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2016年12月

マイバッハT-IV

20161230_231003 ●突然だが、レベル72のIV号戦車H型(Revell 1:72 Pz.Kpfw.IV ausf.H)を引っ張り出してきた。

今回、デザートコンでクルセーダーを作るにあたって、ミニスケールの塗装の場数をちょっと踏んでおこうと思ったというのも理由の一つ。というか、ついでに作っちゃえ(塗っちゃえ)と思ったというのが正直なところかも。

改めてscalematesで調べてみたら、このキットの初版は2000年であるらしい。発売されてそれほど経たないうちに買って組んだような覚えがあるので、その記憶が確かなら10年以上放置してあったことになる。

ちなみに5年前にも一度、「折角掘り出したうえ、工作はほとんど終わっているので、今度暇なときに塗って完成させてやりたい」なんて書いている。

●このキットは当初から、ブルガリア陸軍仕様で塗ろうと決めて作っていて、表題の「マイバッハT-IV」は、ブルガリア軍におけるIV号戦車の呼称。ブルガリア軍はIII突も使用しているが、そちらの呼称は「マイバッハT-III」。

マイバッハは両方の車輌が搭載しているエンジンのメーカー名だが、エンジンのどこかに彫られたメーカー名を見て、それを戦車の名前だと勘違いした?

いや、いくらなんでもドイツから供与された時に名無しの権兵衛戦車として来ているわけはないだろうから、戦車の名称はエンジンに基づくという、ブルガリアなりの何かルールのようなものがあったのかもしれない。

ブルガリアは1943年4月から1944年2月にかけて、97輌のIV号戦車(G~H型)を受領している。ソフィアの博物館にあるJ型は結構後期の生産車っぽいので、97輌の内ではなく終戦までにドイツ軍から鹵獲もしくは終戦後に接収したものかもしれない。

2011年9月の書き込みを見ると、おおよそ組み上がっているものの、砲塔側面ハッチ上の手すりは付いていない。

今回改めて取り出した時にはもう付いていたので、上の書き込みの後でちょっと作業したらしい。

アンテナケース、砲塔ハッチの雨どい、前面予備履帯のラックなどはそれ以前の工作。

今回、「今度こそ工作を終わらせよう!」と奮起して追加したのは、

  • 車体後面のワイヤー掛けが単純な棒状突起モールドだったのを真鍮線のくの字金具に交換。
  • 砲塔旋回用エンジンのマフラーに排気口を真鍮パイプで追加(下写真ではまだ工作していない)。
  • 砲塔キューポラ前に直接照準棒を追加。
  • 前面牽引具にピンとその取っ手を追加。
  • 砲塔前部左右、戦闘室前部左右に吊り下げフックを追加。

吊り下げフックはプラペーパーでおむすび型の台座を作って貼り、その中心にエナメル線を曲げて潰して作った極小フックを貼った。流石に小さすぎて、盛大にパーツを飛ばしたり落としたりした。なお、砲塔後面の吊り下げフックは、すでにシュルツェンまで接着済みであり、カステンに隣接して見えづらい箇所でもあるので省略した(というかサボった)。

これでとりあえず工作は終了したはず。

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●本年はこれが最後の記事になります。皆さまよいお年を。

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First to Fight 1:72 PRAGA RV 6輪トラック

●25日の東京AFVの会の折に仕入れた戦利品。サニーで買ったFTF(First to Fight)1:72のPRAGA RV 6輪トラックのイン・ボックス・レビュー。

「Wrzesień 1939(1939年9月)」というシリーズ名の通り、1939年9月のポーランド戦役に登場した独ポ両軍の車輌・砲・フィギュアに特化しており、インジェクション・キットではこのシリーズでしか出ていない!という珍しいアイテムがいくつか入っているのも魅力。このプラガRVも、インジェクションでは現在唯一。将来的にも当分は出そうにない気がする。

ちなみに私がFTFのキットを買うのは数個目で、最初に買ったC2P牽引車の製作記はこちら。wz.34装甲車2種のレビューはこちら

20161226_215837 ●このキットが出るまで、そもそもきちんと意識したことさえない車輌なのだが、幸いなことに英語版wikipediaに簡単ながら解説が出ていた(英語版以外は、チェコ語版、スロバキア語版、ドイツ語版。12月27日現在)。

それによれば、1935年から39年にかけ、チェコ・プラガ社で生産された軍用オフロード・トラックで、チェコスロバキア軍で物資・人員輸送、救護、砲牽引に用いられ、後にはドイツ軍、ルーマニア軍でも使用。また、 イラン、ポーランド、スウェーデン、スイス、トルコに輸出されたとある。ページ右の要目欄によれば、生産台数5500輌。

また、プラガ社自体の歴史的製品のページでも解説されている。

第二次大戦中のスロバキア軍の資料本、“GERMANY'S FIRST ALLY - ARMED FORCES OF THE SLOVAK STATE 1939-1945”でも使用装備のリストページに出ていて、ここでは生産数は「3000両以上」になっている(いずれにしても結構な数だ)。ここでは、チェコ解体後、1939年の開戦直前に、ドイツ経由でポーランドに300輌が輸出されたことになっている。ちなみにRVは「Rychlý Vojenský=Fast Military(高速・軍用?)」の頭文字である由。

