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2014年1月

スロバキア陸軍LT-38メモ

●製作中のスロバキア陸軍のLT-38(ドイツ軍呼称、38(t)戦車)に関する覚え書き。判っていること、判らないことなどランダムに。

●スロバキア陸軍のLT-38は五月雨式に調達されていて、その調達年と数量、スロバキア陸軍の登録番号の関係は以下の通り(資料1)。末尾のカッコはMBI(資料2)にある調達年月で、若干の差異がある。

1940 10輌 V-3000~V-3009 (1941.2)

1941 10輌 V-3010~V-3019

1942 10輌 V-3020~V-3029

1942  7輌 V-3051~V-3057 (1943.2)

------------------------

1943 20輌 V-3063~V-3082 (1943.8)

1943 12輌 V-3099~V-3110 (1944.2)

1944  5輌 V-3129~V-3133 (1944.6)

破線より前はメーカーであるBMM社(元のČKD社)から購入しているのに対して、破線以降はドイツから38(t)の中古品を入手している。

●というのが一応、スロバキア陸軍のLT-38の基本情報なのだが、破線以前の新品(?)車輌に関しては、若干の謎がある。

▼最初に調達した10輌のなかでも前半5輌(V-3000~V-3004)は、チェコスロバキア軍制式の3色迷彩が施され、スロバキア軍でも当初そのままの塗装で用いられている。

しかしチェコ解体は1939年3月であり、調達時期から考えても、これらの車輌はチェコ解体後の生産であると思われる。それなのにチェコスロバキア軍迷彩である理由がよく判らない。“輸出用”としてわざわざ旧迷彩を施したのか?

ちなみにそれ以降の車輌はカーキ単色で塗られている。資料2のカラー図版では、ほぼオリーブドラブで表現されている(もっともオリーブドラブ自体、茶系から緑系まで幅広いが)。

なお、破線以降のドイツ軍の中古品群は、全車がそうなのかどうかわからないが、明るく写っている写真が多く、デュンケルゲルプ単色に塗られている可能性が高そう。

▼破線以前の車輌、つまりV-3000~V-3029、V-3051~V-3057は、全車、戦闘室前面が段付きの初期型(アンテナ架から見てA/B型相当)であると思われる。

一方、ドイツ軍向けの38(t)戦車の生産は、40年末にはすでに戦闘室前面が一枚板のE型になり、41年10月には戦車型の最終型であるG型の生産が始まっている。1941年11月から42年3月にかけて100輌余りを受け取っているハンガリーでは、最初の十数輌がF型、残りがG型という構成になっていて、生産時期とほぼリンクしている。

それなのにスロバキア向け車輌は、なぜ1942年になっても段付き装甲板の初期型車輌なのだろう、と不思議に思っていたのだが、これはそもそも、V-3057までのLT-38に関して、「何型か」と考えること自体が間違えているのかもしれない。

ハンガリーの車輌はドイツ軍向けに生産された車輌の中から輸出に振り分けたもの、つまり「Pz.kpfw.38(t)」であるのに対して、スロバキア向けの車両はもともとスロバキアからの発注で生産された「LT-38」であって、スウェーデン向けのS型同様、最初から輸出仕様で作られているものであるらしい。要するに、ライバル・シュコダ社のルーマニア向け「R-2」のような感じ。

もっともそこで再び不思議なのは、41年半ばに生産されたS型が「すでに砲架・機銃架の取り付けが厚くなった装甲板用しかない」という理由から段無し装甲に改修されたのに対して、LT-38は1942年になってもそのまま古い形質で完成していること。予め、LT-38用には旧型のマウントが確保してあったのだろうか?

