BT-42の重箱の隅(3)
●車両番号の謎。
18両しかないBT-42を考証するにあたって、避けて通れないのが車両登録番号の問題である。個々の車両をラベリングするにも欠かせないので、当然、真っ先に話題に上げていなくてはいけないところ、面倒だし結局どうもよく判らないので見て見ぬ振りをしてきたのだが、やはり少しは書いておこうと思う。
いやまあ、こんなところで私が少ない資料でアレコレ想像しなくても、どこかにスッキリバッチリ解説している資料があるのかもしれないけれど。
▼もともとフィンランド軍のAFVには「R-」で始まる車両番号があり、同系の車両は同じあたりにまとめて振られていて、BT-7にはR-701以降が割り振られていた(それでいて唯一戦車型のままで使われた1937年型はR-100だったりするので、これまたどうもスッキリしない)。
BT-42に改装されたBT-7はR-702からで、1935年型のR-703を抜いて、以降R-720までの18両(ただし、車両への記入は「R-」を省き3桁の番号のみ)。R-701というのは1935型だったのか、それともR-100からの改称だったのか、はたまた兵員輸送車のBT-43のベースにされたのか、調べればどこかに書いてあるのかもしれないが、ここでは本筋でないので放っておく。
しかし1943年夏になり、フィンランド軍では登録番号体系を根本的に改め、「Ps.」+「車種ごとの分類番号」+「車種ごとの通し番号」という新しい番号を使い始める。BT-42に割り振られたのは、Ps.511という車種番号で、以下、ハイフン付きで固有番号が振られる。
ただし、末尾は「車種ごとの通し番号」なのだから通常は「-1」から始まるはずが、BT-42は元の「R-7**」から番号を引き継いだらしい。そうでなければ、18両しか作られていないにも係らず、新番号体系においても「Ps.511-19」や「Ps.511-20」があることの説明を付けづらい(もちろん、実は18両以上ありましたという、ちゃぶ台ひっくり返し系仮説は考えないものとする)。例えば「R-708」号車は「Ps.511-8」号車にという具合に、末尾の番号はそのまま同じものが使われていると考えられる。
▼ここで問題は、「1943年夏に番号体系が改定された」にも係らず、1944年夏のヴィープリ戦時点で、しかも同一部隊内で「R-」番号の車体と「Ps.」番号の車体が混在しているらしいことである。なんなんだそりゃ。
実を言うと、有名な「Ps.511-19」号車はしっかり写真で番号が確認できるものの、私自身はヴィープリ戦で「R-」番号が確認できる車両の写真は見た覚えがない。が、これまた写真としては有名なシッペル中尉の車両とされる「R-717」号車、操車場で野ざらしになっている「R-712」号車などは、写真キャプションや戦史では「R-」番号で解説されており、おそらく、戦闘記録でそう扱われているらしいことが判る(きっちり写っている写真があればご教示願いたい)。
タミヤのキットもまた「ヴィープリ戦時は番号体系並立」説に立っており、ヴィープリ戦時のシッペル中尉の中隊長車とされる「717」の車番のデカールを入れている。この車輌は写真としては有名だが、その有名な写真では開いたハッチ等で番号は見えない(見える写真が別にあるのだろうか?)。
▼同一部隊で使われている車両なのだから、「いっせいの、せっ」で番号を書き換えてしまえばいいものの、この併用は一体何なのだろう。考えられる流れは、以下の2つ。
- 改装時~初陣:グリーン単色塗装+R-番号。
- 1943年春:3色迷彩の導入は4月初めのはずだが、5月の初陣(スヴィル河畔戦)時点ではまだグリーン単色であったらしい。おそらくこの戦闘後に3色に塗り替え。この時はまだR-番号のまま。
- 1943年夏~1944年夏:何らかの理由でオーバーホール等が必要になり、デポに戻された車両のみがPs.番号に書き換えられ、修理の必要なかった車両はR-番号のまま残され、ヴィープリ戦を迎えた。
あるいは、
- 改装時~初陣:グリーン単色塗装+R-番号
- 1943年春、スヴィル河畔戦以降、全車一斉でなく順次デポに戻されて3色の新塗装に移行。この際、1943年夏前に塗り替えられたものはR-番号のまま、夏以降に塗り替えられたものはPs.番号に書き換えられた。
▼いずれにせよ、同一部隊で2つの番号体系が併用されているのであれば、ますます「R-」であれ「Ps.」であれ末尾の番号は変更なし、である可能性は高い。別に「R-」だろうが「Ps.」だろうが「8号車は8号車」で済むのだから。
▼前回書いた「個体差」のクリーニングロッドの搭載位置について。
「R-」であるか「Ps.」であるかに係らず「**号車」との対応で考えると、クリーニングロッド搭載位置は番号の順とまったく対応していない。しかし、「R-」と「Ps.」の別とはどうやら対応関係があり、「R-」番号の車両、あるいは「R-」番号であると言われている車両では前方にあり、「Ps.」番号の車両では車体後部にある。
上記の流れに即して考えると、クリーニングロッドが前方にあるのは初期搭載位置であり、これが後方に移されているのは、補修もしくは再塗装のためにデポに戻されたかどうか(あるいは戻された時期が早かったか遅かったか)による、と言えそう。
傍証として、グリーン単色時代の「R-708号車」ではクリーニングロッドは前方に搭載されているが(キットの指定塗装でもそうなっている)、現存のパロラのPs.511-8号車では搭載位置が後方になっていることが上げられる。
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