« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »

2016年3月

ビッカース水陸両用戦車、参戦(13)

●いささか仕事が切羽詰まりつつあるのだが、とりあえずこれだけは、ということで、週末戦車親父さんのところの「軽戦車コンペ」(K-CON)のエントリー作、CAMsのビッカース水陸両用戦車(Vickers Carden-Loyd Amphibious Tank A4E12 Early Production)の報告。

K-CONは3月末が締切だが、今回は時間切れリタイアにもならず、締切当日の晩の駆け込みにもならず、「とりあえずこれで完成ってことでいいかな」というところまで持って行くことができた。

製作途中の報告写真ならいざ知らず、さすがにキットの上蓋の裏に置いての写真はみっともないし、我が家に唯一あったそれなりに面積のあるパステルグリーンの紙は、戦車それ自体が非常に発色悪く写ったので、月曜日、都内に仕事に出たついでに、画材屋で半切の色紙(グレーとブラウン)を買ってきた(下の写真でみるように、ブラウンは失敗だった模様)。

ちなみに「半切」は「はんぎり」とか「はんせつ」とか読むのだろうと思っていたのだが、画材屋のおねーちゃんはなんだか珍しい読みをしていた。どう言っていたのか忘れてしまったけれど。

●完成写真。なんとな~くピンボケだったり、なんとな~くナナメだったり、発色が悪かったりもするが、仕上げ同様、「完成品をよく見せる」ことについても圧倒的に経験不足なので勘弁してつかぁさい。もちろんカメラがあれこれ調整できないガラケーだからということもある。

F1013962 F1013964 F1013965 F1013966 F1013967 F1013969 F1013970 F1013971

●クローズアップも数枚。

F1013976 F1013939 F1013944 F1013949

●一応、前回からの変化を書くと、

・最初のウォッシング/スミ入れに使ったローアンバーよりも明るい、(油彩の)イエローオーカーを使って車体下部を中心にウォッシング/スミ入れを重ねた。ローアンバーも再度、要所に加えた。

・履帯もかなり暗めだったのが気になっており、イエローオーカーでウォッシング。その上から再度、クロームシルバー+フラットアルミで若干ギラギラを抑えた銀でドライブラシ。だいぶ「黒々感」は薄れてマシになった気がする。どんな戦車でも、モノクロ写真で履帯が暗く写っている例はあまり多くなく、個人的には軽めの色で仕上げたいと思っている(のだが、結局黒っぽくなったりする)。

・前照灯内部を銀で塗り、レンズをはめた。キットの前照灯パーツは薄くくりぬかれているがレンズ部品はない。今回はWAVEの「H-EYES 3ミニ」の2.2mm径のものを使った。最初は2.5mm径でちょうどかなと思ったがわずかに大きくて入らず、2.2mm径はわずかに小さかったものの隙間が目立つというほどでもなかったのでそのまま使った。このWAVEの透明パーツはそれなりに厚みがあるので、場合によってはレンズ面がかなり出っ張った状態になってしまい、かといって斜めに削り込むと汚くなるし――ということで、あまり使いやすいパーツではない印象なのだが、今回はキットの前照灯外周部が薄かったので助かった。

●今回はキット設計者のT.Wongさんからしばしばアドバイスを頂けるという、なんとも贅沢な製作工程だった(いや、ちょっと怖かったけど(^^;))。有難うございます。

以前からずっと作りたかった車種で、自分でスクラッチしかけたこともある。そんなわけで、ストック棚のどこかに基本形だけは組んだ車体や、ミラージュのビッカース双砲塔型から取り分けた砲塔パーツや、カステンの履帯やらが今でも大事にしまってある(でもどこにあるのかはよくわからない)。新興メーカー第一作とあって、若干の作りづらさはあったものの、とにかくHOBBY-BOSSあたりには爪の垢でも煎じて飲んでほしいと思えるような、こだわりと愛情の詰まったキットで、長年の課題だった車種を作ることができたのは純粋に嬉しい。

また、me20さんにはデカールを提供して頂いたほか、折々のコメントで励まして頂いた。もちろん、同じ中国軍所属のルノーUEを、まさにお手本にしたくなる美しさで作っている、というのも大きかった。ほかにもSUMICON掲示板でも、当ブログでも多くの方にあれこれ背中を押して頂いた。どうもありがとうございます。

●一方で、あれこれ反省もある。

・最も悔いが残るのは迷彩パターン。SUMICON掲示板でも多くの方に褒めて頂いたのだが、やはり改めて資料を見返すと、もっと各色の塗り分けが細かく、塗り分けラインも複雑に入り組んでいるほうがよかった。もうちょっとパターンの下書き時点で急がず、チェックを繰り返すべきだった。

・ほかにも(塗装のスキルと経験値が不足していることもあり)塗装にはあれこれ不満が残る。

・パーツ自体の長さが若干不足気味ということもあるが、車体から舵下部に繋がる支柱(C15、C16)の接続が誤っている。キットの説明書ではC17の下側に繋げるよう図示されているが、前述のようにパーツが短めなこと、クビンカの実車では上側に繋がっていることから、上側に変更して組んだ。が、後から広東軍車輌は下側に繋がっていることが確認できた。ううう。

・機銃付け根のドラム状の防盾は、クビンカの実車ではキットのようにむき出しなのだが、広東軍の実車は左右にカバー部がある(下の動画参照)。完成させてから気付いたので、いまさら改修する気にはなれない。

●とにかく鮮明な実車写真が乏しい車輌で(製作途中で、細部が異なる後期型に関しては新資料が出版されたが)、あれこれ判断に迷ったことも多かった。

……のだが、今さら! Youtubeで、まさにこの広東軍車輌が縦横に走り回る動画を見つけた。製作中にしばし悩んだ前照灯コード部分も写っている。というよりも、前照灯コードに関してT.Wongさんが送ってくれた画像が、同じ動画からのスチルだった。さすがだなあ……。


長めの動画だが、ビッカース水陸両用戦車が写っているのは、後半の34:43あたりから。

ちなみに、最初から中央政府軍が輸入した後期型の動画はこちら。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

池子弾薬庫跡

●連続お散歩ネタ。

26日土曜日。そういえば先週末から、「池子の森自然公園」が土・日・休日のみ公開になったんだったと、ふいに思い出し、午後、チビを連れて散歩に行く。

●「池子の森自然公園」は、有名な(といっても、現在、世間一般にどれだけ知名度があるのかよくわからないが)「池子弾薬庫跡地」の米軍接収地の一部が、新たに公園として整備されたもの。

池子弾薬庫は、かつて海軍が、横須賀海軍基地に間近い、現在の逗子市~横浜市の山地に作った倉庫・弾薬庫地区で、戦後米軍に接収され、現在もほとんどは米軍管理下にある。

かつては大きな反対運動の波があって、逗子市の選挙の大きな争点にもなった。その理由は、弾薬庫として利用されなくなってからも返還は進まず、その代わりに米軍の住宅地としての転用が決定したからだが、結局、国に押し切られる形となり、ぶっちゃけた話、「もう建てちゃったもんはしょうがねーなー」的な諦観から、現在は表立った反対運動などはない(が、もちろん地道な返還要求などはある)。

まあ、とりあえず、沖縄の多くの米軍施設のように第一線の基地機能があるわけではなく、軍用車両だの軍用機だのが我が物顔に往来するということがないというのも大きいし、そもそも戦前に海軍が接収したもので、直接的に、土地を取り上げられて悔しい思いをした人たちがほとんど亡くなっているということもあろう。

また正直な話、仮に戦後すぐにこれらの土地が戻って来ていたとしたら、今頃は、盛大に西武あたりに掘り返されて新興住宅地に変わり果てた後だと思う(もちろん、だからといって国が勝手にアメリカに進呈しちゃっていいものかどうか、というのは別の話だ)。

