« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »

2013年8月

逓信総合博物館の丸ポスト

●11日、日曜日。家にいても暑いばかりなので、外に涼みに行く。

逗子市立図書館に行こうかとも思ったが、ここのところの寝不足を思うと、涼しいところに入った途端、睡魔に襲われるのは必定。しかし図書館で眠り込むのは流石にマズイ。せっかく定期もあることだし、大手町の逓信総合博物館にあるという、丸ポストのご先祖様を拝みに行くことにする(行くまでの横須賀線で居眠りできるし)。

F1015708●前を通ることはよくあるものの、中に入るのはおそらく数十年ぶりの逓信総合博物館なのだが、行ってみて驚いた。なんと、大手町地区再開発のあおりで、今月一杯で閉館が決まっているのだという。ほんの気まぐれだったのだが、来ることにしてよかった……。

ちょうどこの日まで、1階ではおそらく通常は倉庫に仕舞いこまれている貴重な資料を引っ張り出した「大逓信資料列品展」が開かれており、土地の売買に関する東大寺の文書とか、江戸-長崎間の旅程を記した絵巻とか、古地図とか、武家の駕籠(乗物)なども展示されていた。

もともと逓信博物館は郵政管轄事業のあれこれを全部扱っていたそうだが(子供の頃見に来た時にどうだったかは覚えていない)、KDDやNHKは離脱、今は3階の大部分を使った「郵政資料館」と、2階、および3階の一部を使った「NTT情報通信館」の2つが同居しているような格好になっている。

下は「郵政資料館」、郵便の歴史の近代のコーナーにあった古い郵便車の模型と写真など。数輌飾られた郵便列車の模型(最後の写真)が非常に質が高いのに対して、自動車はややトイ寄り。

F1015754 F1015707 F1015753 F1015752 F1015746

左の車輌はフォードTベースのようだが、2、3枚目の車輌は何だろう。フォードBBなら、ラジエーターグリル中央に柱はなさそうだし……。4枚目の写真パネルは2、3枚目とほぼ同一形式のボディを持っているが、ベース車輌は「剣道面型」フォードらしい。誰かICMを改造して作る猛者はおらんかね。

F1015668 ●さて、お目当ての丸ポスト。

おさらいになるが、現在も(特にお隣の鎌倉あたりでは)多数が現役として残っている鋳鉄製丸ポストは、正式名称は「郵便差出箱1号(丸型)」といい、1949年(昭和24年)から使用されている。その源流を辿ると、1901年(明治34年)の俵谷式ポストまで行き着くという。

▼俵谷式ポスト/中村式ポスト(1901年/明治34年)

F1015700 F1015698

日本の郵政史における最初期の丸ポストは残念ながら現存しておらず、写真パネルでの展示になっている。前述のように一番最初が左の俵谷式ポストで、1901年(明治34年)に日本橋北詰に設置された(要するに試作1基のみであったらしい)。

右の中村式ポストは俵谷式ポストに遅れること2週間で日本橋南詰に設置されたもの。そのへんの経緯は説明パネルにもパンフレットにも書かれていないが、基本形状がほぼ同じで、ほぼ同時に、ほぼ同じ場所に設置された事を考えると、ある程度の基本仕様を示した上で競作されたものなのではと考えられる。

結局、この2種のポストのうち中村式ポストが、実使用経験に基づく改良を施し、1908年(明治41年)に正式採用となった。

▼回転式ポスト(1908年/明治41年)

1908年(明治41年)、要するに「改良を施して正式採用された中村式ポスト」がこれのことだと思われる。試作品の中村ポストの写真と見比べると、こちらのほうが縦長なのだが、貰ったパンフレットによると、径は同じで中村式ポストの高さは145cm、回転式ポストは136cmとある。他のポストの寸法と比べても、どうも中村式の数値が間違えているのではと思う。

