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2016年6月

クラスナエ・ソルモヴォ工場(2)

●スターリングラード・トラクター工場製のついでにちまちま製作しているクラスナエ・ソルモヴォ工場製T-34の地味な進捗状況報告。

●防盾を組み立てた。

Tent3402

cyber-hobby #6452、“T-34/76 No.112 Factory "Krasnoe Sormovo" Early Production”(クラスナエ・ソルモヴォ工場製T-34初期型)の防盾周りは、防盾自体にパーツ番号H9、駐退機カバー左右がP7、P8、駐退機カバー前面がH8というパーツ構成。駐退機カバー左右のみ、新規に起こしたパーツに差し替えになっている。

形状としては駐退機カバーの左右下辺に丸みのある、1941年型では一般的なものなのだが、側面に付けられた板状パーツが前後に極端に短い、クラスナエ・ソルモヴォ工場製に独特の仕様を再現している。

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クラスナエ・ソルモヴォ仕様に限らず、駐退機カバーの左右下辺に丸みのあるタイプの場合は、最上部と、下面中ほどに溶接ラインがある。下面の溶接ラインはど真ん中ではなく、砲身の真下あたり? やや中心からはずれている感じ。しかし、パーツの接合部ではずれすぎな感じもしたので、継ぎ目よりやや中央寄りに付けた。

防盾と駐退機カバーの溶接痕は防盾側にモールドがある。STZ1942キットよりは溶接痕らしいモールドなのだが、駐退機カバーとの間に隙間ができるので、全部削り取って入れ直した。

また、防盾の下辺は板厚がそのままになったパーツ形状なのだが、それだと主砲の俯角がほとんど取れなくなる。実物写真を参考に、断面形状がくさび状になるよう裏側から削り込んだ。

なお、ちょっと前に作ったスターリングラード・バリカディ工場製防盾はこんな感じ

……と、ここまで作って改めて資料を見直して、実はクラスナエ・ソルモヴォ工場製初期のガソリン・エンジン搭載車の場合、駐退機カバー側面の板は、むしろ標準仕様の長いほうが一般的だったのではないか(むしろ短い仕様のものはあったのか?)という疑いが浮上。もう一度資料をひっくり返して、場合によっては作り直し。ふんがー。

●クラスナエ・ソルモヴォ工場製ガソリン・エンジン搭載車といえば、第27工場で増加装甲が施された仕様が有名。これについては、以前、タミヤ・ベースで作りかけたことがある。もうかれこれ20年ほども前のことで、以下の状態まで作って放置。ストック棚のどこか奥底で箱詰めになっているはず。

1121 1122

今回の製作はそのリベンジ的な意味もあり、この仕様で作るつもり。

なお、この甲冑魚のような増加装甲付きT-34は、AFVクラブ系列のディン・ハオからキットが出ているが、あちらは同じクラスナエ・ソルモヴォ工場製でも後期の車体をベースにしていて、実在したのかどうかわからないヌエ的仕様になっている。

いずれドラゴン/サイバーからそのものズバリのキットが出ないとも限らないが、ぜひその前に作ってしまおうというのが、STZと並行で作り始めてしまった理由のひとつ。

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スターリングラード・トラクター工場(11)

●タイトルは「スターリングラード・トラクター工場」だが、今回はどこ工場と限らず初期のT-34共通の、どちらかといえば枝葉末節の考証とわずかな工作。前回の製作記事と若干の関連あり。

F1015605b ●フェンダーについてのあれこれ。

▼T-34の車体側部フェンダーは、側面装甲にべったり溶接されている。右フェンダーには3カ所、さらに初期のT-34(いわゆる1941年戦時簡易型まで?)は標準で左側にも2カ所の防滑具搭載部があり、防滑具がずれないようにフェンダー上にリブがあり、それぞれ2対の固定ベルト用コの字金具がある。

右フェンダーの3カ所は、3つが単純に連続しておらず、前から1番目と2番目の間に若干の隙間があるが、これは、この場所にフェンダーの継ぎ目があるため。

側部フェンダーは左右とも3分(おそらく3等分)されていて、そのため、それぞれ2カ所に継ぎ目がある(写真内の①)。これはおそらく各工場・各年式共通と思われるが、単純に前後のフェンダーを繋いだ細い溶接痕があり、さらに内側半分以上に、帯状に薄板を被せている。溶接痕をカバーするように、薄板は中央が出っ張っている。

F1015614 F1015617 ▼前述のように防滑具搭載部は前後にリブがあるのだが、ドラゴンの初期型車体上部のパーツでは、左側最後部にリブがない(写真内②)。どんな場合でも必ずここにリブがある!……のかどうかはよく判らないが、とりあえず、リブがある実車写真は確認できたのでプラバンで追加した。

▼ドラゴンの初期型車体上部のパーツでは、写真内③の場所に細かなモールドがあるが、これは1940年型キットで取り付ける小さな工具箱の基部。1941年型キットではモールドを削り取るよう指示されているが、STZ1942のキットでは車体上部を新しく作り直しているにも関わらず(今回の製作では使用していないが)、不要なモールドをそのまま継承しており、削り取る指示もなし。謎。

▼初期型T-34では、写真内④の場所に標準で中型の工具箱が付く(パーツ番号C11)。STZの場合はそれでよいが、クラスナエ・ソルモヴォ工場製の場合、この工具箱は反対側のの場所に付く。サイバーの「クラスナエ・ソルモヴォ初期型」ではパーツを⑤の場所に取り付けるよう指示されているが(後期型も?)、左側の工具箱取り付け基部のモールドは(その直前の、前述の小型工具箱基部モールドも)削り取る指示はない。

なお、クラスナエ・ソルモヴォ工場製には見えない車輌でも右側に付けている例がある(たとえば「グランドパワー」1997/9のp104など)。また、1942年型以降では右側が標準位置に変更になっているようだ。

(なお、上記はあくまでT-34-76の話で、T-34-85になると、今度はクラスナエ・ソルモヴォ工場製の一部車輌で、この中工具箱が左フェンダーに戻ったりしている。わけわからん)

で示した位置の前にあるモールドはジャッキ取り付け具の座金なのだが、取り付け具を直接フェンダーに付けている例もあるので、この座金がどれだけ一般的であったのかよく判らない。

▼初期型T-34で中型工具箱を右に付けている場合、ジャッキ用ブロック(?)を車体側面、写真内⑥の位置に付けている例が多い。通常、1941年型では後部フェンダー上左右に付けていることが多いのだが、側面に付けている場合、搭載個数は1つに減っているのか、あるいは左側にも付けていたりするのか、引き続きリサーチの要あり。なお、右側に中型工具箱を載せている場合、もともとそこにあったジャッキがどこに行ったのか判らない。

●そもそも戦車というのは、なかなか綺麗に(そして詳細に)上面が写っている写真がなく、おかげで上面ディテールの変遷はなかなか判りづらい(言い訳)。

そんなわけで悩ましいのが、エンジンルーム左右カバーの形状。だいたいこの部分は丸みの強さでもバリエーションがありそうな気がするが、深入りするととんでもないことになりそうなので、今はひとまず置いておく。

F1015602b 大きな問題は右写真で黄色のマルを付けた部分の形状。キットは写真のように、カバーがグリルの後方まで伸びた形状になっているが、ここは生産工場、生産時期により違いがある。

この部分については、以前ハラT青木氏に(アカデミーの112工場製T-34-85にからんで)軽く説明を受けたのだが、どうも内容があやふやになってしまった(どうもいかんね)。

F1015620 ちなみに、その時に青木氏が私のノートに走り書いた解説用の絵図が左。ハラT青木先生直筆の解説図! 将来値が付くかもしれん。そこまでして貰って話の中身がうろ覚えというのも申し訳ないのだけれど、まあ、酒の席だったし。

