御堂筋

●17日金曜日から2泊3日で大阪。

某国研主催の合宿イベントにスタッフ(の端っこ)として参加のため。

大阪に行くのは10年ぶり? いやもっと? などと思っていたのだが、改めて調べてみると、少なくとも8年ほど前に一度行っていた。もっともこの時は行き先が吹田の阪大で、新大阪を降りていきなり北上してしまったため、大阪の中心市街地に行くのは、やはり10年ぶり以上かもしれない。

今回の行き先は御堂筋沿い、淀屋橋と本町の中間くらい。泊りもすぐ近く。御堂筋はちょうど年末のイルミネーションの期間に入っていて、夜はイチョウ並木が派手にキラキラ。

そしてそのイルミネーションの写真ではなく唐突にマンホールの写真2枚(イルミネーションの写真も1枚撮ったのだが、微妙にブレていた)。

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久々の大阪で、今頃気付いたこととか改めて思ったこととか。

  • 今まで「御堂筋は、なぜ御堂筋という名前なのか」というのを(なぜか)考えたことがなかったのだが、淀屋橋から本町に下る途中で「北御堂」の前を通り、「ああ!これがあるから御堂筋なのか!」と改めて思った(正確には、その先の「南御堂」と合わせて、だが)。
  • 御堂筋って、あんなに広い道路なのに一通だったのね。
  • 週末ということもあってだが、土曜の晩に御堂筋を歩いていたら、暴走族がけたたましく走って行った。大阪って、こんな街のど真ん中に暴走族が出るの?
  • 我々以上の世代で大阪出身者以外だと、「御堂筋」という地名を知ったのは欧陽菲菲で、という人が多いのではと思う。ただ今回は「普通に降っている」か「からっと晴れている」かで、歌詞のような小糠雨のシチュエーションはなかった。調べてみて初めて知ったが、「雨の御堂筋」ってベンチャーズがオリジナルなのね。
  • 本町まで歩いて、高速の高架下にある商業ビル「船場センタービル」を見て、いまさらのように「ああ、この一帯が船場だったのか」と知る。何か、東京でいえば茅場町とか人形町のような問屋街を(勝手に)イメージしていた。まあ、お店(たな)が集まっていた場所といえば、東京でも日本橋だもんな。
  • 一帯の街区は碁盤の目で、大阪城(東にある)を基準に縦(東西)の道路が「通」、横(南北)の道路が「筋」で、もともとは縦の「通」が表通りだったそうだ。2へーくらい(古い)。
  • 3日目の日曜日、淀屋橋から京阪に乗ったが、「京阪のる人、おけいはん」のポスターやら何やらを見ず。「ああ、もう、おけいはんっていなくなっちゃったのか」とちょっと寂しく思ったが、調べてみたらちゃんと「8代目おけいはん」が現役であるらしい。

Img20231118123145 ●せっかくこんなに近くまで来たんだから!ということで、2日目の昼休みと、3日目のイベント終了後の2回、久しぶりに本町のホビーランドに行く。

「**があったら絶対買おう」という宛も特になく、ちょっとムラムラ衝動買いしたくなるネタはないではなかったが、結局何も買わなかった。

とはいえ、相変わらず品揃えのいい、しかも店内スペースがゆったりしていてあれこれ見やすいお店だなあ、という印象。これならアオキも通路に詰まらん。

●これまたせっかくの関西、しかも3日目は割と早めに仕事が終わるということもあって、はるとまん(たまん)氏に連絡を取り、京都駅で待ち合わせる。生身のはるとまん氏に会うのは、それこそ何年振りやら(オンライン飲み会では数か月ごとくらいに会っているが)。目の疾病の悪化で白杖を突いているたまん氏だが、それを除けばまあまあ元気そう。お互い歳はとったけどね。

京都駅近くのヨドバシでたまん氏の買い物に付き合った後、上階の居酒屋で差しで飲み食い。

おそらく30年くらい借りっぱなしだったホビージャパン1冊(大塚康生先生のガンポーティの記事が掲載されている号)をようやく返却。もう1冊、エデュアルドのモランソルニエNの記事が出ているモデルアートを借りているらしいのだが、そちらは(出張前の晩の数時間の捜索では)見つけられなかった。

Img20231122013944 逆に、たまん氏から資料本を一冊頂く。「このネタならこの人だよなあ」の安定のザロガ先生本。一冊返して一冊貰ってるんじゃ世話ないなあ。

●たまん氏との酒席の話あれこれ。

最近とみに粗製乱造されている「なろう系」アニメについて、たまん氏の愚痴を聞いたり、「**はひどいが**はいい」とか意見交換したり。

「四式戦疾風が687km/hを記録した」という話を初めとして、大戦末期の日本軍機が、米軍による試験で、ハイオクタン燃料を使って高性能を出した話はいろいろあって、従来の当該機の資料には必ず引かれているくらいなのだが、どうやらアレは誤報だったのだそうな。

米軍側の資料では当初推計値(計算値?)が書かれていて、その後実際に飛行して計測が行われれば書き直されるのだが、疾風その他の場合は当初の推計値がそのまま書かれており、それが「実測値」と誤解されて広まってしまったというのが真相なのだそうだ。まあ、そもそも工作不良が続出している大戦末期の日本機のエンジンに、いきなりハイオク燃料突っ込んで全開とか、怖くてなかなかできんわな……。ネットに上がっている話だそうなので、もっと詳しく知りたい人は検索するよろし。

似たような話で、大戦末期のドイツ機、例えばフォッケウルフ190D(長っ鼻ドーラ)も、「実はそんなに評価は高くなかったらしい」とか。

そのへんも含めて、「昔はこれが決定版!とか言われてた資料が、今ではもう古いってのが多いよなあ」と言い合う。「根っからのドイツ機マニアでもないのに、なんでそんなもん持ってるんだって話だけど、うちにはMONOGRAM Close-UpシリーズのBf109本が何冊かあるんだよ」と言ったら、たまん氏に「いや、本当になんでそんなもん持ってるんだよ……」と呆れられる。一冊一冊は薄いし高い本でもなかったから、何かのはずみに買っちゃったんだよな。でもすごく評価高かったよねえ、あの本。今はまるっきり二束三文だろうなあ。

逆に、「最近になって、『**は**だった!』と話題になっていることが、実は**年の記事にもう出てるんだよ」という例もある、という話を聞いたり(何がそうだったかの具体例は忘れた。役立たん)。

たまん氏が秘蔵している「ちょっとやばいブツ(法に触れる物ではない)」の話を聞いたり。その昔、たまん氏の腹の「ブヨブヨ感」を笑っていた青木氏の体重が「それどころじゃない」状態になっていることを報告したり。エトセトラエトセトラ。

●ちなみに。

冒頭2行目に「某国研」と書いたが、国研は「国立の研究機関」の略として使っている。……という用法が普通だと今まで思っていたのだが、デジタル大辞泉には、国立国語研究所もしくは国立教育政策研究所の略称としか出ていない。

もっとも内閣府のサイトにも「国研のチャレンジ」としてさまざまな国立の研究機関(正確には国立研究開発法人)が紹介されているから、私の用法は間違ってはいないはず。デジタル大辞泉、なんで狭義しか出てないかね?

