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2016年10月

ぎんなん(2)

●ちびの運動会(小学校では初)。メインの出場競技がある午前中のみ観覧。小学校の運動会は久しぶり。

ただし1学年2クラスしかないうえ、近年の風潮として、勝負を争う競技はあってもあまりビシバシやらせることはなく、子どもたちにもなんとなくテキトーに感が漂っている。もっとも初運動会であるチビは、何日も前から、「赤組が勝つっ! 絶対勝つっ!」と激しくテンションが高かった(なお、実際に赤組が勝ったようだ。……おめでとさん?)。

●昼頃、行きだけ義妹に車で送ってもらって、再び田越神明社にぎんなんを拾いに行く。

ここ数日、天気は割と穏やかだったし、すっかり拾われていたらどうしよう、と思ったのだが、実際、積もるほど落ちていた先日とは打って変わって、参道とその脇にはほとんど落ちていなかった。

F1011405 ただしよく見てみると、そのまた脇の茂みの陰には大量に落ちていて、小さなバケツに半分くらい収穫した。写真は逗子市民にはお馴染みの場所、逗子海岸南端の、田越川河口に掛かる渚橋の上で。

バケツの色が前回と違うのは、前回は我が家のバケツ、今回は義妹の家のバケツであるため(「バケツとトング持って行くからウチに寄ってよ」と頼んだら、「路駐しにくいからウチのを持って行きなよ」と言われた)。

●帰宅して、今回は早速ざぶさぶと揉み洗いをしていたら、かがんだ拍子に胸ポケットの携帯電話がぽろりと落ち、見事ぎんなんの沼に水没してしまった。

これを惨事と言わずして子供たちはいつサンジのおやつを食べればよいのでしょう!(野田秀樹風)ってくらいの惨事。

ドロドロになっているのをとりあえず水で流して、ハンカチでぬぐって、さらにフタを開けてバッテリーを外して……なんたらかんたら。バッテリーを含め4カ所にある水没シールは、1カ所は完全ピンクになってしまった。

一時立ち上げてみたりしたが(その時に上の写真も転送した)、ネット上でみたら「とにかく完全乾燥せれ。すぐ電源を入れたりしちゃいかん!」とのことだったので(考えてみれば当たり前だ)、現在は開けられるところは全部開け、バッテリーもFDカードも外して、乾燥剤とともにジップロックの中。元通りに使えるといいなあ……。

●今日まで、鎌倉材木座の光明寺でお十夜だったはずだが、結局今年は行かなかった。御霊神社の面掛行列にも行かなかったし。

なお、小坪から光明寺方面に行くには、マリーナから小坪海岸トンネルを抜けるのが一般的な生き方だが、先月末、小坪海岸トンネルの材木座側入口でがけ崩れがあり、通行止めになってしまった。その崖の上を通る国道134号は昨日(14日)に全面復旧したらしいが、小坪海岸トンネル(逗子市道小坪162号)は片側通行も「今月中にはなんとか」状態であるらしい。

このトンネルは、逗子駅発鎌倉駅行き(小坪経由)のバスの通り道なのだが、現在はぐるりと名越隧道を迂回する形になっているらしい。ということは、光明寺のお十夜も(少なくとも帰りに)鎌倉までのバスは使えなかったことになる。

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ウルススの迷宮(2)

●ジェニファー・ウォーンズの「I Know A Heartache When I See One」(1979年)と、カスケーズの「悲しき雨音」(1962年)って似てるよね。

って、数十年前から思っているのだが、そもそもジェニファー・ウォーンズなんて「愛と青春の旅立ち」の主題歌(「Up Where We Belong」)しか知らねえよという人が(あるいは「それも知らねえよ」という人が)ほとんどかも。

●昨日締切の仕事を昨日のうちに終わらせることができず、今日の昼まで掛かった。昨晩あまり寝ていないので午後ちょっと昼寝。夕方、寒気を感じてぶるっと身震いして起き、「やべぇ。こりゃ風邪でもひいたかも」と思ったのだが、そうではなくて、単純に外気が寒かったのだった。

つい先週、ぎんなんを拾いに出掛けた時は半袖のシャツで汗だくになったのに!

