●週末模型親父さんのところのSUMICON2015で、ICMのT-34(キット名称、「T-34/76(early 1943 production)」)を作っている方から教えてもらったこと。
同キットは、中央の3つの転輪が緩衝ゴム内蔵型、前後の2輪ずつがゴム縁付きの初期型スパイダーウェブ、さらに内側列の穴がない初期タイプ。ナット砲塔搭載型でキューポラなしの仕様としては、ごく標準的なスタイルとなっている。
しかしそれだけではなくて、この前後のゴム縁付き転輪に、リムの幅が厚いもの(標準幅のもの)と薄いもの(緩衝ゴム内蔵転輪とほぼ同一幅)の2種類が入っていて、選択式になっているのだという。
穴開き転輪(スパイダーウェブ)でゴムリムが狭い転輪? そんなんあるんか?
ICMのキットは発売後間もなく、ハラT青木氏にもちょっと中身を聞いたような気もするのだが、そんなこと言ってたっけ?
……などなど、疑問が浮かんできたのだが、やはり根本は、「いったいそんな転輪があるのかどうか」。そもそも、ナット砲塔搭載型の極初期には、皿型転輪で薄いゴムリムのものがあるのには気付いていて、ずいぶん昔に「T-34 maniacs」の転輪解説ページでも書いたのだが、穴開き転輪は基本、すべて標準幅だと思い込んでいた。
●というわけで、、「いったいそんな転輪があるのかどうか」の検証。
ICMが新開発のキットにわざわざ入れるからには、最近見つかった車輌でそんな転輪を履いているのがあったのかもしれない、という推測で、今はクビンカにあるという「スナイペル(スナイパー)号」を見てみる。
これは割と最近(といっても、発掘風景の動画の日付は2003年だった)、沼地からほとんど当時のままの姿で掘り出されたという、いわば「タールの沼に落っこちてそのまま保存された恐竜」みたいなヤツで、現在は走行可能な状態にまでレストアされている。
これがいきなりビンゴで、なんと本当に薄いスパイダーウェブ転輪を履いているのだった。
walkaround写真では毎度お世話になっている「legion-afv.narod.ru」に、 「スナイペル号」の写真ページがある。特にこの写真は一目瞭然。
もちろん、レストア車輌の場合は「復元部品ではないのか」という疑問はつきものだが、発掘当時の動画を見ても、どうやら元からの部品で間違いなさそうだ。
●ところが。
ついでに他の車輌も見ていたら、薄い転輪を履いているのがいくつも出てきた。例えば、この「スミェリ(勇敢)号」。これも発掘風景がyoutubeに上がっている。
仕様としては「スナイペル号」とほとんど同じ。あるいは、モスクワにある「ドヴァトル(戦死した将軍の名)号」も。
そもそもこの3両は、砲塔に書かれた文字の位置、車体後面アクセスハッチに書かれたダイヤの部隊章(7/1)から見て、同じ部隊の所属で同じように発掘されたらしい。いくらなんでも戦車を泥に飲まれすぎなんじゃないのか、この部隊……。
もちろん、たまたま同一部隊のほぼ同じ仕様の車輌がまとめて残ったものなので、これだけで仕様がどれだけ一般的だったかは判断できない。しかし、narod.ruの写真を見ると、ヴェリーキエ・ルーキという街にあるというこの車輌も、ベールイという街のこの車輌も、細い転輪を履いている。現存例、ありすぎる!