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NOIW AND THEN

●11月2日付で、ビートルズの“新曲”、「NOW AND THEN」が発表された。

すでにビートルズが解散して50余年、ジョン・レノンが亡くなって40余年、ジョージ・ハリソンが亡くなってからでも20年以上経つ。

発表された“新曲”は、90年代の「アンソロジー」に収録された「REAL LOVE」と「FREE AS A BIRD」同様に、ジョンが残したデモテープの音声データを加工し、新たに演奏やアレンジを重ねたもの。

 

世の中的には「新曲が聞けて嬉しい」「こういう形であれビートルズが復活して感激した」的な声が大きいような感じだが(プロモ込みのニュースの論調でそうであるだけかもしれないが)、私自身としては、何度か聞いているうち、

「未完成の歌をいじくりまわして無理にサイボーグ化して生かすよりも、もう、そのままそっとしておいてあげようよ……」

という気になった。

「REAL LOVE」、「FREE AS A BIRD」に関してはそこまで思うことはなかったのだが、「NOW AND THEN」ではなぜことさらにそう感じたのか、後付け的にいろいろ考えてみる。

「REAL LOVE」、「FREE AS A BIRD」の場合は、曲がりなりにも1曲として完成しているが(サビでポールやジョージがボーカルを取っている部分も、元のデモテープでジョンのボーカルですでに入っている)、「NOW AND THEN」はそれらに比べ完成度が低く、元のデモから「あまり練られていない部分」をごそっと削り落とし、残った部分をあまり不自然にならないように繋いだだけ……な感じ。まあ、悪くはないかもしれないが、なんだか平凡?

ビートルズの曲のうち、ジョンとポールの共作は、特に後期になるにしたがって、相手の作った部分に「合わせる」のではなく、むしろ場合によっては「打ち消してやろう」くらいの気持ちで「競う」イメージがあって(私が勝手に思っているだけかもしれないが)、それが緊張感や曲の面白みに繋がっている、と思う。しかし、今回の「NOW AND THEN」には、そういう“尖った”新作部分もなく、なんというか、ジョンの原曲の雰囲気を壊さないように綺麗に繋げてみました、くらいの感じで、あまり面白みがない。

もともと、アンソロジー・プロジェクトにおいて、「NOW AND THEN」も「REAL LOVE」「FREE AS A BIRD」とともに「新作候補」に上がっていたものの、ジョージが反対し、この時はお蔵入りになったのだという。その理由について、「当時の技術ではジョンのボーカルを綺麗に抽出できなかったから」としているニュース等もあるが、、wikipedia記事には、「ジョージがやりたくなかった理由は、この曲にボーカルを多重録音したり、ベースやドラムを少し重ねて完成というものではなく、ジョンが作ったわずかなパートを基にほとんど1曲を作り上げることだったからだ」(とあるスタッフの証言)、「でもジョージはこの曲をやることを望んでいなかった。最も良い方法はジョンともう一度取りかかるほかなかったから」(ポールのインタビュー)などのコメントが引用されている(wikipedia記事の注釈)。

実際、この新たに出来上がった「NOW AND THEN」を聞くと、ジョージの反対は妥当だったと思う。何というか、ジョージも亡くなったからこそ、ポールのやりたい放題で出てきた曲というか。さすがに「これからもビートルズで儲けたい」などとは思っていないだろうが、「何か出し続けていたい」というポールの妄執のなせる業というか。

曲と同日に発表されたMVも、今日の技術を使って非常に美しく作られている。「REAL LOVE」「FREE AS A BIRD」のMVは、ビートルズとその時代、ビートルズのさまざまな曲の中の風景をコラージュして振り返るといった内容だったが、「NOW AND THEN」のMVは、曲作りの光景の中に、在りし日のジョン、ジョージ(そして過去のポールやリンゴ)の姿を散りばめて、「彼は今もそこにいる」を印象付けることを真正面に打ち出したもの。

いや、よく出来ている……し、ファンとしては見ていてじーんとしてしまうのは確かなんだけれど、一方ではあざとさも感じる。

いや、「せっかく新曲が出たんだし、それだけで嬉しいんだからぐちぐち言うなよ」と思った方がいたら、どうも済みません。

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東京AFVの会2023

●「今年は早いんだよなあ」と判っていたはずなのに、具体的な日付を忘れ、ケン太さんのコメントで大焦りした東京AFVの会。

一昨日時点では、「行けるかどうかは今日のこれからの頑張り次第?」と書いたのだが、結局、その「今日(一昨日)」はあまり頑張らなかったのだが、なんだかんだとやるべきことを全部放り出したまま、昨日は下北沢に向かってしまった。

「開催日も忘れてたくらいだし、実は会場もいつの間にか変わってないだろうなあ」などと急に不安になって、行きの電車の中であわてて検索してみたが、会場は例年通り北沢タウンホールで安心した。

前回書いたように、展示すべき完成品は何もないので、のんびり家を出て、昼過ぎに現地着。そういえば、今年のテーマは「1930年以降の英語圏(の車輛)」とかだったはず。それを念頭にアルビオン燃料補給車を作っていたんだったっけ、と改めて(現地で)思い出したりする。ダメダメな感じ。

●現地で作品をつらつら眺め始めたあたりで、ハラT青木氏ほか、昼食から帰ってきた旧知の人たちに会う。

「青木さん見て、どう思います?」

と誰かに聞かれたが、いや、もう、見るたびに膨らんでいっているように見えるのはいつものことだから! 赤色巨星の道を歩んでるから! つーかマジ身体に気を付けてくれ。

ミカンセーキさんと「お互いブログの更新もせず……」と傷を舐めあったり、ケン太さんにM1エイブラムスを強く薦められたり(作らないってば!)、M.Nさんやめがーぬさんにいきなり作品解説を強要したり。当ブログの製作記が出発点のhiranumaさんのwz.34装甲車が完成していた。やはりコツコツ着実に作る人は違う。

会場で、ものすごく久しぶりに“ラスカン”高橋さんにもお会いした。

●例によって、まったく網羅性はなく、写真に収めるにあたっての基準なり一貫性なりも全くない作品集。とりあえず友人知人のものを中心に、適当にその場で「んー。これいい」と思った作品とか、好きな傾向のアイテムとかを撮っただけ。ジオラマやフィギュアの写真が(改めて見返すと)少なかったりなかったりするのは仕様です。

今年のAFVの会の力作といえばアレだろう! なんで撮ってないんだ! 貴様の目は節穴か!?

と思う方がいるかもしれませんが、はい、その通りです、と言うしか。

とりあえずは友人知人の作品から。

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めがーぬさんのディアーナとMk.I。いずれも72。ディアーナはACE、ディテールはよいものの(型ズレがあったりで)難キットである由。Mk.IはMBで、私も雌型を組んだが(組んだだけで塗っていない)、非常にきっちりくっきりした佳作キット。めがーぬさんの作品は中東仕様?(フランス・ソンム戦線の仕様だそうです。どうもすんません)

ミカンセーキさんのタミヤの軽装甲機動車(←名前があやふやで今調べた)。「高速でよく見かける仕様(アンテナ位置) 」に小改造してあるとか。ミカンセーキさん、現用も作るんですねえ。

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M.Nさんのトルディ・ジオラマとケン太さんのIV号F型VORPANZER仕様。トルディ&オペル・オリンピア(だっけ?)のジオラマは以前のSUMICON参加作品。よくあのボキボキ折れる履板パーツを、こう滑らかに地面になじませて繋げましたね、と言ったら、「フリウルに交換した」とのこと。あー、やっぱりあれは扱いづらいよねえ……。

ケン太さんのIV号はボーダー。この辺の新興メーカーのキットは一つも買っていないが、ケン太さんの感想だとそこそこいい感じ? ただ、改めて写真を見ると、車体後部のクリーニングロッドの本数が、長砲身向けのような(キットのパーツがそうなっているらしい)。

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精力的に作品を完成させているなあ……と感心するシェルさんの中東もの三作と、悪評高いドラゴン黒箱シリーズのコンカラー。南レバノン軍のT-55の青は、一応これでも現地の岩砂漠?に合わせた迷彩色だそうで、そんなことが書かれた資料も見せてもらった。コンカラーは輸送途中に「転輪が1つ取れた」そうで、取れた転輪は「(接着せずに)置いてあるだけ」だそうだ。展示会作品輸送あるある。