今年は秋がなくて夏の後にすぐ冬が来た、と、かみさんが言っている。

●「ストライク・ウィッチーズ」という、第二次大戦のエースパイロットを萌え系女の子変換した変なアニメがあって、今季、その続編というか外伝というか、「ブレイブ・ウィッチーズ」というのが放映される。それにニルス・カタヤイネン(の女の子版)が登場する予定だそうだが、設定(というかwikipedia)を読むと、アニメのなかでもやっぱり不運だそうだ。可哀想に。まあ、それを外してしまったらわざわざカタヤイネンを出す意味もなくなってしまうけれど。“グラーフ”プンスキ(クルピンスキ)の女の子版も登場するようで、いやに人選がマニアック。

カタヤイネンといえば、“ハッセ”ウィンド最後の出撃(たぶん)で、重傷を負って帰投したハッセ・ウィンドがコクピットから担ぎ出される時、「まだ“ニパ”がいる」(まだカタヤイネンが帰ってきていない)と言うエピソードがある。たぶん「北欧空戦史」ではなくルーッカネン隊長ユーティライネンの著書の中だったなあと記憶していて、先日、何かのはずみでふと思い出して2冊の中を探してみたのだが見つけられなかった。ありゃ……?

(たった今、あ、そういえば!と、梅本弘「流血の夏」を引っ張り出してみたら、その中に書いてあった。こっちだったかあ。……しかしなんでこのエピソードを探していたのかを忘れた。)

●もう一本、今季のアニメの話。「終末のイゼッタ」というアニメが始まっていて、架空のヨーロッパ(実在の国は出て来ず、すべて架空の国になっており、一部国境線なども異なる)の第二次大戦が舞台。出てくる兵器は基本実在のもので、主舞台であるアルプスの小国に攻め込んだ「ゲルマニア」の軍隊は、メッサ―109のE型、シュツーカのB型、III号戦車E/F型などを使っている(割とよく特徴を捉えている)。攻められる小国の方は、まだOPあたりにしか出ていないが、モラン406を使っているようだ。アニメの公式サイトを見ると、早速ハセガワ(たぶん)とタイアップでアニメのマーキング入りキットが発売される(発売された?)ようだ。

というわけで大きな兵器の方は見て判るのだが、一話目でヒロイン(サブヒロイン?)の魔女がまたがって飛ぶ対戦車ライフルの種類がわからない(もともと小火器はそれほど詳しくないけれど)。

●ノーベル文学賞にボブ・ディラン。なんだそりゃ。それこそ「時代は変わる」ってことですなあ、というベタな感想が、おそらく全世界に満ち溢れるだろうと想像(私もそう書いてしまった時点で五十歩百歩)。

ちなみに私はカラオケで「ローリング・ストーン」と「タンブリン・マン」を歌えるようになりたいと思いつつ、いまだに歌詞を覚えられない(画面に出てもそれなりに覚えていないと曲に合わせて読み取れない)。

特に「タンブリン・マン」は、ニューポート・フォーク・フェスのこのライブが好き。

●青山学院大学・相模原キャンパスのチャペルでの来週の「2016チャペル・ウィーク」、連日、著名なクリスチャンを招いて講演があるそうなのだが、10月21日の講演の表題は、

「イエスぱねえ マジ神すぎてワロタ ww」

だそうだ。むしろ青学ぱねえ。

前回に続き、「こんなとこにレバーがあっていいのかよ、ウルススA型!」問題について。

前回はSPA 25C/10バスを紹介したが、今度はSPA 25C/12消防車(ポンプ車)。

写真が小さいので見づらいのだが、この写真この写真でレバーを確認でき、特に2枚目ではやはり運転席床の右側、「お前は法隆寺中門の柱か!」みたいに、乗降の邪魔になりそうな位置にあるのがわかる。

