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2011年5月

大阪しぐれ

●木曜日。けいはんに乗ったのでおけいはん。

でも中之島線なんて前からあったっけ?

●というわけで日帰り大阪。中之島で午後イチに仕事で、その後、久しぶりに本町の老舗模型屋ホビーランドに行く。前に一度定休日にぶつかってしまって脱力感に見舞われたが、今回は運よく開いていた。もちろん実際には運の問題ではなく、定休日くらい最初から調べて行けって話だ(ちなみにホビーランドの定休日は火曜日です。今調べた)。

相変わらず品揃えがいいことにウットリするが、高いガレキなどに手を出す余裕などなく、どこの本屋でも買える世傑の「ラヴォチキン戦闘機」を買う。「世界の傑作機」の大戦ソ連機シリーズは、確かポリカルポフИ-15/16を皮切りに、その後シュトルモビク、ヤク戦闘機と出て、今回のラヴォチキンが4冊目なのではないかと思うが、他に日本語で読める資料があまりないというだけでなく、単に海外資料を要約しましたではない独自考察なども載って質が高い、と思う。

F1030221ぶらぶら御堂筋~心斎橋筋など散歩。戎橋近辺でたこ焼きを食ったところで雨がぱらつき始めたので帰る。

●それにしてもたこ焼きというのは危険な食い物である。

外がカリッ、中がトロッというのは近年、我々のような関東モンにも認知されてきたところだが(ただし某店のように表面が“揚げ”になっているのは、例え美味くてもちょっと別種の食い物のような気もする)、それだけに、不用意に食うと中の「トロッ」の熱さに七転八倒することになる。いや、七転八倒だけで済めばいいけれど。

とはいっても、つんきち姐さんの言う「中身が出てまぅので割ったらダメ。大口あけてハフハフが正解」という意見には賛成で、前半のような食い方は、例えばハンバーガーをバラして食うようなものだろう。

もちろん冷めては美味いはずもなく、要するに火傷しない程度に中がアツアツが望ましい。これはアレかね。生まれ付いての大阪人だと、そのへんビシッと判断できたりするのかね。催眠学習か何かで完璧に大阪弁を刷り込んでも、たこ焼きで口の中を火傷した途端に周囲がザワッとして、「コイツ、東京のスパイだ!」みたいな。

●お約束。新大阪駅で蓬莱の豚まんを買う。

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かみまみた。

●スーが「化物語」にはまっている! 「ららら目さん」とか「ぱないの」とか言ってる!

いや、雑誌で読んでいる人にとっては、「何を今更」でしょうが。

……というわけで、「げんしけん」10巻(二代目の壱)を買った。ところで、「げんしけん」のタイトルの書き文字が、背表紙の縦書きはいいとして、横書きだといつも「げんいけん」と読めてしまうのは私だけ?

F1030198 ●火曜日は品川で仕事関係のセミナー、水曜日は番町で仕事。明日木曜日は(久々に)大坂出張。火曜のセミナーは昼までに終わってしまう短いものだったので、秋葉原に寄ってPassion Modelsの35(t)転輪と砲身を買う。

転輪のキットのパーツとPassionのパーツを並べてみたのが右で、確かに違うといえば違うのだが、先日も触れたように、サスはそのままでも、とにかくここを交換するとぐっと違うぜ!というものでもないように思う。

しかし一方で砲身+駐退機は戦車の「顔」部分でもあり、フラッシュハイダーの細かい穴はそれなりに目立ちそうで効果が高そう。

●有川浩「図書館内乱」文庫版を読む。このシリーズは一通り単行本で読んでいるのだが、もう一度読みたいと思っていたのと、新たにオマケの短編が巻末に加わっているのが購入要因。

「図書館戦争」と合わせて最初の2巻の文庫版が出たところだが、今後、別冊まで含めて順次刊行。それぞれオマケ付きらしい。ちなみに1巻、2巻は「文庫化特別対談」として、有川浩と先日亡くなったばかりの児玉清の対談が出ているのが、まあ何とも。

ところでこの1、2巻は、書店によるのかもしれないが、購入から一定期間内に購入した書店に持ち込むと、定価の30%で買い取るというオプション付きだった。BOOKOFF対策ということかもしれないが、本の出版・流通も大変だ。

