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2011年3月

OUCH!(2)

●どうもただの打ち身ではなく、肋骨にひびが入っているのではないか疑惑浮上。もっとも肋骨のひびというのは、湿布をするとかいった以上に特にスゴイ治療をするわけでもなく、安静にして治るのを待て的なものであるらしい。

コーヒーを飲んでいてむせたら半端じゃなく痛く、しかし気管に入ってしまったコーヒーの滴はそれはそれで苦しいので七転八倒。もちろん身もだえするとますます痛いので、実際には七転八倒もできない。

ほか、くしゃみも極悪。せきやくしゃみがこれほど胸郭に負担が掛かるものとは思わなかった。

前回書いたように鼻をかむのも激しく響くので、ひどい花粉症や風邪の場合であったらと思うと、まだマシ。

基本、じっとしていれば痛くないし、普通に息はできるし右手で物を持ったりキーボードを叩いたりもとりあえずはできるが、せき、くしゃみ、鼻かみ以外にも、思いがけない動作がいきなり響くので気を抜けない。寝たり起きたりの過程もちょっときつい。

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OUCH!

●知人のSさんのお母さんは被害が大きかった地域に暮らしていたのだが、しばらくして入ってきた情報は、自宅は炊事場だけ残して流出、ご本人も絶望、というものだった。しかし先日、当のご本人より、避難所で無事である旨連絡が入った由。なんとまあ。本当に、なんとまあ、よかった。

●地震だ原発事故だと心細いなか、顔も見せないとは何事か云々という圧力が掛かり、月曜日、川崎の実家に行く。

翌22日火曜日は午前中、我が家周辺はまた計画停電が予定されていたこともあり、「停電避け」も兼ねて一泊。火曜日、実家近所の司法書士に相続関係の相談に行き、昼過ぎからは小雨の中を母と墓参りに行く。母に聞く限り、食器棚から食器が飛び出してきたり花器の水がこぼれたりと、高津区は逗子よりだいぶ揺れが大きかったようだが、流石に墓石までずれたりはしていなかった。

夕刻帰宅。なお、少なくとも逗子近辺では午後の計画停電は中止。結局、我が家周辺の第1グループだけが律儀に停電したようだ。

●消費電力の多さが祟って、ディズニーランドが当分営業再開できなさそう、なのだそうだ。駐車場が液状化で泥だらけとは聞いたが、遊園地内にはさほど被害は出ていないそうな。それはそれとして、このニュースを読んで少し驚いたのは、

浦安市は、計画停電の第5グループに入っており、2011年3月14日のスタート時からすでに3回も停電が行われている。

の一文。

……ちなみに我が家周辺は24日木曜晩が、確か6回目。よほど我が家周辺は重要施設も何もない地域であるらしい。もちろん、家が流されたわけでも何か壊れたわけでもなく、停電くらいでガタガタ言っていては罰が当る。実際、浦安あたりは液状化でライフラインがかなりズタズタになっているらしく、それに重ねて停電ではたまったものではなかろう。

●金曜日。自宅の階段で転倒。迂闊。

ちび助が一人で階段の半ば過ぎまでよじ登って来ていたので、抱き上げて降りるところで滑った。ちび助は私の顔に頭をぶつけた他にはどこにも何も当てることなく、ちび助を取り落とすことも、下まで転げ落ちることもなくてよかったが、右脇を強打したうえ、しばらくして気付いたが右人差し指の爪が割れていた。

深呼吸しても特に脇が痛むということもないし右腕が動かしにくいということもなく、人差し指の爪も血が出るほど割れたわけでもない。運がよかったと考えるべきだろうと思っていたのだが、それでも多少痛いには痛い。一休みすることにして、夕方少し横になっていたら、起きて以降だいぶ痛み始めた。じっとしている分には痛みもないが、背中のほうに力がかかるとつらく、鼻もかめなくなってしまった。ふんがー。

●バンダイ48のダイムラー装甲車は、操縦手席前面バイザーを取り付け。実際にはキットのパーツは、縦幅に比べ横幅が広すぎる。単に横幅がありすぎるようにも見えるが、前面装甲板の縦横比自体がちょっとおかしい可能性もある。

いずれにせよ、すでに車体は組んでしまってあるので今更修正もできず、単にバイザーを薄く削り、チラ見えの範囲でそれらしく見えるよう裏面に多少のディテールを工作して、開状態で接着した。

なお、前回書き忘れたが、結局、気になり始めた砲塔前面下のベロを延長(ただし砲塔リングの拡大などは行わず)、戦闘室後面のバイザーも追加工作した。

装備品を除く工作は僅かになったが、ここで、車体右側のラックがどうにも気になってきた。

前回日記のキットの写真にも写っているが、パーツがごつい角材状だったのでプラバンで作り変えたもの。一応、実車の正規装備で現存の博物館車輌には付いているのだが、戦時中の写真では、初期には付いておらず、どうやら後から追加で装着されたものらしい。

ラック自体はシートか迷彩ネット用のものらしく、作例ではまだ付けていない2本のベルトで締め付ける。さらに、これも作例ではまだ付けていないが、ラックの外側にドイツ戦車のピルツェ状の突起が2つある。web上で見つけた図版によれば、これはサンドチャンネルを取り付けるためのものであるらしい。

