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2013年12月

年末鎌倉散歩

●年内の仕事は強制終了させたので、満を持して散歩に行く(なんだそりゃ)。

……もちろん、取り立てて年末だからどうというわけでなく、単にとじこもっているのに飽きただけ。

ここ数日は天気もよく、29日、30日と、2日続けて午後になってから鎌倉方面に出掛ける。

F1017612 ●29日。

名越切通-大町-下馬四つ角-由比ヶ浜大通り-長谷-御霊神社(公開中の面掛行列の技芸面を見る)-極楽寺坂切通-極楽寺(新年の準備とかで閉門中)-忍性和尚石塔(場所は判ったが行き着けず。非公開の可能性あり)-月影地蔵-尾根道-稲村ヶ崎。

最後は稲村ヶ崎で日没を迎える。江ノ電に乗って鎌倉駅前に戻る。

極楽寺奥の月影地蔵から上った尾根道が、GoogleMapsだと途中で消失しているが、実際にはきちんと踏み固めた山道がずっと続いていて、稲村ヶ崎まで抜けられることが判ったのがめっけもの。

鎌倉のハイキングコース案内でこの道が触れられているのを見たことはないが、鎌倉山から稲村ガ崎まで、ずっと尾根を歩いて行けるわけで、なかなかよい。

写真は、その尾根筋の道にあった基準点。

F1017664F1017668  ●30日。

名越切通-大町-安国論寺-下馬四つ角-和田塚(江ノ電に乗車)

稲村ヶ崎(江ノ電下車)-極楽寺-長谷貯水池-大仏ハイキングコース-源氏山-浄智寺-北鎌倉

葛原岡神社のあたりで日没を迎えていたので、浄智寺に向かう山道でかなり暗くなって、ちょっと焦った。

鎌倉中心部(古都鎌倉)は城壁代わりの山に取り囲まれ、山之内(北鎌倉駅あたり)だけが山の外だが古都に含まれる。今回は29日にその古都を横断、30日に縦断した感じ。

写真2点は大仏ハイキングコース途中の基準点。

●この2日の散歩で出会った丸ポスト。

F1017639 F1017636 F1017638 F1017637 F1017635

上は若宮大通りから由比ヶ浜大通りに入り、江ノ電踏切を渡ってほどなく、ビルの1階にある公衆トイレ入口脇にあるNo.9ポスト。根石の表面にセメントが綺麗に塗られている。ポスト自体も比較的最近塗り替えられた感じだが、近くで見るとだいぶ厚塗りでゴテゴテ。もっともそれはほとんどの丸ポストが同じ。

F1017633 F1017630 F1017631 F1017632

由比ヶ浜大通りをさらに進んで、六地蔵交差点の近く、栄屋商店前のNo.10。坂の下の力餅屋脇のポスト同様、根石が埋まって寸詰まりな感じ。

F1017626 F1017625

その坂の下の力餅屋脇のポスト、No.52。あじさいの頃に紹介済み。改めて比べると、栄屋商店前のものより埋まり方が激しい。

F1017619 F1017615

なんと極楽寺の稲村ヶ崎小学校校庭の片隅に丸ポストがあるのを偶然発見。もちろんもう使われてはいない。

F1017661b F1017659b

北鎌倉、鎌倉小坂郵便局前のもの。塗装が一部はがれてボロボロ。塗り替えが迫られている感じ。ほか、道筋的に極楽寺駅前、浄智寺前の2基にも逢っているが今回は撮らず。

●両日とも天気が良かったので、散歩途中のあちこちで世界遺産のアレがなかなか綺麗だった。

F1017720 名越切通を抜けて横須賀線トンネル上から。

F1017711 名越の踏切から。

F1017705 安国論寺の高台、その名も富士見台から。

F1017614 月影地蔵から上った尾根筋を、稲村ヶ崎に辿る途中。

F1017591 稲村ヶ崎で。

F1017665 源氏山から。

F1017595 オマケ。稲村ヶ崎から見た伊豆大島。

F1017690 F1017687 ●由比ヶ浜大通りの、六地蔵のほぼ向かいに、こんなレトロな建物がある。

「所張出濱个比由」

の右横書きもなかなか良い。その上の文字板を削り取った痕がちょっと無粋な感じなのが惜しいが、ここは元々、横浜興信銀行(現・横浜銀行)と書かれていたらしい(もちろん右横書きの旧字体で)。昭和2年築である由。

それにしても小さな建物で、機能的には今日のATMくらいの役割しか果たさなかったのでは……。

ちなみにTHE BANKの文字は元からのものではなく、現在この建物で営業中のバーの店名とか。

F1017681 ●江ノ電にありがちな風景。明らかに路地は線路を横切っているのだが、「危険 線路内立入禁止」の札。

もちろんここは、日常的に人が渡っているところで(しかも稲村ヶ崎駅のすぐ脇)、立て札はあくまで「建前」。これ以外にも、江ノ電には、当たり前に、直接線路に面している玄関や勝手口などが多数ある(特に鎌倉~稲村ヶ崎間)。

F1017680 ●稲村ヶ崎駅前の食料品屋で、地元産のぎんなんを買った(30日)。

これだけ入っていて(500g?)、280円。安い!……店の人が自分で拾ってきて売ってるんじゃなかろうか。

夕食後に早速炒って食った。美味し。食いすぎて銀杏中毒(本当にある)にならないように注意しよう。

F1017653 ●北鎌倉駅裏の通りの素掘りトンネルは、何しろホームのすぐ脇にあるので沿線の人間にはお馴染みな存在だが、いつの間にか、トンネルのすぐ脇に説明板が立っていた。