●朗報! なんとウィルキンソンのジンジャエールのペットボトルが発売されるそうだ。もっともアサヒ飲料のニュースリリースによれば

今回、より身近にご家庭でお楽しみいただけるよう、直接お飲みいただくにも、お酒の割り材としてご使用いただくのにも適した味わいに仕立てた

だそうで、既存のウィルキンソン・ジンジャエール瓶入りとは微妙に味が違っている可能性があるのが心配。

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中華街で豚まん

●土曜日。実家に行く。

先日の義姉の四十九日法要で正座耐久時間で私を負かしたドイツ人Pも、長女を連れてたまたま来ており、日が暮れないうちから2人で飲み始める。

もともとPはそれほど酒を飲むほうじゃなかったはずだよな、と思って、ビールのロング缶4本+ギネスのスタウトの普通サイズ1本だけを買って行ったのだが、たちまち飲んでしまい(うちギネスともう1本を私が飲んだ)、そのあとは少しだけ残っていた日本酒と焼酎の瓶を飲み干し、結局、親父が遺した紙パックの焼酎まで開けて飲む羽目になった。

Pはその昔、当時、発作的にドイツ語を勉強しだした兄が知り合って、その兄が、自分が家を出たあとの部屋が空いているので下宿したらいいと勝手に話を決めてしまったのがきっかけで、20代後半くらいからしばらく実家に下宿していたドイツ人。何しろ元が田舎者の母などは、当初、

「ウチにガイジンが来る!」

とパニックを起していたほどなのだが、しばらくして私も家を出てしまった後も数年我が実家にいて、いつのまにか3人目の息子のような感じになって今に至る。日本人と結婚して現在は都内在住だが、しばしば実家を訪ねてくれるので有り難い限り。

もっとも、そんな具合に“ドイツ人の義理の息子”がいるにも関わらず、母は世界地理にも国際情勢にも疎いままなので、ドイツ人相手に「ヒットラーってどこの国の人?」 とか「ユダヤ人をいっぱい殺したってどこの国のこと?」 とか、ド直球な質問をぶつけたりする。母ちゃんすげえな。

5時過ぎから飲み始めて、結局、P親子が帰ったのは10時頃。飲み過ぎたからか布団が合わなかったからか、明け方までうつらうつら。途中でベッドから転げ落ちたりする。

●日曜日。神奈川県立歴史博物館で「曹洞宗大本山總持寺 名宝100選」展をやっていてそのタダ券があり、最終日だったので見に行く。

歴史博物館ってのは、確か市営地下鉄のセンター北あたりだったよな、と思っていたのだが、チケットの裏に地図を見たら関内の近くだった。全然違うじゃん! 裏に地図が出ていて助かった。思い込みでセンター北に行ってしまうところだった。……後で調べたらセンター北にあるのは「横浜市歴史博物館」。紛らわしい。

みなとみらい線の馬車道駅が最寄とのことだったので、大井町線回りで、自由が丘で、みなとみらい線乗り入れの東横線に乗り換える。が、みなとみらい線内各駅停車の急行に乗ったつもりが特急だったらしく、元町・中華街まで行ってしまった。

F1030192F1030194 ●ちょうど昼時でもあったので、引き返さずにそのまま久しぶりの中華街へ行き、豚まんを買って食べる。

いつも中華街では、どこの豚まんが美味いか確かめたいと思うのだが、そもそも一度に一人で3つも4つも食べ比べられるものではないし、記録を残しているわけでもないので、どこで食ってどんな味だったか、次に行くまでにほぼ忘れ去っている。

ちなみに今回のはまあまあ。しかし例によって店の名を控えたりしていないので、次回の役には立ちそうにない。

F1030188 ●中華街から博物館まで歩く。県立歴史博物館はそれ自体が重要文化財の古い銀行の建物を使っており、入口は、ちょっと博物館とは思えないような風情。もっともこちらは旧銀行の正面玄関で、博物館としての正面玄関は反対側にあった。

總持寺という寺は鶴見の山の上にあり、中学・高校時代(そして今も)日常的に電車の窓から伽藍の大屋根を見ているのだが、今まで寺には行ったことがない。

展示そのものは結構見応えもあり、常設展示でも鎌倉ネタが結構あってよかったのだが、前の晩満足に眠れなかったせいもあってくたびれてしまい、展示室のベンチで居眠りしそうになった。ダメのダメダメって感じだ。

●書き忘れていたが、先週、ようやく携帯とPCを繋ぐケーブルを買ってきて、SDカードを抜き挿ししなくても済むようになった。

……とはいえ、当初は「きっとケーブルで繋げばPC側から携帯側のメモリをそのまま読めるんだろう」くらいに軽く考えていたのだが、実は結構ややこしかった。だいたい、線で繋がっているのに、使い方によっては「パケット料金が掛かります」って何やねん!

