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2011年11月

シブリ

●25日金曜日、仕事で中目黒。

帰りに中目黒のbookoffに寄ったら、グランパのバックナンバーが2冊、それぞれ150円で売られていた。2005年8、9月号で、メイン特集はルクレール。定価なら買わないネタだが、さすがに150円なら文句なしに買う。サブの大戦ネタは、8月号は「8.8cm高射砲と8tハーフ」、9月号は「M7プリースト」。

9月号には「AFVデータブック・Vol.1 ドイツ装軌装甲車輌編」という小冊子のオマケ付き。生産数と性能諸元のみ、1ページ6車種で戦前から現代までのドイツ装軌式AFVを並べてあるもので、なんとなく中途半端感があるが、それなりに網羅性はあるようなので、いざという時意外に役立つ、のかもしれない。が、「ジャーマン・タンクス」と比べると数字にいくつか差異があるようで、しかもこの小冊子には出典が出ていないので、あくまで「パッと、適当に判ればいい」用ということかも(もちろんジャーマン・タンクスの数字も、ジャーマン・タンクスの記述の中ですでに齟齬がある場合もあるが)。

ついでに「ジゼル・アラン」(笠井スイ、エンターブレイン)第1巻。普通の棚に350円で出ていたのだが、念のために見てみたら105円の棚のほうにもあった。

●27日日曜日。叔母の誕生日で人が集まるので来いと言われ、川崎の実家に行く。

誕生日の当人である千葉の叔母と従弟、東久留米の叔父夫婦に従妹2人、さらに我が家の“3人目の兄弟”的位置付けのドイツ人Pの家族:奥さんと娘2人(本人はドイツに里帰り出張中とか)。家主の母と私も含めて大賑わい。

東久留米の叔父は近年は郷里の奄美大島と東京の半々の生活だが、最近、叔母の実家の土地に新しく家を建てたとかで、この夏の“八月踊り”の様子と新築の家のビデオを観る。

F1030911 東久留米の叔母が「シブリ汁」を作って来ていて、食す。見た目は地味な田舎料理だが美味。「シブリ」は奄美のシマ言葉で冬瓜(とうがん)のこと。ちなみにウチナーグチでは「シブイ」というらしい。

もっとも冬瓜自体、そう味のあるものなのかどうだかはよく判らない。このスープもキモは奄美の地鶏で、冬瓜は、そのスープを吸ってトロトロ・アツアツになっている。

帰りに、Pのドイツの実家のお母さんお手製、ドライフルーツと洋酒の入ったずっしりしたケーキを少し分けてもらって帰る。名前はよく判らないが、シュトレン(Stollen)ってヤツかな?

●実家への行き帰りに、図書館で借りてきた「ビブリア古書堂の事件手帳(2)」(三上延、メディアワークス文庫)を読む。ライトノベル系なんだけれども、本の薀蓄が結構突っ込まれているのと、馴染みの北鎌倉界隈が舞台なのが個人的に魅力。

しかし、それ以前に借りていた「ばんば憑き」(宮部みゆき、角川書店)の存在をすっかり忘れていて、かみさんに返却期限が来ていると言われてようやく思い出した。頑張って一気読みしよう。

●30日水曜日。歯医者。

下はその帰りに写した、ヤマザクラの狂い咲き、ホトトギス、他人の家の玄関先の妙にシュールな花(「花びら・スプーン状」でヒットしたが、オステオスペルマムという花であるらしい。この後徐々に“スプーンの柄”が開いて、最終的には普通の一重のキク状になる)。

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●帰りにコンビニで農心のコムタンラーメン(カップ)を売っていて「食いてぇなあ」と思ったのだが、コンビニでカップ麺は高く付きそうなので買わず。そのうち試そう。

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晩秋鎌倉散策計画

●すでに昨年から、神保町での仕事チームであるK女史、P女史に「案内するから、そのうち鎌倉の散歩にオイデ」と声を掛けていたのだが、それに事務所のC社長、営業担当のIさんも加わって、俄かに社員旅行ふうになって計画具体化。いや、オレら社員じゃないけどな。