このシリーズ共通の体裁として、おおよそA4版の表紙含め12ページの資料ブックレットが付属していて(割と窮屈に折りたたまれて箱の中に入っている)、それにはこの車輌の概略と、ポーランド軍における活躍のエピソードなども書かれている……ような雰囲気なのだが、全編ポーランド語のみなので、何が書かれているやらちんぷんかんぷん。このシリーズのブックレットを英訳して公開してくれるサイトとかないものだろうか。

表紙と、中途の2見開きを見本で下に。ちょうど真ん中の見開きでは、塗装解説を兼ねて4面図が出ているのもシリーズ共通フォーマット。

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●このキットは製品番号34番(PL1939-034)だが、実はFTFでは、これ以前にも製品番号30番でプラガRVを出している。どうやら、30番は幌をかぶせた状態、この34番は幌無しの代わりに荷台にベンチが付くという仕様であるらしい。それほどのパーツ数でも無し、コンパチにしてくれてもいいような気も……。

というわけでパーツ枝写真を以下に。

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メインのパーツの枝が2枚(といっても、実際には大きな1枚のパーツを、箱に入るように真ん中から2分割しているだけ)と、上記の荷台のベンチ+幌骨パーツの小枝が1枚の、計3枚。デカール等は付属していない。

荷台床パーツの上にぽっかりとパーツを切り欠いてあるのが、30番のキットで幌パーツが入っていた場所のようだ。

20161226_233721 ●主要パーツのクローズアップ。キャビンは、ボンネットから前面のラジエーターグリルまで、スライド型を使って一発成型。ボンネット上の蝶番も、前面ラジエーターグリルもかなり繊細な表現。一発成型ながら、ちゃんとインパネに計器のモールドもある(正確かどうかは判らないが)。ただし、ボンネット周りに比べてキャビンそのものは若干大味。ドアの後ろの筋彫りもなかったりする。

フロントウィンドウは右左でわずかに大きさが違う表現になっている。ここは実車では開口部の大きさそのものはたぶん同じなのだが、左ウィンドウは嵌め殺し、右ウィンドウははね上げられるようになっているために枠が二重になっているためややガラス面が狭い、というのを表しているようだ。……何か余計なことをしているような気も(笑)。

20161226_233517 荷台側板は幌をかぶせた仕様と共通パーツで、そのため、幌骨の下半部がそのままモールドされている。このキットの使用では、幌骨はキャビン後半に束ねて装着するようになっているため、その通りに作るのなら、このモールドは削り落とす必要がある。

ちなみに荷台に装着するベンチは、ボックスアートにもあるように、横方向に4列置くように指示されているのだが、実際には、戦時中に荷台に兵士が乗り込んだ状態の写真を見ると、どうもそんな向きには置かれていない可能性があるらしい。例えばこのページに検証が載っている。

20161226_233642 車輪パーツはこのような感じ。タイヤ側面がぺったんこなのはイマイチ感はあるものの、ミニスケールのタイヤ・パーツとしてはまずまずだろうか。

トレッドパターンは、もうちょっと独特なパターンのものを履いている例が多いような感じだが、そこまで要求するのはちと贅沢かも。

●戦利品その2。1-colour氏から、T-34用のレジン製のアフターパーツを2種貰った。

20161226_233918 Tiger Model Designs製、「TANK MAKER」というレーベルの製品で、左側は、「第174工場製車輌の車体後面パネルのヒンジと車体前部・誘導輪位置調整装置のボルト(フタ)」、右側は車体後面パネル中央のミッション点検ハッチ(183工場製車輌用)・ドラゴン用」。

後者に関しては、ドラゴンの初期のT-34-85では同パーツの最上部ボルト頭が忘れられていたので、その代替パーツということらしい。これに関してはその後改善された……と思っていたのだが、つい今、T-34-76のキットを見たら、やはりボルト頭がなかった。というわけで、今でも使い道はあるかもしれない(もっともこのパーツの裏側にはべったり湯口があり、キットのパーツにボルト頭をひとつ足した方が簡単かもしれない)。

前者は、T-34の生産工場の中でもだいぶマイナーな174工場製車輌への改造パーツ、ということになるのだが、そんな微妙なパーツであるにもかかわらず、なぜか10輌分前後のヒンジが入っている。どんなT-34マニアだって、174工場の生産ラインのジオラマでも作ろうと思わない限り、一生の間にそんなに174工場製T-34を作ったりしないよ……。

写真の状態は、半分近くを青木氏に分けた後。青木氏が言うには、「パネル下部の2カ所のヒンジだけでなく、ミッション点検用の丸ハッチのヒンジも同形状」とのことなので、1輌あたり3つのヒンジを使うことになるが、それでも4輌分以上ある。はっきり言ってメーカーの真意を質したいレベル。せっかくもらったので、いつか174工場製T-34を1輌くらいは作ろう……(いつか)。ちなみにパーツの形状自体は、青木氏曰く微妙だそうだ。

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東京AFVの会2016

●12月25日日曜日、下北沢の北沢タウンホールで開かれた「東京AFVの会」に出掛ける。ほぼ開場時間の朝10時ぴったりに着。

作品は年初に作ったCAMsの1:35ビッカース水陸両用戦車と、コミンテルン・モデルズ/SKIF1:72のGAZ-AA+ZiS-2対戦車砲を持参。情けなくもT-34 STZ1942は間に合わなかった(ケン太さんに「あれだけ嬉々としてクルセーダーをいじってたら、そりゃ間に合わないでしょう」みたいなことを言われた。……まったくその通りでありぐうの音も出ませぬ)。

