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2013年3月

3月末のあれこれ

●例の「花粉症疑惑」の咳が昨日、今日とことのほかひどく、一日中ケホケホしている。

一方で、年度末だからどうというのとはまるで関係なく、切羽詰りつつある仕事が複数交錯しており、特に今週はバタバタしそう。

●前々回に書き忘れたのだが、先週前半、胃腸科外科に久しぶりの通院。症状が落ち着いているため、しばらく前から2ヶ月に1度という悠長なペース。しかも、行ってどうということもなく、問診で、最近はどうですか、そうですか、まあまあですね、みたいな会話をして処方箋を出してもらって帰るだけ。

ただし、通院し始めて1年以上経ったので、このへんでまた、近々内視鏡検査をしようと思うので心に留めておいて下さい、と言われる。またあの、何かの修行みたいな真似をしないといかんのか……。

●先日、息子は2年間通った美容師の専門学校を卒業したが、そのちょっと前に、美容師資格の国家試験を受験している。

本人曰く、実技試験でポカをやらかしたとかで、合格は覚束ないと言っていたのだが、先週末、とうとうその結果発表。なんとか合格。よかった。

就職先はだいぶ前に決まっていて、明日は社会人として初出社。

F1033034●一気にイタドリも芽吹いてきたので(去年よりだいぶ早い)、一度くらいは食っておこうと、芽先だけ収穫してくる。本来は、ちょっと伸びた茎部分が主役なのだと思うが、そちらは下拵えがそこそこ面倒な上、手間を掛けても私しか食べないのであまり面白くない。

採ってきた芽は一度さっと茹で、にんにく、唐辛子、オリーブオイルで炒めて、マカロニとあえて食べたが、ちょっと酸味が勝ちすぎて今ひとつ。

うーん。手間を惜しまず、この次は茎炒めを作るか……。

●アニメの「まおゆう」が終わってしまったのだが、物語としてはまだまだ序盤というところ(そのうち続編があるのだろうか?)。どうも物足らず、ウェブ上で原作を読み始めてしまった。

といっても、画面上で細かい文字をずっと追うのは結構辛いので、細切れに読み進めていて、まだだいぶ前のほう。

●ハンガリアン・プロッツェを作りたくて、タミヤのキットをいじり始める。シャーシ自体に変わりはないはずなので(というより、もしも変わっていたとしても判らないので)ストレートに組む。

もっともキットがだいぶ年代物のため、パーティングラインがだいぶ目立つ。今のタミヤのように「ナイフを立ててさっとひと撫で」では済まず、それなりに手間が掛かる。

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ルノーR35考証メモ(2)

●実を言えばまだ全然まとめきれていないのだが、あまり間が空くのも何なので、個別にでも、ある程度目処が立った時点で調査結果をUPしていこうと思う。

対象のルノーR35は、第2次大戦フランス軍(1940年戦役時)の事実上の主力戦車である(これ以上の概略についてはwikipediaを参照のこと)。その主な外形的バリエーションは前回羅列した通り。

R35 これについてどのような調査をしているかというと、実際の表でなく切り出した画像だが(表全体はデカ過ぎて、貼り込むようなものではない)、右のような感じ。

幸い、フランス戦車の場合は登録番号を車体前後に比較的よく目立つように書いてある。番号が判るものにつき、写真に写り込んでいる特徴だけを拾っていっても、ある程度傾向は読めるのではないか、というのが出発点。

……とは言っても、我ながら思うに地味な作業である。やれやれ。

●というわけで、今回は車体前部の「増加装甲」について取り上げることにする。本来は増加装甲付きと増加装甲無しの車体前部のイラストでも載せるべきだが、スキャナーもないし、直接描こうにもその手のソフトがwindowsのペイントくらいしかないので、宿題ということで。

まず増加装甲を取り上げる理由は、何のこたぁない、一番最初に、かなり明確に登録番号との関連性が見えたからで、反面、他の要素はどうもそう一筋縄では行かないようだ、というのも現時点で種明かししておこうと思う。

この増加装甲は一部車輌にのみ付いているものだが、表にしてみて、明確に「登録番号が若いものには標準的に付いていて、後のものにはない」ということが判った。ほぼはっきり番号と連動している以上、この増加装甲板は後付けのものではなく、生産時点での標準仕様だったと考えてよさそう。

もっと具体的に言うと、1500輌余り生産されたR35のうち、50296号車(296輌目)には付いているのがはっきり確認でき、50298号車(298輌目)以降では確認できない。つまり、この増加装甲は生産開始より296~297輌目まで装着されていたものだと推察することができる。

実際には、「シャール・フランセ・ネット(chars-francais.net)」に出ている写真のなかで、51160号車とされているものにははっきり増加装甲が確認できるという例外がある。ただし、写真自体は非常にクリアなのだが、登録番号はだいぶかすれて読みづらく、本当は50160号車か、とにかく別の番号である可能性は高い。

●1937年に行われたとされる耐弾試験で、より装甲を強化する必要性が指摘されたが、すでに生産は進んでおり、より多くの戦車が必要とされている状況下で、装甲強化は見送られたというような記述が、TRACKSTORYにでている。

