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2017年5月

wz.34装甲車リベンジ(3)

週末模型親父さんのところの「SUMICON2017」にエントリーした、wz.34装甲車製作記。

●毒を食らわば皿まで工作その1。

結局、初期型装甲ボディを作ってみることにした。前回書いたことと重複するが、

  • 後期型ボディで作る場合でも、キットのパーツそのままでは使えず、結局ほぼ丸ごと作り直すことになる。
  • 後期型ボディの場合の、シャーシ後端の処理(形状)が今ひとつよくわからない。
  • 後期型ボディばかり一般的で、初期型ボディは目新しさがある。

……などが理由。

初期型ボディは戦闘室後面が垂直なのが特色(後期型は傾斜している)で、他に、以下のような特徴がある。

  • 戦闘室の幅が後期型よりも広く、砲塔が正位置では左右にはみ出さない。
  • その代わり、戦闘室側面下部は(ハーフトラック時代の足回り形状に合わせて)えぐれていて、段になっている。
  • 前方から見た時の大きな識別点として、戦闘室正面バイザーが大小2つある(後期型は1つだけ)。
  • エンジンルーム左右装甲板の形状、ディテールレイアウトも後期型と異なり、ルーバー、点検ハッチがやや後ろにある。
  • 初期型ボディのさらに初期生産型と思われるが、エンジンルーム上面フード前方が別体。

……など。後期型ボディとはすべての装甲面で寸法が違うのだが、前に書いたように「Wydawnictwo Militaria No.318」に出ている初期型ボディの図面はまったく信用できないので、「PIBWL Military Site」の中のwz.34解説ページの参考図なども見つつ、「だいたいこんなもん?」で寸法や形状を決めていく(←いい加減)。

20170528_020720 初期型装甲ボディに関しては、FTFから72で唯一のインジェクションキットが出ていて、これも若干の立体参考資料としたが、このキットは、形状的には「Wydawnictwo Militaria No.318」の図面と近く、初期型ボディを正しく再現しているとは言い難い。

このキットでは、ボディ側面下のえぐれた部分も3つの面で膨らんだ形状となっているが、影の付き方などから見て、ここは素直に同一平面になっているものと判断した。初期型ボディの比較的鮮明な写真資料に関しては、「PIBWL Military Site」のwz.34ギャラリーページ(2)が助けになる。

また、原型となったwz.28装甲車では確実にこの部分が平面であるのは、同じく「PIBWL Military Site」のこのページで判る。

そんなこんなで、砲塔同様にwaveの目盛付きプラバンを使ってボディを新調。

20170528_020847 20170528_020930

前半はシャーシとのつじつま合わせも必要になってくるので、ある程度シャーシの目途が付いたところで工作の予定。戦闘室前面・上面は装甲板の重なりを表現するため0.3mm板を被せるつもり。

●毒を食らわば皿まで工作その2。

どうせほとんど見えない部分だし、シャーシはキットのパーツを使っちゃおうかなあ、とも思ったのだが、結局こちらも自分で作ることにした。

ひっくり返して裏を見せるつもりも特になく、エンジンまで作り込む気もないので、作りやすさ優先でシャーシ外形に合わせてプラバンで底板を作り、そこにフレームやある程度のディテールを盛って行く形式とした。

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後輪スプリングを支えるビームのうち、前側のものは、中央がドライブシャフトを避けて窪んでいる(その形状については、この写真で確認できる)。それほど複雑な形状でもないが作るとなると面倒で、作成法についてちょっと悩む。結局、円筒形のジャンクパーツ(たぶん、タミヤの48マーダーIIIの固定用ナット抑え)を輪切りにして、それをプラ材に貼り付けてから削り込んだ。

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wz.34装甲車リベンジ(2)

週末模型親父さんのところの「SUMICON2017」にエントリーした、wz.34装甲車製作記の続き(というか、ここからスタート)。

●車体に関してはなお考証・検討中。

先述のようにwz.34装甲車の寸法には2種類あり(実際にはシャーシは3種類だが、wz.34-Iはwz.34と同寸法?)、装甲ボディも2種類ある。「PIBWL Military Site」の解説ページでは、キットが表現している新型装甲ボディの車輌は、シャーシはむしろ初期型の、wz.34もしくはwz.34-Iだったのではと考察している。

