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2014年2月

足元を見る

●19~20日にもまた大雪の予報が出ていたのだが、直前になって訂正。実際に降らずに終わった。

その前の2週続けての雪かきでいつまでも腰が痛く、これで三度目があったらちょっとヤバイところだった。助かった。

●何となく野田秀樹を2冊再読。「当り屋ケンちゃん」と「小指の思い出」(基本、同じ筋の小説版と戯曲版)。

「小指の思い出」の前書きに、

あるアメリカの女性振付師が「靴を見ればその人の踊りの巧拙が判る」と言っているのを聞いてバカだと思った、こいつは靴を見ているんじゃなくて、他人の足元を見て楽しんでいるだけだ、僕などはわざわざ靴を見なくても芸を見れば上手い下手くらい判る。

というような話があって(言葉通り引用していない)、毎度なるほどなあ、と思う。

F1017929 ●旧東横線・横浜~桜木町間の鉄橋の足元。「何も支えていない橋脚」のトマソン

東横線は「みなとみらい線」直通になり、横浜のちょっと手前から地下に潜るようになってしまったので、この鉄橋もすでに線路も道床も撤去されて骨組だけ。

しかし、この橋脚は鉄橋が使用中だった頃からすでにトマソン化していたもので、並行して走る京浜東北線の車窓からもよく見えるので、近隣住民には割と知られた存在かも。

上の鉄橋のおそらく先代の橋の橋脚で、壊す手間とコストを惜しんで残されたのではと思うが、上の鉄橋も無くなるであろう今度こそ年貢の納め時になるかもしれないと、近くを通った際に撮ってきた。

F1017938 F1017940 ●上の鉄橋からもさほど遠くない、京浜急行の「平沼駅」跡。戦時中に廃駅になり、その後の横浜大空襲で焼けたというものなので、遺構ということではさらに年季が入っている。

一見、数年前と特に変わっていないように見えるが、よく見ると、線路それ自体を支える高架中央部分の柱は丸ごと新しくなっているようだ。

両側の旧いプラットフォーム部分を残して中央をリニューアルしたということは、駅の遺構は保存していくつもりなのか、それとも単に工事の手順の問題で最終的には壊してしまうのか、それとも単に壊すのも手間なので放ってあるだけなのかは不明(最後が一番可能性がありそうだが)。

●ちまちまと工作中、トルディの足元。

先に、このキットの組み立て工程上最大のネックである旨書いた履帯について。

F1017904 トランペッター/ホビーボス系のキットは破損しやすそうなパーツは緩衝材で保護してあるという賞賛すべき特長を持っているが、トルディでは、やたら長い履帯のセンターガイドホーンもその対象。パーツ枝と緩衝材がサンドイッチ状態になっている。

問題その1は「履板そのものもスケルトン・タイプで繊細であること」+「ランナーゲートが4箇所もあること」で、パーツに余計な力が掛かると、履板の細くなったところで折れてしまう(ただし、履板に押出ピン跡がないのは有難い)。

これを防ぐには、パーツ枝の横の部分を、レザーソウなどで切り離し、パーツを歪ませる力が掛からないようにしておいて、パーツからランナーを片方ずつ切り離していくのがよいと思う……けれど面倒くさいなこりゃ。

F1017922b問題その2は、基本的に合いのいいこのキットにあって、履板同士の噛み合わせがあまりよくないこと。よく見ると判るが、パーツにわずかな型ズレがあり、そのために噛み合せ部がますます狭くなっているらしい。結局、丁寧にひとつずつ――履板ひとつずつというより、噛み合わせの凹凸ひとつずつということだが――ナイフなりヤスリなりでクリーニングしていくしかない。面倒くせえ!

そんなわけで、お役御免がほぼ決定しているレジンキット、ミニアートスタジオ製のトルディから、ある程度の長さがまとまって成型されているレジンの履帯を持って来ようかという誘惑に何度か駆られてはいるのだが、ごく僅かではあるものの(特に履板両サイドの曲線が)ホビーボス製の履帯のほうが再現度が高いようなので、その度に思い直して繋げている。

現在のところ、まだ片側の接地部分程度。

F1017949F1017867 ●オマケ。

トルディのフェンダー両側後方の工具箱は、キットでは側面に2本の補強用プレスリブが入ったタイプになっているが、先述のように、これは使用例があまり多くなく、しかもフタにもリブが無いといけないようなので、一般的なタイプに作り変えた。リブを削り取り、留め金を新設。

留め金部分がクローズアップで写っている写真がなく、形状がいまひとつよく判らないが、まあ、キットのパーツにモールドされているのと似たような形状なんじゃなかろうか、といういい加減な考証に基づき、適当にそれらしく工作。

この時、キットのモールドを丁寧に削り取って移設する手が使えればよいのだが、キットのモールドは(これまた先述のように)留め金が外れた状態になっているので使えない。

●38(t)に照準器上の雨どいを付けていなかったのを思い出し、付属のエッチングパーツから追加。

実車では、この雨どいは根元にも「ベロ」があり、直上のボルトで止めるようになっている……が、面倒なのでそこまで追加工作はしない。しないったらしない。

●足元といえば、先週から我が家の犬がびっこを引いている。足が滑るフローリングの床のせいで腱を傷めているようだ、というのが向かいの先生の見立て。

フローリングの床を(滑りながら)バタバタ忙しく走り回っていた頃は特に何も無く、昔ほど騒がなくなった今頃悪くなるというのも、歳のせいということなのだろう。

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また大雪

●役所なども回らなければならない所用があって川崎の実家に行く。

木曜に行って泊まり、金曜、外の用事を片付けつつ帰宅しようと思っていたのだが、金曜朝から再びの大雪で、結局用事に関しては何も出来ず。……いやそもそも天気予報をちょっとは織り込んで計画を立てようよ、という話だ。

要するにただ泊まりにいったようなもので、買って行った泡盛をくぴくぴ飲み、母とTVでオリンピックを観る。チャンネルをカチャカチャ変えて男子ノルディックを観たり女子スケルトンを観たり。女子スケルトン、怖っ。速っ。吉田戦車の

