ビッカース水陸両用戦車、参戦(11)
●「軽戦車コンペ」(K-CON)参加作品、CAMsのビッカース水陸両用戦車(Vickers Carden-Loyd Amphibious Tank A4E12 Early Production)の製作記、マーキング編。
●まず、キットの塗装とマーキング指示には、3種類が取り上げられている。塗装そのものはすべて同じ迷彩で、マーキングのみが異なる。
(1).第八路軍、戦車中隊、広州 1933年
車体左右(左は工具箱、右はフロート側面)に番号(白数字)。第1小隊から第2小隊までが続き番号で、第1小隊が1~6番、第2小隊が7~12番。
塗装例(1)と同じ場所に車番だが、3桁数字になる。第1小隊が101~106、第2小隊が201~206。右はネットで拾った写真からの切り出し引用。
(3).陸軍機械化学校教練車 洪江 1940年
マーキング無し。
キットには、マーキング例(1)と(2)に共通で使うものとして、白数字の小さなデカールシートが付属している。
●「第八路軍」というと、まず想起されるのが、抗日戦争中、体裁上は国民党軍編成化に組み入れられていた時期の共産党軍(紅軍)なのだが、紅軍が八路軍の名称になるのは1937年8月のことで、上の塗装指示の年次とは合わない。
これについては説明書に但し書きがあって、ここでいう第八路軍とは、「鉄軍」とも呼ばれた粤軍(広東軍)第四軍が1927年に再編されて成立したもので、1936年5月まで存続していたらしい。要するに、八路軍という名前が紅軍に割り当てられる以前の、前代の八路軍ということになる。
つまり、マーキング例(1)は広東省政府(この時代は省政府委員会?)がビッカース水陸両用戦車を輸入した当初のもの、(2).は日中本格開戦後、(3).は生き残った車輌が引っ込められて訓練用車として余生を送っている状態、ということになる。
好みの問題として開戦後の状態としたいので、(2)を選択。ちなみに、私があちこちから漁ってきた写真のなかで、マーキング例(2)に該当するものとはっきり判るのは2枚で、片方は上に載せた201号車、もう片方はちょっと読みづらいが、おそらく105号車。もちろん、これらの写真の車輌と迷彩の配色を合わせるようなことはしていないので、車番はこれ以外から選ぶことになる。
●キットのデカールを切り出そうとして、初めて上下段の数字の大きさが違うことに気が付いた(気付くのが遅過ぎ)。フロートの上下幅よりも、工具箱(フタを除く本体)のほうがわずかに幅が大きいので、右側用と左側用とで大きさを変えてあるらしい。うっかり気付かずに混ぜてしまうところだった。
ところが、左側から貼ってみると、どうも実際のイメージに比べて数字が大きい。現存写真の「105号車(?)」は左側面が写っているが、上のデカール写真に一緒に写っている塗装図程度に、ほんの少し上下に余裕がある。どうやら、両側ともに小さいほうの数字のデカールを使ってちょうどいいくらいのようだ。
デカールシートには、大小それぞれ、1~0までの十種の数字があって、1と2だけは2つずつ入っている。つまり、塗装例(1)の場合は、1号車、2号車ならキット付属のデカールで(小数字だけを使って)間に合わせることができる。塗装例(2)の場合、「102」か「201」にするにしても、どうしても2桁目の0が片側分不足する。なお、前述のように「201」号車は現存写真があるので、塗装パターン的にこれは避けたい。
●と、こんな経緯で、都合よく使える代替品探しを考えたのだが、インレタ探しがいきなり頓挫したのは先に書いた通り。
●さすがに手書きはハードルが高いし、6や9を切り刻んで0をひとつでっちあげるか(それはそれでものすごく面倒くさそう)、あるいは塗装例(1)で妥協するか、等々考えている時に、me20さんから救いの手が。サイズ的にほぼぴったり同じで、書体もそれなりに似通ったデカールを提供していただけることになったのだった(RCRのものというから、イタリア戦車用なのではないかと思う)。
そんなわけで頂いたのが、右写真の右下側のもの。キットのデカールに比べると太めで、よく見るとステンシルになっている。やや白が黄ばんでいるが、車体裏側を実験場にして試しに貼ってみたところ、並べて貼っても色的にはそう違和感はない感じなのが確認できた。
●というわけで、me20さんから頂いたデカールも混ぜて貼ってみたのが右。全面的にme20さんのデカールに頼ると字体的に違いが目立つのと、せっかくキットのデカールに2つ入っている数字は有効活用したいと思った等々の理由で、車番は「102号車」とした。ただし、
・2の数字の右下のはね上げは、実車写真と見比べると大きすぎるようだったのでわずかに切り詰めた。
