エイとナメクジ

20180516_103712 20180516_122441 ●16日水曜日。ちょっと(かみさんが)用事があって横須賀に出掛け、ついでに昼飯を食う。

久しぶりに行ったら、ヴェルニー公園入口の陸奥の主砲は整備が終わって(といっても、この前に見たのは昨年の2月だ)展示状態になっていた。

主砲の上に上らないように注意書きがあり、「そんなヤツぁいねえよ」と一瞬思ったものの、夜に酔っぱらって友人と騒ぎながら通りかかったら上りたい衝動に駆られそうな気もしてきた。

公園の(JR横須賀駅側)入り口脇のヴェルニー記念館では、1:100の陸奥の模型も展示されている。他、かつての横須賀製鉄所のスチームハンマーなどの展示もあり。かみさんとの待ち合わせ前にちょっと覗いただけなので、こんどまたじっくり見に来よう。

●ヴェルニー公園の真向かいは海自の潜水艦用埠頭。今日も変わらず黒ナメクジさんが。とはいえ、X舵の新鋭そうりゅう型ではなく、在来型の十字舵だなあ……と思ったら、左手のほう、ちょっと遠くにX舵がいた。

20180516_104014 20180516_103731

20180516_104134●こちらにほぼ真横の艦影を見せて横切っていく船。番号から検索して、海自の練習艦「かしま」と判明。

横腹の平らな部分が綺麗に平行四辺形になっているのは、機能がどうこうだけでなく、デザイン的に狙ってやったんだろうなあ、という気がする。

後甲板からのナナメは、単に船体外板のラインではなく、その形状通りの斜路になっているそうだ。

20180516_122011 20180516_122009 ●しばらく前に、かみさんがちびとヴェルニー公園を散歩していた際、エイが泳いでいるのを目撃したという。こんな場所にエイなんているのか!?と思いつつも、「それなら探してみよう」と言って歩いていたら、本当に出てきた。

写真は不鮮明でエイだか漂流物だか判らない状態で申し訳ないが、悠々と(この写真で言うと)右方向に泳いで行った。

こんな場所にアタリマエにいるものなんだ,というのにまず驚いたが、帰宅して調べてみたら、東京湾にはアカエイが大量にいるのだそうだ。お台場でアカエイを釣る記事もヒットした。もっとも尾に毒棘があるので安易に手を出すのは危険だそうだ。

……考えてみればせっかくバラの時季のヴェルニー公園を歩いて、バラの写真を1枚も撮っていない。

●タミヤのII号戦車c、A~C型のキットは、エンジンルームのヒンジが凹、凸とあるうち、凹が外側になっているが、これはソミュールのc改修型を参考にキット化されたためで、量産型(A以降)は逆向き(凸が外側)になっている――という話は、確か(今は閉鎖されてしまった)尾藤満氏の「Panzer Memorandum」で読んだのだと思う(元をたどればトラクツあたりかもしれないが、II号戦車の巻は読んだことがない)。

その後、漠然と「そういうものなのか」という認識でいたのだが、TFマンリーコさんのところでその件につき(曖昧なままに)コメントをした機会に、ちょっと調べ直してみた。

とりあえず、(現存車両の写真を見ても、記録写真を見ても)F型では確実に凸が外側のようだが(写真)、初期型II号に関しては、どうも「いつから逆転したか」がはっきりしない。もともと場所が車体後部上面という「写真に写りにくい場所」なので、当時の記録写真ではなかなか確認できず。また確認できても、今度はそれがc型なのかA型以降なのかがよく判らなかったりする。

数少ない、鮮明にヒンジが写っているなかの1枚がこれ。わずかに写っている砲塔上面ハッチが両開きなのでC型以前なのは判るが、それ以上のことは(私には)判らず。ヒンジはすでに凸が外側になっている。

あるいはこの写真。こちらは逆に凹が外側。クラッペのリベット形状から見るに、おそらくB型中途以前の生産車らしい。リングガードはA型中途からの装備のはずだが、これはc型にも追加で装着された可能性があり、決め手にはならないかも。

また、これとほぼ同じ特徴を持ち、さらに、右フェンダー後部支持架が大きい車輛の写真もあった。私の認識では、後部支持架が大型化されたのはA型からなので、それが間違えていなければ、A型でもなお凹が外側の仕様のものがあったことになる。

さらにもう一つ。ベオグラードのカレメグダンに展示されている現存車両は操縦手用クラッペ形状からA~C型であると判るが、エンジンルームヒンジは凹が外側。後面や操縦席左クラッペ形状は初期型なので、A~B初期と思われる。

……そんなわけで、どうもc型からA型の時点でスッパリとヒンジの方向が切り替わったのではなく、少なくともA型の初期あたりではまだ凹が外側だったのではないか、というのが、現時点での私の推論。

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KV maniacsメモ(ガイドホーン無し1ピース履板)

●KV-1重戦車の砲塔形式メモも書きかけだが、その続きの前に小ネタをひとつ。

先日の記事(トランペッター 1:35 KV-1 1942年型鋳造砲塔(その3))で、「レニングラード包囲突破」ジオラマ博物館に展示されている現存車両(2輌あるうち、バッスル下が角型になった砲塔を搭載しているほう)について、

この車輛の履帯は「1ピースだがセンターガイドが全くないタイプ」を混ぜ履きしている点でも非常に興味深い。

と書いたのだが、今回はこのタイプの履板の追加調査報告。

なお、当該車輛のwalkround写真集のサムネイルはこちら。また、履板の特徴が判る写真の例は、こちらが裏側で、こちらが表側。(Dishmodels.ru)

●また、サンクト・ペテルブルクでの何かの式典に引っ張り出されてきたらしい、この車輛もセンターガイド無しの1ピースタイプを(上記車輛ほど多数ではないが)使用している。

ただしこの車輛の場合、JS用の650mm幅履板(2分割タイプ含む)も混ぜて履いており、履帯の幅が不揃いになっている(写真)。

●実のところ、上の現存車両のwalkaroundを見るまで、こんなタイプの履板があるとは知らなかった(そもそも上のwalkaround写真も結構前から見ているのに、気付いたのは割と最近だった)。

問題は、この履板が実際に戦時中のKVも使っているタイプなのかどうかだが、これに関しては、前回も紹介したサイト「Тяжелые танки КВ-1」から、比較的すぐに、このタイプを履いていると思われる実例を探し出すことができた。

実例1、および同一車輛の別写真

バッスル下が丸タイプの短砲塔を搭載。実は1枚目の写真は「グランドパワー」1997/10、p32上にも出ているもので、さんざん見慣れた写真のはずなのに、ガイドホーンが1枚置きになっていることをまるっきり見落としていた。

この写真からではガイドのない履板が本当に1ピースかどうかまでは確認できないが(以下の例も同様)、

  • 1941年型で用いられ始める2ピースタイプは僅かながらセンターガイド部分の突起があること。
  • 基本、1枚おきにガイド無し履板を使っているが、起動輪に掛かっている外側から見える部分では2分割履板は確認できないこと。

の2点から、ガイドホーン無し1ピースでまず間違いなさそう。

実例2。やはりバッスル下が丸タイプの短砲塔搭載車。履板の中央にまったく突起が確認できない。こちらもほぼきっちり1枚ごとに繋いでいる。

実例3、および(たぶん)同一車輛の別写真。これもバッスル下が丸タイプの短砲塔搭載車で、1枚おきに使用。

実例4。若干見づらいが、裏返った履帯の中にガイドホーン無しのものが混じっているのがかろうじてわかる。バッスル下が直線の371工場製砲塔搭載車。

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●KVの履帯について改めて整理。

800tank_fortepan_93766
(wikimedia commons、1939年型と思われるKVの足回り。履帯は標準タイプ)

▼極初期(650mm幅?)。

基本、KVはSMK多砲塔重戦車の縮小・簡略型として作られており、足回りの部品もほぼそのまま引き継いでいるが、量産にあたって若干の改設計が行われている。

SMKの履帯は後のKVの履帯とよく似ているが若干幅が狭く、これは、履帯外側の連結ピン・エンドが履板フランジ端とほぼ同じラインであることで判別できる。この履帯はKVの試作車両にも(全部ではないが)使われている。KV-1s以降、JSにも使われた650mm履帯と同じものなのかどうかは(私には)よくわからない。

このU-0の写真では、この幅の狭い履帯が使われているようだ。また、「翼」タイプの燃料タンクを付けた試作車U-7の写真では、標準の700mm幅の履板に交じって幅の狭い初期タイプの履板が使われていて、履帯の端のラインが不揃いになっているのが確認できる。

SMKと同じ、8穴タイプのゴム抑え板を持つ転輪(上写真参照)が生産初期のKVに見られることを考えると、この幅の狭い履板も、極初期の車輛に若干は使われている可能性がある。

▼標準タイプ(700mm幅)。後世の35戦車モデラーのために設定されたような履帯幅の標準型履帯(履板)。

起動輪と噛み合う穴から外側のフランジ部分は、上記極初期タイプや後の1s~JS用では正方形に近いが、この標準タイプではやや横長。ただし、履板同士の噛み合わせは極初期型ともJS用とも同寸法なので混用可能。博物館車輛ではJS用履板がしばしば入り混じっている(モスクワ中央軍事博物館のKVでは、まるごとJS用戦後タイプの履帯に置き換わっている)。

極初期タイプの項で述べたように、履帯外側の連結ピン・エンドよりもフランジ端のほうが外側に張り出している。

▼ガイドホーン無し1ピース履板(700mm幅)。今回の記事前半で取り上げたもの。写真資料から判断すると、後の2ピースタイプ同様、標準タイプの履板と1つ置きに混ぜ履きするのが基本であるらしい。

上に書いた当時の実例写真から判断すると、1941年8月前後の生産車の一部に用いられたものであるらしい。

▼2ピース履板(700mm幅)。ZIS-5搭載型(いわゆる1941年型)の生産半ばから標準的に用いられるようになった履板。標準タイプの履板と1つ置きに混ぜ履きするのが基本。後の1s~JS用履帯(650mm幅)はセンターガイドのホーンがまったくないのに対して、KV用の2ピース履帯はピースの分割部にわずかに突起がある。

