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2016年5月

スターリングラード・トラクター工場(5)

週末模型親父さんのところのAFV模型のネットコンペ、SUMICON 2016の参加作、cyber-hobbyの「T-34/76 STZ Mod.1942」の製作記。砲塔工作の3回目。砲塔本体の工作もまだ終了していないが、並行して防盾部を工作することにする。

●キットは1941年型で一般的な駐退機カバーと、やはりスターリングラード市内にあったバリカディ工場製とされる尖った駐退機カバーが選択式。せっかくSTZ1942仕様を作るのであれば、やはりほぼ同仕様特有と言える後者の駐退機カバー付きにしたい。

ただし、「スターリングラード・トラクター工場(2)」で書いたように、キットのパーツ形状には多少の不満があり、その修正を行う。

F1014840 ▼駐退機カバー左右下端は、キットのパーツでは1941年型で一般的なカバー同様に丸みが付いているが、実際は平面の突き合わせ。ただし溶接痕でぐだぐだになっているので、あまり「エッジが立っている」という感じではない。

それでもキットの丸みは溶接痕で誤魔化せる範囲を超えていて、また、その影響で左右側面の台形の板も幅が足りない。そのため、側面下部のモールドは削り落とし(ボルト頭は後で使うので綺麗に削いて取っておく)、下端をちょっと削ってから、プラ材を貼って削る。

▼バリカディ・タイプの駐退機カバーに合わせ、防盾は2種類付いている(パーツ番号S13、S14)。しかし、現存の実物の砲塔写真を見る限り、どちらも微妙に形が違う感じ。私はどちらのパーツを使ったのか忘れてしまったが(下端を裏側から斜めに削ぎ落としてあるほう)、どちらを加工しても手間は同じくらいなのではないかと思う。どうみてもおざなりな溶接痕モールドを削るついでに下部を削って形状を修整した。

▼駐退機カバー正面も、下端左右が丸くなっている。下部を数ミリ幅で切り飛ばし、ちょうど厚みが同じだったランナータグを使って左右が角ばった形に作り直した。なお、ランナータグは枝によって厚みにばらつきがある。私が使ったのはSパーツ。

F1014838 ▼駐退機カバーの「底」を削ってから、若干の段差ができるように底板をプラバンで作って接着。溶接痕を付ける。右写真は未加工のキットパーツとの比較。

ちなみに、一般的な1941年型用駐退機カバー(左右下端に丸みがあるもの)は、カバーのてっぺんと、底の中央に溶接線がある。一方、下端が角ばった1942年型(ナット砲塔)の駐退機カバーは、てっぺんと、底板左右に溶接痕がある。つまり前者では駐退機カバーは(前面板を除いて)2パーツ、後者は3パーツで出来ていることになる。

このバリカディ・タイプは断面形で言えば1942年型用に近い。しかし、駐退機カバー上面が写っているいくつかの写真(ちゃんと写っている写真があまりないのが困りものだが)を見る限り、どうもてっぺんに溶接ラインがないようだ(これに関しては絶対にそう!と言い切るほどの自信はない)。ちなみに一般的な1941年型用駐退機カバーの形状のものでも、上部の溶接ラインがないように見えるものもある。

▼防盾と駐退機カバーの溶接ラインも伸ばしランナー潰しで追加。

F1014835 ▼側面の台形の板はプラバンで再生。なお、この板は実物では前下がりだったり後ろ下がりだったり、結構いい加減な格好で付いていることが多い。再現しようと思いつつも、模型でそれをすると単に工作が下手なだけにしか見えないと思うと怖気づいてしまい、ほとんど傾けずに付けてしまった。

ちなみに、駐退機カバーの前面板は、側面に溶接などはされていない。モスクワ中央軍事博物館に展示されているこのタイプの砲塔では、駐退機カバーの底が破損していてちょっと中を覗くことができる(写真)。どうも内側に長いベロのようなものが付いていて、これで、側面前方のボルトで固定するようになっているらしい。そうなると、後ろ側のボルト列は駐退機カバーを含めた防盾全体を砲に固定するためのものかと思われるが、詳細は不明。

というわけで、前面板はどうやら取り外し可能。また側面の台形の板は、駐退機カバーの側面には溶接してあるが、前面板には固定されていない。そこから考えると、どうもこの台形の板は前面板取り付け時の位置決め用なのではと思われる(それならそれで、こんなに後方に長くなくてもよさそうだが)。

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デマーク

F1014656 ●コマルハナバチも、オスが出てくる季節になってきた。

コマルハナバチは基本、春のみ活動するマルハナバチで、そろそろ活動がお終いという頃になってオスが登場する。

全身真っ黒でお尻だけオレンジ色というのがコマルハナバチのメスの体色で、これは女王蜂も働き蜂も変わらないのだが、オス蜂はレモン色とオレンジ色というとってもファンシーな姿をしている。

もともとおとなしく余程のことがなければ刺さないマルハナバチだが、オス蜂はそもそも針がない。

F1014829 ●みやまえさんから、金沢八景の駅前の工事に、デマークの巨大クレーンが来ているという話を聞いたのは4月のこと。最近、また戻ってきていると聞いて、27日金曜日、仕事で品川に行ったついでに、京急で八景を回って帰る。

いた! でけえ! かっけー!

デマーク製のオール・テレーン・クレーン(オールター)で、DEMAG AC700という形式名だかシリーズ名だからしい。シリンダー部に、吊上荷重650tと書いてある。すげえ!

デマークと言えばAFVモデラー的には1tハーフトラックとかSd.Kfz.250とかなのだけれど、現代のデマークはこんなドデカッコイイものを作ってるんだなあ。

ちなみにDEMAGは「ドイッチェ・マシーネンバウAG」の略。訳すと「ドイツ機械工業株式会社」くらいの感じ?

写真は下り線ホームからのものだが、フェンスで足回りが隠れて見えないのが惜しい。実をいうと、これを撮っている時に、脇に各停の浦賀行きが停まっていた。車内からなら、もっと深く見下ろせたはず。もっとも、そんなことをしているうちに発車しちゃったらマズイしなあ。

この写真でも、走行時は車輪の上に格納されるアウトリガーがX字型に張り出されているのが判る。いいなあ。こういう変形ロボ的メカ。足回りが見えれば、ムカデなみの多数の車輪があるはず。

さすがにここまでの大型クレーンとなると、カウンターウェイトも「ぱないの!」って感じ。ああ。ブームが伸びているところが見たい。晴れている昼間にもう一度見に行こうかな……。

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スターリングラード・トラクター工場(4)

週末模型親父さんのところのAFV模型のネットコンペ、SUMICON 2016の参加作、cyber-hobbyの「T-34/76 STZ Mod.1942」の製作記。砲塔工作の2回目。

STZ1942独特の砲塔の、エラを削いだ面を作り直し、一応砲塔の基本形が仕上がったのが前回で、何となく、「うん、オレはやったぜ」みたいな気分でちっくりちっくり溶接痕など入れていたのだが、ここで、イヤなところに気付いてしまった。

エラ削ぎ落とし面の後ろ側の砲塔側面装甲裾部の高さが違うのである。

F1014800b ここは、パーツ状態では右のようになっている(黄色の丸印部分)。このタイプの砲塔では、ここに分割線はないのでパーツ接着後に埋めたのだが、これがちょっとしたトラップだった。

ここは、エラの張った(通常型の)溶接砲塔では曲げられた砲塔前面装甲板が回り込んでいるところで、パーツの継ぎ目部分に溶接ラインがある(例えばこの写真)。

キットのパーツは、その通常型砲塔用の形状そのままにエラ部分を削ぎ落としたのでこれが残っている(他の部分ではさんざん、それ以前のキットの設計を無視しまくっているのに!)。しかし実際には、STZ1942の「エラ削ぎ落としタイプ」の場合、前面装甲板はここまで回り込んでおらず、側面板の裾はパーツ継ぎ目のところで終わっている。

F1014800c つまり、右拡大写真で黄色線で指示した部分はそもそも不要、ということになる(とはいえ、キットでは「エラ削ぎ落とし面」と連続しているので、やはり面そのものを作り直す覚悟でないと手を付けにくい)。

それに気づいたのはもう砲塔前部の溶接ラインをほぼ入れ終わるかという感じのところだったので、このまま知らんぷりすることにしようかとも思ったのだが、やはり「このタイプの砲塔にしかない特徴」だと思うと諦めきれず、結局、もう一度「エラ削ぎ落とし面」を削って作り直すことにした。

F1014822

F1014819

上が最初の工作、下がやり直したもの。結局、「エラ削ぎ落とし面」が砲塔頸部に直接繋がっている感じも出たので、やり直してよかったと思う。

●珍しく小刻みに連日更新しているが、この後忙しくなりそうなので、近々ぱたっと更新が滞るかも。

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スターリングラード・トラクター工場(3)

週末模型親父さんのところのAFV模型のネットコンペ、SUMICON 2016の参加作、cyber-hobbyの「T-34/76 STZ Mod.1942」の製作記。

本来5月1日からなのに、一度決めたお題を変更したため、結果的に20日以上遅れてのスタートになってしまった。

さて、キットの悲劇的合いの悪さについてあれこれ書いたものの、車体を入れ替えると決めてしまえば、それに関してはほぼ解決済み、ということになる。あとはおおよそ、考証に基づきちまちまと手を入れるだけで、要するに普通のキットを組むのと特別変わりはない。……といいなあ(弱気)。

●なんとなく砲塔から製作スタート。

数あるT-34バリエーションの中でも最も直線的で鋭角的なのがSTZ1942の溶接砲塔であり、この仕様の第一の魅力だと思う。というわけで、「一番格好いいとこから始めちゃえ」というのが理由の一つ。

もう一つは、ブロックとして一番独立性が高く、とりあえず大きさ的に車体と釣り合うかどうか、回転時にどこかに干渉したりしないかどうかさえ気を付ければ、あとは他との辻褄をあまり考えずに作業できるため。

F1014811 まずは前回書いた天井板の(組接ぎ部における)厚み問題解消のため、砲塔側の凹部に0.5mm板の切れ端を貼って浅くする。砲塔前面の合いは悪くはないが隙間もなくピッタリというわけでもないので、必要な個所にプラペーパーを挟んだりする。装甲板の断面や溶接跡は後から再生したり追加したりすることにして、とりあえず表面をやすってしまう。

当初はこの程度で済むと思っていたのだが、溶接部の参考にしようと実物写真をじっくり見てみると、どうも若干様子が違う(ちなみに、STZ1942の「まさにそのもの」という仕様の実車は残っていないようだが、このタイプの溶接砲塔は意外に数多く残っている。)

「あれ?」と思ったのは、このタイプの砲塔の最大の特徴である「エラの削ぎ落とし部分」の形状(前回アゴと書きましたがエラですな)。LEGION-AFVのT-34-76コーナーに、このタイプの砲塔数個分のWALKAROUND写真があるが、例えばこの写真この写真などと見比べると、明らかにキットは「エラ削ぎ落とし面」と防盾脇の弾片ガードまでの幅がありすぎる。

また、「エラ削ぎ落とし面」は実際には下辺で砲塔頸部に接しているのだが、ここもキットでは若干の間隔がある。

F1014815 側面装甲板との接合部分の表現もいまいち気に入らないので、思い切って面をゴリゴリ削る。削って済めばいいなあ、と思ったのだが、底が抜けたのでプラバンで再生した。その段階の写真が右。並べてあるのはキットママの状態で、以前に切り刻んで車体をオシャカにした1つ目のキットのもの。面のコントラストが弱くて見づらく申し訳ないが、エラ削ぎ落とし面が拡大しているのを判っていただければ。

