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2011年4月

はやぶさたん

●水曜日、久々に川崎の実家に行き一泊。前の家が取り壊されて更地になっており、庭がえらく日当たりがよくなっていた。

晩の酒が過ぎたのか、つまみにあれこれ食いすぎたのか、とにかくなかなか寝付けず輾転。さらに早朝30分刻みで目を覚ます。

●行き掛けの本屋で「カブのイサキ」4巻、実家近くのbookoffで「ポジティブ先生」など購入。

●帰りにたまプラーザのB's HOBBYに寄る。かなり久しぶりの模型屋。いつの間にやらトラペから5tハーフトラック系列が出ていて驚く。BRONCOで出ただけでも驚きの車種なのに、競作!?

久しぶりに「模型屋の空気」を吸っただけで何も買わず。

●29日付毎日新聞より。

7年にも及ぶ宇宙の旅を終え10年6月に地球に帰還して感動を呼んだ小惑星探査機「はやぶさ」をテーマにした映画「はやぶさ/HAYABUSA」が竹内結子さん主演で製作されることが29日発表された。

えーと。これは竹内結子が「はやぶさたん」を演じる、ということでよろしいのでしょうか。

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アゲハ

●24日日曜日午後、また近隣の散歩に行く。

F1030075F1030072以前書いた時には写真を載せられなかったが、材木座・光明寺の裏手の「ミニサイズのアンコール・ワット遺跡じみた雰囲気」の、日向延岡藩内藤家墓所はこのような感じ。

どうも話によると寺で見学を頼むと鍵を貸してくれて中に入れるようなのだが、基本、門が閉まっていて入れないので、下草が茂っていてますます遺跡じみている。

材木座からのたのたと名越方面に歩き、先日行きそびれた松葉ヶ谷・妙法寺に行く。要拝観料300円。……むぅ。

本堂の奥、山肌に沿って仁王門、釈迦堂跡、法華堂、松葉ヶ谷草庵跡を主張する碑などがあるが、仁王門から釈迦堂跡に続く苔むした石段が一番の売りであるらしく、苔寺の別名もある。

F1030062石段そのものは眺めるだけで、隣に通行用に新しく階段を作ってあるが、そこで今年初めてのクロアゲハを目撃。……と思ったのだが、留まったところを写真に撮ろうとしたら、翅の表面で構造色が光った。クロアゲハじゃなくてカラスアゲハだったのか! と思ったが、春型のカラスアゲハは派手目だとあちこちの解説にあるし、どうもよく判らない。世間一般よりは昆虫の判別がつくほうだと自分では思っていたが、どうも当てにならないな……。

●26日火曜日。夜更かしをしたせいか寝ている間に冷えたのか、午後、激しく頭痛がしてダウン。出掛けるつもりもあったのだが諦める。

ボールトンポール・デファイアント、と言えば、当かばぶをしばしば覗きに来ている方であれば、その大半はすぐにそのトホホなイメージを思い浮かべて下さることだろうと思う。

もちろん、「なんだそりゃ」な方もいらっしゃると思うので簡単に説明をすると、コイツは、第二次大戦直前にイギリスのボールトンポール社で開発、量産された単発単葉引込脚、複座の戦闘機である。

敏捷であることがほぼ不可欠の戦闘機で、複座(2人乗り)というところですでに若干の疑問符が付くのだが、この機のすごいところは、普通、戦闘機ならばまずソレだろうという前方固定機銃を一切持たず、コクピット後ろに4連装機銃付き回転銃座を備えているのみ、という大胆な設計にある。

第1次大戦時に比べると飛行機の性能が上がり速度も速くなった結果、常に相手を自分のまん前に置くように飛ばなければならない前方固定機銃では捕捉時間が短すぎるのではないか、それよりも射角の自由な回転銃座に重武装を備えた方が……というのが設計コンセプトだが(たぶん)、実際には、