というわけで、これまで不注意で見逃していたものの、実際には、そこそこ使用例のあるものらしいことが判った。うーん。さすがT-34、いつまで経っても知らないことがポコポコ出てくるな……。
●こうして、とにかく「薄い転輪もある」ということを判った上で資料を見ると、「あ、これも薄い転輪っぽい」という例がいくつか出てくる。それらも参考に、得られた知見を少しまとめてみる。
・戦車それ自体は、全体的な特徴から言えばとりあえず第183工場製。
・履帯はほとんどが初期型500mm。起動輪は表面ディテールがのっぺりしていて、ローラーがなく単なる棒になっている簡易型が使われている場合が多い。しかし、簡易型起動輪だからといって、薄い転輪であるとは限らない。例えばこれ。
・上では「初期型スパイダーウェブ転輪で薄いゴムリム」とだけ書いているが、「ドヴァトル号」で確認できるように、ディッシュ型(皿型)転輪で薄いゴムリムのものも併用されている。なお、この「薄い皿型転輪」は、ナット砲塔搭載最初期型で確認できるものと若干ディテールが違う。ナット砲塔最初期型に使われている物は、ホイール部周囲のリムがゴムリムよりもリング状に出っ張っていて目立つが、こちらはその突出がない。
・少なくとも現存車輌で見る限り、ナット砲塔の2つのハッチ間に、別体部分が作られていない。つまり、最初期型のナット砲塔(かつて「ラミネート」型と呼ばれていたもの)ほどではないものの、ナット砲塔としては比較的初期に作られたものらしいことが判る。これはハードエッジ砲塔、ソフトエッジ砲塔(例えば「スミェリ号」)を問わない。
・なお、一般的な浮き彫りになった鋳型(というか原型?)管理番号と同じ意味のものなのか判らないが、これらの砲塔は、後部に彫刻刀で浅く彫り込んだような窪みがあり、そこに文字/数字がケガいたように書き込まれているようだ。確認できる限り、ハードエッジ砲塔の場合右側面後ろ上部にあり、ソフトエッジ砲塔は後面左上にあるようだ。前者の例(ヴェーリエ・ルーキの車輌)がこれ、後者の例(スミェリ号)がこれ。彫り込み部分は表面が滑らかなので、鋳造時点で一緒に鋳込まれたものではなく、見た目通り後から彫り込んでいるのではと思われる。
・後面パネル左右のボルト列は、タミヤのキット同様の「中抜き」タイプ。排気管カバーは、標準型のほか柏葉型も。ファイナルギアハウジング形状もいろいろ。
・なお、この「薄い転輪」のゴムリムの穴・刻み目の数は、40個のものと42個のものがある。つまり、この「薄い転輪」のなかにさらにバリエーションがあることになる。
考え合わせると、ナット砲塔が搭載されるようになった型(いわゆる1942年型)でも比較的初期に生産された型に一時期のみ、しかしそこそこの数が使われたと考えられそうだ。他の部分の仕様との関連性、前後関係などについてはなお検討の要あり。
ちなみに、フィンランドに現存するT-34で薄い転輪を付けているものもあるが、これはどうやらBTの転輪をパクって来たらしいものが混じっているので注意。ただし、1942年型最初期型のR-155号車は、最初から薄い皿型転輪を混ぜて使っている。
●なぜこの薄い転輪が作られたのか、の若干の考察。
1941年型の後期(いわゆる戦時簡易型)から1942年型にかけては、とことん省部品化・省資材化・省力化が進められた時期でもある。ゴム資源節約のために真ん中の転輪は緩衝ゴム内蔵型を使うにしても、負荷のかかる前後はゴムリム付きを使っているわけだが、そこでも少しでも節約しようとゴムリムを細くした、というのは最もありそうな可能性ではと思う。
もっとも、単純に転輪1つあたりの使用ゴム量は減らせても、転輪を細くしたことで磨耗が大きくなり、結果的にあまり節約に繋がらず、結局元の幅に戻したのかもしれない。
ちなみに、1942年型最初期に使われた皿型転輪の薄いタイプの場合は、負荷の小さい中央3輪に使用され、最前部・最後部は標準幅の転輪が使われるのが普通のようだ。
もともと1942年型最初期に使われた薄い転輪に気付いた時から想像(妄想)していたのだが、余っていたBT用の転輪ゴムの在庫処分としてある程度の数が作られたというのも考えられなくもない気がする。
●7/20追記。
この細い転輪に関し、セータ☆氏も考察記事を書いている(曰く、「オレにも語らせろや」だそうだ)。
T-34の幅狭転輪(1)
T-34の幅狭転輪(2)
考察内容は一部私が上に書いたことと食い違うのだが、きちんと写真等も上げて説明していて説得性が高い。
氏によれば、幅の狭い転輪のゴムの穴・刻み目は40固定(BTも)だそうで、上で私が「40と42の2種類がある)と書いたのは、幅の広い転輪を狭い転輪と見間違えている可能性がある。
最近のコメント