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2011年2月

花粉症

●月曜日。東京近郊でも一部は雪になっているという噂もちらほらの冷たい雨。寒い。

もっとも、このところの暖かさと風で一気に花粉濃度が上昇し、花粉症のかみさんと娘は四苦八苦。むしろ雨が降ってくれた方がいいのだ、という。

ところで花粉症は、よくコップの水が溢れると形容されるように、ある年、ある日突然発症すると言われていて、実際に「今年からキター」という人にも遭遇するのだが、なぜか私の場合、ここ数年「微妙に花粉症気味」で推移している。

鼻水ダダ漏れ、目が痒くて七転八倒というところまでは行かず、それでも時折続けざまにクシャミが出たり、目がちくちくしたりする。風邪でも引いたかと疑うのだが、娘あたりが今日は花粉が濃くてたまらないなどという日に特にそうなるので、やはり花粉症なのだと思う。

●戦時中のドイツ軍では(特に戦争前半)、長距離無線用に大型のフレームアンテナを備えた指揮車輌や連絡用車輌を多く使っていたが、箱型キャビンを備えた小型ソフトスキンの無線車で、天井のフレームアンテナを網で囲い、その中でニワトリ多数を飼っている(と言うより、輸送している、程度のものなのだろうが)という思わず笑ってしまうような写真を最近見掛けた。

……のだが、それっきり、どこで見たのか判らなくなってしまった。

先日来、いろいろな検索語でwikimedia commons / Bundesarchivの画像を漁っているのでその中かとも思うのだが、それならそれでDLしていそうなものなのに見当たらない。

ところでこの無線用のフレームアンテナはこの手のことには都合が良いのか、肉屋の店先よろしく鳥肉を数羽分ぶら下げたIII号指揮戦車の写真も見たことがある。……いいのかそんなことして。

●すでに先週あたりの話なのだが、田舎の叔母から「たんかん」を送ってきたので有難く頂く。「たんかん」は、平均して温州みかんよりちょっと大きめで丸みの強いみかんで、甘みが強く味が濃く美味。ただし、皮が薄いくせに剥きづらく、どうしも細切れにむしっていく、いわゆる“猿剥き”にしかならない。

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ハンガリアン・ラプソディ

●前回の書き込みをしながら、溝の口駅前のNOCTYというのは「みぞノクティ」ってことなのか? と、ふと思い至る。

(その後調べてみたら、公式には「溝の口+CITY」ということであるらしい。)

●土曜日、義姉の四十九日法要で実家に行く。身内のみで十数名ほど。

読経の間、当然最初は神妙に正座をしていたのだが、ほとんど正座などしない生活の上に、最近脚がむくみ気味なこともあって、最初に降参する羽目になった。同席していたドイツ人P(実家の元下宿人で、ほとんど身内)にさえ正座の時間で負けるっていうのは日本人としてどうよ!?

その通り本人に言ったら「ふふん」というような顔をされた。

●先日のクルップ・プロッツェ、40M対戦車砲の一件以来、ハンガリアンなものをいじりたい感上昇中。

もっとも、週末模型親父さんのところの48プチ・コンペに勢いで参加表明しているので、本格的にハンガリー物製作に掛かるわけにはいかない(ハンガリー物にできる48ストックもない)。本当にただちょっといじるだけ、ということで、久々に掘り出したBotondの39Mチャバ装甲車をいじる。

キットの車体はムクではなく、先日も書いたように、大きく下部が1パーツと、上部は3分割になっている。これがどうにも曲者で、隙間ができまくる。

P1020240 改めて挑戦するにあたって、まずは微妙に合わない上下パーツの幅を合わせるため、車体下部を熱湯で煮込む。さらに各パーツの接合面をガリガリとナイフで削ったりやすったり。それでもピタリと合うところまではどうしても持って行けず、ある程度のところで妥協して、とりあえず後部パーツを瞬着でがっちり接着した。

この後、単純な形状の中央パーツは問題なく着きそうだが(それでも先に接着した後部パーツとの間に微調整が必要)、最前部は左右にハデに隙間が開く。これは削り合わせたり煮て曲げたりで収まるレベルではなく(写真参照)、リベット再生コミで下側の装甲板を若干継ぎ足さないといけないようだ。

●加えて、先日のハンガリアン・プロッツェ考証に関連して、もし既存キットから改造するならという手順だけでも構想(妄想?)したくなり、そういえばタミヤの兵員輸送型プロッツェの作り掛けがあったはずだと棚を漁ったら、内袋も開けていない手付かずの兵員輸送型が出てきた。あれれ?

まさにハンガリー型を作れと言わんばかりではないか!

といっても、資料不足+改造点過多で乗用車型は手を付けづらく、やるとすれば兵員輸送型だが、それでも結構いろいろいじる必要がありそうだ。まあ、そのうち機会があれば。

●前述の48ミニコンペの件。3月1日スタートなのだが、なお手持ちの48のうちどれを作るか未決定。ダイムラー装甲車にマルタ迷彩でもあればなあ、と思って検索してみたが、写真は出てこなかった。そもそもマルタに配備されたかどうかも不明。

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45mm砲クエスト

●火曜日午後、書類を届けに実家に行く。

武蔵溝ノ口駅前で熱心に献血のお願いをしており、何となくその気になってNOCTY・10階の献血ルームに行ってみることにする。

世の中、うちのかみさんのように何かというと献血に行きたがる人もいるが、私はこれまでに経験が無い。実を言うと学生時代に、叔父が緊急で手術をすることになり、生血が必要だというので供出に行き、しかし徹夜明けで行って貧血を起こして採血できなかった時以来、どうも妙に採血というのが苦手になってしまったためもある。

しかし一昨年の夏、初めて献血ルームに踏み入れた時(その時は別件で行ったので献血はしなかった)、横溢する「血を下さいオーラ」に圧倒されつつ、(真夏のことだったので)献血した人へのサービスでハーゲンダッツのミニカップが置いてあるのを目にして、よし、ぜひ私もいつか献血なるものを経験してアイスクリームを貰って食べよう、と心に決めたのだった。

