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2012年7月

犬がうだる真夏日

●タミヤのシムカ5に関してもう少し書きたいこともあるのだが、ちょっと一回休みでここ数日のことなど。

F1032233F1032237●とにかく連日暑く、おちおち寝てもいられん状態。

しかし、我が家の守護神の片割れ・ウンちゃんは南国出身だけに直射日光を浴びてむしろ生き生きとしている。もう片方のアーちゃんを撮っていないのは贔屓ではなく、単に日陰だったため。

一方、生身の犬のほうは自動車用羽ぼうき(毛ばたき)のようになっている。まあ、しょうがあるめぇ。なお、しばらく寝ていると自分の体温で床が暖まって居心地が悪くなるらしく、台所とか、洗面所とか、廊下とか、転々と移動する。激しく邪魔臭い。

●木曜日(モデギャラに行った日)、夜遅く帰宅し、逗子駅から自宅まで歩く途中で街灯に飛んできて落下してきたカブトムシ(♀)を捕獲。以前に比べ、夏季にカブトムシ・クワガタムシの目撃が減ったような気がしているが、今年は何とか遭遇できた。

しばらくシャツや手の上を歩き回らせて眺めていたが、そのうち飛び去って行った。

●週末、腹丁・青木氏がワンフェスに合わせこちらに来るというので、金曜に夕飯を食おうと約束。

金曜日、神保町で落ち合い、地球堂等に寄った後、九段下の「おかってや」で魚を食う。なお、「トランペッターのSU-152はどうにも戦闘室の形状がおかしい」という以外、特にソ連戦車模型の考証話はせず。「『ハラショーT-34』、新シーズンに突入」、とか、何かネタはないのか。

●そこそこ飲み食いして店を出る。

神保町に来れば、靖国通りの西に靖国神社の馬鹿でかい鳥居が見えるはずだが、これまで気付いたことがないたと青木氏が言うので、坂を上って鳥居を見せに行く(すでにとっぷり暮れて鳥居も見えなくなっていたので)。そのまま参道を神社の門まで歩く。考えてみれば近くで季節労働をしていながら、靖国神社境内に足を踏み入れるのは10年とか20年とかぶりくらい。

何やら俄か観光案内っぽくなり、その後、北の丸公園に入って間近に武道館を見せたり。

一応、喫茶店でコーヒーを飲もうという目標はあったのだが、なかなか適当な喫茶店が見つからず、そのまま駿河台の坂を上って聖橋の向こうの青木氏の宿近くへ。閉店間近のフレッシュネスバーガーで飲み物を買って、青木氏の部屋で飲む。

●土曜日。金沢文庫で翌29日までの「解脱上人貞慶―鎌倉仏教の本流―」展のタダ券を持っていたので、暑い中出掛ける。

金沢文庫(中世歴史博物館・神奈川県立金沢文庫)は、京急金沢文庫駅から徒歩15分ほど。炎天下をだらだら坂を登るのはつらい。金沢文庫にたどり着いただけで消耗してしまい、展示室の椅子にへたりこんでしばし動けず。ちなみに企画展自体は、鎌倉時代初期に活動した法相宗の僧の事績を核として、文書やら、関係する寺の仏像やらを展示したもの。金沢文庫の企画展はどうも文書の展示が多いようだが(文庫だから?)どのみち読めないので、適当に仏像の顔など眺める。

海住山寺の四天王像という、極彩色の、なんだか食玩っぽいような造形の4躯があり、気に入る。

F1032228●称名寺門前の桜の、セミの抜け殻。おそらくアブラ。

●金沢文庫駅前でミスド。その後まっすぐ帰ろうかと思ったが、ふと思い立って、横浜市内に2箇所だけあるという磨崖仏の、鼻欠地蔵でない未見のほうを見に行くことにする。

といっても、場所は鼻欠地蔵から北へ入って行ったあたりだ、というのを以前ウェブで見たといううろ覚え状態で、文庫から西に歩いて、山側から鼻欠地蔵方面を目指せば途中にあるんじゃないか、くらいの、至極いい加減な計画。

夕方になり若干は涼しくなりつつあるし大丈夫だろうと高をくくって歩き出し、案の定道に迷って同じ場所を歩き直したりなどして、結局、「もう一つの磨崖仏」には一向に近付けもしない感じのまま、鼻欠地蔵に到着。bookoffに寄り、バスで鎌倉に出て帰宅。

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タミヤ35新作、シムカ・サンク(2)

●タミヤの新作、シムカ5についてのあれこれの続き(7月30日/8月2日加筆)

●実車についてのおさらい。

この車はもともと、イタリアで開発され、1936年に発売された超小型車、フィアット500(チンクェチェント)Aトポリーノで、シムカ5(サンク)というのは、そのフランス生産型。

トポリーノという愛称はトーポ+指小辞で、ハツカネズミ系のネズミの、そのまた子ネズミ/小ネズミの意。そういえば、昔イタリア語を習った時ほとんど最初に出てきた例文が、

È un topo. エ・ウン・トーポ(これはネズミです)
Un topo è piccolo. ウン・トーポ・エ・ピッコロ(ネズミは小さいです)

――だった。ちなみに、この例文からあまり進まないうちに挫折したので、これは私が話せる数少ないイタリア語の文章である。英語のThis is a pen.同様、この先イタリアに引っ越すことがあったとしても、一生口にしないような文章だ。

なんて脱線は措くとして、トポリーノは名前通り、とことん小型の車で、後席無しの純粋2人乗り。現代で言えば、ベンツの「Smart」とほぼ同一コンセプト、車格も近い(もっともイタリア人は3人目、4人目が無理矢理ぎゅーぎゅー後に乗り込んで、後輪サスを破損させる事故を頻発させたそうだ)。