「Wydawnictwo Militaria No.318」には、新型装甲ボディの車輌の4面図が出ている(その他の型も側面図だけ出ている)。各面で微妙に寸法にズレがある怪しい図なのだが、少なくとも側面図はwz.34の寸法(全長3620mm)の解釈で描かれているようだ。装甲ボディ後端とシャーシ後端の関係など、「これでいいのか?」と思う部分もあるが、そのへんの誤差を含めても、CERTI/Mirageのキットの装甲ボディはやや小さいようだ。

なお、新型装甲ボディに関しては、hnさんから、「Wydawnictwo Militaria No.318」の図面と実車の側面写真とを対照し、寸法を検討した図面画像を頂いた。本当にどうもありがとうございます。

新型ボディで作る場合は、CERTI/Mirageのキットの装甲ボディにプラバン1枚被せて、装甲形状も一部手直ししつつやや拡大するという方法もいいかなと思う。面の数も旧型に比べ少ないので、その点でもメリットがある。しかし、シャーシ後端(特に後輪スプリング保持部)の形状が旧型ボディ車輌以上に判らないのがワジワジする。

どのみちボディもある程度以上のプラバン工作が必要になるなら、35では見たことがない旧型装甲ボディにしてしまうのも(長丁場のSUMICONなら)アリかな、と思ったりする(毒を食らわば皿まで的な)。

なお、「Wydawnictwo Militaria No.318」の図面では前輪はまっすぐに地面に当たっているが、「WRZESIEŃ 1939」では若干のポジティブ・キャンバーが付いている(キットもだいぶきつめにキャンバーが付いている)。実車写真を見ると、「ややキャンバーあり」が正しいようだ。

●装甲ボディに付いては前記のように「やや小さい(全長で3~4mm?)」程度のようだが、砲塔に関してはそれどころではなく小さい。初めてCERTIのキットを作った時には、キットの砲塔パーツ底面に1.2mmプラバンを貼って嵩上げし、若干大きくすることでお茶を濁したが、今回は最初からプラバン工作する。

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今回の工作では、先日購入した方眼プラバン(WAVEの「プラ=プレート【グレー】目盛付き 0.5mm)を使用した。確かme20さんに教えて貰ったもの。これを使うとかなり楽に精度の高いパーツを切り出せる。もちろん、本人の工作精度の問題もあるので、出来上がったものは「それなり」。

さて、この砲塔はほぼ前述の2図面に準拠した寸法で作ったのだが、出来上がったものを実車写真と並べてためつずがめつすると、どうも各面が、実車はもうちょっと縦長で角度も立っている気がしてきた(この辺は写真によっても見え方が違うので微妙)。

というわけで、工作開始直後からいきなり迷走状態だが、わずかに寸法を変えて、砲塔をもう一個製作した。

20170518_182106

左が新たに作ったほう。縦横比はこちらの方が近いような気もするのだが、今度は明らかに面が立ち過ぎ。砲塔ばかり3個も4個も作っても仕方ないので、最初に作った砲塔を採用する。ああ、回り道した。

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wz.34装甲車リベンジ

●5月アタマから、週末模型親父さんのところの「SUMICON2017」がスタートしている。

期間は10月末までの長丁場の、AFVモデルのwebコンペで、レギュレーションは例年通り、製作過程を掲示板で報告し、あれこれ皆でコメントしあって盛り上がりつつ完成を目指そうというもの。

今度こそクブシュを作ろうかとも思ったが、結局、あれこれ考えてwz.34装甲車を作ることにした。

wz.34装甲車は、かつてポーランドの小メーカーCERTIから初のインジェクション・キットが発売された。CERTIはこのキット一つだけで消滅してしまったが、キットは数レーベルを転々として、現在はMirage HOBBYから出ている。現在でも35のインジェクションはこれが唯一。

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上段がCERTI版とその中身、下段がMirage版とその中身。基本パーツは同じだが、Mirage版は、

  • 箱絵がまともになった。
  • タイヤが別物になった(ただしディテールは五十歩百歩)。
  • 説明書が豪華カラー印刷。
  • デカールが大判で綺麗(ただし中身はだいぶ疑問有り)。
  • 砲塔上に掲げられるペナントが両面印刷の紙で付属。
  • Mirage製のMG34のパーツ枝が付いてドイツ軍鹵獲仕様に対応。
  • 金型の手入れをしたのか、あるいは単に成型状態の差か、若干パーツ表面が綺麗。

