やまなみルート
●17日土曜日。2か月前にも歩いたばかりだが、池子弾薬庫跡地の北辺の尾根を辿る「やまなみルート」を再び歩く。
出発点は久木大池。東岸から階段状になった急斜面を登る。はっきり言って、全行程中でここが一番きつい。逗子・鎌倉近辺の尾根上のハイキングコースはたいていそうだが、登ってしまえばあとはそれほど起伏は多くない。
時季的にヤマユリが咲いているだろうと思ったのだが、尾根上に上ってしばらくは見当たらず。期待外れかと思いかけたが、そのうち、こんな場所が。なんとも豪華。そういえば昔は、披露山入口バス停付近の急斜面の上でこれでもかというくらいヤマユリが咲いていた記憶があるのだが、今ではすっかりコンクリートで塗り込められてしまった。
前回は十二所果樹園で朝夷奈切通の鎌倉側入口へ降りたが、今回はその先へ。下はヤマユリ同様にこの時期が旬のオカトラノオ(左)と、十二所果樹園奥で見つけた面白い色模様の葉(右)。
このような種類の植物なのかとも思ったが、実際には、葉脈黄化ウイルスに侵されたヒヨドリバナ、であるらしい。それなりにしばしば見られるもので、「キモンヒヨドリバナ」の別称で呼ばれることもあるとか。この模様のヒヨドリバナの葉についての記述は万葉集にもあるのだそうで、植物のウイルス病害について記された世界最古の例だそうだ。
その記述とは孝謙天皇の歌で、行幸の際に色づいた「さはあららぎ」を見て、これを摘み詠んだものとされ、その「さはあららぎ」はヒヨドリバナ属を指すのであるとか。
この里は 継ぎて霜や置く 夏の野に 我が見し草は もみちたりけり
当初は、切通の金沢側入口脇の熊野神社へ降りるつもりでいたのだが、手前で分岐があり、もっと先まで尾根を辿れることが判明。さらに三信住宅へ降りる分岐も越えて歩く。大池から十二所果樹園までの間には、軍事遺構的なものとしては、前回写真を載せたコンクリート壁があるが、果樹園を超えて六浦方面への尾根道の途中でこんなものを見つけた。
左は池子弾薬庫跡地境界の鉄線柵の向こうに、唐突に立っているコンクリート門柱の残骸。門柱左右には塀などは残っていない。それにしても、何もない山の尾根上に、何の用事でこんな「裏口」が構えられていたのかどうにも謎。
右は正体不明の標石。文字も風化して不鮮明だが、「軍校」もしくは「重校」と読めなくもない。
ネットで調べてたどり着いたこのブログでは「重校」であるとし、横須賀にあった陸軍重砲兵学校(うちの親父の母校!?)関連のものではないかと推察している。実際、横須賀・大津にあったという重砲兵学校校長邸跡に、よく似た「重校」と書かれた標石が立っているそうだ。
さらに六浦方面に歩くと、海軍標石があった。私が確認できたのは3基(と、もしかしたら海軍標石であったかもしれない破損した根元だけのもの)。十二所側から六浦側への順番で写真を並べておく。
水道路沿いの海軍標石とは違うのはもちろん、同じ池子弾薬庫跡地外周でも、逗子市山の根の裏山尾根の標石とも字体・作りが少々異なっている。
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コメント
何時だったか旅先で車を走らせていた時、高速道路の法面にヤマユリが白く咲き乱れていたのを思い出します。
ヤマユリは半日陰の植物でかつては里山にたくさん咲いていたものの、山に人の手が入ることが少なくなり森が暗くなってヤマユリも減っているみたいですね。
投稿: hn | 2017年6月22日 (木) 06時19分
確かに、山道を歩いていても、ちょっと木立がまばらになって半端に陽の差す場所にまとまって生えてますね。
逗子も鎌倉も山に囲まれているので、その山すその斜面やがけは格好の「ユリポイント」だったのですが、そのあたりは軒並みコンクリ詰めになりつつあります。
投稿: かば◎ | 2017年6月23日 (金) 19時02分