ちなみに「池子弾薬庫跡地」、現在の正確な名称でいうと「池子住宅地区及び海軍補助施設」は、その大部分が逗子市池子(かつての池子村)にあるための名称で、北東側は前述のように一部横浜市に入り、西側は逗子市久木に入る。

F1013934 ●さて、「池子の森自然公園」は、その米軍管理下の土地のうち、住宅地としては利用されていない一部を、逗子市が国や米軍と交渉し、公園として整備し公開するもの。「返還」ではなく、「共同使用」という形なのでゲートの内側なのだが、先週末以降、特別に申請だの身分証のチェックだのもなく、一応公園として指定された範囲内であれば気軽に入ることができる。

池子側のメインエントランスに近い一部は「スポーツエリア」で、陸上競技用グラウンドだの、野球場だのテニスコートだのがある。これは以前から申請すれば使える施設だったはず。

F1013935 その奥のトンネルをくぐった先が今回公開されたキモの「緑地エリア」で、だだっ広い、かつての里山の平地が芝生に変わったような地域になっている。山の部分は戦後の開発等が一切入っていない遷移林で、「森林保全エリア」として基本立ち入り禁止。中央の池(おそらくかつての農業用溜池)も外来魚がいない貴重な「水環境保全エリア」として立ち入り禁止になっている。この「緑地エリア」は、基本全域が逗子市久木に属し、かつての「柏原村」にあたる。

久木側にも、公開日には自由に出入りできる小さなエントランスがある。今回は行きも帰りもこちらを通った。

●中はこんな感じ。基本、遊具などは何もなく、途中、東屋や、あちこちにベンチとテーブルなどは置いてあるものの、要するに「だだっ広さを楽しむ」感じ。左写真、まあ、よく顔が判らない大きさならいいでしょうってことで、中央に写っているのがチビ。来月から小学生。

F1013932 F1013918

その「ベンチやテーブル」があるのは、ほとんどが谷戸の左右の行き止まりの枝道の部分。昔の航空写真などではその場所に建物があり、おそらくそこが地上の弾薬庫または倉庫だったようだ。なお、そんな場所の一つに、塗装はボロボロだが迷彩された物置があった。それほど古いものではないので米軍が建てたものだと思うが、ここは軍用地なのだと実感させる。

F1013927 F1013916

山裾部分のあちこちに横穴。やぐらもあるのかもしれないが、ほとんどは軍が掘った壕とか地下倉庫ではないかと思う。左写真など、入口も大きく、奥も深そうな印象だった。

F1013919 F1013915

もともと弾薬庫跡であった名残をもういくつか。「何だかアヤシイものがあっても不用意に触ったらアカンでー」という看板と、緑地エリアの奥で見つけた線路跡。レールははがされておらず、地面からうっすらと覗いていた。弾薬の輸送用に各谷戸に線路が張り巡らされていたらしく、おそらく、現在の池子側メインゲートで、軍用引き込み線(現在の総合車両製作所・横浜事業所回送線)に接続していたのではないかと考えられる。概略はこちらのサイトで。以前に撮った横浜事業所回送線の写真はこちら

F1013913 F1013923

池子側と久木側を結ぶトンネルの銘板。1992年とあるが、もともとこの場所には1941年開通のトンネルがあったはずで、拡幅して掘り直したものか? 「New Hisagi Tunnel」という名称は、その旧トンネルに対してのNewなのか、それとも久木と山の根を結ぶ久木隧道に対してのNewなのか、どちらだろう。久木隧道に関してはこちら(先述の回送線についても書いてある)。右は、トンネルの池子側、池子遺跡資料館脇の消火栓。とってもアメリカンな感じ。

F1013896 F1013899

池子側、グラウンドの整備工事の際に出たらしい、シロウリガイ(第三紀中新世、約440万年前)の化石岩塊。露頭は埋め戻されているが、調査の際に掘り出された、化石の詰まった巨大な岩塊がグラウンド奥に展示されている。右はトンネルを迂回して山越えする散策路途中のニリンソウ。葉の形がトリカブトに似ているので、(私のような)にわかが不用意に手を出さない方がいい山菜。とはいえ、こうして花が咲いていれば明らかに違う。

F1013901 F1013907

| | コメント (2) | トラックバック (0)

今デショ

●23日水曜日。「明日から天気が崩れるそうだから散歩に行くなら今日だよ」とかみさんにそそのかされたので、夕方近くなって散歩に出かける。

特に遠出はせず、名越切通から大切岸、巡礼古道の「切れ端」の名越尾根道と歩き、ハイランド入り口に降りる。小字名で言うと、西名越、御猿畠、東名越の北の尾根道をぐるりと回った感じ。

F1013849名越尾根道から名越里山方面に降りる道のちょっと先に、やはり踏み分け道のような降りる道があって、以前からちょっと気になっていたのだが、試しに降りてみたら他人の家の庭に入るような形になってしまい、仕方なく尾根まで引き返した。

もっとも、あとで下(東名越の谷戸側)から回って見てみたら、ちょっと無理をすれば人の家の庭先ではなく、その先の道に降りることもできたようだ。右はぐるりと歩いた尾根が囲む下の谷戸、名越里山の突き当りに立っていた看板。

この先行き止まり……ません?

散歩途中、あちこちでウグイスが大声でさえずっており、それに合わせてガビチョウも鳴き、さらに重ねてコジュケイも。これでホトトギスまでいたら、逗子のやかましい鳥オールスターズ。ところで、ガビチョウって何だか谷啓っぽいよね(耳慣れているせいか、ガチョウは特に感じない)。

F1013841 F1013844b ●先週、アケビの芽の初収穫をして、その時はまだチョボチョボとしか芽が出ていなかったので、「旬はあと半月かひと月先か」などと書いたのだが、流石に春先の草木の伸びは早くて、ちょっと歩いただけでどっさり収穫できた。

先日は(量も少なかったので)ちょっと醤油を垂らしただけで食べたが、今回は溶き卵で。今のところ、アケビの芽はこうして食べるのが一番美味いような気がする。まあ、それほどいろいろな食べ方を試したわけでもないけれど。

●名越切通脇の平場のヤマザクラが満開。ほかにも、尾根道の途中の何カ所かでヤマザクラが咲いていて、道に落ちている花びらで気付いたりする。

切通脇平場のヤマザクラは、開けた場所に面しているからというのもあるだろうが、なかなか立派で美しい。もともと、それほど人が来る場所でもないが、よく見るとツリアブやミツバチなどでなかなか賑わっている。

F1013882 F1013880

ほか、散歩途中の花やら何やら。

F1013875 F1013871 F1013865 F1013857 F1013854 F1013853 F1013845

順に。

  • 名越切通から大切岸方面に上がる平場のタブノキ。
  • タチツボスミレ(たぶん)。
  • ハイランド入り口の坂でポツポツ咲き始めているシャガ。
  • ハイランド入り口、並木のソメイヨシノの咲き始め。
  • ショカツサイ。
  • 名越里山の湿地脇のカキドオシ。
  • ツクシ。さすがにこんなに伸びては食べられないと思う。

●とうとう、K-CON締め切りまであと一週間。

とにかく今は、精力的にビッカース水陸両用戦車の仕上げ作業をしなければならない、ところなのだが、なんだか弾みでこんなものを。

F1013885 F1013887 F1013888 F1013889

モデルグループ・ドニェプル/コミンテルン・モデルズ(MODEL GROUP DNIEPER / KOMINTERN MODELS)製1:72の「ポルトルカ」(GAZ-AA)。調べてみると、組み立てたのは2012年1月末のことで、そのまま未塗装でほったらかしにしてあったもの。一応、私が買ったキットは後輪が2軸のGAZ-AAAだったのだが、中身はAA用、AAA用の両方のパーツが入っていて、私は、最初AAAとして組立て、その後、パーツをもぎ取ってAAとして作り直した

