターも放置状態。はっと気づけば、SUMICONの終了まで1週間を切ってしまった。……この週末のうちに色を塗り始めよう。間に合うかなあ。
●一応、健康上の理由により毎日ある程度は歩くようにしているのだが、上記のように「大物」が片付いたので(実を言えば、その分しわ寄せを食った別の仕事が押しているのだが)、久しぶりに“がっつり”歩く。
先週日曜日(18日)は家から歩き始めて鎌倉旧市街を横切り、極楽寺から尾根に上って鎌倉山に抜け、藤沢市境直前の手広まで。その後また歩いて鎌倉駅前まで戻ってバスに乗って帰宅。
散歩途中、大町の「アルモリック」で、カヌレをとうとう購入。これまで、行くたびに「売り切れ」「夏の間はやっていません」「定休日」等々で買えなかったもの。さらに長谷の「なみへい」で焼きピロシキを購入。これまた夏の間はやっていなくて試しそびれていたもの。昼食(の一部)およびそのデザートとして食べた。
アルモリックのカヌレは表面がカリッとほろ苦甘く、中はトロモチな食感で美味し。なみへいの焼きピロシキは、餡がなんとなくインド料理っぽい香辛料の配合の感じがしたが、味それ自体は私好みでこれも美味かった。
ついでに、鎌倉市内で未見の数基の丸ポストのうちの2基に新たに会って写真を撮ることができた。1基目は鎌倉山ロータリーのもの。桜の木の下にあるので、春には見栄えがしそう。
2基目は手広の、鎌倉消防署深沢出張所斜め向かい。
日が暮れて鎌倉駅まで戻る途中、常盤あたりの某キリスト教系幼稚園の前にあるのを見掛けた彫像。
なんだか、天使が崖っぷちにいる子供にそーっと近寄って突き落とそうとしているように見えるんですが……(バチあたりな奴)。
●24日土曜日。逗子から自衛隊の武山駐屯地のあたりまでバスに乗り、武山-砲台山-三浦富士の三浦半島横断ルートを歩く。
昨年8月に歩いたルートをほぼ逆にたどったもの。登り始める前、一騎塚交差点近くで、出掛ける前にGoogleマップを見ていて所在を知った「永野プラモデル店」に寄ったが、結局何も買わず。申し訳無し。
武山山頂の不動院を経て、砲台山へ。前回行ったのは真夏で下草も多く、hn-nhさんに「調査なら冬にやれ」と笑われたため、捲土重来。いや確かに仰る通りです。とりあえず、全景に関しては前回を見て頂くとして、今回は、改めて撮った細部等を少々。
まずは、前回は草に覆われていてクローズアップが撮れなかった、兵員詰め所?と思われる大きな窪み部分。
出入口の階段から、反時計回り方向に、砲弾仮置き場の壁龕一つを隔てて存在しているのは披露山(小坪高角砲台)と同一。ただし、窪みの手前の広い部分左右壁は上部まで表面が綺麗で、もともと(少なくともこの部分には)天井がなかったのが判る。これは披露山の砲台との大きな違い。
また、手前の広い部分の突き当り壁には鉄骨が飛び出ているので、当初はもうちょっと複雑な形状をしていたようだ。
奧の狭まった部分は、元々は天井があったらしい。現在は積もった土砂(その下には崩れた天井のコンクリートもあるかも)で見えづらいが、左右は奥行きがあり、全体ではそれなりの広さの小部屋になっている(それでも4,5人が入れば一杯なのでは、という感じだが、もしかしたら半分埋まっているのでそう見えるだけで、もっと広いのかもしれない)。
狭まった部分の(向かって)右側は壁の崩れた痕跡があるので、この小部屋の入り口は本来はもっと狭かったようだ。
hn-nhさんに教えて貰った「 大津島高角砲台遺構」の記事にある写真では、この詰め所?入り口部分は天井がなく、披露山よりもこちらの仕様に近そう。
ほか、細部写真をランダムに。
1枚目:中央の砲架跡部脇にある、何かの機器の取付部。前回も撮ったが、今度は大きさを見るために手を添えて撮ってみた。
2枚目:中央の砲架跡の穴周囲は、軽く段付きの二重縁になっている。この段に金属製の台座がはまっていたのか?