●会場で1年ぶりのケン太氏、1-colour氏らSUMICON勢にお会いする。前日押し入れや屋根裏を漁って掘り出した不良在庫品を1-colourさんに押し付ける進呈する。RPM/Mirageのヴィッカース6t/T-26系2種、タミヤのKV、TOKOのGAZ-AAA、RPMのTKS、REMIのバキュームの壊れた教会の壁などなど。

腹丁・青木氏、むー氏、シェル氏、はーぷ氏ら旧nif勢とも会って旧交を温める。ここ数年、東京AFVの会終了後は青木氏と酒を飲んでアホな話をするのが常だったのだが、今年、青木氏は当日直接関西に帰る予定だったので果たせず。

●会場で撮った写真あれこれ。今年は去年よりさらに参加作品数が多かった気がする。混んでいる会場内でのこと、知り合いの作品を中心に適当に撮っただけで、しかも慣れないスマホでピンボケ多数のため、掲示できる写真が少ない。結構な数あったジオラマ作品もほとんど撮っていない。そもそも各部門入賞作・特別賞受賞作を(クリスマス特別賞受賞のケン太さんのAMXを除き)1つも撮っていない。なんのこっちゃ。

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●静岡の合同展もそうだが、こういうイベントに出ると、その場の空気に当てられて、次回までの1年間に5個や10個の完成品はできてしまいそうな気になる(当然できない)。……まあとりあえず、来年は今年持っていけなかったT-34と、現在製作中のクルセーダーは持って行きたい。

●しばらく前に、何かの製品に関して調べていて、下北沢のサニーに在庫があるというのを知って、「AFVの会の時にサニーに寄って買おう」と思ったようなボンヤリした記憶があるのだが、何だったのか結局思い出せなかった。

代わりにと言っては何だが、FTF 1:72のPRAGA RV 6輪トラックを買ってきた。レビューはまた改めて。

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砂漠の十字軍(3)

●週末模型親父さんのところの「デザート・コン」参加作、エアフィックス76(公称)のクルセーダー製作記。

●いかにもクリスティー戦車の系譜らしく、クルセーダーの転輪はゴムリムに穴が開いているのだが、キットの転輪パーツはドーナツ型の凸モールドで誤魔化している。

20161217_170036 ちょっと試しにいくつか穴を開けてみて、どうにも面倒くさいし工作精度も安定しないので一度は「やめよう!」と思ったのだが、ケン太さんがメルカバ後部ラックのパンチングボードのパーツを全部ドリルで開口するというトンデモナイ工作をしているのを見て改心。改めて挑戦し、なんとか全部穴を開けた。

開口位置のガイドとなるキットのモールドは頼りなく、そもそもゴムリム自体の幅さえ一定していないので、よく見ると穴位置はだいぶガタガタ。写真の第2転輪の一番右の穴はかなりずれているが、さすがにこれは、この後埋めて開け直した。

●砲塔の工作に入る。

砲塔上面はエッジ部分に(伸ばしランナーで)溶接ラインを追加。

防盾は、キットのパーツでは左右ほぼ対称形になってしまっているが、右機銃部は半円筒断面ではなく、もっと角ばった形状をしている。プラ材や瞬着を盛ったり削ったりして、なんとなくそれらしい形状に直す。本当はもっと下方向に長いのだが、さらにいじると失敗して台無しにしそうな気もしたので、そこそこのところでやめる。

防盾上部中央には吊り下げリングがあるので、0.5mmプラバンから削り出して取り付けた。

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砲塔本体四隅にも吊り下げリングがあり、こちらはエッチングパーツの枝部分(ドラゴンのT-34のもの)から削り出して製作した。同一形状のものを4つ揃えて作るというのは非常に面倒だが、しかも製作中に1個紛失して余計に作る羽目にになった。

特に前部のものは砲塔天井よりも上に出ていないといけないのだが、キットのモールドは小さ過ぎ/下過ぎるというのが作り替えた主な理由なのだが、実際には、作り替えたリングはちょっと大きすぎた。

同様に、右側面のサーチライト基部もエッチングの枝から製作。

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20161223_114708_burst01 ●車体後部に、アフリカ戦のイギリス戦車のお約束的な増加燃料タンクを取り付けた。

キットのパーツを元に、取付架部分は削り取って新造。左右の持ち手は真鍮線で作り替え。また上面中央に窪みを掘ってキャップを付けた。ハセガワ72などだとキャップから車体にホースが繋がっているのだが、これは常にそうなっているものなのかよく判らない(ので今のところ付けていない)。

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エアフィックス 1:72 カーチス・ホーク81-A-2

●なんだか、時たま書く新製品のインボックス・レビューが、やけにエアフィックスの比率が高い気がする。フォッカー&BE2cとか、アルビオンとか、ハリケーンとか、グラジエーターとか。それでいて、そのうちのどれ一つ手を付けておらず、作っているのは40年以上前のクルセーダーというところがまたなんとも。

20161221_234505 というわけで、また買ってしまった72のエアフィックス飛行機キット、カーチス・ホーク81-A-2(AIRFIX CURTISS HAWK 81-A-2)の簡単なレビュー。なお、ホーク81は米陸軍航空隊P-40初期型(C型まで)の社内呼称/輸出呼称で、A-2はP-40Bに相当する、らしい。