もちろんこれもウルススA型それ自体ではないし、クローズアップ写真もないので、前回同様、「右ハンドルなのにレバーが右側にあること自体は間違っていなさそうだ」以上のことは判らない。隔靴掻痒。

●さらにネット上をうろうろと探し回っていたら、ポーランドで「Samochody ciężarowe URSUS 1928-1930(ウルスス・トラック 1928-1930)」(Andrzej Glajzer)というピンポイントな本が出ているのを見つけた。

ウェブ上で立ち読みしてみると(買えよ!)、黒く潰れてディテールははっきりわからないものの、ハンドルやレバー類の付いたシャーシの写真と、シャーシの平面図が出ていた。

それらから判断すると、レバー類は右側のシャーシフレーム位置辺りから生えているようだ。平面図での描き方からすると、どうもその位置で直立しているのではなく、外側(右側)に傾けて付いているようにも見える。

もっともそれでも、キットでシャースフレーム位置と合わせてしまうと内側に寄り過ぎな感じなのだが、これは、キットのシャーシフレーム幅自体が実車より狭い可能性がある。いずれにせよ、ハンドル位置から考えると、現在作ってある座席の運転席・助手席の分割線は間違いである可能性が高そう。うー。

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ウルススの迷宮

●先日採ってきたぎんなんは、バケツのなかでざぶざぶ何度も揉み洗いをして果肉を落とし、濡れ縁で干した。

臭い思いをして、これでマズかったら悲しいなあ、と思ったのだが、月曜から食べ始めてみると、苦みがほとんどない上にほんのり甘く、すこぶる美味かった。むしろ、もうちょっと苦みがあってもいいかも、なんて贅沢なことを思うほど。採ってきたばかりで新鮮なので、炒って殻と薄皮を剥くと綺麗な色。

我が家では私以上にぎんなん好きのちびも、「このぎんなん、おいしい!」と感動していた。とはいえ、ちびはまだちびなので、ぎんなん中毒を防ぐため。基本、「年齢の個数以上は食べてはいけません」制限付き。かみさんはもともとぎんなん好きだが、アレルギー持ちになって以来食べられない。

新鮮で美味しいうちにせっせと食べて、食べ尽してしまおう。そして近いうちに、もう一度くらい拾いにいってみよう……。

kuhinitoさんのT-34が完成した。183工場製1942年型の比較的初期の仕様、例のスミェリ号を再現している。ドラゴンのT-34(特に1942/1943年型)の抱える問題をきっちり直してある上に、実車の細かい仕様を丹念に再現していて、こういう工作をみると、「オレって工作粗いなあ」とつくづく思わされる。

しかも転輪はゴムリム付きも緩衝ゴム内蔵転輪もドラゴンママではなく(ゴムリム付きは薄いタイプを履いているので当たり前だが)、ゴムリム付きは改造、緩衝ゴム内蔵は1から自作したうえで複製。うわあ……。

ちなみに車輌名(というかスローガン)の「スミェリ(смелый)」は「勇敢な、大胆な」といった意味で、ポーランドの装甲列車「シュミアウィ(śmiały)」と要するに同じ名前。カタカナで書くと「スミェリ」と「シュミアウィ」はだいぶ違っているように見えるが、耳で聞くと「ああ、同じ単語なんだな」と思えるくらいには近い(こういうときにForvoは非常に便利だ)。

●先日の、「ウルススA型トラックのレバー類ってどこから生えてるんだ」問題の続き。

F1011391 その後、改めてキットをよく見てみると、ミッションから横に四角く突起がある。写真は裏側から見たところで、実際には車輌の右側(運転席側)に向かって突き出している。

これがレバーの根元に繋がるのであれば、「ミッションから直接レバーが生えている=車輌中心線あたりにレバーがある」という比較的アタリマエの配置とは違っていることになる。