削ぎ落とし面後端の位置、砲塔頸部との関係など、もうちょっとこう……うーん、もうちょっと何というか……などなど若干の不満は残っているが、やりすぎて収拾がつかなくなると困るので、適当なところでやめる(面倒くさくなったんだろう、という批判はあえて受けよう!)。

なお、作業の過程でもうひとつ気付いたのだが、どうもキットは砲塔側面板の傾斜が若干きついのではないかという感じもする。

また、こんなふうに左右の削ぎ落とした面を作り直すのであれば、エラの削れていないほうの砲塔をベースに改造してもよかったかもしれない。

F1014817砲塔前面、防盾左右に付く弾片ガードのリブは、上端がパーツの抜き方向に対しオーバーハングになるため、上半分を別パーツにしている(H4、H5)。しかし、これが新規パーツのSTZ1942の「エラ削ぎ落とし砲塔」前面パーツにある、下半分のモールドと幅が合わない。つくづく以前のキットとの整合性が取れてないキットである(大量に以前のキットのパーツを流用しているのに)。

単に接合部の隙間を埋めるだけならキットのパーツを使うのだが、幅まで合わせるとなると面倒なので、プラバンをドーナツ状に切って、全体を新造した(結果から言えば、そこそこ厚みのあるプラバンを綺麗にくり抜くのも結構面倒だったが。半ば作業してから、「あ、薄いプラバンを切って重ねればよかったんだ」と気付いた。迂闊)。

結果が右写真。装甲板の溶接ラインの工作はまだ途中。

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スターリングラード・トラクター工場(2)

週末模型親父さんのところのAFV模型のネットコンペ、SUMICON 2016の参加作、cyber-hobbyの「T-34/76 STZ Mod.1942」のブロック別チェックポイントメモ、その2。

▼車体上部・基本形

とにかくSTZ1942キットの車体上部は悲劇的に合わないうえ、辻褄を合わせるにしてもあっちこっち微妙にバランスが変なので、ここは潔く、ハリコフ機関車工場製仕様のキットから車体上部をパクってくることにする。

当初は1941年型キットをひとつ潰す覚悟を決めていたのだが、棚を漁ったら、YSのばら売りコーナーで買ったと思しき、ドラゴン製の車体上下パーツが出てきた。偉いぞオレ!(っていうか、買ったことくらい覚えておけよって話だ)

ハリコフ車体とSTZ1942車体の最も大きな違いは、STZ1942では車体前面・エンジンルーム後面の左右がそれぞれ組接ぎになっていること。

F1014806 車体前面に関しては、STZ1942キットでは車体上部パーツと一体、ハリコフキットでは別パーツになっている。STZ1942キットから移植する、不要パーツの1941年型キット用前面板を改造する、などのいくつかの方法が考えられるが、「第112工場製 OT-34/76 Mod.1943」のキットで不要パーツの前面板が一枚あったので(右写真)、現時点ではそれを流用の予定。

このパーツも装甲板が組接ぎになった仕様を表現しているが、少なくともSTZ1942とは組接ぎ部のバランスが若干違い、また当然ながら側面装甲板ともちゃんと繋がっていないので、多少は手を入れる必要がある。また、前面装甲板が増厚されてからの状態を表しているのか、パーツ自体厚めなので、多少裏から削ってやる必要があるかもしれない。

エンジンルーム後面板は、STZ1942に入っているパーツは、車体上部の「変設計」に引きずられたか、寸法自体ちょっとおかしい感じであるうえ、ボルトの表現もあまりよくないので、プラバンで新造したほうがよさそう。

F1014802 STZ1942キットの車体上部は、上面板と側面板も組接ぎになった仕様を表現している。実際には、アゴの削れたタイプの砲塔を積んだ車輌でも、この部分は組接ぎになっているものとなっていないものとがある。素直に考えれば、組接ぎになっているほうが新しいタイプだと思うのだが、アルマゲドンのT-34本では、組接ぎのほうが古いようなことが書いてある(p101)。また、車体上面を組接ぎ無しにした場合は、シャーシも組接ぎ無しにしたほうがいいのだろうか?という派生問題も。

▼車体上部・細部ディテール

排気管カバーおよび後面パネル中央の点検ハッチは1940年型/1941年型キットからの流用パーツで、尖頭ボルトが使われているが、実際のSTZ製1942生産型の場合は平頭ボルトが一般的。また、排気管カバーのボルトは上部が2本の独特の仕様になっているので要修正。

「T-34 maniacs」に生産工場別・時期別の仕様を書いていた頃は気付かなかったが、エンジンルーム、ラジエーター部上のカバー形状にも、生産工場により、時期によりいろいろ形状の差があるようだ。キットのパーツで比べると、多少の表現の差と思える部分以外、STZ1942とハリコフ製車体との間に差はない感じ。ただし実車ではどうなのか、この部分については私自身だいぶ知識が足りていない感じなので、なお要調査。

ミッション部の上にあるメッシュ付きカバーは、STZ1942の実車では、後縁中央付近の尾灯用切り欠きが最初からないものが多く見られる。メッシュの枠は、キットのエッチングのように角が丸くリベットのある、基本1941年型までと同じものと、角が角張り溶接になった(後の型で一般的な)簡略タイプの両方があるようだ。なお、キットのパーツは1941年型キットからの単純な流用で外周部に小さなリベットの列があるが、これは不要ではないかと思う。

F1014801 車体前面の車体機銃用バルジ(パーツG11)正面は、馬蹄形の金具が付いている状態になっている(ボールマウントの抑え金具?)。しかし、STZ製車体では下側までリングが繋がったドーナツ型金具が一般的ではないかと思う。その場合、前面下部中央部は溶接跡が途切れている。

▼砲塔

砲塔は贅沢にも3つも入っているが、1つはハリコフ機関車工場製1941年型用の砲塔で不要パーツ。残る2つがSTZ製仕様の砲塔で、アゴの削れていない初期型とアゴの削れた後期型。顎の削れていない方の砲塔は先行のcyber白箱、STZ1941のキットと同じ(はず)。

F1014800 以前にも触れたように、キットに同梱のパンフレットでは、「アゴを削ぎ落とした後期型砲塔」の溶接跡の考証について自慢しているが、個人的には、現状のように溶接跡の幅が広いタイプをパーツ化するよりも、溶接跡の幅の狭い砲塔にしてくれたほうが、どちらを作るにも楽だったのではないかと思う。

ただしそれ以前に、砲塔の基本形状自体がどうなのか、という問題もある。これに関しては改めて。

「アゴを削ぎ落とした後期型砲塔」の砲塔天井板はハッチヒンジが溶接か、ボルトorリベットかで選択式。砲塔側面とは組接ぎ式だが、組接ぎ部分がパーツの厚みそのままで、「やたら厚い天井」になってしまっている。

ペリスコープもあれこれ選択肢が多いが、右側に関しては、特にアゴ無し砲塔の場合はパーツR18のペリスコープが多く、次いでS4のフタで塞いである状態ではないかと思う(それほど多数の例で確認したわけではないが)。

砲塔後部バッスル底面の左右には、本来、ドイツ軍戦車の「ピルツ」のような円筒形の突起がある。

▼砲・防盾

砲身は、旧来の左右分割のもの1本、スライド金型を使った一体のもの2本、そしてアルミ削り出しのもの1本で、4本も入っている。形状的に何か違うわけでもなく、個人的には、スライド型のものがあれば金属砲身は要らねんじゃね?って感じ(砲口部にライフリングでも入っているなら別だが、そこまで高級なパーツではない)。

駐退器カバー部分は、普通の形状のものと、下部が尖ったバリケード(バリカディ)工場製のものとが選択式。バリカディ・タイプは基本、STZ1942仕様独特のものなので、ここはこれを選びたいところ。ただし、キットのパーツは初期の1941年型のカバーに似て、底面左右のエッジが丸くなっているが、このタイプの場合、ここは角ばっているのが普通ではと思う(とはいえ、溶接でぐずぐずになっているので、きっちりエッジが立っているわけではない)。

また、このタイプ用の防盾パーツの溶接跡表現は、もうなんというか、「溶接跡を表現する前段階として盛り上げたモールドを付け、そこから後の作業を放棄」としか言えない感じになっている。このキットに溢れる「やっつけ作業」感の一例。

ちなみに「バリケード工場」は別にバリケードを作っているわけではなく、主に大砲を生産している工場で、「国の守り」とか「社会主義の守り」とかいった意味で名付けられたものだと思う。

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スターリングラード・トラクター工場

週末模型親父さんのところのAFV模型のネットコンペ、SUMICON 2016のお題に選び直した、cyber-hobbyの「T-34/76 STZ Mod.1942」の製作記(というか、製作前の下調べ)。

T-34を生み出したのは現在のウクライナ、ハルキウにあるハリコフ機関車工場(第183工場)だが、スターリングラード・トラクター工場(STZ)はそれに続いて、1941年から生産に入った2番手の工場である。正式名称は「エフ・エー・ジェルジンスキー記念スターリングラード・トラクター工場(スターリングラードスキー・トラクトルニー・ザヴォド、イーエム・Ф・Э・ジェルジンスコゴ、ロシア語の読みが正しいかどうかは不確か)。他の工場の場合、基本、「第**工場」と番号が振られているのだが、STZだけはなぜか番号がない(本当にないのか、単に伝わっていないだけなのかはよく判らない)。

STZは、ハリコフ機関車工場がウラル地方のニジニ・タギル(スヴェルドロフスク州)に疎開を行うために操業を停止している間もT-34の生産を支え、その後、スターリングラード攻防戦で工場が壊滅するまでT-34を前線に送り続けた。ドラマだなあ。STZにおける生産台数は、ロシア語版のwikipediaによれば、1941年に1256輌、1942年に2520輌の計3776輌であるらしい。

10年以上前の「グランドパワー」には、STZは、背の高いナット砲塔搭載型(要するに1942/1943年型)も若干生産したと書かれているのだが、実際には、背の低いピロシキ砲塔搭載型しか作ってないのではと思われる。

●前回書いたように、このキット(以下STZ1942とする)はまともに組めないレベルで車体上下が合わない。すでに一度、なんとか合わせてみようとあっちを削りこっちを削りして、収拾が取れなくなった経験があるのだが、改めて「どう合わないか」を検証してみる。

  • とりあえず、車体上下の基本パーツのみを重ねると、問題なく合わさる、ように見える。
  • F1014648 F1014649 しかし車体前部に関しては、前端部の縦幅が大きく、前端パーツを合わせようとすると明らかな段差が生じてしまう。
  • 車体後部はさらに深刻で、車体上下を合わせた状態で上下後面パーツを合わせようとするとうまく合わさらず、シャーシ後面板が浮いた状態になる。
  • 逆に後面パーツの整合を優先させると、車体上部が1ミリ以上浮き上がる(尻上がりになる)。

これに関し、とりあえずまともに組めるはずの、通常の(ハリコフ工場製の仕様の)1941年型の車体パーツと比べてみる。その結果判るのは、

  • F1014784b F1014789 STZ1942の車体上部は、戦闘室部分でおよそ2mm長い。
  • エンジンルーム部分の長さはほぼ同じだが、戦闘室が長い分、そのまま後方に移動している。
  • その結果、車体後面板の角度が立った状態になっている。またそのために後面板下端の位置がおかしくなる。
  • また、車体上下の整合とは関係ないが、戦闘室が長いぶん、砲塔の位置もずれている。実車では砲塔の裾と戦闘室上面前端との間にはあまり距離がないが、STZ1942キットでは明らかに幅がある。
  • 車体下部に関しては、基本、同一寸法で出来上がっているようだ。ちなみにSTZ1942キットの車体下部は、装甲板の組接ぎを表現。