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1枚目は中尾さんの1:15、イマイのIV号。facebookなどでも見ていたが、「小学校の頃に買って作って、しまってあった作品を、改めて、どうしても気になる部分に手を入れて(かつラジコン仕様にして)作り直したもの」。中尾さん、いつも思いますが物持ち良すぎです。スケールモデルとして手を入れた個所は、主に砲塔プロポーション。元の今井のキットの特徴は残しつつ、見栄えよく仕上げていて、「懐かし部門」1位になっていた。っていうか、「懐かし部門」は中尾さんの独壇場(昨年はコロナ罹患でお休みされていたが)。

2枚目はhiranumaさんのwz.34。出発点は前述のように当ブログの製作記だが、私は工作7~8割のところで止まったまま。その残りの部分を中心に、結構解釈の違いなどもあって面白い。私が「銅板で作るかなあ」と材料の手当てだけしてあるフェンダーは、薄いプラバンをしごいて曲げているそうだ。

3枚目はむーさんのフィアリー企画製?のちよだ装甲車(+スキ車)。あとの3枚は、その横に並んでいた、別の方のフェアリー企画製装甲車3輌。フェアリー企画なのに綺麗にできている……。棚の奥底に沈んで行方不明の私のウーズレー装甲車も、そのうち成仏させたい。

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あとは、適当に撮り残してあったものをだーっと。マチルダIは昔のアキュリットのものだそうな。試作のみに終わったズリーニイIは、まさにその試作感を前面に出したジオラマ。こういうのって、私は一生作れないだろうなあ。その次はT-64……のB型?(あやふや)。追加装甲のおかげで、小さな砲塔がますます小さく見える。

次2枚はブラチのソミュア・ハーフトラックの自走砲。私が以前作ったものはこれの原型にあたり、足回りは同じなのだが、さすがブラチのものは足回りのパーツのいちいちがシャープ。羨ましい。

その次はアヴェンジャー? 工作途中だが、こういう工作途中は見ごたえがあって楽しい。うーん。工作綺麗だなあ……。

●M.Nさんから見せてもらった、「まだ未完成ですよ」のIBGの1:72 ズリーニイと、昨年も見せてもらった、FC Model Trendsの1:35 グノーム・エ・ローンのサイドカー。これ、切り離す以外にほとんど「工作」するところ、ないよね……。

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FC Model Trendsといえば、先日久々に行った秋葉原のイエサブで、タミヤのユニバーサル・キャリア用の、足回り代替パーツ(履帯と転輪・起動輪・誘導輪が一体成型されたもの)を見たのだが、履帯のガイドホーンが痕跡程度しかないうえに、履帯の接地面のリブも薄く、履帯全体がなんだかペラペラした印象だった。「あれって、そういう仕様の履帯があるわけじゃないよね?」とM.Nさんに聞いてみたが、M.Nさんも「そうじゃないのでは」との返事。3Dプリントの「ミスプリ」みたいなものなんだろうか? さきほどFC Model Trendsのサイトで商品画像を見てみたら、きちんとガイドホーンは生えていた。とにかく、3Dプリント製品にはそういうケースもあるのかも、という注意喚起を兼ねて。

●話のタネに持って行ったドラゴンSU-100の作りかけを、青木氏に

「ククク……何か言うことがあれば言うてみい。ほれほれ」

という気分で見せたところ、開口一番、

「この砲身、戦後型ですよ」

とバッサリ斬られた。ぐは……(血)。

もともと、kakudouさんから頂いた金属砲身を有効活用するというのが製作開始のきっかけの一つだったりするので(もう一つは、やはり頂き物のminiarmのレジンの転輪)、「どうすんだよコレ」状態。いやまあ、戦後型だということなら、なんとか戦中型にするしかないんだけれども。

さらにその後、ラジエーターグリルの一か所が内外逆に接着してあることも判明(老眼工作の弊害)。追加ダメージ+5。

なお、グリルに関しては、マンリーコさんに伝授された「秘技エナメルシンナー剥がし」で無事に取り外すことができ、正しい向きで再接着できた。よかった……。

●閉会後は、毎年の通り皆でサニーに寄って(何も買わず)、その後、「鳥貴族」であれこれ模型談義(+α)。メンバーは青木氏、ケン太さん、ミカンセーキさん、めがーぬさんと私の5名。ケン太さんが結構ちまちまと手を入れて製作中の、フジミ76のJS-II・1943年型を見せて貰ったりする(写真を撮り忘れた)。喫茶店にハシゴしてさらにあれこれ喋って解散。では諸君、また何かのイベントの折に~。

●なお、東京AFVの会の来年の課題は「砂漠」だそうだ。ネタ……ぱっと思いつかん。いや、別に完成させるなら課題作じゃなくてもいいんだけどさ。

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ずしのむし

●すっかり御無沙汰ですが生きてます。

(前回も書いたが)季節労働の追い込みはいよいよ切羽詰まってきており、地域の自治会役員の仕事も滞っていて、もう泣きそう。

そして、先日ケン太さんからコメントを頂くまで開催日を忘れていた「東京AFVの会」が、もう明日(それ以前に何度かネットで確認して、「今年はだいぶ早いぞ」と思っていたのに)。行けるかどうかは今日のこれからの頑張り次第? 行けるとしても、当然ながら、持っていく完成品は何も無し。

●表題の話。

当ブログにもしばしば載せているように、あちこち歩き回る合間に虫(主に昆虫だが、その他の小動物含め)の写真を撮るのが、模型ほどではないにしろ趣味の一つ。

写真それ自体はまったくの我流だし、機材も何も追加していないスマホのベア状態の撮りっ放しでしかないのだが、それでも、「数撃ちゃ当たる」式で、たまにはなかなかいい(自画自賛)クローズアップ写真が撮れる。

そんな写真が、「まあまあ」以上を選んでも300~400種類分くらいは貯まってきたので、特にご近所(逗子市内+α)のものを、写真と短い解説文でまとめておきたいと思うようになった。逗子に引っ越してきてからすでに30年近く、虫の写真を好んで撮り始めてからでも10数年は経っているが、その間にも、「最近、アレ見ないなあ」とか「やけにアレが増えてきたなあ」など、変化を感じることも増えて、何かしら記録に残す意味もあるのでは、と考え始めたのも理由のひとつ。

実を言うと、数年前にもそう思って何ページか分は試しに作ってみたのだが、2年前?のHDDクラッシュで見事消失。もっともその後も虫の写真は貯まり続けているので、「なんとかしとこか」という気持ちがまたもたげてきた、という次第。

Sample01改めて1ページ作り直してみたのが右だが、もともとレイアウトのセンス等はあまり備わっていないので、「暫定の暫定案」程度。今考えているところとしては、

  • 制作に個別に手間は掛けたくないので、できれば統一フォーマットを作って、そこに写真と文章をはめればOKという形にしたい。
  • ただし、写真は横位置と縦位置のものが混在している(撮った時の対象の姿勢などにも関わっているので、これは仕方がない)ので、少なくともそれぞれ用のフォーマットは必要になる。
  • また、使っているスマホの機種変更によって、縦横比が違う写真がある。できればトリミングなどの余計な手間は掛けたくない(が、そのまま使うとなると、ここでまたフォーマットが2種増えてしまう)。
  • できれば「写真1枚+文章」に収めたいが、種によっては2枚以上の写真を使いたいものもある(性的二形の差が大きいとか、翅の裏表を見せたいとか)ので、それへの対応も課題。
  • とりあえずはPDF形式にしてデジタルで保存するだけでなく、プリントしてバインダー形式にしておく?(と、目・科・属別に整理した時に、後から追加しやすい)