しかし、アフリカ戦あたりのダイムラーMk.Iは、車体前面にサンドチャンネル用のホルダーを別途持っている。というわけで、車体右側のラックはアフリカ戦より後に付けられたもののような気がする。実際、北ヨーロッパの戦場になると、車体右のラックがしっかり付いているのだが、この時期になると、車体左にスペアタイヤを搭載し、それに合わせてジャッキなどの装着位置も変わってくる。キットにはスペアタイヤのパーツがないので、複製でもしない限り、この仕様にはしづらい。

そんなわけで、せっかく作ったラックだが取り去ってしまおうか悩み中。

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ひたすら歩く。

●結局、この週末は計画停電は無しということになるようだ。

何だか被災地の皆さんに申し訳ないような気もするが、とはいえここで停電していても、その分、被災地に何か行くわけでもない。

●とにかく歩く。

19日、鎌倉大町のちょっと判りにくい場所に知る人ぞ知るケーキ屋があるとかみさんが言うので、ネットで調べてみると、本当にずいぶん奥まったところだった。というわけで、3日連続で名越の尾根道を辿って大町の谷戸奥に降り、そのケーキ屋を訪ねる。毎日尾根道を越えて歩くとは、まるで中世の人間のようだ。

P1020411 ケーキ屋は停電のあおりで生ものは再開したばかりとのこと。品物はあまりなく、小さなロールケーキを1つ買う。出たついでにちょっと大回りして帰ろうと思い、釈迦堂切通しに行ってみたら、本格的に通行止めになっていた。

実際にははるか以前から通行止めではあったのだが、2年ほど前に行ったときには、そう書いた札が立っているだけで柵などは設けられていなかった。大町の谷戸と金沢街道方面を結ぶ便利な近道でもあり、近隣の人は日常的に利用していたのではないかと思う。

柵が真新しいのでつい最近立てられたのかも知れないが、調べてみると、昨春、大雨の後に横の岩肌がだいぶ大きく崩れたそうな。

●20日。暖かい。

午後に出掛ける。今日はちょっと贅沢をして、逗子から北鎌倉まで電車に乗り、円覚寺の裏山にあたる六国見山に登る。前々日の衣張山からは、鎌倉旧市街を東奥から見下ろす形だったが、六国見山だと西奥から見下ろすことになる。

明月谷に降りて再び登り、天園ハイキングコースに入って“鎌倉の背”を辿る。十王岩はほぼ鎌倉旧市街の真後ろにあたり、若宮大通がほぼ縦一文字に見える。

P1020420天園までは行かず、これまで行ったことがない覚園寺方面に降りる。覚園寺方面に折れてすぐのあたりはやぐらが密集しており、百八やぐらというそうな。それほど巨大な穴は見なかったが、覗いたうちのひとつには石塔がぎっしり入っていた。

“下界”に降りて覚園寺に寄る。震災を受けて、賽銭箱の中身をそのまま募金に回すと書かれており、財布の中の小銭をぱらぱらと(済みません、ビンボーなんです)。

鎌倉駅前まで歩いて戻る。

P1020436 ●ひさびさのヨンパチ工作報告。砲塔右側面のサーチライト、スモーク・ディスチャージャーを工作。

スモーク・ディスチャージャーは、現存の博物館車輌ではもっと別の形をしているのだが、当初からその形であったかどうか、よくわからない。初期のMk.Iの仕様が写っている、youtube上の動画では残念なことにカバーが掛かっている。もっともオシリの部分からケーブルが出ているし、引き金?部分があまり大きいようにも見えないので、マチルダあたりと同一形状のものが付いていた可能性もありそう。

などなど考えつつ、結局、単に「なんだかそれらしい感じ」の適当工作で誤魔化した。

それにしても、ダイムラー装甲車はイギリス製装甲車としては主役級なのだと思っていたのだが、web上に戦時中の写真資料が少ないこと! そもそもイギリスAFVというのはこんなものなのだろうか?

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一週間

259684337 ●未だ誘発地震・余震の類収まらず、原発は予断を許さず、したがって気持ちもまるで落ち着かないのだが、もう一週間。

友人M君が世界への感謝と震災からの復活の意をイラストにしたのでとりあえず貼っておこう。

まあなんだ。ベルリンの壁あたりに描いてありそうな感じが、年代ですな。

●仕事は流れてしまったし、かといって家にいても停電で何も出来ないので、ひたすら歩く。ちなみに我が第1グループは連日停電があり、下手をすると1日に2度も回ってくるのだが、なぜか逗子駅前の第3グループは、17日の段階で「22日まで停電実施の予定なし」と市役所HPに明記されている。

その後webでニュース等見ると、どのグループにも停電の順番が回って来ているようなことが書かれている。同じグループ内でも停電したりしなかったり、というのがあるのか?

