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2018年2月

忖度

●21日、打ち合わせ・取材で自由が丘。渋谷方面に出るために時々通過するが、降りるのは10年、20年ぶり、あるいはもっと。

もちろん車窓から見て変化しているのは判るが、改めて改札を出て、私の知っている「自由が丘」の面影がほとんどなくて狼狽える。同行のN女史に「でもトポロジー的には一緒ですよ」と(理系らしい)コメントを頂いたが。

駅前ロータリーからちょっと曲がったところに、昔は「おもちゃのマミー」という(その名の通り)おもちゃ屋があって、確かその2階が、その当時としては珍しい、割と規模の大きい模型専門コーナーだった(はず)。ミリタリー関係の現物資料なんてほとんどなかった時代、「グラフィック第二次世界大戦アクション」をここで買ったような気がする。

さすがにもうないんだなあと思ったが、帰宅してからネットで検索してみたら、移転したものの自由が丘に現存していた。自由が丘で開店して50年だそうだ(1967年創業)。交差した東急2線の対角(って言わないかな?)方面に移っているらしい。でもスケールモデルは扱ってなさそうだな……。

●去年あたりにわかに流行った気がする「忖度」という言葉。これに関し、

実はドイツ語のsonntag(日曜日)が語源。

というウソ説を広めたい野望を持っているのだが(要するに「博多どんたく」的な)、そのもっともらしい理由がでっち上げられない(というのを、打ち合わせ中に「忖度」という言葉が出てきたので、改めて思い出す)。

ちなみにsonntagは、標準ドイツ語では「ゾンターク」だが、南ドイツだと「ソンターク」になるようなので、当然、「忖度」の元になった逸話の主人公は南ドイツ人だ。

●テレビを見る習慣をなくしているためもあって、平昌オリンピックも結局ほとんど見なかった。

ニュースで写ったカーリングを見て、改めて「よくわからんスポーツだな」と思ったはずみにやはり謎スポーツである「ホルヌッセン」を思い出し、非常に久しぶりに(ホルヌッセンが出て来る)「もやしもん」第一巻を読み直す。初登場時の樹先生はだいぶ痩せてるなあ、とか、連載開始時、作品名自体が流動的だったのだなあ、とかを再確認。

ちなみにwikipediaを読んで知ったのだが、「ホルヌッセン」という名前は、「ホルヌッス(Hornuss=スズメバチ)」に由来するそうで、AFVマニアであればお馴染みの「ホルニッセ」と名前上は親戚ということになる(しかし、となると、ホルヌッス=スズメバチって何語だ?)。

もっともドイツ語版を見ると、用語「ホルヌス(Hornuss)」は語幹「角(horn)」からの派生などと書いてあるような。よくわからん!

●24日土曜日から、名越切通途中にある「まんだら堂やぐら群」が春の限定公開中。

年に数回公開されるまんだら堂やぐら群だが、どうも来年はこの季節に公開されるかどうかは怪しいそうで、「梅にやぐら」の取り合わせはこの先当分見られないかもしれない(とはいっても、別に梅の名所などではなく、平場に梅の木が1本生えているだけだが)。

というわけで(以前にも同じ取り合わせの写真をUPしている気がはするが)、公開2日目、25日日曜日に撮った写真を何枚か。

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●今季2度目のふきのとうの収穫。今回は茹でてオリーブオイル和えで食べた。

20180218_161825 ●先日来、週末ごとに作業員が来て我が家近くの斜面の木々を伐採中。最初は道路や電線にかかりそうな枝を落としているだけなのかと思ったが、安全策および片付けの便か何かで、細切れで伐採を進めていたいたようで、現在は写真のような姿。右の切り株はケヤキ、左は椎の木(スダジイ)。

現時点で残っている幹も、この先さらに伐り進めることになるのかどうかはよく判らない。

左のスダジイは、ここ数年、秋になると椎の実を採って食べていた木なのだが、仮にこの幹と、そこから一本だけ出ている枝が残ったとしても、さすがにもうドングリは採れそうにない。山際に建っている家々を北風から守って来た木々でもある。惜しいことをした。

