衣笠高角砲台

●14日金曜日。午後だと勘違いしていた医者の予約時間が実は午前中だったことに当日になって気付く(マヌケ)。

おかげで午後が空いたため(貴重な梅雨の中休みでもあり)、衝動的に衣笠まで出掛けることにする。

●三浦半島は軍港・横須賀を擁し、かつ東京に近いこともあって多数の対空砲陣地があった。そのうちの多くは戦後の開発で消失しているため、逗子の披露山や武山の砲台山、あるいは先日行った二子山など、しっかり遺構が確認できるところはそれなりに貴重な存在と言える。

ちなみに、hn-nhさんがレポートされている都内の「青戸高射砲陣地」等は陸軍のもの。三浦半島の防空は基本、海軍の管轄であったようで、したがって名称も「高角砲台」となる(対空砲については、陸軍は高射砲、海軍は高角砲と称した。東大が惑星、京大が遊星と呼んで張り合ったのと似たような話)。

さて、上記の披露山や砲台山以外にも、衣笠の近くの山の上に同型のコンクリート製砲台が残っていることを最近知った(このへんの情報の虎の巻として利用させてもらっているサイト「東京湾要塞」でもしっかり紹介されているのに、なぜか今まで気に留めていなかった)。

場所は、横須賀市平作と横須賀市衣笠町のほぼ境界にある山中で、現在はその南側を横浜横須賀道路(いわゆるヨコヨコ)が通っている。

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地図はOpenStreetMapから(クリックで別タブで拡大)。地図中に示したポイントは、

  1. 衣笠高角砲台のおおよその地点。
  2. 現在は藪に埋もれている砲台道最終アプローチの入り口。
  3. JR横須賀線「衣笠」駅。
  4. 最寄りバス停その1。衣25系統「しょうぶ園」バス停。
  5. 最寄りバス停その2。「衣笠城址」バス停(須/衣2・3・4・5系統など多数)。ここまで歩くなら、衣笠駅まで歩いてもあまり変わらない気も……。
  6. 衣笠城址。

●恒例の、終戦直後の米軍撮影の空中写真(国土地理院の地理空間情報ライブラリー、「地図・空中写真閲覧サービス」より。写真整理番号USA-M46-A-7-2-129、1946年2月15日撮影)。

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右は、同じ空中写真をOSMの現況地図の中にはめ込んでみたもの。左上の特徴的な道の分岐を目印にしてはめ込んでみたもので、縮尺、角度には若干のズレがあるはず。あくまで「おおよそこんな感じ」ということで見て欲しい。

毎度の横須賀海軍警備隊「砲術科兵器目録」(終戦時に装備整理のために作成されたもの)によれば、配備されていた高角砲は「一二糎七」2基4門(披露山や武山砲台山と同じ、連装の四十口径八九式十二糎七高角砲)。上の写真では、「E.T.」顔をしている山頂広場の左右の目の部分がコンクリート製の砲台で、ここに据えられていたものと思われる。ほか、リストには

  • ステレオ式測距儀 1基
  • 弾薬 540発
  • 九六式一五〇糎探照灯 2基
  • 二十五粍二連装機銃 2基

などが記載されている。また、やはりよく参考にさせて頂ている「横須賀周辺の防空砲台と特設見張所」の「衣笠防空高角砲台」のページによれば、ヨコヨコの南側の2カ所のピークにも、聴測所らしき施設があった可能性がある、という。

●現在は公園として整備されている披露山(小坪高角砲台)、海上保安庁の施設があるのでそれなりに常に人の手が入っている砲台山(武山高角砲台)、KDDIの施設へのアクセスおよびハイキングコースとしてこれまた手が入っている二子山上ノ山(二子山高角砲台)と違って、この衣笠高角砲台は、現在、特別何もない。

それだけに関連施設の遺構などもかなり残っている――ようなのだが、反面、ほとんど藪の中に沈んでいる。

以前、初めて砲台山に行った際に、hn-nhさんに「夏に調査に行くなよ……」と呆れられたのだが、まさにその通りで、実際、今回は深い藪に遮られて目当ての山頂までは行きつけず、一部の施設跡しか確認できなかった。いや、うん、今回は「とりあえず場所だけでも確認出来たら」と思っただけだから(←言い訳がましい)。

●とりあえず、JR衣笠駅から「しょうぶ園循環」バスに乗って「しょうぶ園」バス停まで。ヨコヨコ下り線の横須賀PA真裏を通り、砲台へのアプローチを目指す。

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そしてこれが砲台への入り口地点(上の地図②)。きちんと道に見えているのはヨコヨコに突き当たる現在のハイキングコースで、左手の藪がちょっと窪んで見えるところが元の砲台道。ぱっと見には普通の藪でしかなく、最初は気付かずに通り過ぎてヨコヨコ脇まで行ってしまってから、行き過ぎたのではと気付いて引き返し、なんとか発見。「え? もしかしてこれが入り口?」と、この時点ではっきりと及び腰。

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入り口はほとんど藪と見分けがつかなかったが、意を決して分け入ってみると、それなりに踏み分け道らしいものが続いている。

現状はそんな感じだが、よく見るとある程度平坦な部分に幅があり、もともとはそれなりの道幅であったらしいことは判る。もちろん、当時の資材/弾薬運搬が完全に自動車化されていたかどうかは判らず、もしかしたら大八車だったかもしれないが。現在は半ば藪に埋もれているだけでなく、道を塞ぐ倒木も数カ所にあって、乗り越えたりくぐり抜けたりする必要があった。

歩いていると、頻繁にクモの巣に顔を突っ込む。このへんの山道でのハイキングではしばしばあることで、そのため、歩く方向に棒を振りながら進むのが良いのだが、特に今回は藪に分け入ってしばらくは、適当な棒が拾えなかった。また、棒を振っていても、よほど注意していないと完全にはカバーしきれない。

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途中、山側に大きな壕が口を開けている。実は行きには見落として、帰りに気付いて撮った。大人が十分立って入れるほどの高さで、入り口は素掘りの感じだが、この地を調査した先人のレポートを見ると、中は綺麗にコンクリートで巻かれているらしい。弾薬庫跡か。サイト「東京湾要塞」では「防空壕」とし、また、発電機が置かれていたのではと推察している。さすがに夕方、明かりもないじめじめした洞窟に一人で入る度胸はないので、入り口を写真に収めたのみ。

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木立の切れ間から横浜方面が見えた。角度的には、先に二子山高角砲台の記事で、山頂からの眺望として貼った写真と似たような感じ。位置的にはこちらのほうが約5km南東になる。

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山腹を逆のの字に巻いて進む「元砲台道」を進むと、何か施設の基礎らしいコンクリートの構築物に遭遇。小さな建物だったのか、それとも大きな建物の土台の一部なのか、とにかく見えるのはテトリスの駒っぽい段々形状のもの。左写真は手前から、右写真は通り過ぎて振り返って逆方向から撮ったもの。

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その他にも、施設の基礎の一部らしいものや、コンクリート製の溝などが見え隠れしている。危ないのは溝で、一度気付かずに足を突っ込んで転びそうになった。こんなところで脚でも折ったら、人は来ないし遭難必至。

そしてさらに踏み分け道を進むと……。

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聴音所なのか、指揮所なのか、とにかく方形の建物跡。大きさは4メートル四方くらい? 道を辿って正面に入り口がある。ぱっと見はコンクリート製だが、近付いてよく見ると、破損した部分から、内部はレンガ積みであることが判る。側面下部には2カ所の小窓(通風孔?)があった。

この施設は山頂広場への道をやや外側に外れたところにある(と、先人の調査記録にある)ため、少し引き返して、内側に進む分岐を探す。半ば藪に埋もれた本道(らしきもの)をなんとか発見。そちらを改めて進んだのだが、落ち葉の重みで道筋に笹薮がかぶさってしまったりして思うように進めず、とりあえず今回はその先に進むのを断念して引き返した。この間、「夏に行くなよ……夏に行くなよ……」というhn-nhさんのツッコミがエンドレスで頭の中を流れっぱなし。

距離的にはもうほとんど山頂広場(の砲台跡)に近いところまで行っていたはずで惜しいとは思ったが、山頂に着いてもそちらも藪の中であろう(←すっぱいブドウ)ことを考えると、もう少し見通しがよくなりそうな冬季に再訪するネタとして残しておいた方がいいか、とも思う。というわけで、二子山山頂の先日発見できなかった遺構とともに、今度の冬に向けての課題とする。