STZ製のT-34はハリコフ機関車工場製と車体上部の基本寸法自体が違うのだ、ドラゴンはそれを忠実に再現しようとしたのだ、などという驚天動地の事実はたぶん出てこないだろうと思うし、そもそも、仮にそうだとしても実車で「車体上下が合わない」わけはないので、何らかの対処が必要になる。

●とりあえずの各ブロックごとの製作計画および若干の考証ポイントメモ。

▼車体下部

基本、STZ1942キットを使用し素直に組むつもり。車体下部に関しては、STZ1942キットとその他のキットとでは同一寸法で出来ているようなので、そのまま使用可ではないかと思う。

F1014794 右写真では判りづらいが、STZ1942キットの車体下部は側面と底面が組接ぎになった仕様を表現している。なにしろシャーシのみの写真というのは稀なので断言できないが、これはSTZ製車体でも後期の車体なのではないかと思う。

キットにはエラの削れていないタイプの砲塔も入っているが、こちらを使う場合には、組接ぎになっていない車体の方がふさわしいかもしれない。そんな場合、あるいはもしもパッと見では判らない範囲で寸法の誤差がある場合は、車体下部もハリコフ工場製仕様のキットなどから持ってきた方がよいことになる。

F1014797 ただし、ハリコフ工場製仕様その他キットの車体下部は、おそらくナット砲塔搭載以降の仕様に合わせてあるので、若干の改修が必要になる。後期仕様のポイントは、第一転輪のダンパーがダブルになっていること(初期型の場合は前方のダンパーが不要)、サスアーム用の穴前方に突起があること(初期の車体にはない)。

後者はキットでは単に長方形のブロックがボルト止めされているだけに見えるが、実際には後期のサスアーム(不要パーツA2、A3参照)基部にある突起と噛み合うようになっている。これはおそらく、サスアームの軸を車内側で止めるのではなく、単純に、(1).サスアームを90°近く回して車体に差し込み、(2).そのまま通常の作動範囲位置まで回すと、それだけでアームが抜けないようホールドされる――という仕組みではと思う。

F1014792 STZ1942キットではこの抜け防止突起(金具)のモールドはなく、サスアームも初期型標準の丸断面のものを使用するようになっている(ちなみにこの丸断面の初期型サスアームは1941年型までならハリコフ工場製車輌でも必須のはずだが、現時点ではSTZキットにしか付属していないようだ。貴重 6/29追記。1942年型、1943年型キットには不要パーツとして入っているようだ。このパーツが含まれるQ枝には、1942年型、1943年型用の新型誘導輪が含まれるため(STZ1942キットではその部分のパーツが除かれている)、ナット砲塔型キットにはもれなく付いてくるのではと思う。)。

さて、ここで悩ましい問題がひとつ。通常の1941年型であれば、確かに「丸型サスアーム+抜け防止突起無し」でよいはずなのだが、実際には、「丸型サスアームであっても抜け防止突起付き」という過渡期の仕様があるらしいこと。そしてSTZ製の後期の車体(つまりキットの仕様)の場合、そのような仕様である可能性があること。

たとえばボルゴグラード(旧スターリングラード)で保存されているこの車両(LEGION AFV)は、キットの仕様に近いが、「丸型サスアームで抜け防止突起付き」になっている。もちろん現存展示車輌の場合は後の改修が入っている可能性もあり、この車輌も前部フェンダーや工具箱などが交換されているが、サスアームは元からのパーツである可能性が高いのではと思う。

F1014798 追記:アルマゲドンのT-34本に、スターリングラード・トラクター工場でドイツ軍に鹵獲されたらしいT-34車体の写真が出ているが、この写真で、車体側の抜け防止突起が確認できる。やはり突起付きと考えた方がよさそうだ。さてこの場合、STZ1942キットのシャーシに突起を追加したほうが楽なのか、ハリコフ工場仕様のシャーシに組接ぎ表現を追加したほうが楽なのか……。

▼足回り

そもそもこのタイプを作る場合の大きな課題となっていた後期550mm履帯やSTZ特有の転輪類がパーツ化されていて、「たとえ車体がまともに組めなくても、STZ用の改造パーツ一揃いがこの値段で売っていると思えばいいや」と無理矢理自分を納得させたモデラーも多いのではないかと思う(私もそうだが)。

キットに付属している緩衝ゴム内蔵転輪は、穴の周りに立ち上がりがないシンプルなタイプで、STZ車体で一般的に使われているもの。

Bundesarchiv_bild_1690016_sowjetisc 後のウラル戦車工場製1942年型でよく見られる緩衝ゴム内蔵転輪は穴の縁に立ち上がりがある(タミヤのキットにも入っていた)。ただし、右のブンデスアルヒーフ所蔵の写真のように、明らかにSTZ製と思われる車輌でも後者のタイプを使っている例はある。おそらく、鋼製リムの初期型、後期型というような位置付けなのではと思う(キットに入っている方が初期型)。

なお、後のゴム縁付きの穴開き転輪は内外合わせて一体鋳造だが(工場で、鋳型から出したばかりの転輪のバリをハンマーでガンガン落としている写真があったような)、この鋼製リム・緩衝ゴム内蔵転輪は、ハブとリムの間に緩衝ゴムが挟まって別体であるためもあり、内外は連結していない。したがって、(キットは内外のパーツの穴がきっちり揃うようにダボ穴が付いているが)実車はどうやら穴の位置は適当。これについては、以前セータ☆氏のGIZMOLOGにも考察が出ていたので参照のこと(ここここ)。

起動輪・誘導輪もSTZ製車体特有のもの。誘導輪に関しては、上で紹介したボルゴグラード現存車輌のように、「もしかしたら10個ボルトのハブキャップに対応しているのでは?」と思われるバリエーションもあるようだ(通常は5個ボルト)。起動輪はこれ以前に出たSTZ1941キットでは履帯を引っ掛けるローラー部がない「なんだこりゃ」パーツだったようだが、本キット(STZ1942)では改修されている。起動輪中心の窪みは前述ボルゴグラード現存車輌ではもっとシャープでリブも中心に向けてもっと長いが、これは若干の形状のバリエーションがあった可能性もある。

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「SUMICON 2016」お題変更

週末模型親父さんのところのAFV模型のネットコンペ、SUMICON 2016は5月1日にスタート。先述のように、私はルーマニア軍軽戦車R-1でエントリーしていたのだが、エントリー受付最終日の5月20日、エントリーお題を変更させてもらうことにした。

「なんだよー、R-1じゃないのかよー」と思った方がいたら、まったくもって申し訳ない。いや、あまりいないと思うけれど。

ちなみに、R-1に関しては、「ようやく手を付けたところ」という感じだった。

F1011482 ▼とりあえず製作のガイドとするために、「タンコマステル」2-3/98号掲載の1:35の図面をコピー。鉛筆であれこれラインを描き入れてみる。

その段階で、どうやらあまり正確な図面ではなさそうだ、ということも露呈するのだが、もともとそこまで大きな期待は持っていないので、適当に感覚で修正を加えたりする。

▼転輪基本形の製作。

とにかく足回りがフェアリー企画のパーツはお話にならないレベルなので、少なくとも「ちゃんと丸い転輪」を作ることにする。実のところ、「1:48の38(t)系列のキットが出たら使えるんじゃないだろうか」なんて甘い希望を抱いていたこともあるのだが、実際に出てみたら、48の38(t)系の転輪のほうがだいぶ大きくてアウトだった(もちろん、図面から計算してみればキットが出る以前に判ることなのだが)。

同じくらいの径で流用できそうなパーツを探した結果、1:35のIII号戦車の転輪を使うことにした。実際に使用したのは、YSのばら売りコーナーで入手したタミヤのパーツ。タンコマステルの図面と比べ0.5mmくらい?径が大きいのだが、これ以上探すのが(あるいは1から自作するのが)面倒なので目をつぶることにする。ちなみにIV号の転輪だと逆に小さすぎる。

F1012952 もちろん転輪としての形状は全く違うので、右写真のように工作。

左から、

  • タミヤのIII号戦車のパーツ。
  • 中心部をくり抜く。
  • ナイフでリム部のみ残して丁寧に削る。
  • そのままでは厚みがありすぎるので、治具を作り均一に薄くする。上はタミヤII号戦車の転輪内側パーツ。
  • II号の転輪内側パーツが(なぜか)隙間なくぴったりとはまる。これを転輪の基本形とする。

もちろんこれで終わりではなく、あれこれディテールを加える必要がある。現時点で1輌に必要な8つ分の工作をしてあるが、しっかりディテールを入れたものを1つ作って複製するのが正しいやり方のような気もする……。

●……というふうに、とりあえず作る気で進めてはいたものの、

  • どうやら恒例の夏の季節労働が、特に今夏はだいぶ忙しくなりそうであること。
  • あてにしていたパーツが、サイズ的にうまく合わなかったこと。
  • 必要なパーツの追加購入の目途が立っていないこと。

などの理由で、ちょっとモチベーション・ダウン。昨年、ブレダI号を未完成で終えていることもあって、もうちょっと完成の可能性の高そうなお題に変更することにした。

素直に考えれば、R-1に決める前に候補にしていたBT-2、クブシュ、TACAM R-2の中から選ぶところなのだが、結局は全然関係ない、T-34を引っ張り出してきた。小国もの同様、ソ連もの(特にKVとT-34)は個人的にテーマでもあり、しかしその一方で最近まるっきりこの方面は御無沙汰だったこと、今回のSUMICONで(多くはディオラマの脇役的にだが)T-34を作る方も何人かいて、自分でもちょっと作りたくなってしまったことが理由。

F1014645 F1014644 もちうろん、好きなアイテムなので、我が家にはそこそこの数のT-34キットのストックがある。そのなかで、右のcyber-hobby白箱のどちらかにしようと当日晩まで考えた挙句、キット名称「T-34/76 STZ Mod.1942」を作ることにした。

やはり半年掛かりのSUMICONで作るものなので、「キットをそのまま組んで終わり」ではもったいない。というわけで、より厄介度の高いSTZのほうを選択した次第。

●「T-34/76 STZ Mod.1942」、つまりスターリングラード・トラクター工場製の1941年型(1941年戦時簡易型)の1942年生産型は、生産工場/生産時期による仕様の差が激しいT-34のなかでもひときわ個性的で、それなりにファンも多いタイプではないかと思う。

しかし一方で、このcyber-hobbyの白箱は、期待も大きかった半面、T-34マニアを絶望のどん底に叩き込んだ(←大袈裟)悪名高いキットでもある。

そもそもドラゴンのT-34シリーズは、現時点におけるT-34模型のスタンダードのような存在で、それなりの佳作キットが多いのだが、その中で、このcyberのSTZ1942は“鬼っ子”のようなもの、といえる。そもそもまともに組むこと自体が難しいのだ。

なぜそんなことになってしまったのか自体が大いに謎なのだが、せっかくベースとなる(まともな)T-34車体があるにもかかわらず、車体上部の設計を最初からやり直してある。それが良い方向に振れているなら何も言うことはないのだが、その結果、車体上下がそもそもきちんと合わない。

F1014651 実を言うと、私は発売当初に買ったこのキットは、なんとか上下を合わせようと切り刻んだ挙句に収拾がつかなくなってしまい、仕方なくもう1つ買い直した。「いいお客さん」過ぎる。