F1011317

もっとも、以前も載せた写真で判るように、キットの床板にケガかれたレバーの根元位置は、シャーシフレームよりさらに外側にある。

仮にシャーシフレームのぎりぎり内側位置でレバーを生やすとなると、もろに運転手の両足の間にレバーが来ることになる。……なんだそりゃ。あるいは、ミッション横のバルジ自体はそこそこ大きいが、レバーはその端ではなくもっと内側、ミッションのすぐ横あたりから出ているとすると、比較的常識的な位置になる。もちろん、その両方ともキット床板のケガキ位置とはまるでズレる。

ちなみに椅子の座面はバキュームフォームの余りプラバンで作ったもので(元のパーツは横幅が合わなかったので)、座面が左右に分かれているのも元パーツにおおよそ合わせている。しかし、狭い方を運転席側に、広い方を助手席側にしたのは、オペル・ブリッツあたりに合わせたもの。キットの説明図では明示されていないので、実は運転席側のほうが広い、などということもあり得るのかもしれない。というわけで、この分割線の位置はレバー位置を考える際にあまり基準にはならない。

●もちろんこんな「あーだこーだ」は実車写真があれば一発で解決することなのだが、URSUS A型の外見の写真さえあまり多くなく、キャビン内の写真などまるで見つからない。

そんなわけで、URSUS A型の原型にあたる、イタリア製トラックSPA 25の写真を探してみることにした。正確にはURSUS A型の原型はSPA 25C Poloniaというのだが、一応、SPA 25系列であればコクピット周りのレイアウトはある程度の共通性があるかもしれないので、その辺は適当に探した。

そこで見つかったのが、SPA 25/10バスの写真。特に注目がこの写真この写真「右ハンドルの車輌であるにもかかわらず、床のレバーが右側(車体外側)にある」という、「なんだそりゃ」な配置が、とりあえず同系の車両で実在する、というのが確認できたわけである。いやもう、ほんとに、なんだそりゃ……。

もっとも、このSPA 25/10というのは、URSUS A型の原型であるSPA 25C Poloniaよりちょっと古そうで、キャビンもURSUS Aよりだいぶ幅が狭い。キャビン前部で、おそらくシャーシフレームの幅しかないから、フレーム内側いっぱいでシフトレバー他が立っていても、キャビン内でだいたいこの位置になるのかもしれない。というわけで、URSUS A型の場合のレバー位置の直接の資料にはならないのが惜しい。あくまで参考という感じ。

(続く)

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T-34こぼれ話(3)

●脈絡のないT-34およびそのキットに関するあれこれ。なお過去記事は、

T-34こぼれ話
T-34こぼれ話(2)

●しばらく前にドン川から引き揚げられたスターリングラード・トラクター工場(STZ)製1942年生産仕様のニュース動画を紹介したが、セータ☆さんによれば、あの車輌はクビンカに運び込まれたのだそうだ。

そろそろどこかにwalkaround写真でも上がっていないかと思い、とりあえずDishModelsをしばらくぶりに見に行ってみたら、目当ての車輌はまだのようだったが、それとは別のT-34の新しいwalkaround写真がいくつか上がっていた。

T-34 1941戦時簡易型(スターリングラード・トラクター工場製、1942年初め頃生産の仕様?)

新型操縦手ハッチを付け、車体側面装甲と前後の装甲とが組接ぎになっているが、砲塔はエラの削れていないタイプを載せているもの。以前紹介した、narod.ruにwalkaroundが出ているボルゴグラードの展示車両に近い仕様。

St.ペテルスブルクの冬宮前広場(たぶん)での撮影なので、何か記念イベント等の展示であるらしい(ページの説明には「Exhibition “We Fought up to the Last-Ditch at the Walls of Leningrad.”」とある。

ボルゴグラードの車輌はラジエーターグリル等が補修されていたが、この車輌ではオリジナルらしい。側面の増加燃料箱留め具なども残っている。もっとも、オリジナルに似せた補修という可能性もないわけではない――それを考えると、補修部分はある程度「ニセモノとわかる」形状になっているほうが親切な場合もあるかもしれない。車体後面にかなりボコボコに撃たれた跡があるので、元はスクラップだったはず。それをここまで綺麗にレストアしているからには、補修部分も結構ありそうな気もする。

ボルゴグラードの車輌と全く同一仕様というわけではなく、後部の牽引フックは錨型ではなく、「つ」の字型を付けている。えっ。この形の後部フックって183工場製だけじゃないの?