●破線以降、生産終了後にドイツ軍のデポから譲り受けた中古品は、各型が入り混じっていたのだが、なんとこれらはすべて車台番号が判明している(ただし、ここに記した車台番号順が、そのまま登録番号順に対応しているわけではない)。

V-3063~V-3082(20輌):
 25、35、47、60、61、90、93、95(以上A型)
 152(*1)
197(以上B型)
 
261、324(以上C型)
 388、435、447、463(以上D型)
 522、532、735(以上E型)
 
1203(G型)

V-3099~V-3110(12輌):
 767、802、824、879、896(以上F型)

 1200、1291、1326、1334、1454、1580(以上G型)
 1603(H型)(*2)

V-3129~V-3133(5輌):
 505、514(以上E型)
 874、984(以上F型)
 
1086(S型)

*1:資料2では125。その場合はA型となる。
*2:G型車台の1454、1580とともに自走砲として製作されていたが、戦車型に再改修されたらしい(資料2)。

●スロバキア軍LT-38/38(t)のディテール考察。

当然ながら、スロバキア軍では全部ひっくるめて「LT-38」と呼んでいたと考えられるが、ここでは便宜的にV-3057以前を「LT-38」、V-3060以降を「38(t)」と呼ぶことにする。

・LT-38は戦闘室前面装甲板が段付き、車体機銃装備。車台前面装甲には内部機構用のボルト頭が露出。アンテナ基部は筒型。右フェンダー上に円錐形カバー付きのバックミラー。最前方・最後尾フェンダー架の車幅表示反射板は基本、付いているようだが、ない車輌もあり(もともとあったものが欠損したか)。ターレットリングガード付き。

・LT-38は、ドイツ軍仕様の車間表示灯は付けていない。

・ドイツ軍の38(t)は、1940年の対フランス戦あたりまではガイドホーンが袋状になっている初期型履帯を履いている車輌が多いが、スロバキア軍のLT-38は、最初期のものも、最初から標準型履帯を使用しているらしい。

・LT-38は車台前面中央に軍登録番号。黒の長方形に白字。カーキ単色塗装の車輌は細い白縁付き? 車体後部にもほぼ同じ大きさでナンバープレートが、車体と右フェンダーにまたがるような形で取り付けられているらしい。

・主砲照準器は、ドイツ軍仕様(38(t))では単眼式(TZF38(t))に改められたが(資料3)、スロバキア向けのLT-38では、オリジナルのLT vz.38同様の複眼式であったらしい。その場合、砲塔前面左のドラムの照準孔は2つになる(資料3、p21など)。ただしLT-38の最終ロットであるV-3050番台で照準孔の数が確認できる写真が(私の手元には)なく、最後まで複眼式であったかどうかは確認できない。なお、V-2021号車の写真は、照準孔が2つのもの、1つに見えるものがあり謎。また、当然ながらV-3063以降はドイツ軍仕様なので単眼式のはずである。(2/5追記)

・後半に調達した38(t)は、確認できる限り初期型・後期型の別なく(といっても、確認できる車輌はそう多くないが)、車台前面に予備履帯を装備、車体前端左のG型スタンダードの位置にノテク・ライト装備などの特徴がある。

・38(t)は確認できる限り、初期型・後期型の別なく車体銃は未装備で、指揮戦車型同様、円盤で塞がれている。ハンガリー軍装備38(t)でもこの状態のものは多いので、輸出仕様の標準か? あるいはドイツ軍の車輌でも、装甲列車警備用は車体銃未装備が多いので、戦争中盤以降は、ほとんど装備しなくなっていたのかも。

・前面に予備履帯を装着しているためにLT-38と同じ位置に登録番号は表示できないため、右フェンダー上に新たにナンバープレートを装着。また、後方ナンバープレートはLT-38では車体側に掛かっていたのが、38(t)では完全にフェンダー上に移動。これは、後期型車体ではマフラーが上側に移動したために、従来位置ではプレートが見づらくなったためかとも思う。マフラー位置が低いままの旧型車体の場合はどうなっているのかは未確認。

・38(t)は、右フェンダー後部にブロートーチ収納箱を標準装備。ドイツ軍でこれを装着している例はあまり多くないが、なぜかスロバキア軍の38(t)は全車装備しているようだ。