などの違いがある。なおCERTI版には写真の白箱と、グレー箱の2種がある。グレー箱が初版だったような気がする。なお、初版はプラ色がダークブルー(ホイールのみこげ茶)だった。

私自身はCERTI版が発売された直後に一度作ったことがあるが、当時は「wz.34装甲車が出た!」というだけで嬉しかったので、パタパタ組んでタミヤエナメルを筆塗りして完成させた記憶がある。

さすがに自分でもかなり不満の残る出来で、いつかもうちょっと気合を入れて作りたいと思っていて、このブログでも、過去、(その後あれこれ出てきた資料をもとに)若干の考証をまとめたことがある。

wz.34装甲車メモ
wz.34装甲車メモ(2)

なお、wz.34装甲車のインジェクション・キットは、その後、1:72ではFTFから旧型・新型2種の装甲車体それぞれのキットが発売されている。レビューはこちら

●CERTIのキットが出た当時に比べるとかなり資料的に充実してきたとはいっても、実のところ、なお謎の部分が多い。

wz.34装甲車は、もともとハーフトラック形式だったwz.28装甲車を改装して作られているが、エンジン・駆動系の違いによってwz.34、wz.34-I、wz.34-IIの3形式があり、さらに装甲ボディ形式に新旧の2種がある。MirageおよびFTFは、キット名称として、新型装甲ボディのものを指してwz.34-II(旧型をwz.34)としているのだが、これは少々怪しい。

基本の数値データ(全長、全幅、全高、ホイールベース)などは各資料にあるのだが、これも所々「えっ、それホント?」という部分がある。以下は「WRZESIEŃ 1939」(WKŁ)より。最初の数字がwz.34、カッコ内がwz.34-II(ということになっている)。

全長:3620mm(3750mm)
全幅:1910mm(1950mm)
全高:2220mm(2230mm)
前輪トレッド:1180mm
後輪トレッド:1470mm(1540mm)
ホイールベース:2570mm(2405mm)
グランドクリアランス:250mm(230mm)

「Wydawnictwo Militaria No.318」ではwz.34-IIの前輪トレッドが後輪と同じ1540mmになっているが、これは明らかに間違い。あとはwz.34のグランドクリアランスが257mmとやや大きくなっているだけの差。

さて、ここからがだんだんややこしくなってくるのだが、前述のように、wz.34、wz.34-IIという形式名称は駆動系の差にあり、それでホイールベースやトレッド(全幅)が変わってくるのは納得できる。が、全高あたりは装甲ボディの形状で決まりそう。

また、上記数字を信用すると、ホイールベースが約15cmも短いwz.34-IIのほうが全長が10cm以上長く、wz.34-IIは、wz.34に比べ、シャーシ後端が後輪よりもかなり後ろに出っ張っていることになる(前輪端が前端であるのはどの形式でも変わらないと思われるので)。

20170513_011228 このあたりに関する考察に関しては、「PIBWL Military Site」の中のwz.34解説ページがなかなか詳しく説得力もあるが、そこでは、(キット名称や一般的な印象とは逆に)旧型装甲車体のほとんどはwz.34-IIだったのでは、というようなことが書いてある(英語なので読み間違えていたら失礼)。また、上記数字データのうち「wz.34-II」のものとなっているのは、旧型装甲ボディのものではないかと推察している。

図面に関しては、一応、手に入る既存資料のものを比較してみたのが右上写真。一番奥のマンガっぽいカラー図は「WRZESIEŃ 1939」。右下の外形図と中上のシャーシ図は「Wydawnictwo Militaria No.318」のコピー。左の2枚は「PIBWL Military Site」の参考図を1:35相当に引き延ばしたもの。

一見、一番もっともらしいのが「Wydawnictwo Militaria No.318」の図面なのだが、実はこれはだいぶ怪しい(そもそも側面図と平面図で寸法が合わなかったりする)。特に旧型装甲ボディの図面は明らかにおかしく、実車写真と各部バランスが食い違っている。むしろ見た目では牧歌的な「WRZESIEŃ 1939」のカラー図や、同じAdam Jońca氏の図面を元に若干の手直しをしたという「PIBWL Military Site」の(図面というには小さすぎる)図のバランスの方が信用できそう。

