8月のヨモヤマ

●FCM 2Cのディテール・チェックで、それほど多くもない写真を繰り返し見ていて眼が疲れたので、一回休みでヒマ話を。

なお、「眼が疲れた」は最近本当の悩みで、モニタの文字が紗が掛かったように読みづらい時がある。糖尿病が目に来るという話もあるので、久しぶりに眼底検査を受けてみたが、結果は「異状なしです」。それはそれでほっとしたものの、要するに「老眼が進んだのでは」とのことで、中距離用にメガネをもう一つ用意したほうがいいのでは、と言われた。ああ、ぢぢぃってのは面倒だね。

Img20240601180339 ●市内を流れる田越川の護岸工事だか浚渫だかで、夏前から時々クレーン船が来ているのだが、なぜか日本陸軍機塗装。なんぞこれ……。

数か月に一回開催している「オンラインたまんちん飲み会」で皆に見せたら、(日の丸のバック以外の灰色部分も考えると)「陸軍機塗装というより空自塗装では」とのこと。いや、まあ、どっちでもいいんだけど。

先月の記事で、これまで逗子市内に4基残っていた丸ポストが、残念なことに2基撤去されてしまった話は書いたが、その記事でみやまえさんからコメントを頂いた通り、撤去されたポスト2基が、現在、逗子郵便局(本局)の横に置いてあるとのことで、別れを惜しんで写真を撮ってきた。

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奥のポストが、入口や隙間がテープで塞がれているので、たぶん「アリがわいた」との理由でしばらく利用停止になっていた池子2丁目のポストなのだと思う。根石が1つしかないが、どちらかのポストは、根石がしっかり固定されていて取れなかったかな?

この先、この2基のポストは鋳潰されてしまうのかもしれないが、そうではなくて、どこかにモニュメントとか展示物とかとして引き取られる可能性があればいいなあ。

ちなみに、この2基のポストは、8月24日現在、まだ郵便局横に保管されていた。

追記。25日夕にもまだあった

Img20240730190149 ●大船や横浜に行く機会があると、成城石井でプレッツェル(ソフトタイプ、2個入り)を買うのが定例化しつつある。それとは別に、何か見慣れない食べ物とか飲み物とかにはついついふらふらと手が出そうになるのだが、最近、実際に手を出してしまったのがコレ(といってもすでに先月末だが)。

しばらく前に流行った、いわゆるクラフトコーラの一つで、「いよしコーラ」と読むらしい。どこか田舎の町興しも兼ねたような商品なのかと思ったが、帰宅後調べてみたら新宿の下落合産だった。

で、味はというと、コーラ風のなかに高麗人参シロップの「甘い泥」風味がある。缶の横を見ると、実際に原材料のなかに高麗人参が入っているようだ。かなり好みが別れそうな味だが、私自身は、ロッテやヘテの「高麗人参ガム」が好きだったくらいなので、そこそこ気に入った。でも高いんだよな……(250ml缶入り1本約300円)。

ちなみに「高麗人参ガム」は、現地で一緒に仕事した韓国人カメラマンに「あんなマズイもんよく食うなあ……」と(韓国語で)呆れられた。そして現在はロッテもヘテも生産していないらしい。残念。

●あまりに暑いこともあって、時々マックシェイクを飲む(マックのハンバーガーは滅多に食べないが)。

さて、マックシェイクはどの味も同じ機械で出すので、いろいろ味が混じる傾向がある、というのはネットで見て知ったのだが、それにしても、「マックシェイクのチョコレート味」を頼んでも、毎度チョコレート風味がほとんど感じられないのはどうしたもんだか。

もしかして、かき氷のシロップ同様、「**味の別で色は違っても味は同じ」ということになったのか?

●名越切通を歩いていて、目の前に不時着してきたミンミンゼミ。

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腹の両側に大荷物を抱えている。セミヤドリガの、たぶん終齢に近い幼虫2匹。そもそもセミヤドリガはヒグラシに寄生することが多いとのことだが、別に他のセミがダメということではないらしい。

地面に落ちてきたところを見ると、セミヤドリガに生命力を吸い取られて力尽きたのかとも思ったが、wikipediaを見ると、セミヤドリガが直接セミの生命を脅かすことはあまりなく、セミが生きて活動しているうちに離れて繭を作るらしい。というわけで、離れる前に宿主が行き倒れそうになっているこの状態は、セミヤドリガにとっても若干ピンチなのかも。

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FCM 2Cのディテール・メモ(前編)

●前回キットレビューの続き。FCM 2Cを作るにあたっての、ディテールに関するメモ。

実車についてはwikipediaにそこそこ詳しい記事が出ているが、とりあえず簡単におさらいしておくと、

  • 第一次世界大戦中に開発が始まるが、政治的・技術的問題がいろいろあって完成は大戦後。
  • ポルシェ・ティーガーに20年以上先立つガス・エレクトリック方式の駆動系(第一次大戦中に実用化されたサン・シャモン突撃戦車も同方式)。
  • 適切な発動機の選定に手間取るが、賠償で得たドイツ・マイバッハ製エンジン(飛行船用)を得てようやく実用化。
  • 10両だけ生産されるも、実用性は低く、主にプロパガンダに利用される。
  • 第二次世界大戦勃発にあたっては、部隊配備はされるものの実戦参加は無理と判断され、ドイツ軍に鹵獲されるのを防ぐため後方への移動(撤退)が決定される。が、鉄道輸送中に立ち往生し爆破処理(それ以前に鉄道駅までもたどり着けず処分された車両もあり)。
  • 開発・生産は、もともと造船所であるFCM社(Forges et Chantiers de la Méditerranée:地中海鉄工・造船所)。同社は日清戦争で使われた三景艦のうち「松島」「厳島」も作っている(「松島」は日清戦争時の連合艦隊旗艦)。

といった感じ。

一応、試作車1両、量産車9両ということになっているが、ほぼ全車並行して製作されていたので、いわば全部試作車のようなもの。戦間期を通して個別に細かな改修も行われたりしたようで、個体差(時期差)もそこそこある。

生産された10両は1~10の車輛番号が振られたが、これは後に(wikipediaによれば1936年夏)、90番台の新番号に変更された。この際、一桁目をそのまま継承したため、旧10号車が、新番号では最も若い番号の90号車になってしまっている。また、各車両にはフランスの地方(旧地域圏または州)に由来する固有名が付けられている。

  • 1号車→91号車 プロヴァンス(PROVENCE)
  • 2号車→92号車 ピカルディ(PICARDIE)
  • 3号車→93号車 アルザス(ALSACE)
  • 4号車→94号車 ブルターニュ(BRETAGNE)
  • 5号車→95号車 トゥーレーヌ(TOURAINE)
  • 6号車→96号車 アンジュー(ANJOU)
  • 7号車→97号車 ノルマンディ(NORMANDIE)→ロレーヌ(LORRAINE)※1939年に改称
  • 8号車→98号車 ベリー(BERRY)
  • 9号車→99号車 シャンパーニュ(CHAMPAGNE)
  • 10号車→90号車 ポワトゥー(POITOU)

以下、個別の特徴など。

なお、残された写真は、1940年に爆破放棄された時のものを除くと「*年*月撮影」といった詳細が判るものは少なく、相対的に「これのほうが古いかな?こっちが新しそう」くらいしか判らない場合が多い。一応、上記のように「番号が一桁か、二桁か」で、1936年以前・以後は分けられるが、以下の「初期」とか「後期」とかいった記述も、「だいたいそんなもの」程度でしかないことはご了承いただきたい。

本当は、手元にある写真を全部ここに貼り付けられれば説明が楽なんだけどなあ。

●1号車→91号車 プロヴァンス(PROVENCE)

▼極初期?

車体中央のエンジンルーム左右に、排気管取り出しの突出部がない写真がある。おそらく、これが初期形態。2Cは最終的にマイバッハのエンジンに落ち着くまでに何度かのエンジン換装を経ているので、マイバッハ以前のエンジン搭載時の形態か。この状態の写真では、エンジンルーム上左右に柵状のアンテナ?を装着。中央に大型のリールを搭載(通信ケーブルか?)。標準型では塞がれてハッチが設けられた、エンジンルーム上面後部も通風孔のまま?

なお、この仕様の場合、排気管はどこに出ているのかよく判らない。エンジンルーム最前部に、小ぶりな筒状のパーツが縦に2つ並んでいるのが確認できるので、これがマフラーかもしれない。

なお、当初は車体銃が搭載されていなかったようで、前面銃架部分は丸いパッチで塞がれている。操縦手用バイザーフラップ、前照灯無し。前方のやや遠くから撮られた1枚を見ると、シャーシ前面の製造メーカー銘板と思われる楕円のプレートが付いていないようにも見える。

▼初期

エンジンルーム左右に突出部を設けて排気管を出し、エンジンルーム上にマフラーを置いた標準形態に改修。誘導輪位置調整装置部分に車輛番号「1」を白で記入。車輛番号「91」に変更後も、エンジンルーム上に柵状のアンテナ(?)が確認できる写真があるので、車輛番号「1」時代は一貫して柵状アンテナ装備か。

▼後期

車輛番号「91」に変更。それからあまり間もない時期と思われる写真では、柵状アンテナ(?)装備、砲塔リング左側に「PROVENCE」の銘板。車体銃は当初はまだ装備していない模様。前面装甲板左右のコの字金具に、何か長方体のものが差し込まれている様子の写真あり。またこの時期、ごく大雑把に水平方向に塗り分けた迷彩が施されているようにも見える。

車輛番号変更以来?、誘導輪位置調整装置部分先端に箱型カバーを装着。これは最期の爆破処分時の写真でも確認できる。

▼最終状態

1940年6月半ば、ムーズ駅近くの鉄路上で積載状態のまま爆破処分。エンジンルーム上の柵状のアンテナは、少なくともそのしばらく前から装備していない。この時には、スポンソン部および車体前面の車体機銃は装備。操縦手用装甲バイザ―フラップも完備。車体前面中央の前照灯はフタ付き。

爆破処分による損傷は特に車体右前方で大きいが、放棄から間もないと思われる写真では、変形はしているものの装甲板はそのまま。ただし、しばらく後の写真では右前部のパネル2枚分が失われ、大きな穴が開いている。

極初期から最期に至るまで、私が確認できた写真では一貫してスカートを装着。最期のみ、爆破変形した右前半のスカートが脱落している。

●2号車→92号車 ピカルディ(PICARDIE)

