鍬ノ峰

●GW中はだらだらと仕事して(いや、あまりしていないけど)、その代わりに7日~9日に休みを取って、年末に続いて、兄の住む安曇野(長野県池田町)に遊びに行く。

前回訪問から帰るときにも、すでに「次はいつにしようか?」と言っていた“兄弟分”のドイツ人Pから、「そろそろ行こう」とお誘いがあったのが発端。今回は事前に打ち合わせて、行きも帰りも、「あずさ」の座席はPの隣を予約した。

●結果論ではあるが、前後はぐずついた天気だったにもかかわらず、我々が行った3日間(特に初日と2日目)はすこぶるいい天気。「北アルプスの山並みが、こんなに綺麗に見える日は少ないよ」と兄に言われた。が、年末に行った時も、長峰山登頂時は非常に綺麗に見えたんだよな……。今のところは、大分運がいいらしい。

前回は安曇野の東に連なる標高900mクラスの低山の光城山、長峰山を歩いたが、「今回はもうちょっと高い山に登ろうぜ」と、トレッキングシューズも用意してくるよう兄に言われており、それなりの用意と心構えをして臨んだ。

さらに今回は、余裕を持って2泊。もっとも、1日たっぷり使える2日目に山に登るんだろうと(勝手に)思い込んでいたのだが、1日目も2日目もがっつり山歩きさせられた。

●1日目。

およそ11時に穂高駅着。穂高神社で兄と落ち合う。昼飯に地元安曇野産の手打ち蕎麦を食べる(穂高有明の「手打ちそば処 とみた」)。メニューが「もりそば」と「かけそば」しかない潔過ぎるお店だが、蕎麦と蕎麦湯がとても美味い。

午後、行く前から登るターゲットとして兄に伝えられていた「鍬ノ峰」(標高1623m)に登る。

事前に写真を見て「すごく傾斜がきつそうなんだけど」と少々怖気づいていたのだが、実際に登り始めてみると、その急斜面をゆったりと巻いて登る……のではなくて、事前の悪い予感そのままに、ガンガン急斜面を突き進むスパルタンな道筋。ルート横の木の幹を握って身体を引き上げるような急登もしばしば(ロープ場も複数)。ただし、ルート脇にはところどころシャクナゲが咲き始めており、なかなか綺麗だった。

wikipediaの鍬ノ峰の項の記述をみると、

日帰り登山が出来る事から北アルプス登山練習の山として登られる。

だそうだが、これが練習だったら、本番は絶対にイヤだ。いやまあ、その昔、槍ヶ岳には一度登ったけれど。

大分へこたれて、しかも兄やPには少々遅れを取ったものの登頂。この日の朝までの雲もほぼ払われて、山頂からの眺めは絶景だった。

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4枚目写真は、2日目の朝に町から撮った写真で、中央の“ふたこぶ”が鍬ノ峰。1枚目写真の頂上は、右側のちょっと大きい“こぶ”の上に当たる。

ちなみに、「鍬ノ峰」の名前の由来は、「麓から見ると農機具の平鍬の刃のような山様」だからだとwikipediaにあり、ご丁寧に平鍬の写真まで添えてあるのだが、どこが鍬なのか全然わからん。

というわけで、登りは(私にとっては)激しくハードだったが、日の高いうちに登山口まで戻り(この点ではwikipediaの記述は正しい)、温泉に入って、兄宅で鍋をつつきつつ酒を飲んで寝る。

●2日目。

前の晩の「明日はどこに行こうかあ……」という、飲みながらのいい加減な打ち合わせの中から、前日の鍬ノ峰よりやや南、標高も低めの1300m台の「雨引山」に登る。

標高は低めだし、兄の「鍬ノ峰ほどきつくなかった(と思う)」という割と適当な記憶に基づいて決めたのだが、実際には、確かに鍬ノ峰ほどではないものの、結構な急登部も、ヒヤヒヤするようなロープ場もあった。しかも、登りのルートの後半はかなり小ピークが連続していて、「や……やっと頂上か……」と思ったら次があるという、なかなか忍耐力を試される山だった。

これまたwikipediaによれば、

ふもとから山頂まで、ゆっくり登って2時間程度の「気軽に登れる里山」である。

だそうだが……冗談じゃねえ! しかも、上記記述の出典として提示されている松川村観光協会のサイトには、「最初の40分ほどは急登が続きますので」って書いてあるじゃないか!!

しかし前日に続いて、山頂からの眺めは格別だった。

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「雨引山」の名が示すように、その昔は雨乞いをする山だったそうで、頂上には麓の神社の奥社がある。1枚目、鳥居と一緒に写っているのは兄とP。2枚目は、雨引山山頂から見た、前日登頂した鍬ノ峰(前景中央)。鍬ノ峰の左奥に見える、雪を被ったピークが連なっているのは北アルプスの爺ヶ岳で、富山と長野の県境にあたる。

爺ヶ岳の最も左のピーク(南峰)の下側の、雪が溶けて黒く浮かび上がった模様は、「種をまく爺」のシルエットで「爺ヶ岳」の名前の由来になっている、ということなのだが、どう見ても爺にゃ見えない

なお、この辺の山ではここ最近でも熊との遭遇/事故が多発しており、2日間とも熊鈴を鳴らしながらの登山だった。幸い、熊とは遭遇せずに済んだが、この日の下山中にはサル2匹を見掛けた。それなりに距離もあったので、お互い警戒しながら見やる程度。

この日は朝から登ったので、昼過ぎには下山。今回の旅行で立ち寄ると決めていた「安曇野市天蚕センター」を見学した後、まだ午後、日も高いうちに温泉に浸かってから帰宅。夕食は近所の焼き肉屋に行き、大いに飲み食いする。

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写真は焼き肉屋からの帰り道に撮った北アルプスの山々と、田圃の水面に映る“逆さアルプス”。左側前景に、見難いが鍬ノ峰。中央右のピークが3つほど連なっているのが爺ヶ岳。鍬ノ峰の後ろ側は、たぶん蓮華岳とか、そのあたり。田圃はカエルが喧しかった。

●3日目。

朝起きて、池田町の街の中から見て東の山の山中にある「登波離橋(とはりばし)」に散歩に行く。

その昔(鎌倉時代中期と伝わる)、この地の殿様の妾が正妻を妬み、橋の上から突き落とそうとしたのだそうだ。何となく、よからぬ企みを察していた正妻は、妾と自分の着物の袖を十針(とはり)縫い付けており、そのため、結局は突き落とそうとした妾も、正妻と共に落ちて亡くなった由。……救いがない! それはそれとして、袖を縫い付けられて気付かない妾も相当なうっかり者だ。

もちろん、今架かっている橋は自動車も通れる近代的な橋だが、谷は両岸が迫って木々に阻まれて谷底がよく判らないほど高い。

ちなみに、この「登波離橋」の近くには、とある殿様(登波離橋の逸話とは別の殿様)に嫁いできた後妻が、自分の子ができると先妻の子を疎んじ、崖から突き落として殺したという「ままこ落とし」と呼ばれる場所もある。それだけ険しい地形が多いからと言えばそれきりだが、なぜそう突き落としたがる人ばっかりいますかね。

この散歩の行程はほぼ舗装道路だったが、結局は山中の道だったのでそれなりに坂を上ったり下りたり。

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なお、この辺りは散歩していると、かなりの頻度で双体道祖神に出会う。wikipediaの「道祖神」の項にも、

とりわけ道祖神が多いとされる長野県安曇野市

という記述がある(ちなみに上写真の3つは、どれも、たぶん隣の池田町内のものだが)。

以前、当「かばぶ」でも、なぜか私が住む逗子市小坪には、三浦半島の他の地域にはない双体道祖神が複数存在しているという記事を書いた。小坪の双体道祖神の多くは、その昔は正月のどんど焼きのたびに火の中に放り込まれ、古くなったら作り直されていたそう。そのような行事が廃れて以来、道祖神も古いままなので、今では表面がすり減って、姿形も定かでないものも多い。

一方、安曇野で出会う双体道祖神は、割合新しい感じで綺麗に彫刻され、彩色されているものもちらほら。昨年末にもらったマンホールカードの片方も、図柄は双体道祖神だった。

なお、単純に「男女神が寄り添っている姿」で済ましてしまいそうになるが、実際には、手を取り合っているとか、酒器を捧げ持っているとか、ポーズにはバリエーションがあるらしい(安曇野市サイトの紹介ページによる)。

2枚目写真、菰を被っているのはどういう行事なのか、藁で作られた酒桶もなかなか芸が細かい。左右は庚申塔?と二十三夜塔。二十三夜塔というのは、他地域では見た覚えがないが、この地ではかなり頻繁に見かける。庚申塔と似たような感じで、月の二十三夜に集まって勢至菩薩を拝むのだそうだ。

兄宅に戻って昼食。

帰りの「あずさ」は松本発なので(ダイヤ改正により、上りの穂高停車「あずさ」は中途半端な時間になった)、兄の車で松本へ。途中、ちょっと回り道をしてもらって、穂高神社隣の「池田屋餅店」で、前回食べて感激したバクダンみたいな「おやき」を(お土産として)買って帰ろうとしたのだが、残念ながら売り切れ。ドイツ人Pも「おやきを買う」と意気込んでいたのでがっかり。

店内にたむろして駄弁っていた(おそらく近所の)小母ちゃん連に「もっと早く来なきゃダメよ~」などと言われつつ、残っていた「なすまんじゅう」を買った(Pは「麩まんじゅう」を一パック買っていた)。ほか、兄が柏餅を3つ買って車内で1つずつ食べる。これもなかなか美味かった。