もちろんハーゲンダッツのミニカップなんざあ、コンビニでいくらでも買えるのだが、なぜか、献血をしてタダで貰って食べるアイスクリームは無性に美味しいに違いない、というような妙な思い込みに取り憑かれたためである。もちろん、それは献血が崇高な行為で、その代償だから美味しいとかいうことではなく、単に、「血ぃ抜いた後に食べるアイスは、身体にしみこむような気がするんじゃないか」という、バカな考えに拠る。

そんなことを思いつつ、結局昨年の夏も行きそびれたのが心に引っ掛かっていたせいもあって、さすがにこの季節にアイスは置いていないだろうが、まあ、行ったろうかい、と思ったわけである。

ところが、なんやかやと妙に細かいアンケートや問診を終え、ようやく試験採血をしたところで、ALTの数値が高い(脂肪肝が疑われる)というので、結局採血できないことになってしまった。

不覚! 青木腹丁先生の食生活を云々している場合ではなし!

というわけで今年の目標。安定した主収入源の確保を目指すことに加え、献血できる身体を作ることを心掛ける。今年の夏はハーゲンダッツを貰うぜ!

●ついでの掘出し物話その3。

前回、ICM製の1:35「ソ連軍 45mm対戦車砲」の箱の中身が3キット分入り混じっている上に、肝心の“家主”である45mm砲の主要部分が行方不明になっていることについて書いたが、組みかけの45mm砲は、タミヤの「ロシア・フィールドカー GAZ-67B」の箱に、GAZ-67B戦中型改装パーツと一緒に入っているのが無事発見された。

45mm砲を私の手持ちのアイテムのうちの何かで牽引させることを考えるなら、まずGAZ-67Bであり、その箱に入れておく限り、仮に忘れてもすぐに発見されるだろうという過去の私の深謀遠慮に感嘆する。

……すみません嘘をつきました。明らかに、手を付けてそのまま適当に放り込んで忘れていただけです。

P1020225 ここで実はGAZ-67Bの箱の中にもう一個、45mm砲用と思しきリンバーも放り込んであった。見るからに何も手を加えていない素組みなのだが妙に繊細な出来。たぶん……というのは箱も説明書も見当たらないからだが、ICMの45mm砲馬匹牽引セットに入っていたものではないだろうかと思う。

しかしまた困ったことに、このリンバー、車輌での牽引用に付くはずの先端のリングがまだ取り付けられていない。たぶん元のキットの箱に入っていると思うのだが、先日見つけたICMの45mm砲のキットは単体のもの。なんだかゲーム世界のあちこちにばら撒かれたアイテムを順番に拾い集める、RPGのクエストをやらされているような感じになってきた。しかしもちろん、ばら撒いたのは私自身である。大馬鹿者。

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掘出し物(2)

●一度ストックを掘り返し始めると、もう出て来る出て来る魑魅魍魎。

どこかでジャンクで手に入れたClassic Airframesの第一弾、フォッカーD21のエッチング無しがホコリだらけの袋に無造作に突っ込んであったり(もちろん正規のエッチング付きの箱入りもどこかにあるはず)……これは今Classic Airframesから出ているD21とはまったく別のキットで、カウリングが小さくて直後の胴体機首はぶっとい不恰好なもの。今さらどうしようもない気が。

久しぶりにBotondのレジンキット、チャバ装甲車を見たり(トゥラーンとズリーニィもどこかにあるはずだけれど、どこだろう?)……とにかく3分割された車体上部と車体下部とが隙間だらけで今なお製作に二の足を踏んでいるもの。

RPMのルノーFT。何種類か持っているはずだけれど、一番最初に出たはずの丸砲塔・機銃型の箱を開けたら車体だけ組んであり、しかも砲塔位置も微妙に修正してあった。第二次大戦・フランス型の改修誘導輪しか入っていないのは同社FTの弱点だけれど、不出来ながら自作した標準型誘導輪の複製品も、ちゃんと2個入っていた。原型がどこへ行ったかは不明。

もうこんなにあれこれあるなら新キットなんて買わなくてもいいよ、と言いたくなるが、それでもやっぱり新キットは新キットで欲しくなるのはもう、業(ごう)みたいなもの。……今金欠だから買わないけど。

●そんな、「ああ、そういえばこんなん持ってたな」とか「ああ、これお手付きだったっけ」も山ほどあるわけだが、もっと面食らったのは、ICMの45mm対戦車砲。

「miniartから新しいいいのが出るわけだし、これは40Mのベース用になるか?」などと不埒な事を思いつつ箱を開けたら、タミヤの37mm砲の枝1枚(パーツ一部無し)と、ICMの76.2mm連隊砲の枝1枚(これって1枚だけで完成するものだっけ?)と、ほんの一部しかパーツの残っていない45mm砲の枝1枚とが一緒に入っていた。

肝心の45mm砲主要パーツはどこに行ったんだよ!

P1020224sh ●ついでの掘出し物紹介その2。

どう考えても私が買うわけも作るわけもないドラゴン72のハインケル・ウーフーの箱があって(この機自体は嫌いではないが)、開けてみたらポーランドの単発軽爆、PZL P-43スムの48バキュームキットが入っていた。保管用に関係ない箱を貰ってきてあったらしい。右は一緒に入っていたラベル。

スムは有名なP-23カラシュの後継機で、試作機が作られて試験中に開戦、2号機が連絡飛行に使われたとか、そんなような機体。

飛行機にヨーロッパオオナマズなんて名前を付けるポーランド人の感性は今ひとつよく判らないが、現地では獰猛で精悍なイメージだったりするのだろうか。しかしついでに言うとP-23カラシュは「フナ」で、P-37ウォシュは「ヘラジカ」だそうだ。ますますよく判らん。

P1020220fusP1020222wing  キットは意外に上質だが、最近流行のレジンorメタルの小物パーツなどは一切なく、エンジンもペラもコクピット内も全部バキュームという“漢(おとこ)らしい”キット。