そもそも物理的に接続した後にどう操作すればいいのか、付属のマニュアルには書かれておらず、付属のCD-ROM内の説明やネット上にある詳細版マニュアルでも、接続用のドライバのインストール法が書かれた次は同ドライバのアンインストールについて書かれているだけ。いや、詳細版のどこかのページには書かれているのかもしれないが、行き着けなかった。

結局、繋ぎ方と操作は、個人のサイトに判りやすく書かれているところがあって、そこでようやく使用法が判り、また、私が使いたい「携帯内のSDカードを外部記憶装置として読み込む」分にはパケット料金など掛からない(たぶん)ということも判った。それにしても、マニュアル激しく役立たねえ……。

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「台湾迷彩会帰国前に一杯」飲み会

●18日木曜日。楽八師匠企画、「台湾迷彩会帰国前に一杯」飲み会に参加。

ちょうど番町で皿を数える、じゃなく、I君と仕事をする用事もあったのでこの日にしたのだが、結局その予定は流れてしまったので、直接自宅から。

というわけで日中ずるずる引きずっていた原稿をとりあえず仕上げ、youtubeであれこれ適当に音楽を聴いたり動画を見たりし、最後になぜかレディ・ガガの“かっぽれかっぽれ甘茶でかっぽれ”(←Telephoneのこと)をちょっとだけ聴いてから、夕刻出掛ける。

池袋西口で王徳方氏、楽八師匠、かのーさんと落ち合い、近くの居酒屋で模型話を中心に歓談。身の程知らずにも、相変わらず塗装前で止まっているVanatorul de care R-35を酒の肴に持って行き、お三方につつき回してもらう。お世辞でも褒められてちょっと照れる。最近のww2中国陸軍ネタの充実について張中復先生と喜びを分かち合いたかったのだが、張氏はこの日、別件の用事があるということで不参加。残念。

(ここのところ毎年だが)静岡不参加で不貞腐れていた溜飲を多少なりとも下げる。

●前回のマジムン話からの脱線。

JTA、といっても日本テコンドー協会でも日本トランポリン協会でもなく、沖縄中心で運行している日航グループのローカル航空のことだが(日本トランスオーシャン航空)、同社が今月上旬より、特別デコレーションの「琉神マブヤージェット」第3弾として、「クーバージェット」運行を行っている由。

「クーバージェット」で画像検索をすれば多数出てくる実機写真でもわかるように、胴体にクーバーの顔をあしらった、どちらかといえば地味なデザインなのだが……しかし、クーバーですよ? 主人公でも、敵役の悪の軍団マジムン勢ぞろいでもなく、その一番下っ端ですよ?

ショッカーでいえば「イー! イー!」と言っているアレ、電柱組でいえば顔に「下っぱ」と書かれている手合いですよ?(例が古い)

これはある意味、「魔法少女」とタイトルで謳っていながら最終回になるまで主人公が魔法少女に変身しない某番組くらい画期的(なのか?)。民間機も現用機も滅多に手を出さないけれども、これはちょっと惹かれるかも。デカール出ないかな。

F1030187●金曜日中、昼飯を食いに階下に下りたら犬が腹を出して寝ていた。……というより、

「ちょ、おまえ死んでるんじゃないのか」

みたいな寝方だ。が、近寄ったらそのままの格好で目だけぎょろりとこっちを向いた。

それでいて、すぐ外を隣家宛の宅配便が通ったり、いやそれ以前に隣家の人が通る時にさえ窓のところに突進していってきゃんきゃん吠え立てる。かみさんや娘などは、

「ばか犬~」

などと叱ったりするが、子犬の頃に甘やかしておいて今さら釘宮さんになったところで更生の見込みはなさそうだ。

●この日記執筆中にブラウザが不具合を起こし、しかも途中保存していなかったので書きかけが全部飛んでしまうトラブルに見舞われて激しくテンションが下がるも、なんとかもう一度書く。うー。保存は大事ですぜダンナ。

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あふぃらーまじむん

●静岡へ静岡へと草木もなびく5月中旬。

何があるってそりゃもう、モデラーにとっては年に一度の祭典「静岡ホビーショー」があるからで、今年は14日、15日の週末が一般公開日だったのだが、例によって今年も不参加。

例年なら「今年こそは」と騒いだ挙句にドタキャンというパターンだが、今年はもう最初から行ける気配すら無し。モデラーとしてそんな人生ってどうなのよ?と、なにやらどす黒いキモチになり、ちゃぶ台でもひっくり返してみたくなるが、残念、我が家ではちゃぶ台は常用していないのだった。ふんがー。

●金曜日、月曜日と週末を挟んで続けて神保町界隈へ。ここ数年の「季節労働」である神保町の事務所通いはまだ始まっていないが、I君と別件の仕事。

金曜日は仕事後、神保町の事務所に立ち寄ってから、久しぶりに秋葉原のVOLKS/YSに行く。

F1030185 (以前にも書いたが)神保町から秋葉原へと歩く途中、靖国通りは駿河台下~淡路町のあたりで大きく南に湾曲している。「駿河台」の名の通り、本郷の台地が南に張り出しているからで(400年前に神田川の掘割を作ったので、今は本郷とは切り離されているが)、そのカーブの“底”を越えると、ちょうど通りに沿ったビルの谷間にスカイツリーが見える。いやーホント、建ったとたんに地震で歪んだりしないでよかったネ。