・スロバキア蜂起時の写真を見ると、砲塔側面後ろ寄りにヘルメットを下げている38(t)がちらほら。この位置には正規にはフック等はなく、何からぶら下げているのか不明。

・トライスターのキットの説明書では判りにくく、同社の38(t)用別売履帯では逆に説明しているので念のため。LT-38/38(t)の履帯は、前から見たときに、起動輪部分で、1リンクごとに、接地リブが上に来る方向になっているのが標準(E/F型の箱絵でもそのように描かれている)。ただし、ドイツ軍の車輌ではたまに逆になっているものもあるようだ。他のドイツ戦車では接地リブが(前から見たときに)下に来る方向で装着するのが標準であるためか。(2/5追記)

●スロバキア軍38(t)のナンバープレートの工作。

F1017794F1017795シャーシ前面の予備履帯ラックを避けて、右フェンダー上に移動したナンバープレート。

ただし、この部分がクローズアップで写っている写真は手元になく、取り付け方、位置とも詳しくは判らない。

一応、戦闘室前面装甲板より若干前方にあるものと判断、前面装甲板横のフェンダーステイから取付架のようなものを介してナンバープレートが付いているという形にしてみたが、そのあたりは完全に想像の産物。

F1017796 後部のナンバープレートは、車体から取付架を横に伸ばし、それに付けられているらしい。これはV-3080号車の後方からの写真に比較的よく写っている。

最初は純正部品の尾灯取付架のままでいいのかと思ったが、実際にはもっと単純な板材のようだったので、エッチング枠の切れ端で工作。車体側はボルト2つで固定されているらしい。

黄色の箱は以前に書いたが、ブロートーチ収納箱。

●工作そのものは履帯の面倒くささにメゲメゲ中。

●参考資料

(1)."GERMANY'S FIRST ALLY -- ARMED FORCES OF THE SLOVAK STATE 1939-1945"
C. Kliment / B. Nakladal
Shiffer Military History

(2)."PRAGA -- LT vz.38/Pz.Kpfw.38(t)"
V. Francev / C. Kliment
MBI

(3).「グランドパワー」1999/9 特集:ドイツ38(t)戦車
佐藤光一
デルタ出版

●話は変わるが、Riich.Modelsから、「プラガAV」が出るそうだ。

と、名前だけ言って判る人は少ないと思うので少し説明すると、実車はLT-38と同じチェコČKD社製、6輪の大型乗用車。ドイツで言えばメルセデス・ベンツG4あたりに相当するのではと思う。ドイツ軍でも高級将校用に使われ、ほか、スロバキア、ブルガリアでも使われている。

ICMを中心にドイツ軍のソフトスキンは「え? こんなものまで?」というのがやたらに出ているが、まさかチェコ製車輌、しかももうちょっと一般的であろうタトラのキューベルあたりをすっ飛ばして、プラガAVが出るとは思わなかった。

なんというか、この頃、予想の斜め上的新製品のアナウンスが多過ぎ。

●いやいやもちろん、タミヤのナスホルンだってびっくりですよ。

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タシュ!?

●いくつかの仕事の締切が重なって泣きべそ状態になっていたが、何とかクリア。

●そんなわけで、ようやく一息ついたので、久々に模型製作。何か一つでも完成させようというわけで、ほぼ組み立ては終了しているトライスターの38(t)を引っ張り出し、ちまちまと履帯つなぎを始める。

トライスターの38(t)履帯は、接続部両側に小さく凹凸があり、いわゆる「パチハメ式」に繋ぐことができるようになっている。しかしレジンパーツほどの弾力はないので、だいぶ頼りない状態でしか繋げない。細かいバリなども部分的に出ているので、クリーニングにもちょっと気を使う。

