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2015年4月

リベットぷちぷち

●今年も週末模型親父さんのところのSUMICONが開催されることになっていて、5月1日スタート。一応、エントリーだけは済ませてあるのだが、作るキットは未定。

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なにぶんにも期間半年という長丁場のネットコンペなので、それなりにじっくり楽しめるネタでないと面白くない。と言いつつ、途中で行き詰って、結局最後でバタバタしたりするのだけれど。

Kits一応、今のところ候補と考えているのが、以下の3つ。

(1).TACAM R-2(CMK)

CMKがPz.Kpfw.35(t)のバリエーションキットとして発売したもの。発売したのっていつだったかなあ。なぜかこのキットはバウマンの箱入り、箱には日本語のキット名や解説も入っている。

その後、アカデミーやブロンコから35(t)の新キットが出てしまい、このご時勢だとそれらのバリエーションとして「TACAN R-2の新キットががががが」なんてこともあり得ないとは言えず、作るとすれば今しかないのかも、と思ったりする。

もっとも、戦闘室上部内側の砲弾ラックのパーツは入っているのだが、車体のほうの内部はがらんどうなのが悩ましい。その後出た弾薬運搬車型では車内パーツ入りのものもあって、また、TACAMも車内パーツ入り版が一時出たとどこかで読んだような覚えも。

(2).クブシュ(ミラージュ・ホビー)

昨夏発売の新キット。詳細はこちら。「作りたいキット」としては上位にあるのだが、手間がかかりそうなキットではあるものの、内部やシャーシは手の入れようがなく、特に装備品の類もないので、半年掛けるキットとしては不足感があるかも。

(3).I号戦車A型・ブレダ20mm搭載型(トライスターほか)

スペイン内乱時、フランコ軍による改造車輌。トライスターの旧版I号A型の成仏を兼ねて。MBとHiPMのキットは一応そのものズバリのタイプなのだが、どうにも情けない出来なので、引っ張り出して来たものの3個イチの材料としても参考品としてもあまり役立ちそうにない。

ほかにもMBのルノーD2とか、ドラゴン/サイバーのT-34 STZとか、あれこれ目移り中。

●「作りたいキット」上位ながら、CAMsのビッカース水陸両用戦車(Vickers Carden-Loyd Amphibious Tank A4E12)は、すでに少しいじってしまっているので、「お手付き禁止規定」に引っ掛かるので候補除外。もっともSUMICONとは関係なく、こっちはこっちでじわじわ製作の予定。

というわけで、砲塔の製作を少し進めてみた。

キットは非常にこだわりを感じる優れもので、基本、箱の中にあるものだけで素敵なA4E12が完成するはず。ただしパーツの成型には少し頼りない部分もあったりするので、その分の調整は不可欠。

F1018229 F1018230特に砲塔は戦車キットの場合「顔」にあたる部分でもあるので、とにかく念には念を入れてすり合わせをするようにしたい。例えばここのレビューでは砲塔や車体の合わせに若干のパテを使っているが、入念なすり合わせを行えば、パテを使わずに済む程度にはピッタリ行く。

砲塔後面パーツは、上辺にわずかに樹脂の回りが足りていない部分があったので、プラ材を足して削った。写真右で、白くなっているのが足した部分。

キットレビューの際に書いたように、キットの砲塔は成型の都合で、一部のリベットが涙滴形になっている。そのうち、変形が著しい部分に関してはリベットを植え替えることにした。一応、マスタークラブのレジン製リベットを植えるつもりで、ドリルで穴を開けたのだが、買い置きの丸頭リベットは0.7mmと0.5mmしかなく、前者は大きくて後者だと小さすぎる感じ。ただし、実車でもやや小さめのリベットを使っているように見える、後面ビジョンポートと、前方リベット列下横の2つのリベットには0.5mmを用いた。上の写真でもその部分はすでにマスタークラブのリベットを植えてある(ビジョンポート左辺の、植え替えた3本がきちんと一列になっていないのはちょっと恥ずかしい)。

F1019752 F1019753というわけで、メインのリベット列には0.6mmを新たに仕入れて使いたかったのだが、どういうわけか、どこも0.6mmだけは在庫切れ。仕方がないので、タミヤ1:48のマーダーIIIの車体下部からリベットを削ぎ取ってきて使った。穴を開けた意味無し!

タミヤのソミュアのように、部品の合いだの精度だのに関してまったく何の心配もないキットというのはもちろんよいのだけれど、少々すり合わせや組み立てに手間と注意が必要でも、マニアックに考証にこだわったこういうキットは、作っていてなんとも楽しい。

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尾根の海軍標石

●26日、日曜日。昼過ぎ、逗子駅近くで開催されている「逗子のマルシェ」に行く。

毎月第4日曜日に開催されている小規模なフリマのようなイベントで、なんだかそんなことをやっている、というのは知っていたけれど、行くのは初めて。昼間前に行った娘が、「500円で出店の食べ物を何種類か選んで食べられるプレートがお得だった」というので、食い気に引きずられた。

ちなみに「フリーマーケット」という言葉は、「蚤の市」という定着した訳語があるにも関わらず、最近までそれが頭の中で結び付いておらず、「自由市場」(つまりfleaではなくfree)なのかと思っていた。もっとも最近はあえて、逆にfree marketと称している例もあるそうだ(間違えた言い訳をしているわけではない)。

●腹ごなしに、マルハナバチでも探しながら駅裏の道を歩いて、くるっと回って駅前に出ようなどと思って歩いていたら、「熊野神社」の案内板と鳥居を見つけた。

F1019636熊野神社はJR逗子駅の裏手にあたる「山の根」の鎮守とされる古い神社で(話によると源頼朝の勧請であるとか)、実はこれまで行ったことがなかった。社殿に向かって右側の山の斜面に古墳時代のものとされる横穴墓群がある。

とにかく山際の横穴にはこと欠かない逗子・鎌倉だが、四角くくりぬかれた「やぐら」(鎌倉~室町期の横穴墓)と違って、こちらはカマボコ形。一応、隣り合って3つ並んでいるのは確認できるが、実際にはもっと並んでいて、いくつか埋まっているらしい。

●横穴墓からさらに尾根上に上る道があり、ついつい突発的山歩きの旅に出る。あとからGoogleMapsで確認すると、どうも山の根と久木・池子の境界となる尾根筋を辿ったことになるらしいが、途中には、水道路(すいどうみち)とはまた別タイプの海軍標石が点々と存在している。

F1019632 F1019631 F1019629 F1019626 F1019625 F1019619 F1019617 F1019616

久木(元の久木村)のおよそ半分(東側)は海軍に接収され、谷の平地部には海軍の軍需工場(横須賀海軍工廠)の工員宿舎が作られ、山側はいわゆる「池子弾薬庫」の一部となった。平地部はその後返還されて、現在は学校や住宅地、地域の共同グラウンドなどに変わった。奥の山地は、なお在日米軍施設「池子住宅地区及び海軍補助施設」の一部となっていて、一応、久木地区の一部にはなっているものの、たぶん丁目も振られていない。

この尾根筋は、ちょうどその旧海軍の土地の境界であったらしいことが、この標石で判る。

F1019623●なんとなく、「ここは立ち入っていいのか悪いのかよーわからん」ままに歩いていたのだが、とりあえず尾根筋には細い道が続いていて、途中、ちょうど久木の共同グラウンド上あたりに案内札まで立っているのを見つけた。

ただし、市役所経済観光課が作って配布している「逗子市 ウォーキング・ハイキングガイド」には、この尾根道は記載されていない。

ちょっと光が反射して見づらいが、立て札は

左:聖和学院第2グラウンド
右:医療センター・山の根三丁目
裏ナナメ下:久木共同グラウンド

と書かれている。

F1019620このあともクネクネと道は続き、途中、やたらにクモの巣に顔を突っ込んだりしつつ歩く。道の大部分は、いかにも逗子・鎌倉らしい、両側共に急斜面のカミソリのような尾根の上を辿っている。

先の案内板に出ていた「医療センター」(池子米軍住宅地の入口脇にある)まで歩きたいと思ったのだが、適当に歩いていたら、山の根3丁目の端あたりを見下ろす、コンクリで固めた崖っぷちの真上で行き止まりになってしまって途方に暮れた。

結局、だいぶ後戻りして、山の根3丁目の谷戸の奥に下りた。逗子市民になってからだいぶ経つのだが、山の根の奥には初めて行った。

F1019591●以前、facebookの逗子のニュースグループで「『スタンド・バイ・ミー』っぽいよね」と話題に上がったこともある、山の根と池子の間あたりの線路。正式には総合車両製作所横浜事業所専用鉄道とか、横浜事業所回送線とかいうらしい。

京急神武寺駅辺りから分かれて京急線と並行して走り、このあたりからぐっとカーブしてJR横須賀線に接続する連絡線で、京浜急行の金沢八景駅近くの総合車両製作所(元の東急車輛)から、製造した新型車輌などを運び出す際に使われる。そのため、時折珍しい車輌を見ることができるので、鉄っちゃん達には割と知られたポイントであるらしい。

ちなみに京浜急行とJRその他では軌道幅が違うので、京急逗子線の神武寺~金沢八景~総合車両製作所間は、標準軌と狭軌の両方が走れる三線形式になっている(この場所はすでに京急から別れているので狭軌のみ)。

ところでこの線路・トンネルも、元をただせば池子弾薬庫の搬出用引込線として作られたもので、かつ、八景の海軍工廠(これが東急車輛~総合車両製作所になる)との連絡線だったのだという。後半部分の役割が(工場の中身は変わったが)現在も残っていることになる。

F1018679 F1018688●オマケ。今月初めに写真を撮ってブログにはアップしそびれていたもの。

山の根地区と久木地区の間には「久木隧道」というトンネルがあって、もっぱら、久木のちょっと奥のほうに住んでいる方々の(あるいは、電車通学している聖和学院生徒の)駅への近道として)使われている。写真は左が山の根側(駅側)、右が久木側。

上でちょっと触れたように、戦時中、今の聖和学院から久木中学校にかけての一帯は、横須賀海軍工廠に勤める工員の宿舎20棟以上が建てられており、この久木隧道も、その通勤の利便のために作られたものである由。