過去、ヒマなときに気が向いてちょっといじってみる気になったらしく、胴体や主尾翼は一応切り出すだけは切り出してあった。……一切削ってはいなかった。

チャバもスムも、いつかは成仏させてやりたいものだが、いつになるやら。

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掘出し物

●先日、川崎の実家で冷凍の茹でミミガーをひと袋貰ってきた。ひと塊に冷凍してあって小分けに出来ず、どうしたものかと思ったが、ネットで調べると意外にいろいろメニューがあり、ここ数日はミミガー三昧(もっともいくらか近所に分けた)。

シンプルなのももちろんいいが、今回試した新メニュー中のヒットはミミガー入り焼きそば。

週末模型親父さんのところで48AFVのミニコンペみたいなものをやろうという話が持ち上がり、以前、トラックのコンペでポルスキ・フィアットに手を付けて結局完成せずに情けないことになったので、(身の程知らずにも)汚名返上を期してエントリーする。

P1020205c もちろん、主眼は在庫減らしにあるので、ごそごそと屋根裏倉庫を漁り、48ストックを探す。そんなこんなで出てきたのが右の品々。

屋根裏のホコリで箱はひどいことになっているが、一応、中身は無事だった。昔懐かしいバンダイ・ヨンパチ・シリーズなのだが、実際には“純正”バンダイは一番上のダイムラー装甲車だけで、2番目の88mmFLAKは中国フーマン、3番目のベンツは韓国アカデミーからの再販品(ただし正確には、ベンツは純正バンダイでは発売されずに終わった)。

どちらも別にパチモンではなく、バンダイからの金型流れ品であるらしい(ただしフーマンは金型の管理が悪かったそうで、フーマンレーベルのものは時折バリが出ている)。フーマンの88mmもパーツ枝のタグには「Bandai Plastic Model」の文字があるし、アカデミーのベンツに至っては、「Bandai Plastic Hobby MADE IN JAPAN」とある。単に横着して文字を消していないのか、日本で成型して輸出していたのかは不明。

いずれも、(その当時は)35のインジェクションキットがなかったアイテムということで何となく手に入れていたもの。ベンツL3000はその後イタレリから出たが、イタレリのものはオペル・ブリッツのシャーシにベンツのキャビンをかぶせた「なんちゃってキット」とのことなので、インジェクションキットではなおこのバンダイ48が最もまともかも。箱を開けて調べてみたら、ベンツは荷台を、ダイムラーはボディを一部組んであった。88mmはビニール袋も開けていなかった。このほか、48はフーマンのKVと、確かT-34も持っていたような。まあそのあたりは新キットがあるので、今さらアレな感じですが。

週末模型親父さんのところのミニコンペは3月スタート予定なので、それまでにどれを作るか決めるつもりだが、いや待てよ、48といえばタミヤのシトロエン11CVも持ってたな、最終的にあれに逃げる手もありだな、と今思った私はすでに結構後ろ向き。

●そんなわけで、久しぶりに屋根裏倉庫に昇ったのだが、すでに自分でも存在を忘れかけていた怪しいキットが、ホコリだらけの箱の堆積の下からあれこれ出てきて、「そうか、オレはこんなに変で面白いキットをこんなところに隠し持っていたか」(←ばか)と、文字通りの掘出し物に喜んだり、一方でいつ作るんだと途方に暮れたり。

先日hideさんが話題にしていたウクライナ製のD-8装甲車のキットも出てきたし、スーパーモデルも一山出てきた。いや、ホントにどうするんだコレ。

P1020218box ●ついでの掘出し物紹介その1。旧ソ連、アガニョーク製1:30ソユーズ。

粗悪なボール紙の大きな箱は、山の下になっていたのでひどい有様に。ホコリをぬぐったら、粗悪な印刷のインクも多少一緒に剥げて、ますます素朴な絵に。

実はこのアガニョークというレーベルは1:30のリモコン戦車も出していて、そちらはずいぶんオモチャっぽい出来だったのだが、このソユーズは箱絵の印象をいいほうに裏切って、中身のキットはなかなかシャープ。しかもでかい。

P1020215body 本体のみを仮組みしてみたのが左の状態で、何だかフェズ(トルコ帽)をかぶったこけしみたいだが、この左右に太陽電池(……なんだろうなあ)のパドルが付く。上下左右ともおよそ30cm。

P1020208astro 中央モジュール(くびれの下の釣鐘型)の向こう側には2ヶ所の窓があるが、透明パーツも非常に透明度が高い。その窓を通し、コクピット内に座る2名の宇宙飛行士が見えるようになっている。もっとも、宇宙飛行士はなんだかメソポタミア文明の出土品のような感じでちょっと怖い(笑)。

一方パドルはどうしても厚めで、しかも裏側は網目部分にいくつか押し出しピン痕がある。パドルはもっと華奢な感じに作り変えたいような気もするが、もっともそうなると、製作中から完成後まで、たぶん何かの弾みにすぐ壊れる大ウィークポイントになるはずで、それを思えばキットのパーツを活かすのが平和な気もする。

P1020211inst01P1020212inst02 そもそもディテールアップを図るにも、説明書は左のように、退廃した西側資本主義者を見下すが如くスパルタンなもので、塗装説明すらない(仮にロシア語で一言二言触れられていたとしても判らない)。

だいいち、ソユーズは40年以上使われていてその間改良を繰り返しているわけだが、このソユーズは(ソ連時代のものなのは判るが)いつの、何という形式のものなのか、説明書からはよくわからない。

あちこち調べて、このページに行き当たる。キットに含まれる(メソポタミア出身の)宇宙飛行士が2名であることから、どうもアポロとドッキングした、「アポロ・ソユーズ・テスト計画」の機体であるらしい。改めて見ると箱絵も機首(?)部分が開いている。もっともキットはその部分がトルコ帽になっているわけだが、これはドッキングモジュールのフェアリングなんだろうか。

