尾根の海軍標石
●26日、日曜日。昼過ぎ、逗子駅近くで開催されている「逗子のマルシェ」に行く。
毎月第4日曜日に開催されている小規模なフリマのようなイベントで、なんだかそんなことをやっている、というのは知っていたけれど、行くのは初めて。昼間前に行った娘が、「500円で出店の食べ物を何種類か選んで食べられるプレートがお得だった」というので、食い気に引きずられた。
ちなみに「フリーマーケット」という言葉は、「蚤の市」という定着した訳語があるにも関わらず、最近までそれが頭の中で結び付いておらず、「自由市場」(つまりfleaではなくfree)なのかと思っていた。もっとも最近はあえて、逆にfree marketと称している例もあるそうだ(間違えた言い訳をしているわけではない)。
●腹ごなしに、マルハナバチでも探しながら駅裏の道を歩いて、くるっと回って駅前に出ようなどと思って歩いていたら、「熊野神社」の案内板と鳥居を見つけた。
熊野神社はJR逗子駅の裏手にあたる「山の根」の鎮守とされる古い神社で(話によると源頼朝の勧請であるとか)、実はこれまで行ったことがなかった。社殿に向かって右側の山の斜面に古墳時代のものとされる横穴墓群がある。
とにかく山際の横穴にはこと欠かない逗子・鎌倉だが、四角くくりぬかれた「やぐら」(鎌倉~室町期の横穴墓)と違って、こちらはカマボコ形。一応、隣り合って3つ並んでいるのは確認できるが、実際にはもっと並んでいて、いくつか埋まっているらしい。
●横穴墓からさらに尾根上に上る道があり、ついつい突発的山歩きの旅に出る。あとからGoogleMapsで確認すると、どうも山の根と久木・池子の境界となる尾根筋を辿ったことになるらしいが、途中には、水道路(すいどうみち)とはまた別タイプの海軍標石が点々と存在している。
久木(元の久木村)のおよそ半分(東側)は海軍に接収され、谷の平地部には海軍の軍需工場(横須賀海軍工廠)の工員宿舎が作られ、山側はいわゆる「池子弾薬庫」の一部となった。平地部はその後返還されて、現在は学校や住宅地、地域の共同グラウンドなどに変わった。奥の山地は、なお在日米軍施設「池子住宅地区及び海軍補助施設」の一部となっていて、一応、久木地区の一部にはなっているものの、たぶん丁目も振られていない。
この尾根筋は、ちょうどその旧海軍の土地の境界であったらしいことが、この標石で判る。
●なんとなく、「ここは立ち入っていいのか悪いのかよーわからん」ままに歩いていたのだが、とりあえず尾根筋には細い道が続いていて、途中、ちょうど久木の共同グラウンド上あたりに案内札まで立っているのを見つけた。
ただし、市役所経済観光課が作って配布している「逗子市 ウォーキング・ハイキングガイド」には、この尾根道は記載されていない。
ちょっと光が反射して見づらいが、立て札は
左:聖和学院第2グラウンド
右:医療センター・山の根三丁目
裏ナナメ下:久木共同グラウンド
と書かれている。
このあともクネクネと道は続き、途中、やたらにクモの巣に顔を突っ込んだりしつつ歩く。道の大部分は、いかにも逗子・鎌倉らしい、両側共に急斜面のカミソリのような尾根の上を辿っている。
先の案内板に出ていた「医療センター」(池子米軍住宅地の入口脇にある)まで歩きたいと思ったのだが、適当に歩いていたら、山の根3丁目の端あたりを見下ろす、コンクリで固めた崖っぷちの真上で行き止まりになってしまって途方に暮れた。
結局、だいぶ後戻りして、山の根3丁目の谷戸の奥に下りた。逗子市民になってからだいぶ経つのだが、山の根の奥には初めて行った。
●以前、facebookの逗子のニュースグループで「『スタンド・バイ・ミー』っぽいよね」と話題に上がったこともある、山の根と池子の間あたりの線路。正式には総合車両製作所横浜事業所専用鉄道とか、横浜事業所回送線とかいうらしい。
京急神武寺駅辺りから分かれて京急線と並行して走り、このあたりからぐっとカーブしてJR横須賀線に接続する連絡線で、京浜急行の金沢八景駅近くの総合車両製作所(元の東急車輛)から、製造した新型車輌などを運び出す際に使われる。そのため、時折珍しい車輌を見ることができるので、鉄っちゃん達には割と知られたポイントであるらしい。
ちなみに京浜急行とJRその他では軌道幅が違うので、京急逗子線の神武寺~金沢八景~総合車両製作所間は、標準軌と狭軌の両方が走れる三線形式になっている(この場所はすでに京急から別れているので狭軌のみ)。
ところでこの線路・トンネルも、元をただせば池子弾薬庫の搬出用引込線として作られたもので、かつ、八景の海軍工廠(これが東急車輛~総合車両製作所になる)との連絡線だったのだという。後半部分の役割が(工場の中身は変わったが)現在も残っていることになる。
●オマケ。今月初めに写真を撮ってブログにはアップしそびれていたもの。
山の根地区と久木地区の間には「久木隧道」というトンネルがあって、もっぱら、久木のちょっと奥のほうに住んでいる方々の(あるいは、電車通学している聖和学院生徒の)駅への近道として)使われている。写真は左が山の根側(駅側)、右が久木側。
上でちょっと触れたように、戦時中、今の聖和学院から久木中学校にかけての一帯は、横須賀海軍工廠に勤める工員の宿舎20棟以上が建てられており、この久木隧道も、その通勤の利便のために作られたものである由。
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コメント
>フリーマーケット
し、知らなかった
時にこのトンネル、ひどく狭いようなんですけど、人も車も走る対面通行の道?
歩いて通るのすごく恐い感じがします。
投稿: はほ/~ | 2015年4月30日 (木) 20時21分
>はほちん
歩いて抜けましたが、そんなに怖い感じはしなかったような……?
近所には、逗子市小坪と鎌倉市材木座間に小坪隧道というこれよりずっと狭いトンネルがあります(お化けトンネルとして有名な名越隧道とセットの小坪隧道とは同名の別トンネル)。
一通なんですが、でかいバスも通ります。バスが入るところを見ると、そのきっちり感に、いつもところてんの「天つき」をイメージしてしまいます。
投稿: かば◎ | 2015年4月30日 (木) 23時29分