「バスルームにリュージュの伝言」

というのを思い出した(特に意味は無い)。

遅くなってテレ東で女子スピードスケートの1000m。まほろさんのナレーション付き。そうか、こういうのも声優の仕事か……。

その後はNHKで男子フィギュアスケートのショートプログラム。母も見始めたらどうにも気になると頑張り、結局、2人で3時過ぎまで。歴史的な出来事であるらしい羽生選手の100点越えを観て、さらにカナダのチャン選手まで観てから寝る。

●オリンピックのTV中継は、どれもこれも日本人選手がメダルを取れるか取れないか、メダルにどうしたって手の届かない競技でも「史上初の*位以内」とか「歴史的な一勝」を獲得できるかばかり。

確かに観ていれば私なんぞでも体の内にナショナリズムが湧き上がるのを感じるほどだが、それにしてもテレビのコメントやら解説やらは逆に興醒め。それより、その競技はどういったところが点数になるのかとか、どんなテクニックがスピード向上に結び付くのかとか、そういうポイントをしっかり解説して欲しい。見どころもよく判らず、競技が終わった後の点数表示や順位表示ばかり気にするのはゲッソリする。

F1017896 ●金曜の朝起きたら本気で雪が降っており呆然とする。いや、降るって言われてたけどさ。それほど積もらないうち、横須賀線もまだちゃんと動いているうちにと、昼過ぎに実家を辞す。

途中、かみさんから「蛍光灯を買ってきてくれ」というメール。雪がどかどか降っていて、いつ転ぶとも判らない時に蛍光灯を買って帰れとは新手のいじめか何かか?と思ったものの、そこまで凝った戦術を使う人でもないので、おとなしく逗子のスーパーで蛍光灯を買う。

我が家の近くまで行くミニバスは早々と運行休止になっており、大きいバスに乗って裏の坂から歩く。もう結構積もっていたが、まだほとんど踏み固められておらず、おかげで滑らずに済んだ。

夜半から雨まじりのみぞれ。

●土曜日。2週続けて雪かき。雪が多かったとはいえふわふわだった前回に比べ、今回は雪が湿っていて重い。始めていくらも経たないうちに腰に来る。くわあ。

F1017898 ●逗子市内各所に貼ってあるポスター。

市議会議員の立候補予定者らしいが、どうもこの名前を見ると、他に「ひつじの次郎」とか「アルパカの三郎」とかがいそうな気がしてくる。

●Google翻訳さんこぼれ話。

とある英語のページをGoogle Chromeで開き、そのままページごと日本語に翻訳してもらったのだが、訳文の途中に、唐突にクワイ=ガンという言葉が登場していた。もちろんページの中身はスター・ウォーズと何の関係もない。

いったい何がジェダイの騎士を呼び出したのか原文を改めてチェック。どうやら、英文の中にフランス語が挟まっていて、その関係代名詞の“qui”を無理矢理訳そうとした結果であるらしい。

それにしてもGoogle翻訳さん、マニアックすぎ。

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ホビーボス 1:35, トルディI

HOBBYBOSSの「Hungarian Light Tank 38M Toldi I [A20]」のレビュー。ディテールの検討と若干の考証。

発売されたのはもう2年近く前のことになるので、いまさら&いきなり感たっぷりだが、たまたま資料も掘り返し、しかもTristarの38(t)の履帯を整形して繋げていくのが妙に面倒で、肩の凝る作業だったため、例によって浮気中(もっとも、その後こっちの履帯のほうが何倍も厄介であることが判明)。

●まずは実車についてのおさらいというか、こぼれ話というか。

HOBBYBOSSのトルディのキットは、3種類のキットが、トルディI(A20)、トルディII(B40)、トルディIII(C40)の名称で出ているが、実際には、トルディIとトルディIIは外形上差異はなく、つまり1番目のキットは「トルディI(A20)/トルディII(B20)」、2番目のキットは「トルディIIa(B40)」とするのが正しい(一応私の手元の資料では)。

トルディIとIIはコンポーネントが輸入か国産化の違い。生産後期のトルディIIは特徴的な「輪っかアンテナ」でなく、ありふれた棒アンテナになっているようだが、これも絶対的ではなく、最終的には車体前後の登録番号で見分けるしかないようだ(そもそもトルディIとトルディIIはある程度並行生産されていたらしいので、時期による区別は成り立つのか?)。

以前、とあるサイトで、トルディI:H301~H385、トルディII:H386~H490と書いてあった話をしたが、こちらのサイトでは、トルディI:H301~H380、トルディII:H381~H490としている。これはトルディIが80輌、トルディIIが110輌という、一般に言われている生産台数とも合う。

また、トルディIは、MÁVAGとGANZとで40輌ずつ生産したらしい(資料5、p64)。トルディIIに関しては上記サイトに、MÁVAG社製が42輌(H381~H422)、GANZ社製が68輌(H423~H490輌)であるとの記述がある。

トルディIIaは、生き残ったトルディI/IIから80輌が改装されたことになっているが、これの登録番号が確認できる写真は、私は見たことがない。また、特に後期の(おそらくグリーン単色で)黒地白十字国籍マークの場合、初期と同じ位置に車番が書かれていたかどうかもよくわからない。

●キット概観。

パーツの合いは基本的によく、モールドもシャープで、まずまず満足すべきレベルではないかと思う。特徴的な足回りなどの再現度もよく、完成見本などを見た感じでも、しっかりトルディの雰囲気をしている気がする。

ディテール面については後で細々書くとして、模型としてのタテツケに関しては以下の通り。

・前記のようにモールドはシャープで部品の精度も高いが、ゲート位置などはこなれていないと感じる部分もある。

・砲は仰俯可動ではなく、任意の向きに接着するという、1:35では珍しい簡単な構成。

・部品が合わない、というところは基本的にはなく、ほとんどのパーツはピッタリ付くが、特に足回りでは、転輪のサスペンション・アーム等の位置決めがゆるい。上下方向にも、左右方向にも位置を決めづらいので、心配な人はジグなど作ったほうがよい。

・誘導輪はほとんど接地してしまっている写真もあるが、標準的な状態では、わずかに地面から浮く。キットはそのままでは誘導輪のアームがだいぶ下がった状態に付き、ダンパーのパーツ(B6の後側)と干渉気味になるので、転輪の位置と比べつつ調整するのがよいかもしれない。ただし、誘導輪のアームは転輪のサスアームと違ってだいぶ合わせがきつい。

