重いコンダラ。
●……という「巨人の星」主題歌の歌い出しは、子供の頃から素直に「思い込んだら」と聞けていたのだが。
尾崎紀世彦の「また逢う日まで」の一節は、しばらく「二人でナマエケして」だと思っていて、とはいっても、その「ナマエケ」なる行為が何なのか判らず悩んでいたのだった、と、道を歩いていて脈絡もなく思い出す。
子供時代の話なので、別に艶かしい想像をしたわけではなく、生意気な何かなのかと思っていたような。
ところで、兄の友人はサザンオールスターズがデビューした頃、「いま何時 そうね大体ね」という歌詞を
「茨城人 そうね大胆ね」
と聞いていて、茨城県民が湘南にやって来て何か大胆なことをするシーンかと想像していたそうだ。昔はしばしば(今はどうだか知らない)茨城や千葉あたりの暴走族が大挙してやってくることがあったというから、あながち間違いではないかも。
――今ではすっかりありふれている、“日本語を英語っぽく歌う”だが、サザンはそのハシリだけに、皆、耳がついて行かず、「なんて歌ってるのかわかんねえ~」と言いあっていた頃のお話。
●今やっている仕事の中で、ある統計数字の中で地域間に生じている差異についてコメントする必要があり、なんとかそれらしき理由を探して、
「……と思われる」
と書いたら、編集元請からゲラに「誰が?」と書かれて戻ってきた。いや、そう言われましても。いっそ、
「オレが!」
と書いて返したくなるが、流石にそれは。
もともと数字の出所のお役所は淡々と統計をまとめているだけなので問い合わせても理由がわかるはずもなく、したがってこれは苦肉の策の「と思われる」なのだが、それならそれで専門家なり何なりを探し出して訊ねるのが本来であって、誤魔化して逃げているのは確か。ライターとしては失格寸前の手である(そこまで手間を掛けられるほど余裕のある仕事ではないのもまた確かなのだが)。
これが日刊ゲンダイの中見出しなら、
「……という識者の声も」
という常套句がある(もっともそちらは記事本文で、何だかテキトーな人がテキトーに喋っているにしろ“識者”を出しているだろうから、ある程度言い訳は立つ)。また、大阪弁にはもっと素敵な話法があり、それは、自信たっぷり言い切っておいて、直後に
「イヤ知らんけどナ」
と付け加える、というものである。これは滅法便利だ……が、出版物に使ったらクレームの嵐が来そうだ。
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