F1018683 トンネル内は改修工事を経ているものの、工事の銘板は塗り込められることなく残っている。夕方撮ったのでナトリウム灯の下で読みづらいが、

皇紀二千六百年
工事請負人
山口清造

と書かれている(実物は右横書き)。竣工年(たぶん)が元号でなく皇紀で書かれているのが、軍用隧道の名残りを留めているような感じがする。皇紀2600年(西暦1940年)、しかも海軍なので、言わば「零式隧道」ですな(陸軍だったら「一〇〇式隧道」)。

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ソミュア!(砲塔関連で補遺その3)

●ソミュアS35についての「あーでもないこーでもない」の4回目。

実を言うと、迷彩パターンについての考察を若干書いて終わりにしようと思ったのだけれど、キューポラ周りをいじりっているうち、砲塔の形やらディテールやらがやはり気になりだしてしまった。

F1019656●とりあえず、いじっているキューポラに関してはこんな感じ。我ながら、なんでこんなところから手を入れ始めるかなあ、という気もしないでもない。手を入れたポイントは、

  • 砲塔上面、キューポラに対応して窪んでいる部分に0.5mm板を貼って、逆に出っ張らせる。
  • その分、キューポラ本体の底を削って薄く。
  • キューポラの縁取りを加工。
  • 上面に、「少林寺穴」を追加。綺麗に六文銭に並んでいるわけではなく、手前側に向けすぼまっている感じ。なお、B1bisの現存車輌の写真では頂部に小穴が開いているものもあるが、開いていないものもあり、どちらが一般的なのか判断もできなかったので開けていない。
  • シャッターのある面に2ヶ所のネジ。これはB1bisの現存車輌のうち、ボーヴィントンの車輌にはないようだ。ソミュアにもそんな仕様のものがあるかもしれない。
  • 3カ所の吊り下げフックの追加。

写真右側のフラップのヒンジの隙間はまだ消していない。

F1019659●P.Danjou, "FOCUS No.2 SOMUA S35"(EDITION DU BARBOTIN)にほぼ砲塔真上からの写真があった(残念ながら全景ではない)。やはり、タミヤのソミュアの砲塔は、右前部が張り出しすぎているようだ。

砲塔上面右辺は、ほぼ前後軸と並行くらいの感じ。信号旗ハッチのバルジと右辺とも、もうちょっと近い感じ(これは信号機ハッチのバルジが小さめな可能性もある)。

すでに側面スリットブロックもはめ込んでがっちり接着してしまっているので、あまり本格的な削り直しはできないのだが、若干、角を引っ込めた。……けれど、あまり変わっていませんな。

●先日、みやまえさんに教えていただいた砲塔上面の「信号旗ハッチの向きにバリエーションがある」件についての補足。

先述のように、タミヤのキットはヒンジが前方向にあり、ソミュールの実車もそうなっているのだが、M10664号車では斜めに付いている。

ボーヴィントン、元アバディーン、クビンカの実車でも確認したいところだが、今のところ、砲塔上面の写真は見当たらない。

さて、ソミュアの現存実車は以上の4輌(のはず)だが、砲塔に限ればまだあることを思い出した。ソミュールが保有するシャールB1bisのうち、砲塔にRhôneと書かれているほうは、元のAPX-4砲塔が失われたか、あるいは元からなかったのか、とにかくレストア時にソミュアS35のAPX 1 CE砲塔を載せているのである。

これについて私は気付かず、いつだったか、柳瀬ばお氏から、「あれ、形が違うよね、ソミュアのだよね」と言われてビックリしたような記憶がある。

……と、いかにもいいところに気が付いた、みたいに書いているが、実のところ、この仮称ローヌ号の上面写真も見つけられなかった。長い前置き意味無し!

ところが、「Surviving French WW2 Tanks (PDF)」を見ると、もうひとつ、ASPHM Associationというところがレストア中のB1が、ソミュアの砲塔を載せていると書かれている(そもそもB1bisではなく、B1が現存しているというのがまた驚き)。実際、掲載された写真でソミュアの砲塔であることは確認できるのだが、わずかに写った上面では、ヒンジ位置はどう判断していいか微妙なところ。というわけでweb上に他に写真がないか探してみたのだが……。

ASPHM Associationという組織自体がサイトを持っていて、ある程度の写真をアップしていた。ここがB1のページ。……というところまでたどり着いたのはいいのだが、いつの間にか、砲塔はソミュアのもの(APX 1 CE)ではなく、APX-4に変わっていた。どこからかB1bisの砲塔を持ってきたのか、あるいはB1自体もAPX-1からAPX-4に交換した例もあるから、もともとこの車輌のものだった可能性も否定できない(まあ、その場合一時的ではあれCEを載せる理由もなさそうだが)。

というわけでこれまた不発に終わったのだけれど、ここで新たな疑問。このB1のAPX-4砲塔の信号旗ハッチ、どうやらヒンジ位置が後方にありそうなのだ(ハッチ自体は取れているが)。ちなみにタミヤのB1bisのAPX-4砲塔のパーツは、ソミュア同様、ヒンジは前方にある。フランス、ムーメロンの現存車輌では前方にあるから、誤りではない。しかし改めて資料をひっくり返すと、ボーヴィントンの車輌は後方(後面ハッチの辺方向)にある。当時の写真でも、例えばNo.339/AISNEなどで確認できる。

なんだかますますこんがらかってきた。

●いずれD2用にAPX-1砲塔を作る時のための備忘録。

B1bisのAPX-4砲塔と、ソミュアS35のAPX 1 CE砲塔とでは、主砲と機銃の防盾は基本同じもののようだが、APX-1砲塔では機銃防盾の形状が違う(砲塔上面の傾斜が違うようなので、違っていてアタリマエなのかもしれないが)。

APX-1砲塔の機銃防盾のほうが上半の傾斜はもっと素直な感じで、照準孔が大きい。また、上辺が単純な円弧ではなく切り欠きがある。

主砲防盾はそもそも主砲がSA34かSA35かで違うのは当然なのだが、APX-1砲塔にSA35を載せている場合の防盾はどうなのかはよく判らない。単純に新型砲塔用の砲を防盾ごとくっつけている可能性もありそう。

(以下、4/29追記)

上で機銃防盾につき、APX-1用とAPX-4用/APX 1CE用とでは上部の形状が違うと書いているが、下部の形状もまるっきり違っていた(要するに全体的に違う)。APX-4用/APX 1CE用では下端も平らになっているが、APX-1用ではカマボコ形。

また、APX-1とAPX-4/APX 1CEとでは、キューポラ形状にも違いがある(キューポラくらいはそのまま使えるかと思った!)。APX-4用/APX 1CE用では上方に跳ね上げる形になっている側部のフラップだが、APX-1では、R35やH35用のAPX R砲塔の半球形キューポラに似た、田んぼマークのようなスライドシャッターが付いている。前後幅ももうちょっと詰まっている感じ。

砲塔全体形に関しても、前半上面の傾斜がきつい? ちょっと痩せた感じ?……などとボンヤリ思っていたわけだが、どうも上面の角度の切り替えはもっと前方にあり(つまり後半の水平部が広い)、キューポラがもう少し前にあるような気がしてきた。信号旗用小ハッチもAPX-4用/APX 1CE用のように「おおよそ3時半の方向」ではなく、「5時の方向」くらいにあるようだ。

タミヤのB1bisのパーツから作るのがよさそう、というのは変わらないにしても、その作業は結構しんどいものになりそうだ。うーん。MBのルノーD2、まともに作ろうとする時が来るかな……。

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観音パワー

F1019344●22日水曜日。日帰り出張で仙台。「はつね」になりそびれたE5系「はやぶさ」に、たぶん初めて乗る。

先頭車両の全体形などは、いくらでもネットに格好いい写真が転がっているので、それを見てくれたまへ。

F1019340●行きは東京駅中央コンコースの駅弁屋「祭」で、厚岸の「たらば蟹かきめし」を買って車内で食べる。いつも売っている「かきめし」の豪華版的なもの。牡蠣の煮汁とヒジキで炊いた飯の味付は若干濃い目。

「行かなきゃ食えない」価値は減るけれど、日本全国の駅弁を選んで買えるのは楽しい。同行の新宿C社のC社長もたまたま同じ弁当を買っていた。

仙台もよく晴れて暖かい一日。しかし東京まで戻ってきたら雨だった。

●24日金曜日。あまりにぽかぽか暖かいので仕事をさぼって(ダメな大人だ!)散歩にさまよい出る。

F1019379 これだけ暖かければあちこち花も咲いてマルハナバチも出ているだろうし、鎌倉国宝館で開かれている企画展「長谷寺と鎌倉の至宝」も見に行きたいし、というのが主な目的。

鎌倉国宝館の企画展は、「ミホトケをヒモトケ!」とか「ぶつぞうまんさい!」とか「今年の夏は仏像ざんまい!」とか、常に脱力系のコピーが付いているが、今回は「観音パワー全開!!」。安定のクォリティ。最初は、「いやいや、そりゃないだろう」と思っていたのだが、だんだんこれでいいような気がしてきた。慣れって怖いね。

今回の企画展の見どころは、長谷寺所蔵の三十三応現身像(観音の33種の化身の像)が全種展示され間近に見られること。三十三応現身像は、愛知県春日井市の勝嶽山円福寺と、鎌倉の長谷寺にしか現存例のないものだそうだ。

F1019378鎌倉国宝館は大部屋ひとつが展示スペースで、その半分が常設展、もう半分が企画展。常設展も鎌倉の仏像の逸品をかぶりつきで見られるのが非常によい。鎌倉の寺のなかでも、十王像が見られる円応寺は大好きなのだが、その十王の中でも傑作とされる初江王坐像や、二体の倶生神坐像などは国宝館にある。