OT-34 1941戦時簡易型(112工場製初期型)

おそらく上記と同じイベントでの写真で、1枚目に、後方にもう2輌のT-34が並んでいる。3輌目が上記のSTZ製か?

車体後面の点検ハッチが4本ボルトで中央にあるので、もともとガソリンエンジン搭載のクラスナエ・ソルモヴォ工場(第112工場)製の初期型車輌であるのは間違いないと思うのだが、砲塔だけ第27工場で施されたという増加装甲付き、車体は増加装甲無しで、112工場製1941戦時簡易型の後期型に準じた跳弾リブや手すりの装着が行われている。しかも火炎放射戦車型(OT-34)。

戦時中の写真では(少なくとも私は)見たことがない取り合わせで、もともとこういう仕様であったのか、どうも判断が付きにくく悩ましい。

T-34 1941年型(スターリングラード・トラクター工場製、1941年8月生産)

これも同じイベントでの写真で、上記112工場製車輌1枚目の写真で、2番目に写っている車輌がこれであるらしい。

スターリングラード・トラクター工場で1941年8月に生産された仕様であるというのは写真ページのタイトルに素直に従ったものだが、この車輌がスターリングラード工場製であるという根拠が、正直言って私にはさっぱりわからない。

もともと、スターリングラード・トラクター工場がT-34の生産を開始した当初は、ハリコフ機関車工場製車輌とほとんど同一の仕様のものを生産していて、その後、だんだんと独自仕様が加味されていった……という流れだと思うが、では、その独自仕様が加わる前の生産車を、ハリコフかスターリングラードか見分けるポイントはどこにあるのだろうか?

左フェンダー前部の背の高い工具箱もハリコフ工場製車輌の特徴だと思っていた(これはレストア品かもしれないが)。増加燃料箱を縦にして(いや、横にして?)2段重ねにするのはスターリングラード・トラクター工場製の特徴?

「どうなのよアオキ!」と言いたいところだが読んでるかなあ。

追記:Wydawnictwo Militariaの#265「T-34 vol.II」に、STZ製の1941年秋生産仕様とされる図面が出ている。その図面に描かれた車輌は、砲塔が、スターリングラード・トラクター工場製車輌に独特の、264工場製とされる砲塔後部に湾曲部のない台形一枚板の溶接砲塔に変わる前、そして足回りも緩衝ゴム内蔵転輪に変わる前のもので、上記写真の車輌の仕様と若干近い。ただし、前後のフックは錨型に変わっており、トランスミッション点検ハッチもすでにコの字の取っ手タイプになっている。)

さらに追記:書いているうちに自分でもわけがわからなくなってきていて、いつの間にか1番目の写真車輌の特徴がごちゃ混ぜになった記述になっていたのを整理。)

▼オマケ。やはり同一イベントにおけるKV-1。いわゆる1940年型の最後期のタイプ。そういえばこのタイプのそのものズバリのキットって出てないっすね。

私が作りかけで放ってあるKV-1と近い仕様。このブログを始める前から絶賛放置中。いかんね。

●同じくDishModelsに上がっていた、ロシア人モデラーによるA-32の作品写真(ドラゴン改造)。素敵。

操縦席周りが大きく出っ張っているのは試作2号車の特徴で、1号車は後のT-34生産型に近い形状になっている。

●いつのまにか「T-34 maniacs」が引っ越していた。

新アドレス(IS maniacsなども含めた表紙ページ)はこちら

F1011386 ●「T-34こぼれ話」初回で書いた、ドラゴンのT-34の車体上部パーツの(たぶん)最新版にある上面ラジエーターグリル前方の筋彫りだが、この部分が別体なのは、やはり1942年型あたりからであるらしい。というわけで、作りかけの1941年型は筋彫りを埋めた。

