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銀の亡霊

●ケホケホと嫌な咳が続いていて苦しいのだが、「かばぶ」を遡ってみたら、昨年の同時期にも咳をしていたことが判明。さらにはまぶたがむず痒く、ぴくぴく痙攣していて鬱陶しくてしょうがない。やはり(いよいよ本格的に)花粉症らしい。

もっともこのご時勢なので、花粉に加えて、「いやいや、それはPM2.5が引き金になったんだよ」とか「関東にもじわじわと降り積もった放射性物質のせいだね」とか、後からいろいろくっついてきても納得しそう。なお「どこかでマブイを落としてるんじゃないか」はアリだが「ご先祖供養を怠っているせいだからこのツボを買いなさい」はアウト。

●24日月曜日。仕事で本郷の東大。行ってみて気付いたが、構内はローブ(アカデミックドレス)と四角い帽子の人が右往左往。ああ、卒業式の季節かあ。

ところであの帽子は、角を前にかぶるのが正しいのだろうか、それとも辺を前にするのが正しいのだろうか、という素朴な疑問を覚えたのでwikipedia(のアカデミックドレスの項)を見てみたが、

人によっては後ろに角が来るように着用するが、正式には板と地面が平行になるように着用する。

という、なんだか内容に一貫性がない気がする説明しか載っていなかった。そのものズバリ、東京大学のサイトによれば

角帽はマジックテープが後ろ側にくるように被り固定する。

だそうだ。まあ、そりゃそうだろ……。思いっきり真横を高速でフライパスされた気分。

とりあえず、いろいろ写真を見る限りでは角が前(前後左右)らしい。今日の無駄知識。

仕事帰りに構内の総合研究博物館に寄ってみたが(別に何をやっているかは知らず、単にいつも何かしらシブイ展示をしているため)、月曜休館だった。

●まだ午後も早い時間だったので、本郷から秋葉原まで歩く。途中、神田明神に寄る。

予備校も御茶ノ水だったし、以来、ン十年と御茶ノ水界隈は比較的よく行く場所であるにもかかわらず、神田明神には初めて行った。神田明神はお江戸の総鎮守、時代劇などで「神田明神下のなんちゃらかんちゃら」という台詞が出てくることでも有名。祭神はオオナムチにスクナヒコナ、それから平将門。明治から戦中にかけては、天皇がお参りする神社の祭神が逆賊ではイカンというので、将門は本殿から引越しさせられていたそうだ。

お江戸の地理に明るくない方のために添えておくと、「神田明神」といってもJR神田駅からはむしろ遠く、最寄駅はJRなら御茶ノ水か秋葉原。なんでこんなことをわざわざ書くかといえば、帰宅後にかみさんに神田明神に行った話をしたところ、同じく行ったことがない(らしい)かみさんから、「そもそも神田の駅自体ほとんど降りたことがない」と言われたため。私より長く23区の住民だったことがある人間でも、まあ、こんなもんだ。

ちなみに向かいにある湯島天神にもまだ入ったことがない。

●神田明神脇の男坂を降りると、もう秋葉原の電気街の外れ。久々にYSとVOLKSに寄る。bookoffで「ヴォイニッチホテル」の2巻を購入。

ところでヴォイニッチというのは何なんだろうと検索をして「ヴォイニッチ手稿」なるものの存在を知り、しばらくweb上の資料を読みふける。

●RODENの「British Armoured Car (Pattern 1914)」、要するにロールス・ロイス装甲車の続き。前回はガリガリ削って合わせた砲塔の工作だけを見せたが、結局、なんだかその気になって作業を進めてしまった。

F1018191b ▼とりあえずキットのパーツのみで組み上がったシャーシが右写真(とエンジン部の拡大)。

前回のキット評に加えて言うと、エンジン回りだけでなく、基本的にシャーシは細かい。装甲ボディが梨地だったり(しかも不揃い)、厚かったり、エッジがダルかったり、ヒンジがおもちゃっぽかったりしているのと、ずいぶんアンバランス。

ご覧のようにシャーシだけだと精密感も高くて格好よく、最高級車ロールス・ロイス「シルバー・ゴースト」の貫禄充分。もっとも元になった「シルバー・ゴースト」なら後輪はダブルではないはず。

F1018198F1018186  こうなると、いっそ装甲ボディ抜きでシャーシだけで、駆動系を細かく綺麗に塗り分けて飾っておきたいくらいだが、それはそれで問題がある。