右は国宝館入口に咲いていた、ちょっと変わった花びらのツツジ。たぶんホシグルマとかいう品種。

●若宮大路の、鶴岡八幡宮(三の鳥居)にもほど近いところ(雪ノ下一丁目8)に立っている丸ポスト(No.28)。

ずいぶん前にも紹介済みだが、おそらく鎌倉市内の丸ポストのなかでも最もメジャーな存在(最もたくさんの観光客が通りかかるという意味で)。しかし、現在は背景の段葛が修復中、しかも正面の商店がなくなって更地になってしまい、なんとも寒々しい姿に。

それにしてもこの敷地、奥が深い……。

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●まんだら堂やぐら群、25日から5月1日まで、晩春の限定公開。春の初めの梅の頃もよいが、波しぶきのような勢いの新緑の中のやぐら群も良し。公開前日も、ちょっと覗いたら準備作業のためにゲートが開いていて、少し覗かせてもらえた。初日も、今季最後(たぶん)のノビル収穫のついでにまた行く。

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●ここ何日かの間に撮ったハナバチ+α。

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一応順番にキャプションを書いておくと、

  • 鎌倉市役所駐車場のツツジに来ていたコマルハナバチ(4/24)。
  • 鶴岡八幡宮、三の鳥居脇の植込みのヒゲナガハナバチ。ニッポン~なのかシロスジ~なのか区別できず(4/24)。
  • 常栄寺の菜の花に来ていた種類不明のハナバチ。ミツバチサイズ(4/24)。
  • 同じく常栄寺のセイヨウミツバチ(4/24)。
  • ハナバチに続いて獰猛な連中も活動開始。モンスズメバチ。常栄寺(4/24)。なお、25日に法性寺山王権現で4cmを越えそうな巨大なスズメバチ(たぶんオオスズメバチの女王)を見た。
  • 別願寺のフジに来ていたキムネクマバチ(4/24)。
  • 安国論寺の門前のツツジに来ていたコマルハナバチ。ピンボケだがころっとした飛行シーンが可愛い(4/24)。
  • 同じく安国論寺。ワカバグモに捕まってしまった小さなハナバチ(4/24)。
  • 亀団で見かけた種類不明のハナバチ。ヒゲナガハナバチのメス?(4/25)
  • 種類不明のハナバチ。大切岸のタンポポで(4/21)。
  • 再び安国論寺の門前のツツジのコマルハナバチ(4/24)。

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春のお裾分け

●春のお裾分けあれこれ。

F1019046F1019015しばらくぐずついた天気が続いた間に、イタドリはもうだいぶ伸びてしまい、今年は食わずに終わるかと思ったが、ちょっと日陰にまだ若くてしっかり太い芽を見つけて収穫(15日)。

右はピーラーで皮を剥いたところ。このあとさっと茹でて水に晒してアク抜き。昨年同様、オリーブオイルでニンニク、ベーコンと炒めて食べた。

F1019042ノビルは、春先にすっかり草刈りされてしまって今年はほとんど食えないかと思ったのだが、その後また伸びてきたので、例によって浅く塩漬けで食べているほか、先週末はネギ焼き(牛スジやこんにゃくは入っていない、純粋ネギ焼き)も作って食べた。

右は塩漬け。いつもは葉ごと漬けるが、この時はネギ焼き(こちらは葉が主役)用に落とした。

これはあと1、2回収穫できそう。

F1018999それからもうひとつ。逗子・鎌倉の山には結構アケビが生えていて、この時季、地味ながらちょっと可愛い花を咲かせていたりする(左はミツバアケビの花)。

それでいて実が付いているのは見たことがないので惜しいと思っていたのだが、とある人から、アケビは芽が美味しいと教わった。

特別に美味そうと思ったわけではないが、「まあ、食えるのなら一度試しに」くらいの気持ちで、山道を散歩しながら少々収穫してみた。ウェブで調べて、さっと茹でて水に晒して下拵え。オーソドックスな食べ方であるらしい、とき卵+醤油に付けて食べてみた。歯触りといい、気持ちのいいほろ苦さといい、意外なほど美味かった。いや、食べ慣れている人からすれば「今さら?」だろうけれど。

F1019126 妙に気に入ってしまい、19日日曜日、なるべく別のルートを歩いて再び、今度はある程度の量を収穫。調べてみると、通販では150gで1000円前後となかなか高級品。確かに、あちこちに生えているといっても芽の収穫は「あっちから1、2本、こっちから1、2本」という具合なので、商売向けに採るのは大変そう。もっとも散歩しつつ採るには都合が良い。

収穫時には、爪先で無理なくぷちっと折り取れる柔らかさのある部分を。なお、改めて注意してみると、逗子の山のアケビはミツバアケビが圧倒的で、長円の5つ葉の(無印の)アケビはそれほど多くない。ただし、芽先を食べる場合、ミツバアケビのほうが芽が太めで柔らかく好都合だそうだ。これは今季、できればもう一度くらい食べたい感じ。

●ちょっと遡るが、12日の「鎌倉まつり」初日、1年でこの期間内だけ公開される「覚賢塔」を見に、浄光明寺に行った。去年、こっそり“裏口”から訪ねたことがあるのだが、今回は堂々と表玄関(浄光明寺)から。

F1018966F1018970浄光明寺からは、仏殿(阿弥陀堂)裏から上って網引地蔵、冷泉為相墓を通り、この時期だけ開いている木戸をくぐって、小さな尾根をひとつ越えて歩く感じ。

以前も書いたが、もともとは多宝寺という寺のあった谷戸奥で、おそらく鎌倉で2番目に大きい五輪塔(高さ約3m)。

とはいえ、表面に何か模様があるわけではなくただ大きいだけで、回りに比較対照もないので、こうして塔だけ撮ると大きいやら小さいやらまったく判らない。昨年撮った写真とも、まったく代わり映えがしない。一応、屋根部分(火輪)のヤマザクラの花びらで大きさを察していただければと。

●その他、浄光明寺関連写真。

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左:浄光明寺、客殿脇奥の通行止め石段。脇に新しい通路があり、この上に仏殿、収蔵庫がある。
右:網引地蔵前平場のキランソウ。

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左:網引地蔵。大きなやぐらの中に安置されている。
右:網引地蔵前平場のやぐら。

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左:網引地蔵前平場のやぐらをもうひとつ。掘りぬいてトンネルになっており、柵があって通行止めだが、伝・相馬師常墓のやぐら上に抜ける。
右:平場の桜に来ていたビロウドツリアブ。もふもふのせいでピンボケがますますピンボケ。

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左:冷泉為相墓前から見た鎌倉市街。鎌倉駅がちょうど縦に見える。
中:冷泉為相墓裏、石塔がぎっしり詰まったやぐら。普段は柵に遮られているが、この時期は近寄って覗き込める。
右:冷泉為相墓の宝篋印塔。

F1019151●県道311号の小坪トンネル群脇の水道トンネル(名越送水管路ずい道)は、大町側出口はよく見えるが、久木側(逗子側)はだいぶ柵の奥で近寄れない。が、日曜の散歩の途中、藪が茂っていない時季だからか、道路際から柵越しにちょっとだけ見ることができた。

ちなみにこの送水管路は半原系だけのものかと思っていたら、巨福呂坂を抜けてきた有馬系水道も、材木座の「水道路」交差点あたりで半原系と合わさり、その後並行して逗子市内を抜けているらしい。

半原系は取水停止になっただけでなく上流では管路の撤去も行われているそうだが、ということは、この水道トンネルはまだ現役ということになる。

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ソミュア!(深みにはまって補遺その2)

●最初はさらっとエレールとのキットとの比較をして、やっぱり新キットっていいよね~みたいなところで終わろうと思っていたのだけれど、調べ始めると細部ディテールのあれやこれや、よく判らない部分が多々あって、逆に面白くなってついつい深みに。

というわけで、タミヤのソミュアS35、キット・レビューのしつこく3回目。

●SOMUA S35の車輌登録番号について。

例えば、ルノーR35は50001号車から一直線に番号を割り振られている。SOMUA S35もそうであってくれればいいものを、なぜか生産バッチによって(?)番号が飛び飛びで、しかも付け方そのものに一貫性が感じられない。

Pascal Danjouの“TRACKSTORY”によれば、ソミュアの登録番号は以下のようになっているそうだ(左の太字)。

  • 67 200~ (67 209~67 273、一部M付き)
  • 22 330~ (22 317~22 417)
  • M 800~ (M 821~M 898)
  • M 900~ (M 902~M 914、あるいはM 933?)
  • M 10 700~ (M 10634~M 10758)
  • M 55 000~ (M 50210~M 50343)

ただし、網羅されているかどうかワカラン、という但し書き付き。例えば「22 317」と読める写真もあるので、上のリスト2行目は「22 300~」である可能性がある。char-francois.netに掲載された実車写真の登録番号のそれぞれの段の最小・最大を赤字で右に補った。なお、char-francois.netは実車写真から読み取った番号を写真データに書き込んだり、ファイル名に使ったりしているが、なかには本当にその番号なのかアヤシイものも混じっている(たとえばM 933として出ている写真は数字3桁目が隠れて見えない)。

どれが古く、どれが新しいのかも何だかよくわからない番号の付け方である。なお、Mが付いているのは番号体系が違うのかと思ったら、67200番台でもMが付いているものが混じっている(M 67222、M 67264など)。Mはミリテール(Militaire)だろうか? また、M800番台とM900番台はそのまま連続番号なのではないかと思う。

最初の50輌に使われたとされる短ピッチの履帯は、67 200番台の車輌にのみ見られるようだ。67 240番台ですでに長ピッチの履帯の車輌もあるが、これはあとから改修されたものか? しかしその一方で、67270番台でも短ピッチの車輌がある。……実は短ピッチ履帯装着車は50輌以上あったのか、それとも登録番号が生産順ときっちりリンクしていないのか。あるいは番号が飛び飛びなのか。旧アバディーンの展示車は長ピッチだが、初期の60輌に含まれると、「Surviving French WW2 Tanks (PDF)」に書かれている。謎多し。

とはいえ、とにかく最初の段が第1生産シリーズであるらしい、ということくらいは言えそうだ。

なお、「1001619」(?)なんていう長ったらしい番号を背負った実車写真もあるのだが、これは1944年のフランス解放の戦いの際のものなので、元の登録番号と関係なく新たに割り振られたものと考えられる。

