猿島
●三浦半島の付け根に暮らして20年以上になるのだが、比較的「ご近所」であるにもかかわらず、これまで行ったことがなかった横須賀の猿島に初めて行く。
「横須賀市民割2017」として、猿島航路や記念館「三笠」入館料などが、今月一杯割引になっていたため。名称は「横須賀市民割」だが、横須賀市民だけでなく(逗子を含む)近隣市町民、横須賀市の国内友好都市住民も対象。
猿島は三笠公園から船で10分と、目と鼻の先に浮かぶ小島だが、東京湾内の自然島としては最大である由。明治時代から、東京湾および軍港横須賀の防衛のため要塞化され、その軍事遺構が多く残る。
同行はかみさんとちび。かみさんは子供が小さかった頃に来たことがあり、その頃は猿島側船着き場近くのレストハウスもなく、弾薬庫も勝手に入れたようだ。ちなみに今回は案内ツアーに参加したので、弾薬庫の一つに入ることができた。
●猿島内の写真あれこれ。
レストハウス近くの小さな建物。何やら使用中の機械設備が入っていて、屋根もトタンなのでぱっと見で判断に困るが、実際には明治時代に建てられた探照灯用の発電棟だそうだ。
島のほぼ中央を横切る切通しと、そこに設けられた弾薬庫。もともとは明治時代、東京湾防衛用に設置された要塞砲用に作られたもので、古い時代を示すフランス積み(表面が長短長短になる)のレンガが特色(写真3枚目)。弾薬庫は砲台の直下に設けられていて、弾薬庫内に入ると、部屋の角に揚弾用の縦穴がある(写真4枚目)。
なにしろ明治時代の設備なので、弾薬庫内の照明はランタンだったそうだが、火薬に引火することを防ぐため、弾薬庫のすぐ脇に別に細いトンネルを掘り、弾薬庫との間に嵌め殺しのガラス窓を設けて、その外側にランタンを置いたとのこと。写真5枚目はそのランタン室の入口(右側にわずかに見えているのが本来の弾薬庫入口)。
切通しを北に歩くと、やはりフランス積みレンガの長いトンネルがある。トンネル好きとしては惚れ惚れとしてしまう綺麗なトンネルで、アーチ部分のエッジが妙にシャープだが、これはオリジナルの状態なのか、修復されているのかは知らない。出口側は下り坂になっている。
島の北側には、割合狭い間隔で、第二次大戦前に設置された海軍の高角砲台座が並んでいる(写真1、2枚目)。逗子の披露山公園の猿山・展望台・花壇も、もとはこんな状態だったのだろうと思う。2枚目はコンクリート製台座中央の、砲を固定していたらしいボルト。
3枚目は島中央部上の、明治時代の要塞砲の砲台跡。周りの放射状の横穴は揚弾された弾薬を収めるのだろうか? 向こう側の大きな穴の用途は?
このサイトの解説によれば、島中央部の第二砲台に設置されたのは二十四糎加農砲(4門)、北部の第一砲台に設置されたのは二十七糎加農砲(2門)であったらしい。この写真は前者。
●やはり「横須賀市民割2017」の対象だったので、久しぶりに三笠にも入った。
1枚目:海側から見た三笠(猿島からの帰りの船から撮影)。
2枚目:さかみ。
3,4枚目:副砲ケースメート内側。砲操作員はそのまま砲郭内が寝室でもあった由。
5枚目:艦首左舷の錨。オリジナルかどうかは不明。
6枚目:艦橋、操舵室。
7枚目:鎮遠の主砲弾。
8枚目:ごく一部だけ残っている、オリジナルのチーク材甲板。
9枚目:日本海海戦戦利品のロシア海軍旗と、水兵の帽子の艦名リボン(海防戦艦アドミラル・セニャーヴィン)。
●その他の横須賀ネタ。ヴェルニー公園での写真2枚。
1枚目:以前、船の科学館にあったという戦艦陸奥の主砲がヴェルニー公園に移設されている。現在はまだ周囲が囲われていて公開に向け整備工事中。
2枚目:公園向かいの海自潜水艦基地に泊まるそうりゅう型。写真では判りづらいが、2隻サイド・バイ・サイドでぴったり並んでいる。艦尾から激しく潮吹き中。wikipediaによれば、横須賀にいるそうりゅう型は第二潜水隊群の「ずいりゅう」「こくりゅう」だが……まあ、ぱっと見の区別なんて無理ですな。
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