結局のところ、上記諸元数字を信用するとしても、装甲ボディ等々細部寸法は、後2者の図等を参考に、自分で「えいやっ」と決めるしかないようだ。

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洞窟寺院

20170511_135654 ●かみさんから、「大船の観音様の向こうに、洞窟があるらしい」という、何やらえらくざっくりした話を聞く。

防空壕の跡でもあるのかと思ったのだが、ネットで調べてみるとそうではなく、お寺にある洞窟で、しかも結構有名な存在であるらしい。

ちょうど仕事が途切れて暇なので(←営業しろよ!)、11日木曜日、その通称「田谷の洞窟」を見物に行く。

なお、湘南方面の方にはまったく見慣れた風景だろうが、冒頭の「大船の観音様」というのは右写真。JR大船駅のすぐ脇の山の上に、巨大な観音のバストアップが鎮座している。子供が小さい頃には、

「実はあの観音様は山の中に下半身が埋まっていて、一年に一度山が開いて、鎌倉の大仏と対決しに行くんだ」

とかいういい加減な話を考えたこともあるが、当然ながらまったく信用されなかった。

なお、比較的ご近所に20年以上暮らしているにも関わらず、私はまだ山に登って間近に見たことがない。

20170511_142658 ●「大船の観音様の向こう」といっても、その山の裏側とかではなく、大船駅西口からバスに乗る。大船駅は鎌倉市と横浜市の境にあるが、目的地は横浜市側。

目指す洞窟は定泉寺という真言宗の寺の境内にある。ほぼ寺の真ん前に「洞窟前」というバス停があり、しかも「田谷の洞窟」と大書された看板まで立っていて判りやすい。

洞窟の正式名称は田谷山瑜伽洞(ゆがどう)。なんとwikipediaにも出ていた。真言密教の修行場として人工的に掘られたもので、戦国時代に建てられた定泉寺よりむしろ古く、鎌倉時代初期にまで遡るという。

拝観料400円を払い、ろうそくを貰って洞窟に入る。残念ながら洞内は撮影禁止。

そんな、ろうそく一本持って洞窟に入って、途中で消えたらどうすんのよ!?……と思ったが、実際には洞内は点々と照明が下がっていて、ろうそくは気分演出アイテム的な感じ。歩く風圧で3,4回消えたので、本当にこれしか照明がなかったらヤバイところだった(洞内に何カ所か立っていたろうそくで再点火した)。

写真のように入口は小ぢんまりと素っ気ないが、江戸時代まで拡張が重ねられた洞内は想像以上に深い。現存部分で500m以上、すでに崩れた部分も合わせると総延長は1kmを超えるそうな。順路をゆっくり歩いて、出てくるまでに30分ほど掛かった(ちなみに洞内は息がなんとなく白くなる程度に冷やりとして、しかも平日とあって私一人しかいなかった)。

通路は、広いところは十分に立って歩けるが、ところによっては天井が低く、かがんで進む必要がある。所々に小部屋があり、壁面や天井に仏像や霊獣その他のレリーフがある。坂東三十三観音霊場、四国八十八霊場ほか、全国百八十八霊場が勧進されてそのご本尊が並んでおり、この洞窟をめぐると百八十八カ所を巡礼したことになるらしい。なんてお手軽な!……はっ、まさか逗子の巡礼古道の「奉納百八十八番」石碑は、ここで巡礼を済ませてないだろうな!?

そういえば、「横浜市内に現存する磨崖仏は、鼻缺地藏白山道奥磨崖仏の2つしかない」と聞いたが、この石窟内のレリーフは「磨崖仏」に勘定されないんだろうか? 文字通り崖にないとダメ?