3枚目:とりあえず地面上に出ているコンクリート製砲座外周の厚み。
4枚目:出入口の階段。その向こうに詰め所?跡がある。
5,6枚目:改めて、仮弾薬置き場の壁龕。5枚目で奥の壁の上部がボヤッと光っているのは心霊現象ではなく、写真を撮るときにも見えたので、何かに反射してきた西日らしい。
若干引きの全景っぽいものもいくつか。しっかり全景で撮っていないのは、この時、写っていない端で、数人の方が木にロープを引っ掛けて、何かの作業か訓練かをしていたため。
なお、砲台がある山頂へは、資材搬入用に拓かれたらしい、一応自動車も通れる道が渦巻き状に斜面を上がっていくのだが、山頂手前でショートカットの細道が分かれている。前回来た時には気付かなかったので、夏は藪に埋もれてしまうのかも。
左が渦巻き状にゆるやかに上がっていく本道、右が近道で、これを通ると上の砲台の裏側――というか、上の砲台からさらに奥の藪に分け入る道の途中に出る。
よく参照させてもらっているサイト「東京湾要塞」の砲台山のページによれば、実際にはこの山頂には(披露山同様に)砲座が3つ作られていたらしく、上写真のものは中央の一基。もう一つ(本道から上がってきた時の手前側)は海上保安庁の通信施設の下になって現存せず(あるいは埋められているだけかもしれないが)。さらにもう一つは、上の砲台の奥の藪の中に、こちらはかろうじて現存している。
前回は藪も深くて確認しなかったが、今回は(先の細道のおかげで奥に小道が続いているのもわかったので)、どんな状態になっているのか覗いてみた。
小道を突き当りまで歩いてみたが、足元に何カ所かコンクリートの角が顔を出している(下写真3枚目)ほか、それらしいものがない……と思ったのだが、脇の藪の暗がりを覗き込んでみたら、コンクリートのすり鉢の一部が確認できた。
1枚目の写真は藪の上からの写真で、藪がゆるやかに窪んでいるのが、ほぼすり鉢状の構築物の形状をなぞっている。2、4、5枚目はちらりと覗くコンクリート製構築物の一部。藪と落ち葉等に隠れてよく見えないが、入口階段か詰め所?部分の角のようだ。足元もよく確認できないので、不用意に近づくといきなり穴に落ちそうで怖い。全体をはっきり確認するには、徹底的に草刈りするか山焼きをするしかない感じ。この季節でこんな具合なので、夏季にはほとんど確認できない可能性も高い。
オマケ。前回よりちょっと明るい状態で撮った、アプローチの本道脇にある、計算所施設の台座。
●砲台山からなるべく早く降りるルートを辿ればよかったのだが、欲をかいて(当初予定通り)三浦富士まで尾根伝いに歩いたら、三浦富士の頂上でちょうど日没を迎えてしまった。
YRP野比駅方面に降りたが、急勾配の山道がどんどん暗くなり、足元も見えなくなってきて大いに焦った。前回と同じく昼食後すぐに出掛けたのになぜ……と思ったが、考えてみれば前回は真夏で日が長かったのだから、余裕があって当たり前。迂闊。ここが戦場なら即死。
●話は前後するが、23日金曜日、祝日だが仕事で新宿。ミーティング相手の1人であるポーランド人は、先日、母国の田舎の村で農業をしていたお兄さんが亡くなり、その整理のために一時帰国していたのだが、「トラクターが処分できなくてまだ倉庫に残っている」由。「それって、もしかしてウルスス(URSUS)ですか?」と聞いたら、「そう! ウルスス! なんでそんなの知ってるの!?」と大いに驚かれた。
……オタク知識の発露。でもさすがに「ウルススA型トラックが」とか「wz.29装甲車が」というような話はしない。
●逗子銀座商店街にある古いおもちゃ屋、「のんきや」さんが来年早々にもついに閉店だそうだ。もともと、逗子に引っ越してきた当初は逗子銀座商店街裏に住んでいて、「のんきや」さんとはご近所付き合いもあったので残念。
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コメント
ブログ更新が止まっていたことからハードなミッションだったと想像します。お疲れ様です。
砲台の「兵員詰め所?」は部隊毎のニーズでいくつかのバリエーションがあるのかしら。屋根なしの広いスペースと穴蔵空間の2段構成には理由があるのでしょうね。たとえば射撃時の通常待機スペースと攻撃された時の待避壕、あるいは上級将校の指揮所とその他兵士の場所、などなど。壁の鉄筋?と壁の痕跡はなんでしょうね。何かの鉄製部材(閉鎖扉)がついていたのを撤去したのか、あるいは設置予定の下地だったのか。