・サスペンションアームの転輪軸は、なぜかきついものとゆるいものが混在している。足回りの塗装の都合で「ロコ方式」を採る場合には、それなりの下処理が必要。

・履帯は独特な形状をそれらしく表しているのだが、(1).ゲート位置の関係で、切り離しの際に破損してしまう危険性大、(2).無事に切り離しても、履板同士の連結がきつく繋げづらい――と、苦労する問題点を2つも抱えている。海外のサイトで見る製作記でも、「リンクを**個も壊した」など、この部分には不満多し。Missing-Lynxで、ザロガ御大が作例を披露しているが、そこでも「タミヤ48シリーズのように、ブロックごとにあらかじめ繋がった(link and length)方式にすべきではなかったか」と書いている。実際、本体を組むのはさほど難しくないキットを、この履帯の存在が熟練者(あるいは根気のある人)向けに跳ね上げているかもしれない。「こりゃタマンネー」という人はフリウルに逃げる道もあり。ニムロードの発売後、BRONCOから別売も出るかもしれない。ちなみにフェアリー企画のキットに付属していたカステン製履帯は、僅かにピッチが違う。

●以下、ディテールチェックを。「重箱の隅」的なものが多く、どこを選んで手を入れるかはお好み次第といったところ。

しかもそう遠くない将来にBRONCOからも発売される可能性は低くないと思うので、カリカリにチューンナップするならそれを待つ、というのも賢明かもしれない。

▼足回り

F1017881 起動輪のキャップ(と言っていいのか?)部分の横、対称位置にあるドーナツ型(あるいは古銭型?)の突起は、以前にも書いたが、何かのアタッチメントの役を果たすものなのではと思う。これはクビンカの現存車輌(Iのほう)でも確認でき、“原産国”であるスウェーデンのランズベルク軽戦車系列でも見られるものなのだが、資料で当時の写真をひっくり返すと、少なくともI/IIでは付いていないものが圧倒的に多いようだ(ついているものもある)。

転輪、誘導輪のハブキャップは、通常のボルトで止められた表現になっているが、実際には沈頭のマイナス皿ネジのため、遠目にはネジ頭が目立たない。

起動輪ハブキャップに、誘導輪同様、グリス注入口(?)がある。また、ハブキャップ中央の平らな部分は、実車はもっと小さい。

第一転輪、第四転輪に付くショックアブソーバーのアームは、ちょっと形が違う。なお、このアームは、同じくランズベルクL60から発展したstrv m/38strv m/40Kと、トルディとでは形状も向きも違うので、strv m/38やstrv m/40Kの写真を参考にする際は注意。

上部転輪の間は、軸を下にずらすことで履帯センターガイドとの干渉を防いでいる。ここは実際には太い軸の上部をU字形に彫り込んでいる(もちろん、そんなものを表現しても見えない)。

●車体前部

車体前部上面の前端のリベット列は、その直前に接合線がある。当初はリベット列の位置が間違っているのかと思ったが、そうではなく、どういう装甲板の接ぎ方になっているのかよくわからないが、どうも接合線が二重になっているらしい。したがって、車体前端からのリベット列の距離はおおよそ正しいのではと思う。なお、このリベット列はキットでは丸頭、かつ抜きの方向の関係でちょっと長円になっているが、実際は尖頭リベットもしくはボルト。

車体前部上面の真ん中あたり、前照灯の前にあるパネルを止めているのは尖頭ボルト。

車体前端の、メーカーによるものと思われる楕円形の小さなタグの位置には2箇所ある。ひとつは前照灯カバーを開いた際に固定する車体側金具の横(前端リベット列より後ろ)。もうひとつは、まさに前端ギリギリ、リベット列より前の中央。車番の判るものとタグ位置を対照させると、以下のようになる。Tordi IIの末尾のM、Gは、前述のサイトにあったメーカーの別で、これを見ると、タグ位置が上のものはマーヴァグ社製、下のものはガンズ社製の可能性がありそう。

  • トルディI:H301~H380
    H303 上
    H309 上 (資料1、p10)
    H320?下 (車番不鮮明。この写真
    H338 下 (資料1、p10。ただし車番の下2ケタしか見えず、438の可能性も)
    H362 下 (資料1、p9)
  • トルディII:H381~H490(MÁVAG:H381~H422、Ganz:H423~H490)
    H39* 上 M (このサイト写真1枚目)
    H399 上 M (資料4、p34)
    H440 下 G (資料1、p9)
    H453 下 G

前部上面右側の小グリルは若干高さが足りないか。私は一度接着用のベロを切り取って、ほんのわずか、高さを増した。

前照灯のエッチング製カバーは単なるスリット列になっているが、実物は光が上方に漏れないようにする管制用のものなので、ベネチアン・ブラインド状になっている。

車体前部上面、前照灯の前方左に四角く盛り上がったモールドは、クビンカのI型現存車固有の特徴。弾痕か何かに当てたパッチではないかと思われる。

操縦手ハッチ下のひさしが無視されている。

●車体後部

エンジンルームは、本来側面装甲が上面にかぶる構成。中央の大きなアクセスパネル部分は筋彫りを追加するのみでいけるが、前後のルーバー部分は、もし修正しようとすると、リベット列のある枠を若干内側に寄せる必要が出てくる。

エンジンルーム左右側面の通風孔は、組み立て説明図ではルーバーが下向きになるよう描かれているが、そのようにパーツを付けようとするとうまく合わないはず。実際にはルーバーが上向きになるようにする(番号は合っている)。

エンジンルームのアクセスパネル後端近く、左右に付くコの字の金具(パーツA37、A38)はパネルの固定具。実際は車体側に付く2辺は板材、差し渡されているのは丸棒。丸棒の後ろ側にノブ(パーツB1)がぶら下がっており、これを車体側面に付いた金具に引っ掛けてノブを回して締める仕組み(のはず)。したがって、目立たない部分ではあるが、A37・38とB1とがきちんと繋がっているように作りたい。

排気管は先端部分で平らになっているが、キットは明確な段が付いて、丸から平らに変わっている。さすがに、もうちょっと自然に潰した感じに、スムーズに繋がっているのではと思うがクローズアップの写真なし。