まだ前照灯を入れておらず、塗装ももう少し加えたい(荷台内側が綺麗すぎるし)。なお、セットで作ったSKIFのZiS-2対戦車砲は(グリーンの色調をこれとは変えるつもりなので)まだ塗っていない。

一応、言い訳として書いておくと、これの塗装はビッカースのタッチアップやウォッシング追加のついでの作業なので、一応、ビッカースも完成に向けて(じわじわと)進んでいる。

●追記。GAZ-AAはアメリカ製フォードAAのライセンス生産型であり、戦時中には独自の改良や生産の簡易化なども行われるが、初期のタイプは基本、フォードAAと大きな差はない。

というわけで、このGAZ-AAから、世界各国に輸出され使われたフォードAAに先祖返りさせてみたくなるというのは模型製作上ありがちな野望といえる(実際、ウェブ上でもそうした作例はしばしば見られる)。とはいっても、そのフォードAA自体が年式によって結構細かく差があるし、そもそもGAZ-AAとフォードAAはどこが違うんだ、というのも(少なくとも私は)よく判らない。

と思ったら、フォードAAに関する、こんなマニアックな専門サイトがあった。

Ford Model AA web site (AAFords.com)

まだ一部しか見ていないが、非常に濃い。ホイールの形状が写真一覧で出ていて、それぞれ、何年の何月から何月までの生産型に使われたか記されているあたりがスゴイ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

エアフィックス 1:48 アルビオンAM463燃料補給車

F1011471 ●すでに一昨年末に、2015年の新製品として予告されていながらなかなか入荷しなかった、エアフィックス48の新製品、アルビオン燃料補給車だが、昨日、横浜のVOLKSに行ったら入荷していた。

第二次大戦中の英空軍用の燃料補給車なので、地上車輌とはいえかなり空物寄りの模型で、私自身は空物も作るとはいっても48の純粋蛇の目の機体はたぶん一生作りそうにないのだが、「クラシカルな格好+特殊用途のはたらくくるま」というアイテムの妙に、手もなく引っかかって購入してしまった。そんなわけでちょっとだけレビュー。

●キット名称は「ALBION 3-POINT FUELLER」で、背中のタンク上に、3本の長いブームとホースを備えており、3機相手に同時に給油ができる、という車両であるらしい。なんとなくイギリス車輌となると、どこかにものすごくマニアックな資料とかが存在していそうな気がするのだが、少なくとも私の手元にはない。

車種形式名はアルビオンAM463だが、この型番は燃料補給車固有のものではなく、ベースとなったトラック車体のもののようだ。アルビオンはもともとスコットランドの自動車メーカーで、ラジエータグリル上の日の出のマークが同社の紋章。第二次大戦後、レイランドに吸収されたらしい。アルビオンという名はブリテン島の古称・雅称だから、日本風に言えば「大和自動車」とか「瑞穂自動車」とかいった感じだろうか。

説明書の解説によると、1930年代に試験・採用され、開戦時には400輌以上が本国や大陸派遣軍、そのほか外地のRAF基地で働いており、1940年のフランス戦では多数がダンケルクで置き去りにされたらしい。付属のデカール(登録番号、RMC2112)も1940年のものとあるが、これは大陸派遣軍のものなのか、本国基地のものなのか、私にはよくわからない。

というわけで、大戦中盤以降にも生き残って使われた車体はあるのかもしれないが、飛行機と並べるならば、大戦初期のハリケーンやスピットの初期型や、グラディエーターなどが似つかわしい、ということになる。実際にウェブ上で写真を漁ってみても、一緒に写っている相手はそんな感じだ。

●パーツ枝は透明部品を合わせて5枚。小さな車両の小さなキットにしては、なかなかギッシリ感がある。

F1013835 F1013834 F1013833 F1011496 F1011495

デカールは1枚で、塗装・マーキング例1種にしか対応していない。前記のように、1940年とは書いてあるが、どこの基地の車輌なのかは不明なのはちょっと不親切な気がする。迷彩からみてアフリカや中東ではなさそうだ、くらいのことしかわからない。

組立説明図は、一つ前のステップで組み付けられたパーツが赤で示されていて、手順がそれなりにわかりやすいようになっている。

F1011494 F1011493

ラダー形のシャーシフレーム長はキットで11センチ強なので、なかなかかわいいキットなのだが、上記のようにパーツ数はそこそこ多く、後部ドア内部の燃料バルブ操作部も再現され、メーターもデカールが用意されている。ただし、実車写真を見ると、後部左側ドア内側には大きな操作説明が貼ってあるようなのだが、モールドはあってもデカールはない。残念。

背中の3本のブームに取り付ける垂れ下がったホースは、気の利かないキットだと3本とも同じ形にパーツ化されてしまったりしそうだが、このキットでは微妙に形に差をつけてある。ただし、実車写真や箱絵で見ると、ブーム先端のラッパ状になった部分からホースが直接出ているのに対して、キットでは何か特別な接続部を介する表現になっている。ネット上で探せる実車写真は大して多くはないが、とりあえずその中にこのような形状のものは確認できず、修正したい感じ。

なお、ブーム根元の短い接続ホースは3種の形状のパーツが用意されており、3本とも車両の天井に行儀よく収納した状態、左右のブームを直角に振った状態、中途半端に広げた状態とを選ぶことができる。ただし、ホースまで伸ばしている状態には対応していない。

F1013837 タイヤは一発抜きで、段差でトレッドパターンを表現する、タミヤ35のシムカなどと似た処理。ちょっと幅が広い気もするのだが、手元に詳しい資料があるわけでもなく、はっきりしたことは言えない。

前輪ステアリングは可動ではないが、とりあえず、向きは選んで接着できるようになっている。

前輪フェンダーは、裏側がぼってり膨らんでいて、真横から見ると、場合によってはその「ぼってり感」が目に付いてしまうかも、裏側からちょっとさらうくらいの追加工作はしたい気がする。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ビッカース水陸両用戦車、参戦(12)

●締め切り間近の「軽戦車コンペ」(K-CON)。CAMsのビッカース水陸両用戦車(Vickers Carden-Loyd Amphibious Tank A4E12 Early Production)、いよいよウェザリングに入る。

●目指すところとしては、

  • 独特の4色迷彩は極力ぼかすことなく鮮やかに残したい。
  • とはいえ、ハデハデなままではなく、それなりに4色が馴染んだ落ち着いた状態にしたい。
  • 一方で表面ディテールは浮き立たせ、外形や細部が見て取りやすい状態にしたい。

という感じなのだが、かといって、そんな目標に向かって的確に進むことができる腕があるわけではない。塗装の仕上げの経験が圧倒的に不足しているし、ウォッシング/墨入れ用の油彩も、ホルベインのローアンバーしか見つからなかった(あと何色か、茶系の色を買ってこよう……)。

まずは数日、デカール乾燥の期間をじっくり置いて、それからウォッシングかな、などと思っていたのだが、デカールと関係のない足回りでウォッシングを始めておこうと思って手を付けたら、勢いで車輌全体に施してしまった(もちろん、念のためデカール部分にはじゃぶじゃぶ掛けたりしていない)。

F1011466 車体裏で実験した段階では、ファレホ上もタミヤエナメル上もウォッシングで剥げたりしなかったのだが、車体下部で一部、黒線が落ちた。どうも、ファレホ上でのタミヤエナメルの定着が弱い部分があるらしい。M.Nさんの勧め通り、一回コートしてからウォッシングすべきだったかも。