▼初期

エンジンルーム上にマフラーを置いた標準形態。誘導輪位置調整装置先端も、キットと同様の状態に見える。

誘導輪位置調整装置部分に車輛番号「2」を記入。記入された車輛番号「2」が白字の写真と、濃色(黒?赤?)の写真とがある。車輛番号が未記入に見える写真もあるが、写真写りの問題で、暗色の番号が見えないだけの可能性もあるかもしれない。

この時期に砲塔リング左の銘板は認められない。

1号車のような柵状アンテナ装備状態の写真はないが、一方で、ロッドアンテナの基部も見当たらないような……。

▼後期

車輛番号「92」が記入され、かつ「活きている」状態の写真は、私の手元には1枚のみ。車体前半しか写っていないので情報量は多くないが、おそらく塗装は単色。スカートが装着されている。

▼最終状態

路上に放置。wikipediaの解説によれば、撤退のため鉄道駅に移動中、ピエンヌ(Piennes:地名)で電気系統の故障のため脱落、その後爆破処理された由。残された写真では、外部に大きな損傷は認められない。スカートは未装着、車体後部に尾橇が付けられている。車体前端の牽引具にはピン(ボルト?)が差し込まれている。エンジンルーム後部に、ロッドアンテナの基部は無いように見受けられる。

上時期同様に、誘導輪位置調整装置部分に白数字の「92」、砲塔リング左の銘板は付けられていない様子。

車体色は汚れているのか焦げているのか、かなりまだら模様になっていて、単色なのか迷彩なのか、ちょっと判別しづらい感じ。斜め前から撮った写真を見ると、シャーシ前面の製造メーカー銘板は、車体色で塗り潰されているように見える。

●3号車→93号車 アルザス(ALSACE)

Char2cpainting8 ▼初期

初期(1936年夏以前、第551連隊所属時代)のものと思われる写真には、

  1. おそらく単色塗装で、誘導輪位置調整装置部分に白数字の「3」(くっきり)。砲塔リング部左に白塗り黒文字?の「ALSACE」の銘板、エンジンルーム上は標準配置。掲示の写真はこの状態(wikimedia commons、File:Char2Cpainting8.JPG)。色は人工着色なのでアテにならない。
  2. 誘導輪位置調整装置部分に白数字の「3」(かすれて消えかけ)、少なくとも砲塔部を見ると、第一次大戦中のような複雑な迷彩塗装。エンジンルーム上はなぜか左側から取り回した排気管が繋がる後部マフラーのみ(写真の修整じゃないだろうなあ)。エンジンルーム横に柵状アンテナ。また、左側面に、おそらく車体上部に上るときに使うのだと思われるハシゴがぶら下げられている。
  3. おそらく単色塗装で、誘導輪位置調整装置部分に車輛番号確認できず。砲塔リング部左に白塗り黒文字?の「ALSACE」の銘板、エンジンルーム上は標準配置。

――の3種の状態が確認できる。いずれの写真でもスカートは完備。どれが古くてどれが新しいのかよく判らないが、エンジンルーム上のレイアウトが異なる2番目がより初期の状態と考えるのが妥当か?

▼後期

1936年夏以降のある時点で、コントラストと塗り分けラインが明瞭な2色迷彩が施される。誘導輪位置調整装置部分に白数字の「93」、砲塔リング部左に「ALSACE」の銘板。砲塔左面には大きく地域圏の盾形紋章。パレードか、何かのイベント時の「お化粧」だったらしく、ロッドアンテナ先端から前後砲塔に向けて綱を張り(前方は主砲、後方はよくわからないが、副砲塔の機銃か)、大量のフランス国旗の小旗を飾っている。キットの指定塗装/デカール3種のうちの1種に選ばれているのがこの状態(ただしデカールに小旗の飾りは付いていない)。スカートは装着していない。

もう一枚、1936年以降の冬に撮られたと思しき正面からの写真がある。塗装は暗色の単色塗装に見えるが、周りが雪なので暗く潰れている可能性もある。シャーシ正面に白字で「ALSACE」の車輛名。前照灯、操縦手用バイザーフラップ付き。シャーシ前面のメーカー銘板は、付いていないか、あるいは車体色で塗り潰されているか。角度的に、砲塔リング部の銘板や誘導輪位置調整装置部分の車輛番号、砲塔側面の紋章の有無は確認できない。スカートの有無も確認できない(内側は角度的には見えていても良いのだが、陰になっていて判別不能)。

▼最終状態

1940年6月半ば、ムーズ駅近くの鉄路上で積載状態のまま爆破処分。

91号車同様、爆破による損傷は特に車体右前方で大きいが、これまた、一部破損はあるものの装甲板が揃っていて履帯の脱落もない写真と、装甲板が外れ履帯も切れて垂れ下がっている写真と、2種の状態の写真がある。爆破処分された車両に対し、改めてドイツ軍が爆破なり攻撃なりしたのか?

スカートは未装着。また、この時の93号車は、誘導輪位置調整装置先端に半月状のパーツが見える。標準形態と違うというより、誘導輪を再前方に振ったために、通常は見えていない部分は見えている、ということかもしれない。

塗装は基本、薄汚れているのか、爆破時に炎上して焼け焦げているのか、むらのある単色塗装にも見えるのだが、写りのよい写真の中に、砲塔のアルザス地方の盾形紋章と、上と同じ迷彩模様がうっすら見えるものがある。砲塔リング部左の銘板も、薄汚れて(あるいは字が消えかけて)見づらいが付いている。

誘導輪位置調整装置部分の車輛番号「93」は、右側は焦げたか汚れたかで、左上部に向けてやや消えかけ。左側ははっきり綺麗に見える。それに対し、砲塔の盾形紋章はほとんど消えかけている感じで、もちろん焦げたり汚れたりしているのかもしれないが、もともとプロパガンダ用に描かれたものを、実戦使用としては目立ちすぎるので消そうとした(そして消え残った)可能性もあるかもしれない。

不思議なのは迷彩塗装で、パターンがはっきりわかる部分で比較して、上の「後期」の項に書いた迷彩塗装と同一なのは判るが、それにしてはコントラストが近くて判りづらい。単なる写真の質の問題なのか、あるいは上記の塗装から数年経って、もともと“儀式用”に落ちやすい塗料で臨時に施されたために剥がれたり褪せたりしたのか。いろいろ可能性は考えられるものの、真相は不明。

●4号車→94号車 ブルターニュ(BRETAGNE)

▼初期

1936年夏以前、第551連隊所属時代の車番「4」時代の写真では、その車番が白数字のものと、黒(?)数字のものとがある。エンジンルーム上部、誘導輪位置調整装置部分前端は標準(キットと同じ)状態。スカート完備。

▼後期

車輛番号が「94」に変更になって以降、演習中なのか、池か濠を渡ったり、歩兵が随伴して走行中だったりという(おそらく一連の)写真が何枚か残されている。車輛のディテール的にはおおよそ初期と変わりがないが、誘導輪位置調整装置前端に箱型カバーが追加されており、初期の写真では確認できなかったロッドアンテナが付けられている。また、尾橇を装着している。スカートは変わらず完備。

塗装は暗色の、おそらく単色塗装。誘導輪位置調整装置部分に白数字で「94」。砲塔に大きくブルターニュ地方の盾形紋章。砲塔リング部左に、白地に暗色文字で「BRETAGNE」の銘板。

正面から写した、おそらくこの時期のものと思われる写真を見ると、戦闘室前面左右のコの字金具は右側のみで、長方形の物体が差し込まれている(もしかしたらジャッキ?)。車輛名「BRETAGNE」の記入位置は、93号車「ALSACE」と異なり、戦闘室前面の操縦手バイザー下に小さなフランス国旗マーク付きで書かれている。また、シャーシ前面の製造メーカー銘板は車体とは明らかに異なる明色。真鍮色の可能性もあるかも。

▼最終状態

(少なくとも私の手元には)1940年戦役時の94号車の最期を示すような写真は1枚もない。wikipediaの解説によれば、94号車と96号車は、1939年10月以降予備車に回され、僚車の稼働状態維持のための部品取りに使われて、部隊配備から外されていたらしい。

●5号車→95号車 トゥーレーヌ(TOURAINE)

▼初期

一桁番号時代の写真は確認できない。

▼後期

番号の隣り合った94号車「ブルターニュ」に近い仕様と塗装。おそらく暗色の単色塗装で、誘導輪位置調整装置部分に白数字で「95」。一部の写真では、左側面の「95」の5の字が消えかけている。砲塔に大きくトゥーレーヌ地方の盾形紋章(描かれていない写真もある)。砲塔リング部左に「TOURAINE」の銘板(文字は暗色、銘板の地色は明色だが、金属光沢のようにも見える)。誘導輪位置調整装置前端に箱型カバー付き。エンジンルーム後方に、ロッドアンテナを装備。ただしスカートは未装着。94号車と違い、この時期に撮られた写真では尾橇は装備していない。

この95号車「トゥーレーヌ」だけの独自装備が、砲塔前上部、主砲防盾の左右に追加された、ライト装着用と思われるY字のステイ(戦闘室前面中央の前照灯用ステイと似た形状のもの)。ただし、ライトそのものは付けられていない。なお、そのステイは正面を向いておらず、砲塔の取付面に沿う形で左右に斜めに振られている。シャーシ前面のメーカー銘板は明色。

右後方車体ハッチ上に、雨どいのようなものが付けられている写真がある(左側面ハッチ上には確認できない)。これも「トゥーレーヌ」のみに見られるもの。

▼最終状態

1940年のドイツ軍侵攻開始時点で、95号車は故障しており部隊の集結・待機場所にも行けず、メリ=マンヴィル(Mairy-Mainville:地名)の路上でスタック、修理中。結局最後まで動けず、同地で爆破放棄された。

その後の写真を見ると、おそらくエンジンルーム上面パネルは取り外されていて、車外にエンジンその他が散乱している。

戦車本体は尾橇付き、スカートを装着。主砲塔に簡易クレーンが装着されており、これで、砲塔横の四角い穴がクレーン基部を取り付けるために使われているのが確認できる。「独自装備」の砲塔のライト(?)ステイはこの時も付いている。右後方車体ハッチ上の雨どいのようなものも、この時点でも付いているのが確認できる。放棄後の左側面写真は無く、左ハッチにも付いていたかは不明。