松本市内では、松本城を(表からだけ)ぐるりと一回りして見たり、喫茶店でゆったりコーヒーを飲んだり。「雨が降りそうな雲行きだから」と、やや早めに駅で兄と別れる。

帰りの「あずさ」車内でPと、それぞれ酒を飲みつつ(私はビール、Pは日本酒、どちらも地酒)、あれこれ駄弁りながら帰る。切符は前回同様、「えきねっと」経由で買ったのだが、なぜか、お任せで買ったら、行きは八王子で「あずさ」に乗り換え、帰りは立川で「あずさ」を降りるという、なんだかよく判らない差がついていた。特に「そんなルートは嫌だ」というのもなかったので、その通りに乗る。10時過ぎに帰宅。

●年末に行った際に兄に頼んで配布場所に寄ってもらい、2枚のマンホールカードを貰ったのだが、それでカードの存在を知った兄が、その後半年ほどで近隣のカードをかき集めてくれていて、今回、その成果のカードを17枚も貰った(その前にも郵送で2枚貰っている)。

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結果、自分で集めた神奈川県内、東京都内のものを超えて、都道府県別では長野県がコレクション中最大枚数に。

基本、マンホールカードは下水道を管轄している自治体単位で発行されているのだが、この長野県のマンホールカード群には、複数の自治体にまたがる「流域下水道」や「農集排(農業集落排水)」のもの、さらには合併で既になくなってしまった旧自治体の図案のものを現在の自治体が出しているものも複数混じっていて、バリエーション豊か。特に最後のケースでは、そのために1市で多種のカードを出していたりする。

なお、貰った中では下段左の2枚、大町市の「ライチョウ」と、朝日村の「ヒメギフチョウ」が特にお気に入り。

●閑話。

ドイツ人Pと話していて、ドイツの地理とか企業とかの話になる。

トラックなどの大型車のメーカー(日本だと日野とかふそうとかのイメージか)で知られ、AFVモデラー的にはパンターやII号戦車の開発メーカーとしてもなじみが深いMAN社だが、「ああ、マンね」と言ったら、「マンじゃない! M、A、N(エム・アー・エヌ)! 『マン』じゃオトコでしょ! BMWだって『ベー・エム・ヴェー』で、『ブムヴ』じゃないでしょ!」と強硬に訂正された。

いやまあ、「ベンベ」とは言うけどね。

なお、MANは「Maschinenfabrik Augsburg-Nürnberg」(アウグスブルク・ニュルンベルク機械工業、くらいの意味か)の頭文字。ちなみにニュルンベルクはバイエルン州第2の、アウグスブルクは同州第3の規模の都市。しかしMAN社の本社は同州の州都で第1の都市であるミュンヘンだそうだ。なんでやねん。

(由来としては単純な話で、それぞれの都市にあった「アウグスブルク機械」社と「ニュルンベルク機械」社が合併したのがMAN社の元だそうだ)

とにかく、以後は「エムアーエヌ」と言うように心掛けよう。すぐ忘れそうだけど。

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詐欺まがい

Img20250428014846 ●居住する逗子市から、しばらく前に特定健康診査の案内が来たのだが、封筒の前面に書かれた文章が、なんだかすごく胡散臭い(詐欺スパムメールか詐欺wrb広告っぽい)。

「あなただけ」に傍点が振ってあったり、「無料券」とか具体的な金額とかで過剰にお得感をアピールしているところがまた……。

もちろん、きちんと逗子市の担当部署名や市役所の住所も書かれているし、そもそもこのオレンジの封筒は毎年届いてお馴染みなので、詐欺かと思って捨ててしまうようなことはまずないと思うが、それにしてもねえ。

●4月29日。今季初めてのコマルハナバチを見る。

が、慌てて写真を撮ろうとしたものの、その瞬間に飛び立って花しか写っておらす、しかもその後は生垣の向こう側に回ってしまって現れなかった。

Img20250429153007 代わりと言っては何だが、その10分か15分か前に、足元にちょろちょろ出てきたのを撮ったヒガシニホントカゲ。

同じく時々見かけるトカゲであるカナヘビ(ニホンカナヘビ)は茶色く艶消し(というよりゴツゴツ?)の体表、こちらは縞がはっきりしていて、幼体ほどシッポが青く、ウロコがぬるんとしている。

というのが一般的に言われる識別点だが、体型にも結構差があって、カナヘビはもっと胴体が細身で手足が長く“シュッとして”いるのに対し、ニホントカゲは何となく不格好。

まあ、可愛さで言えば(近所で普通によく見るトカゲの中では)ヤモリの圧勝かなあ。

ちなみに、我が家と隣家の間のブロック塀をしばしば通行するニホントカゲがいて(実際には同一個体かどうかもよくわからないが)、かみさんは勝手に「太郎君」と呼んで親しんでいる(もちろん、見かけると「あ、太郎君だ」という程度で、餌付けしたりというわけではない。野生のトカゲを餌付けできるかどうかも知らんけれども)。

さらに言えば、かみさんはその辺で柴犬を見掛けると勝手に「太郎ちゃん」と呼ぶ癖がある。「動物のお医者さん」の主人公ハムテルの友人・二階堂が“小さきもの”をすべて「チョビ」と呼ぶように、かみさんにとっては小さい生き物は基本「太郎」なのかも。

●トカゲつながりの脱線話。

マダガスカルレーザーオオトカゲについては、時々話題に出しているので、古くからの知人・友人ならご存じの方が多いと思う(ご存じない方はとりあえずリンクを参照のこと)。

これは(ニイガタハシリマイマイやイリオモテウラオモテガエル同様に)友人の青木伸也氏の妄想由来の生き物のひとつで、これがなぜマダガスカル島と高知県にのみ分布するのか、以前、nifty模型フォーラムの展示会の〆のミーティングで、同氏がウェゲナーの大陸移動説も引きつつ行った講義については、今の世であれば動画に撮ってYouTubeに投稿して永久保存したい程であった。

さて、このマダガスカルレーザーオオトカゲは額に第3の目があって、そこからレーザー光線を発射するということなのだが、実際に、トカゲの中には第3の目(光受容器官)を持つ種類がいるのだという。専門用語で頭頂眼(Parietal eye、リンクは英語版wikipedia)というのだそうな。頭頂眼は、「眼」とはいっても、大抵はヒンドゥー女性のビンディーよりも目立たない小さなポッチのようなものなのだが、ある種のトカゲでは結構目立つ。

特に、マダガスカルにだけ分布するOplurus属のトカゲ、なかでもOplurus cyclurusの頭頂眼は、まさに目と同じくらいの大きさの色模様(の中)にあって、見た目上も三つの目があるような感じ(上記、英語版wikipedia記事中の写真を参照のこと)。

なお、青木氏による解説ページ中にある、

平凡社大百科事典によると,11世紀フランスのレンヌの大司教 マルボード(Marbode)が書いた「宝石の書」に,「ドラゴンは額の中央に もう一つの目があって,そこには宝石が埋まっている」という記述があるらしい. その宝石は「カルブンクルス」と呼ばれ,これはルビーを含む赤い宝石の古称である.

という話は私が見つけて氏に教えたもので、その時には青木氏は、「11世紀のフランスにオレがいる!」と喜んでいたが、今回のこれを教えたら、「また現実が一つ、オレに追い付いてきた」とか言いそうだ。

ちなみに4月23日は、ドラゴン退治で有名な聖ゲオルギウスの祝日だそうだ(宗派によっては5月6日)。

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大回り乗車

●一度サボり始めるとずるずると書かなくなってしまうもので、前回更新からはや2か月超。

とことん御無沙汰になってしまいましたが、生きてます。

(模型もちまちま作ってます)。

オチキスの発売も来月に決まったようで、その時はまた何かしら書きたいし、それに備えて、ボチボチまた“書き癖”を取り戻さねば。

Img20250217135721 ●2月中旬、公的手続きのなんやかんやで横須賀に行く用事があり、ついでに、初めて不入斗の「ターチー模型」に行ってみる。

今ではすっかり珍しくなってしまった「街の模型屋」で、以前、衣笠方面から横須賀中央までバスに乗った時に車窓から見かけて以来気になっていたお店。その時は店名も知らなかったが、みやまえさんに教えてもらった。

行った記念+街の模型屋さん応援のためにも、何か買って帰ろう……と思ったのだが、残念ながら特に食指が動くものなし。実際には、街の模型屋さんとしてはなかなかの品揃えで輸入品なども扱っているが、本当にたまたま私が“ひっかからなかった”だけ。どうも済みません。

今となってはちょっとレアな、ピットロードの「マチルダ後期型履帯」の在庫があって、結構揺れたのだが、コレ、山に埋もれて所在がわからなくなっているだけで、私、すでに持ってるんだよね……。というわけで思いとどまった。

なお、この店がある不入斗(横須賀市不入斗町)は、京急の横須賀中央駅とJRの衣笠駅のちょうど間くらい。どちらの駅からもそこそこの距離があり、両駅からバスに乗る必要があって、地元民以外にはだいぶ行きづらい場所にある。私はこの日、行きは横須賀中央から歩き、帰りは衣笠まで歩いたが、それなりに時間が掛かった。

「不入斗=いりやまず」という地名は、関東の難読地名の中でも筆頭クラスではないかと思う。由来についてはいくつか説があるらしいが、横須賀の他に都内(大田区)にも1か所(読みは「いりやまぜ」)、千葉にも複数個所(読みは「いりやまず」)あるとのこと。ただし、それらは字名で、町名としてきちんと住所に残っているのは横須賀だけのようだ。