40年型で一体であるらしいことは、「グランドパワー」95/6、84ページの写真で確認でき、STZの1941年型、112工場の1941戦時簡易型でもそうらしいことが上の実車写真でわかる。いや、知っている人には先刻ご承知のネタなのかもしれないけれど。

おそらくこのパーツ改修は1942年型シリーズ発売の際に行われたものなのではないかと思うのだが、側面には増加燃料箱用のモールドが残っているので、1941年型以前のキットも、再生産分はこの改修車体上部が入っている可能性がある。

ドラゴンの場合、こっそりパーツが改修されていることが頻繁にあるが、場合によっては「こちらを立てればあちらが立たず」状態になっているので注意が必要。もっとも、エンジン点検ハッチの形状が合わないことに比べれば、筋彫りを埋めるほうが楽だと思う。もちろん、各仕様に細かく合わせたパーツになっていてくれればそれに越したことはないのだけれど。

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ぎんなん

先日、「見慣れないツノ付きイモムシ→実は終齢前のアオスジアゲハ幼虫だった」話を書いたが、同じ場所で、今度は終齢まで育った姿になっているのを見つけた(写真1枚目)。もちろん、先日見た幼虫と同一個体かどうかはわからないが。

このアオスジアゲハがいるタブノキの若木のすぐ下には、エノキのやはり幼木があって、こちらにも、おそらく終齢と思われる、4、5センチほどもあるまるまると栄養状態のよさそうなアカボシゴマダラの幼虫がいた(2枚目)。同じくらいの大きさのものが2匹いたのだが、よく見ると背中のウロコ状突起の大きさがだいぶ違う。オスメスの差? それとも単なる個体差?

なお、この2種を見かけたのは5日午後だが、6日午後に通りかかった時には両方ともいなかった。単に葉陰に移動したのか、どこかでサナギになったのか、それとも家の人に見つかって駆除されてしまったのか……。

3、4枚目はやはり近くの藪のカナムグラにいたキタテハの幼虫。黒っぽくミイラ化したような感じの4枚目は、最初、死んでる?と思ったが、どうも前蛹状態(サナギになりかけ)であるらしい。6日午後。

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●ほか、花やら虫やら。

(1).道端のナンテンハギ。

(2).葉陰でハチがごそごそしていて、最初はイモムシでも狩っているのかと思ったのだが、よく見たらそのハチのほうが捕食されていた。ハラビロカマキリ。

(3).ここ最近非常によく見るウラナミシジミ。

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●このところ仕事が焦げ付いているので、ほとんど家にこもりきりなのだが、6日午後、仕事をさぼってぎんなん拾いに出掛けた。

逗子海岸のほぼ南端、国道134号上の葉山との間のトンネル(長柄隧道)入り口脇に、田越神明社という小さな神社がある。昨年秋、たまたま散歩していて立ち寄ったとき、盛大に銀杏が落ちていた。その時には何も用意がなかったので拾わなかったのだが、facebook上の知人が書き込みを読んで拾いに行った由。、

F1011365 F1011367 今年も落ちているよと、その人から教わったので、台風の余波で前の晩に強い風が吹いた機会に行ってみた。どうもこの手の収穫ものは、がっつり期待していくと空振りに終わることも多いのだが、今回は当たりで、地面を覆うほど落ちていた。

既に実から飛び出している種や、大き目な実を選んで拾って、小さなバケツの底に数センチほど収穫。最初見た時には「バケツ一杯採っちゃる!」と思ったのだが、じっくり選んで採っていたら、風も通らず汗だくになってしまったので、適当なところで切り上げた。

このあと、恐怖の水洗い作業が待っている……。

●5日、6日と、windows10のかなり大掛かりなアップデート。Anniversaty Update、とかいうのか? そこそこ時間も掛かったが終了。

終わってみると、ログイン画面とか、スタートメニューとか、細かい部分であれこれ違う。もちろん、細かい内部的なあれこれの変更のついでに、ということかもしれないが、こういうUIは結局馴れの部分が大きいと思う。格段に使用感が向上するとかでもないのに変更する意味あるのかね?