とはいえ、ボロボロ剥げるというわけでもないし、すでに始めてしまっているので、あまりゴシゴシこすらないようにして作業。その後、タミヤのウェザリングマスターで凸部を若干強調する。

どうも上記の目的を達成するというよりも、単に薄汚くなっているだけのような。まったく同じような感想を、me20さんもご自分のルノーUEのウェザリング作業中に書いていたが、もちろんレベルが全然違う(笑)。

もっとも、作業中は「うわー。下手くそだなあ。アカンなあ」とひしひし実感しながら塗っていたのだが、一晩経って見直すと、「まあ、こんなもんかもしれないな」と思うあたり、我ながら妥協点が低い。

 (ちなみに、me20さんのルノーUEは一足先に完成。ブログでも完成披露された。こちらはさすがに素晴らしい)

●あと10日ほどで締め切りだが、ウェザリングをもうちょっと足したり引いたりしつつ、細部塗装を加える予定。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ビッカース水陸両用戦車、参戦(11)

「軽戦車コンペ」(K-CON)参加作品、CAMsのビッカース水陸両用戦車(Vickers Carden-Loyd Amphibious Tank A4E12 Early Production)の製作記、マーキング編。

●まず、キットの塗装とマーキング指示には、3種類が取り上げられている。塗装そのものはすべて同じ迷彩で、マーキングのみが異なる。

(1).第八路軍、戦車中隊、広州 1933年

 車体左右(左は工具箱、右はフロート側面)に番号(白数字)。第1小隊から第2小隊までが続き番号で、第1小隊が1~6番、第2小隊が7~12番。

Vickersnumber (2).第12集団軍、戦車中隊、増城 1938年

 塗装例(1)と同じ場所に車番だが、3桁数字になる。第1小隊が101~106、第2小隊が201~206。右はネットで拾った写真からの切り出し引用。

(3).陸軍機械化学校教練車 洪江 1940年

 マーキング無し。

F1011328キットには、マーキング例(1)と(2)に共通で使うものとして、白数字の小さなデカールシートが付属している。

●「第八路軍」というと、まず想起されるのが、抗日戦争中、体裁上は国民党軍編成化に組み入れられていた時期の共産党軍(紅軍)なのだが、紅軍が八路軍の名称になるのは1937年8月のことで、上の塗装指示の年次とは合わない。

これについては説明書に但し書きがあって、ここでいう第八路軍とは、「鉄軍」とも呼ばれた粤軍(広東軍)第四軍が1927年に再編されて成立したもので、1936年5月まで存続していたらしい。要するに、八路軍という名前が紅軍に割り当てられる以前の、前代の八路軍ということになる。

つまり、マーキング例(1)は広東省政府(この時代は省政府委員会?)がビッカース水陸両用戦車を輸入した当初のもの、(2).は日中本格開戦後、(3).は生き残った車輌が引っ込められて訓練用車として余生を送っている状態、ということになる。

好みの問題として開戦後の状態としたいので、(2)を選択。ちなみに、私があちこちから漁ってきた写真のなかで、マーキング例(2)に該当するものとはっきり判るのは2枚で、片方は上に載せた201号車、もう片方はちょっと読みづらいが、おそらく105号車。もちろん、これらの写真の車輌と迷彩の配色を合わせるようなことはしていないので、車番はこれ以外から選ぶことになる。

F1011334 ●キットのデカールを切り出そうとして、初めて上下段の数字の大きさが違うことに気が付いた(気付くのが遅過ぎ)。フロートの上下幅よりも、工具箱(フタを除く本体)のほうがわずかに幅が大きいので、右側用と左側用とで大きさを変えてあるらしい。うっかり気付かずに混ぜてしまうところだった。

Vickersnumber02 ところが、左側から貼ってみると、どうも実際のイメージに比べて数字が大きい。現存写真の「105号車(?)」は左側面が写っているが、上のデカール写真に一緒に写っている塗装図程度に、ほんの少し上下に余裕がある。どうやら、両側ともに小さいほうの数字のデカールを使ってちょうどいいくらいのようだ。

デカールシートには、大小それぞれ、1~0までの十種の数字があって、1と2だけは2つずつ入っている。つまり、塗装例(1)の場合は、1号車、2号車ならキット付属のデカールで(小数字だけを使って)間に合わせることができる。塗装例(2)の場合、「102」か「201」にするにしても、どうしても2桁目の0が片側分不足する。なお、前述のように「201」号車は現存写真があるので、塗装パターン的にこれは避けたい。

●と、こんな経緯で、都合よく使える代替品探しを考えたのだが、インレタ探しがいきなり頓挫したのは先に書いた通り

F1011403 ●さすがに手書きはハードルが高いし、6や9を切り刻んで0をひとつでっちあげるか(それはそれでものすごく面倒くさそう)、あるいは塗装例(1)で妥協するか、等々考えている時に、me20さんから救いの手が。サイズ的にほぼぴったり同じで、書体もそれなりに似通ったデカールを提供していただけることになったのだった(RCRのものというから、イタリア戦車用なのではないかと思う)。

そんなわけで頂いたのが、右写真の右下側のもの。キットのデカールに比べると太めで、よく見るとステンシルになっている。やや白が黄ばんでいるが、車体裏側を実験場にして試しに貼ってみたところ、並べて貼っても色的にはそう違和感はない感じなのが確認できた。

●というわけで、me20さんから頂いたデカールも混ぜて貼ってみたのが右。全面的にme20さんのデカールに頼ると字体的に違いが目立つのと、せっかくキットのデカールに2つ入っている数字は有効活用したいと思った等々の理由で、車番は「102号車」とした。ただし、

F1011454 ・2の数字の右下のはね上げは、実車写真と見比べると大きすぎるようだったのでわずかに切り詰めた。

・1の数字は、キットのデカールの字体は単純な棒状。実際、(1)のマーキング例の際はそんな書体に見えるのだが、(2)時代は頭と足の飾りが付いているように見えることから、ちょっと太いが、RCRのデカールをそのまま使った。貼った後で、「あ、真ん中から2つに切って詰めて貼ればよかったかも」と思ったが、まあ、失敗すると痛いので、あまり面倒なことはしなくてよかったのかもしれない。

・まんなかの0の数字は、片側はキットのデカールを使用し、写真の側は、RCRのデカールの内側両側を少し切って白の部分を細め、さらに貼った後で上下のステンシルの切れ目部分にタッチアップを施した。

こうしてみると、どうも各文字の軸が安定しておらず、若干ガタガタなのだが、いいんだよ! どうせ実車は手書きなんだし!(もちろん言い訳)

締め切り延長で余裕ができたなあ、なんて思っていたが、ハッと気づくともう約10日。せっぱつまってきた……。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

バリェホまたはバジェホ

●今まで、使いやすい使いやすいとあちこちで褒められているのを見ても、「でも高いし、筆塗りしやすいといっても、買ってみて大したことがなかったらいやだしー」などと、ちょっとヒネた目で見ていたファレホ・アクリルだが、実際に使ってみて気に入ってしまった。

そもそも、自室でエアブラシしづらい私にとっては、筆塗りでそこそこ広い面積もさほどむらなく塗れるのは有り難い。皮膜はそれほど強くなく、ツメでひっかくと剥がれてしまう感じだが、まあ、わざわざツメでひっかいたりしないし。

ところで、この塗料の名称(メーカー名)のvallejoには、代理店のVOLKSでは「ファレホ」という読みを当てていて、私もそう呼んでいるわけだが、どうもこれが少々アヤシイ。