●「大回り乗車」というのは、たぶん鉄道趣味用語なのだと思う。

JRの運賃計算には、大都市近郊区間内の場合には特例があって、ある制約の範囲内であれば、A駅からB駅まで乗車する場合、「どれだけ遠回りをしても最低運賃で利用できる」という決まりがあり、これはJRのサイト内にも明記されている。

「ある制約」は、以下のようなもの。

  • 途中経路・駅の重複や後戻りなどは不可。
  • 途中下車不可。
  • 経路がすべて同一の大都市近郊区間内で、はみ出しは不可。
  • 1営業日(始発から終電まで)で完結すること。
  • 定期券の利用は不可。

「大回り乗車」は、この特例を利用して、最短の運賃で「なるべくぐるっと遠回りをしてみる」という乗り方のこと。私自身は自己認識として鉄道趣味ではなく、「まあ多少の興味はある」レベルなのだが、この「大回り乗車」は、ちょっと一度やってみたいかな、と前々から思っていた。

というわけで、2月末。ちょうど仕事が暇だったこともあって、実際に挑戦してみることにした。

もっとも、最寄りの逗子駅は、JRのみで考えると終端が他路線に接続していない行き止まり路線(盲腸線)である横須賀線の端近くにあるので、「隣駅までの最短切符で大回り」という理想的行程は望めない。そんなわけで、以下のような計画を立てた。

  • 逗子駅から乗車し、帰りは藤沢駅で一度下車し、「大回り」を完結させる(逗子-藤沢間の運賃を払う)。
  • 始発から終電までフルに使えばもっと複雑・長距離の「大回り」が可能だが、流石に根っからの鉄っちゃんではないし、そこまで根性もないので、始発で出発するものの夕飯までには帰宅するくらいの緩い行程とする。そのため、千葉方面での、より「大回り度」が高い経路は諦める。

なお、「……というわけだから出掛けてくる」と言った際、かみさんには「そんなことをして何が面白いのか」という顔はされたものの、「馬鹿なことはやめろ」などとは言われなかった。人間が出来ている(すでに諦められている可能性はあるが)。

すでにこの時の行程(予定)表は捨ててしまったので、途中駅の乗り継ぎの時間等は判らなくなってしまったが、当然ながら、出発前に乗り継ぎの駅と時間は調べて組み立てた。当日の行程は、

▼逗子駅→東京駅(横須賀線)

▼東京駅→千葉駅→佐倉駅(総武線)

▼佐倉駅→成田駅→我孫子駅(成田線本線・成田線我孫子支線)

▼我孫子駅→友部駅(常磐線)

▼友部駅→小山駅(水戸線)

▼小山駅→新前橋駅→高崎駅(両毛線・上越線)

▼高崎駅→高麗川駅→八王子駅(八高線)

▼八王子駅→橋本駅(横浜線)

▼橋本駅→茅ヶ崎駅(相模線)

▼茅ヶ崎駅→藤沢駅(東海道線)

都道府県で言うと、

神奈川県-東京都ー千葉県ー茨城県ー栃木県ー群馬県ー埼玉県ー東京都ー神奈川県

という順に巡っていて(たぶん)、関東一都六県すべてを経由している。なお、「東京近郊区間」は関東地方だけでなく、一部、福島県、山梨県、長野県、静岡県にもはみ出している。もっとも、それら関東以外への「はみ出し」部分はループしていないので、大回り乗車に含めることは不可能。それにしても、12月に行った長野の穂高駅が「東京近郊区間」に入ってるなんて知らなかったよ……。

水戸線、両毛線、八高線、相模線には今回初めて、かつ4線とも始点~終点を全部乗った。といっても、熱烈な「乗り鉄」とかではないので、「初めてだなあ……」以外に大きな感動はなし。ただ、八高線北半分は東京近郊では今や珍しくなった非電化区間で、久しぶりにディーゼル旅客車の「ぐぉんぐぉんぐぉん……」という響きを感じて、ちょっと楽しかった。

ちなみに八高線は北側の非電化区間と南側の電化区間では列車の運行が分かれているので、高麗川駅での乗り継ぎが必須。また南側は列車運行上、高麗川は途中駅で、川越からの川越線の車輛がそのまま直通で八高線に入って八王子まで走る。その川越線も川越駅を境に東西で運行が別々だとか。ややこし。まあ、水戸線も水戸を通ってなかったりするけど。

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写真1枚目は、朝日を浴びている成田線「木下(きおろし)」駅の看板。このあたりは、第四紀更新世の成田層群の地層が広範囲に分布していて、かつては、駅南側一帯のあちこちで、住宅やら道路やらが造成中で削られた露頭に、大量の貝化石が積み重なっているのが見られた(今でも一部保存されている露頭があるようだ。千葉県教育委員会による紹介)。

中学・高校の頃、頻繁にここまで来て、貝化石を掘りまくっていたことがある。たぶん、今ではほとんどコンクリートとかアスファルトとかで覆い隠されちゃってるんだろうなあ。なお、化石とはいっても、年代も10万年前そこそこと新しいので、現在砂浜で拾う貝殻と状態がほとんど変わらず、種類的にもお馴染みのものが多い。

この頃覚えた貝類の学名もいくつかあるのだが、その後呼び方が変わってしまったりしている例もあって、あまり役に立たない。例えば木下で一番たくさん採れる貝化石はバカガイだが、私が当時覚えた学名はマクトラ・スルカタリア(Mactra Sulcataria)。しかし今はMactra Chinensisだそうだ(シノニムの問題とかで学名が変わる例は結構多い)。

写真2枚目は高崎で撮った八高線(北半分)のディーゼル車。

一応、大回り乗車の感想と今回得た知見を書いておくと、

・行く前から分かっていたことだが、途中下車などできないので、基本的には車内・車窓風景・駅しか見る物がなく、単調。ずっと座っているので「座り疲れ」する。

Img20250227113738 ・途中下車できない以上当然だが、行った先の名所・名物、美味い物などとは無縁。唯一、小山駅構内のコンビニで栃木名物(?)「レモン牛乳」関連商品の売り場を見た(買わなかったけど)。

・基本、都心から放射状に延びる各線を、円弧状に結んでいる各線を乗り継いでいくことになる。というわけで、当たり前のことなのだが、乗り継ぎ駅の多くで、「上野・東京方面」などの行き先表示を見掛け、それを見るたび、「これに乗ったらすぐ帰れるなあ」などと「大回り乗車」の趣旨台無しのことを思ったりする。

・ちょうど都合のいい時間・駅に都合よく(構内に)立ち食い蕎麦屋等々があるとは限らず、下手をすると食いはぐれる。今回は結局、昼は駅内コンビニのサンドイッチ等だった。立ち食い蕎麦屋情報等があれば、それを上手く行程に組み込むとかを考えた方がよい。

・「東京近郊区間」は、普段乗っている電車内に貼ってある路線図では周囲が若干端折られており、実際にはもうちょっと範囲が広い。

いつか、今回は行程から外した「房総半島一周」をやってみたい気もする。

●春になったので、あれこれ春の山菜を収穫したり調理したり。

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1枚目。春先のフキノトウで作ったフキ味噌。収穫したフキノトウの若干は茹でて冷蔵して保存していたが、それも使って2度目のフキ味噌を作って、仕事先の花見に持って行って消費。

2枚目。今年の某平場のノビルは、やたら球根部分が大きく育っていて立派。コチュジャン和えにしたり、甘酢漬けにしたり、パジョンにしたり。

3枚目。田浦で獲ったニリンソウ(プクサキナ)。改めて汁物作りに挑戦したくて、茹でて吊るして乾燥保存中。

4枚目。初めてタネツケバナを収穫。茹でてドレッシングを掛けて食べた。……それなり?

5枚目。まさに今が旬のアケビの芽。このところ数日置きに食べている感じ。

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オチキスのトリビア

●facebookに先に投稿した話の焼き直し。

「タミヤからオチキスが出る!」という話をした後に、邦人さんから「前の(ルノーR35)とどう違うの?」と言われた。積んでいる砲塔はまったく同じ、車格も同等、車体も同じように鋳造で丸っこく、実際、フランス戦車マニアでなければそう思ってしまうくらいに“キャラ被り”なのは確かだと思う。

そんなわけで、蛇足ながら、ルノーR35とオチキスH35/38/39との簡単な識別点や、「実はここが大きく違う」点、ほかオチキスの特徴など、「オチキスのうんちく」をまとめてみた。これまで書いてきたことの繰り返しもあり、フランス戦車好きなら「そんなん知ってるわい」ということも多いと思うので、まあ、生温い目で見て頂ければ。

ということで、つらつらと。

●オチキス軽戦車概説

▼オチキス製軽戦車はもともと、フランス軍の軽歩兵戦車に対するオチキス社の自主案としてスタートしたもの。戦車開発諮問委員会に計画案が提出されたが、政治的配慮で、改めて要目が示されて国内メーカー数社で競作されることに。結局、この競作のなかから、ルノーR35、オチキスH35、FCM36の3種が採用されることに。このうちFCM36は将来性が買われての採用で、制式化も生産も遅れたうえ、生産量も多くない。

▼オチキス製の最初の試作車は、無砲塔・ケースメート式で機銃装備。後の量産車とは大きく形が異なっていた。その後、装甲増厚が指示され、さらにルノーと共通の砲塔を搭載することになって量産車のスタイルに。

▼オチキスH35はとりあえず採用され200+200輌が発注されたものの、量産車の試験で不整地での操縦性能に著しく難があることが判り、歩兵科は最初の100輌以上の受け取りを拒否。これまた政治的配慮で、残りは騎兵科に押し付けられることに。歩兵科の軽戦車の主力はルノーR35に。その後エンジンが強化され操縦性能も改善されたが、こちらは再び歩兵科での使用がメインに。

