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2012年11月

ヴィッカース・クロスレイM25装甲車(2)

●フェンダー

近年の中国製キットの特徴としてスライド金型(*)の多用があるが、リアフェンダーも3カ所のステイのモールドを綺麗に出すために多分割になっている。表面3分割なので、結構奢ったな、という感じ。

*ところで、単純な2分割金型でない成型のものをすぐに「スライド金型」と言ってしまうのだけれど、実際には多分割の金型の形式にはもっといろいろあるはず。

しかし、せっかくリアフェンダーを多分割にしているのに、より目立つフロントフェンダーは通常部品で、一番前の(おそらく一番目立つ)フェンダーステイが成型方向に合わせて菱形断面になっているのは残念。

F1032711またこれは金型分割とは関係ないが、フェンダーステイの「柄」の部分が厚いのと、フェンダー上面のフチが分厚いのが、ちょっと繊細さを損じている。フェンダーステイに関しては、後々エッチングパーツでも出そうな気はする。フェンダー上面のフチについては、外側と前側のみ、元の0.7~0.8mm程度の厚み(右写真上)を、0.3mm程度まで削ってみた(下)。……なんか中途半端だ。

なお、フロントフェンダーの「柄」の部分がフェンダーの曲面に垂直ではなく、地面に垂直方向になっているのは、それで正しいようだ。

●車内

どこまで正しいかよく判らないが、とにかく、操縦席と助手席、車長用の台座のような席はある。ハンドル、フットペダル等はあるが、計器盤は無し。また、当然あるはずの弾薬ラック等の装備もない(車長用台座は弾薬箱兼用かもしれないが)。

もっとも車体左右の乗降用ハッチはボディと一体で開閉できず、砲塔上部の貝殻(クラム・シェル)形ハッチも左右一体で開閉できない。車体後面のハッチは別部品なので開状態にすることはできるが、ハッチ裏も車内もツンツルテン。基本、車内パーツはオマケ的な感じ。

ちなみに、資料によれば装甲ボディの内側には断熱のためアスベスト布が張られているとのことなのだが、本来の「インド用」だけでなく、日本への輸出車輌もそんな仕様になっていたかどうかは不明。

●装甲車体

先述の通り一体成型で、全体形がかっちり仕上がっているのはいいが、左右ドアも一体なのは、ディオラマ・ビルダー系の人には不便かも(私はどうせ別部品でも閉めてしまうと思うので問題なし)。

観音開きの後部ドアと、前端のラジエータ・ドアは別部品だが、どちらも基本的に開状態にすることは考えていない作り(せっかく内側にラジエータはあるのに)。実物寸法に比べれば厚いだろうが、模型パーツとしては両方とも薄手に作ってあってよい。

戦闘室外周各所にある覗き孔は下写真とじっくり比べると、もうちょっとあーでこーで……。まあ、そんなところを気にする人も少なそうだし、当然私もいじらない。

F1032715b最も気になるのは戦闘室前面のフラップ(E-12)で、ここは、実際には上下に分かれて開くだけでなく左右にも分かれている。キットのパーツは上下一体の閉状態になっているのはいいとしても、左右分割が表現されておらず、またパーツの厚みがもろに目立つ構成になっているのは、ちょっと何とかしたい感じ。

また、左右のスリットは、キットのパーツでは対称位置にあるが(また実際、タイプによってはそうなのだが)、日本軍の装備した型だと、バックの写真(英軍のME9358号車)のように非対称である可能性が高そう。

●砲塔

とにかくこの車輌のチャームポイントは鏡餅のようなお茶目な砲塔の存在に尽きるが、スライド型で綺麗に抜いている。ただ、車体もそうだが表面のボルト/リベットは画一的で、実際には上写真でも判るように、大きさ、形状にはもうちょっとメリハリがある。

機銃ポートは4つあるが、実車では通常2丁しか装備しておらず、キットも機銃のパーツ自体は2丁しか入っていない。ボールマウントのパーツ(G-8)は、なぜかランナーゲートと反対側に、メーカー側でゲートを切り離したような跡があり、それがたまたま私の買ったキットがそうだったのか、全キットがそうなのかは判らないが、部品側まで少々削り取ってしまっている。機銃の取り付け角度にもよるが、組立後見えてしまう位置なので少々困る(私は瞬着を盛って削り直した)。

キューポラ状のクラム・シェル形ハッチは閉状態で1パーツ。また実車では回転するようにできているのだと思うが、砲塔にそのまま接着する指定。スリットはパーツの厚みがちょっと目立つ感じの開き方だったので、裏から少々さらった。