パロラの1942年型の2ピース履板の裏側(legion-afv)。

▼一応書き足しておくと、KV-1s用には、当初、フランジを斜めに削ぎ落したような軽量型履帯が作られ、その後、再びフランジが角型になったものが作られた。後者は標準履帯と似ているが、幅は650mmに詰められている。後者は引き続き、後継であるJS戦車にも用いられた。

両タイプとも2分割タイプの履板と混ぜ履きされるのが標準だが、(特に後者の場合)1ピースタイプのみ使用している例もある。また、このタイプの2分割履板は、センターガイドにあたる部分の突起は全くない。

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KV maniacsメモ(砲塔編その1)

●最近KVづいているので、その勢いで、若干の情報整理など。

以前、“ハラT”青木伸也氏主宰の「T-34 maniacs」の姉妹サイトとして「KV maniacs」を運営していたのだが、プロバイダ変更だのHPサービス停止だののあおりで、結局閉鎖してしまった。

消滅を惜しんで下さる声も時折聞くものの、(データそのものはローカルに残っているのだが)今見ると明らかな誤りも多かったり、我ながら「何を根拠にこんなこと書いてるんだ?」的な記述もあったりで、流石にそのまま復活するのはためらわれる。

改めて体系的に書き直せるかというと、新資料のフォローなどきちんとしていないので、ちょっと及び腰にならざるを得ないのだが、とりあえず書けるだけ、気が向いたときに部分ごとの変遷についてメモを作っていきたいと思う。理由は、

  • 書いておかないと自分で忘れる。
  • 今回は「そう判断した証拠」をなるべく書き添えておきたい。
  • 製作中のいくつかのKVに関連して、製作上の注意点として。

など。内容は「あくまで現時点での私の理解では」ということなので、盲信はしないように。「いや、そこは違うんじゃないか」などのツッコミ歓迎。っていうか間違ってたら教えてください。お願いします。

そんなわけで最初は砲塔編(無印KV-1のみ)。

主な情報ソースは、

  • サイト「Тяжелые танки КВ-1
  • サイト「4BO GREEN
  • Jochen Vollert, "Tankograd KV-1 Soviet Heavy Tank of WWII - Early Variants"
  • Jochen Vollert, "Tankograd KV-1 Soviet Heavy Tank of WWII - Late Variants"
  • М. КОЛОМИЕЦ, "ИСТОРИЯ ТАНКА КВ (1)", Frontline Illustration
  • М. КОЛОМИЕЦ, "ИСТОРИЯ ТАНКА КВ (2)", Frontline Illustration
  • M. Kolomiets, "KW vol.3", Wydawnictwo Militaria No.320

中でも「Тяжелые танки КВ-1」の受け売り度高し。特に各仕様の生産期間に関しては、基本、同サイトからの引き写しなので、ロシア語がスラスラ読める人は、むしろここを読まずにそちらを読むことを推奨。ちなみに私はGoogleさんに助けられてつまみ食い程度。

なお、とりあえずブログ記事として書いているものの、そのうちウェブページに移動するかも(漠然とした意味でのウェブページではなく、ココログのブログサービスのメニューで、日付依存で無く別途作成できるページ)。

■試作車・増加試作車用砲塔(便宜的にタイプ1とする)

  • 砲塔前面左右はエッジが立っておらずなだらかに丸い。
  • 砲塔後面平面形はほぼ半円。
  • 砲塔前部2/3と後面の継ぎ目(前部側)に5本の接合リベット縦列。

1939年中に製作された試作車、および1940年4月~7月に製作された増加試作車が搭載。コロミェツ氏によれば試作車(U-0)1輌に加えて増加試作車14輌。

当初、試作車U-0が76.2mmと45mmの連装だったことを除き、基本は76.2mmL-11単装で完成しているはずだが、後に多くがF-32装備に改造されている。ただし、L-11装備のままでドイツ軍に鹵獲されている車輛も確認できる。

35インジェクションではトランペッターがパーツ化しているが(「Russian KV-1 Mod 1939」(No.01561))、若干形状に問題があるような話も聞く(私自身は持っていないので未チェック)。

■初期型溶接砲塔(タイプ2)

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(写真:wikimedia commons)

  • 側面が中ほどで緩く曲がっているほかは、基本箱組みの角ばった溶接砲塔。
  • バッスル下は砲塔リングに沿って円形。
  • バッスル下円形の装甲の前端に縦2個ずつのリベット。
  • 前後左右の装甲板はおそらく小口を斜めに削いで継いであり、溶接ラインはエッジにある。
  • 四周の装甲厚はおそらく75mm。

Uナンバーを持つ増加試作車の最後の数輌、およびL-11搭載の生産型(いわゆる1939年型。もっとも、1939年型と言っても生産時期は1940年、しかも8月~12月)、そしてF-32搭載型(1940年型、1941年1月生産開始)の初期まで搭載。砲塔後面の機銃架は、1939年型の中途までは内部防盾の半球形外観のもの。中途から外部防盾を持つ標準型に。

主砲L-11の駐退機カバー形状は、少なくとも初期・後期の2種(他にも細かいバリエーションがあるかも)。

砲塔上面4カ所の固定式ペリスコープカバーは、基本、フランジなしの直接溶接タイプ。ただし最後期の一部はフランジ付きの可能性あり。

次の標準型溶接砲塔と非常によく似ているが、溶接ラインの位置が最も大きな識別点となる。

トランペッターの「Russia KV1 (Model 1941) "KV Small Turret" Tank"」(No.00356)にはL-11の砲身・防盾一式も入っているが、砲塔自体は下の標準型溶接砲塔で、一般的な1939年型に仕上げるには改造が必要になる。

■標準型溶接砲塔(タイプ3)

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(写真:wikimedia commons、モスクワ中央軍事博物館。ZIS-5搭載の1941年型)

  • 装甲厚75mm。
  • 基本形状は一つ前のタイプと同じだが、装甲板の組み方に大きな変更が加えられ、溶接ラインが前後とも側面に。さらに埋め込みボルトで補強しており、前面左右に6本ずつ、後面左右に5本ずつの埋め込みボルト溶接痕がある。前後の装甲板は接合部で段状に削っているので、表に出ているのがそのまま装甲板本来の厚みではない。
  • バッスル下は砲塔リングに沿って円形。
  • バッスル下円形の装甲の前端に縦2個のリベット(左右)。

F-32砲搭載の1940年型で主に使用。40年型でも生産当初のものは溶接ラインがエッジにある一つ前のタイプを使っており、このタイプは1941年6月頃の戦場写真から見かけるようになるので、5、6月頃に導入されたものか。

砲塔上面の固定式ペリスコープカバーは、コロミェツ氏によれば41年3月からフランジ付きに切り替わっているとのことなので(Wydawnictwo Militaria)、このタイプでは基本フランジ付きのはず(例外はありそう)。

後に装甲が強化された90mmタイプの砲塔が生産されるようになるが、なぜかZIS-5搭載型(いわゆる1941年型)生産当初には、各部に若干のアップデートを施したこのタイプの砲塔がしばしば見られる。生き残った1940年型を改修した再生車輛か? あるいはチェリャビンスクで余剰パーツを使って生産したものか?

ちなみに上掲のモスクワ中央軍事博物館展示車両もZIS-5装備型。ただしこの展示車両はかなりキメラ的仕様になっていて、どこまでがオリジナルの状態なのかよくわからない。同じ車両の砲塔を斜め後ろから見た状態の写真がこちら(Dishmodels)。後方ペリスコープが天井後縁より奥まっていること、側方ペリスコープ下に削り込みがないことなどが確認できる。側面前方と後面の吊り下げフックはオリジナルではない(たぶん)。

35では、トランペッターの「Russia KV1 (Model 1941) "KV Small Turret" Tank"」(No.00356)、ズベズダの「Soviet Heavy Tank KV-1」(No. 3539)などの初期型KVキットが再現しているタイプ。ちなみにズベズダのキットは箱絵は1941年型、中身は1940年型というお茶目な構成らしい(買っていない)。

■■エクラナミ(タイプ3´)

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(写真:wikimedia commons,、パロラ戦車博物館)

  • 溶接砲塔に30mm(側面)の増加装甲をスペースド・アーマー形式でボルト止め(資料によっては35mm)。
  • 後面には増加装甲は付けられておらず、埋め込みボルト痕が確認できるため、ベースが標準型の溶接砲塔であることが判る(初期型砲塔ベースのものは絶対存在しない、とは言い切れないが)。

1941年6月~8月に生産。この間はエクラナミだけ作っているのかと思ったら、増加装甲無しタイプも並行生産されていたらしい。増加装甲の装着法には若干のバリエーションがあり、砲塔本体と増加装甲の間の上面フタのあるもの/ないものがあるようだ。増加装甲の前半と後半には若干の段差があるのが普通らしい。上掲パロラの所蔵車はその段差、および視察口・ピストルポートの切り欠き部分の増加装甲と本体装甲の隙間を丁寧に埋めてあるが、これは鹵獲後の改修ではないかと思われる。

35インジェクションではトランペッターの「Russia KV-1's Ehkranami」(No.00357)、タミヤの「KV-1B」がこのタイプの砲塔。当然ながら増加装甲を装着しなければ上の標準型となる。

■短縮型・装甲強化溶接砲塔(90mm、バッスル下丸型)(タイプ4)

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(写真:wikimedia commons,、レニングラード包囲突破ジオラマ博物館)

  • 外形は標準型溶接砲塔によく似ているが、基本装甲が90mmに増厚されたタイプ(*1)。
  • バッスル下は円弧状。
  • バッスル下円形の装甲の前端にリベットはない(*2)。
  • 装甲増厚に対応し、側方ペリスコープ直下に削り込み。
  • おそらく装甲増厚による重量増のバランスを取るため、バッスルを標準型より短縮。このため後方ペリスコープは砲塔後端にある。

多くの資料で、これまで標準型溶接砲塔と区別されてこなかったタイプ(私自身も以前は混同しており、「KV maniacs」でも区別していなかった)。この砲塔はレニングラードのイジョラ工場(イジョルスキー工場)で生産され、レニングラード・キーロフ工場(LKZ)においてF-32装備型(1940年型)の1941年8月~9月生産車に搭載された、とのこと。