おそらくこの試験に供されたものと思われる、穴だらけになった50004号車の写真が掲載されているが(TRACKSTORY、p.8)、この時点ですでに増加装甲は装着されている(車輌手前に、増加装甲付きのデフカバー……なのかブレーキ点検ハッチなのか、とにかくその手のハッチカバーと、被弾の衝撃で外れてしまった車体右側の増加装甲が立てかけてある)ので、テストの結果を反映して付けたものではないらしい。しかも1937年となると生産が始まってからだいぶ経っているし、おそらくすでに増加装甲無しのものが生産されている時分だ。

あるいは、初期の鋳造部品はスが入ったりして、圧延鋼板に対しかなり耐弾性に不安があったとのことなので、初期不良が収まるまでの間、貼られていたものという可能性もある(もっともその場合、鋳造のノーズの後方、圧延鋼板部分にも増加装甲が貼られているらしいことが矛盾する。また被弾率がより高いはずの、やはり鋳造の戦闘室や砲塔には増加装甲装着等の措置は行われていない)。

なお、生産300輌目手前で装着されなくなったのは、その時点で基本装甲厚の増加、あるいは装甲の質自体の向上等の措置が取られたためと考えられるが、現時点ではそちらの理由も不明。

……そもそも増加装甲にしては妙に薄過ぎる感じなのも気になる。本当に増加装甲なのかコレ(締まらない考証記事だなあ)。

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置いてけ掘

●前回書き忘れたこと。

ドラゴン/サイバーから、I号爆薬運搬車のキットが出るそうだ。アイテムとしてはなかなか惹かれるものはあるが、何しろベースとなるI号戦車B型がちょっとアレなキットなのが悩みどころ。

私自身、古いイタレリのキットをこれでようやく代替できると思って喜び勇んで買ったはいいものの、組み立て始めるとなんだか「あれ?」な部分が多く、早々に中断してしまった。

エンジンルーム周りのタテツケもあまりよくなく、砲塔がやけに小さく(トライスターと比較する以前に、ぱっと見の印象ですでに小さい)、しかも戦闘室の前後幅はその小さい砲塔に見合う形になっているので、トライスターの砲塔を持ってきてB型仕様にして、といった作業をするにも大手術になる。

●普段、艦船の模型の新製品情報などチェックすることはないので知らなかったが、HPBBYBOSSからいつのまにやら、フランスの「大艦巨砲潜水艦」、シュルクーフの新キットが出ていた。日本語でも書かれている艦名(キット名)は「スルクフ」。旧ソ連の原潜か何かかと思った(今ググってみたら、wikipediaの項目名も「スルクフ」になっていた)。

なお、実際の発音は、フランス語は「u」の発音は「ユ」、「ou」が「ウ」なので、「スュルクフ」が近いのではと思う。

●27日、生憎の雨だが、仕事で東京深川、住吉に行く。

住吉の すみにすずめが巣をかけて さぞやすずめは 住みよかろ

F1033025という歌だか都都逸だかを、昔、川原泉の漫画で読んだことがあるが、あの住吉ってのはこの辺ですかね(……大阪の可能性のほうが高そうだ)。

帰りは錦糸町まで歩く。右は錦糸町駅近くで見た歩道のタイル。……そうか、本所七不思議の「置いてけ掘」てなぁこの辺りか。

別に何かを置いて行けと強要されることもなく錦糸町駅に到着し、駅近くのバーガーキングで遅めの昼食。

●せっかく半蔵門線沿線にいるので、直通の田園都市線沿線である川崎の実家に、母のご機嫌伺いに行く。夕食を実家でとり、夜帰宅。

実家近くのBookOffで、池上永一「テンペスト」単行本上下が、1冊105円で売られていて、つい買ってしまう。以前読んだ本だが、そのうち読み返したいと思っていたので。それにしてもあちこちでBookOffばかり行ってるな……。

●タミヤのティーガーIIの砲塔上面のピルツは初期の配置で、コーティング無しで作ろうと思うなら、後期の配置に直す必要がある(たぶん)。

ちなみにガルパンに出て来るティーガーIIは、前方1箇所のみ後期で、残りが前期という折衷。これは「パンツァーズ・イン・ソミュールNo.1」の飯沼一雄氏の図面と同じ。……トリビアネタ?

さて、その後期配置の3カ所のピルツのうち、最前部は多くの写真に写っていて判り易いのだが、後の2つ、特に右側の装填手ハッチ付近の1つが、どれくらい移動したのかちょっと判りにくい。

結局、第503重戦車大隊が演習場で整列行進する有名な動画や、少ない写真からなんとか見当を付けた。

●その写真探しの過程で、たまたま、ハンガリー軍仕様のクルップ・プロッツェ兵員輸送型の荷台後面が写っている写真を見つけてウハウハ。ハンガリアン・プロッツェについての概略は以前の記事に詳しい。