▼一般に、エンジン強化前の旧車体のものをH35、エンジン強化された新車体で短砲身37mmSA18装備のものをH38、新車体で長砲身37mmSA38装備をH39と呼ぶことが多いが、これは(戦時中からすでに使われ始めていたらしい)通称。正式名称は、Char léger modèle 1935 H(オチキス製軽戦車1935年型、Hはオチキス社略号)、新車体はChar léger modèle 1935 H modifié 39(オチキス製軽戦車1935年型、39年改型)で、武装による呼び方の別はない。なお、少数ながら旧車体で長砲身に換装されたものも存在する。

▼昔々のエレールのオチキスのキットはH35、H38、H39が選べる贅沢なキットだったが、実際には旧車体のH35はエンジンルームが違うだけでなく、履帯も若干狭いなど細かい違いが多いようで、今日的な目で見るとちょっと無理がある。

●オチキスH35/38/39とルノーR35の違いなど

National_museum_of_military_history_bulg ▼ルノーR35の転輪は片側5つ。オチキスは片側6つ。ルノーの転輪は一貫してゴムリム付き。オチキスは初期はゴムリム付きだが、新車体になってからは全鋼製に。(写真はブルガリア、ソフィアにある現存車。wikimedia commons、File:National Museum of Military History, Bulgaria, Sofia 2012 PD 072.jpg、Bin im Garten氏による)

▼両車種とも似通ったはさみ式ボギー・サスペンションだが、ルノーはゴムスプリングで片側2.5組、オチキスはコイルスプリングで片側3組。ちなみにオチキスのコイルスプリングは、ソミュールの展示車のクローズアップ写真を見るに、巻きが逆方向の2重式になっているらしい。

▼両車種とも鋳造の丸っこさが目に付くが、実際の構成は異なっており、ルノーのシャーシは圧延鋼板製(車体前端と後端は鋳造パーツ。なお、車体前端上面も圧延鋼板)。オチキスはシャーシを含め基本パーツ全てが鋳造。オチキスの車体構成は、車体前部、車台中部右、車台中部左、車台後部、戦闘室、エンジンルーム上部の6パーツ。上掲のソフィアの写真で確認できるように、車体上部の張り出しの下端に、シャーシパーツとの継ぎ目が来る。

▼前述のように、オチキスは試作段階では無砲塔。ルノーは連装機銃装備のものだったが、後に国営ピュトー工場でルノー向けに37mm砲装備の新砲塔が設計され、オチキスも同一の砲塔を積むことに。

▼ルノーの操縦席は左寄り。オチキスの操縦席は右寄り。駆動系の配置の問題によるものと思われるが、なぜ逆?

▼両車種とも追加装備で尾橇があるが、形状は別々。ルノーは車体後面にエンジン点検ハッチがあるため、尾橇はそれを避けて基部がちょっと凝った形状。オチキスはもうちょっと素直な形状。尾橇の支持部はルノーは鉄骨の組合せ、オチキスは板材。

Hnose ▼ルノーは車体前端に楕円のメーカー銘板がねじ止めされている。オチキスは前面にデカデカと社名が鋳込んである。オチキスは下請け工場の別や、おそらく生産時期によって、ロゴに何種かのバリエーションがある。詳しくは別記事参照のこと。鮮明な写真で詳細に確認できるなら、もっとバリエーションは増えそう。

なお、記事中、出典として「chars-francais.net」の写真にたびたび言及、リンクを張っているが、記事中のリンクは全て切れているので注意。サイト、「chars-francais.net」自体は復活しているが、オチキスH35~39の大量の写真は現在はサムネイルしか見られない模様。

オマケ

オチキスは第一次大戦前からの大手軍需メーカーで、1897年型~1914年型重機関銃が特に有名(日本も採用)。創業者はアメリカ人のベンジャミン・ホチキス。

なお、(以前にも一度書いたことがあるが)文房具の米ホチキス社の創業者とは親戚(or兄弟or従兄弟)で、ステープラー(いわゆるホチキス)は機関銃の装弾機構を参考に作られたという話があって、私も昔は「へー、そうなんだー」と思っていたのだが、これは俗説。両社創業者はともに米コネチカット州出身ではあるものの、血縁だったかどうかも確認できないとのこと(wikipediaのステープラーの項に記述あり)。

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オチキス・ショック!

●facebookに、「タミヤからオチキスH39が出るよ!」というニュースが上がっていて、びっくり仰天ですよ本当にもう。

そうか、改めて考えると、ニュルンベルク・トイフェアの季節なのか。

●写真を転載できないのが残念だが、投稿には、フランス軍仕様・ドイツ軍仕様2種のテストショット完成品?見本、パーツ、展示全体の4枚の写真が貼ってある(今後、さらに別の投稿・別の写真も増えそうだが)。

4、5年前にルノーR35が出た時には、「ルノーR35とオチキスH35、素人さんにはほぼ見分けが付かないし、そもそも共通で使える砲塔関連のパーツが独立していないし、将来的にタミヤからオチキスが出る可能性は低そう」なんて予想していたのだが、見事に(嬉しい方向に)外れた。

既存の3キット(エレール、トランペッター/ピットロード、ブロンコ)については、以前比較レビューなど試みたことがある。

そこでも書いたが、これら先行3キットはそれぞれあちこち難ありで、パーツを寄せ集めてもその解消が面倒だったので、タミヤの新キット登場は非常に嬉しい。しかも、展示を見るに、このところのタミヤのキットが「選択パーツを抑えて、基本、単一仕様しか作れない」傾向が強かったのに対し、「おや?」と思うほどオプション・パーツを付けてきている。これもまた嬉しい。

●というわけで、現時点で観られる展示の写真から読み取れるキットの仕様など。

▼キット名称は、「フランス軽戦車 H39(French Light Tank H39 Pz.Kpfw.38H 735(f))」で出るらしい。ルノーの時と同様で社名は(頭文字以外)伏せた状態。

▼オチキス軽戦車は、一般にH35(78馬力エンジン搭載)、H38(新型の120馬力エンジン搭載、エンジンルーム形状変更)、H39(新型エンジンに加えて、主砲を長砲身37mmに換装)の3種に分けられるが、キットは新型エンジン搭載型を再現したもので、どうやら主砲は長砲身型のみのようだ(つまりH39)。さすがに古いエレールのように、3種コンパチ(実はこれは少々無理がある)までは行っていない。なお、この3種の呼称は便宜的なもので、正式名称は「Char léger modèle 1935 H」。エンジン強化後は「Char léger modèle 1935 H modifié 39」で、武装による呼び分けはない(ごく少数だが、旧エンジンで長砲身搭載の例もある)。

本家フランス軍仕様、キューポラを切断してハッチを設けたドイツ軍仕様の選択。ドイツ軍では、大戦中盤以降、二線部隊の装備として対パルチザンなどに結構使われている。

▼ルノーR35のキットには尾橇パーツは含まれていなかったが、今回のオチキスは尾橇付き。これの有無だけでも結構塗装例の幅が広がる。ちなみに素人目には区別もしづらい2車種だが、尾橇はそれぞれ専用のまったく別物なので、オチキス用をルノー用に流用は出来ない。

▼主砲は前述のように長砲身37mmのみ? ただし、おそらく砲塔のパーツ設計はルノーR35と共通なので、ルノーR35の短砲身37mm砲をそのまま流用できるのではと思う。なお、ルノーR35も少数ながら長砲身37mmを装備している例があるので、交換すればパーツは無駄にならない。

▼エンジンルーム上面パネルの右側は、グリルの向きが横方向の標準型と、向きが縦方向の初期型(新エンジン搭載型の初期百数十輌?)のコンパチになっているらしい。

▼誘導輪はプレーンな円盤の標準型と、放射状にリブがある初期型(H35の後期から使用)のコンパチ。

▼サスペンションのボギープレートは、プレーンなもののほか、四角い補強パッチが当てられた仕様のパーツもセットされている模様。

▼展示の奥には、選択できる部品について赤く塗った絵がパネルにして掲げられている。これを見ると、砲塔の視察スリットも選べる感じ。とはいってもH35で使われたシュレティアン式(双眼鏡式)視察装置ではなく、スリット式で、ひさし部分の形状が違うものを用意か?

うーん。楽しみだな。

●なお、ネット上のフランス戦車に関する「虎の巻」、「chars-Francais.net」がいつの間にやら復活していた。激しく喜ばしい。

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二子山高角砲台の謎柱

●1月26日日曜日。

「ハイキングに行きたい」という孫2号のリクエストがあり、息子含め親子三代3人で、“逗子市最高峰”である二子山(上ノ山)に山歩きに行く。まあ、最高峰っていっても標高208mだけど。

孫2号は幼稚園年長、今年小学校入学という歳なので、行き先は、身近なハイキングコースの中でもだいぶ楽なコースということで選んだもの。中腹の南郷中学校までバスで行けば、山頂までチビの足でも30分程度で着いてしまう。

天気も良く、風も強くなく、絶好のハイキング日和。逗子駅を11時のバスで出発。南郷中学校(南郷上ノ山公園)から歩き始めて、ちょうどお昼ごろに山頂に着いて昼食のおにぎりを食べる。

下写真1枚目は、山頂に至る道の途中から撮った富士山(ただし帰りに撮影)。こんなふうに木立や藪の合間にチラ見えする程度。山頂からは、西方向が木立に覆われているので見えない。

2枚目は山頂の一等三角点。以前も書いたが、一等三角点は神奈川県内に8つのみ、三浦半島ではここが唯一。……なのはいいとして、いつの間にか周りに花まで植わって慰霊碑みたいになっていた。そもそも三角点ってお賽銭置いてご利益あるのか? 地図が素早く読めるようになるとか? 体感で標高が判るとか?