そもそも鎌倉地元民であるC社長は十二所の某有名蕎麦屋に行きたがっていたのだが、とりあえず今回は、山之内~扇ケ谷~佐助あたりの寺社を適当に、とプランニングしたので諦めてもらう。

●そんなわけで、祝日の23日、10時に大船駅集合。駅ナカのモールで昼食用にあれこれ調達した後、北鎌倉へ。

F1030879F1030878まずはガイド役イチオシの円応寺に行き、閻魔と十王に拝謁。

そこから北鎌倉方面に引き返し、たまたま拝観日にあたって入れた長寿寺に寄る。長寿寺は比較的最近建て替えたので建物は新しいが、その時一緒に整備したらしい、スギゴケに覆われた京風の庭が美しい。

さらに浄智寺まで戻って、そこから源氏山に登って昼食。カラスにおやつ用のチーズとあられの入った袋を強奪された!

F1030875 化粧坂を下りて扇ケ谷の海蔵寺、英勝寺あたりへと思ったが、K女史から「もうお寺はいいや」というちゃぶ台ひっくり返し系の感想が出たので、銭洗弁天経由で、そのK女史の事前のリクエスト1位、佐助稲荷へ行く。

右は途中の崖の紅葉。岩肌に貼り付いて生えている植物で、比較的よく見かけるものなのだが、何という名前なのか知らない。

さらにてくてく歩いて、鎌倉駅前御成通りの「くろぬま」へ。

これまでもたびたび書いているように、私が以前、神保町の事務所に持ち込んだ「点取り占い」はすっかり事務所の常備品と化しており、C社長がしばしば「くろぬま」で大人買いして仕入れてきている。さらに、ついでに買ってくるチープなおもちゃ類も地味に人気で、皆是非とも「くろぬま」には寄りたい、と言っていたため。

F1030870 ●しかし、久しぶりに行った「くろぬま」は、店の片側が白塗りのベニヤに覆われていた。一瞬、店が無くなったのかと焦ったが、ちょっと狭めて営業中。なんと9月の台風で、店の南面が倒壊してしまった由。

皆あれこれ細々としたものを買い込んだ模様。

……なだけでなく、K女史は目ざとく隣のアンティークショップの特売品、鉄板で出来た煙草屋の看板を見つけて購入。元5000円が500円。確かにお買い得だが、どこに置くのか迷う代物だと思う。

●午前中~お昼の相談では、この後江ノ電に乗って江ノ島に、などとも言っていたのだが、すっかり歩き疲れて、せっかく江ノ島に行っても登る気にならなさそうだ、などということになって、またまた予定変更し、小町通りをひやかしながら鶴岡八幡宮へ。

あまり人の行かなそうな穴場の鎌倉を、と計画していながら、どうも午後は銭洗弁天に小町通りに八幡宮と、人が一杯の「観光地鎌倉ド直球」な場所に行ってしまった。

八幡宮では(初めて見たが)舞殿で結婚式の最中。八幡宮、こんな商売もしてるのか……。それにしても雅楽の生演奏や舞いまで入って、金掛かりそう。しかも衆人環視のもと、バチバチ写真も撮られるので、よほど目立ちたい人向けと見た。

F1030867 先日倒れた大銀杏は、久しぶりに間近に見たが、残った根から若い枝がだいぶ出ているだけでなく、その隣、数メートル離れた場所に置かれた巨大な幹の輪切りもその場で根付いたらしく、枝が出ていた。なんて巨大な挿し木だ。それにしても倒れた直後は絶望視されていた大銀杏だが、なんとか再生するところがすごい。

●夜は天気が崩れると前日から言われていたが、実際、日暮れとともにポツポツ降り始めた。大船に移動し、C社長オススメの鶏肉・魚の店で飲み食い。美味。クラゲの刺身というのは初めて食った。