今回STZ1942を作るにあたって初期型T-34に関しどうだったかを調べ直したのだが、現時点での私の理解は次のような感じ。

▼1940年型(当然ながらハリコフ機関車工場/183工場製)では、左右カバーのグリル後方への回り込みはなく、グリルが後部カバーに接する位置まである。

▼1941年型になってしばらくして(?)、左右カバーがグリル後方に回り込むようになる(青木氏の図の下)。

▼その後生産に入ったスターリングラード・トラクター工場、さらにその後加わったクラスナエ・ソルモヴォ工場(112工場)も同様に、「グリル後方回り込みタイプ」の左右カバーを使用。つまり1940年型~1941年戦時簡易型では、この形状が一般的だったことになる。

▼しかし本家183工場は仕様を変更。ウラルへの移転後のことではと想像しているが、左右カバーのグリル後方への回り込みはない代わりに、中央の点検ハッチ付きバルジ部も含め、左右のグリル後方をカバーする板材を装着(青木氏の図の上)。183工場製ナット砲塔搭載型はすべてこの仕様だったのではと考えられるが、この仕様でピロシキ砲塔搭載型があったのかどうかは不明。板材が付く分、中央のバルジは(板厚の分だけ)ちょっと短くなっていないとおかしいと思うのだが、どうなんだろう。

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スターリングラード・トラクター工場(10)

週末模型親父さんのところのAFV模型のネットコンペ、「SUMICON 2016」の参加作、cyber-hobbyの「T-34/76 STZ Mod.1942」の製作記。

F1015534 F1015533 ●クラスナエ・ソルモヴォ工場製車体の製作記事の際に載せたものとほぼ同じだが、とりあえず、現時点で全体形の仮組みをしてみた写真。

車体前面装甲板下部、シャーシ側面との接合部が、右側が組接ぎ表現あり、左側が無しなのは、右側はこのあとフェンダーを取り付け、左側は外れた状態に作る予定であるため。

●ここから先、比較的大掛かりな作業は履帯を繋ぐ程度で、あとはほぼ、ちまちまと細部に手を入れていく連続ということになる。

戦闘室前方左右の菱形のパッチ(これの用途は何だったか、どこかに書いてあった気がするが忘れた)は、端が少し削れているもの(C17)と削れていないもの(C16)と2種類のパーツが付いているのだが、説明書にはどちらを使えばよいのか書いていない。最初から車体に付いた状態で図に登場するのだが、step5では削れたほう、step6では削れていないほうが書かれている。どういうこっちゃ。

F1015594 アホな説明書だなあ、と思ったのだが、実際には、元々のSTZ1942キットの車体上部には、このパッチは最初からモールドしてあった。アホはお前じゃ!って感じ。

なお、元からモールドしてあるパッチの形状は削れていないほう。実車写真を見てもそちらでよさそうだったので、削れていないほう(C16)のパーツを使う。ただし、キットのパーツは厚みがあり過ぎる感じなので、薄くしてから接着した。パーツ周囲に鉛筆で印が付いているのは、薄くする際にパーツ裏の位置決めポッチも削ってしまっているため。

F1015599 ●ドラゴンのT-34系列をディテールアップする際の定番工作と言っていい、フェンダーの防滑具固定ベルト用のコの字金具。

特にフェンダー外側はもともとある板状のモールドを綺麗に削り落とすのがなかなか面倒。T-34-85のキットでは車体側もモールドされていたが、76シリーズ以降は別パーツ化されてだいぶ楽になった。

なお、このコの字金具は、STZ1942キット含め、比較的新しいシリーズではエッチングパーツが用意されているのだが、さすがに平板なパーツは使う気にならなかったので、車体側はもともと用意されているプラパーツ(E2)、フェンダー外側は0.35mmの真鍮線を使った。プラパーツは若干太めだが目をつぶった。

●お馬鹿工作。ラジエーターグリルは外枠と縦が薄めの帯金、横は細いロッドで出来ている(縦横は側面グリルを基準にしていて、縦は車輌左右方向、横は車輌前後方向)。特に側面のグリルはフラップ状に開け閉めするようになっているため、実車では新品車輌であってもなんとなく歪んだ感じになっていることが多い。

F1015601 この部分に関しては、実車同様にエッチングパーツと真鍮線で組み上げるアフターパーツも出ている(単純に平板で格子に抜いただけのエッチングパーツも出ているが、それならキットのプラパーツのままでいいような気がする)。

さすがに金属パーツの全組立式まで張り込む気にはなれなかったのだが、キットのパーツのあまりに「ガッチリできている感」が気になっていて、結局、我慢できずにパーツ外側をスライスし、スカシをくり抜いてしまった。

これでも実車に比べると枠も厚くロッドも太めなのだが、ちょっとは華奢な感じになったと思う。

ただし、ここを素通しにすると、内側デッキがツツヌケなのが判ってしまうので、さらに追加工作が必要になってくる。前述のようにロッドが太めで中はあまりよく見えないはずなので、ラジエーターフラップやパッチ類を付ける必要はないかもしれないが、とりあえずエンジンデッキ面だけは作らないとマズイ。

F1015602 ●お馬鹿工作その2。上面内側のグリルは基本固定なので、側面グリルに比べてそんなにヨレていない……ような気がして、こちらはキットのパーツのままにしようと思ったのだが、やはりそれではバランスが悪いのではと思い直し、結局こちらもスカシにしてしまった。

本来はその下ももっと掘り下げて、ということになるのだが、面倒だしそこまで見えやしないだろうし、ということで、ハッチの付くバルジ側が斜面になるようにプラバンを貼るだけで誤魔化した。

また、ロッド部分はわずかに歪み工作をした。ピンセットの先などを突っ込んでぐりぐりしただけだが、折れるのが怖いので、よく見るとちょっと曲がってる?程度。

なお、ここも側面グリル同様、本来は枠はもっと薄いし、棒はもっとずっと細い。

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デマーク(2)

●22日水曜日。午前中、麹町で仕事。

F1015592 仕事が終わって昼時、四谷駅周辺で昼飯かな……というところで、ふと思いついて、有楽町線で銀座一丁目まで行き、久しぶりにプランタン並びの「わしたショップ」(沖縄県物産公社のアンテナショップ)に行く。

奥の飲食コーナーで沖縄そば。都内でも沖縄そばを食べられる場所は多々あるが、ここは立ち食いそば感覚でいろいろトッピングも選べるのがいい。もずくの天ぷらを追加。こーれーぐーすをちょっと多めに入れて食べる。

F1015591 わしたショップ店内で、こんな海洋堂ガシャを見かけた。うわー。シーサー欲しいなあ。……と思ったが、一応、沖縄で買ってきた(小さいけれど)本物の陶器のシーサーも我が家にはいて、玄関の左右でマジムンから我が家を守ってくれているし、ビギンが当たってしまっても微妙だしなあ、と思って、結局やらなかった。

せっかく久しぶりに来たし、ということで、「天使のはね」(ランドセルではなくスナック菓子)の塩味と梅味を購入。型に入れて焼き固めるタイプの塩せんべいの「バリ」的副産物という微妙なもので、食感はパリッでもサクッでもなく、かといって名前の印象からくるフワッとも言い難く、「へにょっ」というか「もふっ」というか(何が言いたいんだ私は)。だが、なぜか娘が非常に気に入っている。ほか、沖ハムのポルトギュー1本とミミガーチップス。

F1015589 F1015584 そばが軽めだったのでおやつにさーたーあんだぎーと缶入り35コーヒーを買って、帰りの京急の駅で食べる。いくらそばが軽めで、さーたーあんだぎーが小さめでも、2つは食い過ぎだろう――と自分でも思ったが、種類がいろいろあってつい誘惑に負けた。一つが黒糖、もう片方がピーナッツ。ピーナッツバターが練り込んであるとかではなく、ピーナッツそのものがごろごろ中に入っている。

さーたーあんだぎーに限らず、ずっしり系のドーナツは揚げて時間が経って油が回ってしまうと外はじっとり、中はもそもそで美味しくないが、ここのは外がカリッとして美味かった。

●コーヒーの向こうに写っているが、また金沢八景経由で、デマークの650t巨大クレーン車(AC700)を見て帰った。前回記事はこちら

みやまえさん情報によれば、このクレーンが稼働しているのは夜中らしいとのことで、やはりブームを伸ばしているところは見られなかったが、せっかくなので途中下車して、今回は(遠目からではあったが)足回りも見てきた。クモっぽいX字のアウトリガーが格好いい!