●踏み分け道の入り口地点まで戻り、来たのとは逆方向、衣笠城址方面に向かう。逗子の小坪住民としては、源平合戦序盤、三浦(源氏方)と畠山(平氏方)による小坪坂の合戦に続いての衣笠城合戦の舞台となったところで、一度見たいと思っていた(とはいっても、近くに行って案内板を見て思い出した程度)。

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1枚目は、砲台跡方面から辿ってきた道筋が人里に出たあと、衣笠城本丸跡へ上がる入り口にあった石碑(ケムシ付き)。2枚目は本丸があったと思しき平場。3枚目は本丸跡下にある大善寺門前の庚申塚。

そのあとさらに坂を下ってしばらく歩き、「衣笠城址」バス停(衣笠城址からだいぶある!)からJR横須賀駅行きバスに乗って帰る。途中、不入斗(いりやまず)のターチー模型が営業中なのを見掛けた。いつか一度行ってみたい気がする。

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戦うプーさん/「クブシュ」Mirage HOBBY 1:35

20190517_195009 ●令和に入って作り始めたものが2つ。片方は先日レビューを上げた、THE WORLD AT WARの1:72、II号戦車b型で、これもある程度作業が進んだら再度レポートを上げるつもり。そしてもう一つが、今年の初めに「そろそろ手を付けるか~」と書いた、Mirage HOBBY 1:35のクブシュ(Kubuś)。というわけで、そのクブシュの製作記第1回。

平成年間のお手付きキット多数、場合によっては昭和の頃に手を付けて放置してあるものもあるはずで、「作るならそっちを先にしろよ」というものはいくらでもあるのだけれど。

●これまでにも散々書いているけれども、クブシュ(Kubuś)は、1944年夏のワルシャワ蜂起の際に、市内ポヴィシュレ地区にいたポーランド国内軍の1部隊(「クリバル」部隊)が、ドイツ軍の拠点となっていたワルシャワ大学の攻略用に1輌でっちあげた即席装甲車。より詳細な実車解説は、

wikipediaの日本語記事:とりあえず現時点で、日本語でクブシュの概略を知るにはコレ(のはず)。

Samochód pancerny "Kubuś":ポーランド語の実車解説、作戦解説など。google翻訳さんあたりに頼ろう。

そもそもガレージキットでも出たらスゴイと思うようなネタなのだが、自国ポーランドのMirage HOBBYが、1:35と1:72でまさかのインジェクションキット化を果たしてくれた。愛されてるなあクブシュ。発売されたのは2014年で、私も早速購入した(……だけで、今まで積んだままになっていた)。その頃からの当「かばぶ」の過去記事は、

クブシュ!:Mirageからのキット化を聞いて喜んで書いた記事。ポーランド・ワルシャワに現存している実車とレプリカの話、およびその識別点など。なお、記事内の実車walkaroundへのリンクは切れているので注意。2014年4月19日。

MIRAGE HOBBY 1:35 Kubuś:キット入手時に書いたレビュー。おおよそのキット内容、実車の溶接ラインとキットのモールドの比較、ベース車輛に関する若干の考察など。2014年8月8日。

浮島:今年初めに書いた雑記。後半に、クブシュの資料等について触れている。2019年1月30日。

上に書いたように、過去記事で紹介したウェブ上のクブシュのwalkaround写真はリンク切れになっているので、現時点で閲覧可能な、実車写真が見られるサイトをいくつか。

KUBUŚ - Powstańczy Samochód Opancerzony - MWP / MPW [FOTO](ポーランドの模型関係の掲示板に貼られたもの)

strefa cichego(クブシュ以外にも、結構マイナーな車輛、砲などの写真があるサイト)

MUZEUM WOJSKA POLSKIEGO - Powstańczy samochód pancerny "Kubuś"(写真点数は少ないが、現存実車を所蔵しているポーランド軍事博物館の所蔵品紹介ページ)

Odrestaurowanie wnętrza samochodu pancernego Kubuś(何やらポーランド語の確認窓など出たりするので注意。現存実車の比較的最近のレストア。一応、記事の日付は2015年9月。内部の設備あれこれはたぶんオリジナルと全く違っているが、二重装甲の様子などが観察できる。前面外側装甲を貫通した銃弾が内側装甲で止められていることなどが判って興味深い)

Samochod pancerny Kubuś - ostatni z remontów.(上記事の続編で、記事の日付は2015年11月。同じく確認窓に注意。さらに多数の内部写真)

Ćwiczenia załogi i desantu powstańczego samochodu pancernego "Kubuś"(イベントに引っ張り出されたクブシュの動画。ディテール・ウォッチにはたいして役立たないが、床下にしか出入口がないクブシュの乗降の大変さが判る。他にもyoutubeには、ワルシャワ大学襲撃の再現イベントに引っ張り出されたクブシュ実車の動画などが上がっている)

Samochód pancerny "Kubuś" znowu jeździ (wideo)(走行可能にレストアされたクブシュ実車の動画。自走可能で作ったレプリカの立場が……)

Panzerserra Bunker - Kubuś - Polish armoured car / armoured personal carrier - case report(モデラーによる製作解説ブログ。出所は不明だが寸法・角度データ図などもあり。vol de nuitさんに教えて頂いた)

ただし、現存実車は(車内だけではなく外観上も)若干の戦後の改修が入っており、少なくともワルシャワ蜂起当時のクブシュの再現を目指すのであれば鵜呑みにできない部分もあるので注意が必要。

●表題は、ポーランドで「くまのプーさん」が「クブシュ・プハテク(Kubuś Puchatek)」と呼ばれて親しまれているため。

ただし、この装甲車自体は直接くまのプーさんにちなんで名付けられたわけではなく(一時は日本語版wikipediaにそのような記述がされていたこともあるが、現在は表現を弱めてある)、製作主任であった技術者、ヨゼフ「グロブス」フェルニクの戦死した妻のポーランド国内軍メンバーとしてのコードネームからのもの。クブシュという単語自体はポーランドで一般的な男性名「ヤクブ」の愛称であり、グロブスの妻のコードネームがプーさんをイメージしていたかどうかは定かではない。

もともとコードネームは秘密活動用のものなので、性別が違っているのはそれほど奇異ではないようで、実際に出撃時に運転手を務めたフィヤウコフスキ軍曹は女性名「アナスタシア」のコードネームを持っている。

ただし、指揮官のタデウシュ・ジェリニスキ士官候補軍曹のコードネームは「ミシュ」(熊/テディベア)なので、プーさんとの何らかのイメージのつながりはあったのかもしれない(もちろん、クブシュ以前からずっと「ミシュ」と名乗っていた可能性も大いにある)。

●製作方針。何しろ車外装備品の類はほとんど何もない(ノテク・ライトと車幅表示棒程度)ので、その方面で精密度を手は使えない。

キットは車内もある程度表現されているものの、おそらく実車は長らく放置されている間に車内のアレコレは一度喪失していて、近年の車内写真も撮影時期によって(椅子等が)がらりと変わっていたりするため、それら資料写真は(少なくとも戦時中の状態の再現には)役に立たない。もともと、私自身が「模型は基本、外から見えるところだけでいいや」派であることにもる。

というわけで、基本は表面の装甲板の溶接表現に手を入れることを中心に進める。なお、装甲板の面構成について、一部「実車とちょっと違うナー」と思う場所もあるが、解消しようとすると大幅にプラバンで車体を構成し直す必要が出てくるため、(面倒くさいので)それには目をつぶることにする。要するに具体的には、

  • 位置の修正、強弱(太い細い)を含めた溶接跡の再現
  • 実車の工作の粗さ、微妙な左右非対称の再現

を目指す。

なお、キットは天井に防盾が追加され、操縦手用の視察口が改修された、2回目の出撃以降の姿を再現している。最初の出撃時の姿というのも興味があるが、とりあえず、ネット上や資料本等で見かける当時の写真も改修以後のものばかりで、改修以前の姿は文章で触れたもの以外見つからなかった。また、キットの説明書には出撃で負った弾痕位置の説明なども入っているが、そこまで再現するかどうかは現時点では決めていない(面倒くさいし)。

●1st Step。おおよそ説明書の指示に従って、シャーシから組み立て始める。

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キットにはエンジンも入っているが、総じてだいぶおおらかな出来。一応、エンジンから駆動軸が後輪デフまで繋がってますよーくらいの感じだが、この辺は、組み上がってしまうとほぼ全く見えないので、個人的には気にしない。そもそも、ベース車輛がシボレー155であるのか、シボレー157であるかも(少なくとも現時点で私には)よく判らず、しかもその両者とも詳細資料など手元にないので、こだわりようがない。そんなわけで、この部分は基本、キットの指示に従ってパーツを付けていくだけ(むしろ、いくつか部品を省略)。