あれこれ想像できますが、いずれも類似施設の当時の克明な写真記録が残っていれば、これがあれで..あれがそれで.. となるんでしょうけど。手がかりを欠くと、たかが70~80年前のものなのに古代遺跡のよう。
投稿: hn-nh | 2018年11月25日 (日) 20時58分
やっと更新されたかー、何かあったのかと思いましたよ。
楽しそうな冒険してますね!私も行ってみたいけど、登山は…。
バイクで登っていいのなら、行ってみたいなぁ(笑)
投稿: 赤板先行 | 2018年11月25日 (日) 21時54分
>hn-nhさん
遅くとも10月中には終わっていなければいけない仕事だったのですが(それでも遅いくらい)。
ヴィッカース6tもwz.34装甲車も未完成なので、ホルトはどうしても塗装まで終えたいのですが、どうなることやら。
今回の砲台山行きは、奥のもう一つの砲台も確認できたのが個人的には大きな収穫です。いや、だからどうなんだって話ではありますが。
>あかばん
砲台山はバイクで登れます。
武山からの道も三浦富士からの道も尾根道ですが、砲台山はさすが元軍事施設だけあって、直接車で上がれる幅の山道があります。
今回は(上に書いたように)私のほかにも人が来ていましたが、その人たちはバイクで来てましたよ。
GoogleマップのURLを貼っておくので行ってみたまい。
https://www.google.com/maps/place/%E7%A0%B2%E5%8F%B0%E5%B1%B1/@35.2210257,139.6609698,16z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x859ee9e9748af2aa!8m2!3d35.2189209!4d139.6619063
投稿: かば◎ | 2018年11月26日 (月) 01時56分
山の中で日没って、ほんとになんも見えなくなるから恐怖ですね。
野比駅方面を下ると、民家を横切ったような記憶があるのですが、自信ないです。
うちの父ちゃんは、砲台山まで電柱担いで上がったみたいな話してたんですが、
もうあやふや・・・
投稿: みやまえ | 2018年11月26日 (月) 23時46分
>みやまえさん
いやいや、本当に参りました。
砲台山の時点ではまだ日が当たっていたのに。
山道を甘く見てはいけませんね。
投稿: かば◎ | 2018年11月28日 (水) 22時27分
>永野プラモデル店
あそこ、入ったことないんですよ。
20年以上前からあると思うのだけど。
昔はもうちょっと武方向へ行ったところに「K−ショップ」(だったかな?)ってプラモ屋さんもありました。
入ったことなかったけれど・・・
横須賀は比較的にプラモ屋さん残ってる気がしますが、
それでもいつかは全滅しちゃいそうですね。
投稿: みやまえ | 2018年12月 2日 (日) 18時46分
ちなみに、林にある、ながしまおもちゃセンター(だったかな?)は、
わたしが幼児の頃から続いている老舗おもちゃ屋さんで、
幼児の頃50円でブルマアクのポインターのプラモを買ったり、
マッチボックス(トミカではなく)のミニカーを買ってもらったりした記憶があります。
その東側の、高架道路の橋桁のある部分は、当時田んぼでした。
投稿: みやまえ | 2018年12月 2日 (日) 18時50分
>みやまえさん
(山に登る前だったのに)何か掘り出し物とかあったら買おう……なんて思ったんですが、基本、(私の趣味の範囲内だと)普通に買えるものばかりでした。
みやまえさん情報のもう一軒。「『林』って、見覚え・聞き覚えがあるな……どこだっけな」と思ったら、そうか!あの三叉路って「林ロータリー」っていうんだっけ、と、ワンテンポ遅れて思い出しました。
そして、みやまえさんの仰る「おもちゃセンター」ですが、googleマップで場所を確認して、確かにこの前を通ったのを思い出しましたよ!
「ここ、おもちゃ屋さんか……プラモデルとか置いてるかな」と思いつつも、入らずに通り過ぎたんですよね。入ってみればよかったかな。
投稿: かば◎ | 2018年12月 5日 (水) 11時04分
例によって米軍の空中写真で観察すると、戦後すぐの砲台山には3基の丸い構造物らしきものが確認できますね。
imgur.com/a/Z1N7GLR
3つのうち中央が保存整備されている砲座で、一つはおそらく現在のアンテナ施設建設で破壊されたか、もう一つが藪の中に残るそれでしょうか。
ぜひ草刈り山焼きをしてマチュピチュの遺跡みたいに遺構の全貌を明らかにしてください(笑)
投稿: hn-nh | 2018年12月 8日 (土) 05時53分