●前回、前々回に触れた部分も含めて(また、その訂正も含めて)、タミヤの新キットのディテールチェック。

今後、実際に製作する際の備忘録としてのメモ。

できれば手を加えたい部分、手を加えようか判断に迷う部分、気付きはしたもののスルーするであろう部分が入り混じっているので、参考にする方は各自ご判断を。個人的に「気になり度」が高い部分については太字にした(手を付けるかどうかは別として)。もちろん、以下はあくまで私の見立てなので、間違っている箇所もあるかもあるかもしれない。

新キットの粗をあげつらってケチを付けようという意図は無く、基本的にはよいキットだと思う。そもそも、多少は手の入れどころがなければ面白くないではないか(根本的に間違えていて手の付けようがない、なんて部分があったりすると困るわけだが)。

UP後に判明したこと、追加・訂正等は赤字で追加した(画像リンク追加等は除く)。

F1019039●足回り

(写真はこの後、サスが全部カバーに隠れてしまうので、もったいなくて撮っただけ)

▼起動輪

・表面に鋳造管理番号が入っているものあり(例えばソミュールの実車)。

・ごく薄く短い放射状のリブが確認できるものあり(例えばソミュールの実車)。

・タミヤのキットになく、エレールのキットにある、表面2カ所のアクセスパネルは、当時の実車写真でも(少数だが)確認できるものがある。ボーヴィントンの現存車にもあり。

・キャップ部、対象位置で2カ所、コイン状の薄い凸あり。

スクレーパーが綺麗さっぱり省略されている。形状もなんだか微妙なうえ、足回りの装甲カバー(C8、C9)後端に付けられているので、追加工作の手順的にもちょっと悩ましい。

・車体側、ファイナルギアハウジング内側上部の突起のボルト頭省略。グリース注入口か?(車体下部の項に書くべきだった?)

▼誘導輪

両面ともが同形状(表側の形状?)になってしまっている。詳細は前々回参照。ただし前々回、裏側は六角ボルトの一辺をさらに少し切り落としたものと書いたが、よくよく見ると、丸平頭の一部を切り落としたもののようだ。

・誘導輪表面に関しても、鋳造肌の上に座金とナットが乗っているが、実際には、座金とナットが乗る部分は機械加工で平滑にされている。

・誘導輪基部、特に車体側のディテール。キットは、おそらくそのほうが強度的に都合がいいと考えたのだろうが、誘導輪軸が車体下部前面に接続している。実際にはここは素通しで、軸受けは下側の突起(レール)に乗っている。軸受け上のナット省略。

・軸受けが乗るレールと車体下部との接合。前から見た時の接合部の角度が、実車はもうちょっと寝ているような気がする。

▼装甲カバー

・たまたま私のキットがそうだっただけか、部品形状に起因する一般的問題なのか判らないが、カバー前端の起動輪に掛かる部分がわずかに内側に向けて反りが生じていた。指でグニグニすればなんとかなるレベル。

▼履帯

・前述のように、初期生産型はピッチが短い履帯を使用しているので、当時の写真から特定車輌を作りたいと思った場合などは注意が必要。例えばこの写真では、短ピッチタイプと標準タイプが一緒に写っているので違いが判りやすい。ちなみに写っている車輌は、向こう側の短ピッチの履帯のものが67240号車、手前の標準ピッチはM886号車。基本、短ピッチを履いていれば67200番台の車輌と判断できるが、逆は真ではない。例えば67248号車は番号がはっきり確認できて、標準ピッチ履帯を履いている。

●車体下部

・本来は鋳造の左右2ブロックを中心線で結合している。キットは左右側面と前面が別パーツ。底面の接着ラインはどうせ見えないのでいいとして、前面と後面の左右端にわずかに覗く接着ラインは消したい。

・車体下部左右ブロックの結合は、基本、車内側でボルト結合しているようだが、1カ所、後面の牽引具の真下は、外側にボルト結合用の突起がある。キットではまったく省略されている。ソミュール、ボーヴィントンの車輌で見る限りでは、右がボルト頭で左がナットのようだ。

・車体下部後面、アクセスパネルA31は、キットでは右側のみに付けるよう指示されているが、これは両側に付いている車輌もある。キットにA31は2つ付いていて、取り付け穴開けガイドも左側にもある。写真ではっきり確認できるところでは、M832号車M854号車M886号車M902号車は両側にある。M800~M900は全部そういう仕様、というなら話は楽だが、上記番号の間の車輌(例えばM846号車とか)でも無かったりするので、激しく謎。

・車体下部後面、右中央寄りと左端近く、それぞれ4つ固まったリベット省略。何らかの内部装備に対応したものと思われる。リベットは車体から単純に出っ張っているわけではなく、半埋め込み。

・後面の牽引具は2種類付いていて、初期型、後期型なのかと思ったのだが、char-francois.netの写真でみても登録番号との因果関係がよく判らない。

・牽引具のフック上部の外れ止めは開いた形にモールドされているが、これは、チェーンのリングパーツを入れやすいようにそうしているだけで、実車は通常、閉位置なのではないかと思う。

・制動灯(透明パーツG4)は、実物は左右の上下に小さなフランジがあって、その部分で車体にリベット止めされている。ソミュールの実車等では制動灯が失われているので、逆台形のリベット位置が確認できる。台形のリベットの中にもうひとつ小リベットがあるが、これは電源コードの引き込み部か。

●車体上部

▼前半ブロック

・(パーツの抜きの関係で)操縦席バルジ周りの表現が不十分。(1).前面バイザー上は、もう少し明瞭に庇状に出っ張っている。(2).バルジ右面のバイザーブロックはぼやけた表現だが、実際はスリット上の出っ張りは別体(3カ所のマイナス皿ネジで固定)、さらにその周りに3カ所のリベット。リベット自体は、ポーランド戦車のように2辺を切り欠いた尖頭タイプで、周囲は浅く埋め込み穴が掘られている。タミヤも気を使って、うっすらと位置を示す窪みがある。(3).左右にあるバイザー軸部のディテール不足。軸穴がないだけでなく、車体側の形状もいまひとつ。

・操縦手用前面バイザーは、キットでは開位置がデフォ。透明部品でビジョンヴロックのパーツも用意されているが、内側左に付く角度固定用アームが省略されている。

・アンテナポストの雨水抜き穴の省略。これは後半ブロックも同様。

・フェンダー固定用の小ボルトに対応し、車体ブロック側に(部分的に?)逃げ溝が掘られている。車体後半ブロックも同様。ただし、これはどうやら個体差(生産時期の差?)がある。例えばボーヴィントンの車輌ではかなり顕著かつ明確に掘ってあるが、ソミュールの実車では目立たない。

・操縦席左側バイザー下の車体側面に、鋳造管理番号が付いている車体あり。ボーヴィントンの実車の場合は、「KO S No 57 E」と書かれているようだ(Sの字は重ねて×印)。操縦手用バイザーにも鋳造管理番号(ソミュール、ボーヴィントン)。

・前照灯カバー前面のメッシュが省略されている。いずれ他社から出るであろうエッチングには必ず含まれそう。

・車体側部の手すり状パーツの横棒はロッドではなくパイプ。

▼後半ブロック

上面のグリル(右側)の形状の誤り。実車は4枚のパネルが同一形状だが、キットでは右パーツ(B5)のパターンが鏡写しになってしまっている。

・グリルのパーツ(B5、B6)のうち、枠部分は実際には車体上部ブロックの一部。したがって、継ぎ目はなるべく綺麗に消したい。

・右側面、前後ブロック分割線とエンジンルームアクセスハッチの間に、鋳造管理番号が付いている車体あり。ボーヴィントンの実車の場合は、「KO S No 58 E」と書かれているようだ(Sの字は重ねて×印)。ただし、キット指定の通りに工具箱を付けると隠れる。

・鋳造部品に特有の表面の荒れや歪みに関し、上に被さる形のハッチやアクセスパネル類は周囲に隙間が出来ないよう、実車では周囲を一段高くモールドした上で平らに削る処理が行われている。そのため、(場所によって多少の違いはあるが)ハッチ/パネル周囲は、縁取りをしたように薄く一段盛り上がっていることが多いが、キットではほぼ無視されている。

・車体後面のパネル(C4)ではこの段差が表現されているが、その段差が車体側ではなくパネル側と一体化されている(おそらく抜きの関係で車体側にモールドしづらかった?)。

・もうひとつ関連して。エンジンルーム側面ハッチ下の「ボルト逃げ溝」は、キットではハッチ開口部まで達しているものがあるが、実際にはハッチが被る部分は埋まっているようだ。ただし、そうなっていない(つまりキットのように隙間入りになってしまう)ように見える車輌もある。

・ハッチ類に鋳造管理番号が鋳込まれているものあり。コイン状の凸部確認できるものあり(湯口?)