などなど。

Img20231005163910 ●相変わらず、プレッツェル(ブレーツェル)のマイブーム継続中。

前回記事で、スナックタイプのプレッツェルのトルコ産のものを紹介したが、パンタイプのプレッツェルも、横浜駅CIEL内のパン屋、トムキャット・ベーカリーでも売っているのを知って試してみた。

見た目はちょっとふっくらした感じ(お店のサイトに出ている写真とずいぶん感じが違うのはどうしたわけだろう?)。食べてみた印象は……。

「普通に美味しい塩バターパン」

の感じが強い。いや、一般的にはこっちのほうが「美味しい」と思う人は多いかもしれないんだけど、正統的な「ブレーツェル」感は鎌倉の山田さん(Bergfeld)に負ける。でもって、私は山田さんのほうが好き。

Img20231102132608 ●模型話もちょっと。

(割としばしばそんなことを言っているが)仕事が煮詰まっているときは「しっかり考証しながら工作を進める」のではなく「無心に単純作業をする」のを息抜き代わりにすることが多い。

今回それで取り出したのは、ハセガワの1:8「ル・ローヌ110馬力エンジン」。

同社がかつて出したミュージアムモデル(と銘打った)、フォッカーDr.Iからの別売で、同じくフォッカーDr.I搭載のシュパンダウ機銃、シリーズの別製品ソッピース・キャメルF.Iからの別売として、クレルジェ9Bエンジンとヴィッカース機銃も出ていた。

その昔、シュパンダウとヴィッカース機銃は作った(そしてどこか行ってしまった)。クレルジェは未組立で棚で仮眠中(熟睡中?)。

ル・ローンは初期のもっと低馬力のものも含め、多数の航空機に搭載された大ベストセラーのフランス製ロータリー・エンジン(マツダのそれではなくて、「エンジン自体が回る」という意味のロータリー)。フランス製なのに、なんで敵国ドイツのDr.Iに載ってるねん、という話だが、これは第一次大戦前にきっちりライセンス契約が結ばれている。もっとも、110馬力の9Jが開発されたのは戦争が始まってからだから、やはり若干のパチモン要素はあるかもしれない。

個人的には、ハセガワは(もちろん国内メーカーだけにある程度以上の質は保持されているものの)「ちょっと信用ならないところがある」印象があるメーカーだが、このル・ローンはそれなりによくできていると思う(と、言い切れるほどル・ローンのエキスパートというわけでもないが)。とはいえ、組立上の一大課題は、張り合わせ式のシリンダーの、細かいフィンの間にしっかり張り合わせラインが出てしまうこと。

ナイフでほじほじというのも間に合わないし、極細のヤスリも入らないので、結局は800番のペーパーを2つ折りにして、その折り目部分を突っ込んでヤスリ掛けをした。

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左写真、左側が作業後、右側が作業前。それなりに目立たないレベルまで消せていると思う。

なお、数日前、この作業をしながら何の気なしにシリンダーの数を数えたら、本来9本あるべきところ、8本しかない! 作業の途中で失くしたのか? それとも、そもそも過去いじっているときに、どこか別の場所に間違えて入れてしまったのか? ……と思って焦ったのだが、しばらくして、自分が座っているすぐ脇の、別の模型箱の上に1つぽつんと立っているのを発見した。

というわけで、めでたく9本に戻った記念撮影が右写真。手前右に転がっているのは、ル・ローンのシリンダーのヤスリ掛けの前に作っていた、SU-100用の増加燃料タンク。「それこそ、パーツを張り合わせるだけだろう!」と言うなかれ。SU用のタンクはちょっと面倒なのだ(という話はまたいずれ)。

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業平橋

●毎年夏~秋は季節労働で忙しく、しかも今年は地域の自治会役員の仕事も仰せつかってしまったために(だいぶさぼっているが、逆にそのために節目節目にやることが溜まる)、当「かばぶ」更新もすっかりご無沙汰。

この夏~初秋は、このところ例年行っていたヒメクルミ拾いにも行っていないし、(こちらはまだ間に合うだろうが)銀杏拾いにも、カヤの実拾いにもまだ行っていない。

●模型製作に関しては、しばらくサボっていたSU-100制作を復活させて、現在は後部の増加燃料タンクをいじっているところ。ある程度進んだ時点で報告予定。

Img20231003120044 ●3日火曜日、仕事で墨田区に行く。

京急からの直通で都営線の「本所吾妻橋駅」で降り、約束の時間よりもだいぶ早く着いてしまったので、しばらく周りをうろうろ。首都圏在住者なので割と日常的に、遠目にスカイツリーを見る機会は多いが、直接そこを目的地に行ったことはなく、今回、これまでで最も接近した。

行き会う外国人観光客が皆スカイツリーを仰ぎ見て記念写真を撮っているのに倣って、私も撮る。お上りさん感たっぷり。

スカイツリーの断面形は根元付近で三角形、それが上に行くにしたがって丸みを帯び、上部では円形断面になる、というのがデザイン上の特徴となっている。それがまた日本刀の反りにも通じる美しさの演出、みたいな話なのだが、たまたま根元の三角の一辺もしくは角に真っ直ぐ向き合っていない場合にはシルエットが歪んで見えて、なんだか不安を感じさせるため、個人的には「そんなに褒めるようなとこ?」と思わなくもない。

Img20231003115052 ●同じく、その近所で通りかかった「業平橋(なりひらばし)」。

橋の名前には以前から馴染みがあり、同じく在原業平に関連した名前で、隅田川花火大会の際にも名前がよく出る言問橋(ことといばし)同様、なんとなく、隅田川に架かる大きな橋なのだろう的なイメージを抱いていた。出会ってみると、位置的にも大きさ的にも「え? こんな場所? こんな橋?」という感じ。

実際には隅田川の東側にある運河・大横川に架かる短い橋で、しかも橋の下の大横川は(少なくともこの前後では)埋め立てられて公園になっているため、すでに「川に架かる橋」ですらない。

そもそもなぜ「業平橋」という名前に聞き覚えがあったのか、改めて思い返してみると、どうやらスカイツリーの最寄駅である東武線の「とうきょうスカイツリー駅」の旧称が「業平橋駅」だったためのようだ。ちなみにこの「とうきょうスカイツリー駅」は、明治35年の開業時は「吾妻橋駅」、その後「浅草駅」、「業平橋駅」、「とうきょうスカイツリー駅」と、ずいぶん駅名変遷が激しい(それだけ歴史も長いが)。

「え? 浅草駅って別にあるよね?」と思ったが、「浅草駅→業平橋」の改称は、延伸により「浅草雷門駅(現:浅草駅)」が開業したためとか。

ちなみにスカイツリーのすぐ足元を流れている川(運河)は北十間川で、前出の大横川は、この北十間川から枝分かれしたもの。

●今頃になって、「隅田川と墨田区って字が違うじゃん!?」と気付いた(気づかされた)。迂闊でありここが戦場なら即死(久しぶりの定型句)。

●仕事後、「ポケモンgo」のルート探索も兼ねて、ぶらぶらと両国~浅草橋まで歩く。

左写真はその途中で見かけたデザインマンホール蓋(親子蓋)、右は両国駅前で新たにゲットしたマンホールカード。

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左のマンホール蓋については、「墨田区なのになんで神奈川沖?」と思わなくもないが、これは「すみだ北斎美術館」脇に設置されたもの。北斎は生涯のほとんどを本所界隈で過ごしたらしい。同じく北斎「富嶽三十六景」のうち「凱風快晴」のデザインマンホール蓋も両国駅前にあるとかで、昨日はその真上も歩いたはずなのだが気付かなかった。

●両国駅近くのスーパーで、比較的小さめの冬瓜が一個198円で売られていて、一瞬「安い!欲しい!」と思ったのだが、小さめとはいえ冬瓜丸ごと一個を逗子まで抱えて帰ることを思うと気持ちが萎えて買わなかった。