Bundesarchiv_bild_101i244231103 ●先のバンダイのベンツL3000にもちょっと関わる話題。wikimedia commons / Bundesarchivの画像をあさっていて出てきたのが右の写真で、“Ostfront-Süd.- Rückzug von Rumänien nach Ungarn, deutsche und rumänische Soldaten auf LKW; PK 695”というタイトルが付いている。荷台に乗っているのはルーマニア兵らしいし、ボンネット上の縞はルーマニア国旗かもしれない、という点でなかなか面白いのだが……。

いくつかのサイトで同じ写真を見ることが出来て、例えばOldtimers picture galleryではこれをL3000に分類している。

ラジエーターグリルやキャップ上のエンブレムは撤去できるだろうし、グリルの形そのものは確かにL3000っぽいのだが、サイドパネルの上部前後2ヶ所にあるはずのポッチが無いのも気に掛かるし、左サイドパネルの前端下から何かパイプかバーのようなものが出ていて、それがラジエーターグリル前に三角に飛び出た何かに接続されているようなのも気になる。いったいこれはベンツL3000なのか、それとも似た何か別の車なのか。

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にーにーハンガリア(対戦車砲編)

セータ☆さんのところの掲示板に引きずられてダジャレ系のタイトルを付けてしまいスベっているわけだが、そのあたりは生暖かい目で見ていただくことにして。

プロッツェの話の続き。

この写真を見ていてふと思ったのだが、これは本当にL2H143シャーシなのだろうか。43は143に比べ後輪間隔が5cm狭いわけだが、この写真よりも5cm狭かったら後輪がくっ付いてしまうのではないだろうか。もちろん、たまたま写真がサスが伸びて後輪が接近している状態である可能性もあるのかもしれないが。

ちなみにこの車輌の荷台機銃架に据えられている機銃はMG34っぽいような、しかしちょっと違うようなと思い調べてみたが、どうやらMG34の元になったゾロトゥルンMG30のハンガリー型、31M機銃というものであるらしい。ここでも「ちょっと違うハンガリー型」カヨー。

さて、squadron/signalの“THE EASTERN FRONT”に出ているハンガリー軍の対戦車砲牽引型プロッツェの写真のキャプションには、牽引砲について、「引いているのは40M(40年式)40mm対戦車砲で、これはドイツのPaK36に40mmボフォースの砲身を載せた派生型である」といったようなことが書いてある。

もっとも、その写真自体は砲身の先まで写っておらず、砲身長が普通のPaK35/36と違うのかどうかも判らない、写っている部分についてはどうもPaK35/36と変わらないというもどかしい代物だった(結論から言えば、そこに写っているのはハンガリー製40M対戦車砲ではなく、ごく普通のPaK35/36だったのだが)。

とはいえ、だいたい東欧小国軍にハマる人のきっかけといえば、今はどうだか知らないが一時期はスコドロの“EASTERN FRONT”というのが定番だったので、このキャプションのおかげで「ハンガリー型の40mmの37mm対戦車砲(変な言い方)」は、それなりに“知る人ぞ知る”アイテムだったのではないかと思う。

40M 40mm対戦車砲

というわけで、前回の話のきっかけになったBBSの写真2枚目の、対戦車砲の話になる。

Bundesarchiv_bild_101i6808283a18a_b

上は同じ写真をwikimedia commons / Bundesarchivから引いたもの。wikimedia commons / Bundesarchivの写真は再利用可能らしいので、直接貼り付けさせてもらうことにした。

写真は1944年10月のブダペシュトで、遠景のティーガーIIからお馴染みの「パンツァーファウスト作戦」(ドイツ主導のホルティ追い落としクーデター)の一幕であることが判る。BBSにはこの写真へのresとして、「40M 40mm対戦車砲ではないか」と書かれている。もしそうなら、謎の火砲のほぼ全体像が写ったかなりレアな写真ということになる。

とは言っても、この写真を見て私がまず思ったのは「ソ連の45mm砲の鹵獲品なんじゃないの?」というヒネた感想だった。

ところが、ちょうど45mm砲の話題が出ていたセータ☆氏の掲示板で質問してみたところ、セータ☆氏に

  • 普通の45mm砲とは何か雰囲気が違う。
  • ベオグラード・カレメグダン城の軍事博物館にどうも似たような砲が展示されている。

と、いくつかの画像を紹介して頂いた。その後、私自身があちこち漁って見付けたものも含め、カレメグダンの展示品というのは以下のようなもの。

http://www.pbase.com/sasa011/image/44361812

http://www.hrcappuccino.org/articles/galerije/Kalemegdan/Kalemegdan_182.jpg

http://www.hrcappuccino.org/articles/galerije/Kalemegdan/Kalemegdan_187.jpg

ソ連の45mmM-42ほどバカ長くはないがそこそこの長砲身、防盾形状が独特で、ホイルのスポークもソ連の45mm砲のような鋼線ではなく板状になっている。

続いてセータ☆氏は、「ブダペシュトの503重戦車大隊の一連の写真ならBundesarchivにあるのでは」と、先の「矢十字党+砲」の写真に加え、その続き(前?)をセットで見付けて来てくれた。「カレメグダンに似たのがある」と即座に出てくることといい、なんつー人だろうねこの人は。

Bundesarchiv_bild_101i6808282a12a_b

Bundesarchiv_bild_101i6808282a11a_bそれをwikimedia commonsから落としてきたのがここに上げた写真で、遠くて小さいのが残念ではあるものの、窪みのない直線的な防盾上辺、微妙な段になっている防盾中央面の左右など、カレメグダンの現存品と同じ特徴を持つことが確認できる。また、web上であれこれ調べてみると、40Mの砲身長は51口径(つまり204cm)。最初の横からの写真の感じでも、だいたいそれくらいの長さに見える。

さらにその後、元のBBSでも言及されていたモーターブーフの対戦車砲本(“Panzerabwehrkanonen : 1916-1977”, Franz Kosar, Motorbuch-Verlag)を持っているという方からの情報で、そこに不鮮明な写真ながら、ハンガリーの40Mとして、これらの写真およびカレメグダンの現存品と同型のものが掲載されていることが判った。