なお、前輪もステアリング機構は丸無視。パーツにハンドルは付いているのだが、ハンドルシャフトはなぜかエンジン側面に繋がっているという謎レイアウトになっている。

ただし、キットの車輪だけはレビューで書いた通りあまりにプアな出来なので交換の予定。

ちなみにキャビン内からエンジン部分や前輪ハウジングが筒抜けになっているが、少なくとも実車の現状ではその通りになっている。

●装甲車体基本形は大きく左右分割されている。ただし、位置合わせのダボなどは一切なく、また、若干のバリなどもあって、ズレが発生しないかちょっと気を遣う。私は内部の作り込みはせず、ハッチも閉めてしまう予定ということもあって、分割線上に0.3mmプラバンの切れ端などを貼って位置決め/接着部の補強を行った。

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キャビン前面は別パーツ。本体との合わせは微妙に合っていない感じで、若干の削り合わせを必要とした。

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操縦手前面の視察口、および操縦手左の視察スリット部に貼り増した板、エンジンボンネットおよび車体後端スカートの車体側ヒンジは、どれも寝ぼけたモールドだったので、後々作り直すことにし、この段階ですべて一度削り落とした。

レビューでも書いたようにキットの溶接ラインのモールドは一部で位置がずれており、また、(レプリカと違って)実車では場所によって太かったり細かったり、非常に工作の粗さが目立つ仕上がりになっていて、それがクブシュ実車の特徴ともなっている。これに関しては全面的に入れ直すつもりで、これまたすべて削り落とした。

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以上の作業の過程で、特に車体左側面および後面のピストルポート(あるいは視察口?)の位置がちょっと気になったので、この2か所は開け直すことにして一度埋めた。

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後面に関してはキットよりもやや下に、左側面はやや上に開け直す予定。

溶接跡に関しては、いつも通り、伸ばしランナーを貼って溶かす方式の予定。ランナーの色が違うと溶接線の太さの違いが把握できなくなるので、タミヤの同色のランナーを使って微妙に太さの違う伸ばしランナーを量産した。

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●製作方針の項で触れた、装甲板の面構成自体の「ちょっと違うナー」について。例えばラジエーター用ルーバーのある最前面の上の細長い装甲板だが、この下端の角度が、実車に比べるとかなり開き加減になっている。

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上右写真で黄色で示した部分。下はwikimedia commonsから拝借してきた実車写真。

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その面の後ろに連なる(ボンネット側面にあたる)装甲板の上下幅にも少々関わってくる。

実を言うと、多少なりと問題を改善しようと、上左写真(車体右側面)では、問題の角の上辺に繋がる面を少し削り込んで、わずかではあるが角度を鋭くしている。車幅表示棒取付部の凹を埋めた後がエッジにかかっているか、いないかで削り込みが判ると思うが、角度の変化自体はパッと見て判るほどには変わっていない。というよりも、おいそれと変えられない。

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それも当然で、上写真に黄色で示した2辺によって、上の面の角度はおのずと決まってしまっているわけなので、ここを大胆に削り込むと、この面が明らかな曲面になってしまう。それを防ごうと思うと、このあたり一帯をすべてプラバンで作り直す必要が出てくる。

そんなわけで、これらの点に関しては、「誤魔化せる部分は誤魔化せる範囲で」という、比較的ヌルい姿勢で臨む予定。

なお、工作自体も、気が向いたときにゆるゆると進めていく感じになると思う。

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三浦アルプス

●ここ最近の三浦アルプス(集中)山歩きに関しては、前回の記事でひとまとめで書いてしまうつもりだったのだが、だらだら長くなって砲台話だけで終わってしまったので、残りのあれやこれや。

先月からの三浦アルプス行は以下の5回。梅雨が来てしまうと足元がグズグズになるし、藪も深くなるのでこのルートはまたしばらくおあずけかな……。

●1回目:三浦アルプス南尾根ルート初挑戦。葉山・風早橋からスタート。葉山教会の横から山道に入り、仙元山を皮切りに東京湾側まで歩く……つもりが、2、3ピークを過ぎたあたりで転機が急変、雷雨に見舞われる(この日、5月4日は天気が変わりやすく雷雨の怖れありの予報が出ていたのに甘く見ていた)早々に断念して実教寺-葉山消防署方面に下山。

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上左は仙元山山頂近く。他の多くのアザミが秋に咲くのに対して、初夏に咲くノアザミとコアオハナムグリ。上右は仙元山山頂からの眺望で正面がたぶん森戸海岸。遠景に江の島。

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「葉12」標識ピーク手前のキツイ階段。京浜急行の「三浦アルプストレッキングガイド」によれば約250段で、この頃にはざっと一雨来た後で足元がすでに濡れている。写真は途中で一息ついて「来し方行く末」を撮ったもの。もちろん、階段があるだけまだマシ。三浦アルプスの山道は、ロープ頼りの急斜面もかなり多い。

●2回目:逗子、沼間の山の上の住宅地「グリーンヒル」までバスに乗り、その奥から山に登って北尾根へ。馬頭観音、「二子山山系自然保護協議会/二子山山系主要分岐図」の標識FK3を経由して、乳頭山手前から田浦梅林に降りる。

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このルートを歩いたのは、昨年、クサイチゴをつまみ食いして味を占めていたため。今年は家まで持ち帰った(上左写真)。上右写真は田浦梅林から降りたあと、京浜急行をくぐる小ガード。スケルトンでなんとなくスリリング。

●3回目:三浦アルプス南尾根ルートにリベンジ。初回同様、葉山・風早橋からスタート。仙元山、観音塚、大桜、茅塚下を経由して乳頭山へ。その少し先から田浦小学校裏手方面に降りる。1時過ぎスタートで、人里に降りたのが6時半くらいだったので時間的にはだいぶキツキツ。本来なら昼食を山の上で食べるスケジュールで行くべきルートかも。

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上写真左は「観音塚」の名の元である石仏。向かって右・三面八臂の馬頭観音像の横には寛政年間の建立年が彫られている。右は観音塚と乳頭山のちょうど中間にあるD14ポイント「大桜」。

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途中で見かけた植物あれこれ。1枚目はナルコユリ。鎌倉周辺の山だと、生え方も花の形も似たホウチャクソウはたくさん見るが、ナルコユリはめったに見かけない。大きめの緑色がかった花を2つ(時に1つ、3つのことも)付けるホウチャクソウと違って、小さめの白い花を列状に咲かせる。これまでてっきり近縁の植物なのかと思っていたのだが、改めて調べたら科からして違っていた。

2枚目は以前にも書いたことがある、万葉集にも登場するキモンヒヨドリバナ。3枚目はサイハイラン。4枚目は山菜のミズ。いつも採っている場所のほかに生えているのを初めて見た。

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上写真左はキアシドクガ。ドクガ科ではあっても幼虫~成虫一貫して無毒だとか。半透明に近い白い翅が美しく、ついじっくり撮影。この数回の山歩きで、木の梢に白い蝶/蛾が群れているのを何度か見たが、正体はこれだと思う。右は渡りをするチョウ、アサギマダラ。急斜面の梢にいて、これ以上近寄って撮れなかった。美しい後翅のえんじ色もこの写真ではほとんどわからず残念。なお、このあとしばらく歩いた先の山道で、肉食昆虫にやられたか、アサギマダラの前翅・後翅1枚ずつが落ちているのを見つけた。

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山道で立ち止まってポケモンgo仲間とLINEしていて、そのまま流れでARスナップを撮っていたら、山道の脇でガサゴソ音がして、いきなり目の前にハクビシン(たぶん)が現れた。こちらもしばらく立ち止まっていてほとんど物音を立てずにいたから、相手もかなり油断していたものとみえて、距離はおそらく2メートルほど。お互い驚いて数秒見合ってしまった。上写真はその時のポケモンgoのARスナップ。とっさに普通のカメラに切り替える頭が働かなかったのが大いにマヌケ。「ゴローニャ」の向こう側にハクビシン(?)がちょっとだけ見える。

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そして2回目の山歩きでも通ったクサイチゴ収穫ポイントでまたいくつか。ほんのちょっと工夫でビターチョコ味の「クリーム玄米ブラン」に載せて食べてみた。「チョコレート+ベリー」「あんこ+ベリー」の組み合わせは鉄板。ちなみに先月半ば、近所のM家でBBQをやった折、近くで採ったカジイチゴを持って行って、つぶあんの最中に挟んで食べた。これも美味かった。

●4回目:1回目で下山した葉山消防署から逆にスタート。南尾根に上り、観音塚経由でしばらく歩いた後に北側に下山。森戸川林道終点に出て、林道を歩いて葉山町長柄・川久保に出る。森戸川源流あたりは、20年くらい前以来。その頃は網で小さな川エビを採って、素揚げにして食べたことがあった。今でも小エビが生息しているかどうかは未確認。

