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2017年11月

マチルダさんに浮気

●29日水曜日。

神保町の事務所経由で、夏~秋の仕事の成果物が送られてきた。あー。今年もこの仕事がすっかり終わった。

今年も(特に終盤)バタバタして苦労したものの、仕上がってくるとなんだか「たったこれっぽっちのものか」などと思ったり。

●(遡るが)25日土曜日。久しぶりにお誘いがあり、川崎で赤板先行氏、でんでん氏と3人で飲む。

糖尿病で掛かりつけの医者・栄養士の「ストレスを溜めないよう、たまには制限を緩める日を設けて良し」の言葉に従い(というよりかなり拡大解釈?して)、リミッターを解除して飲んだり食ったり。

とはいっても以前のようにへろへろになるまで酔っぱらうこともなく、それなりにお行儀のよい時間に普通に帰宅。人のことは言えんが、あかばんはもっと腹を引っ込めろ。

20171128_101306 ●先日都内まで出掛けた折、秋葉原のイエローサブマリンでちょっとしたバーゲンコーナーが設けてあり、タミヤのレンドリース版マチルダが税込2900円とだいぶお安くなっていた。もともと必ず買おうと思いつつも、「タミヤならいつでも買えるし」と、つい買い逃していたアイテムなので、せっかくの機会を逃さず購入。

中途半端な状態のwz.34装甲車もキリキリ進めないといけないと思っているのだが、「うん、これは様子見……ただの様子見だから」などと訳の分からない自分への言い訳をしながら、ある程度組んでみた。

……ああ、自分でいちいちパーツを作らなくていい模型って、癒されるなあ(いや、普通プラモデルってそういうものだし)。

以下、キットの中身について気付いたこと、気になったことなどとりとめなく。

▼基本、2009年発売(だったはず)のイギリス軍仕様のマチルダの一部パーツ替えバリエーション・キット。形式名称としては、マチルダ(マチルダII)のMk.III/IVとまったく同じなのだが、細部ディテールはより後期の生産型の特徴を盛り込んであり、新型の履帯、小転輪からスキッドに替わった上部履帯支持機構、より後期の特徴を持ったサイド・スカート、スリットがなくなった前部ロッカー・ハッチなどが車両本体の大きな変更点。ほか、細部ディテールに関しいくつかの相違点あり(部品の使用・不使用など)。これにソ連兵のフィギュア2体、デカールなどが付く。

▼そんなわけで、今年(2017年)発売の新キットであるバレンタインに比べると、ベースキットはそこそこ古いのだが、防盾が寸詰まりだったり、特長的な転輪ゴムリムのふくらみが表現されていなかったりと、いささかピリッとしていない印象だったバレンタインよりも、こちらのほうが筋がいいような気がする。あくまで私の印象ですが。

▼サイドスカートに関しては、上部転輪取付用ネジ穴がないこと、点検ハッチヒンジが外部式になっていることを除くと、基本は先行キットと同形なのだが、実車では、前後の穴の形状にバリエーションが見られる。これについてはセータ☆さんの考証記事が詳しい(丸投げ)。同記事についての追記含め、有用な情報が多いので、まとめURLもついでに。

誘導輪支持架上下にはネジのモールドが追加されているが、実車の場合、ここはほぼツライチなので、キットは少々誇張された表現。

20171129_112852 ▼前部ロッカーハッチは本来あるべき取っ手が省略されていて、軽い凸モールドで位置だけが示されている。追加工作の都合から言えば、穴の開けやすい凹モールドにしてほしかった気がする。

T字型の取っ手は、伸ばしランナーなどで作るとすぐに壊れそうだったので、ジャンクパーツとして利用している48マーダーIII後部のカゴ状デッキの一部を切り刻んで流用した。博物館車両だと向きがだいぶ適当だが、生きている車輌の写真で見ると、おそらく横位置が閉状態。向かって右がやや傾いているのはちょっとした表情?(微妙)。

▼牽引具周り。キットの説明書の指定では、基部(C24+C25)を付けるように指定されているだけだが、キットにはリング(A7)やシャックル(A2)も入っている。ちなみに、イギリス軍仕様のキットではシャックルを取り付けるか、あるいはオプションでリングを付けるかが指示されている。

実際にはソ連軍の車輌でもリングやシャックルが付いているものは多く、また、リングを介してシャックルを取り付けている例も見受けられるので、そのようにした。リング(A7)は一体で完全な輪になっているので、イギリス軍仕様の説明書にあるように、一カ所を切断して通した後に再接着。

車体後部については未工作だが、少なくともリングは下げようかと思っている。

▼操縦席および砲手席上、砲塔ハッチ上の「グンドラフ式ペリスコープ(ビッカースMk.IVペリスコープ)」にはカバー(A8)を取り付けるよう指示されているが、これは実際には付いていない車体が多いようだ。私も付けないつもり。