曰く、

「平安時代後期よりこのトンネルの有る岩塊は鎌倉の北の境界でした。(中略)鎌倉時代の鎌倉を今にとどめる貴重な遺跡です」

なんと、それほど由緒のあるものだったとは。

●息子を付き合せて、川崎の実家で年を越す予定。

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菱形戦車(2)

●ありがたいことではあるが、この年末にひどく急な仕事が入り、その締切が25、26、27日と3連続だったので家にこもりきり。

昨日は神保町N社の仕事納めの打ち上げで、昼過ぎから事務所内で鍋パーティだったのだが結局行けず。

今週行ったところといえば、野田の火葬場くらい。明日は(天気がよければ)散歩に出掛けよう。そして「げんしけん」と「王妃マルゴ」を買おう(SO-122さんの書評で出たのを知った)。

F1017569 ●ウクライナ、マスターボックス(MB)製1:72、マークI戦車(雌型)の続き。

それほどパーツ数もなく、パーツの整合だの形状だのに深刻な問題もなく、何となくパタパタと組み上げてしまった。

うーん。なかなか格好よいぞ。

F1017577 ●細部について少々。

▼前面のバイザーフラップが別部品で開閉が選択可能なのは、エアフィックスに対するアドバンテージ。やはりこういう部分が開いていると「生きている車輌」感が出る。

前照灯もエアにはなかったパーツだが、取り付け架は角柱状であまりよくないので、エッチングの切れ端で作り直した。もっともひどく小さなパーツの、そのまたステイ部分なので、最終的に取り付けるまでに3つも紛失してしまった。部屋のホコリのどこかに、小さな金属部品が紛れているはず。やれやれ。実は最初になくした2つが「比較的よくできたステイ」で、現在付いているものは車体側のベロの長さが不足気味。

なお、取り付けダボなどはなく接着箇所が曖昧なので、ボービントンのMk.IIの写真を参考にした。さて、ライトがあるからにはコードがあるはずだが、どこから出てどう這わせているのか不明。

履帯は現時点では仮に巻いてあるだけで、左右に僅かにあるバリなども処理していない。しかしそれ以前に、やはりベルト式だと誘導輪、起動輪部分での実感に欠ける。とはいっても、丸ごと自作するのは嫌だなあ……。

また、誘導輪は前端のカーブより大きく、わずかに見えているものなので、ここはパーツ化してほしかった。

F1017576F1017571  ▼左右スポンソンはこんな感じ。

前回書いたように、天井だけ別部品。幸い、(片側の裏面突起が成型不良だった問題を除けば)合いは悪くないが、こうして写真で拡大すると、わずかに隙間がわかる。

スポンソン内のターレットは2つずつ別のパーツ枝で、そのせいか(これも前回書いたが)2つずつで銃眼のスリット幅が違う。写真のようにプラバンを貼って幅を調節した。

銃の先端は、銃口が直接露出しているわけではなく、ポッチ部分もスリーブの一部のようなのでそのまま。

F1017567 ▼車体上部の手榴弾避けネット。プラパーツの枠は斜めの部材も一体になっているのだが、エッチング用説明書(小さな紙切れ)で、その斜め部分を削り落とすよう指示されている。

実物は枠の他の部分とは別の、薄く細い板なのだろうか? クローズアップの写真があまりないので、どうもよくわからない。

ちなみにネットは、このキットでは綺麗に枠と同じ形になっているが、実車は張り方にバリエーションがあり、枠を越えてスポンソンの上にまで張っているもの、枠自体を後方に延長し屋根が長いものなどもある。wikipediaに出ている写真の雌型は、枠自体がなくもっと高い柱を立ててテントのようにネットを張っている。

エッチングパーツは周囲に枠があり、また中央縦にも枠線があるが、実物はネットを張った上からいちいち枠で止めたりしていないようなので、単純にネットのみのパーツにしてもらったほうがよかった気がする。しかも、これのおかげで中央部分が非常に折りづらい。

本当はもっと網の線自体が細く、中がはっきり見えるのが望ましいが、小スケールのエッチングにそこまで求めるのは酷かも。

F1017575 ▼屋根のない天井はこんな感じ。

エアフィックスにはマフラーが入っているが、オリジナル状態では車外にマフラーはなく、排気管は車体天井面に穴が開いているだけ(ボービントンのMk.IIを見ると、車内にマフラーがあるようにも見えるが、単に火傷しないようにカバーが巻いてあるだけかも)。雨/異物避けに小さな三角屋根をそれぞれに付けている。

三角屋根のパーツは端だけ削がれて薄く見えるようにしているだけのパーツだが、見た目充分なのでそのまま使用。

なお、本来排気管の開口部はごくわずかに出っ張っているようなのだが、三角屋根とネットの屋根でどうせほとんど見えないので追加工作はしなかった。

F1017573 ▼方向転換補助用リンバー。

車輪内外の張り合わせは、このキットで最も合わせづらい(ゲートの数が多く、方向合わせのダボが埋まり加減になっている、など)が、それでもそう大したことはない。

ちなみに実車では、このリンバーはそれほどしっかり出来ているものではないらしく、車輪が斜めに歪んでいたりする。もっとも模型でそれをやると、単に工作が下手だったように見えてしまうかも。