いやもちろん、最初からそういう資料に当っていれば「謎だ謎だ」と騒がなくてもよかったようなもので少々マヌケだが、それでも実際に使われている状態での鮮明な写真と現存品とで、ある程度のディテールが確認できたことは大きい。そのうち1:35で挑戦したいものだが、流石に防盾内側のディテールがもう少し欲しい。

それにしても。

▼Axis History Forumのスレを見ると、40M対戦車砲の生産数は822門だとか。多いのか少ないのか微妙な数ではあるが、それにしても写真が出なさ過ぎ。似たような砲をハンガリー兵が扱っている写真は他に2、3あるが、結局のところ、一緒に使われていた普通の37mmPaK35/36だった。

ハンガリー軍で多用されたボフォース40mm機関砲と共通の弾薬が使えるというのは勝手が良かったはずなのだが、何か他に不具合でもあったのだろうか。

▼「またカレメグダンか!」と、またまた思わず心の中で叫んだ私であった。

それほど大量な収蔵品があるというわけでもなく、戦車や火砲は基本、城の中庭で雨ざらし、なんていう場所であるにも関わらず、「ここでしか見られないもの」が妙にたくさんある。それも、マニアであってもそうそう貴重だと気付かないような地味な貴重品が多いのだ。なんだかもう(笑)。

戦後にユーゴで作られた「A型重戦車(T-34の独自改修型)」試作車は“地元産”なので置くとしても、ポーランドのTK-3(しかも純正TK-3ではなく、少数作られた過渡期型のTKFの可能性がある)は確かここだけだし、CV35もさりげなくハンガリー型というレア物(クビンカにもあるが、あちらは指揮車型でこちらは標準型)、I号F型もクビンカとここだけで、今はクビンカは一般見物人は自由に入れないはずなのでますます価値が高い。

実はそんなカレメグダンに、あろうことかうちのかみさんが行ったことがあるというのが悔しい。もちろん、なんかそんなようなものがあった、というだけの認識で、写真も撮っていない。

さらには2、3年くらい前に友人の某誌編集長I君も行っている。ベオグラードに行くというので、「ぜひカレメグダンで写真を……」と言ったところ、「どこかも判らない場所で何かも判らないものを撮れと言うのか」云々と言ったくせに、帰国後にベオグラードの写真を見せて貰ったら、中にカレメグダンの件の中庭の風景が紛れているではないか。「なんだ、ここのことだったのか、うん、まあ何かあったよ、そんなものが」……って、ああ、もう、どいつもこいつも!

もっとも先にも書いたように、そして今回の40M対戦車砲がまさにそうであるように、ここのレア物のレアさはある時何かの弾みに気が付く手合いのものなので、例えば昔々に私自身が行っていたとしても、それら貴重品のディテールをきちんと押さえて来たかどうかは怪しい。

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いっちにーハンガリア(クルップ・プロッツェ編)

たまにはミリタリー・モデラーらしく、二、三、ハンガリー軍陸物関連の話を。

第二次大戦中のハンガリー軍は、ヨーロッパの枢軸軍の中では中堅どころで、トルディー、トゥラーン、ズリーニィ、チャバなど独特の装備もあって、東欧諸国軍の中では(あくまでその中では、ということだが)モデラー的にもそこそこ人気がある方ではないかと思う。

もっともその「独特さ」のおかげで、さすがに他に使い回しの利かない「ハンガリー軍車輌」をピンにインジェクション・キットの商品として成り立つとは考えづらい(せっかくハンガリー軍デカール入りでも、BRONCOのCV35は仕様自体がハンガリー型に対応していないし)。

そんな、模型的にはちょっと魅力的でちょっと悩ましいハンガリー軍だが、ネット上をウロウロしていて面白い写真に行き会った(前置き長過ぎ)。

http://www.network54.com/Forum/330333/thread/1230466117/Hungarian+stuff,+IDs-

クルップ・プロッツェ

1枚目の写真は、一番手前のゾロトゥルン(Solothurn)20mm対戦車ライフルが主役なのかもしれないが、もちろん個人的にもっと惹かれるのは、向こう側のマクドナルド社用車みたいなフェンダーの6輪車で、これはいわゆる「クルップ・プロッツェ」の乗用車型であるらしい。

ハンガリーは通常の兵員輸送型と対戦車砲牽引型、それから大型乗用車型の3種のクルップ・プロッツェを使っていて、ハンガリー軍が使用中の対戦車砲牽引型はスコドロの“EASTERN FRONT”の写真にもある。乗用車型はハンガリー軍独特の仕様だと思われるのだが、これまで私は“A Magyar Királyi Honvédség Fegyverzete”にある側面写真1枚しか見たことがなく、不鮮明ながら後面の写ったこの写真はなかなか貴重。横に蝶番らしきものが見えるから、どうも後面は大型の観音開きドア(トランク)になっているらしい。

この写真では後輪フェンダーの張り出し具合も判る。この車輌、側面にはスペアタイヤの前後に2つ、後輪フェンダー中央上に3つめのドアがあり、要するに3列座席になっているらしいのだが、どの列も乗り込むのにタイヤやフェンダーが邪魔臭そうだ(特に3列目は潜るように乗らないといけない)。

ちなみに、ポーランド軍も(おそらくマチェク大佐の第10自動車化騎兵旅団の専用装備で)コマンドカー型のクルップ・プロッツェを使っている。こちらも後輪の「マクドナルド・フェンダー」は同じだが、ちょうどタミヤで出ているシュタイヤーのコマンドカーのように丸っこいお尻を持ち、座席側面には3列ともドアがなく、スペアタイヤにはフェンダー状カバーがあるなどの外見上の違いがある。改めて考えればジープもそうだが、荒っぽい運転もするだろう軍用車で、ドア無しって怖くないのか?