YSで新入荷のPz.Kpfw.35(t)用ディテールアップ・パーツ、転輪セットを見る。35(t)は複数ストックがあるし(もちろんTACAMもある)、いずれ買わないといけないなあとは思うが、CMKの35(t)は側面がつんつるてんのリーフスプリング等のほうが問題で、むしろ他の部分と比べ転輪の出来はそう悪いようにも思えず、転輪だけ立派になっても、という気はしないでもない。とはいえ、今後、リーフスプリングセットとか、サスペンションアームセットとか、小出しにされたりしても参る。

●当「かばぶ」はniftyのココログに籍を置いているわけだが、ココログのユーザーズ・フォーラム(ココログ広場とかいう)には、ありがちっちゃあありがちなんだけれども、InterPotという基本無料のアプリがある(以下IPと略。機能が豊富な月極有料版もある)。

一言で言えば「庭ゲー」で、正方形の土地の真ん中の果樹を育てて毎年収穫するのと併せて、周囲に草花を植えたり物を置いたりする。だけでなく、他人の庭を訪問したり、一言コメントも投稿できる。

Gaga002という、本来はまったりほのぼの系アプリであるはずだが、問題はこの「庭」にしばしばやってくる「ガーガーちゃん」(という名前があるらしい)なる鳥。右の絵は“お庭仲間”のつんきちさんが描いたガーガー。絵画的アレンジはあるが、おそらくスクリーンショットを掲載するよりもよほど実態を正確に示している。いやもう、このまんま。

ゲーム画面のロード中のバーの横にもコイツがいるので、IPのマスコット的キャラクターなのかもしれないが、それがこんなに凶相でいいのか? 小さい子は見てうなされないのか?

もちろん、居るだけならどうということはないが、きゅぽきゅぽ足音を立ててやってきては、時折、庭に生えている草花を勝手に食っていってしまうので毛嫌いしている人は多い。が、この凶悪な人相(鳥相?)と傍若無人さがむしろいいと、一部に熱狂的ファンもいる(私もあれこれ言いつつ、ファン)。

というわけで、IP内の「つぶやき会話」のあれこれも含めて、ガーガーの正体に関する考察。

  • 庭の草花を好んで食っていくが、あの歯から見て実は肉食。
  • っていうか、ガーガーって名前と黄色でアヒルですみたいな振りをしているが、そもそも歯がある時点で鳥じゃないだろう! 中国奥地で化石発見が相次いでいる羽毛恐竜の生き残りか? ジュラシックパークか?
  • しかし、そもそも常に直進しかしない時点で、個人的には沖縄の「マジムン」との共通性を疑っていたのだが、wikipediaのマジムンの解説で、なんとアヒル姿のマジムンがいるということが判明。大いに怪しい。
  • だいいち、木があろうが柵があろうがお構いなしに通り抜けていく時点で、尋常な生き物ではない。

というわけで、現時点ではガーガー=アフィラーマジムン(アヒル型マジムン)説に傾いている私なのだった。いや、そもそもマジムンにそんなにいろいろ種類があるとは知りませんでした。あぎじゃびよー。悪のマジムン軍団にもぜひ加わって欲しいものだ。

現在、IP内でガーガーの暴虐を妨げる手段は何一つないが、仮にヤツがマジムンであった場合、6日付の日記にも掲載した石敢當が有効であるはず。うちの(IPの)庭にも石敢當を設置したいものじゃのう。

なお、ココログ広場内IPは基本無料と書いたが、あれこれ有料のアイテムもあり、そこにはガーガーに食われない草花もある。もちろん、そんなヌルイものになど頼らず、ガーガーと熾烈な攻防を繰り広げてこそのIPと言えよう。負け続けだけどな。

●かみさんが図書館で塩野七生「十字軍物語1」を借りてきたので読む。この第1巻は、第1次十字軍の顛末をほぼ丸ごと収めている。面白し。

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二層の鎌倉

●GW最終日曜日、8日。鎌倉のまだ行ったことがない寺に行くシリーズ。北鎌倉の時宗の寺、光照寺に行く。

私が思うに、鎌倉仏教の創始者の中で一番融通が利かないのは日蓮だが、ほとんどその対極にあるのが時宗の始祖とされる一遍である。日蓮は他宗派信徒は地獄落ちだと激烈に攻撃して軋轢を広げまくったわけだが、一遍上人の場合は、「どこの誰で何を信じていようが極楽行きは決定事項」だそうな。フリーダム過ぎ。