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●二子山上ノ山山頂は、大戦中には海軍の「二子山高角砲台」が置かれ、十二糎高角砲(単装)4門が配備されていた、らしい。

現在でも、山頂の小さな展望台脇に、当時の砲座跡の土盛りが、ドーナツのポン・デ・リング状に残っている。とりあえず確認できる砲座跡はその一基のみで、残りの3つは草藪の中に埋もれて所在もよくわからない。

……というような話は、以前にも当「かばぶ」で記事にしており、終戦直後の米軍撮影による空撮写真なども貼ってあるので、お暇な方はそちらも参照のこと。

パッと見に判るのは、その砲座跡のみなのだが、実はKDDIの中継所裏手の藪の中に、その高角砲台に付属する何かの施設の痕跡の、謎のコンクリート柱が2本ある。これについては、以下の2つの記事で触れている。

両記事にあるように、このコンクリート柱は、これまでは藪の中に沈んでいて、その隙間からかろうじて頂部が確認できる、という程度のものだった。

どうせ今見てもそんなものだろう、でも真冬だから、多少は藪が薄くて見やすいかな?……などと思いながらも、一応は確認しておこうと見に行ったら。

何とコンクリート柱の周りの藪が刈り払われていた。

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1枚目:上ノ山山頂広場から、下ノ山に向かう山道を10mほど?行ったところで右への脇道に入り、KDDI中継所裏へ。数m入ると、藪の向こうにコンクリート柱の頭が見える。この時点では、「あ、冬だから、やっぱりちょっと見やすいかな」くらいに思っていた。

2枚目:もう少し入ると、いきなりコンクリート柱方面に藪が払われていて全貌が。びっくりぽん。明らかにこのコンクリート柱をしっかり見られるようにという意図で刈られていて、誰がやったのかは不明ながらとても有り難い。

3枚目:2本の柱の中間あたりから振り返って、中継所に近い方の柱(仮に1号柱とする)。

4枚目:2本の柱の中間あたりから、中継所から遠い方の柱(仮に2号柱とする)。根元はなぜか三段くらい削れている。その昔、撤去しようと試みた跡か?

5枚目:奥側から、2本の柱とKDDIの中継所通信塔。

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1枚目:基本、2本のコンクリート柱は同形なのだが、よくよく見ると、1号柱の頂部円盤は“プレーン”であるのに対して……。

2枚目:2号柱の頂部円盤は、周囲に何か部材を差し込むためのもののような長方形の穴が開けられている。きちんと確認してこなかったが、たぶん等間隔で8つ?

3枚目:1号柱の中継所側の面。一部表面が剥落して、錆びた鉄骨が見えている。

4枚目:2本の柱とKDDI中継所通信塔。同行の息子とちび。

以前の記事(二子山再々訪)にも書いたが、サイト東京湾要塞」の二子山高角砲台のページでは、このコンクリート柱を探照灯の台座としている。

しかし一方で、横須賀市の砲台山(武山高角砲台)にある同様のコンクリート柱(下写真)に関しては、(同サイトの武山高角砲台のページでは)「計算所跡」であるとし、木造2階建ての建物の2階部分に設置された計算装置の基礎であったとしている。

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形状、大きさともに非常によく似ていて(頂部の厚み、頂部に向けての末広がりの形状など)若干の違いはあるものの、ほぼ同じ間隔で2本並んでいるところも同じ。用途として同じもののように感じる。武山のほうが元あった施設の解説が詳細で、何らかの資料や証言に基づくものと思われるので、二子山も同様の施設跡と考えた方がよくないか、とも思えるのだが、こればかりは、私のところに資料も何もないのでお手上げ。

ちなみに米軍の空撮を見ても、「このあたりに何かある」以上のことはよく判らない。

なお、武山のほうには、もう一本、「探照灯台座」とされる同様のコンクリート柱があるらしい(これについては場所がよく判らず私は未見)。

武山高角砲台とご近所の披露山(小坪高角砲台)とは、配備された砲(十二糎連装高角砲)もベトン製の砲座の設計も共通しているので、披露山にも同様のコンクリート柱があってもよさそうな気がするが、とりあえず私の知る限りではそのような痕跡はない。

●話はちょっと遡るが、1月18日、池子弾薬庫跡地の北辺の尾根を巡る「やまなみルート」から、十二所の光触寺方面に降りる枝道途中の「横須賀軍港境域標 第四十九號」を久しぶりに見て、写真を撮った。

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7年前?に行った時と比べると、標石の前を通る山道の道筋が、ちょっと変わっていたような……。

なお、この石標についても、(いつ建てられたのかの謎も含めて)「東京湾要塞」の当該ページに詳しい。

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AIミリタリー絵描き

●facebookで、模型友のがらんどうさんが、Gemini(GoogleのAIチャットボット・サービス)に描かせてみた絵、というのを話題に上げていた。

実際に、「Focke-Wulf Fw190A-8が飛行している絵をリアルタッチで描いてください。」と言ったら出てきた絵を貼っていたのだが、背景に正体不明の飛行物体がいることを除くと、主役のフォッケは、まさしく空冷型のフォッケだ!というのが(一応、それらしいマーキング込みで)描かれている。

もちろん、私はドイツ機に関してそれほどの“エクスペルテン”ではないから、細かい点ではあれこれ差異があるのかもしれないが、がらんどうさんも「フジミやモノグラムのキットより似ている」と評しているくらいなので、やはりそれなりの出来ではあるようだ。

なお、冒頭「Geminiに描かせてみた絵」と書いたが、そんなことが可能になったのは、2023年にリリースされたGemini(当初名称はBardで24年初頭にGeminiに改称)に、昨年10月に画像生成AIである「Imagen 3」を機能として組み込んだため。というわけで、「Geminiに絵を描かせる」というよりは「Imagen 3に描かせる」と言った方がより正確かも。

「絵を描いて下さい」系のリクエストを受けると(通常は)「Imagen 3が画像を生成しています…」と表示されたのち、「はい、どうぞ」といって絵が出てくる(時々なにやら理屈をつけて断られる。後述)。

●というわけで、リリースから3か月経つので、もう「知る人は知っている」サービスだと思うが、今更ながら私もあれこれ遊んでみた。結果から言うと、「有名なものほどそれなりにきちんと描くけれど、マイナーに傾くほど絵がおかしくなってくる」というのは想像通りだとしても、その「おかしく」なり方が妙に残念方面/キモチワルイ方面に傾いている。「なんでそうなる!?」と言いたくなる結果も多々。

一応、Imagen 3に描かせた絵は商用利用とかでなければOKっぽいので、以下、いくつか例を。

▼まず、飛行機に関して「有名機はそれなりに描ける」例は以下のような感じ。

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それぞれ以下のようなリクエスト文による。

  • 1枚目:P-51Dマスタングを描いて下さい
  • 2枚目:メッサーシュミットBf109G-10の飛行中の姿を描いて下さい
  • 3枚目:ロンドンの防空に飛び立つスピットファイアMk.Iを描いて下さい
  • 4枚目:バトル・オブ・ブリテンの際、ロンドンの防空に飛び立つホーカー・ハリケーンMk.Iを描いて下さい

1枚目のマスタングが一番似てるかな。2枚目、一応、109のG型っぽいがG-10とは言えないし、右側面に謎突起がある。3枚目、スピットなのは確かだけれど、塗装からしてもMi.Iじゃないよね。あと、煙引いてるのはなぜ? 4枚目、しっかりハリケーンらしいが、エアインテイクとラジエーターの平均値みたいなのが付いているのはちょっと。

なお、単純な機種名だけでなく、あれこれ修飾語を付けているのは、その方が絵のシーンが限定されてくるため。この修飾語の違いによって、出てくる絵が(描かれている中心の対象物の姿自体も含めて)まったく違ったものになる。また、まったく同じ文章でリクエストしても、そのたびにAIが1から生成するらしく、結果はそのたびに違う。

▼次、少々~だいぶ怪しくなってくる例。

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  • 1枚目:空母「赤城」の甲板上にいる零式艦上戦闘機を描いて下さい
  • 2枚目:向かい風を受けて離陸するフィーゼラー・シュトルヒ連絡機を描いて下さい

1枚目。確かに零戦らしいディテールがあちこちに見えるものの、全体としては何だか天山艦攻あたりが入ってるような雰囲気。他の人がリクエストして書かせた零戦はそれなりにまともだったという話も聞くので、これはたまたまハズレ方向に振れたものと言えるかも。実際、私が言葉を変えて何度か描かせてみた中でも、もうちょっと似ているものもあった。2枚目は、全然シュトルヒではないのだが、部分的にシュトルヒ的特徴が入っているのがむしろ不思議。リクエストには何も書いていないのに、ちゃんとドイツ空軍になっているし。

▼「やっぱりこりゃワカランよな」という機種を、言葉を変えて描かせてみた例。

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  • 1枚目:モラン・ソルニエ406c1の飛行中の絵を描いてほしい
  • 2枚目:モラン・ソルニエMS406c1の離陸シーンを描いて下さい
  • 3枚目:ポーランド空軍、PZL P-11cの飛行中の姿を描いて下さい
  • 4枚目:1939年のドイツ・ポーランド戦役で、ポーランド空軍の主力だったガル翼形式の戦闘機、PZL P-11cの飛行中の姿をリアルタッチで描いてください。

1枚目、フランス空軍でさえないし。本物よりよほど高性能っぽいし。ちょっとシーフューリーっぽい? 2枚目、なぜか1枚目よりちょっと旧式機っぽくなっている。

3枚目、フェアリー・バトル的なダメダメさが漂う、似ても似つかない機体が登場。そもそもこれは空冷エンジンなのか、液冷エンジンなのか。4枚目、リクエスト中にある「ガル翼形式の」は、Imagen 3は理解できていないと判明。しかしこれまた、P-11cよりよほど強そう。

▼さらに次。「そりゃもうアカンやろ」レベルにまで到達している例。

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  • 1枚目:ポーランド空軍のPZL 37ウォシュ双発爆撃機を描いて下さい
  • 2枚目:空母「翔鶴」から発進する九九式艦上爆撃機を描いて下さい

1枚目、ガル翼どころか「双発」の意味も分からないこと、「プロペラブレードは回転対称に配置される」ということも押さえていないことが判明。胴体から斜めに支柱が伸びているので固定脚のはずが、なぜかナセルに脚収納部が。全体的にキメラ的キモチ悪さが横溢。機首の謎マークと濃い緑色の上面色、しかもお得意の三発機形式のせいで、イタリア空軍機に見えてしまう。

2枚目、こんな艦爆積んでたら、日本が戦争に勝っちゃってるよ。ホーカーあたりで、こんな機体あったよね?