  • 自分も相手も飛び回っているわけで、自機の飛んでいるベクトルと弾のベクトルと相手の飛んでいるベクトルと、3つも入り組んでいてはなかなか命中させられるものではなく、
  • そもそも固定銃に比べて射界が広く自由に撃てるといっても、直前にはコクピット、後ろには尾翼があるのでそうそう自由に振り回せるはずもなく、
  • それでもなお相手を捕捉するには少なくとも敏捷でないといけないわけだが、複座で巨大な銃座付きのために機体が大型化して鈍重であり、

要するに何一ついいところがなく、折から始まった第二次世界大戦ではほぼ一方的にやられ役で、戦闘機と言いながら、敵戦闘機に遭遇した場合、味方の単座戦闘機に助けてもらって逃げ帰るのがやっと、という具合だった(もちろん逃げ帰れない場合のほうが多い)。

さらに、“売り”である回転銃座は背中側に唯一の乗降ハッチがあり、つまりいざという時には銃座をまん前に向かせないと銃手は脱出できず、しかもこの銃座は電動なので配線がやられているとその時点で脱出不能。また銃座の中は狭いのでパラシュートは別に収納してあり、それをごそごそ取り出して装着して……という具合だったので、銃手の生存率が著しく低い、といういや~んな特徴付きなのだった。

web辞書でdefiantの意味を引くと、反抗的とか挑戦的とかいう意味らしいが、要するに、敵に対して挑戦的ではなく、単に常識に逆らってみただけだったわけである。

さて、なぜいきなりデファイアントの話などしているのかといえば……どうも空回りしているっぽい挑戦的な設計、そのための厚さと重さ、七面倒な手順を踏まないと取り出すことが出来ないmicroSDカードと、オレの新しい携帯電話はまさにデファイアントそのものじゃないか!と日々感じているせいである。ああ、とにかくUSBコードは早めに買ってこなきゃ……。

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採集生活

●最近、常に部屋の中にショウジョウバエがいて、モニタの前を横切ったりするので気になって仕方がない。何がうざったいって、1匹しかいないようなのに、それを退治してしばらくすると、必ず次の奴がいることだ。毎週律儀に1匹ずつ来襲するウルトラ怪獣かおまいは。

いや、バルタン星人なみに来られても困るけどな。

●金曜日、N女史より仕事のフィードバックが来たので対応。先日行ったM社から借りた機械部品を撮った写真の解像度が低いとのことだったので、改めて撮り直す。カメラマンを使う予算がないので、私がデジカメで撮影。しかも神保町の事務所か義弟からコンパクトデジカメを借りる予定でいたが、聞いてみると私の新しい携帯と画素数に大差なかったので、携帯で撮る。いいのかそんなんで。

●先月、散歩の途中に近所でイタドリの芽を見かけた。その時はまだ地面からちょっと顔を出した程度だったので放っておいたが、改めて採りに行ってみる。

有川浩の小説「植物図鑑」に、イタドリは味に癖がなく山菜素人向けだというようなことが書いてあり、しかも本の口絵に写真まで出ていて「道端でよく見るあれがイタドリなのか、あれって食えるもんだったのか」と知って、いつか試してみようと思っていたもの。

Nec_0919 というわけで金曜日午後、小さなビニール袋を持って出掛ける。事前にwebで調べたところでは、まだ葉が開いておらず根元を指で折ったときに、ポクンと綺麗に折れるくらいが食べ頃だそうな。流石に芽が出ているのを見てから一ヶ月は間を置き過ぎで、すっかり伸びてしまっていたのだが、目星を付けておいた場所のほかにも群生地を見付け、食べられそうな若芽を5、6本採集することができた。

かみさんは“えぐみ”のありそうな山菜、タケノコの類は(調理法にもよるが)アレルギーが出るので全般的にダメだし、子供らも食べないので、自分ひとりで「お試し」するにはこの程度で充分。

夕方、芽先を落としてからピーラーで皮を剥き、さっと茹でて冷水にさらす。芽先も茹でて、こちらは花かつおを振って醤油をたらし、ついでにちょっとマヨネーズを付けてすぐに食べた。良い。