それが面倒ならカステンの可動式を使えということになるのだが、キットの履帯の彫刻が悪いわけではないので、そこまで奢る気にはなれない。

すでにフェンダーまで付けてしまった状態で、上側に自然なたるみを付けながらうまく這わせることができるか、ちょっと不安。

●トランペッター、ホビーボスが今年から来年にかけての新製品予定を一気に公開しているが、まさに怒濤の展開。

特にホビーボスの予告が驚きで、私の個人的興味にひっかかる部分だけ書いても、

  • T-34-85:……としか書いていないが、出ている写真は43年型。
  • T-26シリーズ:傾斜装甲型、火炎放射型に加え、馬蹄形砲塔の対空機銃架付き後期型もいよいよ(私の認識だと33年型後期型ということになるのだが、キット名称は36/37年型としている。何らかの新資料に基づいているのかどうかは不明)。
  • ルノーR35シリーズ:本命の戦車型もいよいよ。
  • T-37シリーズ:確か無印T-37はもう出ていたはず。
  • T-40シリーズ:これでSTARTのは御役御免だなあ。
  • GAZ-AA/AAA:なぜ!? しかしMiniartのキットは高いので、それなりの出来なら需要はあるのかも。
  • コムソモレッツ:先般出た簡易のキットはそれほどの出来とは思えなかったので、ちょっと期待。今のところ中期型、後期型を予告。
  • タシュ:驚愕! タシュ(TAS)は70口径75mm搭載のハンガリーの試作重戦車……というよりも、車体を組み立て始めたところで爆撃で壊されてさっさと計画放棄になってしまったので、計画重戦車と呼んだほうが近いかも。ちなみに当時のハンガリー軍では75mm搭載で重戦車の扱い。そのうちタシュ駆逐戦車も出すのだろうか。

「読書メーター」というサイトがあって、自分が読んだ本を登録し、感想文なども書き込み、さらには他人の感想文も読んで交流もできる。

また、読んだ本の傾向によって、自分に近い読書傾向を持った人がリストアップされたりする。

……そんなサイトを数年前から利用しているのだが、ここのところ、「ソードアート・オンライン」とか「まおゆう」とか「はたらく魔王さま!」とか、そのあたりのライトノベルをの登録が比較的多かったためか、近い読書傾向の人として、萌え萌えなライトノベル専門の若者の読書家さんが相性トップにリストアップされてしまった。しかも相性度90%ってどういう計算なんだ。

●明日(23日)日中は、晴れていたら散歩にでも出掛けよう……。

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電話は2番

●新年に入って半月でもう仕事がうまく進まずに切羽詰り中。いかんだろう……。

●そんな中だというのに、元旦に、息子に進められてbookoffで買った「マルドゥック・スクランブル」を、その後2、3巻も買い足して一気読み。

とにかく高校から大学にかけてはSFをやたらに読んだが(他のものも読んだけれど)、当時の流行でサイバーパンクも多かったから、何かその頃の雰囲気に立ち返って、いかにもSFらしいSFを読んだような気分になった。

読み終わった旨言ったら、息子に「面白かったでしょ」とドヤ顔をされた。いや、まあ、うん、面白かったけどさ。なお、息子本人は読んだことがあるわけではなく、単にアニメ映画を見て言っていたらしい。

●青木氏の書き込みで「乙嫁語り」の新刊(第6巻)が出ているのを知って、急いで買ってくる。巻が進むに従って、あっちの人、こっちの人と、主人公が入れ替わっていたのが、今回は大元のアミルさんのところに戻ってきて、しかもいきなり話が緊迫。

それはそれとして、パリヤさんは可愛いですな(ほとんど出番ないけれど)。

F1017788 ●兄弟分のドイツ人Pが年末年始に里帰りした際に実家で貰ってきた自家製シュトレンが、川崎の実家経由で我が家に回ってきた。

昨年、ドイツのママが倒れたためにしばらくは作れないだろうと聞いていたのだが、なんと、そのママの指揮下でパパが作り上げたのだそうな。

年始にこれを貰った川崎の実家では、すぐに食べられないからと、あろうことかそのまま冷凍庫に放り込んであったのを貰い受けてきたのだが、幸い、味が落ちてはいないようだ。

市販のものに比べれば見た目はよくないが、ドライフルーツは各種ずっしり入っているし、酒とバターが染みて馴染んだ生地はしっとりして美味し。ドイツのママ&パパ偉大なり!