砲塔左側面には、ごくうっすらと地方の盾形紋章が見えており、薄く塗り潰されたものが見えているか、あるいは消し残ったものかと思われる。

●長くなったので今回はここまで。

 

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Char 2C MENG 1:35(の突発的レビュー)

Img20240803231341 ●突然思い立って、MENG社、1:35のシャール2C(FCM 2C)を組んでみたので、そのレビュー。

私の好きなフランス軍AFV、しかもこんな珍車両をインジェクションキット化した、というだけで「いつかは買わねばならん」と思っていて、結局、しばらく前にとうとう購入したのだが、買っただけである程度満足してしまって積んであったもの。

とにかくこの戦車に関しては、「でかい・珍しい・ポンコツ」と、ほとんど外連味しかないうえに、キットはモールドもシャープで、組立に変なトラップもない。そのため、ネット上でこのキットのレビューや製作記を漁っても、おおよそは「こんなキットが出たんだぜ! てぇてぇ!」みたいな感じのものばかりだった。私が見た範囲内では、唯一、track-linkの掲示板での議論で、サスペンション部分の表現が簡略化されてレリーフ調になっていることが指摘されていた程度。

実際、私も最初は特に何も考えずにパタパタ組んでしまったのだが、組んでいるうち、若干気になるところも出てきたので、そのへんをちょっとだけ突っ込んでみたい。前述のように、他にはあまりこのキットについて「ディテールがどうのこうの」なんて言っている記事は少ないようなので、そのへんが気になる人には手掛かりにして頂きたい。

……もっとも、このキットも発売されてかれこれ10年経つし、こういうアイテムを前のめり姿勢で作ろうという人は、もうとっくに作ってしまっていそう。

●「模型としての出来(モールドやはめ合わせ)」は前述のようにしっかりしているので、ストレートに作るのであれば、組立自体はあまり大きな問題はなく進む。おおよそ形になった状態が下の写真。

Img20240803231553 Img20240803231732

宮崎アニメ感たっぷりというか何というか。

Img20240703012329 ただ、「説明書通りにパタパタと組んでいく」だけにしても、ムカデ並みに多い転輪にはさすがに閉口する。片側37個(加えてほぼ同形の上部転輪4個)って、なんだそりゃ……。

さらに、これは私が入手したキットだけの問題かもしれないが、エンジンルーム上部(スライド型で一体成型されたワク状の大きなパーツ)の片側側面に若干の反りが出ていた。これに関しては、車体上部に強制接着することで反りを修正した。

また、一部僅かに隙間などできる部分、組立づらい部分もあったが、それらについては後述する。

●で、気になった点をいくつか。もっとも、私自身、この車輛について詳しいまとまった資料など持っているわけでもなく、ネット上で拾い集めた写真等で気づいた点をポツポツ書いているだけなので、あくまで参考程度にどうぞ。

Img202408032317322 Img202408032316532

上記写真の丸番号に対応する形で挙げていくことにする。なお、内容は

  • 組立上で気になったところ
  • ディテール上で気になったところ

の2種があるので、それぞれ下記説明では文頭番号を色分けで示した。

Img20240805144133 主砲塔・副砲塔の両側面には、四角い窪みがある。実車写真を見るに、簡易クレーンの装着部らしいのだが、側面の乗降ハッチ上部の小窓とも形状が似ているので、もしかしたらピストルポートか視察口と兼用かも。いずれにしても、キットは砲塔の大きさに合わせて(?)、主砲塔のもののほうが大きいのだが、実車では主砲塔・副砲塔とも同じ大きさのようだ。というわけで、主砲塔側の窪みはプラ片で三方から狭めた。

なお、番号では示さなかったが、主砲塔・副砲塔とも、スライド型を使ってリベットを潰さないように一体成型されており、そのため、周囲それぞれ4カ所に型の分割線がある。ごく薄いが、丁寧に消しておきたい。

 縦スリットが細かく並べられた「ストロボスコープ式」キューポラは、そのスリットをモールドするために、筒部が上下分割されていて、スリット上辺に沿って接合線が目立つ。実車はたぶんそんな溝はないと思うので、若干やっつけ仕事ながら埋めてヤスった。そもそもこのスリット自体、実車はもっと細くて目立たないかも。左:before、右:after。

Img20240803231914 Img20240806215603

 エンジンルーム上面は別パーツだが、四周のワクのパーツより僅かに短く、そのままだと隙間ができる。前端に薄いプラバンを挟んで隙間が出ないようにした(⑥下に載せた写真の黄色い部分)。

 エンジンルーム側面と上面を繋ぐ細パイプ類は細いので破損注意(私は2本折った)。面倒臭がりで無い方は、金属線などで作り替えるのもいいと思う。また、説明書では一緒に図示されているが、側面外側のカバー(Q、R、T、U)は、細パイプ類の後に取り付けるべき。私は先にカバーを付けてしまい、あとから細パイプ類を付けるのにちょっと苦労した。

 マフラーの側面は、キットのままだとちょっと太めの縁取りがあるが、実車では普通にドラム缶とか飲料のスチール缶風。一度組んだ後にくりぬいて作り直した。

 マフラーからは、キットでは何やらフタ状のもの(C5)が飛び出た構成になっているが、実車写真を見ると、どうやら普通に排気口らしいし、形状もちょっと違うので作り直した。下写真は④~⑥について、左:before、右:after。

Img20240729175510 Img20240804033819

ちなみに排気管は、マフラーに接続する前に分岐があって、その上に弁付きの開口部がある。箱絵ではここから排気煙が出ていて、となると、「一体マフラーは何のために付いてるの?」状態。実車写真でも半開きになっていたりするので、「閉じて塞いでいるのが常態」というわけでもなさそう。よく判らん構造。上写真では弁のパーツはまだ着けていない。

Img20240803231958  エンジンルーム最後部に、補助エンジンのものと思われる小排気管+マフラーがある(wikipediaの記述によれば、主機関を動かしていない時の電源用、およびエンジン始動用であるらしい)。スライド型を多用しているこのキットだが、ここに関しては排気口も開いていないし、マフラーとの接続部に隙間も空いたりするので、排気口は一度削って穴を埋め、金属パイプで作り直した。

それにしても、このエンジンルーム、ほとんで見た目が化学プラントのよう。そもそも、こんなふうにパイプがごっそりむき出しになっていていいのか。流れ弾とか破片が当たって切れたら、それで動かなくなっちゃうとかないだろうなあ。どこぞのモビルスーツだってここまでパイプだらけじゃないぞ。

 最後尾の上部転輪は、架台の位置決めがやや曖昧で、うっかりするとこの上部転輪のみ、外側に傾いてしまう可能性があるので注意。

 車体後部上側の斜めになった部分のパネルは別部品だが、車体上部パーツ(特に側面)との接合に、若干の難あり。

Parts01 Img20240717033445

実車の装甲板(上面と側面)は、おそらく上図の左のような接合になっていると思うのだが、キットはAのように、わざわざ上面・側面装甲板の接合ラインはスジボリで表現したうえで、実際のパーツは斜めそぎ落としで継ぎ合わせるよう処理されている。が、車体上部パーツの接合部が右写真のようにゆるく波打っているので、そのまま接着するとところどころ隙間が開いてしまう。ここは、Bのような処理にしてほしかったところ。

実際の工作においては、車体上部パーツの側面部分を、接合ラインのモールド部分まで削り取り、一方で上面パネルの淵にはプラバンを貼り増して小口を作った。隙間をパテ埋めなどするよりも綺麗に仕上がる(と、思う)。

 実車は誘導輪を前後させることで履帯張度を調整しているものと思われ、おそらくそれに関連すると思われるディテールのパーツ(C34、C38)を前端に接着するようになっている。ただし、実車写真を見ると、車両によって(あるいは時期によって?)ここに半月状の出っ張りがあったり、箱型のカバーのようなものが装着されていたりする。前者は、もしかしたら誘導輪位置を動かした結果による形態変化かもしれないが、後者は違いそう。特定の車輛を作る際には注意が必要。

 誘導輪位置調整装置が収まっているこの部分は、どうも実車とキットでやや縦横比が違っているような気がする。

 スポンソンの下縁にはスカート取付金具が並んでいる。キットでは冒頭に上げた側面写真のように左右8カ所ずつモールドされているのだが、実際には番号を付けた写真で示した赤部にもあり(計10カ所)、また最前部の黄緑は位置がおかしく、実際はもう少し前方にある。取付金具の形状自体も、キットは縦長、実車は横長なので、エバーグリーンのL字材を利用して作り替えた。

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私はスカートを付けない仕様で作ろうと思ったのでこのような工作にしたが、スカートを付ける場合には(そしてこの金具の位置と数を修正するなら)、スカート側の凹部を埋めて、プラペーパーか何かで追加するのが楽かも。

 これは乗降ハッチなのか? とも思ったのだが、どうやら単純に工具箱らしい。実車は前方から見た時に、もっと傾斜がきつい(中央が高く、左右が低い)ようだが、接着してから気付いたので修正していない(エナメルシンナーを使っても、蓋パーツが割れそうな気がしたので)。

 操縦手用のバイザーフラップは、どうも戦間期は基本的に付いておらず、単純に四角く開口しているだけだったらしい。戦間期の写真では、フラップのヒンジさえ見当たらない。フラップが取り付けられたのは、1940年戦役が始まる直前辺りらしい。また、キットのパーツは比較的単純な板状のパーツだが、実際はスリットが設けられており、また側・下方の三方のエッジは面取りされている。

Img20240803235624 Img20240806124612

 前面左右の何やら手すりのような、ラックのようなパーツは実際は薄板製。私は取り付け後に、上側だけ削り込んだ。

●10輌生産された各車の特徴などについて、改めて書くかも。

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フレンチの鉄人

●フランス軍AFVの製作/考証の際に非常に頼りにしていたサイト、「chars-francois.net」が、いつの間にか閉鎖されていた。

このサイトが有り難かったのは、とにかく個別の車種についてかき集められるだけかき集めた写真を、登録番号順にアーカイブしてあったこと。特に、個人的には、ここの写真を頼りにルノーR35の仕様変遷などを辿っていたので、無くなったのは非常に残念。

主に「chars-francois.net」を頼りにしたR35考証の一部は以下の記事を参照のこと。

ルノーR35考証メモ
ルノーR35考証メモ(2)

なお、上記記事(2)で触れているように、R35の登録番号順の仕様メモはエクセルシートにまとめていたのだが、先年のハードディスク・クラッシュで吹っ飛んでしまった。内容にも一部不足を感じていたので、これを機会に、改めて暇を見て「chars-francois.net」の写真を元にまとめ直そう、なんて思っていたのだった。――「いつまでもあると思うな親と金とネットコンテンツ」ってヤツですなあ。

他にも、例えばB1bisとかD2などについては、登録番号と車両の固有名、所属部隊などもリスト化したうえで写真を集めてあったのが有り難かった。

現時点で、サイトの一部についてはウェブ・アーカイブでまだ見られるが、写真は一部しか開かないし、それもいつまでもつかどうか。

もっとも、上記のように、フランス軍AFVの写真を「かき集められるだけかき集め」ている一方で、それらの写真の全部がパブリック・ドメインではないだろうし、使用許諾は大丈夫なのかしらん?とも思っていて、もしかして、サイトが無くなってしまったのはそのへんの絡みもあったのかも、と邪推してみたり。そうは言っても、う~ん、つくづく惜しい。

そのうち場所を変えて復活してくれないものか。甦れ、アイアンシェフ!