それにしても逗子に停電が回避されるような何があるのか? ちきゅーぼーえーぐんの秘密基地か?(なお、天罰男しんたろー宅は第1グループ範囲内のような気がする)

●17日、我が家周辺の第1グループは2度の停電。夕方の停電は一度は回避されたのだが、直前になって復活した。

P1020390P1020397午後遅くなって、また街の様子でも見ようかと出掛けたのだが、名越の峠道をさまようのに時間を費やしてしまい、へろへろになって日暮れ時に帰宅。何のために出掛けたのか判らん。右は峠道で見た今年初めてのスミレ。

名越の峠道はハイランドの直前で右に折れることが出来、そちらへ行くと小高い山を越えてさらに尾根を辿ってハイランドの久木側の端に出ることが判明。またその分岐の近くには、これまで知らなかった巨大なやぐらがあり、藪に埋もれかけた石段が下の方にあるのだが、下っていったら竹薮で行き止まりになった。

P1020394b 近くで今年初めてのたんぽぽも見る。花の下の部分(総苞片、というのだそうだ)が反り返っていないので在来種のタンポポかと思うが、最近は交雑も進んでいるそうなので素人の私には判別しかねる。

反対側の、大町側から登る斜面にもいくつものやぐらが木や藪に半ば隠れるようにおそらく3層以上並んでいて、夕暮れ時の薄暗い林の中ではひどく不気味。

帰宅後、すでに停電しているなかでそそくさと夕食を済ます。真っ暗な中ではすることもなく、ベッドで布団にくるまって寝てしまう。

●18日。再び2回の停電予定。午前中は予定通りあり、それほど間を置かず午後は1時過ぎからの予定だったので、家に居ても仕方がないと思いまた歩きに出る(しかし結局、直前に回避となった)。

P1020408b 前日と同じく名越の切通しを抜けて峠道を辿り、今日は素直にそのままハイランドに抜け、次いで衣張山に登り、尾根伝いに歩いて杉本寺方面に下りる。どうにも色が気持ち悪くしか写らなくなってしまった携帯写真で申し訳ないが、衣張山から見下ろした鎌倉市街。遠く右端に富士山。

報国寺で花壇に悪さをしているタイワンリスを追ってやった後、金沢方面に足を延ばし、浄妙寺、十二所の光触寺まで行って鎌倉駅方向へ引き返す。光触寺脇で今年初めてのウグイスを聴く。

P1020407b 荏柄天神社の参道で、あつらえたような「梅に鶯」の構図を見る。もっともウグイス色の小鳥は本当はウグイスではなくメジロであり、本物のウグイスはもっと地味だし、そもそも梅に来ることはあまりないそうだ。右は三椏(みつまた)の花。

荏柄天神社には「日本三天神」の一つだと大層誇らしげに書かれているが(もちろん他の2つは大宰府と北野の天満宮だ)、それにしては規模に差がありすぎる。後でwikiを見てみると、どうやら3つ目は防府もしくは大坂を数えるのが普通であるらしい。

P1020404b なお、荏柄天神社には“かっぱ漫画家”清水崑が絵筆供養した縁で漫画家150名あまりのかっぱ絵レリーフ入りの絵筆塚が立っている。アトムかっぱはちょっと珍しい……かな?

その後、大江広元墓、源頼朝墓を回り、鶴岡八幡宮前を通って鎌倉駅前へ。駅前の喫茶店でしばらく読書をしてから、再び歩いて帰宅。なお、鎌倉駅前では(青木先生言うところの)“ケンチキ”は休業、ミスドは店内の照明を消して営業中だった。

●福島原発、人間が主導権を取り戻そうとなお奮闘中。頑張れ。

考えてみれば、アトムがいればすぐになんとかしてくれそうだがなあ。

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東京近郊小都市の非日常(2)

●15日火曜日。横須賀線は逗子以遠を除き運行。

計画停電は、本日も第1グループは行われなかった。なお、16日以降のスケジュールも本日また組み直しになったらしい。

やるのかやらないのか、やるとすればいつやるのか、とにかくコロコロ変わるのが困り物なのは確かだが、東京都下の計画停電地図を作成した「あずき地図開発」ページに、

計画停電はしないならしないで、すばらしいのになんであんなにつるし上げるのでしょう。電気はためられないから直前になるまで分からないぐらい、分かると思うのですけど。

(中略)

彼らは線で基本的に路線を管理しているはずなので、一般の人が分かるよう地名に変換している訳なのですが、これは単純ではありません。管区全域の変換処理を週末2日でよく持ってきたと思います。どうか、この時間が一番大切なとき、ある程度の不正確さは理解をしてあげてほしいです。

普段の彼らについてはいろいろありますが、今はとにかく任せるしかないのです。

とあり、なるほどと思う。

●もちろん、「今はとにかく任せるしかない」ということについて言えば目下の最大の焦点は原発であり、危険な最前線で頑張っている関係諸組織の活躍が、何とか効を奏してくれるのを祈るしかない。

本15日には、ついにこの近辺(横須賀、横浜)でも通常より高い放射線量を記録した。まだ人体に影響があるレベルではない。

横浜市が磯子区滝頭における3時間ごとの測定データの公表を始めている。

●夕方、テレビを見るとCMがほとんどACだけになっていた。異様。

●16日水曜日。本来なら川崎の溝の口にある某社を仕事で訪ねることになっていたのだが、月曜日に先方担当者から電話があり延期に。一緒に行く予定だったN女史から午前中に電話があり善後策を話し合うが、事態の推移が不透明すぎて「善後」を想定できず。

