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2011年9月

台風余波

F1030659●先日の台風など、世間一般ではもうだいぶ昔のこと、だろうけれど。

台風の翌々日の散歩の際も、山道で黒や茶色に縮こまって枯れた葉が目に付いて気になっていたのだが、どうやらこれは、台風で巻き上げられ、吹き付けられた潮に焼かれてしまったものらしい。

逗子・鎌倉の山々を見ると、まだ名残りのセミが鳴いていたりするのに、すっかり紅葉が始まってしまった感じ。いや、紅葉は始まりでも多少は色味がある。こちらは、単に「枯れただけ」という感じで、殺伐としている。

F1030660F1030671もちろん山の木だけでなく、あちこちの庭木や街路樹などにもかなりの損害あり。右は、我が家の前の斜面の灌木と、鎌倉駅前の銀杏。

潮焼けは木の種類によってもだいぶ違い、サクラなどの葉が(というより葉の表面の“コーティング”が?)薄そうなものほど派手にやられている。

やはり風が吹き付けた南側ほど潮焼けがきついようで、写真の銀杏の木も北側は緑が残っている。

●その台風で、逗子マリーナ突端の防波堤が崩されてしまったという話を聞いて、仕事に出掛ける前に見に行ってみる。

F1030665確かに見事に崩れていて、破壊されたコンクリートの塊が手前に転がしてあったりする。いや、それにしても、こんなに簡単に崩れていいものなのか?

写真は崩壊地点で、崩れた向こうに江ノ島と稲村ガ崎が見える。夕方や朝、光の方向がよければちょうどこの方向に重なって富士山も見えるはず(実はこの写真でも、拡大すればごくかすかに見える)。

●仕事、あれこれ紛糾中。

F1030668 27日火曜日、例によって夜になっても神保町の事務所で仕事をしていたところ、C社長とC社長の知人・友人連と食事に行こうということになり、現在の仕事チーム3人で混じって、九段下の「おかってや」に。安く魚を食わせてくれる店で、久々に刺身など食いつつ、浦霞を飲む。

●酒を飲むことは希でも、結局夕飯は神保町界隈で、現在の仕事チームであるK女史、P女史と3人で食べることが多い。

29日木曜日は、なかなかお腹が空かない、というP女史を残して、K女史と食いに出る。あまり食事にテンションが上がらず、近所の吉野家でも行くかあ、などと言いつつ出掛けるが、途中で思い直し、K女史お薦めの“肉そば屋”に行く。なかなか美味かった。いやあ、思い直してよかった。

壁に「ルービロポッサ」のポスターがあり(単にレトロなサッポロビールのポスター)、K女史と、そもルービロポッサとは何物であるかにつき考証する。

私は、アマゾン流域あたりで発生する何か自然現象のような(ポロロッカとかアレ系の)ものと想像したのだが、K女史は小さな自動車メーカーではないか、という。

  • 35歳あたりで大手自動車メーカーからスピンアウトしたマニアックな技術者が
  • 北イタリアで設立したカロッツェリアで、
  • ひどく野心的な車の開発・発売計画をぶち上げ、そこそこ予約を集めるが、
  • 実際に完成した車は燃料系統に致命的な欠陥があり、
  • 10両あまりで生産はストップ、残りはキャンセルされ
  • 会社はたちまち倒産しメンバーは離散。

などといったありがちなストーリーを考える。

●肉そば屋に片桐仁似の店員がおり、

「お兄さん、片桐仁に似てるって言われない?」

と訊ねて通じるかどうかK女史とこそこそ話す。結局何も言わずに店を出るが、

「ぎりぎりぎりぎりじんじん、ぎりぎりぎりじんじんじん。
 肉そばがー、美味いんですー。
 大盛りもー、出来るんですー……
 ぎりぎりぎりぎりじんじん、ぎりぎりぎりじんじんじん」

などと怪傑ギリジンの替え歌を歌いながら事務所に帰る。

……バカだ。

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発掘(レベル72:IV号戦車、ホビクラ48:カーチス・ホーク75)

