小坪高角砲台(改めて披露山)補遺
●歯医者に行ったついでに、ちょっと足を延ばして(このクソ暑いなか)またまた披露山公園に登ってきた(サルも暑そうだった)。
体調管理上、ちょっとずつでも歩いたほうがいいということに加えて、先日の横須賀「砲台山」の知見をもとに、改めて見直したい気もしたため。
●夏の間は見えないことも多い富士山だが、今日は江の島の向こうによく見えた。
写真は山頂広場展望台の足元から撮ったもの。先日の記事のこの写真とほぼ同じ場所・アングルで、ただし今回は手すりにくっついて撮っている。
すぐ足元が披露山庭園住宅、その向こうが逗子マリーナ。右手中景の岬が稲村ケ崎で、その向こうが江の島。富士山の左側が箱根で、糸切り歯のようにぽつんと尖っているのは金時山。
●現・展望台周りに関する補遺。
展望台下の崖側は、写真のようにコンクリートの土台が張り出している。外装は新しいが、砲台時代も(ここまで張り出してはいなかったかもしれないが)ある程度の張り出しが設けられていたのではと思う。
なお、古くからの逗子の住民の方に聞いたところによると、かつては、展望台の根元部分はもう少し深く、すり鉢状遺構もさらに多く露出していた気がする、とのこと。
これまで気付かなかったが、展望台の北側すぐの場所に、写真2枚目のようなコンクリートの何かの土台がある。6×6の鉄パイプの骨が埋まっている。以前に載せた終戦直後の米軍の航空写真を見ても、はっきり何かがあるようには写っておらず、正体不明。(8/11追記。hnさんから「ジャングルジム跡では」というコメントを頂いた。言われてみればまさにそんな感じ!)
●現:猿舎に関する補遺。
先の記事で、
壁龕の数はおそらく8つ。ただし、8つの壁龕は45°の等間隔ではなく、階段とその隣の四角い小檻のある部分の左右の壁龕は離れていて、その分、他の壁龕間の間隔は45°より狭くなっているようだ。上写真でも、よく見ると一つ置いた壁龕間の角度は直角には足りていないように見える。
と書いたのだが、これはどうやら誤り。
実際には、hnさんの記事にある復元図のように、壁龕は等間隔に8つ、そして先日は気付かなかったが、兵員詰め所(もしくは待避所)の大きな窪み(現在は四角い金網が付いている)と階段の間にあった壁龕が埋められている(つまり現存している壁龕数は7つ)。
写真1枚目ではちょっと判りづらいが、実際に見てみると、埋められた部分のコンクリートが若干周囲と色が違うのが判る。その範囲を見た感じでは、どうも、壁龕の上部分が少し壊れていて、それをわざわざ手間をかけて補修するよりも、いっそ壁龕ごと埋めてしまった方が楽だったための措置という気がする。
兵員詰め所と向かって左隣の壁龕とは壁一枚の厚みで隣り合っているようで(写真2枚目)、要するに、元々は砲台山のものとまったく同じ配置だったようだ。
前回「砲台山」記事へのhnさんのコメントで改めて気付いたが、各壁龕の入口周囲の角(出隅)は、かなりしっかり面取りされている(写真3枚目)。
面と面が出っ張った形で接している角は「出角」もしくは「出隅」、凹んだ形で接しているのは「入隅」と呼ぶのもhnさんに教えて頂いた。かば◎はあたらしいことばをおぼえた!(ちゃらら~ん♪)。
砲台山と共通していることが分かった床面の円環状金具は、こちらも一直線には並んでいないが、どうもその位置は砲台山と披露山とでまったく同じようだ。
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コメント
いろいろな疑問が次から次へと!たのしいですこういうの!
生きてる状態の写真とか見つけました(すでにご存知だったら申し訳ないです。)
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/489/02/N000/000/001/127954051889716330662.JPG
投稿: みやまえ | 2017年8月 9日 (水) 20時52分
もういっこ。
https://pbs.twimg.com/media/CGzy54ZUYAAOh1m.jpg:large
投稿: みやまえ | 2017年8月 9日 (水) 20時53分
>みやまえさん
1枚目の写真はhnさんがご自身のブログ前編
http://hnnh3.exblog.jp/24682726/
で引用されているんで見たことがありましたが、2枚目は初めて見ました。
雑草が生えているんで、終戦後の「兵どもが夢の跡」状態ですかね。
こうしてみると、「ああ、やっぱり艦載砲なんだなあ」という感じですね。
投稿: かば◎ | 2017年8月 9日 (水) 21時32分
展望台北側の6×6の鉄パイプグリッド。サーベイの時は気がつきませんでしたが、改めて写真を見直したら、写ってました。謎....
戦後の写真を見ると、砲座の外側にもうひとつ小さなサークルらしきものがあるのが確認できますが、それと関係があるのかまでは見極められません。
たとえば、ミニ「象の檻」ともいう通信アンテナ構造物がそこにあった、という妄想も膨らみますが、戦後の市民公園のジャングルジムだったという可能性も無きに非ず。
謎の円環状金具の存在から考えると小坪(披露山)の砲台の床は、全面コンクリートだったものが現存する可能性大ですね。そう思って見ると、館山の陣地の写真も全面コンクリ床のようにも見えてきます。金具の位置が砲台山と小坪ともに待避所の向かいであることは何かのヒントのようです。
投稿: hn | 2017年8月10日 (木) 20時00分
>>6×6の鉄パイプグリッド
>>ジャングルジムだったという可能性も
ああっ。まさに、言われてみればそのものの形状です。
この先から鳥舎までの一段低くなっている場所は今でも遊具置き場になっていますから、ジャングルジムの可能性は高そうです。
>>謎の円環金具
そうなんです。待避所の真正面ではないんですが、おおよそはそちら側で(待避所から中心を向いた時に正面やや右に並ぶ感じになるはず)、それは披露山も砲台山もたぶんまったく同じです。
砲弾ロード用の何かですかね?
投稿: かば◎ | 2017年8月11日 (金) 11時00分
>>謎の円環金具
位置が同じということは、
指揮所の方位盤とシンクロさせるための照準規正時に
砲を特定の方向に固定するための治具用だったりして・・・(当てずっぽう)
投稿: みやまえ | 2017年8月11日 (金) 19時14分
猿の檻の小檻の中の穴(兵員詰所)は、かば◎さんの写真を見ると向かって右が深くなった2段階の窪みのようにも見えます。
砲台山とかと同じように詰所の浅い窪みの右側に横穴があって、それが途中で塞いであるという可能性も... (連絡トンネル説)
投稿: hn | 2017年8月12日 (土) 09時36分