回転式ポストの最大の特徴は、設計者の中村幸治が考案したという、差出口の回転式シャッターを備えていること。このポスト以来、「円筒形の赤いポスト」がその後長らく日本の郵便ポストのスタンダードになり、また、回転式差出口はこの一種のみにしか使われなかったが、回転シャッターに合わせてデザインされた、丸く突き出た差出口面は、現行の「郵便差出箱1号(丸型)」まで引き継がれた。

F1015697 F1015690 F1015667 F1015735_2

ツマミを持ってぐるりと回すと差出口が開き、開状態では逓信の「〒」マークが上下逆になる。回転部のみ、内部も判るようにした展示品も別の場所に置いてある。それを見ると、単に前面が回るだけではなく、内部にそれに連動するドラム部があることが判る。

展示してあるポストの前面部は自由にグルグル回るだけだが、本来は(ドラム部に?)錘か何かが仕込んであるらしく、つまみから手を離すと自動的に閉位置に戻るのだそうだ。ドラム部は下側に開口部があり、シャッターが閉位置に戻るごとに受け取った郵便物が下に落ちる仕組みになっているそうな。セキュリティの高いポストだなあ。それはそれとして、中華料理屋のラーメンどんぶりのような模様には一体何の意味が……。

▼丸型庇付ポスト(1912年/明治45年)

差出口の回転式シャッターは故障が多く、手を挟まれるなどの事故もあり得たので、数年で改良型が登場した。シャッターは廃止され、代わって雨避けの庇と、内部には盗 難防止用の弁も付いていたらしい。形状としては、すでに「郵便差出箱1号(丸型)」にだいぶ近く、この時点でほぼ基本形は完成していたことが判る。

F1015695 F1015742 F1015682

……そして庇にまでラーメン模様が。

▼航空郵便専用ポスト(1929年/昭和4年)

航空郵便制度施行に伴って、東京、大阪、福岡、数年置いて静岡の、計4都市に設置されたという丸ポストのバリエーション。だいぶ細身。

F1015694 F1015680

そしてやっぱりラーメン模様。

▼丸型庇付ポスト[差出口大](1934年/昭和9年)

丸型庇付ポストの改良型で、差出口下部が下方にスライドし、大型郵便物を投函できるようにしたもの。後ろの壁にある説明プレートは、登場年と機能を説明しているのみで、このポストが標準タイプとして使われたのか、それとも大型郵便物に対応した特別なバリエーションとして少数使われただけなのかは不明。

F1015693 F1015737 F1015736 F1015661 F1015660 F1015659

逓信の「〒」マークの上の棒が取っ手になっていて、丸い前面の上半分を下方にスライドさせると、投函口が約2倍に広がる。もっとも回転式ポスト同様、変なギミック付きは故障多発を招きそうな気がする。

回収口扉は、裏側のロック機構は失われている。中央に窓があり、裏側上部からカード状のものを差し込むようになっている。収集時刻カードか? また、このタイプから回収口上にも庇が付くようになった。

また、現在の「郵便差出箱1号(丸型)」では、てっぺんの「ベレー帽」中央の突起は6角形のボルト頭なのだが、過去の鋳造ポストは(このタイプ以前のものも)単なる出っ張り。構造上必要だったものが単なる意匠に変化するのはよくあることだが、構造上必要な部品以前に単なる意匠があったというのは不思議な気がする。なお、やはりこれ以前のタイプとも共通だが、「帽子」部分は本体とは別体で、周囲下辺の埋め込みネジ数箇所で止めるようになっているらしい。

なお、このポストと、次の次の「代用ポスト(ストニー製)」は、博物館のパンフレット「ポストのうつりかわり」にも、博物館のサイトにも出ていない。おそらく後から追加された収蔵品ではないかと思う。

▼代用ポスト(コンクリート製)(1938年/昭和13年)

