スターリングラード・トラクター工場(7)
●週末模型親父さんのところのAFV模型のネットコンペ、「SUMICON 2016」の参加作、cyber-hobbyの「T-34/76 STZ Mod.1942」の製作記。
なお、これまでSUMICON掲示板への直リンクをずっと貼ってあったが、スパム投稿だの何だのを防ぐために頻繁に移動するので、HPトップのみとした。以前のリンクは切れているのでご了承を。
それにしてもこんなに立て続けに、1つの模型の工作についてアップしたのは初めてかもしれない。……仕事しろよオレって感じ(ちなみに今はだいぶ仕事が立て込み中)。
●砲塔の工作もすべて終わったわけではないが、とりあえず大よそのところは片付いたので、問題の車体の工作も進めることにする。先述のように、車体上部はキットパーツの仕様は潔く諦め、ハリコフ工場製1941年型キットからコンバートしてきて、これをSTZ仕様に改修していくことにする。
まずは車体前面。
キットパーツは一般的な1941年型用のパーツをそのまま流用しており、前面のマウント固定用?のボルト止めされた板が、下が途切れた馬蹄形になっている。しかし、スターリングラード・トラクター工場(STZ)製の場合は途切れないリング状のパーツを使っているので、前面を削り取って、プラバンで作り替えた。
このリングは単純にバルジの上に重ねてあるのではなく、はめ込まれたような形になっているので、接着後に周りに溝を筋彫りした。
固定用のボルトは、元パーツのものはなぜか妙に背が高くて変だったので、不要部品として入っている、1941年型用のエンジンルーム後面板から移植した。
STZ1942の場合、各部のボルトは尖頭ボルトでなく平頭ボルトが普通だが、この部分だけは、STZ1942でもしばしば尖頭ボルトが使われているようで、アゴ削ぎ砲塔搭載のSTZ1942の鮮明な実車写真として有名な、沼にはまった「07★ スターリンのために」号でもそうなっているため、尖頭ボルトママとた。ただし、別の車輌の写真で平頭ボルトの使用例も確認できる。
なお、このドーナツ状の板、作例は内側下部を一部切り欠いた形になっているが、まるっきり丸いままのバリエーションもあるようだ。
▼車体前面装甲板は、以前、112工場製車輌用のパーツを流用予定と書いたが、このパーツは厚みがあり過ぎる感じで、しかも組接ぎ部分の比率が112工場とSTZでは異なっていて、結局そのままでは使いづらかったので、潔くプラバンで作り替えることにした。
組接ぎ部は実際に噛み合う状態にすることにして、側面上部を延長した。
基本、前面装甲板上のディテールは別部品になっているため、元のパーツから削り取って移植する等の手間はほとんどなく(この後、前照灯のコード引き込み部だけは移植の予定)、下端左右の誘導輪位置調整部のみ自作した。位置は元パーツと照らし合わせつつ、実車写真も見ながら適当に決めたが、実はちゃんとこのあたりにメジャーを当てた写真もあった。以前にも紹介しているのに、存在を忘れていた。迂闊。
▼操縦手ハッチは、キットのパーツjは端正過ぎる。T-34の操縦手ハッチは、時期の差、下請け工場の差でだいぶ見た目にばらつきがあるのだが、少なくともSTZの場合は割と作りの荒いものが多いようで、直線もはっきり出ていなければ肌も荒れている感じ。
そこで、少し削ってから接着剤を塗って荒した。右がキットパーツママ、左が作業後。
▼ところで、このハッチを取り付けるにあたって、STZ1942のパーツと、前述の112工場製用のパーツを比較してみたら、ハッチ位置が横方向におよそ2mmもずれていることが判明した。……いくらなんでも、生産工場によってハッチの位置が(ひいては操縦席も?)違うなんてあり得るのか?