もともと逗子・鎌倉周辺の急斜面は(地盤が柔らかいこともあって)崩落の危険性が高く、この斜面についても行く行くはコンクリートで固める計画があると聞いたような気もする。

実際、逗子・鎌倉では、今現在もあちこちでコンクリート擁壁工事が進んでいる。やはり我が家の近所である、亀ケ岡団地から降りる「一の沢」および披露山入口周囲の崖面も、何年か前に「コンクリート詰め」になったが、その代わり、毎初夏に見た目と香りで楽しませてくれたヤマユリの群生は潰されてしまった。

もちろん、人の生命・財産を守るためということであれば、対策工事に反対する気はさらさらないのだが、「もうちょっと何とかならんのか」といつも思う。

●やはり先日来、逗子海岸の整備か何かで、砂浜をコマツのクローラダンプがきゅるきゅると走り回っている。車体上部はそのまま全体が回転して向きを変えられる素敵ギミック付き。

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PZLの大ナマズ

●仕事が滞っており、まともに模型製作をする余裕は本来なら無いのだが、そういう時に限って、何も考えずに手を動かす作業がしたくなる。そんなわけで、仕事途中の息抜きに、久々に飛行機のバキュームフォーム・キットを削る。

そうでなくても、時々無性に「バキュームフォームキットを削りたい熱」に囚われることがあるのだが、たいていは「出して、眺めて、しまう」だけで、実際に削るのは久しぶり。

以前にもちょっと書いたが、我が家にはバキュームフォームキットの不良在庫が(無謀にも)かなりたくさんある。バキュームフォーム(真空成型)キットは、温めて柔らかくしたプラバンを片面型(通常は雌型)に当て、空気を吸い出すことによって成型したキット。キットの状態では、1枚のプラバンから胴体や翼、その他小物などのパーツが半身でポコポコ盛り上がっているのが、通常のインジェクションキットの「枝」に当たる。必然的に、厚みのあるパーツは作れず、外側の「皮」だけの状態になるので、俗に「モナカキット」とか「モナカ」などとも呼ばれていた。

昔は特に飛行機を中心に、ガレージキットの主流を占めていたキット形態なのだが、その後レジンキットが一般的になるに従って衰退。今ではもうほとんど新製品は出ていないと思う。また、「バキュームでしか手に入らない機種」も、レジンやインジェクションで埋められていっているので、在庫品を作る機会も減っている。例えば、私が過去に完成させたバキュームフォームの飛行機キットは3機あるが、

Pzlp242 リパブリックP-43ランサー(1:72)→48はクラエア、72はパブラから簡易インジェクションキットが出た。
PZL P-24(1:72)→48はmirageから、72はazurからインジェクションが出ている。
AVIA B-135(1:48)→48はAZmodelから、72はRSから。

という感じで、現在、全部それなりのインジェクションキットが手に入る。そんなわけで、バキュームフォームキットはますます過去の遺物になりつつある。右写真は昔、「河馬之巣」の表紙にも使っていたことがあるP-24。

●それでも、バキュームフォームキットの「パーツ削り」にはなかなかちょっとした魅力がある。無心になれるというか……いや、削りが不均一になったり、削り過ぎたりしないよう、結構気を遣うのだが、たぶん、「たまにやると刃物研ぎが楽しい」というのと近いのではと思う(私自身はほとんど刃物研ぎはしたことがないが)。