1937年の日中本格開戦後、いよいよ戦時体制下に入ると、鉄材供出のため代用素材を使ったポストが登場する。その一例がこのコンクリート製のポスト。説明板によれば、従来のものに比べ鉄の使用量が80%削減されている由。回収口の扉だけで20%あるとも思えないので、本体にも鉄骨が仕込んであるのだと思う。鋳鉄製に比べるともろいためか、それとも単に簡略化したのか、細かい装飾はなく、投函口も回転式以来の丸い「顔」はない。

F1015691 F1015738 F1015653 F1015672

投函口はコンクリートの本体とは別に陶器で作ってあり、手紙が引っ掛からずスムーズに入るよう工夫されている。また、投函口周囲の丸い意匠はないものの、投函口の上は「帽子」の裾の帯部分が膨らんで庇状になっているなど、意外に芸が細かい。そのため、他の丸ポストの帽子がベレー帽だとすると、これだけはちょっとハンチングっぽい感じ。また、このタイプで初めて「郵便」と「POST」が同方向の横書きになる。

展示サンプルは上部向かって左側に欠けがあり、確かにこのポストがコンクリート製であることが判る。

ちなみに、コンクリート製代用ポストは、国内で唯一、長野県上田市に現役のものがある。展示品と比べると、胴体正面中央の「〒郵便」のロゴの書き方が違うが、ポストそのものの設計はほぼ同じ。

ちなみのちなみに、以前ちょっと話題に上ったが、怪人二十面相(いや、四十面相?)はこのタイプのポストに変装したことがあるそうだ。それって「面相」って言えるのか?

▼代用ポスト(ストニー製)(1939年/昭和14年)

代用ポストのバリエーション。説明板によると、代用ポストは鉄筋コンクリートのほか、ストニー製、サチナイト製、陶器製などがあったらしい。とはいえ、陶器製はいいとして、「ストニー」とか「サチナイト」というのは何だろう? セメントや粘土の類だろうとは思うものの、きちんとした説明は検索に引っ掛かってこなかった。先のコンクリート製に比べると、丸型庇付ポストのディテールをかなり忠実になぞっている。

F1015692 F1015676

F1015651●オマケ。郵政資料館内には通常の丸ポスト、「郵便差出箱1号(丸型)」もあちこちに立っているのだが、そのほとんどはFRPか何かで出来たレプリカ(もっとも、そのレプリカは庇の止めネジや収集時間表の止めベルトまできちんと作られていて再現度は高い)。

ただし、2基(たぶん)は本物で、さすが屋内保存のポストは状態がよく、裏面下の製造者刻印がこんなにはっきりと残っていた。鎌倉のポストでは表面の傷みとペンキの塗り重ねでツブレてしまって読めたためしがない。そもそもこんなに表面がツルツルなのも見たことがない。もちろん、表面がデロデロデコボコなのは、それはそれで現役ポストの勲章のようなものだけれど。

(18日、小加筆・訂正。なお、いまさらながら白状すると、11日に行った際、博物館サイトほかに出ていない「丸型庇付ポスト[差出口大]」の説明書きを撮影し忘れ、登場年等が判らなくなってしまった。そのため14日に再訪。写真は11日撮影のものと14日撮影のものが混じっている)

| | コメント (9) | トラックバック (0)

青いハチと葉切りバチ

●7日水曜日。自室のエアコンが壊れた話はしたが、神保町の事務所のエアコンも壊れた由、C社長から電話が掛かってきた。……呪いか何かですか。

ちなみに事務所のエアコンはしばらく前から調子が悪く、先日一度停まって悲惨な状態になったものを応急修理して使っていたのが、いよいよ最終的にアカンことになったらしい。

というわけでまるで行き場所がなく、仕方がないので市立図書館で調べ物をしたり居眠りをしたり。

●前回書いた、「タミヤTシャツとゴールデンボンバー」の話のオマケ。

ちょっといい話

もちろん、「当社の宣伝などのご配慮は不要です」と言いつつ、「そう言ったらますます好意を持って、宣伝してくれたりするかもなー」と、広報担当者なら当然思うだろうなあ、ってところを含めても。