リンバー最後部上面が白いのは、後面に貼るエッチングが(本来窪んでいるべきところ)いかにも上から貼りましたふうに見えて情けなかったので、それに若干かぶさるようにプラペーパーを貼ったもの。

F1017572 ▼車体後面。

中央にあるのはマフラーに見えるが、実はリンバーを持ち上げるため(?)の油圧シリンダ。

リンバー補助のスプリングのパーツは、片面が一体、片面が2本ずつ別パーツ(確かエアフィックスと同じ構成)。パーツ枝から切り離す際に破損しやすいので注意が必要(私、2本ほど折りました)。

●写真は主にここのものを参考にした。Mk.IIの項は、なぜかMk.VとMk.IVの写真が紛れ込んでいるので注意。

WWI MODELLER / Walkarounds

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義父ノコト

●義父死去。

22日の午前中に連絡が来た。

もともと恰幅のいい人だったのだが、ここ1年ほどのあいだにみるみる痩せてしまい、それでも苦しくも痛くもないと(生来の医者嫌いもあって)検査も拒んでいた。最近になってますます食が細って無理に医者に連れて行ったらすでに癌が末期だった。

ひとつ幸いなことに、一般に非常に苦しいとされる大腸癌にもかかわらず痛みはほとんどなく、「それでもこれから苦しくなるんです、排泄ができなくなったら人工肛門です」などと医者には脅かされたらしいが、結局、そこまでも至らず亡くなった。

義父は昭和一桁生まれにしては背が高く足も長く、一般には田舎臭いと言われるチバラギ弁(語尾の「~っぺ」とか)が格好よく聞こえる人だった。若い頃はさぞや、と思うが、そういえば若い頃の写真は見たことがなかったかも。

22日にはかみさんと義妹が一足先に、23日には私や息子も追いかけてあれやこれや。

●その義父は生まれてこの方、(旅行などを除き)千葉の野田を離れたことがなかったそうだが、実は若い頃、瀬戸内かどこかに行ってオリーブ農園を経営する夢があったらしい、というのを(亡くなってから)伝え聞く。

義父がオリーブを食べているところすら想像できず、接点が見出せずに我が家でも全員首を傾げる。娘曰く、

「焼酎に梅干を入れてるところしか浮かんで来ない」

●しかし死んでからそういうちょっと不思議素敵系エピソードが出てくるのはなんだかいい。私も今のうちに何か一つ捏造しておきたい気が。

●久しぶりにDailyMotionを観たら、広告の入り方が半端ではなくなっていて驚いた。それはそれとして、動画の間に挟まる広告のアタマに、

「Youtubeをご覧の皆様へ」

……それでいいのかSBI損保(いや、広告代理店?)。

複数の動画サイトで使う広告なら、なぜそんなものを入れちゃったのだろう。Youtube専用に制作したものの使い回しをするなら、なぜほんのちょっとの加工を惜しんだのだろう。

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菱形戦車

●20日。仕事で勝鬨に行く(町名の正式な表記は『勝どき』だが、常用漢字にないからとひらがなに置き換えるのはちょっと見場が悪いと思う。2文字以上の漢字の一部だけかなにするのは特に)。

行きは浜松町で都営大江戸線に乗り換える。大江戸線の大門(浜松町)駅のアナウンスは、時々「だいもん、浜マッチョ」に聞こえる。浜マッチョってどんなのだ、と聞かれても困るが、まあ、六鹿さんのところの「あれが先生のビキニイェーガー」みたいなのを想像していただければ。ここんとこをスクロールダウンして2013/05/20付「進撃のKV-2」参照。

帰りはバスにのって、久しぶりに勝鬨橋の上を通った。勝鬨橋は中心部が大型船の通航のために跳ね上げ開閉する橋で、1940年に完成。1970年を最後に開閉は行われていないそうだが、橋自体はそのままで、可動部のたもとの操作室なども残っている。

数字部分はwikipediaで調べたのだが、それを読むまで、橋がバンザイして開くから勝鬨橋で、勝鬨橋があるから地名が勝鬨なのだと思っていた。しかし、町名は勝鬨橋に因んでいると中央区のサイトにあるものの、勝鬨橋が最初ではなく、実際には、橋が架かる前に「勝鬨の渡し」というのがあったそうだ。日露戦争の旅順陥落時の戦勝記念に、海軍発祥の地である近隣の築地に記念碑「勝鬨の碑」を建て、ほぼそれと同時期に渡し舟が始められたので「勝鬨の渡し」である由。

……例によって今後一生使わなそうな知識。

●勝鬨からバスで銀座に出て、京橋の画廊に写真家・関洋さん、HN「都市蝶」さんの蝶の写真を見に行く。前日銀座の個展でご本人にお会いしたが、今回は会えず。写真も今回は6枚飾ってあるだけだったが、やはり綺麗。

●沖縄物産ショップ「わした」に寄ったがレジが混んでいたので買い物はせず、初めて奥の狭い飲食コーナーでソーキそばを食べる。ちょっと贅沢をしてもずくの天ぷらをトッピングで追加。

いかにもスタンドとか屋台とかで食べるようなチープな感じなのだが、妙に美味し。

●有楽町・交通会館で、ふと思いついて献血センターに寄ってみたのだが、現在服用中の薬、ペンタサは服用後72時間空けないといけない由。一応、毎日服用するように言われている薬なので、事実上献血不可能。役立たず感横溢。