Kv1_model_1941_in_the_breakthrough_ 写真で標準型と明確に区別するのが難しい場合も多いが、前掲のポイントでも書いたように、ペリスコープ直下の削り込み、バッスル下円弧装甲前端のリベットの有無、上面後端のペリスコープと後縁の位置関係などが判別点になる。

右写真は上と同一車輛の真横からの写真(wikimedia commonsより)で、砲塔後部ペリスコープが後縁ギリギリにあることがわかる(標準型ではかなり奥まっている)。同一車輛のwalkaroundはこちら(Dishmodels)

なお、側方ペリスコープの削り込みの下に跳弾用にロッドを溶接してある場合が多いが、これは初期には付けらておらず、一方で、標準型砲塔のZIS-5搭載改修型などでは(削り込みはないが)跳弾リブは追加されている場合があり(上掲、モスクワ中央軍事博物館車輛参照)、識別点にはならない。

ZIS-5が搭載されたものもあるが、当初からその仕様で完成したのか、後の改修によるものかはよく分からない。ちなみにZIS-5が搭載された現存砲塔はこれ(Dishmodels)。ペリスコープ位置など細部ディテールがよくわかる。

現時点で、35インジェクションでこれを再現しているものはない、と思う。

*1 ただし、上に写真を乗せた現存の「061号車」では、側方ペリスコープ下は申し訳程度にしか削り込んでおらず、一方で当時の写真ではもっと明瞭に削り込んでいるものも確認できる。「061号車」のような仕様でも90mmに増厚されているのか、若干の疑問は残る。(5/14追記)

*2 ソミュールに現存する実車では、側方ペリスコープ下に明瞭な削り込みがあり、このタイプの砲塔であると思われるのだが、バッスル下円弧状装甲の前端はただの溶接ではなく、埋め込みボルトで補強されている。(5/14追記)

■短縮型・装甲強化溶接砲塔(90mm、バッスル下角型)(タイプ5)

  • バッスル下が直線的に処理された砲塔で、英語では「simplified turret」と表現されることが多い。
  • おそらく装甲増厚による重量増のバランスを取るため、バッスルを標準型より短縮。このため後方ペリスコープは砲塔後端にある。
  • 装甲増厚で見にくくなるのを防ぐため、側方ペリスコープ直下に削り込み。

これまで「90mmに装甲が強化された溶接砲塔」といえばこれ(だけ)、と思われてきたタイプ。バッスル下の処理に特徴があるため、側方からの写真があれば識別はたやすい。標準型砲塔ほかと同様、砲塔前面は左右6カ所ずつ、後面は5カ所ずつの埋め込みボルト溶接痕あり。

このタイプの砲塔は、スターリン記念名称第371工場で製作され、レニングラード・キーロフ工場(LKZ)におけるF-32装備型(1940年型)の1941年8月から、疎開によりLKZでの戦車生産が終了する10月までの生産車で使われた。

現存車両写真は、たとえばこれこれ(Dishmodels)。

砲塔上面左右・後方の固定式ペリスコープカバーは、コロミェツ氏によれば41年3月にフチ無しからフチ有りに切り替わっているそうなのだが(Wydawnictwo Militaria)、このタイプの砲塔でもフチなしを装着している例がある。

また、一部車輛では砲塔前面左右にブロック状の増加装甲を溶接したものがある(以前から私がちっくりちっくり作っている仕様)。

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(写真:フィンランド軍写真アーカイブ、SA-kuva)

これは「Тяжелые танки КВ-1」によれば、特に1941年の8月から9月初めの生産分に見られるものであるらしい。

またこのタイプの砲塔でZIS-5が搭載されたものもあるが、当初からその仕様で完成したのか、後の改修によるものかはよく分からない(たとえばこれ、Dishmodels)。

以前から比較的広く知られた仕様の砲塔だが、現時点で、35インジェクションでこれを再現しているものは出ていないはず(トランペッターの「Russia KV1 (Model 1942) Simplified Turret Tank」(No.00358)は、さらに装甲が強化された1942年型用砲塔なのでこれとは違う)。

■短縮型溶接砲塔(ChTZ型、バッスル下丸型)(タイプ6)

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(写真:wikimedia commons,、41年10月にムツェンスクで撃破された車輛)

  • 標準型溶接砲塔とよく似ており、おそらく装甲厚も75mm。そのため側方ペリスコープ下の削り込みはない。
  • ただしバッスルは装甲強化型と同様に短縮されており、後方ペリスコープは砲塔後端にある。
  • バッスル下円形の装甲板前端のリベットは無い。

実は「砲塔バッスル下が丸いタイプでも、『simplified turret』同様にバッスルが短く、おそらく装甲も増厚されているタイプがあるようだ」というところまでは、私も独自に実車写真観察でたどり着いたのだが、その後の識別点の抽出で混乱して収拾がつかなくなったのは、たぶんこのタイプの砲塔が元凶だったのではないかと思う。

レニングラード・キーロフ工場の疎開完了に先立ち、チェリャビンスクで先行してKVの生産に入っていたチェリャビンスク・トラクター工場(ChTZ)における、F-32搭載型(いわゆる1940年型)の1941年8、9月生産型に、この砲塔が用いられたらしい。

後方ペリスコープが後端をはみ出すくらいの位置にあること、しかし側方ペリスコープの削り込みはないことを確認しやすいのは、例えばこの写真。サイト「Тяжелые танки КВ-1」におけるこのタイプの解説ページより。

「タイプ4が、タイプ3とタイプ5の中間的形質を持っていて、ややこしいったらない!」と思っていたら、今度はタイプ3とタイプ4のそのまた中間的形質のものが出てきたことになる。しかし、タイプ4の注釈で書いたように、それでもなおスッパリ割り切れない仕様のものもあり、実はさらにタイプが細分化される可能性はある。

現時点で、35インジェクションでこれを再現しているものはないはずだが、標準型から簡単に改造できそう。

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以下、ZIS-5搭載型の砲塔に関してはまたそのうち。

■標準型鋳造砲塔

■装甲強化型溶接砲塔(組み継ぎ)

■装甲強化型鋳造砲塔

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トランペッター 1:35 KV-1 1942年型鋳造砲塔(その3)

●トランペッター 1:35、KV-1 1942年型鋳造砲塔(キット名称「Russia KV-1 model 1942 Lightweight Cast Turret」)のレビューなんだか考証なんだか製作記なんだか、いずれにしても中途半端な徒然話。細部パーツ編の続き。

20180430_180335戦闘室前面増加装甲

戦闘室前面の増加装甲は、パーツ共用化により初期型で一般的な背の低いものしか入っていないため、プラバンで背の高いタイプを新造した。

一応、おおよその時系列的に言うと、この部分の増加装甲は1940年型エクラナミで導入され、その後1940年型後期から1941年型初期にかけては背の低いもの(通常、上端がごくわずかに戦闘室前面の上にはみ出る程度)が使われている。

おそらく、エクラナミの生産末期からは、この背の低い増加装甲に加えて、車体ハッチ前方部分にハッチガード用のリブが追加されるようになり、以降、これが標準に。

なお、車体に火炎放射器を装着したタイプで、増加装甲が無くハッチガードだけあるものが確認できるが(例えばサイト「Beutepanzer」にある、この車輛)、これは火炎放射器の装着に増加装甲が邪魔だったためではと思われる。

1941年型の中盤、おそらくは鋳造砲塔の導入あたりから、ハッチガードの役割も兼ねてということか、背の高いタイプの増加装甲が用いられるようになる。高さはおよそ、砲塔リングガード上端と等しいが、リングガードと違い砲塔下端との干渉を考慮する必要はないため、リングガードよりもだいぶ高いものも見られる。hn-nhさんの記事によれば、“KV Tanks on the Battlefield”ほかに、「背の低い増加装甲付きはUZTM製、背の高い増加装甲付きは第200工場製」の記述がある由。それぞれの工場での生産時期が判らないが、並行生産されていた時期もあるのだろうか?

タミヤのキットで表現されている両肩を切り落としたタイプは、レンドリースの見返りに技術参考品としてイギリスに渡り、現在ボーヴィントンの博物館に展示されている車輛で見られるもの。ただしこのタイプの増加装甲はソ連軍での使用例はあまり見られない。……というより、今回改めて手持ちの写真をざっと見た限りでは存在が確認できなかった。

背の高い増加装甲の場合、車体から引き出される前照灯・ホーン用のコード用の切り欠きもあるが、このコードの引き出し場所は41年型の中盤くらいから(?)やや車体内側寄りに移動しているようだ。キットの車体上部には、この2通りの位置に対応した非貫通のダボ穴があって選択できるようになっているが、なぜかキットでは外側の穴を使用するよう指定されている(初期型用の背の低い増加装甲のモールドに合わせたものか?)。41年型のキットではどうなってますかね?>hn-nhさん

ただし、キットの内側取付指定穴は、実際よりちょっと内側過ぎるようだ(5/5追記)。

20180427_111637車体下部前面増加装甲

これもエクラナミの途中から装着されるようになった増加装甲。戦闘室前面同様に溶接でベタ付けされているもの。

右写真はパーツを裏側から撮ったもので、左下端が一部薄くなっている。これは、この部分に切り欠きがある仕様に対応、選択式にしたものと思われるが、説明書では特にこの切り欠き部分には触れられておらず、そのまま接着するよう指示がある。また、実際、パロラの1942年型の現存実車でもこの部分に切り欠きは存在しない。

あくまでざっと写真を見ての印象だが、

  • 最初にこの増加装甲がエクラナミで導入された当初は切り欠きがなく(パロラのエクラナミにもない)、
  • しかしほどなく(エクラナミの生産途中で)切り欠きが設けられるようになり、以後、切り欠き有りが標準に。
  • その後1942年型登場前あたりでまた切り欠き無しが復活。

という流れのような気がする。いやまあ、単に「いろいろあった」なのかもしれないけれど。ちなみにボーヴィントンの鋳造砲塔付き1941年型は切り欠きがあり、アバディーンの同形式では切り欠きがない。トランペッターのエクラナミ(『Russia KV-1's Ehkranami』、アイテム番号NO.00357)の同じ個所のパーツには切り欠きは設けられていない。