キットには、いかに考証にこだわってキット設計を行ったか、砲塔を例に自慢げに解説したパンフレットが入っているのだが、それ以前のところで大コケしているので、まったく悪い冗談だとしか思えない。「キットにどちらを採用するかについて長時間の議論が繰り広げられた」などと書いてあるが、そんな議論をしている時間があるなら、そもそもプラモデルとして組めるかどうか確かめろよって感じ。

●当然ながら、このキットに関しては海外でも「なんだこりゃあ」な評価があふれている。実際の合わせや寸法に関するチェックは次回に回すが、以下のページにも詳しい(というより、ここを見れば済んでしまう感じ?)。

PMMSレビューの車体の合わせに関するページ

また、車体上下の合わせに関する修正の一手法に関しては、以下のページが参考になる。

missing-lynx掲示板のレポート

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A model 1:72 Nieuport IV

F1014617 ●先日、エアフィックスの新作古典機2機のレビューを書いた時にふと目に留まったので、久しぶりに引っ張り出してみた在庫。ついでなので、レビューを書いてみることにした(こんなキットの紹介をしている人は少なそうなので)。

A modelはウクライナのメーカー。主に1:72の飛行機キットを出しているが、多少の48、32や、144の大型機キットもある。別ブランドで陸物キットも出していたと思う。特に初期の製品は質の悪い簡易インジェクションキットの典型例のような、「こ、こりゃ作れねえ」というものもあったが、その後、技術的に改善されて、かなりマトモなキットも出るようになった。

ただし、その「マトモなキット」の部類には、I.A.R.80(ルーマニア国産戦闘機)シリーズのように、もともとは他社製と思われるキットも混じっていたり、一方では、初期に出たほとんど救いようのないキットが、一部変わっているんだかいないんだか、製品番号が新しくなって再版されていたりもする。要するに、買って開けてみないと当たりか外れか判らないことが多いという、地雷原のようなメーカーである。それでいて、他のメーカーからは絶対出ないようなマイナーな機種が揃っているので、ついつい冒険したくなる。言わば模型界の木村飲料みたいな(判りにくい例え)。

●というわけで実機、ニューポールIV型の簡単な解説。

ニューポールと言えば、第一次大戦期の傑作機である、ギュスターブ・ドラージュ設計の一連のセスキプラン(一葉半)戦闘機(11とか17とか)が有名だが、この機体は戦前型の単葉機。

大戦直前から大戦前半の単葉機と言えば、ファルツやフォッカーにも模倣されて敵味方両方で使われたモラン・ソルニエの系列(GやH)が有名で、それらに比べるとニューポールの単葉は現在では割と影が薄い。主翼にテーパーをかけているのは若干凝っているものの、全体形にはなんとなく野暮ったい。それでも、戦前、それなりの数がフランス本国、イタリア、ロシアで軍用として使われたらしい。

キットの箱絵もロシア帝国軍航空隊所属で、右肩に描かれている肖像は、1913年、同型機に乗って世界で初めて宙返り飛行を行ったピョートル・ネステロフ。ちなみにネステロフは、第一次大戦において「初めて敵機を撃墜したパイロット」らしい。もちろん緒戦時に飛行機に武装はないので、ネステロフは得意の曲芸飛行の技術を駆使し、敵機の翼に自機の主脚をぶつけて破壊しようと試みたものの、結局そのまま体当たりとなって敵機と一緒に墜落して戦死したらしい。

F1014621 F1014627 ●キットは「粘土細工みたいなプラの塊」が入っていた初期のA modelとは一線を画す出来で、72の古典機としては十分納得できるもの。

72の単発の古典機としては細かいパーツの数もそれなりに多く、細い支柱類などもとことん細い。とはいえ、モールドがシャープかと言えばそうでもなく、歪みやヨレがあったりするので、部分的には金属線などで作り替えたほうがいいかもしれない。

F1014624 F1014622 主翼の布張り表現も(手作り感はあるものの)上品で好ましいもの。胴体側面もフレーム間がわずかに窪んでいる。ただし、この胴体の写真に見られるように、一部金型の荒れによる余計な凸凹もある。

淡いグレーのモールド色だが、まだらに茶色く汚れているのは、型抜き用の油が劣化・変質したもので、そのために若干ベタベタしている。この質の悪い油は昔のマケットやICMなどとも共通している。……買ってすぐに洗っておけばよかったかなあ。

F1014626 胴体は平面の中心に分割線が来ることを避けて、下面と上面がそれぞれ一方の側面と一体。つまり、L字断面のパーツ割という比較的珍しい構成。内側には(割と適当な感じではあるが)フレームのモールドがある(機体軸方向の角のフレームがないのはなぜ?)。このモールドが表面にヒケを生じていないのは、たまたまなのかもしれないが有り難い。

ただし、実機写真で確認できる限りではワイヤスポークむき出しの車輪は、ある程度仕方がないこととは言え、カバーが被せられた形状になっている。第一次大戦機の標準からするとだいぶ小径の車輪なので、使えるエッチングパーツなどもあまりなさそうな感じがする。なお、実機写真ではこの車輪が(前後から見て)ハの字に開いている例が見られるが、それが標準なのか、車軸がヘタっているのか、どうもよくわからない。

F1014619 デカールは、昔のイタレリやエレールの一部の製品のような、ガサガサの艶消し。色ずれもなく印刷はなかなか綺麗だが、買ってからもうだいぶ経つこともあって、使えるのかどうかはよく判らない。

大きなラウンデルと1/IX(あるいはXI/1)がロシア帝国軍航空隊所属機、シート右下のペナントがスウェーデン軍所属機。ネステロフが宙返りをしたのは1913年、説明図ではこのデカールの塗装例は1914年となっているので、別にネステロフ機を再現したものではないらしい。

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タデ食う虫も

●週末は静岡ホビーショー一般公開日/モデラーズクラブ合同展だった。静岡静岡と人馬は進む。静岡居よいか住みよいか。いや知らんけどな。

とはいえ、私自身はもう10年以上不参加。昨年あたりは「行きたいな、行きたいな」と思いつつもあれこれ都合が付かず行けず終いだったが、今年ははなから諦めていて、そもそも先週初めごろに「あっそうか、週末はホビーショーなのか」とようやく思い出すくらいのボケぶりだった。

合同展が始まって数回目あたりからずっと、最初はMGSで、その後はnifty-serve模型フォーラム(Fも)で参加してきて、もう「春はあけぼの」くらいに定番の年中行事になっていたのだが、その後あれこれあって、すっかりご無沙汰になってしまった。

長らく完成品がら遠ざかっていたこともあるが、nifty-serve模型フォーラム自体消滅してしまったこと(もっとも、同窓会的な集まりは今でも合同展に参加しているらしい)、盟友たまんちん氏が関西に引っ越してしまったことなどもご無沙汰になってしまった背景にある。それ以前に泊りがけでいく暇と金が足りないのが主因だけれど。

しばらく前に、旧友に「本当に行く気になっていないだけで、行けないんじゃなくて行かないだけだ(大意)」と、なんだかやたらビシッと批判されて、確かにその通りなのかもしれないけれど、逆に「いや、そこまで一大決意のもとに行かにゃいかんものなのか?」と鼻白んだ気分になった。それでもまあ、できれば来年あたりは行きたいもんだ(と毎年思っている気がする)。

●一昔前なら、ホビーショーでどんな新製品の発表があるんだ!?とワクワクしたものだが、最近は日本メーカーの低調もあって、新製品発表の場ということではニュルンベルクに比べて静岡はイマイチな感じ。

タミヤのM10自走砲はなかなかの有名車輌だが、ホビーショー前にもうニュースになっていたし、個人的に、それでディテールはどうなんだ!?と浮足立つほどの知識もない。miniartのSU-122は見本の展示があったらしい。ネット上で見る写真では、燃料タンクがリブ付きかどうか確認できないが、どうだったのだろうか(いや、そもそもSU系列の燃料タンクが全部リブ付きだったかどうかというのも確信が持てないが)。

F1014607 ●散歩していて、道端に比較的よく見かける虫に、右のようなヤツがいる。

クワゴマダラヒトリ、という蛾の幼虫で、最大で5cmくらい。「まさにこれこそがケムシ!」という典型的な姿だが、毒は持っていない(もちろん、好んで触りたくはないが)。

さて、「蓼食う虫も好き好き」というのは、人の好みは千差万別、悪食なヤツもいるとか、転じて、R-1軽戦車みたいなくそマイナーな戦車にもちょっとはファンがいるものだとか(ピンポイントな例示)いった慣用句。一方で、この句の成立には、草食の昆虫(特にイモムシ・ケムシ)は、きっちりと食草・食樹が決まっていることが背景にあるわけだが、どういうわけだか、このクワゴマダラヒトリは、やたらにいろいろな葉っぱの上にいる。

蛾やその幼虫の同定によくお世話になっている「みんなで作る日本蛾類図鑑」のクワゴマダラヒトリの項を見ると、

【幼虫食餌植物】 ブナ科クリ属:クリ、ブナ科コナラ属:コナラ、ヤナギ科:ヤナギ、ユキノシタ科:ウツギ、スイカズラ科:サンゴジュ、ガマズミ、クワ科:クワ(※KD)、マメ科:エンドウ(※ZN)

と書かれている(カッコ内の注の意味はよく判らない)。例えばアゲハ(ナミアゲハ他多くのアゲハ各種)ならミカン科、ヤマトシジミならカタバミなどなど、特定の植物(あるいは特定の科の植物)しか食べないというのが普通のムシなのに、この節操の無さは一体何なのだろう。しかも、実際の食餌植物はおそらく上記に収まらない。上の写真の葉っぱはタデ科のイタドリで、木の下に生えていたわけではなく単に道端に生えていたものなので、たまたまイタドリの葉の上に落ちてきたわけではなく、これを食べて生きているのだと思う。

(ちなみに「蓼食う虫も好き好き」は、薬味に使うヤナギタデの葉が辛いことに由来するが、実際にはタデ科は割と多種の虫に好まれる植物で、道端のイタドリ、ギシギシ、スイバあたりは虫食いだらけになっていることも多い。)

それにしても、なぜ(ほとんどの)昆虫はそれぞれ特定の種類の植物しか食べないのだろう。チョウのメスは産卵時に食餌植物を間違えないよう、前脚で「味見」をする仕組みを持っているそうだが(参考資料)、幼虫がもっと幅広く食べることができるなら、そのシステムももっと大雑把でいはず。食餌植物が違うことによって棲み分けができる、という理屈もわからなくはないが、それでも、特定の植物しか食べられないよりもクワゴマダラヒトリのように何でもモリモリ食べてしまえるほうが、よほど種の生き残りには有利なような気がする。

もちろん、それを言うなら雑食の生き物のほうが自然界では少数派なのだが。神様ってのは世の母親のように「好き嫌いしないで食べなさい!」とは言わないタイプなんだろうなあ。

F1014634 ●と、そんなことを考えつつ、図書館から借りてきた本。

よく見たら、上記の「みんなで作る日本蛾類図鑑」編だった。もっとも、「みんなで作る日本蛾類図鑑」に比べ掲載種が絞られているので調べるとっかかりとしては手軽。また「みんなで作る日本蛾類図鑑」は(当然ながら)蛾しか出ていないのに対して、こちらはチョウもハバチも出ている。

ちなみに、両巻の巻頭に出ている、形態からの種類特定チャートは分岐が曖昧でほとんど使い物にならない、と思う。自分がよく知っている種類を念頭に置いて辿ってみたが、全然その種類に行きつけなかった。

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エアフィックス 1:72 FOKKER E.II & B.E.2c

F1014587 ●airfix新作の古典機2機の簡単なレビュー。ちなみに右写真では全く同一サイズの箱に見えるが、縦横のサイズは同じでも厚みが違い、フォッカーE.IIは薄いキャラメル箱、B.E.2cはもっと厚みがあって通常の内箱・外箱があるタイプ。

【FOKKER E.II EINDECKER】

▼フォッカーのアインデッカー(単葉機)といえばまっさきにイメージされるのはE.IIIだと思う。レベルの72やオーロラの48(正確に48だったっけ?)などをはじめ、過去キット化されたのもE.IIIが多かったが、実際、E.IIIはフォッカー・アインデッカーの主量産型で、E.IとE.IIの合計の倍以上作られているので、当然と言えば当然だろうと思う(ただし最近では、Wingnut Wingsから、E.I初期型、E.II/E.III初期型、E.III後期型、E.IVと、1:32でほぼ全バリエーションが出ている)。

今回のエアフィックスのキットは(なぜか)E.II。もっとも、E.IIとE.IIIの違いというのが、私にはどうもよくわからない。昔の鶴書房の「ポケットエンサイクロペディア/第1次大戦戦闘機」(ケネス・マンソン著の訳本)によれば「最も多い型は、翼幅が最初のE.1よりも大きくなったE.3」と書かれている。一方でwikipediaの「フォッカー・アインデッカー」の項には「E.I、E.IIよりわずかに翼弦の狭い、1.80 mの主翼を使用していた」とある。……逆じゃん!