兵員輸送型についていくつか追加すると、

  • ドイツ軍用の兵員輸送型Kfz.70(あるいは20mm高射機関砲牽引型のKfz.81)に似ているが、ハンガリー型ではキャビン左右にドアがある。
  • キャビン平面形は、ドイツ軍用型ではシート左右は平行、足元ですぼまっているが、ハンガリー型では(ドア形状からすると)キャビン後方から一様に緩やかにすぼまっているのではないかと思われる。
  • キャビン前方の幅(タミヤのキットで言うとパーツA27の幅)が、ハンガリー型では若干広い可能性がある。また、フロントウィンドウの幅が広い。これはそもそもタミヤのキットのウインドウ幅が実車より狭いのかもしれない。
  • キャビン左右のスペアタイヤに“ホイールアーチ”(フェンダー状のもの)がなくむき出し。
  • 荷台は、ドイツ軍用では木製だが、ハンガリー型ではおそらく全金属製。床板までも金属かどうかは不明。側板の上半分には4本の水平の溝(背もたれ部分に対応した強化用のプレス溝?)、外側最上部に横棒。
  • 荷台下部、最前部左右の収納箱部分が、ハンガリー型にはない。
  • 荷台中央に機銃架装着可能。

などの差異がある。

まだ一部不明な部分もあり、想像で補わなければならないにしても、なんとか模型製作に取り掛かることは出来そう。

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模型関係のメモ

●アカデミーから、大戦末期のプラハ蜂起の市民軍のヘッツァーが出るそうだ。

同じ頃、同じ辺りにいて共闘したロシア自由軍(ROA)のヘッツァーともども、よほど物好きが(……つまり私のような)作ろうと思うネタ。しかもROAのヘッツァーは一応ちゃんとした車輌であるのに対し、プラハ蜂起軍のものは、工場から未完成車輌を接収してきており、主砲は付いていないものが多いので、ますますキワモノ度が高い。

まさかこんなものが、メーカー品で出るとはなあ。

(しかし最近の新製品の中では、個人的にはだいぶ「欲しい度」が高い。)

●そういえば、先日B's Hobbyに寄った時、ガルパン晩のポルシェ・ティーガーが発売になっていた。後期ドイツ戦車は基本、対象外の私だが、P虎はあの格好悪さが以前から妙にそそられている。

ちなみにガルパンに出て来るP虎は基本試作型のままなのだが、ドラゴン版はH虎の量産型砲塔を載せた実戦参加型で、今回のガルパン版もそのままになっているらしい。実を言えばドラゴンで試作型――つまり正規のP虎はキット化されていないというのを今回初めて知った。「前からそそられている」といっても、まあ、こんなレベルってことです。

というのはいいとしてドラゴンからP虎のキットが出たのはそこそこ前のことなので、今回のガルパン版で何かしら手直しが入っていたりしないのかどうか、というのがちょっと気になる。「ガルパン仕様準拠」の改変が入っていると(私の用事的には逆に)困るけれど、ディテールの向上とか、より出来のいい新パーツの付加とかがあるなら手に入れたいかも。

●尾藤満氏の「Panzer Memorandum」では、先日 I号sIG33自走砲の連載が終了。

車体は延長、戦闘室周りの装甲はVOYAGERのエッチング、砲は丸ごとAFVクラブに交換という、流石というか何と言うか、

「キットの意味ねえええっ」

と、感服しつつも、笑っていいのか慄いていいのか的な内容。

さすがにあそこまでの工作は私には無理で、せいぜいドラゴンのキットに多少手を入れる程度になるけれど、それでも大いに参考になる。

なお、sIG33自走砲の後は、47mm対戦車自走砲がスタート。

●hideさんの「Panzer-Werkstatt」ではしばらく前からIV号の考証話が続いているのだけれど、最近の2回は転輪の話。

特に今日、25日付でupされた「Ⅳ号戦車の転輪に関する傾向と対策:前期型編その①」には、これまで他には出ておらず、hideさん自身が写真から読み取った新知見があれこれでてきて、考証派モデラー必読。

自分がIV号を作る際にどこまでそれを反映するかはさておき(……するかなあ)、とにかく面白い。

初期型転輪にこれほどバリエーションがあるとは思わなかった。

●今夜はやけに米軍機がやかましい。

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ノビル焼き

●19・20日。川崎の実家に行く。

毎度のように、19日の晩は酒を飲んで、母となんだかんだ取り留めのない話をする。

取り留めのない話のうちの一つ。今日の徳千代さん情報。

先日、初めて名前が「徳千代」と判明した母方の祖母(母の母)は、和野という集落から、(母の故郷の)佐仁に嫁に来たのだが、母によれば、佐仁と和野とでは言葉が違い、佐仁の言葉は乱暴でぶっきらぼうなのに対して、和野から来た祖母の話す言葉は丁寧で優しかったそうだ。

ついでに文例も聞いたのだが、一回聞いたくらいでは書き表せない。ただ、同じ意味の短文が、佐仁の言葉より和野の言葉のほうが倍くらい長かった。

ちなみに和野は奄美大島の北部、現在奄美空港がある場所で、佐仁は奄美大島の北端。どちらも笠利村(現・奄美市笠利町)内の集落で、10km程度しか離れていない。ただし、山がちで集落間の交通が不便であった奄美大島の場合、集落ごとに言葉や音楽(島唄)にだいぶ差があったのは確かなようだ。

しかしたかだか10km程度の距離でそんなに違うものだろうか、単に祖母がおっとりした性格で言葉遣いが丁寧だっただけなのでは――とも思ったが、母曰く、そうではなくて、集落の中で話されている言葉自体に差があるのだそうな。

母によれば、佐仁は波が荒いので言葉も荒く、和野は波が静かなので言葉も優しい由。しかし佐仁は東シナ海に面し、和野は太平洋に面しているので、これはどうも怪しい気がする。