●ちなみに、以前「開かなくなっちゃった! どうした!?」と騒いでいた、フィンランド軍“直営”の写真アーカイブは、めでたく復活した。よかったよかった。御用のある方は以下へ。

Finnish Wartime Photograph Archive

●先々週末(19~21日)、昨年に引き続いて、府中で某IT系ハッカソンの合宿。ただし、19日(金曜日)は別件の仕事の締め切り&打ち上げがあって、20日朝から参加する。

21日は午後も早めに終了。ちょうどやっていたポケモンgoのコミュニティ・デーのイベントをこなしつつ、国分寺跡を経由して西国分寺まで歩く。猛烈に暑かったが、昨年の合宿時よりはマシだったかな……。さらに今年も若干の寄り道をして、付近のマンホールカード4種を貰った(国分寺市1種、国立市1種、立川市2種)。

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今回貰った国分寺市、国立市、立川市の3市とも、もう1種ずつマンホールカードがあるが、国分寺市のものは昨年入手済み。国立市、立川市のもう1種は、配布時間(施設窓口の開いている時間)に間に合わなかったので今回はパス。

●わが町逗子の丸ポストは、つい最近まで4基あったのだが、そのうち2基が新しい角ポストに替わってしまっていることが判明した。

なくなった2基を含めての4基を西側から順に並べると(写真も同順)、

  1. 桜山1丁目2-21:逗子~東逗子間、水道路沿い。寿し魚友横。
  2. 池子2丁目20-4:東逗子団地管理組合事務所前。
  3. 沼間3丁目2-1:東逗子駅先、県道24号線沿い。元長谷川たばこ店前。沼間講中庚申塔群横。
  4. 沼間4丁目5-24:横横道路逗子インター近く、県道から北にちょっと入った住宅地。

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このうち、2番と4番が最近なくなったもの。2番の東逗子団地管理組合事務所前のポストは、アリが沸いたとかで使用禁止の張り紙がされてしばらく後に新ポストに置き換わってしまったとか。

考えてみれば残りの2基も最近確認していないので、現時点で無事かどうか多少の不安あり。できるだけ長く生き残って欲しいなあ。

 

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I号戦車B型 アカデミー 1:35(2)

●アカデミー 1:35、I号戦車B型のキットレビューの続き。寸法チェックや他社キットとの比較など。もっとも他社キットとの比較とはいっても、本当に比較してみたい直近新キットのTAKOM製は持っていないので、いまひとつ役立ち度は低めかも。

なお、ドラゴン、イタレリ、トライスターの寸法/パーツ比較については、尾藤満さんの「パンツァーメモ」のI号戦車B型製作記にも詳しい。もちろん、パーツ比較だけではなく製作そのものに関しても大いに助けになる。

●まずは、PANZER TRACTS No.1-1、I号戦車の巻の図面と突き合わせてみることにする。

当然ながら、寸法がどれだけ正確かは実車・実測データと比べるべきもので、本の図面には「それがどれだけ正確なの?」という問題が付きまとうわけだが、一応、PANZER TRACTSは実測データに基づいて作図しているとのこと。実際には、PANZER TRACTS掲載の図面も、部分的には「え、それどうなの?」と感じるところがないわけではないが、とりあえずは、今のところ最も信頼性が高いものと考えて、頼りにしてみる。

PANZER TRACTS I号戦車の巻の図面は1:35ではないので、まずは縮小コピーを取る。

PANZER TRACTSによれば、I号戦車B型の寸法は、

全長:4.42m(126.3mm)
全幅:2.06m(58.9mm)
全高:1.72m(49.1mm)

(カッコ内は1:35の計算結果、小数点2位以下四捨五入)

そもそもこの「全長」とか「全幅」とかが、どこからどこまで?というのがちょっと戸惑うのだが、全長は前後のマッドフラップ、全幅はフェンダー両端間――ではなくて、そこからちょっとだけ横に飛び出す転輪ボギーの補強レールまでを含めた寸法と判断。スキャンデータの印刷倍率を細かく変えて、上記カッコ内寸法の図とした。

で、そんな図面とキットの車体上部を重ねてみたところ。

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マッドフラップ部分を含めないフェンダー長は、PANZER TRACTSを縮尺してみた図面は108.8mmというところ(小数点以下はかなり適当)、キットは108.2mmくらいで、やや短い。上写真はフェンダー後端で合わせてしまったのでやや前側にズレが見られるが、フェンダー前端で合わせると、車体前部装甲板の継ぎ目とか、戦闘室の位置などは、ほぼ図面とぴったり重なる。ちなみに先行他社のキットの寸法は、

イタレリ:109.7mm
ドラゴン:105.7mm

イタレリが最も長く、ドラゴンは最短。尾藤さんによれば、ドラゴンはマッドフラップ部分で全長の帳尻を合わせているらしい。

戦闘室部分の前後長は、

PT図面:32.8mm
アカデミー:32.8mm

イタレリ:33.7mm
ドラゴン:31.7mm
トライスター:33.3mm

で、アカデミーはピッタリ、イタレリとトライスターA型でやや長く、ドラゴンは短かった。

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各社の車体上部と砲塔を並べてみたのが上写真。左からトライスターA型(新)、イタレリ、アカデミー、ドラゴン。PANZER TRACTSの図面によれば、戦闘室前後長と砲塔前後長はほぼピッタリ同じ長さらしいのだが、砲塔はトライスター用が最も大きく、イタレリが次点で、戦闘室の長さと順位が逆。このため、イタレリのキットでは砲塔前側で、やや戦闘室に“余り”が出る。

一方でドラゴンは戦闘室が最も短いが、砲塔前後長はそれよりさらに短い。そのため、砲塔を並べてみても明らかにドラゴン製だけ小さい。ドラゴンは後発のA型キットでは砲塔パーツを改めて大きくしている(実車では細部ディテールは違うものの、A型・B型で砲塔基本形は変わらない)。

なお、本来、砲塔リング中心は前後位置で戦闘室のちょうど真ん中にあるらしく、アカデミーのキットでもそうなっているが、砲塔前半の寸法の違いもあり、イタレリ、トライスターではやや後ろに、ドラゴンではやや前にズレている。

というわけで、とりあえず、ごく大まかに主要部だけ検証してみたが、寸法的にはアカデミーのキットはなかなかスグレモノといえそう。

●細部に関するチェックの続きと比較。

▼フェンダーの滑り止めパターンはこんな感じ。

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上がイタレリ、下左がアカデミー、下右がドラゴン。前回書いたように、アカデミーが最も細かく、実車にも近いようだ(フェンダー幅が、実車では網目15目。アカデミーが14目)。まあ、個人的にはイタレリくらいでもいいかなな、という感じだが、タミヤのII号戦車くらい粗くされるとさすがにちょっと……。

▼各社の転輪を比べてみたのが、以下の写真。

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左から、イタレリ、トライスター(上:改修版、下:旧版)、アカデミー、ドラゴン(上:改修版、下:旧版)。ドラゴンの改修版は、自走砲のキットにセットされているもので、トライスター改修版と同様、リム外側リングが別パーツになっているが、写真はそのパーツを取り付けていない状態。

以前、トライスターのA型旧版でブレダ20mm搭載型を作った際のチェックでも書いたが、トライスター旧版はちょっと“オムスビ穴”の底の角が丸すぎる感じ。各社ともスポーク付け根のグリースポイント?と思われるバルジも表現されているが、イタレリは本来2か所にあるべきバルジが1カ所しかない。また、アカデミーのパーツはグリースポイント?のバルジが、転輪の表裏両方にある(他社は片側にしかない)。これは実車の同一の転輪の表裏を確認したことがないので、正解は不明。

また、リム部外周のディテールに段付き・段無しの2種類あるが、これは実車でも確認できるバリエーション。また、前回書いたように、アカデミーのみ、ゴムリム部およびスポークに刻印が表現されている(TAKOMはスポークの方の刻印のみある模様)。

転輪の厚みは、イタレリのものが最も薄く、アカデミーとドラゴンはほぼ同一。トライスターのものが最も厚い。PANZER TRACTS掲載の諸元表のなかに、「Tires: 530/72 Rubber」という記述があり、この72(mm)が幅だと思われるが、35で割ると2.1mm。トライスターが2.3mmでやや厚め、アカデミーは1.8mmで薄め。アカデミーやドラゴンで薄めなのは、履帯のガイドホーンにそれなりのプラの厚みを持たせたかったからか。

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新しめの転輪3種でのディテール比較。トライスター新版と、ドラゴンの自走砲キットの新パーツは、リム部外周を別部品にすることでポケット状になっていることを表現。ドラゴンのキットは外周パーツを金属パーツで用意しているが、写真では取り付けていない。この部分においては、アカデミーのパーツは一歩譲るが、一方で前述のように刻印のモールドでは勝っている。なお、トライスター新版の転輪はややゴムリム部に軽くテーパーがあること、それもあってエッジの丸さが強調されて見えることも、ちょっと気になるかも。

▼誘導輪は、イタレリとドラゴンのB型(戦車型)ではムクの1パーツだが、アカデミーのキットや、ドラゴンの指揮戦車~自走砲の新パーツではリム部が表裏別パーツになって、空隙部が表現されるようになった。ドラゴンは指揮戦車と自走砲で、これまたパーツが違っている(自走砲のパーツの方が新しく優れている)。写真は、アカデミーと、ドラゴンの自走砲用パーツの比較。

