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非日常

●9月25日夕、父死去。神保町の事務所にいて知らせを受け駆けつける。

今年に入ってめっきり身体が弱り、最近はほとんどベッドから起きてこない生活だったが、母に特に介護の面倒を掛けることもなく、最期も、母が気付いた時には居眠りでもするように息を引き取っていた。

大正生まれの88歳、年齢を考えれば大往生であったと言ってよいと思う。

●そんなこんなで、この1週間はほとんど川崎の実家にいて、兄と共にあれこれ手配等に追われることになった。

なにぶん、父も母も田舎の出で兄弟親戚が多く、母も大変なのでとりあえず身内で葬式をということにしたものの、それだけでも連絡等かなりの数に。

(当「かばぶ」を読みに来ている中にはまずおられないと思うが)親類縁者や父の知人関係で「なぜ連絡しなかったー」などとお考えの方は、以上のような次第なのでご勘弁を。

告別式と繰上げ初七日まで済ませ、1日金曜日から仕事に復帰したが、当分、あれこれ始末もあるし、母1人も心配なので、川崎の実家行きが増える(実家にはネットワーク環境がなく、無線通信機器の備えもないので大変)。

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かば◎の迂闊な日々」カテゴリの記事

コメント

まさにその土曜日夜、ばお氏と大激作展のあと秋葉原のデニーズで晩飯しながら、かば◎さんの父上の(ばお氏の)思い出話なんぞを聞いていたのでした。


うちの母も独りで暮らしてるんでなるべく時間があったら実家に帰るようにしてるんですけど、京都はちょっと遠いしなぁ。ネット環境が無いのも同じでアナログ電話回線でメールチェックしてるんですけど、高速回線になれると速度が。
ほんの10年前はこれで済ませていたことを思うと隔世の感がありんす。emobileでも契約するべきか、考え中。

投稿: はほ/~ | 2010年10月 2日 (土) 21時24分

お父様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげます。

家の親父は去年の7/8に亡くなりました。
7人兄弟の末っ子で、親父の兄弟もすでに5人亡くなっています。
家の家系は短命ぽいです。
享年69歳でした。

何も分からず、葬儀もいわれるがままにやって大変な金額になってしまいましたw

でも、親父にとっては良かったんじゃないかと思いますw

投稿: eddie六六六 | 2010年10月 3日 (日) 06時13分

謹んでお悔やみ申しあげます。

投稿: 青木伸也 | 2010年10月 3日 (日) 10時44分

お悔やみ有難うございます>皆様

私には兄がいて、しかも遅い子供だったので、うちの親はかなり歳が行ってます。

親父は南海の島の小さな村で生まれ、旧満州で学校を出て、陸軍に入って(よしゃあいいのに)シンガポール攻略の斬り込み部隊に志願し、出撃前にシンガポールが陥落したので命拾いし、戦争終盤にはインド国民軍の世話をし、さらには自分もインパールまで出掛けて死屍累々のジャングルを逃げてきて、復員後は裸一貫で“内地”で身を立てという具合で、まあ、そこまで波乱万丈生き抜いて、最後は安らかに逝ければ、なかなか良い人生だったんじゃないかと思います。

>はほちん

>>かば◎さんの父上の(ばお氏の)思い出話なんぞを

なんでそんな話が……。

投稿: かば◎ | 2010年10月 3日 (日) 16時20分

 元々はばおさんの仕事が忙しくて普段の帰りが遅いいとかいうそういう話から健康の話とか、たまんちんの様子はどうだとか、青木さんは食生活を改めた方がいいんじゃないかとか、金子さんの心筋梗塞の話があって、そいうえばかば◎さんのお父さん、具合が悪いんだってね、って流れになっていった、と思います。ばおさんのお父さんも陸士だそうですが、その話が先だったんかなぁ。

それはそれとして、残されたお母さん、気遣ってあげてください。

投稿: はほ/~ | 2010年10月 3日 (日) 19時08分

母の母は若くして亡くなったのですが、息を引き取る直前、母に
「節田(せった)からお迎えが来たからもう行くね」
と言ったそうな。

私の父母の出身は佐仁という集落、母の母は和野という集落から嫁に来たそうで、なんでそこで節田という集落の名前が出るのか不思議に思っていたところ、後から、祖母の実家は何代か前に節田から和野に移ってきたと教えられ、なるほどご先祖様が来たのかと納得したのだとか。

と、長々と前置き話をしましたが、母はその経験から、亡くなる人はちゃんと何か別れを告げるものだと思っていたのに、父は亡くなる日の昼に、食事を摂らないなら牛乳でもと薦めた母に
「嫌だ」
と言ったのが最後の会話だったそうで、せめてもう少し何か言っていけばいいのにと文句を言っております。まあ、文句を言えるくらいしっかりしているので、こちらとしては一つ安心なのですが。

投稿: かば◎ | 2010年10月 3日 (日) 20時51分

お悔み申上げます
男はぶっきらぼうに逝くのがかっこいいのかなと、うちのぶっきらぼうに逝った父を思い出して思いました。
わたしは痛いとか大騒ぎしそうっす。
おかあさま、おすこやかに。

投稿: 宮前 | 2010年10月 4日 (月) 01時20分

遅くなりましたがお父上のご逝去をいたみ謹んでお悔やみ申し上げます。MIXIの幕張ホビーショーから飛んできたのは許してね。
今年88歳ですと大正11年だったのでしょうか。5年前に亡くなったうちの親父が大正9年なので、同世代だったわけですね。ただし、(余り語りたがらなかった)戦争体験は雲泥の差で、うちの親父は戦前からヤマトにいたため、徴兵され知覧から輸送船で台湾に向かった際護衛がいないもんだから船団3隻のうち、おやじの船のみが台湾につき後の二隻はアメリカの潜水艦に沈められた、という話だけがクライマックスで、台湾ではずっと双発戦闘機をへちまで磨いていただけだそうです。内地帰還は昭和21年だそうですが。
かば◎産地同様、母親だけが一人住まいなんですが、だんだん心配になってきましたね。

投稿: がらんどう | 2010年10月20日 (水) 19時12分

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