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wz.29装甲車(2)

F1030838F1030842●ドアの向きが違うのと、操縦手用バイザーの形が全然違うのくらいは何とかしよう、などと思っているうち、結局当初計画よりも深入りして、こんなところをいじっている。

前回書いたように、実車の砲・機銃マウントのカラーは車体に取り付けるためのフランジだけでなく、庇状に周りが飛び出ていて、キットはそれが再現されていない。しかも車体後面のマウントは位置もおかしいので、結局作り直した。

キットのリベット列は、要するに「リベットがある場所に適当に並んでいればいいよね」レベルのもので、数もいい加減な上にラインもヨレヨレ。とは言っても、それを全部植え直すなら、もういっそ車体を全部作り変えてしまったほうがいいくらいになってしまうので、極力目を瞑ることにする。

とはいっても、機銃マウントは装甲板の角に接する位置にあり、どうやらフランジを止めているリベット(ボルト?)の1つは、装甲板のリベットと共用であるらしい。仕方がないので、この部分の上下の列は植え直すことにした。

使用したのは、ヴィッカース水陸両用戦車の工作を再開する日のために(いつだ?)買っておいたMasterclubのリベットの、丸頭0.8mmタイプ。YSで買ったもので、140本入り735円だった。

リベット頭だけでなく足もあるタイプなので、植える位置にピンバイスで穴を開けて一本ずつ植えていく方式。ピンセットでつまむ時に跳ね飛ばしそうで怖い。なお、ラベルの表記ではリベット頭の径が0.8mmのはずだが、0.6mmの穴で足が入らず、0.8mmで丁度よかった……なぜ?

F1030857 ●車体の機銃マウントを作り直してしまうと、あと3つ、砲塔のほうを直さないわけにはいかなくなる。

車体側も同様だが、代替用のカラーは0.3mm板を丸く切り抜いた上に、径がたまたま都合よかったので余っていたタミヤのBTの砲塔内部の椅子パーツを加工して接着。その後で真ん中をくりぬく。くりぬき加工が終わった段階が左で、ここからさらに張り出しを斜めに削り落として、一応、基本形は終わり。なお、このマウントはおそらく、TKSのものとほぼ同形。

フランジに付く尖頭ボルト(たぶん)は6カ所で、これが不思議なことに、車体後部のものは2つが真上と真下に位置するようになっているのに対して、砲塔のものは左右にある。つまり、ボルト穴が90度ずれている。

F1030863 ●砲塔では、ボコボコあちこちにやたら大きく開いた視察用スリットが問題で、スキマから外を覗くというより、手が挿し入れられるんじゃないかと思えるほどで、砲塔の風通しまでよくなりそう。

また、“Wrzesien 1939 POJAZDY WOJSKA POLSKIEGO”のカラー図(というよりカラー絵、と呼びたい感じのもの)ではそのように描かれているのだが、右側の3面では上下に2カ所ずつスリットがある。

ディテールがよく判る鮮明なクローズアップなんてものが(少なくとも私の手元には)ないので断言はできないのだが、どうもこの位置にスリットがあったのは試作車か、あるいは量産車でも作られてすぐの状態とかではないかと思われる。というわけで、まず下の三カ所はそのまま埋めた(写真のグレーの部分)。

残るスリットも大きすぎるのがみっともないので狭める算段を考えていたが、結局、0.3mmプラバンを貼り合わせて「中に最初からスリットがある状態の穴埋め専用材」を作って埋めた。……という解決法自体は手軽でよかったと思うのだが、今度はスリットが小さくなりすぎたかもしれない。

また、この修正法の場合、スリットの位置自体は元と同じになるが、実はこのキット、面によってスリットの位置がずれている。写真に写っている面はそもそも違っていていいところだが、向こう側の、面の高さが同じ場所で違うのはちょっとマズイと思う……なんて言いながら直してないわけですが。

なお、写真の対空用機銃マウント部分は、他の場所のようにフランジごと作り直すのではなく、キットのフランジを活かして凸部だけを加えた。

それにしても、この狭い砲塔に砲一門・機銃2丁というのはどう考えてもやりすぎで、三方から砲尾と銃の機関部が飛び出している間に、人間が入り込む隙がよくあったものだと思う。ほとんど黒ヒゲ危機一髪ゲーム。

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第二次大戦イタリア機の形式名

●mixiの「つぶやき」欄で、KWAT氏が「マッキのヴェルトロの形式名は『MC.205』と『C.205』のどちらが正しいのか」と言っていて、改めて大戦中のイタリア機の形式名についてつらつら考えてみる。

もちろん、このあたりばっちりくっきり解説している本も世の中にはありそうで、要するに、単に現時点での自分自身の理解を整理しているだけ。

●そもそも飛行機(に限らず戦車でもなんでも)の形式名というのは国ごとにある程度規則付けられているのが普通で、例えば制式年によるもの(日本陸海軍、ただし海軍の航空機は戦争終盤漢字名前に変わる)、種別記号+通し番号(アメリカ陸軍)などは割と規則としては判りやすい。この辺は国なり各軍なりでの統一性重視派といえる。

一方で、ドイツはメーカー略号+番号。番号自体は何となく通しだが、発展型や後継機種だと上の桁を進めたりするので結構アバウト。フランスもこれと近いがさらにアバウト。これらはメーカー重視派といったところ。

ちょっと変則的なのになると、ソ連軍(設計局+局ごとの通し番号だが種別で偶数・奇数が分かれる)、アメリカ海軍(種別記号+メーカーごと通し番号+メーカー記号)なんてのもある。が、まあ、とにかくそれぞれ、それなりの理屈なり事情なりがあって決まっているわけだが。

●その伝でいくとイタリアは「メーカー重視」系ではあるのだが、略号の付け方と数字に、どうやらメーカー横断の一貫性を設けていない。

で、先のKWAT氏の疑問の答から言うと、戦時中のフォルゴーレ、ヴェルトロに関しては、C.202、C.205とするのが恐らく最も無難。実機の尾部に書かれた機種名が、基本「C.202」、「C.205」になっているため。

ちなみにこのCは、戦前のシュナイダー・レース機から200~205シリーズに至るまでの主任設計者であるマリオ・カストルディ(Mario Castoldi)にちなむ。M.C.と書く場合のMはマリオではなくメーカー名のマッキを示すものであるらしい。

さて、「無難」とか「基本」とか歯切れが悪いのは、この記入の仕方に幾通りかあるためで、実を言うと、202の場合は「M.C.202」と書いてあるケースもあるのが悩ましい。ただし、私が見た写真で「M.C.202」と書いてあったのはserie VI(ブレダ製)、「Aeronautica Macchi C.202」と書いてあったのはserie VIIとXIII(本家マッキ製)だったので、とりあえず本家の表記に従おう、という次第。きちんとメーカー名まで書いてある場合は重複になるのでMは書かない、ということなのかもしれない。また、隅から隅まで調べつくしたわけではないので、本家製で「MC」表記のものも、もしかしたらあるかもしれない。

なお、205の場合はそもそも“Veltro”と愛称しか書いていない場合と、「C.205v」と形式名を併記している場合がある。またメーカー名は「Aer. Macchi」と省略形。しかしこれで行くと、通常「C.205V」と大文字で書かれるVも、本来は小文字で書いたほうが……なんて意見もどこかにありそうな。

さらに付け加えると、前身のサエッタの場合は「C200」と、間のピリオド無しで記入してあったりするので、要するに「まるっきりテキトー」である可能性も。

●さて、それでマッキについては一件落着してくれればいいのだが、実は戦前に遡ると、速度記録を出したタンデムエンジンの水上機M.C.72は、逆にM抜きで書かれることはなく、機体にもそう書かれている。そのあとのいくつかの機体も「M.C.」が基準らしい。

それ以前のM.39とかM.52とかでは、やはりカストルディ設計のはずだが、今度はCがない。どうもこのあたりは、第一次大戦中のM.3、M.5戦闘飛行艇あたりからの続き番号のようだ。

一方で戦後になると、エルマンノ・バッツォッキ設計のMB.シリーズでは、また「メーカー頭文字+設計者頭文字」に戻っている。ふんがー。

●では同じイタリアの他のメーカーはといえば――。

フィアットは基本、設計者の頭文字だが、複葉戦闘機のCRシリーズと「イ式重爆」で有名なBR.20のように、同じチェレスティーノ・ロザテッリ設計で、C(カッチャ=戦闘機)、B(ボンバルディエーレ=爆撃機)の種別を頭に添えているものもある。……が、同じフィアットでも、ジュゼッペ・ガブリエッリの場合は戦闘機だろうが輸送機だろうが全部G.だけ。何なんだ。種別も添えるのは同社戦前方式?

CANTはフィリッポ・ザッパタ設計のZ.501、Z.506、Z.1007のように、基本、設計者頭文字。

サヴォイア・マルケッティはメーカー名頭文字SMに続き番号。

カプローニもメーカー頭2文字(Ca)+番号でドイツと同形式。スタジオ・ジブリの名の由来であるCa.309ギブリ、その発展型Ca.310リベッチョなどが有名で、第一次大戦中のCa.1からのそのまま番号を重ねて来ているらしい。

レッジャーネはRe2000~Re2005のようにメーカー頭2文字。カプローニ系列のメーカーなので親会社に倣ったのかも。しかしなぜ番号がいきなり4桁から始まるかな。

しかし同じカプローニ系でも試作戦闘機カプローニ・ヴィツォラF.4やF.5は設計者頭文字(F.ファブリーツィ)。もうわけわからん。

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いべり子豚

●火曜日、かみさんと両国に「世界遺産 ヴェネツィア展」を見に行く。

先月のかみさんの誕生日に、子供らが同展覧会のペアチケットと交通費を贈るなどという、驚天動地の気の利いたプレゼントをしたため。

江戸東京博物館という極めて間口の狭い名を付けた博物館でヴェネツィア展ていうのはどうよ、と思わなくもないが、展覧会の中身そのものはよかった。パンフには「黄金期から爛熟期まで」とあるが、重点は爛熟期、文化としては豪華絢爛だが国力としては斜陽の時期。

中心は絵画だが、個人的にかなり惹かれたのが17世紀のガレー船の模型。念のために言うと、「17世紀のガレー船」の、現代になって作られた模型ではなく、17世紀に製作された模型。

おそらく1:20とか、その前後の縮尺なのだが、滑車だのリギングだの非常に精密で、明らかに、「船の形をした飾り物を作る」のではなく「実物を縮小して精密に作り込む」ことを意図している。400年前の偉大なスケールモデラーの先達に脱帽。写真はココで見られる。

●イベリコ豚、というと、伊縁さんちの農場で育てた子豚=いべり子豚だと思う人がいるよね、と、かみさんに言ったら、「そんな人はいない」と素で返された。

●水曜日夕、川崎の実家に行き、酒を飲んで一泊。母の細々とした用事をいくつか、片付けたり片付けそびれたり。

●金曜日。歯医者に行く。帰りにファミマに寄り、「抹茶入り缶コーヒー」(ジョージア)と「マッコリ入りチョコレート」(ロッテ)という、どちらも非常にネタくさいものを、ついクラッと来て購入。

「抹茶入りコーヒー」は、決して不味くはない……割と美味い、のだけれど、例えてみると、どこぞの街の喫茶店で、その店のオリジナルメニューとして開発されてそこそこ美味しいと評判になったけれど、それで全国展開しちゃうのは如何なものか、的な感じ。判りにくいなあ(笑)。

「マッコリチョコレート」は意外なことに、素直に美味。

●USBのプラグは両側、外見は同じ形状なので、いつも試しに挿してみて確かめねばならず、結局方向が違っていてイライラすることが多い。特にUSBメモリ!……と、常々思っていたのだが、プラグの「握り」部分とかUSBメモリならケースの上側に模様が付いていることで判別するのだ、ということに気付いた。今頃になって! 迂闊! ここが戦場なら即死!

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wz.29装甲車(1)

F1030807●週末模型親父さんのところの「SUMICON 2011」用に引っ張り出してきたwz.29装甲車について。

実車に関してはwikipediaにも概略があるが、写真と解説は、さすがにPIBWLさんちのこのページこのページが濃密。

キットはポーランドの模型店、ヤダル(JADAR)のガレージキット“自主レーベル”のひとつ、ARMO製の1:35。

同スケールでは、これ以前にもっとマイナーな、やはりポーランドのガレージメーカーから、エポキシレジン製のキットが出ていたらしい。PIBWLさんちの解説を読むと、ペーパークラフト屋さんのGPMからもキットがあったようなのだが、これらは絶版のはず。ほか、COMMANDER MODELSからも出ている(もうとっくに潰れたかと思ったらしっかり存続していた)。

●さすがに10輌しか作られていないポンコツ装甲車となると、2メーカーから出ていれば立派なもので、当分、新キットは出そうにない気がするし、となると、特に自国製であるARMOのキットにはそこそこのレベルを期待したいところ。

……ではあるのだけれど、これがだいぶ悩ましい出来。

そもそも買ってから今まで死蔵していたのも、最初にチェックした段階で何だかトホホな部分が結構目に付いたからなのだが、実際に着手してみると、予想以上に多々ひっかかる箇所があることが判明。

●単純に模型としての質に関して。

・気泡は、少なくとも表面に大穴が開いているような箇所はほとんど無し。薄皮一枚で入っている箇所はいくつかあった。ただし、シャーシフレームの先端部などいくつか、細かったり薄かったりする端や角の部分の小さな欠損はあった。

・大型パーツの明らかな反りやねじれはないが、特に車体側面装甲など、微妙に平面が出ていない。

・原型製作時の接着剤跡やヤスリがけの跡などが残っていて、仕上げが粗い。また原型(あるいは2次原型)の段階からあったのか、それとも製品成型時のミスなのか、車体表面に何ヶ所かくさび状の窪み傷があった。

F1030832 ・上記のこと含め、どうにも原型の(あまりよくない意味での)手作り感が横溢していて、リベット列が不揃いだったり、蝶番がいかにもプラバンの切れ端とプラ棒を付けただけの感じだったり、それがまた歪んでいたりする。ダブルになっている後輪を合わせようとすると、間隔が斜めになってしまうだけでなく、よく見ると少し波打ってさえいる。……これは斜めになっているのだけなんとか直して、波打っているのを極力目立たないようにするしかないだろうなあ。

●プロポーション。

F1030824このページの側面写真と右写真を見比べると、特に車体後部側面形は違っていて、実車に比べキットはちょっと寸詰まりな感じ。もっとも、それを除けば全体形は(元が特徴があり過ぎる車輌なので)そこそこ満足すべきレベル。というより、先述の、微妙に側面の平面が出ていない問題を含め、あまりウルサイことを言うと「いっそ車体をプラバンで1から作り直したほうが」になってしまう。くわばらくわばら。

●ディテール。

F1030835 ・先述の「どうも作りが粗い」ことと重なるが、車体側面前後2箇所ずつ、前面左の計5箇所の小さいバイザーフラップは、おそらく同じ形状のものなのだが、キットでは右写真のほうに大きさがまちまち。鮮明な写真が(少なくとも私の手元には)そう多くない車輌なので、「いや、本物も大きさが微妙に違うんですよ」という可能性も皆無とは言えないが、たぶんそれはない、と思う。

・合わせて、特に側面後部のバイザーは、キットの位置は前過ぎ。実車では、バイザーの後ろのラインは、上の装甲板の角よりも後ろ寄りにある。

・車体前後の操縦席用バイザー(例えば上のバイザーパーツの写真の一番右のもの)は、キットでは単純な1枚物になっているが、実車では真ん中に大きく切り欠き(穴)があり、スリットのある面は地面に垂直な、二重構造というか二段構造というか、とにかくもっと凝った作りになっている。これはCOMMANDERのキットも同様なのだが、COMMANDERSはムクの車体とバイザーが一体なので修正は難しそう。その点ではARMOのほうが楽。

・車体左右の大型ハッチドアは、実は実車では左右とも、蝶番が左にある。つまり車体左側面では前に開き、右側面では後ろに開く構造。キットは左右とも前開きになってしまっている。これまたどういうわけかCOMMANDERも同じミスをしている。

・砲塔パーツには、防御上これはどうなのよと思うような大きなスリットがボコボコ開いているが、実車はもっと狭くて小さい。位置も微妙にずれている感じ。

・機銃マウントのカラー部は、キットのような単純なリングではなく、上部ほど大きく、庇状に凸部がある。また車体後部機銃マウントは、キットは位置が下にずれている。

Ursus01・車輪のホイール部の形状が、どうやら全然違う。しかし不思議なことに、wz.29の原型となったURSUS A型トラックの、(メーカー違いの)S MODEL製キット(右は昔作ったもの)のホイルも、ついでにCOMMANDERのwz.29のキットも、ほぼ似たようなホイル形状になっている。皆揃って真似し合って同じ形状になってしまったのか、それともURSUS Aではこういう形状が一般的だったのか、どうもはっきりしない(が、もしかしたら“Wrzesien 1939 POJAZDY WOJSKA POLSKIEGO”のwz.29のカラー図でこんな形状に描かれているのが原因かもしてない)。

●というような感じで、当然ながら1から作り直すような不毛なことはせず、このキットをなんとか成仏させる事を考えるとなると、どこまで手を入れ、どこは目をつぶるのが有効かの判断が重要、ということになりそう。

とりあえず現段階では、キット表面の傷(窪み)を埋めたり、欠けを補ったり、シャーシを車体と合わせてみたりの基礎工作中。

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季節労働の終わり

●いやもう、日記なんて書いてる暇ないんですよ本当に。……なんて状態の数週間を過ごした挙句、今年の「神保町通いの季節労働」はほぼ終わり。あと数度、後片付けに行く程度。

木曜日、「問い合わせが来たら対応できるように」と神保町の事務所に行くが、数日前までの狂騒が嘘のように脱力して座っているのみ。帰りにK女史、P女史と3人で九段下のファミレスにパフェを食いに行く。侘しい打ち上げだなあ。

F1030817 ●仕事が切羽詰っている時は(夏から秋にかけてずっとそうだったのだが)、今日は夕飯をどこに食いに行こう、というのがほぼ唯一の楽しみ。神保町はその点、比較的恵まれていて、値段が手頃で味もよく満足感が高い店がそこそこあって、そういう店にはシーズンを通して何度か行くことになる。

先々週、「今シーズン最後のチーム3人揃って夕食」は、タイ屋台料理のティーヌン。もともとそんなに高い店ではないが、ちょうど開店何周年か何かで、人気メニューのトムヤムクンラーメンやグリーンカレーなど4品ほどが半額だった。嬉。写真は1人1本取ったエビの串焼き。

F1030816 ●上の仕事とは別件で、明治に関するとある本(というよりムック?)の制作に関わっており、上の仕事に引きずられて遅れに遅れていたのだが、そちらの最後の原稿も入れて、私の担当分は終了。

明治の海軍について少し書く必要があり、右のような本を引っ張り出す。

人が殴れるくらいに厚くて立派な装丁の本だが、艦船は趣味の範囲から外れるので、この本も自分で買ったわけではなく、確かどこかで本の整理を手伝った時に出てきて貰って帰ってきたもの。どうも私が持っていても宝の持ち腐れだし、時々、古本屋に持って行こうかと思いながらも手元に置いてあったのだが、初めて役に立った。もっとも、明治初期には「戦艦」というもの自体持っていないので記述は短く、読んだのも最初の20ページくらい。……うーん。やっぱり宝の持ち腐れだな。

F1030819 ●事務所に出掛ける際、逗子駅前で、目の前に、ダ=ヴィンチのヘリコプターかお前は!というくらい見事にくるくる回る枯葉が落ちてきた(いや、ダ=ヴィンチのヘリは実際にはよく回らないのかもしれないが)。

当然、その見事さを見せるには動画を載せるしかないのだが、携帯の動画撮影機能で上手く飛ぶ様子を追えるとは思えず、結局普通に写真を撮った。

……まあ、これじゃ本当にただの枯葉だけれど。

●今日の余計な知識。

かれこれ20年くらい前の夏、エストニアのタリンに行った時に、真っ白い綿毛がたくさんふわふわと舞っていて、これはこのあたりの夏の風物で、トーポリという木の綿毛だ、というのを教わった。というわけで、ロシアやバルトの夏はトーポリの綿毛が飛ぶ、というのは知っていたのだが、数日前、ふとしたはずみで調べて、今更ながら判明したこと。何のことはない、トーポリというのはポプラのことで、例えば札幌あたりでも、ポプラがたくさん生えていればあの綿毛は飛ぶのだそうだ。

●今日の余計な知識2。

しばらく前に「スノーボールアース仮説」の本を読んだ折に「アルベド」(惑星や衛星などの光の反射率のこと)という単語を知ったのだが、それについて最近また新たに知ったこと。地球のアルベドが0.37であるのに対し、月のアルベドはわずか0.07だそうだ。

満月は明るいなあ、などと思っているが、月の夜に見る地球はもっとはるかに明るいわけだ(でかいから、だけでなく)。

なお、金星のアルベドは0.65だそうだ。さすが明星。

週末模型親父さんのところで年末の模型コンペ、「SUMICON 2011」が開催されている(10/1~12/31)。私も(無謀にも)BOTONDのチャバで一度は申し込んだのだが、ほとんど手を付けられないうちに11月に食い込んでしまった。

車体前部をなんとか合わせようと調整しかけてみたのだが、どうにも難物で、この調子だと合わせを調整しているうちに今年は終わってしまいそうな気配。結局、お題の変更を申し出る体たらくとなった。

チャバと並行して少しだけいじり始めていたネタにHellerのソミュアがあるが、これこそ1、2ヶ月でどうにかなるキットとは思えないので当然パス。「チャバと同じくらいマイナーなネタ」ということで、ARMOのwz.29装甲車を引っ張り出すことにした。

F1030808 ●ちなみにソミュアは、まだ「ちょっと手を付けてみました」段階で、ご覧のように車体下部を貼り合せた程度。車体下部はキットでは4分割だが、実車は左右2分割なので、今後、少なくとも完成時に見える前面・後面は、それらしく工作する必要がある。

砲塔が2つあるが、上は(キットの砲塔の形があまりよくないので)改造用に持ってきたタミヤのシャールB1bisのもの。ただし、Bibisとソミュアとでは、基本、同系の砲塔ではあってもだいぶあちこち形状が違うので、これをソミュアに使えるようにするには切ったり貼ったり伸ばしたりする必要がある。それじゃあキットの砲塔を切ったり貼ったり伸ばしたりしても同じなんじゃないか……と自分でも思わなくはない。

F1030814F1030811bちなみにこれはグンゼ版で(我が家には作り掛けの本家エレール版もどこか棚の奥底に眠っているはずだが)、本家版と比べて最大のアドバンテージはインジェクションの履帯が入っていること。

ご覧のようにものすごく出来がいい、というものでもないが、元のベルト式はディテールがプアなうえに固いのでこれは有り難い。

大判のデカールも綺麗だが、長年死蔵している間に、クリア部が少し黄変してしまった。

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