そういえばwindosock datafileがあったかもしれん、と本棚を漁ったら、「#15 FOKKER E.III」が出てきた(残念だが、E.I/IIの巻は持っていないようだ)。これには、E.IIIはE.IIと「ほとんど同じ(almost identical)」とある。主要な違いは燃料タンクの増積と増設(メインタンクを大きくしたほか、重力式のサブタンクを追加)による航続距離増加で、その他、生産過程での若干の改良による外観変化があった由。

なお、エアフィックスのキットは、箱には「FOKKER E.II EINDECKER」としか書かれていないが、同社HPでは「後期型(FOKKER EII (late))」と書かれている。

Wingnut Wingsの解説やキット写真、実機写真などを見た範囲で違いを述べると、

  • 操縦席直後の上面のキャップは増設燃料タンクに対応したものかと思う。となると、キャップがあるのはE.IIIの特徴ということになるが、E.IIでも付いているものがある。E.IIもE.III仕様のアップデートが行われたらしいので、キャップ付きは「II改~III」ということになりそう。ちなみに(単なる窪みのモールドだが)このキャップはエアフィックスのキットにもある。
  • E.IIIは、初期の生産機を除いて右翼付け根にコンパスが付いている。
  • カウリング直後の胴体フェアリングが四角く大型なのはE.III初期までの特徴で、E.III標準型は左右ほぼ同形になる。

……ええと。要するにE.II後期(もしくは改修型)とE.IIIは、胴体側面のシリアルでしか区別できないってことでいいんしょうか。

F1012977 ▼パーツ全体は、おおよそ右のような感じ。枝は2枚。ウィンドシールドの透明部品は入っていないが、もともと複雑な形状ではないので、下手に厚いインジェクションパーツが入っているより、自作の方がいいものができるかも。

昔のレベル72のE.IIIは、確か胴体が左右分割、主翼は胴体下部とともに左右一体だったように記憶しているが、このエアフィックスの新作では、胴体は左右+水平尾翼と一体の下面。主翼は左右それぞれが別パーツ。

(追記。レベルのE.IIIは、胴体がП字断面で、そこにコクピットより後ろの底板をはめ込む形式でした。はほ/~氏からのコメントで思い出しました。過去、2機も作ってなんで忘れるかなあ)

主翼は、流石新キットの薄さ。ただし、主翼下面は伝統的な古典機キットお約束の表現で、凹面にもかかわらず、リブ部分が浮き上がり、中間が窪んだ形状になっている。ここは逆に、リブ部分が若干窪んだ表現にするか、むしろまったく平板にしてくれたほうがよかったかも。

F1012975 F1012971 ▼胴体内側は布張り部分のフレーム表現はなし(もともと特に何かあるわけでもないが)。コクピット内部は操縦桿、前部燃料タンクの後端など、とりあえずのパーツは揃っている。操縦桿のグリップリングの中が抜けていないこと、操縦席にシートベルトがないこと(これはエアフィックスの場合、常に操縦手フィギュアが入っているためかと思う)が若干不満。

胴体下面は縫い目表現が細かく入っている。左右エッジ近くにパーツの接合ラインが来るので、綺麗に処理する必要がある。

F1012973 ▼金属パネルの機首上面は左のような感じ。ちなみに、機首上面は胴体側面に対して微妙にオーバーハングしていて、そのため、側面の金属パネル部分は上端近くで微妙に外側に反っている(というのをこのキットを買ってから実機写真を見ていて初めて気付いた)。

キットもこのオーバーハングは表現しているのだが、パーツの接合ラインはエッジではなく、側面上端近くの反りが始まるあたりにあるので、ここもまた接合ラインを綺麗に埋める必要がある。

写真の右肩に中途半端に写っているのは機首右側フェアリング。左側と形状が違うのはこのキットで初めて気付いて、「あれ? レベルのE.IIIは左右同形状だったような……」と思ったのだが、前述のように、左右で形状が違うのはE.III初期型までの特徴だった。

F1012969 F1012972 ▼エンジンはプッシュロッドも一体のころんと1パーツだが、72キットならこの程度で十分ではないかと個人的には思う。一方、カウリングと、それに続くフェアリングの縁はパーツの厚みがそのままで、この繊細なキットにしては、なんだかぶっきらぼうな処置だなあと思う。

F1012970 ▼プロペラは2種入っているが、使用するよう説明図で指示されているのはB7(写真右下)のみ。

ちなみに、airfixではフォッカーE.IIとB.E.2cをセットにし、さらに塗料も同梱した「Fokker E.II/BE2C Dogfight Doubles Gift Set」というのも出していて、同セットでは塗装例とデカールが異なるのだが、そこでも使用するプロペラはたぶん同じ。そこから考えると、この後、デカール替えで「FOKKER E.III (early)」とかを出すのではないかと思う。

F1012967 ▼デカールは1種のみで、1915年10月フランス、E.II 69/15、FFA 53所属のKurt von Crailsheim乗機。

全体がクリアドープリネン仕上げで、機首のみが、この系列の機体独特の、変てこちんなウネウネした磨き跡?のある金属板。胴体に斜めの黒・黄・黒・白の帯。塗装としてあまり面白みがある感じではないが、フォッカー・アインデッカーならこんなものだろう、という感じ。

車輪のゴム部の塗装指定が艶消しのライトグレーなのが新しいキットだなあ、という印象。カーボンブラックで補強された「黒いゴム」が登場するのは1910年頃らしいが、第一次大戦時にはまだそれほど普及はしていなかったようで、当時の実機写真を見ても「タイヤが白いなあ」というものが多い。余談だが、ロールス・ロイス装甲車のゴムタイヤも、1914年型だと白っぽいものが多い。

▼ところで、このレビューを書くためにパーツをよく見ていたら、シュパンダウ機銃のパーツが欠損していることに気付いた。買って袋を開けてすぐに撮影したはずの上の写真でも見当たらないので、もしかしたら最初から取れてしまっていたのかも……(パーツ全体写真、左上のエンジン隔壁隣)。さすがに買ってすぐならまだしも、今から請求するのもなんだし、どこからか72のシュパンダウを調達して来ないといけない。やれやれ。

【ROYAL AIRCRAFT B.E.2c】

▼いわゆる「フォッカーの懲罰」の代表的「やられ役」だったイギリス製単発複座の複葉機。それをフォッカーとペアで製品化するというのは、イギリスのメーカーとしてどうなんだろう。いや、むしろ「多少フォッカーが暴れまわったところで、ワシらは負けんのや」といいたいのかもしれないけれど。

名称のB.E.は「ブレリオ・エクスペリメンタル」の略で、トラクター式(牽引式)飛行機に使われた略号。ちなみにプッシャー式はF.E.(ファルマン・エクスペリメンタル)。

この手の「竹やり排気管の複葉複座機」といえば、過去、同じエアフィックスのR.E.8しかない時代が長かったが、ようやく、まともなインジェクションでこういう地味な機体が出たのは嬉しい(ちなみに、現在はRODENからこれと同じB.E.2cのキットがあるほか、大物キットではWingnut WingsからR.E.8が出ているらしい)。っていうか、こんなん出して大丈夫なのかエアフィックス。

実機を調べようと、手持ちのwindsock datafileを漁ってみたが、改良型のB.E.2eしか出てこなかった。windsock datafileを真面目に買っていたのは初期の頃だけなので、巻数から考えると、B.E.2cは持っていないかもしれない(B.E.2eは#14、B.E.2cは#42)。

▼部品構成はこんな感じ。

F1012963 F1012964 F1012966

これに加えて、風防の小さな透明パーツの枝がある。デカールも2つの塗装例に対応していて、箱の厚みだけでなく、中身もフォッカーよりちょっと贅沢な感じ。

F1012961 ▼さすがに新キットだけあり、主翼も薄く成型され上品な印象。もっとも、翼裏側の布張り表現が変なのはフォッカーE.IIと同じ(このキットだけでなく大抵のキットがそうだが)。

エルロンが、上下左右すべて、自重でわずかに垂れた表現になっているのは珍しい(私はこのキット以外には知らないが、もしかしたら、最近のWW1機キットのなかには例があるのかもしれない)。「細かいとこまでこだわってるぜ」的な感じで印象は悪くない。

F1012956 ▼エンジン回りのディテールに関しては、さすがに大昔のR.E.8あたりとは比べ物にならないくらいよく出来ている。

ただし、エンジンは排気管と一体成型なのだが、排気管が斜めに突き出るようなパーツ配置になっているために、箱の中で変形していた(写真は指でぐいぐいと、多少直してある)。下手したら折れているところで、これはちょっと配慮していてほしかったところ。

機首は胴体と別パーツだが、胴体パーツ流用で別タイプのキットが出る、などということがあるのかどうかはよく判らない。

F1012962 F1012957 ▼翼間支柱は1本ずつバラバラのもののほか、外側支柱は気球攻撃用のロケット弾付きで2本一体になったものと選択式。

翼間支柱はまず上翼に角度を決めて接着するよう説明書に指示があり、角度決めのための治具パーツも付属している。

胴体支柱は角度決めなどが容易なようにロの字型になっていて、当然ながらパーティングラインは支柱の側面に来る。

F1012958 ▼片方の塗装例で後席前に付けることになるルイス機銃はこんな感じ。「まあ、72ならこんなもん?」くらいの、ちょっと大らかな出来。

なお、下翼端を地面に擦らないように付けられている下面の半ループのパーツはかなり太めで、金属線か伸ばしランナーなどで作り替えたほうがいいかもしれない。

F1012955 ▼デカールは2つの塗装例に対応。

1916年9月、RFC(英国航空隊)2693号機、No.39(HD)スコードロン所属、ウィリアム・L・ロビンソン乗機。基本、前面クリアドープ仕上げのもの。

もう一機は、1916年12月、RNAS(英海軍航空隊)所属の8407号機。こちらは上面がキットの指定だとマットオリーブドラブ。要するにPC10(酸化鉄とカーボンをニスで溶いたもの、であるらしい)仕上げということになるのではと思う。下面はクリアドープリネン。

