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スターリングラード・トラクター工場(11)

●タイトルは「スターリングラード・トラクター工場」だが、今回はどこ工場と限らず初期のT-34共通の、どちらかといえば枝葉末節の考証とわずかな工作。前回の製作記事と若干の関連あり。

F1015605b ●フェンダーについてのあれこれ。

▼T-34の車体側部フェンダーは、側面装甲にべったり溶接されている。右フェンダーには3カ所、さらに初期のT-34(いわゆる1941年戦時簡易型まで?)は標準で左側にも2カ所の防滑具搭載部があり、防滑具がずれないようにフェンダー上にリブがあり、それぞれ2対の固定ベルト用コの字金具がある。

右フェンダーの3カ所は、3つが単純に連続しておらず、前から1番目と2番目の間に若干の隙間があるが、これは、この場所にフェンダーの継ぎ目があるため。

側部フェンダーは左右とも3分(おそらく3等分)されていて、そのため、それぞれ2カ所に継ぎ目がある(写真内の①)。これはおそらく各工場・各年式共通と思われるが、単純に前後のフェンダーを繋いだ細い溶接痕があり、さらに内側半分以上に、帯状に薄板を被せている。溶接痕をカバーするように、薄板は中央が出っ張っている。

F1015614 F1015617 ▼前述のように防滑具搭載部は前後にリブがあるのだが、ドラゴンの初期型車体上部のパーツでは、左側最後部にリブがない(写真内②)。どんな場合でも必ずここにリブがある!……のかどうかはよく判らないが、とりあえず、リブがある実車写真は確認できたのでプラバンで追加した。

▼ドラゴンの初期型車体上部のパーツでは、写真内③の場所に細かなモールドがあるが、これは1940年型キットで取り付ける小さな工具箱の基部。1941年型キットではモールドを削り取るよう指示されているが、STZ1942のキットでは車体上部を新しく作り直しているにも関わらず(今回の製作では使用していないが)、不要なモールドをそのまま継承しており、削り取る指示もなし。謎。

▼初期型T-34では、写真内④の場所に標準で中型の工具箱が付く(パーツ番号C11)。STZの場合はそれでよいが、クラスナエ・ソルモヴォ工場製の場合、この工具箱は反対側のの場所に付く。サイバーの「クラスナエ・ソルモヴォ初期型」ではパーツを⑤の場所に取り付けるよう指示されているが(後期型も?)、左側の工具箱取り付け基部のモールドは(その直前の、前述の小型工具箱基部モールドも)削り取る指示はない。

なお、クラスナエ・ソルモヴォ工場製には見えない車輌でも右側に付けている例がある(たとえば「グランドパワー」1997/9のp104など)。また、1942年型以降では右側が標準位置に変更になっているようだ。

(なお、上記はあくまでT-34-76の話で、T-34-85になると、今度はクラスナエ・ソルモヴォ工場製の一部車輌で、この中工具箱が左フェンダーに戻ったりしている。わけわからん)

で示した位置の前にあるモールドはジャッキ取り付け具の座金なのだが、取り付け具を直接フェンダーに付けている例もあるので、この座金がどれだけ一般的であったのかよく判らない。

▼初期型T-34で中型工具箱を右に付けている場合、ジャッキ用ブロック(?)を車体側面、写真内⑥の位置に付けている例が多い。通常、1941年型では後部フェンダー上左右に付けていることが多いのだが、側面に付けている場合、搭載個数は1つに減っているのか、あるいは左側にも付けていたりするのか、引き続きリサーチの要あり。なお、右側に中型工具箱を載せている場合、もともとそこにあったジャッキがどこに行ったのか判らない。

●そもそも戦車というのは、なかなか綺麗に(そして詳細に)上面が写っている写真がなく、おかげで上面ディテールの変遷はなかなか判りづらい(言い訳)。

そんなわけで悩ましいのが、エンジンルーム左右カバーの形状。だいたいこの部分は丸みの強さでもバリエーションがありそうな気がするが、深入りするととんでもないことになりそうなので、今はひとまず置いておく。

F1015602b 大きな問題は右写真で黄色のマルを付けた部分の形状。キットは写真のように、カバーがグリルの後方まで伸びた形状になっているが、ここは生産工場、生産時期により違いがある。

この部分については、以前ハラT青木氏に(アカデミーの112工場製T-34-85にからんで)軽く説明を受けたのだが、どうも内容があやふやになってしまった(どうもいかんね)。

F1015620 ちなみに、その時に青木氏が私のノートに走り書いた解説用の絵図が左。ハラT青木先生直筆の解説図! 将来値が付くかもしれん。そこまでして貰って話の中身がうろ覚えというのも申し訳ないのだけれど、まあ、酒の席だったし。

今回STZ1942を作るにあたって初期型T-34に関しどうだったかを調べ直したのだが、現時点での私の理解は次のような感じ。

▼1940年型(当然ながらハリコフ機関車工場/183工場製)では、左右カバーのグリル後方への回り込みはなく、グリルが後部カバーに接する位置まである。

▼1941年型になってしばらくして(?)、左右カバーがグリル後方に回り込むようになる(青木氏の図の下)。

▼その後生産に入ったスターリングラード・トラクター工場、さらにその後加わったクラスナエ・ソルモヴォ工場(112工場)も同様に、「グリル後方回り込みタイプ」の左右カバーを使用。つまり1940年型~1941年戦時簡易型では、この形状が一般的だったことになる。

▼しかし本家183工場は仕様を変更。ウラルへの移転後のことではと想像しているが、左右カバーのグリル後方への回り込みはない代わりに、中央の点検ハッチ付きバルジ部も含め、左右のグリル後方をカバーする板材を装着(青木氏の図の上)。183工場製ナット砲塔搭載型はすべてこの仕様だったのではと考えられるが、この仕様でピロシキ砲塔搭載型があったのかどうかは不明。板材が付く分、中央のバルジは(板厚の分だけ)ちょっと短くなっていないとおかしいと思うのだが、どうなんだろう。

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