逓信総合博物館の丸ポスト
●11日、日曜日。家にいても暑いばかりなので、外に涼みに行く。
逗子市立図書館に行こうかとも思ったが、ここのところの寝不足を思うと、涼しいところに入った途端、睡魔に襲われるのは必定。しかし図書館で眠り込むのは流石にマズイ。せっかく定期もあることだし、大手町の逓信総合博物館にあるという、丸ポストのご先祖様を拝みに行くことにする(行くまでの横須賀線で居眠りできるし)。
●前を通ることはよくあるものの、中に入るのはおそらく数十年ぶりの逓信総合博物館なのだが、行ってみて驚いた。なんと、大手町地区再開発のあおりで、今月一杯で閉館が決まっているのだという。ほんの気まぐれだったのだが、来ることにしてよかった……。
ちょうどこの日まで、1階ではおそらく通常は倉庫に仕舞いこまれている貴重な資料を引っ張り出した「大逓信資料列品展」が開かれており、土地の売買に関する東大寺の文書とか、江戸-長崎間の旅程を記した絵巻とか、古地図とか、武家の駕籠(乗物)なども展示されていた。
もともと逓信博物館は郵政管轄事業のあれこれを全部扱っていたそうだが(子供の頃見に来た時にどうだったかは覚えていない)、KDDやNHKは離脱、今は3階の大部分を使った「郵政資料館」と、2階、および3階の一部を使った「NTT情報通信館」の2つが同居しているような格好になっている。
下は「郵政資料館」、郵便の歴史の近代のコーナーにあった古い郵便車の模型と写真など。数輌飾られた郵便列車の模型(最後の写真)が非常に質が高いのに対して、自動車はややトイ寄り。
左の車輌はフォードTベースのようだが、2、3枚目の車輌は何だろう。フォードBBなら、ラジエーターグリル中央に柱はなさそうだし……。4枚目の写真パネルは2、3枚目とほぼ同一形式のボディを持っているが、ベース車輌は「剣道面型」フォードらしい。誰かICMを改造して作る猛者はおらんかね。
おさらいになるが、現在も(特にお隣の鎌倉あたりでは)多数が現役として残っている鋳鉄製丸ポストは、正式名称は「郵便差出箱1号(丸型)」といい、1949年(昭和24年)から使用されている。その源流を辿ると、1901年(明治34年)の俵谷式ポストまで行き着くという。
▼俵谷式ポスト/中村式ポスト(1901年/明治34年)
日本の郵政史における最初期の丸ポストは残念ながら現存しておらず、写真パネルでの展示になっている。前述のように一番最初が左の俵谷式ポストで、1901年(明治34年)に日本橋北詰に設置された(要するに試作1基のみであったらしい)。
右の中村式ポストは俵谷式ポストに遅れること2週間で日本橋南詰に設置されたもの。そのへんの経緯は説明パネルにもパンフレットにも書かれていないが、基本形状がほぼ同じで、ほぼ同時に、ほぼ同じ場所に設置された事を考えると、ある程度の基本仕様を示した上で競作されたものなのではと考えられる。
結局、この2種のポストのうち中村式ポストが、実使用経験に基づく改良を施し、1908年(明治41年)に正式採用となった。
▼回転式ポスト(1908年/明治41年)
1908年(明治41年)、要するに「改良を施して正式採用された中村式ポスト」がこれのことだと思われる。試作品の中村ポストの写真と見比べると、こちらのほうが縦長なのだが、貰ったパンフレットによると、径は同じで中村式ポストの高さは145cm、回転式ポストは136cmとある。他のポストの寸法と比べても、どうも中村式の数値が間違えているのではと思う。
回転式ポストの最大の特徴は、設計者の中村幸治が考案したという、差出口の回転式シャッターを備えていること。このポスト以来、「円筒形の赤いポスト」がその後長らく日本の郵便ポストのスタンダードになり、また、回転式差出口はこの一種のみにしか使われなかったが、回転シャッターに合わせてデザインされた、丸く突き出た差出口面は、現行の「郵便差出箱1号(丸型)」まで引き継がれた。
ツマミを持ってぐるりと回すと差出口が開き、開状態では逓信の「〒」マークが上下逆になる。回転部のみ、内部も判るようにした展示品も別の場所に置いてある。それを見ると、単に前面が回るだけではなく、内部にそれに連動するドラム部があることが判る。