●両国から浅草橋まで歩く途中、「柳橋」脇を通り掛かる。

「柳橋から 小舟を急がせ …… 舟から上がって土手八丁 吉原へご案な~い」

という小唄だか端唄だかは知っていたが、こんなとこにあったのね。神田川が隅田川に合流する、最も出口際にある橋だった。両国から浅草橋方面に行く場合には、両国橋で隅田川を渡ってすぐ右手にある。

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元禄年間に最初の橋が架かり、その後明治になって出来た鋼鉄橋は関東大震災で損壊。現在の橋は昭和4年(1929年)に架けられたものである由。橋の構造等々詳しくはないが、「下路式・鋼製ソリッドリブタイドアーチ構造」という形式だそうで、一面に打たれたリベットが素敵。特に側面(3枚目写真)にびっしり打たれたリベットが、真っ直ぐではなく微妙に曲線を描いているのがちょっとオシャレな気がする。

上記の歌詞に従うと、ここで小舟を仕立てて墨田川本流に出て、数キロ川を遡上。浅草寺を過ぎ、山谷堀の出口で舟を降りて、日本堤を1キロ弱?(八丁)歩いて吉原まで遊びに行く、ということになる。

Img20230924194027 ●プレッツェル(ブレーツェル)がすっかり癖になってしまって、鎌倉に行くたびにUnionで買っている。Bergfeldのパンタイプのものも、諸物価高騰の折、9月以降190円から220円に値上がりしてしまったが、やはり時々買っている。

ちょっと前に、逗子の業務スーパーでトルコ産のプレッツェル(種名は英語表記なのでPretzel)が売られていた(写真右)。若干安いうえに量も多くて「ラッキー!」と思ったのだが、食味が軽くて、塩気も「絶対、これを大量に食べ続けたら健康に悪いよな」という凶悪さに欠ける(しばしば食べているドイツ製Brezel(写真左)に、やや「プリッツ感」を足したとでも言えばよいか)。不味くはないが「オレが求めているプレッツェルでは無し!」という感じ。

……にわかの癖に、何を一丁前にプレッツェルを語ってるんだか。

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シブリ汁に挑戦

●カワセミというと山奥の清流にいるようなイメージがあるが、逗子・鎌倉近辺では、実はそれほど珍しい存在ではなく、街の中を流れる川辺で時々見かけることがある。

とはいっても、ブルーメタリックに輝くその姿はやはり格別で、出会うとなんだかとても素敵なご褒美を貰ったような気になる。

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上2枚は、3日日曜日の夕方、鎌倉の本覚寺門前、滑川(夷堂川)で見かけたカワセミ。ロケーションとしては、鎌倉駅から歩いて5分もかかるかどうかという、まさに街の中心部。

夷堂橋を渡っている際にふと川面を見下ろしたら、やたら機動性のよさそうな青いキラキラのロッテ(2機編隊)が高速で飛び去って行くのが見えた。しばらくすると、番と思われる2羽のうち1羽だけが戻ってきて、川べりのススキに止まったので、スマホのソフトウェア的ズームで無理矢理拡大して撮った。

そのせいで粒子も荒いし、せっかくの瑠璃色も飛んでしまって「まあ、へちゃむくれた鳥がいるわな」くらいにしか写っていないのが残念。

いつか間近に撮らせてもらえる機会があるといいなあ。

●先月書いたプレッツェルの話の続き。

当初の、「一回食ったら満足すると思う」という予想に反し、なんだかずるずるとはまってしまって、その後2度3度と、鎌倉のUnionでプレッツェルを買って食べている。ついでに鎌倉のドイツパン専門店(ベルグフェルト/Bergfeldという店名。初代社長が山田さんだそうなので、まさか苗字直訳?)で、パンタイプのプレッツェル(こちらは特に「ブレーツェル」と呼びたくなる感じ)も2度ほど買って食べた。

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パンタイプとスナックタイプでは食感は違うのに、味はそっくり。ちなみにパンタイプは、これまた細いところはカリカリ、太いところはもふもふで、1つのなかで食感が異なる。またパンタイプの方は(特にこのお店のものは)塩が一番太いところにだけまぶされているので、細い方を少しかじっては太い方で塩味を補給という、「こなちゃん的コロネの食べ方」みたいな食べ方が必要になる。ばるさみこ酢~(昔懐かしい「らきすた」)。

Img20230822185848 ●続けて食い物関連。

先月下旬、シブリ汁(冬瓜のスープ)を作ってみた(シブリ=冬瓜は、奄美大島の島言葉)。

もう10年以上前、叔母に御馳走になったシブリ汁がやけに美味しくて記憶に残っていたのだが、冬瓜自体がデカくて買っても持て余すし、そもそも冬瓜を料理したこともないし……。と、季節になるたび、ただ横目で見ていたのだが、逗子駅前のスーパーで1/8割を安くで売っていたので、つい購入。適当目分量レシピで、なんとかでっちあげてみた。

ネットで検索してみると、沖縄の「シブイ汁」は基本、塩味ベースらしいのだが、叔母に作ってもらった「シブリ汁」は醤油味。奄美のシブリ汁は基本そうなのか、父母の郷里の集落がそうなのか、あるいは叔母が適当にそうしたのかは不明だが、ここは記憶通りに醤油ベースで。冬瓜はとろとろに、なかなか美味くできたとは思うけれど、やはり叔母の作ってくれたもののようにはいかない。ぎゅっと鶏の旨味が凝縮されたような味は、田舎の地鶏じゃないと出ないのだろうと思う。もっとも、次に作る機会があれば、今回よりもさらに少しは美味くできそうな気もする。

ちなみに、叔母に作ってもらったシブリ汁を食べた話はこちら

(シブリ汁を作ったのとは別の)叔母の誕生日で、川崎の実家に親戚が何人か(ドイツ人Pの家族も)わらわら集まって、という状況だったらしい。その時誕生日だった叔母は昨年死去。シブリ汁を作ってくれた方の叔父叔母夫妻も現在は体調不良。母は老健に入所していて、一時の危機的状況は脱したものの楽観視してよい状態でもない。もうああやって集まることもないのだなあ。

●以前の記事にも(そして上にも)書いたように、冬瓜は父母の郷里である奄美大島の言葉では「シブリ」、沖縄では「シブイ」。

ちなみに「魂」は沖縄では「マブイ」だが、奄美では「マブリ」というようだ。島唄の「行きゅんにゃ加那節」に、「吾きゃ加那やくめが生きまぶり/私の愛しい御方の生き霊(ではないだろうか)」という歌詞がある。

ウチナーグチの単語末の「i」が、奄美のシマグチでは「ri」になるという、何か法則性みたいなものがあるのかどうかはよくわからない。

●夏の夕の富士山2景。

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ともに8月31日、逗子・披露山から、わずかに時間差・高低差付きで撮影したもの。

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ポーランド・メタボ士官

●まさに現在進行形で鋭意製作中というわけではないのだが、たまには模型話でもしないと、モデラーとしてのアイデンティティが自分自身でも怪しくなってくるので、ちょっとヒマネタを一本。

ちなみに、盟友・青木伸也氏がかつて言ったことだが、単純に「模型を作る人」は「モ↑デ↓ラー↓」であるのに対して、「模型作りに入れ込んじゃってる人」(いわゆるマニア層)は「モ↓デ↑ ラー→」と、同じモデラーでも呼称が(イントネーションが)異なるのだそうだ。なんだそりゃ。

●まあ、そんなこんなでヒマネタ。

私は基本、車両は作るがフィギュアは作らない(作れない)ので、フィギュアのセットは滅多なことでは買わないし(たまにネタとして面白いものは、単純に「持っている」目的のために買う)、車両キットに付属のフィギュアも“持ち腐れ”状態にしてしまうのだが、なんとなく気に入って、ちょっとだけいじっているフィギュアが一体。

