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中二病でも空が飛びたい!

He111a_cnac ●最近はめったに覗かなくなってしまったmixiだが、たまたま行った際に、P-斎藤さんのところで、マル中マークの「空冷」ハインケルHe111が話題に上っていた。

写真はwikimedia commonsより。

見慣れないマル中マークだけでも珍しいのに、段付き機首の初期型He111、しかも本来の生産型にはない空冷エンジン装備。そんな魔改造を受けた上で、方向舵につつましく「中二」と書き込まれているのも、そこはかとなくおかしい。

この機体については、なにしろジャンル的にマイナーなので時折ではあるけれども、出版物などでも紹介されることがあり、かつて河馬之巣の掲示板でだったか、はほちん氏あたりとの間で話題に上ったこともあったはず。

●写真を見て、改めてこの機体に興味が湧いたので、判ること、判らないことなどつらつらと。

一応、背景について触れておくと、機体の大元は第二次世界大戦のドイツ中型爆撃機の主力、ハインケルHe111(もっともまともに爆撃隊の主力を張ったのはバトル・オブ・ブリテンか、独ソ戦の初期くらいまでで、戦争後半は夜間爆撃とか、輸送任務のほうが多くなる)。

ただし写真の機体は機首コクピット部が段付きで楕円翼の初期型、そのなかでも一番最初の生産型、というよりも増加試作型として、たった10機のみ作られたA-0型である。

このA-0型、装備エンジン(BMW IV)が出力不足で所期の性能を出せず、ドイツ空軍から「要らん」と言われて宙ぶらりんになってしまう。後にドイツ空軍を代表する機体の一つになるHe111の長兄とも思えない哀れっぷりで、結局、中国に里子に出され、日中戦争に投入されて消耗した。

写真の1機はその最後の生き残りで、エンジンをアメリカ製の空冷に換装、輸送機として使われていた時期のもの。しかしこの機体も1944年12月、昆明での事故で失われ、珍しい「中国空軍のハインケル」の歴史は終焉する。

そもそも段付き機首の初期型He111は長くインジェクションキットもなかったが、しばらく前に各型がRODENから発売され、その中にA-0型も含まれる。比較的初期のRODENなので、パッと見そこそこ気合いが入っているのだが、各バーツ(しかも主要パーツ)の寸法がまるで合わなかったり、だいぶ難物であるらしい(持っているのに「らしい」なのは、まったく手を付けていないため)。

●大筋はこんなところだが、細部になると、資料によって若干の差異がある。

まず、このHe111を買った側なのだが、「中国的天空」ではざっくり「中国空軍」とあって、最初から国民党空軍が入手したような書き方。またその機数に関しても、ドイツ側視点の資料では10機丸ごと中国に売られたように書かれているものが多く、「中国的天空」でもそれに準じている様子。ただし、「中国におけるHe111Aは、このクラスの機体に不慣れな中国人や外国人パイロットに手荒く扱われ、数ヵ月でその多くが壊れてしまった。10機輸入したのに、南昌で命名式に登場したのは8機しかなく、第二次上海事変に登場したのは、わずか6機であった」とある(中山雅洋「中国的天空」8新しい翼、旧版p135)。

これとは別に、さらっと解説してくれているのが英語版のwikipedia、“Heinkel He 111 operational history”だが、こちらでは当初輸入したのは広東空軍で(1936年半ば)、機数は最初から6機、これらが間もなく中央空軍に接収されたことになっている(1936年10~11月)。

前者で「南昌での命名式」とあるのは、数少ない中国でのHe111の写真のうち、明るいグレー塗装で並んでいるシーンがそれ(のはず)。機首に「第一(?)公務員號」などと書いてあるので、募金による献納式であるらしい。であるからには、中国への到着直後ではないかと思うのだが、南昌は広東ではなく隣の広西省にある(1936年は広西、広東が手を結んで蒋介石に対抗した両広事変の年でもあるので、ただちに広東と無関係ともいえない。ただしそもそもの南昌という説明が正しければ、の話)。

また、「中国的天空」の「南昌で8機」の根拠も気になる。並んでいる写真で、8機数えられるものがあるのだろうか。

さて、中央空軍でのHe111は、第8大隊第19中隊に配属される。「中国的天空」の記述によれば、1938年12月2日、「馬丁式重轟炸機」ことマーチン139Wとともに上海の日本軍に対する作戦を実施。この作戦には5機が参加したことになっているが、低性能のHe111はマーチンおよび護衛のボーイング281戦闘機との待ち合わせに遅れ、結局、先行隊を追って出撃した日本軍機に捕まって3機が撃墜されたという(「中国的天空」14薄幸の翼、旧版p288~)。英語版wikibediaの記述も筋書きは似たような感じだが、作戦の日付は書かれていない。

日中航空戦を追った「Sino-Japanese Air War 1937–1945」(「Biplane Fighter Aces from the Second World War」内のコンテンツ)では損耗の経過がだいぶ食い違っていて、1937年8月25日、上海・蘇州方面の日本軍艦艇への爆撃に3機が出撃。1905、1903が相次いで撃墜され、Xie Wang隊長の乗る1機のみが帰還した(機番は書かれていない。なお、「中国的天空」の上記作戦を率いたと書かれている「謝芥大隊長」と、このXie Wang隊長が同一人物かどうかは、中国語の読みが判らない私には確定できない)。