鎌倉近辺のめぼしい寺社は行き尽したような気になっていたのだが、まだこんな見応えのある場所が残っていたとは思わなかった。寺マニアも洞窟マニアも見に行って吉なり。

●帰り、大船駅の東口側に渡ってBOOKOFFに寄り(何も買わず)、そのまま北鎌倉駅まで歩く。

20170511_165848 ●判る人には判るロケーション。常楽寺交差点北側の坂。

「タケシくんもやっぱり『どうでしょう』のペースつかんでいかないと。
いいですか。四六時中面白いわけじゃないんですよ『どうでしょう』は。
……
あせっちゃダメだよタケシくん。
どうしてもね、あせって面に寄っちゃったりするでしょ?
ダメダメ。そうそう出ないんだから。
釣りと一緒だよ。何回もバラすんだから。
でもね、どっかで『クッ』と掛かるから。」

ちなみに「つるおかはちまんぐう」じゃないですよ、「つるがおかはちまんぐう」ですよ藤村D。

20170511_171545 ●北鎌倉駅近くの踏切。権兵衛、who?

このサイトによれば、昔のこのあたりの大地主の名前だそうだ)

ちなみに北鎌倉駅下りホーム沿いの道の素掘りの洞門(通称:緑の洞門)を「崩す/崩すな」の問題はまだ決着しておらず、ロックアウトされたままになっている。釈迦堂切通もそうだが、素掘りの外観のまま固めて補強するといったような技術ってないんですかね?

●このところの散歩途中の花や虫など。

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近所のウツギ。咲き揃ってしばくすると、例年通りにウツギヒメハナバチが来始めた。小さな体を黄色く花粉まみれにする働き者。といっても、年間、この半月くらいしか働かんしな。コマルハナバチ以上の短期限定季節労働者。なお、今年は去年までよりマルハナバチを見かけることが少ない気がする……。実際に数を減らしていたりしないか、ちょっと心配。

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大切岸、モミジイチゴやナワシロイチゴと一緒に藪を作っている、同じくバラ科っぽい小灌木がちまちました花を付けていた。調べてみると、コゴメウツギというらしい。(上の)本家ウツギはアジサイ科、こちらは枝葉の印象通りバラ科で、「小さな白い花がまとまって咲く」以上の共通点はないようだ。よく見ると花びらが大小交互になったような花の形が面白い。

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ホウチャクソウはほぼ終わりだが、山道のあちこちでタツナミソウが咲いている。確かに名前通り、北斎の神奈川沖の波頭のような。ご近所ではこれの白い園芸種もよく見かける。

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1枚目はちょっと前に新宿の路地の生垣で見つけた、やたら肩の角が立派なカメムシ。その立派な角と背中の白紋2つでウシカメムシと判断。闘牛の風格。2枚目は大切岸で撮ったツヤツヤメタリックなハムシ。割とたくさんいる。おそらくバラルリツツハムシ。3枚目はハイランドの端のツツジの生垣に何匹も飛来していたジャコウアゲハ。

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世話もしていないのに毎年よく咲く玄関先のラベンダーにやってくるミツバチ(おそらくニホンミツバチ)。

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バレンタインの日(4)

●恒例、週末戦車親父さんのところの「SUMICON2017」もスタートしているのだが、そちらは数日前にエントリーだけはしたものの、まだまったく手を付けていないので、また今度。

●その一方で、すぐに完成させるつもりもないバレンタインは相変わらずちまちまいじっている。

タミヤのバレンタインの“鼻先”(防盾)がどうやら前後方向にだいぶ寸詰まりっぽい点については以前にも書いたが、同軸機銃基部の仕様変更の結果、さらにそれが強調されてしまった。基本、放置の方針でいたのだが、見るたびにどうにも気になって来て、結局、(すでに俯仰軸パーツに接着してあったのをもぎ取って)手直しすることにした。

下面に関してはエッチングソーで切り離してプラバンをサンドイッチ(写真右)。上面は縦に伸びている部分を削り取って鼻の延長とし、改めて縦部分をプラバンで新調(写真左)。防盾カバーに掛かる左右の円部分は削り取り、プラバンで新調した半円を後ろにずらして貼った。

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実際に砲塔にセットしてみた感じは以下。目分量での適当な作業なのだが、キットパーツに比べて1mm強前進している。

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この後、もう少し形状をいじったり表面処理をしたりするかも。また、この工作の結果、当然ながら砲身も前進することになるが、そのままでよいのか、防盾のぶん切り詰める必要があるのかは未検証。

カナディアン・バレンタインへの挑戦をしているhnさんも防盾の寸詰まり解消工作をしていて、砲付け根正面の楕円平面部分の強調など、形状修正がさらに本格的。AFVクラブの防盾パーツとの比較もあるので、ぜひ参照されたし。

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