▼言葉を変えることによって絵が変化していく例をあげてみる。

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  • 1枚目:ビルマ上空を飛ぶ百式司令部偵察機を描いて下さい
  • 2枚目:ビルマ上空を飛ぶ日本陸軍航空隊の百式司令部偵察機を描いて下さい
  • 3枚目:ビルマで偵察飛行を行う日本陸軍の百式司令部偵察機を描いて下さい

1枚目。百式司偵は判らないだろうなー、というのは覚悟していたが、「百式」という“日本機っぽい形式名”だけでは日本機と判断してもらえないことが判明。英国籍になっちゃったのはビルマがイギリス領だったから? それでも、一応「第二次大戦あたり」とは推測して貰えた様子。2枚目、というわけで「日本陸軍航空隊の」を足したのに、頑なに日本機にしてくれない。しかもちょっと戦後機っぽくなった。3枚目、ちょっと時間をおいて再トライしたもの。やっと日本機に。司偵じゃなくてどう見ても輸送機だけど。

▼陸物も描かせてみた。飛行機が上記のような具合だったので、IV号戦車くらいまでは行けるかなあ、と思ったのだが、「*号戦車」または「Pz.Kpfw.*」、いずれの表記でも、何号戦車をリクエストしても「なんとなくIV号戦車っぽい特徴が色濃い、映画に出てくるでっち上げドイツ戦車っぽい何か」ばかり出てきた。

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  • 1枚目:1940年のフランス戦線のPz.Kpfw.Iの絵を描いてほしい
  • 2枚目:1940年のフランス戦線、アルデンヌ地区におけるドイツI号戦車B型の写実的な絵を描いてほしい
  • 3枚目:1942年、東部戦線におけるドイツIV号戦車を描いて下さい

一応、1枚目、2枚目に比べると、3枚目の方がよりIV号戦車っぽくなっているのが多少の救いか。なお、「タイガー戦車」「ティーガー」「パンター」「パンサー」などで描かせてみると、もうちょっと似たものが出てきたが、飛行機の有名どころに比べると、だいぶいびつ。日本のプラモデル黎明期の箱絵レベルだった。

▼そもそも転輪の数さえまともに描けないのに脱力したので、少しでも実車に近付けるよう、説明を足してみたが……。

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  • 1枚目:転輪が8つあるドイツIV号戦車G型を描いて下さい
  • 2枚目:ネットワーク上にある実車写真を参考に、東部戦線のIV号戦車G型の典型的な姿を描いて下さい

結果はまったく明後日の方向へ。努力はまったく報われなかったよ、サンタマリア。「転輪が8つ」は、転輪と上部転輪の合計数と解釈したのかなあ。それともダブルの転輪×4つで8つ? それとも4つの転輪×左右、で8つ? あとは、リクエストで指定しても、改めてネット情報など見てくれない(あるいは見ているにしても間違えている)ことも判った。

▼まあそりゃ判らんよな、というものを描かせてみた例。

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  • 1枚目:ケッテンクラートを描いて下さい
  • 2枚目:前輪がオートバイで後部は履帯になっている小型牽引車、ケッテンクラートの絵を描いて下さい。
  • 3枚目:Kleineskettenkraftradの絵を描いて下さい

1枚目、何の説明もなく名称だけで描いてもらったもの。なんだか変な機能付きリヤカーみたいなものが出てきて笑えた。中心のハンドルは、いったい何を操作するのか……。2枚目、最低限の特徴を添えて描かせてみたもの。あー、うん、知らない人にこの説明で描かせたらこうなるかあ、的な。しかしこの車輛、曲がれるかな。3枚目、ドイツ語名称で描かせてみたらなんだかスチームパンクっぽいのが出てきた。人が乗るとこないじゃん。

▼さらに無理難題を。

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1枚目:ワルシャワ蜂起でポーランド国内軍が使ったヘッツァーを描いて下さい。

2枚目:ワルシャワ蜂起でポーランド国内軍がドイツ軍から鹵獲して使ったヘッツァー「Chwat」を描いて下さい。

1枚目、「まさか描けないよな」とは思っていたし、実際、ヘッツァーとはかけ離れているが、ケースメート式の駆逐戦車である点をはじめ、随所に「ヘッツァーらしさ」がちらちら入り込んでいるのが、むしろ非常にびっくり。2枚目、それなら言葉を足したらもっと近づくかと思ったら、かえって遠くなった。それでも、リクエストの言葉だけで「装甲車両」と判断しているところはなかなかすごいかも。

なお、この他にも言葉を少し変えて何枚か描かせてみたが、砲身が車体の横に突き出ているキメラみたいなものも含めて、ずいぶんいろいろなchwatを見せてもらった。

ちなみに「クブシュ」も何パターンか描かせてみたが、こちらも、なぜか装軌式の軽戦車風のものではあったが、一応、装甲車両として描かれたものが出てきた。絵はなしに、Geminiに「クブシュ」について訊ねると、wikipedia等も参考にしたような(けれどあちこち間違えた)解説がずらーっと出てくる。一応、そちらでは「トラック改装の即席装甲車であること」などが書かれているので、Geminiに求めて出てくる解説と、Imagen 3が描く絵は、ほとんど連携していないないことが判る。

▼さすがアメリカ製のAIだからなのか、M4シャーマンはドイツ戦車よりよほどそれらしく描いてくれることが判った。

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リクエスト文は、「M4中戦車を描いて下さい」。「写実的に」という文言を入れなくても、よほど写実的に描かれている。マズルブレーキはちょっと変だけど。もっとも、ここに至る前に紆余曲折があって、

「M4A1シャーマン中戦車を描いて下さい」
   →申し訳ありません。安全ではない質問に対して画像を生成することはできません。

「M4A1シャーマンを描いて下さい」
   →私は大規模言語モデルとしてまだ学習中です。そちらについては理解できないため、すみませんがお手伝いできません。

「M4シャーマン中戦車を描いて下さい」
   →そちらは私のプログラミングデザインに含まれておらず、お手伝いできません。テキスト生成であれば、お手伝いできます。

「M4シャーマンを描いて下さい」
   →私は大規模言語モデルとしてまだ学習中です。そちらについては、理解して対応できる機能がないため、すみませんがお手伝いできません。

というやり取りがあった。なんだかよくわからん。とにかく「シャーマン」が付いているとダメらしい。

ちなみに、「アメリカ戦車ならいけるのかあ」と、M3軽戦車、M7プリーストなどもリクエストしてみたがダメダメだった(特にM3軽戦車は、M4中戦車をちょっといびつにしたようなのが出てきた)。

▼オマケ。「成形炸薬弾の仕組みを判り易く解説した図を描いて下さい」とリクエストして出てきた絵。

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何この、ヤマトとかスターウォーズとかに出て来そうな超兵器……。

●Imagen 3によるミリタリー絵書きのまとめ。

・(ミリタリー絵に限らず)Imagen 3は、少なくとも現時点では人物絵は描けない。ただし、人の顔までしっかり描き込まれない大きさのパイロットや戦車兵レベルだと描けるようだ。

・有名な対象はそれなりにリアルに描けるが、マイナーになっていくほど怪しくなる。ある程度以上マイナーな対象は、すっかり「AIの想像の産物」になる。

・まったく「AIの想像」で描くことになった場合でも、何とな~く年代や種別(飛行機とか戦車とか)は合わせてくることが多いが、まったく別物のことも。「マッキMC202フォルゴーレの絵」を頼んだらカッコいいスポーツカーが、「フィアットG55の絵」を頼んだら1970年代風くらいの軽自動車が出てきた。

・名前による先入観(?)めいたものに引きずられることも。「フォッカー**」の絵をリクエストすると、E.IIIだろうがDr.IだろうがF.VIIB/3mだろうがD.21だろうが、似たような空冷の複葉戦闘機の絵を返してくる。ただし、「フォッカー・フレンドシップ」までいくと、ある程度それっぽいのが出てきた。

・空物よりも陸物のほうが怪しい。

・Geminiが生成する“知識”と、Imagen 3の描く絵は、(一応Geminiの機能のひとつとして組み込まれているにもかかわらず)ほぼ無関係。Geminiがある程度しっかり解説できるものも、Imagen 3は描けない場合が多い。

・国籍マークは米英日独くらいは描けるが(WW2ドイツ機の場合は、尾翼のスワスチカも記入)、その他は怪しい。

・何が引っかかるのか今一つよくわからないが、現代戦に関係するものなど?具体的な戦闘シーンを要求しているものなど?――「申し訳ありません。安全ではない質問に対して画像を生成することはできません。」と言われて描画を断られる場合がある。

・その他にも、上記のように「大規模言語モデルとして学習中なので」「プログラミングデザインに含まれていないので」「テキストベースのAIなので対応できない」などと言われて描画を断られることがある。基準はよく判らない。

・まったく同じ文章でリクエストしても、結果は毎回異なる。確証はないが、その前にどのようなリクエストをしたかも、描画の傾向に影響しているような気がする。

・単純に「***を描いて下さい」と対象名だけでリクエストすると、情景風でなく側面図風の絵や、真正面からの絵を返してくることがある。上に掲示した中にあるように情景風を返してくるほうが優勢ではあるような感じ。

・カラーの場合もあれば、モノクロの場合もある。その辺は適当?