●本日9月25日は親父の一周忌。1年、あっという間だったような気もするし、仕事中、母から急を告げる電話を受けたのはもうずいぶん昔のような気もする。

昨24日、川崎の実家へ。一周忌の法要、と呼ぶほどのことはせず、ごくごく小ぢんまりと、家族と近場の親戚だけで墓参りと、揃って昼食。

●当「かばぶ」の製作記を見ていただいても判るように、昔からキットに手を付けてはある程度作って仕舞い込んでしまう、というのを繰り返して来ているわけだが、おかげで、押入れだの天井裏だのを漁ると、

「えっ、こんなとこまでやってあるのか」

状態のキットがゴロゴロ出てくる。

以下の2つは最近の発掘物。

F1030641レベル1:72、IV号戦車H型

一部パーツ(排気管、車長ハッチ)を取り付けていないのと、やろうと思ってやっていない追加工作(砲塔の手すりなど)を残して、ほぼ工作の終了しているもの。

ミニスケールとしては新世代のキットで、スタイルも細部ディテールも秀逸。履帯も部分連結済みのプラ製で、このスケールでは充分な出来であると思う。

ただ、雰囲気を若干損ねているように思うのが、そのまま組むと、どうも誘導輪が下に振られ過ぎに見えること(誘導輪の軸は基部ごと後面板と一体)。私は履帯まで組んでしまってから気付いたので未修正。ただし、キットにも付属しているが、もし車体シュルツェンを装着するならほとんど気にならないかも。

アンテナケースや雨どい、右フェンダー前部のブリッジ状の支持架など、追加箇所は色が違うので判るが、キットのパーツを削ったりした箇所は、もうどこをどうしたのか覚えていない。折角掘り出したうえ、工作はほとんど終わっているので、今度暇なときに塗って完成させてやりたい。

ところで、前述の右フェンダー前部のブリッジ状の支持架。これは実車ではF~G型あたりから付いているようなのだが、一体何のために追加したものなのだろう? 単にフェンダーの強度が足りませんでした、ということなら左右ともに装着しそうなものだし、謎。

ホビークラフト1:48、カーチス・ホーク75M/N/O

一時期のホビクラは48で穴になっている機種を次々に出してきて、しかもその多くが、

「出してくれて嬉しい! 嬉しい……んだけけれど、もうちょっとスタイルに気を使ってくれたら(泣)」

という感じで大いに悩ましいメーカーだったのだが、このホーク75/P-36シリーズもそういった悩ましい系の一つ。

それ自体もあまり褒めたことではないが、要するにどこかのキットをお手本にしているものはそのお手本なりの感じに仕上がり、お手本がないとどんどん崩れる傾向がある。モラン・ソルニエ406なんて、もうどうしてくれようか、というくらい似ていなかった。

それに比べれば、このホーク75シリーズはまだマシと言える。カウリングが四角くても、翼端の反り上がりがなくても、そもそも全体的にラインがピリッとしていなくても。

F1030651で、久々発掘したキットは、そのあたりを多少何とかしようとした形跡が多々残っており、何だか「昔のオレのやる気を見たぜ」という感じ。

……いや、やる気があるなら最後まで作れって。

私の持っているキットは輸出型の、固定脚、ライト“サイクロン”エンジン装備型だが、右写真の右側が、キット付属のエンジン。あまりに貧相なので、持って来たのが左側、タミヤのバッファローのエンジン。

ちなみにタミヤのバッファローのエンジンが余っているのは、フィンランド型改造パーツ使用のために胴体前半を切り飛ばしたため。すげ替え用機首にレジンのエンジンも入っているので、元のパーツは余る。ただし、そうやって切り刻んだバッファローは、その後、もっと手間要らずのクラエアのフィンランド仕様フルキットが発売されたので、お蔵入りになる可能性が……。南無南無。

F1030653なお、このホーク、胴体と主翼をそのまま組むと下面にだいぶ段差ができるようだ。主翼の取り付けをちょっとだけ下げて上面のフィレットを削るか、それとも下面の胴体をゴリゴリ削るか、今後の思案のテーマ。なお、ここで問題となるのは主に後縁のほう。前方も段もスキマも出るが、実機でも中央の出っ張り部分は、キットの位置にスキマがある。