シムカ5は前述のようにフランス生産型で、もともとフランスでフィアット車を扱っていたディーラーが、関税対策で工場を立ち上げ、国内生産を始めたもの。戦前から、ドイツによる占領以降も生産が続けられている。

さて、このへんまではキットに同梱のリーフレットにも書かれているが、実はドイツのNSUの工場でも、「NSUフィアット」のブランド名でトポリーノをある程度まとまった数、生産したらしい。となると、ドイツ軍が戦時中に使用した可能性のあるトポリーノは、フィアット製、シムカ製に加え、自国ドイツ製まであったことになる。

タミヤのキットの指示塗装例の1つで、パッケージにも採用されている「陸軍第3歩兵師団」所属とされている車輌の写真がここのページの下のほうに出ているが、どのような根拠か、それをNSUフィアットだとしている(ドイツだから、というだけの理由か?)。私自身は、NSUフィアット独自の特徴というのがどんなものなのかは知らないが、一応、目に付く範囲では、写真の車輌はシムカ5の特徴に合致しているように思える。

なお、タミヤのキットは「ドイツ軍スタッフカー」として出るわけだが、流石に2人乗りのミニカーでは、士官の私用としてならともかく、軍用車としては使いづらかったはずで、部隊マークや戦術マーク入りの戦時中の写真は多くないようだ。

Bundesarchiv_bild_101i305067430a_itちなみに、Sd.Kfz.250の上に乗用車を積んだ有名な写真があるが(右、ブンデスアルヒフより)、フロントグリルあたりは似ているものの、センターピラーがあるので確実にトポリーノではないことが判る。一回り車体が大きいフィアット508C/1100ヌオヴァ・バリッラ(新型バリラ)ではないかと思う。

フランスで「シムカ8(ユイット)」の名で生産されているのがこの車のはずだが、右写真は撮影場所がイタリアなので、たぶんフィアット製のオリジナル。

●フランス製もイタリア製も仕様がまったく同じならキット名も「フィアット500Aトポリーノ」でいいのだが、実際は細部にちょっとした差異がある。

トポリーノはファンが多い車だし、フィアット製、シムカ製の仕様の差など、生産時期別に事細かに、判る人には判っているに違いなく、いずれそんな方の詳しい解説が模型誌等に出ることを期待しつつ、ここは私の付け焼刃の知見を。

▼フィアット500Aトポリーノ

  • 時期によってはない可能性もあるが、標準的には、ドア横の外側、前後フェンダー間にステップがある。タミヤのシムカ5からトポリーノに改造する際には主要な改造ポイントになりそう。
  • バンパー未装着。もちろん後付で付けている場合もあるだろうし、生産後期のものには付いているのかもしれないが、少なくとも戦時中の写真では普通、付いていないようだ。
  • シムカ5と違い、車体埋め込み式の方向指示器は付いていない。左右のフロントピラーに付いている車体があるが、これは生産時期によるものかと思う(戦時中の写真で、すでにこの位置に方向指示器を付けている)。フロントピラーより下、シムカの方向指示器よりは上に、明らかに取って付けたような方向指示器を持つ車体もあるが、これはオプション装備かオーナーの改装の可能性が高そうな気がする。
  • 車輪のハブキャップ中央に「FIAT」のロゴ。時期によるのか、単に車輪交換の結果なのか、このロゴがないように見えるものもある。
  • 前述のように後輪サスの破損が相次いだため、後期にはシャーシおよびサスが改良されている由。いつからかはよく判らない。また、それがシムカ製にも波及していかどうかは判らない。
  • 右ハンドル車がある。イギリス向け輸出用?

▼シムカ5

  • おそらく生産初期にはフィアット・トポリーノ同様に前後フェンダー間のステップがあるのだが、その後、このステップが省略される(おそらく1939年生産型途中より)。ややこしい。
  • ドア直前、エアフラップドア直後に、埋め込み式の方向指示器を標準装備。おそらく方向指示器のせいでエアフラップ後縁のラインが(方向指示器が無いものと比べて)微妙に違うという話もあるのだが、どうも私にはよく判らない。
  • バンパーを標準装備。
  • 近付いてみればロゴが違うのだろうが、フロントグリル上のエンブレムは、ぱっと見にはフィアット製もシムカ製も似たような形状(NSUフィアットも)。
  • ホイルキャップにロゴ無し(あるいは一部シムカのロゴ入り?)。
  • パイプフレーム?の露出した、ちょっと簡素なシートの使用例あり。キットのパーツが再現しているタイプ。
  • トポリーノ・エンスーな、でろり笠松さんによれば、シムカ5はトポリーノよりも大きめのヘッドライトを装着しているように見える例がある、らしい。

例えばこのページ下に、連合軍に接収されて使われた(その末に壊れて捨てられた)車輌の写真があるが、埋め込み式の方向指示器があり、ステップがなく、バンパーが付いているところからみて(トポリーノだとキャプションが付いているが)、シムカ5だろうと思われる。

●ディテールアップ・ポイントについて追加でいくつか。

・床にベタでモールドされたペダルが気になったので調べてみたが、有名車の割に、web上にwalkaround的な写真があまりなく、車内の写真がなかなか見つけられなかった。少ない写真に、後継車であるフィアット500Cトポリーノの写真も参考にすると、左2つ(クラッチとブレーキ?)は丸ペダル、右のアクセルはちょっと斜めに長いものが付いている。

・オープントップ型のルーフは、キットでは単純に折り畳まれたパーツが付いているが、どうやら左右に開閉用のアームが付いているようだ。ちなみにキットでは折り畳んだルーフについて、軍用車らしくカーキの色指定になっているが、ここは本来はゴム引き布で黒っぽいものなのではないだろうか? なお、細かいことを言うと、折り畳んだ状態で3段目(一番下の段)には透明な窓部分が見えているのが普通。

・キットでは省略されているが、エンジンフード(パーツA7)には、後部左右にフード固定用の留め具が付いている。

●疑問点。

キットのシートは、割と簡単な作りで、背もたれ上部はフレームが露出したタイプのものがになっているが、シムカ5に、こうしたシートの形状は実在したのだろうか?