最近のエアフィックス製品のスタンダードであるインド製キットで、発売されたのは何年か前のこと。P-40初期型に関しては、モノグラムの48、アカデミーの72と、古いキットのストックがそこそこあるので、しばらくは横目で見ているだけだったのだが、結局、当今希な「1000円を切るプラモデル」の魅力に勝てませんでした。むがー。

72クラスでは太古のフロッグ、前述のアカデミーがあり(ちなみにアカデミーのキットは、フロッグをコピーして筋彫りを施し、小物はハセガワE/N型をコピーしたといった感じの怪しげなもの)、下ってAMLの簡易インジェクション、21世紀に入ってトランぺッターがある。トランぺッターもそこそこよい出来のようだが、胴体左のアクセスパネルが浮き出し表現だったり、車輪の径が足りないといった問題があるそうな(ネット上の評価)。

●というわけで、このクラスの決定版的な出来を期待してしまう新エアフィックスだが……。ざっくり言ってしまうと、

う~ん、いいんだけど……いまいち?

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主要パーツはグレーの枝で2枚+透明パーツ。72としては十分なパーツ構成。脚と車輪は収納状態と着陸状態でそれぞれ別のものが入っている。

コクピットは側壁は新しいエアフィックスの一連のキット同様、胴体内側に直接モールドだが、表面にヒケなどは生じておらず好ましい感じ。床面も、この機独特の形状を表しているようで、十分な出来。ただし、シートはパイロットのフィギュアを座らせるのが前提で、シートベルト等のモールドがないのも新エアフィックスのスタンダード。

透明部品の写真は撮っていないが、薄さ、透明度、枠の感じも良く、(合いは確認していないが)満足すべきレベル。トランぺッターの風防は(web上で写真を見る限り)枠がゴツ過ぎる気がする。

以上は割とよいと思える点で、ほぼ予想通り。

20161221_234901 ●イマイチと思える点は、胴体、主翼の筋彫りがかなり深めかつ画一的であること。もちろん昔の「マッチボックスの運河彫り」ほどでろ~んと幅広ではなく、塗ればそこそこ埋まってくれるだろうと思うが、それでも何となく面白みには欠ける。

グラジエーターやハリケーン、ブレニムの表面仕上げはもっと上品で雰囲気があった気がする。その辺が自国イギリス機とアメリカ機の扱いの差か!? ――などと思ったりもするが、単純にこちらのほうが発売が古くて、その後のキットでは改善されたというだけのことかも。

20161221_235128 このキットに関して、個人的に一番不満なのは、P-36~P-40系のお約束、翼端の削ぎ上がりが全く表現されていないこと。確かこの部分は太古のフロッグでさえ表現していたような気がする。21世紀のキットでそれはないだろう!って感じ。

ほか、いくつかちょっと不満/疑問な点。

・プロペラが細すぎる感じ。単に太さだけの問題ではなく、ヒネリが足りないために何だか「棍棒っぽい」印象になってしまっているかも。スピナーもちょっと細長いかも?

20161221_234947 ・車輪は新エアフィックス・スタンダードの自重変形表現付き。それはよいのだが、タイヤ断面にテーパーが掛かっていて、ホイールディスク部も含めた全体の断面がほぼ楕円形状。実際はもっと側面が膨らんで「タイヤらしい」形状をしている。タイヤのトレッドがつんつるてんなのもちょっと残念。

・機首上面はエアインテイクと機銃を表現するためにわざわざスライド金型まで使っているが、型の継ぎ目がちょっと荒っぽい。それは単純に丁寧に削ればいいだけだが、インテイク部と左右パネルとの継ぎ目(筋彫り)表現がここだけことさらに大袈裟。

20161221_235238 ・カウルフラップは閉状態、開状態の選択式。ところで、開状態のパーツはくさび形に大きく隙間が開いているが、ここって開いた時は隙間を塞ぐように薄板があるんじゃなかったっけ。実機写真を見ても、なんだか隙間が開いているように見える写真もあってちょっと謎。

・デカールは一種類。エアフィックスの新シリーズ72単発機キットは基本、デカールが1種類だけなのはちょっと寂しい気がする。このキットに付属しているデカールは(当然ながら)AVG(グライング・タイガース)所属機で、第3中隊「ヘルス・エンジェルス」所属の68番機(チャールズ・オールダー乗機)。

20161221_234720 デカールの選択としては妥当なのだが、青天白日の青があまりに淡すぎる気がする。ネット上に上がっている作例写真を見ても、キットのデカールを用いたものは青天白日が迷彩塗装に比べ明るすぎて、一見白丸に見えてしまう場合もある。……ついに、大昔に買ったマイクロスケールデカールに登場の機会が!?

●ここ最近の生活短信。

▼16日。また長野(佐久平)行き。今月1日に行った時は上着がお荷物になるほど暖かかったのだが、今回はキンキンに寒かった。駅前で白いジャリジャリしたものを踏んだので何かと思ったら、現地待ち合わせの人に「塩カル(塩化カルシウム=融雪剤)ですね」と教わった。今回の行きの新幹線の駅弁は「あなごの箱鮨」(福井)。浅間山が雪をかぶって綺麗だった。

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▼クルセーダーを工作していてドリルの刃(0.9mmくらい?)を落とした。作業中にぽろりと落として、しかも足元に落ちた音はしたのに、どうしても見つからない。解せぬ!(←今回デザートコンの標語)