ちなみに翼端は何となく反り上がりを再現する涙ぐましい工作済み。平面形はそのままで反り上がりにだけこだわっているのが変。

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台風一過

●22日木曜日。台風一過の雲が目に痛いほど。

……が、それよりも、家から道を隔てた山の下り斜面がどうもおかしい、と思ったら、なんと桃の木が台風で、文字通りの“根こそぎ”に打ち倒されていた。

個人的には鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れたのに匹敵するくらいのショック。毎春、花を楽しみにしていたのに。

●夜、比較的早めに仕事を切り上げ、K女史の発案で、チーム3人で馬喰町までカレーうどんを食いに行く。数駅とはいえ地下鉄まで乗って食いに行くカレーうどんとは如何なるものかといえば、「千吉」というカレーうどん専門店(うどん専門店、ではなく)。

吉野家系列のチェーン店とのことなのだが、これが不覚にも(なんて言うと失礼だが)美味かった。出汁で割った和風のカレーが掛かった普通のカレーうどんではなく、インド風ではないのだけれど東南アジア風ではあるかもしれない、クリームカレースープ風のスープ。しかもデフォでご飯付き。関西風に麺類にご飯がないといやな人向け、ではなく、うどんを食い終えたあとにスープに入れて雑炊風にして食う用。

●23日金曜日。秋分。

先日クズについて書いた余波でつる草をあれこれ見ているうち、そういえばヤマノイモの「むかご」は食えるものだということを知っていながら今まで食ったことがないなあと思い至り、しかも簡単に茹でたり炒ったりして塩を振って食えるというのを知って、俄然試してみたくなる。

一応、秋の実りのうちではあるらしいので、午後、“近所の山”であるところの名越の峠道に行ってみる。山道は先日の台風で叩き落された枝や葉が積もって若干歩きづらかった。

で、目当ての「むかご」はほとんど見付からず。まだ時季が早いのか、それとも台風で叩き落されたのか。「ちょっと山道に入って、あったら取ってこよう」くらいのつもりで出たのに、結局、それなりの「散策」になってしまい、名越切通しから大切岸上を越え、ハイランドへ。

F1030622そのまま衣張山にでも登ろうかとも思ったが、右にそれて、初めての「巡礼古道」なる道を辿ってみる。

最初はハイランドの新興住宅地に沿った単なる遊歩道的公園で、どこが古道なんだかと思ったが、その先で山道へ。道のあちこちに「庚申塔」と彫られた石板が置いてあり、さらに報国寺方面に抜ける少し手前には磨崖仏の地蔵菩薩もあったりなぞして、古道らしいところもある。

人里に降りて後、そのまま報国寺には抜けず、華頂宮旧邸前を通って再び山に登る。

●途中で見かけた、ちょっと秋らしいかなという写真を3つ。

F1030631 F1030614 F1030619

左はまんだら堂跡上あたりで見掛けたキノコ。さすがに「キノコ狩り」は、素人には怖くて出来ない。

中はハイランドの住宅地脇、おそらく台風で盛大に落とされたドングリ。

右は巡礼古道の出口あたりで見掛けた山栗のいが。中身はすでに抜かれた後。惜しい。逗子に越してすぐの頃は家の前の坂の下にも山栗の木があり、2度ほど拾って焼いて食ったが、今はもう家になってしまった。

F1030601●帰り道、ハイランドまで戻ったところで、遊歩道の植え込みのクモの巣に掛かったセミを横取りしてバリバリ噛み砕いているスズメバチ(キイロスズメバチ?)を発見。

ジョロウグモの巣なのだが、クモもスズメバチには手出しが出来ないらしく、離れた場所から恨めしげに(?)見ているだけ。

F1030597 ●そこからまた名越の峠道を辿るが、名越切通しには戻らす、大切岸から法性寺に降りる。

が、山道からちょうど法性寺の墓地に降りるあたりを、台風になぎ倒された木が塞いでいた。崖際から倒木を越えて振り返って撮った写真が左。倒木の下や向こうにもいくつかお墓がある。