何日か前に某所の掲示板に、「今は模型製作どころじゃない感じになってきているが、結局、模型を作るくらいしかやることがなくなってしまう可能性も」と半ば冗談で書いたのが、本当になりつつあるような。

●市役所からの放送で計画停電のスケジュールが流れ、今日初めて、昼過ぎから第1グループである我が家周辺も停電が行われた。

もっともこのあたりは山と谷が連なっているせいもあって、市の広報/防災放送はエコーが掛かりまくって何を言っているのかよく判らず、また、実施時間が昨日段階で変更になったのを忘れており、震災当日同様、パソコンを使っている最中に「ぶちっ」とやられてしまった。迂闊。

なお、停電が始まったすぐあと、12時52分頃ににまた誘発地震もしくは余震があった。停電で情報も遮断されている時に来る地震はかなり不安だ。もちろん、情報を得られる状態であっても「近かった、遠かった、震源に近い街でまた被害が出たりしなくてよかった」等々思うだけで、具体的に何をする(できる)というわけでもないのだが。

復旧後に確認したところ、千葉県東方沖が震源でM6.0、逗子近辺はせいぜい震度2程度だったようだ。

●郵便を出す用事もあり、停電が終わった後に逗子駅前まで出る。本日、横須賀線は逗子までが70%、逗子-久里浜間が50%運行。各私鉄の運行状況も張り紙が出ていたが、概ね50%以上運行されている様子。

駅前ロータリーの一角では、先日来、市議の一人がずっと立って、逗子市内の計画停電の最新情報を案内し続けている。人気取りだ、と口さがなく言うこともできるが、先述のようにいまいち予定が判りづらいし、常にネットで確認できる人ばかりではなかろうから便利には違いない。実際、立ち止まって直接予定を訊ねる人も多し。

P1020388P1020389逗子駅前は第3グループで6時以降の停電となるため、スーパーなどは5時閉店が多い。スーパーの棚は火曜日よりもさらに空きが多くなった。

ガソリンスタンドは火曜日は「たった今閉めました」的な雰囲気だったが、本日は終日閉めたらしい。今後の入荷未定の張り紙あり。

コンビニも商品棚の空きが多いが、一方で、レジの募金箱には、普段この手の中身といえば釣りの小銭が相場だが、今日は千円札が詰まっていた。

●磯子の放射線量測定データは、14日には終日21~22nGy/hだったのが、15日以降、ほぼ40~150nGy/hの間を上下。平均して上がっているのは確かだが、どんどん上昇し続けているということもなく、上下は風向きの影響ではないかという感じ。

●比較的暖かい日が続いていたのだが、今夜は寒い。被災地では雪が降り始めているという。

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東京近郊小都市の非日常

●被災地真っ只中におられる方々からすれば、その程度でガタガタ言うんじゃないよレベルの話なのだが、ここまで離れた地域でもどう影響が出ていたのか記しておくのは無意味ではない気がするので、あれこれ順不同に。

●本日14日から輪番の計画停電。しかし昨日の発表以降、地域割りからして情報が二転三転する。

ちなみに我が逗子市は、当初発表資料で第1グループと第5グループだったのが、その後の詳細区割りでは第1と第3になっていた。

とりあえず、我が家は第1グループに属しているようだというのは判ったが、ここまでの情報は(東電のHPが潰れていたので)あちこちネットを探して得たもので、多くの家庭では自分のところが第何グループでいつから停電かなど知らずに今朝を迎えたのではないかと思う。

早朝、広報カーが案内する声を、香炉峰の雪よろしくベッドの中で聞くが、結局実施されず。グダグダ。いや、東電自体がパニクっているのは判るけど。がんばれでんこちゃん。

区割り表は頻繁に改訂されていたが、ようやく14日も遅くなって、丁目まで記載されたものが発表されたようだ。

P1020374P1020379 ●昨13日、鎌倉まで散歩に出た際は、普段の休日より格段に人出は少なかったものの観光客も歩いていたのだが、本日14日は鉄道網の運休、間引き運転が相次ぎ、首都圏周縁部は麻痺状態。鎌倉・逗子も“大動脈”である横須賀線が全面運休。

街の様子を見に、午後になって出掛けてみる。JR逗子駅は写真のようにホワイトボードやら張り紙やら改札機に張り渡したロープやらで何だか賑やか。駅員、JR職員数人が改札前に立ち、質問に答えていた。駅前のバス・ロータリーでは、横須賀線で横須賀の先、終点・久里浜の手前の衣笠行きのバスに長蛇の列。この人たちは逗子まではどうやってたどり着いたのかと思ったが、おそらく都心や横浜方面から京浜急行で新逗子まで来たのだろう。

しかしとりあえず間引き運転をしていた京浜急行も、この直後、15:30に運転を取り止め、逗子の鉄道は全てダウンした。京急新逗子改札では、「えっ、上りの電車はもうないんですか?」と呆然とする人。どうするんだろう。ただしその後、夕方17:30以降になって横須賀線は東京-逗子間でかなり間引きながら運転を再開したらしい。

P1020383P1020382  スーパーに寄ってみたが、食料品の棚は種類によって空っぽに。右は麺類の棚と、なぜか納豆の棚(逗子市内、OKストア)。流通に難ありというよりは、買い置き・買い占め衝動の対象となる品が足りなくなっているという感じ。