F1033012●20日、母と墓掃除に行く。ちょぼちょぼと生えた草をむしり、新しい花と線香を供えた程度。

ただ、生えている雑草のなかにスミレがあって、ちょうど濃紫の花を付けており、これはもったいなくて抜けなかった。

F1033010津田山の霊園は高津区の中でも桜の名所で有名なのだが、20日時点ではまだ平均して6分くらい、という感じだろうか。

●帰りに久しぶりに模型屋、多摩プラーザのB's Hobbyに行くが何も買わず。帰路のあちこちにあるBookOffに寄って帰宅。「カドフェル」数冊、「あさひなぐ」1巻など買う。

●22日金曜日、夕方ちょっと出て、今季2度目のノビルの収穫。今回はたっぷり抜いてきて、金曜晩、そして今夜と、2度に分けてネギ焼き(ノビル焼き?)を作る。

F1033018F1033022作り方はいたって安直で、大量のノビルのみじん切りを、お好み焼粉の溶き粉でつないで焼くだけ。香ばしくてなかなか美味。鍋肌に醤油をたらすとますます香ばしいが、かみさんはポン酢を付けるのが好きなので、今夜焼いたものは醤油を無しにした。

左が焼き始め、右がひっくり返したところ。焼き始めの写真でネギ率の高さが判るはず。今夜はこれをアテに、日本酒を一杯。美味し。

ただし、普通のネギやらワケギやらに比べて香りがきついので、作っていると部屋中がネギ臭くなる……だけでなく、食べて数時間経つのに、自分自身もなんだかまだネギ臭いような。

今日はとにかくノビルだけで焼いたが、キムチも混ぜてチヂミ風にするのもよさそう。けれど、次回はノビル丼か、ノビル入り鯖味噌かなあ。

●最近やっている(というより、そろそろ最終回なのか?)「まおゆう 魔王勇者」というアニメが割とお気に入り。

元は2chに投稿された即興小説だとのことだが、原作は未読。そのうち機会があれば読んでみよう……。

それはさておき、大まかな設定を言うと――。

  • 人間と魔物との長きに渡る戦争を終わらせようと、勇者がたった一人で魔王の城に乗り込むが、魔王は予想とまったく違い、若い女の子。
  • しかも、人間も魔物も、社会の仕組み自体が戦争を前提として成り立っているために、魔王(つまり自分)ひとりを倒しても戦争は終わらず、またいきなり戦争を終わらせれば、戦争以上の混乱が巻き起こる、という。
  • なんだかんだで、戦争に立脚しない社会の実現を目指す魔王の実験と取組に、勇者は付き合わされることになる。

――というもの。

その設定自体、何となく既視感のようなものを覚えていたのだが、「悪の親玉だと思って退治しに行ってみたら」パターンは、「ラベンダードラゴン」(イーデン・フィルポッツ)だなあ、と思い至った。先進的な思想、説で変革を進めるというところでは、(いやいや、そんなに上手く話は進まないだろう的なところも含めて)18世紀あたりの啓蒙小説風な感じも。

そんなわけで、「ラベンダードラゴン」を再読しようかと、実家の書棚を見渡してみたのだけれど、どこに行ったか結局見付からなかった。

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ティーガーIIのギモン

先月書いたように、単に「ちょっと普段作らない方面のものを作ってみよう」という程度の理由でタミヤのティーガーIIをいじっていて、組み立て的には、もうあと若干の細部工作を残すだけ。

後で塗りづらいだろうなあ、と思いつつ、履帯もべったり足回りに接着してしまった。

●さてここで、軽い疑問。

ティーガーIIのスカートは、継ぎ目部分がリブ状に出っ張っていて前後が重なるようになっている。

完備状態なら一体のパーツ状態でよいので問題ないが、一部外れた状態にしようと思うと、このリブが、隣り合ったスカートのうち前側に付いているのか、後ろ側に付いているのかが問題になる。

理屈として考えれば、前方に走行中に木の枝などを引っ掛けないように、リブは前側にくっついていて、結果、スカート同士の境目は後方に向いているはず。

……なのだが、写真資料を見ると、リブが前側に付いているように見えるものも、後ろ側に付いているように見えるものもある。というよりも、そもそもリブなんて付いてないように見えるケースも多数ある(初期はリブ無しで、ただ重ねているのか?)。そもそもスカートを引っ掛けるアタッチメント自体、数や間隔にバリエーションがあるようだ。悩ましい。

もっとも大戦末期のドイツ戦車は、わが家の資料ではかなり手薄な分野なので、

「いやいや、そんなもんはバッチリ、もう***に答が出てるよ」

ということもあるかもしれない。そんな場合は、ぜひご教示を。

●どうも数日前から、ケホケホと変な咳が続いていて鬱陶しい。かみさんがいうには、花粉症の一種に違いないそうな。まあ、目が痒くてしょうがないとか、鼻水が止まらないとかよりはマシだけれど。

●先週、御徒町の「菓子の二木」で「しるこサンド」と一緒に、姉妹品の「しるこサンドクラッカー」を買ったのだけれど、クラッカー版のほうは、「悪くはないけれど、しるこサンドの絶妙な歯ざわりには負ける」というのが個人的評価。