もちろん、宗教をビジネスとか組織化とかいう方向から考えれば日蓮のほうが真っ当で、仮に「もし鎌倉仏教の創始者がドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本があったとしても、ドラッカーを読んで教団を隆盛に導くのは日蓮であって一遍ではない。なんだそりゃ。

F1030183 そんな具合だからなのか、以前行った十二社の光触寺も小ぢんまりした寺だったが、ここもそうで、目を引く凝った伽藍等があるわけではない(ただし、本堂は幕末に建てられたものだそうだ)。

が、山門軒下に「中川クルス」と呼ばれる豊後岡藩中川家の紋があり、曰く、十字架を埋め込んだデザインなのだそうな。また、本堂には隠れキリシタンのものとされる燭台2基があるらしい。先述のように時宗は信仰の別や有無を問わない宗派なので、江戸時代を通じ、隠れキリシタンも「当寺の檀家である」と匿っていたとかで、山門のクルス紋と燭台はその傍証であるとかどうとか。

●北鎌倉近辺は地名では山ノ内といい、関東管領・山内上杉家の本拠があった場所である。

鎌倉中心部が由比ガ浜から切れ込んだ谷戸であるのに対し、山一つ隔てて、内陸の大船側から切れ込んだ谷戸に位置する。谷戸の最奥の巨福呂坂切通しを越えると鶴岡八幡宮の裏手に出、その手前、南側の亀ヶ谷坂切通しを越えると、数日前にもうろついた扇ヶ谷に出る。同じく上杉家の有力家系だが室町末期には互いに権力争いを繰り広げた扇谷上杉家の元本拠地がこちら。

●てなわけで、前回ご本尊を見そびれた浄光明寺に行くため、扇ヶ谷に抜けることを画策する。ごく素直には建長寺の手前まで歩き、長寿寺の脇を折れて亀ヶ谷坂切通しを越える道筋だが、これはだいぶ通り慣れてしまったので、浄智寺脇から源氏山に上がってそこから扇ヶ谷に降りようか、などと考える。源氏山もだいぶ登ったり降りたりしたが、浄智寺から登るのは初めてかもしれない、と思ったのが決定要因。

しかし、浄智寺脇から登り始めてしばらくすると、登りの尾根筋から左に下りていく細い脇道を発見。ついふらふらとそちらにそれてしまう。

最終的に人里に出るには、最後の最後に湿って滑りそうな、崖面に僅かに刻まれた窪みというか段というか、頼りない道を降りる羽目になったが、とにかく想像した通り、扇ヶ谷の枝の谷戸のひとつに降りることができた。てくてく歩くと、海蔵寺の門前に向かう道に出た(釈迦堂切通しへの角の向かいあたり)。

F1030176 ●浄光明寺のご本尊を見に行く。通常、拝観料を取る寺では門のところで払うことになるが、ここは寺にはそのまま入れて、奥の石段を登って仏殿以降を見る場合に改めて拝観料を払う仕組み。実際には仏殿には新しい三世仏があり、本来のご本尊の阿弥陀三尊は隣の収蔵庫に安置されている。三尊像の衣服の文様には、中世鎌倉地方の仏像に特有の土紋と呼ばれる装飾が施されている由なのだが、これは帰って調べて知ったのでしっかり見ていなかった。むう、もったいねえ。

仏殿裏手には裏山に登る石段があって、その先のやぐら内に網引地蔵と呼ばれる石仏と、さらにその上には藤原定家の孫、冷泉家始祖の冷泉為相の墓がある。もっとも私の場合、冷泉為相なる人物に惹かれて是非ともその墓が見たい、とかではなく、登れるところがあるととりあえず登ってみたくなる、というだけの話。馬鹿と煙は何とやら。右写真は網引地蔵前の空き地のあやめ(たぶん)。

●この「とりあえず登ってみる」というのは、鎌倉散策ではなかなか有用な手法である。鎌倉では、由比ガ浜に面した限られた平地とそこから切れ込んだ谷戸に住宅地や神社仏閣があり、それを囲む、アンモナイトの縫合線なみに入り組んだ尾根は、中腹に無数のやぐらや、神社仏閣の別院(離れ)や、誰それの墓などがあり、また稜線は簡単なハイキングコースになっていることも多い。

平地が狭い鎌倉では取り囲む山を背景に道は狭いし建物も密集気味で箱庭的にごちゃっとしている(それが鎌倉の「街」の面白さでもある)。しかし山に登ると入り組んで重なる尾根に遮られ、街並みはその間にちらちら見える程度になり、その先に海や富士山が見えたりすることもあるという具合で、いきなり風景のスケールが変わる。