・スペイン語の「ll」(二重のL)は独特な読みをする綴りで、例えば「lla」だと、古典的な読みでは「リャ」、南米などでは「ジャ」。本国の標準的なスベイン語(カスティーリャ語)だと「ディャ」みたいな、とにかくカタカナではちょっと書き表しづらい読みになる。「Castilla(カスティーリャ)」「Sevilla(セビーリャ、あるいはセビリヤ)」など、日本語だと「リャ」表記にすることが多いようだ。

・いや、そもそも語頭の「va」は「ファ」って読むのか? ドイツ語じゃなくてスペイン語でも? と思って調べたら、そもそもスペイン語での「v」の読みは、フ(f)でもヴ(v)でもなく、英語の「b」音だった(これは知らなかった。スペインに行ったことがあるのに)。ちなみに大戦中のスペイン国産戦車「Verdeja」も、読みは「ベルデハ」で、「ヴェルデハ」は誤りということになる(改めて見たら、wikipediaのベルデハのページでも、過去、読みが話題になって改名されていた)。

・「j」は、人名のホセ(José)とか、日本のスペイン語名称「ハポン(Japón)」などに出てくるが、口の奥を狭めて強く発音するハ行。

というわけで、vallejoは「バリェホ」(あるいは「バディェホ」とか「バジェホ」)ではないだろうか。

と、ここで改めてラベルを見たら住所がバルセロナだった。ということはスペイン語(カスティーリャ語)じゃなくてカタルーニャ語だと「ファレホ」になるのか?――と思ったが、「ll」や「v」の音はカスティーリャ語と同じらしい(ただし「j」はジャ行になるようだ)。

さらに調べると、スペイン人の名字でたまに使われていて、ほか、米カリフォルニア州のスペイン系地名にもあるらしい(アメリカでの読みはたぶんヴァレーホ)。

……名前はどうでも塗れればいいんですがね。私としても、声高に「ファレホじゃなくてバリェホと読め!」と声高に主張するつもりはないし、たぶん(世の中的に変わらない限り)自分でもファレホと言うだろうし。

もっとも、「バリェホ」と読むにしても、元ポーランド大統領のレフ・ヴァウェンサ(Wałęsa、日本では一般に「ワレサ大統領」と書かれていた)とか、チェコの模型ブランドのスムニェル(SMĚR)ほど珍奇な読みではないように思う。

F1011421 ●アケビの芽、今年の初収穫。

前々回書いたように、アケビの蔓はまだほとんど伸びておらず、本格的な旬は、まだ半月か、一か月ほども後のことではないかと思う。というわけで、ちょっとフライング気味に伸びた芽だけをお試し程度に摘んできて、さっと茹でて、シンプルに醤油を垂らして味見した。

固すぎず柔らかすぎず、絶妙な歯ごたえと、爽やかな味、ほんのりとした苦みが良し。

●今年初めてのマルハナバチ(コマルハナバチ)を目撃。しかも2カ所で(大切岸端と、久木大池)。山道の脇、落ち葉の地面を低空飛行でうろうろしていたので、巣作り適地探し中の女王ではないかと思う。

忙しなく飛び回っているので、写真は撮れなかった。惜しい。

●ハイランド脇の、早咲きのサクラ(ヤマザクラ?)。

F1011428 F1011431

| | コメント (2) | トラックバック (0)

インレタが売っていない愛のテーマ

●タイトルは、単にわんかっぷPの「~がやってこない愛のテーマ」を最近再び聞いて頭に染み着いてしまったため。ママローヤルあるふぁ~♪

F1011278 ●というわけで本題。

日曜日に散歩に出たのは、ついでに鎌倉駅前で買い物をしたいという気もあったからだが、その目的がインレタ(インスタントレタリング)。一応説明しておくと、フィルムに印刷された文字や模様を、こすって転写させるもので、模型用には(水転写式との対比で)「ドライデカール」などの名称で売られていることもある。

理由その1:現在製作中のビッカース水陸両用戦車の車番デカールはサイズが2種類入っているのだが、その片方がどうも大きいので、インレタで似た書体のものが欲しかった。

理由その2:ビッカースのついでに転輪ゴムと排気管を塗ったスロバキア軍の38(t)の車番にもインレタを使いたかった。ゴシック体の小さい白数字のインレタは2枚持っていたが(右写真)、これももう少し小さいものが欲しかった。

●まず最初は鎌倉・大町の画材屋(というより額縁屋?)に行ったのだが、「置いていない」との返事。駅前の島森書店の文具コーナーにもなかった(スクリーントーンならあるんですが、と言われた)。

藤沢の世界堂(関東近辺では大手の画材屋チェーン)にはあるかもしれない、あるいは横浜にもルミネの上に世界堂がある、と言われたので、より捜索範囲が広そうな横浜に出てみることにする。

まずはルミネの上の世界堂。店員さんに「インスタントレタリング、ありますか?」と訊ねたところ、「インスタント……レタリング、ですか? それ、どういうものですか?」と逆に質問されてしまった。え?そこから?

そもそも私の感覚では、インレタなんて、その辺の文房具屋さんでも売っているもので、画材屋(特にデザイン関係のあれこれ素材を扱っているところ)ならより豊富に取り揃えているものと思っていたので、これはちょっとショック。もしかしたら、いつのまにかインレタが存在しない並行世界に迷い込んだのか? どこかでウッドロウ・ウィルソンの10セントを使っちゃったのか?(←持っていても使う場所がありません)

次にMORE'Sの上の東急ハンズで、年配の(といっても同年代くらい?)の店員さんに「インスタントレタリングあります?」と聞いたら、「ああ、インレタですか!」と即座に略称で返って来て安心した。よかった。SF的展開にはなっていなかった。……が、品物自体は、特大の文字以外無し。「昔はカセットテープのラベルとかによく使いましたよね~。でもプリンタの普及で、今はほとんどなくなっちゃったんですよ」とのこと。

言われてみれば、モデラー的にはまだまだ使い道があるかもしれないが、その他の一般的な用途は、今となってはあまり思いつかない。そうか。あれって「カセットテープ」の時代のものだったのか……。

その後、VOLKSや鉄道模型屋2軒を回ってみたが、代替できそうなデカールもインレタ(ドライデカール)もなかった。2軒目の鉄道模型店で、

「インレタ、銀座の伊東屋なら……」

と言われたので、おお、伊東屋ならまだ揃ってるのか!と一瞬期待したが、続けて、

「作ってもらえるそうですけど」

と言われた。がっくし。

ちなみに、その昔、町の文房具屋さんでも当たり前に置いていたインレタの代表的ブランドが「デカドライ(DECA dry)」だが、手元にある一枚を見ると、元々ベルギーの会社が作っていたものらしい。日本の総代理店であったユニオンケミカー株式会社のサイトを見に行くと、とりあえず製品情報のページに載ってはいるものの、「2010年12月で販売を終了致しました」と添え書きされていた。

F1011336 ●ところで、VOLKSで、エアフィックス再版の1:32にこんなPOPがついていた。

あれ? イタレリのMk.IIIって絶版?