・飛行機のプロペラブレードの位置が不均等だったり、多発機のエンジンが左右で数が違ったり、「バランスを取る」意識(?)は欠如。「右手の絵を描いて」で左手の絵を描いてきたので、左右の区別もないようだ。

・たまに三次元的にまったくおかしい配置の(各部分がエッシャーのだまし絵的に接続していたりする)絵が出てくることがある。

●ちなみに今回の記事は、「AIってバカだなあ」ということを言いたくて書いたわけではない。

今はこうでも、学習が進めばどんどん確度と精緻さが向上していって、そう遠くない日に、「カーナビって、登場したころはズレまくりで、気が付くと地図上の田んぼの真ん中を走ってたりしたんだぜー」みたいな振り返り方をすることになるんだろうなあ、と思う。

もっともそれはそれで、本物とフェイクの見分けがますます付きづらくなって困る、ということでもあるけれど。

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FCM36 ICM 1:35(2)

●ICM社製、フランス軍軽戦車FCM36のレビューの続き。

細かい装備品類は除き、まずはバタバタと全体形を組み上げてみた。改めて思うが、何なの、この無駄なSF的格好良さ。

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前回書いたように、履帯上部は車体~スカートに覆われるので、キットのベルト履帯を使って組み立てる場合は、履帯を取り付けた状態でないと車体上下の結合はしづらく、構造的に塗装はちょっと面倒。

スタイル的に、何となくそれなりの大きさがあるように見えるが……。

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車高は高めなものの、全長・全幅はドイツI号戦車とさほど変わらず。同じくFCM社で開発された2C重戦車と比べると、同一スケールとは思えないほどの差がある。1枚目、アカデミー、タミヤのI号戦車と。2枚目、MENGのFCM 2Cと。

●ここまで組んだ段階で、気付いたこと、気になったことなど。組立説明書の図示番号順に。

▼STEP05、STEP11(起動輪)

起動輪外側のディスク部パーツは、ディテールの位置の違いで左右異なる(C18、C26)。非常に判りづらい差異なので、部品は片方ずつ切り離して組むか、見えなくなる内側に目印を記入するか、対処したほうがいい。ただし、C枝なので同じパーツが2組あり、片方を枝に残しておけば対照確認は可能。

▼STEP16(誘導輪)

誘導輪は内外貼り合わせ式で、外周真ん中に窪みが出来てしまうが、実車は素直に円筒なので、気になる人は消すように。

Img20250112171631 ▼STEP14、STEP18(誘導輪位置調整装置)

誘導輪位置調整装置(C23)の前面には小ボルトあり。ゲート痕、パーティングラインを処理後にジャンクから移植したが、ちょっと大きかったかも。

▼STEP14、STEP19(スカート)

右左のどちらかだったのか忘れたが、足回り中段のスカートパーツ(A5、A12)の片方は、車体側との位置合わせダボのうち、真ん中のものの位置が(設計ミスで)ズレている。接着後には見えなくなるので、単純に該当部分の凸を削り取ればOK。

▼STEP21(履帯)

前回書いたように、軟質樹脂製ベルト式の履帯パーツは、瞬間接着剤で接着可能。つーか、どうやって繋げたらいいのかを説明書内にきちんと書いておいて欲しい。

▼STEP25(車体上下接合)

車体上下の車体前端・後端の合わせは、それぞれ接合部が斜めに削がれていて、接合ラインがエッジに来る。しかし、実車は前端部では前面装甲板が上部装甲板に被さり、後端部では上部装甲板が下部装甲板に被さる構成になっている。

Img20250112171756 少なくとも私の組立では前端部は隙間なくパーツが合わさり、また、上部装甲板に前面装甲板の小口のモールドもあるのでよかったが、後端部の接合ではちょっと隙間が出た。

装甲板の小口のモールドもなかったので、隙間を埋めた上でプラペーパーを貼って表現したが、もともと段差があるわけではないので、上部装甲の裏にプラバンを貼り増し、その分、下部装甲の上端を削って合わせればよかったなと、後から思った(組んでから気付いたので泥縄式工作になった)。

▼STEP25(フェンダー追加加工)

フェンダー前後は薄板なので、車体上下を接着後に内側から薄削りした(履帯も取り付けた後からの工作なので、ちょっと面倒)。

また、フェンダー前部の内側垂直部には、小リベット?が左右2つずつあるので、ジャンクから移植した(ひとつ上の写真参照)。

▼STEP28(排気管)

排気管は、下写真1枚目のように、J字形?に曲がった排気口を外側に向けて組み立てるよう図示されているが、実車では内向きになっているケースも確認できる。FCM社、何だか適当だなオイ……。

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実際、キットのデカールで取り上げられている30002号車は外向きだが(P. Danjou, "TRACK STORY No.7 FCM 36", p32)、もう一方の30097号車は内向きなのが残された当時の写真で確認できる(同書p38)。

単純にパーツの左右を入れ替えれば対処できるので、塗装例2を作りたい人はどうぞ。他、別番号の車輛を作りたい人は要確認。

▼STEP29(右側面OVM)

Img20250113230150 OVM類は、基本、本来車体側に付いている、アメリカ戦車で言うところの「フットマンズループ」と取付ベルトと一体成型。それはそれでいいのだが、シャベルに比べ、ハンマーとつるはし(C31)が異様に小さい。ほとんど、「これって48なんじゃない?」くらいの感じ。

当時の実車写真は撃破・放棄後にドイツ軍側が写したものが多く、OVMも失われていることが多いので確認しづらいが、さすがにこれはないんじゃないかなあ……。

ソミュールの現存実車のOVMはオリジナルではない可能性が高いと思うが、一応、常識的な大きさのツルハシが載っている。

▼STEP35(左側面OVM)

Img20250110162900 左側面後部に付くΩ字形をしたパーツ(B12)はジャッキホルダー。ただし、ジャッキパーツそのものはキットには含まれていない。

本来はルノーR35あたりが載せているジャッキと同型か、あるいは似たような形のジャッキが逆さまにこのホルダーに差し込まれていて、車体側とホルダー側の「フットマンズループ」に通したベルトで固定するようになっている。

キットでは、このホルダーは車体に対し斜めに取り付けるようになっていて、車体側にもそれに対応した接着位置の窪みが設けられているが、実車写真で確認してみると、このホルダーは普通に地面に水平に(ジャッキが垂直に入るように)付いているようだ。

というわけで、車体側の窪みを埋め、ホルダーパーツ自体も縁を薄く削って取り付けた。キットパーツはホルダー側の「フットマンズループ」も斜めに(ホルダーを斜めに付けた際にフットマンズループが水平になるように)モールドされているが、これは後から角度を変えて再生することにして削り落とした(付け忘れそう)。

また、左側面前方に付く誘導輪位置調整用?のスパナ(C32)は、ちょっと首を振りすぎかも。また、このスパナ取り付け位置の車体側には、スパナ開口部に当たる部分に、おそらくスッポ抜け防止の突起がある。後々追加予定。

▼STEP35(前照灯)

Img20250112171657 前照灯パーツ(A4)は、金型のミス?で、なぜか脚の先が半分欠けている。

実車では車体側に土台となる突起があり、そこに前照灯の脚の先が4本のボルトで止められているので、ついでにそのように修正した。

▼STEP40、STEP41(砲耳)

砲の軸受けパーツ、特に左側(A13)の、砲塔内側における取り付け位置はどうもおかしい感じ。パーツ下側の凸を削り取り、砲がガタ付かない適当な位置に直した。

▼STEP45(前面観察口)

砲塔前面(というよりキューポラ前面?)の観察口は、一度組み立てて溶接痕まで付けた後に、どうも形状の違いが気になったので作り直した(作る前に気付けよ……)。

前面観察口は側面のものと似ているものの、角度の違いからか、もうちょっと平べったい感じ。1枚目before、2枚目after。

なお、併せて、吊り下げリングもキットパーツは小さい感じがしたので作り直した。この際、キット指定の取付位置である中央にそのまま付けてしまったのだが、その後実車写真でよくよく確認してみると、実際にはやや右に寄せているのが標準らしい。この後修正の予定。

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▼STEP47、STEP48

Img20250110163128 観察口は、実車では周囲に割とはっきりとした溶接痕があるので、伸ばしランナーを貼って溶かして潰して再現した。

また、キットの砲塔の装甲板溶接痕は基本エッジにあるが、キューポラ前面および砲塔後面装甲板は、側面に小口・溶接痕が出るので、モールドを一度削り取って入れ直した。ただ、入れ直した溶接痕は割とギザギザした感じだが、実車はもっと「ぬるん」とした感じなので、この後、もうちょっと手を入れるかも。

▼STEP50

フランス戦車が車輛牽引用に備えている鎖は、キットではプラパーツの輪を一つ一つ繋いていく構成。C形のもの、O形のものを交互に繋いでいくのだが、普通、鎖の輪って、力が掛かった時に切れにくいよう、鋼線の継ぎ目は側部にあるんじゃないのかなあ。キットのC型のほうのパーツは、切れ目が頭の部分にある。まあ、CとOを繋ぐ構成になっている時点で、鎖を正確に再現しようとまでは思っていないだろうけれど。