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左がドラゴン(三代目)、右がアカデミー。リム部はドラゴンのものの方が薄く、空隙も広い。……だけではなく、ドラゴンのもののほうがハブ部の突出が大きくメリハリがある。ただ、実車写真と見比べた感じでは、ハブの突出具合はアカデミーの方が近い。

Idler01 なお、空隙間のリブは、両社パーツともスポークとスポークの間にもあって、計12枚となっているが、実車は、スポーク部にしかない(つまり6枚)ものもあるようだ。

ボーヴィントンの指揮戦車もどうやらリブの少ないタイプを装着しているほか、PANZER TRACTS No.1-1の中の写真でも確認できる(p83)。右写真はボーヴィントンの指揮戦車実車、wikimedia commons、File:SdKfz 265 Panzerbefehlswagen I Ausf B rear view at the Bovington Tank Museum.jpg(作者:Mightyhansa/Vauxhall Bridgefoot)より切り出し加工。

▼パーツ状態でフィット具合が気になっていた、戦闘室前・側面装甲板の検証。

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前回書いたように、おそらくクラッペ/ハッチ周りのモールドのツブレを防ぐために、このキットでは戦闘室側面・前面が別パーツ。そのために、接合ラインに隙間など空いてしまわないかが心配なところ。

工作の手順としては、車体上部パーツに、戦闘室左右の装甲板(A22、A23)を先に着け、その後で前面装甲板(A20)を着けた。なお、組立説明書の手順としては、これらのパーツを付けるのはステップ20とだいぶ後半だが、私は当然、間はすっ飛ばしている(こういうことをしていると、たまに、後から着けられないパーツが出てきたりして慌てることになる)。

側面パーツ(A22、A23)は裏側に複数の押し出しピン痕があり、そのため、多少凸凹している。これが接合時に多少の悪さをしそうなので、その辺を中心に、パーツのすり合わせを入念に行う。そこそこ頑張った結果、接着後の様子は写真のようになった。パーツの接合線は、2枚の写真の①③④の部分。若干、「パーツの合わせ目だなあ」感はあるので、この後、極細伸ばしランナーなど貼って整形をしたい。

なお、前述のように側面パーツを貼った後に前面パーツを合わせたが、その際、接合線③の部分に少々隙間が空いたので、側面パーツ前端の④の部分をヤスってやや後退させた。側面パーツ側の溶接線モールドを削り落とすくらいの感じでちょうどよくなった(そこまでの部品の擦り合わせ具合でも変わってきそうだが)。

関連して、戦闘室の後ろに取り付けることになるエンジンデッキは、前端部(写真の②)に溶接線のモールドがある。しかし実車では、戦闘室とエンジンルームは分離しており、かつ各々取り外し可能なはずなので、ここに溶接線はない(はず)。綺麗に削っておきたい。

●とまあ、こんな感じ。

戦闘室周りのパーツの接合など、一部面倒なところはあるが、全体の寸法、個々のパーツの出来などもよく、「アカデミー、やるじゃん!」と言いたい佳作キット。今後、噂の通りタミヤからもI号戦車が出るとして、まあ、まだ何の情報も出ていないキットとの間で優劣は付けようがないが、少なくとも、コストパフォーマンス的にもいい勝負には持ち込めそう。

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I号戦車B型 アカデミー 1:35

Img20240706123838 ●4日木曜日、仕事でつくばに行った帰りに秋葉原に寄り、ヨドバシでアカデミー 1:35、I号戦車B型を購入。

「タミヤからI号戦車が出るよ!」――というウワサ話のその後も気になるが、大戦初期のドイツ軽戦車好きとしてはスルー出来なかった。以下、簡単にレビューを。とりあえず今回は大まかにパーツ構成と、若干の目に付いた特徴など。

話題になっているのでご存じの方も多いと思うが、キットはI号戦車B型と、ツュンダップKS750サイドカーのセット。(主に)大戦初期に使われたI号戦車と、大戦中盤以降に使われたKS750とがセットなのはちぐはぐだし、箱絵のような(ポーランド戦時の塗装の)I号戦車とKS750が隣り合ったシチュエーションなどあり得ないのだが、まあ、そのへんは「突っ込むだけ無駄」みたいな。

もっとも、こういう「ちぐはぐな取り合わせ」は古いキットではよくあったことで、I号戦車に限っても、フジミの1:76は7.5cmPaK40とセットだったし、ニットーの1:76はキューベルワーゲン、BMW R75サイドカーとセットだった。しかし21世紀にもなってこれは……。

なお、箱上面は絵のみで、キット名称(車輛名称)などは無し。右下に小さくメーカーロゴが入っているだけ。比較的最近のアカデミーの箱は、斜めにタスキ掛け的にキット名称が入っていたように思うのだが、また変わったんスかね。

●まずは全体構成。

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パーツのプラ枝は、砲塔基本形のみも1枝と考えて、6種7枚(足回りが、同一枝が2枚)。透明パーツは無し。

Aパーツ(写真1枚目):車体上部関係。基本形以外の砲塔関係パーツもこの枝。戦闘室は前・側面が別パーツで貼り重ねる構成。A型では沈頭ネジ(皿ネジ)だったクラッペ周囲が、B型では尖頭ボルトに変更になっているため、モールドがツブれるのを避けるためと思う。腰上半身の車長フィギュア付き。

Bパーツ(写真2枚目):車台、OVMなど(うっかりOVAと書きそうになった)。シャーシは各面別パーツの箱組。

Cパーツ(写真3枚目):足回り(×2枚)。履帯は部分連結式(いわゆるリンク&レングス式)。

Yパーツ(写真4枚目):ツュンダップKS750サイドカー。この枝だけで完結していて、戦車本体のパーツとの出入りもないので、公出のフィギュアパーツと合わせて、いずれ単発キットでの発売もあるか?

Zパーツ(写真5枚目):オートバイ兵用コート着用、オートバイとサイドカーに搭乗のフィギュア2体。

砲塔基本パーツ&デカール(写真6枚目):砲塔は(あたりまえだが)クラッペ周囲に尖頭ボルトのモールドがあり、フック取り付け個所が上面にあるB型用。テストショット段階ではやたら大きくて「なんだこれ?」状態だったダンパーも適切な大きさに。デカールは、戦車用5種(ポーランド戦線3種、フランス戦線1種、北欧戦線1種)、サイドカー1種(どこのだろう?)、フィギュア用あれこれ。戦車用は全て1939年~40年のものなので、その時期はまだツュンダップKS750は就役していない。

Img20240706124144 エッチングパーツ(写真7枚目):マフラーカバーと菱形のナンバープレート、憲兵用ゴルゲット(首から下げているプレート)。ほか、写真に撮り忘れたパーツとしてワイヤーロープ用ナイロン(?)ひも1本も付属している。

組立説明書類(写真8枚目):組立説明図がカラー塗装図含め3部構成。さらに足回りの訂正組立図(元はサスペンションの向きを間違えている)、注意書き、などなど。やたら紙が多い。ちなみに赤枠の1枚は、「部品不足や破損がないかは、袋を開ける前に確認してね」という注意書き。何それ。微妙に不便なんだけど。

●基本的な寸法がどうの、というような話は次回に送ることにして、ここからはむしろ枝葉のディテールの部分を。個人的に「いいね」と思ったところ、「おや?」と思ったところなど中心に。

▼まずはAパーツから。

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戦闘室周りを中心に、エッジの溶接ラインのモールド表現はややおとなしめ。装甲の薄いI号戦車の溶接ラインとしてはまず適正なところだと思う。ただ、部品の接合線と重なる部分がどうなのかは、実際に組んでみないとよく判らないので、評価保留。

車体上面ハッチ周囲や前部上面の皿ネジは、ネジ頭が全部同一方向になっているのは、細かくて判りづらいとはいえ、少しだけ減点ポイントかな。

側面下部の増加装甲は先行キットと異なり別パーツではなく一体モールドだが、B型ならあるのが当たり前(のはず)だし、より薄い表現になっているので良し。取付ボルトも、ボルト頭ではなくナット表現になっている。

フェンダーは、先行のイタレリやドラゴンではシャーシ側と一体だったが、このキットでは車体上部側と一体。フェンダーの滑り止めのメッシュパターンはイタレリやドラゴン、トライスターのA型よりも細かく好感が持てる。

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エンジンルーム右後端のグリルは、ルーバーがきちんと斜めに表現されていて、しかも隅にぴっちりはまった表現になっているのが良い感じ(ドラゴンのキットは右端・後端からちょっと離れている)。

エンジンルームのハッチは、このキットでは不用部品扱いだが、熱帯地仕様の通気口付きのものもセットされていて、この後のバリエーション展開が期待できる(戦車型自体の熱帯地仕様か、それとも指揮戦車や自走砲か)。

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一部シャーシ関連のパーツも、A枝に入っている。誘導輪基部間の補強バーは、左写真中央のA8を使うよう組立説明書では指示されているが、細いタイプ(右写真、A19)もパーツ化されている。牽引ピントルも(説明書では一択だが)バリエーションパーツ有。

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機銃(MG13k)はスライド型ではなく銃口に穴は開いていないが、放熱筒の表現はプラパーツとしてはなかなか頑張っている感じ。

▼続いて、主に車台関係のBパーツ

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基本、インテリアはカラッポだが、エンジンルーム隔壁にはモールドがあり(左写真)、ファイナルギアハウジングの車内側もパーツがある(右写真)。車内が覗ける自走砲バリエーション展開への布石?

