新製品ニュース

●前回記事へのコメントで、めがーぬさんから第一報を聞いて仰天したニュース。タミヤから、

  • IV号戦車F型
  • マーダーI(7.5cnPaK40搭載ロレーヌ牽引車)

が発売される由。7月1日、2日に開催された静岡模型教材共同組合主催の商談会の場で発表されたらしく、3日付のタミヤのツイッターでも公表されている。

田宮会長が旧製品のリニューアルを積極的に図っていきたいと語っていた旨、“ハラT”青木伸也氏のつぶやきで読んだ覚えがあるのだが、上のIV号F型はその流れかな、と思う。

旧キットで出ていたD型ではないのは違いがあり過ぎて既存の設計データや部品の使い回しが基本全くできなくなるためかと思う。よくよく写真を見ると、見本の前の札に「砲塔、車体上部、履帯、人形など主要な部分は新規開発。(グレー成型色の部分)」と書かれていて、要するに車体下部や転輪等は、既存のH初期型キットからの流用ということになる。中型ハブキャップの幅広転輪はすでにH型キットで使われているのでそのまま、履帯はベルト式でなく部分連結式に変更だろうか。ハンガリー軍IV号戦車の“主力”がF型だったことを考えると、タミヤのY氏の陰謀もありそうな気もするが、それなら38(t)がG型ではなかったのが解せぬ(笑)。

タミヤの最近の新製品の傾向を見ると、特定の仕様・塗装例に準拠した構成にしている場合と(たとえば38(t))、塗装例とは細かい仕様が違っていても比較的標準的な構成でまとめている場合と(例えばKV)の2系統があるような気がしているが(あるはそこまで考えていないのかもしれないが)、このIV号F型の場合はどんな出し方をしてくるのかもちょっと気になる。

もっとも、F型以降は傑作・新作キットがすでに存在しているのに対し、D型は今なお最もマトモなキットが、最初の箱組からすでに難儀な旧トライスター(現ホビーボス)であることを考えると、「なんでD型じゃないんだ!」と言いたいIV号マニアは多そう。F型じゃ大戦初期(フランス戦まで)のシーンにも使えないしね。

ロレーヌベースのマーダーIについてはさらに驚き。今世紀に入ってからのタミヤの新製品で、個人的に「ええっ、そんなの出すの?」と最も驚いたのはルノーUEだったような気がするが「(シムカとかはUEの後だったし、ちんまいキットだったのでまだショックが小さかった)、それに匹敵するかも。しかし、原型のロレーヌ牽引車は、展開として想定はしているだろうけれど、いつ出してくれることやら……。

もういっそのこと、マーダーIとロレーヌ牽引車のコンパチにしてくれないかな……。38(t)ベースのマーダーIIIなどと違って大胆なレイアウト変更とかはないわけだし。

●上で名前の出た青木氏は現在タミヤのKV-1をこつこつ組み上げてそろそろ塗装に入ろうかという段階に到達している。しかし改めて考えると、氏はタミヤのKV発売に前後して「タミヤの新KVの部品取り用に」と、トランぺッターのKVを2輌も新規調達したはずなのに、パーツを一つも流用した気配がない。

私自身はといえば、とりあえず部品取り用のトラペKV(KV-2)を1輌持っていて、誘導輪はそちらを使おうか迷い中。転輪のゴム抑え板もできればトラペのものを使いたいのだが、今後のことを考えると、ゴム抑え板はそのまま使うのではなく、複製量産して使いたい感じ。

小さく平たいパーツなので、型自体は「おゆまるくん」の片面取りでいいとして、複製材料はお手軽で/安価で/気泡が残りづらいのは何がいいのだろうか。KVのゴム抑え板程度だと複製材料の量自体少なくて済むので、キット一つ複製するような量のものは確実に余す(そして使い切る前にダメにする)可能性が高い。もう数十年前に、KV初期型転輪を作るのに2液混合無発泡ウレタンを使って以来、まともに複製はしたことがなく、「複製経験値」が著しく低いので、適当な材料がぱっと浮かばない。「ちょっとした複製ならこういうのがいいよ」というお勧めがあればぜひご教授下さい。

さらに脱線。青木氏のツイートの中に、「ねこちぐら」に名前を残したことで(ごく一部で)有名なフォン・ツィーグラー博士の名前が出てきて、久しぶりにその名前に接して懐かしくなる。あまりに懐かしかったので、20年以上前に書いた「ニイガタハシリマイマイ」の記事を復活させてみた。

今読むと「なんで一種しかいないのに学名に亜種名が付いてるんだよ」とか、「殻が軽量といっているカタツムリがかかとにあたってもビックリはするかもしれないけど骨折はしないよな」とか、いろいろツッコミどころはあるもののそのまま。

●前回記事に関わるこぼれ話。

▼裁判員・補充裁判員には日当・交通費が支払われる。日当は拘束時間当たりで一日一万円が限度。交通費は「こうやって来ています」という申告は不要で、勝手に裁判所側で経路と値段が算定される。書いてあった金額は私が実際に使っている交通費より若干低く、基本「一番安い経路」で算定されるらしい。今回は天気が悪い日も多く、逗子駅と自宅間はバスを使うことも多かったので交通費的には足が出た感じ。

もっとも、徒歩の部分のキロなんぼで計算されるらしいので、「逗子から横浜地裁まで歩いてこい!」というようなことにはならない。

▼現在はネットが発達している世の中なので、事件によってはネット上にも様々な情報が流れていることがある。基本、裁判員裁判の対象になるのは注目度が高い重大事件であることが多いので、それだけネット上の情報も多くなる。が、あくまで裁判員が下す判断は法廷に出てくる証拠にのみ基づかなければならないので、「予断に結び付きかねないので、わざわざ調べるようなことはしないでください」と念押しされた。

▼横浜地裁は裁判員制度導入直前に改築されていて、そのため、実は細かいところで裁判員制度に適した建物の構造になってないんですよ、というような話を聞いた。

ちなみに裁判員制度が導入されてほぼ10年。裁判官のほうも、若手は最初からこの制度下で裁判を行っているわけだが、ベテランはこの制度導入前あら仕事しているわけで、それまでは(裁く対象である被告人は別としても)基本は検事、弁護人という「法律のプロ」と仕事を進めていればよかったものが、いきなり素人を相手に、引率の先生か添乗員みたいな仕事をしなければいけなくなったわけで、なかなか大変そう。裁判官に求められる資質も違ってきているのかもしれない。

ただし、「裁判を身近で判りやすいものにする」「裁判の中に一般市民の感覚を取り入れる」という制度の目的の一方で、うがった見方をすれば、「素人の裁判員たちを上手に、それと気付かせないように意見誘導してまとめ上げる」のが優れた裁判官であるということになりかねない、という危惧も当然ある(今回の裁判では逆に「えっ、裁判官って、素人の裁判員の言うことをいちいちそこまで取り上げて検討するの?」と思ったりしたが)。

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裁判員

●29日月曜日昼前。自宅で、今年初めてのニイニイゼミの声を聴く。

●30日火曜日。「Pokémon GO」にアップデートが入り、約20日ぶりに私のスマホでもログインできるようになった。いそいそと近所の公園のジムに自分のポケモンを配置しに行く。

20200701_230147 ●前回、「用事があって横浜に連日通っている」と書いたのだが、具体的には、横浜地裁での裁判員(より正確には補充裁判員)。なんとかお勤めも終了し、こんな記念品を貰った。

「裁判員バッジ」って……。こんなん付けて歩く人、いるのか?

デザイン的にも、なんだかゲームセンターのコインっぽい。ただしゲームコインほどの大きさはなく、1:35のKVの転輪とほぼ同サイズ(たまたま現在最も手近にある比較対象)。もっともピンバッジとしてはやや大きめ。

デザインは手錠……ではもちろんなくて、二つの輪は裁判官と裁判員が協力して事に当たること、その効果は無限大(∞)であることを示すのだそうだ。またバッジでは銀色だが、カラーだと二つの輪はそれぞれ暖色・寒色のグラデーションで、情熱と冷静を表すのだとか。

裁判員をやる前は「裁判員になったことは言っちゃいけないんだよね?」とボンヤリ思っていたのだが(たぶんそう思っている人も多いだろうが)、実際には、公判中は口外してはいけないものの(関係者が接触してくる可能性がある等々で)、公判が終了してしまえば、審理の過程には守秘義務があるものの、どのような事件の裁判に関わったのかまで含めて話して構わないのだそうだ。むしろ、裁判員制度について広く世間に知ってもらうという点からは積極的に話してください、くらいの感じのようだ。

ちなみに裁判員バッジは、かつては裏に通し番号(と裁判所名?)が刻印されていたらしいが、現在のものにはなく(コスト削減?)、若干「プレミア度」が低い(……ことを惜しいとも思わないが)。いずれ、現在の在庫がはけた段階でバッジの配布そのものがなくなる可能性があり、「その意味では貴重品と言えるかもしれません」と裁判官に言われた。もっとも実際に付けて歩く人はまずいないだろうし、本当に「記念品」以上の意味を持たないので、廃止されて当然な気はする。というか、そもそもこんなものを作ろうと考えた人は明らかに何かズレている(マンホールカードとか貰って喜んでいる私が言うことではないかもしれないが)。

試しに検索してみたら、結構大量にヤフオクとかメルカリとかに出品されていた。まあ、そうなるよね……。

もっとも私は“物”好きな人間なので、一応は引き出しの中に入れて取っておくつもり。で、静岡ホビーショーのピンバッジなどと同様、忘れた頃に何かの弾みで手に取って「そういえばこんなん貰ったなあ」と思い出すことになるのだろうと思う。

●もともと、「今年、裁判員に選ばれる可能性があるから覚悟しといてね~」というような通知が来て、その段階では「どうせこれから何回か抽選があるのだから、選ばれることはないだろう」と軽く考えていたのだが、結局6月半ばには横浜地裁に呼び出され、当日の抽選で(この段階でたぶん30人くらいだったと思う)6人の正規の裁判員、2人の補充裁判員のうちの補充裁判員に大当たりしてしまった。

補充裁判員というのはごく簡単に言うと「ベンチ入りの補欠」で、公判の間、裁判員に(病気や急用などで)欠員が出た場合に代わって裁判員を務める役割。聞いた当初は、「じゃあ、出番が来るまでおとなしく隅っこに座って他の人の話を聞きながら待っていればいいのか」と思っていたのだが(むしろ居眠りしないでいられるかが心配だったが)、実際には最後の評決の際に一票として数えられないだけで、最初から最後まで他の裁判員とほとんど変わらず、評議の過程でも逐一意見を求められた。また、(正規の)裁判員が欠けた場合に代わって務めるというのも、(正規の)裁判員が出られない日/時間だけ、ということではなく、「一度代わったらそのまま最後まで」だそうだ(今回はそんなことにはならなかったが)。

審理において被告人に質問することはできないが、実際には「これまでの審理でどんな点が疑問で、被告人にどんな質問をしたいか」は事前に評議室で皆で話し合っていて、その際に補充裁判員が呈した疑問に関しては、法廷で裁判官が代わって訊ねるので、この点でも大きな差はない(ちなみに法廷では裁判官と裁判員が法壇前列に並んで座っているのに対して、補充裁判員はその後ろに下がった位置に専用の席が用意されている)。

最後の評決には加わらないとは言っても、細かい事項ごとに、「検察の言い分についてはこう思う、被告人の証言はこう思う、この行為についてはこう感じる」などと意見を述べ合っていて、そこに至るまでのある程度のコンセンサス形成に加わっているため、「最終的には何もしていない」といった印象はなかった(また最後の評決の際にも「“選挙管理委員会”をやってくださいね」と票の確認作業を割り振られた)。

もっとも、裁判所のサイトのQ&Aを見ると、補充裁判員に関しては

「1つの事件につき,最大6人まで選任」
「評議で意見を述べることはできませんし(裁判官から意見を求められた場合は可能)」
「審理や評議の進行状況やスケジュールなどを考慮した上で,これ以上職務を行っていただく必要がないと認められる場合には,裁判の途中で解任されることがあります」(今回は評決が終わった後、判決宣告日もきちんと出席した)

と書かれており、補充裁判員がどれだけ関わるかについては(そもそも何人選ばれるかも含めて)、その裁判を担当する裁判官の裁量に任されている部分も多いようだ(今回は補充裁判員にもどっぷり関わってもらう方針の裁判長だったということかもしれない。いや、他は知らんけども)。

ちなみに新型コロナ感染症拡大防止策として、いつもと対応が違っている部分もあれこれあったようで、評議も広い部屋で間隔を離してゆったり座り、法廷でも法壇上は各人の間にアクリルのパーティションが設けられ、全員マスク着用だった。

●選任手続の当日には「選ばれたら面倒くさー」と思っていたし、実際に選ばれて法廷に出たり、審議に参加している間は非常に緊張もしたし気疲れもしたのだが、終わってみれば、よい経験だったのではと思う。

もっともそれは、裁判員裁判の対象が重大犯罪であるとはいえ、今回の裁判は強盗致傷で、殺人等に比べれば事件の経緯も証拠も衝撃の度合いが低く、また被告人自身も起訴事実をすべて認めていて、法廷で争う姿勢がまったくなかったためもあるかもしれない。(実際に選任されてすぐにパンフレットが配られたが)メンタルケアが必要なほどの内容で、しかも審議すべき内容も複雑でなかなかまとめられないようなものであったら、印象も違ってくるかもしれない。考えてみれば、横浜地裁の管轄であれば例の「津久井やまゆり園」で19人が殺された殺傷事件を担当する可能性もあったわけだ(あちらはもう地裁の公判は終わっているが)。

一方で、起訴事実をすべて認めているために求められるのは量刑を決めることだけ(しかも検察官の論告求刑と、弁護人が最終弁論で求めた刑期のあいだにも、それほど顕著な差はなかった)で、「それならもう、裁判官が量刑の“相場”みたいなものに基づいて決めちゃっていいんじゃないの? 裁判員要らないんじゃない?」とも思ったのだが、実際には(前述のように)細かな事項のひとつひとつについて全員の意見を求め、「ではこれについては裁判官・裁判員の考えとして**というふうにまとめたいと思うがどうか」と諮られて進んでいくという具合で、人ひとりの人生を決めるには、やはりこれだけの綿密さと慎重さが必要なんだな、と実感させられた。

……と書くと、なんだか自分でもあまりに優等生的に結んでいるような気もするけれど。

●だいたい朝から夕方まで裁判所に居ることになる。天気が悪くて出るのが億劫なため、裁判所内で売られている弁当で昼食を済ませたこともあったが、昼時に雨が止んでいる時は近くの横浜中華街まで行って、なるべく違う店で肉まん(豚まん)を食べた。本当は「何か美味そうなテイクアウトがあったら裁判所に持って帰って食べようかな」と思っていたのだが、意外に、店先で弁当を売っている店は少なかった。

「横浜中華街でどの店の肉まん/豚まんが美味いのか」というのは昔からの個人的なテーマではあるのだが、きちんとチェックしているわけではないので、どこの店は食べたことがあるかが曖昧になり、今のところ「ここが一番」というのははっきりしていない。せいぜい、「1個500円は高いけれど(その代わり巨大)、やっぱり『江戸清』は納得できる味かな」程度。ほか、今回食べた中では、中華街大通りに面した「同發」のものがオーソドックスながらなかなか。なお、「中華街の肉まんだからどこもそれなりに美味い」ということはなく、中には「これならコスパ的にもファミマの黒豚まんのほうがいいや」と思うものもあったりする。

ちなみに中華街の人通りは、コロナ前と比較すると激減と言っていいくらい減っているように感じた。昼時に中華街大通りがこんなに向こうまで見渡せるなんてなかった気がする。

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実際には、中華街とは反対の馬車道側に行った方が、ビジネスマン向けの小食堂とか店先での弁当販売などが多かったようだ。最終日には、麻婆豆腐が美味いと裁判員仲間の人に教わった、太田町通りの「三熙(さんき)」という店に行って、「もつ麻婆豆腐定食」を食べた。味は甘いのにがっつり辛く、なかなか好み。しかしセットとしてサンマーメンが付くのは個人的には余計で、その分麻婆豆腐が多いほうがよかったかも(知っていればそういう注文にすればいいだけの話だと思うが)。

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近くで見た案内板。落ち着いて見れば、横浜の「中区」の年金事務所であることがわかるが、ぱっと見では、どうしても「横浜・中年」と読んでしまう。

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サヨナラ、ポスト

●用事があって横浜に連日通っているのだが、23日火曜日はその仕事も梅雨空も“中日”だったので、葉山方面に歩きに行く。

行程は、県道311号をずっと歩いて、桜山隧道を通って葉山町へ。長柄から葉山町役場前、大道入り口を経て御用邸前まで。そこから今度は海沿いに引き返して、鐙摺を通って逗子海岸。海岸経由で帰宅。

●ちょっと前に書いたように、現在、私のスマホでは「Pokémon GO」が起動できなくなっていて、外歩きのモチベーションが下がり気味(かといって、健康上歩かないわけにもいかないので歩きに出たわけだが)。

なお、私のスマホはポケモン的には使えないままだが、代わりに神保町の事務所のGさんが、FREETELの予備機を貸してくれた。私のスマホはau系で、FREETELにSIMを移して使うことはできないが(その辺の仕組みは面倒なので略す)、それでも、Wi-Fi経由であればポケモン専用機として使える。

しかしこれがなかなか微妙で、まず

  • 自宅でなら問題なく使える。
  • 神保町の事務所でも、事務所のWi-Fiに問題なく接続できた。
  • 横浜のヨドバシカメラの館内ではなんとか使えた。
  • が、その他、街の中のFree Wi-Fiの場合は「認証できませんでした。もう一度やり直してください」と出てきて、うまく接続できない。火曜日の散歩の際にも、Wi-Fiが使える葉山町立図書館に寄って試してみたがダメだった。

というわけで、現在、借りたFREETELは、ほぼ自宅内ポケモン専用機となっている。

ちなみに、「8月で32bit機のサポートを打ち切る」としたNIANTICの発表に関しては、その後、「終了予定を延期」ということになった模様。しかし、仮に8月で終了ということだとしても、本来は少なくとも7月末まではサポートすべきはずだが、6月初旬に発生した不具合にも関わらず、一向に解決の気配がない。NIANTICの「Pokémon GO」サポートページにおいても、「確認されている不具合」は、6月9日に


Android 5 または 6 の一部の端末では、アプリを起動できない場合がある

不具合内容:Android 5または6の端末をお持ちのトレーナーの中には、ポケモンGOアプリの読み込み画面を完了しても起動ができない場合がある。

ステータス:調査中


と書かれたきりで変化なし。いやまあ、古い低性能スマホの面倒まで、いちいちいつまでも見てられんよ、というのは判るんだけれども、それならそれで「これ以降はサポートをやめる」と言った期限まではしっかりやるか、できないならすっぱり「やめました」と言ってほしい。

●葉山町内には、現役の丸ポストが以前に調べた時点では9基あり、今回の散歩の経路上には、そのうちの6基がある。せっかくなのでついでに現状の写真も撮っておこう……と思ったら、その最後の1基、森戸神社近くのもの(堀内1047)が根石(台座の石)を残してなくなっていた。

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3枚目は2年前に撮った、「在りし日の姿」。もともとはポストの後ろの空き地は店があったらしく、その店が閉まった後は表に張られた板がポストの形にくり抜かれ、そこから半分現れる「埋まりポスト」状態で何年か存在していたらしい。2年前に見に行った時にはすでに建物がなかったが、結局はポストも撤去されてしまったらしい。なお、Googleのストリートビューを見ると、少なくとも昨年6月にはまだ存在していたことがわかる。

中の収集袋を立ったまま交換すれば済む角型ポストに比べ、丸ポストは体をかがめて手で郵便物を掻き出さねばならず、郵便局員には余計な不便を強いることになる。さらには手紙/はがきの利用自体が減っており、一方でポストの設置基準は昔よりも厳しくなっているようで、古いポストの消滅圧力はいよいよ増している。減っていくのは致し方ないのだが、それでも、できればできるだけ長く現役でいてほしいと思う。

なお、2年前に葉山の丸ポスト9基をまとめて訪ねた記録は以下。

今回確認した残り5基、

  • 堀内671:風早橋バス停近く
  • 堀内1825:向原交差点
  • 一色1818:セブンイレブン葉山一色店
  • 一色2095:町屋倶楽部前
  • 一色1657:近代美術館近く

は、収集時間に変更があった程度で、ちゃんと現存していた。残るうち、長柄769-1(御霊神社前)と、 一色692-2(葉山大道、HACドラッグ向かい)の2基については、比較的最近視認しているのでまず大丈夫。一色1222(一色小から大道を隔てて反対側の住宅地の中)だけは2年前に見たきり。

●なお、以上のような行程で歩いたのは、葉山のポストの現状確認が第一目的ではなく、葉山町のマンホールカードの題材になっているカラーマンホールが御用邸前の一か所だけにあり、それを見たいと思ったため。

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目的のマンホール蓋はより大きい蓋の中にはまった、いわゆる「親子蓋」形式になっており、さらに隣には同じく親子蓋になった(カラーではない)通常版のマンホール蓋がある。

葉山のマンホールカードについてはこちら

●マンホール蓋を見た後、一色の近代美術館脇から海岸に出たら、砂浜への出口のところで突然目の前からにょろにょろとヘビが逃げ出してビックリ(もちろん、のんびり日向ぼっこでもしていたらしいヘビのほうも、突然人が来てビックリだろうが)。

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3枚目写真は2枚目の拡大切り出し。柄模様から、「えっ、これって、もしかしたらマムシ?」とも思ったのだが、帰宅してよく調べてみると、コンクリート壁をほとんど垂直に登ることができる能力と、エラの張っていない頭部の形から見て、アオダイショウの幼蛇であるらしい(それなりに大きく、たぶん1mくらいはあったと思うが)。アオダイショウの幼蛇はマムシに似た模様を持つのだそうだ。

●葉山のポストが一基なくなったことをfacebookに書いたら、地元の知人から「逗子の4基は大丈夫?」と聞かれて、ちょっと心配になったので、土曜日に改めて見回りに行ってみた。結論から言うと、とりあえず全部無事。

●逗子の4基のポストを見回ったついでに、最も東の1基のさらに奥の谷戸に足を伸ばしてみる。

以前、facebookの逗子のニュースグループで、「地元民にしかわからない(俗称としての)地名、ランドマーク名」が話題になった。例えば「サリーちゃんち」(名越の山の上にある洋館)や「うんどこ」(第一運動公園)などがその例だが、そうしたなかに「はっしゃば」というのがあった。

それが今回訪れた一角で、具体的な住所は沼間4丁目12、13、15、16あたり。狭い谷戸に沿って、ハシゴ形の道路で区分けされた細長い住宅地で、南側は「ハイツ東逗子」という集合住宅、北側は戸建て住宅が並んでいる。「はっしゃば」とは、なんだか「ハッテンバ」の仲間と誤解されそうな名前だが当然無関係で、海軍の機関銃工場に付随した試射場(「横須賀海軍工廠造兵部 沼間機銃発射場」)だったことによる。

いつも通り、サイト「東京湾要塞」を虎の巻とした。

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最初の1枚は、地区の見取り図。

続く3枚は、谷戸の下手(南側)から、谷戸東側の道を徐々に北に進んでいく途中写真。こちら側はやや道が曲がっているので、途中まで行かないと北端は見通せない。3枚目が北端近くで、突き当りの向こうには、現在はヨコヨコ(横浜横須賀道路)が通っている。

4枚目は北端から折り返し、西側の道路を南に向いて撮ったもの。こちらは東よりも道路が真っすぐで、南端近くまで見通せる。

5枚目は南端にある街区公園。「柚沢」もしくは「柚子沢」が本来の小字名であるらしいが、読みは「ゆずさわ」ではなく「ゆずっさわ」であるらしいことが、公園名に振られたルビで判る。

6枚目も南端近くで見たマンホール蓋。旧海軍水道の水道路(すいどうみち)からはちょっと離れているにもかかわらず、なぜか横須賀市水道局の蓋。元軍用地なので、軍用水道の支線のようなものでもあったのだろうか? いや、浄水施設も介さないで、そんなことってあるのか?

このように、現在では遺構の類は何も残っていないが、当時は、南側に試射を行うための銃座や観測所、弾薬庫などがあり、北端が銃弾を受け止める土手になっていたらしい。現在では、地区の細長さに「なるほど、言われてみればそんな感じだなあ」と思う程度。

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最後に、終戦直後とほぼ現在の空中写真比較。例によって国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。左は終戦間もない1946年2月22日米軍撮影の「USA-M53-A-7-28」、右は2019年6月16日撮影の「CKT20194-C14-60」から切り出した。

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KV-1 1941年型 初期生産車 タミヤ 1:35(その2)

●タミヤの新作、「KV-1 1941年型 初期生産車」のチェックの続き。

履帯その他足回り関連

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履帯は全履板が同一でセンターガイドがある初期標準の構成。1940年型後期の一部ではセンターガイドがない履板が混ぜ履きで使用され、1941年型の中盤からは2分割履板が混ぜ履きされるようになる。

パーツの裏面には押し出しピン跡があるが、さほど凹凸はないので、スポンジやすりで少し削る程度でなんとなかるのではないかと思う(まだ試していない)。

左写真はマスタークラブ(旧版のレジン製)との比較。ディテールは(タミヤのほうがやや硬めかな?とは思うものの)大差なし。ピッチは、この写真ではタミヤ側が上部転輪に合わせて垂れた状態になっているパーツのため、画像の右端と左端とで違いが生じているように見えるが、実際にはほとんど差はない。ただし、キットの履帯は右用・左用で共通なので、連結ピンの内側・外側は区別されていない。

カステンの可動履帯がポンコツなせいで、手軽に(安価に)使える別売履帯がないのはKV製作上の悩みの一つだが、今回のタミヤのパーツは、上側の履帯のたるみが、タミヤの上部転輪間隔に合わせてあるのが他社への流用時のネックになりそう。もっとも、トランぺッターに流用するのであれば、(上部転輪基部が別部品なので)最初から履帯のたるみに合わせて上部転輪を配置するという手もある。

今回改めて写真は撮っていないが、ブロンコ、トランぺッター、カステンの履帯の比較はこちら

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左はタミヤの転輪サスダンパー。右は比較用のトランぺッター。タミヤのダンパーは下部側面がストレートになっているのに対し、トラペのものは基部のボルトに対応して段差がある(下部が幅広になっている感じ?)。

現存車輛の細部写真をあれこれ見比べてみると、タミヤのようにストンとなっているタイプもあるようだが、トラペのような形状のもののほうが一般的。

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サスペンションアーム(写真左)は、基部のキャップのボルトが6つの初期型標準の形質。41年型からは3つに減らされたタイプが使われるようになる。キットの仕様(41年型の最初期)の場合にどちらだったかは微妙なところ。40年型後期の一部では、溝は6つのまま、ボルトは3つに間引きされているものもあるようだ。

起動輪用のスクレーパー(写真右)は起動輪側の脚が別部品の2パーツ。写真は本体側。先端側外側に補強用のリブがあって、キットのパーツもやや片側(下側)に寄っているが、実車はもっと下に寄っている感じ。直しても直さなくても、ほとんど目立たない部分ではあるけれど。なお、青木氏の書き込みで知ったが、二股に分かれた脚部の間は完全に素通しではなく、補強板が入っている。

フェンダー

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トランぺッターの初期型KVは、おそらく、「フロントバヤ・イルストルツィヤ」の図面に引きずられて、フェンダー幅が広いミスがあったが、今回のタミヤのキットの幅は適正。ただし、フェンダー外側のL字材は、旧キットやトランぺッターでは小リベットのモールドがあったのに対して、今回の新キットはのっぺりしている(……というのを、邦人さんに言われて初めて気付いた。観察眼不足)。

2枚目写真は私の作りかけのトランぺッターで、幅詰め工作の結果無くなってしまったL字材部分を再生、ベロはプラペーパーで、小リベットはその裏側から針でつついて再現したもの。ただし、この工作は「幅詰め前のキットのモールドに在ったから再生しておこう」というもので、実車においてこの部分に必ず小リベットがあるのかどうかは未検証。

そもそも現存実車の場合、フェンダーは破損しやすい薄い鉄板のためレストアされていることが多く、あまり参考にはならない。一方で戦時中の写真ではリベットの有無が確認できるほどの鮮明なクローズアップにはなかなかお目にかかれない。

ただ、フェンダーもオリジナルである可能性が高そうな、アバディーンにあった鋳造砲塔の1941年型では小リベットがある。しかし一方で、「グランドパワー」1997/10号、p40ではリベットはないように見え(それほどクローズアップではないので、単に「見えていない」可能性もある)、また同号p39の写真ではフェンダー裏が写っているが、それにもリベットは確認できない。

とりあえずこれについては、個人的には、それほど目立つ場所でもなく、「あるともないとも言い切れないので、現状、このままでいいかな」というスタンス。ヌルい。

フェンダーステイに関してはすべて穴開きタイプ。片面に押し出しピン跡があるので、工具箱に隠れる場所以外は綺麗に消しておきたい。なお、この仕様では全穴あきでいいのだが、1941年型の中盤以降は時期により、位置により穴あきでないステイも使われるようになるので、改造する人は注意。

砲塔

なにしろ「KVの溶接砲塔は非対称(左側面前方がより強く絞られている)」というのを、このキットの発売発表後にようやく知ったくらいなのでまったく偉そうなことは言えないのだが、とにかく、それが再現されているというのは目玉の一つだろうと思う。

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砲塔の形式それ自体については、以前にまとめた記事を参照してほしい。同記事中では、「標準型溶接砲塔(タイプ3)」とした形式にあたる。

タミヤとしても気合の入っている部分のようで、単純な左右分割ではなく、ほぼ実物同様の面構成のパーツを貼り合わせるようになっているが、合わせは非常に良い。接合部の埋め込みボルト表現、バッスル下に側面・後面の装甲厚が出ている表現なども芸が細かい。また、全面に圧延キズの再現モールドが割と派手目に入っている(旧シリーズのKV-2を彷彿とさせる)。それ自体はいいのだが、同じく圧延鋼板で組み立てている車体は表面がスベスベなのとのギャップが気になる。

ちなみに現存の博物館車両の装甲板表面はかなりの「あばた面」になっているものが多いが、これは水没していたり地面に埋まっていたりして表面がサビサビになっていたせいなので、模型であまり表面をボコボコにするのは実感を損ねる(と、個人的には思う)。

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ハメ合わせのために一部切り欠きがある状態ではあるものの、砲塔リング部のギアと、砲塔側のカバーが再現されているのはタミヤとしては珍しい処理という気がする。

砲尾は全く再現されていないので、このままで「外れてひっくり返った砲塔」のジオラマ等にはできないが、エンジンデッキ上の点検ハッチがすべて開閉選択式であることもあわせて、独ソ戦の緒戦期によく見られる「撃破・放棄されたKV」を再現したい人への配慮ではないかと思う。

展開と改造

車体上面の砲塔リングガードの取付穴、戦闘室前面の増加装甲の取付穴は非貫通。先述のように転輪パーツはより初期のタイプへの展開を見越した枝配置。というわけで、いつになるかは判らないが、より初期の形式のKV発売を想定しているのは確かだと思う。

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特に、砲塔側面、車体側面の上部転輪の間に非貫通穴が用意されており、いわゆる“エクラナミ”(旧シリーズでの名称、KV-1B)はほぼ確実。旧キットはベース車体が1941年型の中盤以降のため、ヌエ的な仕様になってしまっていたが、今回のキットの車体をベースにするなら、より正確な仕様となる。

なお、エクラナミの場合は今回のキットでセットされた「リブ付きの後期型・緩衝ゴム内蔵転輪」でも標準型転輪でも、どちらでも構わない。

車体前面の増加装甲無しも想定されていることを考えると、KV-2(標準型)の発売もありそう。大砲塔のKV-2初期型は車体ディテールがかなり違うので考えづらい。

▼一方、「タミヤの最初のKV」であった鋳造砲塔型のKV-1は1941年型の中盤以降の仕様で、今回のキットとは単に砲塔・転輪の違いだけでなく、車体自体にボルトの間引き、ハッチ形状の変更などの改修が入っているため、そのものズバリの仕様のリニューアル発売は考えづらい。

ただし、より初期の生産車(おそらく1941年内)で、今回のキットと基本同一の仕様の車体に鋳造砲塔を載せたものはあるので、(どこまでディテールのバランスをとるかという問題はあるが)旧キットの砲塔を持ってきて載せ替えるお手軽改造はありかな、と思う。

目玉の「新しい、非対称砲塔」を使わないことになっちゃうけど。

▼フライング気味に、手元に余っていたトランぺッターの増加装甲パーツを使ってエクラナミを作ってしまおうか、などとちょっと考えて、パーツを合わせてみた。

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砲塔の増加装甲に関しては、上下幅はピッタリ合う。砲塔後端の傾きはごくわずかにずれがある。これも含めて、ぴったりフィットさせるには若干の調整が必要。また、写真の右側面に比べ、(非対称が再現されているため)湾曲具合が深くなっている左側面は、微調整の必要性がより高そう。

「ほぼ合っている」だけに、むしろ微調整が面倒くさそうで、「うーん。これならおとなしくタミヤのエクラナミの発売を待っていた方がいいかな」に傾き中。なお、当然ながら主砲の交換、上部転輪の交換も必要になる。

▼KV-2に改造する場合は、車体の増加装甲、砲塔リングガード等はすべて取り付けず、砲塔の交換、転輪・上部転輪の交換が必要になる。そもそも形状の把握に難があるタミヤの旧キットの砲塔を載せるのは、「新しい酒を古い革袋に入れる」ようなものでバランスが悪く、個人的にはお勧めしない。

トランぺッターの砲塔、転輪・上部転輪をコンバートしてくるのはよいが、個人的には「そこまでするなら素直にトランぺッターに手を入れて作った方がいいじゃね?」という感じはする。

▼最初にちょっと書いたように、キット指定の塗装例にある第116旅団の「スターリンのために」は、左フェンダー雑具箱の前のワクに筒形増加燃料タンクが載っている。右フェンダー上がどうなっているかは判らないが、このタイプの燃料タンクの標準搭載位置は右フェンダーの3ワクと左フェンダーの2ワク。

燃料タンクそのものは標準化されたものなので、T-34あたりから流用可能(ただし持ち手のついた両面は緩く窪んだタイプが一般的なようだ)。フェンダー上に固定用ベルトの留め具があるだけで、タンク本体をホールドする受け具のようなものはなく、フェンダーに直置きされているらしい。

こんくるーじょん

なんとなく海外サイトのキットレビュー風に。新キットだけにシャープさは十分、組み立て易さには(タミヤらしく)十分配慮された良いキットであるのは確かだが、ディーテール的には手放しで褒めづらい部分がいくつかある。

自分で手に入れてチェックしてみるまでは、「トランぺッターのキットも十分いいんだけれど、これからのKVキットのスタンダードはタミヤになるんだろうな」と思っていたのだが、「残念ながら」という気持ちではあるが、実際には、トランぺッターに負けているとは言わないまでも、置き換え切れていない感じ(トランぺッターの価値はまだまだ高い)。トランぺッターもあれやこれや弱点のあるキットなので、このへんでビシッと決定版的キットを出してほしかった……。

身も蓋も無い言い方をすると、もしもガッツリと手を入れてKVを作ることを考えるのであれば、このキットをベースにしつつ、転輪その他パーツをごそっと入れ替えるためにトラペのキットを1輌手に入れてもいいかな、という感じ。トラペのKVシリーズは後になって発売された一群を除いては、2000円そこそこで買えるので、ディテールアップ用のアフターパーツと考えてもそう高くはない。

「Recommended」よりは高め、「Highly recommended」のマイナス、といった感じかな?

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KV-1 1941年型 初期生産車 タミヤ 1:35(その1)

20200617_121446 ●なお新型コロナ感染症の第2波が心配されるところではあるが、用事があって一か月ぶりくらいに多摩川を越えたので、秋葉原に寄り道。期待の新作、タミヤの「KV-1 1941年型 初期生産車」を購入。ついでにパッションのルノーR35用エッチングも買いたいと思ったのだが、秋葉原駅周辺の店ではどこも品切れだった。

というわけで、とりあえず、ある程度主要部品を合わせてみたりした時点での簡単なキットレビューを。

FBのAFV模型のニュースグループでも、このキットを買った(あるいはもう作った)という書き込みは多く、タミヤの新作キットであるからにはそれなりに話題に上るのは当然にしても、「えっ、KVってこんなに人気だったんだ!?」と 思ってしまうほど。いずれにしても、「ピタピタと部品の合わせが決まる」とか、「旧作と比べてモールドもディテールも格段に向上」とかは多くの人が書いていることだと思うのでここではもうちょっと重箱の隅というか、個人的な「気になり部分」や、仕様としては重なっていないものの、特に直接のライバルとなるトランぺッターのキットとの部分比較などを試みることにする。

ニュルンベルク・トイフェアにおける発表時にあれこれ書いたこととは一部重なるが、ご容赦を。

仕様について

発表時のキット名称は「KV-1 1941年初期生産型」だったが、発売にあたって、「KV-1 1941年型 初期生産車」に改められた。

KV戦車のタイプ分け(年式)は、基本、後の研究者による便宜的なものなので、資料によって(使う人によって)若干の違いがある。しかし一応は、以下のような分け方が最も一般的だろうと思う。

  • 1939年型:主砲がL-11
  • 1940年型:主砲がF-32
  • 1941年型:主砲がZIS-5
  • 1942年型:主砲がZIS-5、かつ車体が装甲強化型(エンジンデッキが後部まで水平で、後端装甲が平板)

キットの「1941年型」もこの分類に準拠している。

KVはもともとレニングラードにあったキーロフ工場で生産が行われていたが、ドイツの侵攻により、工場がチェリャビンスクに疎開。1941年10月からは、このチェリャビンスクの工場でZIS-5搭載型の生産が始まる。キットは、ちょうどこの、生産が始まったばかりの頃のZIS-5搭載車を再現している。

(もう少し細かく言うと、キーロフ工場が疎開するよりも前にチェリャビンスク・トラクター工場でKVの生産準備と限定的な生産は始まっており、これに疎開してきたキーロフ工場が合わさって、10月初旬に「チェリャビンスク・キーロフ工場」と改称される。……ややこし。)

したがって、KV戦車に関しては、ドイツ軍側からの「相手を舐めてかかって侵攻してみたら、味方の対戦車砲弾をことごとく跳ね返して進んでくる怪物に遭遇して驚愕」というイメージが濃厚だが、少なくとも独ソ開戦(1941年6月)時点のジオラマなどに登場させるのは不適ということになる。

この点で、発表時の「KV-1 1941年初期生産型」という名称は、同年初めに生産されたように読めてしまって紛らわしく、訂正されたのはよかったと思う。もちろん、「1941年型 初期生産車」だって十分に紛らわしい、と言われればその通りなのだが、これはタイプ分けとして上記の方式が浸透している以上仕方がない(もちろん、「1941年10月生産車」とかいった言い方も可能ではあるが)。

さて、KVの1940年型(F-32搭載型)は、レニングラード工場では1941年夏(6-8月)にごっつい増加装甲型(いわゆる“エクラナミ”、タミヤの旧キットバリエーションのKV-1B)が生産され、その後、装甲強化型砲塔が登場したり、車体ハッチがより簡易なものに変更されたりしているのだが、疎開先のチェリャビンスクでは、移転に伴うごたごたか、サプライチェーンの問題か、それらの改修は反映されていない、より古い形質のKVが生産されている。

10月になってZIS-5搭載型が生産され始めた当初もその状態は変わらず、ものすごく大雑把に言うと、「搭載砲は最新型なのに、車体の形質はむしろやや旧型」という仕様のものが生産されることになる。キットが再現しているのは、まさにこの仕様で、具体的には、

  • 1941年の前半に生産された、1940年型標準型と同型の溶接砲塔にZIS-5搭載。側方ペリスコープ下に跳弾リブがあるなど、標準的な1940年型砲塔に比べ若干のアップデート。
  • ベース車体はほぼ標準的な1940年型と変わらないが、これに砲塔リングガードや車体前面の増加装甲を装着。
  • 転輪は1941年夏(エクラナミの途中あたり)から年内いっぱいくらいの生産車で主に使われている、リム部に小リブのある後期型・緩衝ゴム内蔵転輪。履帯は全リンクがセンターガイド付きの初期標準の仕様。

……などなど(詳しくは後述)。既存(トランぺッターとかズベズダとか)のキットのスキマを狙ったような感じになっている。ただし、キットの箱絵/デカールに採用されている第116戦車旅団の「スターリンのために」の実車と比べると、(部分的に仕様の異なる転輪を履いている、フェンダー上に筒形増加燃料タンクがあるなど)わずかに仕様の差がある。

なお、チェリャビンスク・キーロフ工場のZIS-5搭載型は、ZIS-5が搭載されるようになって間もなく鋳造砲塔が登場、さらには緩衝ゴムを内蔵しない全鋼製転輪やエンジンデッキパネルのボルトの間引きなど、また新たな簡略化改修が重ねられていくことになる。

パーツ構成

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  • A・Pパーツ(2枚):転輪等、フェンダー上の工具箱など。A枝とP枝は連結状態で、A側が起動輪、誘導輪、転輪の緩衝ゴム抑え板、P側が転輪本体と鋼製上部転輪。P側の差し替えで、初期の標準型緩衝ゴム内蔵転輪に対応することを想定しているものと思われる。(上写真左)
  • Bパーツ:フェンダー、車体後面板、前端のアングル材など。
  • Cパーツ:箱組の車体基本パーツ。
  • Dパーツ(2枚):部分連結式の履帯、サスペンションアームなど。
  • E・Qパーツ:砲塔関連パーツ。E枝が砲塔本体で、Q枝が主砲のZIS-5の砲身や防盾周り、砲塔リングガードなど。これも転輪枝同様、Q枝部分の差し替えで1940年型への含みを持たせているものと思われる。(上写真右がQパーツ。一部パーツ切り離し済)
  • Fパーツ:透明部品(前照灯レンズとフィギュア用ゴーグル)。
  • ほか、ポリキャップ、ワイヤー用糸、デカール。

とにかく、このキットに関しては「砲塔の非対称が再現された」というのが大きなポイントという気がするが、それも含めて、以下、細かいあれこれ。気になった部分について、ブロックごとにつらつらと。

車体基本パーツ

旧キットは車体がフェンダーを境に上下分割されていたが、新版は実車同様の構成。トランぺッターでは見落とされていた「上部転輪位置の不均等」も表現されている。ただし、絶対的な位置そのものに関しては、後ろ2つの上部転輪もトランぺッターのキットと若干のズレがあり、タミヤのキットのほうが、全体的に前方に寄っている。差異は微妙なものなので、どちらがより正確なのか、現時点では判断は保留したい。ただ、左側面最後部の上部転輪基部と、最後部転輪用ダンパーの位置関係からすると、タミヤのほうが実物に近そうな感じはする(もちろんそれだけで断言はできないが)。

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エンジンルーム上面パネルは、横方向のボルト数が11本の1940年型車体の標準。ボルトは平頭。パネル最前部、砲塔リング左右の3本のボルトは、トランぺッターの1940年型キットでは中央の1本(右写真黄色矢印)が忘れられていたが、このキットでは抜かりなく再現。

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エンジンパネルの吊り下げリングは、トランぺッターでは別部品で再現されていたが(左写真ライトグレーのパーツ)、組み立て易さ重視で極小パーツを嫌うタミヤでは一体成型。数は前方パネルで4か所、後方パネルで2か所、点検ハッチに1カ所(ちなみにトランぺッターは後方パネルにも4か所付けているが、これはモスクワ中央軍事博物館の展示車輛に引きずられた誤り)。

当然、タミヤのモールドに穴は開いていないので、0.5mmのドリルで開口した。トラペのパーツとは大きさが違うが、トラペが別パーツ化のために大きくしたという感じではなく、タミヤのモールドがやや小さい感じ。また、タミヤのキットではすべてお行儀よく穴が左右を向くことになるが、実車は自由回転するのか、あるいはアイボルトになっていて締め方の問題なのか、向きはてんでんばらばらなのが普通。モールドをいったん切り落として向きを変えるか、それともそもそもトラペのパーツに交換してしまうか悩み中。

中央の点検ハッチは、このリングが中央1か所の初期型形質。これがレニングラード工場の1940年型でも後期の型や、1941年型の標準的仕様では左右2カ所になる。点検ハッチのリングには、砲塔の手すりに引っ掛けてハッチを開位置で固定するためのフックが付いているのだが、キットではさっぱり省略されている(ちなみに旧キットでは上面に一体成型だった)。これは本来付いていて然るべき部品なので、パーツを含めておいて欲しかった。

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ラジエーターグリル、および後端オーバーハング下のメッシュはプラパーツ。ラジエーターグリル部が別パーツなのはトランぺッターと一緒で(ただしトラペと違ってメッシュ下のルーバーは再現されていない)、これは後々、アフターパーツのエッチングなどと交換する場合には都合がよい。一体モールドだった旧キットは、このメッシュが前端まで同じ断面形のカマボコ型だったと思うが、そのような形状なのはたぶんKV-2の初期型だけで、通常はこのように先端が潰れている。別売のエッチングパーツでも、これは再現されていないものが結構多い。

なお、エッチングで組む場合にこの断面変化は曲げが面倒になる部分で(アベールでもなかなか難しかった)、たぶんこれから出るであろうタミヤ用エッチングパーツ(パッションとか)では一工夫欲しいところ。

右写真で一緒に写っている車体前端のアングル材は、初期型車体標準の、埋め込みボルトが11本のタイプ。1940年型でも、第371工場で生産されたという装甲強化型砲塔を載せたタイプ(1941年の初秋生産)では8本に減っているが、チェリャビンスク工場では、ZIS-5搭載型になってもまだ11本タイプが使われていたらしい。同工場での生産車ではその後1本おきに間引く感じで6本になり、さらにその後は埋め込みボルト自体が廃止されてしまったようだ。というわけで、前後のタイプに改造しようという人はご注意を。

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湾曲した車体後面板の下端は、シャーシの床板との間に段差ができる仕様。

レニングラードで作られた1940年型では、この部分は床板とツライチになるように面取りされている(トランぺッターのキットでは初期型車体でもそのようになっていないので注意)。一方で、このキットの仕様に最も近いと思われる、モスクワ中央軍事博物館の屋外展示車輛では段差付きになっているので、キットの仕様で組むのであれば、段差付きのままでよいようだ。もしかしたら、チェリャビンスク工場での生産車は最初から(手間を省くために)段差付きであったのかもしれない。

シャーシ前面増加装甲は、向かって右下角に切り欠きがないタイプ。もともとこの切り欠きは、車体側に埋め込みボルトの溶接痕があって、そのままでは増加装甲が干渉して浮き上がってしまうのを、最初は溶接痕のほうを丁寧に削って平らにしていたものを、後にはお手軽に増加装甲側に切り欠きを作って対処するようになった――というものではないかと思う。

エクラナミあたりだと切り欠きはないのが普通で、1940年型でも短バッスル砲塔(バッスル下が丸でも角でも)だと切り欠き付きが普通になっている感じ。問題はキットの仕様だが、これも実際には切り欠き付きの可能性が高いのではと思う。なお、キットでは車体側の埋め込みボルト痕は再現されていない。

転輪と上部転輪

転輪は先述のように、リム部に小リブのある緩衝ゴム内蔵転輪のなかでも後期のタイプ。実際には、キットの塗装例にある、第116戦車旅団の「スターリンのために」号は、少なくとも左側第一転輪はちょっと珍しい、リブが小さくまばらなタイプを使っている(詳しくはセータ☆さんの記事「KV-1 ハーフリブ・タイプ転輪」を参照のこと)が、キットにはこのタイプの転輪は付属していない。

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写真1枚目は、右から、今回のタミヤの転輪。中が同タイプのトランぺッターの転輪。左は今から30年くらい前だったか、タミヤのKV-2を当時出来る範囲の技術力でとことん手を入れて作ろう!と思った時にタミヤの転輪では我慢できず、原型を作って知人にレジンで複製してもらった自作の緩衝ゴム内蔵転輪(標準型)。ちなみにそのKV工作は、転輪を作っただけで力尽きた。

写真2枚目は、より詳細に比較するため、タミヤとトランぺッターの転輪を並べて、おおよそ正面から撮ったもの。全体の径はタミヤとトランぺッターで変わらず、内側のゴム抑え板の径も変わらない。全体のモールドもタミヤのものはシャープでよく見えるが――

 (1).ゴム抑え板の中心部分、転輪ハブ部分がトラペに比べてやや大きい。実車のパーツと比べると、トラペのもののほうがバランスが良いように感じる。ただし、ゴム抑え板パーツ単体で見ると目立つ径の違いが、実際に(この写真のように)転輪に付けてしまうとそれほどは目立たない。

 (2).しかし、それよりも気になるのは、ハブキャップ周りのリング部分に本来ある8カ所の刻み目が、トラペでは再現されている(私の30年前の自作パーツでも再現している)一方で、タミヤのパーツではさっぱり無視されていること。うーん。これはちょっと……。

 (3).また、このゴム抑え板は転輪の表側と裏側、さらには向かい合わせになった内側と、4面ですべて同じはずだが、タミヤの転輪パーツでは、3枚目の写真にみるように、外側転輪の内側はモールドがないつんつるてん、内側転輪の内側(変な言い方)ではそれさえもなく窪んだ形状になっている。実際、組み上げてしまえば見えにくい部分ではあるが、全く見えないというわけでもなく、この処理はちょっと残念。

 (4).「どうせ見えないからいい」と言ってしまえばそれきりだが、タミヤの転輪では、転輪の表と裏でリム部の小リブの位置が鏡写しになっている。実際には(トラペの転輪でそうなっているように)穴とリブの位置関係は正面から見たときに表側も裏側も一緒のはず。穴の位置は表裏で固定のため、リブ位置は表裏で穴を挟んで反対側にズレることになる。4枚目の写真が転輪裏側の両社比較で、タミヤの転輪のリブ配置がトランぺッターの逆(そしてタミヤの転輪の表側とも逆)になっていることがわかる。

 (5).さらに一点。タミヤのキットは転輪の内側・外側、さらにゴム抑え板の3パーツそれぞれに位置決めダボがあり、転輪の内外は穴の位置がきっちり揃い、ゴム抑え板はリム部のリブに対し、ゴム抑え板のリブがやや時計回りにズレた位置ですべて揃うようになっている。しかし、実際の転輪は緩衝ゴムを挟んでそれぞれのパーツは独立しているため、位置は個々の転輪でてんでんばらばらのはず。キットのようにすべて揃っていては逆に不自然。

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上部転輪はチェリャビンスクで導入されたものと思われる全鋼製のもの。初期型への展開に備えてか、リブ付き転輪リム部と同一枝。

起動輪と誘導輪

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起動輪はきちんと16枚歯。旧キットでは歯数が余計で、トランぺッターではロットによって(?)スプロケット固定ボルトの位置ズレがあるなど、意外に恵まれていなかったパーツなので、素直にそのまま使えるパーツが出たのは嬉しい。

トラペのパーツに比べると若干メリハリに乏しく、ちょっとノッペリして見えるかもしれないが、実車も段差はそれほどなく、むしろこちらの方がイメージに近い。中央皿形カバーは初期型標準の16本ボルトタイプ。

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一方でいささか問題ありに思えるのが誘導輪。形状的にはほとんど変わらないのだが、径が明らかに違う。青木氏の書き込みで知ったがタミヤの旧キットの誘導輪と比べでも小径とのことなので(そもそも小径だということ自体、氏の書き込みで知ったのだが)、トラペと旧キットの誘導輪径はほぼ同じ、新キットだけ小さい、ということであるらしい。直径はトラペが約19.5mm、タミヤは17.8mm程度で、1.5mm以上の差がある。

写真からの読み取りとか、実車の計測の過程とかで「やや大きい/小さい」くらいの差が出るのは普通にあるだろうが、サイズが1割も違うとなると、明らかに元になった寸法データ自体が異なっている。

手元の資料中に、実車の正確な誘導輪径は見つけられなかったが、「フロントバヤ・イルストルツィヤ」に掲載されている1:35の図面のサイズはトランぺッターのものに等しく、また、何輌かの現存車輛のおおよそ真側面の写真から、転輪と誘導輪の大きさの比を計って比べた結果でもトランぺッターのほうが正確そう。ええ、どういうこと……?

「実は全く相似形で大小2種の誘導輪があった」とかいう大どんでん返しの結末だったりすると、「2種類の誘導輪が簡単に手に入るようになってラッキー♪」だが、さすがにそんなことはなさそうな気がする。

長くなったので続きは改めて。

6/27追記:グムカ(高田さん)のツイッターによれば、KV-1Sには、KV標準型のものと相似形で小径の誘導輪が使われているそうだ。ただし、1Sであってもすべて小径であるわけではないらしい。問題は、その小径の誘導輪がいつから使われ始めているかで、より綿密な検証が必要になりそう。しかしそこでネックになるのは、大小あったとして、それが同じ形をしている(相似形である)ことで、「いやいや、明らかに違うものだと判るように、外形的特徴も変えといてくれよキーロフスキー!」と、声を大にして言いたい。

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図書館

20200612_142214 ●市立図書館が、なお制限はあるものの閲覧・貸出再開されたので、12日金曜日、久々に本を借りに行く。

常に入り浸るほど「図書館ホリック」ではないものの、行けないとなると何だかむずむずし出すくらいには図書館好きではある。

利用頻度を下げるために貸出期間が3週間に伸びており、まとめて3冊借りてきた。持って帰るのが重かった……。

▼「増補・改訂 アイヌ文化の基礎知識」監修:アイヌ民族博物館 増補・改訂版監修:小島恭子 草風館

たまたまアイヌ関係の棚が目に入って、その中で割と読み易そうで、書名通りに「基礎知識」のレベルが上がりそうだったので借りてきた本。私自身が琉球系ということもあって、「ヤマトではない日本」は常に興味の対象。

▼「世界の戦車 1915~1945」ピーター・チェンバレン&クリス・エリス 大日本絵画

AFVマニアならおなじみの、第二次大戦までの戦車のエンサイクロペディア。この日本語版が発売されるよりも前から英語版の(より大判の)原著は持っていて、そのせいで日本語版は結局買わなかった。今から見ると、たぶん内容的には「えー?」という部分も結構あるのではと思うが、マイナーな戦車の系統とか、概略を知るのにものすごくお世話になった本。戦車を生産していない国を含め、小国の使用(輸入)状況について巻末にまとめてあるのが個人的にはポイントが高い。とはいっても、英語が不得意な私は内容をしっかり読み込んであるわけではなく(まあ、そもそも読み込むようなタイプの本でもないが)、この際改めてざっと読んでみようと思って。

▼「重戦車大隊記録集1陸軍編」ウォルフガング・シュナイダー 大日本絵画

ティーガーを作る人には、おそらくバイブルとも言えるのではないかという大冊の1巻目(2はSS編)。大戦後半のドイツ軍は基本的に対象から外れる私は絶対に買わない本ではあるけれど、かといって興味がないわけではなく(ティーガーのキットも一応持っているし)、ちょっとした「お勉強」用に。

●「Pokémon GO」につき、NIANTICから公式発表。再来月、2020年8月上旬予定のアップデートをもって、32ビット版Android端末への「Pokémon GO」のサポートを終了するとのこと。

こうした足切りの基準になるにもかかわらず、スマホの公表されたスペックには32bitなのか64bitなのか明記されていないのが普通だそうで、そのこと自体、端末メーカーに文句を言いたいところだが、とりあえず、「CPU-Z」というアプリで、私のスマホがどちらなのか確認できた。……32bitだった。あうう。

「Pokémon GO」のために端末を買い替えるのも癪だし(お金もないし)、どうしたってそのうち、端末がヘタれば買い替えることになるので、それまで「Pokémon GO」は封印ということにしようと思う。

そもそもここ数日の、アプリが起動できない不具合に関しても、公式発表では「Android 5 または 6 の一部の端末」で発生していることになっているが、これって要するに32bit端末ということなのではないだろうか。

当然、そのうち32bitがサポート対象外になるのは当然だったとしても、今回の不具合発生が「ああもう、やってらんないや~」のきっかけになったような気も(ちなみに不具合は現在も未解消)。

●「アハトゥンク・パンツァー」の著者、尾藤さんの「パンツァーメモ」の掲示板で掲示板で、尾藤さんに、スロバキア軍の38(t)、完成していたらブログで見せて下さいと言われてギクリとする。……数年前、完成直前まで持っていって、それっきりになっていたので。

どこにしまったっけな、と、身近な模型箱をごそごそと漁って、なんとか本体は発見。ブレダ20mm搭載I号戦車A型(未塗装)とともに、ヴィッカース水陸両用戦車の箱にしまってあった(この脈絡のなさ……)。

というわけで、製作記の現状の最終回(ちなみに2016年の4月)から何の進展もしていないのだが、現状は以下の通り。

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私の35AFVの作りかけの中では、最も完成に近い状態かも。しかし、なんでここまで塗って中途半端に放置するかなあ。

なぜか起動輪が片方行方不明。履帯もないが、これは本来のキットの箱に入っているはず……だが、それがどこにいったやら。そっちの箱にもう片方の起動輪も入っているといいなあ。

ちなみに尾藤さんの「パンツァーメモ」では、III号E型、F型に続いて、38(t)戦車各型の完成品写真が披露されている。特に38(t)に関しては、個人的に電撃戦の主役であるA型、B型がツボなのだが、尾藤さんの作品で、意外に細かくA型とB型が違うのを知ってびっくり。物干し竿みたいなアンテナくらいしか違わないのかと思っていた。

A型は転輪も違うというのは知らなかった。スロバキア陸軍の、チェコ迷彩の最初の5輌はどうだったかなあ、と思って写真を漁ってみたが、3色迷彩の時期ののV-3000が初期型転輪っぽいかな?という感じ。カーキに塗り直されたV-3003は通常転輪のようだ。

戦争中盤以降に入手したドイツ軍の中古車両の中にも何輌かのA型が混じっているが、こちらは流石に後期型(というか標準型)の転輪に交換されているかもしれない。

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スヰートポーヅ

20191017_132803_20200611165501 ●神田神保町すずらん通りの焼き餃子の老舗、「スヰートポーヅ」閉店の知らせを、神保町の事務所のC社長のFBへの書き込みで知って大ショック。

向かいの「キッチン南海」が閉まるのもしばらく前に聞いて、医者に食養生を命じられて以来食べていなかった、あの真っ黒いカツカレーを久しぶりに、最後に一度食べたいなあなどと思っていたのだが(ちなみにキッチン南海は、のれん分けの店が近所に新規開店するらしい)。

写真は昨年10月に食べたスヰートポーヅの餃子定食。味噌汁抜きの餃子増量。それほど頻繁に神保町で飯を食べるわけでもないので、たぶんこれがスヰートポーヅで食べた最後だと思う。

スヰートポーヅの餃子は筒形で両脇が閉じておらず、形の上ではちょっと珍奇だが、味は個性的というよりは「ものすごくほっとする、染み込むような味」。ああ、もう一回食べておきたかった。

●Miniartのサイトに、「T-34/85 w/D-5T. PLANT 112. SPRING 1944.」(No.35290)の新しい写真が追加で掲載されたのだが……。ああっ。リブの多いワッフルじゃないぃぃぃぃっ!

リブの多いワッフルだったら、別売されるまで待って使おうと思ってたのにぃぃぃ! うぬぅ。残念。

●どうも「砲台分」の摂取が不足しているような気がして、月初め、二子山上ノ山に登る。

といっても、砲台のリサーチ的なことはほとんど何もせず、二子山上ノ山からさらにどこかへ足を延ばすこともなく、単に登って降りてきただけ(ただ、行きは中腹の南郷中学までバスに乗ったが、帰りは逗子まで歩いた)。1枚目は登る前、南郷上ノ山公園グラウンド端から見上げた二子山上ノ山(と、山頂脇のKDDIのアンテナ)。1枚目は山頂展望台からの横浜方面の眺望。

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この時季、三浦アルプス方面の山歩きをすると、木の梢に大量の白い「チョウ」が舞っているのに行き会う。真っ白だし、飛んでいるのは昼間だし、「チョウ」と思ってしまうのは自然なのだが、実際には昼行性のキアシドクガというガで、5月末~6月頭くらいが羽化・婚姻のシーズンであるらしい。ちなみにドクガ科であるのは確かなのでこの名前だが、一生を通じて無毒らしい。

二子山上ノ山山頂展望台脇に大きなエゴノキがあって、これがキアシドクガの食樹のひとつだそうで、この日も数十、もしかしたら三ケタに達するキアシドクガが乱舞していた。

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先日の三浦アルプス歩きに続いて、途中の道でハンミョウを見つけた。最初、「何か先のほうで飛んだ気がする」くらいしかわからず、ハンミョウかもしれないとソロリソロリと数回往復して、やっと確認。さらに写真を撮るほど近づくまでに数往復した。

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昨年末にちらりとだけ確認できた、探照灯の台座とされるコンクリート柱を今回も観ようと思ったが、藪に隠れて視認できなかった。やはり藪が薄くなる冬季でないとダメなようだ。

オマケ。南郷上ノ山公園事務所棟に貼ってあった、特殊詐欺被害防止キャンペーンのポスター。……なのは確かだが、詐欺のターゲットであるはずのばーちゃんが、むしろ悪の大魔王みたいなのは、どこか間違っているような気がする。

そしてもう一つは帰りのコンビニで見たPOP。なんとなく勢いに飲まれて「楽しんで」しまいました。

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●6月6日の晩以来、外歩きの友「Pokémon GO」が起動しなくなってしまった。

アイコンをタップして、最初にメーカーのNIANTICのロゴ画面が出るのだが、そこでストップしてしまってどうにもならない。

NIANTICのサポートにも連絡したのだが、なんとなくテンプレっぽい返事が2回ほど来た後、ようやく昨日になって「不具合であることを確認し、現在修正対応中」との返答が来た。とはいえ、一応不具合と確定したのみで、現時点(11日夕)、まだ復旧の兆しなし。

別に「Pokémon GOのために外出している!」という意識はなかった(と自分では思っていた)のだが、使えなくなってみると出掛けるモチベーションがだいぶ低下していて、「Pokémon GO」がどうこう以前に、「そんなことでいいのかオレ」状態。

●そんなこんなで日曜日から数日家に閉じこもっていたら、足がぱんぱんにむくんで、エコノミークラス症候群で死ぬんじゃないかくらいの状態に。

さすがにこれはまずいと思って昨10日、近所を散歩したら、マダケの竹林の周辺にタケノコがにょきにょき出ていた。よくあるモウソウチクの場合、タケノコの旬は早春だったと思うが、マダケってこんなに遅かったのか……。いや、そういえば採って食べたことがないな、と思い、そもそもどんな状態が「マダケのタケノコの食べ頃」なのかもよく判らなかったが、それなりに柔らかそうなのを選んで数本収穫。さすがにモウソウチクのように地面から頭が覗くかどうかくらいではマダケの大きさでは食べるところがないので、地面から10cmとか15cmとか出ているものを、根元で折り取って持って帰った。

タケノコの採りたてはえぐみが少ないと聞いたので、コメのとぎ汁などは使わず、さっと一度下茹でして湯を替えるだけで料理。日本酒、みりん、出汁昆布で似て、醤油と少々の塩で味付け。名越の大切岸で見つけたサンショウの苗木の若い葉っぱを乗せた。

えぐみもなく柔らかく美味。

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これに味を占め、雨が降り出す前にと、今日再び昼前に行って数本収穫。今度は皮付きのままざっくり縦に切れ目を入れて、アルミホイルでくるんでオーブントースターで蒸し焼きに。いい具合に出来たら皮を剥いて岩塩を振って食べた。

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調子に乗って3本も食べたら、最後のほうはちょっと苦かった(ただし、えぐいというほどではなかった)。よく見ると、昨日採ったものよりも縦横比が「縦長」傾向になっていたかも。

●ついで。名越の大切岸のイワタバコが見ごろ。昨10日撮影。

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5月30日、逗子海岸

20200530_163211 ●緊急事態宣言が解除されて最初の週末。

30日土曜日、夕方4時半頃の逗子海岸はこんな感じ。

天気がよかったこともあって、それなりの人出。

もちろん宣言解除=危機の収束というわけではなく、それで浮かれて海岸に遊びに出るとはもってのほか、といったような意見もSNS上ではよく目にする。しかし、ぱっと見、個々のグループ同士の距離は離れているし、仮にこれで感染リスクが高まったとしても、それは遊んでいる当事者のリスクなので(もちろん間接的に社会全体の、というのはあるにしても)、個人的にはさほど目くじらを立てる気にはなれない。

●nifty模型フォーラム時代の模型仲間、"たまんちん"ことはるとまん氏から連絡があり、土曜夜9時より、zoomでオンライン飲み会をする。参加者は他にはほちん氏、田一田氏で計4名。

はるとまん氏が横浜に住んでいた頃は、最も頻繁に会う模型仲間だったと思うが、もうかれこれ20年近く前だろうか、彼が京都に引っ越して(というか戻って)からは、すっかりご無沙汰になってしまった。一度彼がこちらに出てきた時に、がらんどうさん、くわっちんと4人で?飲んだのが、もうすでに10年以上前かも。

自宅のデスクトップPCはマイクもカメラも付いていないので、必然的にスマホでつなぐことになる。オンライン会議は2週間ほど前に一度、スマホ&LINEで経験しているが、会議中、10分と持たずに頻繁に熱落ちしたので、今回もかなり不安要素多し。

20200531_123023 とりあえずスマホにzoomをインストール。また、手放しで参加できるよう、当日夜になってから、模型のランナーを利用してスマホ用の簡易スタンドをでっちあげた。……いいんだよ! ちゃんと使えたんだから!

ビール系だと、飲み終わるたびに階下の冷蔵庫に取りに行かないといけなくなるので、常温で飲める安ワインと乾きもののつまみを用意。

熱落ちのリスクをできるだけ低下させようと、直前に再起動して余計なものは立ち上げず、zoomのみ起動。9時ちょうどに設定されたミーティングに入った……のはいいものの、久々のたまんちんの顔は見えるが声は聞こえず。あわててネットで検索して、zoomそれ自体の設定をいじる必要があるらしい、というのは判って、なんだかんだとワタワタ。5分くらいしてようやく音声も繋がる。

以下感想をつらつら。

・先日のLINE会議の時も思ったが、発言のタイミングがかぶったり、やはりコミュニケーション的には円滑とは言い難い。とりあえずは、「お互いの顔を見ることができ、声を聞くことができる状態で酒を飲む」以上ではなく、なかなか脈絡のある話などはしづらい感じ。慣れてくればもうちょっと何とかなるのだろうか?

・スマホで参加の場合、個人表示窓がPC画面に合わせた横長の中にスマホカメラの縦長が入れ子になって、顔も小さくなるし、非常に見づらい。……いや、もしかしたらスマホを横にすればよかったのか?

・LINE会議のときは頻繁に熱落ちしたが、今回のzoomでは一度も落ちず。再起動他の事前準備が良かったのか、単にzoomの動作が軽いのか、そのあたりは不明。

・いくら京都が暑いからって、久しぶりに会うのにいきなり裸で登場するな、はるとまん!

なお、田一田氏より、「赤板先行氏が消息不明」という、非常に気になる(というか心配な)話を聞く。でんでんとあかばんは割と頻繁に会って酒を飲む仲で、私も年に数回それに混ぜてもらう感じなのだが、昨年暮れからまったく連絡が取れていないそうだ。実家とか会社とかの連絡先は判らんし。

●先日「れっつ、きっす、頬寄せて」というのは、フィンランドの「Letkis」の空耳由来の歌詞だと書いたが、考えてみればそんな例は他にもあった。

例えば「ウスクダラ」のヒットで有名なアーサ・キット(Eartha Kitt)の「Sho-Jo-Ji (The Hungry Raccoon)」では、主人公を「腹鼓を打つタヌキ」から「いつも腹ペコのアライグマ」に変えたうえで、日本語の「ま~けるな、ま~けるな」の部分を

"macaron and macaroni ..."(マカロンにマカロニ…)

と、ぴったり語呂を合わせて、食べ物を連呼する歌詞に変えていて秀逸(なお、日本語で「負けるな、負けるな」と歌っている部分もある)。

それ以外にも、この歌はいかにも半世紀以上前っぽい、明らかに中国風が混じったアレンジや、多分に「日本語訛りの英語」を意識した歌い方など、「素敵恥ずかし」さが溢れている。

●31日日曜日。おそらく今年最後のキイチゴ(カジイチゴ)つまみ食い。よく熟していて甘かった。

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これの前に、赤黒く熟した山桜(オオシマザクラか?)のサクランボも試してみたのだが、一本のものはほんのり甘かったもののそれ以上に苦く、もう一本はそれよりは苦くなかったが甘みが足りず酸っぱかった。要するに、好んで食べたいと思うほど美味しくなかった。

●6月1日追記。

アストリッド・キルヒャーが亡くなった(5月12日)というのを数日前に知って、そのことだけでも触れておこうと思いつつも忘れてしまっていた。

アストリッド・キルヒャーはビートルズのデビュー前のベーシスト、スチュアート・サトクリフの婚約者だったドイツ人のカメラマンで、スチュアートが若くして亡くなった後もビートルズとは交流があり、その写真を残している。

たぶん、その名前を最初に知ったのは、ビートルズの最初のマネージャーだったアラン・ウィリアムズが書いた、デビュー前のビートルズの生々しい活動記録の本(邦訳の題名は確か「ビートルズ派手にやれ!」)だったと思うが、訳本の中では「アストリッド・キルヒヘア」と書かれていたようなボンヤリした記憶が。ご冥福を。

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キイチゴ三昧

●春の終わりはキイチゴの季節。

近所のキイチゴ類が生えているあたりを見回って、ちまちまとつまみ食いをする。まずはオレンジ色のカジイチゴ。

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2枚の写真はそれぞえ別の場所で採ったもの。1枚目の写真は昨年大量に収穫した場所のものだが、今年は枝が刈り込まれたこともあって収量はいまひとつ。2枚目もそこからさほど遠くない山すそ。道端のベンチに座ってのんびり楽しんでいたら、近所の方と思しきおばさんが「それ美味しいのよねえ、でも、食べられるって知らない人も多くて、採る人少ないのよ。昔は子供たちがみんな採ったんだけど」とひとしきり話して行った。

実の見た目上はよく似ているモミジイチゴも採って食べたが、写真に撮り忘れた。

●さらに市内某所でクサイチゴを採って食べる。

2年前に三浦アルプスのハイキング途中で見つけて食べたのが最初だが、もっと市街に近いところで群生しているのを見つけたもの。昨年は実を付けているところを見ず、「株がまだ若すぎて実らないのかな?」などと思っていたのだが、今年は結構採れた。しかもかなりの大粒で味も良かった。

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●そうこうしている間に、緊急事態宣言解除。

さすがにそれですぐに人の多い街に出るのはためらわれるが、人のいない山奥ならOKだろうと、27日水曜日、久々に三浦アルプス方面への山歩きに出かける。春先にクサイチゴの一大群生地を見つけていて、上記以上に食べ放題ができるのではと思うとウズウズしてしまったため。

久しぶりに公共交通機関(バス)に乗って沼間の山の上の住宅地、アーデンヒルからハイキングコースに上がる。五霊神社脇からアーデンヒルに上がる坂の擁壁の上にクサイチゴが実っているのがちらちら見えて(ただしここは手が届かない)、収穫への期待も高まる。

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ハイキングコースへの上り口の公園端に植わっているヤマモモは、まだ色づいていない実が鈴生り。食べ頃はどれくらい先だろう。半月くらい?

さらに山道の途中でクワの実も見つけて、クサイチゴの前座のつもりで数個つまみ食い。まだ実り始めで完全に赤黒くなりきっておらず、酸味が強いが、これはこれでなかなか。

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そんなふうに、食べる気満々で山道をガシガシ歩いて目的のクサイチゴ群生地(その1、その2)に到着したのだが、どちらも、食べ頃の実はちらほら、程度。熟していない若い実もあまりなかったので、要するに「完全に出遅れ!」という感じ。上のクサイチゴを採って食べたのは1週間前なので、その1週間が勝負の分かれ目だったか。それほど人が通る場所でもないので、ライバルは鳥だろうか。

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結局、合計で10粒も食べられなかったが、せっかくなので、うち3粒は、ヤマザキの「吹雪まんじゅう」を半割にしてトッピング。ベリー系とチョコレート味、ベリー系と餡子は鉄板組み合わせだと思うが、昨年はビターチョコレート味の「クリーム玄米ブラン」に載せるのを試したので、今年はこの組み合わせで行こうと用意して行ったもの。美味しかったけれど、チョコ味のほうが合うかな……。

●山道の途中でハンミョウに数度出会った。

天気が良く気温が高いせいもあってか非常に活発で、最初会った数匹は、きちんと写真を撮るほど近寄ることもできなかった。

「ミチオシエ」の別名通り、山道を先へ先へと小刻みに飛ぶことが多い、とされるハンミョウだが、うち2匹は手の届かない木の葉に飛び上がってしまった。

が、4、5匹目で、ようやく「ちっ、しょうがねぇな。撮らせてやるぜ」みたいな大らかなヤツに遭遇。かなり長時間、「撮影会」に付き合ってもらうことができた。

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ベアなスマホのソフト的なズームだけなので、物理的に十数センチくらいまで近寄らないと、なかなか画面いっぱいで撮ることはできない。

●ほか、ここ最近近所で見かけた虫など。

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1枚目:小さなダイミョウキマダラハナバチ。ハナバチにしては珍しい「ポンキュッポン」な体形。より獰猛なハチへの擬態?
2枚目:コチャバネセセリ。光の当たり具合では翅がキンキラと綺麗なのだが、地味にしか撮れなくてちょっと残念。
3枚目:使い込んだ革製品のような色つやが素敵なヤツボシハナカミキリ。どこが「八つ星」なのかよく判らず。
4枚目:この季節限定のコマルハナバチのオス。
5枚目:ハチのようによく飛び回るヒメトラハナムグリ。
6枚目:ハナダイコンにいたナガメ。
7枚目:これもこの季節の常連のラミーカミキリ。
8枚目:いつ見ても深紅が素敵なベニカミキリ。今年の目撃2匹目。

20200529_182555 ●近所のスーパーに、

「新型コロナウイルスの感染拡大防止にともない云々」

という張り紙があり、それって、

「新型コロナウイルスの感染拡大にともない」 あるいは 「新型コロナウイルスの感染拡大防止のため」

と書くべきなんじゃないだろうか――と思いつつも、なぜそう思うのかをきっちり自分で説明できず、ちょっとモヤモヤする。


追記(5月28日)若干の推論。「(に)ともない」の用法は、「"何らかの原因、きっかけ"にともない、"ある結果や対処が"生起される」というものなので、「にともない」の前に、すでに対処の一部が含まれていることが違和感に繋がっている。 ――と考えたんですが、どうですかね。

追記2(5月29日)。さらに若干の考察。

「新型コロナウイルスの感染拡大防止にともない」は変(私の感覚では)。

「新型コロナウイルスの感染拡大にともない」はOK。

「新型コロナウイルス感染症にともない」は変。

「新型コロナウイルス感染症拡大の防止策強化にともない」はOK……かな?

「新型コロナウイルス感染症拡大の防止策強化方針にともない」はちょっと変(~方針に従い、ならOK)。

 ***

「梅雨前線の活発化にともない大雨の恐れ」はOK。

「梅雨前線にともない大雨の恐れ」は、何かちょっと変(言葉足らずな印象)。

これらから考えるに、「(に)ともない」の前に来る言葉は、先の推論にあるように「何らかの原因、きっかけ」であるだけでなく、現在進行形の変化する事象であるのが据わりがいい(だからこそ、「伴う(一緒について動く)」という言葉がしっくりくる)、ということになる。

 

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ブロック崩し

●「ブロンコ沼」から女神さまが現れて、

「あなたが使うのは、この歯数が正しくてサイズが違う起動輪でしょうか、それともサイズが正しくて歯数が違う起動輪でしょうか」

と訊ねるので、そっと見なかったふりをして森の外に出ることにしました(これにてひとまずお話はおしまい)。

……ここで「いえ、女神さま! 私が使うのはサイズも歯数も正しい起動輪でございます!」と言ったら、女神さまは褒めてくれるのかなあ。「よくぞ申しました、ではこのサイズが違う起動輪も、歯数が違う起動輪もあなたに授けましょう」って言われても嬉しくないしなあ。

●というわけで、ひとまずオチキスに関してはそれぞれ(3キット)そっと箱にパーツを戻して、何かとてつもない精神の高揚期が来るまで再び熟成させておこう……と思ったのだが、その前に。

起動輪ほどではないものの、これまた簡単に対処は出来そうもないと思った「誘導輪の形状が変(より正確には、再現度が(かなり)不十分)」という問題だが、(前回も触れたように)hn-nhさんは、過去、オチキスの自走砲の工作で、キットのパーツをコリコリ削ってそれなりの形に仕上げていたことが判明。その写真がある記事はこちら

いやいやいやいや。ちょっと待って。一度リム部を削り落すとかじゃなくて、キットのパーツを彫り込むだけで、そんなふうにできるの?

というわけで、「そっと箱にしまう」前に、私自身も削ってみることにした。主に使用した工具は、丸棒ヤスリ(の先端)と、先日も紹介した刃先を研いだマイクロドライバー(マイナス)。結果はこちら。

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左がピットロード/トラペ、右がブロンコ。2つ削るのに1日がかりだった(もちろん、そればかりやっていたわけではないが)。

総括:やってできないことはない、ということは、とにかく判明(が、もちろん面倒臭い)。また、ここまで削ってもhn-nhさんほどディスク部の「ふっくら感」は再現できていない。しかし、これ以上削るとリム部内側のあたりでパーツに穴を開けちゃいそうなんだよなあ。また、仕上がり具合もhn-nhさんの作例よりだいぶ粗い。前回、hn-nhさんを「人間ろくろ」と評したが、改めて「人間NC旋盤」と呼ぶことにしたい。

ちなみにわざわざ別会社のものを1個ずつ削っているのは、最初、「部品をオシャカにするかもしれないから、小リベットのモールドがないブロンコを実験台にしよう」ということで右を削り、次に「なんとかなりそうだから(本番として)トラペを削ろう」と左を削ったため。

なお、実際に作業した感じではブロンコのもののほうがプラが柔らかく削りやすかったが、me20さんの評にあるように、ちょっとケバ立つ感じがした。また、ここまで削ってしまうと片方を捨てるのももったいないし、どうせ両方一緒に見えるわけでもないので、これで1輌分として削り作業は終了、ということにしたい気も。

●今回キット比較をするために改めて押入れのストックの山をごそごそしていたら、久しぶりに目にするキットとか、「あっ、これ、前に探していて見つからなかったやつだ!」なんていうのも出てきたり。

「久々に目にした」一つがこれ。チェコ、KP製の1:72「AERO MB-200」。箱が汚いのはご勘弁。

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KPはまだ東欧が「共産圏」だった頃のチェコスロバキアで活動していたメーカー。というか、ボチボチ新製品もあるようで、今でも活動しているらしい。

そもそもNOVO-FROG以外、「東側」のプラモデルなんてなかなか日本の模型店には出回っていない頃から、KPは結構模型店の棚で見かけることが多く、後から思うに、「さすがチェコは先進工業国」ということなのか、それともプラモデル趣味が存在する文化があったのか。初期の製品は、アヴィアS-199(メッサーシュミットBf109の戦後チェコスロバキア生産型)とか、レトフŠ-328、アヴィアB-534、B-35といった国産機中心で、アイテム的には変わり種、しかし技術はちょっと……という感じだった。

しかし、その後次第に技術が向上して、このMB-200は、(scalematesによれば)1985年発売で、まだ東欧革命前のものだが、「かなり素敵なキット」と言える内容になっている。

ちなみにキット名称はチェコの航空機メーカーAEROの名を冠しているが、実機はフランス、マルセル・ブロック社が開発した双発重爆で、アエロはライセンス権を取得して生産したもの。本国フランスでは、第二次大戦でもまだ少数(本来の爆撃機としてではなく偵察や輸送用途で)使われたらしい。ちなみに、後継機種で低翼・引込脚になったMB210も、キットがエレールから出ている。

マルセル・ブロック(Marcel Bloch)はユダヤ系の航空機技術者で、彼のメーカーはこの爆撃機のほか、第二次大戦勃発時にはMB150シリーズという空冷エンジン装備の単発戦闘機も開発・生産しているものの、これはぼろぼろ欠陥が露呈してほとんど活躍できなかったなど、あまりぱっとしない。しかし、戦後は姓を兄のレジスタンス時代の変名に改名し、会社名も「マルセル・ブロック社」から「マルセル・ダッソー社」に変更。その後、超ベストセラーのジェット戦闘機、ミラージュ・シリーズを生み出している。戦前・戦中はぱっとしないのに、戦後大躍進したという点では、ミグなどとも近いかも。

なお、「Dassault」はもともと「D'Assault」(英語ならof assault)。つまり「マルセル・ダッソー」は「突撃マルセル」の意味なわけで、なかなかスゴイ名前。「突貫カメ君」っぽい。

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KPの初期の製品はパーツも分厚く、バリも結構出ていて難物感が高かったが、このキットは部品もシャープでスッキリしている。

飛行機モデルといえば胴体は左右分割が普通だが、旧式機らしく四角い断面のこの機の場合は大胆に箱組。4枚目写真にあるように、エンジンナセルも箱組。整流板かよー、みたいな細かいリブのある主翼表面も綺麗なモールド。ただし、尾翼周りなど一部にちょっとだけバリがあり、透明パーツの透明度もやや低め。デカールはかなり黄変していて使えなさそうだが、そもそも私はフランス機として作りたい気がする(あるいはスペイン共和国軍とかブルガリア軍とか)ので無問題。手書き感あふれる組立説明図も素敵。

何と言うか、非常に主観的な話になってしまうが、「ワクワク感溢れる模型って、こういうものだよなあ」と思わせる内容。問題は、決して誰もがワクワクするわけではないアイテム選択だろうが、また、そういうアイテムに(傍目では理解しづらい)力の入り方が見られるところが、ワクワク感を覚える源のような気もする。

……いや、そこまで褒めるなら仕舞い込んでないで作れって(←自分ツッコミ)。

●ブロックが出てきた在庫の山のブロック崩しの発見物その2。ロシア、マケット/モデリストの1:48、モラン・ソルニエG/H。

これは以前「そういえばあれ、どこに行ったかなあ」と探して見つけられなかったもの。意外に山の浅いところにあった。

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左の汚いのが箱の表。右が裏。そう、このキット、外箱と内箱でまったく同じ紙を使っているのだ。もちろん、内箱の方がやや小さめに折ってある。

マケットは陸物キットを見ても想像できるように、ここ自体がメーカーではなくてあっちこっちの金型(あるいは最終製品)を扱っている商社のような感じなので、このキットも併記している「モデリスト」のほうがそもそものメーカーなのかも。

箱にはローマン・アルファベットで「Moran G」、キリル文字で「Моран Ж」と書かれている。形式の「G」が、ロシア語だと「Г(ゲー)」ではなく「Ж(ジェー)」になるのは何故? 音じゃなくてアルファベットの順番?

箱は横幅で25cm弱しかなく、一昔前の1:72大戦機クラス。しかも箱を開けたら、なぜか2機分入っていた……。ありゃま。

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もちろん最初から2機入りだったということではなく(そういうキットも世の中にはあるが)、なんとなく、後からもう一つ、何かの機会に入手したようなおぼろげな記憶が。そのまま一つの箱にまとめて忘れていたらしい。

小さい箱に2機分なのに箱に大分余裕があり、(古典機ゆえということもあるが)パーツ構成はごく簡単。

こういうロシア・東欧製の怪しいキットだと、モールドもでろでろだったりすることも多いのだが、このキット場合は、(飛行機キットの肝の一つと言える)主翼後縁が素晴らしくシャープに薄い(それでいて、一機のほうの主翼はプラにゴミか何かが混入してまだらになっている)。

古典機によくある、裏側が窪んだ翼型は、本来ならリブとリブの間の布地は凹んでいるのではなく、むしろやや出っ張っているくらいでないと変なのだが、これは圧倒的多数の古典機キットが等しく間違えているので、ことさらこのキットを責めても仕方がない、美しい主翼に比べて、尾翼はボッテリしているのはご愛敬。

さて、中身は2機分だが、それぞれちょっと流通経路に違いがあったらしく、説明書も2種類入っていた。ひとつはA4版表裏でペラリと一枚。

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片面はまさに「組立説明図」なのだが、昔のレベル72の説明図もこんな感じだったかなー、みたいな簡単なもの。いや、キット自体の構成もこんなもんだし。しかしもう片面はキットの内容からするとギャップも甚だしい、ちょっと本格的な細部図解も含めた図面。これを見てディテールアップしろと!?

しかし、もう片方の説明書はさらに面白い。こちらはA4版2枚、裏表の4ページ。

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1ページ目は英語のそれなりの長文の実機解説。下に出典資料も列記してあるのが誠実。2ページ目が組立説明なのだが……。いやこれ、組立説明図って言えるの? 翼の取付け等については全く触れられていない一方で、胴体の図解は詳細で、一部構成品については「これはキットのパーツに含まれていないが自分でなんとかせぇ」みたいなことが書かれている。スパルタ!?

興味深いのは、こちらの説明書ではキット名称が「モラン・ソルニエ H」になっていること。実を言えば、キットはG型とH型の折衷のようなところがあり、H型として組む方がより簡単、ということであるらしい。また、箱はG型表記なので、もともと最初の説明書が入っていたものであるらしいことが判る。

3ページ目はモラン・ソルニエH型(G型との相違点含む)の1:48図面。この図解で、キットの主翼は基本H型で、G型の場合はリブ一つ分スパンが長いらしいことが判る。そして4ページ目は改造の手引きとして、モラン単葉機のライセンス生産型である、ドイツのファルツE.I/IIの図面と相違点の解説。スバラスゴイ。

ちなみにこのモランG/Hは、有名なフォッカー単葉機に非常によく似ているが、これは、戦前のベストセラーでドイツで(ファルツが)ライセンス生産もされていた本機のデザインを、フォッカーがほとんど丸パクリしたため。はっきり言って、見た目上は尾翼が尖っているか、“コンマ”形か、くらいの違いしかない。ただしフォッカー単葉機は本機と違って鋼管フレームを採用したこと、初めて実用的なプロペラ・機銃同調装置を搭載したことで「名機」として歴史に名を残すことになった。

●他にも、いつどういう経緯で入手したのかさえ全然覚えていない、(いろいろな意味で悪名高き)フェアリー企画の1:72「満州国軍オースチン装甲車」なんてのも出てきたりしたが、これはまたいつか、機会があれば。

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