一晩さらした茎は刻んで、炒めて醤油とラー油で味付けをして食った。食感は穂先メンマくらいの感じ。料理法はなお改良の余地があるが、イタドリ自体はなかなかいい感じのものだということが判った。次の機会があれば、もう少したんまり採ってこよう。

●一応、自分では陸物・空物両用モデラーだと思っているのだが、こと模型誌の購入について言えば完全に陸物偏重である。最近は毎号買うということはなくなったが、それでもアーマーモデリング(AM)誌は割と買うのに対して、スケールアヴィエーション(SA)誌は創刊以来の通算で片手分買っているかどうかという具合。

……なのだが、流石に今号だけは買わずにおくというわけには行かない。モデルグラフィックス時代(もちろんMG誌は今でもあるが、要するにAMもSAも分離する前、という意味)から数えれば、たぶん3度目か4度目のフィンランド空軍特集だが、今回は作例も多いし内容も濃い。こっそり(?)かさぱのす氏のコラム「知られざるフィンランド模型事情」も載っている。もっとも改めて思うに、かさぱのす氏にはこの号でこそ、日本国内には1枚しかないのではと思われる「らーでん・えりこいす(LAHDEN ERIKOIS Olut I)」のラベルをどどーんとカラーで公表し、日本国内フィン空ファンをのけぞらせて欲しかった気もする。

●何しろ久しぶりに買ったので、その他SAがらみであれこれ。

・相変わらず、ノーズアートを“言い訳”にしたモデルのおねーちゃんのグラビアページ付き。いや、もはやノーズアートですらなく、フィン空ライサンダーの尾翼マークがモチーフ。そもそもマーク自体は簡単なシルエットなので、もはやおねーちゃんの格好はマークと何の関係も無し。編集長の趣味なんすかね。

・製作記やキット紹介の中に何度か「セマー」という名前が出てきて一瞬首を傾げたが、キット内容から考えてチェコのSMER(正しい綴りはSMĚR)のことだと判った。「スメル」と読む人はいるが「セマー」ってのは変だろう、と思ったのだが、改めてwebで調べると、扱っているバウマンがそもそも「セマー」と書いているので、それに合わせてあるらしい。うーん。もっとも、SMĚRはチェコ語では「スムニェル」と発音するらしいので、正しい読みのほうがなおさら判りにくいのは確かだ。ちなみにěの頭(ハーチェク)は軟音化の記号で、例えばneは「ネ」、は「ニェ」という発音になるのだが、だけは特殊で「ムニェ」という発音になるのだそうだ。チェコ語ぱねぇ。

・きららさんのコラムが出ていた。済みません、SA誌に連載をお持ちだとは知りませんでした。フィン空くらぶのきららさんが、せっかくのフィン空特集号にフィン空ネタではないお話だったが、「並べたい願望」については何となく納得。以前にも書いたが、うちのかみさんはそうした願望はカケラもない。以前、部屋に本が納まりきれなくなって階下に本棚を一つ置かせてもらおうと思ったことがあるが、かみさんに「嫌よ邪魔臭い」と言下に拒否された。もっとも私の部屋の外に出すと扱い的にも不安があるので、どんなに部屋が狭くなろうと我慢するのが正解かと最近諦めるようになってきた。

・SA誌の内容と直接関係ないが、裏表紙はハセガワの新製品案内。Su-33フランカーの要するに“痛機”仕様が出ているのだが、完全新金型って……。普通のを出すより前に、まず痛機仕様なの? もちろんメーカーとしては少しでも利益の上がる出し方を考えてそうなった結果だと思うのでとやかく言うのも何なのだが、それでいいんすか現用機ファンの人。

F1030041 ●机の脇の本の平積みを漁っていて、1年以上前にとある仕事の資料に買った「別冊・歴史人 一個人 坂本龍馬の真実」という雑誌が出てきたのだが、パラパラめくって、今更気付いた。