この切り欠きに関しては、以前にセータ☆さんがどこかで触れていたような気が……。違ったかな。

とりあえず、この切り欠きそれ自体の存在理由については、どうも、この部分に装甲板接合用の埋め込みボルトがあるのが理由のようだ(たとえばモスクワ中央軍事博物館のこの車輛)。溶接してしまっている埋め込みボルトに後からアクセスする必要があるとは思えないので(また、前面装甲板に増加装甲を付けた後で車櫃を組み立てるとも思えないので)、これは、溶接痕の盛り上がりのせいで装甲板が浮いてしまうのを避けるためではないかと思われる。

左にあって右にないのは、トーションバーサスの関係で、左右で埋め込みボルトの位置が違うためらしい。最初期と後期とで切り欠きがないのは、最初は溶接痕を丁寧に削り落としていたのではと想像。1942年型の場合は「この部分の埋め込みボルトが省略されて溶接痕の盛り上がりが最初からなかった」か、あるいは「構わず無理やりくっつけた」か……。キットのパーツのように裏をちょっと削って干渉しないようにした、なんてことはないと思う。

ちなみにキットの車体は各型共通だが、この場所に埋め込みボルトの溶接痕は再現されていない。

また、牽引具基部の切り欠きは、パーツでは左右が牽引具基部に合わせて丸く切られているが、実車ではもっと適当に角を立てて(つまり6角形に)切り抜かれているものが多く見られる。どうも初期は「角」が普通で、41年型中盤以降、「丸」になっているような気がするが、しっかり調べ尽しているわけではなく、要調査続行。

車体前端の上下接合のL字部材

上の写真に写っているが、1942年型のキットには、埋め込みボルト痕のモールドがないものが入っている。1942年型の仕様としてはこれで正しいが、この埋め込みボルトの数の変遷はちょっとややこしい。

 ▼試作車(Uシリーズ)や極初期の生産車ではこの部分のボルトは異様に多く、17カ所もある。KV-2初期型砲塔でも17カ所タイプが見られるが、全部がそうであるかは未確認。コロミェツ氏によれば初期型砲塔は1940年の7、8月の生産車に搭載されているそうなので、下記の説明に従えば全車が17カ所タイプということになる。一方「4BO」の記事によれば、初期型砲塔搭載車の最後の数輌は11カ所の可能性があるようだ。

 ▼比較的早い時期に11カ所に減少。コロミェツ氏は40年9月~41年7月の生産車がこの仕様としている(Wydawnictwo Militaria No.320 “KW vol.III”)。この40年9月というのは、KV-1の形式で言うといわゆる1939年型(L-11搭載型)の生産途中ということになるようだ。

 ▼41年7月から、さらにボルト数が減って8カ所のものが使われ始める。時期で言うと、ちょうどエクラナミの生産途中、緩衝ゴム内蔵転輪に、小リブ付きリムが使われ始めたのと前後して、という感じ? ちなみにトランペッターのエクラナミのキットは、ボルト痕のモールドが11カ所のタイプが入っている。ちょっとモヤモヤするのだが、このボルトの打ち込み位置にはバリエーションがあるようで、左右端は部材の端に寄っているのが普通だが(たとえばこんな感じ、Dishmodelsより)、中に寄っていて左右に余裕のあるものも確認できる(例えばこの車輛)。

 ▼ここから先がさらにモヤモヤするところで、モスクワ中央軍事博物館のKV-1は、ボルト痕が6カ所に減っており、しかも上面にはないようだ。たとえばこの写真この写真。断言はできないが、フロントバヤ・イルストルツィヤ(フロントライン・イラストレイション)」の「KV史 第2巻(1941~1944)」の8ページの写真(写真番号7)も同じタイプに見える。

 ▼最終的に埋め込みボルトが省略される。ボーヴィントンアバディーンの鋳造砲塔型ではすでにボルト痕は確認できない。“KV Tanks on the Battlefield”p88掲載写真によると(というより、サイト4BO掲載の訂正情報によると)、「welded-only nose plate」は41年12月に導入されたものだそうだ。これは、41年型(ZIS-5搭載型)生産開始(41年10月)からちょっと後、ということになる。

20180504_200620 ●車体底面

個人的には「どうせ見えないからいいや」という感じなのだが、底面のディテールにも生産時期により差がある。これに関しては、サイト「4BO」に簡単な解説ページがある。

これによれば、キットの車体底面は、トーションバーの固定ボルトが6本から4本に減り、パネル間の結合ボルトが省略された41年1月以降の生産型に準拠したもの、ということになりそう。なお、上記4BOのページに添えられた図によれば車体前面(左方向)の埋め込みボルト位置にも差があり、これが増加装甲の切り欠きに関係している可能性もあるような気がする。

●キット(の仕様)と直接関係のない話あれこれ。その1。

トランスミッション点検ハッチに関して、第2回で「ミッション点検ハッチに関しては、装甲強化型砲塔でも(また、ZIS-5搭載型でも)まだ皿型のものが使われているのが確認できる」と書いたのだが、「レニングラード包囲突破」ジオラマ博物館展示の車輛は、1940年型後期型(F-32搭載・装甲強化短砲塔)だが、すでにツライチ・フラットタイプが使われている。例えばこの写真。サムネイルのページはこちら

ちなみにこの車輛は前方乗降ハッチもフチなしツライチ・フラットタイプ。ついでにエンジンハッチもフラットタイプ。

また、この車輛の履帯は「1ピースだがセンターガイドが全くないタイプ」を混ぜ履きしている点でも非常に興味深い。こちらが裏側。そしてこちらが表側

20180429_104734 ●その2。

ちょっとその気になって、第2回で触れた「1941年の8、9月にのみ作られたとされる皿型カバーのボルトが12本のタイプの起動輪」を作ってみた(写真中央)。

初期型のパーツを改造したもの。製作中の装甲強化短砲塔搭載型に使ってみるつもり。

●その3。

トランペッターの初期型用KVのフェンダーパーツの幅詰め工作をしてみた。以前KV-2用に同じ工作をした時には、フェンダーステイのベロ部分は特にいじらなかった(そのため、フェンダー外縁のL字材との関係が少しおかしかった)。

今回はもうちょっと凝って、フェンダーステイのベロも外縁L字材のベロより内側で終わるように削り、6本の取付ボルトも一度削り取って間隔を狭めて付け直した(内側は動かないので付け直したのは外側5本。場所により横着して4本)。

20180503_133804 20180503_201709

外側L字材の再生は、フェンダー側のベロがプラペーパー。裏から針でつついて極小リベットを表現。外側の立ち上がりは0.3mmプラバン。

なお、KVのフェンダーは裏側を縦方向に、中心付近に補強用のL字材が付けられている。トランペッターのキットはこの縦通材も再現されているが、幅詰め工作の結果、これが中心よりも外側寄りになってしまう。……が、どのみちほとんど見えないので放置した。

20180430_171141 ●その4。(5/5追記)

トランペッターの初期型KVのエンジンパネルは、前端左右(砲塔リングに掛かる円弧の左右)のボルトが2本ずつだが、ここは3本が標準(41年型では2本になる)。

製作中のKV-2と1940年型のパネルに、左右1本ずつボルト頭を追加した。

●追記。

上で紹介したサイト「4BO」を改めて読み直していたら、トランペッターのキットから各年式・各仕様を作る際の細かい「レシピ」が詳細にまとめられていた。

これまで3回書いてきた記事のほとんどがそのページに既出! うはははははは。

ちなみに1942年型・強化型鋳造砲塔(1942年2月~7月生産分)の記事はこちら。もっと後の、牽引具基部が円形になった仕様も別途ページが立てられている。砲塔ハッチは真ん中に「へそ」がない、というのは(さんざん写真を見ているはずなのに)言われて初めて気が付いた……。

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ミズ

●KV話は一回お休み。

20180414_110049 ●先日、散歩の途中で見かけたこの草。

丈の低い、林の中の下草で、見た目に特徴があるので調べやすそうだと思い、写真を撮って帰宅後調べてみたら、通称「ミズ」(正式な和名はウワバミソウ)という山菜だということが判明。

最近ますます身近な「食える山野草」に傾注しつつあるので、その後早速試してみたところ、なかなか悪くない感じだった。そんなわけで、昨28日、再び収穫してきて調理。

なんだか葉っぱはケヤキの木じみて、カサカサしていそうな見た目だが、その実、茎は柔らかく絞れそうなほど水っぽい。ミズという通称もそこから来ているとか。ちなみに和名のウワバミソウは、ヘビの出そうなじめじめした日陰に生えているからだそうだ。

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1枚目:収穫してきたミズ。
2枚目:皮剥く完了状態。葉柄をもぎつつ、そこから根元に向けてついでに皮を剥く感じ。割と適当で、剥き残しもあるかも。
3枚目:ざっくり刻んで軽く塩もみ。この後茹でる。
4枚目:茹でたものを、過半は白だしと塩で漬け(タッパーのほう)、残りは辛子醤油で漬けた。辛子醤油のほうは今日の昼食時に食べてしまい、タッパーの方は明日以降頂くつもり。

みずみずしさとシャクシャクとした食感がよく、「売ってる野菜なんじゃないの」レベルに癖もなく普通に美味しいが、それだけに逆に「どうしても採って食べたい」的アピールには弱い感じもする。

●かみさんとチビが、「何にでも牛乳を注ぐ女」という歌にはまっている。NHK Eテレの「びじゅチューン」という美術番組(と言っていいのか?)で流されていたもの。

いつまでリンクが有効かわからないが、NHKのミニ動画公開サイト「どーがレージ」の当該曲のページはこちら。また、NHKがyoutubeにUPしたものはこちら

「びじゅチューン」は、古今の名作美術品・工芸品をネタに、「これって……**してるように見えるよね?」的な妄想を歌+アニメに仕立てたもの。「何にでも牛乳を注ぐ女」は、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」が元。

他のネタのものもまとめて観てみたが、少なくとも私が聴いたうちでは、やはり「何にでも牛乳を注ぐ女」が「脳内こびりつき度」が最も高い気がする。「最初に聴いたから」という刷り込みではなく。

特に「牛乳~」ではなく、「ぎぅにぅ~」と粘っこく歌うところが(個人的に)ポイント。

F1013055 ●miniartの初期型III号戦車シリーズのキットは、初のインジェクションキットとしてかなり頑張ってキット化したなあ、という感じのものではあるが、資料不足もあり、怪しい部分も多々ある。

