尾根歩き
●「ちゃん」付で呼び合うくらいの親しさの年上の友人が急逝。心筋梗塞だったそうだ。
江古田で鶏肉専門店を経営しており、ほぼちょうど一年前に久しぶりに訪ねて、お土産に鶏胸肉を5kgも貰ったのだった(あれは重かった)。
●鎌倉旧市街を取り巻く山を越える主要な出入り口を俗に「鎌倉七口」という。
「七口」と呼ばれるようになったのは江戸時代からで、そもそも鎌倉時代からあったのかどうか、鎌倉時代の道筋が本当にそこだったのか怪しいものも含まれているそうなのだが、一応、だいぶ前に全部踏破した。
……なんて自慢がましく言わなくても、鎌倉を散歩していれば、この7つを通る機会はしばしばある。
名越や朝比奈のように、新しいトンネルや峠道が近くに出来て、いかにも山道の風情で残されていることろもあれば、極楽寺坂や巨福呂坂のように、舗装された立派な車道に変わってしまったところもある。
ただ、鶴岡八幡宮の裏手から建長寺のほうへ、つまり鎌倉の中心と山ノ内(北鎌倉)を結ぶ巨福呂坂は、今では半洞門式の立派な車道だが、その近くに、中途半端に旧道も残っているのだそうで、そちらは今まで見に行ったことがなかった。
●そんなわけで、16日日曜日、巨福呂坂旧道を見に行って、そのまま尾根歩きでもしてやろうと思い立って、午後になって出掛ける。
名越から鎌倉駅前まで、さらに小町通りから、八幡宮西側を巨福呂坂方面へ。旧道への曲がり角を一度行き過ぎてしまって引き返す。道が、新道の半洞門へとカーブするよりだいぶ手前を入らないといけないのだった。
しばらくすると、名越隧道脇にあるものとよく似た、現・横須賀市上下水道局管轄の送水管トンネルの出口がある。明治・大正をまたがって作られた半原系水道である名越の送水管トンネルに比べ、こちらの有馬系は第二次大戦中から戦後にかけてのものなのでだいぶ新しい。外側(山ノ内側)は新道の半洞門のすぐ脇にトンネル口があるが、内側(雪ノ下側)はだいぶ離れている。
錆びて読みづらいものの、「史跡 巨福呂坂」と書かれた鉄柱が立っていて、こちら(右側の坂道)が旧道であるらしいことが判る。右はトンネルを覗き込んでみたもの。向こうに山ノ内側の口が見える。
送水管トンネル横の坂を上っていくと、左の斜面に青梅聖天社という小さな社がある。その先に庚申塚があり、ここが旧街道筋であった傍証となっている。
もっとも、この“旧道”は、このちょっと先で行き止まりになってしまう。若干は平場が続いているようなのだが、どうも新道の半洞門を作る際に断ち切られてしまったようだ。
●せっかくここまで来たので、青梅聖天社脇から尾根筋によじ登る。
ちなみに青梅聖天社は石段の先に鳥居があり、小さな社を構えている。佇まいとしては神社だが、聖天(元のガネーシャ)は仏教神なので(ちなみにここの本尊(御神体?)は聖天が2体の男女神に分かれて抱き合う歓喜天だそうだ)、神社なのか寺なのかどうもよく判らない。
上った先は、ところどころ笹だの枝だのをかき分けないといけないが、季節柄、まださっぱりとしたもので、割とすっきり尾根筋を辿って歩いていける。それよりも、両側がいきなり急斜面や崖で、屏風の上を歩かされているかのよう。いかにも鎌倉の尾根。
これだけ見るとごく普通に石塔があるだけ、という感じだが、この五輪塔、高さが3m程もある。
扇ヶ谷の支谷のひとつ、泉ヶ谷の浄光明寺のもうひとつ奥に、その昔、多宝寺という寺があり、この塔は、その多宝寺の長老であった覚賢(1306年没)の墓碑であることが確認されている由(国重文)。70年代、修復の際に名前が書かれた骨壷が出てきたのだそうだ。
現在は隣の浄光明寺の管理下で、これより下にある平場は藪ボーボーなのに(したがってここから直接谷には降りられない)、塔の周りがさっぱりしているのは、普段からきちんと手入れをしているのだろう。
実を言えば、4月の間だけ、浄光明寺の裏山にある冷泉為相墓の裏木戸が開かれていて、そこから歩いて来られるようになっている。つまりは、本来非公開期間であるにもかかわらず、反対側の山から歩いて来てしまったことになる。浄光明寺の方、すんまへん。4月にまた拝観料払って見に来ます(たぶん)。
もっとも、この覚賢塔の後ろの尾根上には、右のような、明らかに人の手による細い掘割(切通し)があったりして、いつ頃までだか、山を越える道が存在していたらしいことが判る。
●山の中をちょいと戻って、亀ヶ谷坂切通方面へ。切通を長寿寺から扇ヶ谷方面に歩く途中、左から降りてくる道なんてあったっけ、などと思いながらテキトーに歩く。尾根のてっぺん近くに唐突に、やぐらがあったりして驚く。
ハイキングコースなどではないから、普通の人はまず知らない場所なのだが、手入れをする人がいると見えて、藪も綺麗に払ってある。やぐら自体も床の納骨穴や壁龕など綺麗に残る。壁が白いのは漆喰痕だろうか。
やぐらは山の中で埋まり放題というところも多いことを考えると、だいぶ状態がいい。
●結局、亀ヶ谷坂までは歩かず、このやぐらの反対側斜面が降りられるようになっていたので、そこから山の下へ。実は非公開のお寺の庭に降りてしまい、(頭の中で)非礼を詫びつつ通り抜けさせてもらった。
亀ヶ谷坂を越えて扇ヶ谷に入り、今度は谷側から覚賢塔があるあたりを見上げてみたが、当然ながらどこにあるやらまったく判らなかった。
●週半ば。今年初めてののびるを収穫。しかし、どうしたわけか昨年あたりと比べると、極端に球根部分の育ちが悪い。というわけで、ほんのちょっと、味見程度にだけ抜いてきた。下拵えをして、塩を振ってジップロック。
●金曜、春分の日。彼岸の中日。前日晩より実家に行き、昼前に母と墓参り、というか、墓掃除に行く。それほど雑草も生えていない。墓の前の芝生にキタテハがいたので写真を撮ろうとして、ようやく実家に置いてきたかばんに携帯を入れっぱなしだったことに気付いた。霊園の桜はまだつぼみ。
実家から帰る途中、梶ヶ谷のbookoffで「ヴォイニッチホテル」第一巻(道満清明)を買う。先日買って読んだ「ニッケルオデオン」(赤)(緑)が面白かったので。
たまプラーザ「Bs HOBBY」に寄るが何も買わず。AIRFIX再販の戦場仕様ロンドンバスがそろそろ出ていないかと思ったが、見かけなかった。
木曜日夕方、実家に行きがてら撮ったもの。横浜駅、東海道線ホームから写した、旧東横線の残滓。すでに旧ホームと、JR線をまたぐ高架は撤去されているが、その先は未撤去で、先日撮った「何も支えていない脚付き鉄橋」へと続いている。
それはそれとして、暗い雨降りの夕方にわざわざ撮るのは我ながらどうかと思う。まあ、そのうち条件が良いときに横浜駅を通ることがあればまた撮ろう。
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