20171128_101140 ▼誘導輪基部、ギアハウジングの内側には、パーツの抜きの関係で省略されているが、グリスポイント?か何かの突起が2カ所ずつある(おそらく、外周上部に付いているものと同形状)。どうせそんな部分、誰も見なさそうだが、適当にプラ棒の輪切りで追加した。

ちなみに、車体上部のオーバーハング部と車体下部を繋いでいる「ヒレ」状パーツだが、ここに見えている左右の2枚だけではなく、実際には中央にももう一枚(ただしオーバーハング部にすっかり隠れる短いもの)あるようだ。

オーバーハングの陰、ヒレの間には本来は水密ハッチがあるようなのだが、博物館車輌のなかにはツツヌケになっているものもあって、本来の仕様ではどうだったのかいまいち謎(見えない部分なのであまり本気で調べる意欲が……)。

20171128_101207 ▼防盾は、機銃部バルジの下にも開口部があるようだが、キットでは表現されていない。意図的にここをクローズアップで写した写真が手元になく、今一つ幅などはっきりしない感じだが、適当にぐりぐりと削って穴を開けた。

ちなみに、穴開けの手掛かりとして最初にドリルで穴を開けたのだが、勢い余って上面のスリット部までドリルの刃で突き破ってしまった。焦りつつ修復。激しくマヌケだ……。

▼砲身は、説明書ではD14パーツを使うように指定されているだけだが、これを含め2ポンド戦車砲の砲身は2本(D13、D14)、さらに3インチ榴弾砲(D12)も入っている。せっかくなので、私は3インチ榴弾砲を使ってCSタイプとした。

ちなみにイギリス軍仕様のキットではD13を使うよう指示されていて、両キットとも3インチ榴弾砲は不要部品扱い。ソ連へのレンドリース車輌にも3インチ榴弾砲搭載のCS型は含まれているので、説明書でも取り上げてコンパチにしてもよかったのではと思う。

▼同じことがキューポラにも言えて、わざわざ背の低いタイプ(D50)も用意されているのに、これについてはまったく触れられていない。

「わかる人だけわかって、ニヤリとしつつ使ってくれればいい」ということなのかもしれないが、模型を作る上で「選べる」というのはキットの魅力のひとつだと(個人的には)思うので、どうにも不思議。そもそもタミヤがそう矢継ぎ早にマチルダのバリエーション・キットをもう一つ出すとも思えないし。

ちなみに、背の低いタイプもソ連で使われているので、私はそちらを選ぼうかと思っている〈現時点では)。(そもそも背の低いタイプは、「キューポラ」と言えるのか?)

▼砲塔上面右前方にある丸いパッチ、その後方のより小さい四角いパッチは、それが存在しない車輌もあるようだ(例えばYad La-Shiryonの現存車輌)。生産時期との関わりかもしれないが、現時点で詳細不明。ベンチレータ周囲のドーナツ状リブもYad La-Shiryonn車輌には存在しない。

また、砲塔後方の小工具箱?(D59)は、このキットでは不要部品扱いだが、ソ連軍の車輌でもこれが付いているものはあるようだ。

▼砲塔右後方のビジョン・ポート(?)は、キットでは角型タイプだが(D58)、ここは実車では形状にいくつかバリエーションがある。おそらくキットのタイプより後期の生産型と思われる、丸型ベースのものも比較的多く確認できる。

「背の低いキューポラの場合は丸型」とかいう対応関係があったりすると厄介だと思ったが、実際にはそんなことはないようだ。安心。

▼後期の生産車(たぶん)はターレットリング・ガードが装着されているものがあり、ちょっと作ってみたい感じもするのだが、車体上面の工具の位置が若干移動しているようなので、その確認・調整が(工作以前に)やや面倒。

▼車体後部には、イギリス仕様のキットでは増加燃料タンクが付くが、このキットでは取付架も付いていない状態で組むよう指定されている。ただし、(セータ☆さんの考証記事にもあるが)実際にはソ連軍仕様でも増加燃料タンク(取付架のみの場合も含め)付きの車輌はある。

ここは取付架は残っている状態で組んでみたい、などとも思うが、本来は薄い板を折り曲げて作っている取付架が、キットのパーツではムクなので、そのままではちょっと使いづらい。

▼履帯は、カマボコ型のセンターガイドが(金型上、可能な形状であると思われるのに)前後方向に抜けていないのが残念。足回りに履かせる分はスカートもあってほとんど見えないが、予備履帯はちょっと目立つ。