これもほとんど写真のない車輌だが、最近、missing-lynxのフォーラムに初見の写真が1枚上がっていた。

http://www.network54.com/Forum/47207/message/1292366390/Krupp+L2H43+Question-Info+Desired

ハンガリー軍の話だったのにいつの間にかポーランドに脱線しちまったぃ。なお、ハンガリー型、ポーランド型両方とも、鮮明な写真情報熱烈歓迎。

ところでハンガリー軍のプロッツェは“A Magyar Királyi Honvédség Fegyverzete”によれば3タイプともL2H143(1937年以降生産の後期型)シャーシで、ポーランド軍車輌は“Pojazny w Wojsku Polskim (Polish Army Vehicles) 1918-1939”によればL2H43(1933~36年)シャーシ。

Boxer 調べてみると、43型と143型では右図のように車輪間隔が微妙に変化しているのだが、計算すると後2輪の中心点は同じで、要するに後輪のサスをちょっといじったために後2輪の間隔が若干広がっただけ、ということであるらしい。

1:35にすると1mm内外の差なので誤差の範囲内だろうが(特にタミヤは1mmや2mmはすぐに伸ばしたり縮めたりするので)、後輪のコイルスプリングを挟むサスアーム形状が角張っているので、一応、タミヤのキットはL2H143ということになる(最初の兵員輸送型ではタイプを明言していないが、対戦車砲牽引車型ではL2H143と書いてある)。

……次回「対戦車砲編」に続く。

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追記:

改めて“A Magyar Királyi Honvédség Fegyverzete”を眺めていたら、ドイツ軍が使っているものと同じと思っていた兵員輸送型の、前席にドアが付いていた!

あまりにさりげなく付いているんで、思い切りスルーしてましたよ私は。よく見ると荷台側面も何だか様子が違い、もしかしたら金属製かも。とことん独自仕様にこだわるハンガリー、素敵過ぎ。ハンガリー仕様の3tハーフトラックがクローズド・キャブだったのに次ぐ衝撃。結局ドイツ仕様と大差ないのは対戦車砲牽引型だけ?

というわけで、再度web上の写真漁りに出掛け、追加でいくつかの写真を発見。

ハンガリー仕様・兵員輸送タイプ

http://www.surfacezero.com/g503/showphoto.php?photo=69068&title=hungarian-krupp-protze&cat=2016
(荷台中央に機銃架まであった)

http://www.surfacezero.com/g503/showphoto.php?photo=69061&title=budapest-1941&cat=2016
(前方から)

ハンガリー仕様・乗用車タイプ

http://www.surfacezero.com/g503/showphoto.php?photo=69078&title=hungarian-army-kruppprotze&cat=2016
(なんとカラー写真)

http://www.surfacezero.com/g503/showphoto.php?photo=69076&title=hungarian-army-krupppr&cat=2016
(フロントウィンドウ下とボンネットとの繋がりが通常型と違う……)

http://www.surfacezero.com/g503/showphoto.php?photo=62944&title=krupprotze-2&cat=2016
(不鮮明だが)

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桜田さんちリターンズ(4)

●激しく雪(14日午後10時20分現在)。かみさんが、明日仕事なのに長靴がなくて出掛けられない、と騒いでいる。

雪国の人にしてみれば「なんだそりゃ」な話だろうけれど、このあたりでは5センチも降れば生活に様々な障害が出てくる。

●激しく仕事に窮し中。と書くと、仕事が捗らないとか一気にいろいろ重なっちゃったとかのようだが、そうではなく、仕事自体が途切れて、いい歳こいてニートかオレは状態。誰かものを書くとか調べるとかの仕事を下さい。

P1020196 ●週末、サグラダ・ファミリアのペーパークラフト(キヤノン・クリエイティブパークよりDL、T.Ichiyama氏設計)、ようやく完成。本物に負けなくてよかった。

まともなデジカメでもあれば各方向から撮ってもよいのだけれど、調子の悪い携帯のカメラじゃあ、まあこんなもの。

何しろ作り始めてしばらくで息切れし、1年半近く放置してあったので、製作にかかった正味の時間もあやふや。難易度も「それなりに高め?」くらいのことしか言えない。役立たねえなあ。

ただ部品数の多さもさることながら、長辺で25cmもない大きさの中にこれだけぎっしり詰まっているので、細かい折りが多くて面倒なのは確か。それでも前半は工程が多くて面倒、くらいで済むが、各ファサードはちょっとアクロバティックな展開になっているパーツもある。

またプラモデルに馴染んでいるモデラーからすると、プラモデルのようにパーツ接合面を削って寸法を合わせられないのは、ペーパーモデルの製作時に若干ストレスを感じる部分。特にこのキットの場合、時折おそらく紙の厚み分合わないとか、ブロックごとに組んでから合わせる時に多少のズレが出るとか、何とかこちらで工夫して辻褄を合わせない部分も多少出てきた。

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平沼駅

●何やら銀行の手続きで、父の戸籍謄本を出生時まで遡って取る必要があるとかで、母になんとかせぃと言われ、水曜日、実家に出掛ける。

例えば本人が存命で、しかも自分が本籍を置いた場所を逐一覚えているというのならば別だが、通常このような場合は、最新の謄本を取って、そこから一つずつ過去に遡って申請していかなければならない。従って、頻繁に引越しし、しかも引越しのたびに本籍もマメに移動していたなどという人の場合は、えらく面倒なことになる。

さて、親父は戦後だけでもあちこち引っ越していたはずで、長期戦を覚悟したのだが、振り出しの高津区役所の次はもう、戦後すぐに暮らしていたらしい横浜市西区だった。要するに、昔いた場所から戸籍を全然移していなかったらしい。これでだいぶショートカットできた。

●横浜なら直接行った方が早いので、実家に一泊し、木曜日、京浜急行戸部駅近くの西区役所に行く。横浜の次はもう生まれ故郷の奄美大島で、むしろ拍子抜け。

P1020192b ●京急の横浜駅-戸部駅間の高架上には、横浜大空襲の時に焼け落ちた廃止駅(平沼駅)の小さな対面式プラットホームが残されている。

京急を利用する際、車窓からはいつも見ているのだが、地上からの様子は見たことがなく、戸部に行った帰りに横浜まで歩くことにして寄ってみる。

が、高架下はフェンスで囲われているし、ホーム自体小さくて高架から僅かに横に張り出している程度なので、電車に乗っているときよりもさらに目立たない。ただ、この写真でも、一番右の柱に重なって、その向こうにホームに上がる階段の裏側はなんとか見える。