私自身はC型のみ買って持っているが、砲塔内部にバスケットが付いているのは、どうせ中身は作らない私には関係ないとしても、B、C型ともにエンジンデッキのディテールが大きく違うのはなんとかしたい。

下写真はC型のパーツだが(前部上面はB型と共通?)、エンジンルームはルーバー形状が明らかに違い、後ろの斜めの面にあるはずの2カ所のアクセスハッチもない。車体前部は、ハッチ周辺が別体のパネルで皿ねじで止められているはずのディテールがまるっと無視されている。

F1013051 F1013048

……と、ずっと思っていたのだが、先日、miniartは突撃砲O型の発売を予告。それに合わせて、戦車型の方もエンジンデッキほかをリニューアルした改訂版を出すと発表した。

それ自体も「うわ、やるなあ、miniart」と思ったのだが、さらに驚いたことに(facebookのAFV模型グループ経由で知ったのだが)、なんと、miniartは「B型の旧版キットを持っている人には、B型用リニューアルパーツを無料で送付」するとのこと。

miniartはfacebookで発表するとともに、同社サイトにも告知をUPしている。エンジンデッキだけではなく、パネルラインの追加された前部上面板ほか、さらにエッチングパーツも付いてくるらしい。

すごい! えらい! それでC型の改訂版はいつ!? ……と興奮したのだが、よくよく考えると、B型車体の突撃砲Oシリーズを出すからこそB型の改訂版が出たのであって……もしかしたらC型はそのまま?

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トランペッター 1:35 KV-1 1942年型鋳造砲塔(その2)

●トランペッター 1:35、KV-1 1942年型鋳造砲塔(キット名称「Russia KV-1 model 1942 Lightweight Cast Turret」)の話の続き。今回は細かいパーツのあれやこれや。

とはいえ、1942年型鋳造砲塔のキモと言えるパーツの話は前回書いてしまったので、以降はもうちょっとボンヤリと、「トラペのKVにまつわる話」になる。

20180426_223607

フェンダー

以前にも書いたが、トラペのKVは、初期型(~1940年型)用と後期型(1941年型~)用とで、フェンダー幅が違う。写真は、初期型フェンダー上に後期型フェンダーを乗せてみたもので、およそ1.5mm、幅が異なっている。

これはマキシム・コロミェツ氏の著書、フロントバヤ・イルストルツィヤ(フロントライン・イラストレイション)のKV本(“ИСТОРИЯ ТАНКА КВ”)の図面でもそうなっており、キットが同書の図面を参考にキット化した可能性がある。ただしその他の場所で若干の寸法の差異があるので、この図面をそのままキット化したわけではなさそう。

もちろん問題は「実車ではどうなのか」という話。

フェンダーは現存車両では新造されていることも多いパーツなので悩ましいが、たぶんオリジナルと思われるノヴォクズネツクにある1941年型(主砲はZIS-5だが、フェンダーは支持架が6本ボルトの初期タイプ)にメジャーを当てている写真(たとえばこれこれ。DishModels.ruより)ではおおよそ650mm幅。これは後期型キットのほうのフェンダー幅に相当する。当時の実車写真でも、フェンダーからの履帯のはみだし具合は初期型と後期型で異なっているようには見えず、これは初期型用フェンダー・パーツの幅が誤っている可能性が高そう。

しかし前述のように、フェンダー支持架の取付ボルトが初期型は6本、後期型は4本なので、後期型のパーツをそのまま流用はできない。ちなみに私は、すでに組立済みのKV-2(標準型砲塔)では外側から幅を詰め、切り落としたエッジのディテールを新造した。

なお、後期型のフェンダーパーツなのだが、よく見ると前後に金型差し替えの継ぎ目がある。

20180427_111501 20180427_111516

現在のところ、この部分が差し替えになったバリエーションキットは発売されていないと思う(ない……ないよね?)。ちょうどフェンダーが丸まっている部分を差し替えるようになっていることを考えると、これはもしかしたら、フィンランド軍仕様の1942年型鋳造砲塔を発売しようという計画があったのではないか!?……などと妄想。

ところがどっこい。フィンランドが鹵獲使用した「クリム」の1942年型鋳造砲塔は、砲塔上面が組み継ぎになっていない仕様なのだ。そんなわけで発売が中止になったのかもしれないなあ、などと妄想を重ねてみる。

ちなみに私自身、このタイプを買ったのは「フィンランド軍仕様に改造してもいいかも」なんてボンヤリ考えていたからだが、この仕様の差に気付いて「やっぱりやめよう……」にだいぶ傾き中。いや、砲塔上面の改造はそんなに「ものすごい手間」ではないと思うけれど、やはり「1輌しかないもの」の再現って大変だし(しかも実物が残っているのでかなり細かく判ってしまうし)。

ちなみにフェンダー支持架は、初期のKVは全部が穴あき、1941年型あたりでは砲塔横の2カ所のみ穴無し(乗員の乗降時の変形を防ぐためでは?と想像)だが、42年型ではなぜか前方の支持架が穴あきに戻り、逆にエンジンルーム横が穴無しになったものが多い。エンジンデッキにタンクデサントを乗せるためか?

20180324_102613転輪

トランペッターのKV系列は、1S系を除くと、右写真の4種をパーツ化している。一番右の全鋼製転輪が今回のキットにセットされているもの。

一番左はSMK、試作車~極初期の生産型に用いられた緩衝ゴム内蔵転輪の初期型。次が標準型。次は40年型エクラナミの中途あたりから41年型初期に用いられた緩衝ゴム内蔵転輪の後期型。他にも、緩衝ゴム内蔵転輪にはリム部の穴無しタイプや、リム部の小リブがもっと小さく一つ置きになったものなどがある。

1941年型~42年型標準の全鋼製転輪パーツは、緩衝ゴム内蔵転輪や誘導輪の繊細さに比べるとどうも大味で、リム部のフチやリブ(特にハブ部に接続している6本)がどうも厚ぼったい。hn-nhさんは一つ一つコリコリ削って薄くする工作を決行した模様。むはー。

タミヤの41年型のパーツはどうだったかしらん、どこかにストックがあったはずだし、全部交換しちゃろうか、などとも思ったが、タミヤのパーツのディテールのほうがマシだったかどうかは未確認。ただし、転輪内側の軸周りにある小リブはタミヤのパーツにはない(どうせ組んでしまえばほぼ見えないが)。

20180427_230837誘導輪

これは各タイプ共通。外側と内側とで、穴の形状が違うのはトラペのキットで初めて知った。

非常に細かい話だが、ハブキャップの取付ボルトに対応した、ボルト穴周辺の丸く平らな部分が大きくハブキャップからはみ出して見えるタイプと、ほとんど見えないタイプとがあるようだ(わかりにくい説明)。キットは後者で、こちらのほうが標準。

20180323_135125起動輪

トラペKVお約束工作その2。

以前にも書いたが、トラペKVシリーズの起動輪パーツは、表側のスプロケットの取付ボルト部のみが別金型のハメコミで、その取り付け設定がいい加減なため、生産ロットによって(一番肝心な)表側ボルト列の位置がまちまち。

本来は、取付ボルトはスプロケットの歯と同位置にある。今回、私が入手したこのキットに関しては、2つある起動輪表側パーツのうち片方はほぼボルト位置が正しく、修正不要だったのはラッキー(場合によっては両方植え替えることになる)。もう片方はボルトをいったん削り、位置をずらして再接着した。

hn-nhさん曰く、このボルトは実物に比べやや大きめとのことで、hn-nhさんはMasterClubのボルトに植え替えていた。おお、ブルジョアな。個人的にはボルトの大きさにはあまり違和感がない(パロラの実車写真でもこれくらいに見える)のと、ほとんどズレていなかったもう片側に合わせ、ボルト頭はキットのまま使った。なお、フリウル付属の金属製起動輪のボルトはキットよりややおとなしめ。実車写真とよく見比べると、むしろ、キットは歯の外周部との段差が実物よりちょっと強調気味かな?というのが目につくが、面倒なので放置。いずれ、両側ともにボルトの植え替えが必要な場合には、ついでに少し削ってもいいかも。

20180426_223917 ちなみに、キットの起動輪は中央の皿型カバーが別部品で、取付小ボルトの数(および取り付け部の窪み)が多い(16本)の初期型と、ボルトが少ない(8本)の後期型の別を再現している。

トランペッターのキットではパーツ化されていないものの、この中間に、ボルトが3本ごとに1本分間引きされたような形の、過渡期の12本タイプが存在する。コロミェツ氏によれば、12本タイプは1941年の8、9月にのみ作られたものだそうだ(Wydawnictwo Militaria No.320 “KW vol.III”)。

ちなみにこの皿型カバーのボルト位置は、16本タイプおよび12本タイプでは外周のスプロケット取付ボルトのおよそ中央に来ることが多く(ただし例外もあるので、きっちりそこでなければいけない、というものでもないようだ)、8本タイプではズレているのが普通のようだ。やや謎。

サスペンション

サスペンションアーム基部のハブキャップは、初期は6本ボルトだったが、後期は3本ボルトになる。――というのはかなりざっくりした説明で、実際には、6本ボルト用に6カ所の窪みがあるものの、ボルトは3つだけで残り3カ所は穴が塞がれた過渡的な形質のものがあったり、ボルト用の窪みの形状が違ったり(U字形か丸形か)と、いろいろ細かい別があるようだ。

今回いじっている「Russia KV-1 model 1942 Lightweight Cast Turret」では(たぶん1941年型キット以降そうなっているのではと思うが)、ハブキャップ部分が別パーツになったサスアームがセットされていて、6本ボルトタイプと3本ボルトタイプの2種のハブキャップのパーツのうち、後者を使うよう指示されている。ちなみに、このボルト位置はサスアームとは無関係のようで、実車でも割とバラバラ。

20180426_224135 20180426_224151

写真上左が取り付けたサスアームで、上右は不要部品として残った初期型サスアームキャップ。しかし不思議なことに、トランペッターの初期型KVでは、もともとキャップ部分も一体に成形されたサスアームの部品が入っている(写真下)。上右のキャップは、一体何に使うんだろう?