▼21日、神宮前某社で打ち合わせ。原宿~表参道界隈なんて、何年振りやら。といっても副都心線を降りて明治通りに出て、ラフォーレをちらりと見つつ背を向けて、交差点には近づかず。ちょっと早く着いたので近くの寺(長泉寺)の墓地奥に並ぶ石仏群を眺めたりする。土手の上は山手線。右端の「鐡道轢死者」の鎮魂碑がおどろおどろしい。この日の帰りに横浜VOLKSで前記カーチス・ホークを購入した。

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▼本日(23日)これから実家に行き一泊予定。T-34間に合わん……。

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砂漠の十字軍(2)

週末戦車親父さんのところの「デザートコン」参加作、エアフィックス76(仮)のクルセーダーの製作記。別名「Re:解体から始まる異世界工作」。

●操縦席の左側は、銃塔を付けるか、大きな丸型ハッチを付けるかの選択式。一応、説明図では、Mk.IIとして作る際には銃塔、Mk.IIIとして作る場合にはハッチを付けるよう指示されているが、実際には、銃塔はMk.IIの初期までしか搭載されていないうえ、搭載されて生産された車輌も後から外してしまった例が多いという(それにしては、結構銃塔を載せたままの写真が多いような気もするが)。ちなみにタミヤの48Mk.I~IIのキットでは、Iでは銃塔を付け、IIではハッチを付けるよう指示されている。

20161212_213828_burst01 せっかくの初期型クルセーダーなので銃塔付きで組みたい気もするのだが、キットの銃塔は前部の形状があまりよくないうえ、車体に食い込むような格好になっていて、ちょっと修正が面倒。あっさり楽をすることにしてハッチ仕様とした。

ただし、キットのハッチパーツだと車体との間の隙間が大き目なので新造。円盤状のパーツは、ドラゴンのT-34-85の筒形増加燃料タンクのサイド部分をちょっとヤスったらピッタリはまったので流用した。

●このほかにも主に車体前部をあれこれ工作。

▼右フェンダー上の履帯ラック(の枠だけ)をエッチング・パーツの不要部分から製作。本来は履帯のピン穴に挿すためのロッドが縦方向に4本ついているのだが、穴開けが面倒で省略した。

▼前照灯2つは、キットのパーツに多少手を加えた(右のBOライトは庇部分を大きく新造。左はカバー?を追加)。ライトガードを真鍮線(0.35mm)で作り替え。4つの大きさ・曲がり・向きをきちんと揃えるのが難しく、真上から見られるとちょっと恥ずかしいレベルの仕上がり。

▼戦闘室前面と操縦席バルジ両側面に極小のリベット(本当は六角ボルト頭)を追加。ドラゴンのT-34の、使用しないプラパーツのグローサー結束ベルトからポチモールド(実際はベルト穴なのだが、凹を凸で表現している)を削り取って来て使用。ちょっと大きさが不揃い。

▼操縦席右側面にビジョンスリットと、謎の棒状突起を追加。

▼両フェンダー上の2連の工具箱に側面ディテールを(適当にそれらしくレベルで)追加。

▼サイドスカート上に、北アフリカ戦のイギリス戦車によく見られるレールを追加。タミヤのクルセーダーMk.I~IIの説明書では荷物を下げるラックとあるが、1-colorさんによればトラック偽装用幌(サン・シールド)装着用のものだそうな。もっとも、「サン・シールド」装着車の写真を見ても、きっちりこのレールに装着されているのかはどうもよく判らない。ちょい謎。

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スマホデビュー

●先月末に書いたように、震災直後から使っていた変なガラケー(富士通製F-04B)を水没させてしまったために、ついに先週からスマートフォン(韓国LG製LGS02)を使っている。

「まあ、使っていればそのうち慣れるよ」と周りにも言われているし、経験上自分でもそう思うのだが、とにかく今のところはほとんどちんぷんかんぷん。時折、何かの着信なのかお知らせなのか、短くバイブレーションが「ぶー」と鳴ったりするのだが、それが何だったのかさえ確認できなかったり。

ほぼちょうど1年前、PCを新しくした時にも思ったのだが、今のハードって、マニュアル的な紙の印刷物ってほとんどないんですなー。

●これまで使っていたガラケーは、キーボードユニットとディスプレイユニットが分離するという意味不明の機能がついていて、両方にバッテリーが入っているためにその分かさばるという「なんだこりゃ」な機種だった。唯一、1220万画素カメラ搭載で、虫の写真などを撮っても(マニュアルのピント機能はないので多分に偶然任せだが)時折結構綺麗な写真が撮れる点は気に入っていた(なぜそんな変な機種を使っていたかというと、機種変更時に、docomoショップの店頭で、「なるべく安くて、でも写真は綺麗に撮れるほうがいい」と言ったら、たまたま該当するのがコレだったため)。

とりあえず、スマホに替えてもカメラとしての用途は虫だの模型の進捗だのがメインとなる(すでに前回記事でも数枚は新しいスマホで撮っている)ので、引き出しの奥から「虫サイズ」の旧作を引っ張り出して写真を撮ってみた。

1:700 ファルマン1912年式水上機

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1:700 ツェッペリン・シュターケンR.VI

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ライティングだの何だのは全く工夫無く、単純に蛍光灯の下で撮っている。なんとなくピンボケ。求むスマホで(ある程度)綺麗な写真を(しかも楽に)撮れるノウハウ。