以前は上下線をまたいでホームを覆う屋根の、なかなか凝ったデザインの鉄骨も残っていて、駅の遺構であることが判りやすかったのだが、10年くらい前に取り払われてしまった。惜しい。現在囲われているのも保存のためというよりは、資材置き場としているか、あるいは単にホーム部分が崩れかけて危険だからという理由のようで、いずれ高架の改良でも行う際に、この廃駅も消えてしまうのだろうと思う。

●時事通信で「ホンダジェット」、来年から量産開始の記事

記事には、

86年からジェット機の本格的な研究がスタート。試行錯誤が繰り返され、昨年末にようやく初飛行にこぎ着けた。

と書かれていて、ホンダが初めて飛行機を飛ばしたこと自体が昨年末のようだが、ホンダのwebページなどを見ると、最初の実験機が1993年に、HondaJet試作機が2003年に初飛行を行っており、2010年12月初飛行はHondaJet量産型初号機である由。ずいぶん端折った記事だなあ。ちなみにホンダのサイトではHondaJetとアルファベット表記なのでここでもそれに倣う。

ホンダのサイトには初飛行の模様の動画なども出ているのだが、翼の上にパイロンを付けて載せているエンジンとか、そのパイロンやナセルの形状とか、機首(特に下面)のラインとか、ぬるぬるしたラインが実に独特。翼上面にエンジンを付けているというのは、最初文章で読んだだけの時は、上面噴き付け(USB方式)なのかと思ったのだが全然違った。

それにしても、エンジン取り付け位置と相まって、主脚が短くて主翼と地面との間隔が妙に狭く、主翼が地面に吸い付けられたりとか、逆にグランドエフェクトでなかなか降りられなかったりしないのかとか、余計な心配をしてみたり。

その昔、リチャード・バックの小説だったかに、並行世界だか近未来だかが出てくるのがあって、そこにホンダ製小型機が登場したようなおぼろげな記憶がある。あれはいったい何だったかな。

●ルーマニアのR-1軽戦車はそのうち作ってみたいなあと思っていて、フェアリー企画のキットも一応は持っているのだが、それはこんな感じ

プラバンで工作で何とか改善を図れる車体はいいとして、足回りはどうしようと思っているうち、タミヤの48シリーズが充実してきて、もしかしたら1:48の38(t)系マーダーから多少はパーツをかっぱいで来られるのではと、えらくいい加減なことを思い付く。

さて、資料はMBIの“CKD社製軽戦車の巻”も買ったような記憶があるのだが探すのが一苦労になりそうなので、たまたま在り処が判り易かったタンコマステルから、R-1の4面図が出ているルーマニア軍特集掲載号を掘り出す。手塚治虫の“わんわんパトカー”(風の装甲車)とスペインのT-26が表紙の号だった。

というわけで比べてみたが、履帯は「使えるかもしれないなあ」レベル。転輪は48マーダーのほうがなお一回り大きい。

まあ、こんなことをやらなくても、今ではもっと優れたレジンキットも出ていそうだけれど。

●この冬、まともに降る雪を初めて見た。

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朔望

●昨日悔しい思いをしたので、潮汐について少し調べる。

潮の満ち干は太陽と月に引かれて起きるから、太陽と月、地球が直線状に並ぶ新月(朔)、満月(望)の時に干満の差は最大になる(大潮)。

基本、太陽や月に最も近く向き合っている場所と、最も遠い裏側で満ち潮になる方向に力が働くので、もし海水が馬鹿正直にその通りに動くなら、大潮の日にはきっかり日の出と日の入り(および月の出と月の入り)に引き潮になり、昼間に潮干狩りなど出来ないことになるはずだが、海水の慣性だの地形だのが影響するため、実際の干満の時刻はそれとずれ、夜に引いたり昼に引いたりする。めでたしめでたし。

……と、ここまではまあなんとか判るとして、春分から秋分までは昼に大きく潮が引き、秋分から春分までは夜に大きく引くというのはなぜだろう。地軸の傾きと緯度の問題なのか?

まあ仕組みはともかく、大潮に近かったにも関わらず土曜日の昼にそれほど引いていなかった理由は判った。

●相撲は八百長が発覚して大騒ぎ、次場所どころかそれ以降の開催も危ないとか。

昔、週刊誌記者をしていた時期があり、その頃、大相撲八百長問題の取材に駆り出されたことがある。当時も、つい先日までと同じく、協会の対応は「八百長なんてあり得ない、何を言い掛かりを付けてやがるんだコノヤロウ」的なもので、逆にその出版社には相撲協会は一切協力を拒否するという報復手段付きだったが、結局、事が露わになってみれば、星の貸し借りの元締め役が居るとか、当時から言われていた通りの仕組みだった。

その点で、「これまでにはなかった」という放駒理事長の答弁は、そもそも誰もそんなことは信じちゃいないだろうにという白々しさがある。

ただ、その昔八百長取材に関わっていた頃も、放駒親方(元・魁傑)は現役時代から八百長嫌いで、放駒部屋でも弟子にそれを徹底させていて、おかげで放駒の力士はしばしば他の部屋から目の敵にされている、という噂があった。それを思うと、放駒親方にはここで頑張ってもらって一気に膿を出して欲しい気もするが、何もしないうちに詰め腹を切らされたりすると気の毒だ。

まあ、個人的にはそこまで深く大相撲に思い入れがあるわけでもないので、単なる野次馬のつぶやき程度のもの。

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ちょっと磯に出掛けてみたのだけれど。

●昨日は立春。「立春と杜子春の違いも判らないヤツ」という、およそ使いどころのないフレーズが頭に浮かんだが、はて、杜子春ってどんな話だったっけ。

杜子春という若者が仙人に会う、というのが話の肝だったように思うが、そのあとは龍の珠を集めるんだったかモンゴルに渡ってチンギス・ハーンになるんだったか。

(実際にはその後wikipediaであらすじを見たので、こんな話だよと事細かに書き送って来なくても大丈夫)