Vac01 今さらの話だが、バキュームフォームキットのパーツの整形手順は右図のようになる。

1.パーツはプラバンからポコポコ浮き上がった格好。

2.まずは大まかにパーツを切り出す。パーツの縁に少しだけプラバンのベース部分を残す。

3.プラバンの厚み分を除去するために、裏側から縁部を大まかに削る。

4.ヤスリを使って仕上げ削り。(2)で残した縁部が薄くなって自然にちぎれるかどうか、くらいまで削るのを目途にする。

ここまで来て、通常のインジェクションキットのパーツを枝から切り離し、ゲート処理などを行った状態、ということになる。

もっともストレートにそこまで行くのは理想的なケースで、実際には、ベースとなるプラバンからのパーツの浮き出し具合が不均一だったりして、単純に「ベース分のプラバンの厚みを除去する」だけでは歪みが出る可能性がある。厳密な人だと、例えば翼パーツの仮組み段階でノギスで厚みを測り、翼厚変化が適切か、左右で食い違っていないかしっかり確認したりする(私はいい加減なので目測レベル)。

ちなみに過去作ったキットでは、リパブリックP-43ランサー(レアプレーン)、PZL P-24(モデルランド)で胴体幅が不適切で、機首側でプラ材を挟んで若干広げてやる必要があった。

20180224_162428 ●なんだか懐かしくなって、ついバキュームフォームキットの前提話が長くなった。

実際に今回取り出していいじっているネタはポーランド・miniplast社製の1:48キット、PZL-46スム単発軽爆で、ずいぶん前に当「かばぶ」で紹介したこともある。

scalemateによれば、発売されたのは1990年代らしいので、バキュームフォームキットとしては比較的新しいといえるかも。ちなみにやはりscalemateによれば、miniplastという会社は、他にも72のP-39エアラコブラのバキュームフォームキットを出していたが、そのキットはエレールのコピー(インジェクションキットをバキュームフォームでコピーって……)だったそうだ。ろくでもねぇなヲイ。

もっともこの48・スム自体はそれなりに良いキットで(あくまで古いバキュームフォームキットとしては、という話だが)、パーツに変なウネリや歪みも出ていないようで、割と気楽にガリガリ削れる。

以前は、バキュームフォームキットは(定番の工作法として言われていた通り)ガラス板にサンドペーパーを貼り付けたもので削っていたのだが、前述のように、どのみちそれで、パーツとしての正しい厚みが出るとは限らないので、番目の粗いスティックヤスリを使って結構野蛮に削り倒す。また、この機の場合、主翼上反角が途中で変化しているので、そもそも「ガラス板」方式だと主翼下面パーツは削れない。

そんなこんなで削ったパーツ。

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左は主翼と主脚。左翼と左主脚は削って張り合わせ済み。右主翼・右主脚は切り出して、一部合わせ部分を削ってあるのみ。なお、この時点では主脚はスパッツと車輪が一体だが、これとは別にきちんと360度ある車輪のパーツも入っている。

右は尾翼。水平尾翼と、双垂直尾翼の左側だけ削って張り合わせ済み。右垂直尾翼は切り出してあるだけ。この手の薄いパーツは削る部分がそれだけ幅広になる。特に主翼は後縁は削る部分が幅広で、前縁は狭くなるため、削りの不均一が生じやすく注意が必要。

以前も書いたように、このキットはプロペラやコクピット内などの小パーツも全てバキュームという「漢らしい」キットで、一部は自分で作り替えるか、他から調達してくる必要もありそう。キャノピーもちょっと融けかけた飴みたいな感じで、ヒートプレスで作り替えたほうがよいのだろうが、面倒くさいなあ……。そもそもバキュームフォームキットを作っている時点で「面倒くさい」とか言うな、って話だが。

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●最後になってしまったが簡単な実機解説。PZL 46スムは、大戦直前に開発が進んでいたポーランドの単発軽爆撃機で、昔からプラキットも出ていてそこそこ有名な(有名か?)PZL 23カラシュ(Karaś、フナの意)の後継機。

カラシュが視界確保のための機首(エンジン取付位置)下げや腹下のゴンドラなどによってかなりゴツゴツした外形だったのを、腹下のゴンドラは引き込み式にし、尾翼は背部銃座の射界確保のためか双尾翼に変更、かなりスッキリした外形に改めている。