●装備品・工具など

ライトガードは、I型キットでは基本、カマボコ型を使用するよう指示されているが、実際には細い帯金を使った簡易タイプと混ぜて使われている例が多い。以前にも書いたように、どういうわけか右がカマボコ型、左が簡易型である場合が多く、とある部隊の写真で、まとまって写っている10輌ほどの車輌(確認できる限り)が、すべてそうなっている例もある。もっともその逆のケースも、キットのように両方カマボコ型の場合もあり、明確な基準はなさそう。

全工具があっさり無視されている。標準の車外装備品は、それぞれ、エンジンルーム横の通気口近くで、右フェンダー上にジャッキ、エンジンルーム右側面につるはし。エンジンルーム左側面にシャベル、左フェンダー上にバール。

後部フェンダー上工具箱の留め金が外れた状態。

キットの後部フェンダー上の工具箱は、外側に2本のプレスリブがあり、側面(車輌を基準にすると前後方向)に留め金があるタイプだが、これは希なタイプ。より一般的には、プレスリブが無く、外側2ヶ所に留め金があるタイプが使われている。ただし、1941年7月27に日に撃破されたとキャプションにあるH399号車がリブ付きタイプを載せているので、比較的初期から使われていたものらしい。また、リブ付きタイプは、上面(フタ部分)にも2条のリブがあるようだ。

●砲塔

F1017885 砲塔の形が微妙におかしい。具体的には、砲塔後面の「く」の字の角度、上下の長さのバランスが若干違っている感じがする。上面後部の「後ろ下がり」の角度も少し足りないかも。右の修正作業は、確かな寸法的証拠に基づいたものではなく、「こんな感じかなあ」という、あくまで感覚的なもの。上半部は0.3mmプラバン、下半は0.5mm+0.3mmプラバンを貼った。下側に余計に貼ったので、折れ線も若干下に移動することになる。

キューポラが裾広がりな形状になっているのは、プラパーツの抜きの都合で付いたテーパーではなく、どうやら実車もそのようになっているらしい。ただし、砲塔天板が、後部は僅かに後ろ下がりになっているのだが、どうもキューポラパーツはその後ろ下がりに対応していないようだ。もっとも、天板後部の傾斜自体がごく僅かなので、接着の際に埋まってしまうかも、程度の隙間しか開かない(ただし前述のように、この傾斜自体、角度が足りないような気はする)。

キューポラの左側、ペリスコープの後方に立つ柱状のもの(パーツA9)は対空機銃架の取付具。ただし、補強用の“ヒレ”部分は、実車ではもっとずっと薄い。また、パーツでは頭部にキャップのようなものがはまっている形状になっているが、実車ではついていない場合がほとんどであるようだ。機銃架を差し込んだ時の固定に関係しているのではと思われるが、左前と右後ろの2カ所ずつ、根元に長円の大き目の穴(それとも水抜き?)と、上部にやはり長円の小さな穴がある。

帯金でできた独特な形状のアンテナは左側に倒れるようになっており、砲塔左側面上部には「y」型のアンテナ掛けがあるが、キットでは省略されている。トルディIIの場合、前述のように一般的な棒アンテナに変更されている車輌もある。

●マーキング

キット付属のデカールは、

  • 国籍マーク:標準的なスタイルのもの
  • 車輌番号:H309
  • 部隊マーク:モデル・エーシュ・マケット・エクストラの#1では第1騎兵旅団・第一装甲騎兵大隊、#5では第1騎兵旅団の軽戦車中隊と書かれている。

という構成だが、キット付属のカラーシートでは、国籍マークと車輌番号だけ使うように指定されている。Tordi I専用のデカールシートなのに!

これはいろいろな意味で問題含みで、

  • 国籍マークはごく一般的なものだが、これを使用する場合は、車番を変更する必要がある。また、多くの車輌で砲塔側面、ハッチの前あたりに描かれている国章のデカールは入っていない。
  • 車輌番号H309はおそらく第2偵察旅団所属で、その場合、通常の八角形でなくアウトラインが円形の独特の国籍マークを使用している。下の動画にもあるように、砲塔に国章も描かれているようだ。
  • 白い鳥の第1騎兵旅団の第1大隊だか軽戦車中隊だかのマークは、車体左右と砲塔上面ハッチに描かれているが、この部隊の車輌は、車体前部の国籍マークが他よりも小さめ(砲塔の国籍マークと同じくらい?)に描かれている。例えばこの写真

というわけで、シートに入っている3種のマークがそれぞれてんでんばらばら、組み合わせて使えない状態であるらしい。デカールの担当者、なにやってたんだ……。

車番は読み取りづらいが、H309と思しき車輌が写っている動画。1940年9月10日、マロシュヴァーシャールヘイ(現ルーマニア領トゥルグ・ムレシュ)におけるパレード。丸タイプの国籍表示、砲塔側面の国章などが確認できる。

●資料は

  • (1)."Modell és makett EXTRA #1 - Magyar páncélosok a II. világháborúban"(第二次世界大戦のハンガリーAFV)
  • (2)."Modell és makett EXTRA #3 - A II. világháború egy magyar haditudósító szemével"(ハンガリー従軍記者が見た第二次世界大戦)
  • (3)."Modell és makett EXTRA #5 - A Nimród és társai...II. világháborús magyar harckjárművek"(ニムロードなど…第二次世界大戦のハンガリー戦闘車輌)
  • (4)."Magyar Steel", Csaba Becze, STRATUS
  • (5)."A MAGYAR KIRÁLYI HONVÉDSÉG FEGYVERZETE", Bonhardt Attila, Sárhidai Gyula, Winkler Lázaló, ZRÍNYI KIADÓ

などを参考にした。一番一般的なはずのグランドパワー特集を持っていないのは何なんだか……。

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大雪の後

●8日土曜日。雪。ここまでズバリ天気予報通りになるものなのだなあと変に感心してしまうくらいに大雪。

F1017895 朝、目が覚めたときから周りがしんとして、音が吸い込まれているような感じがした。夜半に降り出したのはすでに見て知っていたので、こりゃ降り続けて積もったなと思ったら、すでに予想以上の状態だった。