ついでに、ファレホを2色と、クレオスのマークセッターを買ってきた。

●スロバキア陸軍の38(t)は、その昔、はるとまん氏に作ってもらった「ひぽぽたまんデカール」第一集(前世紀の遺物!)にも国籍マークと車番を含めてあるのだが、自分でデザインしておきながら、その車番(V-3081)チョイスの根拠がよく判らなくなってしまった。

以前の記事に書いたように、V-3063以降のスロバキア軍LT-38は、元々ドイツ軍の38(t)の中古車で、雑多な形式が混じっているため、適当に番号を付けると、「ありゃ、形式違ってた」なんてことにもなりかねない。

そんなわけで、砲塔の国籍マークは「ひぽぽたまんデカール」を使ったが(こちらもよく見ると赤の部分に細かい縞模様がでてしまっているのだが)、車番はE/F型であることが確実な「V-3080」か「V-3131」に変更したいと思ったのだった。

F1011393 手元にあるインレタ2種――デカドライの「14」と、マクソンの「212N ALTERNATE GOTHIC 12pt」はどちらもちょっと大き目だが、新たなインレタを手軽に入手するのは無理そうなので、これを使ってどうにかすることにした。縦幅はマクソンのほうが大きいが、横幅は狭い。結局、こちらの数字を切り詰め、クリアデカール(ひぽぽたまんデカールの余白)の上に一度貼りつけて使用した。

右写真は、右下の黒地のものが「ひぽぽたまんデカール」(改めて見直すと、これもちょっと文字がキツキツ)。上端がデカドライをそのまま使用したもの。残り2つがマクソン使用のもので、3の数字は上・中・下の三分割し、縮めて貼り重ねてある。1の数字は貼ってから下端を削り落として短くした。また、数字のみのシートでアルファベットは入っていないため、Vは1を2本重ねてはみ出し部分を削った。なんという余計な努力!

ちなみに、4つの「3」を作るために3のインレタを11個も消費した。細切れにする過程で断片がハサミにくっついて無駄になったりしたため。すでに貴重品となったインレタをここまで贅沢に!(←ばか)

それはともかく、少なくとも20年くらい死蔵していたインレタが問題なく使えたのもラッキー。

F1011396 ●実際に貼ってみたのがこちら。

よ~く見ると、3の字がちょっとギクシャクしているのだが、許容範囲ではないかと思う。

なお、ビッカース水陸両用戦車製作の山場なのに38(t)のデカールなど貼っているのは、戦車の仕上げ塗装自体が久しぶりなので、まずはこっちでウォッシングなど練習してみようかな、などと(珍しく)殊勝なことを考えたりしたためだが、どうもそんな余裕はなくなってきたかも。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

百八十八番

●日付はもう数日前になってしまったが、震災から5年。

まだまだ済んでいない問題がいくらでもあると思うし、済まないこともあると思うが、とりあえず、「オリンピックを震災からの復興のシンボルに」とか、呼ぶときにだけいい加減な理由をくっつけた奴はまず被災地の人に謝れ。

ジョージ・マーティン死去(8日)。ビートルズ・メンバーがすでに「半分以上」いなくなった感がする。数日してキース・エマーソン死去の報が入るが、ELPは「展覧会の絵」をちょっと聴いたくらいで、個人的にはあまり馴染みがない。

●10日木曜日。仕事の打ち合わせで新百合ヶ丘に行くが、「町田とか、そのへん?」くらいのイメージしかなく、新宿回りで行った方がいいのか、藤沢回りで行った方がいいのか、よく判らない(ネットのNAVITIMEで調べたら、藤沢経由で、逗子から1時間少々であることが判った)。

藤沢で降りるのは久しぶり。以前、藤沢駅近くに何か面白い店(食い物屋か?)があるのをネットで見て、機会があったら寄ってみようと思ったのを漠然と思い出したが、それ以上のディテールが何も思い出せない。意味無し!

●土日の散歩写真。そろそろアケビの芽も出始めているんじゃないだろうか、という食い気由来の下心も少々。

土曜日は医者にいった後、逗子開成の先で海岸に出て、浪子不動から山道を披露山駐車場まで上がり、今度は尾崎咢堂邸跡側に下る。

▼開きかけなので貧相だが、シロバナタンポポ。西日本に多いという白いタンポポは、少なくとも、子供時代に川崎北部では見たことがない気がする。逗子でも、ここ2,3年のうちに初めて近所で見た気がするのだが、実はもとから少しは生えていて気付かなかっただけなのか、最近流入してきたのかは判らない。浪子不動あたりに生えていたもの。

F1011318 F1011314

▼なぜか披露山から七曲に降りる山道途中にあった将軍標(チャングンピョ)。韓国風道祖神。大きさや台座から見て、もとはお土産品か何か? 山道でいきなり出会うとちょっとコワイっす。

F1011304

▼前から少し気になっている、久木の商店組合(久木商栄会)のゆるキャラ。特に商店街があるわけでもなく、ところどころのステッカーなどで、何年か前からいきなり見かけるようになっただけで、それ以上の活動なりイベントなりも見たことがないので、存在自体が妙に希薄。商栄会のサイトなどもなく、設定もわからない謎生物。「ひさピョンって呼んでね」って言われても……。ピョンという名と長い耳からみてウサギ系? なんでシッポが前に生えてるの?(実はシッポじゃない何か?)

F1011293

……というような話をfacebookの逗子のグループにも書き込んだら、「ひさぎ」に引っ掛けて「うさぎ」なのでは、というコメントが。おお! なんだかそれらしい感じが!

対抗して隣の小坪も「ウツボ」のゆるキャラを! 漁港っぽいし!(ウツボが採れるかどうかは知らない) ちなみにウツボは美味いそうだ。いつか食ってみたい。

あるいは「まんだら堂やぐら群」にあやかって、骨壺(こつつぼ)のゆるキャラでも可。さすがに骨壺が可愛くなるかどうかは怪しいが(ウツボも十分怪しいが)、隣の鎌倉の落武者キャラも相当なものだと思う。

●日曜日は名越切通から大切岸、水道山裏の巡礼古道とぐるりと遠回りして大町に降りる(その後の買物行の顛末はまた改めて)。

▼名越切通脇で、目の前でキツツキ(コゲラ)が木の幹を叩いていた。あまりにすぐそばにいてビックリしたのだが、撮ろうとわたわたしているうちに、するすると幹を登って行ってしまった。撮れたのは情けないピンボケ写真のみ(真ん中にボンヤリ写っているのがそれ)。まんだら堂やぐら群が公開中で、すでに平場の梅は散ってしまったが、奥のモクレンが咲いている。

F1011391 F1011384

▼キイチゴの花。ちりちりと縮れている大振りのものがカジイチゴ、下向きに並んで咲いているのがモミジイチゴ。咲いている場所を覚えておくと、梅雨時前あたりに美味しい(たまに美味しくない)キイチゴが食べられる可能性がある。

F1011388 F1011390 F1011380 F1011362

▼平場のノゲシ、フキノトウ(もうここまで伸びると食べられない)、大切岸前のタンポポ(在来種の形質の濃いもの)、タンポポの上のモンキチョウ。シロチョウ系は割と忙しないものが多くてなかなかちゃんと写真を撮らせてくれないが、これは近寄ってもじっとしていた。羽化したばかりかもしれない。

F1011378 F1011377 F1011373 F1011368

▼目当てのアケビはこんな感じで、まだほとんど蔓は伸びていなかった。あれ、花芽ってこんなに早くから出てるものなの?