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車体ハッチ

車体前方の操縦手・無線手(機銃手)乗降用ハッチは、このキットでは平板でフチ付きのものがセットされている(下写真左)。このハッチに関しては、初期は周囲が緩くカーブした皿型のもの、その後まったくの平板なものに変わり、さらにキットパーツのフチ付きのものになる、というおおよその変遷過程だったのではと思う(割と適当な理解)。前回書いたように初期はハッチ周囲が上面板と別体だが、これは皿型ハッチに対応したもの。

20180427_111546 20180427_111557_2

トランスミッション点検ハッチも、初期は前方ハッチ同様の皿型ハッチで、周囲が別体であるかどうかも同じ。その後、周囲とほぼツライチの平板ハッチになる。これはアバディーンの1941年型で確認でき、タミヤの最初のキットでもこの仕様が表現されている。前方の乗降用ハッチで平板のものが使われだしたのは1940年型の末期(装甲強化型の短砲塔が使われだしたあたり。旧型砲塔でも戦闘室上部の増加装甲が付いているものは平板ハッチが多いようだ)なのだが、ミッション点検ハッチに関しては、装甲強化型砲塔でも(また、ZIS-5搭載型でも)まだ皿型のものが使われているのが確認できる。とりあえず、「前方が平板だから後方も平板」といった因果関係はないらしい。

キットに付属のトランスミッション点検ハッチはパロラの1942年型で確認できるもので(例えばこの写真)、初期の皿型ハッチのように車体面に対し盛り上がっているものの、初期の皿型ハッチの周囲がなだらかにカーブしているのに対し、このタイプはもっと直線的に、面取りされたような処理。車体側周囲の別体もない。また、初期の皿型ハッチよりもやや小径のようだ(キットもそのように表現されている)。一応、「1942年型(つまり後端が角型の車体)になって装甲板構成が変わったのに合わせてハッチも新型になった」ということではと思っているのだが、確証なし。

hn-nhさんの記事によれば、トラペは1941年型にもこのタイプのパーツがセットされているらしい(今、昔の『KV maniacs』の記事を見返したら、そちらにもそう書いてあった。自分では買っていないので、どこかで中身を覗いたか、誰かに教わって書いたらしい)。「フロントバヤ」の図面では、1941年型でもこのタイプのハッチで描かれていたりするので、例によってそれを鵜呑みにした可能性もありそう。

エンジン点検ハッチ

エンジン点検ハッチはふくらみ付きのものがセットされている(下左)。開状態固定用のワイヤーフックが付くアイボルトは左右2カ所。これに対し、初期型KVのキットではアイボルトが中央1カ所のものがセットされている(下右)。ふくらみ中央の突起は一応オプション・パーツが入っているが(A18)、取付指定無し。

20180427_111445 20180426_223717

エンジン点検ハッチに関しては、1940年型の終わりごろから、ふくらみのないフラットなものも使われている。コロミェツ氏によれば、フラットタイプが使われ始めたのは1940年8月の生産車からである由(Wydawnictwo Militaria No.320 “KW vol.III”)。アイボルトが左右2カ所になったのもおおよそこの時からではないかと思う。

しかしキットのような「ふくらみ付きでアイボルト2カ所」タイプもその後も使われていて、アバディーンの41年型はこのタイプ。「フロントバヤ」KV本2冊目の、1942年型生産ラインの写真(p11)でも、複数の車輛でふくらみ有りタイプが使われているのが確認できる(同じ写真はたとえばここ)。アイボルトが増えているので、単純に「古いパーツの使い回し」ということではないようだ。

一方、パロラの1942年型鋳造砲塔ではフラットタイプが使われており、ふくらみがない分素通しになってしまうのを防ぐためか、くさび形に防弾リブが溶接されている。溶接砲塔の1942年型で有名な「容赦なし(ベスポシャドヌイ)号」も確か同一の仕様で、トランペッターも、1942年型の溶接砲塔タイプのキット(KV-I model 1942 Simplified Turret Tank)ではこの「リブ付き平板ハッチ」のパーツをセットしていたはず。

なお、平板ハッチの初期(少なくとも1940年型)には防弾リブは付けられていないのが普通。41年型でどうだったかは未確認(なので、確認したほうがいいですよ>hn-nhさん)。

何はともあれ、hn-nhさんがブログ記事中で提示している疑問にはほとんどまともに答えられていない内容で申し訳ないッス。

(この後、もういっぺん続けます)

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トランペッター 1:35 KV-1 1942年型鋳造砲塔(その1)

●トランペッター初期のKVシリーズが最近再版された。

価格も発売当初からそれほど上がっておらず、無印のKV(という言い方も何か変だが、要するに大幅に改設計された1Sに至る前のKV)のキットとしては現時点で最もスタンダードと言える出来のキットなので、KVファンとしては喜ばしい。

と言っても、別に未購入のバリエーションを軒並み買い込んだりはしないけれど(履帯問題など、いくつかネックも存在するので)。

20180323_204921 ●ただ、「そういえばトランペッターの、後期型KVは1つも買っていなかったな……」と思い、再版ものなのか、それとも単なる売れ残り品だったのか、しばらく前に1942年型・鋳造砲塔型を購入。さらに先日、フリウルの2分割リンク混ぜ履きタイプの金属履帯を入手したのをきっかけにちょっといじり始めた。

折よくというか何というか、hn-nhさんもトラペのKV(1941年型鋳造砲塔)をいじり始めたということで、その記事をブログにUP。なんとなく身近の「KV濃度」が上がっている感じ(そちらの記事も一緒にどうぞ。リンク先は記事の1本目)。

そんなわけで、せっかくなのでキットレビューというか、若干の考証というか、中途半端なつまみ食い的チェック記事を。

●キット名称について。

今回いじっているキットは、キット名称でいうと、

Russia KV-1 model 1942 Lightweight Cast Turret(アイテム番号NO.00360)

ただし、このキット名称には若干の疑問がある。車体に関しては、エンジンデッキが後部まで水平になり、後端が直線的に処理されるようになった装甲強化型で、この点は一般に言うところの「1942年型」で問題はない。しかし砲塔は、下部3分の1ほどが末広がりになり、後面の機銃架周囲にリング状の防弾リブが設けられた後期型の鋳造砲塔で、私の認識としては、キット名称にあるような「軽量鋳造砲塔」ではなく、むしろ「装甲強化型鋳造砲塔」ではないかと思う。

逆にhn-nhさんが製作しているほう、

Russia KV-1 model 1942 Heavy Cast Turret Tank(アイテム番号NO.00359)

は、車体は装甲強化前の後端が曲面タイプ、砲塔も鋳造タイプが導入され始めた当初のもので、要するに、レンドリースの見返りに送られてアバディーンに置かれていたもの(要するにタミヤが最初にキット化したもの)と同一のタイプ。一般的な認識としては1941年型にあたり、砲塔もむしろこちらが「軽量型鋳造砲塔」ではないかと思う。

もっとも、それぞれキットの中身的には、車体と砲塔の組み合わせが順当なのは幸い。これが逆だったら2つ買って砲塔を交換する羽目になるところだった。

●キットの肝の部分。

キットのバリエーション上の特徴は、「1942年型(後端が角型の装甲強化車体)」であることと、「後期型の鋳造砲塔」であること(前述のように、トランペッターは「鋳造砲塔が載っていれば車体は変わっていなくても1942年型」という、ちょっと独特な形式分類をしている――単純にキット名称を付けるときに間違えた、というのでなければ)。

ほか、それらに付随して(あるいは前後して)細かい細部の変遷があるが、とりあえずバリエーションとしての大きな特徴は上記2点に集約できる。

▼車体

前述のように、鋳造砲塔だがより生産時期が前のタイプは「Russia KV-1 model 1942 Heavy Cast Turret Tank(アイテム番号NO.00359)」として、生産時期が同じだが装甲強化型の溶接砲塔を搭載したタイプは「Russia KV-I model 1942 Simplified Turret Tank (アイテム番号00358)」として発売されている。

トランペッターのKVシリーズは、とりあえずバスタブ型に成形された車体底面+側面内壁に、モールドが付加された側面板を重ねて貼るという、「バスタブ成型」と「箱組」の中間のような独特の車体パーツの構成。

バスタブ型の車体基本パーツはシリーズ共通。車体前部上面パーツ・シャーシ後面パーツもシリーズ共通で、側面パーツとエンジンルーム上面パーツ(後端の斜めの面と一体)を別にし、1942年型の車体を再現している。

20180427_110337 20180427_110400

なお、フェンダー支持架は、初期は車体側にリベット(ボルト)接合なのだが、1941年型になってしばらくして(たぶん)、単純な溶接に変更されている。キットの側面パーツは41年型まで共通でリベット止めされた支持架のベロがモールドされていて、hn-nhさんの記事によれば、41年型の場合は削り落とすよう説明書で指示されている模様。42年型の場合は最初からベロのモールドがない(当たり前だが)。

ちなみに上写真で側面後端エッジ付近がちょっと色が変わっているのは、若干のヒケがあったのを修正した痕。

車体前部は小部品の取り付け穴が非貫通で、タイプに合わせて説明図の指定に従って開ける形式。ただし、一部にパーツ共用の弊害も。

車体ハッチは、初期はハッチ周囲がドーナツ状に別体、後期(40年型の後期、装甲強化型短砲塔が載る頃から?)は車体に直にハッチ穴が開けられるようになる。キットはハッチ穴周囲のパーツを別にして形状差に対応しているが、当然ながら、後期型ではリング状に継ぎ目が出てしまうので、砲塔リング保護リブなどを取り付ける前に継ぎ目を埋める必要がある。1940年型末期以降の共通必要工作。

この際、面倒なので前面・側面との間の溶接ラインも一緒に削り落としてしまい、後から伸ばしランナーで再生した。ハッチの内部機構に対応したものと思われる2個の尖頭ボルトも一度削って、作業後に付け直した。

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車体機銃に対応した跳弾リブとアンテナポスト保護リングは、どちらも中央部に雨抜き穴が設けられているので、その部分はそのように再現した。