・エンジンルーム上面、前端右側の小ハッチは、一部が顕著に盛り上がった独特の形状。ただしキットでは、ヒンジ側の辺の微妙な曲面をわずかに表しきれていない感じ。

・車体上下結合用ボルトのフランジは、キットではすべて同じ厚みで表現されているが、車体後部内側2ヶ所は、外側に比べ若干厚いようだ。

・排気管後部の取付具は、キットのパーツ(C22)は若干ゴツイが、実際には薄い鉄板の組み合わせ。この取付具は、いずれどこからかエッチングパーツが出たら必ずパーツ化されていそう。車体上面の、同取付具の接着指示穴のある部分は、実車では円筒形にゲタを履いた形になっている。

●砲塔

・例えばこのあたりの写真と見比べると、右前上部の張り出しが強すぎるような気もするが、一方で、写真写りの問題であるような気もする。

・砲塔下辺には、ほぼキットの接着ラインと同じ位置に鋳造のパーティングラインがあるが、実物は完全に一直線ではない。

・砲耳の軸は砲塔側面に貫通固定されていて、位置は比較的はっきり判る。

・例のコイン状の薄い凸部が砲塔表面にも確認できる(場合がある)。

・砲塔上面前部に鋳造管理番号(一部車輌?)。

・砲塔後面ハッチの車体側軸部も左右に貫通。こちらは溶接固定されていないのでさらに明瞭。

・砲塔ハッチを開位置にした場合、右側の開閉用(?)スクリューが省略されている。また、裏面のコの字のハンドルも省略されているが、どのみちこれは下側に隠れてほとんど見えない。

・後面ハッチ上にある対空機銃架のアタッチメントは、実物はもうちょっと細かいディテールがある。

・砲塔前面はキットでは別パーツ(D5)だが、実車は一体。左側は実車でも段があるのでいいが、右側は継ぎ目をきれいに処理したほうが良い。

車長用キューポラの3カ所の吊り下げフックが省略されている

Cupola01・キューポラが付く砲塔上面は、キットでは一段掘り込んであるが、実車は逆に一段出っ張っている。右側の信号旗用小ハッチの面と同じ高さ。左がキットの状態。右が実車。

・関連して。キューポラの縁は、キットではタガ状に段があるが、実車ではもうちょっと面倒な構成。L字断面の薄板が一周、小リベットで止められている。この縁取りはバルジ部分にもある。リベットはバルジ部分を除き11カ所、バルジ部分に4カ所。

・キューポラ、バルジ前面シャッター下、ちょうど段差に掛かる部分に2カ所のマイナスネジ(ただしB1bisの例では、このネジがないものもあるようだ)。また、Char B1bisの例で見ると、キューポラ上部に6つのネジ穴がある(縦横入れ替えた少林寺のお灸のような)。ソミュアでは未確認。

・キューポラ横の信号旗用小ハッチは、キットではヒンジが12時の方向にモールドされている。実際にソミュールの実車でもそうなっている。しかし、M10664号車の写真見ると、およそ2時の方向くらいにヒンジがあるようだ(みやまえさん発見)。ソミュールの実車で確認できるが、回転するように作られている箇所ではなく、おそらく生産時期による差ではと思われるが、砲塔上面の写真は極端に少なく確認のしようがない。ちなみにボーヴィントン、元アバディーンの実車も未確認。

●装備品等

・キットは後部のアンテナポスト中央に穴を開け、アンテナ基部を取り付けるよう指示されているが、実車では無線機の装備が間に合わず、アンテナは備えていない車輌がほとんどらしい。キット指定の塗装例でも、はっきりアンテナ装備が確認できるのは塗装例A(M885号車)のみ(付いていない写真もあるが、これはある時点で持ち去られてしまったらしい)。ただしC(M843号車)ではアンテナポスト中央から、何か細く短い棒が出ているようにも見える。元はアンテナが付いていたことを示しているのかもしれない(だとしても、それは何?)。

・一方で、前後のアンテナポストにアンテナを立てている車輌もある。“TRACKSTORY”によればによれば、troop commander(小隊長?)車は無線機ER29、squadron commander(航空部隊なら中隊長なのだけれど、ここでは大隊長かも)車はER29とER26 ter、さらに高位の指揮官車はER27を搭載(先の2つのうちどちらかがこれに替わっているという意味?)だそうだ。前側のアンテナの大きさに違いがあるようなのも、この無線機のタイプの違いを示しているものと考えられる(前回書き込み参照)。なお、ソミュアの(あるいはフランス戦車の?)無線機アンテナは、ドイツ軍のそれのようにロッドにテーパーが掛かっておらず、根元も先も同じ太さの棒のようだ。

・右側面に装備されるコンテナは、側部の手すり状パーツに固定される。おそらく、下のパイプに金具(コンテナ下部左右にモールドされている長いツメのようなものの下端)を引っ掛け、上下のパイプ間でベルトで固定するのではないかと思う……のだが、この取り付け法では説明できない、「なんでそんな引っ掛かり方をしてるの?」という写真もあり(例えばこの写真この写真)、なお要検討。ただし、いずれにせよ最終的にパイプ間にベルトを渡しているのは確かだと思う。タミヤの箱絵でもそのように描かれている。

追記:ジジさん、みやまえさんのコメントで判明したこと。またまたM10664号車のこの写真だが、向かって右の人物が足を掛けている落ちたコンテナ上部に、上のパイプに引っ掛けると思しきツメが見える。コンテナ表の下部左右に見えるツメはこれと連続しているようで、要するに「J形」というか、「形」の帯金がコンテナ背部にくっつけてあるらしい。それにしても、アンテナといい信号旗ハッチといいグリルのパターンといい、有益な情報量の多い写真だ。

こちらの写真(M10741号車)では最後尾小コンテナの裏側が写っていて、上記帯金が確認できる。また、同じ車輌の別写真では、立った状態のコンテナと地面の間に間隔が開いていることから、単に「Jもしくは∫」ではなく、下のパイプ(と車体の間)に引っ掛けるツメのようなものがある可能性もある。

なお、コンテナ+フタ固定用の皮ベルトは、上パイプに繋がっているほうが短くバックル付きのようだ。ずいぶんいい加減なベルトの掛け方をしている車輌もある様子(例えばこの車輌)。

・車体後部のシートも、キットでも上面後端にモールドされている金具と、下部のベロ(D13)の金具間に渡したベルトで固定する。これもキットでは接続していないので、シートを付ける場合は工夫したい。

・なお、車体後部左側に大きめの工具箱や、何かのホルダーらしい金具を装着している例もある。例えばこの写真この写真。前者ではシート固定ベルトの様子もわかる。

・車体上面、エンジンルーム前端右の二の字の金具が工具ホルダーで、小さな突起のモールドは実際には細いコの字金具。工具類は、ここにベルトを使って固定される。キットの説明書の指示位置に従うと、ツルハシの柄やシャベルは、どうやら工具箱上の手すりパイプにくくり付けられるもののようだが、はっきり判る写真が見当たらず、いまいちよくわからない。四谷仙波堂の案内に出ていた、ソミュアS35サービスマニュアル(PDFのCD-ROM)あたりに正解が出ていそうだが、さて?

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ソミュア!(補遺)

●前回記事の若干の補足。

F1019011●タミヤとエレールの足回り(転輪ボギー)比較。

写真ではエレール(上)のほうが小さく写っているが、これはカメラが真上からではなく、手前から撮っているためで、実際はほぼ同一幅。

ただし(昨日は「起動輪と誘導輪、転輪は両社とも同サイズ」と書いたが、転輪はエレールがやや小径で、そのため転輪間隔がちょっと広い。転輪幅もタミヤのほうがわずかに広かった。

ディテールはタミヤのほうがずっと解像度が高いが、実際のところ、このへんは全部装甲カバーの陰に隠れてしまう。「あっそうか、隠れちゃうから、せっせとパーティングラインを消さなくてもいいんだ」とほっとする一方で、「こんなにキッチリ出来ているならカバーを外して見せる誘惑に駆られちゃうね」などと矛盾したことを考えたり。

ちなみにこの足周りはドイツが使ったPz.Kpfw.35(t)(チェコ・シュコダ社製のLT vz.35)と兄弟関係にある(設計者が同じ)。トリビア・ネタ。

●タミヤのキットは、エンジンルーム上のラジエーターグリルが枠ごと別部品になっているが、実車では、この枠部分は車体上部後半と一体。おそらく、側面ハッチ上のオーバーハングのために別部品になったのだと思うが、側面前端部分、車体となだらかに繋がっている部分の継ぎ目は綺麗に消す必要がある。

仮に枠部分はスライド金型で一体にし、グリルだけを別部品にすれば、設計時にパターンが全部同一であることに気付いてもらえたかも(くどい)。いや、しかしスライド型で価格が跳ね上がってもいやだしな……。

(追記)タミヤのキットは後々のドイツ軍仕様とのパーツ共通化のため、何ヵ所かに部品取り付け穴を裏から加工するよう指定されている。後部アンテナポストもそうで、穴を開けてパーツP6,7を付けるよう指示されているが、実際には、無線機の生産が追いつかず、アンテナも付いていない車輌が多いようだ。

タミヤの塗装例でも、少なくともchar-francois.netの写真で見る限りでは、はっきりアンテナの所在が確認できるのは、塗装例A(M885号車)のみ。

なお、指揮車の場合は前後ともアンテナを備えている場合がある。例えばこの車輌(写真1写真2

この写真では前後同じくらいのアンテナが付いているように見えるが、明らかに前側のアンテナのほうが基部が大きく、アンテナ自体も太いものも確認できる。例えばこの車輌。後部のアンテナが標準で搭載される(はずだった)部隊内通信用、前部のアンテナが指揮車専用の部隊間通信用と思われる。

●ON THE MARKのエッチングパーツを改めて確認したところ、前照灯前面のメッシュは、タミヤのカバーパーツに比べ一回り小さく、そのまま使用は不能。ON THE MARKにはカバー本体も付いているのだが、薄さは別として、大きさと形状はタミヤのほうがよいようだ。

その他のパーツも形状に疑問があったり、少なくともタミヤのキットには必然性が薄かったりで、結局のところ、「いつかエレールのキットを成仏させようと思ったら(一部を)使おうか」レベルと判明。がっくし。

なお、エレール・SOMUA用のエッチングはEDUARDからも出ているのだが、こちらもパッと見、タミヤのキットには必然性が薄そうな……。

●資料サイトその1。実車解説と当時の写真……となれば当然ここ。記述はフランス語のみだが、解説は概観程度なので特に問題なし。キモは車輌番号順に整理された膨大な写真で、これだけで仕様変遷の研究材料になる。

char-francois.net

ボイテ(ドイツ軍鹵獲仕様)の写真がそこそこ多いのは、

world war photos

定番のbeutepanzerにはそれほど写真は多くないが3ページ。

●資料サイトその2。現存実車のwalkaround。

ソミュアS35は、本国フランスのソミュール(走行可能)、イギリスのボーヴィントン、アメリカのフォート・リー(アバディーンから移管)、ロシアのクビンカに現存していて、それぞれある程度まとまった枚数の写真がネットに上がっている。

ちなみに「Surviving French WW2 Tanks (PDF)」によれば、アメリカにある現存車は最初の60輌の初期生産型、クビンカの車輌はフィンランド(カレリア)で鹵獲されたドイツ軍PzAbt 211所属車(砲塔番号101)、鹵獲時点でツィムメリット・コーティングが施されていた由(つまり、上記beutepanzerの1ページ目一番下の写真の車輌)。

▼ソミュール(Saumur)

タミヤ 実車写真

legion-afv.narod.ru(1)

Net-Maquettes(1)

▼ボーヴィントン(Bovington)

militarymodels.co.nz(2枚だけアバディーン)

Net-Maquettes(2)

Net-Maquettes(3)

▼アバディーン(Aberdeen)

SVSM Gallery

▼クビンカ(Kubinka)

legion-afv.narod.ru(2)

(追記)資料本については、すっかりww2フランスAFVの定番資料となったP.Danjou, “TRACKSTORY”のシリーズ第1冊目がSOMUA S35。また、同シリーズの姉妹編といえるwalkaround写真集、“FOCUS”のNo.2がSOMUA S35。掲載されているのはソミュールの実車。

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ソミュア!