なお、今回初めて食った娘も「しるこサンド」は絶賛。娘はクラッカー版が好きらしい。

F1032991●同じく先週、阿佐ヶ谷で買ったお菓子、「南部せんべいチョコサンド」。

こんなふうに「名産品に一工夫して、なんとかもうちょっと売ろう」という涙ぐましい努力は、先日の「ローカル食い物」でイメージしているものとはちょっと違うのだが、この場合は、

「いや、一工夫するなら、もうちょっとなんとかしようよ」

と感じてしまうトホホ感に逆に打たれて、つい買ってしまった。

確かに形は通常の南部煎餅と違って四角くて、割りやすいように十文字に刻み目が付いている、という程度はヒネってあるが、本当に、ただ単に南部煎餅でチョコレートをサンドしてあるだけ。しかも煎餅は平らな背中同士を合わせているのではなく、同じ方向に積んである。なんだかものすごく、やっつけ感が漂っている。

……しかしこれが、意外なことに割と美味しい。なんだかちょっと悔しい気分。

F1032993 ●何で私はこう菓子の話ばかりしてるかな。

と、自分でも思わなくはないが、こちらは金曜にちょっと鎌倉に出た際に買ったもの。

子供の頃、田舎からお菓子など送って来ると必ず入っていたのがこのボンタンアメ。「ものすごく美味しい!」とはその頃も思わなかったし、今でも特に思ってはいないけれど、見掛けると、時々食べたいなと思う。

隣の「黒いキャラメル」はついでに買ってしまったもの。別にイカスミとかではなく、ちょっとほろ苦い焦がしカラメル風味。

F1032996●その金曜のちょっと外出の際に撮った、名越の切通しを越えて大町側に降りたところの児童公園の河津桜。

今は春辺と咲くやこの花。

昨年も写真を載せた木なのだが、綺麗だしせっかく撮ったので。ちなみに「難波津」の歌の「この花」は、実際には梅のことだそうだ。そういえば今年はどこの寺にも梅見に行っていないなあ。

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ザ・ギリシャ人

●7日木曜日。

平日だが、前々からの予定で、かみさんと上野の都美術館にエル・グレコ展を見に行く。かみさんがぜひ見に行きたいと、早々と昨年の「グレコの日」(9月05日)に格安前売り券を買ってあったもの。ダジャレかよ!グレコの誕生日か何かかと思ったよ!

エル・グレコといえば、青や黄や赤の単色の衣の色合い、その衣の陰でどう曲がっているのやらよく判らない腕、妙に細い顔、絶対何かキメてイっちゃってるに違いないまなざし、などが特徴であり魅力だが、この展示会は大作から、本当にグレコが描いたのか疑問符付きの作品まで含めて、点数もたっぷり。見応え充分。

西洋美術館のラファエッロ展も惹かれるが、さすがにそこまでハシゴすると贅沢すぎて食中りを起こしそうだ。

●二木の菓子で買い物をした後、バスで東大構内まで行き、赤門前のラーメン屋「赤味噌けいすけ」で遅い昼食。街に出ることが少なく、街に出なければ食べられないようなラーメンが食べたい、というかみさんのリクエストに応えたもの。

●久しぶりに都心に出たついでに、かみさんが結婚前の若い頃から、結婚して子供が幼稚園に上がる前まで住んでいた、中野~杉並~練馬界隈をうろつきたいというので、大江戸線に乗る。

まずは新江古田まで行き、鶏肉屋を経営している友人夫婦を10年振りくらい(?)に訪ねる。当然肉屋は営業中の時間で、揚げたての手羽をつまみ食いさせてもらったりする。帰りに鶏胸肉を土産に5kgも貰う。……5kgの肉なんて、どこか高校の運動部の合宿あたりじゃないと仕入れないくらいの量のような気がする。重いし! 

ちなみに以来、今週に至るまで、わが家の夕食は手を変え品を変え鶏胸肉。

●新婚当時暮らしていた西武池袋線中村橋に出て、バスで阿佐ヶ谷へ。

中村橋駅前はすっかり様変わりしていた。しみじみ美味しい、鳥つくね入りの塩ラーメンを専門に食べさせてくれていた、じーちゃんばーちゃんがやっていたラーメン屋は当然のように今はなく、同じ場所に別の名のラーメン屋が入っていた。

阿佐ヶ谷では、しばしば通っていた江戸情緒が売りの飲み屋を探してみたが、確かこのあたりだったと思う場所にはなかった(その後ネットで調べてみたら、どうも高円寺に移転して、今もしっかりあるようだ。調べてから行けよって話だ)。

パールセンター(阿佐ヶ谷駅前のアーケード商店街)を、ささみさん風にちょっとうろついて帰る。

F1032986●10日日曜日。

家庭菜園ならぬ野生菜園に行き(要するに近所の山の野原)、今年初めてのノビルを採る。およそ1年ぶりなので、我が聖剣エクスカリバーもサビサビ。

F1032983まだあまり勢いよく伸びているとはいい難く、またそんなにがっつかなくてもこれから1カ月余りは採り放題なので、今回は謙虚に味見程度。

帰って早速下処理し、最もシンプルに、軽く塩を振ってジップ袋へ。これだけで充分美味いけれど、この先もっとたくさん採ったら、鯖味噌にたっぷり入れたり、ねぎ焼きを作ったりしよう……。