●TFマンリーコさんがブログでドラゴンとトランペッターの10.5cm leFH18/1搭載IV号b自走砲の比較をしていて、興味深い(第一回第二回)。

そもそもこの車輌、VI号戦車の部品を流用しつつもIV号よりも小型化された車体に10.5cm砲を搭載したものなのだが、IV号の片側4組の転輪ボギーが3組に減らされているのは一目瞭然としても、その転輪自体はIV号よりも大型化されている、と言われてきた。

しかしその一方で、いやいやあれはIV号の転輪のままなんじゃないの?という観察もあり、実はドラゴンのキットは「転輪大直径化説」に、トランペッターは「転輪ママ流用説」に立ってキット化されているのである(それぞれなぜそうなのかはいろいろ経緯がありそうだがここでは略す)。

マンリーコさんの記事は2説のどちらが正しいと断を下したりはせず、淡々と2キットを比較するものだが、砲塔形状を見る限り、バランス的にはドラゴンのほうがよさそう。

もっとも、私自身は「転輪が大きくなっている」説には素直に頷けないところがある。大きさが違う場合に、(特にCADなどもない時代に)わざわざそっくり相似形に作る意味がいったいどこにあるのだろうか(ただし誘導輪も転輪も相似形なのに大きさのバランスはIV号戦車とIVb車台では違うから、少なくともどちらかは「そっくりなのに大きさは違う」状態なのは確かだ。ちなみに誘導輪は、トラペもドラゴンも、IV号より小さく作ってあるらしい)。

その一方で、現在ドイツ戦車の資料としては最も信頼性が高いとされるPanzerTractsでは「転輪が大きくなっている説」に基づく図が出ているそうで、となると、何かそれを証明する一次資料があるんかいな、という気もしてくる。いや、ちゃんとトラクツを読んだら、そのへんのことも書いてありそうな……。余裕があればトラクツは一通り揃えたいがなあ。

●そのトラクツにも関わるネタもう一つ。

尾藤満氏の「Panzer Memorandum」はちょっと前からII号戦車シリーズに突入。第一弾としてc型製作記が始まっているが、現時点ではまだドラゴンとタミヤのキット比較。

ところで、II号戦車の起動輪の歯数はタミヤのキットで正しく、ドラゴンとモデルカステンで歯数が足りない、というのは確かPMMSあたりでも扱われたネタなのだが、なんと、ドラゴンより2011年発売の「バイソンⅡ(6440)」、2012年末発売の「マーダーⅡ中期生産型(6423)」では、歯数が正しく26の新パーツがセットされているそうだ。ただし、履帯は以前と同じ、少ない歯数に合わせてピッチの広いマジックトラックのようで、新しい起動輪にちゃんと合うのかどうか。

なお、尾藤氏はすでに、今年の合同展により初期の増加試作型、a/2型とb型を製作・展示しており、c型のあとはそちらに遡るのだろうか。

b型の起動輪はc型以降と似ているもののもっと大きく膨らんでいる。ぱっと見はほとんど同じなので、作品でもc型以降の起動輪をそのまま使用する場合が多いが、尾藤氏は当然作り直している様子。どう工作したのかも知りたい感じ。ヒートプレスかなあ。なお、膨らみ方が違うのは最終ギアハウジングの大きさが違うためだろうと思うのだが、そのへん、トラクツはしっかり図示していたりするのだろうか(買えよ>自分ツッコミ)。

●PMMSに、TAKOMの1:16ルノーFTの追加情報が少々あり、その中で、ベルト状に組んだ連結式履帯に錘をぶら下げ、2.5kgまでの重さに耐えられることを写真で示している。

……いやまあそりゃ、連結式履帯が丈夫なのは結構なことだけれど、2.5kgまで耐えられることのどこに意味が?(ちなみに戦闘室内やエンジンも再現した模型なので、ラジコン走行などするわけではない)