ここ数年来、真夏に有楽町献血センターで献血をしてハーゲンダッツのアイスクリームを貰おうというのが私の密かな野望であり、今回はその予行演習のつもりだったのだが、いきなり野望が潰えてしまった。

ちなみに献血をするとハーゲンダッツのミニカップが貰えるようになっていたのは数年前の夏に目撃したきりなので、実際今でもそうかどうかは不明。

●「マルハナバチ国勢調査」(正式には「クラウドシステムを用いた市民参加型マルハナバチ類国勢調査」というらしい)には、ここ半年ほど、うまいこと写真が撮れるたびに投稿していたのだが、先日連絡が来て、なんと、11月の月間賞を頂いた。

F1017564 寒くなって活動が低調になる時季、おそらく報告数も少なくなっているなか、たまたま遅くまで頑張って蜜集めに飛来しているアザミの藪を見つけ、もふもふにも触らせてもらいながら、しばしば写真を撮っては送っていたのが効を奏したらしい。

3つほど賞品候補があるなかから「ニホンミツバチの純粋蜂蜜」の小瓶を選択。今日(21日)になって届いた。

ニホンミツバチは、現在の養蜂の主流となっているセイヨウミツバチに比べ、蜜の収量が少なく(1/5~1/10)、巣箱へ定着しづらいなどの難点がある一方、蜜は濃厚で栄養価も高いのだとか。基本、年に一度しか採取できないので、蜜は自然とミツバチが訪れる花全部の混合で、そのためニホンミツバチの蜜は「百花蜜」と呼ばれる由。

小さな丸パンを軽くトーストして、ちぎった小片にたっぷり塗って試食。セイヨウミツバチとどれだけ違うのか具体的に言えるほと日常的にハチミツを食っていないが、それでも濃い感じはして、じんわりと嬉しくなる味。料理とかに使うのはもったいないが、パンに塗るだけなのも芸がない気が。ハチミツの味を楽しむ何か別の方法募集中。

「『辛坊さんはどう?』橋下徹大阪市長が都知事選出馬を勧める」

というニュースタイトルを見て、

「えっ、知事候補に南辛坊なのか?」

と、半ば本気で思った。しかも、なんだか本当にそれでいいような気がしてきた。

F1017558 ●2014年は第一次世界大戦開戦から100年で、それに合わせ、模型界でも第一次大戦ものの注目度が上がっており、新製品も出始めている。

そんなひとつが、ウクライナ、マスターボックス(MB)の新製品、1:72のMark I 菱形戦車。数十年前のエアフィックスの1:76以来のインジェクションのMk.Iということになる。MB版は雄型、雌型の同時発売で、今後、Mk.II含めバリエーションもいくつか出る。

なお、LANDSHIPS WW1 FORUMで、MBに「1:35は出ないのか!」と直接質問を送った猛者がいるのだが、答えは「まず1:71で出してみて、売れたら考える」だそうだ。

▼ひとつ試しに買ってみた。雌型のほうにしたのは、ほぼ同等のスケールである古いエアフィックスの雄型のストックがあるためで、作り比べるにしても全く同じじゃ面白くないなあ、などと思ったため。もっとも帰宅して押入れを開けてみたが、エアフィックスのキットはどこに行ったやら見つからなかった。だめぢゃん。

ちなみにエアフィックスも、発売から約40年?の時を経て、最近、いきなりバリエーションキットで雌型を出している。

F1017561 ▼パタパタとりあえず基本形を組んでみたのが右の写真。

MBのキットはずいぶん昔のI号戦車A型ブレダ20mm装備型以来買ったことがないのだが、それよりはだいぶ進化しているようで、基本となるパーツの合いは非常によい。

エアフィックスのキットの弱点の一つは、部品の抜きの関係でスポンソンの上下面がつんつるてんだったことだが、このキットではきっちりリベット列がモールドされていて一日の長がある。

ただし、スポンソン部分にスライド型を使って各面にモールドを入れているのはよいのだが、なぜか上面だけ別部品。目立つ上面エッジに合わせ目を持ってくるより、上面を一体成型して下面を別部品にするとか出来なかったのだろうか。

しかも、基本パーツの合いはいいと前述したが、なぜかこのスポンソン上面の片方の、裏面の銃塔回転軸を押さえる突起に成型不良があって干渉し、微妙にスポンソン本体と合わずに隙間が出来た。幸い、成型不良部分は外形に現れる部分ではなく、しっかり削り合わせをすればほぼぴったりはまってくれる。

雌型は両側のスポンソンにヴィッカース機銃2丁ずつを装備だが、計4つある銃塔の開口部の幅が、パーツ2つずつで違っている。幅が広いほうの両側に0.3mmプラバンを貼って調整した。

部品構成としてはエアフィックスと格段の差はないが、車体前面のバイザーハッチは別部品で開閉選択可能。

F1017557 エアフィックスのキットでは再現されていなかった、手榴弾避けの屋根のパーツが付属しているのは(これまた)一日の長。さらにその屋根の金網もエッチングで付属している。

軟質樹脂製の履帯は、柔らかくてよくフィットするのが若干の取り得。接続部の焼き止めピン部分が車体と干渉して浮き上がってしまいそうだと思ったが、足回り部の内外を張り合わせた真下に切り欠きがあって、これが留めピンの出っ張りを逃がすためのものであるらしい。なかなかよく考えている。