F1032989ちなみにイタドリはまだまったく芽が出ていない。ヨモギは結構生えているが、草餅とか草団子とかヨモギパンを作るならともかく、簡単に美味しく食う方法が見付からないので収穫せず。ヨモギ入りグリッシーニとか美味そうだがなあ。あるいはこっちのヨモギでフーチバー入りジューシーとか。

●11日月曜日。震災から2年。もっとも、明方まで仕事をしていて、地震があった時間は昼寝して寝過ごしてしまった。

2年前はこんなに温かくなかった気がする。

●12日火曜日。久しぶりに神保町のN社事務所。全国の図書館の蔵書、貸出状況などを横断で検索できるサイトを作っている社長エンジニア氏にお会いし、I君と3人で夕食を食いながら酒を飲む。いろいろ面白い話を聞けて楽しい。

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ルノーR35考証メモ

●前回、「次はモデラーらしい話を書いてみるつもり」などと安易に予告してしまったくせに、それがなかなか書けずに間が空いてしまった。

それでもまあ、何とか予告通り、「モデラーと言いつつ作っているのはフキ味噌ばっかり」という状況よりは、いくらかモデラーらしい話をひとつ。以前からつらつら考えている、ルノーR35の仕様考証のメモを書いておくことにする。

といっても、一回で書き上がる話ではなく、今回は本題に入る前のポイント整理みたいなもの。その割にくどくどしているけれど、お暇な方はお付き合い下さい。

●ルノーR35は第二次大戦におけるフランスの主力軽戦車で、1935年4月29日に最初の発注が行われ、量産が開始されている。

R35の車両登録番号は 50001 以降が割り振られている。その後、足回りが完全別設計のものに挿げ替えられた(足回り以外は基本的に同じ)ルノーR40に生産が切り替わっているが、登録番号は引き続きで、現在のところ知られている、R40の最も若い番号は 51549 であるとのこと(「TRACKSTORY」による)。

一方、「シャール・フランセ・ネット(chars-francais.net)」に出ているR35の写真で、番号が判るもののうち最も大きいのは 51526 だから、素直に番号通り作っているとすれば、R35の総生産台数は1526輌以上、1549輌未満ということになる。

フランスで生産されたルノーR35系列は、基本的にR35とR40の2タイプだけである。バリエーションとして地雷処理装置を付けたものなどはあるが、テストされたのみで量産に移されたものはない。ただし生産途中に導入された改良や、細部の仕様変更はあり、その主要なポイントについて以下に列記する。

== 砲塔 =========

砲塔は「APX R」という規格品で、オチキスH35系と共通している。以下の仕様変更は、オチキスでも同様。

また、APX R砲塔の場合、側面に鋳造管理番号やメーカー名、例えばFAPSForges et Acieries de Paris et de la Seine:パリ&セーヌ製鉄製鋼所)のロゴが鋳込まれているものもあるが(*1)、供給ルートの差があるのか、オチキスではしばしば見るものの、ルノーでは滅多に見ない気がする(*2)。ただし、これはたまたま有名な写真に写っているものがあるかどうかだけの差かもしれない。

さらに、砲塔それ自体、おそらく生産工場による差異で、形状に微妙な違いがあるように見える。特に右側面前方がふっくらしているものと、痩せているものがある気がする。が、明確にタイプ分け出来ていないので、とりあえず現時点では追求しないことにする。

  • 注1:FAPSのロゴが何を示すかは、確か「ARMES MILITARIA MAGAZINE」由来の知識。
  • 注2:ただしルノーでもまったく例がないわけではなく、例えば51159号車はFAPSのロゴ入り砲塔を載せている。

 ▼主武装

主砲はルノーFT譲りの(「TRACKSTORY」の記述からすると、本当にFTから譲られているものも多かったのではと思われる)SA18、いわゆるピュトーの37mmだが、後期には長砲身のSA38に進化していて、R40では基本、全車がSA38装備になっている。

したがって、R40に生産が切り替わる直前には、R35もすでにSA38装備になっていたものと考えられる。また、オチキスでは既に配備されている車輌でも小隊長車以上は優先的に換装が進められたとのことで(実際に、旧型エンジン車、いわゆる「H35」でも長砲身の車輌がある)、R35の既生産車でも後に換装されたものがあったのではないかと思われる。

とはいえ、写真資料を見る限りでは、長砲身のオチキスは割とよく見られるのに対して、長砲身のR35はあまり多くない(R40の写真もそれほど多くない)。長砲身のオチキス(いわゆる「H39」)は順調に生産が進んでいたのに対し、ルノーはR35からR40への移行に手間取り、それがちょうど主砲交換の時期に重なってしまったのかもしれない。

 ▼砲塔視察口

砲塔前面左側と、左右側面に付けられた外部視察口。鋳造の砲塔本体にほぼ正方形の穴が開いており、ここに視察装置の付いたブロックをはめ込むようになっている。当初は「シュレティアン式」(*3)と呼ばれる双眼鏡タイプの視察装置付きが使われたが、のちに単純なスリット状のものになっている。

なお、このスリットタイプのものの場合、スリットの上部はひさし状に出っ張っているが、ふっくらと出っ張っているもの、下端が尖ってしゃくれているもの、ひさし部分が別体で作られているように見えるものなど、いくつかバリエーションがあるようだ。

  • 注3:この「シュレティアン」という名は「TRACKSTORY」に出てきたように記憶しているのだが(いい加減だなあ)、メーカー名なのか装置の考案者名なのかよくわからない。

