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2011年8月

BT-42の重箱の隅(7)

●若干の進捗状況。

まあ、元がドイツ戦車ほど入り組んだディテールを持っているわけではなく、キットも至れり尽くせりなので、基本は自己満足の世界。

F1030502F1030496●数箇所に溶接跡を追加。

戦闘室上面は前半だけ溶接されていて、側面装甲板との間は溶接されていない。

側面装甲板は、(キットではリベット列があるが)実車ではボルト止めで取り外せるようになっているらしい。もっともサススプリングもサスアームも、側面装甲板まで取り外さなくても交換できるように作ってある気がするので、なぜそこまでする必要があったのかよく判らない。

車体側面の第2転輪用サススプリング調節用台形パネルは、内側に一段プラバンを貼り増し、対応する車体側面板は削って、はまり込んでいる断面を再現した。

後部では、トランスミッション上の水平部と、後面の斜めの装甲との間には溶接跡がある。車体前半もそうだが、戦前の車輌だし装甲も薄いので、ソ連戦車とはいえ溶接跡はごくおとなしい。

また、側面のフィンランドで増設された装甲箱との間にも溶接線がある。ちなみにこの装甲箱、おそらく最初に引き渡された702号車のテスト中のものと思われる極初期の写真では装着されていない。

ところで、前述のように側面装甲板はボルト止めで外せるようになっているらしいのだが、箱を溶接したらもう外せないんじゃ……いや、フタを開けたら隠れたボルト全部にアクセスできるようになっているのか? それとも、「もう、こんなとこ外さねえよ」というフィンランド人の判断?

F1030501●「重箱の隅」4回目に書いたギアケース部分は最終的にこんな感じに。

リベット列が左右で色が違うのは、向かって左は先述のようにカステンのJS履帯の不要パーツから取ったが、右はこのキット自体の、側面装甲箱に隠れる部分から取ったため。

本当のことを言えば、別々の所から取ってくると大きさが微妙に違っているかもしれないし、プラの色が違うとその判別もしにくいので、こういうことはしないのが真面目なモデラーってものである。いやまあ、そもそも目立たない部分だしさ。

F1030493 ●車体最前部の誘導輪基部周りは、ちまちまと余計な工作をした。

車体側の円筒形の部分は鋼板を曲げたパイプなので裏面に溶接ラインを入れ、外側は鋳造部品なので接着剤を塗って表面を荒し、接合部ももう少し溶接っぽく見えるようにしてみた。

さらにその外側には忘れられている段があるので追加。

第1転輪サスのダンパーは、キットでは三角板パーツ(B27、28)と一体になっているが、実際にはB15、16にくっついているものなので、そう見えるように追加工作。ダンパーと向き合う第一転輪サスの「ひざ」の部分も少しだけいじった。また、写真ではごく僅かに見えているだけだが、第一転輪サスの付根の車体の出っ張りには、グリース用と思われるボルト頭があるので、これまた先述のカステンJS履帯で余るボルト頭を貼った(実際にはもう一回り小さいほうがよかったと思うが、どうせ見えない)。

このあたりは、オリジナルのBT-7では大きな前部フェンダーの裾に隠れてしまうので、ほとんど追加工作の意味はない。フェンダー改装のために多少は見えるようになったBT-42だからこそのワンポイントおしゃれのようなもの。

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Wrecked Panzer

●チビ助らと出掛けた日曜日に気付いたのだが、駅前のタクシー溜まりで見てみると、逗子に本拠のあるKタクシーの運転手が全員アロハだ。

これか? これが「まちいっぱいのハワイアン」の正体なのか?

もっとも、そのアロハの柄がすべて紺色のみで、せっかくのアロハ姿が地味なことこの上ない。沖縄のじーちゃんのかりゆしだってもうちょっと派手じゃないのか。

●事務所に行こうと自宅を出たところで、路上で潰れたカブトムシ(♀)を発見。この夏初の(そしてもしかしたら唯一の)カブトムシが轢死体というのは寂しい。

川崎市中部で過ごした小学生の頃、クラスメイトだったか近所の子だったか、虫かごいっぱいにカブトムシを持ってきて、三浦半島の親戚のところだかどこだかで採ったと自慢していたため、長らく三浦半島はカブトムシ天国のようなところなのだという印象(幻想?)を持っていた。

実際、その三浦半島の付け根の逗子に越してみると、近辺の山は雑木林だらけだし、ますます期待は高まったのだが、意外にカブトムシもクワガタムシも見かけることが少ない。

ボサノバ歌いのMOGAMI氏は府中に住んでいるが、毎年盛夏には夜ごと網戸にびっしりカブトムシが来るそうだ。市部とはいえ西の山地に掛かっているともいえない府中で逗子以上とは、どうも納得いかーん。カブトムシ原理主義者の陰謀かなにかか?

(注)カブトムシ原理主義:自然保護・環境保全の度合いはただ一点、カブトムシの数によってのみ測られるとする国粋主義的グリーン・テロリズムの一派。あーすみません、今作りました。

●月の初め、腹丁青木氏より、

「今度のコミケでこんな本が出るんだが,買いに行きたくならないか.」

というメッセージを貰った。

確かに気になるのだが、そのためだけにあの喧騒の中に行くというのはちょっとアレだなあと思いつつ頭の隅に引っ掛かっていたのだが、つい先日、MIXIに丞さんが通販で買ったという書き込みがあり、加えて「イエサブにも入荷しているらしい」とある。値段も1000円とメシ代1食分で何とかなる手頃さなので(←ビンボ臭い)、早速買いに行く。

その後セータ☆氏のブログを見たら、秋葉原に寄らずとも、今の仕事先のお膝元、神保町のグランデにも入荷していたのだった。東大モトクロス部。

ついでに触れておくと、セータ☆氏のところのコンテンツ、GIZMOLOGIC MEMOでKVの珍しいタイプの転輪の話がUPされており、ソ連戦車者、特にKV者は必見。

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謎電話の捕捉

●15日月曜日に逗子駅で食ったパンを皮切りに、なんだか先週は慢性的に胸焼けしていた。

●仕事が滞り気味であり木曜の晩は事務所で夜明かしをする。蒸し暑くて帰宅する気力も削ぎ落とされたせいでもある。

金曜日は朝から雨で急激に涼しくなる。C社長の趣味の楽団の会合で事務所を夕方早目に追い出されたので、以前母に頼まれていたにも関わらず忘れていたノートを買って川崎の実家に寄る。

母が買ってあったJINROの「黒豆マッコリ」というのを飲むが、少々甘過ぎ。

Nec_1082 ●実家にいる間に、娘から「何の虫?」と大きなイモムシの写真が送られて来た。

スズメガの類じゃないかと思うが調べなきゃわからん、と応える。

帰宅後調べてみて、やはりスズメガの仲間で、おそらくコスズメの幼虫ではないかと同定。

調べる過程で行き当たったが、最近はこんなサイトこんなサイトもある。便利なもんだ。

●以前にも書いたことがあるが、1年以上前から、私の携帯電話に謎の番号から謎の電話が掛かってくる。いつの間にか着信履歴が残っているか、ちょうど気付いて取っても雑音が聞こえるだけで、どうにも気持ちが悪い。間が開くと1カ月くらい掛かってこない時もあるが、頻繁なときは日に数度掛かってきたりする。

これで相手がKGBとかゲシュタポとか特高とかだと、やべぇ探りを入れてきやがった、早く潜伏しなきゃ、ということになるが、潜伏しなくてはいけないようなことは今のところ何もしていないので放っておくのみである。しかしそれにしてもキモチ悪い。

ここのところ掛かってこなかったので忘れかけていたが、木曜日に久々に掛かってきて、出ると案の定雑音だった。さらに事務所で徹夜して金曜の明け方にも掛かってきた。

ダメモトと思いつつも、固定電話でその番号に掛けてみると、なんと人間(男性)が出た。1年以上前からしばしば掛かってきていること、つい先刻も掛かってきたことなどを説明すると、無意識に押しているらしいとか、番号は消去しますとか何とかよく判らない説明をされた。

こちらとしても、まさか人間が出るとは思わなかったので驚いてしまって特に問い詰めずに切ってしまったのだが、改めて考えると、そもそもなぜ私の番号がそこにあるのか、というのからして判らない。まあ、変な電話が掛かって来なくなればそれはそれでいいのだが、キモチ悪いのはキモチ悪いままで残ってしまった。

●吉田秋生「海街Diary」4巻が出ていたので早速買って読む。表紙の鶴岡八幡宮、まだ大銀杏が倒れてないな……。

●土曜日、逗子近辺では今年初めてのツクツクボウシを聞く。急激に涼しくなったこともあるが、夏も折り返し点を過ぎた感。

●子供がカタコトで喋って面白いのは旬のものなので書き留めておくが、先日、上半身裸でヒゲを剃っていたら、チビ助がトコトコとやってきて、

「おなかまるだしででかけるのー?」

と言われた。でかけねーよ! 

さらに土曜日だったか、階下で寝転がっていたら、腹をぽんぽん叩かれて、

「あかちゃんがいるのー?」

と言われた。いるわけねーだろ!

ところでそのチビ助は、どうにも「夜寝る」というのが嫌で仕方ないらしく、最近連日夜泣きして大人をげっそりさせている。

F1030490 ●日曜日。チビ助が出掛けたがり、大船のBOOKOFF/HARDOFFに行く。ぐずついた天気だがとにかく涼しい。

BOOKOFF/HARDOFFの店先に大きなエルモのぬいぐるみが置かれていたが、どう見ても白目を剥いて昇天している。

「それ町」の第8巻があったが、ビニールに包まれており中を覗けず。うーん。8巻は買ってあったかな。7巻までだったような気がするな。しかし買って帰ってダブるとショックだしな。なんてことを思いつつ結局買わなかったが、帰宅したらちゃんと8巻は持っていた。ボケとるな。

大船駅前のミスドでおやつ。焼いたオールドファッションに紅いもペーストを乗せた沖縄風と、オレンジリング・チョコを食って帰宅。

●少しだけBT-42を工作。

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おぼん

●父の新盆。

関東、特に東京・横浜あたりでは7月にお盆を行うことが多いらしいのだが、「奄美大島は8月にやってるから、8月でいいんじゃないか」という曖昧な理由により、8月に行うことにする。

13日土曜日に実家に行き、夕方墓掃除に行く。叔母夫婦が車で連れて行ってくれ、従弟1人も手伝ってくれたので、たちまち終わる。オレ、バケツに水汲んで、花瓶洗っただけだよ……。

行きがてら、駅前のスーパーでおがら(麻がら)を買ってあったので、墓掃除から帰った後、玄関先(というよりも、その脇の車庫の入口)で、至極いい加減な作法で迎え火を焚く。

本来は墓の前で焚いて、その火を持って帰って灯明に火を入れたりするらしいのだが、流石に車に火を持ち込んで運ぶわけにもいかなそうだし。

F1030472 ●翌14日、兄家族が来る。新盆といっても誰に声を掛けるでもなく、基本は家族のみ。義姉の新盆でもあるので、一緒に仏壇で拝む。母の作った鶏飯(けいはん)を食う。

●夕刻帰宅。そういえば母はその後、送り火は焚いたのだろうか……。

●15日月曜日昼、神保町の事務所に行く。

昼飯を食わずに家を出たので、逗子駅前のOKストアでパンと「琉球コーラ」なる飲み物を買い、駅のホームで昼食。「琉球コーラ」は、なんだか駄菓子屋のコーラ飴のようなチープな味(……という評価を、以前も「キリンコーラ」に下したような)。

F1030465 沖縄気分が盛り上がったので、有楽町の「わしたショップ」に寄り道し、以前、ポイントが貯まって貰った500円分のタダ券も使ってスナックパインやら駄菓子やらを買う。

●寄り道の末に事務所へ。地下鉄の九段下を下りた途端に機動隊と右翼の祭典みたいになっており、こんな日に靖国神社に近付くんじゃなかった、と思ったが後の祭り。もっとも事務所までの道のりが暑苦しいだけで、特に騒がしいとかは無し。

個人的には、靖国神社というのは「なんだかうさんくさい場所」に分類されていて、近くには行っても、境内には何年も入っていない。父も母も戦争で苦労した年代だし直接の話も聞いているから、戦死した将兵を悼む気持ちも充分にあるつもりだが、むしろそれだから余計に、誰もが皆進んで御国のために命を捧げたのですみたいな靖国の扱いや、戦没者を人質に取っているような「靖国神社を拝まないヤツは非国民」みたいな論調が不快だ。もちろん、素直に戦死者を悼む気持ちで靖国神社に詣でる人をとやかく言うつもりはない。

28133596_1267995010_163large ●連日暑いので、我が家の犬は涼しい場所を求めて玄関とか、風呂場の脱衣所の隅っことかに避難して寝ていること多し。人が通りかかると恨めしげに見上げて移動する。

玄関でへばって寝ている写真も撮ったが、右の、娘が撮った下駄箱の下に潜り込んだ写真のほうがさらに情けない。

●以前にも一度書いたが、夜遅くに帰ると鉄塔の高圧線が「ぢるぢるぢる」と鳴っている。やはり蒸し暑い夜ほどよく鳴るようだ。

●神保町のインド料理店「シディーク」は、都内あちこちにあるチェーン店の1店舗なのだが、今まで食した限り料理に外れがなく、全員インド系の店員さんの愛想もよくて良い。

F1030481 以前も書いたように店先に出ている日替わりメニューの小黒板の文字が相変わらずお茶目で、先週のとある日は

ガロ子とチキの日替ゆりカレー

だった。頑張って書いているのは判る! 判るが、ナスを漢字で書こうとするのはハイレベルを目指し過ぎだ!

ちなみに、ぐるなび東京版の「シディーク 神保町店」のページには、いつのまにか日替わりカレーの案内が手書き文字で掲示されるようになっていた。毎度毎度店先でウケていたのがバレて、販促に使えると思ったのか!?

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BT-42の重箱の隅(6)

●フィンランド軍によるソ連戦車の改修は、「なんでそんなに細かく手を入れる必要があるんだ」と思う場合が多々あるが、BT-42のエンジン点検ハッチ上に設けられたエアフィルター部のカバー(パーツF4、F17)もその一つ。

ここはまったく別物に作り替えたというよりは、(どういう必要性があったのかよく判らないが)フタの部分だけ、深く周囲を包むように延長し、上面中央に新たに通風孔を設ける形に改造してあるらしい。

単にフタの形状だけが違うらしいというのは、フタが取れてしまった状態の19号車(Ps)の後ろからの写真で、オリジナルのBTと同じ周囲のスリットが見えることから推察できる(もちろん19号車が無改造であった可能性もないわけではない)。

・さて、そのエアフィルターのカバーパーツ。F4は上面に薄くドーナツ状にヒケがあったので、取っ手のモールドを一度削ぎとって、ヒケを埋めてから接着し直した。

・このカバーを取り付けるエンジン点検ハッチ自体も、BT-7/1935年型用(B-31)とは別のパーツ(F6)が用意されているのだが、2つを比べると判るように、BT-42用のほうが、エアフィルターカバーがだいぶ後ろ(ヒンジ側)に寄っている。

最初は、1937年型では位置が若干変わったのか、それともBT-42はエンジン点検ハッチ自体作り変えてしまったのかと思ったのだが、パロラの実車写真で確認しても、そこまで後ろ寄りではない。

F1030461 ・さて、というわけで、ここから先は辻褄合わせの連鎖の工作。

  1. 上記のようにフィルターカバー全体が後ろ寄り過ぎる感じだったので、ハッチのダボ穴を埋め、カバー全体を若干前に寄せてみる。
  2. ところがそうすると、砲塔バスル後部の角がカバー中央の突起と干渉してしまうことが判明。要するにキットでは、細かい寸法の違いから生じた干渉を防ぐためにエアフィルターカバー全体を後ろに移動させてあったらしい。
  3. 仕方がないので、カバー中央の突起(F17)を極々わずかに小径に削り込み、
  4. 一方で砲塔リングの前側をちょっと削り、一方で後ろ側にプラバンを貼って、砲塔をごくわずかに前進させるという荒業を敢行(ちなみに、車体側面の第二転輪サス調整パネルや車体上面のベルト用金具との位置関係でいうと、砲塔はもう少し前の方がよいというのも、踏み切った理由。ただしもちろん、それらの位置自体が正しいという保証はない)。
  5. その上で、ギリギリF17が当らない位置にフィルターカバーを再接着。

もちろん、以上の工作は、「始めてしまった以上後戻りできなくなってズルズルと」行ったもの。あまりやった甲斐があるとは思えない。とほほ。

・なお、キットの指定の通りに組むと、フィルターカバー上の取っ手はきっちり真横に来る。しかし、これは(1935年型用のパーツB32同様)本来はどっち向きでもいいものであるらしい(パロラの実車では斜めになっている)。

どうやらこれも、キットではフィルターカバー上面と砲塔バスル下のクリアランスがあまりないために、干渉を防ぐ意味で位置を決めたのではないかと思う。

……というわけで、へそ曲がりな私はちょっとだけ斜めにしてみた。

(追記:上記、「エアフィルターカバーの中心に妙なフタがある」問題だが、セータ☆氏によれば、これはフィンランド独自の改修ではなく、本家ソ連軍の車輌でも同じ特徴を持ったものがあるそうだ。gizmologのこの記事参照のこと。)

●先日も話題にした、「何だかどでかい建物内にBT-42がズラリと並び、奥にBA-20が一両控えている写真」について再び。

同じ写真の拡大版をかさぱのす氏に見せてもらい、一番手前の車輌が確かに19号車であるのを確認。

しかしその向こうの数輌について、先日は「前端に書かれた白い文字列の横幅から『Ps』番号であることが判る」と書いたが、改めて見ると、単にカーブした装甲板の鼻先の光の反射が文字列っぽく見えているだけのようにも思えてくる。さらに塗装も、どう見ても3色に見えない気が……謎過ぎる!!

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BT-42の重箱の隅(5)

●砲塔関係をちょこちょこと。

・フィンランド軍AFVは、結構律儀に、前後左右に上からと、5方向から見て敵味方識別ができるように国籍マークのハカリスティをベタベタと描き込んでいる例が多い。

そりゃまあ周り中、AFVがヌッと出てくればソ連軍である可能性が高いのだから、自軍AFVはものすごく判りやすくしておかないといけないのだ。

そんなわけで、BT-42も、もしかしたら天井にもハカリスティがあったりしないだろうか、などと余計なことを考えたりする。しかし、描かれているとすれば最も可能性が高いハッチが写っている写真、撃破された19号車(Ps.)、スヴェトゴルスクでのパレードの9号車(R)ではハッチ表面に何も描かれていないことが確認できる。……ならわざわざ書くなよ、と言われそうだが、まあ、こうやっていろいろ気になって調べるのがまた楽しいんですよ、みたいな記録として。

・砲塔上面前方の台形のハッチ(パーツF18)はせっかく別パーツになっているし、戦時中の実車写真ではここが開いている写真も多いので、ちょっと開きたくなる感じ。

ハッチの下は、キットではただ窪んでいるだけで、そのまま開いていいものかどうかちょっと不安になるのだが、よく見ると、窪みの突き当たりの面にまた僅かな窪みがある。

Tur02キット同梱の資料リーフレット表の最下段に砲塔内の写真があり、このハッチ下の砲塔内側部分も写っている。どうも構造がどうなっているのか判りにくいのだが、たぶんこんな風だったんだろうと描いてみたのが右のポンチ絵。

要するにハッチを開けた際の表面形状はほぼキットの通りで、窪みの突き当たりにペリスコープが付いている。赤で示したのがハッチの開閉アームで、円弧状のアームはハッチ左右端に付き、下端は左右が連結されていて(つまりコの字状になっている)、中央やや外側寄りに取っ手がある。この取っ手を青の矢印方向にカッチャンカッチャン動かしてハッチを開閉させる。下に突き出した黄色い円弧のパーツはアーム作動用のガイド。ここに開閉のストッパーか何か付いていそうだが、限られた写真では詳細不明。

ペリスコープ後方のオレンジは、おでこを当てる部分。キットのリーフレットにある現存実車写真では、ペリスコープ本体は取り外されている。

・砲塔の数箇所に付いているピストルポートだが、若干悩ましいのが左前方の斜めの面に付いているもの。かさぱのす氏も言及しているように、これはパロラの車輌(8号車)では向かって左にピストルポートの装甲栓が、右に尖頭ボルトがあるのだが、どうやら19号車や12号車では配置が逆のようだ。……どっちかにしろよフィンランド人!

ちなみにこの手の装甲栓式のピストルポートはオリジナルのBTその他、ソ連戦車でお馴染みのもので、栓の先には溝が切ってあり、装甲板に差し込んだ後、その溝にフックを引っ掛けて止める仕組みになっている。BT-42の装甲栓横の尖頭ボルトは、このフックの回転軸のものと思われる。なお、同様のボルト頭はBT-7の1937年型傾斜砲塔には見られないが、35年型の砲塔にはある。

Tur032右図はBTの砲塔のもので、黄色が装甲栓、水色が回転軸、赤がハンドル。フックは上から引っ掛ければよさそうな気がするのだが、なぜか下から噛ませる仕組み。ハンドルの先端におそらくバネが仕込んであって、ピストルポートの孔の脇に溶接した横向きU字の金具の溝にパッチンとはまって止まる。右の絵は歪んでしまったが、本来、回転軸と装甲栓中心とハンドルの中心は一直線。

さて、仮にBT-42の装甲栓とボルト頭の関係が生産順に関係しているなら、栓の位置が初期が向かって左、後期が向かって右ということになりそうだが、何しろ号車が判って栓の位置もわかる、という写真が少なすぎる。

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BT-42の重箱の隅(4)

F1030455 ●起動輪基部のギアハウジング部は、ちょっとだけ手を入れてこんなふうになった。地味なディテールアップだなあ。……まだ工作は片側だけ、しかもパーツは接着せずに置いてあるだけ。

小さなリベットは、モデルカステンのJS用可動履帯(2分割混ぜタイプ)、SK-14に入っている、予備履帯用留め金具裏の接着用ポッチ。内側のリベット列の位置は割りといい加減。

内側の穴の中のボルト頭も、前記JS用予備履帯用留め金具のもの。穴が深かったので、0.3mmプラバンの切れ端でゲタを履かせて付けた。

この留め金具パーツ、履帯留めピン枝のすべてに入っており、1セットあると大量に余るのでなかなか重宝する。

というわけで重箱の隅考証の続き。

・前回、登録番号が「R-」の場合はクリーニングロッド搭載位置が前、「Ps.」である場合は後ろである可能性について書いたが、どうもそうではないような例に気付いた。

「グランドパワー」2010年8月号にも出ているが、何だかどでかい建物内にBT-42がズラリと並び、奥にBA-20が一両控えている写真がある。GP誌のキャプションでは一番手前の車輌の登録番号がPs.511-19と読める、と書いてあって、印刷の際にボケたせいか最近とみに落ちた視力のせいか、私には19かどうかはっきりは読み取れないのだけれど、砲塔前部には段がついているようだし、車体前端には件のヒレが付いているので、おそらく19号車で間違いないのだろう。

そんな具合なので、その向こうに並ぶ車輌の番号は読み取れないのだが、少なくとも2両め、3両めあたりまでは、前端に書かれた白い文字列の横幅から、数字三桁だけの「R-」番号体系でなく、「Ps.」番号であることだけは判る。

しかし、その2両めの車輌は「前ロッド」らしい。いきなり仮説に穴がー。

なお、この写真に並ぶBT-42はグリーン単色のように見えるが、番号が「Ps.」になっている以上、すでに3色迷彩に塗り替えられているはずである。

Rear022Rear021・車体後面には、ワイヤー取り回し用と思われる金具(フック)が付けられている。

これにはどうやら、左右2箇所だけの場合と、中央寄りにも2箇所の計4箇所付いている場合の、2種があるようだ。

側面板に付けられた左右2箇所のフックは下向き、中央寄り2箇所は斜め上向き(少なくとも19号車(Ps.)では)。ワイヤーの取り回し方法は推定。

ヴィープリ戦時の写真だと、有名な19号車(Ps.)は4つタイプ、12号車(R)も、ほぼ真横からなので中央寄りフックの位置が正確には判らないが、4つ付いているらしいことは判る。

シッペル中尉の17号車(R)は後ろからの写真はあるのだがカムフラージュの木の枝が垂れ下がっていてよく判らない。

一方、単色塗装時代の8号車(R)は左右2箇所しかないことが確認でき、現存のパロラの8号車もそうなっている。途中で真ん中の金具が一度付けられて失われた可能性もないではないが、一応、装甲板に溶接痕のようなものは見えない。

・ハカリスティについて。

継続戦争が始まって間もなく、国籍マークのハカリスティのサイズ、形状が統一された。通達では、全体が325mm角、腕は55mm幅、白シャドウは10mm幅であるらしい。

が、たった18両のBT-42の中でも不統一があり、比較的生産直後のものと思われる5号車(R)の写真では、サイズも大きく腕も長いハカリスティが書かれている。グリーン単色時代の全車がそうだったわけではなく、8号車(R)などは規定サイズが描かれていたようだが、6号車(R)は大型のもの。

一方ヴィープリ戦では、17号車(R)、19号車(Ps.)は規定サイズのようだが、12号車(R)はよく見ると腕は短いがハカリスティのサイズそのものは大きい。ピストルポートと上の視察孔との関係からすると、どうも前記のグリーン塗装時代の5号車、6号車に描かれているものから、腕を縮めただけの大きさであるように思える。

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ヒモトク。

●「ミホトケをヒモトケ!」

とまで言われたら、まあ、行かねばなるまい。というわけで、鶴岡八幡宮境内の鎌倉国宝館へ「仏像入門展」を見に行く。

鎌倉国宝館は、美術館というよりは宝物庫という感じの、1フロア、展示室1室のみの建物で、当然ながら企画展としては小ぢんまりしたものなのだが、これが期待以上によかった。国宝濃度0%でも!(しつこい)

展示室の半分は実際には常設展示なのだが、そちらも、以前から見たいと思っていた北鎌倉・円応寺の地獄の十王の不足分とか、辻の薬師堂って実はこんなにすごい仏像が収まっていたのか、という一群とか。

開催されている夏の間にもう一度見に来よう。

F1030443●鶴岡八幡宮では源平池の蓮が見頃。

写真だとどうもわさわさ葉ばかり茂って写ってしまうが、実際は紅白の花がそこここで揺れて見事だ。

●鎌倉駅前、小町通、八幡宮境内と、あちこちで海自の教育隊の白い制服を着た男子生徒や女子生徒が5人、10人と連れ立って散策しているのに行き会う。

横須賀からはほんの数駅だし、この近辺出身以外なら、休日1日かけて観光するにはうってつけの場所だろう。善哉善哉。同じ白い制服の、「生徒指導の先生」と思しき年配の士官も2人連れくらいで歩いているのがご愛嬌。

F1030451 ●その小町通で、久しぶりに腸詰屋のホットドッグを買い食いする。美味。

ここのソーセージは、中身は柔らかく、プリッと皮を噛んだとたんに肉汁がほとばしるのがいいのだが、今日選んだチョリソは割と歯ごたえがある。チョリソなので辛子は付けずにケチャップだけ。

●神保町の事務所に出るが、仕事の発注元である某社のほうで業務が滞っており、作業途中で確認に出したものの戻りが来ない。

というわけで、K女史、P女史などは諦めて今日は休みを取っている(それだからこそ私も悠長に仏像など眺めに行っているわけなのだが)。

ただ、私自身の手元で遅れている作業もまたあり、その遅れを取り戻すべく「出社」したわけだが、やはり気分的にどうもだらけてしまい進まず。夕刻、椅子に座って居眠りしていたら、C社長に呆れられ、「そんな具合なら帰った方がいいんじゃないのか」と言われたのでさっさと帰宅。

……使い物にならねえ!

●アーヴィングの「熊を放つ」を読んでいたら、割と最初の方に(というか、まだそこまでしか読んでいないからだが)「甘草キャンディーを持った女の子」というのが出てきた。甘草といえばリコリスですよ? リコリスのキャンディーといえばアレですよ? あの黒い悪魔

●前回のセミの抜け殻の写真に「アブラゼミの」と書いたが、単に「割とよく見る抜け殻っぽいからアブラゼミなんだろう」と一人決めしているだけで、よくよく考えると、ニイニイゼミの抜け殻は判別しやすいものの、あとは……例えばアブラゼミとミンミンゼミとヒグラシとの識別ができているわけではないのだった。

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クマー。

●「BT-42の重箱の隅」の続きを書こうかと思ったが、息切れがしてきたのでまた明日以降に。

F1030429 ●ニイニイゼミ、ヒグラシに加えアブラゼミも鳴き始めた。近所の草薮にお馴染みのアブラゼミの抜け殻。それにしても、頭を下に抜けるとは器用なヤツ。

……と思ったが、脱皮中は自身の重みで草がしなって頭が上だったのかも。

●先週、ボサノバ歌いのMOGAMI氏がmixiに、とことんやる気のないクマ(のぬいぐるみ)の画像をUPしており、なんとなく心にヒットしたのでK女史、P女史に転送したが、特に感動は呼ばなかった模様。

代わりにK女史がアーヴィングの「熊を放つ」(村上春樹訳)を貸してくれた。

●先日のアイヌ本2冊も手付かずであるうえ、たまたまかみさんが図書館から中野京子「怖い絵」(1~3)、池上永一「トロイメライ 唄う都は雨のち晴れ」を借りてきたので、読書スケジュール過密。

F1030437F1030438●近所で写した、えらく地味なシジミチョウ。裏翅の真ん中にある小さな「への字」(写真だと「くの字」だが)が明瞭であるため、もっとも一般的なヤマトシジミで、表翅が地味極まりないのは♀、であるらしい。

●月曜日。事務所に出る途中、神保町の本屋に寄りたかったので、最寄り駅の九段下でなく竹橋で途中下車。アムールヱーパンでパンを2つ買う。

ヱーパン・ファンのK女史が何か欲しがるかしれん、と事務所に電話するがK女史はまだ来ておらず、代わりにP女史に「ウィルキンソンの瓶入りが欲しい」と言われる。

残念。ウィルキンソン・ジンジャエールの瓶入りを置いていたあの酒屋はペットボトル版になっちゃったんだよ、と答えたのだが、念のために覗いてみたら、瓶入りが復活していた。この酒屋さんが当かばぶなどチェックしているとは思えないので、要するに先日は単に品切れであったらしい。いや申し訳ない。

神保町のセイジョー(ドラッグストア)で、つんきち姐さんが御執心であるらしい白パピコ、さらに絶版もののガリガリくん梨が置いてあったのでいくつか購入、事務所の冷凍庫に放り込む(白パピコは1つ食べた。んま)。

F1030434●地下鉄東西線の謎。

ドア上の電光掲示板はLEDが格子になっている。当然、横棒は水平、縦棒は垂直で、実際、文字が止まって表示されている時は縦棒が正しく垂直に見えるのだが、文字が流れている時は、どうもそれが傾いて見える。

ずっと不思議に思っていたのだが、たまたま写真に撮ってみて理由が判明。文字の左側で、縦一列の上と下とで、点灯にタイムラグがある様子が写っている。なるほどー。

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BT-42の重箱の隅(3)

●車両番号の謎。

18両しかないBT-42を考証するにあたって、避けて通れないのが車両登録番号の問題である。個々の車両をラベリングするにも欠かせないので、当然、真っ先に話題に上げていなくてはいけないところ、面倒だし結局どうもよく判らないので見て見ぬ振りをしてきたのだが、やはり少しは書いておこうと思う。

いやまあ、こんなところで私が少ない資料でアレコレ想像しなくても、どこかにスッキリバッチリ解説している資料があるのかもしれないけれど。

▼もともとフィンランド軍のAFVには「R-」で始まる車両番号があり、同系の車両は同じあたりにまとめて振られていて、BT-7にはR-701以降が割り振られていた(それでいて唯一戦車型のままで使われた1937年型はR-100だったりするので、これまたどうもスッキリしない)。

BT-42に改装されたBT-7はR-702からで、1935年型のR-703を抜いて、以降R-720までの18両(ただし、車両への記入は「R-」を省き3桁の番号のみ)。R-701というのは1935型だったのか、それともR-100からの改称だったのか、はたまた兵員輸送車のBT-43のベースにされたのか、調べればどこかに書いてあるのかもしれないが、ここでは本筋でないので放っておく。

しかし1943年夏になり、フィンランド軍では登録番号体系を根本的に改め、「Ps.」+「車種ごとの分類番号」+「車種ごとの通し番号」という新しい番号を使い始める。BT-42に割り振られたのは、Ps.511という車種番号で、以下、ハイフン付きで固有番号が振られる。

ただし、末尾は「車種ごとの通し番号」なのだから通常は「-1」から始まるはずが、BT-42は元の「R-7**」から番号を引き継いだらしい。そうでなければ、18両しか作られていないにも係らず、新番号体系においても「Ps.511-19」や「Ps.511-20」があることの説明を付けづらい(もちろん、実は18両以上ありましたという、ちゃぶ台ひっくり返し系仮説は考えないものとする)。例えば「R-708」号車は「Ps.511-8」号車にという具合に、末尾の番号はそのまま同じものが使われていると考えられる。

▼ここで問題は、「1943年夏に番号体系が改定された」にも係らず、1944年夏のヴィープリ戦時点で、しかも同一部隊内で「R-」番号の車体と「Ps.」番号の車体が混在しているらしいことである。なんなんだそりゃ。

実を言うと、有名な「Ps.511-19」号車はしっかり写真で番号が確認できるものの、私自身はヴィープリ戦で「R-」番号が確認できる車両の写真は見た覚えがない。が、これまた写真としては有名なシッペル中尉の車両とされる「R-717」号車、操車場で野ざらしになっている「R-712」号車などは、写真キャプションや戦史では「R-」番号で解説されており、おそらく、戦闘記録でそう扱われているらしいことが判る(きっちり写っている写真があればご教示願いたい)。

タミヤのキットもまた「ヴィープリ戦時は番号体系並立」説に立っており、ヴィープリ戦時のシッペル中尉の中隊長車とされる「717」の車番のデカールを入れている。この車輌は写真としては有名だが、その有名な写真では開いたハッチ等で番号は見えない(見える写真が別にあるのだろうか?)。

▼同一部隊で使われている車両なのだから、「いっせいの、せっ」で番号を書き換えてしまえばいいものの、この併用は一体何なのだろう。考えられる流れは、以下の2つ。

  1. 改装時~初陣:グリーン単色塗装+R-番号。
  2. 1943年春:3色迷彩の導入は4月初めのはずだが、5月の初陣(スヴィル河畔戦)時点ではまだグリーン単色であったらしい。おそらくこの戦闘後に3色に塗り替え。この時はまだR-番号のまま。
  3. 1943年夏~1944年夏:何らかの理由でオーバーホール等が必要になり、デポに戻された車両のみがPs.番号に書き換えられ、修理の必要なかった車両はR-番号のまま残され、ヴィープリ戦を迎えた。

あるいは、

  1. 改装時~初陣:グリーン単色塗装+R-番号
  2. 1943年春、スヴィル河畔戦以降、全車一斉でなく順次デポに戻されて3色の新塗装に移行。この際、1943年夏前に塗り替えられたものはR-番号のまま、夏以降に塗り替えられたものはPs.番号に書き換えられた。

▼いずれにせよ、同一部隊で2つの番号体系が併用されているのであれば、ますます「R-」であれ「Ps.」であれ末尾の番号は変更なし、である可能性は高い。別に「R-」だろうが「Ps.」だろうが「8号車は8号車」で済むのだから。

▼前回書いた「個体差」のクリーニングロッドの搭載位置について。

「R-」であるか「Ps.」であるかに係らず「**号車」との対応で考えると、クリーニングロッド搭載位置は番号の順とまったく対応していない。しかし、「R-」と「Ps.」の別とはどうやら対応関係があり、「R-」番号の車両、あるいは「R-」番号であると言われている車両では前方にあり、「Ps.」番号の車両では車体後部にある。

上記の流れに即して考えると、クリーニングロッドが前方にあるのは初期搭載位置であり、これが後方に移されているのは、補修もしくは再塗装のためにデポに戻されたかどうか(あるいは戻された時期が早かったか遅かったか)による、と言えそう。

傍証として、グリーン単色時代の「R-708号車」ではクリーニングロッドは前方に搭載されているが(キットの指定塗装でもそうなっている)、現存のパロラのPs.511-8号車では搭載位置が後方になっていることが上げられる。

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