もっとも、それで流麗な美しいスタイルになったかといえば、なんとなくもっさりした垢抜けない感じで、逆にカラシュの任務に合わせた(Ju87シュツーカにも通じる)独特のスタイルの面白さが失われただけのような気もする。いまやあ、乗る方にしてみりゃ「面白い」よりも「性能がいい」ほうが絶対にいいんだけどさ。

機名のスム(Sum)は、ヨーロッパオオナマズの意。以前から時々言っていることだが、ポーランド人の飛行機命名センスがよくわからん……。

第二次世界大戦開戦時には試作機2機が完成しておりテスト中。ポーランド軍向け生産型PZL 46A、カラシュに続いてブルガリアが購入予定だった輸出型PZL 46Bともに1機も完成していない。

ただし、開戦後に試作2号機はワルシャワからルヴフ(現ウクライナのリヴィウ)、ルヴフからルーマニアのブカレストに連絡飛行に飛び、その後ワルシャワに帰還。9月末、ポーランドのほとんどがドイツ・ソ連に占領されるとリトアニアのカウナスに逃れるという具合に、結構忙しく行動していたらしい。最終的にカウナスでソ連軍に接収され、テストされたようだ。

残念ながら開戦後の写真は残っていないようで、この時、2号機に国籍マーク等が記入されていたかどうかはよく判らない。

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ォンノウカオスェ2杯目

20180209_115704 ●8日木曜日に川崎の実家に泊まり、9日金曜日、都内で打ち合わせのハシゴ。1件目は神保町(猿楽町で午前中)。例の三省堂裏のミャンマー/タイ料理の店「エーヤナディーキッチン」で、再び汁そばの「ォンノウカオスェ」を食す。

まだ3度目だし、食べたことがないものにしようと思っていたのだが、前回の「ォンノウカオスェ」には(たぶん品切れで)パクチーが乗っておらず、パクチー入のものを食べてみたいと思ったため。

やはりそのままだとちょっと甘く、唐辛子を入れると味に締まりが出て来て美味しい感じ。

20180210_091041 ●ついでに秋葉原に足を延ばし、ラジオ会館のYSでタミヤ版のパナール装甲車AMD35を買う。税込2600円(箱の表示価格は3000円)。VOLKSには横浜、秋葉原ともになく、すでに売り切れか。この手の提携キットは一度出してそれっきりなので、なくならないうちに買えてよかった。以前のタスカ(アスカ)との提携版ファイアフライは買いそびれたし。

中身のプラパーツはICM製の、たぶん一番最初に出た仕様のキットと同じ(その後、ICMからはドイツ軍仕様、指揮車仕様などが出ている)。加えて、タミヤ版オリジナルのデカールと、木箱・オイル缶・シート・半身フィギュアなどのオマケパーツ。

パナール178(AMD35)には生産第1シリーズと第2シリーズがあり、砲塔ハッチ、ペリスコープ、前面貼視口などが違う。ICMでは、第1シリーズ用の砲塔パーツ一式もパーツ化しているのだが、このキットでは、その初期型砲塔の砲塔本体パーツ部分は枝が切り欠かれている(なぜかドイツ軍仕様のキットでは、不要部品扱いで初期型砲塔も入っている)。

なお、ハッチ・ペリスコープ・貼視口などの小パーツはこのキットにもそのまま入っているので、砲塔を若干いじれば第1シリーズも作れなくはない、と思う(そこまでやるならドイツ軍仕様のキットを買った方が楽そうだが)。

20180209_145246 ●午後の打ち合わせは高田馬場。高田馬場駅前を歩くなど、20年以上ぶりかもしれない。

駅からロータリーを挟んで向かいに「FIビル」という名前の古いビルがあり、その昔、2階に「新宿ホビー」という小さな模型屋があって、学生時代、時々店番のアルバイトをしていた。

懐かしくなって覗いてみたが、店舗のスペースそのものがなくなり、ただの廊下になっていた。左手の壁の向こうはエスカレーター。この廊下を縦方向に半分に区切って、エスカレーター側が「新宿ホビー」だった。よくもこんな狭いスペースに店があったもんだ……。ちなみに階上はまだ本屋のままだった。