なんとか穴を抜くか、取付具だけにして履帯は省くか……。

▼誘導輪は、キットのタイプは比較的初期のものであるらしい。後期は鋼製リムのものが多いらしいのだが、「スカートに隠れて見えづらい+ほとんど変わり映えがしない」にもかかわらず、改造は割と面倒くさそう。「まあ、キットのままでいいや」の方向に流れる可能性大。

▼デカールは細かくこちゃこちゃと印刷されているが、実際には説明書で取り上げられている塗装例は2例のみ、しかも片方はマーキング無しの冬季迷彩。結局、指定の塗装例で使うデカールは番号①②のみ。「1942年春・ロシア南部」で撃破された写真が残されている、砲塔に「D-7」、車体に「B-2」と書かれた車輌(結局、車番はどっちやねん)。

他のデカールは「自由にお使いください」という、いささか絶句ものの内容。

特に最近のタミヤは基本、あまり大判のデカールはセットしない印象があるので、渡渉ガイドの赤線とか書き込みとかも含めて欲しかったというのは贅沢な注文かもしれないが、それにしても、ちょっとこのデカール選択はお粗末な気が……(バレンタインのデカールもそう思ったが)。

レンドリース仕様ということで言えば、イギリスからの船出の際に「ソ連の盟友への贈り物!」などと車体に書き込まれた状態のものをデカールに含めるのも面白かったんじゃないか、などと思うがなあ……(それもデカールがそこそこ大判になるので「贅沢な注文」かも)。

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シュエタウンそば

●久しぶりにジョン・レノンの「スターティング・オーバー((Just Like)Starting Over)」を聞いていて、ふと、歌い方も構成も、なんだかキング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」に似てるなあ、と思った。特に「Although our love……」のところのヨホホ感とか。

●今年の夏~秋の「季節労働」は、先週末ですべて終了。

週の半ばは最後の作業でだいぶバタバタ。一度宅配便で送って貰った資料を、直後に「明日には戻してほしいと言っている」と言われて、結局その荷物を待って(送り主である)神保町の事務所に出掛けたり。なんちゅう無駄なことを。

20171117_140042 結局、水木金と神保町に出掛ける羽目になったが、おかげで、「神保町メシ」を楽しむことができた。水曜の昼は雲林坊九段下店で激辛の担々麺(辛さ1段アップ)。木曜夜はスヰートポーヅの餃子定食。金曜の昼は、三省堂裏口前に最近できたタイ/ミャンマー料理の食堂でミャンマー料理であるらしきまぜそば。

タイ料理店というのは結構あるが(特に神保町は「タイ屋台料理」の名店、ティーヌン神保町店がある)、ミャンマー料理というのは珍しい気がする。食べたのは写真の真ん中にある「シュエタウンそば」(店表に貼ってあるメニュー)で、要は「ちょっと変わったジャージャー麺」ふうのものだが、ココナツ味ベースのようなどろりとしたタレ、ひき肉、たぶんきな粉と思われる粉、小さなエビせんのようなもの、ゆで卵などのトッピング。「辛いの、好きだったらコレ」と言われて唐辛子のフレークを混ぜて食べる。なんというか、ちょっと他ではあまり味わったことがないような料理だが、それなりに美味しい。ちょっと、もう一度食べてみたいかも(いや、でもまた行く機会があったら、別のミャンマー料理も試してみよう)。

ちなみに木曜昼は新宿で麻辣刀削麺。糖尿病の食事制限で量的に「がっつり食えない」のは我慢するとして、その代わりと言っては何だが、たまの外食は刺激的なものが食いたくなってこんなメニューに。もっとももうひとつの持病である潰瘍性大腸炎は本来こういう刺激物はNG。

20171117_113613 ●前述の仕事に関しては、最後の数日は「もしも確認が来たら対応する」くらいの感じだったので、木曜の晩は母の「ご機嫌伺い」に川崎の実家に行って一泊(田園都市線1本で行き来出来て神保町からも近いので)。

翌日午前中、玄関の四季生りみかんの収穫。これでも割と手の届きやすい場所のものを採っただけ。1つ、せいぜい3センチほどと小さい。見た目はつやつや綺麗なオレンジ色で美味しそうだが、そのまま食べるにはちょっと酸っぱ過ぎ(今回も1個試しに食べてみた)、マーマレードを作るくらいしか使い道がない。形は小さいのにしっかり普通の大きさの種は入っている。

●先月末から、まんだら堂やぐら群の限定公開中。毎年数回の公開期間があるが、どうも年によって時期がまちまちのような?(しっかり確認していない)。

毎度のことなので特に何がどうということもないが、いかにも「冬の晴れた日」っぽい風景なので賑やかしに写真を。やぐら群の写真2枚は今月初め、最後の大切岸の写真は数日前の日曜日。

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●最近の虫写真。

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1枚目:クダマキモドキ。サトクダマキモドキなのか、ヒメクダマキモドキなのかいまひとつ(私には)はっきりせず。翅付け根近くの縁模様がないのでヒメ~のほうの気がする。なぜか数日間のうちに、まったく別の場所で3度も、路上にコイツがいるのに出会った。

2枚目:おそらく、虫嫌いの人が悲鳴を上げるシチュエーション。ヒメジュウジナガカメムシ。

3枚目:寒くなってもまだまだ残業中のミツバチ(おそらくセイヨウミツバチ)。

4枚目:寒い時期、日当たりのいい場所に咲いている花に来る主役はハナアブ。腹巻のような黄帯はオオハナアブ。

5枚目:ヤツデに来ていたクロスズメバチ。

●me20さんに教えて頂いた話だが、零戦初期型の塗色につき、科学的検証に基づいて、ついに「単純な灰色だった」という結論が出されたのだそうだ。長年の「飴色論争」は何だったのか……。

ちなみにこれも知らなかったのだが、マクタロウさんに教えて頂いたことによると、ヴェルナー・フォスのフォッカーF.Iのカウリングの「顔」の地色は、オリーブではなく黄色というのが最近の定説になっているそうだ。「オルソフィルムで黄色が黒く写る」というのはWWI期の写真でそこそこ例があるが、おそらくこれもそうだったのね……。

●タミヤ箱のパナール178(AMD35)装甲車(ICM製)、いつ出るんだろう……。

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SUMICONリタイア

●毎年、夏~秋に決まって請けている「季節労働」だが、今年は特に後半の追い込みが激しく、結局「SUMICON 2017」のエントリー作、wz.34装甲車も間に合わせることができなかった。

うん、今回はスクラッチネタでも大丈夫! ……と意気込んだにも関わらず、何ともお恥ずかしい限り。「まあ、いつものことじゃないの」って? うぐぐぐぐぐ。

●特に今年は、周りの連中が「今回はあまりたくさん引き受けられないんで」と逃げてしまった影響もあり、私のところに集中して、結局例年の3~4割増しの分担になってしまった。最後の山はようやく先週抜けたものの、まだ確認作業などあり、正真正銘のエンドマークが出るのは今週末の予定。

●その仕事関連、およびベトナムで仕事をしているM氏の帰省飲み会で、先週神保町へ行ったのだが、N社事務所にスマホの充電ケーブルを忘れてきてしまった。

なんだかんだで土曜日にC社長が(近くに用事があるついでに)我が家に届けてくれることになったのだが、午後遅くなっても連絡なし。予定が流れて来なくなったのかな?と単純にボンヤリ考えていたのだが、日が暮れてから連絡があり、バイク(原チャリ?)に乗っていて、金沢街道で接触事故を起こしてバイクは全損、救急車で病院に運ばれた由。もっとも大きな怪我はなく、軽い捻挫程度で済んだとのことで(もっともその後肋骨にヒビが入っているのが判明)、夜になってわざわざ車でケーブルを届けに来た。

後から事情を聞くと、渋滞した車の横をバイクで走っていたら、車の間から(道を渡って)自転車のおばさんがいきなりこちらに曲がって来て、正面衝突したのだとか。乗り物は壊れたが乗っていた方は双方とも大けがはなかったそうで、不幸中の幸い。

●火曜日。別件の仕事で武蔵小金井。同行したカメラマンのO氏に、「近所の釣り仲間から、小坪で釣った魚を大量に貰ったから、分けてあげるよ」と言われ、帰りに久我山のO氏宅でイナダだかワラサだか(どちらもブリの手前)をたっぷり頂く。……地元小坪の魚を東京の人に貰うなんて!

●同日帰宅時、金沢文庫駅で、またまた、生き残りのドレミファ・インバーター車が歌うのを聞く。ちょっと嬉しい。ちなみに車種は1000系。

●地質年代の第四紀更新世(どうも私には今も「洪積世」の呼び名のほうがしっくり来てしまうのだが)中期(78万1000年~12万6000年前)の名称として、千葉の地層を模式層として「チバニアン」という名が内定したという。

ネットで見て回ると、

実現すれば『ジュラ紀』、『白亜紀』などと並んで『チバニアン』という時代区分ができることになる。

なんて書いてあるところもある。……並ぶか馬鹿者~。区分の大きさが全然ちゃうわ~!

命名の元になった千葉県中部の地層/化石というと、木下(きおろし)の貝層はすでに更新世後期に入ってしまうようだが、それより若干古い瀬又の貝層はこの「チバニアン」に当たるようだ。というわけで、中学・高校の頃に瀬又の露頭で採ったトウキョウホタテ(セマタホタテ)の化石の写真を。

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