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ザリガニ釣り

●3日。チビが行きたがっていたので、披露山公園の池にザリガニ釣りに行く。

「池」といっても花壇を取り囲むドーナツ状(しかも簡単に飛び越せる程度の幅)の小さなものなのだが、誰が放したのか、ザリガニがたくさんいて、結構な「ザリガニ釣りスポット」になっているらしい。

というわけで、さきイカとタコ糸を用意して、チビを連れて出掛ける。ザリガニ釣りなんて、子供の頃以来だ。

GW中ということもあって、池の周りは一周ぐるりと親子連れだらけ。そんな中で釣り始めてみたが、一向に釣れない。ザリガニがいないわけではなく、かなり簡単にイカに寄ってくるのだが、せっかくイカをハサミで挟んでいても、水面まで上げたところで逃げてしまう(というか、落ちてしまう)。

子供の頃の記憶だと、ザリガニというのはかなり食い意地が張っていて、ゆっくり引き上げれば、イカをがっちり挟んでそのまま上がって来ていたように思うのだがなあ……。

F1013044 食うわけでもなく、「絶対に持って帰ってくるな」とかみさんにきつく言われていたので、釣れなくても別に困りはしないが、それでもせっかく来たのにボウズというのもちょっと悔しい。ちなみに持って行ったさきイカは、ザリガニよりもチビがせっせと食べていた。

右は、やたら社交性のあるチビが、近くにいた方から貰ってきたもの(3匹)。どうも獲れている人は、水面近くまで上げたら網ですくっているか、最初から網で撮っているらしい。

エサを挟んで釣り上げられないのは、人が多すぎて警戒心が高いのかとも思ったが、あるいはザリガニ自体があまり育っていなくて、ハサミが小さくて挟む力が弱いからなのかも。

F1013014 ●4日、川崎の実家に行って一泊。

右写真は行きに横浜で飲んだ「ガラナエール」。一般に「北海道(だけ)の飲み物」と認識されているガラナだが、横浜のQUEENS ISETANの北海道物産店には常に3種(もしくはそれ以上)のガラナが置いてあるので、私は結構よく飲む(もともとドクペとかルートビアとか、その手の飲み物を時折飲みたくなる)。

ただし、普段はコアップガラナを飲むことが多く、ガラナエールは初めてかも。ちなみに、もう5、6年以上前の話だが、逗子駅裏の自動販売機ではペットボトルの「メッツガラナ」が売られていた。

4日には久しぶりに東久留米の叔父一家が来ており、焼酎を飲んで島唄など歌う。相変わらずレパートリーは3、4曲しかない。

5日、帰りに梶が谷、あざみ野、横浜のbookoffをハシゴ。先日、逗子のbookoffで第1巻を買って読んだ八十八良「不死の猟犬」の続き、2、3巻を買う。横浜VOLKSでairfixの新製品、1:72のフォッカーE.IIとB.E.2cを購入。

●小坪の山の斜面でキイチゴ(モミジイチゴ)が熟し始めていて、いくつか採って食べる(4日)。毎年、ここでなるモミジイチゴは甘くて美味しい。もっとも、道側に張り出していた枝が刈り込まれてしまったようで、昨年ほどたくさんなっていないし、手の届くところとなるともっと少ない。残念。

なかなか美味しかったので、7日、一人キイチゴつまみ食いツアーに出掛け、さらにモミジイチゴ、カジイチゴをいくつか食べる。

F1013015 F1013879 F1013866 F1013872 F1013845

  • 1枚目:今年初めて食べたモミジイチゴ(4日)。
  • 2枚目:同じ場所のモミジイチゴ、再収穫したもの。
  • 3枚目:カジイチゴ。大粒で1.5cmほどもある。枝にトゲもないので採りやすい。
  • 4枚目:山道の脇に生えていたカジイチゴ。ここの株はまだ実が熟していない。あと何日かしたらまた覗きに行ってみよう。
  • 5枚目:大切岸のナワシロイチゴ。地味な花を付けたばかりで、実がなるのは6月末か7月に入ってからか、というところではないかと思う。残念ながら、ナワシロイチゴは甘みが少なくてあまり美味しくない。

●airfix新作の古典機2機のレビューをこれに続けて書き始めてみたのだが、意外に長くなったので(中身はそれほど詳しくないが流石に2機もあるので)、投稿を分けることにした。

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ホビーボス 1:35, 39Mチャバ(レビューその3)

●昔、「トリビアの泉」でやっていた話題なのだが、マジャル語(ハンガリー語)では、「塩が足りない」ことを「シオタラン」と言うのだそうだ。

というわけで、トルディほどではないものの、やはりなんだかちょっと「シオタラン」(一味足りない)気がしないでもないHOBBYBOSSの新製品、「Hungarian 39M CSABA Armored Car」のレビュー。

3回目は塗装とマーキング、およびデカールで取り上げられている車両の仕様に関しての話。作り始めているわけでもないのに、何を長々書いてるんだって感じ。しつこくて済みません。

なお、チャバの開発史、ハンガリーAFVの塗装とマーキング等に関しては、ウェブサイト“The Honvéd - Hungarian Armed Forces”に詳しい。特に、

は、以下を書く上でも大いに参考にさせてもらった。

●ごくごく大雑把な流れで言うと、戦前~大戦初期のハンガリー軍車輌(AFV、ソフトスキン含む)の基本塗装はグリーンをベースに、オーカー(サンドイエロー)、ブラウンを塗った三色迷彩。中盤以降はグリーン単色(多少の例外あり、後述)になる。

三色迷彩は、これまた塗り分けがくっきりとしたものと、境目が吹き付けのままでボケているものとがある。前者のほうが、比較的初期のものというイメージがあるが(私には)、実際には時期の差というよりはメーカーによる違いという部分が大きいようだ。

本題の39Mチャバに関しては、基本、当初はすべて「塗り分けはっきりタイプの三色迷彩」だったようだ(ただし、数多くはないが、ボカシ迷彩に見えるものもある。これは後述の単色塗装導入前に再塗装されたものではないかと思う)。

その後、1942年タイプの国籍マーク(黒四角に白十字)に切り替わるのに合わせて、車体も単色に塗り替えられている。前述のように、大戦後半のハンガリー軍AFVの塗装は(ドイツから供給されたものは除き)グリーンの単色が一般的なのだが、チャバの場合は、(グリーン単色と思われるものもあるが)かなり明るい色の単色塗装があり、これはサンドイエローで塗られているものと考えられている。

また、ちょっと珍しい例として、サンドイエロー単色塗装の上にブラウン/グリーン(あるいはその片方)を使って迷彩を施した(つまりほぼドイツ軍式迷彩)のチャバの写真も一例確認できた。モスクワのゴーリキー・パークでの鹵獲兵器展覧会の写真で、他にもニムロードやパナールなどが写っている。1942年型国籍マーク部分を綺麗に避けて迷彩色が塗られているので、現地部隊で後から色を重ねたのではないかと思う。

なお、トゥラーン中戦車の場合は3色迷彩で1942年型国籍マークのものがあるのだが、チャバでは3色迷彩で1942年型国籍マークのものは見当たらない(少なくとも私が見た写真の中には)。

迷彩色3色(グリーン、オーカー、ブラウン)の色調なのだが、上記サイトの解説によれば、当時の資料中にも色の名前でしか載っておらず、正確に色調を特定できる工業規格番号のようなものは不明らしい。ちなみにキットは塗色をMr.HOBBY(Mr.カラーと水性ホビーカラー)、ファレホ(バジェホ)、モデルマスター、タミヤ、ハンブロールで指定している。

グリーン(Dark Green)はMr.カラーではC70ダークグリーン(WWIIドイツ戦車)が指定されているが、その他のカラーでは該当色無しになっている。えー。近似色はあると思うけどなあ。

オーカー(Sandy Yellow/Dark Yellow)はMr.カラー:C39ダークイエロー(WWIIドイツ戦車ほか)、ファレホ:824 Ger.Cam.Orange Ochre、タミヤ:XF59デザートイエロー、ハンブロール:93 Desert Yellow Matt。Model Masterで該当色無し。

ブラウン(Wood Brawn)はMr.カラー:C43ウッドブラウン、ファレホ:983 Flat Earth、タミヤ該当なし、ハンブロール:186 Brown Matt、Model Master:1711 brown。しかし、ウェブ上のカラーチャートで見る限り、Mr.カラー:C43ウッドブラウンはいいとしても、ファレホのフラットアースはいくらなんでも明るすぎないか?

後年のドイツ軍の3色迷彩の規定はダークイエローをベース色にグリーン、ブラウンを重ねるが、ハンガリー軍の3色迷彩はグリーンがベースで、特にチャバの場合、3色の面積はあまり均等でなく、グリーンと他の2色が2:1:1から、せいぜい1.5:1:1くらいであることが多いようだ。

パターンはランダムで、例えばOA vz.30装甲車や一時期のヘッツァーのように「別車輌でも配色・パターンがすべて共通」といった面倒くさい状況にはなっていない。なお、上記サイトには、チャバのくっきりした塗り分けは刷毛による手塗りでそうなっているのではなく、型紙を使用していると書かれているが、それにしては、同一のブロック形状が他の場所に現れている例が見当たらない気がする。

というわけで、キットの塗装説明図は【I】から【IV】まですべて同一パターンで描かれているが、これは作図上の面倒を省いてコピペしただけで、実際にはパターンはバラバラ。また、オーカー、ブラウンのパッチは1つ1つがもっと小さめで丸っこい感じの場合が多いようだ。

F1011452b ●キットの指定塗装はすべて3色迷彩時期のもので、付属のデカールは右のような感じ。何しろ、いつ作るか判らないキットなので、保護紙をかけたままの不鮮明な写真で失礼。

メインとなるAシートと、忘れているのに気付いて後から足したのか、国章(と前に書いたが、正確には国家盾章が真ん中に入った装甲部隊徽章)のみの小さなBシートの2枚。

車両登録番号は5種類含まれているが、塗装説明図ではそのうち4種類しか取り上げられていない。……なぜ?