もっとも履帯の再現度そのものは、(このタイプの履帯を軟質樹脂で表現すれば、ほぼこうならざるを得ないとはいえ)エアフィックス時代からあまり進化のないベルト然としたもの。ここは半連結式・インジェクションでパーツ化して欲しかった。そのうちどこかからエッチングの履帯でも出そうな気がする。

▼考証的にも、(特に車体上面の)ディテール等に関しエアフィックスで誤っていた部分が正しくなっており、Mk.Iをこれから作るなら文句なくこのキット、というレベルには仕上がっている。が、「一日の長」といえる部分が各所にあると言っても、それらを合計して「40年の長」と言えるまでに優れているかといえば微妙な気はする。

それは、エアフィックスのキットがそれなりに良いキットであったこと、そもそも表面に細かいパーツがごちゃごちゃ付くような構成ではないこともあるが、MBのほうも、現代レベルで見て目の覚めるようなシャープさはないこと(部品の合いはいいと言ったが、補助車輪など、小部品はゲート等のクリーニングに手間取る)、目立つ履帯にあまり進歩が見られないことなども要因といえそう。

▼これを書くのに調べていて、海外のサイトでの製作記やレビューなどを見て判ったこと。

エアフィックスのキットは、Mk.Iと銘打っているものの、車体形状は小改良型のMk.IIに近いらしい。Mk.Iの特徴である補助車輪は付いているものの、

  • 車体上面の後ろ向きの楔形キューポラはMkII以降のもの。
  • 上面前方、操縦席の突出部の横幅が狭い。これは、Mk.IIで幅広の履帯導入が検討されたため(実際には幅広履帯は導入されず、グローサー・アタッチメントが使われた)。
  • 操縦席突出部上面のハッチはMk.I、Mk.IIに関わらず誤り。
  • 上面にエキゾースト・マフラーが付いているのは後の改修によるもので、本来は単純に3カ所、排気口が開いており、それぞれMBのキットにあるように小さな三角屋根のカバーが付いている。

したがって、エアフィックスのキットの素性を活かしてよりよく製作するには、補助車輪は付けず、若干のディテール修正を加えてMk.IIとして作るのがよいようだ。

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四一式山砲(山砲兵)

●昔のテレビシリーズの「バットマン」の主題歌って、そのまま続けて

「バットマン来るかと、団地のは~ずれまで、出てみたがぁ~」

って歌いたくなるよね(いつの話題だ……)。

●続けざまに仕上げなければいけない仕事があり、今週に入ってすでに2晩夜なべ仕事。それぞれ明け方数時間(耐えられなくなって)睡眠を挟んでいるので、徹夜ではない。

18日夜になって雨。寒い。天気予報では雪になるかもしれないと言われていたのだが、どうやら冷たい雨のままだったようだ。

F1017541 ●19日午後。

コーヒーを入れたので、お茶請けにシュトレン(ドイツのクリスマス菓子)を切る。娘が勤め先のお客さんから頂いてきたもので、どこかいいお菓子屋のものらしく、見た目は整って綺麗だが、ちと甘過ぎ。

以前にお裾分けで貰った“義兄弟”ドイツ人Pのドイツのママお手製のものは、中のナッツやドライフルーツが片寄っていたり、表面の砂糖は溶けかけてまだらになっていたりするけれど、しっとりほっこり甘過ぎず、実にしみじみと美味しかった。

実はドイツのママは今年一度倒れて、現在リハビリ中とか。P曰く、「シュトレンを作るとしても年が明けてからかな」。お早い回復を切に望む(なんだかこういう流れで言うと、食い気だけで願っているみたいだ)。

ちなみに自宅での私のマグは新潮文庫の「Yonda?」の景品(カバーの隅っこを切り取って送るヤツ)。ところで、今検索して知ったのだが、そのキャンペーンは(だいぶ長いことやっていたのだが)来年1月一杯でついに終了だそうだ。

F1017553 ●先日書きかけで消失してしまった、ファインモールド1:35、四一式山砲(山砲兵型)の製作記を改めて書くつもりでいたのだが、結局のところ、キットをほとんどストレートに組んでいるのみで、あまり書くこともなく、いったい先日は消えて脱力するほど何を書いたのやら自分でも不思議。

というわけで、書き直す前からぐだぐだ。

●気を取り直して。

手元にそれほど資料もなく、先述のように、基本、ストレートで組んだだけだが、以下は手を入れた。

▼防盾の周り(上側方のみ)を削って、縁が薄く見えるようにした。全般的には1:35の火砲のキットとしては充分満足できる細かさだが、防盾はどうしても厚みがあり、せっかくの繊細な印象の足を引っ張っている。

プラバンで作り変えるか、どちらか片面のモールドを一時削ぎ落として薄く削り込むか、などなど検討したが、結局、一番安直な方法に落ち着いた。モールド自体が、一度削って付け直すには細かすぎるためもある。ただ、比較的外周に近いところに細かいディテールが数箇所あるため、削り込む範囲が狭くてカーブが目立つ。

F1017549 ▼左右フレームの後端に穴を開けた。現存の四一式山砲はいくつかあるようだが、どれもあちこち破損・欠損していて元のディテールが判りにくい。この後端部は靖国の現存品を見て開けたのだが、実際には何かでふさがれていた、なんてこともあり得るかも(戦時中の明瞭な写真がなかなかネット上で見当たらない)。