●その他装備だの何だの

砲塔ハッチ上には大き目のサーチライトが付くようになっているのだが、海軍陸戦隊の車輌で、これを装備した状態の写真は(少なくとも私は)見たことがない。キットではライトを付けない場合に、取り付け穴に栓をするパーツ(I-1)も付いているが、実物でどうなっているかはいまいちよく判らない。

また、車体前部にはフェンダーに付く通常の前照灯のほか、カンテラふうのライトも付くようになっているのだが(G-10とH-2)、これも左右揃って装備しているケースは少ないようだ。ただし、この「カンテラ」を付けてなくても、U字(それともЧ字というべき?)フォークのステイは標準装備として付いている。ただし、キットのパーツ(I-7、I-8)はライトを付ける事を前提とした形状となっているので、若干の加工の必要がある。

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ヴィッカース・クロスレイM25装甲車

F1032689●そんなわけで(どんなわけで?)、しばらく前に発売されたピットロードの「ヴィッカース・クロスレイM25四輪装甲車」(1:35)について少々。

●実車についての蛇足

実車は1920年代にイギリスで開発・生産された装輪装甲車で、日本軍における戦歴等々はwikipediaでも参考にしていただくことにして、若干の補足として、なぜかあまり語られない開発と生産に関して。

キット名称のM25は「1925年型」の意味だが、これは便宜的な名称ではないかと思う。クロスレイでの名称はIGA1というらしい。

もともとはこの装甲車体もドーム型の砲塔もロールスロイス装甲車のインド向け(Indian Pattern)改修型用に設計されたもので、それをそのままクロスレイ製トラックに載せたものがこれ、というような開発経緯だったような。そのあたり、“MECHANISED FORCE British tanks between the wars”(HMSO)という資料で若干触れられていたような気がするのだが、いざとなるとこの資料がどこに行ったのか見当たらない。資料読みの資料知らずっていうか、宝の持ち腐れっていうか。

ベースとなったのはクロスレイのIGL(もしくは小改良型のIGL1)というトラックで、この車輌自体がIndian Government Lorryの名が示すようにインドからの注文で製作されたものであるらしい。装甲車もインドでのニーズに応えて開発されたもので、IGA1という名称は、元のトラックの伝から考えれば、Indian Government ArmouredCarの1型、ということなのではないかと思う。ロールス同様、この装甲車も俗に「Indian Pattern」(インド型)とも呼ばれるが、インド向け以外にもその他植民地用、輸出用を合わせ、全部で450輌ほどが作られたらしい。戦間期としては結構な数量である。

なお、同じくヴィッカース・クロスレイの装甲車で6輪のタイプもある(同じドーム型砲塔を載せたものもある)が、これは1930年頃に製作された、BVGBritish General Vehicle)トラックベースのもの。

このへんの細かい話は、このサイトに詳しい。戦間期のクロスレイ製軍用車輌の通史はこのページで、4輪のIGA1装甲車に関してはこのページ

●キット概観

プラモデルとしてのタテツケは非常によく、若干ダボがきついように感じる部分はあったが、基本的に合いは良い。上部装甲ボディはスライド金型を使って一体成型、シャーシのラダーフレームも一体成型で、歪みも生じない。パタパタと組んで、4輪がしっかり接地した。

細かい寸法的な部分は正直よく判らないが、資料も多くない車輌だろうに、上手くまとめていると思う。というわけで、ストレートに組む分にはほとんど何のストレスも感じずに、ユニークなスタイルを再現できる。ただし部品数が少なく価格が抑え目であることと二律背反でではあるけれども、パーツの厚みが目立つ部分があったり、ボルトやリベットの大きさ/形状があまり区別されていなかったりと、幾分大味なのは否めない。

なお、戦間期のイギリス車輌、しかも植民地軍用および輸出用となると、いろいろ塗装例もあって楽しそうな気がしてしまうが、実際には供給先によって細かく仕様に差があり、しかも写真資料に乏しく、結局のところ、キットが謳っている通りに日本海軍陸戦隊所属車として作るのが穏当。

満州事変で使われた日本陸軍所属車は古風な迷彩が派手でよいが、パーツを見ると、不要部品として陸軍の星章のパーツも入っており(I-12)、いずれ車輪パーツを変えるなどして陸軍仕様も発売するつもりもあるようだ。ほか、不要部品として海軍陸戦隊の錨章も入っているのだが(D-4)、これは何に使うやらよく判らない。

●車輪

幅の狭いソリッドゴムタイヤ付きの車輪をパーツ化している。ソリッドゴムタイヤは元からの仕様でパンクを防ぐための手段だったらしいが、幅が狭くて接地圧が高く、軟弱地ではすぐに車軸あたりまでめり込んでしまい、南アメリカはじめ各地の植民地軍では空気入りタイヤに変更された例も多いようだ。