他、タマゴや米が売り切れ。果物などは普通にあり、また、流石に停電が頻繁に起きるようでは保存に難ありということで冷凍食品はそのままだった。

P1020381 品物の回転が速いからなのか、コンビニのほうがさらに棚はスカスカで、7-11はこのようなお詫びの張り紙付き。ちなみに、私が出歩いていた時間帯には、マクドナルド、モスバーガーは通常営業中だった。

近くのもう一軒のスーパー(キングストア)は、4時50分からの計画停電を見越して、3時過ぎに店仕舞い(ただし、結局停電は行われなかった)。

●前々回に書いたように、つい最近facebookに登録、その直後にこの地震に遭ったわけだが、facebookのようなメディアは、ともすると不安の共振・増幅装置に陥りがちだな、と思う。

福島の原発事故はなかなか収束の糸口が見つからない、深刻な事態に陥っているのは確かなのだが、「放射性ヨウ素の害を防ぐためにイソジンを飲む」などというコメントがあり、「緊急被ばく医療研修のホームページ」のこの記事のURLを示して飲まない方がいいとresしたところ、さらに強硬な“イソジン推奨論者”のresが付いた。

こうなるともう、相手は新興宗教の布教活動みたいなものなので反論しても仕方がない気がする。本人がそれで何か身体をおかしくしても自己責任だが、子供に無理矢理飲ませるようなことはして欲しくないものだ。

それに関して専門機関の注意の呼び掛けをもうひとつ

なお、この機関(独法・放射線医学総合研究所)では他にも今回の地震に関連し、原発事故被害の基礎知識ページを公開している。

●震災関係の情報ページをいくつか。

「2011東北地方太平洋沖地震」関連情報 :震災に関する地理情報関係のリンク集。

「計画停電MAP」 :計画停電の地域分け目安。

「Google Crisis Response 自動車・通行実績情報マップ」 :ホンダのインターナビをベースに、被災地の通行可能状況を提示。

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東北地方太平洋沖地震

●被害の大きかった仙台近辺に住んでいる知人といえば、まず心配なのはdonjiさんなのだが、本日12日になり、かさぴー経由で、

「自宅は壊れたらしいものの、奥さんの実家に家族全員で退避している」

との情報が入ってきた。もちろん家が壊れたとなると大事なのだが、とりあえずご本人、ご家族の無事は何より。

近隣のいしぐりんも無事だったようで、mixiの日記に本人からの書き込みがあった。よかった。

●私自身の行動記録。

昨11日午後、パソコンに向かってあれこれしているところで揺れ。もちろん最初の大きな地震発生時刻は14時46分頃と発表されているから、それからわずか後ということになるのだが、大きな揺れが始まってすぐに「ぶちっ」とパソコンの電源が落ちてしまい、さらに本棚を押さえていたので、時間をしっかり確認したのは3時近くになってからだと思う。

ちなみに私の部屋での落下物は、結果的に、本棚の上に雑に積んであった雑誌(GIS NEXT 31号)が1冊落ちてきただけ。滅多にない大きな揺れだとは思ったが、立って本棚を押さえていたくらいなので、「せいぜい3か4だな」と、その時に思った。

揺れは大きかったが鋭くはなく、停電も起きていたので、「遠くで大きな地震だな」と思ったのだが、何しろパソコンが使えないと一気に情報遮断状態。停電のためテレビもつかず、手元にラジオもなし(後から出てきたが壊れていた。防災体制なってない我が家である)。

携帯で実家等、連絡を取ってみようと思ったが、どこにも通じず。ただしメールは使用可で、公民館にいたかみさん経由で「宮城で震度7」「東京で5」などの情報が伝わってくる。さらに市の防災放送で津波の警報が流れる(最初から大津波警報だったのか、最初は津波警報でしばらくして切り替わったのかはよく判らない)。

逗子駅前に買い物に出ていた娘は直後に帰宅したが、地震発生時にちょうどバスの中にいたとかで、地震があったこと自体を知らないという暢気な状態。停電していることに驚き、帰宅後しばらくしてあった余震で初めてオタオタする。息子はバンドの練習で出掛ける予定らしかったが、ぐずぐずして出掛けるのを遅らせているうちの地震だったので、帰宅難民になることを免れた。

さりとて、パソコンも付かず、電話も通じないのでは取り立ててすることもなく、結局のところ、工具箱を持ち出して1、2日前から調子が悪い玄関のドアをいじる。とりあえず普通に開くようにはなったが、応急処置なのでいつまで持つか不明。

夕方早めにかみさんも帰宅。停電が長引いているため、まだ明るさが残っているうちに(傷みかねない食材を優先して)夕食。やはりすることもないのでベッドで居眠りをしていたが、かなり頻繁に余震・誘発地震あり。

8時過ぎくらいにようやく停電より復旧。

●2階の私の部屋は、棚にはまったガラス戸やパソコンのディスプレイの揺れで、比較的小さな地震も敏感に感じ取れる。今12日になっても余震、誘発地震がしばしば感じられる状態が続く。こんなに広い範囲で起き続けることってあるんだなあ。