さらに同サイトでは、1937年10月1日、漢口上空で味方(ホーク)の誤射で1機失われている。10月14日16:00、南京から上海の飛行場・倉庫の襲撃のため、ハインケル:2、馬丁:3、ダグラスO-2MC:5、ノースロップ・ガンマ:5、ホークIII:3の計18機で出撃。この時はちょうど日本軍機も中国空軍飛行場襲撃に来ており、中国軍機が飛び立って5分後に襲来したため、中国軍機に損害はなかったとある。

同サイトの部隊表によれば、1機が訓練用に第13中隊に移され、1937年10月2日時点で、19中隊には2機が残されているだけだったという(となると、上記10月14日の作戦は、中隊残存全機が出撃したことになる)。いずれにせよ同サイトでは、1937年10月より先にはハインケルは登場しない。

ちなみにRODENのキットのデカールには801、803の機番が入っている。前述のようにもともとの配属先は19中隊であり、中国空軍式の機番記入法では「19**」となる。「8**」なら第8中隊ということになるが、こういう機番の時期があったのかどうか、どうもよくわからない。第8中隊は、少なくとも開戦時はフィアットCR.32装備の戦闘機隊のはず(「抗日戦争時期(1937~1945)中國空軍飛機」による)。なお、19**にしろ8**にしろ、胴体に機番が記入された状態の写真は、少なくとも私は未見。「中国的天空」に出ている、上面が暗色の2色(?)迷彩と思われる写真は、惜しくも胴体後半は画面の外。

●結局、あれやこれや(どれや?)で最後に残ったのが冒頭写真の1機ということになるのだが、これも、元資料が何なのかは知らないが、wikimedia commonsの解説によれば、元の機番は1902(ということは、やはり「8**」機番の時代などなかったのか?)、エンジンを換装されたのは1943年12月であったそうな。

カウリングにはカバーが掛けられているものの、前後長がそれほどないことは判るので、エンジンは星型単列。wikimedia commonsではP&W(つまりワスプ)とあるが、DC-3初期型由来のライト・サイクロンとしているサイトもある。DC-3、もしくはDC-2由来なら、ペラもそのまま3翅を使いそうだが、写真では2翅ペラを付けている。ただし、中国ではホークII、III、シュライク、馬丁式などサイクロン(R-1820系列)装備の機体が多いので、サイクロンの可能性は高いのではないかと思う。

もともと馬力不足だったのでいつエンジンが取り替えられても不思議ではないが、ドイツとのパイプが切れたために慢性的な部品不足で共食いもあったそうなので、結局はエンジンが修理不能になったための換装ではと思う。

機首は元のグラスノーズが塗り潰されているのか、それとも新造品に取り替えられているのか、とにかく片側に小窓一つの状態になっているようだ。

翼下の登録記号は、読みづらいが「XT-ATC」らしい。ちなみにXTは現在ではブルキナファソの国籍記号らしいが、そちらは戦後のICAO(国際民間航空機関)のもの。戦中までは中国で使われていたらしく、別の機体でも「XT-***」の例が確認できる。

そこで一つ謎なのがこの機体の所属で、wikimedia commonsほかではCNAC(China National Aviation Corporation、中國航空公司)としている。実際、CNAC所属でマル中マークを付けたC-47やC-46やらの写真もあるが、それらCNACのマル中は毛筆体。He111の書体のマル中は、別会社のCATC(Central Air Transport Corporation)所属機を示すものだといくつかのサイトにある。このサイトには、CATC所属機として、

XT-ATA Ju52/3m(c/n5472) CATC Chung No.5
XT-ATB Nakajima Ki.34 CATC Chung No.1
XT-ATC Heinkel He111 CATC Chung No.2

――の3機がリストに上がっている。「中三」「中四」はどこ? 

なお、「Nakajima Ki.34」は陸軍の九七式輸送機。鹵獲機? それとも戦前輸入のAT-2? Ju52/3mは欧亜航空公司の生き残り?

なお、このマル中He111の写真には、冒頭のもの以外に、斜め前から写したものが1枚ある(エンジンが付いていない状態。エンジン換装の途中なのか、外してオーバーホール中なのかは不明)。その写真では、隣にHe111と同じ書体のマル中を書いた機体が1機写っているが、写真が不鮮明であるうえ、機首も尾翼も切れて/隠れているので、これが前述の九七式輸送機なのかどうか(少なくとも私には)よく判らない。なお、主翼形状からユンカースJu52/3mではなさそう。

●このHe111の最期も若干あやふや。最初に書いたように、1944年12月、昆明での事故で失われたようだが、このサイトでは12月25日、wikimedia commonsでは12月23日と、若干のズレがある。

どちらにしても大した違いはなさそうだが、とにかく最初から最後までモヤモヤ状態だ、とは言えるかもしれない。

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コメント

チェコの雑誌?REVIかなんかに載ってました。どこいったかなぁ……。

投稿: はほ/~ | 2014年9月15日 (月) 19時03分

>はほちん

それはMiro Herold氏による記事ですね?

本文中にリンクを貼ってあるCNACのサイトのページ(このページ自体が、おそらくBBSのLOG?)に同氏の書き込みがあって、

次のチェコの航空雑誌「Revi」に、自分が書いたハインケルに付いての記事が載るよ~

なんてことを書いています。

投稿: かば◎ | 2014年9月15日 (月) 21時28分

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