●脈絡のないT-34およびそのキットに関するあれこれ。なお過去記事は、
T-34こぼれ話
T-34こぼれ話(2)
●しばらく前にドン川から引き揚げられたスターリングラード・トラクター工場(STZ)製1942年生産仕様のニュース動画を紹介したが、セータ☆さんによれば、あの車輌はクビンカに運び込まれたのだそうだ。
そろそろどこかにwalkaround写真でも上がっていないかと思い、とりあえずDishModelsをしばらくぶりに見に行ってみたら、目当ての車輌はまだのようだったが、それとは別のT-34の新しいwalkaround写真がいくつか上がっていた。
▼T-34 1941戦時簡易型(スターリングラード・トラクター工場製、1942年初め頃生産の仕様?)
新型操縦手ハッチを付け、車体側面装甲と前後の装甲とが組接ぎになっているが、砲塔はエラの削れていないタイプを載せているもの。以前紹介した、narod.ruにwalkaroundが出ているボルゴグラードの展示車両に近い仕様。
St.ペテルスブルクの冬宮前広場(たぶん)での撮影なので、何か記念イベント等の展示であるらしい(ページの説明には「Exhibition “We Fought up to the Last-Ditch at the Walls of Leningrad.”」とある。
ボルゴグラードの車輌はラジエーターグリル等が補修されていたが、この車輌ではオリジナルらしい。側面の増加燃料箱留め具なども残っている。もっとも、オリジナルに似せた補修という可能性もないわけではない――それを考えると、補修部分はある程度「ニセモノとわかる」形状になっているほうが親切な場合もあるかもしれない。車体後面にかなりボコボコに撃たれた跡があるので、元はスクラップだったはず。それをここまで綺麗にレストアしているからには、補修部分も結構ありそうな気もする。
ボルゴグラードの車輌と全く同一仕様というわけではなく、後部の牽引フックは錨型ではなく、「つ」の字型を付けている。えっ。この形の後部フックって183工場製だけじゃないの?
▼OT-34 1941戦時簡易型(112工場製初期型)
おそらく上記と同じイベントでの写真で、1枚目に、後方にもう2輌のT-34が並んでいる。3輌目が上記のSTZ製か?
車体後面の点検ハッチが4本ボルトで中央にあるので、もともとガソリンエンジン搭載のクラスナエ・ソルモヴォ工場(第112工場)製の初期型車輌であるのは間違いないと思うのだが、砲塔だけ第27工場で施されたという増加装甲付き、車体は増加装甲無しで、112工場製1941戦時簡易型の後期型に準じた跳弾リブや手すりの装着が行われている。しかも火炎放射戦車型(OT-34)。
戦時中の写真では(少なくとも私は)見たことがない取り合わせで、もともとこういう仕様であったのか、どうも判断が付きにくく悩ましい。
▼T-34 1941年型(スターリングラード・トラクター工場製、1941年8月生産)
これも同じイベントでの写真で、上記112工場製車輌1枚目の写真で、2番目に写っている車輌がこれであるらしい。
スターリングラード・トラクター工場で1941年8月に生産された仕様であるというのは写真ページのタイトルに素直に従ったものだが、この車輌がスターリングラード工場製であるという根拠が、正直言って私にはさっぱりわからない。
もともと、スターリングラード・トラクター工場がT-34の生産を開始した当初は、ハリコフ機関車工場製車輌とほとんど同一の仕様のものを生産していて、その後、だんだんと独自仕様が加味されていった……という流れだと思うが、では、その独自仕様が加わる前の生産車を、ハリコフかスターリングラードか見分けるポイントはどこにあるのだろうか?
左フェンダー前部の背の高い工具箱もハリコフ工場製車輌の特徴だと思っていた(これはレストア品かもしれないが)。増加燃料箱を縦にして(いや、横にして?)2段重ねにするのはスターリングラード・トラクター工場製の特徴?
「どうなのよアオキ!」と言いたいところだが読んでるかなあ。
(追記:Wydawnictwo Militariaの#265「T-34 vol.II」に、STZ製の1941年秋生産仕様とされる図面が出ている。その図面に描かれた車輌は、砲塔が、スターリングラード・トラクター工場製車輌に独特の、264工場製とされる砲塔後部に湾曲部のない台形一枚板の溶接砲塔に変わる前、そして足回りも緩衝ゴム内蔵転輪に変わる前のもので、上記写真の車輌の仕様と若干近い。ただし、前後のフックは錨型に変わっており、トランスミッション点検ハッチもすでにコの字の取っ手タイプになっている。)
(さらに追記:書いているうちに自分でもわけがわからなくなってきていて、いつの間にか1番目の写真車輌の特徴がごちゃ混ぜになった記述になっていたのを整理。)
▼オマケ。やはり同一イベントにおけるKV-1。いわゆる1940年型の最後期のタイプ。そういえばこのタイプのそのものズバリのキットって出てないっすね。
私が作りかけで放ってあるKV-1と近い仕様。このブログを始める前から絶賛放置中。いかんね。
●同じくDishModelsに上がっていた、ロシア人モデラーによるA-32の作品写真(ドラゴン改造)。素敵。
操縦席周りが大きく出っ張っているのは試作2号車の特徴で、1号車は後のT-34生産型に近い形状になっている。
●いつのまにか「T-34 maniacs」が引っ越していた。
新アドレス(IS maniacsなども含めた表紙ページ)はこちら。
●「T-34こぼれ話」初回で書いた、ドラゴンのT-34の車体上部パーツの(たぶん)最新版にある上面ラジエーターグリル前方の筋彫りだが、この部分が別体なのは、やはり1942年型あたりからであるらしい。というわけで、作りかけの1941年型は筋彫りを埋めた。
40年型で一体であるらしいことは、「グランドパワー」95/6、84ページの写真で確認でき、STZの1941年型、112工場の1941戦時簡易型でもそうらしいことが上の実車写真でわかる。いや、知っている人には先刻ご承知のネタなのかもしれないけれど。
おそらくこのパーツ改修は1942年型シリーズ発売の際に行われたものなのではないかと思うのだが、側面には増加燃料箱用のモールドが残っているので、1941年型以前のキットも、再生産分はこの改修車体上部が入っている可能性がある。
ドラゴンの場合、こっそりパーツが改修されていることが頻繁にあるが、場合によっては「こちらを立てればあちらが立たず」状態になっているので注意が必要。もっとも、エンジン点検ハッチの形状が合わないことに比べれば、筋彫りを埋めるほうが楽だと思う。もちろん、各仕様に細かく合わせたパーツになっていてくれればそれに越したことはないのだけれど。
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