日本陸軍装備車も空気タイヤ付。海軍陸戦隊がソリッドタイヤのままなのは、基本的に上海の市街地(道路上)でのみ使うことを想定していたためだろう。

Cro01 タイヤ部分は表裏分割で凹凸のトレッドパターンを表現しているのだが、ちょっとこれはどうなのかな、という感じ。

上海の陸戦隊の車輌は、あまり鮮明な写真がなく、トレッドパターンもなんとなく黒く点が並んでいるくらいにしか判らないのだが(少なくとも私が見たことがある写真では)、英軍車輌では鮮明なものがあって、それによると、パターンは右のように、三角の穴が噛み合ったような形状で続いている。

もちろん、日本の陸戦隊の車輌は独特のタイヤを履いているんだよ、という可能性がないとは言えないが。

●シャーシ

前述のようにラダーフレームが一発成型の1パーツ。もちろん本当はフレームはコの字なのだろうが、基本、私は見えないところは適当にそれらしくなっていればいいというスタンスなので特に構わない。

フレーム左右に付くスカート(C-5、C-6)も厚めだが、これも表から厚みは見えないので可。右スカートには2箇所のふくらみがあり、後ろ側はシフトレバーに対応、実際レバーと伝達シャフトのパーツが付く。前側はステアリングに対応しているはずだが、ここは一切機構は無視。だからといって前輪が自由にステアリングできるようになっているかというとそうではなく固定。

駆動系は一通りパーツ化されている。IGA1装甲車に使用されているエンジンは(もとのIGLトラックともども)20/25という大型乗用車/トラックのものだそうな。そのエンジンの写真というのがここに出ているが、どうもキットのエンジンとは形状が違う。単にテキトーにパーツ化したのか、日本海軍に初期に配備されたものはエンジンが違う(とwikipediaにある)というのをフォローしているのか、写真が間違えているのか、あるいは装甲車への搭載にあたって強化改良しているふうがあるので、その結果形も違ってきているのか、いろいろ可能性はあるが、私には判らない。……それにそもそも見えないのでノー・プロブレム(それなら言うなよ)。

そもそも、せっかくエンジンを、ファンやらラジエーターへの配管やら多少の補機類やら含めて再現しているが、ボンネットはまったく開かないのであまり意味はない(ただし、装甲ボディを取り外し可能に組むことは出来る)。

さて、エンジンはトランスミッションに比べ、軸位置が若干上になるよう取り付けることになっていて、そのため、エンジン・トランスミッション間の伝達軸(I-26)も斜めになっている。そういう形状なんだと言われれば「ふーん、そうですか」としか言いようがないが、このエンジン軸位置のおかげで、前側に付くエンジン始動用ハンドル(I-23)がフレームと干渉し、だいぶ前下がりになってしまう。これは実車では(真横から寄って撮った写真を見たわけではないので断言はできないが)真っ直ぐ出ているようなので、少々おかしい。

細かい話だが、この始動用ハンドルは実車に比べほんの少し前に出過ぎのように見える。また、キットでも(狭義の)ハンドルが真上になった位置で止めるようになっているが、実際にはこの位置で止めるための固定具がシャーシ側から出ているようだ。(狭義の)ハンドルと軸の間のゆるいS字部分は、キットはそれらしく鋳物か何かで作ってあるような表現になっているが、実際はただの板パーツらしい。

詳しい資料があるわけでもないのに書き始めてみるとだらだら長引いて息切れがしてきたので、次回に続く。

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怪しい電話

F1032704b●逗子・鎌倉の山々は、まだそれほど紅葉していないが(そもそもそれほど鮮やかな錦模様にもならないが)、多少なりと秋らしく、落ち葉の写真を(まんだら堂跡にて)。

●さて、タイトルは、いかにも「エロサイトの架空請求」とか「絶対お得な不動産投資」とかの話のようだけれど、そうではなく、私自身が使っている携帯電話のハードについて。

一週間余り家に閉じこもりきりで、外出は病院往復だけだったので、久しぶりに散歩に出て、夕方、鎌倉の街を歩いていると、突然電話の着信が。出てみると腹丁・青木先生である。

メールではなしに突然電話とは珍しいと思ったのだが、腹丁氏曰く、

「さっき電話を貰ったようなので折り返し……」

発信履歴を確認すると、確かに掛けている。もちろん自分で掛けた覚えはないので誤操作の類なのだが、いくら腹丁氏が五十音の一番先頭でも、胸ポケットに入れていた携帯が、そう都合よくあちこち押されるものだろうか。