少なくとも実車写真を見る限りでは、フィアット・トポリーノもシムカ5も、革張りのバケット・シート状のものが普通であるらしい。なお、質の高いレジンキット、モデル・ビクトリア製のトポリーノでもそちらの形式のシート付きとなっている。

先述のこのページには、プロトタイプのものだという簡単な図も出ているが、並んでいる量産型がバケット・シートなのに対し、プロトタイプはキットのものに似たシートになっている。生産初期にはキットのようなシートだったのだろうか?

あるいは、大戦の勃発で、シムカ5は「民間向け生産は中止され、フランス軍向けに切り替えて生産が続けられ」(キットの解説リーフレット)たとのことなので、これは軍用に簡略化されたシートなのだろうか?(希望的観測)

(その後、でろり笠松さんより、同タイプ椅子の使用例を教えていただいた)

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タミヤ35新作、シムカ・サンク

F1032185●はっきり言って、ホビーボスがトルディを出すとか、ブロンコがズリーニィを出すとかよりもビックリしたのが、突然のタミヤからの「シムカ5(サンク)」の発売。

しかも(たぶん)事前の予告なく、いきなりモデラーズギャラリーで先行販売というのも、これまでにはなかったことなのではないだろうか? MM50周年だから? 東武百貨店池袋店での開催30周年だから?

●そんなことはどうでもいいとして、あまりにビックリしたので初日に駆け付けて手に入れてきてしまいましたよ、私ゃ。

池袋なんて10万年ぶりくらいかも。……と思ったのだけれど、よく考えてみたら去年、楽八師匠や王徳方氏、かのーさんと池袋で飲んだのだった。ボケとるな。

F1032167閑話休題。

シムカは先行販売の白箱入りなので、本番は違う可能性も無きにしも非ずだけれど、一応、箱の大きさはキューベルワーゲンと同サイズ。パーツ構成はざっと、このような感じ。

エッチングは無しで透明パーツを含めて枝は3枚。エンジン及びトランスミッションは、車体下部とフレーム前端にくっついて下側だけという、言ってみればタミヤスタンダードな処理。

以前のシトロエン11CVと似たようなアッサリ感はあるけれど、ただし、こちらのほうがナリが小さい分だけサス周りなどもパーツが繊細で、多少精密感が上かもしれない。

●その他キットの特徴等を羅列してみる。なお、ギャラリー会場で訊ねたところ、「正規発売版では箱が変わるけれど、中身はほぼこれで完了と思う」という答ではあったが、一応、今後多少の変更が加わる可能性は皆無ではないことを織り込んで読んで頂きたし。

F1032170・とにかく小さくて可愛い。サインペンと並べて写してみたのが、こんな感じ。私自身、シムカ5の正確な図面とかを手元に持っているわけでなく、一目でスタイルが判るほど多くの写真を見てきているわけではないので、外形の捉え方の良し悪しを断言はできないが、少なくとも、説明書の口絵に使われている見本写真や、モデラーズギャラリー会場に飾られていた完成見本を見る限り、なかなかよいのではないかと思う。当然ながら、部品のキレそのものは安心の出来。

・タイヤは一発抜きなので、トレッドパターンは「溝」ではなく「段」になっているが、そのあたりはキット価格との“ご相談”な部分もあり、私自身は「これくらいならいいかな」と思えるレベル。シトロエン11CVではタイヤが厚めなのが気になったのに対して、こちらは薄さはなかなかよい感じ。

・ルーフはオープンで折り畳んだ状態のみ。閉めた状態も欲しかった。

・ペダルは床と一体。「ペダルの痕跡」みたいだったシトロエン11CVよりはマシかもしれないが、それでも表現としてはお粗末。フィギュアを乗せない場合、前述のようにルーフが開けっ放しで車内もよく見えるので、なおさら。

・ヘッドライトは管制カバー付きと、カバー無しの透明部品の選択。

F1032182・ルーフは開一択だが、サイドウィンドウは閉状態と開状態、2種類の透明パーツがセットされている(左右とも)。開状態は、窓ガラスをスライドさせて2枚重ねになった状態を1パーツで表現している。

・塗装指示とデカールは、ドイツ陸軍((第3歩兵師団、東部戦線)とドイツ空軍、フランス民間車輌の3種。個人的にはフランス軍用も欲しかったところ。

F1032214・フィギュアは運転席に座るドイツ兵1体付き。ただし、これが小さな車内にちんまり座らせるためなのか、スケール違いではないかと思うほど小さい。左は、同じくタミヤの「自転車兄貴」との比較。「自転車兄貴」のほうが手前にあることを差し引いても、だいぶ大きさに差があるのがお判りと思う。ちなみに「自転車兄貴」は身長がちょうど5cm程度。35倍すると175cmで、まあ普通の体格と言ってよいと思う。

・バンパーの取り付け穴は貫通しておらず、0.8mmのドリルで裏側の窪みをガイドにして開けるよう指示されている。これがフィアット500トポリーノへのバリエーション展開の含みを持たせたものなのか、それとも単に金型からの“抜き”の問題で開けづらかっただけなのかはよく判らない。ちなみに、モデラーズギャラリーにいたタミヤの人に訊ねたところでは、トポリーノ発売は今のところ予定にないようなことを言っていた。なお、バンパーを取り付けず、ドア前の方向指示器の溝を埋めればトポリーノになるのかどうかは、これまた浅学な私にはよく判らない。

F1032212●ほか、モデラーズギャラリー特別販売ネタでは、48のフィーゼラー・シュトルヒ、外国空軍版。メインはスイス空軍で、箱絵もスイスなうえ、塗装例も2、3種に対応しているようだが、そのほかにイタリア空軍、ハンガリー空軍のデカールも入っている。

あとは72の零戦21型、モーターライズのパンターG、M4A3シャーマンなど。

●タミヤのエレファントを初めて見たのだけれど、どうもこの箱絵……遠近法だと言われればそうなのかもしれないけれど、人間が車体に比べて小さくない? こんなもの?