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上左写真が森戸林道終点。右は、長柄・川久保からそのまま歩いて越えた葉桜団地入口の坂に生えていた野生のビワ。ちょうどいい感じのものがやっと一つ、手の届くところにあったので採ってその場で食べた。割と甘くてアタリ。

●5回目:二子山1回目。南郷中学校バス停から、南郷上ノ山公園野球場奥の山道を登って砲台道の途中に出て、二子山上ノ山山頂へ。そのまま二子山下ノ山、阿部倉山と縦走し葉山町長柄・川久保に降りる。上ノ山までは楽だが、その後は結構起伏がある。

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砲台道でハンミョウに出会えた。出会えると嬉しく、しかしなかなか接近しては写させてもらえない昆虫。左はそろーりそろりと近付き、逃げられてはまた近付きを繰り返して、ようやく撮った接写。右はアサヒナカワトンボ。これは鎌倉浄明寺の華頂宮邸の谷戸でも頻繁に見かけるもの。

●6回目:二子山2回目。南郷中学校バス停から、今回は南郷上ノ山公園トイレ横から素直に広い砲台道を歩いて二子山上ノ山山頂へ。砲台道を少し戻り、葉山-逗子境の尾根道を通って北尾根ルートへ。沼間の山の上の住宅地「アーデンヒル」へ降りる。

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この写真も砲台道にて。足元に飛んできて、また飛び立とうとしているセンチコガネ。

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二子山高角砲台

●6月6日はD-dayだが、個人的には別にどうということもなし。

●ここ1か月ほど、いわゆる「三浦アルプス」を集中的に歩く。

三浦アルプスは葉山の海に注ぐ森戸川の上流域を囲む山々だが、最高地点でもせいぜい標高200m少々(もうちょっと南にある三浦半島“最高峰”である大楠山でも241.3mしかない)。「なんちゃってアルプス」ぶりも甚だしく、本家アルプスどころか日本アルプスと比べてみても、本物の銀座と逗子銀座商店街以上の差がある気がする。

もっとも、逗子・鎌倉のハイキングコースの多くが、一度上ってしまうと尾根筋はあまりアップダウンが激しくなく歩きやすいのに比べ、三浦アルプスは(特にメインのルートとなる南尾根などは)ロープを掴んで上り下りする場所などもあり、「登山」とはいかないまでも、それなりにがっつり「山歩き」する覚悟で行く必要がある。一方で標高が低いのでそれなりに藪も濃いし(さすがにメインのルートで、道が消えるほどのことはないににしても、両側から迫っているような場所はある)、この季節だとヤブカも寄ってくるし蜘蛛の巣に引っかかることもある。

ルート概観はこんな感じ(「二子山山系自然保護協議会/二子山山系主要分岐図」)

昨春、東京湾要塞地帯標を目当てに、逗子の沼間から上がって北側尾根を歩くルートは二度ほど歩いたが(「東京湾要塞第一区地帯標(2018年5月23日)」「東京湾要塞第一区地帯標(2)(2018年5月27日)」)、今回は、5,6回に分けて、がっつりと南尾根を縦走(地図的に言えば西→東“横走”だが)したり、一度南尾根に上って森戸川林道終点に降りたり、再び北尾根を少し歩いたり。主要なルートはほぼ歩いたかも。

●そのなかで、葉山町長柄と逗子市桜山大山の境にある二子山(上ノ山)に二度ほど登った。「二子山」の名の通り、山が二つ隣り合っていて、東側の上ノ山は標高207.81m(頂上の三角点)。三浦アルプス一帯の山のなかでは高い方なのだが、中腹の「南郷上ノ山公園」から、山頂のすぐ脇まで車が通れる幅と傾斜の道があり(ただし、公園側の入り口にはチェーンが張ってあって一般の自動車は入れない)、周囲の山と違って、散歩感覚で登ることができる(実際、その道で犬の散歩をさせている人にも出会った)。

山歩きの案内などを見ると、この道を「砲台道」と呼称しているものを散見する(たとえば京浜急行の「三浦アルプストレッキングガイド」でも「砲台道」と記されている。地図の中心やや左)。ということは、頂上に砲台があって、この道は資材やら弾薬やらの搬入用?――と思ったら、毎度お世話になっているサイト「東京湾要塞」に、しっかり記載されていた(二子山高角砲台のページ)。

二子山は前述のように逗子市と葉山町の境にあり、「逗子市に存在した高角砲台」は、披露山の「小坪高角砲台」と、この「二子山高角砲台」の2か所。また、「三浦アルプス」一帯で考えると、ここのほかに「畠山高角砲台」「田浦高角砲台」がある。畠山山頂には昨年行っているが、この時は砲台があったことを知らなかったので、遺構の類は探していない(もっとも、そもそも目立つ遺構は特にないようだ)。

●そんなわけで、二子山砲台探訪録。

まずは国土地理院の地理空間情報ライブラリー、「地図・空中写真閲覧サービス」から、終戦直後の米軍撮影航空写真(1946年2月撮影、USA-M46-A-7-2-107)と、最近のもの(2007年4月26日撮影、CKT20072-C20-61k)との比較。

Usam46a72107k Ckt20072c2061k

おおよそ同じくらいの範囲をトリミングしてあるが、方位は少しずれている。写真の右下が高角砲台のある二子山上ノ山山頂で、終戦直後の写真だと4つの砲台がほぼ直列に並んでいるのが確認できる。現況写真の中央が南郷上ノ山公園、その左側にあるのが南郷中学校。上縁を東西に走る道路は葉山の長柄と逗子の沼間(横横逗子IC)を結ぶ逗葉新道。「砲台道」は現況写真では植生に隠れてしまってかなり見づらい。

同じ現況写真だが、探訪写真との対応用に番号を振ったものを以下に。

Ckt20072c2061k2

二子山に登る場合、逗子駅からは、京急バスの「南郷中学校」行き(逗28系統)に乗るのが最も楽。南郷中学校は山の中腹、南郷上ノ山公園と隣り合っている。

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写真1枚目。バス停を降りるとすぐ横が南郷中学校のグラウンド(上写真の①)。道の先にはすぐに南郷上ノ山公園の入り口がある。戦時中の兵舎跡が中学校の元になっていたりしないのだろうか……などと思ったのだが、それは考え過ぎ。南郷中学校は1981年と比較的最近の開校で、終戦直後の空中写真ではこのあたりは田んぼのある細い谷戸に過ぎないようだ。

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左写真は、南郷公園のトイレ脇からの上り口(上写真の②)。車の通れる道幅だが、ご覧のようにチェーンが張ってあって進入禁止。それからしばらくは、右写真のようにコンクリート舗装の道が続く。

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道が大きく右に曲がるあたりで、左に下る分岐がある(上写真の③のあたり)。終戦直後の空撮を見ると、もともとはこちらが「砲台道」の本道だったのではないかと思われる。一応、この道は今でも南郷トンネル入り口辺りに繋がっているらしい。この分岐の隣には、コンクリートのテーブルと椅子が据えられた平場がある。

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同一か所、分岐側から現在の「砲台道」本道を見る。コックリート舗装はこの地点で切れ、この先は砂利道(ところによって砂利のない土道)になる。ただし、轍の部分をよく見ると、荒れたコンクリート舗装がところどころ残っていて、元は舗装がだいぶ上まで続いていたことが伺える。もっとも、その舗装が戦時中のものかどうかは怪しい。

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途中、道の脇に数カ所開けた平場があり(上写真の④、⑤、⑥)、東屋やベンチが作られている。もっともこれらも(終戦直後の空撮を見る限りでは)戦時中に何かの施設があった跡というわけではなく、公園整備の一環で整地されたもののようだ。

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道が東北角で大きく曲がるあたり(上写真⑦近辺)に、コンクリートの構造物あり。もっとも、その中に作られた鉄板のフタの感じからすると、戦時中の何かではなく、後になって作られたもののような感じ。

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明らかに“近年物”の擁壁や雨水用マンホールのフタもある。

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一方で、戦時中のままらしい、素掘りの崖面もある。右写真はおおよそ⑧の地点で、左側に沼間方面および森戸川林道終点方面に行く分岐がある。前者は葉山・逗子境界の尾根を通って北尾根ルートへ。後者はこの先で右に折れて谷を下る。

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「砲台道」は、上写真⑨のKDDIの中継施設に突き当たる。掲げられた看板は20年以上前の旧社名のまま。左側の(整備不良でガタガタになった)階段を上ると頂上広場に出る。もともとの砲台道は現在の中継施設を突っ切る形で、頂上広場の北側を通って緩やかに上り、4基並んだ砲台の中間あたりで頂上に接続していたようだ。なお、終戦直後の空撮で確認できる兵舎らしき大きな建物は、この写真のちょっと手前の左側一帯にあったと思われる。

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頂上広場に小さな展望台と一等三角点があり、展望台の脇に、ミスドの「ポン・デ・リング」状の砲台跡がある(上写真⑩)。写真は下ノ山方向から振り返ったかたちで、一等三角点越しに展望台と砲台跡を撮ったもの。左の木立の向こうに、先の写真にあった階段の登り口がある。前掲の終戦直後の空撮写真と比較検討すると、4つあった砲座のうちの東端のものであると考えられる。残りの3つは(この写真の位置からすると)撮影地点の背後の林の中に埋もれてしまって、とりあえずパッと見た程度では確認できない。

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一等三角点と、展望台から北方向(横浜方面)の眺望(かすんで見づらいが、左端にランドマークタワー、右端近くに八景島シーパラダイスが見える)。現在は木に覆われてしまって視界が遮られているが、戦時中はほぼ360度眺望が開けていて、西側に相模湾が見渡せたはず。ちなみにここは東西方向で相模湾、東京湾のほぼ中間にある。一等三角点は神奈川県内に8か所あり、三浦半島ではここが唯一。

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砲座のクローズアップ。披露山のようなベトン(コンクリート)製のきっちりしたものではなく、少なくとも現状は土塁のみ。周囲の土塁の高さは一様ではなく、前述のように「ポン・デ・リング」状に波打っている。窪んだ部分には砲側の弾薬置き場があった(例えばコンクリートの箱状のものがあって、それを取り除いた痕跡?)などとも考えられるかもしれない。

また、特にほぼ真北の窪みは特に低く(写真3枚目)、砲座への出入り口があったのかもしれない。ちょっと曲線が胸の谷間みたいで艶めかしい。

写真4枚目は脇に立っている展望台上から見下ろしたもの。小さな頭が赤い杭が立っているのがほぼ中心。コンクリート製のプラットフォーム等はとりあえずこの状態では存在が確認できない。

国立公文書館・アジア歴史資料センターで検索・閲覧できる「横須賀海軍警備隊 砲術科兵器目録」(終戦後の引渡目録。直リンで開けない場合には、資料センター表紙の検索窓に資料名を入れれば出てくる))によれば、ここ二子山高角砲台に据えられていたのは、「十二糎高角砲」(単装)4門。少なくとも同資料には年式等は記されていない。コンクリート製の台座などが確認できないことから、例えばドイツの8.8cmFlaKのような移動用の砲架を持った対空砲が考えられるが、日本海軍にその手の砲(砲架)があったのかどうか、日本軍の兵器に疎い私にはよくわからない。とりあえず、同資料で確認できるこの砲台の配備は、

  • 十二糎高角砲 4門
  • 二式陸用高射器 1基
  • 九七式二米測距儀 1基
  • 弾薬数 632発
  • 九六式一五〇糎探照灯 1基
  • 二十五粍二連装機銃 1基
  • 十三粍二連装機銃 3基

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草刈りされた砲座の東側は緩斜面になっており、そちらからはかなり土塁が高く見える。木立の向こうは、先述の砲台道突き当りにあったKDDIの中継所の通信塔。

サイト「東京湾要塞」によれば、二子山下ノ山方面に少し行った脇の藪の中にコンクリートの構造物(柱が二本)が残されているというのだが、藪の中を覗きこみながら、何度か行ったり来たりしてみたが、発見できなかった。もうちょっと藪の奥まで見通せる冬季に改めて来て確認したい。なお、このコンクリートの構造物は、「東京湾要塞」では探照灯の台座としているが、形状的には武山の砲台山にあった、計算所(の中にあった計算装置?)の台座とされているものと似ている。

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なお、米軍空撮写真を見ると、上ノ山から西(写真で左方向)に細い道を辿った先、二子山下ノ山の頂上にも何やら小さな設備が置いてあるように見えるが、現状、下ノ山の頂上は森に覆われていて、何があったか等は確認できない。左写真のように、立ち木に小さな表示板が取り付けてあるので「ああ、ここが頂上なのか」と判るだけ。頂上西南側にちょうど砲台くらいのすり鉢状の窪みがあるが(藪に覆われて見づらいが右写真)、大きさはどうあれ、かなり深いので銃座とかの跡ではないような気がする。ただし、この窪みから西方向には、窪みへの出入り口のような掘割があるようで、何らかの人工のものである可能性はありそう。

ちなみに、上ノ山までは先述のように「お散歩感覚」で砲台道を歩くだけだが、上ノ山から下ノ山、さらにその先の阿部倉山へは、かなりアップダウンのある細い山道を歩くことになる。歩く人も少なそうなので、夏は藪漕ぎの覚悟も必要かも。

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II号戦車b型 THE WORLD AT WAR 1:72

20190517_195110 ●先日(令和初の購入キットとして)入手した、THE WORLD AT WAR 1:72のII号戦車b型(PANZER KAMPFWAGEN II ausf.b)の簡単なレビュー。

これに先立って発売されているII号戦車a1/a2/a3型についてはこちら

以前にも書いたが、「THE WORLD AT WAR」シリーズはポーランドのメーカー、IBGのミニスケール専門のレーベル。同社では単にIBGレーベルでも1:72のAFVキットを出していて、「THE WORLD AT WAR」シリーズがどういう切り分けになっているのか少々はっきりしないが、とりあえず、今のところこのシリーズでは第二次大戦初期のドイツ戦車しか出ていない。

なお、少し前に書いたが、基本同シリーズは1:72スケールなのだが、IV号戦車系列は、どうやら設計の際に寸法を間違えてしまったらしく、最初のA型は「1:72」表記で出たものの、その後のB型以降は「1:76」表記に改められている。ミニスケールの72と76なんて誤差だよ!なんて開き直ることなく、スケール表示を改めたのは潔いと言えるが、そのため、同一シリーズで2種のスケールが並列するという妙な格好になってしまった。

また、1939年のドイツ・ポーランド戦の1:72両軍AFV/車輛/砲/フィギュアを出している「First to Fight」シリーズは、発売元は違うようだが、キットそのものはIBGが手掛けているようで一部設計データは両シリーズで共通している。

●キット内容。シリーズ共通の構成で、キャラメル箱の中身はプラパーツと、折りたたまれた実車解説の小冊子。小冊子は表紙を含めて16ページ、英語とドイツ語の併記(輸出仕様)。

プラパーツは枝3枚で、デカールが1枚。

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Lパーツ(写真1枚目):車体、足回り。おそらくプラパーツとしては、これのみがこのキット専用のもの。

Mパーツ(写真2枚目):砲塔および装備品類。a1/a2/a3型キットおよびA型キットと共通。

Nパーツ(写真3枚目):マフラー、工具箱、スリットのないクラッペ等の小さな枝。A型キットと共通。

デカール(写真3枚目):塗装例2種に対応。ポーランド戦時の黄十字と、フランス戦以降のものと思われる第10師団第7連隊所属車(ステンシルのバイソンと大きな「5」の砲塔番号)。

●車体形状は前型のa1~3型とも、後のc型とも異なっているので、前述のようにb型専用のパーツ。a1~3型とはエンジンルームのディテールがかなり違い、車体長がa1~3型のほうが短い。b型では車体後部が延長され、後の標準型II号(c、A~C型)とかなり近い形状になるが、エンジン上部の傾斜面が後部でたち切れ、後端グリル部分が独立した形になっていたり、フェンダー後半部が後ろ下がりになっていたりと、なお若干の差がある。戦闘室後ろのハッチも、c初期型までの2分割式。

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写真1枚目:b型の車体形状、特に後部ディテールはかなり頑張って再現している感じ。車体上下パーツの接合線の隙間が後端グリルに掛かっていて、何か方法を工夫して消すか、放置するかちょっと悩ましいところ。

写真2枚目:車体右側面の2つの燃料注入口の小丸ハッチ、その後ろのエンジンルーム側面吸気口は一体モールドの都合でやや不十分な再現度。これはa1~3型キットでも同様だった。右前部クラッペは、a1~3型キットでは別部品だったが、このキットでは一体モールド。なぜか、後の型の特徴であるはずの跳弾リブのようなモールドもある。

写真3枚目:車体前面に一体モールドされている牽引具と点検パネルは、a1~3型キット(右)と比べて位置がかなりずれている。小パネル上のリベットの数・位置が変更になっているのは実車もそうなのだが(a1~3型は7カ所か8カ所、b型は左右2カ所)、このキットのように、位置まで変更になっているのかどうか……。少なくとも、このb型キットの位置は(牽引具も含めて)ちょっと上過ぎる気がする。