写真はちょうど昼12時頃のものなので、最終的にはこれの倍ほども積もった。

8日の晩は近所の家で数家族集まって鍋パーティだったが、玄関を出た途端に足が雪に潜り込み、その後も(車も通らない住宅街なので)30センチほどの雪の中をズボズボと歩いて遭難しそうになる。ただし、気温も低かったので、いつもの東京近郊の雪のように湿っておらず、そこまで深くても靴もズボンの裾も、思ったほどは濡れなかった。

12時過ぎまで飲んで食って麻雀をする。帰りにはほとんど雪も止んでいた。

●9日日曜日。かみさんにたたき起こされ、家の前の道路の雪かきをする。年寄りが住んでいて雪かきのままならない家もあるので、家のまん前だけでは終わらず、とりあえず、四辻まで道が通じる程度、近所の人と汗をかく。

ついでに雪を積み上げて、チビ助所望のかまくらを作る。昼食後、なんとか雪かきも終わり、かまくらもそれなりの格好になるが、すでにそこそこ雪遊びを堪能したチビ助は家の中に引っ込んだきりだった。ふんぬー。

●そうこうしているうちに東京都知事選が終わっていた。下馬評通り、舛添当選。私の予想通りでもあるが、面白くはない。

もっとも、そもそも厚労相の時にも大した功績があったとは思えず、人物評としても「えー?」みたいな感じで、それを「選ばされる」都民保守層(といって悪ければ自民支持層?)もご愁傷様な感じ。余計なお世話だけれど、そういった感じは東京だけのことではないし、保守だけのことでもない。

●10日月曜日。腰と腕痛し。

F1017890 ●最近の寒さで、我が家の犬はヒーターの直前に座り込み、温風にぶわぶわ吹かれたままでいるという自堕落状態を身に付けた。

ちなみに9日、たまたま開けていた玄関から一瞬表に走り出たものの、積もった雪に怖れをなしてそのまま家の中に逃げ帰ってしまった。「犬は喜び庭駆け回る」って言ったのは誰だ?

●オリンピックのモーグルを見ると、つい「モーグリ」と言ってしまう。いろんな意味でオヤジ。クポクポ。

●たまたまe-bayに、旧インパクトの1:48古典機シリーズが5機セットで出品されているのを見掛けた(ブレリオXI、マーチン・ハンダサイド、デュペルデュサン、アブロ複葉、アブロ三葉の5種。シリーズ全6種のうち、ブリストル・ボックスカイトが欠けているだけ)。それもなんと、最初目撃した時点で、5種合わせて日本円で数百円という安さ。

一応、パイロ版も合わせれば6種全部ストックしていることもあり、残り時間も(その時点で)まだ4日もあったので、「終わるまでにはそこそこの値段になるだろう」とチェックを入れただけで入札はしなかったのだが、どうやら最終価格は7500円程度だったようだ。

5機分どころか2機分にしても安いよ……。

●ミリタリー模型趣味のおかげで、我が家には読めない言語の資料があれこれある。

なかでもマジャル語(ハンガリー語)の資料、“A MAGYAR KIRÁLYI HONVÉDSÉG FEGYVERZETE”は英語の抄訳なども付いておらず、言語的にも馴染みが薄くて単語の拾い読みもほとんど不可能なので、何となく悔しい気分を抱き続けていた。

そういえばHOBBYBOSSのトルディIIIは、いかにも実戦参加していそうなふうな箱絵で出ているけれど、この資料には何と書いてあるのだろうと思い、マジャル語のweb機械翻訳なんてあるものかしらんと探してみたら、Googleがやたら多種の言語に対応する機械翻訳を始めているのを(今頃)知った。

そんなわけで、“A MAGYAR KIRÁLYI HONVÉDSÉG FEGYVERZETE”のトルディIIIの解説の後半部分をGoogle翻訳に掛けてみた結果が以下。もちろん原文はずらずらと続けて書いてあるが、便宜上、ピリオドごとに改行した。

Az időközben 12 darabosra csökkentett Toldi III megrendelést a Ganz-gyárnak 1944 januárja és áprilisa között kellet volna leszállítania.
A hadvezetés azonban úgy döntött, hogy a páncéllemez-szállításoknál a nehéz harckocsik és a rohamlövegek részesülnek előnyben.
A páncéllemez-szállítások elhúzódása miatt egyre késett a Ganz-gyárban már elkészült alkatrészek összeszerelése.
Nincs adat, hogy a harmadik Toldi-sorozatba tartozó járműveket valaha is átadták volna a csapatoknak.

一方、粗く減少12トルディIIIはガンツ工場は1月1944年4月の間で配信されることになっていたよう命じた。
しかし最高司令部は、可能な限り重い戦車と突撃銃の配達中の装甲板望ましいと判断した。
なぜなら装甲板納入の遅れガンツ工場で延期されたは、すでに組み立て部品を完了した。
第三のトルディシリーズの車両へのデータは、これまで与えられていない

まあ、あくまで機械翻訳然とした訳文で、せいぜい「何について言おうとしているのか」が判る程度のものだけれど、それでも、

  • トルディの生産はMAVAGとGANZが担当していたが、トルディIIIはGANZが担当したらしい。
  • トルディIIIの発注数は12輌だったらしい。(ここまでは原文の単語を拾っても判る)
  • トルディIIIの生産よりもトゥラーンやズリーニの生産が優先されたらしい。
  • どうやら最後の文章は、正規に軍に引き渡された記録はないと言っているらしく、要するに、おそらく実戦で使用された記録もない。

くらいが、なんとなく想像できる。

それにしても、英語にはないáëéíóöőúüűなどのダイアクリティカルマーク(アルファベットに付く、発音の区別を付けるためのヒゲとか点とか)付き母音がやたらに多く、文章を入力するのにやたら手間取った。

ついでに、謎の多いトルディ救護車型についても翻訳に掛けてみた。

1942 nyarától a doni fronton harcoló 30. harckocsiezred orvosainak szállítására három db Toldi II harckocsit használtak.
E páncélosok alapvető feladata az volt, hogy a tűzvonalban lévő kilőtt harckocsik sebesültjeihez az egészségügyi személyzetet kiszállítsák.
A harckocsicsapatoknál nagy szükség volt a páncélozott sebesültszállító járművekre.
A gyakorlat bebizonyította, hogy a Toldi kisebb módosításokkal alkalmas az egészségügyi személyzat és betegek szállítására.
A Haditechnikai Intézet javasolta, hogy az átfegyverzésre nem kerülő Toldi I sorozatba tartozó harcjárművek egy részét alakítszák át orvosi harckocsivá.