右の写真、拡大して見ると判るが、タイトル左下のリード部分が、まるっきり無関係の文章になっている。ちなみに実際にはここは見開きの扉ページで、左ページにももう1ヶ所リード、さらに左下に写真キャプションもあるのだが、それらも合わせて3ヶ所とも同じ文章である。

出版の仕事の現場では、文字が並んでいる様子を見るために原稿完成前にダミーを入れることは多い。中身は違っていてもそれらしく文字が並んでいるとうっかり見逃すことはままあり、校正のかなり後ろの段階になって、「おいおいおいおい、ここダミーが入ったまんまだよ、何やってんだよ」と大焦りすることもあるのだが、とはいっても、ここまで見事に“出版事故”をやらかしてしまっているのは比較的珍しい。なお、見逃しを防ぐため、ダミーは判りやすく

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などを入れることもある。

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クリスティ突撃胞

F1030010●家の前の桃の花は満開状態から、週末になって花びらがかなり舞い始めた。

●木曜日。広島に出張。広島でも山の方にある某社工場が行き先なので、新幹線でなく久しぶりの飛行機。……なのはいいとして、行きはちょうど朝のラッシュ時にぶつかってしまい、横浜からの京急でもみくちゃにされた。折角ほぼ治った肋骨に止めを刺されるかと思った。

行きも帰りもJALのMD-90。DC-9系、息が長いね。同路線でも隣のANAのほうがいい機材(777)を使っているなあと横目で見ていたが、後から考えてみるに、MD-90は旧JASの機材らしい。

羽田では、タキシングを始めた機内から外を眺めていると、向こうに出来たばかりのD滑走路が。D滑走路は多摩川河口域に向かって出島状に張り出して作られており、河口からの流れを遮らないよう、約1/3が鋼管トラス桟橋形態になっている。「あれがそうか」などと思ううち、乗っている機自体が橋を渡り、D滑走路からの離陸だった。とにかく滑走路だけの出島なので、妙にだだっ広い。新国際線ターミナルとセットで出来たせいもあって、D滑走路は国際線用のような気がしていたのだが、改めて考えると国際線ターミナルからは一番遠くて不便。

羽田を発ってから広島に到着するまで、春めいて若干ぼんやりとしているものの視界を遮る雲が一つもない珍しいくらいの快晴。下界がまるで地形模型か3D地図データのようだった。夜更かしをしたので当初は羽田から広島まで寝通すつもりでいたのに、結局ほとんど下を見ていた。

帰りの便は、もしものことを考えて遅めに取ったので日が暮れてから。それにしても、航空会社の提携が進んでいるのは知っていたけれど、広島-羽田などというローカル線でJALとエールフランスのコードシェア便なんてあるのは初めて知ったよ……。

●タミヤがホビーショー発表アイテムとして、BT-42を発売する由。青天の霹靂というか鬼の霍乱というか天網恢々粗品進呈というか、もう何を言っているかワカラン。

個人的にはBTバリエーションとして出て欲しい直球ど真ん中アイテムだが、同時に、自分の好みがおよそ一般的とは言い辛いものである自覚も充分にある。その点で言えば、BT-7 1937年型はBTの本命としていずれ出ると思っていたが、そこをすっ飛ばしてBT-42をタミヤが出すなどというのは変化球どころか魔球レベルではないかと思う。もっとも、すでにタミヤがそういう“周辺アイテム”を出さざるを得ない時代、ということなのだろう。

BT-42のベースとなっているのはBT-7 1937年型だが、BT-42への改造以前に、1935年型と1937年型との間には砲塔以外にも意外に相違点は多い。セータ☆氏のまとめを見ると、私も見落としていた箇所が多くてドッキリ。

さらに、BT-42は18輌しか作られていない車輌だが、鹵獲品からの改造ということもあってか、クリーニングロッドの搭載位置に別があったり、車体前端に妙なヒレが付いていたり(これは一体何なのだろう? ヘッジホッグ?)、個体のバリエーションが結構ある。車体番号とディテールがきちんと対照できる写真はそれほど多くないが、発売までにはある程度チェックしたい。