●足回りはa1~3型と起動輪の形状が大きく異なり、後の標準型II号(c、A~C型)とよく似た形状になった。

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ただし実際には、c、A~C型と全く同じではなく、おそらくファイナルギアケースの形状が違っているためなのではと思うが、b型の起動輪のほうが、後の型よりもふくらみ方が大きい。キットの起動輪はパッと見、後の型と同じくらいのなだらかさで、膨らみ具合が不足しているように思う。上部転輪はa1~3型よりも小径化されており、その辺はきちんとフォローされている。

ただ、よく見ると、a1~3型キット同様、履帯の巻き方が逆方向になっている。ロコ方式の一体成型なのでそもそも大したディテールもないため、それほどうるさく言うほどのこともないかもしれないが。

●砲塔パーツは、おそらく「THE WORLD AT WAR」シリーズのII号戦車すべてに共通のもの。Mパーツの枝に含まれるクラッペは、a1~3型に合わせてすべてスリット付きのものになっているが、b型以降用に、スリットのないフラットな形状のクラッペが別枝(Nパーツ)で用意されている。なお、私の買ったキットでは、砲塔ハッチ上のダンパーのモールドが、片側が型抜き時の事故で?潰れていた。

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大宮公園ぶた公園

●前回、東武アーバンパークライン(略してあーぱー線)で、埼玉県の大宮公園に言及したついでの話。

食事中に口の横などにご飯粒(あるいは他の食べ物の欠片)が付いてしまったのを見て、

「おべんと付けて~どこ行くの~」

と節をつけて囃すのは、日本人なら誰でもとは言わないが、(地区や年代にもよるかもしれないが)それなりに広まっている俗習なのではないかと思う。私自身の子どもの頃からの標準で言うと、この囃し言葉は上のフレーズだけで完結している。しかし、かみさんの場合は違っていて、

「おべんと付けて~どこ行くの~、大宮公園、ぶた公園」

と、続きがあるのだ。別にかみさんの創作ではなく、子供の頃からそう歌ってきた(あるいは聞かされてきた)そうだ。以来、いったいこれはどこの習慣なんだろう、(かみさんの出身地である)千葉県北西部限定なのか? あるいはかみさんの家限定なのか? などと、結構長い間、頭の片隅に引っかかっている(物心ついて以来ほぼ神奈川在住で、埼玉にほとんど縁がない私が「大宮公園」という名前を知っていたのもそれによる)。今回、改めて検索してみて、若干知見が広がった。

  • 「おべんと付けてどこ行くの」に続けて「大宮公園ぶた公園」と歌うのは、別にかみさんの実家限定ではなく、実際にそういう言葉で歌ってきたという人の例が複数ヒットした。
  • 地域的には、千葉県北西部限定ではなく、どうやら、埼玉県(南部?)で、「大宮公園ぶた公園」派がそれなりに存在しているらしい。というわけで、別に千葉県民が埼玉県を揶揄して歌っているわけではなく、むしろお膝元の大宮方面から東武野田線経由で、かみさんの実家方面に伝播した可能性のほうが高そう。
  • バリエーションとして、「大宮公園ひとまわり」というものもあるらしい(こちらも複数ヒットした)。どちらが元なのかは判らないが、子供に品のない囃し言葉を歌ってほしくなくて改変したものが別途広まったのでは、と勝手に想像。
  • 一方で、群馬・栃木あたりまでにかけて、「丸山公園ぶた公園」「花山公園ぶた公園」「前橋公園ぶた公園」「森林公園ぶた公園」などの、それぞれ近隣の公園名が入っているらしいバージョンもあることが判明。
  • さらには、「おべんと付けて~どこ行くの~、丸山公園ぶた公園、オリがないから逃げちゃった~」など、その先がある例もあるようだ(mixiの群馬関係のコミュにあったのを検索で発見)。

これらから思うに、どうやら、北関東一円に、「おべんと付けて」行く先に関し、「ぶた公園文化圏」的なものがあるようだ。

ちなみに、他地域の例として、公園関係ではない別の歌詞もいろいろあるようだ。興味深い。

●春も後半になってくると、キイチゴの仲間があちこちで実を付けはじめる。というわけで、近所の某所にて、カジイチゴを初収穫。

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まだまだ熟していない実も多く、しばらく楽しめそう。

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アーバンパーク

●平成から令和になって、なんだかんだボンヤリしているうちに、もう半月近く経ってしまった。

考えてみれば、平成という元号も馴染んだのか馴染まなかったのかよく判らないうちに過ぎ去ってしまった感じ(もちろん、あくまで個人的に)。

なお、元号というのはある種の文化・伝統として残っているのはいいが、使用を強制されるのは御免被りたい。しばらく前に市役所で、何かの申請書類で年の欄に西暦で書き込んだら、「こういう正式な申請書類には元号を使って書くのが常識でしょう!」と窓口のおばちゃんに頭ごなしに言われて非常にむっとした。その時は特段言い返しもせずに書き直したのだが、今でも何だかモヤモヤする。

そのタイミングのテレビがやたら能天気な祝賀ムード一辺倒だったのも何だかモヤモヤする。

●抱えている仕事が一息ついたこともあって、薄らボンヤリとGWを過ごす。休みの最初に息子一家が泊りで遊びに来て、5月に入って3日は川崎の実家に行き、兄とドイツ人Pと大いに飲む。令和最初の飲み会。

翌4日、久しぶりにガッツリ歩きたいと思い、初めて葉山の風早橋から、いわゆる「三浦アルプス」を通って三浦半島横断をしようと思ったのだが、出発した時はいい天気だったのに、仙元山を過ぎ、その先のピークを1,2越えたあたりで突然の雷雨。しばらく木の下で雨宿りして(さすがにピークでは雷が怖いのでちょっと下った尾根で。しかし結構濡れた)、小降りになったところで、早々に脇道にそれて下山(結局また葉山側に)。降りた頃にはやんでいたが、逗子駅前まで戻ったあたりでまた激しく降られた。

20190505_2300165日の晩、自室にオオゲジが出る。我が家では、ムカデ(トビズムカデ)は毎年必ず数回は侵入するが、オオゲジはちょっと久しぶりで、何しろ存在感が大きいのでぎょっとした。ムカデと違って積極的に咬むこともしないが、好んで同居したいども(決して)思えないので窓から退去していただいた。写真は外に追い出した後、サッシのガラス戸と網戸の間にいるオオゲジ。その数日後だったと思うが、自宅近くの夜道で、トビズムカデの、これまた久しぶりに十センチ超えクラスの大物を見かけた。家に入ってこないことを切に願う。

6日には久しぶりに千葉の野田のかみさんの実家に行き、義母に会う。なお、その際に久々に乗ったが、「東武野田線」が、いつの間にか「東武アーバンパークライン」という、オシャレハズカシイ(というより若干痛々しい)名前に変わっていた。先ほど調べたら、この名前が付いたのはもう5年も前だった。ずいぶん長いこと、野田に行ってなかったんだなあ……。なお正確には、野田線の名前がなくなったわけではなく、「アーバンパークライン」は野田線の愛称という位置付けだそうだ。とはいえ、乗換駅での案内などは全て「アーバンパークライン」になっている。

東武本線(東武伊勢崎線)の浅草/押上から東武動物公園までの区間も「東武スカイツリーライン」になっているようだが(2012年からだそうなので、もっと古い)、そちらは実際にスカイツリーの根元を走っているので(個人的に)許容範囲。しかし「アーバンパークライン」のほうは、どこがどうして「アーバン」で「パーク」なのか謎。少なくとも「船橋がアーバンで大宮がパーク」とかではない気がする(大宮には埼玉県営の大宮公園というそれなりに大きな公園があるそうだが)。

●母の介護保険の更新に伴う担当者の訪問があったので、12日-13日と泊りがけで実家。ちょうど兄がシフト明けだったので、12日の晩は兄が料理を作ってくれて2人でビールを飲む(このスケジュールなら担当者の訪問も兄に任せても良かったのだが、一応、更新の申請なども私がやったのでそのついでで)。

朝、散歩に出たら、向丘南原近くの道路沿いの中古車屋?の駐車場に、大戦型のジープが置いてあるのに気付いた。柵越しなので、限られた方向から一部しか撮れなかったのだが、それでも何かの足しになるかもしれないので、写真を上げておきたい。なお、何年も前に、池袋・東武百貨店のタミヤ・モデラーズギャラリーで撮ったフォードGPWの写真はこちら

20190513_082711 20190513_082943 20190513_082753 20190513_082824 20190513_082806 20190513_082813 20190513_083008 20190513_083012 20190513_083035 20190513_083024

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後面パネルのロゴは確認できないので、ウィリスMBなのか、フォードGPWなのか、はたまたオチキスM201なのかよくわからない……と思ったのだが(どこかに埋まっている資料「JEEP JEEP JEEP」を見れば少しは判るが)、3者の識別に関して、検索したらそのものズバリのページが見つかった。フロントグリル直後に見える最前部クロスメンバー上面が平たいこと、ボンネットの蝶番の噛み合わせが11のように見えることから、(キメラでないとしたら)フォードGPWのようだ。それぞれ該当部分の拡大も添えておく。

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破損か変形を補修したらしい斜め支柱付きのフロントウィンドウ下部、何か装備を追加した跡らしいバンパー前面の複数の小穴、フェンダー上に追加されたバックミラー、フロントウィンドウを倒した際の固定フックの欠如など、ちょこちょこと改造の跡もある。

●令和最初のキットの買い物は、たぶん、先日横浜のVOLKSで予約したズベズダのT-28になるんだろうなあ……と思っていたのだが、それが入荷する前に、(今日帰りに寄った横浜VOLKSで)IBG(THE WORLD AT WAR)1:72 II号戦車b型を買ってしまった。キットレビューについてはまた改めて。

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逗子拾い食いの会

●ここ最近のあれやこれや。

仕事が滞っていたこともあり、模型製作はすっかり開店休業状態。平成の世の間にもうひとつ完成品、というのは無理そう。

20190415_061426 ●4月中旬、ご近所のM夫妻に誘われて、かみさんと一緒に(それからM夫妻の末娘も一緒に)熱海まで一泊旅行。M夫妻はポケモンgo友達でもあり、その勧めで、(いままで「えー。やらないよー」と言っていた)うちのかみさんもついにポケモンgoをインストール。熱海の街を歩いてポケモンを捕まえたり、5人でトランプやウノやジェンガをしたり、温泉に入ったり。

写真は宿からちょっと歩いたところにある、伊豆山神社の鳥居脇の小公園で見かけた、遊具というよりほとんど前衛芸術か、あるいは逆に歴史的遺物かのような木馬。

●4月21日。FaceBookの逗子のニュースグループ内のゲリラ的集まり、「逗子拾い食いの会交流会2019春」開催。逗子の自然の中の身近な食材をみんなで持ち寄って、それを肴に飲みましょうという会。

20190421_152358 昨年春、鎌倉の焼き鳥屋でごく少人数で逗子の山野菜を持ち寄りって飲んだが、今回はその発展形で、正式にFBで声を掛け、20人ほど集まった(午前中にはうち有志5人で桜山で尾根歩きをして若干の採集もした)。逗子市内のキッチン付き貸しスペースで数時間。

当初想定よりもずいぶん大勢集まったなー、というだけではなく、食べ物も大量かつバリエーション豊かに集まった。ここに写っているほかにも、かなりの種類の山野草をその場で天ぷらにして食べた。私はノビルの出汁醤油漬け、茹でたアケビの芽、イタドリのピリ辛メンマ風、タケノコのピリ辛、ツワブキのきゃらぶきを持って行ったほか、現地でノビルのパジョンを数枚焼いた。

・逗子市内ではないが、近場の野島(横浜市金沢区)で採れたというアサリを、和風に実山椒と、台湾風に五香粉と、2種の佃煮に仕上げて来た方がいて、ものすごく美味かった。

・天ぷらは採れたてのタケノコのものが絶品。カキの若葉も意外に美味かった。「天ぷらで食べられる」と前々から見聞きしていたユキノシタの葉は「それなり」。ヤハズエンドウ(カラスノエンドウ)の若い実(さや)は、「食べられるけれど好んで食べたいとは思わない」レベル。

・もともと逗子の山野菜ネタでFBを通じて数年来の付き合いのTさんは私の作り方をアレンジしたイタドリ、酢醤油漬けのノビル、自宅の庭でできたというブルーベリーで作ったジャムなどを持ってきた。ブルーベリージャムが非常に美味かった。

・地場のものではないと思うが、ヒジキ入りの一口蒸しパン、ベニバナてまり寿司の差し入れがあり、これもなかなか美味しかった。

1555547382600 ●先週半ば、朝9時過ぎ、自宅電話が鳴ったので出たら、ひどく切羽詰まった娘の声。呼ばれて行ってみると、近所の坂を歩いている途中、車が脇を猛スピードでかすめていき、今にも轢かれそうだったという。

そしてその車はというと……そのまま坂下まで行って、電柱に激突してご覧の有り様。いや、とにかく娘が引っ掛けられずに済んでよかった。運転していたおばさんも、幸い軽傷だったらしい。ブレーキが利かなかったと言っていたらしいが、どうかなあ。

●CAMsから、フィンランド軍仕様の6t戦車が発売されるらしい。これはちょっと欲しい。なお、ズベズダのT-28はとりあえず横浜のVOLKSで予約した。令和になって初めて買うキットになるかも。

●ポーランドの、IBG社の「THE WORLD AT WAR」は、基本、1:72のシリーズのはずなのだが、比較的最近出たIV号戦車B型は「1:76」と表記されている由。どうも、その前のA型で1:72よりも小さく作ってしまい、それを指摘されて、続けて出した(同じ大きさの)B型は表記のほうを改めて誤魔化したようだ(なお、A型は変わらず72で売られている模様。再生産がかかるようなら、どうなるかわからない)。なかなか小粋なアイテム&キットのシリーズなので気に入っていたんだが、ちょっとがっかり。

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ANF レ・ミュロー117 SMĚR(ex-Heller)1:72

●リニューアルに伴うトラブルと仕様変更もあって更新意欲が削がれ気味なブログだが、かといって書かずにいると「書かないことが常態」化してしまうので、暇ネタ的にキットレビュー。取り上げるのは、前々回の試験投稿、「続・ココログ謎メンテ」で画像を貼った、チェコ、スムニェル(SMĚR)のミュロー117(A.N.F. MUREAUX 117)。

●逗子にはもともと、私が引っ越してきた頃には模型屋が3軒あったのだが、延命寺の斜め向かいにあった老舗の航研堂はもうだいぶ前に閉店。披露山入り口近くにあった八風堂も先日閉店。残るは延命寺前から沼間方面に行く途中のつばさ模型だけだが、こちらも最近は週末だけの限定営業になってしまった。

先月末の日曜日、前を通りかかったら開いていて、知り合いが中にいたので入ってちょっと世間話。このキットは、そのついでに購入したもの。

20190324_200141 ●スムニェル(SMĚR)は、あっちこっちの古キットを箱替え、デカール替えで出しているチェコのレーベルで、1:50のアルティプラストの一連のキットもあるが、1:72は基本、エレールなのかな?

とにかくこのミュローもエレールのキット。そもそもこんな戦前フランスの偵察機なんていうマイナー機種、エレールじゃなきゃ出さないと思う……(もっとも今はAZURという強力なフランス・マイナー機推しレーベルが別にあるが)。実際には私は昔々エレール版も買って持っているのだが、そちらは作りかけてどこかストック棚の奥底に堆積しているはず。もしかしたらスムニェル版も一つ持っていたかも。

こんなマイナー機、いったいいくつ(そしていつ)作るつもりなんだ……。

●実機については、原型機「ANFレ・ミュロー 110」の項目名でwikipediaにも立項されている。一応簡単に記しておくと、レ・ミュロー110シリーズは高翼単葉単発複座の偵察機で、ブレゲー19/ポテーズ25の代替として1930年代半ばにフランス空軍に配備されたもの。117はイスパノ・スイザ12Ybrsエンジンを搭載した後期の主生産型。wikipediaだと、爆撃能力を付加した「117R2B2」ということになっているが、キットの説明書だと、偵察専用の「117R2」と、偵察・爆撃型の「117R2B2」の2通りが生産されたような書き方がなされている。第二次大戦時にもまだ現役だったが、最高速が300キロ台の旧式機でもあり、キットの説明書でも「they were scarcely used and without remarkable success」(ほとんど使われず、目立った活躍もなかった)と、身も蓋もない。

スムニェルのキットでは名称が「MUREAUX」になっているが、本家エレールでは「Les MUREAUX」と冠詞が付いている(wikipediaでも)。mureauxという単語自体は「壁」とかいう意味で(複数形)、「いくらなんでも飛行機に壁なんて名前を付けるか?」と思っていたのだが、改めて検索すると、パリ近郊にレ・ミュロー(Les Mureaux)という工業都市がある(古くは中心部が城壁に囲まれていたのが名前の由来であるらしい)。そして、この機を開発・生産したメーカーがこの街にある「A.N.F. レ・ミュロー社」(フルネームは“Les Ateliers de Construction du Nord de la France et des Mureaux”(desはde+lesの縮約形)で、要するにこの時期の他のフランス機と同様、「メーカー名+型番」の機名だった――というのを、今頃になってようやく知った。それにしてもこの社名、「北フランスおよびレ・ミュロー製作所」くらいの意味かと思うが、なんで北フランスとレ・ミュローが並列(et=英語のand)なんだ?

●キット内容は、ざっと以下のような感じ。前述のようにもともと自国フランスのエレール製で、SCALEMATEの年表を見ると、初版発売はなんと1967年。50年以上前という大ベテランキットということになる。エレールの一連の戦間期~第二次大戦国産機キットのなかでもどちらかといえば古いほうだと思うのだが、これが妙に気合が入っている。

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上下張り合わせの長大な主翼と左右分割の胴体のほかは、小パーツ類の枝が1枚。あとは透明パーツとデカール。デカールは本家エレール版と違って一頃のチェコ製キットお馴染みのPROPACTEAM製。印刷も鮮明、ズレもなく(といってもコケイドの青丸は別印刷だが)クリアニス部も極薄のもので、キットの箱にも何やら誇らしげに「スーパー・デカール」と書いてある(ただし使い勝手のほうはよく知らない)。

「妙に気合が入っている」中身に関しては、とにかく「コリャスゴイ」と思うのが、機体側面の外板の薄さの表現。リベットに囲まれた内側が、ごくわずかに膨らんだ表現が丹念に施されている。もっとも実機のクローズアップ写真(自体、ネットを漁ってもあまり出てこないが)では、それなりに外板のベコベコが見て取れるものはあるものの、こんなふうに全部外側に膨らむということはなく、割とランダムに凹凸があるというのが真相のようだ(与圧胴体ではないのでそれが当然かもしれない)。とはいえ、キットの表現はメーカーの気合に敬意を表して、そのまま生かしたい(そしてそれがなんとなくわかるような塗装にしたい)気がする。

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一方でトホホな部分もあり、水平尾翼は裏面に押し出しピン痕が2か所。幸い裏面なので、削り落として、消えたリベット列は針先でつつく程度で誤魔化せるかな?

コクピットは年代物らしく、床板・壁に一体のプリミティブな椅子がモールドされたL字パーツ(後席も基本同様)。操縦桿もない。計器盤は一応あるが、つんつるてんの半月状の板のみ。当然ながら胴体側面内側のモールドも何もない。

後席の旋回機銃は、説明書の諸元ではルイス機銃と出ていて、キットのパーツもそんな感じだが、実際には、30年代後半には国産のレイベル機銃(MAC 1934)に替わっているらしい。円形弾倉が上部に水平に付くルイス機銃と違い、レイベル機銃は右側面に縦につく独特の形状だが、ネット上で拾ったミュロー117の塗装図等でもレイベルを付けて描かれているものが多いようだ。

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開放式コクピットなので、風防は断面がはっきり出てしまうが、キットのパーツはこれも古めかしく分厚い(ただし透明度は高い)。

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●そこまで来て、「そういえば……」と思い出したのが、昔々買った、ファルコンのクリアヴァックス(CLEARVAX)の別売クリアパーツセット。探したら、珍しくストック棚のすぐ表にあった。

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ファルコン(Falcon Models)はニュージーランドのバキュームフォーム・キットのメーカーで、クリアヴァックス・シリーズは、古くて質のあまりよくない古いキットの透明部品を代替する、バキュームフォームの透明部品セット。実質的に同じ仕立てだが、出版社のsquadron/signalとの提携(?)で一機種ずつバラ売りのものもあった。今はキットの透明部品の質が上がって、好んで古キットに手を出さない限り切実に代替部品が必要ということはあまりないため、この手の物を店頭で見る機会も少なくなった。ただ、「もうファルコンなんてないんだろうなー」と思ったら、一応、会社のサイトがあった。まだ生き残ってたのか!?

今回掘り出したのはフランス機セット第一集で、どういう基準なのかよく判らないが、戦間機から戦後のジェット機まで14機種分(そのうち、モラン・ソルニエ406、ドボアチン520、ブロック152は2機分ずつ)入っている。そして一個も使った形跡がないのがまた……とほほ。

このなかにミュロー117も含まれていて、3枚目の写真、下段中央がミュロー用。

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新霍克!(Curtiss Hawk III 1:48 FREEDOM Model Kits)

●ココログの復旧具合についての様子見を兼ねての投稿。

さすがにあまりに不具合の山積に、ちょっとは“やる気”を見せておかないとマズイと思ったらしく、ココログもお知らせページで「不具合修正状況」をほぼ毎日アップするようになった。

それを見ても「どこがどう改善されたのか」は、実はあまりよく判らないのだが、とにかく、「改行はデフォで一行空き」という仕様は元に戻ったようだ(実際にはこの仕様には最初だいぶ違和感を持っていたのだが、とはいえ、さすがに「リッチテキスト・モードで故意に一行空きを入れても実際の画面に反映されない」のは困る)。

 ●という前置きはこれくらいで、試し書き記事の本題。

今日、久しぶりに秋葉原のVOLKSに行ったら、以前マクタロウさんのところで話題になっていた新興模型メーカー、FREEDOM Model Kitsの1:48、カーチス・ホークIIIが置いてあったので、ついたまらず購入してしまった。以下、ごく簡単にレビュー。

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製品アイテム番号は18009、キット名称は「ROCAF CURTISS HAWK III」。ROCAFは「中華民国空軍(Repbulic of China Air Force)」の略で、箱絵は渡洋爆撃の九六陸攻を迎撃する第四大隊長・高志航乗機。

メインとなるパーツは大きめの枝2枚。

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これにデカールシート2枚、エッチングパーツ、透明パーツ等が付く。

●胴体部の表面ディテールは以下のような感じ。

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2枚目は胴体前半の下面。3枚目は機首上面。

4枚目は先行する同スケールのキット、Classic Air Framesとの比較。布張り表現やパネルのメリハリなどはFREEDOMに一日の長があるのは当然と言えそうだが、それ以外に、この状態だと下翼の翼厚が全然違うのが目立つ(と言っても、組み上げてしまうとあまり判らないかも)。

●細部パーツあれこれ。まずはコクピット内。

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1枚目は床板。2枚目は側壁(こんなふうになっているとは知らなかった)。3枚目は座席だが、シートベルトの類はエッチングパーツにも入っていない。この点はちょっと残念。そもそもどういう形のシートベルトなのかも(私は)ちょっとよく判らない。

エンジンと脚、翼下の爆弾架と爆弾。

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エンジン(ライト・サイクロン)はエッチングでプラグコードが付く。小爆弾はフィンが分厚すぎる気がする。実物もこんなんじゃないよね?

エッチングと透明部品。

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張り線は全てエッチングで用意されている。エッチングパーツの下の小リングはプロペラ軸を止めるポリパーツ(たぶん)。

残念なのが透明部品で、特に天蓋部分は分厚過ぎ、枠も太すぎる感じ。特にこの機の場合は密閉コクピットではなく、風防も天蓋もしっかり厚みが見えてしまう。ここはクラシック・エアフレームスから流用したい気がする(クラエアのキットには予備として2機分入っているので)が、私がストックしているクラエアの物は若干黄ばんでいるのがネック。

中国空軍パイロットのフィギュア一体付き。

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……画像の大きさ指定のやり方がよく判らない。以前の投稿フォームだと画像を投稿するたびに大きさの指定ができたのだが、今度のフォームでは、投稿全体の設定でサムネイルの大きさ指定があるだけ。

●説明書はカラー印刷。

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2枚目は機首部分のパネルの選択を示した部分。武装の違いで、機首右側のバルジの大きさにバリエーションがあるのは知っていたが、その前方の縦長パネルにも仕様(輸出先)によって違いがあるのは今まで気付いていなかった。

3枚目は中国空軍機の塗装/マーキング解説図。中央の第四大隊長機(高志航機)のほか、有名どころの李桂丹機や劉粋剛機など7種類が取り上げられているが、シートには胴体の大きな数字の0~9が別途2つずつ用意されているので、開戦時の第四・第五大隊所属機はどれでも作れそう。

キット名称は「中華民国空軍」だが、デカールはタイ空軍、アルゼンチン空軍所属機のものも(1種ずつ)用意されており、上記説明書の図示にあるように各仕様に合わせて細部パーツは選択式になっている。

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