1943 szeptemberére elkészült az orvosi harckocsi mintapéldánya.
A jobb oldali toronynyílást megnagyobbították, hogy a sebesültet könnyebben lehessen beemelni.
Az egészségügyi felszerelés málházása különösebb módosítást nem kívánt.
Csupán a nehézpuska-lőszerkészletet csökkentették 184 darabra.
Az orvosi felszerelés a megürült lőszertartókban elhelyezett bádogládákba került.
1944 márciusában kilenc darab Toldi I átalakítását rendelték meg Ganz-gyártól.

A gyár az év június-júliusában át is adta a módosított harcjárműveket.

1942年の夏から、ドン前線は30輸送タンク連隊の医師は、トルディII戦車の3枚を使用した。
この鎧の重要な役割は、タンクは負傷に配信現場の医療スタッフに発砲したことである。タンクチームは装甲救急車が大いに必要だった。
経験は、医療関係者や患者の輸送のために、その小さな修正トルディを示している。
軍事学校は、医療harckocsiváを通じてトルディIシリーズではないátfegyverzésreで戦闘車両のランディングネットを確立することを提案した。
1943年9月の医療タンクのプロトタイプが完成。
開口部は、より容易に損傷したことによってであることが、タワーの右側に拡大した。
医療機器málházása特に修正は必要ありません。
唯一の重いライフル弾薬ストックを184枚に減少した。
医療機器はbádogládákba弾薬空いた期間内に置いた。
1944年3月に9個の変換トルディIはガンツの工場を命じた。
今年の6月から7月にかけての工場は、改訂された戦闘車両を引き渡した。

なんとなく「ドン戦線」とか、「第30戦車連隊」とかが判る形で訳されているのがスゴイ。

そんなこんなで、38(t)の履帯もまだつなぎ終わっていないけれど、再びトルディ熱が湧き上がってきて、並行してHOBBYBOSSのトルディIもチェック中。近々報告をUP予定。

(追記。ちなみに“A MAGYAR KIRÁLYI HONVÉDSÉG FEGYVERZETE”という書名は、MAGYARがハンガリーの本国語での呼称、HONVÉDが軍隊とか陸軍とか、まあそんなような意味だというのはわかっていたのである程度想像はしていたが、改めてGoogle翻訳に掛けてみたら、

ハンガリー王立陸軍兵器」

という意味だそうだ。……ベタな書名だ。)

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雪と雪のあいだの日

●火曜日以降、久しぶりに本気で寒い。

この冬、自室の暖房は小さな電熱ヒーターなのだが、まるで部屋の中が温まらない。いやまあ、そういえば冬だっけ。

●4日火曜日夕。神保町N社に企画会議に出掛け、飲んだくれる。

もちろん、企画会議の席上で酒をかっくらったわけではなく、会議が終わって皆で飲みにいったのである。いつもの九段下「おかってや」で、刺身を食って鍋をつついて、くぴくぴ日本酒を飲む。

M君がベトナムに転職してしまったため、企画会議に出るような中心メンバーの中で喫煙者はC社長だけになってしまい、「事務所のベランダの灰皿にも自分の吸殻しか入っていない」と、いささか寂しそう。喫煙者のK女史、とみに復帰が望まれていますよ。

ちなみにタバコは消費税上げに合わせてまた値上げだそうだ。

私はしばらく前から禁煙中だが、「もし不治の病が発覚して、寿命があと数ヶ月と宣告されたら、何はともあれまたタバコを吸うよ」と宣言している。しかしその時になって、「いくらなんでもこりゃないだろう」レベルの値段になっていたらどうしよう。

酔っ払うと行動が怪しくなる(特に行き先に関して)C社長と連れ立って帰宅。ライナー券を奢ってもらい、代わりに缶コーヒーを奢る。エビタイ。

●この日、行きの武蔵小杉の駅の辺りでは、ぼたん雪が激しく降ってきていて、特に天候変化に脆弱な横須賀線のこと、これで止まってしまったら帰れなくなる、まいったなあ、などと思ったものの、ほどなくして小降りになり、横須賀線も無事だった。

しかし今度の土曜(8日)には再び降雪、しかも今度は交通機関に影響が出るほど降る可能性もありだとか。

●6日木曜日。昼過ぎから実家に出掛けようと思っていたのだが、締切仕事がちょっと手間取ったので来週に延期。一応、昼には終わったのだが、明け方まで仕事していて数時間しか寝ておらず、寒い中出掛けていく勇者の心持ちが失せた。

●娘にある絵の一部を見せられ、誰の絵か判る?と聞かれたのだが、結局判らなかった。結局作者はカラヴァッジョだったのだが、そこでまた一瞬、頭の中でカラヴァッジョ(画家)とカルパッチョ(料理)がごっちゃになった。

ちなみにかみさんは正解したそうだ。「ふんぬ」と「ふんど」は両方知らずとも!

●ソチ・オリンピックが開幕だそうで(ええっと、いつ?今日?明日?)、

「ソチも悪よのう……」

というフレーズが頭に浮かんだが、特にオチはない。

それはそれとして、近隣に紛争の種をワンサカ抱えたザカフカズでオリンピックなんか開いて大丈夫なのかね、と思う。メダルの数がどうとか以前に、とにかく無事に終わって欲しいもの。

オリンピック外交でプーチンと会いに安倍総理がいそいそと出掛けて行くのも、あれこれ不安や軋轢を抱えているのを、オリンピックといういわば「祭+擬似戦争」で気を逸らしたい筆頭格の2人という感じで、テレビの画面で顔を見るだけでなんだかモヤモヤする。

ちなみに私は東京オリンピックに関しても「止しゃあいいのに」派。もともと石原慎太郎の妄執のようなものに、後付で東北の復興をダシにする姑息さがイヤで、どうしてもというなら東京がカネを出して仙台でやりゃあいいじゃないか、と思う。