ちなみに、車体後面下部の湾曲したパーツ(A12)はシリーズ全てで共通だが、実際には、キットのパーツのように下端で車体底面との間に段差ができるのは(多少の前後はあるかもしれないが)1941年型以降。それ以前の生産車では底面に合わせて面取りされている。つまり、こちらは前部上面とは逆に後期型基準になっていることにある(トランペッターが意識していたかどうかは怪しいが)。

もっともその一方で、後面下部パーツにモールドされた牽引シャックル基部は、埋め込みボルト表現のある初期型形質。1941年型の中盤以降(たぶん)、ここは単純な溶接になって埋め込みボルトは省略されているようなので、リング状のモールドは削り落とす必要がある。

▼砲塔

1942年型向けに生産された後期型の鋳造砲塔をキット化。

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タミヤが最初に出したタイプの鋳造砲塔と似ているが、前述のように、側面下3分の1ほどが裾広がりになっていること、後面機銃架周囲がリング状に盛り上がっていることが大きな差異。また、このタイプの砲塔の場合、上面板は普通に乗っているものと、組み継ぎになっているものとがある(後者の方がより後期の生産型か)。キットは御覧のように組み継ぎのタイプを再現している。

もしかしてこのタイプの砲塔は、「下3分の1が末広がりになっている」のではなく、逆に「上部が絞られている」のではないか……その分やや小型化されて、キット名称通りに「軽量タイプ」になっているのではないか……などと思ったりもしたのだが、現存実車の写真を見比べると、42年型(パロラ)では裾部が車体左右のリングガードをはみ出しているのに対し、41年型(アバディーン)ではリングガードの幅内に収まっている。やはりこちらの方が「装甲強化型」という捉え方でいいようだ。

なお、このタイプの砲塔の場合、バッスル下左右端に、「コバンザメの吸盤?」くらいに長大で顕著な湯口痕があり、そのため、バッスル下エッジのラインはかなり波打っている(標準型鋳造砲塔の場合もほぼ同じ個所に湯口があるが、もっと小さくおとなしい)。これはこのタイプの砲塔の大きな特徴でもあるので、ぜひ追加工作したい。

20180325_175411 ●お約束工作。

トランペッターのKVは3カ所の上部転輪が均等幅になっており、それはパーツが新しくなった42年型でもそのまま引き継いでいる。

実際には(ドイツのIII号戦車ほど顕著ではないものの)第1~第2上部転輪間は第2~第3間よりやや広い。きっちり計測したわけではないが、実車写真を見ても第2・第3上部転輪は(下部転輪と比べて)おおよそ正しい位置に見えるので、修正する場合は第1転輪をやや前にずらすだけでよさそう。

以前に書いたが、かさぱのす氏がパロラにある実車2輌にメジャーを当てて測ったところ、第1上部転輪~第2上部転輪間は1,835mmと1,840mm、第2上部転輪~第3上部転輪間は1,735mmと1,730mmだったそうだ。つまり、間隔差は100~110mmで、1:35換算で約3mm、第1上部転輪基部を前方にずらせばよいことになる。

長くなったので続きは次回。

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THE WORLD AT WAR 1:72 III号戦車A型

20180421_214928 ●ミニスケール(1:72)の新レーベル(というか新シリーズ?)、「THE WORLD AT WAR」の第一弾キットのひとつ、III号戦車A型(PANZERKAMPFWAGEN III AUSF.A)を買ってきたので、そのレビューなど。

購入は溝の口のイシハラi-Boxで、税抜き価格で2200円だった。

●実車について。

ご存知「遅れてきた主力戦車」III号戦車の一番最初の生産型。とはいっても、実質的には増加試作型で、10輌しか生産されておらず、実戦参加は1939年のポーランド戦のみ。

キットの箱絵およびデカールに取り上げられている「223号車」がポーランド戦時の写真として有名だが、所属は資料によって第2戦車師団と書かれていたり(GERMAN TANKS)、第1師団と書かれていたり(Wydawnictwo Militaria)。キット同梱の小冊子だと「ポーランド戦時は第1師団所属」らしい。

弱装甲(最大で15mm)と懸架装置の能力不足で、ポーランド戦後は早々と実戦部隊から引っ込められてしまったらしい。懸架装置はスイングアームの中途にコイルバネを配した独立懸架式で、その仕組みだけ見れば有名なクリスティー型サスペンションと一緒。III号A型の登場はクリスティー型よりだいぶ後なので、クリスティー型を参考にした可能性もあるかもしれないが、クリスティー型が車体側面上下幅一杯の長大なコイルスプリングを使っているのに対し、III号A型は申し訳程度の長さしかなく、とてもではないが高速で不整地を走れるようには見えない。結局、この後III号戦車は真打のE型登場まで足回りの試行錯誤を続けることになる。

●「新レーベル」とはいっても新しいメーカーではなく、ポーランドのIBG製で、箱の横にもIBG MODELSと書かれている。

IBGはもともと本体でも72陸物キットを出しているのだが、そちらの履帯もの(例えばトルディとかユニバーサルキャリアとか八九式とか)は部分連結式履帯がセットされている。それに対して、この新しい「THE WORLD AT WAR」シリーズは足回りがざっくり一体成型のロコ形式。要するにウォーゲームの駒にも使える比較的お手軽なキットで、同じくポーランドの72陸物キットシリーズ、「FIRST TO FIGHT」とよく似ている。実車解説の小冊子が同梱されているのも「FIRST TO FIGHT」と同じ。

ただし、「FIRST TO FIGHT」付属の小冊子がポーランド語のみなのに対して、こちら「THE WORLD AT WAR」のほうは(おそらく輸出品用に)英語・ドイツ語併記となっていて、非常にありがたい。版は「FIRST TO FIGHT」のものより僅かに大き目。ページ数は、「FIRST TO FIGHT」が表紙含め12ページなのに対しこちらは16ページ(下左の写真で右側に重ねてある2冊が「FIRST TO FIGHT」のもの)。

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ちなみに、「FIRST TO FIGHTのキットもIBGが作っている」という話をどこかで聞いた気がするのだが、だとしても、「FIRST TO FIGHT」は小冊子に「FIRST TO FIGHT Sp. z o. o.」(Sp. z o. oはポーランドにおける有限会社の略号)と社名が書いてあるので、少なくとも別会社ではあるらしい。

さて、「FIRST TO FIGHT」は“副題”(というかシリーズ名?)に「WRZESIEŃ 1939(1939年9月)」と書かれていることからもわかるように、1939年9月のポーランド戦役に登場したポーランドおよびドイツの車両・砲・フィギュアに特化した展開をしている(今後ソ連物も加わるのかどうかは不明)。一方、「THE WORLD AT WAR」は、第一弾の4種のキットは、

W001 III号戦車A型
W002 II号戦車a1/a2/a3型
W003 突撃砲Oシリーズ
W004 IV号戦車A型
(3、4番目は未発売、あるいは日本未入荷)

車両の時期としては「FIRST TO FIGHT」と重なるが、すべて「その車両の試作型/増加試作型に相当する一番最初の生産型」というとことんマニアックな選択。III号A型は、惹かれはするもののブロンコのキットは高いし、その割に(ネットで見る限り)イマイチ感があるし、35で作るのもちょっとなあ、と思っていたので、このスケールでの手軽なキットの発売は嬉しかった。

また、特にII号a1~3型は、インジェクションとしては初のキット化のはず。ちなみに箱絵を見ると起動輪がb型風に描かれていて若干中身に不安を抱かせるが、中身はちゃんとa型になっているようだ(1~3の違いについてはよく判らない)。今回も、このII号も一緒に入手したかったのだが、イシハラには(もう売れてしまったのか)置いていなかった。

いずれにせよ、今後どういう基準でラインナップを続けていくのか非常に気になる。突撃砲O型がキット化される以上、III号B型はガチか?

●前置きが(しかも単純に比較対象に持ってきた「FIRST TO FIGHT」の説明が)長いし。

まあ、とりあえず中身。枝は大小取り混ぜて5枚。「ロコ組キット」としては、割と小パーツは多め。

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足回りは前述のように一発抜きで、とりあえず転輪・起動輪・誘導輪の表側のディテールは非常に良い感じ。しかし、起動輪の歯部分が「厚切りナルト」みたいになっているのはやや寂しく、ここだけでも表裏分割にしてくれたらなあ、と思わなくもない(まあ、そういうことを言い出すときりがないが)。あとは、「すべての転輪の穴の位置が正確に揃っている」のが、(一度気になりだすと)どうしても気になってしまうが、さすがにこれは修正しようなどと思わないのが無難か。

車体は、工具類は一部を除いて一体モールド。miniart35のB型、C型では当初無視されていた(最近発売の改訂版で追加された)車体前部ハッチ周囲の別体表現もきちんとなされているのはエライ(ブロンコのA型は最初からパネル表現が入っているようだ)。独特のサスペンションも必要十分の出来だと思う。

砲塔のハッチ、クラッペ類は一体成型で、そのため、下辺のエッジは斜めになっている。単純に彫り込むと大きさが違ってしまいそうだし、砲塔ハッチ下には小リベットのモールドもあるので、とりあえずは放置の方針。最も気になるのは連装の同軸機銃で、車体銃と比べても、いくらなんでも太すぎる。さすがにみっともないので削り落とし、フジミ76のI号戦車の機銃パーツと交換した。

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●最初はキットの中身を紹介してそれで終わり、と思っていたのだが、ついつい組み始め、そのまま約1日で組み立てを完了させてしまった。途中、車長ハッチを落として紛失してしまい、半日ほど見つからずベソをかきそうになったのは内緒。

なお、組み立て説明に関しては小冊子のなかにたった半ページで図示されているだけで、図が小さいために取り付け箇所・取り付け方向が曖昧なものもある(車長ハッチなど、方向決めのダボもないのでちょっと困った)。そのあたりは箱裏の4面図や別途資料で補った。

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外形の正確さについてはきちんと測って検証したりはしていないが、後の「本格量産型」III号に比べて何となく間延びした感じのある「増加試作型」III号の印象はよく出ていると思う。