展示してあるポストの前面部は自由にグルグル回るだけだが、本来は(ドラム部に?)錘か何かが仕込んであるらしく、つまみから手を離すと自動的に閉位置に戻るのだそうだ。ドラム部は下側に開口部があり、シャッターが閉位置に戻るごとに受け取った郵便物が下に落ちる仕組みになっているそうな。セキュリティの高いポストだなあ。それはそれとして、中華料理屋のラーメンどんぶりのような模様には一体何の意味が……。
▼丸型庇付ポスト(1912年/明治45年)
差出口の回転式シャッターは故障が多く、手を挟まれるなどの事故もあり得たので、数年で改良型が登場した。シャッターは廃止され、代わって雨避けの庇と、内部には盗 難防止用の弁も付いていたらしい。形状としては、すでに「郵便差出箱1号(丸型)」にだいぶ近く、この時点でほぼ基本形は完成していたことが判る。
……そして庇にまでラーメン模様が。
▼航空郵便専用ポスト(1929年/昭和4年)
航空郵便制度施行に伴って、東京、大阪、福岡、数年置いて静岡の、計4都市に設置されたという丸ポストのバリエーション。だいぶ細身。
そしてやっぱりラーメン模様。
▼丸型庇付ポスト[差出口大](1934年/昭和9年)
丸型庇付ポストの改良型で、差出口下部が下方にスライドし、大型郵便物を投函できるようにしたもの。後ろの壁にある説明プレートは、登場年と機能を説明しているのみで、このポストが標準タイプとして使われたのか、それとも大型郵便物に対応した特別なバリエーションとして少数使われただけなのかは不明。
逓信の「〒」マークの上の棒が取っ手になっていて、丸い前面の上半分を下方にスライドさせると、投函口が約2倍に広がる。もっとも回転式ポスト同様、変なギミック付きは故障多発を招きそうな気がする。
回収口扉は、裏側のロック機構は失われている。中央に窓があり、裏側上部からカード状のものを差し込むようになっている。収集時刻カードか? また、このタイプから回収口上にも庇が付くようになった。
また、現在の「郵便差出箱1号(丸型)」では、てっぺんの「ベレー帽」中央の突起は6角形のボルト頭なのだが、過去の鋳造ポストは(このタイプ以前のものも)単なる出っ張り。構造上必要だったものが単なる意匠に変化するのはよくあることだが、構造上必要な部品以前に単なる意匠があったというのは不思議な気がする。なお、やはりこれ以前のタイプとも共通だが、「帽子」部分は本体とは別体で、周囲下辺の埋め込みネジ数箇所で止めるようになっているらしい。
なお、このポストと、次の次の「代用ポスト(ストニー製)」は、博物館のパンフレット「ポストのうつりかわり」にも、博物館のサイトにも出ていない。おそらく後から追加された収蔵品ではないかと思う。
▼代用ポスト(コンクリート製)(1938年/昭和13年)
1937年の日中本格開戦後、いよいよ戦時体制下に入ると、鉄材供出のため代用素材を使ったポストが登場する。その一例がこのコンクリート製のポスト。説明板によれば、従来のものに比べ鉄の使用量が80%削減されている由。回収口の扉だけで20%あるとも思えないので、本体にも鉄骨が仕込んであるのだと思う。鋳鉄製に比べるともろいためか、それとも単に簡略化したのか、細かい装飾はなく、投函口も回転式以来の丸い「顔」はない。
投函口はコンクリートの本体とは別に陶器で作ってあり、手紙が引っ掛からずスムーズに入るよう工夫されている。また、投函口周囲の丸い意匠はないものの、投函口の上は「帽子」の裾の帯部分が膨らんで庇状になっているなど、意外に芸が細かい。そのため、他の丸ポストの帽子がベレー帽だとすると、これだけはちょっとハンチングっぽい感じ。また、このタイプで初めて「郵便」と「POST」が同方向の横書きになる。
展示サンプルは上部向かって左側に欠けがあり、確かにこのポストがコンクリート製であることが判る。
ちなみに、コンクリート製代用ポストは、国内で唯一、長野県上田市に現役のものがある。展示品と比べると、胴体正面中央の「〒郵便」のロゴの書き方が違うが、ポストそのものの設計はほぼ同じ。
ちなみのちなみに、以前ちょっと話題に上ったが、怪人二十面相(いや、四十面相?)はこのタイプのポストに変装したことがあるそうだ。それって「面相」って言えるのか?