「下界の鎌倉」と「天界の鎌倉」の二層がある、などと言うと大げさ過ぎるが、山の高さはそれほどでもないくせに、ギャップが大きくて面白い。もっとも、これは鎌倉の“内側”に視線を向けている場合に限る、と断っておいたほうがいいかもしれない。

“内側”の山肌は寺社の境内になっていることも多く、雑木林の中をえっちら登っていくと、すっかりハイキング気分になるが、一方で、鎌倉の“外側”(もっとも一応そこも「鎌倉市」内ではあったりするが)からは新興住宅地ががんがん山肌を蚕食しよじ登ってきている。したがって、いい気持ちで景色を眺めて“山の雰囲気”に浸っていたのが、ふと反対側を向くと足元まで住宅地が迫っていて、二階のベランダで布団を干しているおばさんと視線が合って互いに気まずい思いをする、なんてことも起こり得る。

実際、我が家も鎌倉を取り囲む山の上に作られた新興住宅地の中にある。

●まあ、俗な生活圏と、古い寺社や遺跡、海山の自然がごちゃっと入り乱れているのが鎌倉の魅力でもあるのだが、それは別段、歴史や自然と調和・融和しているというわけではなく、実際にはあまり遠慮なく歴史や自然を削り取って成り立っている。

なので、私自身、鎌倉の街は非常に好きではあるのだけれど、この周辺の一部で盛んな「鎌倉の世界遺産登録を目指そう」という動きには、

世界遺産をなめんじゃねえ!

と、ついつい思ってしまう(真剣に取り組んでいる皆さんには悪いけれども)。もし鎌倉が世界遺産に登録されるなら、イタリアなんぞ国まるごと登録されておかしくない気がする。そうそう容易く緒方直人のナレーションは手に入らないぜ!(古い)

それはそれとして、平泉と小笠原、おめでとうございます。

●閑話休題。

扇ヶ谷から、雪ノ下の川喜多映画記念館前を通り、鶴岡八幡宮、宝戒寺の前を越えて「岐れ道」方面へ。そのあたりから宝戒寺の裏手の山(というよりも旧東勝寺の裏山?)に登れないかと歩き回ってみたのだが無駄足。

再び山の表側に回り込み、宝戒寺裏から東勝寺址、北条腹切りやぐら方面に歩き、その手前を折れて山腹の住宅地の道を上る。そのあたりに、大町の奥の谷戸に通じるトンネルがあると先日聞いたため。

F1030158F1030160  結局、ほとんど山の尾根に近いあたりまで登ったところにそのトンネルはあった。軽自動車がやっと通れるくらいの狭くて暗くて雰囲気十分のトンネルで、写真は左が小町(東勝寺址)側、右が大町側。

先日の笛田-極楽寺間のトンネルもそうだが、前述のように複雑に入れ込んだ鎌倉の地形では、こういう鄙びたトンネルが多数ある。前々回載せた写真のように、尾根の先端の薄っぺらい崖には、人が通るだけの小トンネルも多い。写真の腕があれば、「鎌倉トンネルmaniacs」とか企画したいくらいだ。

F1030147 ●バス通りまで出て、鎌倉方面に少しだけ戻り、今が旬の安養院のつつじを見る。その先の別願時の藤も、先日バスの中から見てものすごく見事だと思ったのだが、もう盛りは過ぎていた。

●今回は日が暮れる前に帰宅。ただし歩きつかれたので結局模型の工作はせず。だめぢゃん。

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えあらこぶら

●廃藩チキン(不意に思い付いただけで特に意味は無い)。

●菅首相の浜岡原発停止要請で世の中騒然。思い付きで適当なことを言ってんじゃねえよ的反応も多いようで、確かにイキナリ感はあるのだが、

  • 浜岡原発は設計、施工、立地と3つ揃って不安材料を抱えている三重苦原発だし、
  • もちろん中部電力としては立場上自分から停めますとは言えないものの、いざという時どうなるか判ったものじゃない爆弾を抱えているよりも、むしろここで管が「停めろ」と言ってくれれば「ウチとしては万全を期してるんですけれど政府が無理矢理停めろって言うんで」という格好に出来て、ゴネればゴネるだけ損失を政府におっ被せられそうだし、
  • 自民党は自民党で、この勢いだと黙ってりゃ次にはまた政権が戻ってきそうで、そんな時まで浜岡をどうするかペンディングになっているより、ここで管が矢面に立ってくれれば、いずれは「いやいや、イラ管さんが停めちゃったんで、また動かすのはなかなかホネでねえ、しかもいろいろ言われてますから、まあじっくり調べてみましょうごにょごにょごにょ」で済みそうだし、