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車台前面装甲(左写真)は、ギアハウジングの出っ張り下に平面部分の表現あり。これは古いイタレリ、ドラゴン(B型)、トライスターA型の旧版では再現されておらず、トライスターA型の改修版や、ドラゴンのA型では表現されるようになった部分。目立たないところだが、きっちり抑えてあるのは嬉しい。

第一転輪用のサスペンション・コイルばね(右写真)は、ドラゴンA型キット用スプリングのように、左右で巻きが逆(鏡写し)なんてマヌケなことにはなっていないが、一方ではドラゴンA型用同様に、裏側でモールドが逆斜めになっていて、要するに「コイル」ではなく、「斜め蛇腹」にしかなっていない。どのみち組んでしまえば裏はほぼ見えないので作り直したりはしない予定だが、ちょっと脱力感。ちなみにドラゴンのもともとのB型用スプリングは、そもそもモールドが斜めにさえなっていない単純な蛇腹。そんなに難しい表現でもない気がするのに、意外にいいパーツがない(なお、実車のコイルスプリングは、A型用と、A最後期~B型用とで、バネ線の太さと巻き数が違う)。

▼足回りのCパーツより。

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転輪、上部転輪のゴムリム部には、社名の「CONTINENTAL」ほかの刻印入り。古いイタレリはもちろん、トライスターA型の新・旧版、ドラゴンのB型系列の新・旧版(戦車型と自走砲型)の転輪でも、ゴムリムの刻印はなかったので、アドバンテージと言えそう(ネット上のレビューを見る限り、TAKAMの転輪にも刻印はないようだ)。

ちなみに、ドラゴンは他のドイツ戦車ではメーカー刻印を入れている場合があるが、その場合、商標に触れるのを避けるため?、わざわざ「コンチネンタ(CONTINENTAU)」にしている。当キットは正しく「CONTINENTAL」になっているが、その後使っても良くなったのか、それとも何かかいくぐる手段を講じたのか、あるいは「知ったこっちゃねぇ」で使っているのか、は不明。

また、このキットでは、ゴムリムだけでなく、スポーク部にも鋳造の刻印が入っている(これはTAKOMの転輪にも入っているようだ)。

一方、トライスター新版とドラゴン新版、そしてTAKOMのキットでは、リム部外側を別パーツにして外周に向けての溝を再現しているが、このキットは旧来のパーツ同様に一体成型。このあたりは残念に思う人も多そうだが、例えば新世代のキットの中でも、TAKOMの転輪は、別部品のリム外周の外側に隙間ができるようで、いちいち埋めるのが面倒くさそう。

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起動輪・誘導輪も出来はなかなかよい感じ。起動輪ハブ部の蓋、外周スプロケットを止めているボルトは、ちゃんと表側がナット表現。さすがにキャッスルナットにはなっていないようだ。誘導輪は内側外周が別部品で空隙を表現。

サスペンションは、スプリング付け根・外側のアームの窪みも、スライド型できちんと表現されている。

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履帯はガイドホーン外側の窪みもきちんと表現されているし、そのまま使用して問題ないレベルだと思う。もちろん、ベースのキットの出来もよいので、予算と労力に余裕があれば可動履帯を奢るのも惜しくはない。

デカール

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シートの中に、何やら注意書きっぽいものがあって(27番)、何なんだろうと思って説明書をよく見たら、OVMの消火器のラベルだった。とはいえ、尾藤満さんが「panzermemo」で考証・自作したデカールのタイプとはディテールが異なっている。デカールのものは、どうもこのページ(掲示板)で、「戦前タイプの消火器ダヨ」として紹介されている写真のものに近い感じだが、果たしてI号戦車の車載用としてふさわしいのかどうかはちょっとよくわからない。

▼ツュンダップKS750のYパーツ

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そもそもこの辺は元から興味の範囲をちょっと外れるので、あまり大したことは言えない。キットの出来は、古いタミヤやイタレリに比べると格段の進歩がありそうなのはぱっと見でわかるが、オートバイ本体の細密さは、スポークが元からエッチングで用意されていたりするライオンロアのキットと比べるとどうなのかなあ。

もっともこのキットのスポークも、一応左右面で別パーツとして板状のモールドになるのを避け、かつ、プラパーツとしてはだいぶ頑張って細くモールドしている。以前からタミヤ/イタレリ用に、最近ではまさにこのキット用にも、スポーク&タイヤほか、3Dプリントやらエッチングやらのアフターパーツもあれこれ出ているようなので、余裕のある人は交換すればよいと思う。

●図面との照らし合わせ、他社パーツとの比較は次回。

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ミニスケール2題

●暑くてダレているせいもあって模型作りも低調。ただ、手すさび的に漫然といじっているものはあって、そんな2つを軽く紹介。どちらもミニスケール(1:72)、かつ組立途中。

Img20240702214831 ▼一つ目は、THE WORLD AT WAR 1:72の「巡航戦車Mk.I(A9)CS」。

購入時に書いたレビュー記事はこちら(2020年12月6日

防盾の部分だけ色が違うのは、ディテールアップをしようとかではなくて、いじっているうちにぽとっと落として、そのまま行方不明になってしまったための作り直し。

なお、私は(そこそこ熟練のモデラーではあると思っているが)結構、部品破損や紛失のアクシデントが多いボンコツなので、そのたびに泣く泣く部品を新造する羽目になる。一応、自分自身への戒めもあって、「代わりに自作するパーツは、少なくとも無くした/ダメにした部品とおおよそ同等か、それ以上のものにすること」というハードルを課している(本当にそれを完遂できるかどうかは微妙だが)。

なお、この防盾はまだ工作途中で、これからディテール工作予定。

レビューにも書いたが、このキットの最大の問題点は、指定塗装/デカールが(箱絵も)1940年フランス戦時の大陸派遣軍のものなのに、パーツは、アフリカ戦の大型サンドシールドが入っていること。レビュー記事からの再掲だが、パーツはこんな感じ(左右で形状が違う)。

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さすがにこのためだけに2ポンド砲型を買ってキットを一つ潰すのは嫌だし、キットのパーツを削り込んで、なんとか通常型フェンダーらしく見えるようにした。

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履帯は、エッシーのバレンタインを探し出して換装するなどという贅沢はせず、キットのまま。もっとも、側面から見た時の雰囲気はエッシーの履帯よりキットの方がよいので、換装する効果はちょっと微妙な気もする(ガイドホーンがカマボコなのは、やはりちょっと気になるが)。

Img20240702215005 ▼2つ目は、First to Fight 1:72の「PRAGA RV 6輪トラック」。

購入時のレビュー記事はこちら(2016年12月27日)

もともとチェコスロバキア軍用に作られた軍用トラックで、大戦中はスロバキア、ポーランド、ルーマニア、ドイツでも使われ、小国者的にはちょっと美味しいはずのアイテムなのだが、残念なことに資料写真に乏しい。しかも何しろ元がただのトラックだから、何軍に使われていても塗装やマーキング等で変わり映えがしない。

というわけで、いじり始めてはみたものの、完成に向けての意欲はいまひとつ。

ちなみに、後輪が2軸かつダブルタイヤなので、かなりの重車輛に感じるが、積載量は2tだそうだ。

一応、ちょっとだけ手を加えたのは、幌を張った仕様のキットと共用パーツのため、幌骨の下半分がモールドされていた荷台側板から、その幌骨を削り取ったこと。元パーツは下のような感じ(レビュー記事からの再掲)。

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削り取った跡を、もうちょっと綺麗にする必要はあるかも。

また、この車輛は前後輪ともにポジティブキャンバーが付いている(前後方向から見て、車輪が逆ハの字になっている)。後輪まで、しかもダブルタイヤなのにキャンバー角が付いているのはちょっと珍しいかも。キットはそのままだと前後とも垂直になってしまうので、角度を付けて接着した。当然、角度を付けても後輪内側が接地するよう、接地面は多少ヤスって平らにした。

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ただ、こうして写真で見ると、ちょっと後輪の角度が足りなかったかな?

あとは、キャビン横ドアの後縁にケガキ線を入れた(キャビンとドアが一体化していたので)。

●先週水曜日(26日)、仕事で横須賀へ。ついでに、先日「のの字坂」記事へのコメントでみやまえさんに紹介してもらった、旧東京湾要塞砲台(米ヶ浜砲台)跡地の「平和中央公園」に行ってみる。横須賀中央駅からはすぐ近く……なのだが、結構な高台にあって、いきなり長い階段を上る羽目になってへろへろ(なので、話の発端の電柱の銘板までは見に行かなかった)。

砲台跡地と言っても、元が明治時代の、港湾防御用のものなので、大戦中の高射砲陣地のような円形のベトン(コンクリート)製砲座などは残っていない。弾薬庫?の壕は残っているが、砲そのものがどのように配置されていたかなどは、現状の風景からは想像しづらい。

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ちなみに、この砲台には、日露戦争の際に旅順攻略に持って行った二十八糎榴弾砲(wikipedia記事)と、それより小径・長砲身の二十四糎加農砲(wikipediaに記事無し)が配備されていたらしい。

高台の公園なので見晴らしは良い。東京湾要塞の遺構としては、より大規模かつ濃密に残っている猿島が、ちょっと見下ろす感じに見える。

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みやまえさんお勧めの「横須賀市自然・人文博物館」は臨時休館で入れなかった。残念。

●昨年末に横須賀市のマンホールカードが増えて、新しいカードはドブ板通りの「ドブ板ステーション」で配布されているとのことだったので、行ってみたら水曜定休だった。がっくし。

貰えないとなると悔しくなったので、仕事帰りに足を伸ばして、三浦市のマンホールカードと、横須賀市の3種目のカードを貰いに行く。

三浦市のカードは、三浦市役所(三崎口駅からバス)または三浦市観光インフォメーションセンター(三浦海岸)で同じものが配布されているようで、行きやすい後者のほうへ。

三浦海岸へは(少なくとも覚えている限りでは)初めて行ったが、砂浜がものすごく広いうえにベージュで美しい(写真1枚目)。これに比べると、逗子の砂浜なんて猫の額だし、砂の色は灰色であまり綺麗ではないし、ゴミも多い。すごく負けた気分。東京湾のくせに!東京湾のくせに!