実を言うとその少し前、携帯が変な具合にフリーズしてしまって再起動をかけているので、いささか挙動不審である。そんなこたあない、とは思うけれど、「勝手にあちこち電話し始めるケータイ」になってたら嫌だなあ……。

●ついでに青木氏としばらく話す。次の週末に何やらマシーネンのイベントと、AFVの会でこちらに来るそうなので、それなら一緒にAFVの会に行くか、などなど打ち合わせる。

「そりゃいいんですが、持って行くモンはあるんですか。ククク」

と言われたが(ちなみに「ククク」は心の耳が聴き取った)、ちゃんと去年作った48のダイムラーがある!(威張れることではない)

なお、今年作った72マチルダもあるのだが、実は完成して1ヶ月もしないうちに履帯が切れてしまった。困ったもんだ。

●帯状疱疹は、だいぶ腫れは引いたものの、まだ目の周りは若干。点々とかさぶたもあるので見苦しい。

回復フェイズにあるのは確かなのだが、痛かったのが治まった代わり、鼻から右横あたりを中心にむず痒く、掻きむしりたいというほどでもないが、わしわしと擦りたい衝動しきり。といって、そんなことをするわけにもいかず、先日とは別の理由で「頭を外して陰干ししておきたい」感が持続(もっとも、寝ている間に擦っている可能性はありそうだ)。

●散歩は名越切通でまんだら堂跡を再訪、昨日だか一昨日だかの雨でだいぶぬかるんでいたので、切通道をそのまま大町まで抜けるのは止めにして(このルートの後半はぬかるんでいると割とひどい有様になる)、引き返して緑ヶ丘方面に降り、鎌倉まで歩く。

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▲まんだら堂跡のやぐら、ツワブキ、アザミ。

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▲半ば雲をかぶった残念な姿だし、そもそもかなりのピンボケだが、名越の踏切から撮った富士山のシルエット。

●普通の草とは逆で、夏の間葉が枯れて地下に潜んでいるノビルの葉が伸び始めていた。来年の春先はまた収穫しよう……。

●数日前、P女史から勢い込んだメールが来て、「やんやんマチコ」の第3話が期間限定で公開されるという。

もちろん、公開開始日にはすぐに見に行ったやん。げっちゅーやん。

●この次あたり、クロスレイのレビューを書きたい。

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帯状疱疹

●先週、結膜炎と診断された右目がますますひどくなり、目の周りも腫れて所々にできもののようなものまで出てきたので、週明けの月曜日、再び眼科に行く。

「ヘルペス性(の結膜炎)」と言われて軟膏を処方されたものの、皮膚科でも診て貰うよう言われて医者のハシゴ。

皮膚科ではこれまた医者の前に座るやいなや「帯状疱疹ですね」と言われる。結膜炎はその一症状であるらしい。

「ちょっと高いんですが、今は帯状疱疹ならコレという決め手の薬がありますから、それを飲んで下さい」と処方される。

●というわけで、特効薬であるらしい、「ファムビル」というファムシクロビル錠剤を飲んでいるのだが、翌日以降も、むしろ腫れは進行。

眼は開けづらくなるし、頭のてっぺんから口の脇まで、顔の右側にどこぞの星座のように水疱がつぶれたかさぶたが並ぶし、頭痛はするし、右の奥歯が痛くてそちらではものが噛めなくなるし。

七転八倒するほど痛いというわけではないが、とにかく眼や顔の表面が痛いというより、その奥まで痛い感じ。できることなら首から上を取り外して、治るまでどこかに陰干ししておきたいくらいで、ほとほと参る。

……そんな感じで数日過ごし、ファムシクロビルは特効薬じゃなかったのかよ、効かないじゃないかよー、などと薬に八つ当たりしていたところ、木曜になって、ようやく少し前日よりも腫れが引き気味になった。

●木曜にもう一度来院するよう皮膚科の医者に言われていたので、午後に出掛ける。医者にも「山は越したかな」と言われたが、山は越してもまだ八合目あたりをウロウロしている感じであり、ファムシクロビル錠剤を追加で4日分、加えて鎮痛剤(ロキソプロフェン「ロキソニン」)を処方される。

……消化器のアレと合わせて、服用すべき錠剤が4種類。軟膏が2種類に、目薬が2種類。何この薬漬け。病人みたいじゃん! って病人だけどな!