しかも、各塗装説明に、いつ、どこの何部隊なのかの説明がまったくなかったり、デカールシートに含まれているのにどこに使うのか指示されていないマークがあったり、あるいは用意されているデカールだけでは指定の車輌の実車通りのマーキングを再現できなかったり、特にデカール関連では「シオタラン」感たっぷり。しっかりしてくれHOBBYBOSS。

●というわけで、キットの塗装説明図に即して、デカールに取り上げられた特定車輌の塗装とマーキング、仕様に関しての検証。なお、デカールに取り上げられている登録番号の車輌は、すべてネット上で実車写真が確認できる。

上で紹介したサイトのチャバのページに、各車輌番号ごとに整理した写真も出ているので参照して頂きたい(なお、下の記述では上のサイトに出ていない写真も参照している)。

【塗装例 I 】 車両登録番号:Pc127

第1偵察大隊(1. felderítő zászlóalj )所属。1940年秋~1941年春。「ハンガリー十字」と呼ばれる末広がりの十字に国家色をあしらった国籍マークは、1940年9月の北トランシルバニア占領に先立って試験的に導入されたもの。対ソ戦開始前にはお馴染みのバルケンクロイツ似のマークが正式に制定されることになる。

国籍マークは、デカールでは3つのサイズが用意されていて、エンジンデッキが大、車体前部・砲塔左右・車体右が中、車体左が(工具を避ける形で)小、という具合になっている。少なくとも私が知っているPc127の写真は前方からの1枚だけだが、同じ時期・同じ部隊の別写真では、車体右側の国籍マークも、砲塔のマークよりわずかに小さいケース(ただしデカールの国籍マーク小よりは大きい)、逆に車体左側の国籍マークも砲塔と同じ大きさに見えるケース(そもそもキットは工具の取り付け位置がちょっと高めのようだ)がある。

塗装図ではなぜか省かれているが、車体前部の国籍マーク右側の細長い三角の装甲部分に、第1偵察大隊の部隊マークである「稲妻矢印」が描かれている。同じマークは、車体後面(ナンバープレートが描かれている面)の右端にもある。前部の部隊マークは前向き、後部のマークは垂直で下向き。

この部隊マークはデカールにも入っているのだが(23、24)、なぜか塗装図では無視されている。また、実際のマークはプレーンな白で、デカールのように黒縁は付いていない。さらに、デカールの23と24は鏡写しだが、実際には車体前部・後部ともに23の形。

また、説明書では図示されていないが、装甲部隊徽章(デカール番号27)も、しっかり記入されている可能性は高い。記入位置は決まっており、車体中央部の縦ジグザグリベット列の前側上隅。【塗装例 IV 】右側面の指示を参照のこと。なお【塗装例 IV 】では右側面しか指示されていないが、実際には左右とも同じ場所に記入されている。

タイヤはトレッドパターンの細かいほう(キットのタイプ II )を履いている(少なくとも残っている写真では)。

【塗装例 II 】 車両登録番号:Pc125

キットの塗装指示では、砲塔前面に半丸同心円のマーク(デカール番号6)を貼り付けるように指示されているが、これは第1騎兵旅団装甲大隊(1. lovasdandar páncélos zászlóalj )の部隊マーク(実際には馬蹄を示しているらしい)。しかし、実際にはPc125は、上の【塗装例 I 】と同じ第1偵察大隊所属車で、しかも第1偵察大隊マーキングのまま大破した写真が残っている。というわけで、塗装指示は大間違いである可能性が高そう。

部隊マークを活かす場合、車両登録番号はPc140、Pc144、Pc148、Pc154、Pc176が同部隊所属であるのは写真で確認できる。部隊マークの記入位置は、塗装図では砲塔前面だけだが、車体後面右上にも記入するのが基本。

また、国籍マークのスタイルは塗装図と同じ細いタイプでよいのだが、側面の国籍マークは、砲塔両側にあって車体にはなかったり、砲塔になくて車体にあったり、砲塔にも車体にもなかったり、いろいろバリエーションがある。時期によって違うのか、中隊/小隊の別などで違うのかはよく判らない。車体側面に記入の場合、キットのように左側面が小さなマークでよいのかという問題もある(おそらくこの部隊のものと思われる車両の写真で、右側面と同じ大きさの国籍マークを記入したものがある。その場合、当然、工具は国籍マークにかぶる形になる)。ただし車体前部のマークは共通のようだ。

写真で確認できる範囲で、前期車番の車輌の仕様を記すと、

Pc140:後方から写した写真が2種あり、片方は部隊マークが記入されていないが片方にはある。部隊マークが記入されていない時期があったことが判る。斜め前方からの写真では砲塔前面に部隊マークがあり、車体前面、車体側面(右側が写っている)に国籍マーク。装甲部隊徽章の有無は不鮮明でよく判らず。タイヤはパターンII(細かいほう)。

Pc144:砲塔側面、車体側面ともに国籍マーク無し。車体前部あり。装甲部隊徽章よく判らず。後方からの写真無し。タイヤはパターンII(細かいほう)。

Pc148:斜め後方から写した写真があるがあまり鮮明ではない。とりあえず砲塔側面に国籍マークはないようだが、車体側面にはもしかしたらあるかもしれない。後面所定位置にナンバーと部隊マーク。タイヤはパターンII(細かいほう)。

Pc154:斜め後方からの不鮮明な写真が1枚。しかも樹木の枝でカムフラージュされており、車番と部隊マークが確認できるのみ。タイヤはパターンII(細かいほう)。

Pc176:斜め前からの写真が1枚。車体側面は国籍マークがなく、装甲部隊徽章のみ。砲塔側面に国籍マークがあるかどうかは光線の関係で白く飛んでいてよく判らないが、どうもないような気がする。タイヤはパターンI(粗いほう)。

車両登録番号を活かす場合、所属は前記のように第1偵察大隊となる。Pc.125号車の写真は1941年の新国籍マーク導入後のもので、国籍マークはキットの塗装説明図とほぼ同じ細いタイプ(ただし、キットのデカール9より白+緑部分がわずかに広めかも)。ただし、記入位置は車体前部に加え、かなり大きめのものが砲塔左右。車体左右に記入はなく、エンジンデッキ上にもなさそう。というわけで、キット付属のデカールの国籍マークでは対応できない。

なお、【塗装例 I 】で述べたのと同じ場所に白い稲妻矢印の部隊マークが入る。

Pc125号車は、写真で確認できる限りでは、キットに含まれていない第3のタイプのタイヤを履いている(前々回の記事参照)。

【塗装例 III 】 車両登録番号:Pc175

私が知っているPc175号車の現存写真は2枚。スタンダードな形状の1941年型国籍マーク付き(つまりは、おおよそ1941年夏から1942年一杯くらいということになる)。実車写真で確認できるPc175号車は、訓練部隊所属。上記サイトの写真キャプションによれば、“Ludivika Academy Armoured Training Squadron”だが、最初の単語は“Ludovica”のスペルミス。ルドヴィカ・アカデミアはオーストリア=ハンガリー帝国時代からの歴史を持つ、ブダペシュトにある軍学校。

さて、国籍マークに関してはおおよそ正しそうなのだが(左側面がやや小さ過ぎかもしれないが)、問題は、この訓練部隊所属車輌は、実戦部隊配属の車輌には見られない特徴として、砲塔にやや大きめに(部隊内における)車番を記入しているところにある。記入位置は砲塔側面前半、丸いバイザーフラップの下。Pc175号車の車番はL45.。デカールは付属していないので、実車写真通りのマーキングを再現したい場合には、自分で手書くなり何なりする必要がある。面倒臭っ(;;)。タイヤはパターンI(粗いほう)。

同一部隊の所属車としては、他に、Pc146のL42号車、Pc175号車の写真に後続車として写っているL44(車両登録番号不明)がある。

▼【塗装例 IV 】 車両登録番号:Pc119

丸い国籍マークは、第2偵察大隊( 2. Felderítő zászlóalj )独特のもの。一般的な1941年型の八角形国籍マークのバリエーションという感じがするが、実は使われ始めたのはこちらの方が早く、第1大隊のハンガリー十字(末広がり十字)とほぼ同時期に導入されたものであるそうな。とはいえ、1941年型とよく似ているためか、(第1大隊のハンガリー十字と違い)対ソ戦が始まってからも1941年一杯は使われ続けたらしい。以上、前出のサイトの受け売り。

Pc119も正しくこの部隊の所属車で、「2.F.-」のマーキングも写真で確認できる。

ようやく、何の修正もなくストレートに行けるのか!?

……と言いたいところなのだが、惜しい。この部隊は車体後面、ナンバーの右側にも大きく国籍マークを記入しているのだ(記入できる面積ほぼいっぱいの大きなもの)。さらに、このPc119号車は、キットに含まれないタイプのトレッドパターンのタイヤを使用している。

▼【塗装例 * 】 車両登録番号:Pc124

塗装図で解説されていないが、デカールに含まれている車両登録番号が一つ残っている。このPc124号車は第1偵察大隊所属で、対ソ戦開始前の、「ハンガリー十字」国籍マーク入りの時期の写真が残されている。というわけで、注意点は【塗装例 I 】とまったく同じ。タイヤはパターンII(細かいほう)を履いている。また、残されている写真では戦闘室上面左後ろ隅に小さな旗が立っている。ちょうどその位置に小さな丸いパッチがあるが、ここに立てられているのだろうか。

●というわけで、用意されているデカールが見事に全部、(正確を期すのであれば)そのままでは使えないという、「やってくれるぜHOBBYBOSS」状態になっている。

……広東省の方角に向かって、皆で「シオタラン!」と叫ぼう。

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ホビーボス 1:35, 39Mチャバ(レビューその2)

F1011380bHOBBYBOSSの新製品、「Hungarian 39M CSABA Armored Car」、レビューの続き。

前回記事作成時に、エッチングパーツに「2014」と年次が入っているのに気付いた。エッチングは一昨年に完成していて、それからキット発売までに約2年かかってるのか?

あるいは何かキット設計上のポカがあって、発売までにすったもんだしたのか?(そういえば、さすがに2年前とはいかないものの、秋葉原のYSでキットの見本を見たのはだいぶ前だったような気がする)

●それはそれとして。まずは車体。全体形は、それほどじっくり見比べたわけではないが、実車写真から感じるイメージとそう遠くない。

全面に打たれたリベットは、大きさ、形状など実車では画一ではないが、キットもとりあえず大きさに関しては気を使って区別しているようだ。いくつか気になった点を以下に。

F1011465b ・金型からの抜きに関しては角度的にそうきつくないように思うのだが、車体上部後端のリベット列(横方向の4本)に“めくれ”が生じてしまっていた(すべての製品でそうなっているのか、私の手に入れたキットがたまたまそうだったのかは判らないが)。一度削って植え直す必要があるかもしれない。

・前述のように、リベットの大きさに関しては一応気を使ってメリハリを付けているようなのだが、形状は基本、すべて丸頭リベットになっている。しかし、実車ではエンジンその他内部機構の交換などの都合で一部のパネルはボルトもしくはネジで止められているのではないだろうか? どこがどのような形状なのか、なかなか鮮明なクローズアップがなくて確かめられないのだが、少なくとも車体前端上面の横列はマイナスネジが使われているようだ。また車体後部は、後面上側(上写真のAの面)はマイナスネジで、後部上面(Bの面)は尖頭ボルトが使われているのではないかと思う。

・車体後面には、上下の装甲板継ぎ目あたり、やや右寄りに、エンジンスタート用のハンドルを突っ込むのではないかと思われる小穴とそのカバーがあるようなのだが、キットでは無視されている。

F1011461 F1011446b ・車体前端装甲は、ほんのわずかだが、実車より横長な感じがしないでもない(あくまで個人的な印象)。上部左右のナナメのリベット列は、実車では左右端がもうちょっと内側にある。

・操縦席左右の三角形の装甲板には、エッチング・パーツの丸いパッチが付く。これは実車では単純なパッチではなく、内側にヒンジがあって開閉する。フェンダー上に前照灯など付いていないので、ここにライトがあるのではないかと思う。いや知らんけど。問題はその位置で、キットはエッチングを貼りつける位置が筋彫りで示されているが、実車と比べ、位置が後ろ過ぎる。下辺に6つあるリベットのうち、キットのモールドは後ろから三番目のリベットよりやや後ろに円の中心があるが、実車では後ろから三番目と四番目のリベットの間に来る。

車体ハッチ。前後操縦席上のキューポラ付きハッチは、半開状態で固定可能。その場合、前部ハッチは前縁右側に固定用アームが覗く。後部ハッチは側部右側(車体の前後方向を基準として)に固定用アームがあるようだ。

車体下部の乗降用ハッチは、表側の取っ手は別部品、裏側はモールド。裏側モールドも取っ手は横方向になっているが、開状態では縦になるものらしいので、情景など作る人は御注意。