●帰宅後、わずかに取り集めた「むかご」をフライパンで炒って、塩を付けて食った。まあなんというか、特に意外性もない、予想通りの味だった。

ちなみに、しばらく前までヤマノイモ(自然薯)は、同じくヤマイモと呼ばれることも多い、八百屋でよく売られているナガイモとかヤマトイモとかの野生種なのかと思っていたのだが、実際には同属だが別種の植物なのだそうだ。

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台風襲来

●沖縄沖でぐ~るぐると何をしてるんだか状態の軌跡を描いていた台風15号だが、よせばいいのにその後俄然やる気を出してしまったらしく、ほぼ日本列島縦断。

●20日火曜日。

台風のおかげで夜には天気がほぼ確実に崩れそうだったので、「早めに出掛け、早々に仕事を片付け、翌日は都内に出ないで済むよう準備して早めに引き上げる」という方針で神保町に出向く。

それなのに、夕方4~5時には終わろうと思っていた仕事が(個人的に)大混乱に陥り、結局、事務所に最後まで居残ってギリギリ終電で帰る羽目に。

日付が変わって逗子駅を降りたときには激しい雨で、家にたどり着くまでにズボンの裾も靴の中もびしょ濡れになった。

●21日水曜日。

大荒れ。各種警報の大安売りで、携帯に届くように設定してある「防災逗子」のメールも次々に届く。家はきしむ、サッシのガラスはたわむほどの久々の本格台風直撃。

さらに午後になって、ブチッと停電してPCが落ちた。しばらくして一応回復したものの、その後も頻繁に明かりが瞬間的に切れる状態が続き、怖くてPCを立ち上げられない時間が続く。こんな時には内蔵バッテリーが使えるノートを1台は持っていたいと思う。

こりゃ、無理にでも神保町に行くべきだったかとも思ったが、ニュースでは交通網もズタズタになっており、やはり出なくて正解だったようだ。

激しい風雨に混ざって消防車のサイレンが絶えず。がけ崩れ等発生しているのではと想像。

夜になって収まる。それにしても次々天災の多い年であることよ。

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材木座近辺のトンネル

●とにかくクソ暑い連休。19日月曜日午後、仕事は全然進んでいないが、篭りきりで鬱屈してきたので、一念発起して久々の散歩。そりゃ、これだけ暑けりゃ一念発起も必要になるって。

かみさんからの、この暑い中、なんて酔狂な、という当然至極な白い目に送られながら家を出て、とりあえず小坪漁港/マリーナ方面に向かう。

F1030589●姥子台入口にあるトマソン。いやはや、どうにも懐かしい単語ですな。

分類としては典型的な無用階段。

●マリーナまでは出ず、手前で折れて、姥子台に上る。

本日の散歩のとりあえずの目標に据えていたのが、逗子・小坪と鎌倉・材木座を隔てる飯島崎近辺のトンネル巡り。

最初は小坪・姥子台(うばこだい)上-材木座間の「小坪隧道」。

どういうわけか逗子には同じ「小坪隧道」の名を持つトンネルが2本あり、もう一つは、逗子の久木地区と、小坪地区の北端をかすめて鎌倉大町の名越とを結ぶ6本のトンネル群の中の一本で、有名な「小坪のお化けトンネル」はそちら。「小坪トンネル」と言うとそちらを想像する人が多そうで、こちらは恐らく「姥子台のトンネル」と言ったほうが通りがいい。

上2枚が小坪側、下2枚が材木座側。かなり急勾配で、おそらく大正あたりに掘られたトンネルで、急勾配なうえ、車道としてはだいぶ狭く、現在、車輌は材木座側からの一方通行。下の写真にあるように。この狭いトンネルをバスも通る。写真に撮るとそれなりに余裕があるように見えてしまうが、実際にバスに乗っていると、針に糸を通すような神業に感じる。