ってんで、反原発・脱原発(あるいはもうちょっとミクロに反浜岡・脱浜岡)とは別の次元で、実は喜んでいる人が結構いるんじゃないか、という気がする。

●「鉋音」←先ほど「かんなおと」と書いて出てきた最初の変換。

●GW中に、週末模型親父さんのところの48ミニコンペ用のダイムラー装甲車を塗ろうと思っていたのだが、逆にここ最近、すっかり製作から遠ざかってしまった。

工作自体は後はバックミラーを取り付けるだけなので、そこまでは休み中に終わらせておきたい。

●red_foxさんがmixiで書いている戦闘機の機種別/国別解説記事(ある特定の機体を、それを使った1国ごとに取り上げて解説)を毎度楽しく読んでいるのだが、最近書かれたRAFの「カリブー」(P-39エアラコブラ)の記事に関するやりとりで、その搭乗方向が話題に。

なぜかどの国のどんな機体でも、飛行機は通常左側から乗り込むようになっている。

メッサーシュミットBf109のキャノピーは右側に開くので左側からしか乗れないし、スライド式キャノピーのスピットファイアも乗降しやすいように付けられたドアは左にある。開放式コクピットのピーシューターやИ-16もドアは左(И-16の後期型では両側にドアがあるが、両側から乗れるようにというよりも間口が狭くて乗りづらいからという感じであるようだ)。以前、復元零戦に乗せて貰ったときにも左から乗ったし、外側からキャノピーを開けるノッチも左側にあったから、あれも左からしか乗らないものなのだろう。

と、大戦中の単発単座戦闘機を並べてみたが、考えてみれば現代の旅客機も乗降ドアは左にしかない。

ただ、飛行機の左右は、英語では“port side”(左舷)、“starboard side”(右舷)と呼ぶ。要するに航海用語なのだが、これでいうと左がport side、つまり接岸する港側であり、飛行機の設計でもそれが慣習になっているのかもしれない。もっとも、空港ターミナルに対しての駐機位置や向きがそれなりに統一されていたほうがよさそうな旅客機はまだしも、割とてんでんばらばらでよさそうな戦闘機で律儀に左でなければならない理由は、いまひとつよくわからない。

で、話は最初に戻るのだが、「てんでんばらばらでよさそうな戦闘機でも律儀に左」と書いたばかりだが、どうもエアラコブラの場合は右側乗降が基本だったようで、これはこれでどうにも謎だ。実際には、写真をよく見ると判るように、カードアタイプのエアラコブラの扉は、左右両方に付いている。しかし、戦時中の写真を見ても、youtubeで見ることが出来る教育用フィルムでも乗降は右ドアを使っていて、「別にどっちでもいいよ」ではなかった雰囲気だ。

そのくせ、昔の世傑に出ている記事、「P-39エアラコブラ操縦法--操縦マニュアルから」には、「コクピット両側にはドアがついているが、左側は通常の出入りに用いられ、右側は非常用に用いられる」と書いてあって、ますます謎。

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扇ガ谷

F1030105●GW後半、ちょうど大潮で正午あたりに大きく引いているというので、4日、小坪の磯に行ってみる。考えてみれば、すっかり潮が引いた磯に出掛けるのは下手をすれば10年ぶりかもしれない(それなりに近所に住んでいるくせに!)。

しかし、マツバガイでも採ろうと思っていたのに、久しぶりの磯はホンダワラに覆われてすっかり様変わりしていてがっかり。この季節にはうじゃうじゃいたアメフラシも、普通にいたウミウシも一匹も見かけなかった。

ちなみに、マツバガイのような岩礁貼り付き系の生き物は岩礁表面の海藻の芽などをこそげて食うので、マツバガイがしっかりしていればホンダワラだらけにならなかったはず。かといって、マツバガイなど食うのはよほどの物好きだけなので乱獲されたとは思えず、なぜこう変わったのか気になる。

●予定を変更しそのまま鎌倉歩きに出掛ける。攻略目標は、行きそびれていたそれなりの名刹がいくつかあった扇ヶ谷(おおぎがやつ)。

F1030099●逗子・鎌倉の山の斜面には野生の藤が多い。

人間の目というのは便利に出来ていて、余計な情報は意識から飛ばしてくれるので生で見る分には綺麗。しかし、写真に切り取ろうとすると、藤棚のようにお膳立てされていない野生の藤は、遠目では緑にぼやっと紫が混じっているだけになってしまう。

いやまあ、撮る人が撮れば綺麗になるんだろうけれど。

F1030096●扇ヶ谷に限らないが、逗子・鎌倉の谷戸の奥は古いやぐらがそのまま物置や車庫で使われていたり、あるいは崖を貫通して普通に人が行き来する路地になっていたりする。