●mixiで知り合ったeddieさんが磯遊びに行ったのか、ツブガイを煮て食う話をしていて、急にその手のものを食いたくなる。

そういえば2、3日前に新月だったよなと思い出して、干潮の時間を見て小坪の磯に行ってみたのだが、磯場が波の上に出るほど引いていなかった。がっかり。もっとも、ちゃんと引き潮の潮位を調べていかないのが悪い。

せっかく久しぶりにマツバガイでも塩茹でにしよう、たまにはイシダタミとか小さい巻貝も試してみようか、などとあれこれ夢想していたのに残念。

●池上永一「ぼくのキャノン」と「トロイメライ」読了。テキトーに借りて読んでいるので、「トロイメライ」は読み始めてから、最近読んだ「テンペスト」の外伝だというのに気付いた。

池上永一は、何と言ってもデビュー作の「バガージマヌパナス」が面白いと思っていて、結構いろいろな人に勧め、最近は神保町仕事仲間のK女史に「風車祭」ともども推し付けて読ませたりなどしたのだけれど、「テンペスト」も面白かった。

「テンペスト」は琉球王国末期が舞台、話は荒唐無稽なのだけれど、その荒唐無稽ぶりのテンポがよくて心地よい。こういうストーリーテリングの才のある人というのは素直にうらやましい。

●プラモデルには触っていないが、いよいよVanatorul de care R-35を塗るか、それともシュトゥルミさんを組み上げてしまうか、などなど夢想中。もちろんナナメ上を行ってまたまた新しいキットをお手付きにする、というのもあり得る。

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アエロさん

●水曜日。仕事上の用事があり、川崎市・生田の明大理工学部へ行く。

逗子から見て小田急線の生田あたりは中途半端な位置というイメージで、藤沢回りで行くべきなのか、新宿回りで行く方がよいのか首を傾げたのだが、調べてみると藤沢回りの方がだいぶ早いことが判明。武蔵小杉-登戸回りも同じくらい。……そうかそんな道順もあったか。

というわけで藤沢回りで行ったが、ちょっと早めに出たら藤沢でちょうど新宿行き快速に乗れてしまい、待ち合わせより40分も早く生田駅に着いてしまった。

生田駅は「読売ランド前」駅と「向ヶ丘遊園」駅、2つの遊園地駅に挟まれるという稀有な位置にあるが、向ヶ丘遊園はだいぶ前に閉園になった。子供の頃、身近な遊園地といえばまず二子玉川園、そして向ヶ丘遊園、ちょっと離れて多摩川園だったが、今はどれもない。よみうりランド(駅名は漢字だが、遊園地名としてはひらがなであるらしい)も、とうに無くなっているような気がしていたのだが、まだあるそうだ。

●帰りは向ヶ丘遊園駅からバスで実家に立ち寄る。向ヶ丘駅前で買った日本酒の四合瓶を飲みつつ、母とあれこれ話して夜帰宅。

なお、ネット上で見るところ、四合瓶を「よんごうびん」と読むか「しごうびん」と読むかはなかなか熾烈な戦いになっているらしい。私はなんとなく「よんごうびん」派。

●木曜日。夕刻、六本木の事務所に出掛ける。……が、久々に逗子駅で上りと下りの電車を乗り違えてしまう(逗子駅は折り返し逗子始発があるので、2、3番線は上り下り両方がある)。迂闊。

田浦駅まで乗って折り返す。ちなみに田浦駅は両側をトンネルに挟まれているために延長・拡張が出来ず、長い編成だと前部車輌のドアが開かなかったりするが、ホームにくっついたレンガ積みのトンネルポータル、昔ながらのレール利用のホーム屋根鉄骨など、「田舎の駅」感が溢れていてよい。

●Vision Modelsから1:35キットが発売されたアエロサンは、今のところ指を咥えて見ているだけなのだが(最近模型屋にも行っていないので、直接見てもいない)、いずれ欲しいものだ、と思う。にしても、TVショッピング並みに2機(2輌と言うべき?)セットというのはお得感はあるが、ディオラマ派ではない私は1つで充分で、買うなら誰かとシェアして半々にしたいくらい。

ところで、箱絵やらイラストやらを見ても真っ白な冬季迷彩ばかりで、緑あるいは緑+茶の夏季迷彩のものはないのかね、などとぼんやり考えていて、以下のことに気付いたのはしばらくしてからだった。

……なんで雪上用の橇に夏季迷彩があるんだよ!

こんな迂闊な私にアエロサンを作る資格があるのでしょうか。

ちなみに練習用なのか、それとも冗談で作ってみただけなのか、ブレードの代わりに車輪を装着したものもあるらしいが、いくら緑でもそういうゲテモノは除外。

●腹丁青木氏がVisionのアエロサンを入手した話をしていて、アニメ「アリソンとリリア」にもアエロサンが出てきたね、というコメントを付けた方がいた。

確かあちらに出ていたのは空冷星型エンジン、密閉キャビンのタイプ(NKL-26というヤツかな?)だが、登場人物の台詞でも「アエロサンか……」と言っていた気が。

それにしても、この「アリソンとリリア」というアニメは、話の舞台は架空の大陸の架空の国なのだが、複座のHe51やドボアチンD510とか、水上機型のフォッカーD21とか、並列座席のシュトルヒとか、試験中の新鋭戦闘機と称して出てくるフォッケのドーラとか、アエロサン以外にも妙にメカがマニアックだった。

原作はライトノベルで、文章中でモデルになった機体を解説しているとも考えづらいので、アニメ化に際してメカの設定を考えた人がマニアだったのか、それとも原作の挿し絵か何かで既にそんな具合だったのか。

ちなみに、そうはいっても、「アリソンとリリア」のアリソンは人名で、航空機用エンジンを示しているわけではない。

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