IBG社製、TKS豆戦車 20mm砲装備型(通常仕様キット)に付属の、「見るからにメタボ体型のポーランド機械化部隊士官」である。

4,5年前に同キットのレビューを書いた時にも触れたが、特定の個人を表現したわけではない無名将兵のインジェクションキットのフィギュアで、ここまでのデブはいなかったのではないか、とも思う(今ならICMとかMBとかで、これと競るくらいの体格が出ているかもしれないが)。これ、2人乗りの車両に2体入っているフィギュアの片割れだから、当然、TKSの車長兼砲手っていう設定のはずだよなあ……。あの小さいTKSに、この腹でちゃんと乗れるのか。そもそも、2人乗りの豆戦車にこんなヤツが乗ったら、車体が右に傾いちゃったりしないのか。

ちなみに同じIBGのTKSでも、機銃装備型にはまた別のフィギュア2体がついている。

さて、問題のフィギュアは下のような感じ。

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1939年戦役までのポーランド陸軍戦車兵の標準的な軍装は、カーキ色のツナギに編上げショートブーツで、IBGのTKS付属のフィギュアも、他3体(20mm砲型の残り1体と機銃型の2体)はすべてその格好をしている。

このメタボさんだけは、黒革のハーフコートと乗馬靴。

1939年時点で、ポーランド陸軍で唯一の完全機械化部隊であったという第10自動車化騎兵旅団は、独特の黒革コートから「黒旅団」と呼ばれていたそうな。このフィギュアの乗馬靴とハーフコートは、同旅団所属であることを示すのではないか……と思うのだが、どうもこれについてはキットの説明書でも一言も触れられていないし、手元に詳しい資料があるわけでもないので、いちはっきりしない。

下写真はwikimedia commonsから、戦争直前の第10自動車化騎兵旅団の1シーン(File:01938 10th Motorized Cavalry Brigade, Zaolzie, col. Stanisław Maczek.png)。

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ご覧のように、「同旅団の独特の黒コート」といっても、一般の兵のものはロングコート。ドイツ軍の第一次大戦型ヘルメットを被っているのも、ポーランド軍のなかでこの部隊だけの特徴。そして中央2人のベレー帽の高級将校のみ、乗馬ブーツとハーフコートを着ている。このハーフコートも第10旅団だけの軍装なのか、それとも他部隊でも着用例があるものなのかは、よく判らない。

ちなみにオスプレイ「Men-at-Arms」シリーズの一冊、ザロガ先生の「The Polish Army 1939-45」のカラー図版にも、黒革コートを着た第10旅団の兵士が出ているのだが、その黒革コートはほぼ膝丈で、上写真のロングコートとハーフコートのちょうど中間くらいの感じ。そういう丈の第三のコートもあったのか、単なる誤りなのか、これまたよく判らない。

ちょっと脱線話を足しておくと、上写真の中央右側のちょっと背が低めなのが、第10自動車化騎兵旅団長、スタニスワフ・マチェク。この当時は大佐かな? 後にはフランス軍下の亡命ポーランド部隊(部隊名も本国時代を引き継いで第10装甲騎兵旅団)を率い、さらには英軍下で編成されたポーランド第一戦車師団を率いてノルマンディー以後の北ヨーロッパ戦線で戦っている。タミヤのクロムウェルには、マチェク将軍乗車の指揮戦車のデカールも入っている(ただしキット自体に指揮戦車仕様に組むためのパーツはない)。

●さて、このメタボさんのフィギュアは、胴体はごろんと一体成型、脚はハーフコートの裾のラインから下が別部品。

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というわけで、コートの裾の内側はスパッと一平面に埋まっている(昔のタミヤのフィギュア、例えば「将校セット」とか「BMWサイドカー」のコート姿の兵士などと似た感じ)。まあ、普通に立てておけばまず見えない部分ではあるが、なんとなくキモチワルイので、脚を接着した後に、自作のノミやペンナイフでカリカリと削り込んだ(右写真)。

ついでに、コート裾近くの前合わせ部分も深く削り込み。ブーツの靴底も(昔のタミヤふうに)ペッタンコだったので、かかとが独立するよう段差を削った。もともと、それほどモールドがシャープというわけでもないので、他もできる範囲でちょっとずつ彫刻を強調した。

●このフィギュアの頭部は、前にも書いたが、メタボ体型によく似合った感じのヒゲのおっさん顔。モールドの甘さはあるが、「シュラフタ(ポーランド貴族)って、こんな感じかな?」と思わせるものがある。いや、知らんけど。

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そんなわけで、頭部はそのままキットのこれを使いたいのだが、残念なことに、頭部と一体成型されたヘルメットの形状がよくないうえに、そもそも小さい(「風の谷のナウシカ」のジオラマか何かに城オジとして使うにはよさそうだが)。

ポーランド装甲車両乗員用のヘルメットはフランス軍式のもので、第一次大戦中に開発された、世界初の近代戦用ヘルメットとして有名なアドリアン・ヘルメットのバリエーション。戦車兵用ヘルメットは、通常のアドリアン・ヘルメットの、四周に張り出した“つば”部分のうち前部・左右部を除き(バリエーションによって若干の差があるものの、後部のつばは逆に拡大してある場合が多いようだ)、前面には革製?のパッドが取り付けられている。頭にかぶさるクラウン?部分の形状は基本のアドリアン・ヘルメットと変わりない感じで、IBGのフィギュアのように後ろ広がりになってしまっているのはやはり格好が悪い。そこで、ヘルメット部分だけを他社製と挿げ替えることを計画する。

右写真は、その検討用に手元の同型ヘルメットのパーツを並べてみたもの。右端がこのフィギュアの頭部、上のモールド色が最も濃いのがエレールのR35/H35付属のもの、左がタミヤのルノーUE付属のもの。後になって「あ、そういえばminiartのも持ってたな」と思い出したが写していない。

ご覧のように、エレールのものも全体の形状バランスは悪くないが、昔のエレールのフィギュアは、他社製フィギュアでよくある「頭を半分切って(中の埋まった)ヘルメット部品を付ける」式ではなく、「中空のヘルメットパーツを実際にフィギュアの頭にかぶせる」形式のため、やや大きめになっている。先述のようにIBGの頭部のヘルメットは小さいが、同時に頭部自体もかなり“小顔”なので、エレールのヘルメットでは似合わないかもしれない。――で、結局タミヤ製を採用することにした。

●ここからまたひと手間。

アドリアン・ヘルメットは、頂部に前後方向の「とさか」が付いている。ちょっと古めかしく見える理由でもあるが、これは塹壕の中で、頭上で炸裂する砲弾の破片や降ってくる岩などの衝撃をそらし、頭部を守る役割を担っている。ちなみに、ソ連軍の戦前型ヘルメット(СШ-36)も頂部に「とさか」があるが、これは通風孔のカバーだそうだ。

さて、戦車兵用ヘルメットの場合、ポーランド軍用ではこの「とさか」が残っているのだが、この時期の本国フランス軍仕様では通常付いていない(フランス軍用でも時期によっては付いている模様)。当然、タミヤやエレールのフランス戦車兵用ヘルメットには付いていないので、流用に際しては「どうにかする」必要がある。

形状的にもなんだか面倒くさく、ここはタミヤのキットに一緒に入っている通常型のアドリアン・ヘルメット(とさか付き)からつばを削り落としてパッドを付けるほうが、もしかしたら楽なのでは?とも考えたのだが、結局は「戦車兵用にとさか増設」の道を選んだ。この際、フランス軍仕様では付いている、ヘルメット前面の兵科エンブレムを削り落とした。