F1030587 F1030585 

F1030564 F1030562

●おそらく昭和の半ばまでは、小坪の海側から材木座に抜ける道は、この姥子台の山越えと、あとは人が歩いて通れるだけの岬の突端を回る道があったかどうか、くらいなのだが、現在では、このトンネルと並行して、国道134号(旧・湘南道路)が、掘割とトンネルで姥子台を貫いている。

そのトンネルが下の二様で、姥子台側の口(左)と、材木座側の口(右)。名称は「飯島トンネル」。元が有料道路なので歩道がなく、徒歩では近寄りづらい。

F1030582 F1030568

●これよりさらに外側、岬の海っぺたも逗子マリーナと材木座海岸を繋いで「小坪海岸トンネル」が通っている。材木座側の入口。

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●とまあ、後二者の新しいトンネルは特に面白味もないが、姥子台の小坪隧道をくぐらず、小坪側入口の脇からずんずん山に登っていくと、山肌にくっついた民家の脇を縫って、その先に秘密基地の入口めいたトンネルがある。

とりあえず、人が中ですれ違うくらいは大丈夫、という小さな歩行者用トンネルだが、入口には一丁前に「住吉隧道」という扁額まで掛かっている。

だいたい、トンネルというのは山を登らなくて済むよう作るものだが、そもそも登り口の姥子台のトンネルがすでにだいぶ高所で、そのさらに上にあるこの「住吉隧道」は、もう尾根のすぐ手前。こちらもトンネル内は傾斜があり、歩道なので緩い階段になっている。

トンネルの方向としては、「小坪隧道」とはほぼ直角で、こちらのトンネルを抜けて降りると逗子マリーナの外れあたり。抜けた先を横に折れると鎌倉期~戦国期にあったらしい砦、住吉城址があり(もっとも何か遺構があるわけではなく、神社があるだけ)、その脇には、現在通行止めの、かがんで入るくらいの素掘りのトンネルがある。以前一度探検に行っているのだが、今回はそちらに折れる道を見逃してしまい、行かず仕舞い。

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●横穴ばかりではなく、多少は色気のある写真を一葉。

少し歩いただけで汗だくになる暑さだが、それでも季節は秋になったんだな、という証拠物件。早々と熟して落ちた柿。上の「住吉隧道」の少し手前で見かけたもの。

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●オマケ。小坪隧道の材木座側入口の手前を左に折れると、山の中腹に鎌倉市立第一中がある。手前に山肌を削り取って半トンネルがある。名前があるのかどうか、調べるのを忘れた。

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F1030554●今回のトンネルは以上でお終い。市立第一中学は光明時の裏山にあたり、中学の前は「かながわの景勝50選」に選ばれているらしく、その石碑も立っているのだが、雑木と藪で景勝もへったくれもない。確かに、視界が開けていれば眼下に光明時の伽藍があり、その向こうに由比ガ浜、稲村ガ崎に江ノ島、伊豆箱根の山々、そして富士山と、近景遠景が重なっていて、よいはず。

光明寺の山門はおそらく鎌倉で一番立派。10月のお十夜の際には門上に上ることもできるそうだ。……というのを、このあいだ出た吉田秋生の「海街Diary」で読んで知った。の、のぼりてぇ。

F1030549●材木座からへろへろと大町、鎌倉駅前と歩く。

材木座の通りにある、知る人ぞ知る文房具・おもちゃ屋、アメリカヤは今日もばーちゃんが1人で店番をしている。

こういう古い文房具屋・雑貨屋は何か変なお宝がありそうで(いやまあ、大抵はそんなものはないんだけれども)、一度入ってみたいのだけれど、店が小さすぎて、入ったら最後、何も買わずに出るのは申し訳ない気がして未だ入ったことがない。んー。今度花火のばら売りで線香花火でも買うかな。

それにしても「アメリカヤ」なんて、いったい戦時中はどんな名前で営業してたんだ、と思ってから、いやいや、流石に古めかしくても戦後の開業なんだろうと思い直したのだが……後から調べてみたら、鎌倉市HPの「鎌倉お店紹介」にまさにこのアメリカヤが出ていて、なんと大正末年の開業だそうだ。驚愕。