20180211_155102 ●以前にも書いたことがあるかもしれないが、小坪の「子育地蔵」脇の駐車スペースには、こんな借主の札が貼ってある。

通りかかってこれを見るたび、石のお地蔵さんが自分で車を運転して地蔵堂に出勤してくる姿を想像してしまう(実際には車が停まっているのを見たことがないが)。

もちろん、庶民派のお地蔵さんとしては(個人的には)スズキの軽あたりに乗っていて欲しい。

スバル360やホンダN360も、似合うには似合うだろうが、ちょっとあざといかな(何がだ)。

●披露山庭園住宅端、大崎公園の河津桜。11日日曜日。

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●大切岸の梅。12日月曜日。

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●今年初収穫のフキノトウ。2/3ほどはフキ味噌に。1/3ほどは、かみさんに天ぷらにしてもらって食べた。

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ビッカース6t戦車(14) 組立完了

●「週末模型親父」さんのところの「New Kit Con」参加作、CAMs 1:35 ビッカース6t戦車(Vickers 6-Ton Light Tank Alt B Commander Version - Republic of China)の製作記の続き。

●前回までで、とりあえず組み立ては終了。塗装の便を考えて接着はしていない部分も仮組みして、組立完了/塗装前の記念撮影をした。

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限られた実車写真を見ると、砲塔上、および戦闘室後面の短いアンテナ状部品に細いコードのようなものを添わせてあるようにも見えるのだが、詳細が不明なので(少なくとも現時点では)取り付けていない。

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きちさん

Cimg1440 ●我が家の老犬死去。

ヨークシャーテリアの雌で、17歳。生まれてほどなく、「なにこれ……毛玉?」みたいな状態で我が家にやってきて、昨年10月に誕生日を迎えたので、17年ちょっと、同じ屋根の下で暮らしたことになる。右は壮年くらい……いや違った、だいぶ年取ってからで、数年前の写真。

まだ小学生だった娘の命名で「レモン」という名前なのだが、「レモきちさん」と呼ばれたり、さらにそれが略されて「きちさん」になったり(元の名前が残っていない)。って呼んでたのは私だけですが。nifty時代の模型仲間なら「村山犬」で馴染みがあるかも。

その昔、ハラT青木氏が我が家に泊まりに来た時に、氏がいきなり「シュシュシュシュ……」と言いながら意味不明を動きをして威嚇したために、氏を見ると激しく吠えていたのも今となっては懐かしい(……かな?)。

大型犬に比べると小型犬のほうが比較的長生きだそうだが、それでも17歳は長命だったのではと思う。だいぶ耄碌していて、1年ちょっと前からおむつが不可欠になってしまい、ここ数日はエサも食べず、一昨日からはとうとう起き上がれなくなってしまった。

どうも昨晩のうちに息を引き取ったらしい。

●かみさんが主治医(犬の)に聞いたところ、近所の火葬場(人の)で、ペットの火葬も受け付けているとのことで、タオルケットにくるんで、ペットフードやら花やらと一緒に箱に入れて、徒歩で火葬場に。

炉に入れる入口が一回り小さいだけで、人の場合と手順も焼き場の職員の対応も基本同じなのに驚いた。きちんとかみさんと二人でお箸でお骨拾いもしたし。

Img_0078 ●雷雨の音とか(雷だけではなく激しい雨の音でもうダメ)花火大会のの音とかが苦手で漏らすほど怯えてしまったり、いくら躾けようとしても家の前を人が通りだけで吠えたり、ガリガリ壁を削るのに熱中したり、ごきぶりホイホイにかかったり、あれこれ思い出すにつけても「マヌケな犬だったなあ……」と思うのだが、それが取り柄とも表裏だったかも、とも思う。

とにかく、17年間ありがとうの意味で、ブログにも書いておくことにする。合掌。

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ビッカース6t戦車(13) 装備品類

●「週末模型親父」さんのところの「New Kit Con」参加作、CAMs 1:35 ビッカース6t戦車(Vickers 6-Ton Light Tank Alt B Commander Version - Republic of China)の製作記。

