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双体道祖神

●先日、図書館から借りてきた資料、逗子市教育委員会(昭和58年)発行「逗子市文化財資料集(II) 路傍の石仏その二」を読んでいたら、興味深い記述があった。曰く、

昭和五十六年三月に「神奈川県の道祖神調査報告書」が県の文化財保護課から刊行された。これを見る限りにおいても三浦半島には、双体道祖神の塔は一基もないと言えそうである。ところが小坪には七基この塔が残されていたのである。

なお、この記述だと「神奈川県の道祖神調査報告書」に小坪の道祖神が漏れているように読めてしまうが、小坪の道祖神で検索してみると、「神奈川県の道祖神調査報告書」を手掛かりに訪れている人もいるようなので、おそらく「小坪のほかには一基もない」ということなのだと思われる。

主に村の守り神として置かれる道祖神のなかでも、双体道祖神は男女2神が一組となったもの。wikipediaの記述によれば、双体道祖神は関東甲信越に多いが、「山間部において濃密に分布する一方で平野・海浜地域では希薄」だそうで、それがどうして小坪にだけ7基もあるのか、なかなか面白い(といったところで理由は判らなさそうだが)。

ちなみに、みうらじゅんが「ほぼ日刊イトイ新聞」で語っているところによれば、長野あたりには歓喜天のように抱き合った双体道祖神もあるのだそうだ。ちなみのちなみに、長野の地場の出版社、ほおずき書籍出版というところから、「信州双体道祖神めぐり」という本が出ているらしい。うわ。なんかちょっと欲しいかも。

そんなこんなでいろいろ興味を惹かれたので、上記資料をもとに、散歩がてら小坪漁港あたりを歩き回ってみた(7基とも漁港周辺の神社にある)。

▼子之神社(小坪5丁目6)

小坪港前交差点脇。鳥居脇の「子之神社」と大書された石碑のそのまた脇に、庚申塔などと一緒に立っている。子之神社そのものは昭和になるまで幾度か場所を移っているそうだ。

小坪に残った7基の双体道祖神の中では、おそらく最も保存状態がよく、根元部分に若干の欠けはあるものの、2体の道祖神の衣服のディテールや顔もしっかり残っている。

もっとも、左右よく似通っていて、どちらが男神でどちらが女神なのかちょっとはっきりしない。わずかに背が低い、向かって右が女神だろうか? ちなみに「双体道祖神」で画像検索してみると判るが、べつにどちらが左右か決まりがあるわけではなさそうだ。

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▼神明社(小坪5丁目7−29)

元々の地区名で言うと西町の鎮守で、食堂「めしやっちゃん」の脇を入って山の中腹にある。その神明社の石段脇の小石塔群のなかに、3基の双体道祖神がある。まずは全景。

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個々の双体道祖神を階段上から順に。

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1基目は横一文字にひびが入っているものの、3基のうちでは最も保存が良い。

2基目はその気になって見ればうっすらと2体浮き上がってはいるものの、ぱっと見には正体不明の石板に近い。前述の資料「路傍の石仏その二」に掲載された写真だともうちょっとはっきり人の形をしているので、30年余りでさらに風化が進んでしまったものらしい。

3基目は双体道祖神であることははっきり判るものの、破損が激しく、だいぶ残念な状態。

▼八幡宮(小坪4丁目9)

旧地区名だと南町と伊勢町の境目くらい。小坪村総鎮守の天照大神社を下ったあたりにある。双体道祖神は、社殿脇の小さなコンクリートの祠の中に納められている。割と平板な浮彫調。

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▼諏訪神社(小坪4丁目19)

八幡宮裏を過ぎて、ほとんどハイランドまで上り詰めたあたり(というよりほとんど大崎公園入り口脇)にある小さな神社。八幡宮同様、社殿脇の小さな祠に納められている。保存状態は比較的良好。

ちなみに諏訪神社は、もともと佛乗院裏の山の中腹にあったものが関東大震災の時に倒壊し、その後現在の場所に移ったとのこと。この道祖神も元の諏訪神社境内にあったものか。

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▼一之宮神社(小坪4丁目3−9)

小坪郵便局裏手にある。前述の資料「路傍の石仏その二」には、「高さ41cm」「木の祠の中」とある。同神社社殿の周りには木の小さな祠がいくつかあるのだが、その中身で、双体道祖神の可能性のあるものは写真(左側)のものだけだが、表面は風化・摩耗してしまい、そもそも何か彫ってあったのかどうかさえよく判らない状態。祠正面の格子の合間から撮ったので、ますます何だかよく判らなくなっている。