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●そして腕も付けた。

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正規の接着位置だと、まさに双眼鏡を覗き込んでいる格好になるようなのだが、それだとせっかくの「シュラフタ顔」(←勝手な決め付け)が隠れてしまうので、肩の接合部があまり不自然にならない範囲で、やや腕を下ろして、双眼鏡を少し目から離した状態にした(双眼鏡自体は、この写真では未取り付け)。

ただ、腕側に、肩章に対応した位置にちょっと出っ張りがあって、これがやや前方にずれてしまったので、今後削って付け直すかも。

なお、キットのままだとやや後ろへの「そっくり返り」がきつい感じがしたので、ブーツのかかと部分に0.2mmのプラペーパーを貼り増しした。

●現時点での製作に関しては以上。

ただ、ここから先に関しては個人的にちょっと悩みどころ。

当記事の最初に、「私は基本、車両は作るがフィギュアは作らない(作れない)」と書いたが、実際、私はここ数十年(!)ミリタリーフィギュアは作って(塗って)いない。いや、ミリタリー以外でも作っていないけれども。

もともと私はちまちまと対象のディテールをいじるのは(いつも面倒くさいと言いつつも)好きだが、塗装にはあまり熱意を持てないでいる。車輛においてもそうなのだが、特に製作上、組立:塗装の重要性の比率が大きく後者に傾いているフィギュアの場合は、はなから製作しようという気が起きないくらいに縁遠い。

そんな私がフィギュアについてあれこれ言うこと自体がおこがましいのはもちろんのことなのだが、そもそもが、無生物で基本「金属の塊」である車輛(やら飛行機やら)と、柔らかく固定した形状がない生物とでは、「模型にする」切り口自体がまったく異なっている、ような気もする。

もうちょっと補足すると、形がきちんと定まっている「モノ」である車輛や航空機を縮小して模型化するのはあまり無理がないのに対して、「ある一瞬を固定化して縮小する」という過程が一つ加わってしまうフィギュアの場合は、より実物と模型との間に距離があって、「ホンモノらしさ」の追求はさらに難しい気がしている。実際のところ、模型の展示会や、あるいはweb上の写真でフィギュア作品を見て、「うわっ、これスゲー!」と思うことはしばしばあるのだけれど、それは、その作品が「まるで人間に見える」からではなくて、「フィギュア作品として素晴らしい完成度を持っている」から、という場合が多い(と、個人的には感じている)。現実の精緻な復元ではなく、何か、フィギュア製作ならではの la bella maniera がある、というか。

だからといってフィギュア製作を車輛製作より一段下に見ている、ということではなく、単に、例えばテレビで素晴らしい職人芸を見て、「うわ、こりゃスゲーな!」と思いはするけれど、それを自分でする気にはならない、という感じ。

もちろん、車輛やら砲やらを作るうえで、「これはフィギュアが欲しいな」と思う場合もある。例えばトラックや砲の場合など、国籍マークなど付いているのは稀なので、それだけでは何軍所属かもわかない場合も多い。そんな時は、特徴的な軍装のフィギュアを添えておきたくなる。

とはいえ、そのために改めてフィギュア製作のスキルを磨くのも面倒だし、特に最近は老眼が進んで1:35フィギュアの細部塗装などますます無理感が強くなってきたこともあり、「フィギュアを作るだけは作って、サーフェサー吹いてスミイレだけして車輛(ほか)の隣に置いておくのもアリかなあ、などとも思い始めている。この「ポーランド・メタボ士官」も、もしかしたらサーフェサー仕上げになるかも。

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沈頭鋲

●8月15日(すでに日付的には昨日だが)だからといって戦争を振り返らないとイカン、ということではないのだが、たまたま関心に引っかかる話があったので。

●大学時代の後輩であるS君がfacebookに書き込んでいた話題。

この時期お決まりの太平洋戦争振り返り企画の一つで、CBC(中部日本放送)のサイトに『特攻隊を援護し九死に一生を得たパイロット “戦友”と68年ぶりの再会 技術を結集した「零戦」』という記事があり(大元は2013年8月放送の特集番組)、そのなかに、(S君曰く)「昭和時代からよくあるゼロ戦についての間違った俗説、過大評価を相変わらずそのまま載せて」しまった部分がある、とのこと。ちなみにその記事自体はこれ(Yahoo!ニュースによる転載。なぜかCBC本体のサイトでは検索に引っかからなかった)。

なかでもS君が疑問を呈しているのが、

『ボディを接合するリベット「鋲(びょう)」は、頭の部分が平らな「枕頭鋲(ちんとうびょう)」を世界で初めて採用。』

という部分。

私自身、かつて、零戦は初めて落下式増槽を装備したと書いてしまい、その原稿が表に出てから誤りに気付いて(実際には前代の九六艦戦ですでに実用化されている)恥ずかしい思いをしたので大きなことは言えないのだが、この記事はそれ以外にも「零戦はいかにスゴイ機体だったか」的トーンで書かれていて、「なんだかなあ」な気持ちにさせられる。

もちろん、記事中で元搭乗員が零戦の素晴らしさを語っているが、これはあくまで個人の主観であるし、そもそも搭乗員が自分が乗る機体に誇りを持つのは何ら非難すべきことではないので、分けて考えるべき。しかし、地の文が礼賛調なのは、どうにも読んでいて頭の端っこがカユイ気分になる(ということでS君と合意する)。

まあ、どうも書き手は軍事とか飛行機とかに疎そうではあるが、すでに戦争後半で性能的にも見劣りが明らかであったはずの52型に関する米軍側調査書から、「ゼロ戦52型は、中高度・中速度では、どのアメリカの戦闘機より運動性が優れている」と、褒めている箇所だけ抜き出してきている恣意性もちょっとひどい。

●さて、話をちょっと戻して、沈頭鋲について。

S君もfacebookの書き込みですでに指摘しているが、そもそも零戦に先駆けて九六陸攻や九六艦戦で沈頭鋲は使用されており、「世界初」どころか「日本初」でもないわけで、この時点ですでに冒頭引用の一文は誤り、ということになる。

九六陸攻や九六艦戦もまた世界初ではなく、wikipediaには、

世界初のHe70に初飛行で遅れること3年、九六式陸上攻撃機と並び日本で初めて沈頭鋲を全面採用した。(九六式艦上戦闘機

と書かれている(九六陸攻の記事のほうには、沈頭鋲に関しては単に「採用は同じ三菱製の九六式艦上戦闘機と同時」と書かれている)。

これによればハインケルHe70が最初ということになり、実際にwikipedia日本語版のHe70の記事には、

機体表面を滑らかに仕上げる皿リベットの世界初採用

との文言がある。

もっともこれについては、S君もfacebookの書き込みで「本当にドイツのハインケルHe70が世界初かという点にちょっと疑問 」と言及していて、私も「ホンマかいな」という気がしたので、さらに追加で調べてみた。

●まず、He70について、英語版のwikipediaの「Heinkel He 70 Blitz」では、

To meet the demanding speed requirements, care was taken to minimize drag, with flush rivets giving a smooth surface, and fully retractable main landing gear. (厳しい速度要件を満たすため、抗力の減少には細心の注意が払われ、表面を滑らかにするための沈頭鋲や完全引込式の主脚が採用された)

とはあるものの、沈頭鋲採用が世界初であるという記述はない(ドイツ語版でも言及なし)。この時点で、ちょっと日本語版の記述はアヤシイ感じになってくる。

一方、英語版wikipediaのリベットの項のなかの「沈頭鋲」(Flush rivet)の節では、沈頭鋲は1930年代にダグラス社の設計チームが開発したもので、ハワード・ヒューズのH-1レーサーに採用された、と書かれている。しかしヒューズH-1の初飛行は1935年で、1932年末初飛行のHe70より遅く、これまた内容に疑問がある。