F1030536 ●小町通りで小町団子を買い食いして帰る。以前にも書いたと思うが、ここのみたらしは、甘すぎないタレと焦げの香ばしさが絶妙。1本150円はちと贅沢な気がするけれど。

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もしドラ

F1030531F1030529●ありふれた野生のつる草といえば、(少なくとも東京近郊では)まずはクズ、次いでヤブカラシにカナムグラあたりが御三家で、ちょっと下ってヤマノイモ、ヘクソカズラ、サルトリイバラ、カラスウリといった具合。

(……あ。サルトリイバラはひょろひょろしているけれどつる草じゃないのか。)

なかでも繁茂力に関してはクズは別格で、ツルも太く丈夫だし、あれよあれよとその辺を覆い尽くしてしまう。我が家の前の坂も、中途の斜面はあちこちがクズの天下になっている。海外で「侵略的外来種」として猛威を振るっている面目躍如といったところ。

天然葛粉や葛根湯の材料としてクズの根がもっと高値で買い取られるなんて状況があれば、頑張って掘り返すがなあ。

まあ、そんなふうにやたらに茂るし晩秋には臭いマルカメムシ大発生の母体にもなるので邪魔者ではあるのだが、今の季節だけは、柄に似合わぬ綺麗な花で楽しませてくれる。なお、逗子近辺では時折見かけられるウラギンシジミの幼虫は、この花が食草なのだそうだ(葉ではなく)。

●AM最新号はドラゴン特集。パラパラと本屋で立ち読みしたのだが、いまひとつピンと来ず、購入しなかった(ドラゴンが、ではなく特集の内容が)。

他企業を口汚く罵るヒロシのブログみたいなのを存続させておくのは倫理的にどーなのよとか、企業姿勢には言いたいことはあるにしろ、(特に35AFVの)モデラーにとってドラゴンの動向は外せない関心事で、

もしもドラゴンが○○を出したら

という想像は、わくわくネタでもあるし、一方で、ちょっとアレな旧製品のストックを多数抱えていると戦々恐々でもある。

……ではあるのだけれど、いまさら、「ドラゴンってこんなキットを出しているメーカーです」とさらっと紹介するような特集はどんなもんだか、と思う。

●ドラゴン絡みの連想。

女優の宮崎あおいのダンナ(であるところの俳優)のtwitterでの発言にも、それに続くフジテレビや花王へのデモ騒ぎにも、個人的には激しく筋違い感を覚えるが、この調子で行くと、そのうち、

マジはっきり言って今は模型屋に行かない。ここは中国の模型屋かと思った。

とかつぶやくヤツが出てきて、イエサブの回りでデモ行進する輩まで出てきそうな、と思ったりする。いや、モデラーにテレビ視聴者ほどのボリュームがあったら、本当に出てきそうな気がする。

現在、最近出たばかりの「ローマ人の物語」文庫版41巻を読んでいるが、そこに「人間社会とは、活力が劣化するにつれて閉鎖的になっていく」とあって、まさにそんな感じだと思う昨今。

週末模型親父さんのところで、年末の模型コンペがあって、前回48をなんとか完成させた余勢を駆って(なのか?)、参加表明。開始は10月。今のところ、ネタとしては、しばらく前に3分割の車体上部のうち2つだけ下部に合わせたままの、Botondのチャバ装甲車を想定。

●仕事進まん。

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BT-42の重箱の隅(8)

●素直に作れば組立は1日で終わってしまうようなキットに何をしてるんだか、状態な製作記その8。

F1030515 ●今さらながらのことなのだが、キットの操縦手用ハッチは、蝶番のベロがすべて3つのリベット止めに表現されている。しかしこれはBT-7の1935年型でも比較的初期の生産型の特徴のようで、一般的なBT-7、およびBT-42では戦闘室上面にかかる2ヶ所を除いては溶接に変更されている。