前出資料の前巻にあたる「路傍の石仏その一 逗子市内の庚申塔」には、

社殿の左手に木造の祠があって、この中に双体道祖神の石塔と、丸みのある自然石に「猿田彦大神」と刻んだ、明治二十四年建立の塔が、いっしょに祀られている。

とある。実際、同じ祠に「猿田彦大神」があったので(写真右)、やはりこれが双体道祖神で間違いないようだ。なお、「路傍の石仏その二」には7基中6基の双体道祖神の写真が掲載されていて、なぜかこの一之宮神社のものだけは外されている。「路傍の石仏その二」編纂時に、すでにかなり摩耗していて「載せてもしょうがない」と判断されたのかもしれない。

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Googleマイマップで位置を記入してみた。神明社に3つ集中しているので、ポイントとしては5カ所。

●道祖神巡りの途中で見かけたスミレ(おそらくタチツボスミレ)。

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●以下、3月8日追記。

逗子市立図書館で、上記に名前が出ている資料、「神奈川県の道祖神調査報告書」(神奈川県教育庁文化財保護課発行)を読んでみた。

上で推察した通り、小坪の双体道祖神はしっかり(7基すべて)取り上げられていた。また、どうやら双体道祖神のみならず、道祖神それ自体、基本、逗子市内では小坪にしか存在しないらしい。例外として、桜山に一基、「道祖大神」と刻んだ石碑があるそうで、これは明治の末に個人が建てたものだそうだ。

さて、この「神奈川県の道祖神調査報告書」に、小坪の道祖神に関して興味深い解説が出ている。

まずその呼称なのだが、

小坪の道祖神は七基とも全部「ドウロクジン」と呼ばれている。文字ではどのように書くのか、よくわかっていない。「道陸神」なのか「道六神」と書くのか、集落の人々は知っていない。

もっとも今では「どう書くのか」以前に、「ドウロクジン」と呼んでいたことさえ知っている人は少ないかもしれない。(もともとここの出身ではない私はもちろん知らなかった。)

また、大正末期までは、「サイトウ」と呼ばれる火祭り(=左義長、いわゆるどんど焼き)のたび、「ドウロクジン」石塔を火の中に放り込んでいたらしい。いや、そりゃ割れたり傷んだりするわけだよ! そんなわけで、道祖神塔はたびたび造り替えていたのだそうだ(以上は簡単にだが最初に出した資料、「路傍の石仏その二」にも書いてある)。つまり、上写真の中でも状態のいいものは、比較的近い時代に新調されたものなのだろう。これについてのもう少し詳細な記述を引用しておく。

 大正のなかば頃までは、一月十四日の朝、六時頃、まだ船が出ないうちに各神社毎に「サイトウ」の火を焚いた。沖へ出る前に火にあたっていったのである。このときお宮から若いしが「ドウロクジン」塔を運んできて、火の中に入れて焼いた。集落によって多少のニュアンスの違いはあるが、この一年間病気とか、数々のわざわいが家々に起こった。それらの全部を「ドウロクジン」に背負っていってもらう。そして焼き払ってもらうという意味付けをしている。集落によっては塔を火の中に入れず火の傍に置いて、火が燃えている間、塔に「おみき」を振りかけ、禍いを払ってくれることをお願いするというところもある。
 ある老人は、道陸神は書き役で、村の辻に立って入ってくる禍いを細大もらさず記録している神様だから、「サイトウ」の時に禍いを書きとめた帳面を全部焼き捨ててもらうのだと話してくれた。
(中略)
 祭が終わってから、子供たちは、家々からお賽銭を集めて、菓子などを買ってたべていた。お金を集めるとき子供たちはモッコに入れた道陸神塔を天秤棒でかつぎ、次のような唱えごとを一斉に唱えながら、各戸をめぐり歩いた。「どうろくじんのかんけい(勧化ではないだとうかと一柳太郎氏は教えてくださった)ぜねくれねえとぶっこむぞ。」
 お賽銭をくれない家があると、その門口に塔を置いてきてしまったのだという。大正の終わり頃まではこのようなことが続いていたという。

道祖神が帳面に禍を書きつけているという話は、庚申の言い伝えの三尸の虫と何か混じっているような気もする。

 

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コメント

たしかに、横須賀三浦へんでは庚申待の青面金剛はごろごろしてますが
道祖神は見かけませんね。
わたしが見落としてるだけかもしれませんが。

投稿: みやまえ | 2017年3月 5日 (日) 21時29分

>みやまえさん

上に名前の出ている資料、「神奈川県の道祖神調査報告書」を図書館で出してもらって読んだのですが、三浦市内には、姿形を彫った道祖神は1つしかないそうです(双体ではなく単体)。ほか、道祖神として祀られている「ごろた石」がいくつかあるのみだとか。
横須賀市のページもあったのですが読み落としました。

投稿: かば◎ | 2017年3月 8日 (水) 18時58分

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