  • 細かく見ると各所にヒケなどあり、車体にほとんど隠れてしまうならよいが、表に出すなら、細かいモールドの合間にあって面倒なそれらの修正の要あり。
  • 丸い部品、棒状の部品がところどころひしゃげている。
  • 実車ではエンジンの配線、パイピングが異様に煩雑。ただしエンジン写真(民間車の)は結構ネット上にも見つかるし、追加工作しがいのあるところでもあるが。
  • 後輪ブレーキの操作系は一部パーツで再現されているのだが、操作索(ロッド?)は省略されていて(それは仕方ないが)、どこからどう繋げばよいのかが判らない。ご覧のように後輪側基部の部品はあるので、索がないと結構目立つ。

結局、ここはここでやはり「アンバランス」な問題を抱えている。

F1018189F1018188▼エッチングを組んだ車輪はこんな感じ。前輪はエッチング2枚、後輪は4枚。

しかし後輪では内外の車輪を繋ぐ、だいぶ幅のあるリム部品(9K)がエッチングを抑える役を果たしてくれて、前輪よりも組みやすかった。

前輪・後輪それぞれ3つずつ作り、1つずつが予備タイヤになる。前輪スポークがひとつ、若干ズレてしまったのだが、これを予備にしようか、いやいや、予備は車体側面にあって逆に目立つだろうから使ってるほうにしようか、などなど思案中。

エッチングにそれなりの厚みがあり、ワイヤの一本一本に幅もあるので、こうして写真に撮って拡大するといかにもエッチング然としている。今時のエッチングなら、交差するワイヤに段差を付けて実感を増すくらいのことはしてくれてもいい気はする。もっとも、塗装すれば目立たなくなるし、肉眼で見ている分には気に掛かるほどではないと思う。

F1018203 ▼戦闘室前方上部の三角形を組み合わせた装甲板は、小口部分を極力薄く削ってから取り付けた。その分、戦闘室前面のフラップは余計に高さが必要になるはずで、場合によっては0.3mm板で作り替える。ボンネット部分は未加工で仮に乗せてみたので、薄くしたところ・しなかったところの差が判る。

戦闘室天井前半も、側面に小口の厚さが出てしまう部分なのだが、ここは後半と高さを合わせなければならず、もし側面板の上部をかさ上げするとなると側面リベット列が邪魔になるなど、ちょっと工作が面倒な要素が絡んでくるので、あっさり諦めた。資料も少なく、もともと正確なディテール追求は望むべくもないので、手を抜くところは抜く方針。

ちなみにボンネットフードは梨地の問題、蝶番の問題などあり、0.3mm板で作り直すか、キットのパーツを削って使うか思案中。

F1018183 ▼戦闘室後面ドアは、左右・上下の4分割で、キットは全て同じ大きさになっているが、これは実際には上が大きく、下が小さいようだ(上下幅が異なる)。荷台に隠れて判りづらいところだが、少なくとも現存実車ではそうなっている。

第一次大戦仕様では同じ大きさだった、などという「どんでん返し」もなさそうな気がするので、ハッチは作り替えることになりそう。もともとのパーツにさえ合わなかった蝶番用の穴も埋めた。

▼その他、ディテール上の疑問や課題。

  • シャーシフレームは後輪部分で一段上に上がっているのだが、キットのそれは上がり過ぎではないだろうか。
  • そのフレーム問題ともちょっと関わるが、キットの後輪フェンダーは高過ぎかも。
  • 左側面の覗き穴は、初期の車輌は右側面と同じ、もっと前方にあったようだ。もっとも第一次大戦中仕様でもキットの位置にある車輌もあるようだ。
  • キットの塗装例[I]では、右側面の予備タイヤを取り付けず、代わりに砲塔上にタイヤ(のみ)を重ねるよう指示されている。実際にはこの車輌の、現存写真の中の姿では、砲塔上の予備タイヤは三段重ね。かつ、右側面の予備タイヤがないかどうかは(少なくとも私が探した限りでは)確認できなかった。本数は些細な問題で、私が気になるのは、「本当に予備タイヤなの?」というところ。タイヤではなくタイヤチューブの可能性もあるのでは?
  • タイヤはキットの説明書では黒く塗るように指示されているが、写真から判断するに、第一次大戦中のものは、カーボンブラック入りではない(つまり黒くない)のでは?

なおもあれこれ思案中。

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