今回は装備品ほか細かいあれこれ。

●フェンダー前部には前照灯が付く。6t戦車の場合(同社の輸出用軽戦車は基本、同じ前照灯を使っているが)、2本フォークにライトが挟まれ、カバー無しのむき出しの状態になっているものと、カバーのかかったものと2種類が見られるが、中国軍指揮戦車仕様の場合は後者。ちなみに同じ中国軍車輌でも通常型は前者(ポーランド型も)。

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ライト前面に付く「ひさし」のエッチングパーツは、カバー側に取り付けるためのベロ(のりしろ)部分が長く、そのままでは左右部分とライトカバーの間に隙間ができる(もしくはベロがレンズ部分に食い込む)。密着するよう、ベロ部分は切り詰めた。

とはいえ、この部分のクローズアップ写真などが手元にあるわけではなく、「いや、そこは隙間が開くんだよ! パーツはそれを再現してるんだよ!」なんてこともあるのかも……。

ライトの背面にはライトコードを取り付け、車体にコード引き込み部を工作して繋げた。ライトコードは金属線を使った方が丈夫、かつ太さを一律に保つには好都合なのだが、完成後に「何かのはずみで触ったときに塗料が剥げそう」という気がして伸ばしランナーを使った。

●フェンダー上の工具類は、大戦中のドイツ戦車などとは違い、ごくあっさりしたもの。

一応、キットの指定では、左フェンダーにジャッキとジャッキ台(なのかどうかよく判らないが、何か銅鐸のような工具と筒が載った箱)、右フェンダーに誘導輪位置(履帯張度)調整用の大きな「てこ」棒とクランクが付く。

キットの指定では、誘導輪位置調整具は戦闘室横の2つの三角ステイをまたぐように付け、ステイに(エッチングの)ベルトで固定するようになっている。しかしこれは、通常型で見られる装着位置・固定法で、指揮戦車型ではもっと前方に載せているのが普通のようだ。

もっともその「普通」も、上海で撃破・鹵獲された車輌(下写真)と、イギリス本国で撮られたものかとおもわれる「商品見本」的写真の2例で言っているだけで、TWongさんにSUMICON掲示板で教えて頂いたところによると、通常型同様に後方に載せている例もあるらしい。

後方のクランク(これは通常型には載っていないようだ)もキット指定よりもう一コマ前方に来る。

一応、工具位置の有力根拠とした、wikimedia commonsの写真を再度引用しておく。

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この写真をよく見ると、左フェンダーのジャッキ台(?)の内側にもバールのような工具が載っている。

実はキットの指定通りの位置にジャッキ台は接着してしまい、右フェンダーにも指定位置にダボ穴を開けてしまったのだが、ジャッキ台は剥がして位置を微調整して再接着。右フェンダーの穴は埋めて、改めて写真から判断した位置に工具を付けた。

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左フェンダーの「バールのようなもの」は、とりあえずバールであると判断し、0.8mmの燐銅線の先をつぶして適当に工作。刃先の「受け」に当たる部分はキットのエッチングの枠部分をL字に曲げた。

なお、銅鐸のようなジャッキ(?)の頂部の窪みには実車写真をもとに小さなリベット状の丸突起を追加した(左写真)。

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右フェンダー前半には誘導輪位置調整具が載る。通常型の場合はキット指定のようにフェンダー支持架に2カ所で括り付けてあるようだが、指揮戦車型の場合、ホルダーの形式が、鮮明なクローズアップ写真がないためによく判らない。

左フェンダーの「バール(仮)」ともども、ベルト式の留め具ではないかと想像して、そのような感じに工作してみた(半ば想像なので鵜呑みにしないように)。

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ベルトのバックル部分は、キットの誘導輪位置調整具取り付けベルトから切り取ったもの。ベルト自体はプラペーパー。バックルに実際にベルトを通すのに非常に苦労した。途中で一つ、「ピンセットカタパルト」で飛ばしてしまったのだが、奇跡的に床上に発見した。