●11日夜や12日になって、ようやく各地の被害が明らかになりつつあるが、志津川や気仙沼では津波や火災で市街が壊滅状態になっている様子。細かく入り江と岬で集落が孤立しているリアス式海岸では、実態が掴めていないところも多いはず。

志津川が津波に飲まれる様子の動画がweb上に上がっていたが、津波に全体が飲み込まれる直前の町で、まだ走り回っている車などが写っていた。波から逃げ切れたようには見えず、どうなったか気になる。

●兄から、「(千葉の)コスモ石油の爆発で有害物質が飛散し雨に混じって降ってくるので外出の際はカッパなどを持ち歩き雨に触れないように……(中略)……コピペしなるべく多くの人に伝えて云々」という注意喚起のメールが来たので、慌てて、それはパニックを煽るチェーンメールの類なので広めないようにと返信を打つ。

直後に娘にも、しばらくしてかみさんの携帯にもそれぞれ別の人からほぼ同文のメールが来た。ちなみにメールに記載された最初の情報出所は、私のところに来たものは「コスモ石油工場勤務の方」となっていたが、娘のところに来たものは「コスモ石油にお父さんが勤めている友達」、かみさんのところに来たものは「知り合いがコスモ石油に勤めている人」だったとのことで、それぞれ少しずつ違っているのが興味深い。

Cosmoちなみにコスモ石油の爆発については、右のような公式発表あり(チェーンメール防止目的なのでスクリーンショットを掲載してもウルサイことは言われないと思う)。もちろん疑い深い目で見れば、LPGの爆発だったとしても周辺にその他化学物質はあっただろうし、爆発でそれが巻き上げられる危険性も当然あっただろうとは思うのだが、だからといって出所も曖昧な未確認情報で右往左往するほうが危ない。

同様のものでは、福島の原発事故関連でも、

  • 原発事故で放射能漏れが起きているらしいとの前提で、
  • 知り合いのお医者さん情報で、
  • ヨード(ヨウ素)を大量に摂ると放射能が身体に吸収されないので、毎日海藻を食べるように。
  • 今回はチェルノブイリより酷い事件らしい。
  • チェルノブイリの時にも(救援物資として)日本から海苔が大量に送られた。
  • 皆も危機感を持って、このメールを周囲の人に転送するように。

というのが出回っていて、早速不安になった友人M君から電話が来る。

情報出所が曖昧で、「らしい」「ようだ」で不安を煽って、広めるよう促している点で、典型的チェーンメールの文法だと思うし、チェルノブイリに海苔が大量に送られたなんていうのは初耳だ、と答える。

実際に送られたことがあるのかどうか、「チェルノブイリ 海苔」で検索してみたら、このメールを転載してあるブログ等ばかりがヒットした。海藻を大量に食えって、ワカメ問屋の回し者かってーの。いや、ワカメの味噌汁は美味いからいいけどな。

ちなみに海藻にヨウ素が多く含まれるのは本当らしいが、昆布などに比べ海苔のヨウ素含有量は非常に低いらしい(兵庫県立衛生研究所のレポートによれば、昆布のヨウ素含有量が1gあたり1.2~1.9mgであるのに対し海苔は0.01~0.015mg)。また独立行政法人国立健康・栄養研究所のサイトで見ると、イワシの重量当りヨウ素含有量は昆布の1/500程度なので、むしろ海苔よりイワシのほうが高い。ロシア人やウクライナ人が食べそうにない海苔よりもイワシを送ってやれよ……。

もちろん、福島の原発が爆発事故まで起して深刻な事態なのは確かだが、それならなおさら確度の高い情報を待ちたい。だいたい、放射能がざんざか降ってきたとしても、家に目張りして半年もこもっていられるわけでもなし。

上の2通に関して言えば、まかり間違ってもビニール合羽が売切れるとか増えるワカメを食い過ぎてお腹がはちきれそうになるとか程度で済みそうだが(一説にはヨウ素の過剰摂取で身体に不具合が出る、というのもあるそうだが)、携帯電話のメールにSNSにtwitterにと、「口コミ」情報の伝播力が半端じゃない時代だけに、もっとヤバイ情報に煽られないよう注意が必要であると思う。

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facebookを始めた

●このところ数人から続けざまにfacebookに誘われ、とりあえず登録をしてみる。今のところは、BBSとチャットのちょうど中間くらいの感じかなあ、などとボンヤリ思う程度。

それはそれとして、我が家のPC上のIEで見ると、facebookのページのレイアウトが一部狂う。「いいね」ボタンや、誰かが貼った動画サムネイルの位置がずれて、他の人の発言にかぶってしまったり。facebookとIEの取り合わせではよくあることなのか、ウチのPC上特有の問題なのか、よく判らず。

●仕事で川崎駅前の某社。いまだに西口側は“裏口”みたいなイメージでいたのだが、ものすごく久しぶりに西口側に出ると再開発でえらくオシャレな感じになっていた。

●「どうでしょう軍団」が! 「どうでしょう軍団」がご近所を走っていた! 実際に走っていたのはすでに昨夏のことだが、会ってみたかった。会ったからってどうってことはないが会ってみたかったがじゃー。ぶんきゅうう、にねえん、どうでしょうぐんだんはあ、かまくらをお、はしっておったがじゃー。