いやまあそれよりも、早く基本の操作を覚えないとなあ。

●ついでにネット環境も一新。プロバイダーがocnからJ:COMになった。

常用のメールアドレスもocnだったのでJ:COMのものに変更したのだが、その設定でまたひと悶着。

まずは、現時点で使っているocnのメールが、受信はできるが送信ができない状態になってしまった。

一方で新しいJ:COMのメールアカウントは、最初は送信も受信もできず。最終的には、windows10の場合はpopログイン名に@以下も必要(?)とか何とか、なんだか私にはよく判らないアレコレを試しているうちに、なんとか送受信ともできるようになった。

ocnの「送信できない」問題は、J:COMに問い合わせても(『それはocnに聞いてくださいよ』)、ocnに問い合わせても(『電信八号なんてマイナーなメールソフトの設定なんか判りません』)結局解決できなかった。まあ、ocnのアドレスを使うのは今月末までだし、受信だけできれば特に問題なし。

そんなわけで、メールアドレスが変わりましたので(直近、ある程度メールのやり取りがあった方には通知を差し上げましたが)、「おう、変わったんならこっちにも教えろや」という方がいらっしゃいましたらご連絡ください。

●後輩の村嶋君が手掛けた自主制作アニメが公開された。季節もの(?)。


●miniartから、同社III号戦車シリーズからの別売履帯が出た(製品番号Nr.35235)。

あれ?と思ったのが、その「Workable Track Links Set for Pz. III/IV. Early Type」という商品名。同社のサイトによれば、この履帯は

  • III号戦車A~F型
  • 突撃砲A型
  • IV号戦車A~E型

に適合、ということになっているのだが……。あれ。最近って、「初期のIII号戦車は36cm幅だけれど、IV号戦車は38cm幅だった」とかいう話になってなかったっけ。

そこでまた、「36cm幅というのは履帯本体幅で、ピンも合わせると38cm」とかいった話もあってなんだかまたややこしいことに。

ドイツ戦車の履帯だけの本、「Panzerketten: Die Gleisketten der deutschen Kettenfahrzeuge des Zweiten Weltkrieges」を見たりなんかすると、そのへんスッキリするのだろうか。

ちなみに当時の実車写真を見ると、III号戦車の初期型はセンターガイドの背が高くほとんど三角形に近いものから、割と普通の台形のものが多く、一方でIV号戦車の初期型は、逆にかなり背の低い台形のセンターガイドのものを履いている場合が多い感じ。少なくとも、多用されている履帯はIII号、IV号で別物らしい。

ちなみにPANZER TRACTSのIII号初期型の号によれば、使用している履帯は「Kgs6109/380/120」(リンク幅360mm、ピン長さ380mm)。IV号戦車のトラクツは手元にないが、サイト「Panzer IV Universe」によれば、A型が「Kgs6110/380/120」、B~E型が「Kgs6111/380/12」(やはりリンク幅360mm、ピン長さ380mm)だそうだ。

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砂漠の十字軍

●12月1日スタートで、週末模型親父さんのところで、「冬のテーマ別SUMICON」というか、その手のコンペ開催中。今回は「DESRET COMPETITION」と題して砂漠がテーマ。

10月末締め切りの「SUMICON 2016」のT-34は結局間に合わせることができなかったし、そのT-34を一応は年末の東京AFVの会までには仕上げたいと思っているし、そもそも砂漠戦というテーマで、作りたいキットがパッと出て来ないし(一応、北アフリカ向きのイタリア物ストック等々がないわけではないが)――。

ということで、今回は不参加だなあ、と思っていたのだが、たまたまストック棚の浅いところから、作りかけの古いエアフィックスの(公称)1:76クルセーダーが出てきたので、性懲りもなくこれで参加してみることにした。

Cimg1837m ●Airfix 1:76、キット名称は「CRUSADER TANK Mk II or Mk.III」で、一時期日本国内で出ていたツクダホビー版。wikipediaのエアフィックスの項によれば、ツクダホビー版は1988年の発売であるそうな。もちろん中身はもっと古く、scalematesによれば1971年の発売らしい。かろうじて60年代までは遡らないが、それでも45年も前のキットということになる。

先に「(公称)1:76」と書いたが、実のところ、車体長は実車寸法の1:76に比べると1cm近く長い(逆算すると1:68くらいになる)。ハセガワの1:72に比べてもだいぶ大きい。もっとも全幅はほぼ1:76なので、要するに、かなり細長いクルセーダーということになる。

実をいうと、「76なら、マッチボックスのダイヤモンドT戦車輸送車に乗せられないかな」と試してみたことがあるのだが、トレーラーをはみ出し気味になってしまった。残念。

なお、最近出ている版では箱に「1:72」と書かれて売られているのだが、これは「76より大きかったから72にしちゃえ」ということではなく、単に、76スケールが廃れてミニスケールの主流が72になったため、過去出していた76を(スケール的に正しく1:76であるものも)すべて72と詐称して売っているだけの話。あまり褒められたことではない。

さて、そんなふうにスケール的に半端なうえに縦横比がおかしく、さらにディテールに関してもかなりあちこちおかしいのだが……ざっと全体を組んでみると、実に格好良くクルセーダーらしい。

同じミニスケールのクルセーダーとして、ハセガワ72のMk.IIIがあるが、それが妙に不格好なのと好対照(ものすごく昔に作ったのだが、あまり知識のないその時でさえ、「なんか変だなコレ」と思った)。スケールモデル的にあっちこっちおかしいのは似たようなものなのに、なんでこんなに最終的な見栄えが違うのかが不思議。センスの差?