なかには、ちょっと奥の深そうなやぐらだと思って覗き込んでみると、貫通しているうえに穴の中に門扉があって、要するに民家の入口だったりもする。まるで秘密基地。

なかなか風情があってよい。もっとも落石注意だったりもするので少々物騒ではある。

F1030102●同じく扇ヶ谷で。こんなところで石敢當(沖縄によくある魔除け)に出会うとは思わなかった。

もっとも我が家をはじめ、最近は関東近辺の住宅地でもシーサーを置いている家は多いのだから、石敢當の一つや二つあって不思議はないかも。

●行きそびれていた寺1つ目。寿福寺(金剛寿福禅寺)。開基は北条政子で、現在は小ぢんまりとしているが、その昔は大寺院であったらしい。裏手の源氏山に向けて少し上がったあたりに墓地があり、一番奥には北条政子、源実朝の墓と伝えられるやぐら内の石塔がある。

それ以外にも著名人の墓がいくつかあり、また墓地を取り巻く崖のやぐらは現在も墓として使われていたり、寺は臨済宗だがキリスト教徒の墓もあったりなどしてなかなか興味深い。

F1030127●行きそびれていた寺2つ目、英勝寺。大田道潅邸跡に建てられた寺で、鎌倉唯一の尼寺でもある由。

「縁切寺」で名高い北鎌倉の東慶寺は明治期に男僧の寺になっているそうですよ、さだまさしい人。

F1030141幕末までは代々水戸徳川家の姫君が住職となった格式の高い寺で、源氏山も(丸ごとそうだったのかどうかはよくわからないが)この寺の寺域であったらしい。白藤ほかがちょうど見頃。

こちらも小ぢんまりしているが、仏殿の軒下の蟇股(かえるまた)が十二支の装飾になっていたり、保護のためプレハブ(?)のドンガラに覆われてしまって見づらいが、極彩色の、開基英勝院尼の祀堂があったり(建てたのは水戸黄門様だそうだ)、なかなかディテールに見応えのある寺。

F1030121右は、仏殿の扉下の留め金のセミの装飾。

F1030123 なお同寺の山門は関東大震災で倒壊した後に売り払われて、長らく鎌倉市内の別の場所に建っていたらしいのだが、この度買い戻されて、元の場所に復興。すでにほぼ完成し、今月半ばにお披露目があるとのこと。屋根は新しい銅板で葺き直されているが、門の部材そのものは元のままであるらしい。

●行きそびれていた寺3つ目、4つ目は、横須賀線の線路を越えて反対側の浄光明寺と薬王寺。何しろ出掛けるときにはちょっと磯まで採集に、くらいのつもりだったので、英勝寺の拝観料300円を払ったら財布が空になってしまい、浄光明寺のご本尊は見そびれた(こちらは拝観料200円)。

F1030113 ●寿福寺まで戻り、墓地脇の、これまた秘密基地の入口じみた登り口をくぐって、源氏山に登る。

源氏山をほぼ横断するように、反対側の梶原方面に降り、大仏坂の裏手の常盤に出る。

鎌倉には4つ、八雲神社があるというのだが、大町の八雲神社、北鎌倉の八雲神社に続いて、そのうち3つ目の常盤八雲神社に詣でる。

そのまま市役所方面か、大仏方面に歩いてもよかったが、たまたま近くに立っていた地図で、極楽寺方面に抜けるトンネルがあることが判ったので、さらに大回り。すっかり日が暮れてから鎌倉駅前に辿り着く。

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胃痛

●2日月曜日。麻布十番の事務所に行く。

後輩Mが、宮城に墓掃除のボランティアに行く(津波に流された墓石を立て直して磨くんだそうだ)といって早めに出てしまったので、結局あれこれ作業しているうちに終電。

●夕方食ったおにぎりとコロッケのせいなのか? 単に食い過ぎたのか?

帰宅後、激しい胃もたれと胸焼けで七転八倒。生唾は出てくるし、苦しくてしょうがないのでお茶を飲んでとりあえず胃の中のものを吐く。

さらに、胸焼け(胃痛)に対するとりあえずの対症療法として牛乳を一杯飲む。これは昔ハヤカワFTの「ドラゴンとジョージ」だったか、とにかくそんなような題名のファンタジー小説で読んだ方法。何だかいい加減な情報入手ルートであるにも関わらず、普段はなかなかよく効くのだが、昨晩はあまり状況の改善に繋がらなかった。

そんなわけで、ほとんど眠れないまま夜が明けてしまった。今日も一日、調子が良くない。なんというかもう、胃袋を外して洗って一日陰干しにしておきたいくらいの感じ。

●渋谷で萩尾望都展をやっているとかで、ずーっと昔に買った私の蔵書でファンになっている娘が行ってポーの一族の絵葉書なぞ買ってきた。う、うらやましくなんかないやい。

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