▼左右フレーム後端の外側に付いている、斜めの直方体の突起は、人力で素早く砲の向きを変えるための棒(照準棍っていったっけ?)を差し込むためのもので(たぶん)、実際にはレール形断面になっているため、上下に溝を彫ったが、あまり綺麗には仕上がっていない。なお、実際には真横から見たときに長方形ではなく、差し込みやすいよう、後方が若干(上下幅が狭く)削られている。

▼砲口が丸く窪んでいるだけだったので、もっと深く開口した。

▼なお、靖国の現存砲を見ると、砲各部に、部品の紛失防止用の細かい鎖が付いている。前述のフレーム後端の棒接続突起も、実は中央に固定ピンが差し込まれていて、さらにその固定ピンが小さな鎖で繋がれている。そのあたりを今後ちょっと追加工作するかもしれない。

●砲の模型の面白みの一つは、(実際可動に作らなくても)さまざまな作動部が表に見えているために、どういう目的でどういう部分がどう動くかが推察できるところだと(個人的には)思う。

その点、この四一式山砲は、戦間期の砲なので古風なところと、できるだけ軽量かつ分解運搬が容易なように思い切って簡略化しているところが同居していたりして、ますます興味深い。

F1017550 ▼砲の仰俯機構が、第二次大戦以降の火砲のスタンダードである仰俯軸と同心の歯車ではなく、ネジ式の軸で上下させる仕組みなのは、第一次大戦型の火砲にまま見られる方式のようで、並行して作っている76.2mmプチロフM1902野砲も同じ方式を採っている。

この写真でも、揺架の下にわずかに上下動用の軸が見える。その作動系は左に引き出してあって、左側の上向きのハンドルが仰俯用。

一方で大胆なのは、前代の三一式速射砲譲りなのかと思うが、仰俯軸がそのまま車軸なこと(軸は固定なので別段相互に何の影響もないと思うが)。

▼砲の左右動は、古風な箱型砲架だと、砲架に対して車軸をずらす方式(76.2mmプチロフM1902野砲とか、150mmsIG33重歩兵砲)だったりするが、四一式山砲は個人的には初めて見る方式。砲の揺架は、判りにくいが小さな別体の架台に乗っていて、前端に固定軸があり、後端にやはりネジ式の作動部があり、わずかに左右にスライドするようになっている。

その操作ハンドルが上と下の写真で真ん中にわずかに見えている横向きのものだが、揺架と砲架の左フレームに挟まれて、砲に仰角がかかっていたらものすごく操作しづらそうだ。

▼砲はフレーム左右に砲手と装填手(説明書のフィギュアのところを見ると、どうやら当時の日本陸軍ではそんな呼び方はしなかったらしく、それぞれ「4番砲手」「3番砲手」となっている)の簡易座席があるが、これは折り畳み式。説明書では射撃姿勢での組み立てしか書かれていないが、パーツは折り畳み状態の椅子も入っている(A11→A12、B8→B9)。

F1017552 ▼分解せずに短距離を移動する場合、上記のように椅子を内側に畳むだけでなく、揺架にトラベリングロックを掛ける。

右写真で中央下部に見える丸い輪の付いたパーツがそれで、移動時には上に回して揺架後端の丸い突起に掛ける。パーツはA17が開放時(射撃時)、A15がロック時。

▼さらに後端の駐鋤部も、左右フレームに接続するT字部分で回転して、クルリと上側に折り畳めるようになっているらしい。キットは左右フレームと一体なので折り畳むには改造が必要。

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りんご

●書きかけのままupしそびれているうち、12月が半分終わってしまった。

●1日日曜日。どんじさん夫妻が鎌倉散策に来る。天気のよいこの季節、週末の鎌倉中心部はえらく混むので、外縁部から徐々にまん中に近付く方針を立て、昼に北鎌倉駅で待ち合わせる。

鎌倉で誰かを案内するとなると必ず行ってしまう円応寺を振り出しに、山之内から亀ヶ谷坂を越えて扇ヶ谷へ。源氏山に登って昼食。その後は銭洗弁天、鶴岡八幡宮、腹切やぐらなど。

ところで、銭洗弁天で洗った金は、「使うと増えて戻ってくる」というところがミソだそうなので、大事に取っておいてはダメなようですよ>どんじさん

結構、どこへ行っても結構な人だったけれど、あちこち歩いて、最後はどんじさん達の宿のある大船で夕食&酒。目当てにしていた鶏肉屋は休みだったが、大船在住のC社長に電話して助けてもらい、なかなか魚の美味い店を紹介してもらった。

F1017469 ●3日水曜日。とにかく仕事がなくて日干し状態なので、激しく歩く。

名越切通から尾根道を辿ってハイランドに至り、鎌倉大町に一度降りてから、再び脇の谷戸を遡って、大町-小町の尾根の小トンネルを抜ける。以前も写真を載せているが、もう一度。こういう、おそらく近所に住んでいる人以外はほとんど使いもしないし知りもしない、という小トンネルがよい。

トンネルを掘るよりも切通しにしたほうが楽だったんじゃ、と思うほど坂道を登った末の尾根筋ギリギリにある。もっとも山の生物にとっては、コリドーが断ち切られてしまう切通しよりもトンネルのほうがよい。といってもまあ、逗子・鎌倉の場合は、それで一番恩恵を得ているのはタイワンリスだろうけれど。