Cimg1917m ●さてこのキット、車体も砲塔も、基本形はまるっきり素組ですでに組んであった。今回のデザートコンは「組み立て途中の参加もOK」ではあるが、もともとパーツ数もそれほどない、古いミニスケールキットをそのまま完成させても面白みがないので、改めて多少手を入れてみることにする。

なお、キットは上に書いた名称の通りMk.IIとMk.IIIのコンパチで砲塔が2種類入っているのだが、リベット取りか何かに使ってしまったのか、Mk.IIIの砲塔は行方不明になっており、Mk.IIとして作ることにする(もともとそのつもりだったのでいいのだが)。

TFマンリーコさんに教えて貰った技だが、プラ用接着剤で付けてあるパーツは、エナメルシンナーを浸透させると比較的綺麗に分解できるとのことだったので、まずは左右のスカートを分解した(このキットは、クリスティー型サスペンションを表現するため車体下部側板が2重構造で別部品になっていて、足回りは別途組んで、スカートの下から差し込める)。

Cimg1918m スカートを外したのは、ハセガワ72クルセーダーの履帯に交換したいと思ったため。ハセガワの履帯の方がキットの履帯より若干幅広なので、スカートの内側を削って薄くする必要がある。

キットの履帯はやけに柔らかくフニャフニャになっていて使いづらく、昔の私も交換しようと思ったらしく、箱の中にハセガワの履帯が入っていた。右写真上がキットの履帯、下がハセガワの履帯。

もっとも、表面のディテールそれ自体はハセガワよりキットの履帯のほうがいい感じなので、お湯に入れるなどでフニャフニャが解決できるなら使いたいような気がする。ただし、フニャフニャ状態以外にもいくつかの問題がある。

 ・柔らかすぎるため、起動輪に掛かる部分の真ん中が著しく凹んでしまう。→起動輪の間に詰め物をするなどの対処が必要。

 ・裏面センターガイドが大きく偏っている。→なんとか誤魔化せる範囲内?

 ・長さが一周に足りない。→スカートに隠れるので無問題。

Cimg1932_2 ●車体に関する問題あれこれ。

車体長が公称スケールにくらべやけに長いのは前述の通りだが、これは、エンジンルームを中心に間延びしていることに加えて、車体自体を越えてフェンダーが大きく後方に張り出しているせいもある。

なお、クルセーダーはクリスティー式サスのため車体側面が二重構造になっているが、このキットは、車体下部はしっかりその構造がパーツで表現されているにもかかわらず、上面レイアウトはまったくそれに対応しておらず、本来一直線であるはずの内壁に対応したラインが凸凹になってしまっている(写真の黄色のライン)。特にエンジンルーム部分はこのラインがだいぶ内側になっていて、そのためエンジンルームがますます細長くなってしまっている。もちろん、これを直すなどということになると車体のスクラッチに近くなってしまうので、今回は手を付けない(というか何度作ってもたぶん手を付けない)。

ちなみに、ハセガワ72キットも、なぜかこれと同じ凸凹ラインになっていて、検証なしにエアフィックスのディテールを真似した可能性もありそう(もちろん、同一のいい加減な図面をもとに設計した可能性もある)。

Cimg1938m とりあえず、せっかくスカートを外したので、フェンダー長過ぎ問題には若干の対処をする。

後部フェンダーが長い分、大きすぎるエアフィルター(接着済み)を剥がして、キットでは表現されていなかった段差も付けて、起動輪に干渉しない程度まで長さを詰めてフェンダーを作り替え。これで、全長は1:70程度まで縮まった。

その結果、この部分はサイドスカートもそのままでは使えなくなったので、上端は段差に合わせて削り直し、後端はパネルライン部分で切り詰めるなどして対処した。

●エンジンルーム前側には左右に通風孔カバーがあるが、実車より傾斜がきつく、エンジンルームの間延び感を助長しているので、これも接着済みパーツを剥がし、形状を修整するとともに角度や向きも調整して取り付け直した(下写真参照)。具体的には、

 ・裏側にプラバンを貼って削り、外側に向けての厚みを強調。

 ・中央のパネルの手すりを真鍮線に交換。

 ・上掲の上面写真にあるように、これまではカバー中央のパネルのヒンジが左右とも前に来るようになっていたのを、右は逆方向になるように変更した。キットのパーツも外側が厚くなるように設計されているのだが、なぜか説明書の取付指示は間違っていて、その間違いに従って付けてしまっていた。。

 ・以前よりも傾斜がやや緩やかになるように取り付け。

カバーそれ自体の縦横比もおかしいのだが、これはエンジンルーム全体形状ともかかわるので直さなかった。

20161211_224205 ●もぎ取ったエアフィルターを小さく作り直した。フィルターの箱の前後に付く吸気ダクトは、プラバンに穴を開けた治具(と呼ぶのもおこがましいような治具)でランナーの輪切りを作り、これをCの字型に加工した。

本来はもっと凝った形状で、下側とフィルター本体の箱側の2方向にダクトが伸びているのだが、その辺の再現は(面倒だったので)端折った。それでなくてもこんな小パーツを10個作るのはげっそりするし。

20161211_233139_burst01 箱状の本体に、これら吸気ダクトを取り付けたのが右写真の状態。エンジンルームに繋がるパイプは、キットのパーツを少し削っただけで利用した。

こうしてみるとCの字ダクトはもうちょっと小さくてもよかった気がする(作り直さないけれど)。

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素晴らしきヒコーキ野郎(4)

●え? いつからの続きなのコレ?