●niftyが25周年だとかで記念サイトが作られていて、昔のNIFTY-Serveのパソコン通信画面が体験できるページがある。激しく懐かしい。

コマンドもほとんど忘れかけているが、「go fmokei」で模型フォーラムに行けたんじゃなかったっけ……いや、模型フォーラム分割後の仕様になっているので、「go fmokeid」じゃないとダメなのか……と思って試したが両方通じなかった。もっとも、どのみちフォーラムの中身まではないので、それで行けたからといってどうということもない。

懐かしさを演出するディテールとしては、コネクトの前段階として、

ぴ~ぃ、ぴるぴるぴるぴる……

というモデム音を入れて欲しかった。もっと言うと、その前に何度か話し中/リダイアルを重ねるとか。

●チビ助は数日前に2歳の誕生日を迎えたが、折悪しく(しかも珍しく)風邪を引いてしまい、ここのところぐずり通し。しかし、今日(日曜日)、夕食後に私の買い物に付いていくと言い出し、初めて私と2人きりで出掛けたが、妙に利口にしていて泣きも騒ぎもせず。

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新型配備

●わーん、厚いよー重いよー黒いよー。

新携帯電話導入。富士通製のF-04Bという、ほぼちょうど1年前発売のモデル。これまで使っていたP703iμに比べて厚みも重さもほぼ倍。BTからKVに乗り換えたくらいの感じ(ソ連戦車ファン向け比喩)。

通常使用状態ではスライド式なのだが、ディスプレイ部分とキー部分を分離させることもでき、その場合キー部分の表はQWERTY配列のキーボードになる、という「すごく凝ってるんだけど使いづらそうな」ギミックを持つ。ちなみに、おかげでバッテリーもそれぞれに必要。

普通の携帯のキーには今なお熟達せず、ぽつ、ぽつとしか打てないのに対し、小さいとはいえQWERTY配列だとやはり文章入力し易いことは判ったが、キーボード部分を両手で(ゲームコントローラー風に)持った場合、当然ディスプレイ部分は持っていられない。膝に乗せて文章を打とうとしたら、購入したばかりで早速床に落としそうになった。どうしろというのだ。

なお、とりあえずディスプレイ部だけでも電話、メールの送受信はできるようなので、ディスプレイ部だけ持って歩くという選択もアリかもしれない。

搭載されているカメラは1220万画素と妙に高性能で、基本的に携帯の機能では仕事の電話と家族間のメール以外にカメラくらいしか使わない私としては有難い。

しかし問題はmicroSDカードの搭載場所で、これまでのP703iμは側面にスロットがあって簡単に着脱できたのに対して、この機種では、

  1. 本体をディスプレイ部とキー部に分割し、
  2. ディスプレイ部の電源を切り、
  3. 背面のバッテリー部のフタを開け(ものすごく開けづらい)、
  4. バッテリーを外し、
  5. ようやくSDカードを着脱。

という手順を踏まないといけない。要するに、「SDカードは本体内蔵の増設メモリであって、頻繁に着脱するなんて使い方は、おらぁ認めねえ」と宣言しているかの如きスロットの場所である。

これは今まで、microSDを携帯-PC間の画像移動用メディアとして使っていた私としては非常に困惑する仕様である。いやはやまったく。USBケーブルの導入を検討しなければなるまい。

もっとも、「素朴に電話と若干のメールに使うだけ。あとはカメラを使う程度なので、その他の機能については基本、全く問わない」&「なるべく安いヤツ」という条件で選んだものなので、あまり文句は言えない。

●というわけで鎌倉のdocomoショップに携帯を受け取りに行きがてら、投票および散策。

投票所から南ヶ丘団地経由で材木座の光明寺裏に出る。裏山の秋葉三尺坊大権現(火難避けの神さん)に上る。

山を降りて、光明寺の脇に何だかミニサイズのアンコールワット遺跡じみた雰囲気の、大小の石塔がぎっしり並んだ場所があることに今回初めて気付いた。閉じられた入口脇に文字の消えかけた案内があり、日向延岡の殿様、内藤家の江戸初期からの代々の墓地である由。光明寺の桜はちょうど満開。