実車写真から判断すると、ハッチの内側の辺が車体の中心線上、あるいはそれを若干越えるくらいという感じのようで、そこから判断すると、112工場製用パーツは、ハッチ位置が外側過ぎる。……112工場製T-34は操縦席が左に寄っている、なんてこたあないと思うけどなあ。
なお、今回の製作とは関係ないが、1941年型のハッチの場合、ハッチと、その上部のペリスコープは若干位置がずれている。ペリスコープは操縦手席のまっすぐ前にあると考えると、1941年型までと、1941年戦時簡易型とでは、(ハッチ位置が変化していないと仮定すると)操縦手席がわずかに移動している可能性がある。……これまた何とも不思議。実際はどうなのだろう。
また、STZ1942のキットには、ハッチが変更になる過渡期の仕様、旧型のペリスコープ基部にヒンジを付けて、新型ハッチを装着できるようにしたパーツが含まれている。このパーツでは、ペリスコープ基部にズレなく新型ハッチ用ヒンジが付いているのだが、これは本来、ずれていないとおかしいのではないかと思う。
▼新造した車体前面装甲板に、車体機銃バルジと操縦手ハッチを取り付けてみた状態。
車体フックは、外れ止めのツメの形状がいまひとつよく判らなかったので、まだ取り付けていない。この部分に、可動式のツメではなく単純な板状のパーツを付けている車輌もあるが(例えばコンコードの“SOVIET TANKS IN COMBAT 1941-1945”の18ページ上写真)、これはSTZ製でも1941年型の一時期特有のもののようだ。
●車体側面。
側面板と上面板が組接ぎになっているのは、1942年生産型でも全部ではないようだが、STZ特有の仕様であり、シャーシも組接ぎになっているものを使用するのに合わせる意味もあって、追加加工することにする。
側面板上辺の3カ所に組接ぎの表現を彫り込み、戦闘室部分に関しては、上面の溶接痕表現もこの部分のみ削り落とした。
このあと、(前面装甲板との継ぎ目も一緒に)伸ばしランナーで溶接痕を加工した。
●車体後面。
▼エンジンルーム後面パネルは、STZ1942キットのもの(上)は、寸法がおかしい車体上部に合わせてあるため、1941年型キットの後面パネル(中)に比べ上下で寸詰まりで、左右の角度もおかしく、使いようがない。
そこで1941年型用パネルの左右に組接ぎ部を延長して使おうかとも思ったのだが、パーツのボルトのモールドは尖頭ボルト、STZ1942は平頭ボルトなので結局すべて削って植え替える必要があるうえ、中央の点検ハッチの穴とハッチのパーツがうまく合わない(ヒンジが干渉する)ので、ここも結局新造することにした。中央のハッチ穴を綺麗に開けるのがかなり面倒で、新造したのをちょっと後悔したのは内緒だ。
▼シャーシ後面はSTZ1942のパーツを使用。ところがこのパーツ、左右幅が足りずタテツケが悪く、上手く位置も決まらない。そもそもシャーシ左右のプラの厚みが違うのは何なんだ。
なんとか無理矢理くっつけたのだが、そうすると、上記エンジンルーム後面パネルとの間にわずかに隙間が空いてしまった(後面パネルは1941年型キットの寸法通りに作ったはずなのに!)。
結局、後面パネルの下端にプラバンを貼って少し延長した。
シャーシ後面左右のギアハウジング部は、T-34の実車では非常に形状にバリエーションがある部分。キットパーツはかなり角ばった形状のものを表現しているが、STZ製車輌の場合、もっと丸みが強いものが使われていることが多いように思う。
そこで、接着後にゴリゴリ削って形状修正をした。右写真は途中写真で、向かって右が修正前、左が修正後。
なお、車体裏側のディテールに関しては、通常の1941年型キットとSTZ1942キットとでは若干の違いがあるのだが、本当にそうなのか、私にはよく判らない。どのみち見えない部分なので、(車体下部はSTZ1942のものを使用していることもあって)そのままキットに従った。
写真で中央上部に写っているパネルは、キットの説明図では横長に取り付ける感じに図示されているが、パーツのダボとダボ穴に従えば写真のようになる。なお、通常の1941年型の場合は、ここはほぼ正方形のパーツが付く(はず)。
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