(そもそもwikipediaレベルで何か調べ物をした気になっている時点でイカンだろう、と言われればその通りなのだが、今のところは「とりあえず見当を付けてみる」レベルのことしか考えていないので見逃していただきたい)

というわけで、「flush rivet」やら「flush rivet  airclaft」やらで検索を重ねてみて、こんな記事にたどり着いた。

ONE MONROEというサイトの「Who Invented The Rivet? A “Riveting” Bit Of Aviation History.」という記事だが、ここでは、「(外板の)突き合わせ結合(butt joint)と沈頭鋲はハワード・ヒューズが初めて採用したみたいなことを言っているけど、そうじゃないヨ」と前置きした後に、以下のように述べている。

Charles Ward Hall of the Hall-Aluminum Aircraft Corporation submitted a patent proposal for a flush rivet in 1926. Hall’s Buffalo, New York company produced the first aircraft with a riveted fuselage in 1929 with his XFH Naval Fighter Prototype. The first aircraft with butt joints and flush rivets to fly was the Hall PH flying boat of 1929.(ホール・アルミニウム・エアクラフト社のチャールズ・ホールは、1926年に沈頭鋲の特許を出願した。ホールのニューヨーク州バッファローの会社は、1929年にリベット留め胴体を持つ最初の航空機、海軍のXFH試作戦闘機を製作。突き合わせと枕頭鋲を備えた最初の航空機は、1929年のホールPH飛行艇だった。)

この記事自体の裏付けは取れていないが(ホールXFHホールPHも、マイナー機体過ぎてあまり情報なし。とりあえず英語版wikipediaに短い記事はあるが、沈頭鋲に関する言及はなし)、とりあえず現在たどれる限りでは、このあたりが「航空機での沈頭鋲採用」のハシリということになりそうだ。

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ブレッツェル

●右手の診察で整形外科。

レントゲンの結果、折れた部分は「うん、ずれてませんね」とのことで、来週早々には当て材と包帯グルグルが取れる予定。

●昨日記事からの続き。

医者に出かけたついでに、鎌倉のドイツパン屋でソフトタイプのプレッツェルを買ってやろう!と思って足を延ばす。……が、すでに閉店時間だった。それくらい確かめてから行けよ!(一応サイトで営業日は見たのだが、時間は見落としていた)

Img20230802175203 しか~し!

若宮大路、二の鳥居脇のスーパー「UNION」で、なんとスナックタイプのプレッツェルが売られているのを発見。欣喜雀躍(もちろん心の中で)。

本場ドイツ製なので、名称はレッツェルではなくてレッツェル(よりドイツ語風に言うと「ブレーツェル」)。

夕食後、コーヒーを飲みながらオヤツとしてボリボリ食べる。うはぁ~。しょっぺぇ~。うんうん、これだよこれ。

もちろんこの塩辛さは、おそらくビールのおつまみとしてこそ真価を発揮するもので、コーヒーに合うのかというとちょっと微妙なのだけれど。でもこの猛暑の中の塩味は、ちょっと染みるかも。

結構な量があるので、2,3日楽しめそう。この一袋を食べ尽くす頃には、今回の「突発性プレッツェル欲」も治まっているはず。

(8月3日追記。2日目で早々に食い尽くしてしまった。……そしてもうちょっと食べたい気分)

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フリウル廃業

●連日の猛暑。いやもう、気ィ狂ったみたいに暑いのなんのって。

と、そんな毎日だったのだが、8月1日未明、激しく雷が鳴って、2時半頃より久しぶりの雨が降った。これは朝には止んでしまったが、午後になって再び雷雨。これでちょっと涼しくなればいいなあ。

●別売メタル履帯の(たぶん)最大手メーカーであるフリウルモデルが廃業を決定したとのこと。廃業の決定、および機械類・600種に及ぶ製品の型・200種の試作品の継承先募集をサイト上で告知している。

フリウルの製品は、トラックリンクそのものはいいとしても、連結が針金を通すだけなので、端のピン部分の表現がイマイチ。なお、さらに初期の製品は針金止めでもなく、連結部の片側が「C字」断面になっていて、もう一方の、履板と一体成型されたピンにカシメて止める形式だった。これはこれで連結は楽だが、精密度という点ではさらにイマイチな感じ。

そんなこんなで、私は他に選択肢がない場合にだけ手を出していたので、我が家には確か2、3種しかない(B1bis用と、KV後期型の2分割混ぜ履きと、あとはなんだったかな)。もっとも、何か機会があれば欲しいなと思っていたものも何種かあり、やはり廃業は惜しい。

ミリタリー物のアフターパーツも、次第に3Dプリント物が主流になりつつあり、そんな時代にメタル履帯の金型を継承しようという人なり会社なりが現れるかどうか、あまり期待はできない気もする。

ところでフリウルの正式名称が「フリウルモデル(Friulmodel)」なのは上リンクのサイトを見てもわかるが、昔は「フリウルモデリズモ(FRIULMODELLISMO)」だったような。ハンガリーに会社があるのに、なんでイタリア語? 経営者はイタリア人?(フリウーリ人?)

なお、フリウルの本社はハンガリーのÚrhida(ウールヒダ?)という町にあって、GoogleMapsを見ると地図上にしっかり記載されている(→Maps)。

●ここ最近、なぜかプレッツェルが食べたくなり、探しているのだが見つからない(プレッツェルに何かしらの思い出とか思い入れとかがあるわけでもないのに)。

ごく普通の――つまり、結び目の形に焼かれて塩粒がまぶされていて、「うわ、塩辛ェ」というのが食べたいので、亜流である「プリッツ」とか、スナイダーの「砕いてあれこれ味付けしたヤツ」とかは対象外。カルディや成城石井にはありそうな気がしたのだが置いていなかった。

逗子駅前のスズキヤには、ハーシーズのチョコ掛けはあって、それはそれで惹かれたが「プレッツェル欲」を満たせるかどうかといえばこれまた対象外。ちなみにチョコ掛けプレッツェルは、最近ブルボンのものがスーパーやコンビニで売られていて、そこそこ美味しいが、“プレッツェル感”は若干弱い。冬季のみカルディで売られているアメリカ製のチョコ掛けプレッツェル(ブランド名は忘れた)が、固さも塩気もしっかりしていて美味い。

Img20230731191214閑話休題。「普通の」プレッツェルに関しては、たぶん、一度しっかり食べたら「ああ、うんうん、こういう味だったよな」で満足して終わりということになると思うのだが、手に入らないとなると益々無性に食べたくなってくる(通販で頼めば簡単だが、「こんなのに無駄遣いして!」とかみさんに怒られる)。

そんなこんなで、何度目かのカルディを覗いたら、そのものズバリではないものの、スナックのアソートにプレッツェルが混じっているのが売られていた。

入っているプレッツェルは長径で3センチあるかないくらいの小さなものだが、一応は求めている「普通の(スナックタイプの)プレッツェル」だった。とはいえ、いろいろある中に少量混じっている程度だったし、やや味わい的にボンヤリした感じだったので、なお「プレッツェル欲」継続中。

かつてブッシュ(息子)大統領(当時)がプレッツェルを喉に詰まらせて死にそうになった時には、その後、全米から続々とプレッツェルがホワイトハウス宛に送られてきたそうだ。それらのプレッツェルは、誰がどうやって処理したのかなあ。いずれにしても、我が家にプレッツェルを送ってくるような奇特な人はいなさそうだし、そもそも突然送られてきたら怖い。

そういえば、大きくて柔らかいパンタイプのプレッツェルなら、ドイツ風パンを扱っているお店なら売っているかもしれない、そういえば鎌倉にドイツパンの専門店があったなあ、と思い付いた。検索してみたら売っている様子。今度行ってみよう。

●右手の当て材と包帯ぐるぐる巻きは、あと一週間少々しないと取れない(はず)。

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