« ソミュア!(ほんのわずかの進捗) | トップページ | 山栗 »

「遊びかたよー。」

●私事ですが。

一昨日、鹿児島に住んでいるS叔父が死去したとの知らせを受けた。朝鮮半島で逓信省の学校に行き、最後の最後に徴兵された挙句にソ連軍の捕虜になり、収容所で数年を過ごし生還したという経歴の持ち主だった。

といって「苦労した」とか、そんな気配は見せず、何に付けても楽しむことに貪欲な、大袈裟に言えば自由奔放な人で、数年前にうちの父が死んだ際、鹿児島から駆け付け……たのはいいものの、告別式当日の朝、泊まっていた我が実家からだいぶ早く出発したものの、なかなか会場にやってこない。

道に迷ったか、事故にでも巻き込まれたかと心配し始めたところで現れたのだが、聞くと、車を運転する従弟(叔父にとっては甥)に言いつけて、「(自分も歳を取って)もう東京に来るのは最後かもしれないから、『海ほたる』(東京湾を横断するアクアライン中途のパーキングエリア)というものを見に行った」由(ちなみに実家があるのは川崎だが、鹿児島辺りの人から見るとざっくり「東京」)。

その何年か前から脚を悪くしていて、杖をついて歩くのがやっとにも関わらずバイタリティーは健在で、周り中「わざわざ葬式の朝に行かんでも……」と思いつつ、「絶対、まだ何度も来る」と思ったものだった(実際そうだった)。

ちょっとはた迷惑な、しかしとことん楽しい人だった。ご冥福を。

●叔父が逓信省学校時代、同期で最も成績が良かったのは現地朝鮮出身者だったにもかかわらず、「首席が朝鮮人では体裁が悪い」と別の日本人が首席に選ばれ、「僕自身はオチコボレだったけれど、それが腹が立った」と言っていた。

最近、「韓国は日本がインフラを作ってやって教育してやったから近代化できたくせに云々」などとしたり顔で言う輩がいるが、勝手に押し入って来た挙句に二等国民扱いされたのを感謝する奴がそうそういるもんかい。

その後徴兵されて配属されたのは現在の北朝鮮のとある街の通信部隊で、周りの実戦部隊はどんどん南方に送られ、結局最後には唯一残っていたその通信部隊が街の守備隊になったのだが、一個中隊に武器は小銃一丁だけだったという。

「それで、もう明日はソ連が来るっていうんで、住民は放って軍隊は山に逃げ込んで、あっち逃げこっち逃げしてアソビカタヨー(遊んでたんだよ)」と奄美訛りで教えてくれた。

こういう生の体験を語れる人が減っていく一方で、何だか「昔からスバラシイ国だったニッポン」のきらきらしい幻想みたいなものをでっち上げたい人があちこち湧いて来るのはどうにもモヤモヤする。

|

« ソミュア!(ほんのわずかの進捗) | トップページ | 山栗 »

かば◎の迂闊な日々」カテゴリの記事

コメント

ずーっと「日本は酷いことをした」と教えられて育ったので
その反動もあるんでしょうね
もう自虐はいいでしょ、っていう。

なんかいつも両極端なのはモヤモヤしますな。

投稿: めがーぬ | 2017年9月 6日 (水) 12時59分

>勝手に押し入って来た挙句に二等国民扱いされたのを感謝する奴がそうそういるもんかい。
これはまったく同意です。明治から昭和の滅亡までの日本てなんかガツガツしてて、あんまり素晴らしくないです。
戦後の昭和日本も道で目があったって喧嘩や恐喝になる怖い国の部分がありますが・・・
今はほぼそういう怖いことはなくなりましたな・・・

投稿: みやまえ | 2017年9月 6日 (水) 20時19分

逓信省の学校、というのがあったのですね。今でいう高専みたいなものだったのかしら。
それにしても中隊に小銃一本というのはなんともお粗末な話。もはや物資の欠乏とかいう以前の問題.. 南方に送られた兵士の戦死の原因は半数以上が餓死や病死だったという話と同じで。

海ほたるなんて、橋を渡っていける近所の島。ですね、遠く離れたところから見れば。

投稿: hn | 2017年9月 7日 (木) 06時09分

皆様ありがとうございます。

>めがーぬさん

当時の日本人は加害者だったのか、被害者だったのか、なんでどちらかしかなくなっちゃうんでしょうね。
普通に生活していたって常に加害も被害も善も悪も入り混じっているのに。

しかしまあ、「自虐史観だー」と騒ぐ人を見ると、いつも「ウチの子はな~んにも悪くないの! みんな周りが悪くて、それに引きずられただけなのよ!」と叫ぶ過保護親が思い浮かびます。

なんて言うとがーがー怒り出す人もいそうですが。

>みやまえさん

>>明治から昭和の滅亡までの日本てなんかガツガツして

いわゆる「大正ロマン」みたいな時代もあったわけですが。みるみる窮屈な時代になる昭和初期が特にコワイです。

>hn-nhさん

上の話は叔父が喋った話の記憶で書いたのですが、その後、叔父が書いた手記を読み返したら、ソ連軍が来た時に一度市街戦はあったようで、「鉄砲一丁」は負けて逃げる時に「それしかなくなっていた」という話だったのかもしれません。
もっとも、もともと通信部隊だったので満足に武器弾薬がなかったとは、はっきり言っていた気がしますが。

>>南方に送られた兵士の戦死の原因は半数以上が餓死や病死

数年前に死んだ親父はインパールの生き残りだったので、その辺の話は少し聞きました(あまり進んでは話したがりませんでしたが)。
その辺はまた機会がありましたら。

投稿: かば◎ | 2017年9月15日 (金) 00時49分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1208697/71628799

この記事へのトラックバック一覧です: 「遊びかたよー。」:

« ソミュア!(ほんのわずかの進捗) | トップページ | 山栗 »