横須賀市の3種目のカード(発行順から言えば2種目?)は、「浦賀奉行所開設300周年記念」の絵柄で、浦賀駅からちょっと歩いた先の「浦賀コミュニティセンター分館(郷土資料館)」が配布場所。写真2枚目はその途中で見た歯医者さんの看板。いや、いくら浦賀でも、この名前はちょっとどうなんだろう……。

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仕事の時間はわずかで、外出時間の大半を「三浦半島をうろうろ」で過ごした感じ。ともあれ、カードは2種増えた。今度改めて、ドブ板通りのものも貰いに行こう……。

●今度の週末は東京都知事選挙投票日。

今回の都知事選、私の知り合いも出馬しているのだが、知り合いといっても、もうかれこれ30年くらい会っていないし、向こうもたぶん覚えていないと思う。そもそも私は東京都民ではないので(都民だった時期はある)、応援も支持もへったくれもないが、とりあえずは「まあ、頑張ってね」くらいは思う。

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シロマダラ

Img20240620211503 ●ちょっと珍しいイキモノ話題。

数日前の晩、近所のコンビニ裏の路地を通りかかったら、道の真ん中に小型のヘビがでろ~んと伸びていた。ああ、自転車かバイクにでも轢かれたのかな、かわいそうに……と思いつつも、スマホを近づけて写真を撮っていたら、突然にょろにょろ動き出して驚いた。なんだこのとろいヘビ……。

さて、この手の模様のあるヘビの場合、ずんぐりしてスタイルの悪いヤツはマムシ、シュッとスマートならアオダイショウの幼蛇、と判断するのが定石なのだが、そもそもそのいずれにしても、この写真のヘビのように模様の濃淡差は大きくない。

改めて調べてみると、どうやら、「まぼろしのヘビ」として、発見が時折ニュースネタに取り上げられることもある「シロマダラ」というヘビらしい。

なんだか、シロマダラを見たくて数年間探し求めた人の話まで出てきた。もっともその一方で、「実は小型で夜行性なので人目に付かないだけで、実は割と普通にそのへんにいる」という話もあったりして、「まぼろし」度には若干の疑問符も付く。

まあ、個人的には「滅多に見ないものを見て、ちょっと得したかな」くらいに思っておこう。

●他にも、あまり見ないようなヤツ、久しぶりに見たヤツなどとの邂逅がいくつか。

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1.アカスジカメムシ。数年ぶりに見た美麗系のカメムシ。カメムシ界のダース・モールみたいなくっきりした赤黒の配色。もっとも、これに限らず、昆虫というのは特定の環境に居ついていることが多く、このアカスジカメムシも「セリ科の植物に集まる」のだそうで、この時も、セリ科のヤブジラミで発見。探してみると、同じヤブジラミの藪に3匹、4匹と見つかった。毎年、この時季にヤブジラミを見れば、当たり前に見つかるものなのかも。

2.披露山の肩のところで遭遇。肩のところだけ赤い模様がある、やや大きめのハムシ……? それなりに特徴があるので、割とすぐに同定できるだろうと思ったのに、ウェブ上でハムシで当たっても行きつかず。しばらくして、(前胸部の形状から)「ホタルの仲間かも?」と思い直して調べたら、すぐに判明。カタモンミナミボタル、という種類だそうだ。幼虫のエサは陸棲貝類だそうな。幼虫は光る、だけでなく、最近になって、成虫もごくかすかに光ることが判ったらしい。まあ、パッと見ても判らんけどね。

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3.このへんの野山でよく見る小型のゴキブリはモリチャバネゴキブリなのだが、これは一回り大きく(といっても、家の中で見る「大きいゴキブリ」、クロゴキブリよりはだいぶ小ぶり)、しかも前胸部の色模様が全然違う。どうやら、キョウトゴキブリという、ややマイナーなゴキブリらしい。ゴキブリなんてそのへんに(大いに嫌われつつ)はびこっていて、害虫として逆に研究も進んでいるのではというイメージだが、キョウトゴキブリは、1970年になってようやく新種記載されたというマイナーぶり。しかも発見された京都では、「要注目種(絶滅危惧とまではいかないが、まあ、もしかしたら危ないかもしれないので見守ってみましょう、くらいの感じ)」として京都府レッドデータブックに載っている。それでいいのか、ゴキブリとして。

もっとも、ウェブ上にあるキョウトゴキブリの写真は、いまひとつ特徴をしっかり捉えられるものがなく、この写真が本当にキョウトゴキブリなのかどうかは、ちょっと自信がない(普通のチャバネでも、モリチャバネでもないし……という消去法の結果)。現在、環境省「いきものログ」の種名調べ支援で依頼中。

(7/4追記。環境省「いきものログ」の種名調べ支援で回答コメントを頂いた。どうやら、キョウトゴキブリではなく、同じくチャバネゴキブリ科のキスジゴキブリ、という種類らしい。キョウトゴキブリよりはもうちょっと一般的な種らしいのだが、それでも、もともとは南方系(西日本以南)のゴキブリで、関東では新参者のようだ。いずれにしても、家の中でゴソゴソしないでいてくれれば、あまりイヤではない)

4.ノコギリクワガタ♂の頭部(……だよね? 頭の後縁部がよく判らないけれど、ミヤマの赤褐色型じゃないよね?)。近年、身近にクワガタムシを見る機会はだんだん減っている感じで、せいぜい、ひと夏に一度か二度、それもコクワガタを見る程度?という感じなのだが久しぶりに(死骸とはいえ)大型の種のオスを見た。まだちゃんと、この手のものも生息しているんだなあ、と確認できた(もちろん、この個体は「ちゃんと」していないけれど)。

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5.我が町逗子で、山の際に住んでいるとしばしば屋内に侵入されての遭遇が避けられないムカデ(トビズムカデ)。これはその中でも、過去最大級で、触角から曳航肢まで含めると12cm超。かみさんの絶叫に呼ばれて、捕獲・退治した。かみさんはこれまでに数度、ムカデに噛まれて半ばトラウマと化している。

この直後、かみさんの強硬な主張により、ムカデ除けトラップ(毒エサ?)を購入して窓辺や玄関に設置。その効あってか、数日後、玄関脇でこれに近い大きさのものが1匹死んでいた(しかし、その前にもう一匹、屋内に侵入してかみさんが大騒ぎした)。

●ネットをうろうろしていて見つけたもの。

自由落下式の緊急脱出用救命艇。か……かっこコワイ!(カッコイイ+怖い)

海上の石油/ガス・プラントなどで使われるほか、損傷を受けた際に沈没までの時間が短いばら積み貨物船(バルクキャリア)の大型のものでは搭載が義務付けられているとのこと。型式によっては60m以上の高さからの落下試験などを行っている動画もあった。

●輸入食品屋などで、何やら怪しい(そしてお手頃なお値段の)食べ物を見つけると、とりあえず試してみたくなる。

というわけで、業務スーパーで見かけて、ついふらふらと買ってしまったお菓子2種。いずれもインド産(ロゴマークを見て判るように同一メーカー産)。

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まず一つ目、左は「ギー・デーツ・ハルヴァ」。

「ハルヴァ」と名の付くお菓子は南アジアから東ヨーロッパ、さらには北西アフリカ(モロッコ)まで幅広く分布していて、以前、同じく業務スーパーで、トルコ産のハルヴァは買って食べたことがある。

トルコ産のほうは、何というか、サクっと柔らかく軽めの落雁という感じで、「まあ、うん、美味しいか、不味いかといえば、美味しいかな?」くらいの感じだったが、何しろ量がタッパー一杯くらいあったので、消費し切るにはちょっと時間がかかった。(その時に当「かばぶ」に感想を書いたような気もするのだが、いつだったか忘れた)

さて、今度のインド産のハルヴァだが、こちらは一口羊羹サイズの個包装で5つ入り。名前の通り、どうやらベースはデーツ(ナツメヤシ)をギー(バターオイル)で練ったもので、中にナッツが入っている。淡いクリーム色だったトルコのハルヴァとは、とにかく見た目からしてだいぶ違う。

……で、食べてみたのだが。個人的には、「うぎゃー。ナンダコリャ」レベルで美味しくない。先にトルコのハルヴァは「柔らかく軽めの落雁」と形容したが、こちらはゆべし?羊羹? ねっちょりもっちょり、しかもいかにも「動物性のオイル」感があるうえに、ベタ甘。せっかくのナッツの食感とか香ばしさとかも台無し。消費し切れるかな、コレ(泣)。

とにかく、「ハルヴァ」と名乗っていても、その中身は産地ほかでまるっきり千差万別らしいことが、これで分かった。米原万里がどこかで「美味しいなんてもんじゃない。こんなうまいお菓子生まれて初めて」と評していた極上ハルヴァに出会う道のりは遠そうだ。ちなみに米原さんが少女時代にチェコで食べたハルヴァは、どうやらギリシャ産らしい(ネットでこのエピソードに触れている記事によれば)。

二つ目。右写真、「ソアン・パプディ」。

「ギー・デーツ・ハルヴァ」で痛い目に遭ったのに、なんで同じメーカーの菓子に手を出すかね……と、自分でもちょっと思ったのだが、「この際とことん……」的な変なやる気が出てきたので。しかし、これが実は思ったよりも美味かった。

パッケージ写真は綺麗に四角く切り分けられて、中身も一応切れ目は入っているのだが、実際には非常に脆いので、無理に綺麗に取り出そうとするより、スプーンですくって食べる方が無難。

いやいや、それよりも……これはなんて形容したらいいんだろう。

上の「ギー・デーツ・ハルヴァ」よりも、むしろこちらのほうが、トルコ産の「ハルヴァ」に近い見た目と食感なのだが、トルコ・ハルヴァよりもはるかに軽い、ちょっと未体験の食感。デニッシュとか折り込みパイ生地のように(あるいはそれ以上に)薄い薄い層が重なり、フワサクっとしていて、それが、口の中でほろっとほどけて溶ける。wikipediaに記事があるのだが、見た目は全然違うものの、これは綿あめの親戚にあたるような菓子らしい。主成分は砂糖で、飴状態にした材料をパイ皮のように伸ばして重ね伸ばして重ねを繰り返して「サクフワ」状態に仕上げるのだそうだ。

砂糖がメインのお菓子なので結構甘いのだが、カルダモンが入って、さらにトッピングにピスタチオが載っていて、若干の清涼感もある。頻繁にリピートしたくなるかといえば微妙だが、これなら、知り合いに「うん、一度食べてみるといいよ」と薦めてみてもいいと思えるレベル。

●川崎の実家を処分することになり、荷物の整理とか、仲介の不動産業者との会合とかで、久々に(数回)実家に行く。うーん、ちょっと間があったら行こうかなあ、と思っていた、「砲台に消えた子供たち」講演会の当日も、結局実家行き。

●あー。今回も模型話まで進まなかった。

ところで、前回書き忘れたが、先月下旬のホビーショーで、(かねてから噂になっていた)「タミヤからI号戦車」の会場発表はなかったそうだ。

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梅雨入り前のあれこれまとめ

●今年は梅雨の入りが遅いとか。

実際にはそこそこ雨の日もあるが、まだ「降り続く」という感じではない。梅雨入りは平年は6月7日なのだが、今年は月後半までずれ込みそう、下手をすると「梅雨を飛び越して夏が来た」になる可能性さえあるとかなんとか。

2019年秋のように、またいきなり暴風雨が複数回やって来るみたいな、異常な天気続きにならなければよいけれど。

●また当「かばぶ」の更新をさぼって、ずいぶん間が開いてしまった。その間のあれやこれや。

●「プレッツェル行脚」のその後。

逗子に隣接する葉山町長柄の外れに「earth7716factory(アースなないろファクトリー)」というパン屋さんがあり、そこのプレッツェルを、義妹が買ってきてくれた(5月中旬)。

しっかりと「革靴のような色艶」の“ラウゲン・ブレーツェル”(ラウゲン液処理されたプレッツェル)で、これまで食べたソフトタイプのプレッツェルの中でも最上位クラス、と感じた。残念なのは、その店が(距離自体はそれほどでもないのだが)車でもないと行きづらい、非常に不便な場所にあること。

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プレッツェル話その2。JR新橋駅構内、ecute内にあったドイツ飲み屋で、ソフトプレッツェルのテイクアウトもしていた「le petit IMBISS」が、先日行ったら閉店していた。うーむ。残念。

●前回書いた、沼間~田浦の山歩きで収穫したクサイチゴは、やや中途半端な量だったが、煮詰めてジャムに。昨年よりも色よく仕上がった。

もともと、我が家の近所では一番普通に採れたカジイチゴは、一番茂っていて毎年楽しみにしていた場所がごっそり刈り取られてしまったのだが、別の場所で、しっかり旬の味を楽しむくらいにはつまみ食いできた(最後の写真)。

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5月の終わり頃からは、ここ数年恒例のマダケのタケノコを収穫。いつも通り、メンマ風のピリ辛炒めや土佐煮なども作ったが、今年の初挑戦として味噌焼きも。単純に醤油を垂らして焼くよりも美味しかった。これは定番に採用しよう。

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●ポカリスエットのCMに、地元町内のバス停が出ている!……というのを、facebookの地元のニュースグループで教えて貰った。ありゃま、ほんとだー。

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左、CMキャプチャ画像は、ポカリスエットCM・「潜在能力は君の中。」春篇より。

ちなみにこのバス停は、京急バス【鎌40】逗子駅発・鎌倉駅行きの「小坪海岸」バス停。同系統でも鎌倉駅発・逗子駅行きは経路がやや異なり、このバス停は通らない。

よく見ると、「バス停の形が違う」「道路端に白線が引かれている」などなど若干の違いもあるのだが、ストリートビューで10年ほど遡ってもCMアニメの状態は確認できないので、おそらくアニメにした際の改変。

Img20240608173106 ●終戦直後に爆発事故があった「西小坪海面砲台」については、これまでも何度かここで話題にしているが、これに関して、今月下旬に講演会が開かれるそうだ。

地域の掲示板に貼られていたパンフが右。

現在はちょっと入れたり入れなかったり、微妙な場所に置かれている慰霊碑が、元の「南砲台」洞口近くに移設される件についてもパンフ解説文中に触れられており、(話としては聞いていたが)本決まりになったらしいことがわかる。

●模型話も書こうと思っていたが、だらだら長くなりそうなので改めて。

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のの字坂

●11日土曜日。横須賀、田浦のプチ名所である「のの字坂」を見に行く。

以前、田浦の旧軍用倉庫群と引込線跡を見に行った際、記事の末尾でちょろっと触れたもの。

もっとも、それを目的に田浦を目指したわけではなく、逗子の沼間から漫然と山道を歩いて田浦に抜け、「そういえば、そんなのがあったな」と思い出して、ついでに寄ったまで。

「のの字坂」は、JR田浦駅から、南へ400~500メートルほど。ゆるゆると谷戸を登って行った先にある。

ループ式の道路というと、高速道路のインターチェンジとか、風光明媚な山地の観光ルートがイメージされるが、これほど“ちんまり”かつ鄙びた感じのループ道路は、ちょっと珍しいかも。しかもくるりと一周、だけではなくて、1+2/3周くらいする。地図上で見ると、「のの字」どころか、プレッツェルっぽくさえある。

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左写真は、谷戸を登って「のの字坂」の出発点。ループした道路が小さな橋をまたいで上を通る。この橋の名前も「のの字橋」というらしく、GoogleMapsにも出ている。右写真は、「のの字坂」をだいぶ上った辺りから見下ろして撮ったもの。右奥に「のの字橋」が見える。

残念ながら草木が茂っていてループの様子はそれほど綺麗に写っていない。葉が落ちる冬なら、もうちょっとはっきり撮れるかな? なお、ループの真ん中は小さな児童公園になっている。

●さて、この「のの字坂」。たたずまいだけでもそれなりに魅力的ではあるが、横須賀市の「地域の歴史を歩く」-「田浦を歩く」のなかの紹介ページには、次のような記述がある(ちなみに、この「田浦を歩く」は、「平成17年に『田浦地域文化振興懇話会』によって発行された冊子『田浦をあるく』から抜粋し作成したもの」である由)。

戦前、城の台砲台を築き、物資を運び上げるためにつくられた道路である。

となると、なかなか凝った砲台道ということになる。しかし、以前の記事でもそのように紹介したのだが、これについてはどうも怪しいことが判明した。

例によって、国土地理院の地理空間情報ライブラリー「地図・空中写真閲覧サービス」で、古い空撮写真を閲覧してみた。

左は1946年2月15日、米軍撮影による 「USA-M46-A-7-2-77」から、右は1963年6月22日の国土地理院による「MKT637-C18-9」から、それぞれ切り出し加工したもの。

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右写真では、下辺ほぼ中央に特徴的なグルグルの「のの字坂」がはっきり判るが、終戦直後の左写真では存在が確認できない。上で紹介した「田浦を歩く」の記事では、

道をつなぐ陸橋を「のの字橋」(いわゆるループ橋)といい、はじめは橋も木製であったという。

とあるから、当初は道も細くて写真でも紛れてしまってよく判らないだけ、ということも有り得なくはないが、通常、「砲台道」は物資を運ぶ自動車や荷車が通れるだけの道幅は確保されているはずなので(また、それだからこそループが必要になったはずなので)、可能性は低そう。

まあ、「のの字坂」が戦後生まれであれば、土地のお年寄りに聞けばスパッと解決しそうではあるが。

Img20240511172311 なお、引用写真で黄色矢印で示したものは田浦駅。黄緑矢印で示した円形の大きな窪地は、GoogleMapsでも「城の台砲台跡」と表示され、また、激しい藪を攻略してこの地点を探訪したブログ記事なども散見されるが、以前も書いたように、ディテールから見てここが砲台跡とは考えられない。右写真は田浦駅ホームから見た、「謎窪地」のある尾根の張り出し。

サイト「東京湾要塞」では、この窪地は貯油施設跡ではと推測、城の台砲台の場所は右写真赤丸あたりではないかとしている。もっとも、こちらも「う~ん、どうかなあ」という感じではある。そもそも、「城の台(しろんだ、と読む)砲台」というもの自体、海軍の高角砲陣地のリストには出ておらず、存在そのものが若干怪しい。

●「のの字坂」のオマケ。

「のの字坂」に行く途中、ちょっとオシャレなトンネルがあった。

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「ながかまトンネル」の名は、長浦-失鎌(しっかま)間を結んでいるためで、字名「失鎌」は鎌を失うほど草藪に埋もれた地区だったからとか。JR田浦駅の横須賀側のトンネル名は同じく「しっかま」と読んで「七釜」と書くが、これは、「かま(鎌→釜)を失う」という名前では、鉄道(当時は蒸気機関車)のトンネル名として縁起が悪いというので字を変えたものだそうだ。

そこそこの幅があるトンネルだが、写真には写っていないものの、手前に車止めの柵があるので(少なくとも平時は)人道専用。ちょっと調べてみると、細かい谷戸の多い横須賀ならではの「防災トンネル」で、土砂崩れなどで谷戸の奥が孤立することがないように開削されたものである由。

以前のちょっと話題に出した「横須賀トンネルマップ」に出てるかな?と思ったが、これは出ていなかった。ただし、同じ防災トンネルである「西逸見吉倉隧道」が出ていた(21番)。ちなみに横須賀市内にこの手の「防災トンネル」は、現在5カ所あるそうだ(横須賀市「防災に関する道路などの整備」)。

●話は前後するが、突発的に田浦まで山歩きしてしまったのは、「クサイチゴ狩り」のため。

もともとは、長柄桜山古墳群に「クサイチゴ&“化粧直し”された1号墳見物」に行ったのだが、さすが、先月末に“新装開店”セレモニーも済んだばかりで人の往来も多いためか、目当てのクサイチゴの藪はほとんど実が残っておらず、2,3粒をつまみ食いできただけだった。

食べられないとなるとかえって欲しくなり、くやしんぼうのいやしんぼうで、より山奥の目当ての場所に分け入ってしまった(一応、それでそこそこの量は採れた)。

まあ、せっかくのいい天気に長柄桜山古墳群に行ったので、その写真も少々。

1枚目は、長柄桜山古墳群2号墳からの相模湾の眺め。2枚目はもうちょっと内陸側にある、1号墳からの同様の眺め。

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ちなみに1号墳からは東京湾側も見渡せる。現時点では被葬者については判っていないが、神奈川県内でも最大級の古墳であること、古代の太平洋側の交通の要衝を見下ろす位置にあることから、この地域を支配したかなりの権力者のものであろうとは言われている。

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2群目1枚目は、2号墳からの尾根道を辿って1号墳に出たところで1枚。前方後円墳の「前方」脇から撮ったもの。2枚目は墳丘上に上り、「前方」部から「後円」部を撮ったもの。3枚目は逆に「後円」から「前方」を見下ろしたもの。手前の黒い部分は、埋葬された木棺が腐って発生した腐食抗跡の位置を示したもの。4枚目は発見された埴輪のレプリカ越しの相模湾。

墳丘上の樹木はすべて伐採せず、あえてまばらに残してあるのは(整備上の意図がどこにあったにせよ)なかなかオシャレでいいと思う。なお、この一号墳は前方後円墳としてはややいびつ。2枚目写真で、「前方」から「後円」を見た時に右手の木立のほうが密度が濃いのは、特にこちら側の形が崩れているのを紛らわせる意味もあるかも。

その場に立って見ているだけだと古墳のスケールもあって形状が把握しづらいが、市のページにある空撮写真はなかなか格好よい。

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