F1018882F1018884●タミヤのSOMUA S35をようやく手に入れたので、手元のエレール(グンゼ版)のキットと主要パーツのいくつかを比較してみた。ちなみに箱の大きさはほぼ同じ(本家エレール版はもっと大きかった)。

まっさらの新製品が出た今、わざわざ大昔のエレールを作ろうという物好きは少なそうだし、両キットを比較することに特に意義があるとは思えない。それより何より、タミヤのキットを直接実車写真と比較しろよって感じ。

――であるのは確かなのだが、何しろ手元にグンゼ版のストックが2つ、在庫をひっくり返すと組立途中で放棄した純正エレール版も出てくるはず、という具合なので、せめて比較対照くらいはしてみようか、というだけの話。ただし、若干の(実車と比較しての)ディテール・チェック話も混じっている。

F1018868F1018881●正確な形状がつかみづらい鋳造パーツが多いフランス戦車だが、特に砲塔は難物。このキットでも、APX 1 CE砲塔の出来はキモだと思う。

これに関しては、(hideさんに倣って)タミヤのB1bisのパーツ(同系のAPX-4砲塔)も引っ張り出して並べてみた。なお、ソミュアのAPX 1 CEとB1bisのAPX-4は、どちらもAPX-1の改良型という関係だが、外形はAPX-4のほうが原型となったAPX-1に近い(はず)。

写真は左から、タミヤB1bis、タミヤ・ソミュア、エレール・ソミュア。印象が悪いと言われ続けてきたエレールのソミュアの砲塔だが、その最大要因は、本来出っ張っているべき右前部が逆に窪んでいるところにあるようだ。

タミヤのB1bisとソミュアの砲塔を見比べると、同系の砲塔とはいえずいぶん大きさが違う(どちらもある程度正しく縮小されているとしてだが)。もっとも、前半部分に大きな違いはなく、主な違いは後半の延長・拡大にある。実車の場合、真上から砲塔を捉えた写真は(少なくとも私は)見たことがないので比較が難しいが、側面からの写真でも、特に右側のバイザーのある面の形状と幅の違いは確認しやすい。

その面の幅が違うだけでなく、(平面形で)角度が違うことまでは認識していなかったが、考えてみれば仮に角度が同じだと後面ハッチの面の幅に大きな差が出来てしまう。ソミュアのハッチがB1bisに比べ極端に狭いという印象はないから、やはり砲塔後半は幅が広がっていて正しいのだろうと思う。

砲塔下部パーツの写真では、より平面形の差が判りやすいが、それだけでなく、砲塔リングの径が大きく違うことが判る(そもそも砲塔形式名のAPX 1 CEのCEは径の拡大を示す)。実物のリング径は、APX 1 CEは1130mm(1:35で32.3mm)、APX 1、4は1022mm(同29.2mm)。モデルアート別冊「スーパーディテール フォトブックVol.2 フランス重戦車シャールB1bis」には、両砲塔の比較で「下部の張り出し具合に注目、B1bisのほうが大きい」と書いてあるが、当然ながらこれはエラの張リ具合の違いではなく、その下の「首」の太さの違いによる。

いずれにせよ、ややこしい形状の砲塔なので、実物と比べてどうなのかは、なお要検討。現時点の印象で言うと、タミヤの砲塔は右前部の角がちょっと出っ張りすぎな気がするが、バリエーションもありそうなので現時点では意見保留。

バイザー部分は四角くくりぬかれていて、そこに別体のブロックをはめ込むのは実車通りだが、四周の隙間が開きすぎな感じ。

F1018850F1018853●キューポラは、タミヤのものはB1bisと基本同一のパーツ。ただ、B1bis同様、キューポラの3方向に付く吊り下げフックを綺麗サッパリ省略している。

写真はエレールの説明書と、フックパーツ(エレールのものも、ご覧のようにそう大した出来のパーツではない)。

このへん、何かかたくななまでに「このフックはパーツ化しない」と決めて掛かっているように感じてしまうのだが、もしかしたら、タミヤには「*ミリ以下のパーツ化はしない」という基準でもあるのだろうか。

F1018879●車体上部の比較。上がエレール、下がタミヤ。全体寸法はほぼぴったり同じで、古いながらエレールもなかなか頑張っていることが判る。

大きな違いは戦闘室上面左右の斜めの削ぎ落とし部分で、エレールはこの部分の幅が狭く、それが戦闘室右前面形状にも影響を与えている。砲塔下左右の円弧状の張り出しもない。

細かいディテールではさすがにタミヤの方に一日の長、というよりも一日以上の長がある。タミヤではエンジンルーム上面前方のハッチが一体成型だが、(特に右側ハッチの)独特の膨らみ加減を表現している(もっとも、表現し尽くしているかというと、ちょっと微妙なところ)。

F1018859 一方、ラジエータグリルはエレールが車体と一体であるのに対し、タミヤは別部品。エレールはハッチの枠と格子が一体化してしまっているのに対し、タミヤはしっかり別体を表現している。しかし、左右の格子が線対称になってしまっているのは同じ。

実際には、この格子パネルは左右とも(というより4枚とも?)同一パーツを使っているために点対象になっている(少なくとも私が写真で確認できた限りでは)。タミヤのパーツでは、左側の格子(B6)が正しく、写真の右パーツ(B5)は格子のパターンが鏡写し。

F1018875F1018857●タミヤの車体前面と、両社の車体裏。

実車の車体下部は、鋳造で左右別々に作られ、それを中央で(内部で)ボルト接合しているため、中心に分割線がある。エレールでは、この分割線は無視されている。

タミヤのパーツも単純に筋彫りが入っているだけで、それはそれでいいのだが、車輌によっては、分割線両側がわずかに盛り上がっているように見えるものもある。また、中央横方向に鋳造のパーティングラインらしきものが入っている例もある。

F1018872床面はおそらく内部の機器の取付架として凹凸がつけられていて、それが外側で模様になっている。車台まで鋳造パーツで作ってしまったソミュアならでは。鋳造多用の丸っこい外見はフランス戦車らしいところだが、車台まで鋳造なのは、量産車ではソミュアS35とオチキスH35系列くらいだと思う。エレールのキット、実は頑張ってたんだなあ……。

写真が寝惚けているので判りづらいが、タミヤは底面にもちゃんと左右の分割線がモールドされている。

車体上下の結合部表現については、さすがに新しいタミヤは綺麗に表現してある。

F1018865 F1018866●足回り。起動輪と誘導輪、転輪は両社とも同サイズ。同じものを同じ縮尺でキット化している以上、当然のことかもしれないが、実はメーカーごとにバラツキが出ることも珍しくない。さすがに最近のタミヤは起動輪の歯数(履帯のピッチ)を適当に済ますことはなくなったようだ。

違いは、起動輪に関しては、エレールのパーツは表面に2カ所、アクセスパネルのようなモールドがあること。これは少なくともソミュールの実車では確認できない(4/14追記。ボーヴィントンの車輌にはあり、旧アバディーンの車輌にはないようだ。生産時期による差異ではないかと思う。なお調査の要あり)

なお、ソミュールの実車の起動輪では、表面に鋳造管理番号と、中心からごく短くかすかな放射状のリブがあるが、これは両キットとも表現されていない(なお、鋳造管理番号は車輌により、車体やハッチ類にも入っている場合があるが、それらも両キットとも一切入っていない)。

誘導輪はボルト列の位置に若干の差があるのに加え、タミヤはボルト2本ごとに座金のモールドがあり、エレールにはそれがない(あるいは、エレールはドーナツ状に全体に座金があるというべきか)。いずれにせよ、両社とも両面同じモールドになっているが、実際には、

  • ナット側(ソミュールの実車では表側)はタミヤのモールドのように、2本ごとに座金がある。
  • ボルト頭側(ソミュールの実車では内側)はちょっと凝った形状で、ボルト列外側にリング状の段差があり、
  • ボルト頭は正六角形ではなく一部が切り欠かれた形状で、その切り欠き部が段差に引っかかり、ボルトが回転しないようになっている。

――という仕組みになっているようだ。

重箱の隅的なことを言えば、タミヤのモールドは両面ともナットになっているという時点でちょっと変なのだけれど。

なお実車に関しては、ボルト頭をそのままの形状とした場合には段差に引っ掛かる辺が短く、「なめて」しまう危険性があると判断してボルト頭を切り欠いたのだと思うが、わざわざ切り欠いて汎用性をなくすより、誘導輪側に六角形の窪みを付けるとかのほうがよかったのではないか、とツッコミを入れたくなる。

F1018862転輪の比較は右写真のような感じ。中心軸部分の径が違い、それに対応してなのか、穴の位置にもズレがある。

穴の位置はタミヤのほうがよさそうだが、ソミュールの実車写真ではもっと穴が小さく見える。ただし、アバディーンのものはタミヤのパーツに近く見えるので、穴の大きさにバリエーションがあるか、あるいはソミュールのものは詰まっているか、という可能性もあるかも。いずれにせよ、組み上がってしまえば隠れてほとんど見えない。

F1018846●履帯は、さすがにエレール純正のものはディテールもプアな上に固くて使いづらいのだが、グンゼ版は独自にインジェクションの非可動式のものが入っている。