トンネルを抜けて急坂を下りると、前々日に歩いたばかりの腹切やぐらの下あたりに出、東勝寺橋で滑川を渡る。ちょうどこの橋の辺りは、鎌倉時代後期、青砥藤綱という武士が夜間に渡ろうとして小銭10文を落とし、それを50文の松明を購って探させたという故事の伝承がある場所。

●同日。普段ほとんど通らない道筋にあるために、これまで写真に収めていなかった、小町・蛭子神社入口の丸ポスト(14番)。

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比較的最近塗り直されたらしく、表面も滑らか。もっとも、鎌倉の他の丸ポスト同様、背面下の製造者銘はごくわずかに盛り上がって痕跡を示すのみで読めない(3枚目)。

土台となる根石は完全に露出していて状態もよいが、なぜかポスト本体が片側にずれてしまっている。通常見えない部分だが、本来ポストの裾が乗っている部分の根石上面に窪みが確認できる(間隔から見て、全部で4箇所?)。

どうやらポスト本体下には小突起があって、根石の窪みにはまって固定される仕組みになっているのではと考えられる。もっともそうなると現在のように外れている状態だとポストが若干浮き上がっていないとおかしいが、もともと衝撃にはあまり強くないはずの鋳物だから、折れ飛んでしまった可能性はあると思う。

●承前。鎌倉駅前に出て、久々に江ノ電に乗って極楽寺へ。

極楽寺には裏口があって、そのまま裏通りに抜けられることをはじめて知った。そういえば、極楽寺の裏山には開山の忍性和尚の石塔があると聞いていたので、ちょっと探してみようと思い立つ。もっとも、極楽寺自体、山裾にくっついているわけではないし、四方にある山のどこが「裏山」なのか、どうもよくわからない。とりあえず、裏道に立って、一番近い左手の山裾沿いに歩いてみたが、運動場に突き当たって道は終わりになっていた(先ほど改めて調べたら、なんと、その運動場の奥に石塔があるのだそうだ)。

改めて極楽寺の谷戸の中の道を歩き、左手の尾根に登る道を見つける。鎌倉中心部を囲む尾根道のハイキングコースはほぼ歩き尽くしたと思っていたのだが、まだまだ知らない道はあるようだ。

尾根道を辿って鎌倉山の住宅地へ。常盤口方面に降りて、今度は大仏切通の山道に入る。以前は(少なくとも大仏側入口には)通行禁止の札が掛かっていたはずだが、いつの間にか通行可になったらしい。

●普段は、当ブログにはあえて政治向きの話は書かないようにしているのだが、問題は今後尾を引きそうな気がするし、一応出来事として。6日、特定秘密保護法が参院で可決・成立。

「国のためです」「大事な秘密です」と言われてしまえば、そこでナイーブに「そりゃ結構だ、必要だ」と言い出す人が一定割合はいるだろうことは判るけれど、個人的にはよくもこれだけ杜撰な法律を、しかも強行採決で通したものだと、むしろそちらに一種感心してしまう。

「保護」すべき「特殊秘密」として、防衛機密、外交機密、特定有害活動・テロリズムの防止に関する情報と並んでいるが、もともと自衛隊法で細かく規定されていて具体性のある防衛機密はまだいいとして、後段になるほどだんだん内容が曖昧模糊としてくる。

「防衛機密は大事でしょう、守らなきゃダメでしょう」と、言い訳の立ちやすいものを前面に押し出し、どうとでもいじれそうなものを後に紛れ込ませるのはこの手の法律の常套手段と言えるかもしれないが、しかしそれ以前に、おそらく統治する側として使いやすく、ということを第一に考えた結果なんだろうなあ、という感じ。会社登記簿の事業目的欄の「その他これらに付随する一切の業務」という文言を思い出した。

尖閣海域での海上保安官の動画流出事件等が民主党政権のイメージダウンに繋がったのを他山の石に、おもむろに政権が変わってから出して来て押し通しちゃいました、の体。昔の自民党であれば強硬に反対して造反する議員の何人かは出るんじゃないかと思うほどだが、そこは冷や飯を食った数年がよほど効いているらしい。

この話題をメインに、7日付産経新聞に安倍のインタビューが掲載されているのだが、これがまたツッコミどころ満載。

F1017535●7日土曜日。名越の尾根道を歩いてハイランドへ。

名越切通からハイランド側へ伸びる尾根の逗子側は、人工的に切り立った大きな崖面になっており、「大切岸」と呼ばれる。かつては古都鎌倉を囲む自然の山を利用した城壁と言われていたが、現在ではどうやら、ただの石切り場跡ということに落ち着いたらしい。

大切岸の上を尾根道が通っているのだが、先日来、何やら新しく遊歩道のようなものを整備中。右写真、左が現在の道。右側、一段下に作っているのが新しい道。

F1017529 ●同日。ハイランドのバス停ベンチに置き忘れられていたリンゴ。バス停は西友ストアのすぐ表にあるので、買い物袋からもれたものなのだと思うが、貰って帰るのも何だし、交番に届けるようなものでもなかろうし。

というわけで、きっと、どこかのいたずら小僧が投げて潰してしまうとかするまで、ここに転がっているのだろうと推測。

●8日日曜日。ジョン・レノンの命日。衣張山にもニイタカヤマにも登らず。

●9日月曜日。仕事仲間のM君が、現状のジリ貧傾向に、「このまま日本にいても食えなくなる一方だ!」と一念発起。ベトナムの出版社に就職を決めたため、その壮行会。五反田。

