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タミヤのいちばん

●PaK40についてあれこれ書いた余波を受けて、hideさんがその昔作り掛けて置いてあったタミヤ+イタレリのPaK40を掘り出してきたというので、hideさんのブログに見に行く。

そこで知ったのだが、今年はタミヤのミリタリーモデル発売50周年であり、そのイベントの一つとして、タミヤHP上で、「模型ファンが選ぶ、タミヤのミリタリーモデルNo.1」というアンケートをやっているという。

もちろん、私がミリタリーモデラーに成り果てたのも――じゃなかった、なったのもタミヤのおかげだし、ここは当然、一言書くくらいの義理は当然だろう、というわけでアンケートに投票する。

決して賞品の「抽選で10名様に『第51回静岡ホビーショー(2012年5月17日~20日)』で発表される1/35MMシリーズの新製品をプレゼント」に眼が眩んだわけではないよ!!

●アンケートでは、最も思い出に残っているアイテム1つ、他人に薦めたいアイテム1つを選ぶことになっている。前者は自分の記憶の中であれじゃこれじゃ迷うだけだが、後者は迷うというより戸惑う。hideさんも書いていたように、相手が誰かによって全然違ってくるからで、問いは「その辺も含めて勝手に考えてよ」ということなのかもしれないが、それを集計したところであまり意味はなさそうな。

ちなみに私は、前者はSd.Kfz.232(8Rad)、後者はBT-7を選んだ。……BT-7を薦める相手って、どんな相手だ?

●そんな「思い出振り返り企画」のせいもあって、タミヤのPaK40の発売前のことをふと思い出す。

当時私は中学生だったと思うのだが(読む人が読むと歳がバレる)、何かのはずみで、イタリアのイタラエレイなるメーカーから、「75mm対戦車砲」が発売されているという情報を掴んだのだった。

PaK40以前に、イタラエレイからはすでにヘッツァーほか何種かのAFVキットが発売されていたはずだが、私がイタラエレイを以前から知っていたのか、それともこの時初めて知ったのかはよく覚えていない。

が、とにかく強烈にそのイタラエレイのキットが欲しいと思ったのはPaK40が最初で、休日に友人と、「イタラエリの75mm対戦車砲PaK40を探す模型店巡り」の旅に出たのだった。もっとも当時、輸入プラモデルを扱う模型専門店など数少なく、結局、イタラエレイのPaK40の気配すらなく彷徨っていただけなのだが、その何軒目かで手に入れたタミヤニュースに、なんとタミヤからのPaK40発売の予告が出ていたのだった!

こうして「イタラエリのPaK40探し」なんてどうでもよくなってしまい、「タミヤのPaK40はまだかー」に切り替わるのだが、そういえば、当初予告では砲だけだったのが、その後急遽フィギュアも追加されることになって発売が一時延期になったような気もする。

とにかく、そんなこんなで、結局その後もイタレリのPaK40は手に入れないままで来てしまった。

なお、文中「イタラエレイ」「イタラエリ」「イタレリ」の語が入り乱れているが、これはそれぞれ次のような区別がある。

イタラエレイ:当時の正式名称。ITALAEREI。
イタラエリ:当時の日本における俗称。
イタレリ:現在の正式名称。ITALERI。

●週末、「緑色の花の桜」を改めて見に行こうと思っていたのだが、天気が悪く果たせず。しかし時季を外して見に行くのが遅れてしまうと、結局普通のピンクの桜に変わってしまう。

●咳が止まらず、眼も腫れてしまって不自由この上ない。調子悪いなあ。

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コメント

タミヤと言えば、静岡優良企業の雄w

小学生低学年の頃、タミヤとなんかの仕事で取引をしたらしい父親が、戦車か車かのプラモを娘のお土産にって持って帰ってきた際は泣きました。
なぜそんなものを10歳にも満たないおにゃのこにwww

とはいえ、長じてから、F1のプラモ作りに少しだけハマったことはあります。特に、ドライバーのヘルメット塗装にハマったって言うwww

投稿: つんきち | 2012年4月23日 (月) 21時41分

>つん姐さん

いまの子どもはほとんどプラモデルなんてものに触れる機会がないし、刃物を握らせてもらったこともないのでプラモデルが作れないという現状だそうな。

我々の世代の男の子は晴れれば外で駆けずり回って遊び、雨が降ったら家の中でプラモデル、みたいな子ども時代を送ってきています。

でもって実は、女の子でもある程度以上の世代は、これまでに1度くらいはプラモデルを作ったことがあるという人は意外に多いみたいですね。

・なぜか発作的に作ってみたくなった とか
・弟が作れなくて泣き出したので手伝ってやった とか
・兄ちゃんが買ってきたけど放置してあったのをこっそり とか

まあ、おおかたの人はそれっきりなのですが、そのうち極々少数が(それをきっかけに作り続けている人は少ないでしょうが、ある時また思い出して作ってみてはまっちゃう、とかで)、女性ミリタリーモデラーなどという稀有な存在になったりするわけです。

しかし、それはそれとして、つん姐さんが手にしたという戦車がいったい何だったかというのが興味がありますなあ。しかし10歳未満じゃさすがに作れなかったでしょうね……。

「F1ドライバーのヘルメット塗装にハマった」ってのは、これはモデラーとしてよく判ります。結構、一点豪華主義に走りやすいものなんですよ。飛行機モデラーだとコクピットにだけ異様に力が入ってるとか、よくありますし。

投稿: かば◎ | 2012年4月23日 (月) 22時20分

タミヤのプラモのお土産を幼い娘に持ち帰った親父の話には、後日談がありまして。

要らんもの貰うて唖然とした娘と非難轟々の妻の攻撃を受けた父は、プラモを全部(相当な量があったそうなw)をどこかに寄付したらしいです。

篤志家の善行としてちぃとだけ話題になったらしいのですが、父はその話題を振るとぶんむくれた娘の顔を思い出すらしく、とても嫌がります。

もし時間を遡れるのなら、子供のお土産としての量と質を考えろと、当時の親父に小一時間説教したいものです。
結局その何年か後には、意外と器用にプラモ作っちゃう娘に成長するんですけどねw

投稿: つんきち | 2012年4月23日 (月) 23時17分

へ?

そんなに山のように貰ってきたんですか?
すごいなあ……。

しかしまた、寄付先も結構場所を選びますね。
そこでも泣かれると困るし(笑)。

投稿: かば◎ | 2012年4月23日 (月) 23時31分

知名度や難易度に関わらず兎に角売れて欲しいアイテムを押す、
というのも考え方ではありますな。
ところで232と言えば名作の誉れ高く私も一瞬頭をよぎりましたが、
あれには反抗期真っ只中の厨房の頃、もはや理由は思い出せませんが
ヘソを曲げた私に困った母が、ご機嫌をとるために買ってくれた、
というこの歳になって振り返るとなんとも心がむじゅむじゅする
思い出があります(*´σー`)。
反抗期って言ってもの場合その程度でしたけど。

投稿: hide | 2012年4月24日 (火) 17時33分

>hideさん

何かねえ……エポックメイキングな88よりも、個人的には何故か232なんです。

そういえば「電撃戦の主役」という謳い文句で発売されたII号戦車が実は電撃戦には出ていない型だったので、考えてみると232って、タミヤMM史上、装甲車輌としては初めての電撃戦ネタなんですよね。ベレー帽の乗員は……あ、新II号に入ってたんだった。

ところで、「いいんちょ(初代)」の元ネタが判りません先生(笑)。「To Heart」?

投稿: かば◎ | 2012年4月26日 (木) 17時16分

>「いいんちょ(初代)」の元ネタ

なんの、判ってらっしゃるじゃありませんか(笑)。
初代と断ってある所がミソです。
ただ最近は、全く関係ない同名のコミックスがあったりでこの呼称も一般化し、ちょっと判りにくく成ってきてるかも。

投稿: hide | 2012年4月26日 (木) 21時20分

>hideさん

>>なんの、判ってらっしゃるじゃありませんか(笑)。

いやいや、「なんだか女の子がたくさん出てくるらしくて、“委員長”とか記号化されていそう」&「hideさんのコレクションに時々出てくる」という類推です。

投稿: かば◎ | 2012年4月27日 (金) 16時54分

私の場合、ミリタリーモデルに入ったのがバンダイ48で、タミヤMMには、あまり思い入れがないんですよね。
初めて買った(作った)のは3号M型、一番数多く作ったのはシャーマン(かチャーチル)ですが、「思い出」とか「薦めたい」っていうのとは、ちょっと違う気がします。
個人的には、何が上位に来るのか予想する方が楽しそう。本命は「88」か「虎Ⅰ後期」。大穴は「ドラゴンワゴン」かな…。

投稿: TFマンリーコ | 2012年4月27日 (金) 20時25分

あぁ、なる程。一瞬、こちらの予想を越える守備範囲?とか思ってしまいましたが、コ○ンばりの推理でしたか(笑)。
ちなみに二代目の方は月替わりコレクションに一度登場させております。

投稿: hide | 2012年4月27日 (金) 21時37分

8radといえば この間出たグラパの8輪装甲車号の写真解説に「タイヤが焼け落ちて」とあるもののほとんどが「タイヤが取り外されて」だと思うのですが、スペアとして持ち去ったんでしょうか それとも地元の人が持ってったんでしょうか・・・

投稿: みやまえ | 2012年4月28日 (土) 00時39分

>TFマンリーコさん

ありゃ。今は35専門と伺っていますが、出発点は48でしたか。

ちなみに私が今までに最も多く作ったAFVキットはフジミ76のI号戦車です。たまに発作的にミニスケールに走るときがあるんですよね。フジミのI号戦車はミニスケールの上に車輌自体も小さいくせに、フジミの同シリーズの中でもよく出来たキットで、I号戦車フルバリエーションを目指して10数両までは作ったような。

>hideさん

いやー。「委員長」といえば、私の場合はやはりバサ姉ぇになってしまいます。

>みやまえさん

グランパの当該号は見ていないのものの、何かで読んだことがありますが、放棄車輌のうち、取り外しやすく使い道も明らかな工具類に次いで持っていかれるのが車輪・転輪の類だそうですよ。

規格物のタイヤならトラック等に使えるし、そうでなくても農機具の車輪などに転用できるからだそうです。

投稿: かば◎ | 2012年4月29日 (日) 00時55分

確かに、バサ姉ぇは良いですな。
IC値(Iincho-capability-value)が極めて高い優良委員長です。
ワタクシ的にはぜひメイド服を着て、「メイド委員長(略してメイド長)」となった姿を拝んでみたいものです。
あぁ、しかし髪を切ったのは良いとしてもメガネを外したのだけは・・・

投稿: hide | 2012年4月29日 (日) 18時06分

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