▼代用ポスト(ストニー製)(1939年/昭和14年)
代用ポストのバリエーション。説明板によると、代用ポストは鉄筋コンクリートのほか、ストニー製、サチナイト製、陶器製などがあったらしい。とはいえ、陶器製はいいとして、「ストニー」とか「サチナイト」というのは何だろう? セメントや粘土の類だろうとは思うものの、きちんとした説明は検索に引っ掛かってこなかった。先のコンクリート製に比べると、丸型庇付ポストのディテールをかなり忠実になぞっている。
●オマケ。郵政資料館内には通常の丸ポスト、「郵便差出箱1号(丸型)」もあちこちに立っているのだが、そのほとんどはFRPか何かで出来たレプリカ(もっとも、そのレプリカは庇の止めネジや収集時間表の止めベルトまできちんと作られていて再現度は高い)。
ただし、2基(たぶん)は本物で、さすが屋内保存のポストは状態がよく、裏面下の製造者刻印がこんなにはっきりと残っていた。鎌倉のポストでは表面の傷みとペンキの塗り重ねでツブレてしまって読めたためしがない。そもそもこんなに表面がツルツルなのも見たことがない。もちろん、表面がデロデロデコボコなのは、それはそれで現役ポストの勲章のようなものだけれど。
(18日、小加筆・訂正。なお、いまさらながら白状すると、11日に行った際、博物館サイトほかに出ていない「丸型庇付ポスト[差出口大]」の説明書きを撮影し忘れ、登場年等が判らなくなってしまった。そのため14日に再訪。写真は11日撮影のものと14日撮影のものが混じっている)
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コメント
コレだけバリエーションがあればポストの模型をズラッと並べるのもアリそうな。お面郵便車はホイルベースに変更とかなければでっち上げられそうですね。実はこないだ郵便車のレジンキットを買ったので、ウチの“夏の買い物シリーズ"のトリにもってくる予定です。
投稿: hide | 2013年8月17日 (土) 13時31分
そう言えば「さよなら ていぱーく」とか言っていたような。
投稿: N | 2013年8月17日 (土) 17時46分
私、実は元「鉄」なので、オハユニには、結構惹かれます♪
投稿: TFマンリーコ | 2013年8月18日 (日) 12時23分
>hideさん
自分でスケールモデルを作って並べるほどは入れ込んでいませんが、もしも年代別丸ポストのガシャポンとか食玩が出たらハマってしまうかも。
もっとも基本的には円筒形で、かさが減るように分割しづらい丸ポストは少なくともガシャポン向きではありませんね。そのままの形でカプセルに入れるとすると小さすぎるし。
郵便自動車は、機会があれば(特別な装備などなくほぼ荷台だけの)フォードT型ベースのものは作ってみたい気がします。しかし後面が判らないのはネックです(いくら入場料110円とはいえ、オモチャっぽい出来の模型の後面を確認するためだけにもう一度行くのも何だし)。
>Nさん
うーん。それなりにしっかり告知していたのに、私が気付いていなかっただけ?
いや、そもそも存在自体がマイナーで、告知が目立たなかった?
それにしても、「ていぱーく」という名前(しかもひらがな書き)が、いかにもお役所的なというか何と言うか。ゆるキャラは市民権を得ましたが、どうもこの手の「ゆるネーム」は“ワジワジ”します。
>TFマンリーコさん
もっとしっかり撮ってくればよかったでしょうか。大スケールで、新旧3、4輌ありました。
郵便車の側面に郵便ポスト(投函口)があるのは、模型で見て初めて知りました。
投稿: かば◎ | 2013年8月18日 (日) 13時54分
何で見たのか記憶が定かでないので、「しっかり」告知されていたのかは不明ですが、このエントリーのタイトルを見た途端に「まだやってたんだっけ? いつ閉館だっけ?」と思ったことは確かです。
ひらがなは馴染みませんが、「逓」っていう字もこの博物館の名前でしかほぼ見ない字ですよね。だからこそ漢字で残すべきとも言うが。
投稿: N | 2013年8月19日 (月) 12時07分
>Nさん
スカイツリーに移ってリニューアルオープンするのは「郵政資料館」のほうだけなので、もう「ていぱーく」の名前は使えませんね。
なんだかものすごくベタに「ゆうぱーく」とかになりそうな、ちょっとイヤな予感がします。
投稿: かば◎ | 2013年8月20日 (火) 17時55分
小学生の時タミヤの「コマンドポスト」というのが
野戦郵便局のキットだと思ってました・・・
投稿: みやまえ | 2013年8月23日 (金) 23時24分
>みやまえさん
元のM113は、35ミリタリーミニチュアとしては初めて?車内再現ありのキットでしたけれど、バリエーションのコマンドポストはドンガラだけなんでしたっけ。
むしろこっちが車内欲しい感じ。いや、どのみち現用(もう現用じゃない?)は私の趣味の範囲外ですけれども。
それはそれとして、本当に野戦郵便車のキット欲しいですね。ドイツだと結局、汎用馬車ということになってしまうのかもしれませんけれど。
投稿: かば◎ | 2013年8月28日 (水) 16時09分
いいですね!野戦郵便車!サイドカーかな?列強だと飛行機もありそうですね
でも旧軍だと輜重兵が郵袋担ぐんでしょうか・・・
投稿: みやまえ | 2013年8月29日 (木) 00時49分