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迦楼羅

F1032155●今年初めてのひぐらしを聞く。

ちょっと遅れて、日曜夕にミンミンゼミを聞く。

●数日前から異様に涼しい。天気も金曜あたりから下り坂なのだが、気温が低くて蒸し暑くならないので過ごしやすい。しかし妙に気持ちのいい気温のせいで、一日中猛烈に眠くてしょうがない。

●水曜日、神保町の事務所の皆と駿河台下の丸亀製麺にうどんを食いに行く。帰り、グランデで久々に仏像ガチャを見かけたので引き、迦楼羅を引き当てる。なお、一緒に行ったK女史はクラゲのガチャをやって、ミズクラゲか何かを引いていた。

●同じくグランデで、階段の踊り場に「カタログでたどる日本のトラック・バス 1918-1972」(三樹書房)という本につき、パネルまで掛けてPRしていた。こりゃhideさんが狂喜しそうな本だと思って売り場まで見に行ったのだが、タイトルに「1918-」とあるにも関わらず、(我々にとって肝心の)戦前・戦中のタイプについてはほぼ概説部分で触れられている程度。「カタログ」も全体像のイラストが出ている表紙部分(?)をメインに並べている感じ。

以前、hideさんが購入した、国産フォードBBやトヨタKC型のカタログのようなものが、省略なくびっしり並んでいるような本ならスゴイな、と思ったのだが。

●仕事が決壊状態になる。

水曜日に神保町の事務所に行き、「今日中に提出します」と言った仕事が長引いて終電を逃し、結局そのまま事務所泊。事務所の冷蔵庫(冷凍庫)に買い溜めておいた白パピコを、止まらなくなって次々に食う。我ながら珍しいヤケ食いアイテムだなあ。朝方、机に突っ伏して数時間寝る。翌木曜日、そのまま夜まで仕事しなんとか帰宅。

金曜日、GIS-NEXT誌の最終入稿日であり、事務所には編集長のI君、デザイナーのYさんほか、普段いないスタッフも詰めてごった返し状態。その隅っこで別の仕事をする。今回は入稿作業も壊滅的に遅れており、入稿チームもそのまま徹夜状態。Yさんの娘、家で1人で留守番するのも何だからとYさんに付き合って事務所に来ていたのだが、そのまま帰れなくなり事務所の床でマットと寝袋で就寝。ますます修羅場状態の雰囲気を盛り上げる。

明方近く、ようやく終了し、最後まで残っていたI君、Yさん親子、K女史と、動き始めた東西線に乗って帰る。

個人的には、金曜日までにすべて片付いていなければならない仕事がまだだいぶ残っており、しかもその仕事から玉突きで、もう一つ、ガリガリ進めていなければならない仕事がほとんど手付かず。どちらも同じ会社からの発注で、後者の担当者からは

「こちらの仕事も進めて欲しいのは山々だが、弊社的にはもう一つのほうが確実に切羽詰っているので、まったく不本意ではあるが、こちらを措いても、まずは向こうを頑張ってくれ」(大意)

というメールが来た。

F1032156●事務所で引いた点取占い。いやー。賢くなりたいもんだ。

●日曜日。知人があわびを持ってきた。殻から身を剥いで刻み、肝をすり潰すところまで、下処理をやっていってくれた。もっとも下処理といっても、その状態のまま刺身で、醤油も何も付けず、ただ肝をまぶして食うのが非常に美味い。最初に塩で締めたりしていないので、身も柔らかい。うひー。やばいなこりゃ。夕飯の時には、飲みかけておいてある日本酒を出してしまおう(←仕事はどうした?)。

なお、包丁を使わず、あわび自体の殻を使って身を刻むというやり方を初めて教えてもらった。実際に少しやってみたが、確かにちゃんと切れる。知人曰く、包丁で切るよりも殻で切ったほうが美味いんだ、とのこと。本当かどうかは知らないが、要するに“小波切り”になるからよい、ということなのかもしれない。

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ゲジ

●16日月曜日。晴れ上がって暑い。ただし風が強いので、そのぶん多少は蒸し暑さが減じている感じ。

●昨日取り逃がしたオオゲジだが、今日の日中、ふとキッチンを見たら、息子が食ったカップ焼きそばの空のカップにへばりついていた。

もし腕を駆け上ってきたらどうしようなどとびくびくしつつ、そのカップを屋外に持って行き、そのままお引取り願う。一件落着。もう当分家の中には来るなヨー。

●江戸初期の笑話集、「醒睡笑」に、こんなセリフが出てきた。

「今朝もとくから起き、尊勝陀羅尼をいかう読みたるぞなう」

今から400年近く前にtwitter使いが!

んなワケはないのだけれど、しかし対訳が付いているわけではなく、所々の用語に脚注が付いているだけなので、いくら頭では否定しても、感覚的に「今」の意味で捉えそうになってしまう。そもそもどこがどう面白いのか、オチも半分判るかどうかなので、上巻で挫折しかけ。

●禁煙を始めた時にさんざん経験済みのくせに、またMINTIAをボリボリ食い過ぎて、口の中、特に上顎の皮膚がボロボロになってしまった。

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逗子のお祭

●相変わらず模型は開店休業状態。

ポルスキ・フィアット508/518の荷台の組み直しは済んだし(済ませてからよく見たら、まだ少し歪んでいた……もう知らん!)、運転席の足元にフットペダルは付けたが、さすがにそれだけで進捗報告も何なので、もう少し進んだら。

F1032151●JR逗子駅、上り線ホームのツバメの巣。

ツバメというのは飛び方も、V字のシッポも、基本的に「格好いい系」の鳥というのが私の脳内仕分けの位置だが、正面から見た顔はマンガのカッパみたいで愛嬌がある。いや、この写真でそんなことを言ってもしょうがないけれど。

●13日金曜日。神保町の事務所への行き掛け、また東京駅から歩いて、先日来気になっていた「新しいJAビルにもマニアックな本屋とミルクスタンドはあるか」を確かめに行く。

地下の一角に、本屋は相変わらずの品揃えでちゃんとあった。「農文協・農業書センター」という名前であるらしい。農業の専門書、専門雑誌が主で、コミックのコーナーなどはないが、荒川弘「銀の匙」1~3巻だけは売っていた。流石だ。ちなみにTPPフェア開催中。

100円で牛乳が飲み放題だったミルクスタンドはなくなってしまったらしい。残念。

●15日(日)。朝、久々に10cm級のオオゲジが屋内に出現。娘に大声で叩き起こされる。

追い立てて生け捕りにしようと苦心するが、結局、エアコンの裏に逃げ込まれてしまい断念。もっとも、大きくて不気味なだけで、ムカデのように深刻な脅威ではないので、そのまま見て見なかった振りをする。

●15(日)、16(月)の連休は逗子の真ん中にある亀岡八幡神社の祭。チビ助を連れて行くという娘にさらに付き添いで付いていく。

亀岡八幡は、名前だけは隣の鎌倉の鶴岡八幡宮と対を気取っているが、もちろん、あんな規模のあるものではなく、単なる逗子の「村の鎮守」である。

もっとも祭は夏の逗子の前半の一つの山場で、JR駅前から露店が出て、駅前ロータリーの端、逗子銀座商店街の出口にはステージが組まれてハワイアンなどやっていて、逗子銀座商店街そのものもホコテンになって、各商店が出店をやっている。要するに街中心部を上げての祭。

本職のテキヤが出している駅前~神社境内の露店は高いが、京急新逗子駅向こうの延命寺、商店街裏の亀井地蔵は地域の団体のテントの露店が主で安くてよい。てなわけで、その辺を中心に買い食い。焼き鳥1本70円など。

●亀井地蔵と書くとそんな寺があるようだが、正体は、お地蔵さんが端に立っている児童公園。

ただし、地蔵が立っている理由と、児童公園としてぽっかり空き地になっている理由は、もともと刑場だったり共同墓地だったりで、人骨ざくざくであるためらしい(きちんと、そういう場所であった由の説明板も立っている)。噂ばかり先行の「小坪のお化けトンネル」よりよほど怖そうな気がする。駅からも近く、歩いて数分の場所なので、その手の場所巡りが好きな方はどうぞ。

ついでに、ものものしく「逗子独立運動発祥の地」と彫られた石碑も立っている。もちろん、日本からの独立を目指したわけではなく、戦前、軍の意向で無理矢理横須賀市に併合されていたのを、戦後分離しようとした時のもの。

●先ほども名前を出した農業マンガ、というか「北海道農業高校マンガ」、荒川弘「銀の匙」の2・3巻を近所のbookoffで買って読む。

●どうもここ最近、ほぼ1シーズン中1本、鎌倉あたりが舞台のアニメが混じっている気がする。今季は「TARI TARI」とかいうやつで、主人公グループ?の1人の女子高生の家が浄智寺(がモデル)だった。

●昨土曜日、近所の奥さんのMさんは、TVの星占いで自分の星座が最低の星回りだったらしい。悪運回避のためのラッキーアイテムは「うっかりな人」だそうで、うちのかみさんを連れて買い物に出掛けた。

●知人より、生の殻付きムラサキウニを貰った。専用の割り具などはないので包丁でガンガンやるのだが、どうも殻の割り方が下手で、殻とかトゲのカケラが混じってしまう。ちょうどウニ丼を軽く一杯食うだけあった。

ちなみに生ウニなどというものを初めて食べたのは小学生の頃、田舎(奄美)の海で、サンゴ礁の上を歩いてウニを採っては、金槌か何かで割って、スプーンですくって食べるというワイルドな状況下でのことだったが、抜群に美味かった。なお、ムラサキウニは大量にいるのだが、(商業的にはどうあれ)田舎の村ではそちらは食べず、トゲの短いバフンウニ系だけを選んで食べていた。

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グランデ、ベンティ

●数本の仕事が交錯してしまい、それぞれ紛糾。それでも作業自体は、いつも通りずるずるとしか進められないので、なかなか忙しさから抜けられず。しかも暑くてこたえる。

F1032139●火曜日。東京駅で降りて、いつもなら東西線に乗り換えるところ、大手町を抜けて神保町まで歩く。

東京駅はまだ修復工事中だが、駅舎外観そのものはほぼ仕上がっていて、すでに大半の覆いは取れている。戦後の我々にとっては、東京駅のドームは角屋根のイメージだが、修復の結果、創建当時の丸屋根に変わり、むしろ新鮮なイメージ。写真は松の内北口。つまり建物の北の端。

日本は景気が悪いと言いつつも、大手町の北側はやたらに再開発・高層ビルの建て替え中。実を言えば、最近このあたりに用事がなかったので、日本経済新聞社のビルが、隣のJA、経団連のビルもろとも引っ越して、まとめて建て替え中なのは知らなかった。JAの地下の100円で牛乳が飲み放題のミルクスタンドと、やたらに置いてある本や雑誌がマニアック(「月刊肉牛ジャーナル」とかだ)な書店は、新しいビルにもあるのだろうか。

F1032138●以前にも一度、ほぼ同じ場所からの写真を載せたが、天気がよくくっきり見えたのと、今度は開業後だということでもう一度、小川町からのスカイツリー。

ちなみに、日が暮れてから見ると、2箇所の展望台の上辺部分を照明が回転するように流れる。それを初めて見た時の私の感想は、

「あ、ケムール人」

というものだが、後から確かめたら、別にケムール人の目はぐるぐる流れたりはしていなかった。何かとごっちゃになっているようだ。

●Tech insightというニュースサイトに出ていて、mixiだのどこだのにも転載されていた、こんな記事を読んだ。

スタバのコーヒーサイズの謎。『いいとも』でタモリの疑問から解明。

そのうち消されてしまうと何なので、一応あらすじを書いておくと、

  • スタバのコーヒーほかは、サイズが「Short(ショート)・Tall(トール)・Grande(グランデ)・Venti(ベンティ)」に分けられているのだが、
  • タモリが「いいとも」番組内で、なぜ英語とイタリア語が混じっているのか疑義を呈し、
  • これに基づいてスタバ日本法人に問い合わせたところ、日本法人でも判らず質問はシアトル本社にリレーされ、
  • 本社から「イタリア流に敬意を表してイタリア語を取り入れた」との回答を得た。
  • こうしてスタバのメニューサイズの謎は解明された。めでたしめでたし。

というもの。

しかし、疑問のキモは「イタリア語を使っていること」ではなく、「同じ大きさ表示に英語とイタリア語が混じっていること」のほうにあり、少なくともこの記事を読む限り、全然謎は解明されていない気がするのだが如何。

●関係ないが、ずいぶん昔、東京の中野区と杉並区と練馬区の三区の境あたりに住んでいた頃、近所に

「かミーリアハウス」

という名前のアパートがあった。あれも、なぜ一文字だけがひらがななのか通るたびに疑問だったが、ついに理由を確かめないままになってしまった。

●国民の生活が一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂。

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まちハワ

●仕事も忙しく(しかも進んでおらず)、模型もほとんど手を付けていないので、気分的にもはなはだ低調。

F1032135●海水浴場を抱える逗子は毎夏、観光キャンペーンのキャッチフレーズを掲げる。確か一昨年は「アロハ逗子」で、昨年は「まちいっぱいのハワイアン」だったのだが、今年は、昨年に引き続き「まちいっぱいのハワイアン」が使われるらしい。

これ以上のものは考えられないほどの標語だとも思えないので、単に「新しく考えるのが面倒になった」か、「この標語を印刷してしまった何かが大量に余っている」かのどちらかではないかと思う。

で、それに関連したポスターが逗子中心部にペタペタ貼ってあるのだが、その写真がコレ。いきなり「まちハワ」と略されてもなあ……。確かに「街角にたたずむハワード・ヒューズ」だと思う人はいないと思うが、「まちいっぱいのハワイアン」も自慢するほど浸透はしていないと思う。

1日だけの日付が書いてあるから、何かイベントをやるのではないかと思うのだが、それにしては時間も書いていないし、場所も曖昧だ(市役所隣の神社、亀岡八幡のことではないかと思うが、市内には亀ヶ岡という地域もあるし、その名前のバス停もある)。

わざと情報をぼかして興味を惹くのも広告の手法としてはありだと思うが、逗子あたりでそれをやっても、盛大にスベりそうな気もする(というか、すでにスベっている気もする)。

●先週、山歩きの途中で今年初めてのニイニイゼミを聞いたと書いたが、数日前から我が家の周りでも鳴き始めた。

●鳴き声といえば相変わらずウグイスはうるさい。古来、日本の鳥の中でも美声のトップクラスに上げられることが多いウグイスだが、欠点は異様に声がでかいところにある。

向こうの山あたりから聞こえてくる分には風雅だが、近所でいきなり鳴かれるとびくっとする。昔はウグイスの声比べで、金持ちが道楽で飼うのが流行ったそうだが、こんなに声がでかいものを身近に飼うのはかなりの酔狂だ。

なお、やはり鳴き声が珍重されるホトトギスも我が家近辺でよく聞かれるが、これはこれで、いきなり夜中にも鳴くのが迷惑。以前にも書いたが、個人的には「美声」のうちに入るとは思えない鳴き声で、実はこれが名高いホトトギスなのだとはつい最近知った。

鳥の鳴き声繋がり。

最近、都心では姿を見ることが少なくなったと言われるツバメだが、逗子あたりではまだ普通にいて、近所でも、逗子駅近くの商店街でも巣を掛けている(ただし、神奈川県でもレッドデータブックに「減少種」として記載され、注意喚起がなされている)。

「ぴちょぱちょぴちょぷちょ……」というせわしない鳴きに続けて、ときどき入る「ぢるるる…」が、綺麗な声ではないがちょっとかわいい。

●金曜日、仕事帰りに実家に寄る。今年初めてのスイカを食う。

ついでに実家近くのbookoffで買い物。

  • 「カブのイサキ」4巻、芦奈野ひとし
  • 「リューシカ・リューシカ」3巻、安倍吉俊
  • 「ジゼル・アラン」3巻、笠井スイ
  • 「銀の匙」1巻、荒川弘

立ち読みをして、「あ、これは読んでないや」と思って買ったのだが、帰宅してから自室の書棚を見たら、「カブのイサキ」4巻がしっかり並んでいた。

以前に買って、そのまま書棚に入れて既に読んだ気になっていたのか、読んだのにすっかり内容を忘れていたのか不明。毎日目にするところにあるのに判らず買うところまで含め幾重にも迂闊。ここが戦場なら即死。

「ジゼル・アラン」3巻は比較的最近出たばかりで、普通に本屋で買おうかと思っていたものだが、なぜか105円コーナーにあった。……不人気?

「リューシカ・リューシカ」は、どうも個人的には「自分だったら『よつばと』をこう描く」と思いながら描いているマンガという感じがイマイチで、普通の本屋で買うほどではなく、「bookoffにたまたまあったら買う」と決めているもの。

●いきなりトルディを出してびっくりさせてくれたHOBBYBOSSだが、今度はまた突然、T-26を出すという。

HOBBYBOSSの自社サイトよりも早く、オンラインショップの予約で箱絵が出てしまったりして、相変わらずこの辺のメーカーの発売予告はメチャクチャだなあと思ったが、数日前にHOBBYBOSSのサイトでも箱絵、デカール等が公開された。

最初は双砲塔の31年型だが、トルディ同様、並行してバリエーションの開発は進んでいるらしく、IPMSフィリピンの掲示板では、33年型を含んでテストショットの写真がリークされている。

テストショット(パーツ状態)

テストショット(組立状態)

31年型も箱絵ではT-26標準タイプの転輪を履いているが、IPMSフィリピンのテストショット写真では、少なくとも組立状態の写真では、31年型も33年型も初期型のゴム部面積が大きいものになっている。製品ではどうなるか判らないが、少なくとも33年型では標準型転輪にしてほしい(31年型にも33年型にも両方入っているのが最も贅沢だが)。

また、テストショット組立写真では、33年型でも車体が鋲接構造の初期型となっている。側面に砲塔基部ガードのモールドがないので、31年型の車体パーツを使いまわしているのではなく、33年型用パーツなのは確かなようで、33年型それ自体が2種以上のバリエーションで出るのかどうか気になるところ。

なお、テストショットの33年型がどうも妙な感じに見えるが、これは

  • 主砲防盾部の取り付けが間違っていて、上下左右が反対
  • 鉢巻アンテナの取り付け位置がおかしく、ギリギリ上端にずれてしまっている

などの理由によるものと思われる。

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ドイツ軍車輌の塗装規定(電撃戦期)

●私自身、きちんと考証するだけの材料もあまりないので、要するに「気になっていることメモ」として。

●第2次世界大戦のドイツ軍車輌(戦車含む)の塗装に関しては、

1.ワイマール共和国時代の3色迷彩
2.再軍備期のグレー2/3、ブラウン1/3の2色迷彩
3.大戦初期のグレー単色
4.1943年以降のダークイエロー基本色、グリーン、ブラウンの迷彩色

というのが大まかな流れで(戦地の応急塗装やアフリカ迷彩を除く)、特に大戦初期は一律にグレー単色というのが従来説だったと思うのだが、どうも最近、ポーランド戦、フランス戦ではグレーとブラウンの2色迷彩がそれなりに混じっているのではないか説が出てきているようだ。

「ようだ」というのは、明確にそれを解説している資料があるのかどうか、浅学にして私は知らないからだが、少なくとも最近のドラゴンは、キットの塗装指定にその説を採用しているらしい(I号sIG33自走砲など)。

●実際の塗装規定の流れをおさらいすると、1937年6月に「塗色はデュンケルグラウおよびデュンケルブラウン」という通達が出て、翌1938年11月に「デュンケルグラウが全面の2/3、デュンケルブラウンが1/3」と、塗り方の追加規定が通達されている。

その後、デュンケルグラウが統一色とされ、ブラウンが廃止されるのが1940年7月末で(以上、出典はグランドパワー97/2、ドイツ軍用車輌の塗装とマーキング[1])、この通達通り塗装が切り替わっているとするなら、ポーランド戦、フランス戦時は2色迷彩が標準であったことになる。

●もちろん現実には、この時期の写真を見てもほとんどはグレー単色のようで、これまでも、先の40年7月の通達は現状後追いのもので、開戦時には既にグレー単色に切り替わっていたというのが定説だった(グランパ97/2にも、「デュンケルブラウンの廃止は1939年の可能性もあり」と、さらりと書いてある)。

●ところがどうやら2色迷彩もこの時期生き残っている「どんでん返し」があるらしいというのが現在の状況。

実際、先述のように写真資料ではほぼグレー単色だと思われるものの、この2色はトーンがそれほど違わないので、「グレー単色だろうと思える写真が多数だけれど、これは2色迷彩だと言われれば、違うとも言い切れない写真もある」のも確か。これまでは「全部グレー単色」という思い込みで見ていたので、多少の斑があっても「土ぼこり?」と判断していたのが、実は迷彩色だったということがあり得ないとも言えない。

例えばグランドパワー2000/6、ドイツ8輪重装甲車[1]のp7、ポーランド戦時のSSの232だが、改めて見直すと、迷彩されているように見えなくもない。もっとも、同p36の263のように、「これはどう見ても2色迷彩」と言えるほど明快で、しかも時期が開戦後とはっきり判断できる写真を(今のところ私は)見たことがなく、私自身、現時点では「どうなんだろ」レベル。

今しがた上げたグランパ2000/6、p36のSd.Kfz.263も、キャプションはなんだか微妙な書き方をしているが、何のマーキングも見られないところからすると戦前の写真の可能性が高い。要するに、ポーランド戦時の真っ白十字や、その後の中抜きバルケンクロイツが描かれている上で、車体の迷彩がはっきり判る写真があれば言うことはない。

●というわけなので、そのあたり、写真資料も上げてきっちり解説している資料がある、という方はご教示を。

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朝夷奈切通

●30日土曜日。よく晴れて、部屋にいても蒸し上がってしまうばかりなので、午後、散歩に出掛ける。

とはいえ、この季節にこの天気では、鎌倉中心部は観光客でごった返しているので、そちら方面に行くのは避けたい。少し考えた結果、切通しを抜けて朝比奈のbookoffまで出掛けてみることにする。

「朝夷奈(朝比奈の古い綴りであるらしい)切通」は、古都鎌倉を囲む山を抜ける「鎌倉七口」の一つで、鎌倉中心部から見て丑寅(鬼門)に長く伸びた十二所の谷戸の奥にある。

「鎌倉七口」も、今では舗装道路に変わって昔ながらの切通し道が残っていないところもあるが、朝比奈は別に峠越えの道が作られたので、古い切通しがよく残っている。しかも峠が高く距離もあり、鎌倉のいわば表玄関であった(横浜の)金沢に出る要路でもあったので、最も規模が大きく立派でもある。朝比奈切通しを歩くのは、3、4年ぶりの2度目。

朝比奈の峠は鎌倉と横浜(横浜市金沢区)の境界なので、考えてみれば、逗子から鎌倉へ、鎌倉から横浜へと、市の境を2つも越えて歩くことになる。

●朝比奈同様「鎌倉七口」のひとつで、逗子と鎌倉の境にある名越切通から鎌倉ハイランドに抜け、十二所に降りる。

名越の峠道で、今年初めてのセミの声(ニイニイゼミ)を聴いた。ハイランドの公園には、アカトンボが乱舞していた。……うかうかしていたけれど、もう夏なんじゃん!と愕然とする。

●そういえば以前、はほちん氏が「自然薯て、その辺に生えてるものなのか?」みたいなことを言っていたので、写真に撮ってみた。

F1032122

何種かのつる草がごっちゃに写っているが、ちょっと細長いハート型の葉がそれ。っつーか、はほちん氏は基本、片田舎ばかり点々としているので、そうと知ってさえいれば身近にいくらでも生えているのではないかと思う。秋にむかごでも採って食ってみたまへ。

●金沢街道沿いに、十二所稲荷という小さな祠と、十二所神社に行ってみる。

十二所稲荷の床下を覗いたらアリジゴクの巣があった。久しぶりに見た気がする。

――が、この後、朝比奈の切通し道の先、横浜横須賀道路の橋の下にも巣を見付けた。一度見付けるとそれらしいところに目が行くようになるので、続けて遭遇するものなのかも。

F1032115

子供の頃、近所の祠の床下にごそごそ潜り込んでアリジゴクを捕まえて帰って巣を作らせ、アリを放り込んで遊んでみたりしたものだけれど、最近の子はそんなことしないんだろうなあ。

十二所神社は、いかにも「鎮守」という佇まい。鳥居と灯篭と、何の説明もないが、たぶん力石。

F1032109

●金沢街道から脇道に入る。砂利道にゴマダラカミキリが居た。

F1032102

人もそれほど通らない道だし、そのままにしておいてもいいかと思ったが、万が一もあるかと思い直し道端の茂みに移してやった。直後に軽トラが走って行った。危なかった。

●朝比奈切通しは名越切通しや大仏坂切通しなどと比べると格段に広く、「道路」として整備されている雰囲気。ただし、(道の端に溝を掘ってある場所も多いが)所によっては道が水びたしになっているので注意が必要(もっとも名越などでも道がどろどろになっていることは多い)。

しかし水気が多いおかげで、ハンミョウに出会うことが出来た。美しい。

F1032088

何しろ近付くとすぐに飛び立ってしまうし、すばしこく走るので、結局ピンボケの写真しか撮れなかった。惜しい。

●切通し道の最高所には大きなやぐらがあって、やぐら内の横の壁面に小さめの磨崖仏が彫ってある。

F1032084

●切通しを抜けて峠を越え、横浜側の幹線道路(県道原宿六浦線/環状4号線)に出る少し手前に、えらく立派なモミの木があり、幹に注連縄が掛かっている。何か曰くのある御神木かと、帰宅してから検索してみたが、ハイカーの「立派な御神木がありました」という感想がヒットするばかりで収穫なし。

●朝比奈のbookoffと道路を隔てて斜め向かいあたり、崖に何やら大きなこぶが突き出ているのだが、これが実は磨崖仏で、通称は「鼻欠地蔵」。なかなか大きく立派な坐像なのだが、ここまで風化しては何がなんだか判らない。

F1032072

いつ頃の作か判らないが、江戸時代末期に出た「江戸名所図会」には、きちんと目鼻があり衣を付けた状態で描かれていて、実物の脇の説明板にも「往時はこうだった」的に紹介されている。もっとも、名所図会の絵には「鼻缺地藏」のタイトルが付けられているから、すでに当時崩れ始めていたのは明らかで、目鼻立ちは地蔵像であることを明らかにするために絵師が勝手に補った可能性もあるのではと思う。

それより150年ほど遡る「新編鎌倉誌」には、ちょうど武蔵国と相模国の境に作られたので「境地蔵」と呼ばれた、とあるらしい。

●あれこれ物色したものの、bookoffでは何も買わず。そういえば、店内の自動販売機で、UCC缶コーヒーの限定版「ヱヴァ箱根缶」が、しかも1本100円で売られていた(買わなかったけれど)。買い逃して悔しい思いをしているヱヴァコレクターはどうぞ。

バスで鎌倉方面に出て帰る気でいたが、ここで混んでいる鎌倉に向かっては意味がない気がしたので、六浦まで歩き、京急逗子線に乗って帰る。

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