F1011375 F1011356

▼名越の山道で見た、なんだか不思議な格好の植物。形態から見てトウダイグサ科ではないだろうか、というところまでは辿れたが、種名は特定できなかった。

F1011357 F1011358

▼以前にも載せたことがあるような気がする、水道山裏の尾根道が元の巡礼古道である証拠の石標。「奉納百八十八番」とあるのは、「百八十八」に何やら謂れがあるらしく、隣に百八十七や百八十九の石標が立っているわけではないらしい。

F1011360

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ビッカース水陸両用戦車、参戦(10)

「軽戦車コンペ」(K-CON)参加作品、CAMsのビッカース水陸両用戦車(Vickers Carden-Loyd Amphibious Tank A4E12 Early Production)の製作記。

前回からは

  • 機銃パーツを差し込んだら内部防盾両側の塗料がこすれてベロリと剥げた(前回の写真でよく見ると判る)ので、その部分をタッチアップした。
  • 排気管を塗って取り付けた(差し込んであるだけ)。
  • 車体前部の製造者銘板のエッチングパーツの塗装を剥がして真鍮の地を出した。

くらいしか進んでいないのだが、手に取って眺めているうち、履帯を履いた姿も久々に見たくなったので、ウェザリング前の記念撮影ということで。

F1011275 F1011274 F1011271 F1011272

細部塗装に関していうと、前照灯は、ライト本体は全体が銀色だと思っていたのだが、改めてキットの説明書を見ると、銀色の塗装指示がない。

よくよく実車写真を見直しすと、後期型ではライト全体が銀色である例が多いようなのだが、初期型では(後期型でも一部は)迷彩色が掛かっているらしい、暗色に写っているものもある。ただし、初期型でも銀色らしい写真もあり、模型的にはアクセントになりそうな気もする(ただしオモチャっぽくなりそうな気もする)ので、どうするかちょっと悩み中。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ビッカース水陸両用戦車、参戦(9)

「軽戦車コンペ」(K-CON)参加作品、CAMsのビッカース水陸両用戦車(Vickers Carden-Loyd Amphibious Tank A4E12 Early Production)の製作記の続き。

迷彩色の境目の黒線を描き入れた。

F1011261

使用塗料はタミヤエナメル。あまり真っ黒だとくっきりし過ぎるので、フラットブラックにバフを混ぜて少しグレーに振った。

もっと太さは均一に綺麗に描き込みたかったのだが、細かく見ると不揃いで、全体の雰囲気で何とか誤魔化せているかな、というところ。描き始めは慣れずにうまく引けず、終わり頃は集中力が途切れてきて、特に足回りで隠せる車体下部などは、あちこちヨレヨレ。スクリューや舵があって筆がうまく取回せない車体後面もだいぶいい加減な感じ。

線の平均の太さは、前回紹介したボービントンのビッカース軽戦車の塗り分け線に比べると太めだが、これは中国軍の水陸両用戦車の実車がそんな感じなのでOK。

F1011267 ●3/9追記。

転輪のゴム縁も塗った。ついでに別のものも塗っていたりする。こっちもそのうち完成させんといかんね。使用カラーは上の迷彩輪郭と同様にタミヤエナメルだが、少し茶系の色も混ぜた。といっても、パッと見には判らない程度。

なんだか久しぶりに転輪のゴムを塗ったような気がしたのだが、考えてみれば、昨年のイタレリコンのマウルティアで塗っている。といってもきっかり1年前なので、多作な人から見れば「そりゃ久しぶりだろう」だけれど。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

ラッスンゴレライ(古い)

●木曜(3日)、八重洲でN女史と打ち合わせ。ここ最近、家に閉じこもって仕事していることが多く、久しぶりに都会に出て目を回しそうになる(つい先日横浜西口には行ったけれど)。

打ち合わせ後、秋葉原に寄ってあれこれ模型を見て帰る。樹脂製の塗料皿を買った(6枚入り100円)。前回書き込みのビッカース水陸両用戦車の迷彩筆塗りに早速使用した。

ところで、秋葉原駅前といえば「ラッセンカワナイ? ラッセンカワナイ?」の画廊が有名だが、いつのまにかなくなって代わりにタルト屋になっていた。行列が出来ていてビックリ。さすがにローンを組んで買わせるようなタルトは出していないと思う。ついでに言えば、ハンバーガー屋のBeckersも閉店していた。

●金曜(4日)晩、兄から突然電話がかかってきた。川崎の実家の母が、なりすまし詐欺に引っかかったという驚きの知らせ。

孫(私にとっての甥っ子、兄のところの長男)が会社の金を落としたという話を信じ、信用金庫の窓口で散々疑われたものの聞く耳持たず、静止を振り切ってもろもろ誓約書(金融機関の責任を問わないとか何とか)を書いて預金を引き出してきたらしい。

最近この手の詐欺は「振り込め」ではなくなってきて、最後は末端の使いっ走りが実際に受け取りに来る「現金手交型」や郵便や宅配を利用する「現金送付型」が増えているのだが(以前に仕事で調べた)、母も、打ち合わせの電話がかかって来て手渡しするほとんど寸前だったという。

幸いなことに、ちょうどその土壇場で、近所に住む叔母(母の末の妹)と従姉(母のすぐ下の妹の娘)がたまたま同時にやってきて、「それは絶対におかしい!」と止め、ちょうど掛かってきた電話にも叔母が出て事なきを得たのだとか。

その日は警察の事情聴取なども来たらしいが、従姉が一泊してくれてなんだかんだ世話をやいてくれた。そんな詐欺なんて絶対引っかからない、大丈夫と、日頃公言していていただけに本人もだいぶショックだったようで、私も翌日行って一泊した。

F1011264 だいたい、甥っ子は就職が決まったばかりで勤めは4月からだから会社の金を落としようがないのだが、気が動転してしまうと全く気が回らなくなってしまうらしい。というよりも、やはり孫というのは最強のキーワードなんだなあ、と思う。

いずれにせよ、被害を未然に防げてよかった。まさか自分の身近に本当にこの手のものが掛かってくるとは(しかもコロッと騙されるとは)思わなかった。

ちなみに、聴取に来た警官が置いて行ったか貼っていったか、電話機にこんなものが付いていた。車庫にも、神奈川県警のなりすまし詐欺予防の標語「息子はサギ!?」のポスターが貼られていた。なんだかなあ(笑)。

F1011267 ●実家から帰ったら、先日タミヤのカスタマーサービスに頼んだパーツが届いていた。

「あ~あ~、無駄にでかいボール箱~
 あ~あ~、横に2つ星のマーク~」
(元ネタが判る人はいるだろうか?)

などと(心の中で)歌いながら取り出したのはソミュアのBパーツ(それにしても本当に箱がでかかった)。

欲しかったのはエンジンルーム上面のグリル(の片方)。他にもBパーツの枝には車体上下が丸ごと入っていて、ちょっとMOTTAINAI感があるが、特に利用法も思い浮かばないなあ。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

ビッカース水陸両用戦車、参戦(8)

「軽戦車コンペ」(K-CON)参加作品、CAMsのビッカース水陸両用戦車(Vickers Carden-Loyd Amphibious Tank A4E12 Early Production)の製作記の続き。

前回、全体にサーフェサーを吹いたが、いよいよ本格的に塗装に入る。最近、割と模型の組み立てはよくするようになったが、塗装まで漕ぎつけることはあまりない。というよりも、塗装直前までは行くのだが、塗装の経験値があまりに低いのでそこで足踏みしてしまって、ますます塗装が億劫になるという悪循環。

とはいえ、前回SUMICONでI号戦車BREDA型を投げ出しているし、締め切りも1か月伸びたし、流石に今回もリタイアというわけに行かないので頑張る。未完成で放り出したらT.Wongさんにも叱られそうだ。

●組立説明書によれば、中国で使用されたビッカース水陸両用戦車は、クリームイエロー、チェスナットブラウン、ネイビー・グレー、ダークグリーンの4色迷彩(+細い黒の縁取り)。これは現在私が作っている、広東軍が使った初期型も、最初から中央軍が入手した後期型も変わらず、また、6t戦車も同様の塗装であったらしい。

640pxtank_light_vickers_carden_loyd この塗色とパターンは、おそらくメーカー(ビッカース社)側で施された輸出仕様のもので、ポーランドが購入した6tも輸入当初は同様の塗装だったことが写真で確認できる。ただし、一般には三色迷彩とされることが多く、ボービントン戦車博物館に展示されているビッカース6t、およびビッカース軽戦車は美しく再塗装されているが、これもグレーを除く3色迷彩となっている。右はそのボービントンのビッカース軽戦車(クリエイティブ・コモンズ、WIKIMEDIA COMMONS経由で引用、著作者はSimon Q、出典は Tank Light, Vickers Carden Loyd, Model 1936