大町の「ぼたもち寺」に寄って鎌倉駅前に出る。若宮大路の段葛の桜も今が見頃という感じだった。しかし改めて考えると、鎌倉には桜の綺麗な場所はいろいろあるが、神社仏閣だったり通りだったりなので花見宴会には向かない。

P1020495P1020493●ヨンパチ工作(バンダイのダイムラー装甲車Mk.I)のその後。

車体前面ラックにサンドチャンネルを固定、側面ラックと後部フェンダーにシート類を載せ、さらにエンジンデッキ上にドイツ軍用ジェリカンと頭陀袋を載せた。砲塔の左側アンテナ基部には雑嚢と(写真は取り付ける前に撮ったので写っていないが)英軍ヘルメットを下げた。

戦闘室右側のラックは以前書いたように、車体前面にサンドチャンネルのラックがある時期には(少なくともこの形式のものは)付いていない可能性が高そうなのだが、結局そのままにしてシートを載せてしまった。なお、シート類はフェンダー上のものも含めて、丸めたティッシュ製という古典的技法。ティッシュだと表面がケバ立ち気味になるため、現在はエポパテとかポリパテとかで作る(あるいはティッシュで作るにしてもティッシュに薄めたポリパテを塗り込める)といった手法が主ではないかと思うが、要するに「手近な在り物で適当に」の結果。

ちなみにこの写真2枚はまだ旧携帯で撮影したもの。

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みうらちゃんおはか。

P1020486P1020485 ●鎌倉のdocomoショップに行きがてら、材木座界隈の、これまで行ったことがない神社仏閣、来迎寺-五所神社-實相寺-補陀洛寺と回る。

来迎寺には頼朝挙兵の折、ちょうどこのあたりで戦われた小壷坂合戦と、それに続く衣笠城合戦で斃れた老将・三浦義明とその孫・多々良重春の墓(と言われているもの)がある。また、寺の裏にはこの戦いで戦死した郎党の墓とされる石塔の一群も。

P1020480b 五所神社は材木座の鎮守とされる神社で、佇まいもいかにも“村の鎮守”風だが、鎌倉時代の不動明王の梵字が彫られた石板だの、摩利支天石像やいくつもの庚申塔だの、意外に見ものが多い。

摩利支天像は三面で猪に跨った姿で、この形式のものは全国でも例が少ないのだそうな。不動明王の石板は、行ったときには祠の扉が開いていて普通に見ることが出来たが、普段は閉められているらしい。

●九品寺を経由して大町四つ角方面へ。

横須賀線を渡ったところで辻の薬師というお堂があったので覗く。小さなお堂なのだが、もともと本尊として平安期の薬師如来、鎌倉~室町の十二神将像があったそうで、現在も薬師如来像と2体の神将のレプリカが安置されていて、扉の穴から小銭のお賽銭を入れると堂内の明かりがつく。鎌倉の旧市街の寺はだいぶ回った気がするが、それでもこういう地味に面白いところがまだまだある。

P1020477 辻の薬師の斜め向かいに本興寺があり、枝垂桜がちょうど見頃だった。

docomoショップに行くまでに撮ったものなので当然だが、今回の写真は全て、まだ壊れた携帯電話での撮影のもの。今度こそ最後のお勤めか?

