にーにーハンガリア(対戦車砲編)
セータ☆さんのところの掲示板に引きずられてダジャレ系のタイトルを付けてしまいスベっているわけだが、そのあたりは生暖かい目で見ていただくことにして。
プロッツェの話の続き。
この写真を見ていてふと思ったのだが、これは本当にL2H143シャーシなのだろうか。43は143に比べ後輪間隔が5cm狭いわけだが、この写真よりも5cm狭かったら後輪がくっ付いてしまうのではないだろうか。もちろん、たまたま写真がサスが伸びて後輪が接近している状態である可能性もあるのかもしれないが。
ちなみにこの車輌の荷台機銃架に据えられている機銃はMG34っぽいような、しかしちょっと違うようなと思い調べてみたが、どうやらMG34の元になったゾロトゥルンMG30のハンガリー型、31M機銃というものであるらしい。ここでも「ちょっと違うハンガリー型」カヨー。
さて、squadron/signalの“THE EASTERN FRONT”に出ているハンガリー軍の対戦車砲牽引型プロッツェの写真のキャプションには、牽引砲について、「引いているのは40M(40年式)40mm対戦車砲で、これはドイツのPaK36に40mmボフォースの砲身を載せた派生型である」といったようなことが書いてある。
もっとも、その写真自体は砲身の先まで写っておらず、砲身長が普通のPaK35/36と違うのかどうかも判らない、写っている部分についてはどうもPaK35/36と変わらないというもどかしい代物だった(結論から言えば、そこに写っているのはハンガリー製40M対戦車砲ではなく、ごく普通のPaK35/36だったのだが)。
とはいえ、だいたい東欧小国軍にハマる人のきっかけといえば、今はどうだか知らないが一時期はスコドロの“EASTERN FRONT”というのが定番だったので、このキャプションのおかげで「ハンガリー型の40mmの37mm対戦車砲(変な言い方)」は、それなりに“知る人ぞ知る”アイテムだったのではないかと思う。
●40M 40mm対戦車砲
というわけで、前回の話のきっかけになったBBSの写真2枚目の、対戦車砲の話になる。
上は同じ写真をwikimedia commons / Bundesarchivから引いたもの。wikimedia commons / Bundesarchivの写真は再利用可能らしいので、直接貼り付けさせてもらうことにした。
写真は1944年10月のブダペシュトで、遠景のティーガーIIからお馴染みの「パンツァーファウスト作戦」(ドイツ主導のホルティ追い落としクーデター)の一幕であることが判る。BBSにはこの写真へのresとして、「40M 40mm対戦車砲ではないか」と書かれている。もしそうなら、謎の火砲のほぼ全体像が写ったかなりレアな写真ということになる。
とは言っても、この写真を見て私がまず思ったのは「ソ連の45mm砲の鹵獲品なんじゃないの?」というヒネた感想だった。
ところが、ちょうど45mm砲の話題が出ていたセータ☆氏の掲示板で質問してみたところ、セータ☆氏に
- 普通の45mm砲とは何か雰囲気が違う。
- ベオグラード・カレメグダン城の軍事博物館にどうも似たような砲が展示されている。
と、いくつかの画像を紹介して頂いた。その後、私自身があちこち漁って見付けたものも含め、カレメグダンの展示品というのは以下のようなもの。
http://www.pbase.com/sasa011/image/44361812
http://www.hrcappuccino.org/articles/galerije/Kalemegdan/Kalemegdan_182.jpg
http://www.hrcappuccino.org/articles/galerije/Kalemegdan/Kalemegdan_187.jpg
ソ連の45mmM-42ほどバカ長くはないがそこそこの長砲身、防盾形状が独特で、ホイルのスポークもソ連の45mm砲のような鋼線ではなく板状になっている。
続いてセータ☆氏は、「ブダペシュトの503重戦車大隊の一連の写真ならBundesarchivにあるのでは」と、先の「矢十字党+砲」の写真に加え、その続き(前?)をセットで見付けて来てくれた。「カレメグダンに似たのがある」と即座に出てくることといい、なんつー人だろうねこの人は。
それをwikimedia commonsから落としてきたのがここに上げた写真で、遠くて小さいのが残念ではあるものの、窪みのない直線的な防盾上辺、微妙な段になっている防盾中央面の左右など、カレメグダンの現存品と同じ特徴を持つことが確認できる。また、web上であれこれ調べてみると、40Mの砲身長は51口径(つまり204cm)。最初の横からの写真の感じでも、だいたいそれくらいの長さに見える。
さらにその後、元のBBSでも言及されていたモーターブーフの対戦車砲本(“Panzerabwehrkanonen : 1916-1977”, Franz Kosar, Motorbuch-Verlag)を持っているという方からの情報で、そこに不鮮明な写真ながら、ハンガリーの40Mとして、これらの写真およびカレメグダンの現存品と同型のものが掲載されていることが判った。
いやもちろん、最初からそういう資料に当っていれば「謎だ謎だ」と騒がなくてもよかったようなもので少々マヌケだが、それでも実際に使われている状態での鮮明な写真と現存品とで、ある程度のディテールが確認できたことは大きい。そのうち1:35で挑戦したいものだが、流石に防盾内側のディテールがもう少し欲しい。
それにしても。
▼Axis History Forumのスレを見ると、40M対戦車砲の生産数は822門だとか。多いのか少ないのか微妙な数ではあるが、それにしても写真が出なさ過ぎ。似たような砲をハンガリー兵が扱っている写真は他に2、3あるが、結局のところ、一緒に使われていた普通の37mmPaK35/36だった。
ハンガリー軍で多用されたボフォース40mm機関砲と共通の弾薬が使えるというのは勝手が良かったはずなのだが、何か他に不具合でもあったのだろうか。
▼「またカレメグダンか!」と、またまた思わず心の中で叫んだ私であった。
それほど大量な収蔵品があるというわけでもなく、戦車や火砲は基本、城の中庭で雨ざらし、なんていう場所であるにも関わらず、「ここでしか見られないもの」が妙にたくさんある。それも、マニアであってもそうそう貴重だと気付かないような地味な貴重品が多いのだ。なんだかもう(笑)。
戦後にユーゴで作られた「A型重戦車(T-34の独自改修型)」試作車は“地元産”なので置くとしても、ポーランドのTK-3(しかも純正TK-3ではなく、少数作られた過渡期型のTKFの可能性がある)は確かここだけだし、CV35もさりげなくハンガリー型というレア物(クビンカにもあるが、あちらは指揮車型でこちらは標準型)、I号F型もクビンカとここだけで、今はクビンカは一般見物人は自由に入れないはずなのでますます価値が高い。
実はそんなカレメグダンに、あろうことかうちのかみさんが行ったことがあるというのが悔しい。もちろん、なんかそんなようなものがあった、というだけの認識で、写真も撮っていない。
さらには2、3年くらい前に友人の某誌編集長I君も行っている。ベオグラードに行くというので、「ぜひカレメグダンで写真を……」と言ったところ、「どこかも判らない場所で何かも判らないものを撮れと言うのか」云々と言ったくせに、帰国後にベオグラードの写真を見せて貰ったら、中にカレメグダンの件の中庭の風景が紛れているではないか。「なんだ、ここのことだったのか、うん、まあ何かあったよ、そんなものが」……って、ああ、もう、どいつもこいつも!
もっとも先にも書いたように、そして今回の40M対戦車砲がまさにそうであるように、ここのレア物のレアさはある時何かの弾みに気が付く手合いのものなので、例えば昔々に私自身が行っていたとしても、それら貴重品のディテールをきちんと押さえて来たかどうかは怪しい。
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