少なくとも国立競技場を壊すのは止そうよ……(新国立競技場に関する解説ではここが滅法面白い)。

●仕事の合間にTristarの38(t)の履帯を少しずつつなげているが、まだ片側分も終わらず。

●エアフィックスの第一次大戦の「2階建てロンドンバス戦場型」再販に備えて予習。

戦場で兵員輸送に用いられたロンドンバスは、LGOC(London General Omnibus Company)のB-Typeと呼ばれる型で、もともと1910年から使われたもの。

LGOCは、当時のロンドンバスの運営会社であるとともに、製造部門も持っていた。この製造部門はのちに分離され、AECとなった(1912年)。B-Typeの製造もAECに引き継がれた。

およそ900両が、前線後方で兵員輸送に用いられたらしい(英語版wikipediaによる)。画像検索をすると、2階席が伝書鳩用の鳩舎に改造された特殊なバリエーションも少数存在するようだ。

インペリアル・ウォー・ミュージアムには、当時戦場で使用された実物、「Ole Bill」が展示されている。ただしこの車体は戦後バス会社が買い戻して使用したので、戦場用のカーキ色ではない。

写真資料はこちら

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ふんど

●「憤怒」という熟語は「ふんぬ」と読むとばかり思っていたし、中学・高校の頃の現国で漢字の読みのテストでもあれば、「ふんど」と書いたらバツが付くんじゃないかと思っていたのだが。

初めて「ふんど」に気付いたのはハガレンこと「鋼の錬金術師」で、七つの大罪の名を持つホムンクルスの1人、「憤怒のラース」に「ふんど」というルビが振ってあった。「おいおい、そりゃ違うダロ」と流していたのだが、先日、「はたらく魔王さま!」の最新巻を読んでいたら、また「ふんど」というルビに出会った。

改めて調べてみると、辞書的には「ふんぬ」「ふんど」両方ありで、ちなみに手元の広辞苑四版には

ふんぬ【忿怒・憤怒】いきどおり怒ること。ふんど。「―の形相」

ふんど【忿怒・憤怒】⇒ふんぬ

とある。「怒」を「ど」と読むのは漢音、「ぬ」は呉音だそうだから、仏教用語としての怒りの表現は「ふんぬ」で(例えば神将像や閻魔像の顔とか)、一般は「ふんど」だとかいった切り分けがあるのだろうか?

(追記:ちなみに、かみさんに「ふんぬ? ふんど?」と訊ねたところ、「日常会話でそんな言葉使わないし、どっちも知らん」と一刀両断された。ふんがー)

●某所で「オキュラスリフト(Oculus Rift)」というヘッド・マウント・ディスプレイを体験。

単に目の前に何かを映し出す、というものではなく、ジャイロセンサ、加速度センサ等内蔵で頭の動きを検知。両方の目の前にレンズがあって、3Dの光景を広視野角で、しかも頭の動きに従って360度、ほとんどディレイを感じさせること無く見せるという、最先端VRディスプレイ。

こりゃ、SAOの世界が近いのか!?と感じさせるものだが、実際、開発者は第一にVRゲーム目的に開発したものだという。

壮大な城を取り巻くジェットコースターのデモソフトを体験させてもらったが、実際にGを感じているわけではないのに、ついつい体を傾けたり足を踏んばったりしてしまう。下手をすればコケそう。……というのはこちらが立っていたからいけないのであって、本来は座って装着推奨だそうだ。

もうひとつ、初音ミクと握手するデモも体験。かぶったとたん、ほんの目の前に初音ミクが立っていてのけぞりそうになった(笑)。

問題は、その映像、感覚は普通の写真や画面キャプチャなどでは伝えられないことで、どうスゴイかは、結局「ぜひどこかで体験してみてください」としか言いようがないところにある。

しかし、今後あちこちで話題に上ってきそう。VRゲームだけでなく、土木建築分野のプレゼンや景観シミュレーションなどにも絶大な威力を発揮するのではと思う。

●年末に稲村ヶ崎駅前で買った大量の銀杏をついに食い尽くす。一度バター炒めを試し、串にしておでんにも入れたが、結局、ほとんどは単に殻付きで炒って塩で食った。

F1017841 ●1月31日。ふらりと近所を散歩。法性寺境内で、もうすでに梅がそこそこ咲いていた。

●2月2日日曜日。午後、逗子市の市民交流センターで「昆虫おもしろ話~今春からの昆虫ライフを120%楽しむために~」なる講演があるというので聞きに行く。

厚木のある施設の学芸員で、昆虫の専門家の方の話だったのだが、題名のせいか、幼稚園から小学校低学年くらいの小さな子供(を連れたお父さんお母さん)ばかり集まってしまい、本来、大人向けの話を用意していたらしいのだが、急遽、子供向けの講演に切り替え。それでもそこそこ面白く最後まで聞いたが、やはり残念。

その講師が編んだ昆虫のポケット図鑑を会場で購入。「チョウ・バッタ・セミ編」「トンボ・コウチュウ・ハチ編」の2冊に分かれている。比較的マイナーな虫も出ていること、従来の図鑑のような標本写真や図版ではなく生きた虫の写真であること、しかし野山での生態写真ではなく白バックの“スタジオ写真”であることが特色。近年分布を広げている種、外来種等についても丹念に取り上げている。今後重宝しそう。

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スロバキア陸軍LT-38メモ(2)

●スロバキア陸軍、LT-38/38(t)の考察その2。塗装とマーキング。

スロバキア陸軍のLT-38/38(t)の塗装は、主に次の3種に分けられるのではと考えられる。

▼チェコスロバキア陸軍制式の3色迷彩(ただし前回書いたように、完成はチェコスロバキア解体後)。最初の5輌(V-3000~V-3004)のみ。チェコスロバキア軍の3色迷彩は、例えばタトラのOA vz.30装甲車では全車同じパターンで塗られていたが、LT-38では各車パターンはまちまち。色はダークグリーン、アースブラウン、オーカー。3色の面積はほぼ同じくらいで、塗り分け線はくっきり。転輪類の中に塗り分けはなく、いずれか1色に塗られている。これに関しては、ロールアウト直後の写真で確認しやすい(V-3000とV-3001とされる)。