●「すいじょうき」と書いて変換したら、「水蒸気」より先に「水上機」と出た。ああ、オレってモデラーだなあ。ここ何日も模型作ってないけど。

●先日、我が家からちょっと下ったところにあるキバナコスモスに、見慣れない青いハチが来ているのに気付いた。ハナバチらしくせわしないうえに警戒心が強く撮りづらかったが、なんとか撮影。どうも毎日来ているらしいので、それから数日の間に撮りためた写真を並べてみる。……変わり映えしないのに選べないのはどういうわけだか。

F1015384 F1015512 F1015513 F1015553 F1015555 F1015556

ハチの名は「ルリモンハナバチ」、本州以南に分布するが、都道府県ごとのレッドデータブックでは絶滅危惧種に指定されている地域もあるらしい。

そこそこ珍しいために、(単に青い鳥と引っ掛けただけだと思うのだが)ネット上では「幸運の青いハチ」などと持ち上げられているところもある。もっとも、他のハナバチ(ケブカハナバチ)の巣に産卵し代わって育ててもらうという、カッコウやホトトギスの托卵のような生態を持つらしく、それを考えるとなんだかセコイ幸運のような。

●上ほど派手ではないけれど、ちょっと可愛いヤツ。

名越切通からハイランド方面に上がったところの平場で、草むらの虫観察をしていたら、藪の中から小さなハチが飛び出してきて、クズの葉を噛み切っていった。……これは先月末の撮影。

F1015254 F1015252 F1015260

飛んできては、チキチキと大あごの音を立てて、結構素早く、葉を丸く切り抜いて運んでいく。切られたクズの葉は3枚目の写真のように、丸い切り痕が特徴的で、ああ、ハキリバチだな、と判りやすい。

種類は、クズの葉を切っているのでクズハキリバチ、と決められれば楽だが、クズハキリバチは比較的大型で、腹の模様も違うようだ。バラ科、マメ科の柔らかそうな葉を適当に切っていくという、えり好みの激しくないヒメツツハキリバチあたりが近そうだが、とにかく、ハキリバチ各種のきっちりした判別法が判らないので、とりあえず「ハキリバチの一種」とだけしておく。ハキリバチ(の典型的なもの)は、この切った葉を適当な細さの竹筒などに運び込んで幼虫のための個室を作り、そこにエサとして大きな花粉団子を貯めこむ。

さて、上のルリモンハナバチの来るキバナコスモスを張っていたら、ハキリバチも花粉集めにやってきた(厳密には、葉を切っていたのと同一種かどうかは判らない)。

F1015509 F1015546 F1015547

ハナバチでもミツバチやマルハナバチは後足に丸く花粉団子をくっつけて運んでいくが、ハキリバチは腹の下側にたっぷりと花粉を盛り上げて行くのがユニーク。そのため、腹を持ち上げた止まり方をするし、腹の下に花粉保持用にブラシ状に毛が生えている。

もともと、ミツバチあたりに比べると頭から腹まで扁平であまり格好のいいハチとは言えないけれど、この花粉運び姿はお茶目で可愛い。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

解剖学教室

●先週木曜日(1日)のことだったと思うが、地下鉄九段下の駅周辺で、やたら何人も、タミヤのTシャツを着た若い女の子に遭遇した。

モデラーズギャラリーは終わったばかりのはずだし、何か別のタミヤ関係のイベント? それにしたって、こんなにたくさんの女の子が好んでタミヤのTシャツを着るようなイベントがありえるのか?