F1011472b ●ころんと一発抜きで成形された砲塔本体。

下辺のリベットがその他と比べて大きいのは実車も同じ。しかし、実車はこれよりももっとメリハリがあるような印象。

各辺のリベットの数は(車体も含めて)おおよそ正しいようだが、一部に間違いもある。右写真で黄色で示した辺のリベットはキットでは8つになっているが、実車は7つ。一方、前端縦の列はリベット間隔が不揃いなのは実車通り。「たまに間違えている」だけで一応、ちゃんと表現しようという意欲はあったらしい。

F1011449 一方、砲塔前面は、キットは下辺に等間隔に11個の大リベットが並んでいるが、これは誤り。実車は10個で、向かって右側から3個、ちょっと間隔をあけて7個という具合になっている(主砲直下のひとつがない)。

なお、砲塔・車体のリベット列については、ぱっと目に付いたところだけは比較したが、すべての列について比較検討したわけではなく、もしかしたら他にも間違えている箇所はあるかも。しかしまあ、砲塔はAFVの顔なので、ここはちょっとこだわりたい気がする(個人的に)。

F1011448b武装

主武装のゾロトゥルン20mmについては、なんと砲身だけでなく全体をパーツ化してあり、スリーブの中に差し込む凝った構成。小国御用達で携行兵器としてもあちこちで使われているので、ゾロトゥルンだけ複数欲しい感じ。いや、フィギュア作らないけど。

しかしその一方で、なぜか隣の機銃(ゲバウアー 34/37M 8mm機関銃?)は、表に出ているスリーブがパーツ化されているのみで、銃身どころか(これはどうせスリーブに収まっているので要らないが)機関部もない。せっかくゾロトゥルンの砲尾があっても意味無し! もっとも、そもそも砲塔内部はつんつるてんで他に何もないが。

●後面と上面の2カ所にある砲塔ハッチ

F1011447b 砲塔後面の観音開きのハッチは、ペリスコープ部の表側が、なぜかシャッターを下ろして塞がれたような表現になっている。実車がこんなふうにできるのかどうか不明だが、少なくとも実車写真でこのような状態は見たことがない。

実際には、上に貼った写真の、砲塔の側面と同形状になっているはず。なお、このペリスコープを囲む丸いパッチ部分は、ドイツ風に言えば「クラッペ」で外側にはね上げて開閉することが可能。

キットも、このハッチの内側は比較的(なぜか)凝っていて、内側のペリスコープ本体、その上に付く開閉アームなども別パーツ化されている。

F1011442b F1011443b これに対して砲塔上面ハッチは、内側はまるっきりつんつるてん。これは「ハッチを開けて乗員のフィギュアを乗せたい派」の人には困ったものだろうと思う。

39Mチャバで上面ハッチ内側が綺麗に写っている写真はなかなかなく、せいぜいこの程度のものしか見つけられなかったが、内部構造図や、バリエーション車輌である無線指揮車40Mの写真などから推測すると、ハッチ中央部に縦方向に2つのコの字の取っ手、ヒンジと反対側の中央に何らかのロック機構という感じらしい。ハッチ表側のリベットも、この内側ディテールに対応している。ただし、キットの表側リベット(特に取っ手のリベットの4つ)は離れすぎで、もうちょっと内側に寄っている感じではないかと思う。

なお、開閉ヒンジ(蝶番)はハッチ内側についているような表現になっているが(既存の図面でもそのように描かれているが)、実車写真を見ても内側にアームのようなものは見られず、単純にぱったんと前側に開いている。ハッチの開閉軸部分は表側にあるのではないかと思う(前段落でリンクを張った内部図でもそのように描かれている)。

F1011441b車外装備品。同じHOBBYBOSSのトルディは、工具箱以外、車外装備の工具類は一切無視でだいぶ寂しい感じだったが、このキットではジャッキ、つるはし、シャベル、バールがパーツ化されている。

なお、付属のエッチングパーツも、半分以上は工具(つるはし、バール、シャベル)の留め具。ただし、キットのパーツは単純にエッチングをΩ型に曲げるだけだが、実際はバックル付きのベルトではないかと思う。

ジャッキはフェンダー上に止める台座パーツを別にして、本体のみで5パーツ。トルディのジャッキと同じならもう一個欲しいなあ!……なんて思ったのだが、トルディのジャッキはこれよりももっと細身な外見のようだ。もちろんトルディのほうが重いので、単純に縦横比で「細身に見える」だけで、向こうのほうがゴツイのかもしれないが。もっとも、チャバのジャッキ自体、本当にこのような形をしているのかよく判らない。

(5/3追記。Nasi kandarさんから、同形のジャッキが確認できる写真がある旨コメントを頂いた。ありがとうございます)

(塗装とマーキングに関しては次回)

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ホビーボス 1:35, 39Mチャバ(レビューその1)

●前回書いたように、HOBBYBOSSの「Hungarian 39M CSABA Armored Car」を購入したので、そのレビュー。ディテールの検討と若干の考証。

ただし、パーツをざっと見て、気になったところをチェックしてみただけなので、目の付け所は割とバラバラ。やはり実際に作り始めてみないと気付かないところも多いと思う。

F1011381

●ボックスアートは割と勇ましく戦闘中といった風情のチャバ。

もっとも(マーキングのところで詳しく触れるが)箱絵のマーキングは対ソ戦以前の試験的国籍マーク。これを付けて出動したのは(外交交渉で獲得した)北トランシルバニア進駐くらいのはずなので、射撃中なら演習時ということになる。

なおHOBBYBOSSはボックスアートにおいて、ごく最近の例で言うと、フィンランド軍のT-50が複数進撃中(実際には1輌しか鹵獲使用していない)という、トンデモ素敵なボケをかましてくれている。それに比べると、このボックスアートはまともだ。

(……箱も小さめだしパーツ数もあっさり目なのになんでこんなに高いんだよぅ、という恨みがあるので若干辛口です。)

●話は前後するが、実車のチャバは、ハンガリー出身の自動車・軍事技術者、ニコラス・ストラウスラー(シュトラウシュレル・ミクローシュ)設計の装甲車で、オランダ東インド軍が使って日本軍とも対戦したアルヴィス・ストラウスラーAC3D装甲車とは兄弟分に当たる(実際全体のスタイルは非常によく似ている)。

ストラウスラー自身は大戦勃発前からイギリスで活動していて、イギリス空軍向けの爆弾トロリー、ノルマンディー上陸作戦で活躍した戦車浮航用DD装置(シャーマンDDで有名)などを開発した。要するに、ストラウスラー設計の兵器は、枢軸・連合両陣営で使用されたことになる。

●キットのパーツ構成は、車体下部と砲塔がスライド型で個別に成型(合わせてAパーツ)。足回りがBパーツで同一の枝が2枚。Cパーツは車体上部と前後のハッチ。Dパーツはハッチ、アンテナ、工具その他。Eパーツは砲塔前面・下面やフェンダー、武装など。個別になっているAパーツを除くと、枝は5枚。BパーツはD,Eの半分くらいの面積だし、Cパーツは部品が3つだけなので、パーツ数はさほど多くない。

タイヤはゴム製で2種。ごく小さなエッチングパーツとデカールシート2枚。

F1011454b F1011459b F1011456b F1011451

写真1枚目がB・Cパーツ(Cパーツは車体上部切り離し済みで2つのハッチ部分のみ)。2枚目がDパーツ、3枚目がEパーツ。4枚目のエッチングは、長辺が27mm弱。

全体のスタイルは、組み上げていないので何だが、「まあいいんじゃないかなあ」くらいの感じ(いい加減)。それが信頼に足る図面かどうかという問題はあるが、とりあえず、“Magyar Steel”(Csaba Becze, STRATUS, 2007)に出ている1:35の図面とはほぼぴったり整合する(砲塔前面下部の幅がわずかに違う程度?)。

なお、もうちょっと古い資料、“A MAGYAR KIRÁLYI HONVÉDSÉG FEGYVERZETE”( Bonhardt Attila, Sárhidai Gyula, Winkler Lázaló, ZRÍNYI KIADÓ)に掲載されている図面と“Magyar Steel”の図面は作図者が違うようなのだが、線の太さが違うだけで図面としてはかなり似通っている。

F1011466足回り。前述のようにタイヤは2種類入っている。前回も書いたが、私、「あれー。タイヤが2セットも入ってらぁ。入れるとき間違えたなこりゃ」なんて思ってました(←迂闊者)。

実車でよく見られるパターンは3種(他にもマイナーなバリエーションがあるかもしれない)で、そのうち2種がカバーされていることになる。一応、私の手元の資料やネット上でかき集めた実車写真を見ると、キットのパーツ図によるとII番、右写真の下のトレッドパターンが細かいほうが最も一般的であるようだ。

上の方の、トレッドパターンが粗めのほうのパーツには、側面に刻印が入っている。“Magyar Steel”の図にも書き込まれているが、刻印は「SARKANTYUS CORDATIC」。おそらくCORDATICがメーカー名で、検索してみると戦間期のカタログやらポスターやらの画像がヒットした。

メーカーそのものについて説明してくれているページは発見できなかったが、どうやらハンガリーにあったメーカーらしい。SARKANTYUSのほうはおそらく商品名で、検索したらゾウガメやら鳥やらがヒットしてちょっと混乱したが、マジャル語(ハンガリー語)のweb辞書を引いたら「拍車」と出た。タイヤの名称としてはふさわしそうだ。

Tire03 トレッドパターンの細かいほうには、刻印は入っていない。なお、実車写真でタイヤの刻印が読めるほどの鮮明なクローズアップはなかなかないが、数少ない例からみると、「SARKANTYUS CORDATIC」という刻印が入っているべきなのは、むしろトレッドパターンの細かいほうのタイプのタイヤなのではないか、という疑いが濃厚。あんだえー。

ちなみに、キットのタイヤが表現している2種以外に比較的よく見られるもう1種のトレッドパターンは右図のような感じ(白い部分が溝)。とある掲示板で拾い読みしたところによると、チャバのタイヤにはSARKANTYUS CORDATICのほかにFIRESTONEがあるそうだが、そのFIRESTONEのタイヤのパターンがどれに当たるのかは、現時点では私にはよく判らない。

2017/2/2追記。イギリス軍のスキャメル・パイオニア・トラクターに、右上図とそっくり同じパターンのタイヤを履いている例がある(もちろんタイヤサイズは違うだろうが)。IBGで発売予定のキットもCG絵ではそのパターンで、Firestoneのロゴが入っていた。というわけで、右上図のパターンのタイヤはFirestone製である可能性が高そう。

書き添えておくと、これらのタイヤは3種とも、前から見た時にトレッドパターンがV字になるのが正規の方向のようだ(わずかに例外はある)。キットの組立説明書では、左右で装着方向が逆になるように描かれているので注意が必要。

さて、チャバの車輪は、だいぶきつくポジティブ・キャンバーが付いている(正面から見た時、タイヤに逆ハの字に角度が付いている)。詳しくはwikipediaのホイール・アライメントの項を読んでいただきたいが、とにかく、逆ハの字にしておくと、パワステなどがなくとも操舵が軽くなるのだそうだ。もっとも、チャバがやたらに横転している写真が多い気がするのは、もともと重心の高そうなことに加えてこのキャンバー角も一役買っているのではないか、とも思ったりする。

閑話休題。そこでキットなのだが、実際に組んでいないので推量混じりなものの、どうも前輪にはキャンバー角が付くものの、後輪はまっすく付くような構成になっている感じ(違っていたら済みません)。前輪のみのステアリングなら当然それでいいはずだが、実際には、チャバは後輪もステアリングするし、実車写真を見ても、後輪も逆ハの字になっている。写真ではよくわからないが、とりあえず“Magyar Steel”の図面によれば、前後輪のキャンバー角は同一。

(長くなったので今回はここまで)

 

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