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2017年10月

PZLのチャイカ

●明日、10月22日は衆議院議員選挙。折悪しく台風直撃になりそう。そんな中で投票に行くのは流石に面倒なので、本日、川崎の実家からの帰りに「しやくそ」に期日前投票に寄る。

誰しも考えることは同じらしく、ロビーは長蛇の列。なんとか投票を終えて表に出たところで、共同通信の出口調査を受けた。

●博多ラーメン・チェーンの一風堂が“選挙に行こう”キャンペーン(正式名称は一風堂「選挙割」)をやっていて、「投票済証明書」を提示すると、替玉もしくは玉子が一つ無料になるそうだ。

一言で表すと「替玉投票のススメ」ってことでOK?

●AFVキットでは「面白いものを出してるんだけれど中身の出来はビミョー」というのが大方の評価であろうポーランドのMirage HOBBYだが、48の空もの、特にPZL P-11シリーズやPZL.23カラシュのシリーズあたりの力の入り具合は尋常ではない(若干、技術が追い付いていない感はあるものの)。

私自身は(買ってはいても)組んでいないが、マクタロウさんがかなり気合のこもったカラシュを完成させているので、ぜひこちらで鑑賞して頂きたい。

さて、同社からは、PZL.23カラシュの輸出型、PZL.43Aのキットも出ている。

PZL.43は、PZL.23の搭載エンジンがブリストル「ジュピター」をノーム・ローンに変えたもので、エンジンの形式によって43と43Aの2種に分かれる。基本、どちらもブルガリアからの注文で生産され、輸出されたのだが、1939年9月にドイツがポーランドに侵攻した時点で数機がPZLの工場に残されていて、1、2機がドイツでテストされたらしい。

ちなみにもともとのPZL.23のポーランドでの愛称はカラシュ(魚のフナ)で、ブルガリアでのPZL.43の愛称は「チャイカ(カモメ)」。同じくブルガリアで使われたガル翼戦闘機、PZL P-24のほうこそ「チャイカ」と名付けられるべき感じがするけどなあ……。

Mirageで出ているキットは、なぜかそのドイツ軍仕様(デカールがドイツ軍のものだけで、ブルガリア軍のものは入っていない)。もしかしたら、後からブルガリア軍仕様も出すつもりでいて、売れ行きが思わしくなくて出せなくなったのかも。

10/22追記。上にブルガリア空軍マーキング版は出ていないと書いたが、私が見たことがなかっただけで、実際にはちゃんと出ているらしい。マクタロウさん、どうもありがとうございます。

もっとも、付属のデカールは戦前の丸い国籍マークだけで、開戦後の聖アンドロス十字(バッテン印)は入っていない。要するに、そちらはまた別途出すつもりであるらしい。迂遠な!

マクタロウさんに教えて頂いたついでにハナンツで改めて検索してみたら、そのほかにも、1939年9月戦役で使われたポーランド空軍マーキングのPZL.43、双尾翼型の試作型であるPZL.42なんてものも出ているようだ。

ちなみに最近発売された、同じくポーランドの模型メーカーIBGの1:72カラシュ・シリーズでも、PZL.42が発売されている。こちらでもそのうち43も出るかも)

20171021_193456 ●さて、小国空軍好きの私としては、元々好きなポーランド機、中でも好きなカラシュ、そのまた変態的バリエーションのブルガリア型と、いろいろツボではあったのだけれど、何しろお高いキットであるうえに「本命」であるはずのブルガリア軍のマーキングが入っていないという点で購入を控えていたのだが……。

今日、川崎からの帰り、横浜のVOLKSに寄ったら、開店2周年とかで特価コーナーが設けられており、この土日限りのミニバーゲンを実施中。そこに積まれたキットの中に、このMirageのPZL.43Aのキットが一つ。何割引きくらいになっているんだろう……と手に取って見てみたら、元の値札6800円が、なんと400円ですよ奥さん

思わず抱きしめるように確保して、そのまま購入。

ところで、買うまでは漠然と、カラシュのキットの機首を挿げ替えた程度のバリエーションなのだろう、と思っていたのだが、実際には胴体まるごと含め、およそパーツの半分が新造だった。

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左のパーツ展開図で、オレンジで囲ったのが新造部分。これに、やはり新規パーツの比較的大判のエッチングと、デカールシート3枚が付く。右写真は新造パーツのキモの部分。

新造部分の中にも不要パーツが若干あるのが気にかかる。43と43Aの違い、とかなら良いが、ドイツ軍が試験した機体にはなく、ブルガリア軍機には付いていた装備とかだと厄介だ(作りたいのはブルガリア軍機なのだが、資料不足なので細かい仕様はよくわからない)。

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ぐり

●夏から秋にかけての定例の仕事。今年は結構頑張って進めている……つもりでいたのだが、結局、ケツに火がついた状態に陥っている。この計画性のない仕事ぶりは一体何なのだ。

いや、何においても終盤になってドタバタするのは常なので、「いつものこっちゃないか」と言われれば(誰に?)その通りなのだけれど。

●というわけで模型製作も滞り気味なら、当「かばぶ」の更新も低調なので、この間のあれこれをつまみ食いで。

●しばらく前に、実家の母がアルバムを整理していたら、従姉(といっても私と同い年)の幼い頃の写真が何枚も出てきたというので預かって来て、自宅でスキャン。現在は年老いた両親(私にとっては叔父叔母)の世話のため田舎に戻っている従姉にメールで送る。

もう何年も前に亡くなった大叔母が一緒に写っている1枚があり、懐かしく眺める。いかにも南の島の人の顔つきで、「けっけっけっけっ!」と大声で笑う陽気な人だった(なんだかそれだけ聞くと妖怪っぽいが)。大叔母の名は「タケグリ」という名前なのだが、「本人は『グリ』と付けるのを嫌がって、『タケ』と名乗っていたけどね」と従姉に(メールで)言われ、そういえばそうだったなあ、などと思い出す。

タケグリおばはたぶん明治の終わり頃の生まれだが、その当時の奄美の名前というのはどういう付け方をしているのやら何だかよく判らないものも多い。これが沖縄のオバァだと、ナビィ(鍋)だのカマドゥ(竈)だの、それはそれで昔の命名則が伺い知れて面白いのだが、「タケグリ」は何なんだろう。タケは「竹」(まっすぐ、すくすく育つように?)かもしれないが、「グリ」ってなんだ? 栗?(そもそも奄美大島に栗の木はあるのか?)

ちなみに母方の祖父(タケグリおばの兄)の名前は「恩重(おんじゅう)」という。これも昔から「よくわからん名前だな」と思っていたのだが、改めて検索してみて、「父母恩重経」という偽経(もともとサンスクリット語であったものではなく、中国で成立したとみられる経典)があるのを知った。おそらく由来はこれだと思う。しかし兄妹で一貫性ないなオイ。

まあ、曽祖父母にしてみれば(もしかしたら名付け親が他にいたかもしれないが)、男の子には厳めしい漢語の名前を、女の子には可愛い名前をという気持ちだったのかもしえない。……タケグリおばさん本人は「可愛くない」と嫌がっていたわけだが。

●無理にこじつけて「ぐり」関連。

先月半ば、散歩の途中で山栗を拾って来て食べた話を書いたが、その翌週、また別の場所で大量に拾う。かみさんに栗ご飯を作ってもらったり、また焼いたり茹でたりして食す。その後も少数(別の場所でも)拾ったが、今月に入って拾ったものは結構虫食いが多かった。

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ただ焼いて食うよりも、一度茹でてから焼いたほうが食べやすい(渋皮から実が離れやすい)。

●その他秋の収穫いろいろ。

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昨年に続いて、田越神明社の境内で拾ってきたぎんなん。散歩がてら見に行ったら、結構落ちていたので、改めて1,2日後にバケツを持って拾いに行ったら、参道が綺麗に掃き掃除されていた。がーん。

もっとも参道脇の植え込みの陰などに結構落ちていたので、そこそこ拾えた。右はじゃぼじゃぼ揉み洗いして果肉を落とし乾燥中のもの(今年はケータイを落とすようなバカなことはしなかった)。昨年に比べてずいぶん小さい。右下の数個は岩殿寺で拾ったもので、こちらは標準サイズ。ただし、炒って食べたら小さくても美味しかった。

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左はぎんなんと一緒に拾ったカヤの実。後ろの生のものは、切り裂いてみたら一番手前よりも2回りほど大きな立派な実が出てきた。残る2つは、どうもちゃんと熟さないうちに落ちたものらしく、どんどんしわしわに萎んできたので廃棄。普通はあく抜きをしないと食べられないそうだが、たった1つ2つにあく抜きの手間を掛けるのもなあ。

右は食べられるものではなく、名越切通の途中で拾った巨大ドングリ。高さ3.5cm近くあった。

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初めてのオニグルミ。池子の森自然公園は基本、動植物採取禁止だが、すでに地面に落ちていたものを、管理のおじさんにことわって3つ貰ってきた。果実の内側は腐って真っ黒になっているのを、洗い落として乾燥したのが2枚目。

普通のクルミに比べ、オニグルミの殻は固くてなかなか割れないそうな。というわけで、模型用の自作印刀(マイナスのミニドライバーの先端を研いだもの)でグリグリしてこじ開けた。市販のクルミより中身は小さく、凹凸もシンプル。渋皮ごと食べたが、苦みも渋みもなく、普通のクルミより美味しかったかも。

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左はむかご。から煎りして塩を振って食べた。右はスダジイの実(右下に写っているのは普通のドングリ。コナラかな?)。シイの実は拾って来てから1つ2つずつ、お茶請けに生でつまみ食いして、その後、残りはやはりから炒り。あらかじめ割らなくても、クリや銀杏のように爆発することはなく、おとなしく殻に割れ目が入って剥きやすくなる。味も炒った方が若干いいような。

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wz.34装甲車リベンジ(11)

週末模型親父さんのところの「SUMICON2017」にエントリーした、wz.34装甲車の(かなり久しぶりの)製作記。

中だるみ的製作モチベーションの低下もあり、そうこうしているうちに毎年お決まりの仕事が忙しいシーズンに突入してしまい、ますます製作にブレーキが掛かってしまったが、そうこうしているうちに残り1カ月を切ってしまった。

それでも調子いことを言って製作を始めた手前、締め切りまでとにかく頑張らねば格好がつかない。というわけで、スタート前から懸案だった足回りの製作に入ることにする。

20170731_213132 ●まずは前回報告(もう2カ月以上前!)の割とすぐ後に作ったデファレンシャル。

KOTOBUKIYAの「丸モールド」パーツ、コントレールのプラパイプ、ランナーその他ででっち上げたもの。ちょっとギアケース部分が前後方向につぶれ過ぎで、本当はもっと球形に近いはずなのだが、どのみち組み上がってしまえばほとんど見えないので、そのまましらばっくれることにする。

●今回、タイヤに関しては最初からTOKO/RODENのGAZのものを流用するつもりでいたが(というよりも、サイズ的にもパターン的にもこれが使えそうだ、と思ったのがそもそもスクラッチ開始のきっかけだったのだが)、一方で一番のネックだと思っていたのがホイール部。

おそらく、ヒートプレスで作るしかないだろうと思っていたものの、ダメモトで、改めて流用できるパーツはないものかと(悪あがきで)探してみた。

中央部に平面のある皿形で二つ穴。もちろん穴は自分で開ければいいので、うまくサイズの合う皿形があればよい。

いろいろ見たり想像したりした中で、まず有力候補として浮かんだのは48のT-34のディスク転輪。欲しい「皿形」は周囲部がなだらかな曲線断面、T-34の場合は直線的なのだが、そのへんはちょっとヤスって誤魔化すか……(もっとも、サイズ的に本当に合うかどうかは結局未確認)。

hnさんからは、他のトラックの(5穴とか6穴の)ホイールの穴を塞いで使ったらどうかというアイデアを頂いたのだが、凸面側はどうにかなるとしても、凹面側を綺麗に塞いで整形する自信がちょっとない。

……いやいやちょっと待てよ。既存のトラックタイヤと言えば、イタレリのSd.Kfz.232(6Rad)って2つ穴とかじゃなかったっけ。

20170916_224249 と、いきなり思い出して、棚をがさがさ漁って取り出してみたら、これがかなり近い形状(右写真はすでにいくつかパーツを切り離し済み)。しかもタミヤのカスタマーサービスに電話したら、幸いなことにパーツが取り寄せられることが分かったので(つい最近、タミヤパッケージで「ドイツ6輪装甲車 Sd.Kfz.231」として発売されたためパーツの在庫があった)、安心して使うことができた。

もっとも、ドイツ6輪装甲車用としてみればそれほど出来のいいパーツではないので、6輪装甲車用にはレジンのアフターパーツ導入を考えるべきだったかも(もっとも、そうこうしているうちに他社から出来のいい新キットとかが出てしまいそうだ)。

●そんなわけで、いよいよ車輪の製作。

基本は、6輪装甲車のパーツからゴムタイヤ部分を削り落とし、wz.34装甲車のホイールに若干なりとも似せるべく追加工作を下上で、GAZのタイヤにはめ込む。

なお、RODEN/TOKOのGAZトラックの軟質樹脂タイヤはプラパーツを傷めるというウワサも聞いたことがある気がするのだが、少なくとも今回使ったもの(実際には純正TOKOのGAZ-AAもしくはGAZ-AAAではなく、ズベズダ版のBA-10装甲車に入っていたもの)に関しては、5,6年以上、ジップロックの中にランナーの切れ端と一緒に入れておいたがランナーに変化はなかった。

ただ、後輪の内側などはGAZトラック用のパーツをそのまま使って手間を省こうなどとも考えていたのだが、ホイールよりもタイヤの内径の方がわずかに小さく、そのままでははまらなかった。……タイヤ、縮んだ? もとから?

●前輪。もともとのドイツ・6輪装甲車の後輪内側のパーツ(C24)を使用。

大まかには、上記のようにタイヤ部を除去した後、

GAZのタイヤにはまり込むまで削り込んだ後

  1. そのままではタイヤをはめる部分の厚みが足りないので、GAZのリングのパーツを貼ってから、タイヤがはまるまで削り込む。
  2. ホイール部の2つの穴はやや大きめに。凸頂部を少し削って平面部を広めに。
  3. 中央のハブ穴がちょっと大きいので、プラバンを貼って狭め、さらに穴の内側に段差を付けてもう一枚プラバンを接着。
  4. 外側リムをTOKO/RODENのGAZのパーツから削り取って来て接着。
  5. ハブフランジの取付ボルト6本を、TOKO/RODENのGAZのパーツから削り取って来て接着。

写真1枚目が元パーツ。2枚目がGAZのタイヤに合うまで削り込んだ状態(右は後輪用、左が前輪用)。3枚目が工作完了状態(車軸部未工作)で、左側はCERTI/MIRAGEのキットのもの(タイヤはMIRAGE版)。

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●後輪。こちらはドイツ・6輪装甲車の後輪外側のパーツ(C5)を使用。

  1. こちらは前輪と逆にリム部分の厚みがあり過ぎるので、厚みを減じてから、外側リム部をTOKO/RODENのGAZから移植。
  2. ホイール2カ所の穴を拡張。裏から削って穴部分を薄く見えるようにした後、プラバンを裏から貼ってリムの重なりを表現。
  3. ハブ中央部の軸を切り飛ばし、ハブ穴を拡張。 流用パーツやら流用モールドやらを組み合わせて車軸部を表現。
  4. ダブルになっている内側は、ドイツ・6輪装甲車の後輪内側裏のパーツ(C28)を使用。
  5. 程よい間隔で内外が接するよう、スペーサーとなる部分を工作。後の塗装の手間を考え、はめ込み式でバラせるようにした。

写真1枚目は元パーツと、とりあえず外周を削り取っただけの段階。2枚目が外側の形状の工作終了状態。3枚目は内外はめ込み工作。挟まって見えなくなる側は工作もだいぶ適当。4枚目はデフにはめてみたもの。

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●予備タイヤ。状態としては凹面が表に出るので、使用パーツは後輪外側と同じ。穴の拡大やリムの処理なども後輪の工作と同様で、そのほかに、

  1. 中心部分は、後輪ではハブのフランジがドーナツ状に盛り上がっているが、予備タイヤはそのフランジが当たる部分が逆に窪んでいるので、一度この部分を削り取って開口。 そこに、同じパーツから中心部を切り取って来て、一段低めて接着。つまり、予備タイヤに関してはC5パーツを2つ消費している。
  2. その際、(予備タイヤはボルト3本で止められているので)ボルトを1本置き表現に。さらに裏から削って薄くするとともに、中心部の穴をやや大きくした。
  3. 車体側に逆トの字型の、予備タイヤ取付座金を工作。
  4. 塗装の便を考え、予備タイヤ裏側に金属線を植え、車体側には穴を開けて着脱可能に。

写真1枚目は工作した予備タイヤ。右側はCERTI/MIRAGEのキットパーツ(後輪もほぼ同形状)。2枚目は車体に取り付けてみたところ。……格好いいぞキミ。

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●なお、上の写真をよく見比べると、ホイールの2つの穴と6本のボルトの位置関係が、前輪と予備タイヤでは6本のボルトの描く6角形の辺の部分に穴があるのに対し、後輪では頂点のところに穴があるのが判ると思う。

これは前輪と予備タイヤが正解で、後輪は(CERTI/MIRAGEのキットパーツも)間違い。前輪・予備タイヤはボルト部分を作り直したので修正したが、後輪はドイツ・6輪装甲車のキットパーツのままとしたため。正直に言うと手抜き。

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