なお、前回書いたように、僅かに輪が大きいような気もする。

▼塗装図

Img20250104213826_20250116010001 キットのデカール&指定塗装は、30002号車と30097号車。

この2つの車輛は、P. Danjou, "TRACK STORY No.7 FCM 36"の塗装図にも取り上げられているのだが……。

キットの説明書の塗装図は、迷彩色の輪郭はTRACK STORYと少し違えて「トレースじゃないッスよ?」という振りをしているものの、塗り分けの位置・範囲はほぼ同じ。

しかし特に30097号車では、実車写真と比べると迷彩色の明暗の範囲(位置)が明らかに違っているので、写してきた疑惑大。うーむ。

なお、30097号車の砲塔後面のトリコロールは、TRACK STORY、キットの塗装図ともに白部分が上下で同じ幅になっているが、実車では上に向かってすぼまっていて、その分、左右の青・赤の面積が広い。

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ご近所正月風景

●1日夕はご近所の家でちょっとした新年会。

昨春に採って塩漬け冷凍保存していたイタドリの炒め、秋に採ったカヤの実の塩炒りなど持って行く。

●今年初の山歩きは、4日、鎌倉の東端に近い衣張山(きぬばりやま)。もっとも、逗子側の住宅街(逗子鎌倉ハイランド)から衣張山山頂まで、割とのんびり歩いても、せいぜい15~20分しかかからない。

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1枚目、2枚目は、衣張山に登る前に寄った、逗子鎌倉ハイランド横の「鎌倉市子ども自然ふれあいの森」のパノラマ台から見下ろした鎌倉市街。湾の向こう側に稲村ケ崎。その向こうに江の島。この日は雲が被って富士山は見えなかった。3枚目は衣張山山頂。標高たった121m!

Img20250105160330 ●今年の初ソフト・ブレッツェル。

この店、鎌倉ベルクフェルトでは、以前に、ナッツやドライフルーツが入った「スティック」という小さな細長いパンも食べたことがあって、おやつ的にはそちらがいい感じなのだが、最近見ない。

「最近ありませんが、季節ものなんですか?」と聞いたら、「いや、たぶん気まぐれです」と言われた。

●ご近所風景、もう少し。

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1枚目。冬の西日が当たるまんだら堂やぐら群。晩秋~冬の公開期間は12月半ば?で終わっているので、これはゲートの金網越しに撮影。2枚目は法性寺上の石廟脇で、地元民的には割と評判がよくないクリハラリス(タイワンリス)。ちなみに、自分で手を下す気にはちょっとなれないが、狩ってチタタプしてオハウにすると結構美味しいそうだ。

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名越の尾根、大切岸からの風景。1枚目は逗子市最高峰(といっても200mちょっと)の二子山。2枚目は法性寺奥の院。

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大切岸と「鎌倉市子ども自然ふれあいの森」を抜けて、逗子鎌倉ハイランド西端の公園からの富士山。この日(7日)は綺麗に見えた。

●9日、法務局に用事があり横須賀へ。

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1枚目。昨年10月11月にも見た最新鋭護衛艦もがみ型が、いつもなら「いずも」が停泊していることが多い手前の桟橋にいた。

よく見ると、向こう側に同型艦がもう一隻。手前の艦は艦首に「1」の数字があるので、一番艦の「もがみ」。向こう側はおそらく2番艦でやはり横須賀基地所属の「くまの」。

もがみ型護衛艦は、12隻建造予定のうち、すでに6番艦の「あがの」までが就役。10番艦の「ながら」が先月進水している。当初は22隻調達予定だったものが12隻に減らされているが、減った10隻に変わって、より大型の新型艦が12隻建造される予定。

船には詳しくないのでよく判らないが、これらは単純に旧式化した艦艇の代替ではなく、従来の護衛隊群に属さない新たな「10番台護衛隊」所属艦として作られているものである由。一昔前なら「軍拡だー!」と大騒ぎになりそうだけどなあ。

2枚目。日も暮れかけた時刻の、ヴェルニー公園向かいの潜水艦桟橋。奥のビルはクリスマス~正月のデコレーション?がなされていて、JMSDFの文字で、「ああ、あの建物って海自のものだったんだー」と判る。

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FCM36 ICM 1:35

●喪中なので寿ぎの言葉は略しますが、本年もよろしくお願い申し上げます。

●今年の抱負として、「お手付きで放り出してある模型をできるだけ完成に持って行こう」というのを掲げたのだが(というか、ここのところ毎年そう思っているのだが)、そんな目標を早速裏切って、またまた新しい模型にお手付き中。というわけで、とりあえずレビュー。

Img20241224005047 ●ネタはウクライナ、ICM社製のフランス軽戦車、FCM36(キット名称:FCM 36 WWII French Light Tank、製品番号:35336)。年末、仕事仲間との内々の忘年会が吉祥寺であり、そのついでに、集合前に下北沢で途中下車してサニーで買ったもの。

発売は(Scalematesによれば)2020年。すでに発売から5年近く経っているので、ネット上に製作記などもある程度上がっていて、今更感もあるけれども、まずは中身の紹介から。

通常プラのパーツ枝は、4種6枚。軟質樹脂の履帯の枝が2枚。プラス、デカールと組立説明書。

▼Aパーツ+Bパーツ

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Aパーツ:車体上部と砲塔、外側スカートなど。

Bパーツ:シャーシ、車体後部グリルなど。

実車は割と面倒な面構成で、かなり組みづらそうな印象を受けるが、実際のキットはおおよそオーソドックスな箱組にまとめていて、パーツの合いも悪くなく、注意深く仮組/擦り合わせを行えば、変な隙間はそうそう出ないはず。

私は車体上下の合わせの際に、車体後端にごく僅かの隙間が出て、0.2mmプラペーパーで埋めたのだが、ここはそもそも装甲板の接合状態が実車と違うので(次回)、実車同様の合わせになるよう小改造してから組むべきだった……と後から気付いた。

▼Cパーツ+Eパーツ

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Cパーツ:足回り、OVMなど。同じ枝が2枚。

転輪類など同形状のパーツが複数ある場合、同じパーツ枝を2枚(あるいはそれ以上)にして対応するのはプラモデルの常套手段なのだが、このキットの不思議なところは、「1つしか使わないのに、2枚あるC枝に配置されている」パーツが結構たくさんあること。

紛失しやすそうな極小パーツなどが余計にあるなら嬉しいのだが、そういったものはキッチリ必要分しか入っていなかったりする。OVMとか起動輪のディスク部とかが余計あってどうするんだ……。ちょっとこういうパーツ構成は珍しい。

なお、「紛失しやすそうな極小パーツ」として、C枝には車体前後のハッチのヒンジも入っている。角度的に綺麗に抜きづらければ、ハッチのある面ごと別パーツにしそうなものだが、ヒンジだけ別パーツというのはちょっと珍しいかも。

Eパーツ:鎖パーツの小枝。2枚。

鎖パーツは1枝に切れ目入りと切れ目なしのパーツが同数で、交互に繋いでいく形式。車輛の牽引用にワイヤーでなく鎖を備えているのはフランス戦車の特徴。実車写真と見比べると、僅かに鎖の目が大きいような気もするので、適当な金属鎖に換えたいような、しかしわざわざプラパーツの連結式てパーツを用意したICMの変なやる気を汲んでやりたいような。

▼履帯+デカール

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Dパーツ:黒い軟質樹脂製の履帯。2本を繋げて片側分。

色は真っ黒。かなり柔らかめだが、幸い、起動輪・誘導輪はダブルではないので、履帯の中央が窪んでしまうようなことにはならない。ベルト履帯は片側ごとに2か所で継ぐことになる。接合部はかなり頼りない感じで、ちゃんと継げるのかかなり不安になるのだが、幸いなことに、瞬間接着剤がしっかり効く。

「このキットの履帯は瞬着でちゃんと着く!」というのは、TFマンリーコさん、デビグマさんのブログで見て知った。そうでなければ、「軟質樹脂だったら瞬着は無理だろう」と、無駄な試行錯誤をした可能性もあったかも。どうもありがとうございます。

なお、つないだ履帯はキットの足回りに、心もち長めくらいの感じでフィットする。接合部に余計な力が掛からないので切れる心配があまりないうえ、履帯の上側は装甲で隠れるので、これは都合がよい。

もっとも、履帯を取り付けてからでないと車体上下の接合ができないので、塗装上はちょっと面倒臭い(一応、サードパーティから別売の可動履帯もあるので、財力・気力のある人はそちらを選択するのも手。

デカール:30002号車、30097号車の2輌分。FCM36の生産台数は100輌で、車輛番号は30001~30100なので、生産の最初期と最後期のものが選ばれていることになる。

30002号車は箱絵にもなっている2色迷彩+キューポラてっぺんの雪化粧のような白塗装。砲塔に大きな白数字「53」と赤のハートマーク。30097号車は4色迷彩で、砲塔前後に仏国旗のトリコロール、砲塔左右後部に30002号車同様の赤いハートマーク。なお、赤いハートマークは、戦車大隊(4個中隊)のうち、赤=第3中隊(4個小隊)、ハート=第2小隊(3輌)を示す、らしい。

30002号車と30097号車の迷彩の違いは、生産時期による差異なのかと思ったが、TRACKSTORY No.7 "FCM 36" の解説を見ると、どうやら時期には関わりがなさそう。単一メーカー、1ロットのみの生産で、時期に関わりなく塗装にバリエーションがあるって、どういうこと?

●もうちょっと書きたいこともあるが、長くなってきたので続きは改めて。

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