……なんて疑問を抱えたままになっていたのだが、今日(6日)になって、朝食時にその話をしたら、娘と息子からハモって

「ゴールデンボンバー!」

と、答というかツッコミが入った。ああ、そういえば、タミヤのTシャツを着てるメンバーがいるんだった。

かみさんが「きっとタミヤのTシャツって売れ行き倍増だね」と言うのだが、倍増どころじゃないんじゃないかな……。もっとも、逆に年配のオタクは着づらくなった気がする。

●事務所への行き来の際にポスター、というか立て看を見て気になっていた企画展「武良茂(水木しげる)の人生」を「しょうけい館」(戦傷病者資料館)に見に行く。

「しょうけい館」は地下鉄九段下駅前、表通りからちょっと入ったところのビルの1,2階に小ぢんまりと開いている資料館で、戦争関係の書籍資料なども閲覧できて、実はなかなか利用価値が高い。

企画展のほうは、「しょうけい館」の1階の部屋の片隅に1コーナー展示してあるだけなのだが、水木しげるの真面目なスケッチが見られたりしてなかなか。

企画展とは関係ないが、ビデオインタビューの展示が以前に見たときと総入れ替えになっていたので2本ほど見る。

●とにかく暑いうえに、見計らったように自室のエアコンが壊れてしまい、いやもう、模型なんか作ってられませんて(ちなみにエアコンは、スイッチを入れると生暖かい風が吹き出てくる。たまらん)。

神保町の事務所に“涼みに行く”(仕事しろよ)場合はよいが、そうでないといたたまれなくなるので、本など持って外に逃げ出し、虫の写真を撮りながら鎌倉まで歩いて、ミスドでドーナツなど食いながら読書したりしている。……仕事しろよ(再)。

●というわけで最近の読書。「トマソン」を再読して面白かったので、「ちくま文庫」づいてしまい、bookoffで養老孟司「解剖学教室へようこそ」を読む。

その昔、とある出版社がらみの用事があり、まだ東大の解剖学教室に在籍していた養老先生を研究室に訪ねたことがある。机の上に無造作に、レジンの塊のような脳ミソが置いてあり、「模型ですか?」と訊ねたら、「本物です。樹脂で固めたものです」(要するにプラスティネーションというやつ)と事も無げに返答されてたまげた。

古い校舎の階段には昔の教授の胸像などが並んでいるのだが、それがまた、ノギスで頭蓋骨を測っているポーズだったり。

さらには医学部の標本室も見せていただいたのだが、入り口を入って振り返ると、壁には全身刺青の人の皮が大きな額にハリツケになっており、また、さまざまな器官やら組織やら(しかも病変したものなど)のホルマリン漬けがずらりと並んでいる。

ケースの中の全身骨格は、普通なら「骨格模型」と思うところだけれど、ここは当然、本物。骨格に添えられたラベルは、「日本人男性、**歳」とか書かれているのではと予想して見てみれば、「東京帝國大學醫學部 ****教授 ****年~****年在籍」なんてことが書いてある。なるほど、虎は死して皮を残すというけれど、教授は死して骨を残すんだなあ、などとバカなことを考えたのを覚えている。

「医学部にいればいずれ献体するのは普通ですから」と養老先生が仰るので、「すると先生もいずれ骨が飾られるのですね」と言ったら、「いやあ、それじゃあまり面白くないから、ボクは樹脂で固めてもらおうかなあ」と返された。

ちなみにこの標本室には、夏目漱石の脳ミソなんてものもあるそうなのだが、この時に見たのかどうか、覚えていない。

閑話休題。そんなこんなで、日常的にこういうものを扱っている人は感覚が違っているのだなあ、と思ったのだが、まさに、その「解剖学に携わるということ」から始めて、解剖学の歴史や中身を平易に解説しているのが先の本。

頻繁に、一行に句点が2つあったりするくらい、主語と述語だけ、場合によっては述語だけの簡潔な文章を重ね、学者らしいプラグマティックな語りなのだけれど、それがまた逆に、ほとんど韻文のように感じてしまうところもなかなか。

無理にこじつけることなく、解剖学~医学~生物学~科学の範囲を超えずに、その中に哲学が入ってきて、説教臭くなく、いろいろと視点の変換を助けてくれる。あとがきが禅の坊主だというのも、本のツクリとして妙にしっくりはまっている。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »