小坪高角砲台(改めて披露山)補遺

●歯医者に行ったついでに、ちょっと足を延ばして(このクソ暑いなか)またまた披露山公園に登ってきた(サルも暑そうだった)。

体調管理上、ちょっとずつでも歩いたほうがいいということに加えて、先日の横須賀「砲台山」の知見をもとに、改めて見直したい気もしたため。

20170808_154241 ●夏の間は見えないことも多い富士山だが、今日は江の島の向こうによく見えた。

写真は山頂広場展望台の足元から撮ったもの。先日の記事のこの写真とほぼ同じ場所・アングルで、ただし今回は手すりにくっついて撮っている。

すぐ足元が披露山庭園住宅、その向こうが逗子マリーナ。右手中景の岬が稲村ケ崎で、その向こうが江の島。富士山の左側が箱根で、糸切り歯のようにぽつんと尖っているのは金時山。

●現・展望台周りに関する補遺。

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展望台下の崖側は、写真のようにコンクリートの土台が張り出している。外装は新しいが、砲台時代も(ここまで張り出してはいなかったかもしれないが)ある程度の張り出しが設けられていたのではと思う。

なお、古くからの逗子の住民の方に聞いたところによると、かつては、展望台の根元部分はもう少し深く、すり鉢状遺構もさらに多く露出していた気がする、とのこと。

これまで気付かなかったが、展望台の北側すぐの場所に、写真2枚目のようなコンクリートの何かの土台がある。6×6の鉄パイプの骨が埋まっている。以前に載せた終戦直後の米軍の航空写真を見ても、はっきり何かがあるようには写っておらず、正体不明。(8/11追記。hnさんから「ジャングルジム跡では」というコメントを頂いた。言われてみればまさにそんな感じ!)

●現:猿舎に関する補遺。

先の記事で、

壁龕の数はおそらく8つ。ただし、8つの壁龕は45°の等間隔ではなく、階段とその隣の四角い小檻のある部分の左右の壁龕は離れていて、その分、他の壁龕間の間隔は45°より狭くなっているようだ。上写真でも、よく見ると一つ置いた壁龕間の角度は直角には足りていないように見える。

と書いたのだが、これはどうやら誤り。

実際には、hnさんの記事にある復元図のように、壁龕は等間隔に8つ、そして先日は気付かなかったが、兵員詰め所(もしくは待避所)の大きな窪み(現在は四角い金網が付いている)と階段の間にあった壁龕が埋められている(つまり現存している壁龕数は7つ)。

写真1枚目ではちょっと判りづらいが、実際に見てみると、埋められた部分のコンクリートが若干周囲と色が違うのが判る。その範囲を見た感じでは、どうも、壁龕の上部分が少し壊れていて、それをわざわざ手間をかけて補修するよりも、いっそ壁龕ごと埋めてしまった方が楽だったための措置という気がする。

兵員詰め所と向かって左隣の壁龕とは壁一枚の厚みで隣り合っているようで(写真2枚目)、要するに、元々は砲台山のものとまったく同じ配置だったようだ。

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前回「砲台山」記事へのhnさんのコメントで改めて気付いたが、各壁龕の入口周囲の角(出隅)は、かなりしっかり面取りされている(写真3枚目)。

面と面が出っ張った形で接している角は「出角」もしくは「出隅」、凹んだ形で接しているのは「入隅」と呼ぶのもhnさんに教えて頂いた。かば◎はあたらしいことばをおぼえた!(ちゃらら~ん♪)。

砲台山と共通していることが分かった床面の円環状金具は、こちらも一直線には並んでいないが、どうもその位置は砲台山と披露山とでまったく同じようだ。

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左が披露山、右が砲台山。何の用途だったのかちょっと気になる。

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砲台山

●披露山公園山頂の「元・高角砲台座」について、先日くどくどと書いたが、(前編中編後編)、その際、みやまえさんから、「うちの裏にある砲台山と同じ構造」というコメントを頂いた。

検索してみると、確かに披露山の猿舎内部とそっくり。俄然興味を覚え、実際に見に行ってみることにした。

●通称「砲台山」は横須賀市の南端近く、「三浦富士」と「武山」の間にあるピークで、本来の名前は「大塚山」であるらしい。披露山(小坪高角砲台)同様に旧海軍の高角砲陣地で、当時の名前は「武山高角砲台」である由。

「武山」と書くとつい「ウーシャン」と読んでみたくなるが(私だけ?)、読みは「たけやま」。前述の「三浦富士」~「砲台山」~「武山」間はハイキングコースとなっていて、鉄道の駅としては京急長沢駅が最もアクセスが近いようだ。

●ここ数日、しばらく前の酷暑が嘘のように過ごしやすい。「この機会を逃しちゃイカン」と思い立ち、4日金曜日、早起きして午前中に一仕事して、昼食をとってすぐに出掛ける。

上記の通り、京急長浜駅よりスタート。そもそも京急線で金沢八景(+逗子線)より先(南)に行くことはほとんどなく、特に横須賀中央より先なんて数えるほどしか乗ったことがない。

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長浜を降りたら、「三浦富士」~「砲台山」~「武山」のルートで歩く、ということは把握していても、事前に地図など印刷もせず、「とりあえず駅を降りたら内陸側に行く」程度の行き当たりばったりな行動計画。もっとも、駅前をはじめ、要所に上のような案内板が出ていて助かった(とはいえ、その「要所」は少な目で、山道に入る前も、入った後も、合わせて数回道の分岐を間違えた。……いや、自分で地図用意しとけって)。

夏の盛りだというのに気温も高くなく、日も照りつけておらず、数日前に降った大雨からか地面は濡れているけれどぬかるんではいないという、格好のハイキング・コンディション。――と思ったのだが、風がないうえに林内は湿気が高く、みるみる汗だくに。しかも歩き始めてすぐに、ちらちら細かい雨粒が当たる怪しげな空模様になってしまった。まあ、それでもカンカン照りよりはましな気がするけれど。

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上左はルート上の最初のピーク、「三浦富士」山頂。右はその後ちらりと見えた海(東京湾側、津久井浜方面……たぶん)。

20170804_151049 ●そしてメインの目的地である砲台山(大塚山)。

山頂には、海上保安庁のものだという通信施設の大きなアンテナがあり、地上の小さな建物ごと金網で囲われている。アンテナの鉄塔の上には、おそらく30羽を超えるくらいのカラスの群れ。ぐわあぐわあうるさい。

横須賀観光案内のページの明るい写真を見た印象、それから披露山山頂からの類推で、見晴らしのいい、ある程度広い山頂広場のなかに砲台跡がある光景を想像していたのだが、実際には、通信施設の脇の割とせせこましい場所に唐突に砲座の穴が開いていた。さらに、砲座のすぐ近くまで木立が迫っていて、周囲の風景は何も見えない。

▼全景はこのような感じ。ほぼ三方から木立が迫っている。

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▼似たようなカットで披露山公園猿舎と比較。左が披露山公園猿舎、右が砲台山。ほとんど同形状であるのが判る。

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▼縁から中を覗く。

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中央、砲架があった小円部分を囲んで六角形に白っぽくなっているのは、披露山公園の猿舎にはなかった特徴。最後の2枚は、内壁の窪み(壁龕)の真上に立つようにして撮ってみたもの。どうやら、六角形の辺の位置は、壁龕位置とも階段位置とも何の関連性もなさそうな感じ。

▼砲台内に降りる小階段。内壁の傾斜がおおよそ判るように、なるべくカメラを水平に持って左右壁も撮ってみた。

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▼内壁に開いている、弾薬の仮置場と考えられる壁龕(ニッチ)は8つ。階段脇から時計回りに撮ってみた。

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披露山猿舎とは壁龕・詰め所(?)の配置が若干異なっている。壁龕の配置は、こちらではすべて等間隔。

▼内壁の穴のクローズアップ。1,2枚目は上の写真の順番で言うと6号ニッチ、3枚目は4号ニッチ(たぶん)。披露山猿舎のニッチは単純な四角形断面のようだが、ここ砲台山のものは、上左右角がナナメになっている。建造時期の差? 請負業者(あるいは部隊)の差? 4枚目は兵員の詰め所?かと思われる大型の穴。一部崩れているが、草藪になっていて詳細は確認できず。もともとは披露山の猿舎同様、天井もあった可能性がある。

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▼砲架跡丸穴の一方(おおよそ北側)に、何かの取付架であったと思われる円環状の受け金具のようなもの/その他がある。披露山猿舎の底面にも同じものが確認できる。そういえば、披露山の金具もほぼ北側にあったような。何かしら方角に意味があるのか、たまたまなのかは不明。

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円環状金具は3つ、およびもともとはこの金具がついていたと思われる6本のボルト(それとも鉄骨?)だけの部分が1カ所(写真4枚目)。写真5枚目はボルト(あるいは鉄骨)が菱形に4本だけで、明らかに別用途のもの。写真6枚目の丸いくぼみはボルト(あるいは鉄骨)が認められず、円環の痕跡なのか違うのか判別できず。

3枚目以降の個別の写真は、1枚目写真の手前から(階段側)からの順番。1枚目写真を見て判るように、これらは(円環状金具部分だけをとっても)一直線上には並んでいない。

▼コンクリート内壁の表面の粗さはこれくらい。

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模型を自作したい方は是非参考に(そんな人いるかな……)。

▼砲台山山頂に向けてぐるりと回り込むように上がる道の途中に「ポケモンgo」のポケストップが設定されていて、確か「高射砲の方位盤」という名前でコンクリート製構造物の写真が出ていた。石柱のような、キノコのような格好。

なんとなく公園の水飲み台くらいの大きさのものを想像していて、登る時には見落としていたのだが、下りの時に発見。なんと高さ4メートルほどもある巨大なものだった。あまりに想像と違い過ぎて気付かなかった。

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1枚目は道の山頂側から、2枚目は下側から。道に沿って2本並んでおり、山頂側の柱は下1/3ほどに大きくヒビが入っているだけでなく、根元が崩れて穴があいている。柱の中は中空になっているらしい(写真3枚目)。下側の柱は上の方に、作られた時からのものと思われる横/斜めの溝がある(写真4枚目)。

よく参考にさせて頂いている「東京湾要塞」サイトのこのページによれば、このコンクリート柱は山頂と渡り廊下で結ばれた計測所の建物のもので、コンクリート柱は機器の基礎を兼ねていたという。「ふ~ん。披露山にも昔はこんな感じのものが立ってたのかね?」と一瞬思ったのだが、考えてみれば披露山は山頂が広く、砲台の北と南に(地べたの上に)建物があるのだった。

5枚目写真は、さらに武山方向に下った場所にある、コンクリート製の天水桶のようなもの。これも当時の遺構と思われる。

▼上記「東京湾要塞」の解説ページによれば、砲台山には高角砲台は(披露山同様)3つあったらしい。ひとつは海保の通信施設の下になってなくなったが、もう一つは、上の写真の木立の奥に残っているのだという。藪の薄い季節に、もう一度行ってみるか……。

●一応我が家のご近所(隣の市)ではあるものの、三浦半島もここまで南下すると森も深く、逗子ではなかなか見られないような虫もいる。

まだそれほど山に入っていないところで、前翅が茶色、半分ほど除く後翅が綺麗なオレンジ色の中型の蛾に遭遇(というより、なにやらオレンジ色の目立つものが目の前を横切って、横の藪に止まったのだ)。

さっそく写真を、とオタオタして、スマホを構えて改めてその蛾を見たら……一瞬目をそらしている間にどこかに飛び去ってしまっていた。惜しい。きちんと姿を捉えていないので、種類も判らず。アケビコノハとか、なんとかキシタバとか……? 惜しい。

と、そんな残念さを大いに補って余りあるものに逢えた。

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逗子でも、名越切通途中で一度見たことがあるアサギマダラ。渡りをする蝶として有名で、春に北上、秋に南下、日本で夏に見られるものは海を渡って先島諸島や台湾までも行くという。こいつはどこまで行くのやら。

ひらひら飛んでは翅を広げてスーッと滑空する独特の飛び方(とはいえコミスジほどゼンマイ仕掛けっぽくはない)。飛んでいる時は下から見上げる形になるが、この写真で一見ただ白く見える部分は光が透けると薄青(名前の由来の浅葱色)の綺麗なグラデーションになる。

ほぼ同じところをずっと飛び回っている姿をしばらく眺めて、「蝶が飛んでいる」程度しかわからないような動画を(とりあえず証拠として)撮ったりしているうち、道の脇に止まってくれたので写真を撮ることができた。角度的にもピント的にもイマイチ感はあるものの、とにかく初めて間近で撮れて嬉しい。

●その他、ハイキング途中のいきものあれこれ。

1枚目:三浦半島一帯どこにでもいるタイワンリス(クリハラリス)。この日も何度も遭遇。こっち見んな(と、向こうも思っているに違いない)。

2枚目:やたらに巴紋が立派なオスグロトモエ。これは近所では見たことがないかも。陰陽道とか使いそう。

3枚目:これは近所でもお馴染み。普通のシオカラトンボに比べて青い!黒い! オオシオカラトンボ。

4枚目:はっきり言ってでんでんむしむしカタツムリの種類の見分けはさっぱり。ここまで茶色いのも模様の個体差の範囲内?

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●ちなみにその後武山山頂でまともに雨に降られた。そのあたりの写真がないのはスマホのバッテリーが切れたため。

バッテリーそれ自体が劣化していることに加えて「ポケモンgo」およびカメラの消費電力が高いらしく、最近は下手すると半日持たない(実際にこの日は4時間足らずしか持たなかった)。

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狩人

●住宅地(鎌倉逗子ハイランド)の歩道を歩いていたら、すぐ脇にぼとっと、何やらうごめくクリーチャーめいたものが落ちて来て驚いた。

よく見ると比較的大き目のアシダカグモと何かが格闘している様子。と見る間に動きが収まったのでさらに近付いてみると、今まさに狩人バチがそのアシダカグモを仕留めたところなのだった。

自分の体の数倍あるアシダカグモを仕留めたハチは、ほぼ全身真っ黒で、腹の真ん中あたりから後ろが赤っぽいオレンジ色。名前はツマアカクモバチ(帰宅して「日本の昆虫1400」で調べた)。そういえば以前にも自宅近くで見たような。

麻酔されたクモが動かなくなってすぐ、ハチがどこかに飛び去ってしまったのだが、これは巣の様子を確認しに行ったらしい。ほどなく戻って来て、ずるずるとアシダカグモを引きずり始めた。細い道路をひとつ横切って、大谷石の石垣をよじ登っていく。どうやら石垣の排水口か、排水口の塩ビ管の周りの穴を巣にしているらしい(もしかしたら中でつながっているのだろうか?)。

大きなアシダカグモを引っ張りながら、意外に素早く石垣を登っていくのだが、巣(と思しき穴)にクモを引き入れようとして問題発生。排水口の周りの隙間は狭くてクモが通らず、排水口そのものに引き入れようとすると、塩ビ管の内側で脚が滑って踏ん張りがきかず、クモを持ち上げきれない。

クモを持ったまま排水口の周りを右往左往、時々クモを下ろして巣穴をチェックしたり。

下手に手助けしようとすると警戒してハチが(クモを置いて)逃げてしまうかもしれない、とヤキモキしつつ見ていたのだが、最終的に、見かねて持っていたスマホの先でクモを支えてやったら、(ハチも人の手を気にする余裕もなかったのか)逃げもせず、なんとかクモも排水口の中に。

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もっとも夜になって雨が降り始めたので、折角の獲物が巣ごと流されてしまっていないかが心配。

●ポケモンgoが1周年だとかで、(ゲーム内でも)あれこれイベントあり。その一環として、「伝説級」(というらしい)ポケモン数種が相次いで出現するとか。

通常の「野生のポケモン」としてそのへんをウロウロしているわけではなく、「ジム」に時間を区切って出現し、「レイドバトル」に勝利するとゲットチャレンジが可能になるという仕組み。

水・木に実家に行った帰り、横浜駅前でフリーザーが出現していたのでレイドバトルに参加。さすが横浜駅前で参加人数も多く、なんとか倒せて捕獲もできた。もっとも私のスマホが低性能なせいかバトル中に数回落ちた(同一のバトルには再チャレンジ可能)。

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その後、新逗子駅や近所の公園でルギアに遭遇したが、10人くらいはプレイヤーが集まらないと倒せそうにない難敵なので、逗子のような田舎では到底捕獲できない。

●川崎の実家で奄美大島産のパッションフルーツを貰ってきて食す。パッションフルーツのパッション(Passion)はボンヤリと「情熱」の意味かと思っていたのだが(トロピカルらしいし)、そうではなくて「受難」の意味だとしばらく前に知った。花〈トケイソウ)の形にキリストの受難を重ね合わせているとか。しかし果物の名前に「受難」ってどうなのよ……。

ちなみに中の種は固いがもろいので、私はプチプチかみ砕いて食べるが、web上で食べ方を見たら、周りのゼリー状の部分だけ楽しんで種はそのまま飲み込むと書かれていた。えー?

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RWBY

●先日も書いたが、アメリカ製の3Dアニメ「RWBY」の吹き替え版がテレビで放映されている(リンクはテレビ版公式サイト)。

第2回の放映は、原作(というのも何か変だが、とにかくオリジナル版)の6~8話。元が5分~15分程度と細切れなので、3話分とはいえ、この回はほとんど省略がなくてよかった。そもそも、8話は前半の山場ともいえる戦闘シーンなので、これが大幅につままれてしまうとかなり寂しい。

……で、この調子でやってくれるのかと思ったら。数日前の第3回放映では、9話から14話が、まるっと無視されて、いきなり15話まで飛んでいた。次回放映はもう2章だ……。まあ、通常のアニメ枠で、1章~3章までやってしまおうというのだから(1章:16話、2章:12話、3章:12話)、これくらい切り詰めないと無理なのだろうけれど。

●そんなこんなで、むしろ見る前より欲求不満が募ってしまって、webで「つままれていない」第1~3章を見直したり、知らない間に始まって終わっていた(昨年10月~今年2月)第4章をじっくり見たり。

もともと「RWBY」はweb上で公開されているアニメで、製作会社、ROOSTER TEETHのサイトで全話試聴することができる。

……もちろんこれらは全編英語で、それを「わかるような、わからんような」状態で見ていたのだが(ほか、ニコニコ動画に自主制作字幕版が上がっていたりしたこともある)、もっとお勧めはYoutube。

迂闊にも今頃になって気付いたのだが、Youtubeにも制作会社ROOSTER TEETH公式で全話upされており、しかもこちらはYoutubeの機能で、日本語字幕付きで視聴できる。まとめページはこちら。字幕を付けるには、画面右下の「字幕」アイコンをクリック、その隣の「設定」アイコンで「日本語」を選択する。

●もともと「ジャパニメーション」リスペクトの非常に高い作品で(最初見た時には「あ、ベルカ式カートリッジシステム……」と思った)、第1章あたりはそれをちりばめたアメリカ風学園コメディっぽい感じだったのが、章が進むごとに、だんだんと世界観もディテールが深まり、話も込み入って来る。初期はひたすら能天気な感じだが、3章半ばくらいからどんどん深刻さが増す。

もっとも、もともと原作・脚本・監督だったモンティ・オウム氏は2章まで作ったところで急逝、その後別の人が製作を引き継いでいるので、3章以降の進行がどれだけ当初の予定に沿ったものなのかどうかは判らない。ちなみに、4章まで来ると、初期と登場人物の顔つきも少々変わってきた感じ。

第5章は今年10月スタート予定。楽しみ。

●ついでに番外編の2等身ショートコメディ、「RWBYチビ」も見始めてしまったら、現時点で30話以上もあった……。

●22日土曜日、小学校の下駄箱のペンキ塗りに駆り出される。それなりに人数もいて、1時間ほどで終わってしまう仕事だったが、かがんで一つ一つの下駄箱の奥や天井まで塗るのは意外に重労働で、汗だくに。最後は目まいがしてひっくり返りそうになった。……ひ弱だなあ。

ペンキ塗りを終えて帰り、小学校傍の生垣にアカボシゴマダラがいた。どうやら羽化したてのようで、翅の色模様も鮮やか、スマホを触角に触れそうなくらい近づけても逃げず。せっかくの機会なので、顔の接写もしてみた(だからどうしたって感じだが)。

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●スダジイの樹は、春に花が咲いて、そのまま季節を一巡り越して、翌年の秋にどんぐりを付ける。しかも、実を付ける年、付けない年がある。昨年は我が家のすぐ近くのスダジイも、目星を付けていたほかの場所の樹もほとんど実を付けずにがっかりだったが、今年は、(去年の春の花が結実して)現時点でこんな感じ(左右は別の場所の別の樹)。今年の秋はシイの実をおやつ代わりにできそう。

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●先週後半から、右下奥歯が痛い。詰め物の下で虫歯が進行していたらしい。最初はじんわり「痛いかな?」程度だったのが、週末は食事に不自由するくらいになってしまった。

金曜日に電話して歯医者の予約を月曜夕方に取ったのだが(その時点ではだいぶ余裕があった)、その後どんどん痛くなって、週明けなどと悠長なことを言わず、即日で割り込ませてもらうんだったと後悔した。

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wz.34装甲車リベンジ(10)

週末模型親父さんのところの「SUMICON2017」にエントリーした、wz.34装甲車製作記。連日の暑さにめげていたり、仕事が滞ったりで製作も開店休業状態だったため、ちょっと久しぶり。

●貼視孔フラップを作って戦闘室周りのディテールはそこそこ進んだので(まだ済んでいない部分もあるが)、装甲ボディ前半、エンジンルーム周りを少々。

以前から「ここはちょっと厄介だな」と思っていた、左右の通風孔のルーバーを工作することにする。

以前にも書いたように、CERTIのキットではこのルーバーがそこそこ薄くモールドされていて(多少バリも付いているが)、通風孔そのものも開口しているなど、結構頑張っているのだが、残念なことにルーバーの羽板自体の形状が違う。

キットでは単純に三角に開いているだけだが、実際には羽板の先がもう一段折れた、クランク状の断面になっている。

強度も考え、金属素材で工作することにする。材料は、ドラゴン/サイバーのT-34(STZ1942)で余った、エンジンルームのメッシュカバー下のフラップのエッチングパーツを使用した。

パーツは左右3枚ずつ、計6枚必要だが、小片に切り分ける前に、後々折り曲げるガイドにするために縦に2本線をケガいた。カット後、リベット穴を0.4mmドリルで開口。エッチングパーツ上にドリルで穴を開ける場合、刃先が滑って位置が揃えづらいので、

  1. まず1枚に注意深く、1カ所穴を開け、
  2. 適当な冶具を作って2枚をピッタリ重ね、すでに穴を開けた1枚をガイドにしてもう1枚にも同じ個所に開口。
  3. 反対側も対称位置にあるので、表裏をひっくり返して開口。これを必要回数繰り返す。

という方法を取った(下写真左)。その後、ケガキ線を頼りにクランク形状に折り曲げた(右)。

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本来ならきちんとエッチングベンダーなどの専用の工具を使うべきなのだが持っていないので、ペンチやピンセットを使用。0.2mmもないような金属板だが、ここまで小さくすると固さに往生した(ケガキ線をもっとちゃんと入れておくべきだった)。なんとなく綺麗に直線も平行も出ていない。工具をケチっちゃいかんなあとは思うのだが、その手の工具ってそこそこのお値段するしね……。

(なお、この後、外側の折り曲げ部分が長過ぎる気がしたので、接着前にヤスって幅を詰めた)

●金属パーツのプラパーツ上への接着固定は毎度悩ましい。特にこのルーバーのように、複数のパーツを前後できっちり位置を揃えないとみっともないものの場合、瞬着による一発決めはできれば避けたい。

SUMICON掲示板で、hnさんから「金属パーツの裏側に一度プラペーパーを貼って、それでスチレン系溶剤のプラ用接着剤で接着可能にする」という技を教えて貰った。これは目からウロコの優れ技だが、このルーバーの場合は(もとが薄いうえに厚みが直接目に触れるので)、プラペーパー貼り増し法は使いづらい。

20170721_020808 結局、一度普通のプラ用接着剤で仮止めした後、見えにくい場所(つまり開口部側)から伸ばしランナーの先などで瞬着をちょんと付けて固定。さらに金属パーツに開けた穴をガイドにプラ本体側にも0.4mm穴を貫通させ、MasterClubのリベット(0.5mm)を通して、これを裏から瞬着で固定(この部分は床を設けていないうえ、補強材も側面の穴を避けてえぐってあるので、裏からアクセスできる)。要するに、補助的ではあるが、MasterClubのリベットを本物のリベット用途で使った。

ルーバーよりも通風孔の上下幅が短いのは、厳密な考証に基づくものとかではなく、「なんとなく」の寸法で開口部を作って、いざ今回ルーバーを作る段になって「これじゃちょっと短いかな」と、ルーバーを長目に作った結果。いやまあ、本物だってそうなってるかもしれないでしょ!(強弁)

上下2カ所の小リベットは、なぜか、開口部直後にもある。じつは内側にも逆向きにルーバーが付いているのか?とも思ったが、以前にも紹介したこの写真では、何かあるようには見えない。謎。

工作完了状態は下。

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たこ焼き食いてえ

●19日水曜日。仕事で小金井の情報通信研究機構(NICT)に行く。

往路、ちょうど昼頃渋谷を通ることになるので、東急東横店地下の「道頓堀・くくる」で是非ともたこ焼きを買って食おう!と心に決めて出掛ける。

というのも、先週末の逗子の鎮守、亀岡八幡のお祭でたこ焼き屋台を見て以来、無性に食いたくなっていたため。

以前に書いたように現在はカロリー制限中であり、たこ焼きを食うとなると、一食分をそれに充てるくらいの覚悟が必要。しかも相手は「粉もん」(=炭水化物)なので、カロリー制限内に収めていてもそう頻繁に食っていいものでもない。

それだけの貴重な機会を消費して、味がいまいちだとガッカリ感が半端ないので、屋台のたこ焼きは諦め、折角なら(数日後に)「くくる」のものを食べよう、と思っていた次第。

――が、結構余裕をもって出掛けたつもりだったにもかかわらず、渋谷到着時点で、待ち合わせに遅れかねない時間になってしまい、たこ焼きは諦めざるを得ない状況に。くううううう。

たかがたこ焼きで、と言うなかれ。人間、好きなように物を食えないとなると、それだけ「食い物の恨み」も深くなるのだ。……もちろん、きちんと所要時間を計算せず、「まあ、こんなもんか」で余裕を持ったつもりになっていた自分が全面的に悪いわけだが。

●NICTのとある建物の屋上に、なぜかカブトムシ、クワガタムシのアタマ(頭部と胸部)だけがゴロゴロしている。聞くと、どうもカラスがこれらを獲って来て腹のほうだけ食うらしい。ホントかなあ。

いずれにせよ、周りにまだ武蔵野の森が残っているので、カブトムシやクワガタムシも豊富らしいことは判る。

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●都内に出たついでに、大きく回り道して、四谷仙波堂に寄る。先日、hnさんから「MasterClubの0.6mm丸頭リベットが入荷してたよ」という話を聞いていたので、リベットの買い足しを兼ねて。

……が、0.6mmはさっさと売り切れてしまったらしく無し。wz.34装甲車に使った分、補充しようと思っていた0.7mmと0.5mmも、0.7mmが一袋あっただけだった。また近々入るかなあ。MS modelsに注文するかなあ。

というわけでその他の買い物。

20170721_024741「TRACKSTORY No.12 LES AUTOMITRAILLEUSES CITROËN KEGRESSE」

P.ダンジュー氏によるWW2フランス軍AFVのモノグラフ・シリーズ、トラックストーリーの最近の号(といっても、出たのはしばらく前らしい)。シュナイダーP16装甲ハーフトラックは昔から非常に気になっている車種で、「こんな号が出ていたのか!」と即買い。

もっとも、さすがにP16だけでは間がもたないと見えて、前史である最初のシトロエンのハーフトラックから綴っていて、P16に関しては分量的には半分くらい。

なお、シトロエン・ケグレスをベースとした装甲ハーフトラックの最初期のものにP4Tというのがあるが、これは、私が今作っているwz.34装甲車の原型であるwz.28装甲車にそっくり。それも当然で、ポーランドがシトロエン・ケグレス・ハーフトラックのシャーシを輸入し、P4Tを参考に装甲ボディを作って載せたのがwz.28装甲車だからで、wz.34装甲車にもそのまま引き継がれた六角キューポラはP4Tにもすでに載っている。

シュナイダーP16はP4Tの直系子孫のような車輌なので、wz.34装甲車とP16は「はとこ」くらいの関係になる。

P16はとにかく表面ディテールが半端なく入り組んでいて、さすがにこれをスクラッチで作る度胸はない。以前、DESで1:35のレジンキットが出ていたのだが、出来はどうだったのだろうか。

20170721_025452Passion Models 「Sd.Kfz.231/232(6rad)」用エッチングパーツセット

パッションの新作、ドイツ6輪装甲車用。

そもそもイタレリの6輪装甲車のキットは、「昔のイタラエレイの爪の垢を煎じて飲ませたい」くらいのどよ~んとしたキットで(それでもHiPMの簡易インジェクションよりはマシだと思うが)、そんな相手にディテールアップパーツを張り込むのは、負け続けのギャンブルでさらにレイズするようなもの、という気もする。

実際、四谷仙波堂のサイトでこのセットの紹介を見た時も、「これはなるべく我慢する方向で……」と思っていたのだが、現物を見ると、「いやいや、それでもイタレリの6輪は持っているんだし。好きな車両だし」と、つい衝動買い。

中身は、「とにかくこの車輌を好きな人が凝り性炸裂で作った」感がヒシヒシ。一昔前のありがちなエッチング・セットのように、「とりあえず金属に置き換えただけかよ!」的なパーツはない。……が、その一方で、工作の難易度は「これ、オレ、作るの? 作れるの?」と不安になるレベル。

曲面上に付く雨どいや、凸部のあるクラッペは、冶具が付属していて自分でプレスして形状を作れという指示。各部のヒンジは、土台部分だけあって、軸部は伸ばしランナーで、リベットはどこかから削り取って流用するか、伸ばしランナーの輪切りで作ることになっている。いやまあ、アベールのように軸部を巻いて作れというのも、それはそれで困っちゃうけれども。ちなみにそのリベットは頭の径が0.45mmと0.3mmという指定。うーん、MasterClubにもないサイズだな……。

とにかく、これで2000円という値段は内容を考えれば割安感があり、設計者の熱意に押し切られて買ってしまった感じもあるが……。うーん。これ、作る日来るかな……。

理性的に考えれば(ぶっちゃけた話)、イタレリのキットにこのセットを奢るよりも、ブロンコあたりから6輪装甲車の新作が出るのを気長に待った方がいいような気もする。もちろん、こういうちょっとマニアックなアイテムのエッチングセットを今後も出してくれることを願って、それなりに売れて欲しいな、とは思うけれど。

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改めて披露山(後編)

●軍事遺構としての披露山公園の観察記オマケ。

長くなったので、前編に貼った終戦直後および現状(2014年)の航空写真比較を再掲しておく。繰り返しになるが、写真は国土地理院地理空間情報ライブラリー、「地図・空中写真閲覧サービス」より。終戦直後のものは1946年2月に米軍が撮影したUSA-M46-A-7-2-84、現況は上写真と同じCKT20141-C5-8より切り出し・加工。

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披露山公園山頂広場は写真のように南北に細長いが、3つの高角砲台跡(⑤花壇、⑥展望台、⑦猿舎)がほぼ同一レベルにあるのに対し、猿舎より南の海側は、1段低くなっている(1~2m程度?)。

●公園南端から、逗子湾側を見下ろす(下左写真)。

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逗子湾との間にまだ山並みが少々続いているため、こちらも鎌倉側同様、湾奥(逗子海岸)は見えず、わずかに湾口と、その向こうの葉山の海が見える程度。やはり海岸線防衛用途は考えていないようだ。

右写真。南端近くにはベンチと、元は藤棚かバラ棚かだったのだろうが、現在はワクだけになった展望スポットがある(⑨)。写真左端に見えているのは猿舎。写真中央に写っている木立の位置には、終戦直後の写真を見ると、何か小さな建物があるのが判る。監視所分室のようなもの、あるいは兵員の詰め所か。

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その場所には、現在、水道施設の小さな建物がある。建物自体は古いものではなさそうだが、一段掘り下げてコンクリートで作ってある土台部分は高角砲陣地時代のもののように見える。

●山頂広場から西側への遊歩道を降り、披露山庭園住宅を挟んで向かい側には、大崎公園がある。披露山山頂よりは一段低い場所にある。

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この表示を見ると、披露山公園の山頂広場より15mちょっと低い。下写真2枚は、大崎公園から見た披露山山頂を見上げたもの。

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左写真中央に披露山公園展望台、右写真中央に山頂広場突端のベンチ周りの「ワク」が見える。

披露山山頂より低いとはいえ、こちらのほうが海に突き出した岬の真上にあるので見晴らしはよく、逗子湾も一応砂浜が(全部ではないが)確認できる。

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ちなみに、大崎公園突端あたりは昔は「よばわりやま」と呼ばれたそうで、岬の上から魚の接近を見張って大声で知らせたのだという。逗子市教育委員会発行の「逗子市内の地名調査報告書」(1998年)には、

昔は「ヨバワリヤマ」から知らせが来ると、かじきまぐろなどを突きん棒でよく獲ったものです。

という回想が載っている。

このサイトによれば、この大崎公園の場所にも、披露山山頂の高角砲陣地と関連して、聴測所等があったらしい。もっとも、披露山山頂ほどの旧軍事施設らしい痕跡は見当たらない。

よくよく探すと、当時のものであるらしい、何かの機器か機銃の台座の可能性もあるコンクリートの小構造物(の残骸)があるそうなのだが、今回は(そこまで本気で探さなかったので)見つけられなかった。

●なお、この大崎公園西側(小坪漁港側)の崖下には、大戦中のものかと思われる壕がいくつか開口している。写真は何年か前に撮ったもの。

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最後の写真に見るように、これらの壕は奥でつながっているらしい(オオゲジ等がワサワサいそうな気がするので入ったことはない)。

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改めて披露山(中編)

●逗子市立披露山公園、元・小坪高角砲台レポートの続き。

ちなみに(前回書かなかったが)、この披露山山頂は現在の住所で言えば「逗子市新宿」であって「逗子市小坪」ではない。それがなぜ「小坪砲台」なのかと言えば、昭和18年まで新宿は小坪の一部(東小坪)であったため。

●入口から数えて2番目の砲台跡である展望台(前回現況航空写真の⑥)。

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ただし前述のように、小坪高角砲台には3基分の砲台跡があるものの、実際には12.7cm連装高角砲は2基しか配備されず、この展望塔になった場所には、探照灯か測距儀か、要するに高射砲の「周辺機器」が据えられていたらしい。

ちなみに小坪高角砲台は日米開戦前に建設されているが、なかなか砲は配備されず、一度決まった砲が軍艦に回されてしまったりして(もともと12.7cm連装高角砲は艦載用途なのでそちらが優先されたものか)、実際に配備されたのは1942年6月になってからだった由。その2カ月前にはドーリットルによる日本本土初空襲があったから、それを受けて慌てて配備したのかもしれない。

さて、展望台は中心の太い柱で支えられ、その柱の両側に螺旋階段を添わせた形状。展望台下の崖側はウッドデッキ(左写真で奥側)、反対側(階段入り口側、左写真で手前側)はコンクリートで地面と同レベルになっているが(階段手前はさらに一段高かったかも)、北側(左写真で右側)一部だけは一段窪んでいる。この窪みの外周が、猿舎と相似の傾斜面になっているのは、hnさんの記事を読んで改めて気付かされた部分。

展望台階段脇には(東日本大震災後にあちこちに掲示されるようになった)標高掲示があり、この地点(おおよそ山頂広場全体)が92.5mの高さであることが判る。

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展望台に上らずとも、この展望台下の崖際は披露山山頂広場の中でも見晴らしのいいポイントのひとつ。暑い日の午後、もやっているうえに逆光なのでこんな感じだが、時刻や天候、季節によっては、正面の江の島の向こうに富士山が綺麗に見える。

もっとも砲台の立地として考えると、手前の(現在の披露山庭園住宅の)高台に遮られて小坪湾は見えず、右手中景に出っ張った飯島崎のために鎌倉湾も見えない(さらにその向こうは稲村ケ崎)。もともと12.7cm連装高角砲(四十口径八九式十二糎七高角砲)は対空・対艦両方に使える両用砲として作られたものだそうだが、仮に山頂西端にあるこの場所に砲が据えられていたとしても、こちら側の海からの侵攻への対処は考慮されていなさそうだ(そもそもほとんど俯角が取れないすり鉢砲座になっている時点でそうだとは思うが)。

ちなみに飯島崎の崖面には、まさに対艦の防衛用として、洞窟型の「西小坪海面砲台」が作られていた。この洞窟砲台では、終戦後、地元の子供たちが入り込んで遊んでいる際に未回収の弾薬が爆発、14人が死亡、23人が負傷する事故が起きている。これについては以前にも記事にしている。

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上2枚は展望デッキの写真。

砲台とは関係ない話だが、デッキ外周の壁が外側に向かって広がる形に傾いているためなのか(加えて、天井が中心に向かってわずかに下がっていることも関係しているかもしれない)、この展望デッキは、「常に自分がいる場所が一番高く、反対側に向けて床が低くなっているように感じる」という、非常に不思議な感覚というか、ある種のだまし絵的不安感を抱かせるものとなっている(最初は、「あれ? この展望台、もしかしたら傾いてる?」と思った)。写真ではうまく伝わらないだろうし、もしかしたら、たまたま私がそう感じただけなのかもしれないが。

もちろん、展望デッキに上がって、遠くの景色を眺めて「うわー綺麗だねー」と言ってすぐ降りてしまえば気付かないままだと思う(それが本来の用途ではあるが)。もし披露山公園においでになる機会があったら、展望台に上って景色とは逆に柱側を向いて確認してみて欲しい。

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花壇および猿舎は、直径12mの「コンクリートのすり鉢」の外側はそのまま地面だが、この展望台だけはさらに1m幅くらいにコンクリートが打ってある。よく見ると、コンクリート表面に点々と穴を補修した跡があり、すわ、機銃掃射の跡か!?と思ったのだが、よくよく形を見ると、どうも犬の足跡のようだ(あるいはもしかしたらタヌキ?)。コンクリートが固まる前に迷い込んだものか。

展望台から落ちる雨水などで周囲がぬかるまないようにとか、そんなような理由で展望台建設時、あるいはその後に追加で打設されたものではと思う。

●3つめの砲台跡である猿舎(前回現況航空写真の⑦)。……ようやく!

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先述のように、コンクリートで作られたすり鉢状の構築物は、ほぼ当時のまま。その上に、ドーム状の金網と、金網から1mほど?離れて柵が設けられている。

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猿舎内は2m程度すり鉢状に掘り下げられており、斜めになった周囲の壁面には弾薬の仮置き場か、四角い壁龕が並んでいる。

これまではボンヤリと「要するにこういう形に作った猿舎なんだな」という先入観で見ていただけだが、実際、他の場所の遺構の写真と比較しても当時の高射砲陣地の形状をほぼそのまま残しており、猿舎内も、目立つ変更点は南西側に作られた猿山と中央の水飲み場、さらにその中央の檻の支持柱程度。

自分の立っている側の壁面は見えないので(しかも猿舎の間近に立っていると、この暑い季節、結構匂いがきついので)念を入れて数えてはいないのだが、壁龕の数はおそらく8つ。ただし、8つの壁龕は45°の等間隔ではなく、階段とその隣の四角い小檻のある部分の左右の壁龕は離れていて、その分、他の壁龕間の間隔は45°より狭くなっているようだ。上写真でも、よく見ると一つ置いた壁龕間の角度は直角には足りていないように見える。(8/8追記。これはどうやら勘違いだったようだ。補足記事参照)

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この小檻の中の構造に関しては、たまたま猿の飼育員さんがいて聞くことができた。檻の奥は壁龕よりもずっと大きな空間(地下室)になっており、「外に出ている檻の2倍くらい奥行きがある」由。猿舎としてわざわざ小檻を作った理由は聞き忘れたが、小檻の扉は通常は開放してあり、暑い日には猿が地下室に入って涼んでいることも多いそうだ。

砲台当時の用途は、警戒態勢時の兵員の詰め所、もしくは銃爆撃の際の避難所かと思うが、私にはよく判らない。

なお、「すり鉢」周辺は基本は土の地面だが、この小檻(地下室)の入り口付近の上だけは若干コンクリートが露出している。hnさんがレポート前編で引用しているほぼ同形の砲台の戦時中の写真(山口県大津島高角砲台のもの?)では、この「控室」は天井がないので、ここも戦後に天井を被せて地下室化した可能性はあるかもしれない。

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猿舎内に降りる階段。階段そのものは砲台時代のままのようだが、扉は階段の約半分の幅しかない。猿舎を囲む金網の下にはコンクリートの脚(土台)があるが、これはすり鉢状の砲台の構築物の上に、金網を被せる際に継ぎ足して作ったものと思われる。このコンクリートの脚は、階段部分も(扉の直下を除いて)コの字に囲んでいる。

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中央の現・水飲み場が、もともと高射砲の砲架が据えられていたところで、元は前回冒頭に貼った猿島の台座跡のように砲据え付け用のボルト列があったのではないかと思われる。

hnさんは「底の部分にコンクリートが全面に敷かれてるのは、戦前にはなかった仕様。」と書かれているが、ここ以外の同形式の高角砲陣地遺構の例を見ても、ある程度広い面積でコンクリート床になっていたのではと思われる。右写真には、水飲み場の外側に何かを取り外したような、鉄製の輪が埋まっているのが確認できる。砲台時代からのものである可能性があるが、正体は不明。

●付け足しのあれこれをあともう一回続ける予定。

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改めて披露山(前編)

●逗子市西北端に近い披露山の山頂一帯は市営の披露山公園として整備・公開されているが、ここはかつて海軍の高角砲陣地であり、円形の花壇・展望台・サルの檻は高角砲の台座を流用している。

――という話は以前から何度かここで話題にしているのだが、これに関し、hnさんがブログで面白い探訪・考察記事を上げていて、改めて興味をかきたてられたので、8日土曜日、散歩がてら出掛けてみた。

●そもそも「高角砲(高射砲)の台座を流用」といったところで、花壇・展望台・猿舎に作り替えるために掘り返してしまい、当時の名残りというのはせいぜい「円形であること」程度なのではないか……と、ずっとボンヤリ思っていた。

要するに、元の状態として、横須賀・猿島の高角砲台座のような状態を思い浮かべていたのである(下写真)。ちなみに、終戦直後に書かれた横須賀海軍警備隊「砲術科兵器目録」によれば、据えられた火砲は披露山(小坪砲台)も猿島も同じ12.7cm連装高角砲(正式な名称は四十口径八九式十二糎七高角砲)であったらしい。なお、猿島要塞探訪記についてはこちら

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しかしhnさんの記事によれば、特に猿舎は、ほとんど当時の高角砲陣地の原型をとどめているのだという。

猿舎はすり鉢状に2m近く窪んでいて、コンクリートの壁面には8カ所?の壁龕があるが、これは弾薬仮置場ではとのこと。hnさんが紹介しているこちらのサイトでは、山口県にある高角砲台跡(および当時の写真)が載っており、確かに披露山公園の猿舎内と瓜二つ。

これに関しては私が繰り返すよりも、hnさんの考察記事を読んでいただく方が早い。

披露山公園、あるいは小坪防空高角砲台(前編)
披露山公園、あるいは小坪防空高角砲台(後編)

実際にどのような感じに砲が据えられていたのか、hnさんは簡単に図面も起こされていて、これも判りやすい。

改めてウェブ上で披露山の高角砲陣地について検索すると、猿舎がほぼ砲台の原型を保っていることについて言及しているところもいくつかあり、私がそれらを読み飛ばしていただけだった。迂闊。

●そんなわけで、改めて撮ってきた写真を中心にあれこれ。その前におさらい。

以下は逗子市西北部の航空写真(国土地理院地理空間情報ライブラリーの「地図・空中写真閲覧サービス」、2014年9月撮影のCKT20141-C5-8より切り出し・加工)。

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中央やや右の黄色矢印が披露山公園、中央下のオレンジが大崎公園(後述)、左端上のピンク矢印が西小坪海面砲台跡。

その他の大まかな説明をしておくと、右下の砂浜が逗子海岸。中央の小判型の住宅地が、逗子のビバリーヒルズ的高級住宅地である披露山庭園住宅。他と比べて1軒ごとの建物のスケール感がちょっとおかしい。大崎公園左上が小坪漁港で、その隣の埋め立て地が逗子マリーナ。写真左上端にある岩礁のようなものが、鎌倉時代に船着場として作られた和賀江島

下は、披露山山頂付近のみを切り出し拡大、終戦直後の状態と現在を比較してみたもの。写真は同じく国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」からで、終戦直後のものは1946年2月に米軍が撮影したUSA-M46-A-7-2-84、現況は上写真と同じCKT20141-C5-8より切り出し・加工。

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前述のように、高射砲の台座は3基分作られたのだが、実際の砲は2基しか配備されず、現在展望台になっている場所には測距儀か何かが据えられていたらしい。実際、上写真でも、真ん中のマルは上下とちょっと違って写っており、いくぶん窪みが浅いようにも見える。

●山頂の北東側、一段低くなった平場は、現在駐車場として利用されている(上写真①)。終戦直後の写真に写っているように、この場所には、もともと兵舎と思しき大き目の建物があったらしい。

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駐車場の東側突き当りからは細い山道があり、その先には憲政の神様と呼ばれた尾崎行雄(咢堂)の旧宅「風雲閣」跡がある(その向かい側は三文文士の元東京都知事邸だ)。これを記念して、駐車場中ほど北側には、尾崎行雄の記念碑が立っている。

駐車場の南側からも浪子不動(高養寺)に降りる山道があり、ハイキングコースの案内板が立っている。駐車場からこの道筋を少し降りたあたりに数カ所、コンクリートブロックでふさがれた横穴がある(上写真②のあたり)。高射砲陣地用の弾薬庫だったのではと思われるが詳細は不明。この2枚の写真は1年半ほど前に撮ったもの。

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駐車場から山頂広場に向けてゆるいスロープになっており、その中途にもコンクリートでふさがれた横穴跡のようなものがある(上写真③)。

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これも弾薬庫だったのか、それともこの上にも監視所・指揮所関連の建物があったようなので、その地下室と連絡していたのか。

スロープを登った右手には現在レストハウスがある(上写真④)が、これは監視所跡であった由。上の建物は新しいが、スロープ側に入口がある半地下はコンクリートの頑丈そうなもので、おそらく当時まま流用されているのではと思われる。

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●スロープ上から山頂広場を望む。手前に花壇、中央奥に展望塔、左手奥にちょっと隠れて猿舎が写っている。

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まずは花壇(上写真⑤)。二重の縁石に囲まれていて、その間は細いドーナツ状の池になっている。こんなにせせこましい池なのに(公園案内板によれば、3つの高射砲台座跡はすべて直径12mだそうだ)ザリガニが繁殖していて、子供たちのザリガニ釣り場になっている。ちなみにここのザリガニは結構スレていて、エサのさきいかを挟むまでは行くのだが、釣り上げようとするとするとすぐに離してしまうため、小さな網を持って行かないとなかなか捕まえられない。

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閑話休題。流石にこの花壇こそ原型との共通点は丸いことくらいしかないんじゃないか、と思ったのだが、hnさんによれば、他の2つ同様、もともとのすり鉢状のコンクリートの構造物はそのまま残っているらしい。どのように改造されたかの詳しい推察はhnさんの記事に譲るが、hnさんが実際に池に手を突っ込んで確認したところ(偉い!)、池の外周の壁面は垂直でなく、内側に向けて斜めになっていたという。外周は砲台そのままで、単にその上に縁石を載せてあるらしい。

長くなったので続きはまた改めて。

●「RWBY」のテレビ放映が始まったのだが、なんと大幅に中身が端折られていた。なにこれ。DVDプロモ用の撒き餌か何か? 吹き替え版で話が分かりやすいので続けて観たいとは思うけれど、かなりガッカリ。

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人工衛星

●人工衛星のルービックキューブを貰った。

……なぜルービックキューブ?

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なお、一度絵を崩したら、私自身はもう復旧できない(2、3面くらいなら揃えられるが)。

●合わせて、人工衛星の扇子も貰った。

……なぜ扇子?

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もっとも季節的にはちょっと有り難いかも。うちわも常備しているけれど。

香木の香り付き(本物はかなり高いものだそうなので、当然人工的に付けたもの。消えたらそれっきりらしい)。

20170703_232114 ●その昔、東神奈川にあった「模型ラッキー」の特売品で買ったスティックタイプのヤスリが妙に使い勝手がよく、「ヤスリ掛けといえばとりあえずコレ」的に愛用してきたのだが、さすがにくたびれてきた。右の上になっているのがそれ。

いつ買ったのかよく覚えていないが、東神奈川の模型ラッキーは2006年?に閉店しているので、少なくとも10年以上は使っていることになる。

ヤスリ面がボロボロになるまで使い続けるというのも、諦めが悪いというかビンボ臭いというか、我ながら呆れるが、もともと粗目(200~300番くらい?)と中目(400番くらい?)だったヤスリ面の粒子がいい具合にヘタレてきて、割と細かいパーツの粗削りと仕上げとに都合よく使えたのだ。芯材は固めのウレタンフォーム(?)の中心に硬質ゴムが挟んであり、適度な厚みと固さが良い。

もっともここまで剥げてしまうとさすがに問題なので、まったく同じ時に買って10数年、引き出しの中で眠り続けていたもう一本を引っ張り出してきた。それが右の下側。……これも今後10年間使えるかな?

これまで使ってきたボロボロの1本は……。やたらに寺社がある鎌倉のこと、針供養のように、どこか一軒くらい、ヤスリ供養とかしてないかしらん。針供養は豆腐に針を刺すそうだが、ヤスリ供養は豆腐の角を削るのか?(むしろ難易度が高そう)

なお、似たようなヤスリスティックはネイリストの娘から一束(10本くらい?)貰ったりしてだいぶ在庫があるのだが(左の2本)、どれも先のものより番目が粗すぎて汎用性が低い。ただ、一番左のライトグレーの1本は粗削り専用としてしばしば使っている。やたらにゴリゴリよく削れるので、削り過ぎに注意する必要がある。

20170703_232202 ●ヤスリに関してもうひとつ。SUMICON掲示板で、hnさんに教えて貰った「神ヤス!」を2種買ってきた。布裏地のペーパーにちょっと固めのスポンジのベースが付いたもの。上記のスティックタイプは基本、曲げることはできないが、こちらはベース付きの使いよさをある程度持ちつつ、曲面にして使うことができる。

番手が5種類、スポンジのベースの厚みが3種類あるなかで、とりあえず、2mmの240番、3mmの600番を買ってきた。

●夏アニメ。なんと「RWBY」の日本語吹き替え版がテレビ放映されるそうだ! うぉう!

あとは、原作を読んだ「異世界食堂」は観るかなあ。

●4日火曜日。家の前の坂道を降りていたら、道の脇の草むらの葉の上に、ムラサキシジミが止まっていた。

逗子近辺でも時々見かける蝶なのだが――見かけるといっても、年に1、2度見るかどうか。しかも、翅裏は(蝶にはよくあることだが)ひどく地味な、ちょっと斑のある茶色で、せっかく目撃しても、止まった状態では翅を畳んでその翅裏しか見せてくれないことも多い。

ところが今回は翅を広げて止まっていて、焦げ茶の縁取りに、深い青紫の構造色の美しい模様を見せていて、思わずゾクゾクした。もちろん、さっそく写真を撮ろうとしたのだが……。そんなに近付いてもいないうち、スマホを向けただけで飛び去ってしまった。まったくもって残念無念。

せっかくスマホをカメラモードにしたので、近くの葉上にいたハエを写した(ヤドリバエ科?)。何この落差(泣)。

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ちなみに、何年か前に鎌倉で撮ったムラサキシジミはこんな感じ

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