●ちなみに、「じゃあ息子も結膜炎で、移したの移されたの言ってたのは何だったんだよ」と言われるかもしれないが、同時期に眼が腫れたのは偶然だったらしく、向こうはさっさと治ってしまった。裏切り者め(←?)。

●そしてこの、眼もろくに開かない数日間に、およそ半年を費やした仕事の千秋楽を迎える。

事務所には行けなくとも、自分の担当箇所は自分で済ませないと誰も穴を埋める余裕はなさそうなので、ジンジンする眼(と顔面)とガンガンする頭を抱えて、資料を漁り、エクセルシートを作り、テキストを書いて、デザイナーと打ち合わせ、最後の1ブロックを制作。水曜夜遅く、デザイナーY女史に最後の手直しをして貰って、ゴールイン。

え? コレ、本当に終わったの? この後で誰も「これじゃだめだー、やり直しだー」とか言わない?

実際には「これじゃだめだー」が来る可能性が皆無とは言わないが、とりあえず今は、寝られるだけ寝るようにしよう……。

F1032681●そんな修羅場のなかで、いったいお前は何をやってるんだ的ではあるけれど、土曜から煮ていた「茶葉蛋(烏龍茶煮卵)」二度目の挑戦の結果(火曜日昼の状態)。

前回(9月末)と同じく、K女史から頂いた烏龍茶のティーバッグを使ったお手軽版で、それに五香粉、塩、日本酒と醤油を少々入れた。

前回よりも模様がくっきり付いていて、なかなか上手く出来た。烏龍茶があまり好きではないかみさんは前回は食わなかったのだが、今回はやれやれしょうがないなという感じで1つ食ったところ、美味いと言って翌日の弁当にも一つ入れて持って行った。現金なやつ。

●さあ、眼が普通に開くようになったら模型を作ろう。

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でれっき!

●2、3日前から右目が痛く、朝起きると目やにが固まっていたりする。9日金曜日、仕方がないので逗子駅前の眼科に行く。

「結膜炎ですね」

と即断。目薬を処方される。それでも眼の周囲まで含めて一日中痛いし、炎症を起こしているせいか右耳の下のリンパ節も腫れているし、不自由で仕方ない。

ちょうど息子も数日前から眼が痛いと言っていて、前日に別の眼科に行って結膜炎と言われたそうだ。医者に「移ったんですね」と言われたが、どっちがどっちに?

●ピットロードの新製品、「ヴィッカース・クロスレイM25装甲車」を入手。

ブランドは日本だが中身は中国製。ピットロードといえば普通、中身はトランペッターのはずだが、なんだかダボの設計が独特で、私の知っているトラペらしくない。もっとも、最近のトラペ製品はそういうのがあるんだよ、ということなのかもしれない。

いずれ改めてレビューを書きたいと思うけれど(久しぶりに模型サイトらしく)、ちょっと期待していたよりも大味なキット。なお、部品の様子を見ると陸軍型もいずれ出すつもりはあるらしい。

●夏前から神保町の事務所に通ってあーじゃこーじゃやってきた年季奉公がいよいよ大詰め。

●川について調べものをする用事があり、その中でたびたび「デ・レーケ」という明治期の“お雇い外人”の名前が出てきて興味を引かれ、「日本の川を甦らせた技師デ・レイケ」(上林好之、草思社)という本を借りて読み始める。

……それにしても、こんな本もしっかり所蔵している逗子図書館はなかなかエライ。

ちなみに、デ・レーケは日本の川について、大陸の川に比べあまりに急勾配であることから、「これは川ではなく滝だ」と評したことが有名、ということになっているのだが、この本によれば、おそらくデ・レーケの言葉ではないそうだ。

デ・レーケという名前からは、私は吾妻ひでおの「不条理日記」に出てきた「でれっき!」をつい思い出してしまうのだが、デ・レーケとデレッキには、おそらく関連性はない。

●10日土曜日、昼食にカップ麺、「サッポロ一番 熊本らーめん」を食べる。札幌か熊本かどっちやねん! (前にも一度書いたような)

●「大空の覇者 大トンボ展」という、個人的には大いにワクワクする展覧会のタダ券を貰って持っていたのだが、気が付いたらもう終わっていた(11月4日まで)。

もっともやっている場所が「神奈川県立 生命の星・地球博物館」というところで、ほとんど箱根のふもと。ちと遠すぎる。

県立神奈川近代文学館(横浜、港の見える丘公園)の島崎藤村展の券もあるのだが、こちらは島崎藤村自体がいまひとつピンと来ない。「破戒」も「夜明け前」も読んでいないし。

●パイポ、パイポ、パイポのチューリンゲン、チューリンゲンのブレーメン、ブレーメンのメクレンブルク=フォアポンメルンの長久命の長助。

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