●ふとしたはずみで検索して知った無駄知識。

文明堂といえば、(私のイメージでは)何をおいても、丸顔の謎の動物の人形が一列横隊で、フレンチカンカンの曲(地獄のなんとか?)に合わせて

「カステラ1番、電話は2番、3時のおやつは文明堂~♪」

と歌い踊るCMなのだが、あれは関東ローカルなのだそうだ。なんとなく全国区のような気がしていた。むしろ「伊東に行くならハトヤ」のほうが全国区だったというのが驚き。

文明堂は明治に長崎で創業、その後全国に支店を展開。現在でも全国各地に「文明堂」があるのだが、戦後、経営を分離してそれぞれ別会社になったために、CM等も別である由。

ただし、神戸の文明堂ほかでも、「カステラ1番、電話は2番」までは同じ文句を使っているそうだ(曲は別)。

もうひとつ意外だったのは、フレンチカンカンで最もポピュラーな曲、全国の小学校の運動会などでもやたら流れているあの曲が、「地獄のギャロップ」(今調べた)などというおどろおどろしい名前だということだ。

●新年に入ってから模型もさっぱり。くっ。これから……これからだぜ!

ところで前回の記事のコメントで書いたのだが、エアフィックスの「軍用ロンドンバス」がついに再販になる由。いつまでもあれだけは再販されないので、金型が破損したのかと思っていた。第一次大戦開戦100周年でようやくお呼びが掛かったのだろう。

ちなみに初版は2階席の周囲の板張りがボール紙を切って張る構成だったような。新版では新規にプラパーツ化されているのだろうか。

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城ヶ島

●年末、身内に不幸があったので新年のご挨拶は省きますが、本年もよろしくお願い致します。

……ってそれは新年の挨拶ではないのか?

●前回書いた通り、川崎の実家に行って年を越す。今回は珍しく息子が一緒。特に正月だからと特別なイベントがあるわけではなく、客もほとんどなく、母とあれやこれや話をしたり、息子とbookoffに行ったり。

息子の「これは面白い(はず)」という勧めに従ってハヤカワ文庫の「マルドゥック・スクランブル」(冲方丁)の第一巻を購入。改定新版。105円コーナーの旧版と比べると、1ページ目からすでにだいぶ違う。外出の用事があまりないので(基本的には電車の中がメインの読書時間なので)まだ読み始めて数ページ。

川崎の実家では正月は雑煮でもお節でもなく鶏飯(けいはん)と決まっていて、大晦日にも元日にもがっつり食す。なお、鶏飯は地元・奄美では別に正月料理ではなく、単に実家では子供や孫の誰もが好きなので正月料理に格上げされているだけのこと(正月以外でもしばしば作る)。

●模型仲間の“いしぐりん”こと石黒氏が、正月で横浜に帰省しているので久しぶりにどうよ、というような連絡があり、4日昼前に待ち合わせ、せっかくなので三崎まで遊びに行く。

実は会って話すまで石黒氏は花巻にいるのだと思っていたのだが、もう何年も前に転勤で仙台に移っていたそうだ。最近声を掛けてくれる模型仲間はなぜか皆、東北方面。

●三浦半島の根っこに住んでおよそ20年を超えたが、これまで不思議と機会がなく、半島の先端には行ったことがなかった。千葉の浜金谷に渡るフェリーに乗るために久里浜に行ったくらい。いやいや違った。息子が小学校を卒業する頃、親子の集団で三浦半島を一晩掛けて徒歩で縦断するという空恐ろしいイベントがあり、確かその出発点で、京浜急行の終着駅の三崎口まで行ったのだった。

