大砲2題
●久しぶりの更新なので、これまた久しぶりに、多少なりともモデラーらしい話を、というわけで、最近いじったり買ったりした大砲キット2種に関して。
あ。アカデミーのプラハのヘッツァーの話もしようと思っていたんだった。まあ、それに関してはまた追い追い。ヲイヲイ。
●発売されたのは少々前になるが、一つ目は、ウクライナのUM(UM Military Technics)製、76.2mm M1902野砲。実物は帝政ロシア時代、サンクト・ペテルブルクのプチロフ工廠で開発されたもので、日露戦争でも使われたほか、数次の改良を経て、第二次大戦でも使用されている。
また、第一次大戦、ロシア革命戦争などを通じて大量に周辺国に流出しており、戦間期から第二次大戦にかけ、フィンランド、ポーランド、ルーマニアなどで使用されたほか、ドイツ軍でも鹵獲使用されている。
UMはこれを4バージョン出していて、一応キット名称に忠実に書くと、
"Russian Trekhdyujmovka" Model 1902 (#623)
防盾無しの最初期型。防盾の代わりに、輸送時用に砲兵が座る椅子が砲身左右にある。
3" Field Gun Model 1902 (#624)
1906年以降の、防盾付き仕様。
76.2mm Gun Model 1902/1930 (#625)
戦間期の改修型で、砲身を30口径から40口径に延長。
3" Field (ex Russian) Gun Model 1902(late) (#627)
周辺国仕様(ポーランド仕様、フィンランド仕様、ドイツ仕様)
当然私が買ったのは4番目。もっとも、中身のプラパーツ(1枚)は共通で、エッチングパーツとデカールでそれぞれちょっとした差異を出している。エッチングパーツは防盾その他(1作目は椅子)。ちなみに4番目だけ製品番号が1個飛んでいるのはなぜだか不明。もう一種類、何か出す気だったのかなあ……。
もっとも、本国ソ連での戦間期の改良型M02/30は、本来砲架がまったくリニューアルされているのだが、キットの砲架は共通。新砲架に30口径の旧砲身を積んだタイプはあるようなのだが、キットのようにその逆の仕様があったかどうかは不明。
プラパーツはご覧のようになかなか大らかな出来で、一時代前のタミヤの37mm対戦車砲や75mm対戦車砲などに比べても少々落ちる。だが、砲自体が、例えば第二次大戦中の対空機関砲などに比べると、それほど精緻な機構が詰まった感じではないので比較的救われている。少なくとも、(ほぼ同時代・同クラスの砲のキットの)TOM/RPMのCanon de 75 modèle 1897に比べればだいぶマシ。砲本体はともかく、華奢さが問われる防盾がエッチングなのもアドバンテージと言えそう。
右のエッチングは周辺国仕様キット(#627)のものだが、防盾を中心とするメインのエッチングは標準仕様(#624)と同一で、ちょっと見えにくいが、その裏側に#627専用の、防盾裏側に付く収納箱の小エッチングが入っている。
以下、気になる点をいくつか。
実物の砲では、排莢時に熱い薬莢が脚に当たってあちこち跳ねないようにするためなのか、単脚の中央に溝が掘ってある(M02/30の新型砲架は元から大穴が開いているので関係ない)。
これが、キットでは浅く平らに窪んでいるだけなのだが、実際には半円断面にもっと深く窪んでいる。平面形も、キットでは単純な細長い楕円形だが、実際には後ろに行くほど深く広くなっているはず。説明書に削り込むよう指示があるので、本来、窪みがもっと深いことはメーカーも把握しているにもかかわらず、パーツがそういう形状になっていないのはどうにも謎。あるいは金型を作ってしまってから気付いたのだろうか。
また、砲手・装填手用の椅子は、組立説明図では砲架の左右に対称に付けるようになっているが、実際は、塗装図にあるように、左右で取り付け位置が前後にずれている。ただし、塗装図に描かれた位置は、左右ともリベット1つもしくは2つぶん後ろにずれている可能性がある。なお、支持架に対するサドルの取り付け方も左右で異なり、サドルの下の縦の主軸の位置が、右シートではサドルの前側、左シートでは後ろ側にある。
また、砲架の左側面には標桿とクリーニングロッドが付くが(右にも?)、キットでは省略されている。
●もうひとつ。ファインモールドの四一式山砲(山砲兵仕様)について。
こちらはまだパーツを洗っただけで、まるで組んでいないが、UMのM02野砲をいじった目でこういう確かなメーカーの新キットを見ると、もうそれだけでじんわり感動してしまう。
もっとも、元が小さく華奢な砲なので当然なのだが、箱の大きさと比べ中はがらんとしたもの。ランナーは4枚だがうち2枚はフィギュアと装備品。砲は、同時発売の連隊砲仕様と共通の砲の基本パーツの小さめのランナーと、さらに小さな山砲兵仕様用ランナー(防盾ほか)。
なお、防盾は薄めに仕上がっているとはいえ、やはりプラパーツでは厚い。そのうちエッチングパーツでも出るかなあ……。
ところで私にしては珍しいネタを仕入れているのは、実はこの山砲、中国軍でも多用されているため。
「抗戰時期陸軍武器装備 野戰砲兵篇」によれば、中国ではこの砲は非常に好まれ、そのため国内数箇所の工場でコピー生産も行われた。
漢陽兵工廠(現・湖北省武漢市):民国10年(1921年)に開発もしくは生産開始され、「漢十年式75山砲」と呼ばれる。
太原兵工廠(現・山西省太原市):民国13年(1924年)に開発もしくは生産開始され、「晉造一三式」と呼ばれる。
瀋陽兵工廠(現・遼寧省瀋陽市):民国14年(1925年)に開発もしくは生産開始され、「遼一四式」と呼ばれる。
これは生産拠点を複数設けて大量生産を行ったというよりも、当時の状況で言えば、太原兵工廠は閻錫山、瀋陽兵工廠は奉天軍閥の影響下にあり、要するに、中央と有力軍閥がそれぞれ勝手に生産したということらしい。というわけで、(呼び分けるのも面倒臭いので)四一式山砲は中央軍で使われただけでなく、晋綏軍(山西省、綏遠省を地盤とした閻錫山率いる軍)、東北軍では野戦砲兵の主力として使われた。
実戦では、1933年の熱河戦はじめ、日中本格開戦後の太原会戦(日本側呼称は太原作戦)などでも大量に使用された。この間、中央軍では、装備の統一も意図して、ボフォース75mmM1930山砲を標準装備と定めて導入を進めていたが、まだ一部の部隊では四一式山砲を使用していたらしい。
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