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2015年7月

Spanish Panzer I (10)

SUMICONネタ、I号戦車(スペイン改造型)製作記。スペインにおける改修型のキモである砲塔工作を続行中。

F1012182●前回、天井のかさ上げ工作をした砲塔本体にディテールを追加。具体的には、

▼各部の溶接跡を追加。
相手は軽戦車なので、なるべくおとなしい感じに収まるよう、細い伸ばしランナーを使用し、さらに、潰して刻み目もつけた跡で、一度やすり掛けして均す感じにしている。

▼ハッチ、クラッペを取り付け。
もともとトライスターの戦車キットとしては第一弾なので、キットとして多少こなれない部分もあるということか、車体のクラッペは穴に対してきつめで若干の削り合わせをしたのだが、砲塔側は逆にユルかった。

▼クラッペ周囲のネジ穴追加。
車体同様にビーディングツールの押し付けで再現。また、クラッペ周りとは別に、真後ろに2つネジ穴がある。これはおそらく、車長用シートの取り付けネジ。実車写真でも、クラッペ周りのネジ穴と比べ目立つので、こちらはピンバイス(0.4mm)で穴を開けて伸ばしランナーを挿し込んだ。

▼吊り下げフックの工作。
車体部と同様、キットパーツを削り込んでフックを再現。したのベロは0.4mmで2箇所の穴を開けた0.3mmプラバン。車体部のフックを作ったときよりもだいぶ慣れて、比較的短時間で3箇所工作できた。

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Spanish Panzer I (9)

SUMICONネタ、I号戦車(スペイン改造型)製作記。

F1011986b●ちょっと手戻り。

尾藤満氏による、AM誌の「ACHTUNG PANZER! Modellieren」を読み返していたら、誘導輪のアーム(誘導輪位置調整用スライド部の上側)に彫り込み工作をしている写真があった。

文章では触れられておらず、どうやら工作をしてあるのは、その途中写真のみのようで見逃していたのだが、実車写真を見ると、確かにその部分に窪みがある。

というわけで、ナイフの先でちょこちょこと彫り込んだ(右写真、黄色三角で指し示した部分)。下は比較用の未工作の裏側。軸穴はだいぶ工作の早い段階からあけてある。

●車体後部の工作。

F1012074 通風孔カバー下の左右のフックはだいぶ表現が足りていない感じなので、基部だけ使用し、あとは0.3mmプラバンで作り替えた。

また、シャーシ左右端の、用途不明の「ヨの字」の鋳造部品は、キットのパーツは小さめで形状もおかしい(本来は上下が対称のようなのだが、非対称になっている)ので、これも0.3mmプラバンで新造。中にあるボルト頭(本当はナット)は、タミヤIII突の天井板のものを削り取って来て接着した。

中央下部の牽引ピントルは実際にはもうちょっと華奢な感じで、中央部と下部で2本ずつのボルトで止められているのだが、ここはほぼキットのままでスルーした。

●この先、車体部はあれこれ装備品の工作があるのだが、そちらは一休み。

今回の製作の目玉、ブレダ20mm砲搭載の改造砲塔にいよいよ手をつけることにする。

ブレダ20mm搭載の砲塔は、本来の砲塔を利用し、天井部分をそのままかさ上げして容積拡大を図っている。砲塔ハッチは同一のものらしいので、おそらく、元の砲塔の天井板を切り取って、側面を継ぎ足した上で改めてその天井板を付け直しているのではないかと思う。

F1012082 というわけで模型製作においてもそんな感じにしたが、模型の場合はどうしても切り取りしろが出るので、砲塔パーツをもうひとつ余計に用意し、天井板を切り取って、もうひとつの正常な砲塔パーツとニコイチした。なお下の砲塔に、より寸法的に正しいらしいイタレリのものを使うことも考えたのだが、切り取ったトライスターの天井板と幅が合わなかったので断念した。

周囲の継ぎ足し部分は、曲げ工作の容易さから0.3mmプラバンを使用したが、ちょっとこれは事後変形が怖い。

かさ上げの高さは、実車写真やHiPM、MBのパーツから適当に判断して、およそ5.5mmとした。どういうわけか、RPMのルノーFTの誘導輪がまるで測ったように都合よく、トライスターの砲塔上面の円周よりやや小さめだったので、最初にこれを砲塔上に接着。これを周囲の0.3mmの壁の接着ガイドとした。この後、どうせ砲塔ハッチは閉めてしまうので、くり抜き工作などは行わなかった。

1a●ここでもうひとつ問題。基本、天井はまっすぐ真上にかさ上げしているだけなのだが、砲塔前面の処理が、本来の砲塔前面とツライチなのか(図上)、それとも途中で角度が変わって垂直になっているのか(図下)が、どうもよく判らない。

真横からの写真があればよいのだが、そんな都合のよい写真は残っておらず、斜めからの写真だと(側面の角度が切り替わっていることもあって)どうも判断を付けづらい。

F1012121ちなみに、MB、HiPMのキットは途中の角度変化ありという解釈。BISONデカールの説明図はツライチという解釈のようだ。

どうするか少々悩んだが、結局、角度変化ありの解釈で前面をふさいだ。

この後、溶接跡の追加、クラッペの工作などを行ってから、防盾部の作成に入る予定。

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暑さに負けている週末

●先にヴィッカース水陸両用戦車を出したCAMs(Combat Armour Models、戰甲模型)から、第二弾(水陸両用戦車のバリエーションをひとまとまりと考えて)として、いよいよヴィッカース6t戦車が出る。

ひゃっほう!

インジェクション・キットとしてはMIRAGE HOBBYからも出ているが、なにしろこれは元キットが大昔の7TPなのでお世辞にも出来がいいとは言えないし、仕様もキメラ的で、きちんと6t戦車として作ろうと思えばかなりの苦労は必至、というものだった。

CAMsの新キットは、それ以前のヴィッカース水陸両用戦車の出来を見ても、仕様やディテールに関してはきっちりこだわったものになりそうで、期待大。

アナウンスされているのは無線機用バッスルのない標準的なタイプだが、おそらく、無線機付きのタイプも出るはず。以前に同社のT. Wongさんから、ポーランド型のエアダクトの形状の詳細がわかる?と聞かれたことがある。その先のバリエーション展開がどこまで行くのかわからないが、あれこれ楽しみ。

Img_0078●ゴキブリホイホイに犬がかかった。間抜けすぎる……。

●22日水曜日、前日締め切りをひとつ片付けて一息ついたので、あれこれ用事の片付け。

市役所に書類の申請、池子の理科ハウスに本の返却&いくつかの化石標本の寄贈。

その後、今年の春に見つけた山の根の尾根道が本当に池子の医療センターまで通じているのかどうか、医療センター側から確認できないかどうか確かめに行く。

以前書いたように、久木から池子まで、山の根の裏山の尾根を歩く道の途中に、「医療センター」と書かれた行き先案内板が出ていたのだが、その方向に歩いていったら、特に分岐は見当たらなかったのだが、方向が逸れてしまって、山の根の崖の上で行き止まりになってしまったのだった。

医療センターの裏をぐるりと回ってみたのだが、一箇所、斜面を登る階段があったものの、そこは小さな休憩所のようなところで行き止まり。たまたま職員の人が出てきたので訊ねてみたが、やはり山に登る道は知らないとのことだった。久木から池子まで尾根を歩き通せるなら、なかなかいいハイキングコースだと思うのだが、ちょっと残念。

●せっかくなので、総合車両製作所横浜事業所回送線。

金沢八景の総合車両製作所(元の東急車輛、さらに遡れば海軍工廠)から京急逗子線を通り、神武寺手前で逗子線と分岐、JR線に合流する線路で、池子弾薬庫の引込線でもあった線路。

F1012058 F1012050 F1012049 F1012030

ピンボケ写真ばかりで申し訳ないけれど、1枚目はJR山の根踏切から。逗子駅を背に撮ったもの。右側がJR横須賀線と留置線。同じ場所で撮った写真は、この書き込みの末尾にも。

米軍池子住宅地正面ゲート前踏切から逗子側(2枚目)と神武寺側(3枚目)。1枚目と2枚目の間に、以前に載せた山の根の小トンネルがある。おそらく昔は、この辺りから弾薬庫側(2枚目なら右、3枚目なら左)に引込線が出ていたのではないかと思う。

4枚目は神武寺駅から金沢八景側にある、回送線と逗子線との合流ポイント。軌道幅が違うので、ポイントから向こうはいわゆる三線軌条になっている。

●24日金曜日、川崎の実家に行って一泊。翌25日、墓掃除(というか草むしり)に行く。

おそらく奄美大島は違うと思うのだが、母は「郷に入っては」式に、お盆は東京風の7月15日を採用している。そんなわけで数週前に墓掃除に来るよう言われていたのだが、たまたま忙しかったのでずれ込んだもの。

しかしそれはそれとして……こんなクソ暑い時、炎天下に墓掃除に行っちゃいけませんな。お墓の中の人には申し訳ないが、つくづく思った。

ところで実家に行く際、あざみ野までたどり着いたら、宮崎台駅で人身事故だとかで田園都市線が鷺沼折り返しになっていた。上り側は、最初は溝の口折り返しとアナウンスされていたと思うのだが、しばらくしたら渋谷~鷺沼間と、運休区間が長くなっていて、しかもいつ復旧するかも判らないという。

小学校の頃、自宅近くを「鷺沼行き」のバスが走っていたことを思い出し、とにかく鷺沼駅まで移動してバスに乗って自宅最寄り駅近くまで行った(小学校の頃走っていた路線とは別で、そちらはもうないのかも)。

F1012124●26日日曜日、18時過ぎ、逗子海岸海水浴場真ん中へんから、西の空を見上げて。

雲の形はなんだか涼しげだが、今日の地上は風がなく蒸し暑い。

浜でなにやら露店が出て、お祭りのようなイベントがあると聞いて出かけたのだが、ものすごくショボかった。

ちなみにこの写真は空を見上げて撮ったので地上がだいぶ暗いように見えるが、この時間はまだ明るく泳いでいる人もちらほら。今日は埼玉在住のM嶋君家族も(去年に引き続き)逗子海岸に来ていたのだが会わずじまいだった。

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白きのこ、黄きのこ、赤きのこ

●モー暑。

今からこんなに暑くてどうしますか。8月になったら融けるんじゃなかろうか。

●娘がコンビニにコピーを取りに行ったのだが小銭がなく、レジで両替をしてもらおうと1000円札を持って行き、

「コピーを取りたいんでこれを500円と替えてください」

と言ったら、高校生くらいのバイトの女の子に真顔で

「本当にいいんですか?」

と聞かれ、不審に思いながらもいいと言ったら、

500円硬貨1枚と交換されてしまったそうだ。なんだかすごいなそれ……。

●長いこと、DELLの古いXPマシンをだましだまし使ってきたのだが(ただし購入時のデフォはVISTAで、それが信用ならん気がしたのでXPに換えて使っていた)、ここ最近、かなり挙動不審になってきた。

ブラウザで多数のサイトを同時に開いて、かつ、あれこれ他のソフトも起動して負荷が掛かっている場合になるような気がするのだが、いきなりビープ音がして固まってしまったり(まるでそのまま成仏してしまいそうだが、強制終了して再起動すると復活してくれる)、あるいは、何か動画を再生しようとすると画面全体が真っ暗になってしまったり(何も見えないので操作しようがなく、これも強制終了して再起動になる)。

下手をすると、日に2度、3度再起動する羽目になったりする(もちろん、しないで済む日もある)。

なるべく近いうちにマシンを新調しないとイカン。

●ずしのきのこ。

毎年、だいたいこの頃になると名越の尾根道にシロオニタケが出るんだよなあ、と思いつつ、19日日曜日、散歩に出かけてみたら、案の定、傘の径が20cmを超えるような大物が生えていた。近くにやや小さめのものも2つ。

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さすが先週までは雨が多かったからか、他にも怪しげなキノコがちらほら。下はおそらくキアミアシイグチ。イグチの仲間は食用になるものが多いが、これは苦くてダメだとか(特に毒ではないらしい)。

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これは以前にも固まって生えているものを見たことがあるウスキテングタケではないかと思う。

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まるで絵本に出てくるような、真っ赤でずんぐり、キノコキノコしたスタイルのもの。ドクベニタケ(名前の通り毒)ではと思うが、似た食用になるキノコもあるらしい。

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●ずしのむし。

以前にも書いたことがある、尾根道途中の木のうろのニホンミツバチの巣。いつもは働き蜂がせっせと出入りしているだけだが、この日(19日)は多数のハチが入り口周辺に群がっていて、それが一斉に翅を動かしていた。風を起こして巣の冷却をしていたのではないかと思う。

F1011921 F1011917

翅のうなりが重なって、なかなか迫力のある音になっていたが、巣の冷却かと思うと、なんだかクーラーの室外機を連想してしまった。

●ここ数日にわかに、朝夕のヒグラシの合唱が大きくなった。

日中のセミの主役はまだニイニイゼミだが、時折、ミンミンゼミが混じる。19日日曜日、名越の尾根道で、今年初めてのツクツクボウシを聞いた。夏の終わりのセミというイメージなので、だいぶ意外だったが、wikipediaで見ると、「(近年は)東京でも、夏の初めにツクツクボウシの声を聞く機会が少しずつ増えている」のだそうな。

●大船のbookoffに行ったついでに北鎌倉まで歩く。ちょうど駅裏の山の上の八雲神社の例大祭で、神輿が神社に帰り着いたところ。本殿前で、神輿を練って揺すって意外に勇壮。

F1011869 F1011861 F1011859 F1011872

なお、この神社は裏手の庚申塔が少し有名。

●北鎌倉駅裏道の素掘りの洞門は独特の風情でお馴染みのものだったのだが、4月末以来、崩落の危険ありということで通行止めになってしまった。現状は以下のような感じ。両側から完全に塞がれている。

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ほかにも北鎌倉駅近くには素掘りのトンネルがある。上は有名な好々洞。中途に(ふさがれた)横穴があるのにいまさら気付いた。下はもうちょっと大船寄りの、かまくら景観百選に選ばれているもの。しかしこれらもいずれは「崩落の危険アリ、通行止め」になってしまうのかもしれない。

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Spanish Panzer I (8)

●なんと3回続けて、I号戦車(スペイン改造型)製作記。一応モデラーであることは間違いないので、それを珍しがるのは我ながらどうかと思うけれど。

もっとも、立て続けに書き込んでも、それだけ劇的に進捗しているわけでもない。

●後部の装甲カバーに続き、「ちょっと面倒くさいなー。どうしようかなー」と思っていた箇所、排気管の工作。

F1011790パイプ部は、実物は鋼線を巻いたフレキシブルなホースであるらしい。キットの表現はいささか硬質な感じだったこと、ギザの合間のパーティングライン消しも面倒だったこと、車体部の穴に入ったところでスッパリ断ち切れていて、場合によっては繋がっていないのが見えそうな気がしたこと――の3点の理由から作り直すことにした。

「180°曲げても折れない」のが売りらしい、タミヤのソフトプラ棒(透明)の2mm径のものを芯に、銅線(エナメル線?)を巻いて作成。実際に車体に取り付けてみると、ちょっと太めだったかもしれない。

ちなみにAM誌の尾藤満氏の製作記「ACHTUNG PANZER! Modellieren」では、初期はキットのパーツを使っているようだが、後のほうになると、コトブキヤのスプリングユニットを焼きなまして使っている。……その手があったか!(←最初にもっとよく読んでおけって話)

後述のようにスプリングユニットはブレーキパイプ用に買って持っていたのだが、弾性が強いので(バネなので当たり前だが)、こういう場所には使いづらいなあ、と思って上述のような方法を取ったのだった。

F1011815 F1011814●出来上がりはこのような感じ。

マフラーは、どのみちエッチングのカバーがついてほとんど見えなくなるので、横のパーティングライン消しもいい加減。

前後のみ、フチの立ち上がりを表現するために伸ばしランナーを貼り付けた(本来ならマフラー取り付けベルト(金具)を削り落とし、プラペーパーでも一巻きして、改めて金具を自作するべきなのかもと思うが、金具自作が面倒で横着をした。

なお、金具のモールドとマフラーの間の三角部分(脚部分の内側)はキットのモールドでは埋まっているので、ナイフで彫り込んだ。排気口もペンナイフの先で彫り込んだが、なにぶん細いのでそれほど綺麗に彫れていない。

F1011731 ●パイプつながりで、車体前部のブレーキパイプも作り替えた。

右写真は、真ん中がキット(トライスター)のパーツ、上がドラゴンのB型、下がイタレリのB型。基本、これはA型もB型も変わらない部分だと思うのだが、こうして見ると長さからしてまちまち。

ここは尾藤満氏の、Panzer MemorandumのI号戦車B型製作記に倣って、コトブキヤの2mm径スプリングユニットを使用。アタマの車体への接続部分は、安直にキットのパーツから切り取ってきて接続した。

F1011816F1011813 フェンダーへの取付金具は、ソ連国旗の中にある、「槌と鎌」マークの鎌のような形をしているらしい(わかりにくいたとえ)。

「槌と鎌」マーク→

たとえば この写真(出所は、narod.ruのI号戦車A型walkaround)。

キットのパーツは上の写真に見るように、車体への接続部側で急に曲がっているのだが(イタレリも)、トラクツ風に、ゆるやかに曲がっている感じにした(実車はどうかといえば、これも実物はフレキシブルなものらしく、曲がり方は割といい加減なようだ)。

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Spanish Panzer I (7)

SUMICONネタ、I号戦車(スペイン改造型)製作記。こんなんで本当に出来るのか?的なゆるゆるとした進捗ぶり。

F1011762 F1011769●前回書いた「1937年改修」の続きで、後部左右の通風孔装甲カバーに続き、ラジエーターグリルのカバーを作成(その前に、左右の通風孔カバーに溶接痕も追加)。

カバーパーツそのものはキットのものを使ったのだが、後ろの垂れ下がり部分左右のナナメが深く切られすぎていたので、もう一つのストックから同じパーツを持ってきて切り刻み、後部左右を延長して削り直した。ついでに、全体的に少々薄めに。……というより、ここまでするなら、素直に0.3mm板か何かで作り替えたほうがよかったのではと思う。

F1011773車体への取り付けの脚は、キットパーツでは4ヶ所突起があるだけで(どのみち、本体を薄く削る過程でその脚も削り落としてしまっているが)、横に一本、ぐるりと中心に入っている羽板も省略されている。右写真は、未改修のキットパーツを車体に置いてみた状態。成型色が違うのは新版キットから持ってきているためだが、形状的には新旧で変化はない。

脚の作り直しは、羽板も含めすべて0.3mmプラバンの細切り工作で、通常の接着剤(私はタミヤの流し込みタイプを常用)で軽く止めてから瞬着でがっちり固定。ひとつひとつの部材が細かすぎ、切り刻んだものの寸法が合わなかったり、はじき飛ばしたりで、ずいぶん手間が掛かった。

なお、実際には後ろの垂れ下がり部分の内側にも脚(支柱)が左右2ヶ所にあるのだが、ほとんど見えない割に長さ合わせが面倒なので端折った。

F1011766●順番は前後してしまったが、カバー下のラジエーターグリル・ハッチ周りにも若干のディテールを追加した。

ハッチ後部左右には、鍵穴を追加。伸ばしランナーの輪切りを接着、0.4mmドリルで浅く孔を追加。本当は孔は四角いのだが、見えづらい場所だし、どのみちルーペでも使わない限り判らない。右側鍵穴の上に謎金具。

ハッチ直下、車体側の中央に吊り下げフックがあるが、キットでは綺麗に忘れられているので0.3mm板で追加工作した。

なお、前段で書いたように、装甲カバーの垂れ下がり部分左右の形状を変更しているが、元パーツでは、斜めのラインが、下のハッチのラインとほぼ平行。実際には、このようにハッチのラインよりも角度が立っていて、そのぶん、下辺が長めになる。

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Spanish Panzer I (6)

SUMICONネタ、I号戦車(スペイン改造型)の若干の進捗報告。

前回までで足回りのこちょこちょした工作はおおよそ終わったので(ビームはまだだが)、車体上部の工作に復帰。

●現在作っているトライスター旧版のI号戦車A型は、フェンダーが車体下部と一体になっている(新版では別パーツ)。そのこと自体に別に文句はないが、特にエンジンルーム左右部分で、車体上部にフェンダーを止めている本来はL字材のベロがきちんと接続しない。

F1011620そこで、L字材に見えるよう、フェンダー側にプラバンを貼り足したうえでリベットを追加した。リベット列は車体側とフェンダー側で数と配置が違う。

現存車輌の細部写真では、どうも一部あやふやなところもあるのだが、車体側は丸頭、フェンダー側は六角ボルトのようなので、それぞれ、タミヤ48マーダーから丸頭と平頭を削り取ってきて付けた(なかなか使い出がある)。

この写真では、排気管パイプ用切り欠きの前のベロのフェンダー側は、前方で直角、後方で三角に伸びているように見えるが、これは単純に左右用を取り違えて使っているためらしい。最初からそうだったのか、レストア時のミスかは不明。

なお、よくよく見直すと、排気管パイプ用の切り欠きは、実車ではもうほんのわずか前方にあるような感じもするのだが、いまさら気付いても遅いのでそのまま。というより、しっかり検証もしていない。

F1011719●車体各部のフック類は、キットのパーツでは単なる板状の突起になっているため、ナイフの先で彫り込んでフックらしい形状に。写真は一番向こう側がフック部加工済み、手前が未加工。

また、この吊下げフックは、フックの下側に2つの穴が開いたベロ状の突起があるが、キットは不十分なモールドがあるだけなので切り取り、0.4mmの穴を開けた0.3mmプラバンで作り替えた。

加工後のものは、上のフェンダー工作写真の左側に写っている。例によって、プラ材の組み合わせで、穴の間隔を揃えるためのごく簡単なジグを作った。

この吊下げフックは市販のエッチングパーツにも入っていることが多いが、元が鋳造なので、平板すぎるエッチングよりもキットパーツの改修のほうがいいように思う(ビンボーな私の後付けの理由)。

F1011732●同様に、車体前端の牽引フックも、キットのモールドは単なる板だったので削り込んだ。車体前面に沿う取り付けベロは小さかったのでプラバンで作り替え。

また、車体前面装甲の平面部、下部左右にある4つずつのリベット(というかネジ?)は、キットでは単純な丸リベット頭として表現されているが、実際には半埋め込み風。

キットのモールドを削り落としたうえで、ビーディングツール(球ぐり工具)を押し付けて表現した。

F1011730 ●改修型(スペインにおける改修ではなく、それ以前のドイツ本国での改修)の特徴である後部の通風孔カバーは、キットのパーツは明らかに形がおかしく、前後に短すぎる。

内側が斜めなのでそのまま延長工作もできず、意外に厄介だと工作をためらっていたのだが、結局、キットのパーツのタテヨコを逆にしたうえでアンコにしてプラバンを貼り増したり貼り替えたりゴニョゴニョしてでっち上げた。

実際のカバーは、上面はエンジンルームにちょっと被さる形のベロになっていて、給油口をふさがないよう、わずかに円弧状の切り欠きがある。

F1011724F1011727実際に車体に付けた状態がこちら。実物は車体に溶接されているが、溶接痕の表現は未工作。

裏側には2枚のルーバーが付いている。この奥の車体後面の通風孔は、未改修の車輌ではメッシュが張られているが、このカバー付き改修型では素通しの穴になっているのではないかと思う(でないと、メッシュの枠にカバーを溶接することになってしまう。もちろん、どのみちひっくり返して覗き込まない限りは判らないので工作には反映しない。

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シトロエンの細いタイヤ

F1011646 F1011648●8日、大阪日帰り。

行きは例によって、全国の駅弁が買える東京駅の「祭」で昼食を買う。姫路の「あなご重」。帰りは新大阪駅でたこ焼きを買って新幹線の中でビール。おみやげに蓬莱の豚まん。……いや、仕事に行ったんですよ?

久々に大阪モノレールに乗る。万博記念公園駅横のレールは、なんというか、遊園地のアトラクションっぽい、「何だか判らんけどスッゴイ乗物」を思わせる。

駅近くに、何やらでかいスタジアムを建設中。調べてみると、吹田市立でガンバ大阪がホームとして使う新スタジアムである由。スタジアム建設費用は募金で賄うこととし、先月、めでたく目標額の140億円を突破した。建設費用がその募金で納まるのなら、例の金食い虫の新国立競技場の18分の1(収容人数は新国立競技場の半分)。

一方、モノレールの比較的最近出来たらしい支線「彩都線」は、余計なお世話かもしれないが、(「ゆめ咲線」ほどではないにしろ)ちょっと恥ずかしい系の名前だと思う(単に路線名ではなく、このあたりのニュータウンの愛称なのだそうな)。もちろん、大阪がどうこうというのではなく、日本全国、そんなんばっかし。

行きは掛川あたりで結構激しく降っていたが、幸い、大阪でも降られず。しかし夜、帰宅した頃には激しい雨で、バスを降りて自宅までのわずかの時間で膝下あたりがびしょ濡れになった。

●ちょっと前にニイニイゼミを今年初めて聞き/見た話を書いたが、先週、ぐずついた天気のなかで、ヒグラシの初鳴きを聞いた。もっともニイニイゼミはその後もコンスタントに聞いているのだが、ヒグラシはそれ以来聞いていないので、だいぶフライングして出てきた個体だったのかもしれない。

それはそれとして、ここ数日、環境省の「いきものログ」が繋がらない。(7月10日午後、繋がったがちょっと挙動不審)

●「T-34の薄い転輪」の続き(幅が細いのが共通しているだけで、話題は全然続いてないけど)。

コウ中村さんのブログでシトロエン11CVが出てきたのをきっかけに、ひとしきり、またタイヤの話をあれこれ。その時、また別の方から、昔懐かしいプロファイル・シリーズの一冊で「トラクシオン・アヴァン」が出ているのを紹介していただいた。これに、タイヤサイズが年式別にきっちり書いてあった。曰く、タイヤはミシュランで、

11レジェール:150×400(1935)、165×400(1939)

11ノルマル:160×400(1935)、165×400あるいは185×400(1939)、185×400(1946)

なのだそうだ。

レジェールは前型の7CV以来の車体サイズのものでホイールベースは2910mm、ノルマルは拡大型で同3090mm、もっと大きいロングというのもあって、それは3270mm(数字は英語版wikipediaから)。タミヤのキットのホイールベースは35キットで約85mmで、ほぼ正確にレジェールのサイズになっている。

Citroenタミヤのシトロエン11CVのキットに関しては、48も35も、妙にタイヤ幅が分厚い気がして、以前、幅詰め工作に取り掛かったことは当ブログでも触れた。48についてはここ、35はここ

どちらもエッチングソーでタイヤの中心でスライスしたものだが、数年前につまみ食い工作をして、そこで止まっている。いかんね。右写真は、当時載せた写真を2つくっつけてみたもの。上が48で下が35。

この工作自体は、箱絵や限られた写真から、「どうもキットパーツは分厚いな」という印象だけで適当に工作したものなのだが、工作途中でトヨタの名車館にあるタイヤサイズ(150-2.00)を見て、150をタイヤ幅(mm)と判断し、工作判断の補強材料とした。

一応、上の資料を見るとそれでよかったようで、150mm幅なら35で約4.3mm、165mm幅なら約4.7mmになる。

ちなみにシトロエンのタイヤは何社からかレジンパーツが出ているのだが、どうも個人的にはあまりピンと来るものがない。そもそもドイツ軍用のパターンのものは欲しくないし、Hussar ProductionsおよびDEFで出ているものはパターン的にはフランス民生用のようだが、Hussarはタミヤのタイヤよりも幅広らしく、DEFのものもタミヤと同程度の幅に見える。