ただし、タミヤのものに比べると、表面もちょっとのっぺりしていて、裏面も簡単。

タミヤの履帯は、B1bisのものが縁が分厚くてゴツかったので心配だったが、こちらはそれに比べ繊細な出来。ただし贅沢を言わせて貰えば、表面リブ中央にゲート跡が穴になってしまっていること、裏面窪みに押し出しピン跡が目立つことはちょっと悩ましい。

ちなみにソミュアの履帯は短ピッチのものと長ピッチの標準型との2種類がある(当然、起動輪の歯数も違うはず)。P. Danjou, "TRACKSTORY"によれば、短ピッチタイプは144枚、長ピッチは104枚。短ピッチタイプは最初の50輌に使われた、とあるが、当時の写真を見ると、明解に車輌番号とリンクしていないような気も……。

タミヤの履帯は両側フランジが尖り気味で、若干、短ピッチの外見が紛れ込んでいるような印象もある。

●全体的に見て、タミヤの新しいキットはさすがによく出来ているのだけれど、主にパーツの抜きの関係に起因すると思われる細部ディテールの不足も少々。

  • 砲仰俯軸は砲塔側面に貫通して固定されていて、その跡がうっすら見えているので再現すると吉。
  • 砲塔後部ハッチは、下部左右の出っ張り側部に軸が貫通している。
  • 車体、操縦席右側のスリット周りのディテールが省略されている。
  • 操縦席前面バイザーフラップの軸部ディテール。
  • 車体側面の若干のリベット(4/14追記。これはなぜか、組立説明図にははっきり書込まれている。図14、16、17)
  • 車体上下結合ボルトの「逃げ溝」の、特に車体側面ハッチに掛かる部分の形状。
  • アンテナポストの雨抜き穴。

――など。

F1018848 ●オマケ。グンゼ版はパッケージもドイツ軍仕様だったが、独自パーツとしてメタルの改装キューポラとアンテナポストが入っていた(加えて、レジンのドイツ兵フィギュア)。

しかし、B1bisの例を考えると、タミヤは後々、このソミュアもドイツ軍仕様を別に発売する可能性は高いのではないかと思う。そもそもそれ以外にバリエーションらしいバリエーションもないし(試作の自走砲は除く)。

F1018855 ●デカールシートはグンゼ版は妙に贅沢。タミヤに流用したい感じだが、古いキットなのでちょっとニス部が黄変してしまっていた。

なおソミュアS35は、B1bisあたりに比べると格段に塗装・マーキングの変化に乏しいが、それでも、タミヤの指定塗装のひとつにもあるような「砲塔だけパターン違い」や、最終生産バッチのうにょうにょした2色迷彩など、多少のバリエーションはある。もちろん、ボイテ好きな人はもう少し選択肢が広くなる。

F1019009●タミヤのキットはプラパーツ+金属チェーンだが、前照灯前面のメッシュは純正エッチングを付けてくれてもよかったのでは、と思う。アフターパーツで他社から出ると、必要性の高くないパーツがテンコ盛りで高いものになりそうだし。

ちなみに私の手元には、昔々買ったON THE MARKのエレール用のエッチングがあるが、これのメッシュはちょっと目が粗め。たぶんもったいないので使うと思うけれど。

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続・古レール建築

F1018817●9日木曜日。仕事で都内に出る。久しぶりに新宿南口で降りたら、サザンテラス口がなんだかすごいことになっていた(相変わらずピンボケ写真)。

線路をまたいで「新宿交通結節点」ができ、東側には高層の「新宿駅新南口ビル(仮称)」が建つのだそうだ。

普段新宿に近付かないので全然知らんかったよ……。

先日の記事に、みやまえさんから「山手線でもまだレール柱の駅がありますね」というコメントを頂いたのだけれど、実際、改めて注意してみてみるとあちこちにあるもので、たまたま通りかかった代々木駅で少し写真を撮った。なかなかレールの曲げ方が優美。

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●以下は御茶ノ水駅、聖橋口通路下など。こちらは組み方がスパルタンな感じ。1カ所だけ、柱に鋳造記号が入っているのを見つけたが、厚く塗りこめられた上に表面が荒れていて、きちんと読み取れない。

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●ちなみに逗子駅は、2、3番線島式ホームの、改札側跨線橋よりも横須賀側に少しだけ残っている。全部確認したわけではないが、何本かチェックした中には鋳造マークは見つけられなかった。

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砲台に消えた子どもたち

●逗子の小坪と新宿の間の山、披露山は、鎌倉時代に将軍への献上品を披露する場所だったとか、その役人の住まいだったとか言われるところで、現在は小坪湾側の高台は高級住宅地(TBS披露山庭園住宅)、山のてっぺんは披露山公園として開放されていて、鳥の檻やらサルの檻やら展望台やらがある。

以前にも書いたことがあったと思うのだが、この円形のサルの檻、展望台、花壇は、海軍の高角砲陣地の台座をそのまま流用したもので、また、半地下の指揮所を基礎に売店が作られている。

円形の台座は3つあるのだが、横須賀海軍警備隊「砲術科兵器目録」によれば、配備・設置されていた砲は12.7糎連装高角砲2基4門であるらしい。台座は3つ作ったものの2基しか配備されなかったのか、1つには測距儀か何かが置かれていたのかはよく判らない。

なお、披露山の新宿側に降りる坂(七曲りと呼ばれる)の途中には、これも以前に書いたが、憲政の神様と呼ばれる尾崎行雄(咢堂)の山荘跡(風雲閣)と、憲政に反していそうな元都知事邸がある。尾崎行雄は戦時中、ほとんど逗子にこもっていたらしい。ということは、高射砲陣地のすぐ脇で暮らしていたのだろうか。

●この披露山の高角砲台に関しては公園の看板にもきちんと説明が書いてあるので、地元でもそれなりに知られていると思うのだが、実は小坪にはもうひとつ砲台があった。

披露山から小坪の湾(漁港)を隔てて反対側の飯島の岬は、現在は前面が埋め立てられて逗子マリーナになり、単に“マリーナの背景”的な感じなのだが、かつては海に面した波かぶりの崖面だった。崖の中途あたりを削って作られた、鎌倉材木座との間の細い道は、「親不知」と呼ばれる危なっかしい道だったようだ。

F1018391写真は、小坪・海前寺脇を入ったところにある庚申塔で(ピンボケ失礼)、「親不知」の道の小坪集落側の“とっかかり”にあたる部分なのではと思う。現在はこの先で道が途切れている。

戦争後半、この親不知に沿って崖面に洞窟陣地が構築され、15糎加農砲2門が設置された。要するに相模湾の上陸阻止用の海面砲台で、古い写真を見ると、崖面の両側に横穴砲台が1つずつ(北砲台、南砲台)、中央に観測所の小穴がある。当然、中で洞窟が繋がっていたはず。先に上げた「砲術科兵器目録」には「西小坪砲台」の名前で出ていて、15糎砲のほかに短12糎砲1門も配備されたように書かれているのだが、弾薬の欄には斜線が引かれていて、実際にそれも置かれていたのかはよく判らない。

この「西小坪砲台」の横穴はすでに埋められてしまい、現在ではどこに穴が開いていたのかも、外観からは判然としない。

●「西小坪砲台」には悲劇の歴史がある。終戦直後、兵器として使い物にならないよう、砲の尾栓は取り外したものの、弾薬はそのまま洞窟陣地の中に放置されていた。その処分が済まないうちに、地元の子供らが洞窟陣地に入り込み、何かの弾みで弾薬が爆発、子供14人が死亡、23人が負傷するという惨事になった。1945年10月20日のことである。

これについては、後に野村昇司氏という地元の児童文学作家が、「砲台に消えた子どもたち」という本を書いている(ただし、事件を元にはしているものの、話の内容そのものは創作)。地元、小坪小学校のウェブサイトにも、これについて触れたページがある。

とはいえ、説明板があり見た目でも砲台跡が確認できる披露山の高角砲陣地と違い、こちらは前述のように既に位置も曖昧で、いまや砲台があったことも、事故があったことも知る人はいよいよ少なくなっているのではと思う。実を言うと、私自身、砲台があったのを知ったのは3年ほど前で、事故についてはさらに最近。

●ところが先日、地元の地理やら歴史やらについてちょっと調べ物をしていた際、砲台の事故の慰霊碑のようなものが建てられているらしいことを知った。もともとは事故のあった洞窟陣地の前だか脇だかに置かれていたようなのだが、前述のように、洞窟はすでに塞がれていて、慰霊碑も移動しているらしい。

立ち入ることができる場所に置かれているのかどうかも判らなかったが、探してみることにした(3月22日、磯でアメフラシの写真を撮った日。この項写真もすべて同日)。

とにかく碑のようなものがある心当たりといえば、前掲の海前寺下の旧道跡で、最初はその庚申塔の中に紛れているのではと思ったのだが、それらしきものは無し。材木座方面への新道、小坪海岸トンネル入口あたりまで、崖下の道を往復してみたが、やはりそれらしきもの無し。

しばらくうろついた後、マリーナに面した斜面に貼りつくようにある、昔からの小坪の集落(ミニ尾道のような場所)で会った小父さんに聞いて、

「確か今は、小坪海岸トンネルの上んとこにあったと思う」

と、手掛かりを貰うことができた。

F1018369 市営の飯島プールを巻くように歩くと、小さな駐車場に面した崖に、大きな横穴をコンクリートでふさいだ跡がある。これが、砲が設置された2つの横穴のうちのひとつ(北砲台?)なのか、それとは別の穴なのか、古い写真を見ても私には現在の地形との対応ができなくて、よく判らない。

その先に網フェンスがあるが、幸い扉が開いていて、そのまま入ることができた。入ってすぐに庚申塔があるが、これはおそらく、「親不知」の崖道の飯島(材木座)側からの登り口を示すものなのだと思う。

F1018370F1018378プール裏のその坂を上ると、小坪海岸トンネルのマリーナ側入口の上に付く。トンネル口は崖よりも突き出ていて、要するにコンクリートのテーブル上になっているのだが、そこに小さなお地蔵さんがあった。裏面の文字は薄く読みづらいが、「昭和廿四年」と書かれているようだ。

他に文字などもないようで、目指していた「慰霊碑」なのか、これだけでは特定できなかったのだが、その後、逗子市立図書館のレファレンスサービスにも助けてもらって調査。前述の児童書「砲台に消えた子どもたち」の後書きに同じ地蔵の古い写真があり、これが慰霊のために建てられたものであることが確認できた。

新しい花が供えられているところから、事故でなくなった子供に縁のある方だろうか、一応、この所在を知って参る人がいるらしいことが判る。

それにしても、ここにかつて砲台があり、悲惨な事故が起き、慰霊の地蔵もあることについて、簡単でもいいので案内板のようなものを建てられないものか(あるいは市のHPの地域史のページで触れられないものか)と思う。

●これに関して、若干入れ込み気味になってしまうのは、私の母方の叔父が似たような事件/事故の被害者だというのも理由。

やはり終戦直後、父母の郷里である奄美大島北端の集落で、子供が不発弾をいじっていて爆発、5人が死亡、数人が負傷した。叔父もその負傷者の1人で、離れた場所にいたものの飛んできた破片で片手の親指を切断するなどの大怪我を負い、生死の境をさまようことになる(幸い命は取りとめ、今は、飲むとぺろんぺろんになる、半ば愉快で半ば困った酒好きのオジサンである)。

これも、今ならとんでもない大事件のはずだが、ほとんど記録らしい記録は残っていない。唯一、ウェブ上のこのページ(佐仁通信・忘れられている六十年前の惨事)だけがある程度詳しい事情を伝えている。おそらく、当時は日本全国で似たような事故は多発していたのではと思う。

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古レール建築

●日曜日(5日)晩、野田からの帰りに、久しぶりに東武野田線に乗った。

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写真は、野田市駅の島式ホーム(2・3番線)の古レール製の屋根柱。2番線側(写真左側)は2本組で、内側が大きく湾曲して屋根全体を支え、3番線側は1本のみで補助支柱的な感じ。両側2本では贅沢すぎ、両側1本では強度的に不安があったのかもしれないが、そこはかとなくオシャレ(……なのか?)。

ちなみに現在、野田市駅は工事中で、1番線は使用停止、線路も位置換え中。調べてみると高架化されるらしく、この古レール柱もそろそろ見納めということになる。夜間のため綺麗に撮れず、比較的まともな写真は上の2枚だけなのだが、そんなことなら、もっと沢山撮っておくのだった。

●古レール利用のホーム屋根柱ほかの建造物は、比較的古めの駅にはよく見られるもので、横須賀線でもいくつかの駅にあるはず。しかし、おそらく今後は消えて行く一方のはずなので、気付いたら写真に残しておくのがいいかもしれない。

ググってみると、古レール建造物に興味を持ち、まとめたり考察したりしているサイトもある。そのうちいくつかを以下に。

また、「古レールの駅デザイン図鑑」という書籍も出ているらしい。

もっとも、それらにも書かれていることだが、こうした古レールの建造物は多数が現存しているにもかかわらず、あまりに当たり前に、しかしてんでんばらばらに作られているために、まとまった資料はなく、それを指す固有の名称というものもないらしい。

しかし、その建造物が作られたのがいつかは判らなくても、レールそのものの製造年は刻印で知ることができ、なかには日本の鉄道草創期のものが混じっていることもあるそうだ。

●話は前後するが、先月末、これまで写真を撮っていなかった、鎌倉・金沢街道方面の数基の丸ポストの写真を撮ってきた。

▼青砥橋近くにある、ポスト番号21。ポストマップの写真では隣に建物があるが、現在は撤去されて駐車場になっている。なんとなく電柱の陰で恥ずかしそうにしている感じ。3枚目だけ日が照っているのは撮影日が違うため。

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▼鎌倉宮入口にある、ポスト番号17。「顔面」にべったり貼り付けられた(しかも中途半端に剥がれた)ステッカーがちょっと無粋。銘は「昭27昭和」だろうか? しかし、材木座のポストの銘では「昭27昭和製」とあったのに、こちらは「製」がないように見えるのが謎。単に薄れて(塗りこめられて)見えにくくなっているだけ?

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▼清泉小学校近くの、ポスト番号16。夕方、薄暗くなってから撮ったのでまともな写真が少ない。

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木いちごとマルハナバチ

●いつも以上に身辺雑記。というよりごった煮。

●3月31日。神保町の仕事先の事務所から、千鳥ヶ淵公園で花見をすると前日連絡があったので出掛ける。午前中、2ヶ月に1度の持病の通院に行き、遅れて参加。

昼過ぎから飲み始め、夕方に靖国神社参道に移動してさらに飲み、その後、九段下「おかってや」でダメ押しのように飲んで帰宅。昨年の四谷の土手に続き、「花見の名所で花見宴会をする」という(個人的にはあまり縁のない)経験を、2年も続けてやることになった。

C社長のクラシック音楽仲間の某氏より、とある演奏会で聴いた女性ティンパニ奏者の演奏の魅力につき、「あのバチで叩かれたい」という、およそクラシック音楽の評とは思えない感想を聞き、それについて延々と議論(というより無駄話)。

●知り合いが大島紬を見に来るというので(私の実家は大島紬を商っており、父亡き後もまだ若干の在庫がある。大胆値引きで在庫処分中)、金・土(3、4日)と実家に行く。

●日曜日(5日)、毎週月曜日提出の仕事をしていたら、野田市役所高齢者支援課から電話。野田に住む義母が都内で倒れて救急車で運ばれたという。かみさんの仕事場に電話して鎌倉駅で落ち合い、築地の聖路加病院まで義母を迎えに行く。

しばらく前に義母にも携帯電話を購入したのだが、使い方が覚えられず充電も出来ず解約してしまっていた。義母と同行していた人が市役所に電話して談判し、力技で連絡を回してもらったらしい。各方面、いろいろありがとうございます。

幸い義母は一時の発作の後はけろりとしており、タクシーで野田まで帰る。かみさんが一泊することにして、私はやり残しの仕事もあったので夜遅く帰宅。

前回雑記以降のお散歩ネタ。

逗子鎌倉近辺の野山にはあちこちにキイチゴが生えている。実が熟すのは基本、初夏だが、この時季は(それほど派手ではないが)花を咲かせている。

キイチゴというのはバラ科キイチゴ属の総称で、我が家近辺にも、結構いろいろな種類のキイチゴがある。

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1枚目。名越切通のカジイチゴ。枝にトゲが無く、葉は大きなモミジ形。ちりちりと縮れた比較的大きな花。

2枚目。浄明寺の谷戸のモミジイチゴ(たぶん)。葉はモミジ形でトゲ有。花は下向きにぶら下がるように咲く。

3枚目。名越の尾根道のモミジイチゴ(たぶん)。不思議なことに、昨年、まったく同じ場所で採って食べたキイチゴと葉の形が違う。昨年採ったキイチゴも結構茂っていて、今回撮った花のキイチゴも藪になっており、突然生え変わったようには見えない。……なぜ?

4枚目。小坪の大谷戸のクサイチゴ。

さて、初夏にこのうちいくつつまみ食いできるかな?

F1018626 ●上記、浄明寺の(旧華頂宮邸のある)谷戸のモミジイチゴ(たぶん)で、今年初めてのマルハナバチに遭遇(3月27日)。全身黒く、お尻の先だけオレンジ色のコマルハナバチだが、ずいぶん体格が大きく(おそらく2センチ以上)、女王蜂ではないかと思う。

花の形が浅いためか、花から花への移動が忙しなく、この初遭遇では極端なピンボケ写真しか撮れなかったので、翌日再訪して撮り直した。撮り直してもピンボケなのが情けないところ。

●その他虫ネタ。

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やはり今年初めての虫たち。ベニシジミ、コアオハナムグリ、ヒメビロウドコガネ(たぶん)、イタドリハムシ。すべて名越切通を抜けた大町側の空き地で。

●その他花ネタ。というか、世間におもねって桜ネタ。

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▲名越切通、ハイランド方面への分岐反対側の平場のヤマザクラ。3月27日。

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▲大切岸、新たに整備された水道山下側の遊歩道近くのヤマザクラ。林の中から見上げて撮影。3月28日

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▲先日つぼみ写真を上げた本興寺の枝垂れ桜。4月2日。

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▲本覚寺の八重桜。この時はまだつぼみ。ちなみに本覚寺の枝垂れ桜はもう散った後だった。4月2日。

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▲扇ヶ谷の路地のソメイヨシノ。4月2日。

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▲小坪・亀団の通称ハゲ山のヤマザクラ。葉と花の色合いが桜餅っぽく、なんだか美味そう。4月6日。

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その後のらばさん(5)

●(延長されて)3月一杯で締切となった、週末模型親父さんのところの「イタレリ作せり」コンのエントリー作、イタレリのオペル・マウルティアのその後。

細部塗装やウェザリングなど、いまいちやり尽くせていない感があるのだが、とりあえず最後の週末に荷物類も積み込み(接着し)、久しぶりに油彩のアンバーをオドレスペトロールで溶いて墨入れ・ふき取りなどもして、ひとまず完成とした。

夜に蛍光灯の下で撮ったせいもあるが、写真で見るとどうも塗装がのっぺりしていて、墨入れの効果も前輪フェンダーとバンパーの間くらいしか、よく判らない。どうにもいけませんな。

そのうち気が向いたら、ウェザリングを追加するかも。

ちなみにナンバープレートは、デカールが使えなさそうだったので白いまま。そのうちインレタ等で追加したい(といいつつ、そのまま放置されたりするのだ)。

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工具の柄がいかにもニス塗りっぽい感じなのは失敗。荷物もどうも「ただ載っている」感じなのは今後の課題。いや、今後何か「載せもの」を作るかどうかわからないけれど。

そもそも、こういういかにも「ジオラマ向け」アイテムを、フィギュアも無しの単体で作るのが中途半端と、我ながら思う。それでもまあ、こういう機会でもないと一生作らずに終わりそうだった在庫を成仏させることができてよかった。

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