 ▼対空機銃架取り付け基部

砲塔後面ハッチ開口部の上に突起が付けられている場合があり、これは対空機銃架の取り付け用であるらしい。実際、ここに機銃らしきものをくっつけて走っているR35の写真がある。

もっとも、こんなところに機銃を付けたら、ハッチの出入りも著しく制限される上、いったいどんな姿勢で撃つものなのやらも悩む。

== 車体 =========

 ▼車体前部上面増加装甲

車体の鼻先部分、鋳造部分の上面と、右側のギア点検用カバー(これも鋳造)の上面に、薄めではあるが、増加装甲がリベット(?)止めされている車体がしばしば見られる。当初はこの部分だけかと思ったが、その後部、操縦手用ハッチ下半分の左右、圧延鋼板の部分にも貼り増されているようだ。

 ▼操縦手用左右視察口

戦闘室上部の操縦手用バルジは左右に視察用スリットがあるが、これが単なるスリットだけのものと、スリット上部がひさし状に出っ張っているものがある。生産初期の記録用写真等では出っ張りのない形状であること、一方R40では標準でひさし状であることなどから、生産後期に導入された改良であることが判る。

 ▼エンジンルームグリル保護枠

エンジンルーム上面のグリルハッチ類の保護のため、その周囲に枠状の出っ張りが設けられた車体がある。これはソミュールにある2両のうちの片方、それからクビンカの現存車輌でも確認でき、車体上部の鋳造部品と一体で作られていることが判る。これも上記操縦手用スリットのひさし同様、生産後期の特徴。

 ▼装備品

R35の右フェンダー、戦闘室横位置には、後半がシートラックになっている工具箱が標準装備されている。これが、初期には前半の工具箱、後半のシートラックの高さが同じなのだが、生産後半の車輌では前半の工具箱のほうが若干高くなり、途中に段が出来るようになる。

ちょっと余談。右フェンダー最後部にはラックがあってジャッキ台とジャッキハンドルが付き、その前方外側に湯沸しみたいな形状のジャッキが装着されるのが標準。しかし生産初期車輌の写真では、作られた当初は直方体の角材のようなジャッキが装着されていて、ラックもそれに合わせて前後に四角い枠のようなものが付いている。おそらくある時点で、これらはラックごと標準仕様に交換されたのではと思う。

 ▼尾橇

「TRACKSTORY」によれば、AMXにより開発され、1938年に導入されたもの。ただし「既に生産された分の車輌のほとんどには、フランス戦までに供給することはできなかった」とある。R40の場合は標準装備のはずだが、こちらも付いていない車輌がある。生産中に開戦を迎え、最後の方は付ける余裕がなくなったらしい。

== 足回り =========

転輪ボギーの両側面に、転輪すれすれの位置まで、下端が楔形になったカバーが付いている車輌と、付いていない車輌とがあるのだが、これは本来付いているものが取れてしまったか、そのままか、という違いではないかと思う(実は詳しく調べたら生産時期と関連があった、とかだといやだなあ……)。一応、時期的な差異と思われるのは次の箇所。

 ▼誘導輪

誘導輪には放射状に6本のリブがあり、その間に大きく丸い穴があるのだが、おそらく生産後半の車輌では、この穴がパッチで塞がれている。

パッチはそれぞれが4本のビスだか小リベットだかで止められている。わざわざそんな面倒な手間をかけてまで、積極的にこの穴を塞がねばならない理由がどこにあったのかは謎。しかし改めて考えると、オチキスの誘導輪も穴あきから穴無しに進化している。

●こんなところが、とりあえず時期に関係すると思われる仕様のバリエーションなのだが、問題は、

  • それぞれの細部の差異を安易に「初期」「後期」と判断しているが、本当にその順番は正しいのか。
  • そもそも実際に生産時期に連動しているものなのか。
  • 連動している場合に、いつ、という時期の特定は無理としても、生産何両めくらいから変化しているのか。

――ということである。

そのあたりの検証を、次回以降に行ってみたい(作業自体がかなりの手間なので、すぐには無理そうだけれど)。

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しるこサンド

●「 」っていう漢字、なんだか梵字くさいよね。

●先日、「ミレービスケット」なる揚げビスケットを食べた話を書いたが、某所で、「ミレー文化圏」である中京在住の某女史より、

「『ミレーフライ(中京地区における呼称)』が全国メジャーでないこと自体を知らなかった、では『しるこサンド』や『かにチップ』、『まころん』はどうなのか」

とのコメントを頂いた。……いやいや。そんなん全部知りませんて。

そんなこんなで、ローカル菓子談義で少々盛り上がってしまった。特に小豆系が好きな私としては「しるこサンド」に少々惹かれたのだが、後でかみさんに聞いたところ、「『しるこサンド』は職場で普通におやつに出てくる」とのこと。

調べてみると、やはり名古屋のメーカーで名古屋周辺でポピュラーではあるけれど、関東でも店によっては普通に売られているようだ。ちなみにかみさんのイメージでは、「鈴カステラ」や「おばゼリー」と同列の、要するに先日のミレー同様、「ばーちゃんちに行ったら出てくる」系おやつであるらしい。

F1032953●そして今日、東逗子のダイソー(100円ショップ)で発見。ちなみに姉妹品の「しるこサンドスティック」も売られていた……だけでなく、「まころん」も「鈴カステラ」も「おばゼリー」もあった。100円ショップ、ぱねぇ!