・1の数字は、キットのデカールの字体は単純な棒状。実際、(1)のマーキング例の際はそんな書体に見えるのだが、(2)時代は頭と足の飾りが付いているように見えることから、ちょっと太いが、RCRのデカールをそのまま使った。貼った後で、「あ、真ん中から2つに切って詰めて貼ればよかったかも」と思ったが、まあ、失敗すると痛いので、あまり面倒なことはしなくてよかったのかもしれない。
・まんなかの0の数字は、片側はキットのデカールを使用し、写真の側は、RCRのデカールの内側両側を少し切って白の部分を細め、さらに貼った後で上下のステンシルの切れ目部分にタッチアップを施した。
こうしてみると、どうも各文字の軸が安定しておらず、若干ガタガタなのだが、いいんだよ! どうせ実車は手書きなんだし!(もちろん言い訳)
締め切り延長で余裕ができたなあ、なんて思っていたが、ハッと気づくともう約10日。せっぱつまってきた……。
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コメント
國民革命軍第八路軍二代(共産党軍)only last for 21 days, Aug 22 to Sep 11, 1937. There after was renamed as 國民革命軍第十八集團軍 until end of the war. 路軍 is a permanent unit and will not disbanded after the war, but 集團軍 is a temporary unit and will be disbanded after the war. Therefore 共産党 told everyone they were still 路軍. Besides, last night, I just find it is 4 tone colour in VCL.
投稿: T黃 | 2016年3月19日 (土) 13時13分
Thamk you Terence.
The name of 八路軍 is vary famous in japan especially in senior age. But I didn't know about 初代八路軍.
「八路軍(パーロ軍)」という名前は日本でも有名なのですが、基本的には八路軍=共産党軍ということで通っていて、日本語版wikipediaの「八路軍」の解説にも、紅軍の歴史しか書いてありません。
その前代として、広東軍に八路軍の名前が使われていた時期があるというのは、キットの説明書の解説で初めて知りました。
中央政府(中央軍)と広東の地方政府(広東軍)との関係というのも、いまひとつはっきり判りません。このあたり、日本語で簡単に解説してくれている資料があればいいなあ、と思うのですが。
投稿: かば◎ | 2016年3月20日 (日) 12時18分
因為孫中山無力一統中國,孫中山容許前清軍閥保有獨立財政及軍隊控制各地
為避免內戰,孫中山讓出中央政權與北洋軍閥.因此中華民國是個聯邦制國家,定都於北京. 各聯邦(省政府)有獨立財政及軍隊.
孫中山不滿北洋軍閥獨裁統治,1925年,在自已家鄉廣東廣州成立黃埔軍校及中華民國廣州軍政府,形成國民黨最初的中央軍實力.
投稿: T黃 | 2016年3月20日 (日) 13時36分
這段時期的廣州軍政府國民黨軍,改稱國民革命軍,包括第一軍(黃埔軍校學生,原廣東軍混編,即中央軍),第二軍(廣東軍湖南軍混編),第三軍(廣東軍雲南軍混編),第四軍(廣東軍),第伍軍(廣東軍廣西軍混編). 全軍都是能用廣東語交談的.
1927年北上攻擊北洋軍閥, 1928年中華民國統一,第四軍回到自已家鄉廣東的部隊擴編為第八路軍, 留守家鄉之外的部隊擴編為第十九路軍
投稿: | 2016年3月20日 (日) 14時24分
105号車 正確.
現存写真確認 101, 103, 105, 106, 201, 203, 204, 205号車.
投稿: T 黃 | 2016年3月21日 (月) 22時42分
Thamk you Terence!
I understand about Cantonese army now.
ようやく、廣東政府、廣東軍の位置付けがわかりました。単に地方政権が持っていた軍というだけではなくて、新たに國民革命軍が編成されたとき、その中核になったのが廣東軍だったのですね。
車輌番号についてもありがとうございました。
私が考えたよりも、ずいぶん多数の車番が、写真で確認できているのですね。
模型として作る際には、実際の迷彩の配色に気を使わなくていい、写真が確認できていない車番の車輌を作りたいと思っていたので、102号車が入っていなくて安心しました。
投稿: かば◎ | 2016年3月22日 (火) 18時58分
衹有 201号車的迷彩分佈能全部確認,
投稿: T 黃 | 2016年3月22日 (火) 21時52分