鍬ノ峰
●GW中はだらだらと仕事して(いや、あまりしていないけど)、その代わりに7日~9日に休みを取って、年末に続いて、兄の住む安曇野(長野県池田町)に遊びに行く。
前回訪問から帰るときにも、すでに「次はいつにしようか?」と言っていた“兄弟分”のドイツ人Pから、「そろそろ行こう」とお誘いがあったのが発端。今回は事前に打ち合わせて、行きも帰りも、「あずさ」の座席はPの隣を予約した。
●結果論ではあるが、前後はぐずついた天気だったにもかかわらず、我々が行った3日間(特に初日と2日目)はすこぶるいい天気。「北アルプスの山並みが、こんなに綺麗に見える日は少ないよ」と兄に言われた。が、年末に行った時も、長峰山登頂時は非常に綺麗に見えたんだよな……。今のところは、大分運がいいらしい。
前回は安曇野の東に連なる標高900mクラスの低山の光城山、長峰山を歩いたが、「今回はもうちょっと高い山に登ろうぜ」と、トレッキングシューズも用意してくるよう兄に言われており、それなりの用意と心構えをして臨んだ。
さらに今回は、余裕を持って2泊。もっとも、1日たっぷり使える2日目に山に登るんだろうと(勝手に)思い込んでいたのだが、1日目も2日目もがっつり山歩きさせられた。
●1日目。
およそ11時に穂高駅着。穂高神社で兄と落ち合う。昼飯に地元安曇野産の手打ち蕎麦を食べる(穂高有明の「手打ちそば処 とみた」)。メニューが「もりそば」と「かけそば」しかない潔過ぎるお店だが、蕎麦と蕎麦湯がとても美味い。
午後、行く前から登るターゲットとして兄に伝えられていた「鍬ノ峰」(標高1623m)に登る。
事前に写真を見て「すごく傾斜がきつそうなんだけど」と少々怖気づいていたのだが、実際に登り始めてみると、その急斜面をゆったりと巻いて登る……のではなくて、事前の悪い予感そのままに、ガンガン急斜面を突き進むスパルタンな道筋。ルート横の木の幹を握って身体を引き上げるような急登もしばしば(ロープ場も複数)。ただし、ルート脇にはところどころシャクナゲが咲き始めており、なかなか綺麗だった。
wikipediaの鍬ノ峰の項の記述をみると、
日帰り登山が出来る事から北アルプス登山練習の山として登られる。
だそうだが、これが練習だったら、本番は絶対にイヤだ。いやまあ、その昔、槍ヶ岳には一度登ったけれど。
大分へこたれて、しかも兄やPには少々遅れを取ったものの登頂。この日の朝までの雲もほぼ払われて、山頂からの眺めは絶景だった。
4枚目写真は、2日目の朝に町から撮った写真で、中央の“ふたこぶ”が鍬ノ峰。1枚目写真の頂上は、右側のちょっと大きい“こぶ”の上に当たる。
ちなみに、「鍬ノ峰」の名前の由来は、「麓から見ると農機具の平鍬の刃のような山様」だからだとwikipediaにあり、ご丁寧に平鍬の写真まで添えてあるのだが、どこが鍬なのか全然わからん。
というわけで、登りは(私にとっては)激しくハードだったが、日の高いうちに登山口まで戻り(この点ではwikipediaの記述は正しい)、温泉に入って、兄宅で鍋をつつきつつ酒を飲んで寝る。
●2日目。
前の晩の「明日はどこに行こうかあ……」という、飲みながらのいい加減な打ち合わせの中から、前日の鍬ノ峰よりやや南、標高も低めの1300m台の「雨引山」に登る。
標高は低めだし、兄の「鍬ノ峰ほどきつくなかった(と思う)」という割と適当な記憶に基づいて決めたのだが、実際には、確かに鍬ノ峰ほどではないものの、結構な急登部も、ヒヤヒヤするようなロープ場もあった。しかも、登りのルートの後半はかなり小ピークが連続していて、「や……やっと頂上か……」と思ったら次があるという、なかなか忍耐力を試される山だった。
これまたwikipediaによれば、
ふもとから山頂まで、ゆっくり登って2時間程度の「気軽に登れる里山」である。
だそうだが……冗談じゃねえ! しかも、上記記述の出典として提示されている松川村観光協会のサイトには、「最初の40分ほどは急登が続きますので」って書いてあるじゃないか!!
しかし前日に続いて、山頂からの眺めは格別だった。
「雨引山」の名が示すように、その昔は雨乞いをする山だったそうで、頂上には麓の神社の奥社がある。1枚目、鳥居と一緒に写っているのは兄とP。2枚目は、雨引山山頂から見た、前日登頂した鍬ノ峰(前景中央)。鍬ノ峰の左奥に見える、雪を被ったピークが連なっているのは北アルプスの爺ヶ岳で、富山と長野の県境にあたる。
爺ヶ岳の最も左のピーク(南峰)の下側の、雪が溶けて黒く浮かび上がった模様は、「種をまく爺」のシルエットで「爺ヶ岳」の名前の由来になっている、ということなのだが、どう見ても爺にゃ見えない。
なお、この辺の山ではここ最近でも熊との遭遇/事故が多発しており、2日間とも熊鈴を鳴らしながらの登山だった。幸い、熊とは遭遇せずに済んだが、この日の下山中にはサル2匹を見掛けた。それなりに距離もあったので、お互い警戒しながら見やる程度。
この日は朝から登ったので、昼過ぎには下山。今回の旅行で立ち寄ると決めていた「安曇野市天蚕センター」を見学した後、まだ午後、日も高いうちに温泉に浸かってから帰宅。夕食は近所の焼き肉屋に行き、大いに飲み食いする。
写真は焼き肉屋からの帰り道に撮った北アルプスの山々と、田圃の水面に映る“逆さアルプス”。左側前景に、見難いが鍬ノ峰。中央右のピークが3つほど連なっているのが爺ヶ岳。鍬ノ峰の後ろ側は、たぶん蓮華岳とか、そのあたり。田圃はカエルが喧しかった。
●3日目。
朝起きて、池田町の街の中から見て東の山の山中にある「登波離橋(とはりばし)」に散歩に行く。
その昔(鎌倉時代中期と伝わる)、この地の殿様の妾が正妻を妬み、橋の上から突き落とそうとしたのだそうだ。何となく、よからぬ企みを察していた正妻は、妾と自分の着物の袖を十針(とはり)縫い付けており、そのため、結局は突き落とそうとした妾も、正妻と共に落ちて亡くなった由。……救いがない! それはそれとして、袖を縫い付けられて気付かない妾も相当なうっかり者だ。
もちろん、今架かっている橋は自動車も通れる近代的な橋だが、谷は両岸が迫って木々に阻まれて谷底がよく判らないほど高い。
ちなみに、この「登波離橋」の近くには、とある殿様(登波離橋の逸話とは別の殿様)に嫁いできた後妻が、自分の子ができると先妻の子を疎んじ、崖から突き落として殺したという「ままこ落とし」と呼ばれる場所もある。それだけ険しい地形が多いからと言えばそれきりだが、なぜそう突き落としたがる人ばっかりいますかね。
この散歩の行程はほぼ舗装道路だったが、結局は山中の道だったのでそれなりに坂を上ったり下りたり。
なお、この辺りは散歩していると、かなりの頻度で双体道祖神に出会う。wikipediaの「道祖神」の項にも、
とりわけ道祖神が多いとされる長野県安曇野市
という記述がある(ちなみに上写真の3つは、どれも、たぶん隣の池田町内のものだが)。
以前、当「かばぶ」でも、なぜか私が住む逗子市小坪には、三浦半島の他の地域にはない双体道祖神が複数存在しているという記事を書いた。小坪の双体道祖神の多くは、その昔は正月のどんど焼きのたびに火の中に放り込まれ、古くなったら作り直されていたそう。そのような行事が廃れて以来、道祖神も古いままなので、今では表面がすり減って、姿形も定かでないものも多い。
一方、安曇野で出会う双体道祖神は、割合新しい感じで綺麗に彫刻され、彩色されているものもちらほら。昨年末にもらったマンホールカードの片方も、図柄は双体道祖神だった。
なお、単純に「男女神が寄り添っている姿」で済ましてしまいそうになるが、実際には、手を取り合っているとか、酒器を捧げ持っているとか、ポーズにはバリエーションがあるらしい(安曇野市サイトの紹介ページによる)。
2枚目写真、菰を被っているのはどういう行事なのか、藁で作られた酒桶もなかなか芸が細かい。左右は庚申塔?と二十三夜塔。二十三夜塔というのは、他地域では見た覚えがないが、この地ではかなり頻繁に見かける。庚申塔と似たような感じで、月の二十三夜に集まって勢至菩薩を拝むのだそうだ。
兄宅に戻って昼食。
帰りの「あずさ」は松本発なので(ダイヤ改正により、上りの穂高停車「あずさ」は中途半端な時間になった)、兄の車で松本へ。途中、ちょっと回り道をしてもらって、穂高神社隣の「池田屋餅店」で、前回食べて感激したバクダンみたいな「おやき」を(お土産として)買って帰ろうとしたのだが、残念ながら売り切れ。ドイツ人Pも「おやきを買う」と意気込んでいたのでがっかり。
店内にたむろして駄弁っていた(おそらく近所の)小母ちゃん連に「もっと早く来なきゃダメよ~」などと言われつつ、残っていた「なすまんじゅう」を買った(Pは「麩まんじゅう」を一パック買っていた)。ほか、兄が柏餅を3つ買って車内で1つずつ食べる。これもなかなか美味かった。
松本市内では、松本城を(表からだけ)ぐるりと一回りして見たり、喫茶店でゆったりコーヒーを飲んだり。「雨が降りそうな雲行きだから」と、やや早めに駅で兄と別れる。
帰りの「あずさ」車内でPと、それぞれ酒を飲みつつ(私はビール、Pは日本酒、どちらも地酒)、あれこれ駄弁りながら帰る。切符は前回同様、「えきねっと」経由で買ったのだが、なぜか、お任せで買ったら、行きは八王子で「あずさ」に乗り換え、帰りは立川で「あずさ」を降りるという、なんだかよく判らない差がついていた。特に「そんなルートは嫌だ」というのもなかったので、その通りに乗る。10時過ぎに帰宅。
●年末に行った際に兄に頼んで配布場所に寄ってもらい、2枚のマンホールカードを貰ったのだが、それでカードの存在を知った兄が、その後半年ほどで近隣のカードをかき集めてくれていて、今回、その成果のカードを17枚も貰った(その前にも郵送で2枚貰っている)。
結果、自分で集めた神奈川県内、東京都内のものを超えて、都道府県別では長野県がコレクション中最大枚数に。
基本、マンホールカードは下水道を管轄している自治体単位で発行されているのだが、この長野県のマンホールカード群には、複数の自治体にまたがる「流域下水道」や「農集排(農業集落排水)」のもの、さらには合併で既になくなってしまった旧自治体の図案のものを現在の自治体が出しているものも複数混じっていて、バリエーション豊か。特に最後のケースでは、そのために1市で多種のカードを出していたりする。
なお、貰った中では下段左の2枚、大町市の「ライチョウ」と、朝日村の「ヒメギフチョウ」が特にお気に入り。
●閑話。
ドイツ人Pと話していて、ドイツの地理とか企業とかの話になる。
トラックなどの大型車のメーカー(日本だと日野とかふそうとかのイメージか)で知られ、AFVモデラー的にはパンターやII号戦車の開発メーカーとしてもなじみが深いMAN社だが、「ああ、マンね」と言ったら、「マンじゃない! M、A、N(エム・アー・エヌ)! 『マン』じゃオトコでしょ! BMWだって『ベー・エム・ヴェー』で、『ブムヴ』じゃないでしょ!」と強硬に訂正された。
いやまあ、「ベンベ」とは言うけどね。
なお、MANは「Maschinenfabrik Augsburg-Nürnberg」(アウグスブルク・ニュルンベルク機械工業、くらいの意味か)の頭文字。ちなみにニュルンベルクはバイエルン州第2の、アウグスブルクは同州第3の規模の都市。しかしMAN社の本社は同州の州都で第1の都市であるミュンヘンだそうだ。なんでやねん。
(由来としては単純な話で、それぞれの都市にあった「アウグスブルク機械」社と「ニュルンベルク機械」社が合併したのがMAN社の元だそうだ)
とにかく、以後は「エムアーエヌ」と言うように心掛けよう。すぐ忘れそうだけど。
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