アップデート後、どうもレスポンスが以前より悪くなったような気がする(気がするだけかも)。また、カーソル隣に何らかの処理中を示す青いドーナツ印がほぼ慢性的に浮かぶようになったのだが、これが通常の状態なのかもよくわからない。

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スターリングラード・トラクター工場(22)

週末模型親父さんのAFV模型のネットコンペ、「SUMICON 2016」参加作、cyber-hobbyの「T-34/76 STZ Mod.1942」の久々の製作記。

だいぶ長いことほったらかしにしてしまったので、そろそろ「また適当に工作が一段落したところでやる気をなくしてしまったのではないか」などと思われていそう。いやもちろんそんなことはないですよ? ないよね?(誰に言っているんだか)

正直なところ、仕事がかなり切羽詰まっているので、なかなか模型に集中できないのだが、さすがにSUMICON締切まであと一カ月なので、がんばらんといかん。

●というわけで、前回、「しばらくはこの状態で眺めてみて、気になるポイントがあれば追加工作を施すつもり」と書いた後の追加工作について。

ジャッキの工作に関しては前回書いたが、その後、Ryampoさんから、「ジャッキは底面に放射状のリブ、頭部に十字の溝があるらしい」と教わった。もうジャッキはホルダーを介して車体に接着してしまった後だし、流石にこれは放置するかなあ、と思ったのだが、やはりちょっと気になって追加工作してみた。

ジャッキ頭はナイフの先とエッチングソーで筋彫り。

F1011300 ジャッキの底面は、普通ならパーツに直接細いプラ材を貼るところだが、すでに接着済みではうまく工作できなさそうだったので、一度、底面と同径のパーツにプラバン細切りを貼って放射状のモールドを作った後、円盤側から削り込んでモールドだけ残し、改めてそれをジャッキ底面に貼るという何だか間抜け感のある工作をした。

なお、根拠とした写真でも底面は一部しか写っていないので、放射状のリブが実際にこんなふうに等間隔であるのかどうかは、実はよく判らない。ただ、リブ自体はもっと細いようだ。

●先日買ってきた0.8mm径のステンレスワイヤー(フラグシップ「極細AFVワイヤー0.8mm」)で牽引ロープを作成。

「ステンレスは焼き鈍しが効かない」とコメントを頂いたのだが、一応、キッチンのガスレンジで真っ赤になるまで焼いて自然冷却したら、指先で曲げ癖が付けられるくらいにはバネ性をなくすことが出来た。もっとも一口でステンレスといっても組成はいろいろなので、たまたまこれはなんとかなった、ということかも。ただし切断には苦労した。

F1011320 F1011319 前回書いたように、キットには何種類かの牽引ロープのヘッド部分のパーツが入っていて、キットの指定はパーツ番号F5なのだが、よりスターリングラード・トラクター工場製車輌で一般的な形状に近いと思われるR11を使用した。キットには一組しか入っていないが、以前作りかけて挫折した同一キットからもう一組持ってきて、既定(であると思われる)本数の2本製作、キット付属のエッチングパーツで所定位置に取り付けた。ロープの長さは現物合わせ。エッチングをうまくループにして止めるというのはなかなか面倒で、だいぶワジワジした(住友さん言うところの「イーーーーッ」となる状態)。

●これでいよいよ工作は終了(のはず)。とりあえず、塗装後に取付予定のパーツを除いた現時点の全体形を以下に。

既定の装備品がほぼ全部揃っているというのもなんだかT-34「らしくない」気がしないでもないが(単純にイメージの問題で、実際には実車写真でも見ないわけではないが)、「STZ独特の仕様」はなるべく盛り込むというのが今回の基本コンセプトなので、自然こうなってしまった。

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