P1020319b ●48のダイムラー装甲車Mk.I、じわじわと進行中。たまたま週末模型親父さんのところのミニコンペに便乗して、半ば忘れかけていた在庫を引っ張り出して作り始めただけなのだが、細かい部分をちょこちょこいじっていると、それなりに愛着も湧き始める。

ネット上で調べてみると、このダイムラーMk.Iのキットは、バンダイの48シリーズの中でも比較的よくできているキットだそうで、実際にある程度形になるとなかなか格好良い。特に斜め後ろからの感じが個人的には気に入り。

P1020305b 基本、大掛かりな工作はしないで仕上げる方針と以前に書いたが、天井は分厚すぎて印象を悪くしているようだったので、0.5mm板で張り替えた。ついでに、ポーランド軍ファンの意地で(?)グンドラフ式ペリスコープ(要するにビッカースMk.4ペリスコープ)を自作。天井中央の棒の役割は謎。何かに接触して倒れると自爆?(地雷犬じゃあるまいし)

防盾は若干上寄りになっているようだったのでずらして接着、同軸機銃のスリーブはムクのブロック状になっていたので溝を彫り込み、根元と前面を0.3mm板で。照準口も位置を下にずらし、省略されていた砲塔前面の小さなバイザーを追加した。

バンダイ48シリーズの特徴で、車内はエンジンも戦闘室内部も一応パーツはあるのだが、車体内部はそもそも何も入れずに貼り合わせてあったのでカラッポのまま。しかし折角なので砲塔内部はパーツを入れて、残りのディテールも少し足して、などと思っていたのだが、

  • どうやらキットは砲塔リング部の直径が足りないようで、そのままだととてもではないが乗員2人がもぐりこめそうにない感じになる。
  • 内部パーツの再限度もいまいち。
  • 砲塔の開閉機構が妙に面倒な形状でわかりにくく、しかも開けた時のアンテナとの位置関係も面倒。

という理由で、あっさり諦めることにした。

P1020317 砲塔後部のアンテナ基部は左右で形状が違う(アンテナの長さも違う)。ただし、左側は現存の博物館車輌だとクロムウェル等と同じく根元におちょこ形状の枠があるのだが、どうもこれは後の改修らしく、Mk.Iの場合、当初はもっと単純な形状だったらしい。というわけで、アルミ板で作り始めてみた輪は無駄に。

ディテールでは、まだ砲塔右面の擲弾筒、サーチライトなどが未工作。

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源氏山

●土曜日。鎌倉も目ぼしい神社仏閣史跡はそれなりに見て回って、散歩に出る時にもなかなか新しい行き先を思い付かないのだが、瓜ヶ谷(うりがやつ)というところの「やぐら」が何やら趣があるらしいとのことで、午後になって出掛ける。

「やぐら」とは、鎌倉・逗子近辺の山腹に掘られた四角い横穴で、鎌倉・室町期の墳墓である由。wikipediaにも記載があるし、このような解説ページも親切で判りやすい。我が家のすぐ近所でも、名越の切通し横を少し登れば100余りのやぐらが密集している場所がある。要するに、鎌倉・逗子の山は穴だらけである。

0305yagura00_1今日の目的地である瓜ヶ谷やぐら群は判りづらいところにあるとも聞いていたので、行く前に訪問記を書いている人のサイトに加えて、Google Map、さらにはストリートビューで脇道に入るあたりの風景まで確認して行く。

0305yagura01_2 北鎌倉まで電車で行き、いきなり最初から、行ったことのない道をゆるゆると上る。まともな道路をしばらく上った後に脇に折れ、棚田をぐるりと回って山の斜面に目指すやぐらを見付ける。途中何の案内もないので、確かにこれは事前に場所をしっかり調べておかないと行きづらい。

瓜ヶ谷やぐら群というのは5穴あるのだが、最も手前の1号穴が最も広く、中には中央に石仏が置かれ、奥にも壁面に掘られた石仏がある。2~4号穴は大小はあるが、中に石塔が立っている。5号穴は単に崖面の浅い窪み。これが本当に5号穴なのか?

やぐら前から山の斜面をよっこらせと登ると、北鎌倉の浄智寺から源氏山へのハイキングコースの山道に出る。ちょうどハイキングコースの道標のところに出るのだが、そこにも瓜ヶ谷やぐら群の案内は書かれていないので、ハイキングコース側から瓜ヶ谷やぐら群を見に寄るのは、やはり前もって道が判っていない限りは無理だ。

0305ume ●源氏山、葛原岡神社に寄る。右は神社境内の梅。花がちらほら付いている状態だったのでまだ咲き始めなのかと思ったが、もしかしたらもう散った後なのか?

源氏山からは、化粧坂を降りるとか銭洗弁天方面に降りるとかいろいろあるが、源氏山-大仏ハイキングコースを辿ることにする。

鎌倉の“旧市街”を囲む尾根筋は多くがハイキングコースになっているが、北鎌倉-源氏山-大仏は、古都鎌倉の西の辺にあたる。鎌倉を囲む尾根筋のハイキングコースは、雑木林のなか起伏もあって山道の雰囲気たっぷりである一方で、内側からも外側からも人の住処が迫っているので、電車(横須賀線)の音は聞こえるし、場所によっては、すぐ足元からさおだけ売りが聞こえてくることも。しっかりハイキングコースなのに、地元民にとってはただの裏山だったりする。

0305daibutsu01 途中で佐助稲荷に降りるか、大仏坂まで歩き通すか考えつつ歩く。そういえばついこの間も、同じハイキングコースを、逆に大仏側から歩いて、途中の脇道で浅間神社に降りたんだった。それ以外にも、結構ハイキングコース途中にはどこに出るのか判らない脇道があり、それがどこに通じているのか確かめてみたい誘惑にも駆られる。別にお稲荷さんや大仏っつぁんに必ず会いに行かないといけない用事や義理があるわけでもないし。

などと思いつつ、結局、最後の最後、大仏坂に下りる直前になって道案内もない枝道に折れてみたのだが、すぐに新興住宅地の公園脇に出てしまった。まあ、こんなもんだ。もちろん、ナルニア国に出るようなことを期待していたわけでもない。

結局、山の外側を大きく迂回して、つい先程歩いたハイキングコースを下の道路のトンネルで横断し、鎌倉市役所前から鎌倉駅に到着。google mapで測ったら6km弱だった。

●ちなみに、源氏山-大仏ハイキングコースには、「なんでこんな山道に?」と思うのだが、中途に喫茶店の案内があり、確かにその枝道の先にそれらしき建物が見える。

0305cable01 今回、山を降りた後で、たまたまその喫茶店の下も通ることになったのだが、実は“下界”にも入口があって、階段を登って喫茶店に行けるようになっているのだった。さらに裏手には、荷物搬入用と思われるプライベート小型ケーブルカーが。かっけぇ! うちにもこんなのが欲しい!

●日曜日。地図関係の急な仕事で六本木ミッドタウン。

●西尾維新「傾物語(カブキモノガタリ)」を買う。まだ読みかけ。今のところ金髪幼女との掛け合いメイン。相変わらずのおバカぶりが楽しい。

●FSSリブート1巻をつい買う。ブー(←ブーイング)。

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ヨンパチ工作

●3月3日。サン・サーンスの日。いや、知らんけど。

ちなみにカントール先生の誕生日だったり、三枚肉の日(サムギョプサルの日)だったりするのは本当だ。

●2日水曜日、雨が上がりかけた昼前に出掛ける。そのまま雨は上がってしまい、と言うよりも都内はそもそも降っていなかったのか、とにかく傘は一度も差さないままに(文字通りに)無用の長物になってしまった。結局半日、どこかに傘を置き忘れるんじゃないかと戦々恐々としながら出歩く。

午後の仕事は西新橋界隈だったので、長丁場の会議後、夕方、タミヤ・プラモデルファクトリーに寄る。製作中のバンダイ48、ダイムラー装甲車Mk.I は昔々のキットなのでデカールが使用可能かどうか怪しく、タミヤ48のクルセーダーあたりのデカールがバラ売りされていないかと思ったが見当たらなかった。

昼飯を食いそびれていたので、博多ラーメンを食う。博多ラーメンで一般的な「替え玉」は、東京の店で頼んでいる人はあまり見ないような気がするのだが、昼飯抜きだったこともあって頼んだら、私の後、カウンターに座っていた客が次々4人も替え玉を注文した。

……誰かが口火を切るのを待ってるのかアレは?

●某所から来た、仕事の手直し要請に四苦八苦。N女史とともに頭を抱えるが、さりとて、いきなり直せと言われて出来ることもあまりないのでますます困惑。

●48スケール・ミニコンペ向けに、ちまちまと地味な工作中。

1.先日発掘したバンダイ48キット(およびバンダイ亜種48キット)3種のうち、とりあえずダイムラー装甲車Mk.Iを選んで作り始める。

P1020257 基本、大それたディテールアップなどはしない方針で(するほどのネタもないし)、とはいえ何もしないのもつまらないので、ボンネットの手すりを真鍮線にし、ルーバー部分は単に階段状になっていたのでナイフの刃先で若干彫り込み、そこまでやったらついでにということで、シャーシ後面をプラバンで張り替えた。もっとも戦闘室後面の省略されているビジョンポートなどはそのまま無視。ぬるめ。

ネット上でも探してはみたものの、戦時中のダイムラーMk.Iの写真はそれほどない。面白げな塗装とか、変わったユーザーとか、ちょっと惹かれる荷物搭載状態とか、そういった写真の1枚も見つけられず、どうもあまり気合いが入らない。マルタ迷彩の例でもあればなあ(と、前々回も言ったっけ)。

P1020254 2.というわけで、補欠のシトロエン11CVにも手を付ける。どうせ作るならと、当初から気になっていたタイヤの厚みを手直しすることにして、すでにシャーシに取り付けてあった車輪をもぎ取る。

年末の大掃除で発掘された、長らく行方不明だったトライツールのエッチングソーで車輪をスライスし、ゴリゴリやすって幅を詰める。現在、2個幅詰め終了。あと半分。

3.実を言えば、何か変わった面白いネタはないものかと考えた末、GPMのペーパークラフトのタトラT-18装甲トロッコを縮小印刷し、これを型紙に1:48で作ってやろうかなどとよからぬことを考えたのだが、基本形状はさておき、リベットが恐ろしい状態になることが判明し断念。

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