右写真で見ると、エッチングの「ブリッジ」部分がわずかに残ってしまっているが、なにしろ1mm程度しかないパーツなのでご勘弁を。

●操縦手ハッチの貼視口は、通常型ではもっと単純な形をしているのだが、指揮戦車では何やらもうちょっと凝った形状。

上の実車写真で見ると、キットの形状もちょっと違うような気もするが、他にアテになる資料もないので、ここはキットパーツに従うことにする……と思ったとたんに、貼視口フラップの上に付く小さなエッチングパーツを床に落とし、そのまま行方不明にしてしまった。さんざん探したが見つからず、仕方がないのでプラペーパー+プラリベットで再生した。

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●エンジンルーム上のレバー、戦闘室背面に付く謎パーツ、排気管などを工作。エンジンルームハッチのレバーは説明書だと2つとも右向きに付けるよう指示されているが、通常型実車写真の背面写真を見て、後方ハッチのレバーの向きは後ろ向きにした(正しいかどうかはそれほど自信がない)。

戦闘室背面の謎パーツの固定具は、パーツとしてエッチングの小片が付いているが、形状も単純だし、エッチングパーツは加工しづらいのでプラペーパーで代替した。

排気管は(IV号戦車などもそうだが)薄い鉄板でベコベコしているのが普通のようなので、ナイフで削って若干の窪みを付けた。

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●ここまで書いて尾灯(と思われる)パーツを付け忘れていることに気が付いた。ご覧のように極小のパーツで、どこかに跳ね飛ばしたら行方不明はほぼ確実ではらはら。

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今回は最後に取り付けることになったが、エッチングパーツを取り付ける前に、エッチングパーツの裏から確実に瞬着で止めてから、一緒に車体に付けた方がよかったかもしれない。

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3度目の正直なるか?(IBGのTKS)

●ちらほらとニュルンベルク・トイ・フェア(Spielwarenmesse)関連のネタが流れ始めて来ている。

以前はPrimePortalでスケールモデルの会場発表の各社別写真レポートが出ていて非常に重宝していたのだが、同サイトは更新が止まってしまったので、一覧できるところがなく不便。どなたか「ここに出ているよ」というのをご存知なら、情報をぜひ。

ともあれ、とりあえず流れてきた「ちらほら情報」から。

●タミヤからは35では「M3スチュアート後期型」と「ヴェスペ(イタリア戦線)」。48でチャーチル・クロコダイル。

M3スチュアートは完全新金型でのリニューアル。現行のタミヤのスチュアートは、(Scalemateによれば)1977年の発売。リベットだらけのクラシカルな姿を、当時としてはかなり頑張ってキット化したものなのだが、細かなミスや省略を除いても、次のような難点がある。

(1).(タミヤにありがちなミスで)博物館現存車輌をそのままキット化したため、基本、実戦で使われていないディーゼルエンジン型になってしまった。

(2).ポリキャタピラに柔軟性を持たせるためか、エンドコネクターがリンクをまたいでいないトンデモな形状。実際にこのような形状だった場合、一瞬後には履帯が全部バラバラになって地面に落ちることになる。

(3).転輪が薄い。

発売予定のリニューアルキットは現行とは仕様も違い、馬蹄形砲塔だがキューポラ無しのより後期のタイプ。従来ならM3A1に分類されていそうだが、(英語版wikipediaによれば)「M3の車体に、砲塔バスケットを除いたM3A1砲塔を載せたもの」という仕様であるらしい。

車体自体は(『週末模型親父』さんのところのBBSで教えて貰ったが)、後端が平板の装甲板の組み合わせか(M3)、丸めた装甲板か(M3A1)の違いがあり、また、M3A1ではスポンソンの機銃が略されている。

レンドリースのソ連軍マーキングのデカールも付属していて、「どうしちゃったの? タミヤ、『レンドリースの呪い』か何かにかかってるの?」という気がしないでもないが、とはいえ私自身レンドリース車輌は好物なのでまったく異存はない。

そのうち部品差し替えで八角砲塔の「ハニー」とかも出るかしらん?