……という感じだが、前回はここ(2009年11月23日)。というわけで、1:48のマーチン・ハンダサイド(Martin-Handasyde No.3)のやけに気の長い製作記(しかも今回も進捗はごくわずか)。

Cimg1876m ●6機種出ているこのシリーズのなかでも、マーチン・ハンダサイドはおそらく最も無名の機体で、資料もないことだし大らかに作ろう……なんて思っていた時代が私にもありました。ええ。

実際、7年前にちょっといじった時には、機体に関してはこのマーチン・ハンダサイド3号機の次代のものと思われる写真しか見つけられなかったのだが、今回、改めていじるにあたって検索してみたら、キットのもとになった3号機そのものの写真が出てきた。たとえばここ

ネット恐るべし……。

以前に書いたように、鶴書房のcolour pocket encyclopedia、「初期の飛行機」には、

1910年春、より大型の第2号機が登場した。この機体は、その後4年半の存続中、一連の改造をほどこされた。原型のビーストン・エンジンをJ.A.P.35HPに換装し、アントワネット型の安定機構は通常のものに改められた。「マーチン・ハンダサイドの第3号製作機」というのは、この改造を誤解したものである。

とあるのだが、実機写真を見ると、主翼下面に「No.3 MARTIN HANDASYDE」と大書されており、新造なのか2号機の改造なのかは別として、少なくとも3号機と名付けられた機体は明らかに実在していたことになる。

それはそれとして、キットと写真を見比べると、主翼と胴体の接合部に関してはやはり古いキットなりだとか、主翼の厚みがもっとありそうだとか、あれこれツッコミどころはあるものの、かなりよく特徴を捉えていることがわかる。IMPACTすげえ……。

Cimg1879m ●というわけで(7年ぶりの)ごくわずかな進捗。

アントワネット似の舟型の浅い胴体の内側をとりあえず茶色に塗り、胴体上面を接着。隙間を埋め、突起部は後から全部作り直すことにして削り落とし、表面をヤスリ掛けした。

都合のいいことにプラ色がベージュなので、それも活かしつつ、木製胴体の感じが出るように塗っていきたい。

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長野行き

●所用あり、11月30日、12月1日と2日連続で長野県往復。

1日目は飯田、2日目は佐久平。片や新宿から高速バスで中央道、片や東京駅から北陸新幹線。出発する方向からしてだいぶ違うところに、「長野県でけぇ」と思う。

●1日目、飯田。2年ほど前に伊那谷を転々と南下する仕事があり、その最南端が飯田市の元善光寺だったので、ほんの少し馴染みがある(その時には別に飯田市内をうろついたりはしなかったが)。12時半にJR飯田駅前で待ち合わせのために夜明けに家を出る。バスの乗車時間4時間少々。遠いよお。

仕事が終わって帰りのバスまで間があったので、NHKの人形劇で有名な川本喜八郎の人形美術館(が、市内にあるのだ)を見に行こうと思ったら水曜休館だった。げしょ。

鄙びた駅のお約束的建造物、古レール柱の跨線橋。

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駅前の彫像、りんごを持つ少女。市街中心にりんご並木がある。

Cimg1854m

マンホールのフタもりんご(大中)。仕事に行った先で、りんご並木で収穫したりんごで作ったジャムを貰った。

Cimg1860m Cimg1861m

なにを以て日本一なのかよくわからないが、妙に迫力のある店。

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●2日目、佐久平。新幹線の佐久平駅前で12時待ち合わせだったが、家を8時ちょっと前に出て11時過ぎ着。前日に比べると楽々。

行きは東京駅の駅弁屋「祭」で「ひっぱりだこ飯」を買って車内で食べた。タコが柔らかく美味。いやまあ、北陸新幹線で長野に行くのに明石の弁当ってのも変ですが。

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ちなみに新幹線の佐久平駅は橋上の改札を出て北側が浅間口、南側が蓼科口。北に浅間山、南に蓼科山があるからだが、それぞれまでの距離を考えると、逗子駅に「横浜口」と「江の島口」を設けるくらいのスケール感。

仕事が終わって、当たり前なら新幹線で真っ直ぐ東京まで戻るところ、在来交通機関を乗り継いで帰ってみようか、などとよからぬことを考えてみる。長野新幹線開通時に碓氷峠を越える信越本線は廃止になってしまっており、横川駅にたどり着くには軽井沢からバスに乗る必要がある。そんなわけで、小海線としなの鉄道線を乗り継いで軽井沢へ。

佐久平で小海線を待つ間に、仕事終わりの一杯。今年限定の味である由。独特の風味。アルコール度7%とちょっとキツめ。

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小海線は単線ディーゼル。佐久平駅は新幹線をまたいで高架。

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軽井沢にたどり着いてみたら、横川行きのバスまで1時間半も間があり、面倒になって高崎まで新幹線に乗ってしまう。横川で峠の釜めしを食おうと思ったのに!(もちろん、わざわざ横川に行かなくても軽井沢駅でも、東京駅の「祭」でも売っている)

代わりに、軽井沢駅は「駅そば発祥の地」と書いてあったのでそば(山菜そば)を食う。もっとも確証のある話ではなくて、他にも駅そば発祥の地と称する駅はいくつかあるそうだ。ちなみにここの駅そばは、峠の釜めしの「おぎのや」運営だった。

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●これから2カ月くらいの間に、もう2度ほど長野に行く予定。

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