いいなあ。ベトナム。現地水準ではかなりの高給なので独り者のM君にはよいが、日本円に換算してしまうとがくんと減ってしまうので、日本に妻子を置いて海外脱出はちょっと無理そうだ。もちろん、日本に残るほうが勝手に糊口を凌いでくれるというのなら話は別だが。

もっともM君本人は、「こうやって送り出してもらっても、試用期間の2ヵ月で逃げ帰ってくるかも」と、いささか弱気。

F1017517 ●有難いことにパラパラと仕事が舞い込んできたので、週半ば以降、新木場に行ってティラノザウルスっぽい東京ゲートブリッジをビルの合間に眺めたり、錦糸町に行ってスカイツリーを見上げたり、神泉に行って住宅地の路地で迷ってウロウロしたり。

その途中で実家に一泊。また例によって母の戦中・戦後秘話を聞く。

右は錦糸町駅近くの路地から見たスカイツリー。雑居ビルと架線で雑然としたなかに忽然と立っているのがなんだかシュール。

ところで、スカイツリーは根元が三角形、上に行くほど丸くなる断面形を持っているために、見る角度によって、裾に向かっての左右のシルエットがアンバランスになる。設計上は、この微妙な曲線が自慢らしいのだが、個人的にはどうも見るたびになんだか不安を抱かせる感じでよろしくない気がする。

ちなみに、この錦糸町からのタワーは、どうもちょうど三角の一辺を正面にしているらしく、左右のバランスが取れている。

●35でいよいよサン・シャモンのインジェクション・キットが出るそうだ、と、つい先日話題に上がったばかりだが、PMMSを見ると、もうレビューまで上がっている。

ネット上に、ソミュールの実車の写真等もあれこれ上がっていたりするが、予習としてはまずchars-francais.netのこのページをお薦めしたい。当時の写真は、生半可な資料本よりよほど豊富に出ているし、現存実車のwalkaroundも充分。

ただし、ソミュールの現存実車は後期型で、搭載砲が違うだけでなく、車体外形も(それからたぶん履帯幅も)違うので注意が必要。ちなみに(wikipediaの記述によれば)搭載砲の変更は165輌目からで、全生産数は377輌だそうなので、前期/後期の生産数は、ほぼ同じで若干後期型が多い程度。

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消失

●大砲2題(ファインモールドの四一式山砲と、PMのプチロフ76.2mm野砲)の続き、ということで、まずは四一式山砲のほうを、それなりの分量、書き進めていたのだが、

「おっとしまった、ちゃんと途中でも保存しておかないと、何が起こるかワカランからなあ」

などと思って下書き保存ボタンを押したところで、エラーが出て、そこまで書いた記事が綺麗サッパリ消失してしまった。

脱力感甚だしい。

とりあえず今夜は同じものを1から書き直す気力は失せてしまったので、四一式山砲に関しては次回以降にして、プチロフのほうを書くことにする。

ちなみに、こんな場合には

「消えた原稿はまさに名文であり、しかも四一式山砲を作る上で必須かつ重大な情報が溢れていたのに」

などと言いたいところだが、実のところは割とどうでもいい話なので、期待せずに待つように。

F1017443 ●というわけで、プチロフ76.2mm野砲M1902の現状は、このような感じ。

作り始めたのは半年も前だが、夏から秋にかけ、ホコリをかぶったまま放置されていたうえ、作業を再開しても、1つ部品を付けたら一回休み、みたいな具合なので(それだけ工作を凝っているというわけではなく、単にダレているだけ)、一向に進まない。

一応、目標はだいぶダルダルな昔風キットを、現在レベル(例えばファインモールドの四一式山砲レベル)、は無理としても、そこそこもっともらしいディテールを付加することに据える。

車輪に関しては、バリ、というよりも、内外でなぜかリムの厚みが違っているのを整形したり、ハブ部分をプラバンを貼ってディテールをやり直したり、リム内側にボルトを貼ったり。

ハブ内側はキットにもエッチングパーツが入っているが、ナットの位置も数も違うので使えない。ハブのボルト位置は、どうも現存の展示品でもいくつか種類があるようなのだが、標準は14本で、しかも同一円周上でなく、1つ置きに内外になっている……おかげでどうもいい加減に工作したように見えてしまう。

リム内側のボルト頭ドラゴンの旧III号H型用増加装甲のボルトを削いで貼ったが、ちょっと大き過ぎたようだ。リム外側は鉄板が巻かれているので、プラペーパーでそれふうに。

砲架部分では、仰俯、左右動のハンドルに若干の追加。ちなみに古風な単脚の砲架なので、左右動は車軸部分をスライドさせる機構(sIG33などもそう)。仰俯も第二次大戦型で一般的な歯車式でなく(もちろんハンドルからの伝達に歯車は介しているだろうが)、揺架の後方下部にバーがあって、それで押し上げたり下げたりする方式。

キットは砲架のその部分に穴があって、バーが直接見えているふうになっているが、実際は何かカバーが付いているようなので、適当に追加。

F1017442 前回も述べた、キットで削り込むよう指定されている砲架の窪みは、右写真のように削り込んだ。これも前に書いたことだが、窪みは後ろに行くほど幅広。また、窪みの縁はエッジが立っていない。

いや、こんなにだらだら工作していて、完成する日は来るんだろうか?

●日付はすでに「今日」になってしまったが、日曜日はどんじさん夫婦が鎌倉散歩に来るので、案内役を務める予定。

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