配属されて間もない頃と思われる写真(資料3、p12など)を見ると、マーキングは当初、車体の前後に軍登録番号(黒地長方形に白文字)のみ。

1941年夏、ソ連侵攻に伴い、若干のマーキングが付加されるようになる。1941年7月22日、ウクライナのリポヴェツ(ルィーポヴェツィ)近辺で撮影されたV-3003号車の写真(資料2、p49など)では、砲塔側面に白のスロバキア十字(いわゆるロレーヌ十字と同形)、およびドイツ式の3桁の砲塔番号「314」が確認できる。砲塔番号は白縁付き赤か、白縁のみか、モノクロ写真からは判別し難いが、同時期・同様の塗装のLT-35の写真では、数字内側と、外の地色に明らかにトーンの差が確認できるものがあり、白縁付き赤の可能性は高そう。

「314」という砲塔番号は、V-3000~V-3004が当初第3中隊の第1小隊に配属された(資料2)という記述とも合致。また、後述の「V-3000/311号車」と考え合わせると、登録番号順に砲塔番号が割り振られたらしいことも判る。なお、この斜め前から写されたこの写真では確認できないが、後述の「211号車」から判断すると、3桁の砲塔番号は砲塔後面にも記入されていた可能性が高い。

やはり3色塗装のV-3000号車のパレード時の写真で、砲塔に「3**」の番号が書かれているものの、スロバキア十字はないものも確認できる。V-3000は早い段階で撃破され全損しているが、その時の写真ではスロバキア十字と数字「311」が確認できるので、V-3000~V-3004の砲塔番号とスロバキア十字は、砲塔番号が先に書かれたらしい。ちなみに同時期のLT-35の場合は、「十字のみ」「番号のみ」「十字と番号両方」などが確認でき、記入法はあまり厳密でなかったらしい。

これら3色塗装のLT-38は、ソ連遠征から本国帰還した後に、それ以降の生産車に準じてカーキ一色に塗り直された。また1942年5月からは、砲塔側面に楯状の国籍マークが記入されるようになった。先のV-3003号車の、この状態の写真も残されている(資料1、p40)。

▼V-3005号車以降のLT-38(MBB社からの直接購入分、つまりV-3057号車まで)は、「カーキ」の単色塗装。モノクロ写真で見てもだいぶ暗めに写っている写真が多い。資料2には「brown-tinted color(茶色がかった色)」との説明がある。

1年目の戦闘に加わったLT-38はV-3009までの10輌のみのようだが、後半の5輌、V-3005~V-3009号車は、第2中隊の第1小隊に配属された(資料2)。前半5輌同様、開戦前は車体前後の登録番号のみ。ただし、この写真を見ると、どうも登録番号の黒地に白縁のないもの、あるものが混じっているようだ。

開戦後、第3中隊の5輌と同様のマーキングが施されたらしく、カーキ単色に、砲塔側面前方にスロバキア十字、側面と後面に砲塔番号「211」を記入し、LT-35やLT-40と一緒に写っている写真がある(資料2、p58)。登録番号は写っていないが、「314」の例から類推すると、V-3005号車ではないかと思われる。資料2にはこの車輌のカラー図も掲載されている(p37)。番号は白縁のみで記入されているように描かれているが、白縁付き赤の可能性も捨て難い。

また、行軍中のV-3006号車の写真もあるが、これは車体前部上面に対空識別用のナチ党旗(スワスチカ)を載せ、砲塔側面前方にスロバキア十字。その後方に番号があるかどうかは、光が反射していてよく判らない。ただし、V-3006は7月27日にソ連軍のトーチカとの戦闘で撃破され失われており、その時の写真(資料1、p67)では、うっすらと「212」の番号が見える、ような気がする。

前述のように、1942年5月には、国家色の白・青・赤に塗られた楯形の新国籍表示が導入された。これ以降は、砲塔側面ほぼ中央にこの国籍表示、車体前後に登録番号という、いささか地味な塗装で統一された。配備後に訓練中とされるV-3020番台と思われる一群の写真(資料3、pp50-51)などで確認できる。web上では、例えばこれ

ところで、前回の記事で、この一群までの登録番号の、特に車体後部のナンバープレートに関し、

車体後部にもほぼ同じ大きさでナンバープレートが、車体と右フェンダーにまたがるような形で取り付けられているらしい。

と書いたが、新たにネット上でこんな写真を見つけた。これを見ると、この時期のナンバープレートは、どうやら正規のブレーキランプ用のステイの上に取り付けられているらしい。

▼V-3063以降の“元Pz.kpfw.38(t)”、つまりドイツ軍のデポから受領した中古車輌は、基本的にドイツ軍当時の塗装で使われたらしい。資料2の塗装の項の説明には、「国籍表示の楯と登録番号を書き加えたのみで、元のダークグレイかサンドイエローのまま」とある。実際にはモノクロ写真だけなので、スロバキア軍基本色のカーキなのか、ドイツ軍の色なのかは判りようが無く、「そう書いてあるならそうなのかな」くらいのことである。

ドイツ軍塗装だった場合には、受領した時期(1943年夏以降)から考えて、すでにドイツ軍車輌の基本色はダークイエローに切り替わった後であり、ダークイエローの車輌が多かったはずである。この後期の登録番号を持つ「元38(t)」の一群の写真は、1944年のスロバキア対独蜂起時の写真だが、多くの写真で、車体色は初期の一群の単色塗装よりもだいぶ明るく写っており、これもダークイエローであることの傍証となる。

また、V-3131号車(資料1、p95)では車体前面の予備履帯が外れた後にまだら模様が付いているように見え、予備履帯を装着したままで全体を塗装し直した(つまりグレーからダークイエローに塗り直した)ようにも見える。

ただし、デポに置きっ放しの中古車輌ということで、旧塗装のままのものも混じっていた可能性はないとは言えない(役に立たん考察だなあ)。

また、「ドイツ軍時代の塗装のまま」ということであれば、2色迷彩、3色迷彩の車輌も混じっていてもよさそうだが、とりあえず、V-3063以降の車輌で、はっきりと多色迷彩と言い切れる写真は、いまのところ見たことはない。

マーキングは戦争中盤以降の規定通りで、砲塔側面中央に国籍表示の楯、車体前後に登録番号。ただし、前回書いたように、車体前面は予備履帯ラックになっているため、前部の番号は右フェンダー上に移動。後部の番号も外側にずらされている。

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