もっとも、20年前の“STEEL MASTERS”のビッカース6tの特集記事でもグレー含みの4色迷彩塗装図が出ていたから殊更新しい説というわけではなく、もともと、輸出時のオプションとして3色パターンと4色パターンがあったのかもしれない。

この件についてT.Wongさんにも訊ねたのだが、どうやら戦時中の目撃証言なども根拠にしているらしい。また、上海で鹵獲された6t戦車のクリアな写真でも、濃淡の差が4色ではないかと思わせるものもある。

●前回書いたように、グレー部分は横着をしてサーフェサーをそのまま活かそうかと思わないでもなかったのだが、やはりイメージより明るすぎる気がしたので、濃い目のグレーをエアブラシで重ね塗りした。使用色はタミヤ・アクリルの「呉海軍工廠グレー(日本海軍)」だが、たまたま手近なところにあって「まあ、こんなものかな」と思って使っただけなので、特に意味はない。

その他迷彩色については、いちいちマスキングして吹くことも考えたのだが、製作環境的にちょっとツライ(自室は気軽にエアブラシができるような環境ではない)し、塗り分けもくっきりしているので、筆塗りすることにした。

使用カラーについては、実はこれまで使ったことがないものを試そうと、先日横浜のVOLKSで「水性カラー アクリジョン」を仕入れてきたのだが、四一式山砲にちょっと塗ってみたところ、どうも隠蔽力は強くないし、伸びもよくない感じ。そこで改めて、これまた初めてのファレホを買ってきた。

TFマンリーコさんあたりが愛用しているのを見て、しかも筆塗りでほとんどむらも見えないふうに綺麗に塗れているので、一度は試してみたいと思いつつ、「ちょっと高いよなあ」と二の足を踏んでいたもの。

実際に使ってみると、隠蔽力は高いし、生乾きの上に返し筆をするなどものすごくいい加減な塗り方をしても塗装面が荒れたりもしないし、とにかく非常に楽。ああ、アクリジョンを試そうなんて思わずに最初からファレホを買うんだった!

横浜のVOLKSでは専用のシンナーが品切れで、代わりに「ブラシクリーナー」を勧められて買ってきたのだが、ネットで調べてみると、タミヤのアクリルなどに比べるとこれこそまさに水性塗料という感じで、水で希釈して塗っていたりする。もっとも水道水ではだめのようで、ドラッグストアで売っている精製水を使え、とある。というわけで逗子のセイジョーで500mlのボトルを買ってきた。税抜き価格95円。ぬう。これはお得だ。

●塗装のパターンに関しては、例えばoa.vz.30装甲車のように全車決まったパターンで塗られているなどということはなく、1輌ごとに割と適当であるらしい。まずはグレーの上に、鉛筆で適当にパターンのアウトラインを書き込んだ。

F1011244

迷彩色の塗り重ね、まずは1色目。70976バフ。

F1011249

2色目、70967オリーブグリーン。

F1011247

3色目、70984フラットブラウン。

F1011258

グレーは適当だが、その他の3色に関しては、ビン生で塗ったにもかかわらず、比較的ボービントンの車輌と近い色合いで塗れたので一安心。筆が入りにくい足回りや、スクリューや舵の付いた車体後面はちょっと面倒だった。

なお、塗り分けラインに関しては前述のようにおおよそ鉛筆で下書きをしたが、「どの部分に何色を塗る」というところまでは事前に決めず、適当に色を置いて行った。「四色問題」(あるいは四色定理)でよく知られるように、「どんな地図も4色あれば隣り合わないように塗ることができる」わけだが、さすがに適当に塗っているとそううまくはいかず、茶色まで塗ってから、一カ所、緑に「手戻り」した。

迷彩塗装に関しては、この後、黒の輪郭線を描き入れる必要があるが、その黒線が非常に細いのでうまく描けるかちょっと不安。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

よもや

F1011221 ●最近、横浜市営地下鉄駅構内に貼ってある、マナー向上呼びかけのポスターの一枚。ゲームの三国志とのタイアップ。

というのはいいとして、この

「よもや歩きスマホなどなさいますな」

という文句が妙に気にかかる。

「よもや歩きスマホなどなさいますまいな」

ゆめ歩きスマホなどなさいますな」

のどちらかでないとおかしいような気がするのだが、かといって、私の文語文法能力も別に誇れるほどのものではないので、間違いだとも断言できず、なんだかワジワジする。文法エキスパートの人にビシッと解決してほしい。

●2月21日日曜日、山だの海だので何やら採って食う方面の師匠である不良老人E先生が、「このへんにヨモギは生えていないか」とやってきたので、名越切通あたりに出かける。

ヨモギは春の山菜でも最も身近(草餅などで人の口に入る機会も多く、しかもその辺に雑草としていくらでも生えている)なものと言えるが、実は近似種がやたらに多くややこしい。一般に、葉の裏にびっしり細かい毛が生えていて白いというのと、ちぎって揉み潰すといい香りがするというのが識別点として上げられることが多いのだが、何なんだ、その「いい香り」っていう漠然とした表現は。ブタクサを揉んでいい匂いだと思うヤツだっているかもしれんし。

名越切通途中の平場はすっかり草刈りされてしまってノビルもヨモギもあまり収穫できる状態ではないが、それでも、チョボチョボ生えているのを少しちぎってみる。

「これ、ヨモギだと思うんだけど、どう?」

とE先生に訊ねてみるが、

「歳とって全然鼻が利かなくなって、匂いが判らん」

という。識別の頼みの綱が!

「ヨモギだかモドキだか判らないから、とにかくちょっとだけ試しに摘んで、使いたいと言っていた婆ちゃんに確かめてみる」

という。代わりに、小さなフキノトウがあちこちに出ていたのを喜んで摘んでいった。そうか、もうフキノトウの季節だったか。

F1011213 F1011197 ●というわけで、私自身もフキノトウが食べたくなったので、同日午後、目当ての場所に摘みに行って、ごく小さなものだったが、20~30も摘んできた。

25日木曜日にももう一度摘みに行ったら、ちょうどフキノトウ摘みをしているおばちゃんがいて、笊に山盛り2杯以上も採っていてたっぷり2掴みも分けてくれた。おばちゃんありがとう!

初回に摘んだものは2/3ほども使ってたっぷり蕗味噌を作り、残りは天ぷらにして食べた。2回目のものは、半分ほどを川崎の実家に持って行き、さっとゆでてオリーブオイル和えにした。オリーブオイル和えは、「蕗味噌と天ぷらばかりでは芸がない」とネットで見つけた新レシピだが、なかなか爽やかで美味しかった。

●21日日曜日の午後、フキノトウを採りに行ったついでに鎌倉散歩。大町の河津桜は昨年より1週間か10日ほども早く見頃。すでにミツバチが多数活動していた。木曜日にもう一度見た時にはもう散りかけていて、メジロが数羽来ていた。1~3枚目が21日。4枚目が25日。

ちなみに河津桜は早かったが、ソメイヨシノの開花は平年並みか、やや遅めであるらしい。暖冬だと逆に開花のスイッチが入りづらいとか。

F1011190 F1011189 F1011183 F1011220

●26日金曜日、川崎の実家に出掛けて一泊。出がけに緑が丘のバス停でかすかにウグイスの鳴き声が聞こえてきた気がして、本当にウグイスだろうか、しかしちょっと早すぎないか、などと思っているうちにバスが来たので、はっきり確認できず。

しかし、29日午前中に一ノ沢の崖下の道を歩いていたら、もうあっちからもこっちからも数羽が声高くさえずっていた。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »