馬鹿と煙
というわけで、(先日書いたように)材木座の光明寺がお十夜法要のこの数日間、山門に登れるというので嬉々として出掛ける。写真は総門(寺の最初の入口の門)から見た山門。
鎌倉で一番でかい寺といえばまず建長寺、次いで円覚寺という感じだが、山門だけはこの2つの禅寺に比べ、光明寺のもののほうが一回りも二回りもでかい。門それ自体を見比べることができるページは、例えばこちら。
神保町に仕事に出掛ける前、午前中に行ったので、境内の屋台はどこもまだ準備中だったが、その分まだ人も少なく、ゆったり見ることが出来た。拝観料を払ってやたらに狭い階段を登る。
実際に登ってしまうと、せいぜいビルの3階くらいの高さしかないうえ、どんよりと曇った天気だったので鎌倉湾側の景色もいささかぱっとしなかった。
一方、門の2階内部には釈迦三尊像に四天王、羅漢像がある。実際には、四天王は2人欠けて二天王、十六羅漢も出席率3分の1程度で、残りは修復中。来年復帰予定だそうだが、それでも、ガラス越しとはいえ間近に見られるうえに撮影自由なのは、なんだかとてもお得感。
その後本堂で少しだけ法要の様子も見る。浄土宗なので、騒がしいドンジャラはないが、大勢の坊さんの念仏の唱和は(時々ソロパートもあったりして)、少しだけブルガリア民謡の合唱を思わせなくもない。
さすが浄土宗関東総本山だけあり、「○○県○○寺」の札を掲げた坊主に引率された、妙に遠足っぽい檀家ご一行などがやって来るのとすれ違いつつ、仕事に出掛ける。
●そういえばそもそも「お十夜」ってのは何なんだ、と後になってから調べる。
曰く、浄土宗の寺院で主に行われる念仏会(ねんぶつえ)で、どうも「十日十夜善行を積むと、仏の国での千年の善行に勝る」とお経にあるのにちなむ行事であるとか。「~をすると、~に匹敵」という繋がりから、マニ車を連想する。
経典の入った筒をくるくる回すと、それだけで経を読んだことになって功徳を積めるというのがマニ車で、その「いいのかそんなズルして」感がとっても素敵だが、最近では、「PCのハードディスクに経典をブチ込んでおけば、従来のマニ車の比ではない超高速回転で、ものすごい勢いで功徳が積めるのではないか」という着想に基づく、デジタル・マニ車というのがあるそうだ。素敵過ぎ。
●馬鹿と煙繋がりで言うと、実は11日で禁煙1周年。どうだすごいだろうと喫煙者諸氏に威張るつもりは全くなく、常に金欠身分の私にとって流石にきつい値段になったので致し方なくやめただけで、むしろ今でも結構羨ましかったりする。
そもそも、しょうがないから禁煙するかー、と思った時点であれこれwebで体験談だの相談だのを見ていて、「○○経ったらもう吸いたくなくなる」(○○の中身は1ヶ月だったり3ヶ月だったり半年だったり)という文句をよく見たが、一向に「吸いたくなくなる」境地には達しない。「3ヶ月も続けばもう非喫煙者ですよ」というような話もあったが、個人的には、1年経ってもまだ「禁煙中」であって「非喫煙者」になれた感覚もない。いやまあ、一応体内のニコチンは抜けたと思うので、もし仮に今深々と煙を吸い込んだらひっくり返っちゃうだろうけれど。
部屋の中の作り掛けの模型だの本だのが煙草の煙で燻製になってしまうことがなくなったのはメリットだが、一方で、この一年のMINTIAとガムの消費量は半端ではない。ちなみに、MINTIAの黒(Dry Hard)があるとボリボリと食べてしまう癖が付いてしまったのだが、どうもあれはあまり一度に沢山食うと口の中の皮膚が弱くなるようで、上顎の内側がボロボロになったりする。
とまあ、一部の身近な喫煙者からは「スタバ野郎!」(店内禁煙のスタバに入れるヤツ、の意)などと罵られつつ、気弱な禁煙続行中。それにしても、(もう時効だろうから言うけれども)高校生の時から吸い続け、しかも割とヘビースモーカーの部類だった煙草を、特別な何か治療のようなもの無しで止められるとは思わなかった。まあ、この先また転ぶかもしれないけれど。とりあえず1年続いたのでメモだけは残しておこう、ということで。
●釈然としない話。
(財)地図センターというところが行っている「地理地図検定」というものの例題を見ていて、こんな問題に行き当たった。
下の①~④の国のうち、東京の真西にはないのは、どの国ですか。1つ選びなさい。
①韓国 ②トルコ ③インド ④タンザニア
答えは②のトルコなのだが、なぜそうなるかといえば、東京を基点に経線に直角に線を引くと、その線は緯線とは重ならず、南にずれていって赤道を越え、東京から見て地球の真裏を通って戻ってくるからだという。確かにその線の引き方なら赤道より南のタンザニアを通るし、トルコが外れる(一方、もし東京と同経度ということだと、インドはぎりぎりカシミールの北部が引っ掛かるかもしれないが、タンザニアはもちろん、トルコも外れてしまうかもしれず、問題自体成り立たなくなる可能性がある)。
実際、正距方位図法、つまり中心からの距離と方位が正しいという前提の地図で直線を引くとそうなるのだから、それが正しい方位の考え方なのだろうが、どうにも釈然としない。
というのも、仮にその「真西を指した線」を進んだ場合、その途中では決して真西を向いていないからで、その線上で正しく真西を向くポイントは、出発点の東京と、その真裏の2点しかない。一方、、「東京を発って常に真西に進む」線を考えた場合、これはいわゆる「等角航路」の線だが、進む地点のどの場所でも経線と直角なのだから、要するに緯線に沿って進むことになる。
どうにもこの、「東京から真西」に引いた線と、「東京を発って常に真西に進む」線とはチガウ、というのがキモチワルイ。いや、東西という概念がそうなんだから文句を言うな、と言われてしまえばそれきりだが。
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コメント
私も禁煙…非喫煙者になって丸4年です.
やはり学生時代から26年位吸っていて,止めるときにはきっぱりやめました.
私はもうたばこには興味なくなりましたよw
ちなみに,ロンピー等キツイのが好きでした.
一日に1~2箱位.
最後はechoを15年位吸ってましたねw
投稿: eddie六六六 | 2011年10月14日 (金) 06時27分
>eddie六六六さん
うーん。どうもあれこれ見聞きするところ、やめるとなったらきっぱりやめて、もう見向きもしない人と、苦労する人とがいるような。eddieさんは前者? 私はどうも未練たらたらです。
仕事をしていても、一段落したときに
「くっはぁ! ここで一服したらうめぇだろうなあ」
などと、今なお思ったりします。だめぢゃん。
ちなみに、私は最後はKENTの6mmが基本でしたが、昔から決まりきった1種類を吸うというよりは、その時その場で吸いたくなったものを吸うという感じで、その他ジタンとかラッキーストライクとかキャメルとかも好きでした。ビディも好きだったし。
投稿: かば◎ | 2011年10月14日 (金) 14時17分
スタバ野郎!ってのを言うてみたいわけですが、脳内で「この素束野郎!」って変換してから言い放ってしまいそうで怖いです。
素で禁煙してるヤツが束になってワラワラしてるスタバ。
くちょ~。そんなことばっか考えてるから、いつまでたっても禁煙できないんだ~ぃ。って、無理やりな言い訳を考えてみた喫煙歴うん十年のつんきちでしたw
投稿: つんきち | 2011年10月14日 (金) 19時54分
>つんきちさん
おや。つん姐さんも喫煙者でしたか。
なんとも未練がましいことに、しばしば煙草を吸ってしまう夢を見ます。結構リアルに銘柄ごとの味をしっかり再現した夢で、我ながら苦笑もんです。
ちなみに、神保町の事務所で「このスタバ野郎!」と言われるわけですが、スタバはコーヒーの味自体は好きなものの、あのいかにもアメリカン・エグゼクティブ気取りな雰囲気は好きではなく、堂々と入れる資格を得た今でも、実は滅多に行きません。罵られ損だなあ。
投稿: かば◎ | 2011年10月15日 (土) 18時50分
もし、かばさんとお会いすることがあったなら、目の前で美味しそうに一服しちゃうだろーな(笑)
喫煙者には肩身の狭い世の中になってまいりました。
もちろん相方もそうなのですが、友達も男女問わずほぼ皆喫煙者なので、飲食店に入る時は気ぃ遣います。
明らかに禁煙、なおかつオコサマがいそうなところには殆ど入ったりしないって言うオトナルールに基づいて、日々行動しております。
投稿: つんきち | 2011年10月15日 (土) 23時29分
>つんきちさん
これは何かちょっと不思議なんですけども……。
禁煙したら、目の前で誰かに吸われると堪らないだろうなと想像していて、また、以前実際にそんな話を聞いたこともある気がするんですが、意外なことに割と平気です。
また、煙草吸ってた時期は、酒を飲むとますます煙草無しではいられなかったのですが、これまた、酒の席でも、しかも隣で吸われても割と大丈夫です。
まあ、最初に書いたように「吸いたくなくなった」わけでは決してなくて、「吸いてぇなあ」と思っている気持ちがコンスタントに続いているだけ、ということなのかもしれませんが。
それにしても、仰るとおり、喫煙者には面倒な時代になってきました。自分が吸っていた時期でも、生理的に煙草がダメな人がいる以上、吸う時や場所は気を使うべきとは思ってましたが、なんつーか、「煙草を吸うこと自体が許せん」とか、「煙草吸ってる奴はいくらいじめてもOK」みたいな禁煙ファッショ的風潮も一部にあるのは(煙草を止めた今でも)行き過ぎだろう、と思います。
もっとも、ン十年前みたいに、駅のホームの柱ごとに灰皿がかかっていて、ラッシュ時でも煙がもうもう、みたいなのと比べれば、今の方がマトモだとは思いますけれども。
投稿: かば◎ | 2011年10月16日 (日) 23時13分