ヴェスペは従来品の一部パーツ替えで、車輌自体に関しては履帯がインジェクションに変更。起動輪も新しいパーツが付属していて、歯数が違っていたのも修正されているらしい。まあ、こっちは個人的にあまり用事がないなあ……。

●もっと驚いたのは、IBGからTKSの発売が予告されたこと。

FTFはIBGの別ブランドだと聞いた気がするので、既発売のFTFの72のTKSを箱替えで出すのか?……なんて思ったら、35だった。すでにSCALEMATEには、20mm砲搭載型の箱絵が出ている。

さらに、めがーぬさんが見つけてきた、IBGのテストショットを組んだ見本と思われるもの。こちらはオチキス機銃型。

TK系列のインジェクションキットは、TOM Modellbauから発売されたものが最初で(TomからはTKS 20mm、TK-3の2種が発売されただけだったが、後にRPMでシリーズ展開)、その後Mirage hobbyから別設計の新キットが出た。それぞれ、「意欲は買うけれどちょっとなあ……」という出来だったので、第三の選択肢が登場するのは素直に嬉しい。

とりあえず、IBGの見本と思われる写真を見る限りでは、

・ハッチ、貼視口は開閉選択式で、車内再現されているらしい。ただし(なにしろ相手が小さすぎるので仕方ないのだが)ハッチ類は実車に比べ厚め。

・見本は上記のように機銃型。箱絵で予告が出ている20mm砲搭載型とは戦闘室上面レイアウトに若干の違いがあるが、キットでそれがちゃんとフォローされているかどうかは現時点では未知数。

・武装マウント部分のバルジは、Tomのキットでは上面の絞り込みが足りないのが弱点だったが、このキットでは割といい感じに見える(Mirageもここの形状はまずまず)。

・機銃マウント部はやや表現がのっぺり?(もっとも先行キットよりはずっとよい)。

・戦闘室背面の冷却気排出口のメッシュは、見本を観る限りではエッチングパーツのようだ。

・戦闘室側面下部装甲板後端の縦列のリベットは、見本では3本。walkaroundでよく写真を見かける、ワルシャワのMuzeum Wojska Polskiego(ポーランド軍事博物館)所蔵の現存車輌では4本となっているので、ケアレスミスによるキットの間違いかと思ったのだが、改めて当時の写真を見てみたら、キットの3本のほうが正しかった。MWP所蔵車輌はレストア時に間違えたのではないかと思う(ただし、後期のTKSでは側面装甲が増厚されているそうなので、実は4本リベット仕様もあった、なんてドンデン返しもあるかも)。

・ちなみに上でうっかり「リベット」と書いたが、装甲板の接合は基本、尖頭2辺ボルトが使われている。キットは、見本写真だと普通の丸頭(あるいはもしかしたら平頭?)に見える。もっともこの大きさのキットだと、ぱっと見、肉眼ではよく判らないレベルかもしれない。なお、尖頭2辺ボルトは、MasterClubで「Bullet-proof bolt "Polish" cone-head」として製品化されているので、ディテールアップ時に使える。

・見本写真にある誘導輪のスポークは明らかに厚すぎ。履帯はパターンの表現が若干大味? ガイドホーンは樹脂ショートを起こしている場所がちらほらあるが、製品版では大丈夫だろうか?

(2/5追記。Armoramaにも発売予告が出ていた。テストショットによるものという作例は上と同じものだが写真は別。)

●とにかく1月末はむちゃくちゃに寒かった(今もまだかなり寒い)。

24日水曜日は寒かったうえに強風。大崎公園から見下ろした鎌倉の海(左)、逗子の海(右)は、波立っているというよりも泡立っているかのようだった。

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22日に(天気予報通りに)かなりの雪。さらに2月1日~2日にかけても雪。

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