●docomoショップで携帯電話を選ぶ。諸般の事情により新型配備は数日後。

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みうらちゃんもえ。

●肋骨はだいぶ復調してきた感じ。力を抑え気味なら鼻もかめるようになった。そこでうっかり、通常パワーでクシャミをしたら悶絶。

●仕事。5日火曜日、霞ヶ関の合同庁舎。6日水曜日、新一の橋。久しぶりの都内。

●地震で東京タワーのてっぺんが曲がってしまっているのをようやく自分の目で確認。

●日比谷公園の桜はもう盛りをちょっと過ぎたくらいの感じだった。

P1020464 ●6日午後の新一の橋の仕事の折、地下鉄の麻布十番の駅から地上に出ると、どうも何やら焦げ臭い。交差点の向こうに消防車の姿が見え、近付いてみると道路の真ん中でランボルギーニ・ミウラが焼け焦げていた。

他に傷付いた車等も見当たらなかったので、自分で勝手に炎上したらしい。

P1020475 ●都営地下鉄にMerci(都営地下鉄版KIOSK)の中吊り広告があって、「サクラ子ちゃん」というキャラクターが描かれていた。どことなく神戸新聞の「いまいち萌えない娘ちゃん」風。

●とうとう携帯電話が壊れた。

どこに電話しようとしても「国際電話発信」になってしまい、SDカードを認識せず、メールも打てず、午後にはとうとう日付と時間さえ表示されなくなってしまった。上記、地下鉄の中吊り広告写真が保存できなかったのもそのせいで、上の激しくピンボケかつ色もおかしくなった写真がほぼ最後のお勤め。

当然、即座に新しい携帯電話を手当するべきなのだが、都内で手近なショップを見つけて行けばいいものを、帰りに逗子駅前のショップに行こうと考えたのが迂闊で、到着時がちょうど閉店時間だった。

●娘に「荒川弘って女の人なんだって」と言ったら、「知らなかったの?」と鼻で笑われた。もっとも自分も以前に弟(息子)に教わったから知っているだけだそうなのでさほど威張るに値しない。

●西尾維新「花物語」を読む。

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エイプリル・フール

●mixiのアプリ「もやしもん」が数日前にリニューアル・スタートしたばかりだが、4月1日になっていきなり「かもし」の表示(だけ)がリセットされていた。ずいぶん地味なエイプリル・フールだなと思ったら本当にバグっていただけだった。

ちなみに去年だったか、同じくmixiの農場系アプリで畑が大火事で全焼するというネタを披露したところがあり、「やるなあ」と感心したのだが、「本気にした」「人をバカにするにも程がある」「こんなアプリなんか二度とやるか」等々激怒する人も多かった。SNSのミニゲームにどれだけ入れ込んでるんだ……。

●同じくエイプリル・フール・ネタ。1日、夕方から麻布十番の事務所に出掛ける。外からかみさんに、

「靴を買ったら金が無くなって、しかもSuicaがカラッポだったので帰れなくなった。事務所に泊まって、誰か金を貸してくれる奴が来るまで待つ」

という内容のメールを送ったのだが返答なし。今日2日になって、「帰って来てたんだ。誰かに貸してもらえたの?」と素で聞かれた。冷めた夫婦関係だな。

●ちなみに「もやしもん」は第10巻発売。「アザザルさん」6巻と一緒に買ってきた。

マンガといえば、「はがれん」の荒川弘が女性作家だって今の今まで知りませんでした。

●相変わらず暇を見ては歩く。

逗子と鎌倉の間の名越のトンネルを鎌倉(大町)側から眺めると、トンネルの上の尾根筋に遊歩道のような柵が見えるのが、しばらく前から気になっていた。その尾根の向かって左手のほうには名越の切通し道があるのだが、そちらからは、このトンネル上方面への分岐などは見当たらないのである。

Googleマップを見ると右手から尾根筋に上がれるようだったので、数日前、歩きに行ってみる。名越の切通しを抜けて大町側へ一旦降り、Googleマップにあった道を上る。つづら折の急勾配の舗装道路を歩いていたら、登ってきたミニバンのおじさんに乗っていきますかと声を掛けられた。

礼を言って断ってさらに登ると、行き着いたのは尾根の上の墓地で、先の車のおじさんは墓地の管理人であるらしい。墓地の横に通行止めになった道路が続いているのが見え、おじさんに尋ねると、今は使われていない私道で、先がどこかはおじさんも入ったことがない由。

