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「すいどうみち」と海軍標石

●先日、12日の散歩の際に、名越隧道から長勝寺までゆるゆる降りていく途中、道の脇に「海」と書かれた柱石があるのに気付いた。

どう見ても小石を混ぜ込んだコンクリ製なので、歴史的にどうこうというものではないだろうと、その時はスルーしてしまった。帰ってから気になって検索して、こんなページに行き当たった。まさか海軍の標識だったとは。

F1031345 要するに、その昔海軍が軍港・横須賀の水需要を賄うために神奈川県北部からはるばる横須賀の浄水場まで水道を引いており、それが鎌倉および逗子をずどーんと横切っているのだそうな。前々回、名越の水道トンネルのところで少し触れたが、名越の水道トンネルもその一部。また平地では、(今のようにトンネルボーリングマシンがあるわけでもなく、地表から開削して水道管を埋めるので)水道管を通すために海軍が買い上げた土地であるのを示すために、点々と標石を立てていたわけである。

実は、逗子-東逗子間にも、鎌倉の材木座にも「水道路(すいどうみち)」と呼ばれる道がある。今まで、ただ漠然と道の下に水道管でも埋まっているんだろうと思っていただけだが、そのどちらもこれの一部だったわけだ。

●横須賀の水道の中で「半原系」と呼ばれるこの水道は、愛甲郡愛川町半原(はんばら)の中津川から横須賀の逸見(へみ)浄水場まではるばる53kmも引かれているとか、しかも途中は野を越え山越えしているにも係わらず、起点と終点の70mの高低差を利用した自然流下のみで通水させているとか、いろいろと「こりゃスゲー」という話はあるが、そのへんはこのあたりを見てもらうほうが早い。

なお、鎌倉の鶴岡八幡宮裏、巨福呂坂にも名越によく似た「横須賀市水道局」管轄の送水管路トンネルがあるのだが、これは「半原系」水道でなく、終戦直後に完成した、海老名市から引いている「有馬系」水道のものらしい。

●そんなわけで、改めて水道の道筋上を歩いてみると、ずいぶん沢山の柱石がある。例として、名越隧道~長勝寺間で私が見つけたものを並べると(一部海軍標識以外も混じる)、

F1031344 F1031343 F1031342 F1031341 F1031340b F1031339 F1031338 F1031337

ほとんど頭まで埋まっているものもあるので、積極的に残しておこうというものでもないらしい。すでに撤去されたり、完全に埋没してしまっているものもありそうだ。実際、この区間ではほぼ名越隧道寄りに集中している。

後ろから3つ目の標識はそれまでの「重ね山印に海」ではなく「海軍用…(おそらく海軍用地)」と彫られていて、しかもコンクリでなく花崗岩。何かしら標識としての意味に違いがあるのかどうかはよくわからない。

残り2つの「横須賀市水道部」は、戦後横須賀市に移管されてから立てたものかもしれないが、よくわからない。現在の「上下水道局」が「水道部」だった時代がわかれば絞り込めそう。

●名越隧道~長勝寺間は、名越隧道が水道着工の30年近く前、明治16年に開通していることから判るように、水道以前からの街道筋なので純粋な「水道路」ではない。それでもこうした標識が立っているということは、現在の道幅になる以前に、街道に沿って水道を埋める敷地を別途海軍が手当したということかもしれない。

一方、長勝寺から材木座町内を横切り、海岸橋付近に至る道は実際に「水道路」と呼ばれる真っ直ぐな道で、ところどころ、脇に旧道が現れることがあるので、こちらは水道管を通した上を後から道路にしたものであるらしい。この区間もそれなりに標石が残っているが、写真はいくつかだけ(実は見つけた分は全部撮ったのだが)。

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写真は長勝寺~水道路交差点間のもので、左から

  • 水道路沿いの民家庭先に無造作に置かれている、艦砲の砲弾にしか見えない物体。謎過ぎ。
  • 旧道との分かれ道、馬頭観音の古い石碑と隣り合っている海軍標石。(2月19日追記。改めてよく見たら、右の石碑は道しるべで、しかも大正3年のもので、海軍標石とほぼ同時期のものだった。げしょ。)
  • 通学路横断歩道脇の海軍標石。
  • 「水道路」交差点

●一方、逗子駅前ロータリーから東逗子方面に伸びる道も「水道路」と呼ばれている。この道を中心に、逗子側にも結構標石が残っている。

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  • これは水道路ではなく、駅の東側、なぎさ通りと池田通りが交わる「池田通り」交差点脇にある標石。10年以上歩き慣れた道の脇にこんなものがあるとは今まで気付かなかった。
  • 逗子の水道路。おそらく水道路よりもっと古い路地との曲がり角にあったもの。
  • その名も「すいどうみち」という床屋。
  • 田越川を渡る水道管。

F1031308b 海軍標石は一部が失われているかもしれないということを差し引いても、置かれている場所にあまり規則性はなさそうで、道のどちら側にあるかも定まっていない。ある程度の間隔があるのが普通だが、右写真(逗子の水道路)のように、辻に集中して置かれている箇所もあった(黄色い丸が海軍標石)。

どうせ写真を撮って回るならば、携帯にGPSも付いている世の中なのだから、それぞれの座標も取ってくるのが後々のために意味ある行為と言えそうだが、実はすでに、地図付きで綿密な調査結果を掲載しているサイトがあった。本格的に辿りたい方はそちらを参考に。

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コメント

海軍は水にずいぶんと気を使っていたらしいですね。
大湊では日本初?の本格的なアーチダム??までこさえて
淡水を確保してた由。現存。

(以上うろ覚え,為念。)

投稿: donji | 2012年2月18日 (土) 19時05分

>donjiさん

これのことですね。おおー。オシャレー。

県庁
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/jubun_kenzoubutu_31.html

建設コンサルタンツ協会誌
http://www.jcca.or.jp/kaishi/235/235_doboku1.pdf

wikipediaにも出てたんですが、やはり写真付きじゃないと。特に後者は図解まで出ていてよいです。うーん、いつか見てみたいです。「日本の近代土木遺産に選ばれた」ということでは、小坪・名越のトンネル(有名なお化けトンネル)も同様ですが、つくづく愛でるというほどのものじゃないしなー。

投稿: かば◎ | 2012年2月18日 (土) 19時45分

あ、それそれ。

昭和20年の空襲時には、このダムが背負ってる山の上から
グラマンに奇襲を喰らった、って聞きました。

投稿: donji | 2012年2月18日 (土) 20時36分

http://yoyochichi.sakura.ne.jp/yochiyochi/2009/09/post-103.html
 ここのページの「宮崎台」の項にあるように、ウチの辺りは戦時中まで演習場で、山の上にある宮崎中学校や虎ノ門病院分院辺りには司令部や兵舎が置かれ、隣の宮崎大塚古墳には高射砲が据えられていたそうな。ウチの南側の山にはその境界線を示した陸軍標が残っているらしいのですが、私有地内にあるみたいで見られません。残念。

投稿: KWAT | 2012年2月19日 (日) 02時03分

そういえば三浦半島には大きな川がないんですね。
>自然流下のみで通水
すごい技術のような気がしますが、灌漑の歴史を考えれば勾配を利用するのは当然といえば当然・・・でもすごい。

投稿: シロイルカ | 2012年2月19日 (日) 21時10分

>くわっちん

あのあたりは、高度成長期以前はただの里山だと思っていたんですが、なんと梶ヶ谷近辺まで演習地だったとは。

高射砲といえば、我が家から谷ひとつ隔てた披露山の山頂の公園は元高射砲陣地で、直径12mのコンクリの花壇、サルの檻、展望台の土台の3つがそれぞれ高射砲台座の直接流用、売店の半地下は監視所の地下壕だそうです。一応陸軍の所轄だそうなんで、こっちには陸軍印の標石がどこかにあるのかもしれませんが、今のところ聞いたことはありません。

>シロイルカさん

大きな川はないんですが、横須賀市内の走水というところに、その名の通り湧水があり、これがおそらく横須賀が拓かれる理由のひとつにもなっていたのだと思います。実際に、まずは走水がヴェルニーによって水道水源として整備されています。

その後港が大きくなって足りなくなったので、この際中津川から、ということになったのだそうな。

ちなみに中津川からの「半原系統」は2007年に取水停止になってますが、「走水系統」は災害時の非常用水源となっています。

あ、そうそう。半原系統はもともと自然流下でしたが、その後、能力向上のため逗子の沼間にポンプ場が設けられています。

それにしても、シロイルカさんのおっしゃる灌漑も含め、水関係の土木の歴史は面白いですね。さすがに日本にはローマ水道級の古さとスケールのものはありませんが、近代のものでも、しばらく前に何かの雑誌で「円筒分水」特集をやっていて、かなりクラクラ惹かれてしまいました(笑)。実家のある川崎市高津区に、割と有名な円筒分水がひとつあって馴染みがある、ということもありますが。

投稿: かば◎ | 2012年2月19日 (日) 22時23分

むかし、逗子高の先輩が「あれは田越川じゃねえ!池子川だ!と力説してたのを思い出しました。
逗子高あたりの上流の方のことですよ。

投稿: みやまえ | 2012年2月20日 (月) 00時19分

>みやまえさん

あっ。みやまえさん、うちの息子の高校の先輩なんでしたっけ(笑)。

沼間方面が田越川(本流)で、「うんどこ」手前で別れて北に行くのが池子川、なんですよね。

ところで田越川のいきもの調査とかやっている団体のページを見たら、「池子川上流でヤマトヌマエビの生息が確認できた」と書いてあるんですが、ずいぶん昔、森戸川の上流かどこかで、網ですくって採ってきて油で揚げて食っちゃったエビってコレじゃないのかなあ……。

投稿: かば◎ | 2012年2月20日 (月) 02時12分

モクズガニとかいました。むかしは。逗子高の校庭の奥を、神武寺(駅じゃなくて寺)まで登ってくとちっちゃな沼があって海老がいっぱいいた記憶があります。あの辺はふくろうとかいて素敵でした。

投稿: みやまえ | 2012年2月20日 (月) 23時14分

うーん。ふくろうは、いるという噂は聞いたことがある気がしますが、まだ野生のものを見たことはありません。……って、昼間はどうせ出てこないか。

かわせみは何度か見ています。あれは綺麗ですね。

投稿: かば◎ | 2012年2月21日 (火) 01時50分

かわせみは、キラって光りますね。ふくろうは早朝(夜明け頃)行くといることがあるようです。私が見たときはネズミをぶら下げてました。あとナナフシとハンミョウが多かったですね。>神武寺近辺

投稿: みやまえ | 2012年2月22日 (水) 23時39分

>みやまえさん

ナナフシは、割と民家近くでもいるようです。たまに車に轢かれてお亡くなりになっているのを見かけます。ムカデほどではありませんが。

ハンミョウは、確かに、逗子近辺の川を山の中まで遡ると結構いますね。子供の頃、川崎の実家あたりには地味なコニワハンミョウの類しかいなかったので、当たり前に、キラキラ光る本物のハンミョウがいると、何だか得をした気分になります。

投稿: かば◎ | 2012年2月23日 (木) 00時32分

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