初めて食ったそれは、甘さと軽い塩味のバランスと、ぱりっとした歯ざわりがよく、かなり気に入った。今度また買ってこよう……。

もっとも、その食感と「しるこサンド」というネーミングはどう考えても合っていない気がする。

●昔からその傾向はあるが、こんな具合で、最近特に「ローカル食い物」に傾倒中。

といっても、その土地の名物なり銘菓なりとして定評のあるものではなくて(そちらはそちらで好きではあるのだが)、たまたまローカルな中小食品メーカーが出していて、その土地ではポピュラーなのだけれど、全国的にはそれほど受け入れられず、というよりもむしろ展開する企業体力もないので無名なまま、というものがツボ。

そういえばまだ「ポールウインナ」を食ってないな(大手メーカー品だけれど)。

●東逗子に行ったのは主婦陣(かみさんと義妹とチビ助)の買い物のついでに車に乗せて行ってもらったため。時刻は昼過ぎ。乗せて行ってもらった先を起点に、適当に散歩に出ようという魂胆である。

F1032981東逗子のヨークマートの前で、さて、どこに行こうかと考える。

見回して、田越川の橋の脇に大きなパイプが走っているのに気付く。横須賀市水道局名の注意書きがある。そういえばこのヨークマート北側の道は、以前探査した「すいどうみち」の東側の続きである。

そんなわけで、改めてここと逗子間の海軍標石を探してみようか、あるいは逆にもっと東に歩いて、沼間ポンプ場跡地を見物しようか、などと考えてしばしウロウロする。

●そんなことを考えつつ東逗子駅前に出て、駅前の地図に神武寺までの道案内が出ているのを見てさらに予定変更。そういえば近隣の神社仏閣にあれこれ行っていながら、これまで神武寺には行っていなかった。

F1032957というわけで、結局また山歩き。

神武寺は東逗子駅の北側の山の上にある天台宗の寺で、創建は奈良時代にまで遡るというが、そのへんははっきりしない。ただ、「吾妻鏡」に実朝が参詣した記録はあるというから、古い寺であることは確か。

なお、京浜急行逗子線に「神武寺」駅があるが、こちらは東逗子駅とは山を挟んで反対側。裏参道の登り口にあたり、寺まではむしろ東逗子からよりも遠い。寺の入口というよりは米軍の池子住宅地の正面駅という感じで、門番のいる専用改札もある。

F1032966閑話休題。

考えてみると、鎌倉の寺社は山に抱かれるような位置にあるのがほとんどで、山の上にある寺は珍しいかも(裾から続いて奥の院が山の上というのはよくあるが)。山岳信仰がらみの寺であることを感じさせる。

左はなんだか山水画的な、境内の小切通し。

●神武寺からは、そのまま横須賀市との境にある鷹取山までのハイキングコースの矢印が出ていて、またまた突発的に、その道を辿ってみることにする。行き当たりばったり。

F1032938鷹取山に行くのはずいぶん久しぶり。神武寺からはだいたい尾根伝いの道なので比較的楽に歩ける。ただし鷹取山山頂直前に、斜めになった岩場を伝わなければいけないところも1カ所ある。息子が小さい時に滑落して肝を冷やした(転げ落ちながら泣き叫んだので口の中が泥だらけになったが、奇跡的に怪我らしい怪我は何もしなかった)。

鷹取山は近世の石切り場の跡で、ちょうど東京湾を挟んで向かい側あたりにある、同じく石切り場だった鋸山のミニミニ版といった山容。垂直の岩壁は、クライミングの練習をする人がいっぱい。

山頂の展望台で時計を見たら2時半ちょっと前で、神武寺で結構ゆっくりしていたにもかかわらず、東逗子からおそらく1時間ちょっと。さっさと歩けば1時間掛からないはず。

それでもずっと山道で、なかなかいいハイキングになる――のだが、鷹取山に到着すると、反対側の横須賀(追浜)側はすぐそこまで宅地開発されていて、すぐ足元が小学校のグラウンドという、「猿の惑星」のエンディングのショボい版みたいなシュールな光景に遭遇することになる。まあ、「山」とは言っても標高は200m足らずなので仕方がない。

F1032932もっとも展望台からは東京湾も相模湾も見ることができ、なかなか爽快。相模湾側(逗子側)はずっと尾根が続いているのに対して、東京湾側はこの山が丘陵地の突端に近く遮るものがなく、距離的にも近いので見晴らしが良い。金沢八景の野島や旧海軍の追浜飛行場跡などがよく判る。

右は山頂からちょっと下ったところにある磨崖仏。昭和40年頃の作ということで、歴史的にどうというものではないが、なかなか立派。

●途中ちょっと回り道もしてしまったが、追浜駅まで歩いて京急で新逗子まで。

●知人から伝え聞いたところによると、今春の花粉は例年の約9倍だそうだ。つまりパチンコ玉くらいの花粉がどっかんどっかん降って来る……という馬鹿な話を引っ張ろうかと思ったが、花粉を9倍してもそんな大きさにはならんわな。

●次回は満を持して(?)、ちょっとはモデラーらしい話を書いてみるつもり。

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