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4枚目は同じ現場に来ていた重量物運搬車。大きな鉄の橋桁でも運んできたのではないかと思う。最後の写真がボケ加減なのは、フェンスの間の厚いビニールシート越しに撮ったため。ほか、みやまえさん情報にもあった、同じくデマークの360tクレーン車もいたが、居場所が微妙でまともな写真が撮れなかった。

F1015573 コメント欄で話に出たので1枚追加。クレーン車……ではないようだが(アタッチメント部分が違う感じなので)、とにかく、何だかの工作車輌のアタマ部分だけの搬入。ワク型のクレーンで吊上げ中。ただし、吊上げたあと何の上に載せるのか、それらしきベース車体が周囲に見えなかったので不明。

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クラスナエ・ソルモヴォ工場

F1015536 ●ばかなっ……。T-34が2輌だとっ!?

●パーツの融通だの何だので別のT-34キットの箱も開けたり閉めたりしているうち、ついもう1輌、手をつけてしまった。右写真はSUMICON掲示板用に撮ったものなので、スターリングラード・トラクター工場製が主役で写っているが、向こう側に半分切れているのが新たに着手したほう。

STZ1942と同じく、cyber-hobby白箱で、キット名称は「T-34/76 No.112 Factory "Krasnoe Sormovo" Early Production」。

F1014647 T-34生産工場としてはスターリングラード・トラクター工場に続き、3番目に加わったクラスナエ・ソルモヴォ工場の最初期の仕様のもの。同工場は「ピロシキ」砲塔搭載型のT-34(いわゆる1941年戦時簡易型)を最も後まで作っていた工場で、そのピロシキ砲塔の最後期型も、cyber-hobbyの緑箱やAFVクラブから発売されている。

そちらのタイプは、どうも若干増厚されているらしい鋳造砲塔を搭載、車体のあちこちにこれでもかと手すりを付けているのが特徴。ソ連軍下のポーランド軍やエストニア人部隊などに配属されていたり、1944年のヴィープリ戦に出ていたりという写真が有名で、そこから考えると、どうも「すでに新型が出ているにも関わらず作り続けている旧型」として、主に2線級部隊に配備されたのではないだろうかと想像している。

それはそれでなかなか設定的にも魅力的だが、話がずれた。

こちらのキットはクラスナエ・ソルモヴォ工場がT-34生産に加わった当初に作っていた仕様で、リアパネル中央の丸ハッチが小さく4つボルトの、(ディーゼルエンジン供給が間に合わず)ガソリンエンジンが搭載されたと言われる仕様と、ディーゼルに変わった直後のものとのコンパチ(その中間的仕様と合わせて「3in1」を謳っている)。さらにこの仕様には、レニングラードの第27工場で施されたといわれる、「増加装甲ベタベタ溶接型」もあって魅力的。

ちなみに、もともとは船舶工場であるらしい「クラスナエ・ソルモヴォ工場(赤いソルモヴォ工場)」のソルモヴォというのは、ソルモフさんとか何とかいう人の名前が由来なのかとボンヤリ思っていたのだが、単純にニジニ・ノヴゴロド市(当時はゴーリキー市)にソルモヴォという地域があるらしい。

F1015420●もともとSUMICON2016のお題変更時にも、どちらにしようか迷ったキットなのだが、例の「サスアーム抜け防止金具」のあれこれでシャーシを余計に加工した勢いで、こちらもいじり始めてしまった。現存車輌のwalkaroundから判断すると、クラスナエ・ソルモヴォ工場のピロシキ砲塔搭載型が最後までそうだったかどうかまでは判らないが、とりあえず、初期は丸断面のサスアームを使用していたようだ。

というわけで、サスアームは旧型だが抜け防止金具がついたSTZ1942用シャーシ(下)と、(この部分については)一般的な旧型仕様となっているクラスナエ・ソルモヴォ工場用のシャーシ(上)。

2つ持っているSTZ1942キットだが、これでキットに含まれる旧型サスアームは使い切ってしまったので、今後、1941年型などを作る場合にどうしようかちょっと悩む。

F1015532 ●砲塔は後期型と違い、ハリコフ工場製車体に搭載された鋳造砲塔と基本同一の仕様で、砲塔後面がボルト止めの別体になっているもの。

どういうわけか、砲塔上面に対してハッチのパーツが若干大き目(ハッチの大きさはSTZ1942とほぼ同じなので、むしろ上面の幅が狭いのか?)。ちょっと削り合わせる必要があるかもしれない。

●STZ1942のキットのように、車体上下が根本的に合わないとか、そんな致命的な欠陥はないキットだが(とりあえずこの段階までは)、不満点として、起動輪が通常の1941年型(ハリコフ工場製)と同一のパーツしか入っていない、ということが上げられる。

クラスナエ・ソルモヴォ工場製のT-34は、標準型の起動輪に似ているものの、外周が溝ではなくソリッドな感じになっているタイプを使用している(有名なT-34-57「20号車」もこのタイプの起動輪なので、クラスナエ・ソルモヴォ工場生産車専用、というわけではなさそうだ)。

F1015528 F1015538 というわけで、このタイプの起動輪をなんとか作らなければならないのだが、とりあえず一つ、標準型起動輪のリム部を削り落とし(右)、ドーナツ型に切り抜いたプラバンで新たに外周を作ってみた。

間のローラーは一部リムに掛かるので、一度全部削り落とし。最終的にランナーの輪切りで再生している。リム部のプラバンは厚いものだと綺麗に切り抜くのが大変なので、0.5mm板2枚、0.3mm板1枚を重ねている。もちろん、それだけの数を切り抜くのも、それはそれで面倒。ホイール本体とリムの間には破線状に溶接痕があるので細い伸ばしランナーで再現した。

なお、履帯は買い置きがたまたますぐ見つかったAFVクラブの初期550mm幅履帯の可動式を使う予定なのだが、この履帯はセンターガイドが厚めでそのままでは起動輪の間に入らないため、0.3mmプラバンでスペーサーを噛ませて起動輪幅を広げた。

とりあえずこうして1個作ったものの、妙に手間が掛かった割に出来上がりもいまひとつな気がする。もうちょっと省力化できないものか考え中。

●もちろん2輌並行して作ってSUMICON締め切りに間に合わなかった、などということになると情けないので、いざとなったらこちらはペンディングにしてSTZに集中の予定。

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続・逗子の丸ポスト

●ほとぼり(何の?)が冷めないうちに、ということで、数日前に続き、逗子市内に4基残る丸ポストの残り1つを訪ねた。

この1基は池子のちょっと山の上、東逗子団地管理組合事務所前にある。ちょうど「池子の森自然公園」の週末の公開日にあたっており、久木側から公園を抜けて池子へ。理科ハウスの先から坂を上って団地に入り、ちょっと行くと、向こうに鮮やかな朱色が見えてくる。

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背後の製造者銘は土に埋まっていて見えない。

F1015336 ●丸ポストの近くの自販機で買ったUCCコーヒーがヱヴァ箱根缶だった。

もうずいぶん前から時々これを見るのだが、そんなに大量に生産しているんだろうか。神奈川限定で生産し続けている? 朝比奈のbookoff店舗内といい、今回の自販機といい、常にディスカウント価格(100円)なのも謎。いやまあ、もしかしたらどこでもUCCミルクコーヒーは100円なのかもしれないけれど。

あ、2年前に朝比奈で買ったのと同じ絵柄だ。

F1015402 ●前述のように池子には、「池子の森自然公園」(かつての池子弾薬庫跡地、現在の米軍管理地)を抜けていったのだが、広場の脇にクルミ(オニグルミ)が実を付けていた。食べてみたい!……でも自然公園内は動植物の採集は禁止。うう。

前回(初めて)訪れた際の記事にも書いたが、公園内は、もともと枝分かれした小谷戸のそれぞれに弾薬倉庫があったらしく、輸送用の引き込み線の跡が何カ所かで確認できる。

久木側と池子側を結ぶトンネル(New Hisagi Tunnel)の久木側すぐの脇道には、前回紹介したよりもはっきりレールが地表に出ていて、しかも、そのレールがまた分岐しているところも残っていた。

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4枚目はNew Hisagi Tunnelから見た池子側の空。丸く切り取られた空がいかにも夏っぽく青かったので。

F1015326b ●逗子市内水道路の海軍標石補遺。

逗子駅から鎌倉側、名越送水管トンネルまでの海軍標石は、現存するものは池田通り交差点付近の2基と、久木新道~法性寺バス停間の1基のみで、前者の近くにあったほか2つの痕跡はもうまったくなくなってしまったものと思っていたのだが、三上金物店の隣に1つ、ほぼ間違いないと思われるアタマ(もしくは断面)が1つ残っていた。

白黒の模様の特徴から、ここで紹介されている3番の写真と同じものと思われるが、地図上の場所は3と4が入れ替わっているかも(現在は駐車場になっている、元日通前に痕跡が一つあったのが判っているので)。

●逗子のポスト4カ所を回り終わったので、次は葉山? ポストマップによれば、葉山には丸ポストが9カ所現存しているようだ。以前、県立近代美術館の葉山分館に行った際に2カ所見ている(1カ所はバスの窓からだったので撮影していない)。

あるいは逗子市内の庚申塔巡りなんてのも面白いかもしれない、と思ったが、これはそもそもいくつあるのかもよく判らない。しかし、どんな世界にも先達というのはおられるもので、検索したらこんなサイトに行き当たった。偉大なり。

名越切通入口(久木新道)の庚申塚など私の知っている範囲でもリストに入っていないものもあるので、探せば市内で30カ所くらいにはなるのかもしれない。

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逗子の丸ポスト

●最近ほとんど歩いていないうえ、梅雨入りのお陰でますます運動不足になりそう。というわけで、仕事の谷間と梅雨の晴れ間が重なっているのをいいことに散歩に出掛ける。

いつもなら当然山歩きが主体になるところだが、ふと気が向いて、逗子の丸ポストを訪ね歩いてみることにする。

●お隣の鎌倉は現在でも30もの丸ポストが現役で、これはおそらく自治体単位では小平市と並ぶ日本トップタイなのだが、それに比べて逗子市は寂しいもので、丸ポストは4基しかない。

ポストマップで確認すると、どれも我が家からは市の反対方向で結構遠く、そのためこれまで行ったことがなかった(1基か2基は前を通ったことくらいはあるかもしれないが、その頃はまだ丸ポストにそこまで入れあげていなかった)。

多少は幸いなことに、4基のうち3基は、ほぼ同一方向にある。そんなわけで、逗子の丸ポストの3/4を以下に。

▼逗子~東逗子間、水道路沿い。桜山1丁目2-21、寿し魚友横。こういうちょっと古めのお店の脇というのは、丸ポストが最も落ち着いて見えるポイントだと思う。

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▼東逗子駅先、県道24号線沿い。沼間3丁目2-1、長谷川たばこ店前。忍法木の葉隠れポスト。しばらく前までは横に自販機が並んでいたらしい。脇道を挟んで隣の一段高くなったところは、古木の下の庚申塔。

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▼横横道路逗子インター近く、県道から北にちょっと入った住宅地。沼間4丁目5-24。隠れんぼポスト。

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残る一基はちょっとルート的には外れていて、京急神武寺駅からちょっと上ったあたりの住宅地の中にある。

●上の3つのポストは、ほぼ、逗子駅~沼間の水道路沿いにある。水道路(すいどうみち)は、かつて海軍が軍港・横須賀の水需要のため、はるばる中津川から引いてきた軍港水道半原系(その後横須賀市に移管)の上に作られた道路で、鎌倉、逗子を横断して横須賀に続いている。

今までも逗子駅近辺から鎌倉側に関しては、当ブログでも何度も取り上げているのだが、沼間まで辿ったことはないので、ちょうどいい機会なので、旧沼間ポンプ場までの道筋上の海軍標石を拾える限り拾ってみた。

逗子駅ロータリー~下田橋

逗子駅に近い、比較的短い区間。ここは駅に近いのでこれまでにもよく行って見たことがあり、当ブログで最初に海軍標石と水道路の話題を出した時にも紹介済み。

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1枚目は駅前ロータリーから水道路に入って10メートルほど?の左側にあるもので、状態も非常によく、とりあえず「海軍標石ってこんなモノ」というのを見たい人にお勧め(そんな人がいるかどうかは別として)。

3、4枚目は辻に向かい合って残っているもので、以前書いたように、角にもう一つあったのだが、家を新築する際に撤去されて(削り取られて?)しまった。

下田橋下脇には青いカバーの掛かった水道管が走っているが、1本しか見当たらない。鎌倉材木座の「水道路」交差点よりこちら側は水道路のもとになった半原系と、その後で作られた有馬系が並行しているはずだが、半原系は2007年に取水停止、2015年には廃止になっている(横須賀市上下水道局)。1本しかないとなると、これは有馬系? それとも橋桁に隠れてもう一本ある?

下田橋~蓮沼橋

くねくね曲がる田越川は下田橋で水道路の北側に行き、蓮沼橋でまた南側になる(その後もまた交差するのだが)。水道路は、田越川と県道24号の間を、おおよそ逆への字に走る。海軍標石もぽつぽつあるが、それよりも、戦後になって立てられた「横須賀市水道局」標石がやたらにあり、場所によっては数メートル間隔で3つ4つ並んでいたり、道を挟んで向かい合っていたりする。

F1015292 F1015290 F1015285 F1015263 F1015261 F1015257 F1015252 F1015250 F1015249

以上は「逆への字」のおおよそ頂点くらいまで。1枚目は右側が水道路で、かなりの長距離をまっすぐに進む水道路の特徴が出ている。左側に顔を出しているのが、2枚目写真と同じ標石。

この区間の海軍標石は、頭の上に横須賀市水道局ほかの、金属の「境界」標識を埋め込まれる改造が施されているものがちらほらみられる(2,3,4枚目。5枚目写真は4枚目写真の標石のアタマ)。

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逆への字後半。距離はそこそこあるが、前半に比べ海軍標石はあまり見当たらない。1枚目はサイズから考えて「たぶん海軍標石じゃないかなあ」的なもの。2,3枚目は同じ標石で、頭に2つもタグが植えられている。

最後の写真は東逗子駅近く、ヨークマート脇の蓮沼橋を渡る水道管。太いほうが有馬系、細いほうが半原系ではないかと想像。向こう側に裏側だけ見える看板は、実際には両側に掛かっている横須賀市水道局の注意書き。

蓮沼橋~沼間ポンプ場跡

東逗子駅前後からしばらくは海軍標石は見当たらない……と思ったのだが、ここを見ると、駅前に一つある。なくなってしまったのかもしれないが、私が単に見落とした可能性もある。

しばらく行くと、水道路はまた田越川と交差し、すぐに県道24号と合流する。見当たらないと思っていた海軍標石だが、沼間会館前の、おそらく火の見櫓跡ではと思われるコンクリート製の台座の根元に1基、横倒しになって塗り込められていた。それからしばらく行くと、沼間コミュニティセンター(旧沼間公民館)に着く、センター下の細長い駐車場が、元のポンプ場跡地であるらしい。

F1015215 F1015199 F1015197 F1015195 F1015192 F1015190 F1015182 F1015183 F1015184

2枚目は沼間ポンプ場跡地、逗子側(上流側)の入口。5,6枚目は横横インター側(下流側)。両方とも、古い門跡が残っている。場内(現在は駐車場)の県道側には、西洋の城の狭間(ツィンネ)のような凹凸の付いた古い壁がある。もともと半原系水道は水源地から逸見の浄水場まで自然流下で水を通していたのだが、昭和6年、能力向上のためにこのポンプ場が設けられたのだそうだ。

最後の3枚の海軍標石は、上記壁の外側にあったもの。1枚目は逗子側端、3枚目は横横インター側端。これは前出の研究サイトでも取り上げられていない。ポンプ場跡のこの壁と県道の間は民家が並んでいるので、この3つ以外にも、民家の庭にぽつぽつと並んでいそう。自分の家の庭先に海軍標石。いいなあ(いいか?)。

この沼間ポンプ場跡地から県道(と田越川)を渡ってしばらく行くと逗子・横須賀市境の水道隧道があり、そこまでにもいくつか標石があるそうだ(というのを帰ってから確認した)。せっかくここまで来たのだから、足を延ばせばよかった。

●散歩の行き帰りの雑多なあれこれ。

F1015306 F1015305 我が家の前のアカメガシワには、この時季、しょわしょわした花が咲いてマルハナバチもよく来るのだが(右)、そんな中に、小さな、やたら丸っこいハチのようなヤツがいた。花から花へ、結構忙しなく飛ぶので、ハチ?アブ?などと思っていたのだが、どうもよく見るとハナムグリらしい。後で調べて、「ヒメトラハナムグリ」という種類らしいと判明した(左)。愛用しているポケット図鑑「日本の昆虫1400」には「数は少ない」とある。

F1015205 沼間、県道24号線沿いで見かけたスゴイもの。この写真はちょっとピンボケであるうえに角度もあまりよくない。むしろストリートビューで見たほうがいいかもしれない(もちろん、この先更新されたらどうなるかわからないが)。

とにかく、明らかに傾いていて、崩壊寸前の廃屋に見えるのだが、実は、まさに営業中の床屋なのだ(看板も出ていないのがますます不思議)。地元の人にとっては見慣れた風景なのかもしれないが、中で散髪中なのを見て驚いた。

F1015203 五霊神社は沼間の鎮守で、市のほとんど反対側在住の私には馴染みがないものの、お祭りもそこそこ盛んらしい。境内は県道に面してちょっと高台にあり、こぢんまりしている割に鎮守の森が大木揃いで、特に拝殿に向かって右側の大銀杏は立派。鶴岡八幡宮の大銀杏亡き今、もしかしたら一円で一番立派なんじゃなかろうか。いや知らんけど。

説明板には、樹齢は800年、いや1000年にも達するかもしれない、などと書いてあって、ということは鎌倉時代か、下手をすると平安末期にまで遡ることになるのだが、実際には、日本へのイチョウの伝来は室町時代と考えるのが妥当であるらしい(ということは、どんな大樹でも樹齢はおよそ600年が最高ということになる)。これについては、この研究レポートがなかなか説得力もあって面白い。もちろん、鎌倉の三代将軍実朝が甥に暗殺された際、甥の公暁は例の大銀杏に隠れていたというのは後々の創作だというのが定説となっている。

沼間ポンプ場跡地あたりから上の3つめのポスト(沼間4丁目5-24)方面に行くには、県道の脇を入って横須賀線の線路をくぐる。……のだが、この横須賀線下の歩道が妙に素敵度が高い。写真ではあまり面白さが伝わらないかもしれないが、とりあえず写真と説明を以下に。

F1015181 F1015178 F1015176

横須賀線は、ごくごく短いガーダー橋で一番上を通っている。この橋はもともとは田越川と交差するもので、鉄橋から川面まではそこそこ高さがある。その間に、後から歩道橋(これは両方の川岸と同レベル)をくぐらせてしまったのがこの状態。歩道とガーダー橋は、頭をぶつけるほどではないが、かなり接近している。狭いところ潜り抜けマニアとか、「すぐ頭の上を電車が走るところを実感したい」人にもお勧め。

逗子の中心、亀岡八幡(市役所隣)の脇の入口には、古い街灯柱が立っているのだが、そこに、その街灯柱の製作者であるらしい会社の鋳物のプレートが付いている――というのを先日facebookの逗子ニュースグループで教えて貰ったのを思い出して見に行った。電話番号に局番がなく、「蒲田」局で掛けるようになっているのが時代がかっている。またよく見ると単なる銘板ではなく、上にはヒンジが付いていて、実際には街灯柱点検用の小扉であるのが判る。入口の両側に立っているのだが、もう片方の電灯柱はこのパネルがなくなっていた(ちなみにこちら側は街灯本体も失われていて、柱のアタマにはガイシだけがぶら下がっている)。

F1015155 F1015152 F1015153

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スターリングラード・トラクター工場(9)

週末模型親父さんのところのAFV模型のネットコンペ、「SUMICON 2016」の参加作、cyber-hobbyの「T-34/76 STZ Mod.1942」の製作記。

●車体工作の続き。今回は、ちょっと面倒臭くて手を付けるのをためらっていたサス関係。

以前に書いたように、キットの車体下部は専用のものがセットされており、

  • 側面と底面が組接ぎ仕様。
  • 通常型シャーシだとサスアーム取り付け穴前方にあるアーム抜け防止金具のモールドがない。
  • 関連して、サスペンションアームが丸型断面の初期型のものになっている(これは初期のT-34では必須のものだが、たぶんSTZのキットにしか含まれていない)。

という特徴がある。車体下部それ自体の寸法は(車体上部と違って)破綻しておらず、車体上部にも組接ぎ表現を施したこととも合わせて、今回はキットの車体下部をそのまま使うことにしたのだが、ここで問題。

それは、STZ製のT-34は初期型の丸断面のサスアームを使っていたと思われる一方で、ある時点から(おそらくアゴ削ぎ砲塔導入よりも前から)サスアームの抜け防止金具も付いているという、ハイブリッドの仕様であったと思われること。

F1015144 前述のように、これ以外のT-34系列のキットに入っているシャーシには抜け防止金具のモールドがあるのだが、これは、車体側とサスアーム側になんとなくそれらしい突起のモールドがあるだけで、それ同士がかみ合う状態にはなっていない(右写真)。

今回は(面倒くさいナー、と思いつつも)せっかく新しく作るので、噛み合う機構も一応は再現してみることにする。

というわけで、まずはサスアームの軸部分に金具をはさむ“ベロ”を作る。これは0.5mmプラバンの端にポンチで円弧の切り欠きを付け、これを適当に刻んで接着した後に整形した。なお、上写真のように、後期型角型アームのパーツでは、このベロは(塊状になっていると同時に)だいぶ外側に寄っているが、実際にはむしろ車体側にある(6/15訂正。よくよく実車ディテール写真を見直したら、位置はちょうど真ん中あたりだった。いやもう作り直さないけど)。また、この機構は第2~第4転輪のアームにしかついていない。

F1015128 F1015139 そんなこんなで工作をした経過と結果が右写真。表面の3つのボルトは、標準型キットの突起モールドから削り取って使った。STZ以外の初期型を作る場合には、この抜け防止機構はないはずなので、このモールドが不要なキットは、我が家には数個ある。

実のところ、形状も工作精度も割といい加減なものなのだが、別に「実車の生産工程で工員のイワン・イワノビッチ君(仮名)が大らかに作業してたんだよ!」という言い訳を持ち出すまでもなく、転輪を付けてしまうとほとんど見えない。

F1015140 F1015136 両側のサス4本ずつを工作終了した状態と、転輪を付けて見てどれくらい見えるかを検証してみたもの。ご覧のように、割とちゃんと見えるのが第3転輪用アームの基部で、あとは第2が「ちょっと見えるかな?」程度。……なかなか不毛だ。

なお、先日作業途中の写真をUPしたギアハウジング部は両方とも丸みを持った形に削り直し、溶接痕を工作し、一番底の部分に油抜きの穴?を再現。内側にグリス注入用?のボルトを1つ付けた。なお、実車はこのボルトの抜け落ち防止用にチェーンかワイヤを繋げるためなのか、隣にもう一つ小突起があるのだが、詳細不明で工作していない。

●ところでこのキット、丸断面のサスアームがパーツ化されていること自体は有り難いのだが、サスアームの軸が転輪側にも車体側にもきつくてうまくはまらない。

根本的に寸法がおかしくてそのままでは組めない車体上部と違って、やすりで穴を広げるとか、軸を少し削るとか、その程度の調整で済むので細かな問題ではあるのだが、いちいち手間が掛かる。

とりあえず問題点をまとめると、

▼サスアームが車体側の穴にうまくはまらない。これはサスアーム側の問題というより、車体側の穴が(標準型キットのパーツに比べて)狭い。

▼サスアームの転輪側の軸がきつい。これはどうやらサスアーム側が太め。転輪側の穴をヤスれば入るのだが、それだけでなく、転輪軸根元の2段太くなっている部分の外側を削らないと転輪位置が外側に行き過ぎるようだ。上の抜け防止ベロ加工中写真(サスアームが3つ写っているもの)の一番左のアームは修正前なので、削っていない段差が確認できる。

ちなみに、この丸側断面サスアームに標準型転輪を装着して使う場合には、軸根元の段差を削る必要はない。これは、STZ用緩衝ゴム内蔵転輪は、転輪そのものは標準型より薄いものの、ハブ部裏側の突起が大きいため(実物はどうあれ、少なくともキットパーツでは)。

▼形状の違う第一転輪用のサスアームは、アームそれ自体が、第2~第4転輪用より若干外側に付いてしまう。転輪側・車体側両方で若干削り合わせて、転輪位置が他と揃うように調整する必要がある。

また、車体側の位置決め溝が角型アームに合わせたような大きなもので、アームに隠れきれないので埋める必要がある。いやまあ、ほとんど見えないといえば見えないんだけれど。

▼これで転輪位置は揃った、と思ったら、今度は起動輪が転輪と同一中心線上に来なかった。試しに履帯パーツを合わせてみると、ちょっと起動輪が内側寄り過ぎる感じ。起動輪の軸の根元に、0.3mmプラバンをドーナツ型にしたスペーサーを噛ませた。

▼なお、標準シャーシパーツでは(後期型T-34に合わせて)第一転輪サスアーム用ダンパーが2つモールドされていて、初期型T-34を作る場合には1つ削り落とすよう指示されている。STZ1942用シャーシパーツでは最初から1つしかなく、その点はいいのだが、なぜか位置がわずかにずれている。もっとも転輪を装着すると見えない位置にあるので、今回は直さなかった。

とにかく次から次に、「ここも合わないのかよ!」だらけ。おまえはトラップ・ファミリー・シンガーズかって感じ。もちろん組立前にパーツがきっちり整合するか確認するのは模型製作の基本であり、それを怠ると「ちっ、これだからタミヤに慣れたぬるま湯モデラーはよぅ」なんて言われるわけだが(誰に?)、こういちいち姿勢を試されるのも勘弁してほしい。

ちなみに誘導輪の位置がちゃんと揃うかどうかは未確認。

●エンジンルーム後面パネル工作の続き。

M.S modelsに注文していた、masterclub製のパーツ「短頭六角ボルト二面幅0.7mm」が届いたので、さっそく排気管カバーの工作をしよう! ……と思ったのだが、パネル周囲のボルトに比べ、どう見ても小さすぎる。

実を言えば、0.8mmサイズにしようと思ったものの在庫が切れていたので0.7mmにしたのだが、むしろ0.9mm幅でよかったのかも、という感じ。いやいやいやいや。それ以前に「こんなもんでいいかあ」でサイズ決めるなよって話ですが。

F1015141 あって困る物でもなし、ついでに0.9mm幅も頼んでおくんだったなあ、などと思ったが、そこで、先のサスペンションアームの「抜け防止金具」のモールドのリベットを思い出して比べてみたらちょうどよい感じだった。最初からそれを思いついていれば、お取り寄せしなくても済んだんじゃ……というのは言わない約束で。

単純にボルトの形状だけの問題ではなく、頂部のボルトが1本ではなく2本なのが、ある時点以降のSTZ生産車の特徴。

F1015133 F1015131 排気管は理由はよく判らないが左右張り合わせのものと、スライド金型を使った一体成型のものと2種類のパーツが入っていて、説明図では後者を使うように指示されている。一体成型のほうは排気口の彫り込みが浅く、場合によっては前者を使った方がいいんじゃないかとも思ったのだが、ドリルビットの先で(手で)ぐりぐりしたら、それなりに綺麗に彫り込むことができた。

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梅雨入り

●すでに先週の初めから梅雨入りしているそうな。今のところ、何日も降り続くほどの雨は降っていないが、それでも数日のあいだに1,2度は雨が降るといったような感じ。

じめじめと蒸す感じの日もあるが……ククク。今年の私にはエアコンがあるのだ(なかったのかよ!と言われそうだが数年前に壊れてそのままだった)。先週の取り付け(というより取り換え)工事の際には、とにかく最低限の作業ができるように部屋を片付けねばならず、そちらのほうが大変だった。床に積み上がった荷物を片付けていたら、「あ、こんなところにあったのか」という模型が出てきた(逆に、「あれ?ここの下にあったんじゃなかったっけ」という模型が行方不明)。

●鎌倉の街はあじさいが名物なので、この時期は(特に休みには)人が多く、名所とされる明月院や長谷寺あたりは入場制限がかかるときまであるようだ。極楽寺坂の成就院も名所として名高いが、今年は整備だか植え替えだかで見ることができない。

個人的には、毎年、それほど混まないが山アジサイが美しい御霊神社は覗きに行くことが多いが、今年はまだ行っていない。

何がどうってわけでもないのだが、一応、季節の縁起物みたいな感じで、ご近所(小坪~久木)のあじさい。普通に綺麗に撮った写真はfacebookの地元のニュースグループなどにも続々上がっているので、ちょっと天邪鬼に“寄り”ばかり撮っている。

F1015084 F1015080 F1015079 F1015077 F1015066 F1015034 F1015032 F1015031 F1015119 F1015117 F1015116

●土日(11日、12日)に泊りがけで実家に出掛ける。

行きは鎌倉経由で、浪花家でたい焼きを食べる。

F1015114 以前、麻布十番で働いていた頃(そして麻布十番がまだ都会の中の「残され島」の雰囲気だった頃)、真夏には本家の浪花家で宇治金時を食べるのが楽しみだった。

鎌倉浪花家ではかき氷はやらないんですか、と訊ねたら、もう始めてますと言われた。よく見たら、カウンターの向こうにちゃんとかき氷の機械があった。

鎌倉浪花家は店が狭く、「歩き食い」のお客がメインなので、かき氷も使い捨ての器で小さめで出しているそうだ。

●日曜日、兄弟分のドイツ人Pが三女を連れてやってくる。昼間から二人でくぴくぴ酒を飲む。

Pが来ることはあらかじめ母から聞いていたので、飲みながら食べようと、鎌倉腸詰屋で3種ほどソーセージを買っていった。本場の人間として食べ方その他に注文があったら言うように、と言ったら、

「茹でるときには熱湯に入れて、すぐ火を消して、あとはフタをして自然にゆだるのを待て」とか、

「本当はソーセージの種類によってからしも違った方がいいんだけれども今日はこれしかないんだからしょうがない」とか、

「これはこれで美味しいけれど、本当のヴァイスヴルストはこういう味のものじゃない」とか、

いちいち本当にウルサかった(笑)。もっともそういうヤツなのは判っているので期待通りの反応。文句を言いつつ美味そうに食べてくれたのでよかった。さすがにバイエルンに実家のあるヤツはバイエルン名産のヴァイスヴルストにはウルサイのか、と思ったが、P曰く、「ウチのあたりは元々はフランケンだからバイエルンとはちょっと違う」のだそうだ。

「おばさんはそういう(面妖な)食べ物は食べないだろうと思ったから持ってこなかったが、実はとても美味しいレバーのパテがあった。持ってくればよかった」と言っていて、次の機会に食べさせてもらう約束をした。

P家三女は現在大学3年生だが、飲んだくれたおっさんの会話にしっかり付き合ってくれるよく出来た娘さんで、ドイツの歴史の話とか大学の勉強の話とか奄美・沖縄やアイヌの話とか、いろいろと支離滅裂な話を延々と話す。夕方まで飲み続けてその後帰宅。

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スターリングラード・トラクター工場(8)

週末模型親父さんのところのAFV模型のネットコンペ、「SUMICON 2016」の参加作、cyber-hobbyの「T-34/76 STZ Mod.1942」の製作記。今回は割と小刻みな進捗報告。

F1015018 ●前回作成したエンジンルーム後面パネルにディテール工作。

周囲のボルトはmasterclubのレジン製、「短頭六角ボルト二面幅1.0mm」。先週、四谷仙波堂で購入したもの。サイズ違いも欲しかったのだが、在庫がこれしかなかった。

軸径はラベルには0.8mmと書いてあるのだが、実際には0.8mmでは入らず、0.9mmでちょうどよい感じ。マスタークラブのリベット/ボルトは、他にもこんなケースがあったような覚えがあるので、使う前に要らないプラ材などで確認するのがよさそう。ちょうどいいサイズの穴だと、差し込んだときに根元でキュッと締まって接着剤要らずで止まるので快感。もっとも、今回は軸が飛び出したままだと車体上下のパーツに干渉する部分があるので、念のため裏から瞬着で止めて軸を切り飛ばした。

下辺のボルト列が間引きされて6本しかないのは、STZ製の特徴(ただし同工場製でも初期はハリコフ同様11本だったようだ)。ここはパネル開閉用のヒンジもあるのでボルトはほとんどなくても大丈夫なような気もするのだが、他工場では(ヒンジの大きさや位置によって多少の数の違いはあるが)T-34-85に至るまで、ここまで数を減らした例はない。

中央の点検ハッチは、キットパーツは標準の1941年型仕様のままなので改修が必要。四隅の尖頭ボルトを平頭ボルトに交換。ここは後面パネル周囲のボルトよりわずかに小さめのものが使われている例と、ほとんど同じものが使われているように見える例とがある。ここでは周囲と同じ1mmのボルトを使用した。

上辺中央にはキットのパーツは鍵穴(というより取り外し式の取っ手用の穴?)があるが、STZ製の場合はコの字の取っ手が付いているので、0.35mm真鍮線で工作。

排気管カバーも、キットのパーツは1941年型用の尖頭ボルトのままであるうえ、STZ1942はボルトの数も違う。このボルトはパネル周囲よりも小さなものが使われているが、前述のように小さめのボルトが入手できなかったので、現在お取り寄せ待ち。

F1015097 ●あちこち脈絡なく工作している感じだが、エンジンデッキ中央の点検ハッチを工作。ここは通常の1941年型キットでも同様だが(今回は通常の1941年型用の車体上部パーツを流用しているのだから当たり前だが)、点検ハッチのパーツと車体パーツのハッチ穴がうまく合わない。四隅もハッチパーツのほうが丸みが強いので、隙間があいてだいぶみっともないことになってしまう。

(8月4日追記:上に「通常の1941年型キットでも同様だが」と書いたが、不思議なことに、基本、STZ1942を除いて共通パーツのはずのドラゴンのT-34-76シリーズの車体上部には何パターンかバリエーションがあり、上記のように作り替えのほうが楽なほどハッチ形状が合わないのは一部のようだ。ちなみに、「1941年型・鋳造砲塔」キットの場合は、ハッチ側を若干削り合わせることでピッタリフィットした。私の持っているうちでは、「OT-34/76 1943年型112工場製」が同一の車体上部。また、並行製作している「クラスナエ・ソルモヴォ工場製初期型」の車体上部は前記2キットとわずかに違う車体上部だが、同様に若干のすり合わせでキットのハッチが使えた。これらはキットによって違うというより、生産ロットによって違う可能性もある)

いくら実物のT-34の細部工作が大らかだといっても、流石にこれはないだろう、という感じなので、プラバンでハッチ穴に合うようハッチを新造した。

もっとも実車写真を見ると角はもうちょっと丸みがある気もするので、もしかしたらハッチパーツに合わせてハッチ穴を加工したほうがよかったのかもしれない(もちろんそちらのほうが工作は面倒だと思うが)。

F1015096 ●砲塔のバッスル下に、パイプ状の謎突起を付けて、砲塔の工作も終了。コントレールのプラパイプを使用。ただし、まだハッチは付けていない。

モスクワの中央軍事博物館にある砲塔だけの展示品のwalkaround写真を参考に適当に場所のアタリを付けたのだが、接着した後に車体にはめ込んでみたら、ラジエーターカバー部に接触するスレスレだった。危うく付け直しになるところだった。行き当たりばったりに工作したらイカンですね。

なお、バッスル下の後面板との溶接ラインは、安直にパーツの継ぎ目に付けてしまったが、実際にはもうちょっと内側にないとおかしいのかもしれない(側面は、一段薄く削ってはめ合わせてあるような気がする)。まあ、どうせ見えないからいいや(←いきなり適当)。

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スターリングラード・トラクター工場(7)

週末模型親父さんのところのAFV模型のネットコンペ、「SUMICON 2016」の参加作、cyber-hobbyの「T-34/76 STZ Mod.1942」の製作記。

なお、これまでSUMICON掲示板への直リンクをずっと貼ってあったが、スパム投稿だの何だのを防ぐために頻繁に移動するので、HPトップのみとした。以前のリンクは切れているのでご了承を。

それにしてもこんなに立て続けに、1つの模型の工作についてアップしたのは初めてかもしれない。……仕事しろよオレって感じ(ちなみに今はだいぶ仕事が立て込み中)。

●砲塔の工作もすべて終わったわけではないが、とりあえず大よそのところは片付いたので、問題の車体の工作も進めることにする。先述のように、車体上部はキットパーツの仕様は潔く諦め、ハリコフ工場製1941年型キットからコンバートしてきて、これをSTZ仕様に改修していくことにする。

まずは車体前面。

F1014979 ▼いきなり重箱の隅的な感じだが、車体銃のバルジの工作。

キットパーツは一般的な1941年型用のパーツをそのまま流用しており、前面のマウント固定用?のボルト止めされた板が、下が途切れた馬蹄形になっている。しかし、スターリングラード・トラクター工場(STZ)製の場合は途切れないリング状のパーツを使っているので、前面を削り取って、プラバンで作り替えた。

このリングは単純にバルジの上に重ねてあるのではなく、はめ込まれたような形になっているので、接着後に周りに溝を筋彫りした。

固定用のボルトは、元パーツのものはなぜか妙に背が高くて変だったので、不要部品として入っている、1941年型用のエンジンルーム後面板から移植した。

STZ1942の場合、各部のボルトは尖頭ボルトでなく平頭ボルトが普通だが、この部分だけは、STZ1942でもしばしば尖頭ボルトが使われているようで、アゴ削ぎ砲塔搭載のSTZ1942の鮮明な実車写真として有名な、沼にはまった「07★ スターリンのために」号でもそうなっているため、尖頭ボルトママとた。ただし、別の車輌の写真で平頭ボルトの使用例も確認できる。

なお、このドーナツ状の板、作例は内側下部を一部切り欠いた形になっているが、まるっきり丸いままのバリエーションもあるようだ。

F1014981 ▼車体前面装甲板は、以前、112工場製車輌用のパーツを流用予定と書いたが、このパーツは厚みがあり過ぎる感じで、しかも組接ぎ部分の比率が112工場とSTZでは異なっていて、結局そのままでは使いづらかったので、潔くプラバンで作り替えることにした。

組接ぎ部は実際に噛み合う状態にすることにして、側面上部を延長した。

基本、前面装甲板上のディテールは別部品になっているため、元のパーツから削り取って移植する等の手間はほとんどなく(この後、前照灯のコード引き込み部だけは移植の予定)、下端左右の誘導輪位置調整部のみ自作した。位置は元パーツと照らし合わせつつ、実車写真も見ながら適当に決めたが、実はちゃんとこのあたりにメジャーを当てた写真もあった。以前にも紹介しているのに、存在を忘れていた。迂闊。

F1014991 F1014989 ▼操縦手ハッチは、キットのパーツjは端正過ぎる。T-34の操縦手ハッチは、時期の差、下請け工場の差でだいぶ見た目にばらつきがあるのだが、少なくともSTZの場合は割と作りの荒いものが多いようで、直線もはっきり出ていなければ肌も荒れている感じ。

そこで、少し削ってから接着剤を塗って荒した。右がキットパーツママ、左が作業後。

F1014983 ▼ところで、このハッチを取り付けるにあたって、STZ1942のパーツと、前述の112工場製用のパーツを比較してみたら、ハッチ位置が横方向におよそ2mmもずれていることが判明した。……いくらなんでも、生産工場によってハッチの位置が(ひいては操縦席も?)違うなんてあり得るのか?

実車写真から判断すると、ハッチの内側の辺が車体の中心線上、あるいはそれを若干越えるくらいという感じのようで、そこから判断すると、112工場製用パーツは、ハッチ位置が外側過ぎる。……112工場製T-34は操縦席が左に寄っている、なんてこたあないと思うけどなあ。

なお、今回の製作とは関係ないが、1941年型のハッチの場合、ハッチと、その上部のペリスコープは若干位置がずれている。ペリスコープは操縦手席のまっすぐ前にあると考えると、1941年型までと、1941年戦時簡易型とでは、(ハッチ位置が変化していないと仮定すると)操縦手席がわずかに移動している可能性がある。……これまた何とも不思議。実際はどうなのだろう。

また、STZ1942のキットには、ハッチが変更になる過渡期の仕様、旧型のペリスコープ基部にヒンジを付けて、新型ハッチを装着できるようにしたパーツが含まれている。このパーツでは、ペリスコープ基部にズレなく新型ハッチ用ヒンジが付いているのだが、これは本来、ずれていないとおかしいのではないかと思う。

F1014987 ▼新造した車体前面装甲板に、車体機銃バルジと操縦手ハッチを取り付けてみた状態。

車体フックは、外れ止めのツメの形状がいまひとつよく判らなかったので、まだ取り付けていない。この部分に、可動式のツメではなく単純な板状のパーツを付けている車輌もあるが(例えばコンコードの“SOVIET TANKS IN COMBAT 1941-1945”の18ページ上写真)、これはSTZ製でも1941年型の一時期特有のもののようだ。

●車体側面。

F1015003 側面板と上面板が組接ぎになっているのは、1942年生産型でも全部ではないようだが、STZ特有の仕様であり、シャーシも組接ぎになっているものを使用するのに合わせる意味もあって、追加加工することにする。

側面板上辺の3カ所に組接ぎの表現を彫り込み、戦闘室部分に関しては、上面の溶接痕表現もこの部分のみ削り落とした。

このあと、(前面装甲板との継ぎ目も一緒に)伸ばしランナーで溶接痕を加工した。

●車体後面。

F1015011 ▼エンジンルーム後面パネルは、STZ1942キットのもの(上)は、寸法がおかしい車体上部に合わせてあるため、1941年型キットの後面パネル(中)に比べ上下で寸詰まりで、左右の角度もおかしく、使いようがない。

そこで1941年型用パネルの左右に組接ぎ部を延長して使おうかとも思ったのだが、パーツのボルトのモールドは尖頭ボルト、STZ1942は平頭ボルトなので結局すべて削って植え替える必要があるうえ、中央の点検ハッチの穴とハッチのパーツがうまく合わない(ヒンジが干渉する)ので、ここも結局新造することにした。中央のハッチ穴を綺麗に開けるのがかなり面倒で、新造したのをちょっと後悔したのは内緒だ。

▼シャーシ後面はSTZ1942のパーツを使用。ところがこのパーツ、左右幅が足りずタテツケが悪く、上手く位置も決まらない。そもそもシャーシ左右のプラの厚みが違うのは何なんだ。

なんとか無理矢理くっつけたのだが、そうすると、上記エンジンルーム後面パネルとの間にわずかに隙間が空いてしまった(後面パネルは1941年型キットの寸法通りに作ったはずなのに!)。

結局、後面パネルの下端にプラバンを貼って少し延長した。

F1015013 シャーシ後面左右のギアハウジング部は、T-34の実車では非常に形状にバリエーションがある部分。キットパーツはかなり角ばった形状のものを表現しているが、STZ製車輌の場合、もっと丸みが強いものが使われていることが多いように思う。

そこで、接着後にゴリゴリ削って形状修正をした。右写真は途中写真で、向かって右が修正前、左が修正後。

なお、車体裏側のディテールに関しては、通常の1941年型キットとSTZ1942キットとでは若干の違いがあるのだが、本当にそうなのか、私にはよく判らない。どのみち見えない部分なので、(車体下部はSTZ1942のものを使用していることもあって)そのままキットに従った。

写真で中央上部に写っているパネルは、キットの説明図では横長に取り付ける感じに図示されているが、パーツのダボとダボ穴に従えば写真のようになる。なお、通常の1941年型の場合は、ここはほぼ正方形のパーツが付く(はず)。

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スターリングラード・トラクター工場(6)

週末模型親父さんのところのAFV模型のネットコンペ、SUMICON 2016の参加作、cyber-hobbyの「T-34/76 STZ Mod.1942」の製作記。相変わらず砲塔工作(4回目)。

砲塔の基本形はだいたい仕上がった(ということにしたい)ので、上面のあれこれのディテール工作を行う。

F1014977 ▼ベンチレータは、キットではやや右にオフセットされた主砲の砲尾真上にある。確かに通常の1941年型ではその位置で間違いないようだし、機器としての効率から考えてもその方が都合がよさそうな気がするのだが。STZ1942では、もうちょっと中心寄りにある感じ。

(7/7追記。実際には、このように真ん中に寄せないと砲尾真上にならなかった。……あれ? もともとハッチを開けるつもりがないので砲尾パーツを省略していて気付かなかった。というわけで、上記「通常の1941年型ではその位置で間違いないようだし」も要再検証)

ベンチレータの基部を削り取り、ジャンクパーツの適当な筒形パーツを輪切りにして新たな基部を作成。位置をずらして接着した。

▼前方のリング2つは、STZ1942の実車ではキットのダボ穴より内側にあるらしい(右側ペリスコープの視界の邪魔になるので内側に寄せたのかもしれない)。一端穴を埋め、内側に穴を開け直して接着した。なお、このリング位置は年式・仕様によって異なり、通常の1941年型の場合は横方向の溶接線より前にある。

なお、このリングは自由回転するらしく、実車写真では割と向きがバラバラ。

▼ハッチのロック用ツメは、砲塔側のフックと位置がずれているうえ、(私自身は開けないものの)ハッチを開けようとすると干渉する(そのままではハッチがきちんと開かない)。

形もイマイチなので削り取り、不要部品の天井パーツから(形状修正のうえ)位置をずらして移植した。

F1014941 F1014940 ▼なんだか現用戦車のレーザーレンジファインダーっぽいような、オポグチボヤっぽいような独特の形状の右ペリスコープは、キットパーツでは下辺と上辺がjほぼ平行になっている(右側)。

実際には上面は地面と平行か、あるいは心持ち前が上がっているような感じなので、上面に傾斜を付けて削る。また、その際に一度削った2つの突起を再生。

接着位置も、ハッチヒンジと密着しないよう、わずかに前方にずらした。

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