……ハッチ接着前のパーツ状態ならリベット頭を削り落とすのは簡単だったのだが、付けてから気付いたので余計な手間になってしまった。

なお、戦闘室上面の2ヶ所はなぜか3点のリベット止めのままなので、キットの状態でよい。

●前照灯を一つ、はね飛ばして行方不明にしてしまったのは先日の日記に書いた通り。

さて、キットの前照灯は、オリジナルのBT用(A11、12)は不要部品扱いで、BT-42専用にドングリ風のより深い、十字のベルト状モールド付きのもの(S2、15)が入っている。

当然飛ばしたパーツも、その専用のほうの片方なのだが、改めて資料写真を見ると、どうもこの「深いライト」がBT-42の標準装備品というわけでもなさそう。

まず、キットの指定塗装・マーキングのひとつにも取り上げられている戦後の4号車(Ps)は、1945年8月にデポで撮られたとされる横斜め上方からの写真が有名だが、左ライトは浅いタイプ。右ライトは欠損しているようだ(ただし、フェンダーの陰に隠れて一部写っているものが、深いタイプの上辺に見えなくもない)。

かなり初期に撮られた5号車(R)、6号車(R)の写真では、キットのようなお椀型管制カバーが付いているのはわかるが、ライト本体の形状はいまいちよくわからない。

現存のパロラの8号車では、右ライトは浅いタイプ、左ライトは深いタイプらしい。ただし、戦時中がどうであったかはよく判らない。

44年6月、スヴェトゴルスクでの9号車の写真はほぼ正面からなので、これまた、管制カバーがお椀型であることしかわからない。

ヴィープリおよびその周辺での被撃破、放棄車輌で写真があるのは、12号車(R)、17号車(R)、19号車(Ps)と、車番不明の1輌(例えば「グランドパワー」10/8号、p104下写真のもの。クリーニングロッドが車体後部にある仕様のようなので、おそらく番号がPsになっているものの1輌ではないかと思われる)。うち、12号車は車体前部の写真がないので不明、17号車は左ライトしか写っていないが、浅いタイプの上にどうも管制カバーが平べったい。19号車は左右ともライトが欠損している。番号不明のものは、一応片方のライトが写っているが形状不明。

――そんなわけで、結局、どうもBT-42でも一般的には鹵獲時ママのソ連製前照灯だったのではと判断、A11、12パーツを使い、その前面をちょっと削って、フィンランド製と思しきお椀型管制カバー(Q9)を組み合わせて装着してみた。

いやいやいやいや。部品がなくなったから無理矢理に理屈を付けてるんじゃなく!!

●その他。戦闘室前面装甲の下にも溶接ラインを追加してみたり、操縦手ハッチのスプリングを付けたり、砲塔ハッチヒンジのツメを付けたり。

●直接模型製作とは関係のない考え事。

(1).改装用の装甲板はどこから持ってきたのか。

戦時中のフィンランド軍AFVで、最も大掛かりな改装が行われたのがBT-42である。砲塔は下部を中心に3割程度(?)元の砲塔を残しているが、新設された後半の装甲面積は結構広い。この装甲板はいったいどこから持ってきているのだろうか。

ルーマニアのTACAMの場合、オープントップの戦闘室の周囲装甲板は、鹵獲したソ連戦車の残骸から切り出して使っているそうで、実際、ブカレストに残るTACAM R-2の装甲を見ると、ブラックジャック並みにツギハギになっている(それでも上部側面あたりはどこから持ってきているのか不思議に思わなくもない)。

BT-42の場合もまずソ連戦車由来である可能性が考えられるのだが、特に砲塔側面のほぼ正方形の装甲板は、BTやT-26では面積が確保できない(できたとしてもあちこちにリベット穴が残ってしまう)気がする。ただし、パロラの8号車をよくみると、この装甲板は上から1/4あたりに横一直線にキズのようなものが入っており(左右とも)、実は1枚板ではなく継ぎ足し品である可能性もありそうだ。

なお、前半の曲面部も上に継ぎ足されているが、パロラの8号車の現在のクローズアップ写真をよくみると、下の「元BT-7部」は割と表面が平滑だが、上の継ぎ足し部は下に比べ錆の浮きが早かったのか、表面のざらつきが大きく、材質に若干の差があることを匂わせる。