なお、コウ中村さんは、これに関して、ノルマル以降の幅広のタイヤを履いている例があって、タミヤはそれをキット化してしまったのでは、という推論を述べている。仮に185mm幅で考えると、中村さんによれば、48キットでほぼ合致し、35キットではやや薄いらしい。

ちなみに、キットが(不十分に)表現している、中央に波型(というより三角ギザ型?)のトレッド・パターンは、これとかこれではないかと思う。

●しばらく前から、「河馬之巣」HPにはアクセスできなくなっているが、これはOCNのホームページ作成サービス、「PageON」のサービスが終了してしまったため。

最近まったく更新していないとはいえ、ないとなると若干寂しくもあるので、そのうちヒマな時に、フリースペースに再アップの予定。とはいえ、ファイル管理がいい加減なので、どれが最新のものなのかよくわからなくなっていたりする。

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T-34の薄い転輪

週末模型親父さんのところのSUMICON2015で、ICMのT-34(キット名称、「T-34/76(early 1943 production)」)を作っている方から教えてもらったこと。

同キットは、中央の3つの転輪が緩衝ゴム内蔵型、前後の2輪ずつがゴム縁付きの初期型スパイダーウェブ、さらに内側列の穴がない初期タイプ。ナット砲塔搭載型でキューポラなしの仕様としては、ごく標準的なスタイルとなっている。

しかしそれだけではなくて、この前後のゴム縁付き転輪に、リムの幅が厚いもの(標準幅のもの)と薄いもの(緩衝ゴム内蔵転輪とほぼ同一幅)の2種類が入っていて、選択式になっているのだという。

穴開き転輪(スパイダーウェブ)でゴムリムが狭い転輪? そんなんあるんか?

ICMのキットは発売後間もなく、ハラT青木氏にもちょっと中身を聞いたような気もするのだが、そんなこと言ってたっけ?

……などなど、疑問が浮かんできたのだが、やはり根本は、「いったいそんな転輪があるのかどうか」。そもそも、ナット砲塔搭載型の極初期には、皿型転輪で薄いゴムリムのものがあるのには気付いていて、ずいぶん昔に「T-34 maniacs」の転輪解説ページでも書いたのだが、穴開き転輪は基本、すべて標準幅だと思い込んでいた。

●というわけで、、「いったいそんな転輪があるのかどうか」の検証。

ICMが新開発のキットにわざわざ入れるからには、最近見つかった車輌でそんな転輪を履いているのがあったのかもしれない、という推測で、今はクビンカにあるという「スナイペル(スナイパー)号」を見てみる。

これは割と最近(といっても、発掘風景の動画の日付は2003年だった)、沼地からほとんど当時のままの姿で掘り出されたという、いわば「タールの沼に落っこちてそのまま保存された恐竜」みたいなヤツで、現在は走行可能な状態にまでレストアされている。

これがいきなりビンゴで、なんと本当に薄いスパイダーウェブ転輪を履いているのだった。

walkaround写真では毎度お世話になっている「legion-afv.narod.ru」に、 「スナイペル号」の写真ページがある。特にこの写真は一目瞭然。

もちろん、レストア車輌の場合は「復元部品ではないのか」という疑問はつきものだが、発掘当時の動画を見ても、どうやら元からの部品で間違いなさそうだ。

●ところが。

ついでに他の車輌も見ていたら、薄い転輪を履いているのがいくつも出てきた。例えば、この「スミェリ(勇敢)号」。これも発掘風景がyoutubeに上がっている。

仕様としては「スナイペル号」とほとんど同じ。あるいは、モスクワにある「ドヴァトル(戦死した将軍の名)号」も。

そもそもこの3両は、砲塔に書かれた文字の位置、車体後面アクセスハッチに書かれたダイヤの部隊章(7/1)から見て、同じ部隊の所属で同じように発掘されたらしい。いくらなんでも戦車を泥に飲まれすぎなんじゃないのか、この部隊……。

もちろん、たまたま同一部隊のほぼ同じ仕様の車輌がまとめて残ったものなので、これだけで仕様がどれだけ一般的だったかは判断できない。しかし、narod.ruの写真を見ると、ヴェリーキエ・ルーキという街にあるというこの車輌も、ベールイという街のこの車輌も、細い転輪を履いている。現存例、ありすぎる!