今回はその三崎口まで行き、そこからバスに乗って、まさに半島の先端にある漁港、三崎港へ。ちょうど昼飯時の到着となったが、海産物の土産物センターを見て歩いているうち目に止まった「とろまん」を一つずつ食って、とりあえず腹をなだめてそのまま渡船で城ヶ島に渡ってしまった。

F1017759 F1017760 右写真は、島の西の高台にある「城ヶ島灯台」。

やけにちんまりした灯台だが、日本で5番目に出来た西洋式の近代灯台であるとか。ただし現在のこれは、関東大震災で初代が倒壊した後に再建されたもの。

一見、ただの白塗りだが、左側の写真を拡大してみると塔の表面にモアレが出ているはず。これは表面が細かいタイル張りであるため。

そのあとは島の南岸の岩場をぶらぶらと散歩。F1017756 逗子・鎌倉よりもわずかに遠ざかっているにも関わらず、間に遮るものがないからか、やたらに富士山が大きく見えた。もっとも、晴れてはいても若干薄ボケた空だったので、写真に撮ると、「いるんだかいないんだか判らないヤツ」くらいにしか写らなかった。

有名な「馬の背洞門」(海食洞門)脇から高台に上る。もちろん、有名だというのも前日ウェブで観光案内をチラ見して知っている程度で、まるでノープランの散歩。

F1017733 F1017735 ●その後も海岸に下りたり上ったり。南岸まん中あたりにわずかに砂浜があり、それに面した崖に明らかに人が掘った小さな洞窟がいくつか。戦時中の洞窟陣地跡か?

もっとも左側の写真の左の穴は、すぐに行き止まりの「くぼみ」程度のものだった。ただし、斜め下に穴が続いていて、砂で埋まっているだけの可能性もあるかもしれない。

逗子や鎌倉の岬に観測所やら砲台やらがあるくらいだから、東京湾の入口にその手のものがないわけはない、と漠然と思っていただけだが、帰って調べてみると、実際に明治から第二次大戦までは要塞化されていた由。wikipediaの城ヶ島の項にある写真だと、迷彩塗装が残るコンクリートの構築物などもあるようだ。

F1017730 ●城ヶ島南岸の崖でウミウの生息地だとか。この写真を背景にスピットの模型を合成して、ドーバーの白い崖とか誤魔化せないだろうか、などと新年早々益体もないことを話す(もっとも石黒氏には「ドーバーの崖はもっと上から下まで切り立っている」と一蹴された)。

ぐるっと島の東側の「城ヶ島公園」を回って、城ヶ島大橋を徒歩で渡って三崎港に戻る。町外れの食堂で遅い昼食でマグロ丼を食いつつ、早々に酒を飲み始める。その後、横須賀中央まで出て、今度は焼き鳥を食いつつ飲み直して帰宅。

●石黒氏から最近のAIRFIX事情に付きあれこれ聞く。

昨夏レビューを書いた72グラディエーターも、完全新金型になったのを知ったのは石黒氏から聞いたからだが、他にも、私の知らないうちにだいぶ多くのキットがリニューアルされているらしい。エアフィックスのブレニムといえばかなり古いMk.IVがイメージされるが、どうもMk.IとMk.IVが揃って新キットで出た(出る?)らしい。

……ろうそくの消える前の輝きじゃなければいいがなあ。

少なくともファブリック・ウィングのハリケーンMk.Iは欲しい気がする。

●年末に大量のぎんなんを手に入れたことは前回書いたが、毎度炒って食べるだけでは芸がない気がして、ネットでレシピを見て、「バター炒め・黒胡椒」を試す。

そこそこ美味しかったが、いつもの「プライヤで殻に割れ目を入れて炒る」に比べ、そもそも炒めるまでに「完全に殻を割って中身を取り出して軽く茹でて薄皮を剥く」下拵え作業が面倒くさく、「これなら炒るだけでいいや」と思った。

剥く手間を掛けても炒るだけよりずっと美味い!というレシピ募集。

なお、我が家ではぎんなんを食べるのは私だけなので、ぎんなんの炊き込みご飯などは不可。

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