P1020450b 入ってみると、廃墟と化した民家の裏を通り、予想通り名越トンネルの上に出た。道自体は、尾根の大町側の斜面に鉄骨を組んでベランダ状に張り出して作られており、ずいぶん長いこと使われていないようで、道の真ん中を突き抜けて木が生えていたりする。まだ春先なので歩けたが、夏は木の枝や雑草に遮られて歩けないかもしれない。

トンネル上をまたいで行くと、突き当たりに小さなプレハブがあり、「休憩所」の札が貼られている。プレハブの前には錆び始めた軽トラ。何かの工事事務所のようなのだが、一体こんな場所で何をどうしようとしていたのか謎。ちょっと手前に踏み分け道が分かれており、そちらを辿ったら名越の切通し道の脇にある平場に出た。何となく謎が一つ解けた気分。

●2日土曜日午後。またまた名越の切通し道を通り大町に下りる。先日、完全ロックアウトになっていることが判明した釈迦堂切通しだが、その上にあるという遺跡が主目的地。

そこはもともと「北条時政(源頼朝の舅)山荘跡」と言われてきた場所で、Googleマップにもそう書かれているのだが、何年か前の調査で、土地の造成が時政の時代より下る13世紀後半と判明、未知の寺の遺構であるらしいということになったのだとか。

長勝寺踏切の先で脇道に入り、安国論寺に寄り道。寺の名前で明らかなように日蓮宗の寺で、日蓮上人が立正安国論をここで書いたと言われる。あたりは松葉ヶ谷(まつばがやつ)の古地名を持ち、寺は日蓮が他宗派の焼打ちにあった「松葉ヶ谷草庵」の跡であるとも言う。境内には焼打ちにあった際に逃げ込んだという岩窟(おそらく元はやぐら)もある。

もっとも、近くの長勝寺、妙法寺にも松葉ヶ谷草庵跡説があり、要するに「日蓮まんじゅう本舗」と「元祖日蓮まんじう」と「日蓮饅頭本家」が軒を並べて商売しているような具合である。さらに、名越の切通しを越えて逗子側の法性寺も、焼打ちの際に逃げて隠れた岩窟跡を主張している。

もちろん、日蓮という人は800年近く経って風化しかけた事跡を見ても、恐ろしく融通の利かない人物であったことは想像できるので、草庵を近辺に幾度も建て直しては焼打ちにあい、あっちの山の穴、こっちの山の穴に逃げ込んでいた可能性はありそう。山の穴といえば日蓮か、新大久保の駅員上がりの落語家かって感じだ。

安国論寺は裏山に登って歩くことが出来、手前の尾根上には鐘つき堂がある。撞木の尻にメーカーのものと思しきシールが貼ってあった。ブランド名は「ナムシステム」だそうだ。……何と言うか、「グレートありがとウサギ」系のテイストだ。

P1020457b なお、その後行った当初目的の釈迦堂切通し上の遺跡は立ち入り禁止だった。鎌倉市が国の史跡に申請するとともに土地を買い上げて整備する、というような話を聞いていたが、少なくとも整備は未着手のような気配。

●さらに歩いて鎌倉駅前に出る頃にはもう夕暮れ。本覚寺境内の枝垂桜は今年も綺麗だった。段葛の桜はまだ咲いていないのかもう散ってしまったのかよく判らない。

化物語シリーズの最新刊が出ているはずと本屋に行ってみたが見当たらなかった。小町通りの壱番屋で割れ煎餅を買う。だいぶ鎌倉は人の出が戻ってきた感じ。なお、とある店先で

「久しぶりの単一電池入荷~、幻の単一電池~」

と、エアフィックスの1:32「2階建てバス第一次大戦型」でも再販されたかのような(判りにくい喩え)口上付きで単一電池を売っていた。

P1020438b ●48工作現状報告。

ダイムラー装甲車は一応、アフリカ戦線仕様で作ろうと考えているので、車体前面に装備するサンドチャンネルを工作。0.3mmプラバンにピンバイスで穴あけ。どうしても不揃いになるが、2枚目は1枚目より少しよく出来た。

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