(2).BT-42は装輪走行したか。

元資料が何かは判らないが、「グランドパワー」10/8号の記事に、44年6月のヴィープリ周辺での戦いで、第1小隊の2輌のBT-42は履帯を外して行動したとある。

実際、足回りは特に改装した形跡はないから機構的には装輪走行は可能なはずだが、本来、外した履帯を乗せておくフェンダー上は、BT-42では工具箱やら何やらで埋まっており、留め具もない。

整備班か何かが随伴していて、トラックに履帯を乗せて運んでくれるとか(たった2輌の別働隊に?)、履帯自体が何かの弾みに損傷して交換する余裕がなかったとか(2輌とも?)でない限り、わざわざ外したりしない気もする。前述のように履帯を外さないことを前提とした仕様に改装されている以上、装輪状態への転換訓練なども満足にしていないように思うし。

もちろん、したかしなかったかで何が大きく変わるというわけでもなく、単に「本当カヨー」と思っているというだけで、戦闘日誌か何かに「車輪で走った」と記録されているのであれば「へー」で終わってしまう話。

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カーペットモンスター

F1030503b ●先月末の26日金曜日午後、都心ではこのところよくあるゲリラ豪雨。九段下の駅にいながら2、3分の距離の事務所にまともに行きつけそうになく、マクドナルドで雨宿りする羽目になった。

右はその後通った俎橋(まないたばし)からの日本橋川の様子。一つ上流の橋の桁に接するまで水面が上がってしまい、今にも溢れそう。流れの強さに底のヘドロが巻き上げられたのか、異様にドブ臭かった。

結局溢れずに済んで、夜にはすっかり水位が下がっていたが、どこぞに緊急放流などしたのかも。

それにしても、さらに台風(12号)までやってきて妙に雨に祟られた月末・月初で、西日本ではかなりの被害。周辺の方々、お見舞い申し上げます。

F1030513 ●東京駅で、東海道線~伊豆急の列車の行き先案内板をオークション中で、横須賀線/総武線快速ホーム上の地下改札外に展示してある。

なにやら掃除だか整理だかの折に倉庫から大量に見つかったのだそうで、収益は震災の義捐金になる由。鉄な方はどうぞ。

六鹿さんのところで、

レンズ豆はレンズに似ているからレンズ豆なのではなく、レンズ(凸レンズ)が発明された時にレンズ豆に似ていたのでレンズと名付けられた、

というような話を読む。うへー、そうだったのか。豆知識やなくて豆の知識やー。

ではレンズ豆のレンズって何なんだ? と思ったのだが、検索しても引っ掛からない。

●模型を作っていると、細かい部品を取り落とすことがある。おっとっと、落としちまったぜ、と見下ろして、すぐそこに部品があればいいのだが、まるで異次元空間に吸い込まれたかのように、どうにも見付からずに四苦八苦することもある。

英語圏のモデラーには、これを表現するいい言い回しがあって、「カーペットモンスターに食われた」と言うのだそうだ。

で、だ。

現在製作中のBT-42の前照灯を一つ、見事にカーペットモンスターに食われてしまった。いやまあ、そもそもオレの部屋、カーペットなんて敷いてないけど。マックロクロスケに食われたとすればいいのか?

普通、落として紛失というと極小の部品が主で、そもそも金属線で自作するベルト掛け部品あたりだと、あっちこっち飛ばして失くすおかげで必要数の倍作ったりするなんてこともあるくらいだが、前照灯部品は1センチ近くあるから、本来、そうそう見失うはずもない“大物”である。それなのに、整形しようと持って誤ってはじいてしまい、確かに床に落ちたと思しき「ぴちっ」という音はしたのに、どうしても見付けられない。

実は先日も、直径2センチはあるエアクリーナーカバーのパーツを落として、見つけるまでに10分か20分は掛けているから、見付からない主な理由は明らかで、それだけ部屋の中がごちゃごちゃと荷物だらけのホコリだらけなのがいけないのだ。

そもそもちゃんとした作業机で作っているわけでもないので、PCのキーボードの隙間にさえ、リベットだのプラバンの切れ端だの、だいぶ呑み込まれている可能性がある。

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