(現時点で)キットに対しいじった部分は以下の通り。

  • 前述のように、主砲同軸機銃を交換。
  • 砲塔上面左右の手すりモールドを金属線(0.3mm)に交換。
  • 砲塔前面のアンテナガードも金属線(0.35mm)に交換。キットにもパーツが付いているが、太い上に単純なコの字形になっている。実物はかなり微妙な形状。作例は左右の角が尖りすぎたかも。
  • 車長ハッチは上面に突起モールドがある方が前。キットのパーツはハッチ両側に突起があるが、実物は左側だけのようなので右は削り取った。
  • 車長キューポラは成型の方向の都合で最前部・最後部の視察口が薄く曖昧になっていたので改めて開口。
  • 後部マッドフラップ内側パーツのエッジを薄々に。
  • 排気口を開口。
  • 前照灯は強度的に不安があったので接続部分を金属線で代替。

なお、本来はエンジンデッキ後半にぐるりとワイヤーが搭載されるのだが、キットでは省略されている。これはこの後付け加えたい。

やっぱりII号a型も欲しいな……。

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獲らぬ狸の

●8日日曜日。灌仏会。要するにブッダマス。極楽寺で甘茶を頂き、忍性塔を見たついでにふらふら散歩。月影地蔵裏から尾根道に上がり、鎌倉山、夫婦池公園と歩いて、最終的に深沢まで。

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鎌倉山2丁目、喫茶店「マウンテン」前の(私にとっては)初見の丸ポスト。鎌倉の数ある丸ポストの中でも、おそらく1,2を争う小洒落た立地。

●11日水曜日。「逗子拾い食いの会」初会合。

facebookの逗子のニュースグループで、身近な山菜の収穫報告をしているうち、「お互いに採ったものを試食しよう」という話になり、鎌倉の焼き鳥屋「秀吉」で焼き鳥を食い、酒を飲みつつあれこれつつく。

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イタドリの「ピリ辛メンマ風」は、私のレシピを元に改良した知人のもの(上写真2枚目)のほうが美味かった。炒める際に紹興酒を使った由。ぬう。資金力の差なのか!?

3枚目はT女史が持ってきた「茹でヒメジョオン」。意外に普通の青菜風。

二次会に小町通の飲み屋さんに行ったら、たまたま、年配のママさんが奄美大島出身だった。

●18日水曜日。

午前中、雨の中、打ち合わせで猿楽町(神田のほうの)。神保町N社に寄って、昼飯を奢ってもらう。

秋葉原に寄って、例によってVOLKS、YSを覗く。最近発売され、欲しいと思っていたRB Modelの35(t)砲身がYSに入荷していたので購入。

●というわけで、RB Model製、3.7cmA-3(ドイツ軍呼称 3.7cm KwK34(t))砲身。

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基本、私は、「キットのパーツはまったく長さが違う」とか「著しくディテールに誤りがある」とか「ひどく型ズレがある」とかでない限り、わざわざ別売の金属砲身に交換したいとは思わないのだが、やはりこういう多孔式マズルブレーキの表現は金属パーツに分がある。これで税込み648円(YSで)はかなりお買い得感がある。

もっとも、ブロンコのLT vz.35/Pz.Kpfw.35(t)/R-2のプラパーツもかなり頑張っていて、そのまま使うのにそう不足はない感じ。それでもわざわざこのパーツを買ったのは、ブロンコにこのパーツを使い、ブロンコのパーツは以前買ったスペシャルアーマーのシュコダ3.7cm KPUV vz.37対戦車砲に玉突き流用しよう、などと皮算用したため。

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写真は1枚目がブロンコのパーツ。スライド型を使って砲口も開口している。2枚目がCMKの35(t)のもの。頑張っているのは確かだが、ランナーゲート部分などちょっと苦しい。3枚目はPassionのCMK用。駐退復座機カバーの代替レジンパーツ入りで、これはこれでCMKに使いたい。4枚目(最後)がスペシャルアーマーの対戦車砲のマズルブレーキのパーツで、つんつるてん。ちなみに砲身はKPUV vz.37対戦車砲のほうが長いので、ブロンコからはマズルブレーキ部分だけ切り取って流用することになる。

(以下4/25追記)

改めてRBの砲身を眺めていたら、マズルブレーキ部分に、縦方向に孔の空白域が存在していることに気付いた。ええっ。35(t)のマズルブレーキって、こんなふうになってたの?――と思って資料をあれこれチェック。

ぱっと見、全周にわたって孔があるようにしか見えないのだが、カレメグダンの現存実車のwalkaroundで、実際、マズルブレーキの下面部分は(通常の写真では確認しづらいものの)本当に孔がない部分があるようだというのが確認できた。写真はこちら

 

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春の収穫

●とある仕事が大詰めに入り、それにかかりきりになってしまったので、当「かばぶ」の更新もすっかり滞り気味。

週末模型親父さんのところの「New Kit Con」も、1か月締め切りが延びたのも関わらず、3月に入ってすっかり作業がストップしてしまったので、結局またしてもリタイア。申し訳なし。

ただし、煮詰まった仕事の「息抜きに」(という名目で)フリウルのKV履帯をつないだり、トラペのKV後期型に手を付けたりはしている。……なんのこっちゃ。

●そんな折ではあるが、ちょうど春の野山の収穫物が佳境。今年はいつも以上にあれこれ採って食べている。

▼下写真は3日火曜日の夕食の「逗子尽くし」の付け合わせメニュー。

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1枚目が集合写真。2枚目はアケビの芽を茹でたもの。いつもは溶き卵で食べているが、この日はからしマヨで。3枚目はノビルのだし醤油漬け。4枚目はイタドリのピリ辛メンマ風。5枚目は、先日、近所の道で会ってその時持っていた収穫したばかりのアケビの芽を進呈したE先生からのお返し(たぶん)の地場のメカブ。基本、海藻およびネバネバ系はあまり好きではないが、これは非常に美味しかった。

▼下写真は昨6日の収穫。

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右からイタドリ、ノビル、白い袋の上はカキドオシ、ハリギリの芽、アケビの芽。

初挑戦のカキドオシはシソ科の植物。今が花の季節で、写真2枚目が生えている様子。まずはハーブティーにして飲んでみた(3枚目)。ハーブティーというもの自体を飲みつけていないが、とりあえず「普通に飲める味」。好きな人は好きそう。4枚目はカキドオシのおひたし(何のことはない、単なるハーブティーの出がらし)。意外に醤油と相性がいいように感じた。「すごく美味い」とは思わないが、まあ、普通に食べられる感じ?

ハリギリの芽も初挑戦。本日夕食で、かみさんに天ぷらにして貰ったが、非常に美味かった。どこかにもっと生えてないかな……。

▼イタドリの「ピリ辛メンマ風」は、今年初めて作った料理。イタドリについては、もともと「柔らかい穂先メンマみたいな食感」だと思っていて、「それならいっそ、そのままの味付けにしたらいいんじゃね?」と思いつき、水煮の筍ベースのピリ辛メンマのレシピをアレンジして作ったもの。

結果――実を言うと、イタドリに関してはそこそこ下処理が面倒なため(皮むき・下茹で・あく抜きが必要)、「旬のものだから、とりあえず1度くらいはありがたく食っておくかな」レベルだったのだが、これなら多少手間をかけても何度でも食いたい!という成功作に。

かみさんも美味いといい、義妹も絶賛。FBでレシピを教えた地元の知人も「バカウマ」と評してくれた。

その知人からのフィードバックも合わせ、最新のレシピは以下。

① イタドリを収穫。地面から30~50cmくらい伸びていて、少なくとも1.5~2cm以上くらいの太さはあるもの。まだ固くならず、節の部分で「ぽくっ」と折れるものを収穫。今回は10本ほどを使用。

② 皮をむき、芽先を落として下ゆで。芽先も食べられるが、今回は不使用。色が淡く変わるくらいに茹で、その後、水にさらしてあく抜き(シュウ酸抜き)。数回水を変えながら、一晩さらす。

③ 適当な大きさに刻む。味が染みやすいよう斜め切り。

④ フライパンにごま油を引いて、種を除いて刻んだ鷹の爪(1本使用)を投入。火をつけて、鷹の爪の周りが泡立ってきたら刻んだイタドリを投入。

⑤ 料理酒、みりん、醤油(それぞれさっとかけ回す程度)、中華鶏ガラスープの素の顆粒(小さじ2くらい?)で味付け。おろしにんにく、おろししょうがを少量。さらにラー油をかけ回して辛さを調整。

⑥ 火からおろし、タッパーなどに入れ、冷ますとともに味を馴染ませる。

20180405_135935 ●4日、打ち合わせで赤坂見附。そのまま川崎の実家で一泊(半蔵門線~田園都市線1本で便利なため)。母の愚痴をいたりなんだかんだ。

帰りに横浜で、こんなガチャを見つけた。

欲しい! 丸ポスト(郵便差出箱1号(丸型))限定で欲しい! しかし、見たところ7種類あるうちの1種では、分が悪すぎる……。

ちなみに。

以前ここにも書いたような気がするのだが、かなり欲しい気がするバンダイのガシャポン、「東京地下鉄立体路線図」は、ガシャポンコーナーを何カ所か注意深く見ているものの、まだ一度もお目にかかったことがない。

20180407_163103 ●何のはずみか、義妹がクロアチアに旅行に行って来て、その土産に写真のようなものを貰った。

袋入りの粉末で、おそらく調味料か何からしいが、義妹曰く、「これを掛ければ何でもたちまちクロアチア味になるらしい」のだが、その義妹自身。「どう使ったらいいのか全然分からないから、調べて分かったら教えてね」……ヲイ。

とりあえず調べてみたところ、袋の後ろには「リュブリャナ」と書いてあったので、クロアチアではなくお隣のスロベニア製? もっとも元から仲のいい隣国だし、食文化的には一緒かも。裏面の説明文も、クロアチア語/ボスニア語と、スロベニア語の併記だった。

とりあえず、右は(たぶん)「1kgの鶏肉に一袋の内容を振りかけ、必要であれば擦り込んで、30分置いてから焼く」もの。左は、肉、魚などさまざまな料理に、調理前にティースプーン1杯(3g、1人前250mlあたり)かける」ものであるらしい。

……いや、なんだかますます謎だなあ。と思ったら、なんと「ベゲタ」としてwikipediaにも出ていた。発祥はクロアチアで、約40か国で販売される人気調味料らしい。怖いもの見たさ(味わいたさ)半分で、ちょっと楽しみになってきた。

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