というわけで、これまで不注意で見逃していたものの、実際には、そこそこ使用例のあるものらしいことが判った。うーん。さすがT-34、いつまで経っても知らないことがポコポコ出てくるな……。

●こうして、とにかく「薄い転輪もある」ということを判った上で資料を見ると、「あ、これも薄い転輪っぽい」という例がいくつか出てくる。それらも参考に、得られた知見を少しまとめてみる。

・戦車それ自体は、全体的な特徴から言えばとりあえず第183工場製。

000604e・履帯はほとんどが初期型500mm。起動輪は表面ディテールがのっぺりしていて、ローラーがなく単なる棒になっている簡易型が使われている場合が多い。しかし、簡易型起動輪だからといって、薄い転輪であるとは限らない。例えばこれ

・上では「初期型スパイダーウェブ転輪で薄いゴムリム」とだけ書いているが、「ドヴァトル号」で確認できるように、ディッシュ型(皿型)転輪で薄いゴムリムのものも併用されている。なお、この「薄い皿型転輪」は、ナット砲塔搭載最初期型で確認できるものと若干ディテールが違う。ナット砲塔最初期型に使われている物は、ホイール部周囲のリムがゴムリムよりもリング状に出っ張っていて目立つが、こちらはその突出がない。

・少なくとも現存車輌で見る限り、ナット砲塔の2つのハッチ間に、別体部分が作られていない。つまり、最初期型のナット砲塔(かつて「ラミネート」型と呼ばれていたもの)ほどではないものの、ナット砲塔としては比較的初期に作られたものらしいことが判る。これはハードエッジ砲塔、ソフトエッジ砲塔(例えば「スミェリ号」)を問わない。

・なお、一般的な浮き彫りになった鋳型(というか原型?)管理番号と同じ意味のものなのか判らないが、これらの砲塔は、後部に彫刻刀で浅く彫り込んだような窪みがあり、そこに文字/数字がケガいたように書き込まれているようだ。確認できる限り、ハードエッジ砲塔の場合右側面後ろ上部にあり、ソフトエッジ砲塔は後面左上にあるようだ。前者の例(ヴェーリエ・ルーキの車輌)がこれ、後者の例(スミェリ号)がこれ。彫り込み部分は表面が滑らかなので、鋳造時点で一緒に鋳込まれたものではなく、見た目通り後から彫り込んでいるのではと思われる。

・後面パネル左右のボルト列は、タミヤのキット同様の「中抜き」タイプ。排気管カバーは、標準型のほか柏葉型も。ファイナルギアハウジング形状もいろいろ。

・なお、この「薄い転輪」のゴムリムの穴・刻み目の数は、40個のものと42個のものがある。つまり、この「薄い転輪」のなかにさらにバリエーションがあることになる。

考え合わせると、ナット砲塔が搭載されるようになった型(いわゆる1942年型)でも比較的初期に生産された型に一時期のみ、しかしそこそこの数が使われたと考えられそうだ。他の部分の仕様との関連性、前後関係などについてはなお検討の要あり。

ちなみに、フィンランドに現存するT-34で薄い転輪を付けているものもあるが、これはどうやらBTの転輪をパクって来たらしいものが混じっているので注意。ただし、1942年型最初期型のR-155号車は、最初から薄い皿型転輪を混ぜて使っている。

●なぜこの薄い転輪が作られたのか、の若干の考察。

1941年型の後期(いわゆる戦時簡易型)から1942年型にかけては、とことん省部品化・省資材化・省力化が進められた時期でもある。ゴム資源節約のために真ん中の転輪は緩衝ゴム内蔵型を使うにしても、負荷のかかる前後はゴムリム付きを使っているわけだが、そこでも少しでも節約しようとゴムリムを細くした、というのは最もありそうな可能性ではと思う。

もっとも、単純に転輪1つあたりの使用ゴム量は減らせても、転輪を細くしたことで磨耗が大きくなり、結果的にあまり節約に繋がらず、結局元の幅に戻したのかもしれない。

ちなみに、1942年型最初期に使われた皿型転輪の薄いタイプの場合は、負荷の小さい中央3輪に使用され、最前部・最後部は標準幅の転輪が使われるのが普通のようだ。

もともと1942年型最初期に使われた薄い転輪に気付いた時から想像(妄想)していたのだが、余っていたBT用の転輪ゴムの在庫処分としてある程度の数が作られたというのも考えられなくもない気がする。

●7/20追記。

この細い転輪に関し、セータ☆氏も考察記事を書いている(曰く、「オレにも語らせろや」だそうだ)。

T-34の幅狭転輪(1)

T-34の幅狭転輪(2)

考察内容は一部私が上に書いたことと食い違うのだが、きちんと写真等も上げて説明していて説得性が高い。

氏によれば、幅の狭い転輪のゴムの穴・刻み目は40固定(BTも)だそうで、上で私が「40と42の2種類がある)と書いたのは、幅の広い転輪を狭い転輪と見間違えている可能性がある。

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